桂枝雀 生誕70年記念落語会 麻生市民館 12月4日
2009年 12月 04日
関東で、かつ多摩川超えでこの会にこれだけ集まったことが、なぜかうれしかった。
配布されたプログラムによると、
8月13日の枝雀の誕生日にサンケイホールブリーザで昼夜二回開催で幕を開けたこの会は、その二日後の8月15日に名古屋、翌16日に浜松などなど、回数を重ね今日が13回目の開催。残るは12月25日の鈴本と来年3月14日の札幌。
合計15回開催。そのうち、ビデオ落語の後に行われる「思い出を語る座談会」に米朝師匠が登場するのは、六回しかない。しかも関東では今日だけなのである。加えて、春團治師匠が落語で出演し米朝師匠が対談で出演する会は、10月10日の京都・南座と今日の、たった二回。
最初に、今日の会がある意味で歴史的な会であることを、あえて記しておきたかった。
さて、今日の“お誕生会”は、次のような構成だった。
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桂紅雀 普請ほめ
桂雀々 動物園
桂南光 あくびの稽古
桂春團治 祝い熨斗
(仲入り)
枝雀ビデオ落語 つる
《お誕生会》想い出語る座談会
桂米朝 桂南光 桂雀々 桂紅雀
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今日の会は、個々の時間などを書く野暮なことはやめにしたい。
開演が午後六時半、終演が午後九時ということだけ記すにとどめよう。
紅雀
東京の『牛ほめ』は上方がルーツで『池田の牛ほめ』と言っていたが、牛をほめるまで演らなかったので、『普請ほめ』というネタが終演後に貼り出されていた。枝雀の最後の弟子だが、上手くなった。
配布されたプログラムの「桂枝雀・おもろい年譜」では
1995年9月 [56才] 一生懸命だが落ち着きのなさそうな男が入門。「紅雀」と名づけられる。
と書かれている。
枝雀とは四年間ほどの師弟の歴史ということになるが、対談で披露された話では、枝雀が仕事の量をあえて減らしていた時期であり、結構直接師匠から稽古をつけてもらったらしい。入門から14年。今は、もちろん“落ち着き”もあり、兄弟子達にはない清々しさがある。今年9月初めての独演会を開いたというのも十分にうなづける。
雀々
マクラがともかく大爆笑。詳しくは書けないが、とある湘南地域で開かれた平均年齢の高い落語会でのエピソード。さんざん笑わせておいて本編に突入した時は、「えっ、このネタ?」と思ったのだが、いやいや雀々落語はすさまじい。この噺でこれだけ笑いをとった人を私は知らない。その無言の仕草が鍵なので、こういう噺は生でなければ絶対にその良さが分からないだろう。
談春との二人会でも思ったことだが、 この人の落語のパワーにはますます将来の発展可能性を感じる。雀々、目の離せない人だ。
南光
まだ「べかこ」だなぁ、私にとって彼の名前は。一番弟子で師匠が30才の時に入門し、一緒に枝雀の恩師である森本先生の家に居候したのが1970年だから、彼が入門してから40年にもなるわけだ。テレビ、ラジオなどでの露出も多く、見た目も声も含めキャラが目一杯立っているので、どうしても落語の登場人物が話している、というより南光が話しているという落語に思える。まぁ、それでもいいんだろう、この人なら。
桂春團治
上方で「三代目」と言えば、この人である。
10月10日の京都南座では『代書屋』だったらしいので、同じ噺か『いかけ屋』あたりを期待していたのだが、この噺も春團治師匠十八番の一つ。なんとも言えない優雅さがありながら笑いのツボははずさない、まだ十分現役の落語だった。
米朝師匠の五つ年下、昭和5(1930)年生まれなので今年79才だが、いつもの通りマクラがほとんどなく本編へ入り、ご健在な姿を拝見することができた。ともかく、米朝師匠と春團治師匠に関しては、同じ空間に一緒だったことだけで、うれしかった。
仲入りで会場に掲示された写真や襲名披露の時の記念の品々を見て、記念の手拭いを購入。さて、休憩も終わり「ビデオ落語」へ。
枝雀ビデオ落語『つる』
不思議な体験だった。
正面のスクリーンに「ひるまま」の出囃子で枝雀が登場すると、ビデオの会場(ABCホール?)も麻生市民館の1,000人の会場からも拍手。
そして、その笑いもビデオと会場で呼応する。会場には、この噺そのものを初めて聴く人も少なくなかったようで、私の席の周囲の中年から高齢者までの複数の女性が、笑いころげていた。
私は後半、笑いながらだんだん目がかすんできた。
《お誕生会》想い出語る座談会
ビデオ落語が終わりいったん幕が下りて、また開く。ややドキドキもので会場を見たら、いらっしゃった、「国宝」が。84才というご年齢相応の姿で、言葉数も少なかったが、さすがに笑いは一番とっていたなぁ。
南光が「文化勲章は天皇さんから直接手渡しでいただいたんでしょ。」に対して、「アホか、そんな心安うない!」には笑った。また、雀々の名前の由来の話題の際には、当時を思い出されたのだろう、心底笑い出し止まらなくなったのが、見ていても非常に微笑ましかった。
深夜に何度も枝雀から電話があり自宅に来て、次第に酒を酌み交わしながら落語談義をした思い出など、言葉数は少ないがなつかしげにお話になる米朝師匠の姿に会えて、心底うれしかった。会場に来ていただけただけでも感謝、である。8月13日の最初の会にも当初ご出席予定で、結果として出ることができなかったのだから。
座談会では特別な映像も2つ上映されたのだが、その内容は会場に出向いた人だけの特権として書かないでおこう。
私にとって歴史的な落語会のお開きの時間となり緞帳が下がる間、米朝師匠の姿を瞼に焼き付けていた。
あの師匠だからこそ、あの枝雀なのだ。
『つる』のビデオ落語の時は、不思議な一体感でしたね。
私も最後は感激というか、感極まるという状態でした。
談志家元と枝雀のエピソードも、そのうち書かせていただきます。
たしかに、素晴らしい落語会でした。
