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あちたりこちたり

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 担当するイベントが迫り、帰宅は、重陽(旧暦9月9日)の月が綺麗な夜になっていた。

 やや疲労気味。

 前期高齢者だからね(^^)

 今日見かけたニュースの中から、一つ。

 国会に無届けで出ていない議員について、FLASHが報じていた。
「FLASH」の該当記事

9月29日に、都内でおこなわれた日中国交正常化50周年を記念するイベントには二階氏は姿を見せており、中国との“太いパイプ”をアピールしていた。だが、10月3日の本会議では、名札こそ立っているが、最後まで二階氏が自席に姿を現わすことがなかった。

 何か事情があって、正式に欠席したのだろうか――。

 衆議院に二階氏の出欠席を確認すべく、問い合わせた。10月3日は召集のため、それに応じられない議員は「欠席届」ではなく、「応召延期届」を提出する必要があるという。

「10月3日に『応召延期届』を提出した議員はいませんでした。個別の事情については、衆議院は把握していません。議員に直接問い合わせるのがよいと思います」(衆議院広報担当者)

 つまり、届け出上は“出席扱い”になっているという。

 では、なぜ姿がないのか。永田町の議員会館内にある二階事務所に尋ねると、電話口の担当者は

「秘書がいません」

 と、繰り返すばかり。

 本誌から「どこに取材を申し込めばよいのか」「秘書はいつ在席しているのか」と尋ねても、こう答えるだけだった。

「書面でいただければお預かりしますが、議員会館に秘書がいないので回答できるかわかりません。秘書がいつ戻るかもわかりません」

 直後にFAXで質問状を送ったが、締切までに二階事務所から回答はなかった。

 国会内での二階氏については、たびたび健康面の不安を連想させる行動が目撃されている。

 2022年3月にも、二階氏が自席を見失ったところ、村上誠一郎元内閣府特命担当相に背中を押されて、連れて行かれる“迷子事件”が起きていた。

 二階氏といえば、安倍元首相の国葬で“反対派”に猛烈な批判を浴びせていた。8月末の講演では「国葬は当たり前だ。やらなかったらバカだ」と一喝。

 さらに、国葬への欠席を表明した野党・立憲民主党の執行部に対しては、9月16日に出演したTBS系のCS番組で、こう語っていた。

「(国葬に)欠席する人はのちのち長く反省するだろう」

「世の中に『あんまり賢くないな』ということを印象づけるだけですよ。選挙で取り戻すの大変だぞ」

 国葬ではなく“本業”の国会を欠席したのは、「あまり賢くない」特大のブーメランを与えただけでは……。


 昭和14年生まれの83歳。

 もし、体調が悪いのなら、届け出を出せばいい。

 しかし、名札が出席のまま、顔を見せないのは、有権者の負託を受けた国会議員として、どうしたものか。

 「国葬に出ない人は、反省する」と言った二階さん。

 「国会」に出ない国会議員は、反省しなくていいんですか?

 老害をまき散らすより、そろそろ潔く去っていただくべきだろう。


 玉川徹発言や、山際大臣、北朝鮮のミサイルのことなどについても、いろいろ言いたいことはあるが、今夜はここまで。

# by kogotokoubei | 2022-10-04 22:54 | 社会や政治のこと。 | Trackback | Comments(4)
白井聡著『長期腐敗体制』より(16)_e0337777_10265060.jpg

白井聡著『長期腐敗体制』

 6月10日に角川新書から刊行された白井聡著『長期腐敗体制』から、十六回目。

 著者の白井聡は、1977年生まれの思想史家、政治学者で、『永続敗戦論ー戦後日本の核心』などの著作がある。

 目次を確認。
***********************************************
 □序章 すべての道は統治崩壊に通ず
       ー私たちはどこに立っているのか?ー
 □第一章 2012年体制とは何か?
       ー腐敗はかくして加速したー
 □第二章 2012年体制の経済対策
       ーアベノミクスからアベノリベラリズムへー
 □第三章 2012年体制の外交・安全保障Ⅰ
       ー戦後史から位置づけるー
 □弾四章 2012年体制の外交・安全保障Ⅱ
       ー「冷戦秩序」幻想は崩壊したー
 □第五章 2012年体制と市民社会
       ー命令拒絶は倫理的行為であるー
 □あとがき
***********************************************

