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噺の話

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「パラサイト 半地下の家族」公式サイト



 映画「パラサイト 半地下の家族」の感想、三回目。

 構成や演出といった監督の手腕による、この映画の魅力について。

 ---まさに、ネタバレになるので、ご注意のほどを---

(1)コメディ/コン・ゲーム/ミステリー/ホラーの全てを味わえる魅力
 前半は、キム一家が、パク一家に寄生(パラサイト)するプロセスをコミカルに描く、良質のコメディの楽しさがある。
 もっと言えば、キム一家が、一人づつ偽装してパク一家に寄生していくプロセスは、コン・ゲームとしての楽しさがある。ジェフリー・アーチャーの「百万ドルを取り返せ!」を彷彿とさせる、騙しの手口を見るワクワク感があった。
 寄生する順番で書くと、キム家の長男ギウは、名門ソウル大学の学生として、妹ギジョンが作った偽の大学合格証を持って、パク家を訪ねた。
 妹は、アメリカで美術を学んだと偽りパク家を訪問。パク家の長男ダソンの絵を観て、彼には心の病があると指摘し、ネットで知った美術による診療が必要と母親を説得。その際、これは偶然としか思われないが、ダソンに小学一年生のとき、何かトラウマになる事件があった、と言い、母親は驚き、ギジョンにすっかり騙される。
 そして、ギジョンは、女好きと思われるパク家の運転手にベンツで送ってもらう途中で、なんと下着を脱ぎ後部座席に捨てる仕掛けを施す。見事に、この下着をパク家の主人が発見し、妻と相談して穏便に運転手を辞めさせる。
 まんまと策略が功を奏して、ギジョンは、親戚の金持ちの運転手をしていたと偽り、父ギテクを紹介。
 ギテクがギウと一緒にベンツのディーラーへ行って試乗しながら構造を覚えるなんて姿も、なかなか可笑しかったなぁ。
 さて、最後は、家政婦への攻撃だ。
 なぜか子供たちが好きな桃を出さないのは、桃アレルギーと知り、家政婦ムングァンへの桃作戦を開始。
 ムングァンが病院に行く様子をスマホで取ったギテク。その映像をパク家の母ヨンギョに見せて、「実は、ムングァンは結核だ」と告げる。ムングァン、理由もなく解雇。目出度くキム家の母、チュンスクが、新しい家政婦となって、キム一家四人全員の寄生が完成。
 この前半のコン・ゲーム的なコメディで、大いに笑った。

 そして、パク一家が、息子の誕生日は外で祝うという恒例行事のためキャンプに出かけた、雨の夜。
 コメディーは元家政婦ムングァンの訪問から、いきなりミステリータッチになり、地下の存在が明かされてからは、ホラーの色彩を強く帯びてくる。

 こんな、ごった煮的な、お腹いっぱいの映画だから、人によっては、その展開についていけないかもしれない。しかし、このリズムに乗れたら、これほど楽しい映画もないだろう。

(2)“外し”の巧みさー予定調和ではない魅力
 次に構成、演出上での魅力を挙げるなら、観客の思いを、見事に裏切ってくれることだろう。
 たとえば、あの雨の夜、見る者は、次第に勢いを増す雨から、「おい、パク家が帰ってくるんじゃないか、大丈夫か?」という不安を抱いて当然。そこに、チャイムの音だ。「ほーら、帰ってきた!」と思ったら、ドアチャイムの映像には、あのムングァンが、雨に濡れ、情けない様子で写っているではないか。
 なんとも、巧い、外し方。
 そして、地下の秘密が明かされ、つい、隠れそこなったキム家とムングァン夫婦との、壮絶な戦いとなる。その様子につい見入っているところへ、電話。
 パク家が、あと8分で家に着く、とのこと。着くまでにジャージャー・ラーメンを作ってくれ、と家政婦となったチュウスクに注文。
 母はジャージャー・ラーメン作りを急ぎ、他の三人は、地下を片付け、また、宴の後を片付け・・・という中で、パク一家のご帰還。
 まだ、見られたくない場所が、あちらこちらに。このあたり、「見つかったら、どうなる?!」と観客への不安の与え方も、巧いのだ。
 外し方の魅力は、最後の方にもある。
 それは、キク家の長男ギウが、金持ちになって、父が地下に隠れたままの元パク一家の家を買う、という夢の映像。これ、空想の映像と分った人もいるかもしれないが、私は騙された^^
 「えっ、もうそんなに金持ちになっちゃったの?」と思っていたら、残念でした、となるわけだ。
 なんとも、見事な外し具合であろうか。

(3)セットの魅力
 あの半地下の家も、高台の豪邸も、セットと知って驚いた。
 プロダクション・デザイナーのイ・ハジュンが、監督ポン・ジュノの難しい注文に応え、半地下は、そのかび臭い臭いもしそうな空間に仕立て、高台の豪邸は、一階のみ200坪という、誰もが羨む豪邸に作り上げた。
 半地下の家の周辺には、農薬を撒く前に、ハエやゴキブリも撒かれていた^^
 この細部までの入念な作り込みは、「万引き家族」で是枝監督がこしらえたあの家のことを思い出させる。しかし、ポン・ジュノ監督とイ・ハジュンの方が、スケールは大きい。
 アカデミー賞美術賞の方が、作品賞より受賞確率が高いのではなかろうか。
 それだけの魅力が、あのセットにはあった。


 ということで、映画「パラサイト 半地下の家族」の魅力についての記事、これにてお開き。

 アカデミー賞ノミネート作品、もう一本くらいは観ておきたいものだ。

# by kogotokoubei | 2020-01-24 08:57 | 映画など | Comments(2)
 居残り忘年会で新年会の日程と場所が決まっていたので、休みをとって落語も楽しもうと思っていた。
 ネットで調べたらちょうど立川流の落語会があり、この日は談四楼の仲入り、そして、まだ聴いたことのない土橋亭里う馬が主任と知って、メールで席を予約していた。

 ほぼ一年ぶりに、お江戸日本橋亭へ。

 地下鉄三越前の駅の地下は、とにかく広い。

 半蔵門線を降りて、出口10番まで、結構歩くのだよ。

 開演20分ほど前に到着。

 名前を告げ、前売りの木戸銭1,500円を払い入場。

 お客さんは、ちらほら、という感じで、最終的な人数も20人ほどだったかな。

 この会場は、ほぼ一年前の、立川左談次を偲ぶ落語会以来。

 手違いで90人で打ち切るつもりが120人受け付けてしまったため、追加のパイプ椅子も含めぎっしり満席だったことと対象的だ。
2019年2月13日のブログ

 出演順に、感想などを記す。

立川花修『つる』 (14分 *13:00~)
 開口一番は、女流で初めてのこの人。談修の弟子とのこと。
 後で調べると、昨年春の入門。
 『道灌』のマクラで、この噺に転じたが、なぜそうしたかが、よく分からない。
 立川流なら『道灌』で良いだろうに。前座とはいえ、言い間違い、言い直しが多すぎて閉口した。
 北海道出身で応援したいとは思うのだが、間違いなく、私の方がうまい。
 談修なら、しっかり稽古してくれそうなものだが・・・・・・。

