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噺の話

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『歌丸 極上人生』

 『歌丸 極上人生』は、最初は平成18年に、うなぎ書房から『極上 歌丸ばなし』として発行され、平成27年に加筆・修正の上で、祥伝社黄金文庫で再刊。

 この本からの四回目。
 次第にホール落語会への出演が増えてきた歌丸。
 
 そんな時期、あるプロデューサーからの“無茶ぶり”が、あった。

 三吉演芸場の独演会を始めてからは、どんどん古典のほうへ傾いて行きまして、そのうちに圓朝ものに手を染めることになるんですが、その転機になったのが、平成六年七月の落語研究会でやった『栗橋宿』です。
 これは、前にもちょっとお話が出たTBS『落語研究会』の白井良幹さん、あのかたにやれって言われたんです。それまで白井さんがあれやれ、これやれって言ったことはありませんでした。ただ出てくださいっていうだけで、出し物はあたしのほうで、じゃァこれやりましょうって決めてたんですけど、このときから、いろいろ出し物の注文が来だしました。

 TBSの名プロデューサーと言われた白井良幹(よしもと)さん。
 その後を継いだのがイーストの今野徹さんだった。
 入社三年目から今野さんは白井さんのアシスタントプロデューサーを務めたが、2017年12月に五十代の若さで旅立ち、さて、今は誰がプロデュースをしているのかは知らない。

 白井さんの無茶ぶりのことを続ける。

 一番初めに、いきなり持ってこられたのが、圓朝作『怪談牡丹燈籠』の『栗橋宿』・・・・・・あたしはね、それまで圓朝ものはやったことはないし、まして、圓生師匠があれだけ得意にしていらしたものですから、とてもじゃない、勘弁してください、できませんって言ったんですよ。そしたら、できないって言ってちゃなんにもできない、できるできないはともかくも、やってごらんなさいって、前に圓生師匠が研究会でおやりになった『栗橋宿』のビデオテープを、無理矢理押しつけられちゃったんです。

 白井さんだから出来たことなのだろう。

 さて、名プロデューサーからのリクエストにどう応えたのか。

 あたしは、研究会でやるために地方で稽古したってのはこのときだけですね。地方の会で四、五回やりましたかね、それである程度固めてから、本番にぶつけたんです。

 これで思い出すのは、以前は柳家権太楼なども、落語研究会の前の落語会では、研究会のネタが多くなること。
 それだけ研究会の価値も高かったと言えるだろうが、今日では、はたしてどうだろう。
 出演者の顔ぶれやネタを眺めて、時代の変遷を感じるのは私だけではないだろうと思う。
 今も続く歴史あるホール落語は、大きな過渡期を迎えているように思う。

 さて、引用の続き。
 研究会で初めてやったときには、まず、終わってほっと一安心したってのが、正直なとこでしたね。あとで自分のビデオ見て、悪いところもずいぶんありました。でも、まァなんとかなるんじゃないか・・・・・・と思って、それから、その年の八月中席の国立演芸場ですね、あすこは昭和五十七年ころからずっと、八月中席は、あたしがトリを取らしてもらってますんで、十日間、毎日『栗橋宿』を出して勉強させてもらいました。ほかでも時どき出してみて、いくらかずつは自信らしいものがついてきましたけど、まさか、これがキッカケで、『牡丹燈籠』を全部やるようになろうとは思いませんでしたね。

 白井さんの無茶ぶりが、桂歌丸という噺家さんに、大きな芸の引き出しをつくることになったわけだ。

 この本には、聞き書きをした山本進さんとの対談も掲載されているのだが、その中で、柳家小三治の『小言念仏』も、白井さんが研究会のための無茶振りが最初らしい。

 今日、そんな無茶ぶりが許される人も、それを生かすだけの噺家も、いないような記がするが、はたしてどうなのだろうか。

 その後の歌丸の圓朝作品への挑戦については、次回。

# by kogotokoubei | 2019-05-19 16:54 | 落語の本 | Comments(0)

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『歌丸 極上人生』

 『歌丸 極上人生』は、最初は平成18年に、うなぎ書房から『極上 歌丸ばなし』として発行され、平成27年に加筆・修正の上で、祥伝社黄金文庫で再刊。

 少し間が空いたが、この本からの三回目。
 
 これまでに、昭和49年、家の近くの三吉演芸場で歌丸が三十八歳の時に始めた独演会で、古典に挑戦していたことを紹介した。

 その独演会開始から十五年目、平成元年の芸術祭で、「桂歌丸独演会」の成果が認められて、演芸部門の芸術祭賞を受賞している。
 ちなみに、その前後における演芸部門で落語家の受賞は、昭和61年に雷門助六、62年に林家正雀、前年63年に三遊亭圓楽、翌平成2年が、小文枝時代の五代目桂文枝。

 さて、もっと前から、あるホール落語にも出演していた歌丸だが、三吉演芸場で古典に取り組み始めてから、他の伝統あるホール落語への出演要請が増えてきた。

 一番早かったのは、NHK東京落語会で、昭和40年7月、第79回公演に初めて出演しまして、その後の二年か三年にいっぺんづつ出さしてもらいましたが、当時はまだ新作専門のころですから、出し物も『乗車券』『京の舞妓』『時間売ります』『姓名判断』『新聞記事』といったような新作を出してます。昭和55年12月の公演で『おすわどん』を出しまして、以後は古典ものばかりになりました。
 その55年9月には三越落語会に初出演(『お茶汲み』)、58年12月にはTBS落語研究会(『三味年栗毛』)59年6月には紀伊国屋寄席(『鍋草履』)と、次々に定評のある落語会に出していただくようになり、このころには、もう逆に古典専門になってしまいました。
 『鍋草履』『三味線栗毛』は、両方とも春風亭の先生のものです。六代目の柳橋師匠・・・・・・このかただけは、「師匠」じゃなくて「先生」と言わないといけなかったんです。なにしろ昭和5年に芸術協会ができたときからの会長ですから、お稽古してもらうどころか、ぴょこぴょこの真打なんか、なかなか口をきいてももらえませんよ。

 意外に思うのは、東京落語会が、二ツ目時代の新作派の歌丸を出演させていたこと。
 「笑点」が始まるのは昭和41年だから、その前年に初出演。

 『鍋草履』『三味線栗毛』が、柳橋譲りとは知らなかった。とはいえ稽古をつけてもらったのではないけどね。どのように譲り受けたのかは、後でご紹介。

 歌丸の『鍋草履』は、2012年の新宿末広亭9月下席、十一代目桂文治の襲名披露興行で聴いている。
 その時の感想を、あらためて確認。
2012年9月27日のブログ

桂歌丸『鍋草履』 (15分)
 談志と同じ昭和11年生まれ、今年76歳になる芸協会長が健在で良かった。トリへの配慮がうかがえる軽い噺ではあるが、こういうネタをしっかり出来ることが、落語家にとって重要なのだと思う。口跡もはっきりしていて、聴いていて疲れない高座。ある意味で、落語の教科書とも言える内容に感じた。
 昨年末、この寄席の席亭が発した苦言を契機に、このところ芸協は頑張っているように思う。全員の実力が一気に上がることはありえないが、米助の古典への挑戦なども含め、背後に歌丸会長の思いが、良い方向に向かわせているような気がする。この席でも千秋楽に当代円楽が出演するようだが、それは披露目での特別なもの。定席では、他の一門の助けなど借りずに、客を呼べるだけの勢いがつきつつあるのではないだろうか。だから、会長にはまだまだ元気でいて欲しい、と思う。

