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『富久』

 代表的な冬の噺で私の好きなネタの一つ。この時期、数多くの落語会や寄席のトリネタとして選ばれることが多くなってきたのはうれしい限り。先日の三三冬噺のネタだったこと、そしてその後に出向いたビクター落語会の会場がニッショーホール、というつながりもあって、今回は火事を題材にした、この噺。
 三三の落語会の後、師匠小三治のCDを聞いた。1993年1月、鈴本の独演会での収録。小三治は三代目小さんの速記を参考にしてできるだけ忠実に柳家の型で演じているらしい、と解説で京須偕充さんが書いている。

 三遊亭円朝作ともいわれているが、円朝が生まれて3年後の天保13年には水野忠邦によって突富興行は一切差止を命じられていることや、『円朝全集』に収められていないこともあり、どうも円朝の創作ではないのではないか、と言われている。
 中込重明さんは、岩波書店発行の、「落語の世界」シリーズの第一巻『落語の愉しみ』の中で、「円朝のネタさがし」という章を執筆しているが、引用を含め次のように記している。
落語の世界(1)「落語の愉しみ」(岩波書店)

 『円朝全集』未収だが、『芝浜』『富久』についても、『日本国語大辞典』(小学館、初版・二版とも)で「芝浜」の項目を引くと、これを円朝作品としている。また、昔の落語の本には、『富久』を円朝が実話にもとづいて作った落語と説明しているものも多い。このような問題の答えになるであろうか、五代目古今亭志ん生は、小島貞二氏に興味深いことを語っている。
 「『鰍沢』だってあれは円朝さんがこしらえたんじゃないんだよ(中略)
  『文七元結』だってそうなんだ。あれだって円朝の作じゃないんだ(中略)
  あの時分にね、円朝作って出しやあ売れるから、みんな円朝にしたんです。
  だから、円朝さんの作じゃないのが随分あるんだ」
              (三一書房刊『これが志ん生だ』第四巻より)
 これは、鋭く円朝ブランドの存在を指摘した言葉である。


 ちなみに、中込さんは『落語の種あかし』『明治文芸と薔薇-話芸への通路』といった本格的な落語・芸能研究書や、落語を素材として江戸の庶民の生活を平易に解説してくれる「落語で読み解く『お江戸』の事情」という本を著した人なのだが、4年前に39歳という若さで脳腫瘍で亡くなられた。この方が存命であったなら、落語や演芸の謎や埋もれた歴史などを、もっともっと掘り起こしてくれていただろうと思うと残念でならない。

 さて、「円朝ブランド」などという言葉を眺めると、昨今世間を騒がせる食品の「偽装問題」をイメージするが、まさに円朝の作品ではない落語に「円朝作」と偽装することは、マスコミなどの存在しない時代は今日よりもはるかに容易だったに相違ない。何名かの“さくら”を仕込むか、限られた紙媒体に書けば口コミで伝わることだろう。
 しかし、「円朝作」という偽装が長らく巷間信じられてきたほど、この噺は良く出来ている、ということも言えるだろう。

 こんなあらすじである。

(1)富くじを買う
  暮れも押し迫った頃、酒のせいで客をしくじった幇間の久蔵が知り合いから
  富くじを買う。
(2)大神宮様への願掛け
  富札を大神宮様の神棚にしまい願掛けをし、当たった場合の皮算用をしている
  うちに酒がまわって眠ってしまう久蔵。
(3)旦那の家の近くが火事
  その夜、しくじった旦那の住まいの周辺で火事だと知らされ走って旦那の家に
  向かう。
(4)火事収まり、酔って寝る
  旦那から出入りを許され、風向きが変わり火事も収まり、たくさんの見舞客が
  帰ったあと、酒を呑んで久蔵は寝込んでしまう。
(5)今度は久蔵の長屋が火事
  今度は久蔵の長屋の近辺で火事が発生し、急いで長屋に向かうが長屋は焼失。
(6)富くじ当たるも札はなし
  旦那の家に戻りしばらく居候していた久蔵だったが、富の日に自分が買った
  くじが千両あたったことを知る。しかし、札と引き換えでなければ千両は
  もらえないと知り、落胆する久蔵。
(7)鳶頭と出会う
  町内の鳶頭が火事の時に久蔵の家から布団などと一緒に神棚も持ち出してくれて
  いたと分かり、あわてて鳶頭の家に行く。
(8)富札が見つかる~サゲ
  大神宮様の神棚に富札が見つかり安堵する久蔵。そして、
  「ありがたい、これも大神宮様のおかげ、ご近所のお払いをいたします。」と
  ゛お祓い゛との地口でサゲ。

