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噺の話

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『高座奇人伝』 小島貞二


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小島貞二_高座奇人伝

 これだけ楽しく読んだ本は久しぶりだ。
 
 著者は大正8(1919)年生まれで、寄席や演芸の目利きのプロといえる小島貞二さん。立風書房の『落語名作全集』や『志ん生の噺』全五巻(現在は、ちくま文庫で発行)、そして志ん生『びんぼう自慢』の仕掛け人かつ編集者である。演芸記者として数多くの落語家と交流して得た、足で稼いだ情報を元にした貴重な本だ。昭和44(1979)年に立風書房から初版発行なので、約30年ぶりに蘇ったことになる。

 中心となる“高座の奇人”は下記の目次を読んでもらえば分かるが、タイトルとなった人だけでなく、その周辺の落語家や色物の個性的な面々もたくさん描かれている。そして、それぞれの奇人をおもしろ可笑しく披露しているだけではなく、さまざまな貴重な物語も明かされており、演芸史としても興味深い。
------------<目  次>-------------------
□鼻の円遊と珍芸四天王
    -変人さま言行録 1-
□気違い馬楽とめくらの小せん
    -変人さま言行録 2-
□三亀松色ざんげ
    -変人さま言行録 3-
□爆笑王歌笑純情伝
    -変人さま言行録 4-
余滴《あとがきにかえて》
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 著者の「余滴」によれば、明治、大正、昭和、そして戦後の代表を選んだとのこと。
 さて、第一章には、円遊の師匠名人円朝に関するこんな話がある。
 話芸ではなく独特の踊りが受けて「ステテコの円遊」と言われ、人気のピーク時には一日に三十軒の寄席を回った円遊に対し、いわゆる保守派、伝統派の噺家がにがにがしく思い、師匠である円朝の家に談判に言った時の逸話。
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 さて、翌朝、お歴々が十三人もそろって、本所二葉町を訪れた。何しろ、
すべて一流中の一流、寄席では円朝と看板をならべる大真打ばかり。丁重
に迎え入れた円朝は、
「まァ、まァ・・・・・・さァ、どうぞ」
 と、座敷へ通す。そこには酒肴が用意してあって、間髪を入れず、芸者の
きれいどころが、三つ指をついてニッコリと登場。たちまち宴会がはじまった。
みんなきらいな口じゃァないので、すっかりいいご機嫌になる。そこへ、円朝
が紋服で現れて、
「じつは、ウチの円遊でございますが、みなさんのおかげをもちまして、
看板はあげさせていただきましたが、なにせ未熟者でございますので、
ステテコなどという妙なもので、ごまかしておりますが、けっして本筋の
はなしを忘れているわけではございません。まァ、今後とも、何かとお目に
かけられて、どうか末長く、お引き立てをいただけますよう、あたしからも、
よろしくお願い申しておきます・・・・・・」
 頭を下げて、うしろを向いて、
「さァ、おまえも、お取り持ちをしないかい」
 と、次の間にはべらせてある当の円遊をさしまねく。円遊は腕にヨリを
かけて、サービスにつとめたので、こう先手を取られて、ふり回されては、
さすがの十三人もきり出す言葉がない。結局、そのことはひとこともいわず、
かえって円朝にお世辞タラタラ、円遊を激励して、来るときのえんま顔を、
えびす顔にかえて、鼻唄まじりに千鳥足で帰っていった。
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 この「十三人」の中には、三代目麗々亭柳橋、二代目(相撲の)古今亭志ん生などが含まれていたらしいが、円朝のなんとも見事な手綱さばきではないか。
 たまたま余興の「ステテコ踊り」で売れたとはいえ、その噺家としての力量を認めていたからこそ必死に円遊をかばおうとして考えた円朝の落語にも負けない優れたシナリオだと思う。円遊は、「ステテコ」の代名詞をはずして、その創作力、脚色の才能をもっと評価されていい噺家であろう。『野ざらし』『湯屋番』などは円遊が絶妙な滑稽噺に作り変えたからこそ、代々の噺家に引き継がれ今日まで残ったのだから。

