談春・喬太郎・憲一郎 特別座談会 週刊文春創刊50周年記念号
2009年 03月 29日
冒頭で談春いわく、創刊50周年記念号で、なぜ落語家の座談会なのか、という疑問の答えは、堀井憲一郎さんの「ずんずん調査」でのこの雑誌への貢献と、落語がそれだけ歴史の中の「今」を語る上で取り上げるにふさわしいブームにある、ということなのだろう。
座談会のタイトルは「いまだかってない落語が始まる」。印象的な部分を引用する。
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談春 ところで、ねえ、喬ちゃん、アドリブってない?
喬太郎 ありますよ。ほぼ、アドリブの連続ってこともある。
談春 そうだよね。ほとんどアドリブなのよね。その場でのおもいつきで
喋ってる。やってる最中に、何か見たことのない景色が見えてき
て、それについて喋り出したりする。自分でどこへ行くかわから
ない。
喬太郎 そうです。いいか悪いかわからないけど、『文七元結』やっていて
も、吾妻橋の上で、いままで聞いたこともないセリフを言っていたり
する。
談春 確認していい?そういう聞いたことのない新しいセリフをいったあと、
セリフは続いていくけど、頭の中で、さっきのセリフの感想が動いて
ないですか。
喬太郎 動いてる。
談春 動いてるよね。それはあとで考えることじゃない。するとセリフの
順番がどんどん変わっていったりして、自分の言ったことが広がって
いく、それに手応えを感じて、そのままお客さんにも広がっていくの
を感じて、それに自分も引っぱられていくという。
喬太郎 そう!ありますあります。
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「その時」には、噺をしていながらも言ったばかりのセリフを評価している別の自分がいる、というのはなかなか興味のある話だ。茂木健一郎さんがこの座談会に参加していたら、どう解説しているだろうか。記憶に新しいが、WBCの決勝戦延長10回にタイムリーを打ったイチローは、その時の心境を、「やっぱり、神が降りてきましたね。ここで打ったら、日本がものすごいことになると思って、自分の中で実況しながら打席に入ってました」と答えているが、何か近いものがありそうだ。「デュアル・プロセッサ」で考えられる一瞬、あるいは、時間が一瞬止まる時とでも言うことができるかもしれない。その昔、野球の鉄人による「ボールが止まってみえる」という言葉もあった。
もちろん、年400回落語会に行く堀井さんだって、滅多に「その時」には出会えないのに、その十分の一しかチャンスのない私には、まさに僥倖といえる「その時」に出会えることを、気長に待ちたいものだ。加えて、この座談会で喬太郎が言うように、柳家小三治が何でもないような噺(『出来心』)で会場をどかんどかんとひっくりかえす芸も、ひとつの目標であって欲しいし、そういう落語に出会いたい落語ファンも、これまた大勢いることを忘れて欲しくない。もちろん、「何かを求めて行く落語会」だけでなく、「何も求めずに行く寄席」もいつまでも大事にして欲しい。