立川縄四楼『たらちね』 (24分)
 本来は、笑二のはずだが「来ていません・・・・・・」とのことで、談四楼の弟子の前座が代役。笑二との共通点は同じ沖縄出身とのこと。
「前座が二人続いて、申し訳ありません」とこの噺になったが、同じ前座とはいえ、こっちは三年目なので、私の方が上、とは言い切れない味もある。
 「きゃうとで、京都・・・勉強になります」なんて科白も、どことなく可笑しい。
 前座の南北対決は、南の勝ち・・・とはいえ、笑二はどうした^^
 
立川小談志『悋気の独楽』 (18分)
 2017年の5月、どうしても談四楼が聴きたくなり、日曜のテニスを休んで駆けつけた国立で『お菊の皿』を聴いて以来。
2017年5月29日のブログ
 前座がまとめて首になった時の被害者(?)の一人で、現在は龍志門下。
 前の名は、泉水亭錦魚。
 今回も、三人目で、やっと真っ当な落語を聴けたのが、この人、という感じ。
 たとえば、この噺は古今亭菊志んの高座が好きだが、それほどは、弾けない。しかし、古典の本来の可笑しさを、無駄なくすぐり挟まず聴かせてくれる高座は、好感が持てる。

立川談四楼『柳田格之進』 (30分)
 仲入りは、お目当てのこの人。
 マクラなしで、「彦根の城主井伊氏のご家来で~」と本編へ。
 格之進が、潔癖過ぎる性格が災いして藩を追われた上司とのやりとりを少し挟んで、舞台は江戸へ。
 格之進が、手習いの塾を開いていたが、子供にも手加減せず厳しい指導をするため、塾生が一人減り二人減り、結局塾をたたむことになった、という話は、初めて聞いたと思う。なるほど、ありえる設定だ。
 碁会所の主人も、格之進の塾に通った近所の子供が、しっかり挨拶ができるようになったことに感謝し、万屋の主人を紹介する、とつながっていった。
 格之進と万屋の交流が深まり、そして、あの月見の夜に。
 侍の凛々しさ、万屋の大店の主人としての恰幅、談四楼には、どちらもニンで、聴いていて、品格を感じさせる。
 しかし、この人、女性を描いても上手いのだ。
 2017年5月国立での『人情八百屋』でも、平助夫婦の会話において、女房の優しさと内に秘めた強さがしっかり伝わったのが印象的だったが、この噺においても、格之進の娘いとの健気さが伝わり、実に良かった。
 達者な噺家は、その見た目が坊主頭であろうが、いったん若い女性を演じると、そこに十代の娘の像が浮かんでくるのだ。
 最後、碁盤を真っ二つにした格之進が、散らばった黒(那智黒)と白(日向蛤)の碁石を万屋に指して、「見ろ、二人の勝負、シロクロがついた」でサゲ。
 構成として特徴的なのは、娘は客をとる前に吉原から救い出すことができたが、なにも口にせずやせ衰えていくばかり。
 万屋と番頭徳兵衛を前に、刀を振り下ろそうとする格之進が、五十両作ったいきさつを明かし、この娘のことにふれての科白で、客席も水を打ったようになった。
 湯島切通しでの格之進と徳兵衛の会話を、茶店には行かず、石段でのすれ違いでのやりとりにするなどは、時間を詰める工夫だろう。
 そうそう、切通しで格之進が乗っていた駕籠が、あんぽつと言うとの説明は、初めて聞けたように思う。談四楼、丁寧なのだよ、意外と。
 とても、30分だったとは思えない、重厚な高座。昨年唸らされた、むかし家今松とは、また別な味わいのあるもので、今年のマイベスト十席候補としたい。

 外で一服し、さて、後半。

立川吉笑『親子酒』 (21分)
 高座は初だが、NHKの「落語ディーパー!」で、出演者としての姿は観た。
 あぁ、あの番組のあの落語好きの男優、昨日あたりから、ネットで名が飛び交っているねぇ。
 さて、この高座。
 マクラで、2018年5月から禁酒していると語る。理由は、話さなかった。
 年末年始は、酒の席が多く、本来は好きなので、ノンアルコールで我慢するのが辛い。ほとんど、覚醒剤中毒者と同じ、と笑わせる。
 五~六年後にあるだろう真打昇進披露パーティーで、自ら乾杯の音頭をとって飲むことを夢見ているらしい。
 少し長めのマクラだったが、ネタにふさわしいし、結構笑った。
 本編は、思ったほど独自のくすぐりを入れることもなく、父親と息子の酔っ払い方を大袈裟にするくらいで、ネタそのものの可笑しさを基本に笑わせてくれた。
 新作を期待していたが、マクラを含め、この人の潜在能力の高さを感じた、好高座。
 二ツ目を対象にする、今年の新人賞候補としたい。

立川志ら玉『六尺棒』 (14分)
 初・・・だと思う。地味~な着物の色に、包まれた、なんとも古~い感じの噺家さん。
 ネタも、地味だが、好きなお古~いオハナシ。
 最後に、踊り「ずぼらん」を披露。
 へぇ、立川流にも、こんな人がいたんだぁ、と、ちょっとした発見だった。

土橋亭里う馬『蒟蒻問答』 (38分 *~15:50)
 ようやく、立川談志の直系総領弟子の高座を聴くことができた。
 墓のことや宗派のことなどのマクラから本編へ。
 なんだろう、この重さ・・・。
 ドスの利いた声のせいもあろうが、六兵衛、八五郎、寺男、それほど声の調子が変わらない印象で、ずっと、ネタが超低音の上で流れていく感じなのだ。
 それが心地よくもあったようで、つい、ウトウトしてしまった。
 サゲ少し前で起きた。トントンとリズムよくサゲてくれた。
 達者だとは思うが、もう少し、人物のい演じ分けがあっても良いように思う。とはいえ、ネタ次第だろう。違うネタで、そのうち聴きたいものだ。

 
 さて、居残り新年会には、少し時間があったので、会場(?)の「球磨川」がある東銀座のドトールで、一服しながら本を読む。

 その本とは・・・そのうち記事にするつもり。

 六時開始なのだが、待ちきれず(^^)五時半に、球磨川へ。

 ご主人が、淡々と仕込みをしているのを観ながら、一服。お客さんがお一人来られビールを美味そうに飲んでる姿を見て、つい、私もビールで乾きを癒す。

 すぐに、七名全員集合。

 居残りセブン!

