らくだ亭 権太楼・梅団治 二人会 内幸町ホール 3月18日
2009年 03月 18日
---------------------------------
(開口一番 春風亭正太郎 転失気)
柳家権太楼 幽霊の辻
桂梅団治 八五郎坊主
(仲入り)
桂梅団治 竹の水仙
柳家権太楼 佃祭
---------------------------------
正太郎(19:00-19:14)
1月6日の横浜にぎわい座での睦会以来の開口一番。この2カ月での格段の進歩を感じた。テンポが良くなった。平均年齢の低くない観客から、結構笑いもとっていた。今後も期待したい。
権太楼(『幽霊の辻』19:15-19:42)
ただひたすら選んでくれた根多がうれしかった。桂枝雀のために小佐田定雄さんが作った作。両師匠ともまったく話題にはしなかったが、仲入り前の二作は、10年前1999年の3月13日に自殺をはかり4月19日に亡くなった桂枝雀トリビュートであったに違いない。私はこの噺は枝雀でしか聴いていなかったので、没後十年、上方の噺家との二人会で権太楼師匠が演じてくれるという、その気持に感謝。マクラは、今日も池袋と末広亭を済ましてきたが、お客さんが一杯で、昔はこうじゃなかった。「そこそこ」来ていただければいいんです、「そこそこ」とは池袋なら三人位、というたあたりですでに会場は爆笑のイントロが開始。ディズニーランドでも会社の若い女の子とかと一緒に行くから六十過ぎの男も行けるし楽しいわけで、六十過ぎのオヤジが三人で手をつないでお化け屋敷は似合わないが、寄席なら結構、とお化けキーワードを出して本編へ。堀越村がどこかを尋ねる男と茶店のお婆さんとの会話は、完全な権太楼ワールドである。しかしところどころに枝雀を懐かしく思い出させてくれる。東京落語ではもっとも枝雀的な噺家さんであると再認識。ただおもしろ可笑しくではなく、芸の質の高い爆笑派。久しぶりの権太楼落語に大笑いした。
梅団治『八五郎坊主』(19:43-20:12)
初めてだが、高座姿の自然さも見た目も含め、こういう、大阪ならどこにでもいそうなオッサンは好きだ。しかし落語は本寸法の師匠春団治譲りである。マクラはお約束なのだろう、好きな電車のネタからで、「冨士・はやぶさ」のことはもちろん出ました。そして師匠の話も楽しめた。師匠と師匠のオカミさんの血液型がA型、自分がB型、合うはずがない!に爆笑。枝雀トリビュート(と、私が勝手に思っているだけだが)の二作目のこの噺、枝雀は明治21年生まれの桂文蝶師匠から小米時代に教わったと著作『桂枝雀のらくご案内』に書いている。少しだけ引用。
----------------------------------------------------------------
ある時、私が神戸の松竹座の楽屋にいてましたら文蝶師が遊びに来はって、
「小米はん、ひとつ噺教えたげまひょ」言うて演りはじめはったんがこのネタ
でした。私は「あァ、あの噺かいな」てな調子で、失礼ながらええかげんに聞か
せてもろてたんです。
と、お寺の描写のところで、「左右には鶏頭の花が真っ赤に咲いております。
お寺の表にはあんまり人のおりませんもので」という一節があったんです。
「これや!」と思いましたね。この一節がお寺のリアリティを出したんです。それ
以来何べんも高座にかけさせてもらい、うちの師匠からも「このネタもなんとか
残るようになったなァ」と言うてもらえるようになりました。これもみな文蝶師の
おかげです。
----------------------------------------------------------------
本来のサゲは、八五郎が和尚から「法春」と付けられた名前の読み方について、「ホウバル」やら「ノリカス」やらと友だちからさんざん間違えられた挙句、「おまえホウシュンか?」と聞かれ、「ホウシュン?」とつぶやきながら八五郎は『ハシカも軽けりゃホウシュンも軽い』と自分が和尚に言った「疱瘡」との洒落を思い出す。それで間違いないと思い、「わかった!わいの名前は『ハシカ』ちゅうねん」で落とすのだが、さすがにこの洒落が今では通じないということだろう。「ノリカス」をキーワードにして、「そうやノリカスや、道理で和尚が名前が付きにくい(つけにくい、の洒落)と言うておった」でサゲた。なるほど、このサゲを生かすために、寺を八五郎に紹介する甚兵衛さんとの冒頭のやりとりで、ご飯粒で手紙に封をするシーンに時間をかけていたわけだ。短いながら、上方落語のエキスをしっかり伝えていた。
梅団治『竹の水仙』(20:30-20:49)
この噺は意外だったが、上方噺の『幽霊の辻』を演じてくれた権太楼師匠への返礼のような意味合いがあるのだろう。上方でこの噺をする人は少ないはずだ。短い時間であったが、手際よくまとめた無難な芸である。
権太楼『佃祭』(20:50-21:18)
なぜこの噺だったかは、徳川家康がかつて恩義のある摂津国佃村の人たちを、江戸への転封の際に移住してもらった、という佃島の由来における上方(大阪)つながりか。短いマクラから本編へ。次郎兵衛さんが暮れ六つのしまい船に乗ろうとするところから始まった。短い時間でも、さすがである。佃島の夫婦とのやりとりの泣かせのシーン、そして悔やみの爆笑シーン、メリハリの利いた芸できっちり締めた。特に海苔屋の婆さんが悔やみで言う「壷買いませんか、安くしますよ」には大笑い。
とにかく私にとっては、今日の会は仲入り前の二作だけでも十分に価値があった。妄想かもしれないが、開演前の楽屋で今日のお二人が、枝雀師生前の思い出話でもしていたに違いない。もう10年か・・・・・・。帰路、駅から家に向かって歩きながら、iPodで枝雀の『宿替え』を聞いていたら、なぜか笑いながら涙が出てきた。