 巻末に説明があるが、第一章から第四章は、2021年3月から6月に朝日カルチャーセンター中之島教室で行われた連続講座「戦後史のなかの安倍・菅政権」の講義録を元にしている。
 その内容を全面的に改稿し、他の章を書き下ろしたとのこと。

 前回は、第三章から、対米従属により対米自立を目指した岸信介の屈託について、ご紹介した。

 著者は、吉田茂や岸信介を、対米従属(親米保守)の第一世代、と形容している。

 同じ章から、その後のこと。

 中曽根康弘の挫折
 
 次に、「戦後の国体」の安定期、親米保守第二世代の話をします。戦後の国体の形成期を代表する存在が吉田と岸だとすれば、その状態が最盛期に達したのは1980年代、ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代であり、その代表は、中曽根康弘だったと思います。
 中曽根と言えば、ロン=ヤス関係です。当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガンが来日した際、中曽根は、東京の八王子のすぐ北に日の出山荘という古民家のような別荘を持っていて、そこにレーガン大統領夫妻をお招きし、お茶を点てたりしてもたなしました。レーガンは「おお、これが侘び寂びか」と感動したと言われますが、本当かどうかはよくわかりません。日米首脳の関係は特別だと盛んに喧伝され、演出されました。このエピソードをわざわざ紹介したのは、日米首脳の個人的に親密な関係というものが過度にアピールされるようになった、その始まりであるように思われるからです。
 米大統領夫妻を喜ばせて、中曽根もご満悦というわけですが、そこに忸怩たる思いはないのですか、と私は中曽根に問いかけたくなります。もちろん、外交儀礼として、また国益のために、友好国の首脳との良好な関係をアピールしたり演出したりすることに、それなりの必要性はあるでしょう。しかし、そこに何か過剰なものが透けて見えるとき、何か不健全で卑屈なものが存在することを感じずにはいられません。中曽根がレーガンを歓待したところまでは理解できる。しかし、んぜ私邸に招くのか。公人である米大統領に対して、公人である日本の首相がわざわざプライベートな領域をさらした、そこに過剰なものがります。
 そして、とりわけ中曽根のような人物が、米大統領に取り入るようにして喜ばせようとした姿には、気持ちの悪いものを感じざるを得ないのです。なぜなら、若い頃に、彼はこんなことを言っていたからです。
 「この憲法のある限り 無条件降伏続くなり マック憲法守れとは マ元帥の下僕なり」。
 これは「憲法改正の歌」(1956年)という歌の歌詞で、YouTubeなどで検索すると、聴くことができます。しょうもない歌ですが、作詞家の名前に誰がクレジットされているかを見ると驚愕します。そこには「中曽根康弘」と書いてあり、一番から五番まである堂々たる歌なのです。引用したのは、そこに出てくる歌詞の一部です。ここには、戦後憲法を、アメリカ、つまり勝者が敗者に押しつける形で制定し、それが今なお押しつけられているのだ、悔しい、という思いがストレートに吐露されています。


 「憲法改正の歌」は、たしかにYouTubeで見つかった。
 作詞中曽根康弘、作曲明本京静、その明本と安西愛子が、コロンビア合唱団をバックに歌っていた。



 これは、昭和31(1956)年4月13日に、東京宝塚劇場で自主憲法制定期成同盟が主催する発表会における収録かと思われる。

 この歌の2番は、戦後憲法が、天皇の地位保全を条件に押しつけられたものであるという内容。
 4番は、原子力政策の強化を訴える内容がある。

 思い出すことがある。
 日本の原子力政策において、中曽根は大きな役割を果たしている。
 兄弟ブログ「幸兵衛の小言」の2011年4月11日、3.11から一ヵ月後の記事で、三宅泰雄著『死の灰と闘う科学者』(岩波新書)から、昭和29年の国会で、原子炉予算案を成立させた人物の一人が中曽根であることを紹介した。
「幸兵衛の小言」の該当記事

