噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

 ある落語愛好家の方から、むかし家今松の『お若伊之助』は、円生版を踏まえていると教えていただいた。
 
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三遊亭圓生著『寄席育ち』(青蛙房)

 そんなこともあって、円生の『寄席育ち』をめくっていた。
 「話しぐせ」という章に、「・・・・・そうしてからに」という口癖を先代(義父)に直されたことや、「尻(けつ)が切れる」(言葉尻がふわふわっと消えてなくなる)のを注意されたことが書かれている。

 その後に、次のような文章が続いていた。

 それから“噺が箱にはいる”ということを言います。あたくしが若い時分、教わったとおり一生懸命に練習して演る。すると、きちィんと一分一厘まちがいなく、言い違いもなく出来るわけです。そのかわり、ひと言何かここへ入れてみようと思っても入れることが出来ない。一つ一つの言葉がきちッとつながっちゃって、何もはいる余裕がないんですね。これを“箱へはいっちまう”といって、伸びる可能性がやや少なくなった状態です。この時も先代(おやじ)に「噺をこわせ、こわせ」と言われる。しかし、こわせってのは、どういうふうにやったらいいんだろうと考えたが、判らない。とにかく言葉が固まっちゃいけないから、もっと自由にしようと思ってやってみたが、なかなか出来ない・・・・・・あんまりきちんと覚えすぎて、自由さってものが少しもないわけです。約五、六年かかりましたね、噺をこわすのに。かちッと固まったものを今度はほごそうとして、出来ないから、新しいものを覚えて、古い噺は演らなくした。それで五、六年たって、やや忘れた時分に古い噺をまた始める。そうすると先(せん)よりは自由になってくる。これは小円蔵あたりから・・・・・・円好の時代までやっていたかもしれません。固まった噺はよして、新しい噺や、いくらかほごれてきた噺をするようにした。それからは噺が固まらないようにという癖がついて、同じに演ろうと思ってもどうしても出来ません。毎回いくらかずつ違う。そのかわり抜こうと思えば抜けるし、入れようと思えば入れられるし、言い方を変えてみることも出来る。もちろん、それがあたりまえのことで、時間の延び縮みが自由に出来なければ商売人じゃアありません。そのかわりあたくしの噺は、疵がずいぶん多い。言い間違いがあったり、はッとつかえたりすることもある。しかし芸はとにかく固まっちゃいけないと思います。芸は少しでも動いている間は伸びる可能性があります。全然動かなくなって、水でいえば溜り水になるのが一番いけません。少しずつでも流れていれば、いくらかでも先に行けるわけですから。

 なかなか深い話だ。

 “箱にはいった”噺は、考えようによっては、実に演りやすい噺で、“箱”ではなく“十八番(おはこ)”に近いかもしれない。

 しかし、成長途上の時に、得意ネタが固まらないように、あえてしばらく置いておく。
 なかなか出来ることではないだろうが、現代の噺家さん達にとっても、含蓄のある忠告だと思う。

 義父であった五代目円生が、六代目にとって実に得難い師匠であったことが、この本を読むと分かる。

 この文章の後も、ご紹介。

 芸はなにによらず、完成してしまうと面白味がなくなるといいます。もう少しで完成するんだが・・・・・・という、そこに興味がある。“未完成の完成”という、これは伊東深水先生からうかがった言葉ですが、あたくしは生涯未完成でありたいと思います。未完成でしかも完成した芸に、人も自分もまだ先の望みのある芸になりたいと思います。

 本書の初版は昭和四十(1965)年。
 明治三十三(1900)年生まれの円生が六十五歳の時。
 
 その頃に「生涯未完成でありたい」と言っていた円生。

 私は、かつて円生が苦手だった。
 一つは、八代目正蔵が好きだったので、その敵(?)が好きになれなかった、ということもある。
 また、その人柄について、あまり好ましくないことも本などで知ることが多かった。

 しかし、今は、そういった先入観を払拭しつつある。
 音源を聴くと、やはり、巧いと思う。

 たとえば、『包丁』。
 談志が談春のこの噺をべた褒めしたようだ。
 私は新文芸坐で聴いている。たしかに、悪くはない。
 しかし、円生の音源とは、比べようがない。
 当り前だが、小唄一つとっても、まったく芸の深さが違う。
 
 あらためて円生という人を見直す文章を読んで、もっとあの人の音源を聴かなきゃ、と思うのであった。
 
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# by kogotokoubei | 2017-06-20 12:51 | 落語の本 | Comments(4)
 落語協会の秋の真打昇進披露興行の案内が、同協会のホームページに先週載った。
 春五人に続き、三人が昇進する。
 案内の内容を、引用する。
落語協会ホームページの該当ページ

2017年06月15日
平成29年 秋 真打昇進披露興行

平成29年9月下席より
・桂三木男 改メ 五代目 桂三木助
・柳亭こみち
・古今亭志ん八 改メ 二代目 古今亭志ん五

前売り販売開始:7月21日(金)  ※国立演芸場のみ10月1日(日)より
お問い合わせ:一般社団法人落語協会 03-3833-8565
チケットぴあ:http://t.pia.jp/
Pコード入力または音声認識予約 ( 057 0-02-9999 )
ぴあプレミアム会員専用 ( 0570-02-9944 )
 相変わらずの、ぶっきらぼうな内容。
 各寄席の日程詳細は、添付されているポスターで確認してくれ、というのが落語協会の考えらしい。実に不親切。

 落語芸術協会は、二人の披露目は明日が池袋の千秋楽。
 その後の国立を含め、次のように案内されている。
落語芸術協会ホームページの該当ページ

更新日2017年6月11日
真打昇進披露興行。6/11より六月中席池袋演芸場です!

