噺の話

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 いわゆる評論家と言われる人は掃いて捨てるほどいるし、その中の経済評論家も、中には政府の犬のような人物が多い中、浜矩子は異彩を放っていると思う。

 私より少しだけ年上だが、このおばちゃん(失礼^^)、権力に媚びないし、なかなか言うことが鋭く、気の利いた科白も多い。

 「アホノミクス」「ドアホのミクス」、さらには「妖怪アベノミクス」などの造語(?)は、なかなかのものだと思っていたら、落語がお好きらしい。

 ダイヤモンド・オンラインの「一人一話」というコラムで、佐高信が書いていた。
ダイヤモンド・オンラインの該当記事
落語と酒が好きなエコノミスト、浜矩子
佐高 信 [評論家]
【第64回】 2017年2月13日

「過激な論客ふたりが初めて手を組んだ!」という謳い文句の浜と私の『どアホノミクスの正体』(講談社+α新書)が、刊行2ヵ月足らずで5万部に達した。

 計4回8時間に及ぶ対談をまとめたものだが、私は何度か、「浜さん、私以上に厳しいことをおっしゃいますね」という驚きの声を発した。
 
 佐高信は昭和20年生まれなので、浜矩子は一回りほど年下になるのだが、対談では年の差を感じさせなかったようだ。

 その威勢の良い浜さんが、落語好きであることが明かされる。
とにかく浜との8時間の対談は濃密だった。そのメリハリの利いた言葉のセンスに私は感心したが、それは落語好きの影響もあるらしい。『どアホノミクスの正体』の対談の後に『俳句界』での対談をお願いして、「浜さんは落語が好きなんだって?」と水を向けると、彼女は、「大好きです。今は江戸落語なら古今亭志ん朝さん。上方なら、桂文珍さんが好きですね。子どもの頃は、それこそ志ん朝のお父さん・志ん生さんをよくラジオで聞いていました」と告白した。

 上方の好みは私と違うが、古今亭親子の好みは、同じだ。
 落語の魅力について、なかなか鋭い意見が披露される。
「落語の何が面白いかというと、“おかしい”からなんですけど、特に古典落語は人々の生態がにじみ出て来るし、あの頃の日本人はこういう感じだったのかというのがよくわかる。単一民族でみなが金太郎飴みたいだ、というのが日本人の本性ではないとわかる。実に多様な人々が共存していて、みんな勝手なことを言っているんです。人の顔色を見ているでもないし、あまり突出してはいけないという考えもないし、それでいて、長屋で絶妙な呼吸で共同生活をしていますよね。そういう姿が、すごくビビッドに出てくるので、猛烈に面白いです」と続けた。

 経済をめぐる話の時より、生き生きしている感じさえする。

 まったく同感。
 落語長屋の住人は一人一人、自分の了見をもって、権力に媚びずに生きている。
 二本差しが怖くては、鰻のかば焼きも田楽も喰えねぇ、のだ。
「落語の言葉づかいというのは、すごくうまいですよね。無駄がないし、諧謔というのはこういうものだなというのがにじみ出ていて。落語台本を書く人というのは冴えていたんだなと思います。ちょっとした綾のところに、猛烈なおかしさがある。言葉もそうだし、呼吸もそうですよね。うまい落語家は面白くするための呼吸を持っていて、えも言われずいいものだし、難しいものだし、張り詰めたものだし、でもそれが猛烈におかしいという。なかなか素敵に高度なものですよね」

 そうそう、諧謔精神が落語には溢れている。
 直球の野暮な言い方はしないけど、無駄のない洒落た科白が満載だ。

 権力に抗せず、思ったことを言う姿勢や、切れ味の鋭い啖呵や表現のセンスの良さは、落語がお好きだったからかと、浜女史の秘密を知ったような、嬉しい記事だった。

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# by kogotokoubei | 2017-02-13 12:58 | 落語好きの人々 | Comments(8)
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 前の記事で書いたようの、加太こうじさんの『落語ー大衆芸術への招待ー』では、『一眼国』の後に、『死神』が登場する。
 最初の部分から、あらためて引用するが、あの噺で初めて知るサゲに、実に驚くのだ。

体制と反体制
 道徳というものは、その時代の価値基準の大きな目もりである。支配者はつねに支配者の道徳を作り出して、支配される者に押しつける。支配される側も自分たちの道徳を持ち、その立場から支配者の道徳を批判する。支配者の道徳と支配される者の道徳が一致する場合もあるが、多くは相反するものである。落語はいつも、支配される側ー民衆の立場に立っていたから支配者の道徳を批判する話が多い。ここでは、直接、支配者の道徳に対して別の道徳を提示した落語について考察してみよう。
 「死神」という落語は、同内容のものがグリム童話集にある。また、「死神」は明治時代に、イタリアのオペラから改作したものだといわれている。いずれにしてもヨーロッパの民話が落語「死神」の原典であることにまちがいはない。
   珍八という幇間は陰気でひねくれた男だった。あるとき、死神が
  あらわれて「お前のような男が好きだ、仲良くしよう」という。
  珍八は死神から人の生死の秘密をきいた。それは、病人の枕元
  に死神が坐っていれば病人は死に、足の方に坐っていれば、
  その病人は助かるということであった。
   (中 略)
  居ねむりからさめた死神は自分が足の方にいたので、病人を
  助けてしまう。珍八は莫大な礼金をもらったが、あとで死神は
  珍八の計略を知って怒った。珍八を地獄へつれていった死神は、
  地獄のおそろしいようすを見せる。珍八は人間の寿命の灯を見て、
  消えかかっているのやパッと明るいのがあるのを知った。珍八は
  死神が油断しているすきに、どれもこれも長生きするように、みんな、
  燈芯をかき立てて明るくしてこの世へ帰ってきた。

 今日演じられる「死神」では、一度ももお目にかかったことのない、ハッピーエンドなサゲ。

 この後に、加太さんは、こう続ける。
 「死神」という話は<人間を支配しているものは人間の力の及ばぬところにある>という考えをみごとにひっくり返して<人間を支配するものは人間である。その知恵と勇気によってこの世の中の主人公になるのだ>と主張している。すなわち、神とか、強力な力を持つ支配者の支配に抗して、弱者とされている者の力を人間尊重の立場から誇示しているのである。<人間の生きる喜びを尊重しない者は、いかなる絶対的な権力者といえども、だましても、反抗してもかまわない>と、落語「死神」は語っている。

 悩ましいのは、円朝の原作は、こんなハッピーエンドなものではないということだ。

 加太さんは、紹介した内容の「死神」が、どの噺家のものなのか書いていないが、“鼻の円遊”こと初代三遊亭円遊だろう。
 「誉れの幇間(たいこ)」、または「全快」と題し、ろうそくの灯を全部ともして引き上げるというハッピーエンドに変えていたらしい。

 元となったと言われるイタリアのオペラ「クリスピーノと死神」が、ハッピーエンドらしいので、先祖がえりと言えないこともない。

 サゲについて、この噺ほど噺家による工夫を求めるネタもないだろう。
 加太さんは、円遊版を元に、支配者に抗する人間の知恵、という視点でこの落語を評しているが、まさにサゲには知恵を絞る噺家さんが多いだろう。

 蝋燭の灯が、どうやって消えるかで工夫をする噺家さんが多い中、いっそ円遊のように、窮地を脱して生き延びる物語にする人がいても、それもまた結構ではなかろうか。

 もちろん、通常のサゲでも、この噺が聴く者に与える深い味わいは残る。
 しかし、それは権力者に抗する人間の知恵の素晴らしさと言うより、その知恵の使い方をめぐる道徳的な戒めになるかもしれない。