 日本学術会議会員などが、原子力政策の危険性に忠告していながらも、強行的に成立した予算案が、原発を数多く設置することにつながっている。


 さて、日本国憲法を“マック憲法“”と呼んで毛嫌いし、自主憲法のために、このような歌の作詞までした中曽根康弘。

 こう言っていた人が、ロン=ヤスを演出したわけです。中曽根の実行した演出には、わが国の総理大臣はアメリカ大統領とこれほど仲が良いんですよ、と日本国民にアピールする大きな意味合いがあります。そこに透けて見えた卑屈さ、屈折、転向をどのように意識していたのかは、ついに最期の日まで語らずに中曽根は亡くなりました。
 アメリカからの自立の夢を語る代わりに、現実の中曽根は、日本をアメリカの「不沈空母にする」と発言したこともありました。アメリカが経済的に衰退していく過程で、アメリカが為替操作をさせろと言ってきたのがプラザ合意ですが、それを吞んだのも中曽根です。
 急激な円高をもたらしたプラザ合意が結局、後のバブル経済とバブル崩壊、日本の長期的停滞に結び付いたという有力な議論もあります。プラザ合意は、経済的な敗戦を意味したと言ってもいいわけです。
 中曽根にとって最も重要な理念であった対米自立は、はっきり「挫折した」と言っていいでしょう。さらには、対米従属が日本にとって得になるという構造そのものを、中曽根は結果的に全部壊しました。

 中曽根は、転向した、と言ってよいのだろう。
 
 とはいえ、まだ、対立従属による対立自立という思いは、強く残っていたはずだ。

 しかし、それは、冷戦構造があればこそ、だった。

 ロン=ヤスの相棒のレーガンは、反共主義的傾向が強く、平和共存路線ではなく、冷戦激化戦略をとった。

 アメリカは、ソ連のアフガニスタン侵攻に反対し1980年のモスクワ・オリンピックに参加しなくなり、ヤスの日本も追随した。

 ゴルバチョフが改革(ペレストロイカ)を進めるものの、長年ソ連に蓄積した矛盾は大きく、苦戦していた。

 その時、アメリカも経常収支と財政赤字の双子の赤字であえいでいたのだが、スターウォーズ計画という新たな軍拡競争を仕掛ける。

 これによって、さらに追い詰められたソ連は、レーガン政権任期満了退陣直後、崩壊した。

 スターウォーズ計画に使うお金など、一体どこにあったのでしょうか。それは大量の米国債購入によって日本が貸してあげたのです。
 つまり、東西対立があってこそ、日本はおいしい立ち位置にいられたのに、自ら進んでそれを手放したことになります。強力な共通敵としてのソ連が存在すればこそ、アメリカは日本をアジアにおける第一のパートナーとして庇護する具体的な動機がありました。ソ連の崩壊・消滅とは、その日本にとって都合のよいポジショニングが失われることを意味します、ですから、国際政治的な次元で見れば、自分たちに利する構造を、わざわざ自分で金を払って壊したのです。

 反共という共通因子があってこそ、対米従属による対米自立を目指すシナリオがあり得た。

 しかし、日本は、米国債を大量に買うことで、アメリカのスターウォーズ計画を支援し、その圧力も要因の一つとして、ソ連は崩壊した。

 日米共通の敵が倒れた。

 次回は、中曽根康弘の政治について、引き続きご紹介したい。
 たとえば、国鉄民営化は、いったい何のためだったのかなど。


 さて、現在である。

 臨時国会が始まった。

 岸田の所信表明演説にある経済対策を推進するには、まず、最初にやるべきことがあるはずだ。

 山際大志郎経済再生担当相の更迭だ。

 たった数年前の記憶があやしく、資料は一年で処分するなんて人物には、大臣はおろか、政治家としての資格はない。

# by kogotokoubei | 2022-10-03 21:27 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(0)

 メディアが、国葬における友人代表菅義偉の言葉を、あまりにも持ち上げるのが、不思議でならない。

 特に、山県有朋が伊藤博文の死に接して作ったと言われる歌を、安倍が読んでいた山県に関する本から引用したことについて、感動した、などという感想も目にする。


 菅は、安倍晋三がこの本を読んでいてページの端を折ってあり、その歌があった、などと感動話を作り出しているが、事実は違うようだ。

 LITERAが、あの歌について、菅のパクリである可能性を報じている。
LITERAの該当記事

 そもそも、この山縣有朋の歌を紹介すること自体、ある政治家が他の人を追悼するために使ったネタの使い回しにすぎなかった。
 
 ある政治家とは、ほかでもない安倍元首相だ。安倍氏は今年6月17日、Facebookにこう投稿している。

〈一昨日故葛西敬之JR東海名誉会長の葬儀が執り行われました。
常に国家の行く末を案じておられた葛西さん。
国士という言葉が最も相応しい方でした。
失意の時も支えて頂きました。
葛西さんが最も評価する明治の元勲は山縣有朋。
好敵手伊藤博文の死に際して彼は次の歌を残しています。
「かたりあひて尽しゝ人は先だちぬ今より後の世をいかにせむ」
葛西さんのご高見に接することができないと思うと本当に寂しい思いです。
葛西名誉会長のご冥福を心からお祈りします。〉

