粗製乱造“ネタ見せ”お笑い番組の終了と今後
2010年 09月 15日
MSN産経ニュースの9月14日の記事
「エンタの神様」(日本テレビ系)や「爆笑レッドカーペット」(フジテレビ系)など、ここ10年ほどブームだった若手芸人による“ネタ見せ”を中心としたレギュラー番組が、今年に入って次々と終了している。若手芸人の登竜門が消えることについて、お笑いの関係者からは「時代はネタよりトーク重視に移っている」「今後は“一発芸人”ではなく、実力ある芸人だけが残るだろう」などの声が聞かれる。
こういった番組が終了するのは当たり前だろうし、実力者だけが残るのはどの世界でも同じ。気になったのは「トーク」の文字。この記事の中ほどにも次のように書かれている。
民放バラエティーに携わる放送作家は、ネタ見せ番組縮小の一因を「時代はネタよりトークだから」と説明する。「コストを抑えて視聴率も取れるのは、トークやクイズを主体とした番組。そこで必要とされているのは、じっくり練ったネタより、素早く気の利いたコメントができる頭の回転の早さだ」
“ネタよりトーク”という言葉に違和感を覚える。視聴率優先で、かつ放送作家の仕事としては、「ネタよりトーク」なのかもしれないが、演芸・芸能というコンテンツで考えたら、「見るに耐えないショートコントより、鑑賞に耐える芸」ということじゃなかろうか。もちろん、視聴“率”ではなく、視聴“質”ということでの話だ。
番組がなぜ終了するのか、よく考えて欲しい。どのテレビ局も、ほぼ同じ顔ぶれのギャラの安い若手お笑いタレントによる、ほぼ同じようなショートコントや瞬間芸を、“これでもか”と言わんばかりに揃いも揃って流していたから、飽きられたのだ。最初は視聴率も良かっただろうが、熱しやすく冷めやすい若者を中心とした視聴者である。仲間うちの会話で、「超~飽きた!」とか「あの二人うざ~い!」というコンセンサス(?)がとれたら、こういった番組が獲得していた彼らの時間は、携帯かゲームの時間に取って代わる。もちろん、本当におもしろい“芸”は、同じネタでも何度も笑えることは、寄席に行けばわかる。寄席で15分もたせる芸があるかどうか、そこが漫才やコントの芸の一つの指標となるはず。テレビに大勢出ていたお笑いタレント(お笑い芸人、ではない)の大半は、寄席で五分も持たないだろう。「レッドカーペット」での一分ネタを三本も寄席でやったら、私なら寝るか席を立つ。
古い話になるが一昨年の年末に、このような番組について次のように書いた。2008年12月29日のブログ
多くの若い芸人さん達が切磋琢磨すること自体は結構。しかし、それぞれの漫才やコントの芸人さんの持ち味が十分にわかろうはずのない「瞬間芸」や「一発ギャグ」といわれるものばかりを、どこのチャンネルでも放送しすぎる傾向に嫌気がさすのだ。「嫌なら見なきゃいいだろう」という声も聞こえるが、広告費を商品購入という形で支払っているのは、我々視聴者である。
今のテレビのお笑い番組、いや「お笑いを中心とするバラエティ番組」は、正直言って見る気がしない。別に落語を放送しろ、と言っているのではない。漫才にしろコントにしろ、優れた芸は見たいと思うし、理屈ぬきで笑いたいとも思う。しかし、テレビの、それもゴールデンタイムで「瞬間芸のカタログ」とでもいうものをたれ流しするだけの番組には魅力を感じない。
そして、先日の谷啓さんの残念な訃報に接した後で昨日この記事を見て、あらためて一昨年書いたのと同じような思いを抱いた。恐縮ながら、自分のブログを再録。
そんなことを考えていると、最近は良質のお笑いのバラエティがないから、同じような番組ばかりになるのかと思い当たった。古くは「シャボン玉ホリデー」「ゲバゲバ90分」少し前なら「花王名人劇場」や「オレたちひょうきん族」など。プロデューサー他の作り手の志にしても、芸人の意気込みにしても、そして「瞬間」ギャグのおもしろさにしても、今日とは雲泥の差だった。 さて現在のお笑いバラエティは・・・というと、どのチャンネルも同じような顔ぶれの芸人達が、ほとんど「素」のままで楽屋話をするだけの番組や、ある一部の人気者とその取り巻きたちが学芸会レベルの他愛ない、そして笑えないコントでお茶を濁すような番組しかないのではないか。その人気者たちもかつてデビュー当時は光るものがあったはずだが、昨今の過剰露出の結果、彼ら自身も構成作家たちも企画が枯渇し、そして若くして゛大御所゛としての傲慢さだけが目立ってくる。
