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『落語百景』(別冊歴史読本、新人物往来社)

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歴史読本の別冊では『落語への招待』がすでに2冊発行されているが、本誌は貴重な映像記録を中心とする別な切り口で構成された゛ムック゛である。最初に目をひいたのは五代目柳亭左楽の大葬列の写真だった。昭和28年3月25日に亡くなった五代目の葬列のことは、さまざまな落語関連書籍で知っていたが、写真を見たのは初めてだったので、新鮮な驚きを感じた。本誌でも冒頭に引用している『聞書き・寄席末広亭』の北村銀太郎席主の言葉。
富田均『聞書き・寄席末広亭』
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「そりゃ芸人としちゃ空前絶後のおとむらいだったよ。六代目菊五郎の葬式
と双璧だったって新聞にも出たほどだもの。花環が千本以上、上野動物園の裏
に並んじゃった。」
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北村席主は、『続 聞書き・寄席末広亭』の中で次のように五代目について語っており、この大葬列の理由が推し量れる。凄い人だったのだろう。富田均『続 聞書き・寄席末広亭』
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とにかく、五代目からは学ぶべき点が多いよ。高座にあがるとき、上方にならっ
てお囃子を入れるようにしたのもそうだし、熱心に勉強して、しかも客受けの
いい芸人には前座幹部の区別なく給金を上げて、年に二回特別賞与を出すとか、
とにかく次々と手を打ってゆく・・・・・・。大震災でいろんなもんが崩れた
あとでは、演芸会社と睦会に分かれたまんまやっていたのでは駄目だってんで、
今度はその二つの協会を一つにさせてしまった。バラバラになってる場合じゃ
ないっていうわけなんだ。それで本人が会長となって、落語協会を設立した。
だから私が六三亭をやっている時期は、もろに五代目がその力を発揮していた
ときなんだ。芸人たちの組織が一つしかなかったというのは珍しいことなんだよ。
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政治的なセンスも優れていたのだろうが、これだけの葬列を見ると、その人間の大きさ、というものも十分に察することができる。孫娘で末広亭の裏で喫茶店「楽屋」を営む石川光子さんの思い出話を含め、当時の落語界のドンともいえる五代目の貴重な記録である。

本誌の冒頭は新宿末広亭の今年6月上席で開催された、五代目小さん七回忌追善興行「小さんまつり」の高座と楽屋のスナップが中心に構成されている。小三治、扇橋、さん吉といった大御所師匠が談笑する様子を楽屋の隅っこに立ったまま神妙に聞き入っている三三の姿が実に微笑ましい。さん喬、権太楼という寄席の中心的存在を含め柳家の人材の豊富さには目を見張る。

「私の住んだ街、歩いた街」というタイトルで、小三治、文楽、金馬、正雀の4人の師匠がそれぞれの自分の師匠の思い出、弟子時代の師匠の家の様子、そして師匠からの教えと自分自身の落語に取り組む姿勢、考え方などを普段着の姿で披露してくれている。
小三治師の言葉から少し抜粋。
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繰り返しになりますが、こういうすべての努力は、師匠・五代目柳家小さんの
言うところの「人物になり切る」ためにあります。師匠の教えはまったく正し
かった、齢を重ねるほどそう思えるようになってきましたね。・・・・・・とは
言ってみたものの、本当はよく分かりません。普段からそれほどいろいろ考えて
整理しながら演ってるわけじゃあありませんから。齢を重ねて高座に何か変化が
出てきましたか、なんて聞かれたりもしますが、そんなことは自分にゃあ分か
りゃしません。
(中 略)
私自身、これからどうしたらいいんだろうと今も悩みながら、迷い、迷い、歩いて
います。今日はこう思っているけれども、二、三年もすればあのときは間違って
たなって思うかもしれない、まァ、それでいいんだと思うんですね。私は齢を
重ねていまそういう心境になれたということが嬉しいんです。
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九代目が語る八代目文楽や四代目の三代目金馬の思い出、正雀師匠が語る八代目正蔵の芸と人、など街並みや自宅の味のある写真と聞書きで構成された好企画である。
なかでも正雀師が明かす、八代目正蔵師匠が、何かと衝突があった六代目圓生師匠の葬儀でのエピソードには胸が熱くなる。
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圓生師匠がお亡くなりになったときも、青山斎場に出向いたウチの師匠は、落語
の祖・安楽庵策伝の研究で知られる名古屋在住の関山和夫先生に言ってました。
「これほどの名人はもう二度と出ないんだから、関山先生、大いに圓生師匠のこと
を褒めてやって下さいよ」と。感動しましたね。
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正雀師への聞書きに続いて、27回忌追善写真企画として「稲荷町」のさまざまな映像が掲載されており、その中にも六代目とにこやかな顔での鈴本の楽屋におけるツーショットが含まれている。あの二人は本当はどんな関係だったのか、あの諍いは二人の芝居だったのではないか、と思うばかりのいい雰囲気なのである。落語ファンにとってはうれしい記録であろう。

金馬師匠は、趣味のカメラで撮りためた噺家たちが楽屋でくつろいでいるスナップを提供しており、なかなか楽しい。青年扇橋師匠は、一見しただけでは誰か分からないような傑作だ。「落語の舞台・下町を歩く」では「長谷川町、三光新道」や「下谷山崎町」、「芝浜」など、落語と落語家にまつわる場所の現在の姿が丹念にスケッチされている。逆に、昔の姿をしのばせるのが橘右楽さんへの「聞書き 寄席研究」だ。師匠右近の志を引き継ぎ史料の収集、分析をしている右楽さんが語る寄席の歴史と、昭和29年に閉館した神田須田町の立花亭や人形町末広の写真などが掲載されていて楽しい。

本誌を手にして、すぐに本棚から1997年10月平凡社発行、別冊太陽『落語への招待』を取り出してみた。表紙は当時健在だった五代目小さん師匠。第一席から第五席に分けられ、若手から中堅、大御所まで、江戸も上方を含めて当時第一線で活躍していた噺家の高座や楽屋でのスナップと達者な書き手による文章で構成されていて、第一席のトップバッターは、当時絶好調の小朝師である。熟年期ともいえる時期の志ん朝師匠の姿を見ると目頭が熱くなる。10年前の本でもずいぶん懐かしく、そして楽しく読み返すことができる。『落語百景』の「住吉踊り稽古見学記」のスナップにも姿を見せる、今やこの踊りの中心人物である小円歌姐さんの10年前の写真の、なんとお若くて艶っぽいこと。(もちろん、今もお綺麗ですが)

落語ファンの中には、現在進行形の落語にのみ関心のある人も多いだろう。故人のCDを聞くことなどない人もいるかもしれない。しかし、現在の噺家が今あるのも、江戸から明治、大正、昭和、そして平成へと、数多くの師匠から弟子達に、その芸とともに人生哲学とでもいうべきものが伝承されてきた歴史があったからこそであろうと思う。また、落語の舞台の大半が江戸、明治など古き良き時代である。過去と、未来には過去となる現在の貴重な断面をしっかりと記録する本が今後も発行されることを期待したい。50歳を超えた中年のノスタルジーと思われても結構、10年後に懐かしく読み返すことのできる本も必要なのだ。
落語百景
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by kogotokoubei | 2008-08-23 18:25 | 落語の本 | Trackback | Comments(0)

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