 そのうち、円遊版に負けない、ハッピーエンド版の「死神」に出会ってみたいものだ。
 
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# by kogotokoubei | 2017-02-11 15:02 | 落語のネタ | Comments(2)
 加太こうじさんとなると、やはり紙芝居作家としての印象が強い。
 その加太さんは、落語に関しても一家言持つ評論家であり、著書も少なくない。

 本名は加太一松(かぶと かずまつ)らしいが、名門加太家の血筋を誇る父に反発して、尋常小学校5年の時から自ら「かた」と名乗るようになった、と言われている。

 私の好きな加太さんの著作に『落語-大衆芸術への招待-』(社会思想社・現代教養文庫)がある。

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 昭和37年1月15日に初版が発行された本。上の表紙は、本牧亭での林家正蔵の高座。

 この本については、「落語は文学である」という加太さんの主張について、以前記事にしたことがある。
2015年3月14日のブログ

 先日、矢野さんの本から、香具師や『一眼国』について記事を書いた後で本書をめくっていたら、「道徳について」という章で、このネタを取り上げていた。

 興味深い内容だったので、ご紹介したい。

 この話には、見世物にしよう思っていた男があべこべに見世物にされるこっけいを通して、価値というものが、立場を変えれば、まったく反対になることもあると語っている。
 それは<武士が支配する国では、金銭にかかわりを多く持つ町人はいやしいとされるが、金銭が支配する町人の国なら、武士は金銭にうとい者としていやしめられる>という寓意ともとれる。そのように解するとき、この話は、落語の多くが持っている共通の内容<封建社会にあって未来ー資本主義社会の到来ーを指向する>を象徴している。あるいは、体制側の英雄が反体制側の悪人であったり、反体制側の英雄が体制側の法律に照らすと罪人になることがあるのを象徴しているようにもとれる。そして、その価値観は、<物ごとにかかわりのある人間の多数決によって正邪、善悪、高下などの価値が定められるのだ>という考えかたによっている。

 この部分を読んで、つい、最近の文科省の組織ぐるみの天下り斡旋のことを思い出していた。
 
 現役の役人が斡旋の窓口になることは違法だがOBなら問題ない、とばかりの役所の姿勢に、多くの国民はあきれ返っているはずだ。
 参考人質疑で、前川前事務次官は「万死に値する責任」と言っていたが、その男は、その舌の根も乾かないうちに、隣に座った仲介役OBの嶋貫と顔を見合わせてニンマリしていた。何が「万死」だ。

 彼等にとってOBの嶋貫は、英雄とまでは言わないが大事な人物なのだろう。

 その嶋貫が財団法人から年五百万、社団法人からも七百万、顧問となった生命保険会社から、月二日の出勤で一千万円という報酬を得ていると聞いて、国民の大多数が、不合理であると考えるだろうし、怒りを覚えるはずだ。
 しかし、文科省、あるいは霞が関の人たちにとっては、それは“常識”なのだろうか・・・・・・。
 残念ながら、国民の大多数の価値観が、「文科国」では通用しないようだ。

 落語は文学であり芸術であると考える加太さんは、次のように続けている。

 芸術というものはすべて、作者が意識しようがしなかろうが、作者の物ごとにつけた価値が作品や演技を通して受け手にどう考えられるかという働きを持っている。それは、一見無意味で、価値という概念とは関係のないように思える抽象絵画や音楽でもおなじである。それは<雲のように漠たる形や色がうつくしい>と抽象画家が提示していた価値を、見る側が<その通りだ>と共感するか、ときには<わからない>と拒否するか、<こんな非現実的な絵画は社会において人間生活に直接働きかけるものもないから価値は低い>とか判断することっである。落語も、演ぜられるとき、ひとつの価値を受け手に提示し反応を求めることに変わりはない。ただ、それは、つねに他の芸術とおなじように、それとは直接に提示しない。寓話だけが直接に、なにかにたとえて価値を問うのである。たとえば、イソップの寓話は動物にたとえて人間生活における教訓を直接に語って受け手に共感を求めている。「一眼国」も、ひとつ目とふたつ目の世界があると仮定して価値の転換を問うているわけである。「一眼国」は落語中の特例である。他の落語は人間描写を主眼とし、それを通してこのようなことに共感するかと、問いかけている。

 最近では入船亭扇辰をはじめとして、このネタを聴く機会も少なくないが、初めて、八代目正蔵の音源を聴いた時は実に新鮮だった。
 サゲの後に一瞬、自分の脳裏に静寂が訪れたような、そんな感覚があった。

 それは、きっと加太さんの言う、受け手への問いかけが、あまりに強かったからかもしれない。
 映画やミステリーのドンデン返しのようなエンディングは、たしかに他のネタとは一線を画すものがあるだろう。

 「そうか、一つ目国では、二つ目は“化け物”だなぁ・・・・・・」
 という聴いた後での感覚は、たしかに強く道徳、いや哲学的な色合いを持つ。

 
 落語には、ただ面白おかしさに笑ってさえいられればいい、という純粋な娯楽としての存在意義もあるが、滑稽噺に笑っているときも、登場人物のしくじりや会話の可笑しさ、仕草、行動の奇抜さなどは、「それ、あるある!」という共感性があればあるほど、笑いも度合いも深まるのだろう。

 加太さんは、次のネタ『死神』へとつなぐ部分で、こう記している。
 道徳というものは、その時代の価値基準の大きな目もりである。支配者はつねに支配者の道徳を作り出して、支配される者に押しつける。支配される側も自分たちの道徳を持ち、その立場から支配者の道徳を批判する。支配者の道徳と支配される者の道徳が一致する場合もあるが、多くは相反するものである。落語はいつも、支配される側ー民衆の立場に立っていたから支配者の道徳を批判する話が多い。ここでは、直接、支配者の道徳に対して別の道徳を提示した落語について考察してみよう。

 この後の『死神』に関する部分は、後日ご紹介するとして、この反体制、民衆側の落語、という概念は、実に重要だ。

 『一眼国』の、一つ目の国こそ、民衆の世界であり、見世物小屋の主人を代表とする二つ目の国こそが、文科省などの支配者側であるわけで、その逆ではない。

 やはり、悪い奴はとッ捕まえて、こっちの見世物小屋で晒し者にしなければならない。
 彼らが、仲間たちとの村芝居で謝ったところで、それは、『一分芝居』の権助よりも下手な、言ってみれば楽屋の馬鹿話の延長でしかない。「万死に値」すると言ったところで、その科白には何ら説得力がない。もう、下手な芝居は見飽きた。
 まだ、忠臣蔵の七段目で、高みから飛び降りる権助の方が、役者は上だ。

 『一眼国』に関する加太さんの文章から、こんなことまで、思いが至った。

 それにしても、加太さんの落語への思いは、熱いねぇ。
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# by kogotokoubei | 2017-02-10 20:57 | 落語のネタ | Comments(0)

 二月の最初の午の日、初午は稲荷大明神のお祭りの日だ。

 本来は旧暦を元にすべきなのだろうが、全国のお稲荷さんの総本社、伏見稲荷でも今月の最初の午である十二日の日曜にお祭りがあるようだ。
伏見稲荷のサイト

 さすが、総本社。URLも「inari」だけ^^

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『日本の神々と仏』(岩井宏實監修、プレイブックス)

 神社やお寺について、日本人の信仰の歴史を含めて分かりやすく解説してくれる本、『日本の神々と仏』(岩井宏實監修、青春出版社プレイブックス)から「お稲荷さん」とは何か、そして、なぜ初午が祭礼なのか、確認したい。