 かつて名人と言われた噺家それぞれに型があり、内容の分かりやすい違いとして、久蔵と旦那の住んでいる地名、富くじの番号、そして 富興行を行う場所を指摘することができる。

1.久蔵と旦那の住んでいる地名
 桂文楽(もちろん八代目)
  久蔵の住まいは浅草阿倍川町。旦那の住まいを当初は芝神明としていたが、
  久保田万太郎から、「安倍川町から芝神明では遠すぎるだろう」と指摘されて、
  日本橋横山町に変更したとのこと。

 古今亭志ん生
  久蔵の住まいは浅草三間町、旦那の住まいは芝の久保町。
 金原亭馬生(十代目)
  旦那の住まいは日本橋石町としているが、他は志ん生と同じ。
 古今亭志ん朝
  父の志ん生と同じ設定。

 三笑亭可楽(八代目)
  久蔵の住まいを日本橋へっつい河岸、旦那の住まいは芝の久保町。

 柳家小さん(五代目)
  志ん生と同じ設定。

2.富くじの番号
 文楽は「松の110番」、志ん生、馬生、志ん朝の親子は「鶴の1500番」、
 可楽は「鶴の1555番」そして小さんは「鶴の1888番」である。

3.富興行の場所
 文楽は深川八幡、志ん生親子は椙森(スギノモリ)神社、
 可楽と小さんは湯島天神

 それぞれの噺家が、どの場面に演技と時間の重きを置くかで、この噺の味わいは変わってくる。

 安藤鶴夫さんを筆頭に評価の高い文楽の場合。演出の力点は、まず願掛けと当たった場合の皮算用の冒頭部分、そして越後屋の旦那の家がある横山町へ駆けつける時と自分の住む長屋のある安倍川町に駆けつける際の仕草の演出。そして後半のヤマとしては、火事見舞客の応対シーンであろう。
 見舞客の応対場面については、矢野誠一さんが『落語讀本』の中で次のように記している。
落語読本

 ふつうの落語家が、扇子と手ぬぐいを小道具として使うのは周知のとおりだが、どういうわけか桂文楽というひとは、手ぬぐいを使わなかった。代りに真白なハンカチを用いたのである。その文楽が、『富久』を演じるときばかりは、手ぬぐいを用いたのである。
 このはなしには、横山町の越後屋にかけつけた幇間の久蔵が、旦那にいわれて町内の火事見舞客の名前を帳面につけるくだりがある。池田屋さんだの、三鉄つぁんに安田さん、坂下さんのお坊ちゃん、万定さん、ご本家、石町さん、加賀屋さんといった見舞客の名前をどうしても覚えられなかった文楽は、紙に記して手ぬぐいにはさんで高座にあがったのだそうだ。一種のカンニング・ペーパーで、台詞のはいらない役者が、しばしば用いる便法である。
 ところがそれ以降、見舞客の名が完全に頭にはいっているのにもかかわらず、あらかじめ名前の書き連ねてある紙がないと、不安になってしまうのだそうだ。

 また、見舞客の応対の後の酒を呑む場面の文楽の小道具として、「なんごのわたぬき目刺し」も有名。神奈川県茅ヶ崎市南湖(なんご)地方は鰯の名産地で、内臓を抜いた物が“わたぬき”であるらしい。 

