落語の別題について
2009年 02月 17日
複数の題を持つ噺は大きく二つの系統に分かれるかと思う。
(A)長い噺の前半や後半のみ演じられるようになり、別題を持つ噺
本来は長い噺だが、サゲが現代では分かりにくいとか内容が今ひとつつまらない、などの理由で一部分のみが演じられるようになり別題を持つ噺だが、次のものが代表的だろう。
(1)宮戸川
(2)妾馬
(3)おせつ徳三郎
(1)→ほとんど前半しか演じられず、別名『お花半七なれそめ』とも言われる。
(2)→ほとんど前半しか演じられず、『八五郎出世』という別名を用いることが多い。
(3)→前半を『花見小僧』、後半を『刀屋』と言う。どちらも今日では滅多に聞くことはなくなったが、五代目小さんによる前半、志ん生や志ん朝による後半は、なかなか味わいがある。
この中では、『おせつ徳三郎』だけが異質かもしれない。なぜならば、前半と後半のそれぞれが単独の噺として独立した存在と言えるからである。(1)と(2)は、通しで演じることはあり得ても、後半のみ独立させて演ずることはないだろう。
確かに、『宮戸川』の前半の舞台には「宮戸川」は登場しない。『妾馬』の前半では、この演題は意味不明である。内容に即して言えば『お花半七なれそめ』であり、『八五郎出世』のほうがふさわしいのかもしれない。
しかし、私は本来の題のままにして欲しいと思うのだ。
なぜかと言うと、本来の演題をなくすことで、演じられないほうの内容が忘れ去られることを危惧するからだし、その噺のルーツの記憶が葬り去られることになるかもしれないからだ。。
「なぜこの噺で『宮戸川』なんだ?」「どうして『妾馬』なの?」という疑問が、噺の背景を知ることにつながるし、知ることによって聞く時の味わいも増すと思うのだ。
(B)原題より内容に即した分かりやすい別題
代表的な例が『寝床』の『素人義太夫』『素人浄瑠璃』である。
有名なのは桂文楽だが、途中でサゲる志ん生のこの噺も捨て難い。
この噺は「寝床」という言葉に特定の意味を持たせた力がある。
「うちの社長のカラオケ好きにも困ったね。無理矢理付き合わされて聞かされる身にもなって欲しい。ありゃぁ寝床だよ。」という表現ができるのだ。落語の演題がある現象を見事に言い表すまでになった例は稀有である。いわゆる「下手の横好き」の代名詞になったわけだ。
だから、志ん生が文楽と違って通しで演じなくても、あくまでもその噺は『寝床』なのだ。
正岡容さんがこの噺を語った文章に次のようなものがある。
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この「寝床」という言葉は最も一般によく浸透されていて、
「巧いかいあいつの小唄?」「駄目、寝床だよ」といった具合に
旺(さかん)に流用されています。なかでいちばん天晴れだった
のは亡くなった四代目小さんで、この『寝床』のマクラでしたが、
「あそこの家の奥さんのコロッケは寝床だ」と申しました。
コロッケに寝床とは対照の妙を極めていて実に奇抜では
ありませんか。(矢野誠一『落語手帖』より)
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よほどこの奥さんは、自分自身ではコロッケづくりが上手いと思っていて来客の度に作るのだろう、と想像できるじゃないですか。
通しで演じないと『寝床』の意味が分からないから、途中までの場合は『素人義太夫』、通しの場合は『寝床』、という使い分けをしている方もいるのだろうが、途中まででも『寝床』と言って欲しい。
将来、もしほとんど前半しか『寝床』が演じられないようになり、『素人義太夫』という演題が当たり前になった時、「ありゃぁ寝床だね!」という表現自体が失われることになっては寂しいじゃないですか。
(そんなことを思うのが私だけなら、なおさら寂しいのだけど・・・・・・。)
私自身も友人の前で、たまに酒の勢いで落語を披露したりするが、まさに「寝床」である。被害者の皆さんごめんなさい。