 最近は、過去の記事を読み直して、ようやく少し記憶が甦る・・・のである。

 そうそう、この披露目は、前年末に席亭から苦言があった、その末広亭だった。

 ちなみに、この日は、口上でもなかなか味のある話をしてくれた鶴瓶が、『青木先生』を披露した。
 これまで私が聴いた、鶴瓶の唯一の高座。
 たしかに、十分ほどで客席をドカンドカンさせた話芸は、たいしたものではあった。
 トリ文治の十八番『源平盛衰記』も、大いに笑った。


 さて、歌丸は、どうやって「先生」と呼ばれた芸協のドン、柳橋からネタをもらうことができたのか。

 こっちがやっと少し認められるようになってから、あるとき楽屋で、春風亭の先生に謎をかけたんです。「先生、あの『鍋草履』は、先生はレコードにはお入れになってないんですか」って、あたしが聞いたら「いや、俺は『鍋草履』はレコードに入れてないぞ」「ああそうですか」「なんだ」「いや、いい噺だと思いまして」「なんだ、やりてえのか」「やりたいですねェ」ったら、「ふーん」って、その日はそれっきり。で、次の日に「『鍋草履』の音はNHKにあるぞ」って言ってくれたんですよ。NHKに音があるぞってえことは、こりゃァやってもいいって言ってくれたようなもんだと、こっちは解釈しますよ。
 それからNHKのプロデューサーのかたにお願いをして、まだカセットのないころ、オープンリールのテープにダビングしてもらった音をいただきました。それで春風亭の先生のところへ行って「先日はありがとうございました。NHKに音がありました。プロデューサーのかたからいただきました」って言ったら、「うん、そうか」って、それでおしまい。それ以後やらしていただいてます。

 なるほど、そういういきさつだったか。

 オープンリールですぜ。
 
 カセットでさえ知らない人のほうが多くなっただろう令和の時代、オープンリールなどは、もうじき死語になるのではなかろうか^^

 次回は、あるホール落語会のプロデューサーからの要請から、また一つ桂歌丸という噺家さんの引き出しが増えた、というお話。
 
# by kogotokoubei | 2019-05-17 21:36 | 落語の本 | Comments(0)
 なんとか、国立演芸場の中日、四代目圓歌の襲名披露興行に行くことができた。

 三月二十一日、鈴本の下席から始まり、末広亭、浅草、池袋を経て四十五日目、残り五日となった定席での披露目。

 開場直後の12時20分頃、演芸場に到着。

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 四代目圓歌の幟が、旗めいていた。

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 なんと、平日の昼なのに、「満員御礼」とは。

 後で知るのだが、居残り会では合流したOさん、当日券で大丈夫だろうとタカをくくていたため、チケットを入手できなかったのであった。

 そんなことは露知らずで、会場へ。

 最初の後ろ幕は、「贔屓与利」で、富士山がシンプルな線で描かれて、「晴れてよし くもりでもよし 不二のやま」と書かれていた。
 結局、この日三つの後ろ幕は、すべて「贔屓」贈呈。二枚目は結構派手だったが、最後三枚目は、「寿」の字と女性の絵の描かれた艶っぽいもので、結構だった。

 私は四列目だったが、まだ、前の列にも空席のある状態で、開口一番が始まった。
 その後、客席はほぼ埋まっていたなぁ。

 出演順に、感想などを記す。

三遊亭歌つを『牛ほめ』 (13分 *12:47~)
 開口一番は、初めて聴く前座さん。
 落語協会のHPのプロフィールによると、2017(平成29)年3月三遊亭歌奴に入門、2018(平成30)年1月21日前座となる。前座名「歌つを」、とのこと。
 白酒が「待機児童」と呼んでいた見習い期間が、結構長かったということか。
 髪の毛も短めでスッキリしているし、清潔感のある印象で、見た目は悪くない。しかし、声が高めでキンキンする点は、今後の要改善点。父親とおじさんの口調も、あまり変わりがなく、前座さんではやむをえないかもしれないが、今後の精進を期待しましょう。

春風亭一花『やかん』 (16分)
 日替わりの二ツ目さんの出番、この日は一朝一門のこの人。三度目。
 2014年7月の関内ホールでの師匠の独演会、そして、2016年9月の同じ会場での、小満んの会で聴いている。どちらも、好印象だった。
 この高座も実に良かった。
 知ったかぶりの先生の口調なども悪くない。歌つをは、袖で聴いていて勉強になったのではなかろうか。
 猫も杓子も--->女子(めこ)も赤子(せきし)も、など、三代目金馬の音源を思い浮かべながら聴いていた。講釈部分も、よどみなくリズムが良い。
 立川こはるを初めて聴いた時も感心したが、芸風は違うものの、女流落語家ながら、しっかり古典を語れる人として、今後も期待。
 個人的には、この日一番の高座だと思う。
 何か賞をあげたいので、朱の色を付けておく。
 
三遊亭多歌介 漫談(師匠の思い出、など)(17分)
 ずいぶん久しぶりと思っていたら、2009年の池袋以来、十年ぶりだ。
 あの時は『短命』だったようで、結構、印象が良かったようだ。さすがに、記憶は残っていない^^
 志ん朝の葬儀における名(迷)スピーチなどの師匠三代目圓歌の思い出や、自分の地方での講演での逸話など。この人、講演や講演&落語で全国各地を回っており、平成30年の講演(数?)日本一とのこと。
 でも、ネタをやって欲しかったなぁ。

鏡味仙三郎社中 太神楽 (16分)
 4月29日の末広亭では、親子二人だったが、この日は仙三郎と仙成の二人。
 いつものように、傘の芸で仙成が鞠と升を回したが、茶碗になって仙三郎が「これは難しいから私が」と代わった。しかし、最初に茶碗を乗せようとして上手く収まらず、やり直そうとして茶碗を舞台に落してしまった^^
 なかなか、お目にかかれない光景。
 五階茶碗を仙成が演じ、仙三郎が土瓶の芸、そして、花笠と撥で締めた。
 
三遊亭若圓歌 漫談&『授業中』 (19分)
 初。経歴を後から調べたら、内弟子を終えて、最初は漫談家としてスタートしたらしい。
 師匠の思い出を語りながら、師匠が昭和天皇に『授業中』を披露してこのネタを封印したため、師匠に代わってこの噺をするようになった、とのこと。
 震災後のボランティアでも、何度も演じたらしい。
 後半の短い時間で、相当はしょってのネタになったが、なかなか味わいがあったので、もっと長く演って欲しかった。

柳亭市馬『粗忽の使者』 (19分)
 日替わりの仲入り、この日は協会会長。
 客席から「待ってましたぁ!」の声がかかったが、この興行が何か分かっていない、野暮な行為としか、私には思えない。
 去年の鈴本夏祭り以来。あの時は『山号寺号』に、噺家の名を取り入れて楽しませてくれた。
 冒頭部分を省略し、大工の留っこが、地武太治部右衛門と田中三太夫のやりとりを盗み聞きした内容を、仕事仲間に話す場面から。
 こういう噺は、ニンだと思う。侍はサマになっている。一時、首の振りが極端だったり、途中で歌を挟むのが嫌で、敬遠していたが、やはり、芸達者であるなぁ、と思わせる高座だった。
 
