“円生”という大名跡をダシにした第二戦は、そもそも“戦い”ではなかった。
2010年 11月 19日
2010年10月20日のブログ
朝日新聞のWebニュースasahi.comに昨夜のことが書かれていた。久しぶりに京須さんのコメントもあったので、後半を引用する。
asahi.comの11月18日の記事
今回は円窓さんが不参加のため、円丈さんと鳳楽さんは、円生襲名をかけた落語会とは位置づけていない。が、フジテレビアナウンサーを交えた鼎談(ていだん)では、襲名問題の足踏み状態が続く現状を説明し、それぞれの正統性を改めて主張した。また、鳳楽さんは円窓さんから「円生を継ぐ」旨の文書が送られてきたことも明かした。
終演後、鳳楽さんは「8月初旬に関係者が集まろうとしたが、円窓さんからは返事がなかった」。円丈さんは「今後も、襲名問題はオープンにしていきたい」と話した。
落語プロデューサーの京須偕充(きょうす・ともみつ)さんは「襲名は衆目の認める芸や人気のある落語家がするもので、闘って決めるものではない。またメディアが襲名問題を興行化するのは好ましくない」と話している。
今回の京須さんのコメントで同感できる点は、「襲名問題を興行化するのは好ましくない」の部分。まったくその通りであって、本人同士に戦う気があって精魂込めて高座をつとめるのならともかく、この記事の二人の和気藹々といった写真を見るだけで、この会が“円生”という名跡をダシに使ったただの“二人会”であることは明白。
塚越という「お台場寄席」の“ナビゲーター”がこの会をナビゲートしているのなら、まったく悪い方向に誘導していると思わざるを得ない。たまにはなかなかいいことも「お台場寄席」のマクラで言うことがあるが、基本的にはしゃべり過ぎ、出しゃばり過ぎなのだ。だから、こんな会を企画してしまうんだよねぇ。
さて、この記事には円窓が本気であるような情報もあるが、そうなら相手に誘われたら堂々と受けて、自分の主張を明確に伝えればいいじゃないか。この人は、やはりよく分からない。円丈のオープンな姿勢とは対照的だ。
まぁ、こんな茶番はどうでもいいけど、円生という名跡は決して軽くはないので、その名を語って何かを企む動きはウォッチしておこうと思う。
紀尾井町で柳派のルーツである談洲楼燕枝の大作の仕上げに三三がチャレンジしていた時、神楽坂では三遊派の大名跡をダシにした、まったく“チャレンジしない”二人会があったわけだ。ますます柳と三遊の差は広がるだろうと、ある意味で寂しい思いがする。ライバルが切磋琢磨しなけりゃダメなのよ芸もスポーツも!
姿勢を見ているとこの3人がばからしく感じます。ということで、そろそろ
勝手にやらしておきましょう。
ちょっとだけ小言で返します。
“もう終わり”にできないのは、我々のチェック機能なのだと思っています。
感心はしなくても関心は持たなくてはならないと思いますよ、あれだけ大きな名跡のことなのですから。