五月上席新宿末廣亭、五月中席浅草演芸ホールと続いてまいりました真打昇進披露興行、6月11日~池袋演芸場での興行となります。

昔昔亭 桃之助
笑福亭 和光

大盛況で新宿末廣亭、浅草演芸ホールの披露興行を終えて、益々の笑顔で張り切っております新真打の応援に是非寄席へご来場下さい。

真打昇進襲名披露興行

池袋演芸場 夜の部
6月11日~20日
主任予定日(※両名とも全日程出演致します)
桃之助 11.13.15.17.19
和 光 12.14.16.18.20

お江戸日本橋亭
6月22日 桃之助
6月21日 和 光

国立演芸場 昼の部(7日夜の部あり)
7月2日~10日
主任予定日
桃之助 2.4.6.8.10
和 光 3.5.7昼夜.9

お江戸上野広小路亭
7月1日 桃之助
7月2日 和 光

名古屋・大須演芸場
7月15日~17日
主任予定日(※両名とも全日程出演致します)
桃之助 15(1部・2部).16(1部)
和 光 16(2部).17(1部・2部)

 以前も書いたことなので、しつこい、というお叱りを覚悟で書くが、落語協会は文字情報としても日程を掲載すべきである。

 この五人、全員聴いたことがあり、なんとか駆けつけたい人はいるのだが、行けるかなぁ。

 
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# by kogotokoubei | 2017-06-19 17:53 | 真打 | Comments(0)
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佐藤光房著『合本 東京落語地図』(朝日文庫)
 前の記事で引用した佐藤光房著『合本 東京落語地図』からは、多くのことを学んでいる。

 今月初めて聴くことのできた立川ぜん馬。
 そのネタ『唖の釣り』の章で、この噺の舞台である不忍池には、埋め立てされる危機があったこと、そして、その危機から救った人たちがいたことを知った。

 引用する。
 戦後間もないころ、先代三遊亭金馬(昭和39年没)が『目黒のさんま』のまくらで「銀座の真ん中でカボチャができましたり、不忍池で稲刈りが始まりました世の中です」といっていた。昭和21年、浅草千束国民学校の戦災者救済会が、都公園緑地課と掛け合って弁天堂の南側六町歩を干拓、三年のあいだ米を作り、上野田んぼといわれた、と当時の新聞にある。

 一町歩は約3000坪だから、六町歩は・・・結構広いと言えるかな。
 引用を続ける。
 上野田んぼの計画には、先例があった。明治三年、池を埋め立てて水田にする計画が許可された。これを知って怒ったのが、池之端に住む亀谷省軒という詩人。悲憤の詩を作って、維新の功臣、五百円札の岩倉具視の執事山本復一に見せた。山本を通じてこのことを知った岩倉は、埋め立て計画を撤回させた。亀谷はのちに岩倉の徳をたたえる詩を作った、と『東京市史稿』にある。
 岩倉具視の五百円札、懐かしい。
 しかし、岩倉については、孝明天皇の暗殺犯人の首謀者と思っているので、あまり良い印象はない。
 とはいえ、市民の声に耳を向け、不忍池を守ったことについては、評価しなくてはいけないだろう。

 国民の声を無視して、やりたい放題のどこかの国の政府に比べれば、まだ、政治家がまっとうな時代の話。

 さて、話はまだ続く。
 昭和二十四年、埋め立て計画が再燃した。後楽園スタヂアムなど四団体が野球場を、一団体が遊園地づくりを計画し、計五つの請願が都に出された。公聴会が開かれたり、都議会建設委で球場建設の請願がいったん許可されるなど、危うく実現するところだった。
 結局は池を残せという世論が勝ったのだが、それにはひとつの面白い裏話があった。球場建設を計画した四団体のうちで最も有力だった「国際球場建設委員会」の代表、中島久万吉は、戦前に商工大臣を務めた財界人、ところがその夫人が、明治の埋め立てを阻んだ岩倉具視の孫だったのだ。「せっかく祖父が残したものを、孫の婿が埋めるのか」と攻撃されては、なんとも具合が悪かった。
 弁天島参道の天竜橋際にある「不忍池由来碑」の裏面には、天海僧正から上野田んぼは、野球場計画までの歴史が刻まれている。

 不忍池は、祖父と孫の岩倉具視一族によって守られてきたということか。

 どこかの政治家は、どうも悪い方向に祖父の血を継承しているが・・・・・・。

 近いうちに、不忍池と根岸に、どうしても行きたくなった。

 落語を素材に、いろんな史跡や歴史を知ることも、私の大きな楽しみの一つである。
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# by kogotokoubei | 2017-06-17 10:41 | 落語の本 | Comments(0)
 座間で今松『お若伊之助』を楽しんだ。
 あの噺はあくまでフィクションで、御行の松の根方に「因果塚」などはないだろう、と思っていたら、なんとなんと・・・・・・。

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佐藤光房著『合本 東京落語地図』(朝日文庫)

 佐藤光房著『合本 東京落語地図』(朝日文庫)から、引用する。

 まずは、御行の松について。

 御行の松は根岸四ノ九ノ五、荒川区との境に近い御行の松不動堂の境内にあった名松。寛永寺の門跡、輪王寺宮が上野山内を巡拝されるとき、必ずこの松の下で休まれたことからこの名がついた。

 この由来については諸説あり、今松は、慈眼法師が若い頃に近くで修業した、と言っていたような気がする。勉強不足で、詳しいことは分からないがご容赦を。

 引用を続けよう。

 大正十九年、天然記念物に指定された当時は、樹齢約三百五十年、周囲4.09メートル、高さ13.63メートルもあり、枝が傘を広げたように垂れ下がっていた。堂のすぐ前を音無川の清流が流れて、まさに「呉竹の根岸の里」風情だったという。
 ところが、この松は昭和三年に枯死してしまった。昭和五年、傍らに「御行松」と彫った大きな石碑を建てるとともに、記念に幹のいちばん太い部分を保存して石の台座の上に置き、しめなわを張って屋根をかけた。が、この幹も戦災で堂もろとも焼けてしまった。
 戦争は、いろんなものを焼いてしまったのだ。
 戦後、今度は土中から根を掘り出し、台座の上に飾った。この根っこは風雨にさらされて年々風化しているが、いまも堂の左手にある。堂の中には、この根の一部で下谷二丁目の桜田幸三郎という七十歳の大工さんが彫った、身の丈およそ40センチの不動尊もまつられている。
 昭和三十一年、二代目の松を移植したが、すぐ枯れた。五十年、三代目を植えた。まだ若木だが、これはすくすく育っている。
 この本の元となった朝日新聞の連載が始まったのが昭和61(1986)年、私が持っている文庫の発行は平成3(1991)年。
 三代目でさえも、植えられてすでに四十二年が経過している。
 