 口上を楽しみに、一服。

口上 (16分)
 五人並んだ。下手から、司会の多歌介、若圓歌、四代目圓歌、歌司、市馬。
 若圓歌が、七年の内弟子を終えることができたのが、彼の次に入門した歌之介のおかげ、と言っていたが、今では途絶えてきた内弟子仲間の絆は強いものがあると感じた。授業中、浪曲社長、月給日などの師匠の作品は手がけず、自分の作品を大きく育ててきた弟弟子を褒める言葉にも、心がこもっており、圓歌一門の好ましい関係をうかがうことができたなぁ。
 歌司が、三十五年ほど前、宴席で師匠の隣に座っていて、「圓歌は歌之介に継がせたい」と言われたと語る。兄弟子としては、辛い話であったろうに、それを納得させるだけの、一門の歌之介への評価もあったということか。
 歌司は、昭和50(1975)年にNHK新人落語コンクールで『あくび指南』で優秀賞を授賞した人。ちなみに、その時の最優秀賞は『たがや』を演じた小丸、現在の柳亭金車。
 この人が古典重視ということも、三代目が新作派の歌之介に継がせたかった理由かもしれない。
 市馬が、「手を取って 共に登らん 花の山」という三代目圓歌の言葉を聞かせてくれたので、ほぼ七年前のこの会場での一之輔の真打昇進披露のことを思い出した。私は圓歌が披露目すべてに出演した一朝は偉い、と言った言葉と「手を取って~」で、目頭が熱くなったのだ。
2012年5月19日のブログ

 さて、その市馬の音頭で、三本締め。
 圓歌一門の絆の強さ、温かさが伝わる口上だった。

アサダ二世 奇術 (13分)
 いつもの「今日は、しっかりやりますから」に、嘘はなかった^^
 「あと、三分」とか「二分」とか言いながら、芸を始めようとしては、またマイクに戻り、寄席の下座さんがどれだけ大変か、などと話す、その間が絶妙。
 お客さんが選んだトランプを風船の中から取り出す十八番も、良かったよ。

三遊亭歌司『蜘蛛駕籠』 (14分)
 「91になりまして・・・ウェストが」でまず、客席を笑わせる。去年は「86」だったと記憶しているので、太ったか^^
 酔っ払いの繰り返しの科白の部分でも、大いに客席を沸かせる。
 寄席体験の少ないお客さんも多かったとは思うが、芸達者でなければ、この噺の可笑しさをあれだけ引き出すことは難しい。

立花家橘之助 浮世節 (14分)
 二年前の二代目橘之助襲名で、一回り芸が大きくなったようだ。
 最後は時間切れと短めではあったものの「たぬき」を聴かせてくれた。

三遊亭圓歌『母ちゃんのアンカ』 (35分 *~16:21)
 『母のアンカ』が、正式な演題なのかもしれないが、私はサゲで本人も使っていた『母ちゃんのアンカ』の方が良いように思う。
 この噺では、師匠が亡くなって五日後、末広亭の夜の主任を白酒の代演(代バネ)で涙ながらに聴かせてくれた高座を思い出す。
 あの時は、最初『B型人間』だったのが、この噺に代わり、ややとりとめのない流れになったのだが、それもやむなし、という時期だった。
2017年4月30日のブログ
 前半は、小ネタをつないで、客席を温める。4月1日に「令和」の発表で驚いたらしい。師匠の最初の奥さんが、令子、次の奥さんが、和子・・・とのこと。
 師匠の家にいた寒さに弱いアイヌ犬のことや、たわけもの・大納言などの言葉の語源のことで、笑いを取る。おっぱいの元は血液、という話あたりは、ネタとの関連性が、少しはあるかな。
 そして、11月の寒い時期、高野山に招かれ、その宿坊で寝た時の思い出から、ネタそのものは始まる。零下三度、布団には、湯タンポが入っていた。
 その湯タンポで足を温めていると、自然に、子どもの頃、寒いときに布団の中で、足を母ちゃんのまたぐらに入れて、温めていたことを思い出す・・・ということで、さまざまな少年時代の母との逸話が語られる、爆笑ネタとは言えない演目。
 四代目圓歌作の、人情ばなし、とも言えるかもしれない。
 私は、この人は、今後も古典に挑戦などしなくてもいい、爆笑ものの新作を聴きたいと思う。何度聴いても笑える噺、という点で、間違いなく師匠の芸の精神を継承する人だろう。


 さて、お開きとなれば、楽しみは、居残り会。

 佐平次さんの地元の「はじめ(一)」で、ちょうど五時の開店時間から。
 Iさん、Nさん、そして、チケット入手ならずお店に直行して、すでにビールを始めていたOさんの五人。
 最初は生ビール。そして、次々に出される、薬味ハンバーグや鯵の刺身、などなど美味しい肴のおかげで、お勧めの日本酒を一升瓶ごといただき、結局二升が空になった。
 その後は、燗酒も呑んだはず。
 途中で、絶品の揚げパンが出され、また生ビールもらったりしたな。
 話はあっちこっちに飛んだようにも思うが、部分的に覚えていない^^
 落語のサワリをご披露したようにも思うが、よく覚えていない^^

 四時間ほど、宴は続いたのかな。

 とにかく、楽しい居残り会でござんした。

p.s.
 新宿末広亭の披露目にいらっしゃったIさんがお聞きになった後ろ幕の情報を入手。
 最初の富士山の幕は、中村天風作、2枚目のやや派手な幕は、佐藤勝彦作で、お二人とも圓歌本人とご縁のある方らしいです。三枚目の美人画は先代ゆかりのもの、とのことです。。
# by kogotokoubei | 2019-05-16 12:59 | 寄席・落語会 | Comments(12)

2019年5月、テニス合宿(2)

 さて、二日目。

 朝食をとってから、まずは、昨年も行った宿のすぐ近くの「四季の里」へ寄ることは決まった。
 地元の野菜などの直売もしているし、昨年と同様「丹沢アートフェスティヴァル」の一環で特別展示や、美味しいインドカレーがお昼に食べられるかもしれない。

 とはいえ、どこかちょっとした観光もしたいものだと相談していると、「小田原はどう?」という声・・・・・・。
 なるほど、そう遠くはないし、小田原城にでも行こうか、ということに落ち着き、宿をチャックアウト。

 すぐに「四季の里」に到着。

 こちらが正式名称「大井町農業体験施設 四季の里」のサイト
「大井町農業体験施設 四季の里」のサイト

 サイトからお借りした写真と平面図。
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 これが、私のガラケーで撮った、入り口の写真。
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 やってましたよ、「丹沢アートフェスティヴァル」の催し。
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 この写真は、平面図の「体験室1」の前。

 この部屋で、昨年同様アートギャラリーを開いていたのは、「相和もりあげ協議会」の國島さんご夫婦。
「相和もりあげ協議会」のサイト

 ご挨拶したら、お二人とも私を覚えてくださっていて、昨年のブログ記事もご覧いただいたとのこと。
 実は、ご名刺をいただき、起債されていたメールアドレスに、お礼を兼ねて、ブログのことをお知らせしていたのであった。

アートギャラリーを開いていらっしゃった國島和子さん。
 いただいた名刺には、「神奈川県大井町 相和もりあげ協議会」と書かれている。

 その名刺の裏には「Siinoki Retreat」のサイトが案内されていて、次の文章があった。

都会からは姿を消した「かみさま」が、まだ生きている丘の上で日帰り農作業とリトリート体験

 その「Siinoki Retreat」サイトから引用。
Shiinoki Retreatのサイト
シイノキリトリートでは、学校や企業の研修など、団体での農村体験企画も受け入れています。富士山を望む、ゆったりとした里山風景のなかで、農作物の収穫、そば打ち、桜の花摘み、竹風鈴づくり、民泊など、農村ならではの作業を楽しむ。その体験を通して、農村に受け継がれてきた知恵や技術を学び、自然と人とのつながりに思いを馳せる。そんなプログラムを企画・提案いたしますので、まずはご相談ください。
 こういう活動をなさっているのである。

 昨年の記事にご興味のある方は、こちらをご覧のほどを。
「2018年5月、テニス合宿」の記事

 國島さんからは、今年も11日と12日の二日間のみ、「四季の里」がピザづくり体験で使っている釜を使いナンを焼いて、小田原のインド料理店が出張して、本場のインドカレーを食べさせてくれるとのこと。