 葛西氏といえば、安倍元首相の最大のブレーンと言われていた極右財界人で、第一次安倍政権下の2006年には国家公安委員や教育再生会議委員に就任。その後の首相再登板も猛烈に後押しして、第二次安倍政権以降は、首相動静で確認できるだけでも何十回も顔を合わせるなど、べったりの関係を築いてきた。安倍政権の政策への影響力もすさまじく、NHK会長などさまざまな人事まで左右していたことはあまりに有名だ。

 この山県有朋の本を薦めたのが、葛西だった。


 この記事から思うのは、いずれにしても、菅という男は失礼であるということだ。

 もし、葛西のために、山県の歌を安倍が引用したことを知っていて、それを隠しているのであれば、安倍本人に対し、実に失礼であるということ。

 安倍が葛西に捧げた言葉を私も贈りたい、と言って披露するのが筋だろう。

 また、もし、安倍が葛西のために引用したことを知らないのであれば、安倍内閣にとって恩人とも言える葛西に対する安倍のメッセージを知らないこと自体が、安倍にも葛西にも大いに失礼である、ということ。
 
 決して、感動ものの弔辞などではなく、実に狡猾、無礼な弔辞だったと言える。

 
 そもそも、山県有朋とは、それほど尊敬に値する人物だったのか、とも思う。

 Wikipesia「山県有朋」の「評価」の部分から引用する。
Wikipedia「山県有朋」

同時代の政党政治家・ジャーナリズムによる評価
山縣は政党政治家・デモクラシーを唱えるジャーナリズムにとって、デモクラシーを妨害する大きな壁、悪役と見られていた。大正時代に活躍したジャーナリスト鵜崎鷺城は、山縣が「狡猾」で「自分の勢力のために系統を広げ」、「陰険執拗」と極めて批判的に見ている。原敬も『原敬日記』で同様の評価を行っている。一方で徳富蘇峰は山縣を「穏健な帝国主義者」と評している。

 山県の葬儀も、国葬だったが、その一か月前に別な人物の葬儀もあった。
11月4日、原敬暗殺事件が発生した。山縣も、「政友会の俗論党及び泥棒めらに殺されたのだ」「頗る残念だ」と、原の死に涙を流している。また山縣は11月3日から熱を出しており、次第に衰弱していった。山縣は西園寺に首相就任を打診したが断られ、西園寺と松方の談合により高橋是清による政友会内閣が成立することとなった。これを追認した山縣は「又泥棒共の延長か」と吐き捨てている。

山縣は一時的には回復したものの、その後病状は悪化し大正11年(1922年)2月1日13時30分、肺炎と気管支拡大症のため小田原の別邸・古稀庵において薨去した。享年85(満83歳没)。山県は薨去に伴い、従一位を贈られた。

同年2月9日に日比谷公園で山縣の国葬が営まれたが、当日は雨であり1か月前に病没した大隈の「国民葬」には、多数の民衆が集まったのと比較すると閑散としたものだったといわれる。


 民主主義の敵であったこと、そして、直前の別の有名人の葬儀に比べ、何とも盛り上がらない葬儀であったこと、ということで、山県と安倍は、共通点があるように思う。


 お隣の韓国では、菅の弔辞や国葬を、どう捉えているのか。
 韓国の新聞「朝鮮日報」の日本語版のコラムの一部を引用する。
「朝鮮日報」(日本語版)の該当記事

安倍元首相の口癖は「日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲き誇れ」だった。「戦争する正常国家論」という安倍元首相の信念は多くの日本国民の支持を受け、菅前首相ら政治家に引き継がれるだろう。朝鮮を強制併合した伊藤博文と山縣有朋だが、1909年と1922年に行われた彼らの葬儀はいずれも日本国民の深い哀悼の中で国葬として行われた。日本国民にとっては彼らも日本に尽くした政治家に他ならなかったのだ。