 志ん生は、この噺も文楽とは対照的である。願掛けの場面での調子の良さや、自分がどうやって火事を撤退させたかという法螺話など、とにかく天才的なくすぐりで笑わせながら、ノー天気で尻の軽い幇間、非常にいい加減な男として久蔵を描いている。自分の持ち味を最大に活かし、あくまでも志ん生の久蔵である。もちろん、久蔵が酒を呑んでいい調子になる場面も楽しい。
 私の所有する音源では、文楽は安倍川町に久蔵が息せき切って駆けつける場面で会場から拍手が起こるが、志ん生では酒を呑む場面で拍手が沸き起こる。映像が残っていないのが非常に惜しい。よほど、美味そうに呑んでいるのだろう。しかし、この場面に限れば、可楽の酒乱の久蔵の味も捨て難い。
 とにかく、酔っ払いの登場する可楽の噺は楽しい。『士族の鰻』(『素人鰻』)の神田川の金、『うどんや』の酔っ払い、『味噌蔵』の番頭、『親子酒』の親子などなど。富久でも可楽の久蔵の酔い方は迫力がある。酒で旦那をしくじった、という前提から考えれば、「これなら、そりゃあしくじるだろう」、と思わせる。可楽も三代目小さんの型を踏まえているらしい。柳家の型は「酒乱の久蔵」なのだ。これは小三治も弟子の三三も踏襲している。文楽の描く久蔵がほろ酔いでも粗相をしてしまう、お調子者として描かれるのとは対象的だ。柳家の型では旦那の家での家財道具の持ち出しや見舞客への応対の場面はほとんどカットして酒を呑んでの醜態に重きを置いている。

 文楽の噺のルーツに関して。安藤鶴夫さんによれば、文楽はこの噺を芸の師匠と崇めた三遊亭円馬(三代目)から稽古をつけてもらっている。その円馬は円朝の愛弟子であった初代の円左から授けられたとのこと。だから、文楽の演出は正統な三遊亭の型ということになる。柳と三遊の両派で、この噺の演出の最大の相違点は、久蔵を酒乱として描くか否かだろう。
 この点について文楽派の代表アンツルさんは、『わが落語鑑賞』で、次のように書いている。
 *この文は途中に句点(。)がない一つの文なので長いのだが、そのまま引用する。
わが落語鑑賞

 三代目小さんの所演によれば久蔵は酒乱ということになっているが、そういう性格にしてしまってはいたって人物が浅く単純になり、酒を飲むとだらしなくなって、客に喧嘩をふツかけるのではなく、ついして座敷の寸法を忘れて、だらしなく嬉しがってしまうところから始終客をしくじるといったあわれな野幇間(のだいこ)の、ほとんど一人舞台であるうえに、しくじった客の家へかけつけて出入りを許され、町内の人びととの火事見舞の応待、本家から届いた見舞の酒で酔うこと、一転して今度は自分の家の火事にかけつけるくだり、そして最後に富籤の札場における歓喜と絶望が、町内の頭によって救われるという、まず普通至難とされている名作の、少なくとも三つぶりぐらいの苦心はあろうという名作であり、その傑出した演出が、いま桂文楽によって危うくその芸脈を保っている貴重品である。


 酒乱の久蔵か、あるいはお調子者でつい遊びの程度を超える久蔵かは、演じるほうも聞くほうも好みの問題。(あるいは「流派」の違い!)

 柳家と三遊亭の型に加えて、三遊を基本にしてはいるが自分なりに構成を作り変えた上で、独特のクスグリをちりばめて爆笑を誘う志ん生。落語愛好家も、この噺の好みは分かれるに違いない。

 あるいは、どれも好き、という答えがもっとも多いのかもしれない。いずれにしても、それぞれの『富久』が今後も゛久゛しく残って欲しい、というなんとも低俗な地口でもってサゲ。

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by kogotokoubei | 2008-12-25 21:15 | 落語のネタ | Trackback | Comments(0)

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by 小言幸兵衛