『落語の世界』 柳家つばめ (河出文庫)
2009年 12月 29日

柳家つばめ_落語の世界
『創作落語論』に続いて河出文庫から再販された本書の初版は昭和42年(講談社)。
よくぞ復刊されたこの本の魅力は、次のようになるだろう。
(1)落語家や寄席の世界(まさに「落語の世界」)を知る絶好の入門書
(2)柳家つばめが活躍した時期の落語界のことを知る歴史的に価値のある書
(3)柳家つばめ自身のことを知ることができる書
あえて言えば、「空間」と「時間」、そして「人物」に関してよく出来た本である。
なお、過去の落語関係本発掘に関する河出文庫の奮闘には敬意を表するが、残念ながら、すでに関係者はお分かりだろうが、表紙カバー裏のプロフィールにおいて生年を「1927年」と誤記している。昭和4年、1929年の生まれなので、できるだけ早いうちに訂正版に変更をお願いしたい。
さて、本書のことを記す前に、今日の落語ファンに馴染みが深いとは思えない著者のことを少し知っていただくために、東京放送(TBS)で長年落語番組の企画を手がけた川戸貞吉さんの『現代落語家論』(下巻)(昭和53年、弘文出版発行)から引用する。
川戸貞吉 現代落語家論 下巻
私は『小さん一門全員集合』という企画を練っている最中だった。月曜から金曜まで五日間にわたる放送で、最後の日には御大小さんが登場してオチをつける。こんな大筋は、きまっていた。
長年小さん師のもとへ出入りしている私は、小さん門下の余興に数多く接することが出来た。忘年会、新年会で演じられた余興のうち、おもしろかったものを集大成してみたいとも思って、小さん師と飲みながら何回か相談した。
大勢の門下を一堂に集めるのだから、たいへんである。各人のスケジュールを調整して、こちらのスタジオのスケジュールと合わせなければならない。ひとりでも欠けたら駄目である。余興も選び出さなければいけないし、簡単に、ことは運びそうになかった。私がそのことをいうと、即座に小さんの答えが返ってきた。
「つばめがいい。つばめに頼めばいいよ」
小さんの目が細くなった。
小さん一門は大所帯である。直弟子の真打だけでも、小せん、さん助、つばめ、談志、燕路、小三治、扇橋等がいる。孫弟子まで含めると、たいへんな数となる。五代目柳家つばめは、こうした大人数の小さん一門を取りまとめる番頭役として、師匠小さんを助けていたのである。
(中 略)
病院で考えてきたのだろう、画用紙を貼って、小さん一門の似顔絵を画きながら、出演者を紹介しはじめた。私は、昔の彼の高座を思い出していた。さいわいにも心配した咳は出ず、無事収録することが出来た。
すぐに病院に送って、二日目三日目のぶんの録画を撮り、この日の作業を終わった。
『車を出してください。いまから行きますから』という連絡が入ったのは、その翌日である。『駄目だ』という私に、『最終回は師匠が出ます。師匠の紹介だけはしたいから、病院に迎えの車を出してほしい。車をくれないんなら、タクシーを拾っても行きますから』。こういわれては、しかたがない。私は車の手配をさせざるを得なかった。
画用紙に、小さん、小さん夫人の似顔を描きながら、師匠とおかみさんの長所短所を説明するつばめの紹介は、おもしろかった。
これが最後のテレビ出演になろうとは、夢にも思わなかった。
柳家つばめの容態が芳しくないと聞いたのは、それから半月ぐらいたってからである。
この後、二週間ほどたった昭和49年9月30日に、五代目柳家つばめは肝硬変で亡くなった。まさに“芸人魂”を物語るエピソードである。そして、彼がどれほど師匠小さん、そして一門を愛していたかが推し量れる。
その師匠小さんが、本書の冒頭で「つばめのこと」と題して次のように書いているが、ここでは入門当時のつばめの意外な(と私は思った)横顔を紹介している。
藤沢から出て来るのは大変だから東京に部屋を借りたいというので、私の借りている家の一間があいたから、そこへ越して来なと言って同じ屋根の下に住むことになった。