 釜のこと、昨日、私はテニス仲間に間違った説明をしていたなぁ。
 陶器教室があって、陶器を焼く釜、などと説明していた^^
 誠に申し訳ない。
 
 アートギャラリーを仲間と見て、皆、なにかしら買い求めていた。
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 私は、地元の陶工さんによる、ご飯茶碗を購入。
 家で今つかっている茶碗が小さいので、ちょうど良い大きさと色合いのものを見つけたのだ。

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 そして、昨年持ち帰ってその甘さに驚いた、完熟トマトを購入。

 まだ時間が早いので、小田原のインドカレーのお店、バルティヤ・ザイカ の人たちは来ていなかった。
 ちなみに、お店の名は、ヒンズー語で「インドの味」という意味らしい。

 昨年、あのカレーは旨かったなぁ、とは思うものの、小田原城を見学したらお昼はやはり小田原だよね、と話しながら、仲間は野菜直売所でも買い物。

 その後、一行は後ろ髪をひかれながら、小田原へ。

 車2台で小田原城までは約20km、40分ほどで到着。

 小田原城の南入り口近くの駐車場に車を止めて、城内に入る前、蓮がいっぱいの堀(南堀)で鯉を眺める。

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 ハスは、「大賀ハス」、と言うようだ。
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 Wikipedia「大賀ハス」で、少し勉強。
Wikipedia「大賀ハス」

 大賀ハス(オオガハス、おおがはす)は、1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある東京大学検見川厚生農場(現・東京大学検見川総合運動場)の落合遺跡で発掘された、今から2000年以上前の古代のハスの実から発芽・開花したハス(古代ハス)のこと。
 戦時中に東京都は燃料不足を補うため、花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていることに着目し、東京大学検見川厚生農場の一部を借り受け草炭を採掘していた。採掘は戦後も継続して行われていたが、1947年(昭和22年)7月28日に作業員が採掘現場でたまたま1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出した。このことから慶應義塾大学による調査が始められ、その後東洋大学と日本考古学研究所が加わり1949年(昭和24年)にかけて共同で発掘調査が行われた。その調査により、もう2隻の丸木舟とハスの果托などが発掘され、「縄文時代の船だまり」であったと推測され落合遺跡と呼ばれた。
 そして、植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎(当時・関東学院大学非常勤講師)が発掘品の中にハスの果托があることを知り、1951年(昭和26年)3月3日から地元の小・中学生や一般市民などのボランティアの協力を得てこの遺跡の発掘調査を行った。調査は困難をきわめめぼしい成果はなかなか挙げられなかったが、翌日で打ち切りという30日の夕刻になって花園中学校(3月31日迄は千葉市立第七中学校)の女子生徒により地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され、予定を延長し4月6日に2粒、計3粒のハスの実が発掘された。

 結構、ドラマチックな歴史のあるハスだったんだねぇ。

 さて、南の入り口から城址公園内へ入る。

 こちらが、小田原城の公式サイト。
「小田原城」公式サイト
 無断での引用は許可されていないので、Wikipedia「小田原城」から引用。
Wikipedia「小田原城」
 北条早雲氏は、居館を今の天守の周辺に置き、後背にあたる八幡山(現在の小田原高校がある場所)を詰の城としていた。だが、建築者は、不明である。 居館部については北条氏以前の大森氏以来のものとするのが通説であるが、大森氏時代にはより東海道に近く15世紀の遺構が実際に発掘されている現在の三の丸北堀付近にあったとする異説もある。3代当主北条氏康の時代には難攻不落、無敵の城といわれ、上杉謙信や武田信玄の攻撃に耐えた。江戸時代に居館部が近世城郭へと改修され、現在の小田原城址の主郭部分となったが、八幡山は放置された。そのため、近世城郭と中世城郭が江戸期を通して並存し、現在も両方の遺構が残る全国的に見ても珍しい城郭である。
 最大の特徴は、豊臣軍に対抗するために作られた広大な外郭である。八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9キロメートルの土塁と空堀で取り囲んだものであり、後の豊臣大坂城の惣構を凌いでいた。慶長19年(1614年)、徳川家康は自ら数万の軍勢を率いてこの総構えを撤去させている。地元地方の城郭にこのような大規模な総構えがあることを警戒していたという説もある。ただし、完全には撤去されておらず、現在も北西部を中心に遺構が残る。古地図にも存在が示されており、小田原城下と城外の境界であり続けた。明治初期における小田原町の境界も総構えである。
 北条氏没落後に城主となったのは大久保氏であるが、2代藩主大久保忠隣の時代に政争に敗れ、一度改易の憂き目にあっている。一時は2代将軍秀忠が大御所として隠居する城とする考えもあったといわれるが、実現しなかった。その後、城代が置かれた時期もあったが、阿部氏、春日局の血を引く稲葉氏、そして再興された大久保氏が再び入封された。小田原藩は入り鉄砲出女といわれた箱根の関所を幕府から預かる立場であった。

 伊勢新九郎が早雲となる物語は、かなり前に司馬遼太郎『箱根の坂』で読んだが、相当忘れていることを、今回の旅で身にしみた。また、読もう。

 城址公園に、珍しい大木があった。

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 イヌマキ、なんて初めて見たと思う。

 天守閣の前に広がる公園には、猿もいたなぁ。

 これが、Wikipediaで借りた、復興された天守閣。
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 これが、私のガラケーで撮った、天守閣への登り口にある看板。
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 天守閣内のシアターや説明パネルにも紹介されていたが、北条(あるいは後北条)は、五代で終わることになった。
 北条五代、初代の早雲は、明応四(1495)年、大森氏を退けて伊豆韮山から小田原城に入った。二代目氏綱がその後の繁栄の基礎づくりをし、三代目氏康の時代には城下町として発展した。四代氏政と五代氏直の時代に、外敵から町全体を守るための総構を築いた。しかし、天正十八(1590)年、約18万の秀吉の大軍に包囲され、北条氏は滅亡。

 NHk大河『真田丸』では、四代目氏政を高嶋政伸、五代目氏直を細田善彦が演じた。天守閣内のシアターでは、「北条五代100年の夢」というドラマ仕立ての紹介ムービーが流れていて、氏政役に苅谷俊介、氏直役に合田雅吏という俳優さんが出演していた。

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 天守閣の展望台から、笠懸山を望む。この山の頂に構築されたのが、石垣山城。別名、「一夜城」。小田原城からは見えないように築き、完成してから周囲の木を伐採したので、北条側は、一夜にして築城されたかのように驚き、戦意を失う要因ともなったと言われている。

 天守閣には、観光地にはお決まりの、こんな撮影場所もあり、仲間の何人かは侍になって写していたねぇ。
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 さて、ほぼ1時間の天守閣ツアーを終えて、時計は正午を少し回っていた。
 
 昼食はどうするか、ということになったが、知らない店に行くより、また四季の里に戻って、あのインドカレーを食べようと全員合意。

 そして、もどって食べたよ、「インドの味」のバターチキンカレー。
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 ガラケーの下手な写真では、味は伝わらないなぁ^^

 ピザ焼き用の釜でナンを焼いている様子。
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 やはり、カレーもナンも、美味かった!