お稲荷さん

 赤い鳥居に、小さな祠、祠のまえには二尾のキツネ。八幡さま同様、お馴染みのお稲荷さんである。小さな路地から都心のオフィスビル街の片隅、それにデパートの屋上まで日本全国あちらこちらにお稲荷さんを見ることができる。それもそのはず稲荷神社の数は、日本の神社のなかでいちばん多い。それだけ日本人に広く親しまれてきた神なのである。
 お稲荷さんは、字のとおりもともとは稲に関する神だった。五穀をつかさどる倉稲魂(うかのみたま)を祭っている。稲荷大明神はその尊称で、全国のお稲荷さんの総本社は京都の伏見稲荷神社である。
 お稲荷さんは、農耕民族の日本人にぴったりの神なのである。やがて産業の中心が農業から商業へ移ってゆくと、お稲荷さんの御利益も「五穀豊穣」から「商売繁盛」へと変わってゆく。庶民の身近な神さまだけに小むずかしいことはなく、融通がきく。現世的なお願いごとをするには、頼もしい神である。
 二月初めの午の日、すなわち初午の日は、稲荷大明神のお祭りの日である。伏見稲荷の神がこの日に降りてきたという言い伝えが祭日の元になっている。
 この日にお稲荷さんに油揚げを供えるのは、お稲荷さんに仕えるキツネが油揚げが好きだと考えられたからである。油揚げに寿司飯をつめたものを稲荷寿司というのは、ここから来ている。

 その昔、二月の最初の午の日に、神さまが伏見に舞い(?)降りたのだった。

 なお、ウカノミタマという神さまは、『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表記されているらしい。

 もう少し詳しく知るために、伏見稲荷のサイトから「初午大祭」の説明を確認。
 稲荷大神が稲荷山の三ヶ峰に初めてご鎮座になった和銅四年二月の初午の日をしのび、大神の広大無辺なるご神威を仰ぎ奉るお祭で、二日前の辰の日に稲荷山の杉と椎の枝で作った“青山飾り”をご本殿以下摂末社に飾りこの日を迎える習わしがあります。
 初午詣は、福詣とも呼ばれ、前日の巳の日から、ご社頭は参詣者で埋まり、京洛初春第一の祭事とされています。
 また社頭で参拝者に授与されている「しるしの杉」は商売繁盛・家内安全の御符(しるし)として、古くから拝受する風習が盛んです。


 和銅四年は、平城遷都の翌年の奈良時代で、西暦なら711年にあたる。
 あの和同開珎の鋳造が始まったのが和銅元(708)年、太安万侶により古事記が完成したのが、和銅五(712)年。日本書紀は少し遅く養老四(720)年の完成だから、両書が世に出る前に、倉稲魂命という存在を稲荷山にいた人々が知っていたのだろうか・・・・・・。
 そんなわけはなくて、伏見稲荷が倉稲魂命を祭っているという文章の記述は、室町時代になってからのことらしい。

 実際に、神がかりなことがあって、そのことが伝承され、後になって、「あれは、倉稲魂命やったんやろな」ということになった、ということか。

 本当のことは・・・神のみぞ知るだ。

 初午に関わる落語となると、やはり『明烏』。
 いつも部屋にこもって「子、のたまわく~」と勉強一筋の時次郎が、初午の日に近所のお稲荷さんで赤飯を三膳ご馳走になった日の物語。

 お稲荷さんや狐に関する落語となると、ネタも多い。
 『王子の狐』、『今戸の狐』、『紋三郎稲荷』、『安兵衛狐』(上方は『天神山』)、『七度狐』、『高倉狐』(上方版の『王子の狐』)、『稲荷俥』などなど。

 初午で思うのは、昨今の節分の恵方巻などというイカサマ年中行事にくらべたら、初午に稲荷寿司を食べることをもっと流行らせてはどうか。

 しっかり根拠のある年中行事であり、ご利益もあるはずだ。
 
 それにしても、こういう行事は、やはり旧暦を元にして欲しいなぁ。

 “青山飾り”をご本殿以下摂末社に飾る明日の辰の金曜も、福詣として前日の巳の日から参詣をする方で賑わう土曜日も、関西は雪の予報。

 もし、旧暦なら初午は二月六日、新暦三月三日。
 雛祭りを白酒で、初午を稲荷寿司で、それこそダブルでお祝いができる。

 しかし、賢明な方は、「うん・・・ちょっと待てよ」と思われるはず。
 「なぜ、雛祭りだけ新暦のままにするんだよ!」とお叱りを受けそうだ。

 もし、疑問を感じない方は、そう言われても、狐につままれたような顔をしているかな^^

 与謝蕪村の句。

  初午や 物種うりに 日のあたる

 初午に、伏見稲荷の縁日で、種売りの店に春の日のあたっている様子が目に浮かぶ。
 種売り・・・やはり、春でしょう。
 だから、こういう行事は旧暦でないとなぁ。

 この週末、伏見稲荷には多くのお店が並ぶだろうが、みなさん、風邪などひかずにね。

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# by kogotokoubei | 2017-02-09 12:55 | 年中行事 | Comments(2)


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矢野誠一著『落語長屋の商売往来』(文春文庫)

 前回の記事で「鋳掛屋」について矢野誠一さんの『落語長屋の商売往来』から引用したが、今回は本書の「香具師」から紹介したい。
 関連する落語のネタは、『一眼国』。かつての名人では、何と言っても八代目正蔵。現役では入船亭扇辰が十八番としている。

 冒頭部分を引用。
 香具師と書いて「やし」と読む。『岩波漢語辞典』の、「香」の項目に、「あゆ」の香魚、香港とならんで「難読」の扱いになっているから、読めなくても別段恥にはならない。
 縁日や祭礼など、人手の多いところで見世物などを興行し、また粗製の商品などを売ることを業とするもの。と、たいていの字引に出ている。「てきや」とおなじだから、柴又生まれの車寅次郎氏の職業となる。
 もっともおなじ香具師でも、風船、飴などを扱うコミセ、口上つきで商売する寅さん型のサンズン、植木専門のハボクなど縁日商人を総称していうコロビと、もっぱら見世物興行を業とするタカモノシにわけられている。わけられるきっかけとなったのが、
  従来香具師ト唱へ来候名目自レ今被廃止候事
  但銘々商売ノ儀ハ可レ為勝手
 という1872年(明治5)七月八日の太政官布告とされている。
 つまり、香具師の名称を廃止する布告が出たにもかかわらず、その実体は変ることなく存続し、むしろ露天商などにはおびただしい数の素人衆がはいってくるなどあって、同業者による組合の設立、鑑札制度の問題などもからんで、コロビとタカモノシに分離する成行となった。

 「香具師」という言葉の由来については、以前に『話藝-その系譜と展開』(三一書房、昭和52年初版発行)の中の小沢昭一さんの「香具師の芸」から紹介したことがある。
2015年8月23日のブログ
 小沢さんの文章の一部を再掲する。
 「香具」っていうのを売っていた人がいたわけ。香具っていうのは、白檀とか伽羅とかっていう匂いもの、またその道具だけれども、これはお化粧品の一種というふうな考えがあるんですね。いま薬局行くと、お化粧品と薬品と同時に売っているんですが、あれは非常に古式ゆかしいことなんで、つまり、薬草、そういう薬と匂い袋などの香具、そういうものは同じ商売なんです。

 「香具」という字については、これで分かるのだが、読み方の由来にはいろんな説がある中、小沢さんは「薬師(やくし)」が元になったのだろうという郡司正勝さんの説を支持していた。

 その香具師の中にも、商う物によって、コミセ、サンズン、コロビ、タカモノシといった呼称があるのは、知らなかったなぁ。

 この後、『一眼国』のあらすじの紹介があった後で、かつての風習のことが書かれていた。
 一つ目小僧という妖怪伝承が日本独特のものなのか、くわしいことは知らないが、関東地方には二月と十二月の事八日、つまりお事始めとかお事納めの夜、この妖怪が家々にやってくるとして、庭先に目籠をかかげて退散を願う風習がつい最近まで残されていた。また、この日家の外に履物を出しておくと、疫病にとりつかれるという言い伝えもある。
 一つ目小僧が、かつては神であったと推論した柳田國男は、「妖怪はいわば公認せられざる神である」といっているのだが、いずれにせよこの「公認せられざる神」さまたちは、こと見世物界にあっては、輝ける大スターなのである。

