人気ブログランキング | 話題のタグを見る

『古地図と名所図会で味わう 江戸の落語』菅野俊輔(青春新書)

『古地図と名所図会で味わう 江戸の落語』菅野俊輔(青春新書)_e0337777_11062500.jpg

菅野俊輔 『-古地図と名所図会で味わう- 江戸の落語』

 以前に紹介した河合昌次さんの本『江戸落語の舞台を歩く』が、“現在の落語の舞台”をめぐるための最良のガイドブックだとすれば、この本は、“当時の落語の舞台”に関して地理的・歴史的な背景を知ることのできる好著であるといえるだろう。
2009年6月1日のブログ
河合昌次 『江戸落語の舞台を歩く』

 もちろん、河合さんの本にも落語の舞台の往時の様子についての説明があるが、散策の参考とすべき地理的な内容が中心で、それはそれで大いに役立つ。本書は散策ガイドではないので、それぞれの噺に関連する文化的、歴史的な背景について古地図、切絵図、名所図会などの画像情報を効果的に使って解説してくれる。

 たとえば、『宮戸川』(別名『お花半七』)。
 この噺の発端では、半七が将棋(あるいは碁)、お花がカルタに興じるあまり帰宅が遅くなって家から閉め出される。二人の家は日本橋小網町。困った若い二人。半七には霊岸島に伯父さんがいるので泊めてもらうつもりなのだが、お花には近所に親戚がいない。お花は半七に、私も一緒に霊岸島の伯父さんの家に泊めてもらいたいと言うが、半七は伯父さんが“早飲み込み”の人で、もしお花を連れて行くと、どう思われるか心配だと言い、お花を振り切って霊岸島に急ぎ足で行こうとする。しかし、お花が足が速くて半七に追い付いてしまい、結局伯父さんの家を一緒に訪ねると、案の定伯父さんの早飲み込みから二階で一晩過ごすことになり、結局、二人は結ばれる。(詳しいことは本が破れていて分かりません・・・・・・。)
*ちなみに、現在このネタはここまでしか演じないが、珍しい『宮戸川・下』を、3月のTBS「落語研究会」で、柳家小満んで楽しむことができた。たまには、この会も良いネタ選びをするものだ。
 二人の家がある小網町から霊岸島の道中、私は噺では演出上ほとんどの噺家さんが相当端折っていてすぐに到着するのだが本当はもっと遠いのだろう、と思っていた。しかし、実際にこの二点間は非常に近いことがこの本に掲載されている「江戸切絵図」で確認できる。
 その切絵図には、次のような説明が補足されている。

 半七とお花が霊岸島の伯父さんの家に行くには、堀川(日本橋川)の鎧の渡しを利用するのが一般的ですが「夜遅くに」とありますから二人が通ったのは河口の箱崎橋と湊橋だったのでしょう。今では日本橋川と霊岸島(新川は、下り酒の問屋が多いところ)の周囲(亀島川)にしか水路が残っていませんが、当時は縦横に水路がめぐっていたのです。


 切絵図には、現在のJR東京駅近辺の東の方に日本橋小網町が位置し、その南側ほど近くに霊岸島がある。その霊岸島の南西の先には佃島が記載されており、こちらは『佃祭り』の舞台。『佃祭り』の主人公である祭り好きな次郎兵衛さんの小間物屋は、日本橋北の神田お玉ヶ池だから、この地図で神田お玉ヶ池-小網町-佃島の位置関係も確認できる。
 
 落語は、聞いてどれだけイメージを膨らませ、そしてその舞台にまるで自分がいるように“錯覚”できるかが鍵なので、こういった切絵図などで噺の舞台の位置関係が分かるのは、非常にうれしい。そして、この本は、位置的な情報に限らず落語の背景を解説してくれる。たとえば同じ『宮戸川』の章では、落語のあらすじはもちろん、この噺に関連して江戸時代の水路のこと、当時の結婚事情や二人が家を閉め出されるほど熱中していた娯楽のことなど多岐に渡って図なども適宜はさんで解説されている。
 
 もう一つ『長屋の花見』の章から少し紹介。ここでは、私の“マイブーム”といえる「旧暦」(太陰太陽暦)について触れられている部分を少し引用。

 江戸の花見は、三月上旬のイベントです。今とくらべると、ひと月ほど早いことになりますが、これは、今(新暦、太陽暦)と違う暦(旧暦)を用いていたことによります。月の運行を基準とし、何年かに一度、閏月を設けて(何月と定まっていません)季節のずれを調整するため、太陰太陽暦とよばれております。
 (中略)
 季節との関係は、一・二・三月が春で、四・五・六月が夏、七・八・九月が秋、そして十・十一・十二月が冬となります。今でも一月(正月)を新春・迎春、というのは、このことによります。また、例えば、初夏の初鰹は四月、七夕は秋七月の風物詩でした。


 そうなのだ。落語を楽しむなら、旧暦(太陰太陽暦)を知ることが実に重要なのである。「晦日に月は出ない」のだ。また、農作業で重要な天候のことも旧暦のほうがよほど確かな手がかりとなる。太陰太陽暦についての推薦書は小林弦彦著『旧暦はくらしの羅針盤』(NHK生活人新書)。
小林弦彦 『旧暦はくらしの羅針盤』
 また、旧暦や江戸時代の時間のこと、江戸時代の人が歩くスピードなどなどについては、現時点で堀井憲一郎さんの落語関連書で私がベストと思っている『落語の国からのぞいてみれば』を強くお奨めします。
堀井憲一郎 『落語の国からのぞいてみれば』