 その後、私は小田急新松田駅に送ってもらい、帰って来たのであった。

 いやぁ、なかなか充実した一日半だった。

 これにて、春の合宿の記事は、お開き。


# by kogotokoubei | 2019-05-13 21:36 | 小さな旅ー2019年5月、テニス合宿。 | Comments(4)

2019年5月、テニス合宿(1)

 昨日と今日、恒例のテニス仲間との合宿だった。

 ここ数年は、「いこいの村あしがら」で年二回、五月と11月下旬か12月初旬の開催。
 いこいの村あしがら公式サイト
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 こちらが公式サイトからお借りした、建物の前景。br>

 土曜日は、テニス大会の後、夕食-カラオケ-部屋で宴会。

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 こちらが、テニスコート。

 今回は八名と人数が少なく、テニスは抽選で4人づつの二組の対抗戦。
 4ゲーム先取制だ。
 なんとか、我がチームが、五勝三敗で勝利。
 全員が三試合する組み合わせだったが、さすがに最後は足にきたなぁ。

 大浴場で汗を流し、サウナに入って水風呂ですっきり。

 男性五人は、大きな「特別室」で、夕食前に、風呂上がりのビール!
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 公式サイトから借りた「特別室」の写真。

 左の奥のテーブルが写真より高く大きなものになり、椅子も回転できる立派なものになっていた。
 夕食も美味しく、その後のカラオケも盛り上がった。

 全員特別室に戻り、しばし談笑。
 そろそろ、ということで出番だ。
 宴会の余興の落語は、左奥のベッドが高座。テーブルの周りに座った仲間がお客さん^^

 一度演じたネタはやらない方針のため、今回もネタおろし。

 一席目は、『人形買い』。
 旬のネタでもあり、やるつもりでいたら、ちょうど4月29日の末広亭居続けの昼の部、仲入りで権太楼の高座を勉強することができた。
2019年5月1日のブログ
 小僧の定吉独演会場面で、予想以上の笑いがあった。

 続けてもう一席は、『抜け雀』。
 拙ブログのアクセスランキングで、この噺のサゲに関する記事が、安定的に上位になっているが、古今亭の代表的なこのネタ、いつかは挑戦しなければならないと思っていた。

 酒のせいもあり、途中抜かした科白もあったが、なんとかサゲまでたどり着けた。

 その後の宴会も、大いに盛り上がり、寝たのは日付変更線を越えていた。

 さて、二日目も、なかなか充実した日になったが、それは次の記事にて。

 なお、テニス合宿や大学の同期との旅行の宴会で披露した落語のネタは今回の二席を含め、こうなった。

 『道灌』・『金明竹』・『寿限無』・『牛ほめ』・『替り目』・『小言念仏』・
 『千早ふる』・『代書屋』・『高砂や』・『居酒屋』・『うどん屋』・『雑排』・
 『厩火事』・『買い物ブギ』・『看板のピン』・『天災』・『目黒のさんま』・
 『紙入れ』・『元犬』・『持参金』・『三方一両損』・『たらちね』・『そば清』・
 『親子酒』・『藪入り』・『子ほめ』・『夜の慣用句』・『あくび指南』・
 『転失気』・『二人癖(のめる)』・『子別れ(子は鎹)』・『鈴ヶ森』・
 『野ざらし』・『井戸の茶碗』・『真田小僧』・『人形買い』・『抜け雀』

 次のネタ選びのハードルが、だんだん上がってくるなぁ。

# by kogotokoubei | 2019-05-12 18:54 | 小さな旅ー2019年5月、テニス合宿。 | Comments(2)


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『歌丸 極上人生』

 『歌丸 極上人生』は、最初は平成18年に、うなぎ書房から『極上 歌丸ばなし』として発行され、平成27年に加筆・修正の上で、祥伝社黄金文庫で再刊。
 
 前回は、昭和49年1月31日、歌丸三十八歳の時に、家の近くの三吉演芸場で初の独演会を開催した、とご紹介した。

 では、どのようなネタに挑戦したのか。

 独演会をやるんだったら、古典で行こうと思いました。というのは、うちの師匠の米丸、圓歌(三代目)、金馬(四代目)、柳昇、それに三平(初代)、この五人グループが、月に一回、東宝名人会の昼席で「創作落語会」をやってました。ずーっと、だいぶ長いこと続けてましたね。それでみんな、えらい苦しんでたんですよ。誰か噺を作ってくれる人がいればいいけど、いないから自分で作るんですが、毎月一本新作を作っていくってのは、大変ですからね。
 そういう話を聞いてますから、自分で独演会をやるについては、新作だったらとても保たない、それなら古典だ、今輔師匠から、新作やるにしてもまず古典が土台だって言われて教わっているんだから、古典でやってみようと思ったのが、三吉の始まりなんです。

 なるほど、古典で独演会は、そういう理由だったんだ。
 
 この「創作落語会」、Wikipediaで調べてみた。
 芸術祭奨励賞を授賞した時の演目を引用する。
Wikipedia「創作落語会」

1963年11月30日の第14回創作落語会公演は、団体として以下のプログラムで芸術祭に参加した。
「表彰状」(作:大野桂)演:三遊亭小金馬
「遺言」(作:正岡容)演:三遊亭歌奴
「賢明な女性たち」(作:星新一)演:桂米丸
「一文笛」(作:中川清)演:3代目桂米朝
「義理固い男」(作:玉川一郎)演:春風亭柳昇
「時の氏神」(作:粕谷泰三)演:三遊亭圓右
「笑の表情」(作:はかま満緒)演:林家三平
特別出演:5代目古今亭志ん生
(中川清は米朝の本名である)
その結果、昭和38年度(第18回)の芸術祭奨励賞を受賞することとなった。
 あら、米朝の『一文笛』が入っている。
 作者の顔ぶれも、結構、凄い。

 歌丸の独演会のことに戻る。
 
 第一回の出し物が、『火焔太鼓』と『紺屋高尾』でした。『火焔太鼓』は、志ん朝さんにお断りしてやらしていただいて、『紺屋高尾』は、圓楽さんからもらってやりました。二席ともネタおろし(初演)です。

 最初に、ネタおろしでこの二席とは、凄い。

 例外的な年もあったが、平成16年の満30周年まで、ほぼ年五回、毎回二席ずつ続いた、三吉演芸場の歌丸独演会。
 その平成16年からは、歌丸一門会と名を変え、歌丸はトリの一席を演じるようになる。

 それから十年のあいだがんばりましたが、体がこんなですから、平成26年10月31日の第194回で終わりにしました。最終回はこういうわけでとお詫びをして、一門全員揃えて、最後に挨拶をし、それでお別れしました。やめないでくれって随分言われたんですけど、もう責任が持てないから、何かのときには呼んでくだされば、とは言いましたがね・・・・・・。
 最後の演目は『紙入れ』にしました。『紙入れ』は色っぽい噺であり、お別れのときにあんまりお涙ものをやりたくありません、自分が危なくなってきますのでね。
 初めのうちは、まだあたしの弟子はいませんから、米助さんとか、今の夢太朗さんとかに頼んだり、前座さんも、よその師匠のとこへ新しく入ってきた人に、二つ目になるまで、勉強のために出てくれないかって言って、出てもらいました。

 私が、この三吉演芸場の独演会の存在を知ったのは、つい数年前。
 その時には、まったく食指が動かなかった。
 聴かず嫌いだった・・・・・・。

 この独演会で披露し、その後、他の噺家さんに伝わったあるネタの逸話が明かされている。

 演目表を見ると、第二十回に『おすわどん』が出てますね。あれは、何か覚えなきゃならないって、昔の本を見てたら『おすわどん』があって、サゲに惚れ込んだんです。「そば粉を身代わりとっていかがいたす」「どうぞお手打ちになさいまし」という、あのサゲを言いたかったんです。だけど、前半があんまりにも陰惨なんでね、なんとか変えられないかと思って、『三年目』みたいにしてやってみたんですね。それで、あるとき、圓楽さんと一緒に、名古屋の放送局で録音があって、行ったときに、あたしがこの『おすわどん』をやったら、圓楽さんが聞いて、「歌さん、あれ、いいから、俺にくれよ」ってますからね、「いいですよ」って言って、それで『城木屋』と取りかえっこしたんです。