 事八日における、妖怪からの魔除けの行事については、まったく知らなかった。

 事八日は、針供養の日としても伝わっている。
 すべからく、旧暦での行事。

 本書では、矢野さんがNHKの仕事での取材の思い出が語られている。執筆時(1993年)から二十年ほど前とのことなので、昭和40年代後半、ということか。

 二十年ほど前、NHKテレビの仕事で、秩父の夜祭りを彩る見世物小屋のいろいろを取材したのだが、これは面白かった。異形に対する関心に支えられた伝統的な因果物が、テレビ時代の今日なお根強い人気を有しているのだ。鶏の生き血を吸う狼少女とか、蛇娘なんてのが、オートバイの曲乗りや、サーカスに劣らず喜ばれているのである。もちろんほとんどがいかさまで、表向きは人間の言葉を解さないことになっている蛇娘が、化粧をしていないときは、女性週刊誌をめくりながら島倉千代子かなんか口ずさんだりしてるのだ。ちゃんとしたマイホームさえかまえ、幼稚園に通う孫のいる狼少女もい珍しくないときいた。

 『一眼国』や『蝦蟇の油』のマクラを思い浮かべる。
 例えば、「世にも珍しい怪物だァ、眼が三つで歯が二本」という口上で、小屋の中に入ると、下駄が置いてあったり、「六尺の大鼬(いたち)だ、六尺の大鼬」に誘われて見てみると、六尺の板に血痕がついていたり・・・・・・。

 オートバイの曲乗りなどより見世物小屋が人気、というのは、秩父という土地柄か^^

 そう言えば、小学校の頃、年に一~二度、サーカスの子が短期間転校してきたことがあったなぁ。
 せっかく仲良くなったと思った頃に、また転校。
 そのサーカスを観に行ったこともあった。

 引用を続ける。
 見世物小屋では、その日の興行を終えると、表にテント地の布をカーテン状にしめる。このカーテンを「ゴイ幕」と呼んでいるのだが、連帯意識が人一倍強いあの社会では、開演、終演はもとより、呼び込みの開始から、準備のためのゴイ幕をあける時間まで、各小屋一斉が原則だ。客足が落ちて、しまいにしようというときも指令によって一軒残らずざっと呼び込みの口上をやめる。このとき特別にひとだかりのしているところに限り、もう一口上余分につけていいことになっている。興行地における仮設小屋の材料、建設、期間中の調度一切から、ゴイ幕開閉の時間指令まで、すべて歩方(ぶかた)と呼ばれる興行社の手をわずらわすしくみだ。私たちが取材した時分、秩父の夜祭りに出る見世物を仕切っていたのは、高崎のほうも興行社だった。なにかとうるさい世界でもあるし、それでなくともこの種の取材では事前に挨拶に行くのが礼儀というものだ。そんなわけで、秩父の仮設事務所で炬燵にあたっている香具師の親分、でなかった興行社の社長さんのとことまで挨拶にうかがった。
 この世界では小屋掛けの一座のことを荷物と称しているのだが、この荷物が期間中安心して商売ができるように、いかに我々が努力してるか、細かいことだがと、酒屋や八百屋、それに風呂屋の手配の実例まであげて、この社長さん滔々と説明してくれた。荷物と歩方の信頼関係は、むかしながらの義理人情が支えているので、これは日本の誇る家族制度に根ざすものだと説く、いささか気負った演説口調になんともいえない愛嬌があった。そのかわりに荷物が約束をすっぽかすようなことがあったら、以後秩父の土地は一歩たりとも踏ませないなんて、ちょっぴり怖い啖呵もきった。
 このときスタッフが、「NHK」と局名のはいった電子ライターを手土産に持参したのだが、これがすっかり社長のお気に召してしまった。あくる日から、子分、ではない、平社員を引き連れての見まわりの際など、これ見よがしに局名をちらつかせながら煙草に火をつける。無邪気にすぎて、ほほえましく可愛くて、悪い光景じゃなかった。

 荷物と歩方、か。
 それぞれの商売に、興味深い符牒があるものだ。
 むかしながらの義理人情、とともに、そういう符牒も忘れ去られていくのだろうなぁ。

 香具師の親分、でなかった興行社の社長は、NHKのライターを水戸黄門の印籠のような気持ちで使っていたのかな。

 今では、見ることのできない見世物小屋、子どもの頃、お祭りの時に出ていたのに観なかったのが、悔やまれる。やはり、怖かったのかなぁ。
 
 それに反して、サーカスやオートバイの曲乗りを見た記憶ははっきりしている。
 そっちを選んだのだねぇ、きっと。

 12日の日曜は、今では新暦で行われる初午。
 落語なら『明烏』が旬のネタか。

 きっと、食べ物を中心とする屋台のコミセが並ぶのだろう。
 見世物小屋はもちろん、寅さんのようなサンズンには出合えないのだろうなぁ。

 あっ、明日は新暦ながら二月八日か。
 籠を外に出しておかなきゃ、旧暦を忘れた一つ目小僧が事八日と勘違いしてやって来るかもしれない。
 
 でも、もし来るなら、会いたいものだ。
 そして、捕まえて、見世物小屋へ・・・と思っても、肝腎の小屋がないじゃないか。
 せいぜい、何かと用を言いつけて、こき使うか。
 それじゃ・・・『化け物使い』だ。

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# by kogotokoubei | 2017-02-07 21:36 | 落語の本 | Comments(0)
 桂小南治が今秋襲名する師匠小南の十八番の中に『鋳掛(いかけ)屋』がある。

 このネタでは、得意にしていた三代目春団治、そして喜多八のことにも思いが及ぶ。

 今ではなくなった商売のことを題材にした噺だ。
 私が子供の頃には、さすがに道端で鋳掛屋さんは見かけなかったが、家の近所に鍛冶屋さんや刃物の研ぎ屋さんを兼ねる鋸の目立屋さんなどがあったなぁ。
 
 落語の『鋳掛屋』の主役は鋳掛屋をからかう子供たちと言ってよいだろう。

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矢野誠一著『落語長屋の商売往来』(文春文庫)

 矢野誠一さんの『落語長屋の商売往来』は2003年文春文庫からの再刊で、私が持っている初版は、白水社から1995年に『落語商売往来』として発行された単行本。

 「店構え」「小商い・手職人」「飲物・食物」「遊楽・乗物」の四つの章に分かれ合計34の商売について書かれている。
 
 この中の「いかけ屋」では、冒頭、矢野さんが結局は実現しなかったある出版物のための大阪での取材における、楽しい逸話が紹介される。

 その実現しなかった「寄席百年アルバム」の大阪取材で、上方落語協会事務局長桂米紫に案内をたのんで天王寺付近を歩いていたときである。突然、米紫の、
「ちょと、ごらんなさい。あれ、『鋳掛屋』の餓鬼でっせ、ほれ」
 という声に、指さす方をながめて思わずふき出した。ひっきりなしに車の通る道路の横断歩道を、黄色い小旗を手にした十人足らずの子供の集団が渡ろうとしてるのだ。覚えておられるだろうが、その時分信号のない横断歩道には、両側に黄色い交通安全の旗が用意されていて、歩行者はそれを手にして横断することになっていたから、それ自体はごく日常的な光景といってよかった。問題はその渡り方である。たくさんの車の流れを停めた彼らの、ある者は国会議員の牛歩戦術よろしくこれ以上ゆっくり歩けないくらいゆっくり歩くし、ある者はいらいらしてやけ気味にクラクッションを鳴らす運転手に赤ンベイをしてみせる。なかには道路のまんなかで、旗振りながら踊り出す者ありといった按配で、いやはやたいへんな騒ぎ。
 なるほど「鋳掛屋の餓鬼」とは言い得て妙で、大人をからかう子供の悪戯に手を焼くのは落語ばかりではないと、つくづく感心した。
 明治百年を記念した企画だったということだから、1968年の少し前、昭和40年頃の小学生となると、私とほぼ同じ年頃。
 私も、「鋳掛屋の餓鬼」だったかもしれないなぁ^^