 最初に出された刺身の盛り合わせのみ、スマホで撮ったのだよ。
 拙ブログでは珍しい料理の写真。

立川流日本橋亭(昼席)と、居残り新年会 1月22日_e0337777_11210719.jpg


 その後、名物の馬刺しやら、おでんやら、美味い肴に、話も弾む。

 私とMさんが最近ガラケーからスマホに変えたこともあり、「居残り会グループライン」を作ることを提案。

 いろいろ大変なプロセスもあったが、目出度くグループラインが誕生したのであった。

 さて、熊本は美少年の熱燗徳利が、何本空いたのやら、途中から記憶も定かではないのだが、とにかく、楽しい、美味しい、居残り会でした。

 そして、ご主人と同じ古希少し上のIさんやMさんの先輩であるNさんが、居残りセブンの中で、もっとも上手にスマホを使いこなしているのに、感心したなぁ。気持ちは、一番、若いのではなかろうか。

 来週も、この七人の侍は、ある落語会で再会する約束をして別れたのが、さて何時だったものやら。

 本日は、結構、二日酔い。

 しかし、先輩方は、朝からラインで会話が始まっている^^

 皆さん、お若い!

 歌舞伎に美術館に能に狂言に落語に・・・スケジュールが一杯なのである。

 なかなか真似できないが、少しでも近づくよう、がんばりたいものだ。

# by kogotokoubei | 2020-01-23 13:47 | 寄席・落語会 | Comments(4)

「パラサイト 半地下の家族」公式サイト




 この映画の魅力について、二回目。

 前回は、貧富の差の「縦構造」が、映像として見事に描かれていることが魅力、と書いた。

 もちろん、他にもこの映画の魅力はたっぷりあって、俳優陣も極めてレベルの高い演技を披露する。

 ---ここからは、ネタバレになるので、ご注意のほどを---

 あらためて、この映画の舞台である三層構造を確認。

高 台    豪邸に住むパク一家
           |
地 上        |
           |
半地下    主人公たちキム一家
           |
           |
           |
地 下  元家政婦ムングァンが築いた世界

 
 キム一家が、この縦構造を上に行ったり、下に巻き込まれたりする映画、と言えるだろう。

 では、主役のキム一家四人について、それぞれ、もっとも私の印象に残った演技を書きたい。

 まず、半地下に住むキム一家の父、キム・ギテク役のソン・ガンホの演技。

 この人は、海外の映画賞での受賞歴もある、韓国を代表する男優だが、なるほどと思わせる演技だった。

 もちろん、笑ってしまった場面もいくつかあるが、やはり、一家が寄生(パラサイト)していた富豪一家の主人、パク・ドンイクに殺意を抱いた、あの時のあの表情が、もっとも強く印象に残った。

 それまでも、「臭い」について伏線が張られており、ギテクは、自分の臭いについて大いに気にしていた。
 そして、地下居住者で元家政婦ムングァンの夫が倒れた体の下から、ドンイクは、車のキーを、まるで汚物をつかむように持って、倒れた息子を病院に連れて行こうと歩き出す姿を見たギテク。
 余興のためインディアンの格好をしたその目に、殺意が芽生える。
 あの演技には、しびれたなぁ。

 次に、キム家の長男、ギウ役のチェ・ウシク。
 彼の演技が印象的だったのは、この映画の大きな分岐点となった場面。
 パク家で息子の美術の先生を捜しているとパクの妻ヨンギョから聞いた時、一瞬の間のあと、彼に策略が浮かんだ、あの表情だ。
 妹を従兄弟の友人と偽って、アメリカに留学して美術を学んだジェシカとして紹介することで、「寄生」の第二弾が始まる。
 もちろん、大雨の中、高台から半地下へ向う途中に、足元をじっと見つめる姿も印象に残るが、この男優さんの持ち味は、笑顔ではないかと感じた。

 次に、キム家の長女、ギジョン役のパク・ソダム。
 キム一家で、唯一亡くなってしまうので、あの惨劇の場面は、もちろん記憶に残っているのだが、禁煙のネットカフェで煙草を吸い続けながら、兄ギウのソウル大学の合格証を偽造してしまう姿も印象的だった。
 そうそう、パク家を初めて訪ねる際、玄関のチャイムを押す直前に、ギウと声を揃えて偽の自己紹介を復唱する場面には、笑った。
 また、冒頭シーンで、上の階の家のWiFiが通じる場所を探す場面などでは、中学生くらいの印象だったが、パク家で家庭教師をする場面での大人ぶった様子には、さすが女優、と感じたなぁ。
 
 さてキム一家のトリ(?)は、母親チョンソク を演じた、チャン・ヘジン 。
 元ハンマー投げのメダリストという設定の、しっかりした体形。
 パク家の家政婦となった際の変身ぶりもなかなかのものだったが、やはり、あの場面が印象に残る。それは、元家政婦ムングァンが、地下から戻ろうとした際の、あのケリの一撃だ。あれは、女と女、というかオバサンとオバサンの戦いを象徴する一撃だった。

 キム一家以外では、このオバサン同士の戦いで蹴られたムングァン役のイ・ジョンウンの演技が印象的だ。
 パク家の息子ダソンとインディアンごっこをする場面などが可笑しいが、やはり、あの雨の晩に解雇されたパク家を訪ねた場面以降、この人の演技が際立っている。
 私は、ノミネートされていないが、オスカー助演女優賞でも不思議はないと思っている。スタントを使っている場面もあろうが、体当たりの演技、というインパクトがあった。


 さて、キム一家は、パク一家に寄生するまでは、全員が失業していた。
 しかし、四人は能力がなかったり、なまけ者だったわけではない。

 たぶんに、運に見放されてきた、一家ということだろう。

 父のギテクは、さまざなま事業を試み、失敗してきた。
 
 たとえば、父の職歴とムングァンの夫の職歴に共通する「台湾カステラ」。
 これは、2016年から17年頃に韓国で大ブームとなったお菓子。
 今の日本なら、さしづめ「タピオカ」だろう。当時、大行列を生み出していたが、あるTV局が2017年3月に放送したドキュメンタリー番組で、「大量の食用油や添加物を混ぜている」「安い粉ミルクや賞味期限切れの生クリームを使っている」と告発して、ブームが急激に終了。実は、その後当のテレビ番組の内容はフェイクだったとされるのだが、消費者の興味はすでに消滅していた。
 その結果、ギテクやムングァンの夫のような「元台湾カステラ店のオーナー」という失業者が増えたという次第。