 韓国において、伊藤博文、山県有朋、そして、安倍晋三がどう見られているか、あらためて考えさせられた。

 
 国葬には、目論見よりは少なかったとはいえ、海外からの弔問客もいた。

 菅は、そういうことも考慮した上で、山県の歌を紹介したのだろうか。
 そんなことは、ないのだろう。

 安倍の葛西へのFacebookの内容を思い出し、これは使える、と考えたに違いない。

 不正・無能・腐敗の三拍子揃った、「2012年体制」をつくってきた二人は、利用できるものは、なんでも利用してきた。

 統一教会も、しかり。

 そういう意味において、菅の行為は、あの二人の関係において相応しかったと言えるのかもしれない。

 
 そんな関係が、果たして、盟友、などと形容されるべきなのだろうか。

 菅は、弔意を示すべき相手の安倍の言葉をパクったのである。


 そして、朝鮮日報の記事からも、あらためて、国葬であるべきではなかったと思う。

# by kogotokoubei | 2022-10-02 19:36 | 社会や政治のこと。 | Trackback | Comments(2)

 これが、9月の記事別アクセスランキングの画像。

9月のアクセスランキング。_e0337777_19272758.png


 タイトルが途切れているし見えにくいので、並べる。

1.統一教会と日本会議ーなぜ、日本の戦争責任に真逆の考えの両者は協調するのか。(2022年8月26日)
2.日航123便墜落事故の話題は、8月12日だけで済ませてはならない。(2022年8月13日)
3.杉浦日向子さんが語る、蕎麦と蕎麦屋での“大人”の憩い。(2015年12月7日)
4.あれから37年、いまだ終らない真相究明への戦い。(2022年8月12日)
5.テレビ、新聞が報道しない、統一教会と安倍晋三との関係こそが、核心だ。(2022年7月13日)
6.今から140年前、なぜ明治政府は改暦を急いだのか。(2013年1月14日)
7.統一教会による、教育現場への浸透ー9月17日のTBS「報道特集」より。(2022年9月17日)
8.柳亭小燕枝が、柳家さん遊に改名。(2020年7月13日)
9.落語芸術協会、鈴本との離別から三十年・・・・・・。(2014年3月5日)
10.青山透子著『日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす』より(8)(2020年8月11日)