 さて、御行の松の歴史はこれ位で、問題の“塚”のこと。

 ところで、この三代目、石碑、初代の根っこなどの周りをよくよく探してみたのだが、肝心の因果塚らしいものは見当たらない。戦後、無住になっていた不動堂は、近く(根岸三ノ十二ノ三八)の西蔵院の場外仏道になったが、同寺の住職も、因果塚なんて聞いたことはない、という。ま、考えてみれば人間が狸の子を産むわけがない。どうやら根も葉もないつくり話のようだ。
 ところが、である。その因果塚が建立されたのである。
 初代の根っこを掘ったり、三代目を植えたりして不動堂の運営に当たっているのは、地元の不動講の人たちだ。三代目を移植して十年目の昭和六十年、講の集まりに志ん生、円生の『お若伊之助』のテープを持ち込んだ人がいた。その席でテープを聞いて、せっかくこういう噺があるんだから、いっそ因果塚をつくっちまおう、ということに衆議一致した。落語好きの人たちが見にきてくれて、ついでにおさい銭をあげてくれれば堂の運営もいくらか楽になる、というわけだ。
 五年後の平成二年五月二十八日、不動堂の境内に紅白の幕を張りめぐらし、「狸塚再建披露式」が盛大に行われた。「因果塚」はイメージが暗いというので、「狸塚」にした。「再建」と銘打ったのは、江戸時代にあった塚が長い歳月の間に失われ、それを復活させたという思い入れ。落語を実話扱いした遊び心が、下町っ子らしくて粋なところだ。塚は秩父の赤玉という高さ70センチほどの自然石。そばにみかげ石で彫った夫婦の狸を配した。

 実に、い~い話ではないか。
 こういう下町っ子の粋なところ、見習わなくちゃねぇ。

 度々参考にさせていただく、「落語の舞台を歩く」のサイトから、この塚の写真をお借りした。
「落語の舞台を歩く」サイトの該当ページ
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 今度近くに行ったら、ぜひ手を合わせようと思う。
 御賽銭も忘れずに^^

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# by kogotokoubei | 2017-06-15 12:36 | 落語のネタ | Comments(2)
 土曜日の「ざま昼席落語会」の今松の名高座二席の余韻がまだ残っている。
 一席目の『お若伊之助』は、かつて苦手なネタだったのだが、今松のおかげで印象が変わった。

 あの狸が伊之助に化けてお若に会いに来る場面の描き方などで、結構印象は変わるものだ。
 初五郎の根津-両国-根津-両国-根津、という行ったり来たりのドタバタが、まったくダレることなく楽しかった。

 この噺は、志ん朝がホール落語会でも少なからず演じていた。
 亡くなる半年前の朝日名人会の音源も残っている。

 そんなこともあり、朝日名人会がらみでネットを少しサーフィンしていて、Sony Music Directの“otonano”というサイトに、朝日名人会プロデューサーである京須偕充さんの「落語 みちの駅」というコラムがあるのを発見。

 朝日名人会の内容が中心だが、ざっと読んでいて、気になることがあった。

 それは、3月の名人会における柳亭市馬の『御神酒徳利』に関する内容。
Sony Music Direct「otonano」サイトの該当ページ

 引用する。
柳亭市馬さんは「御神酒(おみき)徳利」。数年前にいちどこの会で演じたネタですが、そのとき「東下り」の道中付けに少し乱れがあったので再演してもらいました。三代目柳家小さん以来の「占い八百屋」系「御神酒徳利」が大勢を占める今日、この大坂まで行く版は貴重です。こちらのほうが超現実の部分も含めて噺が格上だと思います。

 柳家の「占い八百屋」が大勢を占めて、それのどこが問題なのか。
 この噺は元が上方の「占い八百屋」で、東京への伝達経路には二つの流れがあると言われる。
 一つは三代目小さんが東京に移植したと言われており、柳家に伝わる「占い八百屋」だ。
 円生の御前口演に代表される番頭が大阪まで行く型は、五代目金原亭馬生が円生に伝え、円生が練り上げたと言われる。
 私はあの型では、円生より三木助の音源の方が好きだ。
 番頭が大阪に行く型は、どうしても時間がかかる。
 「占い八百屋」に比べてあまり演じられないのは、柳家の噺家さんが多いということと、その所要時間も影響しているのではなかろうか。
 柳家でも小満んはどちらの型も演じるし、私は瀧川鯉昇の大阪まで行く三木助版を踏まえたと思しき名演を二度聴いている。
 とはいえ、小満んも、落語研究会からの要望で演じたようだし、朝日名人会では京須さんが柳家の市馬に、柳家ではない型を、あえてリクエストしたわけだ。

 噺の元をたどるなら、番頭&大阪型の噺が「格上」とは言えないだろう。

 古くなるが、私は、第一回大手町落語会で権太楼が「占い八百屋」を演じた会の終演後のロビーで、番頭が犯人の型しか知らないお客さん同士が、「番頭じゃなく、八百屋なんだぁ」」と話していたのを耳にしたことを覚えている。
2010年2月27日のブログ


 それはともかく、気になるのは、“再演”のこと。
 読んでから、これはソニーで音源を発売するための再演なのだなぁ、と察したが、そんなのありか・・・と思う。

 かつて、まだ木戸銭がA席3500円の時代に、よく朝日名人会に行った時期がある。
 小三治の会はすぐにチケットが完売になっていたが、他の顔ぶれでは、それほどチケットが入手できにくいこともなかった。

 今は、木戸銭が高いことと、自分にとってあの会への有難味がなくなって、行く気にはなれない。
 結構“ハレの日”の落語会、という気分の高揚感のようなものが最初はあったが、それも次第に薄れてきた。
 そうそう、仲入りにシャンパンなんぞを飲んでいたことを思い出す^^

 いまだに、年間通し券、半年通し券の案内はもらうが、興味が薄れたことに加え、先の予定などは決められないので、内容に目を通すのみ。

 四月の会の記事では、一朝の初CDがもうじき出ることが書かれている。

 たしかに、志ん朝の音源なども含め、あの会は芸達者たちの音源を数多く出しているが、それが会の目的のようになってはダメなのではないか。

 以前の高座のやり直しで同じ噺家が同じネタ、というのは、決して“お客様ファースト”とは言えないだろう。

 落語研究会は、イーストの今野プロデューサーが人選、ネタ選びをしているようなので、京須さんは、あくまでテレビ用の解説者として関わっているのだろうが、朝日名人会は人選とネタ選びに加えソニーの音源制作にも関わっている。