 貧富の差や、前回の記事で書いた「縦構造」の存在位置の違いをもたらす要因は、それほど、その人間の能力や努力の必然的な結果とは言えないだろう。
 運だったり、ほんの少しのタイミングの違いなどによるのかもしれない。

 そういったことも、この映画から感じたことである。

 ということで、今回は俳優篇だった。

 次回は、監督・演出の魅力に関して書く予定。

# by kogotokoubei | 2020-01-21 09:36 | 映画など | Comments(0)
 昨夜の第三回「寅やん、京都へ行く」も、楽しく見ることができた。

 元になったオリジナルは、昭和51年の第17作「夕焼け小焼け」。

 マドンナは、芸者ぼたん役の太地喜和子。
 宇野重吉が、日本画家の大家、池ノ内青観役。

 以前、48作の観客動員数などについて記事を書いた。
2015年6月8日のブログ

 動員数は200万越えとはならなかったが、私は、この作品が好きだ。

 なんと言っても、太地喜和子が良いし、宇野重吉も渋かった。

 古書店、大雅堂の主人に大滝秀治という、贅沢なキャスティング。

 寺尾聰も出演したから、父子とも出演という回でもあった。

 プロローグ夢のシーンは、前年大ヒットした「ジョーズ」のパロディだったね^^

 
 「雁作」では、ぼたんを龍野芸者ではなく京都の芸子に設定し、田畑智子が務めた。
 ぼたんが活躍するのは次回なので、最終第4回を観てから、彼女の演技について感想を書こう。

 池ノ内青観役は、田中泯。
 宇野重吉に代わる俳優としては、うってつけだろう。

 酔っ払って泊めてもらった石切とらやを、宿と間違えるトボケぶりや、だらしない酔っ払い老人の演技、必ずしも宇野重吉に大きく劣るものではなかった。


 オリジナルにしろ贋作にしろ、この作品の教えてくれることは多い。
 
 静観は、宿ではなく、だんご屋だと判明し、自分ができる礼のつもりで、サラサラっと縁起物の「宝珠」を描く。

 それを大雅堂に持って行くと、なんと20万円の値がついた。

 寅は、その金を持ち帰り、おいちゃんおばちゃん、さくらにバラ撒くのだが、さくらにたしなめられる。

 さくらは、貧乏老人と思って皆が静観を嫌ったことについて、寅がたしなめてくれたことを思い起こさせる。

 これ、オリジナルでは、こんな寅さんの言葉があったのだ。

 「男はつらいよ」のデータベースとして有名な、画家吉川孝昭さんのサイトにある「男はつらいよ覚え書きノート」から、引用する。
吉川孝昭さんのサイト

 しかしな、おいちゃん、あのジイさんの立場になってみろよ、えっ?
どうせ貧しい借家住まいだよ。
せがれと嫁と孫が二、三人、こんなせまっ苦しいとこに暮らしてたんじゃおまえ、年寄りは肩身の狭い思いをするぜ、ええっ?

夜中にふと目がさめる。
隣でもってせがれ夫婦の寝物語。
そりゃ聞きたくなくたって聞こえてきちゃうもの、ええっ
『ねえパパ、あたし今日友達と会ったの。うらやましかったわあ!お舅さん死んだんだって 
うちのおじいちゃんいつまで生きてんのかしら嫌になっちゃう!』
(中 略)
これは地獄ですよ!年寄りにとって!ええ?せめて一日このうちから逃げ出して
意地悪な嫁のいないところでぐっっすり寝てみたい。
この気持ちはよぉーく分かるなあ。

タコッお前人事じゃないぞ。
お前だってすぐアーなっちゃうよ。

タコ社長 そう言われりゃそうだなあ・・・・・・

 まあ、夕べは良い功徳をしてやったってことになるわけだい、なっ。あのじいちゃんもどっかで感謝してるよ、え、おばちゃん

 皆が、寅の言葉で、無償の奉仕をしたのだ、とさくらは言いたかったのである。

 情けは人のためならず、である。

 また、今回は、落語愛好家にとっても楽しい場面があった。

 ただの可愛そうな老人と思っていた静観が、実は日本画の大家で、その絵に予想外の高値がつくという筋書きが、『抜け雀』や『井戸の茶碗』、『竹の水仙』を彷彿とさせる。

 寅が20万円を返しに静観宅を訪れた際に、お互いがその金の入った封筒を相手に押し付ける姿は、まさに落語的^^

 そして、その金をパァーっと使おう、ということで両人が合意し、祇園での宴会。
 寅が、なんと『池田の猪買い』を余興で演じているではないか。

 これは、雀々の寅であればこそ、の演出。笑った^^

 山田洋次は、本当に落語が好きなんだなぁ、と思う。

 さて、次回は、もう最終回。

 ぼたんは、どんな悩みをとらやに持ち込んできて、周囲はどうその窮地を救おうとするのか。

 楽しみである。
NHKサイトの該当ページ

# by kogotokoubei | 2020-01-20 12:47 | 寅さん | Comments(4)

 話題の韓国映画「パラサイト 半地下の家族」を観た。

 カンヌのパルムドールを受賞し、アカデミー賞にもノミネート。

 前半は、何度も笑った。
 そして、ある家へのある人の訪問から、一気にミステリータッチに変わる。
 
 全編を観て、格差社会や社会の歪み、家族とは何か・・・などを深く考えさせる映画だった。

 そうなると、どうしても「万引き家族」を思い出す。

 しかし、あちらは、“擬似家族”であり、そうであることが映画の大きな土台となっている。

 「パラサイト 半地下の家族」は、本当の、血のつながった家族が主役。
 そして、大きな特徴は、格差社会の“縦構造”が、見事に映像化されていること。

 高台の高級住宅地に住む裕福な家族。

 半地下の家では、目の前の道路が消毒されると、消毒薬が入り込む。
 それでも、便所コオロギ退治にちょうど良い、と父は窓を開けたままにさせておく。

 そして、後半明らかになる、もう一つの世界。

 ---ここからは、ネタバレになるので、ご注意のほどを---

 「半地下」の「半」には、深い意味がある。
 もちろん「地上」ではないが、「地下」でもない。

 この映画の舞台は、三層構造である。

高 台    豪邸に住むパク一家
           |
地 上        |
           |
半地下    主人公たちキム一家
           |
           |
           |
地 下  元家政婦ムングァンが築いた世界