 本書から、元となった(?)落語の方の子供たちの悪童ぶりをご紹介。
 道端で鋳掛屋が店をひろげ、鞴の火をおこしていると、悪餓鬼どもがやってくる。鋳掛屋のたくみな仕事ぶりをば静かに鑑賞するなどという、なまやさしい神経など持ちあわせているわけがない。鋳掛屋をおちょくるのである。
「オッタン、あんた、えらい御精が出まんな」
「・・・・・・えらい御精が出ますな、て、お前、精出さな、どんならんやないけェ」
「とら、とでごだいまンな、オッタン。この世の中ナ、働いた上にも働いた上にも働かんならんいうたかて、体が弱かったら、働かれしまへんが、ナ、オッタン。その点、オッタンら、体がお達者なだけ結構でござりまんナ、オッタン」
「ようしゃべるな、エエ。ひとこと言うたら、あんだけ引っかかってきやがんね。・・・・・・うかつもの言えんな」
「オッタン。あんたとこで、火ィブウブウやっとるが、そらどういう目的や」
「こらまた大層そうに吐(ぬ)かすなァ・・・・・・。どういう目的・・・・・・どういう目的て、お前、ただ、金属(かね)を湯ゥに沸かしてんのじゃい」
「ただ金属を湯ゥに沸かしてやんのやて、オッタンとこは、造幣局やおますまいな」
「ゾ・・・・・・ぎょうさんそうに吐かすな、アホ。造幣局やなかったら、金属、湯ゥに沸かされへんかェ」
「とらとやな、オッタン」
「おお、おお。小さい柄さらしやがって、他人(ひと)のはなし横手からそらそやなて、なにがそらそやィ」
「とらとや、オッタン。造幣局やなかったら、金属、湯に沸かされん。とんなことあらへんナ、オッタン。造船所かて、金属、湯に沸かしてるがナ、オッタン。鉄工所かて、金属湯に沸かしてるがナ。オッタン。鋳物屋かて、金属、湯に沸かしてるがナ、オッタン。・・・・・・ホナ、オッタンとこ、それ、造船所の方か」
「じぃわり嬲(なぶ)ってけっかる。アホンダラ。こんな小さい造船所があるかィ。・・・・・・アホ、モ、あっちけ、あっちけ、あっち行け」

 この子供たちが、あっちへ行くはずがない^^

 人によって、また持ち時間によって、鋳掛屋を相手にしてサゲる場合もあれば、その後に鰻屋に行って、また悪餓鬼軍団が活躍(?)することもある。

 矢野さんの本には、次のような説明もある。

 三谷一馬『江戸物売図聚』(立風書房)によると、鋳掛屋のかつぐ天秤棒は「常より一尺五寸長く七尺五寸」だったという。江戸の頃、軒下七尺五寸以内の地べたで火を用いるこちが禁じられていたため、測定用に長尺の天秤棒を使用したので、これはやっぱり鋳掛屋の知恵というものだろう。

 なるほど、知恵、だね。

 鋳掛屋には、もう落語でしか会うことができない。
 「鋳掛屋の餓鬼」たちにも、落語でしか出会えないかもしれない。
 今の子供たちは、どこへ行ってもゲームかスマホだ。
 懐かしい悪童たちに出会えるその落語を得意にしていた達人たちが、次第に少なくなっていく。

 今秋の襲名後、ぜひ三代目小南のこの噺を聴きたいものだ。

 では、その師匠の『鋳掛屋』をお聴きのほどを。
 鰻屋まで含む、実に楽しい高座。




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# by kogotokoubei | 2017-02-05 17:54 | 落語のネタ | Comments(8)
 桂春之輔が、来年四代目春団治を襲名するというニュースには、驚いた。
毎日新聞の該当記事

 三代目のご指名だったんだ。

 春之輔をよく知らないので、何とも言えないのだが、ちょっと時期が早すぎるような気がするなぁ・・・・・・。

 襲名と言えば、落語芸術協会の桂小南治が、今年9月に三代目小南を襲名する。

 毎席ごとに月に三回送られてくるのが楽しみな落語芸術協会のメルマガには、小南治の「小南への道」という連載(?)があって、毎回楽しみにしている。

 第一回は、昨年11月上席のメルマガだった。
 引用する。

---------------------------------------------------------------------------
【小南への道】 ~桂 小南治~
---------------------------------------------------------------------------
興行は来年9月21日新宿末広亭から始まります。
役員会議で決定されましたが、まだまだ何も手を付けておりません・・・。

そこで、私の入門の経緯など書かせて頂きます。

御存知の方もいらっしゃると思いますが、私の親父は紙切りの二代目林家正楽で、
二楽は私の実弟です。そして、親父の一番弟子が現三代目の正楽師匠です。小学校
の頃から何の違和感も無く、いずれ親父の後を継いで紙切り師になるものと思って
いました。その為には人前でもあがらない様、また、自分の手元では無く他の師匠
の所で修業させようと親父は学校寄席などで良く御一緒した鷺ノ宮の小南を選びま
した。

 二代目正楽は、テレビで見たような記憶はある。
 非常に貫禄のある姿だったはず。

 12月上席版もご紹介。最初に名をもらったことなど。

---------------------------------------------------------------------------
【小南への道】 ~桂 小南治~
---------------------------------------------------------------------------

初めて対面した小南師匠は、この年還暦を迎えております。
正楽の隣で何もわからず正座をしている18歳の私に諭す様に話してくれました。

「この世界は弱肉強食じゃよ。一人前になる事が出来れば、こんないい商売は無いよ。
その分、なり損ねると惨めなもんじゃ…。高座には千両箱が落ちていて、それを拾いに
行く、っと言う気持ちを持つ事じゃよ。」

「噺家の空気に慣れる事。その為に鷺ノ宮のアパートに下宿して、毎朝、ここへ来て掃
除をするんじゃ。それと用足しなどもな。それから頭も、もう少し短く苅っといで!」

今朝、床屋へ行ったばかりの私は小さな声で「はい。」「はい。」と返事をするのがや
っとでした。 何も知らない子供の私には落語界が怖くて仕方なかったのです。

「正楽さんの楽で、南らくにしよう!」

名前も頂き帰り仕度にかかりますが、慣れない正座で痺れが切れて立つ事が出来ません
。これを見た、おカミさんが一言。

「ウチに来れば正座なんて直ぐに慣れる様にしてあげるから!」

私は、益々、この世界が怖くなりました。

 先日届いた、2月上席版には、兄弟子に関する、少し悲しい物語があった。

---------------------------------------------------------------------------
【小南への道】 ~桂 小南治~
---------------------------------------------------------------------------
小南一門は弟子が7人居ました。
前座名、南らくと言った私が一番の末弟です。

2ヶ月先輩で約1ヶ月、共に前座修業をした、なんば兄さん。
私より三つ年上で、もうお酒の味を知っていました。毎晩、遅くまで呑むのでしょう・・。
何時も師匠宅へは遅刻です。

南なん兄さん、当時、南てんと名乗った金太郎兄さん、なんば兄さん、そして私、四人は毎
朝9時に師匠宅へ行き掃除から一日が始まります。ところが、掃除を終えて朝食を頂く頃に、
なんば兄さんが真っ赤な目をしてやって来ます。と、自衛隊出身の南てん兄さんが
「表へ出ろ!」