 これって、結構凄い権力を持っているわけで、危険な面もあるように思う。

 数年前の高座が、残念ながら音源発売に及ばない内容であれば、その噺家のその高座は、残念ながら、二次的な商売と縁がなかったと諦めるべきではなかろうか。

 ソニーの音源発売のための再収録の場に朝日名人会を利用するのは、私は実に野暮なことだと思う。

 他に、その一席の枠を与えるべき噺家もいるだろうに。

 かつて京須さんの落語の本からは多くの示唆も受けたし、勉強にもなった。
 しかし、ここ数年の著作や、新聞などで書かれていることには、疑問を感じることも多い。

 老害とは言いたくないが、権力のある地位に長く居座ることは、政治と同じで、良いことはない。

 あの会についての小言は久しぶりだが、やはり、書かないわけいにはいかないと思う、コラムの内容だった。

 ソニーの音源を作るために朝日名人会が存在しているとするなら、高い木戸銭を払ってその場に足を運ぶお客さんを馬鹿にしていると言えないだろうか。

 生の落語会、寄席は、その一期一会が大事なのであって、その音声や映像は、あくまで二次的なおまけである。

 そのおまけのために、同じホール落語会で同じ噺家とネタが選ばれるというのは、本来の落語会の主旨に反する行為ではないか。

 私は、そう思う。


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# by kogotokoubei | 2017-06-12 22:09 | 落語会 | Comments(4)
 なんとか都合がついて、久しぶりに、自宅近くの歴史のある地域落語会へ。
 なんと、2015年8月の正雀・彦丸の親子会以来になった。

 通算207回目とのこと。
 通常は真打二名の二人会なのだが、今回は今松と二ツ目の市童。市童が前座の市助時代にこの会の前座役を長らく務めたご褒美かな。
 電話で当日券があることを確認していた。
 当日券販売は開演一時間前の一時からだが、ちょっと油断して一時半少し前に行くと長蛇の列。
 結局308席の会場には、八割を超え九割ほどのお客さんが入っていたような気がする。
 今松の座間での人気は、なかなかのものだということか。

 次のような構成だった。
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開口一番 柳亭市朗『狸の札』
柳亭市童  『棒鱈』
むかし家今松『お若伊之助』
(仲入り)
柳亭市童  『ろくろ首』
むかし家今松『笠碁』
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 感想などを記す。

柳亭市朗『狸の札』 (15分 *14:01~)
 初である。現在二ツ目の市楽の前座時代と同じ名。まだ、先代(?)の印象が残っている。
 見た目は市童より上に見えたので後で調べたら、やはり市童より四歳上の三十歳。
 どうもリズムが悪い。大きな声ではっきり、という基本はできているのだが、途中途中で小さなブレーキがかかるような印象。精進してもらいましょう。
 それにしても、以前、白酒が入門希望者が多く、結構前座になる前の待機児童(?)が多いと言っていたが、この人の落語協会のホームページでのプロフィールも次のようになっている。
2015(平成27)年2月9日 柳亭市馬に入門
2016(平成28)年4月1日 前座となる 前座名「市朗」

 一年余り、待機したということか・・・・・・。

柳亭市童『棒鱈』 (24分)
 久しぶりだ。名は童顔からきているのかもしれない、市朗よりはずいぶん若々しい。
 なかなかの熱演ではあったが、まだ肝腎の主役と言える酔っ払いの男が十分には描けていない。二ツ目としては十分に評価できる高座だが、私のこの人への期待は、もっと高いところにある。
 ぜひ、この噺を十八番とするさん喬など芸達者の高座で勉強して欲しい。
 酒は好きなようだが、酒飲みを演じることは上戸も下戸も関係がないことは、小三治が証明している。

むかし家今松『お若伊之助』 (53分)
 マクラでは、実は私も会場に来る際に気になった、地元を基盤とする、ある政治家のポスターのことにふれた。
 「ひたむきに これからも」というキャッチフレーズの元大臣の看板を見て辟易していたのだ。
 さすが、今松、「ひたむきに これからも 金集め」とひねった^^
 会場には支持者もいただろうが、結構笑いが多かった。今松、なかなかやるねぇ^^
 時事ネタが続き、「こりゃ旨い 安倍のおそばのもりとかけ いつの間にやらキツネとタヌキ」では、会場から大きな拍手。
 そんな私好みのマクラの後に、タヌキからつないだ、この噺へ。
 実はこの噺は苦手だった。それは、狸が登場する噺なのだが、サゲ前の筋書きがメルヘン調にはならず、残酷な印象があるからかもしれない。
 古くなるが、人形町らくだ亭で、さん喬、志ん輔で聴いているのだが、どちらも楽しむことができなかったのは、自分の記事を読んでも分かる。
2010年10月29日のブログ
2013年4月9日のブログ
 しかし、この今松の高座は、この噺への苦手意識を払拭してくれそうだ。

 こんなあらすじ。
(1)横山町三丁目、栄屋という生薬屋の一人娘が、一中節が習いたいと母親にせがむ。母親が出入りの鳶の頭初五郎に師匠を頼むと、もと侍で大変に堅いものがいる、自分が仲に入り保証するというので、その伊之助に来てもらうことになった。
(2)ところがこの伊之助が実にいい男で、お若が惚れ、二人がいい仲になる。気付いた母親は、初五郎を呼んで、三十両を出して二度とお若に逢わないと約束させるよう頼む。一方お若は、母親の義理の兄で根岸御行の松近くで剣術の町道場を開いている長尾一角に預けることとなった。
(3)一年ほどした頃、お若のお腹が大きくなりだした。これは一大事と一角が忍んで来る男を確かめると伊之助だ。翌日初五郎を呼んで話をする。手切れ金は確かに渡したのかと聞かれ頭に血がのぼった初五郎は、昨夜伊之助と吉原の角海老で一緒だったのを忘れ、伊之助のところへ駆けつける。しかし、伊之助に言われて昨夜のことを思い出し、根津に帰って一角に人違いだと告げる。しかし、一角に、伊之助が寝転かし(ねこかし)したのではないか、と言われ、初五郎、また両国に取って返した。しかし、また伊之助に昨夜は一晩中一緒に飲んでいたじゃないですかと指摘され、またまた、根津に戻る。
  (注)「寝転かし」は「ねごかし」とも言い、寝ている人をそのまま
     放っておくこと。特に、遊里で客が寝ている間に、遊女がこっそり
     いなくなってしまうこと。
(4)その夜、初五郎に確かめさせると、昨夜のは伊之助ではないが、今居るのは間違いなく伊之助だと言う。そこで一角が短筒(種子島)で撃ち殺すと、それは伊之助ではなく、大きな狸。その後お若は身籠り、日満ちて産み落としたのは狸の双子。すぐに死に、しばらくしてお若も亡くなった。お若と狸を弔うために御行の松の根方に塚をこしらえた。「根岸御行の松のほとり、因果塚由来の一席でございます」でサゲ。