 この「縦構造」が、効果的に映像化されている。

 冒頭のシーンは、キム一家の半地下の家(空間)から地面への視線だ。
 
 酔っ払いの立小便、道路の消毒などが、見上げる目線から描かれる。

 そして、友人ミニョクから、お金持ちの家の娘の英語の家庭教師のアルバイトを譲られたキム家のギウが、パク家を訪ねる際は、ゆるやかに曲がった坂道の先の高台に、その豪邸が現われる。彼らの家との高低差が、見事に印象づけられる。
 
 貧富の高低が、空間の高低に置換されている。これぞ、映像の力。

 そして、キム一家四人全員がパク家で職を持つことができ、パク家がキャンプに出かけた夜の、広い庭を眺めながらの豪華な夕食。雨の中、ある訪問者の登場から、それまで何度も笑わせられたコメディは、一気にサスペンスに模様替えをし、より、「縦構造」の下方に、舞台は進んでいく。

 この映画の魅力の一つは、間違いなく、この「縦構造」にあると言えるだろう。

 あの事件の後、キム家の母以外の三人が、大雨の中で半地下の家に戻ろうとする際、どれほど、下って行ったことか。

 公式サイトの予告映像にも若干のヒントはある。
 しかし、実際に見なければ、「縦構造」を見事に描いた映像の魅力は、味わえないだろう。

「パラサイト 半地下の家族」公式サイト


 
 もちろん、他にも演出や俳優など多くの魅力があるが、それは次の記事にて。

# by kogotokoubei | 2020-01-18 09:12 | 映画など | Comments(2)
徳川夢声著『話術』より(3)_e0337777_09345776.png

徳川夢声著『話術』

 徳川夢声の『話術』からの三回目。
 本書初版は、昭和二十二年刊行の秀水社版。二年後に白揚社からも刊行された。二年前に再刊された文庫の元になったのは、白揚社が平成十五年に出した新装版。

 本書の最後に「話道の泉」と題されている。

 さまざまな歴史上の話術の達人の逸話が取り上げられていて興味深いので、ご紹介したい。
 たとえば、この人物の、こんな行動が取り上げられている。

 黒田孝高(如水)、病に臥し、死前三十日ばかりの間、諸臣を罵辱す。諸臣思うに、病気はなはだしく、殊に乱心の体なり。別に諌むべき人なしとて長政(孝高の息)に告ぐ。長政もっともと思い孝高に、諸臣畏れ候間少し寛(ゆるやか)にし給えと言う。孝高これを聞き、耳を寄せよといわれし故長政寄せければ、「是は汝(な)が為(た)めなり、乱心にあらず」と小声で言われけり。
 是は諸臣に厭がられて、早く長政の代になれかしと思わせんためなりしとぞ。
 故菊池寛氏によると、戦国時代の武将の中で、どうしても五人選べということになるとこの黒田孝高を一人加えないわけには行かないそうだ。その目先の利くことは、秀吉、家康以上ではないかと思われるという。
 この死の直前における、諸臣罵倒侮辱の件は、ある意味では大話術である。
 家来どもを交々(こもごも)枕元に呼んで、セガレのことは何分頼むと、千言万語を費やすよりは、片端から怒鳴りつけ、叱り飛ばし、毒舌のあらん限りをつくして、
「早くこんなオヤジくたばれば好い。とてもこれではやりきれん。一日も早く、息子の代になってもらいたい。」
と、思わせた方が、はるかに効果的で、セガレのためになるわけ。
 話術においてもその通り、千語万語を用いるより、意外の方向から一言二言で、同じ効果をあげる場合がある。

 冒頭の引用は、吉川英治の『黒田如水』と思われる。

 なるほど、あえて嫌われ者になる言動を発して、世代交代を穏便に行おうとするのも、たしかに話術かもしれない。

 他にも、こんな逸話が。

 第一次大戦当時の、アメリカ大統領、ウッドロー・ウィルソンも、雄弁家列伝には欠かすことのできない大物だが、
「一時間位の長さの演説会なら、即座に登壇してやれる。二十分ほどのものだったら二時間ほど用意が要る。もし五分間演説だったら一日一晩の支度がないとできない。」と言ったことがある。面白い言葉だ。

 これ、よく分かるなぁ。
 以前、社内研修を企画したり自分で講師をしたりすることがあった。
 入社三年目のプレゼンテーションの研修で、同じようなことを話したことがあるが、自分が何かを話すにおいても、まったく同感で、短ければ短いほど、長い時間準備する必要がある。
 無駄な時間がないから、いかに要点を絞って、かつ効果的な話をしなければならないか考えなければならない。
 実際に研修で社員にプレゼンテーションをしてもらうと、準備が足らない人は、肝腎の要点を話す前に時間切れになったり、途中であせってしどろもどろになることが多かったものだ。
 お客のキーマンに、エレベーターで一緒になった時に、どれほど効果的なセールストークができるか、日頃から訓練することが大事、なんて話もあるね。

 つい、話が発展してしまった^^

 続けて、海外の話術の達人について。

 英国首相ロイド・ジョージは、北ウェルズ生れの五尺そこそこの小男であった。第一次世界大戦中のある日、南ウェルズ地方に演説に出かけた。
 司会者は大のロイド・ジョージ崇拝者であったが、彼を紹介するとき、こんなことを言った。
「実は、正直に申しますと、かねて畏敬するこの偉人は、もっと身体(からだ)の大きい堂々たる方と予期していたのですが、今日はじめてお目にかかって、実に意外に存じた次第で・・・・・・」
 すると首相は、大男の司会者に、ジロリと一瞥を与えておいて、
「実は、私も意外に驚いたことがあります。それは、私の生れた北ウェルズとご当地とでは人物を計る標準がまるで違ってるらしいことです。どうも、司会者の今のお言葉によると、南ウェルズでは人物をアゴから下の大きさで計るようですが、私共の北ウェルズ地方ではアゴから上の大小で人物を計るのであります。」
そう言って、自分自分の大頭を、愉快に振ってみせた。果然、破れんばかりの大喝采であった。