 へぇ、そうだったんだ。

 『おすわどん』は、三年前の5月上席の末広亭で、板付きで登場したご本人の高座で聴いたし、柳家小満んで同じ2016年の3月、関内ホールで聴いている。

 『城木屋』も、四年前の5月上席の末広亭で、板付きだった歌丸で聴いたし、これまた、小満んの会でも聴いている。

 末広亭で聴いた高座、四年前も三年前も、夜は真打昇進披露興行で、昼の部を歌丸が主任、という構成。あえて、客寄せパンダを自ら務めた、ということだろう。

 先日、4月29日の末広亭も大入りだったが、私が体験した、歌丸が昼のトリを務めた末広亭は、もっと凄い入りだったことを思い出す。

 もちろん、テレビの人気による効果も大きかったとは思う。

 しかし、桂歌丸という噺家さんが、決して、テレビの人気者で終わらなかったのは、紹介したような、三十台で始めた三吉演芸場での独演会で積み上げた古典のたくわえが、噺家としての強固な土台づくりとなったからだと思う。

 次回は、圓朝ものへの挑戦の経緯などについてご紹介するつもり。


# by kogotokoubei | 2019-05-09 21:27 | 落語の本 | Comments(0)

 この本の紹介の前に、私が、長い間聴かず嫌いだった桂歌丸という噺家さんに驚かされた高座のこと。

 2012年4月国立演芸場中席の『双蝶々 雪の子別れ』について、こう書いていた。
2012年4月14日のブログ

桂歌丸『双蝶々 雪の子別れ』 (48分)
 どう言えばいいのだろう。なぜ今までこの人を聞かず嫌いでいたのかを、今は反省している。音源なら何と言っても円生になるが、最近は五街道雲助一門が、『長屋』~『定吉殺し』~『権九郎殺し』~『雪の子別れ』の通しで演じるなど、新たな試みもあって決して過去の噺ではなくなったが、歌丸の円朝もの(このネタは円朝作ではないという説もあるが)への取り組みは年季が入っているようだ。
 談志と同じ昭和11年生まれ今年76歳の歌丸の口跡ははっきりしているし、地の部分と登場人物が語る部分も流れるように展開されていく。たしかに、白酒が一門の会の楽屋ネタとして、この噺は病気の老人の噺でつまらない、という会話があったと言っていたが、本来『双蝶々』と言えば、この噺。終盤、雪に見立てた紙吹雪の演出と三味線も程よく効果的。この高座に出会えただけでもこの中席は満足である。もちろん、今年のマイベスト十席候補とする。


 終演後に玄関脇で一服していて思ったのが、下座さんの素晴らしさ。唄わないうめ吉の踊りに三味線と唄をつけ、歌丸の高座でも効果的な鳴物。出囃子はもちろん、曲芸でもその三味線が一味違っていた印象。

 歌丸会長の高座を見て、芸協の若手、中堅、そしてベテラン陣も何か考えることがあるはず。十日間通しの『雪の子別れ』、実は客のためだけに歌丸が演じているのではないのではないか、そんな気がした。

 補足すると、この日、うめ吉は風邪で喉の調子が悪く、踊りだけ6分の出番だった。

 この高座、結果としてはその年のマイベスト十席には選ばなかったものの、今でも強く印象に残っている。

 圓朝作品を手掛けるより前、テレビの人気者になった頃ではあったが、歌丸は噺家としての土台づくりとなったであろう独演会を開いていた。

 では、ようやく本の内容から。

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『歌丸 極上人生』

 『歌丸 極上人生』は、最初は平成18年に、うなぎ書房から『極上 歌丸ばなし』として発行され、平成27年に加筆・修正の上で、祥伝社黄金文庫で再刊。

 山本進さんの聞き書きが元となっている。

 第一回目は、三十歳台で始めた会のこと。

 あたしの住んでいる横浜の真金町のすぐ近く、中村川にかかっている三吉橋のたもとに三吉演芸場という、小劇場があります。昭和五年に開場したという建物が、戦災をのがれて、主に大衆演劇をかけていました。うちが近いもんですから、あたしも昔からときどき見に行ったこともあります。本田さんという方が持ち主なんですが、戦後長い間、別の興行主に貸していたんだそうです。それが立ちゆかなくなって、小屋が返ってきたのが昭和四十八年。それじゃァひとつ、自分たちでやってみゆかというんで、すっかり改装して再開場した、お披露目のパーティーがりまして、あたしも呼ばれました。
 そのときに、近所に住んでいるんだから、月の三十一日あたりを借りて、こういうところで独演会をやってみたいって、あたしのほうから言い出したのが、ことの始まりなんです。そしたら、本田さんのほうも、ぜひやってほしい、じゃァやりましょうって、急に話が決まって、翌年(昭和四十九年)の一月三十一日に第一回をやりました。

 前身の「金曜夜席」が、昭和40年(1965)年3月12日から昭和41(1966)年4月22日まで第2・第4金曜日の22時30分から放送され、その後、日曜夕方に「笑点」としてスタートしたのが昭和41(1966)年の5月15日。
 だから、三吉演芸場での独演会を始めた時は、約八年の月日が経っていた。

 その前は、独演会ってものはやった覚えは、あんまりありません。そのころあっとこっちで、いろんな人が独演会をやっていました。圓楽さんは、かなり前から上野の鈴本でやってましたし、談志さんが「ひとり会」ってのをやってました。確か小三治さん、志ん朝さんもやっていたと思います。だからあたしも独演会ってものを持ちたいなと、真打になってしばらくしてから、そういう気はありました。やっぱり、独演会をやらなきゃ噺は増えないと思いましてね。苦しまなきゃ増えない。そりゃ楽をしようと思えば勉強しないですむんですよ。でも、それきゃァ噺家になった意味がないと思ったんです。
 昭和四十九年、三十八歳での独演会の幕開け。

 その独演会で、どんなネタを披露していたのか、などは次回。

# by kogotokoubei | 2019-05-08 12:36 | 落語の本 | Comments(0)
 先月行った末広亭のプログラムから。
 
 四代目圓歌の襲名パーティー(3月5日 帝国ホテル)では三遊亭金馬師匠が手締めの音頭をとった。3月で満90歳。NHK「お笑い三人組」の江戸家猫八(三代目)は01年に80歳で、一龍斎貞鳳(今泉良夫)は16年12月に90歳で亡くなっている。

 芸協は大正十四年生まれの米丸が最高齢。
 落語協会では、金馬だ。

 NHKの「お笑い三人組」の印象が強過ぎて、落語家としてのイメージがあまりないのだが、何度か高座を拝見している。

 しかし、若い頃の落語家としての姿は知らない。
 
 そんな時代の金馬の奮闘ぶりが、ある本に書かれていたので紹介したい。

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大西信行著『落語無頼語録』

 それは、大西信行さんの『落語無頼語録』。
 何度か紹介している本だが、昭和48年に「話の特集」に連載され、昭和49年に芸術生活者から単行本として発行されたものだ。
 ちなみに、この単行本のAmazonのレビュー(一件)は、私が書いたもの。
 なお、昭和51年には、角川文庫で再刊されている。
 