 この筋書きで、初五郎が根津と両国を行ったり来たりする(3)の場面が一番の聴かせどころだが、今松の高座、なんと楽しかったことか。
 筋を知っていると、ここはダレる危険性があるのだが、今松の高座では笑い続けながら楽しむことができた。
 また、随所に入るクスグリや川柳なども実に効果的。
 たとえば、箱入り娘のお若に美男の伊之助を引き合わせる場面、「猫に鰹節、噺家に現金」で会場から大きな笑い。
 狸が化けた伊之助とお若が出会う場面の、去年(こぞ)別れ今年逢う身の嬉しさに先立つものは涙なりけり、なんてぇのも実に味がある。
 初五郎が根岸に呼ばれた時に門弟が、“に組”を“煮込み”などに聞き間違うところも、なんとも可笑しい。
 これだけこの噺を楽しく聴けたことはない。
 それは、きっと、狸が伊之助に化けてお若に会いに来る場面を、それほど怪談めいた、おどろおどろしい場面にしなかったからかもしれない。
 あの場面を湿らせすぎると、どうも後味が良くないのだ。今松のようにあっさり演じれば、この噺の味わいが大きく変わる。
 この人らしいマクラも含む長講を、まったく飽きさせなかった高座、今年のマイベスト十席候補とする。

柳亭市童『ろくろ首』 (26分)
 前半、伯父さんと松公との会話の場面は、良かった。
 松が兄と同じように「おかみさんが欲しい」と言う場面、なかなか「おかみさん」と言えなくて顔を歪めて苦悶する表情の楽しかったこと。
 この高座は、十分に真打のものだ。

むかし家今松『笠碁』 (38分 *~16:47)
 マクラでは巨人の連敗のことにふれる。私は同じアンチ巨人なので、心地よく聞いていた^^
 そこから、中国、トランプなど時事ネタになり、詳しくは書かないが、十分を超えるマクラがあったので、一席目の長講を考えると何か短めの軽い噺かと思っていたので、この噺と分かって驚いた。
 ネタにまつわる川柳、「ほんの一番と 打ち始めたのは 昨日なり」などをふって本編へ。
 師匠馬生とは若干設定が違う部分もあった。
 たとえば、待ったをする方の旦那、私が持っている馬生の音源では、前日に根岸の碁の先生のところに行き、待ったをしないよう忠告された、という設定。
 今松は、その日、相手を少し待たせたのは、根岸のご隠居のところに寄っていたからで、ご隠居に忠告されたのですが・・・となっていた。
 今松、この根岸のご隠居のことを語る場面、「剣術は、やりませんがね」と、一席目に関わるクスグリを挟み、客席から笑いが起こる。
 待った禁止でやりましょうと決める際の会話、「そうしましょう、そうしましょう、碁を打っているのか、待ったを打っているのかわかりませんからね」は、師匠譲りの楽しい科白。
 言い出しっぺの方が待ったを頼んだ後の会話が、次第に喧嘩腰になる様子の、なんと楽しいこと。
 待ったの旦那の科白は、「あなたが、そんな薄情な人だとは思わなかった」や、「人間の付き合いというものは、そんなもんじゃないでしょう」なども、客席からは少なからず笑いが起こる。二人の表情などが、十分に想像できるからだろう。
 「碁敵は 憎さも憎し 懐かしし」とふった後の再会までの後半の場面もダレることはなく、待ったの旦那が相手が現れたのを見た時の、「来たよ、来たよ」の今松の破れるような笑顔には、その旦那の喜びが溢れていた。
 この高座も、今年のマイベスト十席候補としない理由は、まったくない。

 
 なんとも驚きの二席。
 その余韻に浸りながら、駅までの道をゆっくり歩いていた。

 この日は、高座と客席が一体化した感じがしたなぁ。

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# by kogotokoubei | 2017-06-11 20:19 | 落語会 | Comments(0)
 夜の部、はじまりはじまり。

開口一番 桃月庵ひしもち『平林』 (8分 *16:45~)
 初である。前座としては、まあまあ、という印象。
 なんともひよわな印象を与えるが、高座は語り口もしっかりしている。見た目と高座のギャップは、一つの売りになるかもしれない。

林家たこ平『出来心』 (12分)
 本来は、朝之助・一蔵・一左の一之輔の弟弟子による交替出演枠なのだが、その誰でもなく、この人。三人とも都合が悪くなるなんてぇことがあるんだ・・・・・・。
 代演のたこ平は、マクラからリズムが合わない。言いよどみも多い。
 実に残念な高座。2015年の連雀亭初席で聴いた『松山鏡』などは、結構味があったのだがなぁ・・・・・・。
2015年1月4日のブログ

東京ガールズ 邦楽バラエティ (14分)
 一人は「非売品」、相方は「返品」という自虐ネタが、失礼ながら可笑しい。
 ♪ぎっちょんちょんも悪くないし、♪裏路地の~は、何度聴いても、歌った後のあの表情が可笑しい。
 三味線の腕も結構凄いのではなかろうか。
 この人たち、だんだん好きになってきた。

台所おさん『弥次郎』 (11分)
 名前にまつわる逸話などのマクラから本編に入ったが、この短い時間で客席を沸かせた、なかなかの高座だった。
 「柔道二十三段」「そんなのがあるかい」「先生がまけてくれた」なんて科白でも笑った。
 最初に聴いたのは九年前になるが、2008年の厚木で鬼〆時代。あまり良い印象はない。
 その後、連雀亭で聴いて印象は好転し、この高座では、結構唸った。
 そのなんとも言えない風貌も含め、実に個性的かつ古風な、噺家さんらしい人。

春風亭百栄『鼻ほしい』 (14分)
 おさんの次がこの人、という流れは、なかなかに楽しい。
 こういう地噺は、お手のものだなぁ。新作か地噺の百栄、ということか。

 この人のこの噺をいつ聴いたか調べたら、2011年1月25日の新文芸坐だった
2011年1月26日のブログ
 あの落語会には、何度か足を運んだが、2014年4月21日で終了した。
 百栄が『鼻ほしい』を演じた日は、他に三三と一之輔、そして三木男が出演。
 その時の記事で、プログラムに、本来担当されている新文芸坐の永田稔さんが静養中で、「落語ファン倶楽部」編集部の松田健次さんが代筆して出演者を短い言葉で評していたことも引用していたので、再掲しよう。
 □三三
  人心の深い闇をえぐりながらも、その一方で理屈に拠らない人間存在のユーモアを忘れません。
 □百栄
  一瞬「え!」という意外な映像演出を挟むなど新世代らしい遊び心を見せます。
 □一之輔
  あらゆるシーンに縦貫するやるせなさと可笑しみに目を離すことが出来なくなります。
 □三木男
  只今短編で腕を磨きつつ初長編の構想に明け暮れる若き監督の卵でしょうか。