 このスピーチについて夢声は、とっさの機転ではなく、ロイド・ジョージが、かねて自分の欠点を心得ていて、万一に備えていたからだろう、と書いている。

 こういった逸話の蓄積は、夢声の座談やスピーチでも生かされたに違いない。

 本書を読んで感嘆したのは、とにかく引き出しが多い人だ、ということ。

 各説「第一章 日常話」に、知人関係の座談法の要点として、次のことを挙げている。

 A.教養が深く見聞が広く、話題が豊富であること
 B.共通の話題を選ぶこと
 C.相手の話をよく聞くこと

 BとCは、いわば「HOW」であって、話すという行為に関する手法や留意点ということになるが、Aは「WHO」であり、、自分自身のあり方に関することだ。
 
 まず、そういう人物にならなければ、話術も上達しようがないということが、本書を読んでもっとも感じるところである。

 まだまだ、未熟であることを痛感し、本書のシリーズはお開きです。

# by kogotokoubei | 2020-01-16 12:47 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)
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徳川夢声著『話術』

 徳川夢声の『話術』からの二回目。
 本書初版は、昭和二十二年刊行の秀水社版。二年後に白揚社からも刊行された。二年前に再刊された文庫の元になったのは、白揚社が平成十五年に出した新装版。

 前回は、徳川夢声が、小学校の高等科の頃から、雨で体育が休みになった教室で落語を演じるほど好きだった、ということをご紹介した。

 今回は、本書の主眼である「話術」について書かれた部分からご紹介。

 総説「第二章 話の根本条件」では、話術の条件として、次の項目を提示している。

 (1)人格と個性
 (2)言葉の表現
 (3)声調と口調
 (4)間の置き方

 (1)から(3)までのご紹介を大胆に割愛し、「間」について紹介したい。

 夢声、なかなかユニークなたとえをしている。

 ハナシというものは、喋るものですが、そのハナシの中に、喋らない部分がある。これを「間」という。こいつが、実は何よりも大切なもので、食物にたとえていうと、ヴィタミンみたいなものでしょうが、直接、ハナシのカロリーにはならないまでも、このヴィタミンMがな欠けては、栄養失調になります。

 ヴィタミン「M(間)」とは、言い得て妙^^

 夢声は、ハナシに限らず、芸術と名がつくものには、音楽、美術、彫刻、文学、演劇、みな「間」が、重要な位置を占めているという。

 そして、実に興味深い、ある人の言葉が紹介されている。

 久保田万太郎氏は、
「忠臣蔵の四段目は、マの芝居ですよ」
と言われたが、あの長時間の幕に、台詞は非常に少ない。判官が切腹するというだけで、一幕のほとんど全部が済んでしまう。かりにこれを六代目(尾上菊五郎)がやると、あの長い時間を、満場水をうったる如くもたせるが、大根役者だと、その半分の時間しかもたない、その上客は大ダレとなる。要するにいわゆる「マ」がもたないのです。

 あの、判官切腹、出物止めの四段目を、「間」と言い切るのも、凄い。

 たしかに、長い忠臣蔵において、重要な間なのかもしれない。

 もちろん落語に関しても話は及ぶが、噺そのものに限らず、このようなことが書かれている。

 高座に落語家出てきました。彼は、高座に姿を現わし、中央まで歩いて、座布団にすわり、お辞儀をしました。
 ただこれだけで、この落語家は巧いか、拙いか見物にはわかっています。たったそれだけの動作、あるかないかの表情、その中にバランスの破れたところがあったら、これはもう拙いに決まっています。一人二人では鈍感な客も、大勢そろうと一種の連鎖反応が起こるでしょう。群集心理というものは、恐ろしい「勘」をもつものです。
 ですから、ハナシをする場合、コトバだけの研究では足りません。そのコトバにもたせる「マ」の研究、話している間の表情動作すべてにわたるバランスの研究、そこまで行かないと満点とはいえません。

 これ、よく分かるなぁ。

 舞台脇から高座にとぼとぼ歩いて、高座に落ち着く、その所作でも、たしかに巧拙は察しがつく。
 そういう動作、表情も含めて、「間」と捉えているのだ、夢声は。

 では、コトバだけでなく、「マ」の研究、いったいどうすればよいのか。

 では、その研究はどうするんだ?
 答えは平凡です。たくさんの経験をつむこと、絶えずその心構えでいること、これです。
「何か“マ”の簡単にわかる虎の巻はないのかい?」
だって? そんなものはありませんよ。何しろカンの問題ですから。

 ということで、経験をつむこと、絶えず心構えでいることで、なんとか、私の素人落語も磨いていかねば^^


# by kogotokoubei | 2020-01-15 20:27 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
 今回は、この本。

徳川夢声著『話術』より(1)_e0337777_09345776.png

徳川夢声著『話術』

 徳川夢声の『話術』は、初版が昭和二十二年秀水社の刊行。二年後に白揚社からも刊行された。二年前に再刊された文庫の元になったのは、白揚社が平成十五年に出した新装版。

 著者を知らない人も多いかもしれない。
 同書表紙扉にあるプロフィールを元にご紹介。

 徳川夢声 Tokugawa Musei (1894-1971)
 島根県益田生れ。本名福原駿雄。東京府立一中を卒業後、活動写真弁士となる。1915(大正4)年より“徳川夢声”を名乗る。独特のリアルな語り口で一世を風靡した。トーキーの時代を迎えると、漫談家、俳優、文筆家として活躍。’39(昭和14)年、ライフワークとなる吉川英治原作『宮本武蔵』を初めてラジオで朗読する。戦後は日本初のラジオのクイズ番組「話の泉」(NHK)への出演のほか、テレビにも進出。いくつものレギュラーを抱える。(後略)

 活動写真の弁士については、ちょうど映画「カツベン」が上映されていて、若い人にも良い歴史の情報提供になっているかもしれない。

 私個人も、「宮本武蔵」も「話の泉」も聞いたことはない世代だが、テレビで晩年の夢声の姿を見たことはある。

 さて、“話芸の名手”が、戦後すぐに著した本では、どんな“話術”の極意が明かされているのか。

 全体の構成は、このようになっている。
 
  総説
   第一章 話の本体
   第二章 話の基本条件
  各説
   第一章 日常語
   第二章 演壇話
  話道の泉

 拙ブログにおいて、徳川夢声の名は、落語関係の本について書いた記事で、何度か登場している。

 落語も好きだったし、実は、子どもの頃から自ら落語を演じていたのであった。

 各説「第二章 演壇話」の「演芸」からご紹介。

 私にとって落語は、実に結構な話術のお手本でした。私は、このお手本によって、無意識に勉強していたのであります。
 無意識と言うとおかしいかもしれませんが、私自身は落語によって、別に修業してる気は毛頭なかったので、ただ、好きで真似をしていたに過ぎないからです。後年、話術を自分の職業にしようなどとは夢にも想わなかったのであります。
 小学生のころ、雨が降って体操の時間が、お休みになると、私は教室で話をしたものであります。その話というのが、多くは落語でした。今日から考えると、随分乱暴な無茶なことですが、お女郎買いのお噂など、申し上げたこともあります。
 例の、フラれた客が忌々しがって、赤銅(あかがね)の洗面器を失敬し、背中に忍ばせて帰りかけると、オイランが送って何か嬉しがらせを言って、背中をポンと叩くと、ポワーンと鳴るーおや、今のは何だい、と言われて、なァに分れの鐘だよ、と下げるーあれを教室でやったのでした。
「うん、分れのカネか、ハッハッハッ」
 と聞いている先生が一番ウケて、喝采をしてくれました。