ところが、私が起きて掃除をしていても、なかなか起きてこない。部屋に行って見ると、きもちよさそうに寝ている。「おい何時まで寝てんだ」とどなると、しぶしぶ目をああけて、「ハッ私は十時間寝ませんと頭がはっきりしません」−大変な奴だ、師匠が掃除をしてるのに弟子がのんびり寝てちゃいけねえ、そこで雑きんがけをやるようになったが、どうもまずくて見ちゃいられねえ。朝は私より先にお膳の前に座って待っている。「おい母ちゃん、小伸がお膳の前で待っているから早く飯にしてやれよ」。飯もあわてて食わない。よくかんで、味わって、ゆっくり食べている。米の少ない時分で女房が代用食にうどんの煮込みをこしらえた。飯が少しある。そこで小伸に、「おい飯が少しある、お前はうどんを食うか飯を食うか」ときいた。私としては、「師匠御飯をおあがんなさい、私はうどんをいただきます」と、言うかと思って期待をしていたんだが、「御飯の方をいただきます」と、少しの抵抗もなく、すらすらと言ったもんだ。まことに正直で、すなおで、立派なものである。
なかなか、こういう弟子もいないだろう。また、小さんが師匠でなければ、早々に追い出されていたのではなかろうか。だからこそ約二十年後に、師匠夫妻をテレビで紹介するため、病身ながら病院を抜け出してまで駆けつけたのだろう。
師匠小さんの餞(はなむけ)の言葉の後、二十一の章にわたって本編が構成されている。そのタイトルを全て並べてみる。
自殺した落語家・入門・楽屋入り・前座の仕事(その1・その2)・噺の稽古・
下座さん・小言のかずかず・覚えること・二つ目前夜・二つ目の悲哀・迷い・真打・
新作落語の苦しさ・古典落語のすばらしさ・評論家・定席天国・噺家の収入・
高座のおきて・高座での考えごと・師匠と弟子
巻末には「附録 落語事典 つばめ編」が付いており、解説は大友浩さん。
紹介し始めるとキリがないほど内容が豊富なのだが、最初に第十六章「評論家」から、著者柳家つばめが、談志をはじめとする当時の「若手」落語家を評する部分を引用したい。これは魅力であげた当時を知る「歴史」的な意味と、それぞれの噺家さんをつばめ自身がどう見ていたか、ということで「つばめを知る」ことにもなる。二つの魅力がある部分といえるのだ。
慢心で、いい例が、談志さんだ。
彼は、私と同じ二十七年四月に入門し、同じ二十九年に二つ目、同じ三十八年に真打になった。
彼は、昔からすじがいいと言われ、なまいきだと言われ、油断ができないと言われ、やっぱりうまいと言われ、慢心するぞ、と言われ、していると言われ、現在まで育ってきた。
立派なものだ。人間的には、ひとくせあるから、当然悪く言う人もいる。私も、性格はまるで合わないから、同期であっても、あまりつきあいはない。つきあわない、と言うより、お互いに合わないのを十分知っているから、領分を侵しあわない、とでも言うのが本当だろう。
彼は、今も、慢心かもしれない。しかし、ことによると、慢心が、本人のためになっているかもしれない。それで、あれだけの人気が出たのなら、慢心も悪いものではなかろう。
ただし、この頃は落語家と言うより、落語家出身の毒舌タレントになってしまった、という気はするが。ついで、と言っては申し訳ないが、他の若手にも、私なりに感じたことをひと言ずつふれてみると、
林家三平さん。
ネタが少ないということは、売れっ子共通の悩みだが、やはり気になる。もう永いことないぞ!すぐ人気が落ちるぞ!と言われ出したのは七、八年も前。それが、今も人気を持ち続けているのは、そのサービス精神と、可愛らしさだろう。問題は、もっと年をとっていじいさんになっても、いかに可愛らしさを持ちつづけるか。可愛いおじいさんになれるかという点だ。しかし、この人ならできそうだ。
三遊亭歌奴さん。
売れっ子の中では、私は一番の技術者だと見ている。だから、一時、故馬風師の線をいっていたが、そんな必要はない。歌奴には歌奴の行き方があるはずだ。何も他人の足跡をさがすことはない。馬風流は、後輩のかゑるあたりにまかしておいて、あなたは堂々と、歌奴でわが道を走るべきだ。
金原亭馬の助さん。