 なかなかに適確な評ではなかろうか。

伊藤夢葉 奇術 (12分)
 いつもながらの技と話芸。いいねぇ。

古今亭菊寿『初天神』 (12分)
 初である。年齢は私とほぼ同じなのだが、もっとふけて見える(はず^^)。
 金坊の演出が際立った。たくさん店が出ているのを眺めながら「りんご・・・はいらないんだよね」「みかん・・・もいらないんだよねぇ」「バナナ!・・・もいらないんだよね」
 「りんごもみかんも、バナナもいらないんだよねぇ・・・・・・」の後に、じわじわと切なさがこみ上げ、次第に顔がくちゃくちゃになって泣き出す様子は、生の落語でなければ楽しめない。
 円菊一門、奥が深い。

橘家円太郎『浮世床ー本ー』 (16分)
 仲入りの一朝が休演で、正朝が仲入りになり、そこに代演のこの人。
 近くの若いカップルが懸命にプログラムを見て不審がっていたので、よほど教えてあげようかと思ったが、高座が始まっていたので、やめた。
 マクラが楽しかった。浅田麻央の父親になりたい、というネタで、ところどころに師匠小朝の前妻のことなども挟んだが、詳細は秘密。
 本編は、私が知る筋書きとは異なり、「まっこう、まっこう」「おい、松公呼んでるぜ」なども、ない。
 とにかく、本を読んでいる留さん(源さん?)が、読もうとして顔と口をゆがめる表情が可笑しい高座。マクラが長くなって短縮したのか、この人はこういう型なのか知らないが、寄席らしい佳品だった。

林家ペー 漫談 (14分)
 ギターではなく、師匠の奥さん(海老名香葉子)からもらった赤いバッグを持って登場。赤いTシャツには「余談」の二字。
 最後に自分の歌「余談ですけど愛してる」を披露し、カラオケで歌ってくれ、と言って退場。
 昭和16年生まれ、今年76歳での、あのパワー、凄いね。
 
桂文生 漫談 (15分)
 二日酔いの様子とは、この日は思えなかった^^
 円生や正蔵の声色を挟んでの漫談は、なかなかに楽しかった。
 寄席のこの人でネタを聴くのは、十回に一度位の確率ではなかろうか。

春風亭正朝『町内の若い衆』 (16分)
 一朝に代わる仲入り。
 こういう噺は、本当に上手い。太った女房を形容する「氷上のトドだね」とか、鼻の穴からタバコの煙を上に吐く女房の様子には「インディアンの狼煙か」で笑わせる。
 仲間が何か褒めるものを探そうと、蜘蛛、あぶら虫、ナメクジなどに溢れた(?)家を「まるで、ファーブル昆虫記だね」なども、センスの良さを感じる。
 弟子の正太郎も順調に成長しているように思う。親子会でもあるなら、行ってみたいものだ。


 -仲入り-

 昼の部の後、椅子席は四割ほどの入りに減ったのが、次第に埋まってきた。仲入り後には七割程度まで入ったのではなかろうか。桟敷は六割ほど。
 二階にはカメラが据えてあったが、撮っているのか、あるいはこの後で何かイベントでもあるのかな。

 さて、休憩も終り。

春風亭柳朝『持参金』 (15分)
 クイツキを主任の兄弟子が務めた。今や弟子10名を数える一朝一門の総領弟子。
 最前列の席の方は、奇術の美智さんにどこから来たか聞かれ北海道と答えていたから、もしかすると、柳朝のつながりの方だろうか。
 この噺も、一門や人によって微妙な違いがある。柳朝は、吉兵衛さんが翌朝、あの女性を連れてくるという設定。
 筋書きをご存じないお客さんから、サゲ前に、番頭ー男ー吉兵衛さんの関係が明らかになり、どっと笑いがくる。
 こんなに顔の表情のある人だったろうか、と思わせる熱演。
 柳朝のブログ「総領の甚六」によると、あの古今亭右朝から稽古をつけてもらったネタとのこと。そして、その歴史をたどると次のようになるらしい。
 春風亭柳朝-古今亭右朝-立川談之助-立川談志-桂米朝。
ブログ「総領の甚六」の該当記事
 なんとも、由緒ある噺ではないか。

ホームラン 漫才 (10分)
 落語協会漫才の重要メンバーという地位を確立しつつある、という印象。
 勘太郎と私は同じ昭和30年生まれだが、彼の方がふけて見えるよなぁ、間違いなく^^
 たにしの腹話術のような相槌が可笑しい。
 しっかり客席を暖め、トリの時間も確保する、名人芸だった。

春風亭勢朝 漫談 (11分)
 十八番の彦六ネタなどを含め、この人ならではの高座。
 
初音家左橋『替り目』 (11分)
 もっとも難しいとも言われる出番のヒザ前は、十代目馬生門下のこの人。
 ちなみに、昼の部では、はん治が務めた。
 なぜ、難しいかは落語愛好家の方なら先刻承知だろうが、盛り上げなくてはならないが、主任を喰っちゃいけない。また、それまで出ているネタと主任のネタにもをつかないようにしなければならない。
 なるほど、そういう位置づけには相応しい芸達者である。
 昼の部から通しで、なぜかこのネタが出ていなかったねぇ。加えて、『親子酒』や『試し酒』、『居酒屋』など酒の噺もなかった。
 何かつまむものはねえか、の後に納豆や、糠漬けの部分を省いておでん屋につなげ、いわゆる『元帳』でサゲたが、実に結構でした。

鏡味仙三郎社中 太神楽 (10分) 
 仙三郎、仙志郎、仙成の三人が揃って登場。
 今や落語協会の色物で香盤の一番上にある。
 土瓶の芸、和楽とは年季の違いを感じさせるなぁ、やはり。
 しっかり、トリにつなげました。
 それにしても、昼も夜もヒザが太神楽というのは、私のような(数少ない^^)居続けには、ちょっと残念。