 こういう話を知ると、徳川夢声という人に、大いに親近感を抱く。

 私も、小学生の頃に教室で友達と組んで漫才を披露したり、中学や高校の予餞会などで落語を演じたものだ。

 とはいえ、夢声のように、バレ噺まではやらなかった、もとい、やれなかったけどね^^
 駿雄(としお)少年の落語のレパートリーは、私なんかより、とんでもなく多かった。

 それは、高等一年生ごろから始まったことー高等一年は今日の小学校五年、その時代は小学校が四年、高等科が四年という制度でしたーで、高等二年、三年がその絶頂でありました。とにかく、雨の降る度に、何かしら新しい話を、二ツなり三ツなり演ずるのでありますから、タネの仕入れが大変であります。
 そのタネの大部分は、文芸倶楽部や、小さん落語集とか馬楽落語集とかの活字から仕入れるので、落語の寄席へ通ったわけではありませんでした。耳から落語を聞いたのは、そのことまでは、ほんの数える程度のものでありました。私が盛んに色物席通いをしたのは、中学三年ごろからであります。

 なるほど、雨の日の出演のために、ネタを一所懸命に仕入れていたのだね。

 私も、受験勉強中にラジオの落語を楽しんだが、高校時代のネタの仕入れ先(?)は、もっばら興津要さんの『古典落語』だった。

 昭和四十七年の「上」から、「下」「続」「続々」「続々々」、そして昭和四十九年の「大尾」までの全六冊は、発行されるのを待ちわびて、親には参考書を買うと嘘をついて小遣いをもらい、本屋に駆けつけたものである^^

 この本を読んで、これまでは遠くにいた話術の達人を、身近に感じることができた。

 第一回は、これにてお開き。

# by kogotokoubei | 2020-01-14 12:36 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)
 山田洋次脚本、桂雀々主演のNHK BS プレミアムドラマ「贋作男はつらいよ」の第一回を見のがしたので、昨日午後四時半からの再放送を見てから、午後十時からの第二回目を見た。

 NHKのサイトにあるように、葛飾から東大阪市・石切神社の参道にある甘味どころ「くるまや」に舞台を移した、関西版。
NHKサイトの該当ページ

 雀々が寅さんにふんして注目を集めた落語会「桂はつらいよ」を山田洋次が見たことで、新しい寅さん像を着想した、と説明されている。

 なるほど、桂雀々の演技には、感心させられた。

 吉永小百合がマドンナとして有名な「柴又慕情」と「寅次郎恋やつれ」が下敷きとなっている。
 吉永小百合と松下奈緒、さくら役、倍賞千恵子と常盤貴子を、あえて比較することもないだろう。
 
 このドラマは、パロディではなく、なるほど本物がつくったあらたな本物のドラマだと思う。

 何と言っても、雀々の寅さんが、いい。

 その演技の背景には、雀々の少年期の体験が大きく影響しているような気がしてならない。

 相当前になるが、彼の著作『必死のパッチ』を紹介した。

 彼は、父親から心中の巻き添えにされかけた経験をしている。

 最初に人前でしゃべってお金をもらったのは、一人ぼっちになった中学一年の時、家にやって来た借金取りへの泣き落としの一席(?)だった。


 雀々がどんな過酷な少年期を過ごしたのか、以前のブログを引用したい。
2010年4月30日のブログ

そう、オトンは屋台のうどん屋だったのだが、博打好きのため多額の借金を抱え借金取りがやってくるようになり、そんな生活に耐えられずに母親(オカン)が、小学校六年生の時に先生との三者面談が終わってから家を出てしまった。そして父子二人の生活がしばらく続くのだが、中学一年になりゴールデンウィークを直前にしたある日(今頃の季節ということですなぁ)、最後の博打のつもりでオトンが買ってきたピラニア五匹が、水道水を入れっぱなしの水槽の水面にプカァッと浮いて死んでいた夜、心中未遂事件があり、その翌日オトンも消えていった。

 それでも、一人になったことをプラスに転じ、あるきっかけ から落語家への道を邁進してきたこの人のバイタリティには、 ただただ圧倒される。もちろん、親には恵まれなかったが、近所には貢一少年に愛情を降り注ぐ人たちがいた。それが出山商店のおばちゃんであり、民生委員の加藤さんの家族、そして親友のヤンピたち。
 そうだった。あの頃は近所は家族の延長だった。私の家の近所にも、両親が仕事で忙しい時に遊びに行ける家もあったし、何かと面倒を見てくれる近所のおばさんもたくさんいた。怖いおじさんもいたけど、あのあじさん達に叱られて学んだこともたくさんある。

 柴又から石切に舞台も代わり、登場人物も時代も変わったが、どちらにも共通しているのは、いわゆる“共同体”である。

 その石切の大きな家族の中で、新たな雀々の寅さんは、輝いている。

 それは、ドラマの舞台が、彼にとつて原風景にも似た世界だからかもしれない。彼の演技がなんとも自然に感じられるのは、あのような環境で、愛情に飢えながら育った半生が背景にあると思う。