 さて、第二章のタイトルは今日では大きな声では言えないなぁ。巻末にもことわっているように、差別用語として今や使えない単語が並ぶが、この二人の形容詞には決して彼らを蔑む意味はない。著者もそうだし、彼らを知る人々が、愛着を込めてこう呼んでいたはず。三代目蝶花楼馬楽は本名が本間弥太郎なので”弥太っぺの馬楽”とも呼ばれていた。弥太っぺとつるんで遊んでいたのが四代目の古今亭志ん生、本名が鶴本勝太郎だから”鶴本の志ん生”、そして初代小せんである。
 この三人の仲の良さは、「五徳の足」とうたわれていたと著者は説明する。火鉢の灰の中に埋めて鉄びんをのせる「三本の足」にたとえられていたわけだ。弥太さん、勝ちゃん、万ちゃん(小せんの本名は鈴木万次郎)の三人は、ただ同然の空き家で寝起きをともにしたこともあるし、吉原に行くのも一緒。驚くのは、三人揃って連続十四日間吉原に通い続けたというから、凄い。もちろん、そのツケが後々馬楽を狂わせ、小せんの視力を奪うことにもなったのだが・・・・・・。 
 馬楽がおかしくなる前、落語研究会に岡本柿紅の推薦で抜擢され出演し大絶賛された。一部の新聞は「名人馬楽」とまで誉めた。しかし、せっかくの波に乗るチャンスを潰してしまった。理由は”女”である。仕事に出かけようとすると当時の女房が金を払うから一席演って欲しいと頼まれ、『居残り佐平次』をたっぷり演った、という。しかし、その横浜から大金を持ってやって来た四歳年上の女は、持ってきた金を使い果たしたら弥太っぺをとんでもないなまくら者にして去っていったという。自業自得とは言え、名人馬楽あるいは四代目小さんはの可能性を潰したのは、なんとももったいない話だ。頭がおかしくなってからのいくつかの逸話は書くには少し物悲しすぎる。

 さて、小せんの方はめくらになってから、師匠三代目小さんのはからいで、有料で若手の噺家に稽古をつけていたが、この「小せん学校」には五代目志ん生、彦六の正蔵、そして六代目円生などが学ぶことになる。実体験に基づき郭噺が抜群だったと言われる小せん、今に残る『五人廻し』『居残り佐平次』『お茶汲み』などは、小せんが伝えた噺が元になっているというから、三十七歳の短い人生だったにもかかわらず、今日の落語界への貢献は小さくない。

 テレビで見た三亀松の晩年の姿を思い出す。あの何とも言えず粋で艶っぽい都都逸は、当時子供ながらにも耳に残る魅力があった。本書には、落語『風呂敷』を思わせる間男の逸話など、さまざまな”女”にまつわる話が書かれており、それはそれで楽しめるのだが、何にも増して印象深いのは、そんな女好きの三亀松と添い遂げた元宝塚スターの高子夫人の献身ぶりである。また、多い時には二十五匹いたという犬をはじめと様々なペットのエピソードも微笑ましい。

 三代目の三遊亭歌笑については以前にも書いた時に「純情詩集」の中の『銀座チャラチャラ』を紹介したので、今回は本書から『豚の夫婦』を引用する。
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ブタの夫婦がのんびりと
畑で昼寝をしてたとさ
夫のブタが目をさまし
女房のブタにいったとさ
いま見た夢はこわい夢
オレとおまえが殺されて
こんがりカツにあげられて
みんなに食われた夢を見た
女房のブタが驚いて
あたりのようすを見るならば
いままで寝ていたその場所は
キャベツ畑であったとさ

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 小島さんも書いているが「ペーソス」があって可笑しい。新作落語と言うより、ちょっとした“メルヘン”ではないか。歌笑については本書で初めて知ったことがたくさんあった。丙種合格の歌笑にさえ太平洋戦争の戦況きびしい時には赤紙が届き、ひと月ほど軍隊のメシを食べたこと、もその一つ。また、柳家金語楼が歌笑に与えた影響力の大きさもあらためて知った。そして何よりも印象的なのは、歌笑を支えた奥さん二二子(ふじこ)さんの深い愛情である。本書では、昭和38年に渥美清主演の映画『おかしな奴』が封切られたのを記念して建てられた三ノ輪の浄閑寺の「三遊亭歌笑塚」に、武者小路実篤の筆で次のように書かれていることが紹介されている。
   「古よりの言の葉に、山地水明の地、必ず偉人を生じるとかや。
   アアされどわれ未だ偉人の部類に属することかなわず。若き
   落語家歌笑をはぐくみし故郷は南奥多摩絶景の地なり。
                             歌笑純情詩集より」


 本書を読みながら時に笑い、時にはしんみりとしながら、落語の奇人というよりも「偉人」達の人生を、ほんの少しだけ覗けたように思う。ちくま文庫には、こういう意義のある落語関連本の復刊を、ぜひ今後も期待したい。落語の良書復刊で頑張っている河出文庫とぜひ競って欲しいものだ。

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by kogotokoubei | 2009-06-24 17:47 | 落語の本 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