春風亭一之輔『蛙茶番』 (33分 *~21:03)
 登場し、会場から「待ってました!」の声。
 少しの間を空けてからマクラに入ったが、前日に国立劇場の歌舞伎教室へ行ったとのこと。券をもらったらしい。高校生(一之輔いわく、北関東のどこかでしょう^^)が団体で来ており、説明役に若いイケメンの歌舞伎役者が出てきたら、女子高生がキャーッやら何やら嬌声を上げた・・・その後、そのイケメンが「ここが、花道」とか説明を始めたが、「あれ位なら私だってできる」と一之輔。
 歌舞伎の食事と寄席のそれ(おいなり)、客の服装、木戸銭などなどで歌舞伎より寄席がいいと言いながら、「早い話が、悔しいんです」と言う。本音なのだろう。
 そんなマクラから、昔は素人芝居が流行っていまして、と本編へ。
 なんとも結構なマクラなのだろう、と思いながら聴いていた。
 このネタのために、わざわざ歌舞伎教室へ行ったわけでもあるまい。こういう、生きのいい(?)ネタに関わりのあるマクラは、好きだ。
 「天竺徳兵衛」のガマ蛙の役を伊勢屋の若旦那が断って定吉にお鉢が回った。しかし、芝居番の半公が来ないので幕が開けられない。番頭に言われて定吉が半公を迎えに行き・・・という筋書きの中で、それぞれの人物が見事に描かれている。
 お店の主人の貫禄。知恵者の番頭のなんとも言えない、したたかさ。定吉の無邪気さ。建具屋の半次の一本気な江戸っ子ぶりと粗忽ぶり。風呂屋から芝居に向かう途中で出会う、鳶の頭(かしら)の鯔背ぶり。芝居の観客・・・・・・。
 聴いていて、素人芝居の舞台、客席が目に浮かんでくる。
 このバレ噺(艶笑噺)を、まったく下品さを感じない、質の高い爆笑噺に仕立て上げた。
 何と言っても、惚れている小間物屋のミー坊が帰っちゃ大変と、自慢の縮緬の褌を締めるのを忘れて湯を出た後、途中で頭(かしら)親娘に、その物を見せて「町内一」とか「これだけあると重い」と言うあたりで、会場がひっくり返るような大爆笑。近くに若いカップルがいたが、女性が大声あげて、泣きながら笑っていた。
 その御開陳のすぐ後に、頭が大慌てで「やめろ、やめろ!」と言って、娘に「見るなぁ!」と叫んで半公を隠そうとするあたりでも笑いが巻き起こる。
 もちろん、この人なりの楽しい演出も加わる。
 たとえば、最初に定吉が迎えに行った時、半公が怒って人差し指と中指で「目ん玉くり抜くぞ」と脅かされたことを番頭に言うと、「こうして防げ」と手の平を縦に目の前に構えてみせる。「足んなきゃ、両手で」と言う。これを、番頭のミー坊作戦の知恵を授かって再訪した場面で定吉が実践するところなども、実に可笑しい。
 科白で印象に残るものもある。定吉が、番頭の作戦を聞いた後の、「番頭さん、凄いですねぇ。味方にしておいて良かった」なども効果的な一言。
 あの禁演落語五十三席の一つであるネタを、女性が大声で笑える見事な噺に仕立てた高座、今年のマイベスト十席候補に選ぶ。いやぁ、笑ったなぁ。


 実は昼の部がはねた後で、末広亭の従業員の女性の方から、一之輔の初日から六日目までのネタをお聞きしていた。
 鰻の幇間・青菜・代書屋・化け物使い・千早ふる・百川、だったとのこと。
 そして、この日の蛙茶番。

 一之輔の2012年3月21日から5月20日までの真打昇進披露興行50日51席のネタは、以前書いた。回数ごとに、次のネタが並ぶ。
2012年5月21日のブログ

 5回(1):茶の湯
 4回(3):百川、子は鎹、粗忽の釘
 3回(4):欠伸指南、初天神、明烏、らくだ
 2回(6):短命(長命)、不動坊、長屋の花見、花見の仇討、青菜、藪入り
 1回(10):竹の水仙、雛鍔、くしゃみ講釈、鈴ケ森、蛙茶番、代脈、大山詣り、鰻の幇間、へっつい幽霊、五人廻し

 あの二十四席と、末広亭の主任興行のネタ、春から初夏までの同じような季節なので、同じネタが並ぶのは当然のことだろう。
 しかし、あの披露目では、代書屋、千早ふる、化け物使い、は演っていない。
 
 ネタも着実に増やしていることが分かる。
 
 そして、その高座に久しぶりに触れて、若さ、勢いを保ったまま、どんどん上手くなっていることを実感した。
 貫禄さえ感じさせる。
 横浜にぎわい座の地下秘密倶楽部“のげシャーレ”で二ツ目時代に聴いた時に、この人のチケットは取りにくくなるとは予想したが、まさか、NHKが「プロフェッショナル 仕事の流儀」で取り上げるまでになるとは、思わなかった。
 三三、白酒、などには良い刺激になっているだろう。
 
 落語協会は、今春五人、秋にも三人の真打昇進。
 あくまで、増え続ける二ツ目への落語家稼業スタートの儀式、ということか。
 抜擢昇進は、たった五年前のことだが、そんな大きな状況の変化が、ずいぶん前のことにも感じさせるのである。


 九時間近い居続けではあったが、昼の部では、いぶし銀とでも言える芸達者達による高座を楽しみ、最後には一之輔の見事な“芝居”を堪能した。

 やはり、寄席はいいねぇ。
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# by kogotokoubei | 2017-06-09 12:36 | 落語会 | Comments(6)
 休みをとっての末広亭居続けを敢行。

 途中で昼食をとりコンビニで助六などを買い込んで、12時15分頃に入場。
 一風・千風という、聴いたことのない漫才の途中だった。
 客席は椅子席で六割位、桟敷はパラパラと四割位。漫才が終わってからいつもの下手桟敷に場所を確保。二階席に修学旅行の団体の生徒さん達がいた。どこの学校か知らないが、先生は偉い。
 トリの時点で椅子席は九割近く埋まり、桟敷も七割方はお客さんが入っていたように思う。

 まず、昼の部について、出演順に感想などを記す。

三遊亭歌実 漫談 (12分 *12:20~)
 初。五月に二ツ目になったばかりの、歌之介の二番弟子とのこと。警察官から落語界入りとは珍しい。明るい芸風は好感が持てる。名前の由来は鹿児島の出身高校。警察官時代の逸話や外人のネタなどで客席から笑いをとる。師匠は一度は入門を断るものだが、歌之介は初対面で即入門となったとのこと。薩摩ということでのことかな^^

