茶の湯
2009年 11月 05日
地で語る部分を含め、次のような筋書きである。
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(1)蔵前の大店の主人、家督を倅に譲り根岸の隠居所へ移る。
(2)供としてつれていった定吉と退屈な日々を過ごすご隠居だったが、
せっかく茶室があるので「茶の湯」を始めることになった。
(3)しかし、ご隠居も定吉も茶の湯のことはまったく分からない。根が
ケチな隠居、定吉が探してきた青黄粉で茶を点てようとする。しかし、
泡が立たないので、またもや定吉が探してきた椋の皮で泡立てる始末。
このとんでもない代物を茶だと信じて二人は毎日「風流だなぁ」と、
必死に飲むのだった。
(4)二人はとうとうお腹をくだしてしまうが、今度は他人に飲ませよう
と企てる。孫店(まごだな)に住む手習いの師匠、鳶頭、豆腐屋に
茶会をするから来るように手紙を出した。店子の三人、茶の湯の流儀
を知らないので恥をかくから引っ越そうと思ったが、手習いの師匠の
真似をしてなんとかその場をしのごうということになり、隠居の家へ。
(5)師匠、豆腐屋、鳶頭の順でなんとかひどい茶(もどき)を飲んだもの
の、まずくて口なおしに羊羹をほおばって退散。隠居は懲りずに近所の
者を茶会に呼ぶのだが、噂が広まり、呼ばれた者は飲んだふりをして、
羊羹をいくつも食べていく始末。羊羹代が馬鹿にならない勘定になって
きた。ケチな隠居、何か安く菓子を作れないかと考え、薩摩芋を買って
きて蒸かして皮をむき、すり鉢に入れて黒砂糖と蜜を加え、すり粉木で
摺って椀型に詰め型から抜こうとするがべとついてうまく抜けない。
そこで胡麻油がないので灯し油を綿にしめして塗るとうまく抜けた。
この油まみれの物体に「利休饅頭」などと名付けて客に出すことにした。
(6)ある日、蔵前にいたころの知り合いの吉兵衛さんが訪ねてきたので、
さっそくお茶(もどき)を点てる。吉兵衛さん、隠居がいつもより多く
椋の皮を入れて泡だらけになった液体を目を白黒させて飲み込んで、
今度は口直しにと「利休饅頭」をほおばったが、とても食べられる代物
ではなく、あわてて便所へと逃げた。
(7)吉兵衛さん、饅頭を捨てようとするが掃除が行き届いた縁側には捨て
られず、前を見ると垣根越しに向こう一面に菜畑が広がっている。あそ
こなら捨ててもいいだろうと放った菓子が畑仕事をしている農夫の横っ
つらに当たった。農夫の「ははは、また茶の湯か・・・・・・」でサゲ。
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最近の噺家さんは、「根岸」のキーワードでクスグリを入れることが多い。一之輔もそうだった。もちろん、昔はお妾さんを住まわせたり、この噺のように隠居所としてふさわしいとされた静かな地域だが、今は有名な落語一家の住むところ。決して“静か”ではない。いじり甲斐もあるのだ。
本来の噺家のオリジナリティの発揮しどころは、主に(3)の“茶もどき”を製造する場面だろう。7月の鯉昇では「椋の皮」が、ついに「全温度チアー」になり涙を流して笑った。
また時間があれば(4)の長屋トリオの慌てぶりなども、場面が替わった新鮮さを含め遊び甲斐があるといえるだろう。
なお、この「椋の皮」について、日頃御世話になっている「落語の世界を歩く」では、下記のように「椋」ではなく「無患子(むくろじ)」であると指摘されている。
落語の舞台を歩く 茶の湯
------「落語の舞台を歩く」から----------------------------------------------
椋の実は広辞苑に食用と出ています。で、それを乾燥しても食べられるはずで
(ドライナッツ)、この口伝は間違って伝わっています。正確には無患子(むくろじ)の
事です。”むくろじ”がいつか”むく”になってしまったものです。
ただ、「むくろじ」を略して「むく」と呼ぶ事があるので、紛らわしい。
*無患子(むくろじ)
ムクロジ科の落葉高木。高さ約10~15メートル。6月頃、淡緑色5弁の小花を大きな
円錐花序につけ、球状の核果を結ぶ。種子は黒色で固く羽子(ハゴ)の球に用い、
また果皮はサポニンを含むので石鹸の代用とした。西日本の山林に自生し庭園
にも栽培。むく。つぶ。
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さすがである。この噺を得意にした博学な三代目三遊亭金馬でさえ「椋の皮」で演っている。
原話は1806(元和3)年に出された『江戸嬉笑』所収の「茶菓子」と伝えられているが、長年の間に「無患子(むくろじ)」→「むく」→「椋」となったのだろう。しかし、噺の筋としては、「椋の皮」であっても崩れないので、あくまで能書きとして書いたまで。
この噺、ややうがった見方をするならば、行儀作法にうるさい茶道の世界を、庶民の立場から目一杯おちゃらけにした落語、ということもできる。しかし、身勝手なご隠居の行動が巻き起こす滑稽噺であり、あくまでこのご隠居が主役。
さて、この人が『千早ふる』で珍説を振り回すご隠居や、『寝床』で店子や使用人達を困らせるご隠居と同一人物か否かは定かではないが、ともかく自己中で、ええかっこしいであるのは他のご隠居と同様。“普通”の人は、「茶の湯」をしようにもどうすればいいか分からなけりゃ人に聞くだろうが。しかし、それをしないからこそ、落語。
でも、我々凡人には、この困ったご隠居と本質的に似たところが、間違いなくある。特にある程度の年齢になると、「こんなこといまさら、恥ずかしくてとても人に聞けない」、なんてことがどんどん蓄積されてくる。その状態で「茶の湯」隠居になるか、こわくて何もしないでストレスをためるか、が落語と現実との違いであろう。
サラリーマン川柳でかつて感心したものに「デジカメの えさは何かと 孫に聞き」というのがあったが、このおじいさんの精神が必要なのだろうなぁ。恥をかいても笑われてもいい、という開き直りのようなものが、この川柳のおじいさんから感じるではないか。聞きたくとも我慢して、生涯知ったかぶりのままではストレスもたまろうというもの。周囲の人が皆やさしく度量が広いなら、この噺のご隠居でもストレス少なく生きていけようが、現代社会なら、まず相手にされない。
いろんな意味で周囲から孤立した老人が“うつ”になる時代だ。私の周囲にもそういう高齢者が少なくない。落語を聞く人がもっともっと増えて、私が高齢者になる頃(もうすぐだが)、年寄りの失敗や粗相を笑って許せる社会になることを期待したいものだ。(最後は、妙にシリアスなサゲで失礼・・・・・・)