 本書「じり脚の・・・・・・金馬」から、引用。

 十年続いた『お笑い三人組』が終了して、幸か不幸かテレビの演芸番組も一時ほどのもてはやされ方はしなくなっていた。金馬も落語家金馬としての自分をつくり上げようと覚悟をしなければならなかった。「金馬いななく会」という勉強会をつくった。先代金馬の家の電話番号が1779番でイナナクと読ませていたことによるものだろう。現在もコツコツと会を続けていて、送られて来るハガキに刷られた金馬の演題の意欲がうかがわれて、聴きたいなァと思って予定は空けるのだが、なぜかその都度こちらの仕事とぶつかる羽目になって聴けないでいる。
 そのために金馬の芸がどれほどのモノに成長したかをぼくは知らず、『三人組』の印象から落語は下手だという世間の噂を鵜のみにはしないまでも、滑稽ばなしにのみ力を発揮できる人だと思い込んでいた。

 金馬は昭和4(1929)年3月19日生まれ、『お笑い三人組』の終了が昭和41(1966)年3月なので、終了時は、満三十七歳。

 独演会で“いななき”始めて数年後のこと。

 昭和四十五年、芸術祭参加の三越劇場での「精選落語会」のプログラムになにか書くようにと頼まれた。それを引きうけるについて出演者と演題をきくと、その中に三遊亭金馬の名がって、演題は『淀五郎』ということだった。
 ぼくは金馬に電話をした。
 芸術祭というものに対する批評は別にして、参加する以上は受賞するつもりで参加してほしい。受賞に価する得意に演(だ)しもので参加すべきではないのかという電話だった。
「いけませんかねェ、『淀五郎』じゃ・・・・・・」
 と、金馬は電話の向うで当惑げに言った。
「自分の会でやってみて、評判もネ、意外とよかったんですがね」
「まあ、それならそれでいいけど・・・・・・」
 と、こっちも金馬の『淀五郎』を自分で聞いていない弱味で、あいまいな言い方になる。
「今年はともかく、来年度はハッキリ受賞に狙いをつけてやるように、頼むよ」
 と、わかったようなわからないような、まことに煮えきらない調子で言って、電話を切った。
 ところが皮肉にもこれが芸術祭優秀賞を受賞してしまったのだから、こっちの面目はまる潰れだ。面目は潰れたが金馬が人情ばなしの『淀五郎』で賞を受けるまでのはなし家に成長しおおせたということは、ぼくにとってもまことに嬉しいことだった。ぼくはまた金馬に電話して、心からおめでとうと言った。
 
 四十一歳で、『淀五郎』で芸術祭の優秀賞を受賞していたのだ。
 そして、二年後には『品川心中-通し-』で、あらためて芸術祭に挑んだ。
 その演出において、大西さんがプログラムに書いた助言を活かし、審査員の永井啓夫さんが褒める高座だったが、以前受賞しているということで、授賞は見送られた。
 『お笑い三人組』で目立ち過ぎる場に十年もいたかれが、それからの七年間、こんどは目立たない場所でコツコツと努力を積みかさねて来て、いつの間にかそういう落語家になったのだろう。そのことに敬意を表したいと思う。

 この金馬の独演会のことを知り、私は桂歌丸が、すでに「笑点」が始まってテレビの人気者だった頃に始めた、三吉演芸場の独演会のことを思い浮かべた。
 昭和49年の一月が第一回なので、三十八歳で始めた独演会。
 ほぼ隔月での開催だったが、古典のみでほぼネタおろしの会と言ってよく、後に圓朝ものを手がける前の、噺家としての土台づくりができた独演会と言ってよいと思う。

 あらためて、金馬。

 中堅と言える頃、テレビタレントではなく、落語家として成長すべく“いなない”ていた時代があることは、私も含め、その時代の生の高座を知らない落語愛好家にとっては、覚えておいて良いことだと思う。

 なんとか、高座での元気な姿に、今後も出会いたいと思っている。

# by kogotokoubei | 2019-05-05 19:36 | 落語家 | Comments(8)
 四月の記事別アクセスランキングは、次の通りだった。

1.「万引き家族」における、樹木希林さんのアドリブのことなど。(2018年9月19日)
2.落語協会、来春の四代目圓歌襲名と、来秋の真打昇進について。(2018年11月14日)
3.今から140年前、なぜ明治政府は改暦を急いだのか。(2013年1月14日)
4.昇太の“四派統合”の野望・・・・・・ありえない。(2019年4月8日)
5.志ん生は、本当に圓喬の弟子だったのか・・・・・・。(2019年4月4日)
6.『抜け雀』のサゲ-『米朝らくごの舞台裏』『落語鑑賞201』などより。(2015年5月15日)
7.あらためて、小痴楽の単独真打昇進のこと、など。(2018年12月30日)
8.健さんが愛した歌、「ミスター・ボージャングル」についての補足。(2014年11月25日)
9.『正蔵一代』より(3)ー旅で出会った、志ん生の思い出。2018年3月28日
10.『富久』(2008年12月25日)


 1位の「万引き家族」に関する記事は、アクセス数が約800あった。理由はよく分からないが、四月に本が文庫化されたからかもしれない。

 2位は、落語協会の今開催中の四代目圓歌襲名披露と今秋の真打昇進について昨年書いた記事。

 3位は、最近安定してアクセスのある明治の改暦の件。

 4位は、落語芸術協会の新会長就任予定の昇太に関するある記事について書いたもの。

 5位、9位は志ん生関連。最初の師匠のことなど、「いだてん」で描かれる姿とは違う、事実に近いと思われる志ん生を伝えたいという思いは、今も強い。また、何か書くつもり。
 10位の『富久』の記事へのアクセス増、「いだてん」の影響だろう。

 6位もネタの記事だが、こちらも安定的にアクセスがある。

 7位は、この秋が楽しみな小痴楽の単独真打昇進の記事。

 8位も、なぜかアクセスの多い、高倉健さん関連のもの。


 先日四月二十九日に末広亭での居続けをした。
 居残り仲間のIさんは、翌三十日に昼の部の仲入りから夜の部のトリまで居続けをされたとのこと。昼の段階で札止めになったらしい。雨の日だったにもかかわらず。
 若いお客さんが多かったとのことだが、それは前の日も同様。

 祝日だから、とだけは言えないと思った。
 落語のお客さんの増加、それも若い方が増えていることを感じる。女性も多い。

 噺家さんのネタ選びも、微妙に影響を受けているかもしれない。
 ちなみに、喬太郎は三十日も新作だったらしい。

 令和の落語ブームが、落語界の活性化につながることを期待する。

 さて、圓歌の披露目は先月までに定席四つが終了し、中休み。
 今月の国立中席が締めの興行となるが、なんとか駆けつけるつもりだ。
# by kogotokoubei | 2019-05-03 09:18 | アクセスランキング | Comments(0)
 平成三十一年四月二十九日、「昭和の日」の末広亭夜の部。

 昼の部からの居続けの方は、二割ほどいらっしゃったような気がするが、大半は仲入り前後のご入場と察する。昼の開口一番からは、たぶん私だけだろう。

 二階は空いたままの大入り。
 主任喬太郎の動員力かな。

 開口一番から順に感想などを記す。

柳家小はだ『饅頭こわい』 (10分 16:45~)
 昼の部の門朗より時間をもらえてネタができた。
 犬好きとしては、猫はともかく、魚屋のポチは食べさせないで欲しい^^
 昨年二月、仏教伝道センターでの三田落語会昼の部での『道灌』以来だが、はん治の弟子は兄弟子小はぜもこの人も、しっかりとした高座を聴かせてくれる。
 また、若いうちは古典を学べ、という師匠の教えがあるような気もする。兄弟子同様、この人も将来が楽しみだ。

柳家小んぶ『幇間腹』 (11分)
 一八のギャグが楽しかった。
 ゴーやのマラソン->苦味走る、カルキが入って->水臭い、など。
 サゲの「今打ったばかりなのに、もうこりました」は、初めて聞くかもしれない。