玄関のドア越しに

「兄さん、堪忍しとくなはれ…明日からは必ず・・・。」
「その言葉は昨日も聞いた!」

何処の世界でもそうですが時間にだらしが無い・・・これはいけません。

師匠の口から「破門・・・。」の言葉が出ました。

大阪生まれのなんば兄さん、
「南らく、頑張りぃや・・・。」
鷺ノ宮の三畳一間の私の部屋で、キツく私を抱きしめて辞めて行きました。
そして、入門の際、師匠が私に言った 「弱肉強食」 こんなところにもあるものかと知りました。

 なかなか、興味深いでしょう。

 立川談春の『赤めだか』を最初に読んだ時や、最近になって立川談四楼の『シャレのち曇り』(そのうち記事にするつもり)を読んだ際にも感じた、落語家という芸人の修業時代の内幕を覗き見る楽しさがある。

 二代目桂小南は、京都に生まれ、東京に来てから三代目金馬の内弟子となった後で二代目小文治の預かりとなったが、上方落語を学び直し、独特の小南落語を作り上げた人。
 小南の名は、初代の弟子だった八代目文楽の了解を得て名乗った。
 先日の末広亭で円馬が演じた『ふぐ鍋』をはじめ『いかけ屋』『ぜんざい公社』『夢八』などが十八番として有名。
 今は亡き桂文朝や、現在は落語協会の桂南喬も小南の弟子。
 私は小南の名が復活するのは、二代目や初代が振り返られることにもなるだろうから、大いに結構だと思う。
 
 小南治も、なんとも個性的な噺家さんで、襲名を機に、先日の『隣の桜』などの上方ネタを聴く機会が増えることを期待している。


 芸協のメルマガには、定席寄席の出演者一覧や該当期間の落語会の情報もリンク先URLを含め掲載されていることに加え、このような読み物の連載や新真打のメッセージなどもあり、メルマガとしては実に良く出来ていると思う。

 ご興味のある方は、ぜひ登録なさっていはいかがだろうか。
落語芸術協会サイトの該当ページ

 そうそう、あの落語協会も、かつてはメルマガを発行していたのだよなぁ・・・・・・。

 あえておことわりするが、私は芸協の回し者でもなんでもない。

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# by kogotokoubei | 2017-02-03 21:58 | 落語芸術協会 | Comments(6)

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『古典落語 正蔵・三木助集』(飯島友治編・ちくま文庫)

 末広亭から帰ってから、『古典落語 正蔵・三木助集』をめくった。

 記事でも、茶楽の高座『芝浜』に関し、本書の「注」から「盤台の糸底」と「ばにゅう」を引用した。

 『芝浜』には、「寄場(よせば)」について次のような注もあった。

寄場
寛政二年(1790)老中松平定信が、火付盗賊改役の長谷川平蔵に命じて、石川島と佃島の間の砂浜を埋立てて「人足寄場」を作り、無宿者や刑余者で引取人のない者、また軽犯者を収容した。そして、これらの連中の更生策として、いろいろと手に職を覚えさせる方針であったが、後には油絞りなど、重労働を課すようになった。当時、寄場へ収容されることは、俗に佃島送り・石川島送り・略して島送りなどと呼ばれた。また、この連中、柿色水玉模様の着物を着せられたので、世人は俗に「水玉人足」とも呼んでいた。

 池波正太郎の鬼平ファンは先刻ご承知かと思うが、落語好き、歴史好きには、なかなか楽しい注だ。

 他にも、正蔵の『こんにゃく問答』には、こんな注がある。

三界
仏教用語、欲界・色界・無色界を指す。欲界とは一切の衆生が生死輪廻する淫欲と食欲を持つ者が住む所。色界は淫欲と食欲を解脱〔離れる〕した者が住む所。無色界はすべての物質を超越した世界。なお、志ん生の演じる『風呂敷』に「女は三階に家なし」とクスグルのは、この三界〔三階〕であるが、要は安住の場所がないの意である。

 紹介されている志ん生の『風呂敷』は、秀逸なクスグリの宝庫とも言える。
 「女、三界に家なし」のついて補足すると、女性は子どものときは親に、嫁に行ってからは夫に、老いては子供に従うものだから、広い世界のどこにも身を落ち着ける場所がないという意味なのだが、現代では、まったく通じないだろう^^
 そんなこと言ったら、女性蔑視と非難されるのがオチ。

 ちなみに、無色界の最高の位を「有頂天」と言うんだよね。

 正蔵の『首提灯』には、ある人物の説明がある。

白井権八
鳥取城主の家臣の倅。寛政十二年(1672)同藩の侍を殺しで江戸へ逃げて来て、諸大名の所へ転々と侍奉公。延宝六年(1678)自首して磔になるまでの三年間に、斬取り強盗で百三十余人を殺した。その間、吉原三浦屋の遊女小紫と相愛の仲となる。権八の刑死(二十五歳)後、小紫は、東昌寺の住職が建てた墓前で自殺。さらに後年、好事家が造ったのが、有名な目黒の「白井権八・小紫の比翼塚」である。なお、歌舞伎に鈴ヶ森で幡随院長兵衛との出会いの場があるが、権八が江戸へ来たのは、長兵衛の死後二十五年目である。

 勉強になるのよ、落語は。

 『首提灯』で思い出した。

 志ん朝の大須のこの噺のマクラを書き起こしたが、志ん朝が、落語の言葉が伝わらない、と嘆いていたっけ。
 あらためて、少し紹介。
2016年3月26日のブログ

粗忽なんて言葉も分からないですね。粗忽ってのは、何なんですか、ってね。お若い方の中で、今日お見えになってらっしゃる方で、ご存じない方もいるかもしれません。シーンとしたところを見ると、ご存じないかもしれない。そそっかしい人のことを言うんですよ、粗忽と、粗忽者なんてぇこと言うの聞いたことない、聞いたことありません、なんと言うんでね、はっきり断られっちゃう
 で、こうなるとこっちも面白いなぁと思っていろんなことを聞くんですよ。雪隠って知ってる、とかね、ハバカリってなんだか分かる、とか。そやって聞いてたんですよ。そしたら、やっぱり私たちの噺のほうは昔の住居が出てきますから、行灯って知ってるってたら、知らない人のほうが多いですよ、若い子で、行灯。「行灯知ってる」「知りません」「なんだと思う」「食べ物ですか」・・・よく聞いたらね、天丼だとかカツ丼だとか、そういう類(たぐい)だと思ってるらしいんです。その想像も素晴らしいんです。っていうのは結局、なんかあんかけのなんかどんぶり物じゃないか、とそれがあんどん。はぁ、いいなぁと思ってね、嬉しくなりましたね、えぇ。よく時代劇なんかでもって灯りがつくでしょう、家(うち)ん中で、あれが行灯よ、あぁそうですか。敷居は知ってるったら、敷居は知ってますね、鴨居は、ったら鴨居は分からない。鴨居が分からないから、長押(なげし)はよけい分からない。というようなことになってる、ねぇ。
 これは、急にこういう話になっちゃって、私もこれから先のことでもって、皆さま方にお願いがあるんですが。おうちのお子さんにねぇ、やっぱりたとえ嫌がっても、教えた方がいいですよ、日本のことですから。外国のことじゃないんですから。

 そうなのですよ、外国のことじゃない、我が日本のことなのです。

 しかし、その国の親方、「云々」がデンデンじゃ、デンデン駄目でしょ!