 次回は、芸者ぼたんが登場。

 これも楽しみだ。
 

# by kogotokoubei | 2020-01-13 11:47 | 寅さん | Comments(4)

立川談志著『食い物を粗末にするな』より(3)_e0337777_11582298.jpg

立川談志著『食い物を粗末にするな』

 『食い物を粗末にするな』から三回目。
 同書は、2000年3月に講談社+α新書で発行。副題に、「並の日本人」の食文化論、としてある。

 前回、本書の題に相応しい、第一章から紹介したのだが、実は、本書全体としては、それほど題にちなんだ内容ばかりとは言えない。

 これは、家元の他の著書でも時折あることだが、いろんな話題に発散したり、横道にそれたりしている。また、それが魅力でもある。

 そんないろんな話の中に、岩室温泉への小さな旅の記事でご紹介した、田んぼのことは、しっかり書かれている。

 「第三章 食いたきゃ己の手で作れ」から、引用。

 ズッシリと重い米

 家元、威張るようだが(いつも威張ってるが・・・・・・)、なんと、「田圃」を持っているのだ。つまり、“米が穫(と)れる土地を持ってる”ってことだ。それも米処は本場も本場、新潟の米処、西蒲原郡は岩室という土地だ。
 どうでえ、偉いだろ。有名人で田圃を持ってるのは、家元と、あと・・・・・・、日本の家元天皇家ぐらいだ。小渕も、菅も、不破も、小沢も持っていない。たけしも、毒蝮も高田も、長嶋も持ってはいまい。
 でも、考えて見りゃあ、妙な話だ。以前だったら、“田圃を持ってる”なんてなァ、田舎っぺいの証拠(あかし)だったのに・・・・・・。
 日本中が田舎っぺいになり、それが東京に集ってきたから、東京中は田舎っぺい。“故郷の訛を上野駅に懐かしく聞きに行った”啄木の時代が羨ましい。

 上野駅にある啄木の歌碑のことなど、どれだけの人が知っているやら。
 明治四十三(1910)年刊行の『一握の砂』の次の詩が、15番ホームにある。

   ふるさとの訛なつかし
   停車場の人ごみの中に
   そを聴きにゆく
         
 新幹線ホームしか知らない人が、今はほとんどではなかろうか。

 かつて、上野駅は、田舎っぺが憧れた駅だったなぁ。
 私が、五歳頃に父に連れられて、招待旅行で初めて東京に来たのも、寝台列車で上野が終点だった。
 なんと、その時に、はとバスで浅草演芸ホールに立ち寄って、てんや・わんやの漫才に笑ったことを覚えている。落語は、覚えていない^^

 本書に戻ろう。

 田圃を持つようになったキッカケも面白い。つまり、家元縁も由緒(ゆかり)もない。新潟の岩室の地に“何で田圃を持ったのか”ということが、ネ。
 ある時、この村の有志、と言うのか“村起こし”か、“興し”か知らないが、その有志の一人から手紙が来たよ。
「どうです家元、田圃を持ちませんか、一反ぐらいどうですか。この村は豊かだし、温泉も出る。米か美味い。それに競(くら)べると隣の村は温泉は出ないし、米も良くない。食べものは不味いし、土地も痩せてて、選挙違反も多い・・・・・・」
 粋な文句だ、呼びかけだ。家元の受けを狙い、当てている。加えて、“隣の村に桂三枝が来る・・・・・・”とサ。ということでOK、家元、お引き受け。


 岩室温泉について書いた記事で、談志の田圃のことを、岩室温泉観光協会のサイトから引用した。
岩室温泉観光協会のサイト
 この本では、大幅に割愛しているが、田圃を持つまでには、落語会での縁があった。
 あらためて、ご紹介。

談志の田んぼ開始までの経緯

昭和60年12月岩室村商工会青年部主催「第1回岩室寄席 春風亭小朝独演会」開催。昭和61年4月「吉窓・小満女二人会」により上記青年部員を中心に岩室落語会発足。
その後、岩室寄席と並行して小さな落語会を毎年開催し、現在まで続く。昭和62年江戸文字 立川文志師に談志師匠出演を依頼。12月「第3回岩室寄席 立川談志独演会」開催。
これが私たちと談志師匠との出会い。昭和63年~ 小さん、志ん朝、円楽、円蔵、円窓、各師匠出演の 岩室寄席を開催。平成5年12月「第9回岩室寄席 立川談志独演会」開催。平成6年11月「第10回岩室寄席 立川談志独演会」開催。
この10回をもって、商工会青年部主催の「岩室寄席」終了。
「岩室寄席」は終了したが談志師匠との接点を持ちつづけたいと 岩室落語会のメンバーは思っていた。そこで
.
「家元談志の田んぼ」

1)田んぼ一反の米を毎年師匠に進呈させていただく。(コシヒカリ8~10俵)
2)その田んぼは談志師匠の米であることを表示する。
3)年一度、田植え、稲刈り又は生育の視察の際に落語会、または宴会を持っていただく。
と談志師匠にお願いする。

江戸文字 立川文志師のお骨折りもあり、また、米に弱い世代でもあり、快諾していただく。平成7年10月25日の収穫祭=稲刈りより「談志の田んぼ」開始。
以降、毎回お家元来田し、手植え、手刈り、天日乾燥による農作業を実践。毎回、田植えと稲刈りにお家元が訪れ、夏井のじいちゃん、ばあちゃん、とうちゃん、かあちゃんと農作業に勤しむ不思議な空間、時間。この地に合うのか合わないのかを超えた存在感?そこで交わされる会話。教えてあげない。今度来ればいい…
 
 こういう、いきさつ。

 談志は、田植えに出向き、稲が実るまで土地の人に任せて、刈り入れ「新嘗祭」に再訪。

 仕事を終えて、・・・・・・と言っても大して刈るわけじゃあない。何せ天皇と同じくらいの労働力・・・・・・。その後に飲むビールも結構だが、そこに出される握り飯の旨さは格別。一口にこれを褒めるとすると、「米がズッシリと重い・・・・・・」、御飯が重いのだ。パンみたいに軽くない。
 ナニ、パンと比べることはないが、都会の米と違う。軽くない。重い、・・・・・・くどいか。そして一粒一粒がピカピカと秋の陽に輝いて・・・・・・、これが沖縄は粟国島の塩で食うと文句なし、この塩も旨(うめ)え・・・・・・。

 岩室温泉の記事で紹介した写真をあらためて。

立川談志著『食い物を粗末にするな』より(3)_e0337777_08011500.jpg


 高島屋の囲炉裏端でお茶を飲んでいる。

 これが、「ズッシリ」と重い握り飯を味わった後、なのかどうかは分らない。

 落語会の後か、あるいは田植えか稲刈りの後なのか・・・・・・。


 この正月、久しぶりに若い頃に知り合った金子君との縁で岩室へ行き、家元の写真を見つけて、ずいぶん前に読んだ本を再読した。

 家元は、たんに食べ物を大事にしただけでなく、日本の食文化を大切にしていたと思う。

 タピオカの店の行列を見たら、家元ならどう言ったか。

 叱ってくれる大人がどんどんいなくなり、その役割が自分たちの世代に回ってきたようにも思う。
 こんなちっぽけなブログでも、何か出来ることはないか、なんて思うこともある。


 さて、そろそろ、「食」を少しでも支えるためにバイトに行かなきゃ。

# by kogotokoubei | 2020-01-11 10:27 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