ホームラン 漫才 (10分)
 ニックスの代演がこの人たちで、得した気分。
 教会での結婚式ネタ、何度聞いても笑える。
 
蜃気楼龍玉『たらちね』 (15分)
 昼の部以降、泥棒ネタが出ていないので、得意の『夏どろ』でも演ってくれるか、と思ったら意外なこの噺。大家が八五郎に、「足入れは仮祝言、腰入れは本祝言」と教える。私も勉強になった^^
 標準的な型と、少し構成が違っており、時間の都合もあるのか八五郎は湯に行かない。また、布団を上げて、そこにたくさんキノコがある、なんてぇのを挟む。
 若手の注目株、もちろん、悪かろうはずのない高座。とはいえ、泥棒ネタのほうが、相性は良さそうに思うなぁ。

柳家喬之助『宮戸川』 (14分)
 マクラで、協会のサイトが、誰かが亡くなるとサーバーが落ちる、などをふくめWebのことをふって、サゲの仕込み。
 霊岸島のおじさんの名が、飲み込みの「久太」としてあった。名前を聞いたのは、初めてかもしれない。
 若手から中堅への過渡期にあると言えるかもしれない。
 元気で清潔感のある噺家さん、というイメージから、良い意味での渋味が少し増してきたような気がする。

林家二楽 紙切り (14分)
 二楽には申し訳ないが、喫煙タイムにさせてもらった。

三遊亭萬窓『ぞろぞろ』 (14分)
 この人が出てくると、なぜか、ホッとする。
 優しさ、温かさを醸し出す噺家さんだ。
 また、噺もしっかりしているし、ネタそのものの楽しさだけで、無駄なクスグリなど挟まずに笑わせてくれる。
 なかなか、こういう人、いないんだよねぇ。

柳家小ゑん『フィッ』 (15分)
 昨年、六月の池袋でも聴いた噺だが、このネタは、この日の若いお客さんの多い客席のほうが合っていたし、笑いも多かった。
 圓丈作のようだが、すでに自分のものになっているように思う。

柳家小菊 俗曲 (12分)
 カエル-ミミズ-ナメクジの三部作に、客席が沸く。
 この日は、初寄席と思しきお客さんの反応が、なかなか良かった。
 ♪お酒一樽千両しよっとままよ 主の寝酒は絶やしゃせぬ
 連れ合いに聞かせたい都々逸だが、怖くてとても聞かせられない。

吉原朝馬『松山鏡』 (15分)
 萬窓とは対照的な高座。
 今風のクスグリ、たとえばAKBやエグザイルなどをふんだんに挟むのだが、私はあれだけいじる必要は感じない。無理が、あるように思う。
 どうも、この人とは相性が悪い。
 
柳家小袁治『堪忍袋』 (18分)
 仲入りは、この人。
 マクラで、自分は秋葉原の電気屋の倅で、小ゑんとは違う、と笑わせる。
 磁気ネックレスの効果はイライラしないこと、と本編に相応しいネタをふったには、流石。
 朝馬のように無理に笑わせようというクスグリなどもないが、充分にこの噺の楽しさを味合わせてくれて、休憩。

 一服。
 
鈴々舎馬るこ『大安売り』 (13分)
 マクラの松平健ネタが可笑しかった。
 みんなにご馳走して、領収書の宛名は「上様」だって^^
 この噺のクスグリの工夫は、楽しめた。
 元銀行員の相撲取りに負けた決め技が、引き落とし。元居酒屋は、突き出し、なんてぇのは気が利いている。
 以前、この人の高座には、無理に笑わせようとする姿勢を感じていたが、次第に印象が良くなってきた。
 さすがNHKの大賞受賞者と、今は思う。今後楽しみな若手の一人になった。

ロケット団 漫才 (11分)
 今、落語協会の漫才では、もっとも乗っている二人かもしれない。
 会話のリズム、スピード感が良い。
 ネタも年齢を問わず笑わせるだけのものだし、旬の時事ネタを取り入れるのも早い。満員の客席の温度は、確実に上昇した。

柳亭左龍『英会話』 (12分)
 柳家金語楼作で、当代では古今亭寿輔が十八番としている。
 落語協会ではこの人で二度目だが、他の噺家さんでは聴いたことがない。
 子供が英語を習いたいということで、家族の会話をすべて英語でしよう、ということからのお笑い。お母さんが「ママ」なら、お父さんは「マスター」は、今でも笑える。子供から「犬は?」と聞かれ父親が「ドッグ」、「猫は?」で「キャット」・・・「河童は?」で答えられないので子供が「レインコート」なんてぇやりとりには、『真田小僧』的な味もある。
 
橘家圓太郎『浮世床ー本ー』 (11分)
 源ちゃんが本を読もうと苦悶する姿が、なんとも可笑しい。
 こういう噺の楽しさは、実際に生で見ないと分からない。
 文蔵の代演として、しっかし膝前の役割を務めたのは、当然とはいえ、流石。

翁家勝丸 太神楽 (9分)
 花籠、お手玉、傘の芸を一人でこの時間でこなし、語りで笑いをしっかり取る。
 膝を任せられるだけの実力者と再確認。

柳家喬太郎『任侠流山動物園』 (26分 *~20:59)
 この噺、三遊亭白鳥の平成の新作の傑作だと思う。
 喬太郎では、五年前の浅草で聴いて感心したが、この日の高座も実に良かった。
 浅草の時の記事と重複するが、筋書きなども含めあらためて。
 象のまさお(政五郎)、鶏のチャボ子、牛の牛太郎、豚の豚次の4頭しかいない千葉の流山動物園は、人気のまさおが病気ということもあり、客が少なく大ピンチ。この日もお爺さんと孫の二人しか来場者なし。しかし、平均来場者数1.8なので、二人なら平均以上^^
 この経営の危機を切り抜けるべく、豚次は昔世話になったパンダの親分パン太郎に会いに、常磐自動車道をひたすら走って、上野動物園に行く。人気者のパン太郎親分に流山まで来て欲しいと頼むのだが、親分は逆に舎弟である「虎」夫に豚次の尻の肉を喰わせる始末。命からがらなんとか流山に戻った豚次や仲間が、さてどんな策をもって危機を救うのか・・・・・・。
 喬太郎が、細かな芸として「豚次のときは、手を蹄にしている」と親指と人差し指をつけ、残りの指もつけて蹄のようにしているのを披露したが、たしかに、登場するそれぞれの動物を表現するための技が求められる。
 『動物園』という噺では、ライオンと虎(ほぼ同じ所作)を演じるわけだが、この噺は、豚・鶏・牛・象・パンダ・虎の五匹分を演じ分ける必要がある。
 喬太郎は、いかにも楽しそうに演じて、途中でお約束のように「こんなことをするために、さん喬の弟子になったんじゃない!」などと挟んで、若い方の多い会場は大爆笑。
 動物を真似るのみならず、豚次とパン太郎との緊迫したやりとり、豚次と園長との心温まる関係、そして、象の政五郎登場場面など、いくつか聴かせどころがあり、それらをしっかりと演じなければ、噺としての骨格が固まらない。
 さまざまな技能やセンスが試される噺でもあり、三三もこの噺を演じるのは、挑戦しがいのある噺と評価しているからだと思う。
 喬太郎が、作者白鳥の傑作を、しっかり自分のものにした高座、今年のマイベスト十席候補とする。

 
 さて、九時間居続けの、平成に出かけた「昭和の日」の寄席の令和の記事は、これにてお開き。

# by kogotokoubei | 2019-05-02 10:18 | 寄席・落語会 | Comments(4)

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by 小言幸兵衛