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# by kogotokoubei | 2017-02-02 12:54 | 落語の本 | Comments(2)

 1月の記事別アクセスランキングは、次のような結果だった。

1 NHK「超入門!落語 THE MOVIE」、10月19日よりレギュラー放送開始。(2016.9/30)
2 NHK「超入門!落語THE MOVIE」、高座のみの放送を望む! (2017.1/5)
3 NHK「超入門!落語THE MOVIE」で高座動画を公開! (2017.1/12)
4 命日に、“キザな小円遊”という虚像を思う—『談志楽屋噺』より。 (2013.10/5)
5 今年のマイベスト十席 (2016.12/29)
6 メリル・ストリープのスピーチで思うこと。(2017.1/11)
7 桂りょうば誕生-桂枝雀の長男前田一知が、桂ざこばに入門。 (2015.9/1)
8 正蔵の「たけしのエンターテインメント賞」受賞を案内する、落語協会の不思議。
(2017.1/25)
9 1月31日は「愛妻の日」で、午後8時9分に「ハグ」するって、知ってた? (2013.1/31)
10 成田屋のこと。 (2013.2/4)

 トップ3を、NHKの落語THE MOVIEに関する記事が占めた。
 三つの記事のアクセスの合計は、2000に近い。
 結構、観ている人が多いのは、テニス仲間との会話でも感じた次第。
 来週8日の放送で、とりあえず今シーズンはお開きらしい。
 動画が掲載されたことは、それを期待していたので、嬉しいことは嬉しい。
 しかし、あくまで短縮版なので、この番組で落語に興味を持たれた方は、ぜひ寄席や落語会で生で聴いていただきたい。
 そうそう、今夜の鯉昇の『ちりとてちん』などは、鯉昇の表情を見ている方が、アテブリより、ずっと可笑しいはずだ。
NHKサイトの同番組のページ

 4位以下は、古い記事も混在。

 4位は、三年半前の小円遊に関する記事。
 「笑点」がらみも含む検索の結果だろう。
  歴史にタブーな「IF」だが、昭和55(1980)年に43歳の若さで亡くなっていなければ、五代目円遊を継いでいただろう。
 落語芸術協会の看板となっていたはず。

 昨年末のマイベスト十席の記事が5位。
 
 6位にメリル・ストリープのゴールデングローブ賞授賞式でのスピーチに関する記事が入ったのは、結構嬉しい。
 トランプ、分かりやすい位に、本性を現している。
 イスラム七か国の人々を入国させない、という明らかな差別に対し、何もコメントできないのが我が日本の首相かと思うと、あまりにも情けない。
 
 桂りょうばの記事が上位に入るということは、彼が活躍している、ということなのだろう。

 愛妻の日について書いた古い記事にアクセスが多く、驚いた。
 書いた本人にとっては、結構迷惑な記念日^^

 成田屋の記事も古いものだが、海老蔵の奥さんに関係する検索などの結果かと察する。


 さて、節分が近づき、恵方巻きという、まったく文化としての歴史背景のない、コンビニ商法のポスターが目に入る。困ったものだ。

 
 
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# by kogotokoubei | 2017-02-01 21:50 | アクセスランキング | Comments(2)
 寄席禁断症状のため、午後から休みを取って、少し本屋に立ち寄ってから末広亭の下席楽日に駆けつけた。

 旧暦なら正月三日、まだ休み、と言い聞かせて休んだ次第^^

 三時を少し回った昼の部の仲入り後、クイツキの鯉橋『道灌』の途中で入場。
 鯉橋、少し貫禄がついた印象。
 ゆめ子・京太の漫才は後ろのパイプ椅子で聴いた後、桟敷も結構な入りなので、椅子席の空きをみつけて、残りの昼の部を聴いた。

 順に感想など。

<昼の部>
三遊亭とん馬『他行(出張)』 (15分 *15:25~)
 この人も、このネタを生で聴くのも、初である。とん馬としては三代目、師匠遊三が二代目だったらしい。ちなみに、大師匠の四代目円馬が初代とん馬。
 見た目は、志ん輔に似ていなくもない。
 与太郎が、父親に頼まれ借金取りが来たら、「お父さんは出張でいない」と答えて追い返せ、と口上を書いてもらい、父親は二階で昼寝。
 何人かは目論見通り追い返したものの、風が吹いて口上書きが飛ばされ、やっと見つけて読み上げると、相手から「出張って何か知っているのか」「知ってるよ、二階で昼寝することだ」でサゲ。小咄に近いネタ。
 「他行」では今の時代に通じないから、「出張」なのだろう。
 デジタル大辞泉で調べると、「他行」はこう説明されている。
た‐ぎょう〔‐ギヤウ〕【他行】
[名](スル)よそへ行くこと。外出すること。たこう。
「明日から―するかも知れないが」〈木下尚江・火の柱〉

た‐こう〔‐カウ〕【他行】
[名](スル)「たぎょう(他行)」に同じ。
「此両三日職務上―したり」〈蘆花・不如帰〉
 落語って、勉強になるねぇ。
 あえてマクラで仕込んで「他行」のままでも良いようにも思うが、それだけ時間が長くなるね。難しいところだ。
 珍しいネタを楽しませてくれた後に、かっぽれも披露。
 芸協の寄席だなぁ、と感じさせてくれる好高座。

桂歌春『強情灸』 (16分)
 マクラで、落語家に本当の江戸っ子は少ない、師匠歌丸は横浜とふってから自分はロサンゼルスのビバリーヒルズと言って実際の出身地は言わなかったが、宮崎日向の出だ。
 軽いノリで、いつも朗らかな高座は、安心して聴いていられる。
 この人や、桂伸治などが高座に上がると、なんとなくホッとする。
 客を緊張させたり、身構えさせる噺家さんもいるからね^^

ボンボンブラザース 曲芸 (14分)
 十八番の紙の芸で、下手桟敷まで出張(他行?)し、帽子でも同じ場所のお客さんを巻き込む。このお客さんが、結構マジに帽子を投げるのだが、明後日の方角に行くものだから、客席大爆笑。
 いつもながら、流石の芸で、しっかり膝代わりを務めた。

三遊亭遊三『子は鎹』 (26分 *~16:37)
 最近、いわゆる“マイブーム”のネタ。
 期待して聴いていたのだが、正直なところ、熊さんと別れた女房の口調も同じように感じる一本調子で、噺にメリハリがつかない印象。
 母親が握るのが玄能ではなくカナヅチだったのも、残念。
 つい、耳に残る志ん朝や小三治、そして小満んと比べてしまうからかもしれないが、楽日の高座としては、期待外れと言わざるを得ないなぁ。

 ここで、昼の部がハネた。

 一斉にお客さんが退場。
 好みの下手桟敷に場所を確保し、コンビニで買ったおにぎりで夜の部に備えた。
 昼の部がほぼ満席近かったのに比べ、四割程度の入りにまで減ったのは、少し残念。

<夜の部>
春風亭昇市『つる』 (10分 *16:47~)
 初。昇太の七番弟子とのこと。
 ご隠居の科白が、仲間同士の会話に聞こえる。無駄なクスグリなど入れずに、本来の二人の会話をそれぞれの人物の気持ちになって語る稽古をして欲しいものだ。

橘ノ双葉『一眼国』 (10分)
 初めての女流。こういうネタに挑むのは結構なのだが、やや上すべり気味。
 マクラでは、もう少し仕込みが必要だった。持ち時間がないから焦ったのかなぁ。

マグナム小林 バイオリン漫談 (11分)
 話芸の部分に、もう少し工夫が欲しい。
 また、この芸なので、和服である必然性はないように思うなぁ。
 特に後半の曲弾きとタップダンスは、洋服の方が似合うのではなかろうか。
 ご本人としては、袴に執着する思いがあるのだろうが・・・・・・。

桂小南治『隣の桜(鼻ねじ)』 (13分)
 円満と昼夜交替したようだ。少し早いですが、と言って披露した上方ネタ。
 独特の声、仕草、表情などで、楽しく聴かせてくれた。花見の宴の場面では、ハメモノ入り。一瞬、高座が上方落語の世界に早変わり。
 この噺では、七代目松鶴を継いだ松葉を思い出す。
 九月に師匠小南の名跡を継ぐが、何とか披露目に行きたいものだ。