 1位の記事のみ1000アクセス超え。

 2位の記事にも、900以上のアクセスがあった。

 分野的には、統一協会と自民党関係が、1位、5位、7位、日航123便関係が、2位、4位、10位と三つづつ。

 落語関係が、8位と9位、

 常連の改暦の記事と、杉浦日向子さん(この方は、さんづけ^^)の本から蕎麦に関して書いた記事がランクに入った。


 今日は、久し振りに飲食店のアルバイト。
 昼の7時間半のシフトから帰り、ユウを散歩してから、一杯。
 
 BSテレ東は、寅さんではなく、「幸福の黄色いハンカチ」だ。

9月のアクセスランキング。_e0337777_20511564.png


 昭和52年の映画、高倉健は昭和6年生まれだから、46歳。
 渥美清も、警察官として出演しているが、高倉の三歳上だから、まだ四十代。

 いいのだよ、役者として。

 
 噺家で役者として光った人もいる。

 先日、CSで「昭和残侠伝」(昭和40年)を見た。

 六代目円生が出演。
 “花川戸のご隠居”大谷という役。

 背中は、高倉健だ。

9月のアクセスランキング。_e0337777_20235251.jpg


 明治33(1900)年生まれの円生、65歳。

 この演技が、実にいいのだ。

 その円生の孫弟子の六代目円楽が、亡くなった。

 大師匠、師匠と同様、七十代での旅立ち。

 
 六代目円楽の訃報は、スポーツ新聞の一面を飾ったようだ。

 円窓も、円丈も、そんなことはなかった。

 あのテレビ番組による知名度、ということか。

 私の経験で言うなら、六代目円楽の芸については、高く評価できない。


 とはいえ、志半ばでの旅立ち。

 ご冥福を祈りたい。
 
# by kogotokoubei | 2022-10-01 21:18 | アクセスランキング | Trackback | Comments(2)

 昨日の朝日新聞「折々のことば」は、磯崎新のこの言葉だった。

プロジェクトとは・・・・・・。「折々のことば」から思う、いろいろ。_e0337777_20124331.jpg


 
 プロジェクトという概念は・・・・・・例外状態をコンスタントにつくり出すことです。

 例年10月に開催する会社のイベントの準備を進めているが、この言葉、まったく同感だ。

 プロジェクトは日本語にすると、事業となりそうだが、英語のままの方がニュアンスが伝わりやすいかもしれない。

 
 察しの良い方は、私が担当するイベントの内容をお分かりかもしれない。

 お客様の経営幹部にご参加いただく、懇親のためのイベント。

 一昨年は、飲食の際、お客様にフェイスガードをしていただいた。

 昨年は、従来一か所で開催するのを、全国9か所で同日に開催し、スマホのteamsで写真や進捗情報などを共有する仕組みにした。

 固定観念に従っていたら、中止だったろう。
 実際、会社のトップもそのつもりだった。

 しかし、お客様は、早い時期からその日を空けて、楽しみにしていらっしゃったのだ。
 営業も、何とか開催できないものかと諦めきれない様子。

 そこで、一か所で密にならないで開催することはできないかを考え、リモート複数会場同日開催の試案を作って営業のリーダーに説明し快諾を得て、会社トップの了承もいただいた。

 結果、無事実施することができ、一つの運営形式のモデルを作ることもできたと思う。


 今年で16回目になるが、毎年共通する運営内容は半分くらいはあるが、残り半分は、その時の諸般の状況で変わる。


 かっこつけるなら、環境変化に適合させている、ということになるが、実態は、やむを得ない事情を踏まえて、従来とは仕組みや運営方法を変えなければならない、ということ。

 その際、会社トップとのコミュニケーションや現場のリーダーとの連携を円滑にとり、迅速に判断し、実行しなければならない。 

 今の会社で37年も勤務してきたから、各部門のリーダーともすぐに忌憚なく相談できる関係はできている。

 また、私を信頼してもらい、大きな権限を与えてもらっているから、なんとか、これまでやってこれたと思う。

 今年は一か所での開催。
 また、前日にも三年ぶりに開催するイベントがあり、そちらも一部担当しているので、怒涛の二日間、になる。

 しかし、何があっても、なんとかしていくつもりだ。
 重要なのは、お客様の安全を確保し、かつ、楽しんでいただくこと。


 国のプロジェクトでも同じだろう。

 たとえば、新型コロナ感染拡大は、歴史上も例外中の例外かもしれないが、プロジェクトリーダー(首相あるいは各関係部門の責任者)は、その例外に適合する仕組みを構築しなければならない。

 本来は、専門家である官僚が、もっと政策に関与すべきなのだが、そうなっていない。

 今、霞が関は、声を失っている。
 優秀な若手が、どんどん辞めている。

 安倍・菅により、政府が人事権を盾に、政権に批判的な官僚を容赦なく飛ばしてきた。
 政治家の誤りを官僚が修正したり、専門家として提言するという、本来あるべき関係になっていない。

 これでは、国が直面する“例外”に適合することはできない。

 例外状態をコンスタントにつくり出す、という意識、姿勢がなければ、環境の変化に慌て、旧態依然とした対応しかできないから、失敗する。

 あえて火の中に飛び込んでも、評価されることもないから、保身に徹する。

 永田町も霞が関も、自ら汗を流そうとしないから、業者丸投げ、下請け、孫請け、責任者不在、という状態が、多くの問題を起こしている。


 たとえば、自民党政権は、統一協会問題対応プロジェクトに、どんな姿勢で取り組もうとしているのか。

 「2012年体制」による、その場しのぎや誤魔化しで時を稼ごうとしているのでは、この難局は乗り越えられない。

 しかし、まだ、そういう危機感は、彼らの発言や行動からは感じられない。


 このままなら、「2012年体制」は、確実に終焉を迎えるだろう。

 もう、多くの国民は、我慢の限界を超えている。
 
 かつて、政治家は、自分たちの仲間のことより、もっと国のこと、国民のことを考えていたのではないか。
 かつて、官僚は、慣例に沿ってお役所仕事を繰りかえすのではなく、国民のために汗をかいていたのではないか。


 「折々のことば」を目にして、自分のことから、つい発散してしまった。

 さて、やるべきことは山のようにあるが、頑張るぞ。
 
# by kogotokoubei | 2022-09-30 12:57 | 幸兵衛の独り言 | Trackback | Comments(2)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