昔からうまい人だったが、今もやはり、若手中では屈指の達人だ。ただ、いまだに、志ん生師の幻がぬけない。好きだからこそ弟子になったのはわかるが、弟子だからこそ、志ん生のかすを払い落とすべきだろう。そのかすを、平気で拾い上げて、手にとって眺められるようになった時、名手馬の助が生まれるにちがいない。
月の家円鏡さん。
この人は、売れっ子になってはいけない。いや、実際は売れっ子であっても、何とかして売れっ子になりたいと努力している姿が、この人の魅力である。だから、売れっ子のような顔をしたら、とたんにファンは、半分に減るだろう。典型的な噺家像。客から見ては理想的な噺家なのだから、いつまでも客に愛されていてもらいたい。
柳家小せんさん。
大勢の中のすばらしい一人、として売れ出したところに、この人の苦しさがある。あの味を、一人高座の時、どうやって出すか。大問題ではあるが、信頼できるのは、その神経の図太さと度胸だ。
桂米丸さん。
人気も芸もすっかり地についたが、客はもう一つ、新鮮さを求める。これが新作派の辛いところだ。冒険をバリバリやってもらいたい。失敗でもいい。不死鳥米丸の姿を、大勢が見たがっているにちがいない。
古今亭志ん朝さん。
名門出を感じさせなくなったところに、この人のえらさがある。噺は以前の繊細さが消えたが、線の太さが目立ってきた。もう一度、以前とちがう繊細さを取り戻したら、素晴らしいものになるだろう。
他にも有望な若手はいっぱいいる。
同門、同期で何かと引き合いに出される談志をはじめ、その後大看板となる人たちについての柳家つばめ評、なかなか鋭いものがある。本書が発行された昭和42年、談志は31歳、志ん朝はまだ29歳である。
少し戻って第十二章の「迷い」には、落語家二つ目時代に直面する心理的葛藤を説明する中で、ある大名人のエピソードが明かされている。
よく、先輩が、
「若い頃、何度やめようかと思ったか・・・・・・」
と言うが、本当を言えば、これは嘘だと思う。
苦しい時に、やめたら気楽だ、とは思ったことだろう。
しかし、やめよう、とは思わなかったはずだ。
やめたくないから苦しむのだ。あくまでやっていたい。成功したい。そこで血の涙を流すのである。
われわれの仲間での、最高峰の一人。黒門町の師匠桂文楽。
若くして、文楽となり、若い頃か大いに売れ、順調にのびて、名人の名をほしいままにしている師匠。才能も精神も最高と思える人。
「わたしゃね、苦しくて苦しくて、寝たって寝られるもんじゃない。真夜中に、枕にしがみついて、カーッて、男泣きなんだ。女房がびっくりして、とび起きて、どうしたんですって、聞くんだよ。しかし、女房に話せることじゃないし、話したって、わかるようなもんじゃないんだ。そんなことが、何度あったか」
まさか、あんなに大成功の師匠に、そんなことがあったのか、と、これを聞いた時、私は思ったものだ。
しかし、事実は、そうした苦しみを、感じとる心があったからこそ、成功したのだ、と私は思い返した。
へぇー!あの文楽にして、である。
他にも、「巌流島」を、なぜ「岸柳島」と表記するようになったか、とか下座さんの仕事などなど、紹介したい内容は山ほどあるのだが、これ以上は本書を実際に読む人にとってはネタバレにもなるので、師匠小さんの言葉を借りて、「落語の世界を知るにはこの本がいい、この本を読めばいいよ」とお奨めし、サゲとしたい。
細かい処は忘れて仕舞いましたが、
表紙の上の方が白地でそこに黒字で「落語の世界」と書かれていて、その下が青地で白く女性が書かれていたと思います。
色っぽい表紙とは裏腹に、いきなり落語家と自殺について書かれていて、面食らった事を覚えています。
他にも「お色気落語の研究」と言う本も出した様ですがこちらは読む機会がありませんでした。
久しぶりに買って読んで見ようと思いました。
ありがとう御座います。(^^)
つばめの凄さは、新作落語の創作能力はもちろんですが、この本にあるように、冷静に同業者の芸を評する優れ技量も、噺家として稀有なものがあると思います。
自分自身も含め、高い空から俯瞰して第三者の視点で見るような感覚があったのではないでしょうか。今生きていたら、どんなことを言ってくれただろうか、などと考えさせる逸材だったと思います。