 例えば、小林さんの本には、19年に7回ある「閏月」の配置表が掲載されていて、昨年2009年には5月に閏月があったことがわかる。早い話が旧暦で去年は13か月あり、夏が長かったのだ。だから、天気予報で「昨年と比べて」という比較をするが、新暦で昨年対比をすること自体、誤りの元と言っても過言ではない。そして、今年の天候のことを、テレビの天気予報で「例年とちがって・・・・・・」と首をかしげていることも、旧暦ならばいろいろと説明がつくのだ。ちなみに、昨年2009年の旧暦元旦は新暦の1月26日だったが、今年は2月14日。ほぼ一か月近く今年の春(旧暦では一月から春)の訪れは遅いのだ。そしてまだ寒い日々が続くのは、何も地球温暖化ばかりのせいではなく、ある意味当然の自然現象とも言えるだろう。
 月の動きを元に太陽の動きとの誤差を閏月で調整してきた旧暦は、昔から農作業などで大切にしてきた暦であり、今でもアジアの多くの国では重要視されている。新暦の正月より旧暦の「春節」が大事なのだ。残念ながら日本は近代化という名目で明治5年に無理やり西洋のグレゴリオ暦に合わせてしまった。そして、近代化を急ぐお上の意向と新しいことへの適応性の高い民族性のため、今では旧暦がほとんど忘れられようとしている。しかし、本来農業国の日本は、他のアジア諸国同様太陰太陽暦を昔のように日々の生活に活かすべきだと思う。
*まぁ、競馬の「皐月賞」が新暦の5月でもなく4月(卯月)に開催されるという滅茶苦茶がまかりとおっているから、旧暦どころではないけどね。ちなみに今年で70回目のこのレース、5月(皐月)に開催されたのは12回だけです。そろそろ「卯月賞」に変更しますか・・・・・・。ちなみに今年の開催日4月18日は、旧暦で3月5日。ありゃ、旧暦でいえば“弥生賞”じゃん!?

 天気予報で、旧暦や閏月のことが正しく説明されているのを聞いた記憶がない。まったくもって気象予報士の勉強不足といえるだろう。二十四節気(詳しくは説明しませんが、立春や春分、夏至や冬至など、です)をネタにするなら旧暦をもっと勉強しろ、と言いたい。もし、旧暦の知識をベースに解説する気象予報士が登場したら、きっと人気になるはず。

 司馬遼太郎は日露戦争に勝利してから日本が誤った道を歩み始めたとして、明治38(1905)年を大きなターニングポイントと指摘しているが、私は旧暦(それまで何度か改暦があり、最後の暦は天保暦)からグレゴリオ暦(太陽暦、西洋暦)に変わった明治5(1872)年も、日本人にとって忘れてはならない“その時”だと思う。
*明治5年は12月2日までで、翌12月3日を明治6年1月1日として、新暦の時代が始まった。
 さて、少し旧暦ネタで発散してしまった。この件は別途書きます。
 
 この本の『長屋の花見』の章では、年末年始に暦売りが往来を歩いていたことや商売人が年賀状に暦を添えてお客さんに送っていたことなども紹介されており、ある旅籠(旅館)の暦入りの年賀状の画像も掲載されている。また、長屋のことについても浮世床の挿絵などをまじえて説明されているし、いわゆる“政談もの”には欠かせない「町役」の役割なども「町人社会のしくみ」として解説されている。
 
 あらためて言うが、それぞれの噺にまつわる江戸時代の地理(空間)的な背景、そして当時を知る歴史(時間)的な知識があればあるほど、いっそう落語の楽しさが深まることは間違いがない。章のタイトルになっているネタは十二だが、その中で関連して説明されているネタも数多く、なかなか読み応えもあるし、タメにもなる本。お奨めします。
Commented by 佐平次 at 2010-04-16 09:43 x
志ん輔の会で「大工調べ」を聴いてきて夜はテープで志ん生の同じ噺を聴き、今朝この記事を拝見しました。
母親の亡くなる前の年に志ん朝の末吉踊りを見に行き一日笑っていたことも思い出します。
二人とも翌年亡くなったのです。
談志一門会の予約チケット、40分電話しつづけて駄目でした。ダメなら駄目でもういいのかなあ、とも思っています。

Commented by 小言幸兵衛 at 2010-04-16 18:21 x
コメントありがとうございます。
たぶん、4月14日のブログへのコメントかと察します。
古今亭の同好の士のお立ち寄り、大変うれしく思います。
談志が若い自分にもっとも慕っていたのは志ん生でしょう。
だから、彼にもまだ頑張って欲しいのですが、たしかに、
もう無理はしないで、彼流の引き際を示して欲しい、そんな思いで
書いた次第です。今後とも、気軽にお立ち寄りください。

名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by kogotokoubei | 2010-04-12 16:04 | 落語の本 | Trackback | Comments(2)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