桂文月『出来心』 (12分)
 初。後で調べたら、十代目文治の七番弟子のようだ。
 なんとも不思議な印象。もう少し弾けると、南なんのような味が出るような気がするが。

宮田 陽・昇 漫才 (13分)
 芸協の若手(中堅?)漫才の筆頭格か。空席の目立つ客席だが、奮闘。

桂米福『てれすこ』 (14分)
 2015年12月に国立演芸場で『時そば』を聴いて以来。
 米丸一門なのだが、二度とも古典。
 サゲは、かみさんが火物(=干物)断ちをしたから、ではなく、魚は勘弁サバかれる、に替えていた。元は上方ネタで、東京では円生がよく演じていたようだが、こういう噺、好きだなぁ。
 噺家さんらしい見た目も含め、印象は悪くない。

三遊亭円馬『ふぐ鍋』 (15分)
 大いに笑った、圧巻の高座。
 家の主人と出入りの幇間が、初めてフグを食べる、という冒険(?)談。
 二人とも、怖くて箸をつけられない時、お余りをもらいに、おこもさん(乞食)が訪ねてきた。主人が、おこもさんを実検台にしようとフグを少し分け与える。しばらくして幇間の繁が、おこもさんをつけて行って、橋の下で息をして寝ているのを確かめてから、ようやく主人と繁は食べる始めるのだが、その場面の可笑しいこと。
 そのおこもさんが本を読んでいて、それがリフォームの本というクスグリも、なんとも可笑しい。
 鍋から湯気が見えたように思えたし、とにかく主人と幇間の繁が、おそるおそる鍋のフグの身を口に入れようかどうしようかと、相手の様子を探りながら苦闘する場面の、顔や口、目の表情が出色。柳家金語楼を彷彿(?)とさせる演技で、会場からは、実際の倍以上お客さんがいるかのような爆笑が起こった。
 ほぼ、二代目小南の型なのかと思う。
 こういう噺を聴くと、芸協の寄席の良さを再認識する。
 短い寄席の高座だが、今年のマイベスト十席候補としたい。

北見伸 奇術 (15分)
 ちょっと一服の時間とさせていただいた。
 最後に教えてくれた手品は、後ろのパイプ椅子で見ていたが、どこかでやってみようか^^

春雨や雷蔵『権助提灯』 (12分)
 酒も女も過ぎてはいけない、どちらも二合(号)まで、というマクラ、ぜひ使わせてもらおう。
 いいなぁ、こういう高座。
 芸協の寄席では欠かせない人ではなかろうか。
 女房とお妾さんの演じ分けも見事だし、主役の権助もなんとも楽しい。
 寄席の逸品賞候補として印をつけておこう。

神田松鯉『扇の的』 (15分)
 仲入りは、この人の講談。
 落語の間に色物だけでなく、講談が入るのは気分転換にもなって好きだ。
 玉虫御前の美しさを形容する長い言葉があったが、メモるの忘れたなぁ。
 この日は、最後まで眼鏡を外さなかった。そういうことも、あるのだねぇ。

春風亭昇乃進『看板のピン』 (15分)
 クイツキはこの人。柳昇に入門し、現在は小柳枝門下。
 元気なのは結構・・・なのだが。
 師匠は、昨年四月に脳梗塞で倒れ、現在は退院もし寄席復帰を目指していると聞く。
 早く、あの渋い高座に再会したい。

Wモアモア 漫才 (14分)
 前半は千代田区長選挙やトランプのイスラム七か国入国禁止令などの時事問題を、結構真剣に語る。
 やや、会場が冷えてきたとみて、いつものネタに入り、場内の笑いの温度も上がった。
 相撲ネタから下手の東城しんが、行司の口調を繰り返すネタは、初めて聴いた。
 しんが家に行司の口調で帰宅を告げ、女房役の東城けんに向かって「飯だ」と言って、けんが冷や飯を出し「何だ、この冷や飯は」への返事は・・・お察しの通り^^

桂南なん『徳ちゃん』 (14分)
 この噺を芸協の噺家さんで聴くのは初めてではなかろうか。
 見た目が、なんとも言えない芸人さんの味がある人なので、こういう噺も実にニンだ。 人によってクスグリをたくさん入れることができるネタ。
 徳ちゃんが通される“離れ”の形容などが、頗る可笑しかった。
 貧乏噺家に向かって妓夫太郎が「この手のひらに愛を乗せて!」なんて一言も笑える。
 サゲも工夫されていて、終始会場を沸かせた。

三笑亭夢太朗『浮世床』 (13分)
 師匠夢楽が神田の生まれと言っていたが、調べてみると岐阜の地名だった、とのこと。
 主任の茶楽の時間を作るためだろう、あっさり目でサゲた。

翁家 喜楽・喜乃 太神楽 (10分)
 喜乃さんの芸、以前より落ち着いてきた印象。
 その笑顔が、なんとも良い彩りとなる。

三笑亭茶楽『芝浜』 (26分 *~21:00)
 旧暦では、この席の間に年を越した勘定になるから、このネタは旬のうち。
 三木助版を基本としているのだろう、芝の浜で財布を拾う場面も挟んでこの時間なのだから、よくぞ縮めたものだ。
 冒頭場面で登場するキーワード(?)、「盤台の糸底」や「ばにゅう」も、しっかり押さえる。
 今では、こういう言葉も落語でしか聞けないねぇ。
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『古典落語 正蔵・三木助集』(飯島友治編・ちくま文庫)

『古典落語 正蔵・三木助集』の注を引用しておこう。
盤台の糸底 棒手振が天秤でになう盤台は、普通、小判型盥状の木桶である。長く使わないでいると、木が乾燥して水が漏るので、裏返して、糸底、つまり底板を嵌め込んだところへ水を満たして木を膨張させてから使う。
ばにゅう 盤台の上に重ねて載せる木製の容器。棒手振の魚屋は、これに包丁その他道具類を入れる。
 茶楽の高座、サゲ前の福茶なども含め、こういった季節や職人さんたちに関わる言葉を大事にしているんだろうなぁ、と思わせた。
 やや短縮版にした分だけ駆け足の感は拭えないが、予想もしなかったネタに満足。
 

 今年の初寄席、いろんな高座があったが、何より円馬が特筆ものだったし、雷蔵や南なんも寄席らしい好高座。とん馬との出会いもあった。
 そして、楽日に、今松のように『芝浜』で締めた茶楽も良かった。

 夜の部の客の入りは、昼に比べて激減したが、決して芸協の寄席は悪くない。
 果たして落語研究会のプロデューサーは、芸協の寄席に通ったことがあるのだろうか、などと思いながら地下鉄で帰路についた。

 本格的な古典落語を演じる実力者が落語協会に多いのは、百も承知。
 しかし、現在の第五次落語研究会が始まった頃、四代目三遊亭円遊がレギュラー的な扱いだった時期がある。発案者の川戸貞吉さんには、円遊のような味わいのある噺家を評価する鑑識眼もあった、ということだろう。
 来月主任の鯉昇はよく声がかかるようだが、他にも芸協ならではの味のある噺家さんはいるのだ。
 茶楽や円馬などは、ぜひ知って欲しいなぁ。蝙丸、雷蔵、伸治、柳好などもいる。
 そうだ、寿輔だって、半分の客が席を立とうが、いいじゃないか^^
 せめて、割合にして五人に一人は芸協から出演者を選んでも不思議はない、などと思いながらビールを飲んでいたら、物足らなくなって日本酒も少々。
 肴は、末広亭の売店で買った豆菓子の残り。
 残念ながら、ふぐ鍋は、なかった。
 

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# by kogotokoubei | 2017-01-31 22:06 | 落語会 | Comments(4)

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by 小言幸兵衛