「ネタからトーク」という言葉で危惧するのは、このお笑いタレントの“楽屋話”の延長線上にある“トーク番組”が増えるのではないか、ということ。そして、その“トーク番組”の司会や出演者は、また同じような顔ぶれになるのではないか、ということ。そうなると、ゴールデンタイムは、「漢字検定」などを素材にしたどれも同じようなクイズ番組と、一部の“トーク”のできるタレントによる“お笑いトーク番組”で大半が占められそうだ。
“瞬間芸に頼る瞬間的な高視聴率”は、長続きしなかった。しかし、その後は「ネタからトーク」ではなく「悪いネタから良いネタ」という発想はないものだろうか。BSでもいいので、コアな視聴者による“長期安定した視聴率”の演芸・芸能番組が欲しいものだ。
一時楽しませてもらったテレビ朝日の「落語者」は復活しそうにない。BSでの再放送も今夜の玉の輔、来週の歌武蔵、そして再来週の菊志んで終了。BS朝日 落語者
もちろん、落語そのものではなくて結構。落語は生が一番だからね。テレビというメディアを生かした第二の「シャボン玉ホリデー」「オレたちひょうきん族」と言える番組が欲しいものだ。
決して無理なことを言っているつもりはない。今のところ、“平成のお笑い番組”として歴史に名を残すと思うのが、NHKの「サラリーマンNEO」。そして、“トークができる芸人”の筆頭と私が思う“爆笑問題”の見ごたえのあるトーク番組「爆笑問題のニッポンの教養」を放送しているのも、NHKだ。民放も頑張って欲しい、と私はエールを送っているのだ。
世の中、少しは景気にも明るさが見えてきたように思う。腹の据わったスポンサーが視聴率に一喜一憂しないで、センスと骨のあるプロデューサーや構成作家とプロジェクトを組み、歴史に残る番組を作るような動きがあってもいいと思う。そもそも、“視聴率”という指標が、今日のように地上デジタルにBSやCSもある中での視聴実態を計るモノサシとはいえないだろう。いっそ、とことん口うるさい限定的な視聴者を意識した、“質”にこだわる「お笑い番組」を作って欲しいものだ。
いずれにしても、今後増えるのであろう“トーク番組”が私の危惧する通りの内容ならば、そう遠くないうちに、“雨後の筍のように始まったお笑いトーク番組が次々に放送終了”というニュースを目にするはずである。
昔の谷さん達の時代が懐かしいです。
本当に日本は安易な国になっています。「ものづくり」「ひとづくり」の
日本の良さはもうもどらないのでしょうか?寄席にいくと安らぎます(笑)
バシーには、胸が詰まりました・・・・・・。
「ものづくり」「ひとづくり」への危惧、ごもっともです。
演芸・芸能の世界のみならず、学生の就職難が続く状況下で若者のマニュアルへの依存や“お宅化”が蔓延する中、日本の将来が案じられます。
自分のことを棚に上げますが(笑)、芸にしろ仕事にしろ、もっと悩んで悩んで、そしてもがいた結果がかつての名人や名優や名芸人につながったと思うんですよね。
瞬間芸のたれ流しをする番組を「登竜門」だなどとと言うマスコミの住人は、「登竜門」の語源を知っているのか、と言いたいですね。少し熱くなりました(笑)
メルアドが見当りませんでしたので、コメント欄にご連絡さしあげました。
落語評につきまして、参考かつ勉強になり、ときどき拝読させていただいています。
つきましては、私のブログ「らんだむレビュー」の「推薦サイト」にて、ご紹介&リンクを貼らせていただきたいのですが、ご承諾いただけませんでしょうか?
http://yui-planning.asablo.jp/blog/
ご返信いただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