柳家三語楼『転失気』 (13分)
 いかつい風貌のこの人は、前座名のバンビ、二ツ目の風車から、三年前の真打昇進を機にこの懐かしい名の四代目を襲名したのだが、風車の時に感じた、いわゆるフラがこの高座からは感じなかった。誰でも通る芸の曲がり角かもしれない。今後に期待しよう。

ひびきわたる 漫談 (14分)
 煙管ではなくフルートを持って登場。実家の両親をネタにして、
 「母は、味噌汁薄いが化粧は厚い、父は耳は遠いがトイレは近い」などで笑わせるが、この人自身が昭和17年生まれで、今年75歳。そう考えると、実に若々しい芸と言えるだろう。

古今亭志ん弥『無精床』 (14分)
 愛犬家の私としては、この噺はサゲ近くで犬の話がやや残酷で好きになれないのだが、そういう点を差っ引いても、楽しい高座と言える。
 床屋の主の「おい、小僧、生きた頭につかまりな」などの科白がなんとも言えず良い。焙烙(ほうろく)のケツで小僧(奴)が稽古、なんて言葉も、焙烙という道具、言葉が失われつつあるだけに、歴史や文化を残すためにも落語が大事であると思わせる。
 寄席で重要な役割を担う噺家さんの一人と言えるだろう。円菊一門は、人材が豊富だ。

五街道雲助『粗忽の釘』 (14分)
 久しぶりの雲助。間違ってお向かいに行った後、「落ち着いて」隣を訪ね、女房とのなれ初めを独演する場面が、やはり頗る可笑しい。八五郎が彼女の八ツ口から手を入れてくすぐる場面は、何度聴いても笑えるし、最後に「そこは脇の下じゃないわよ・・・てな具合で一緒になりました」が、いいんだよ。
 二階席の修学旅行生には、少し刺激が強すぎたかな^^

のだゆき 音楽パフォーマンス (13分)
 三年ぶりだが、自分のスタイルを確立しつつあるようだ。
 コンビニのチャイムや救急車のサイレンの真似などの後で頭で演奏するピアニカ(本人いわく、神-髪-業)、二本同時に吹くリコーダーなどの芸の技量も高いし、なんとも言えないゆる~い語りも、板についてきた、という感じ。
 メールで届く案内で、結構、いろんな噺家さんの落語会の助演として名前を目にすることが増えてきたような気がする。認められてきた、ということだろう。
 夫婦楽団ジキジキも好きだが、ピンのこの人も貴重な」存在になりそうだ。
 
吉原朝馬『源平盛衰記』 (14分)
 地噺でいろいろと自分なりのクスグリを入れることができる噺だが、今一つ遊びの少ない大人しい高座だった。
 途中で「いいくにつくろう鎌倉幕府」や「ふじさんろっくにおーむなく」、元素記号の覚え方などを挟み、「こんなもん覚えても、なんの役に立たない」が、この日二階の修学旅行の団体さんに一番受けていたかもしれない。

松旭斎美智・美登 奇術 (14分)
 この日は、和の衣装。
 キャンディのマジックで二個もいただいた。おもちゃのバドミントンのラケットでは二階は難しいか。

柳家小満ん『金魚の芸者』 (16分)
 仲入りはこの人。昼の部から駆けつけた理由の一つでもある。
 冒頭で「水中に牡丹崩るる金魚かな」(筏井竹の門作)をふってくれるあたりが、小満ん落語の楽しさ。
 初代円遊作の噺を小満んが復活したことは知っていたが、ようやく聴くことができた。
 狸の恩返しの金魚版、とでも言おうか。
 狸は札になったりサイコロになって恩返しするが、金魚は柳橋の芸者になる。
 置屋の面接では、小唄「並木駒形」を聴かせてくれる。
 ♪並木駒形花川戸 山谷堀からチョイトあがる~
 いいなぁ、こういう噺。

 -仲入り-
 
 一服し、席に戻ると、私が来る前から隣にお一人で座っていらっしゃった高齢(私より)の女性から、話しかけられた。よく寄席にいらっしゃる方で、昨日は鈴本だったらしい。「夜もお聴きになるのですか?」と訊ねたら、お帰りになるとのこと。なかなか、居続けする人(馬鹿?)はいないよねぇ^^
 鈴本でもらったプログラムを見せてくれたが、小ゑんが主任の昼の部だったようだ。川柳の名があったので「出てましたか?」と聞くと「えっ、お元気でした」との答えに安心。会場が暗くなり始まりそうなので、それ以上の会話はなかったが、またどこかでお会いしたものだ。

 さて、仲入り後。

桂文雀『虎の子』 (10分)
 クイツキのこの人は、随分久しぶりだ。ほぼ八年前、同じ末広亭で、真打ち昇進を翌年に控えた笑生時代に『八問答』という珍しい噺を聴いた。
2009年6月6日のブログ
 この日も、また珍しいネタを披露。
 後で調べると、上方の『真田山』を元にした噺らしい。
 毎夜お婆さんの幽霊が出て、上野すり鉢山の祠の下に、「虎の子の金」があるから掘り出して欲しい、と言う。気味が悪くなり仲間に話すと、「彰義隊の埋蔵金が埋まっていて、息子の代りに母親が頼みに来てるに違いない」と、上野へ。
 しかし、その場所を掘り返して出てきたのは、何かの骨。
 そこに幽霊登場。それは幽霊の寅さんの子の兼(かね)の骨、「虎の子の金」ではなく、「寅の子の兼」だった、という次第。
 『真田山』は、真田幸村が埋めた軍用金と間違うという筋。
 ネタ選びを含め、実に不思議な魅力のある人だ。

ペペ桜井 ギター漫談 (12分)
 声は若干かすれているが、十八番ネタをしっかり。
 昭和10年10月生まれ、今年82歳の得難い色物の芸人さんだ。まだまだ、高座で見て聴きたい人。

三遊亭歌る多『金明竹』 (15分)
 円歌一門は、とにかく皆、冗舌だ。この高座では、不思議な関西弁を話す人物が、道具屋の女将さんに、あの言い立てをもう一回と言われ、「わてはいいんですが、会場のお客さんが可哀想」とか「本当は四回やるんですが」などと挟む。
 自分なりの工夫とも言えるが、これは好みが分かれるだろう。
 私は、せっかく気持ち良く噺の世界に入っている流れが途切れるような気がして、いきなり素になってのクスグリは、あまり好きではない。

柳家はん治『妻の旅行』 (12分)
 後でメモを読んで、「えっ、あれ12分!?」と驚いた。
 三月の中席で初めて聴いたが、また笑った。
 大変なんだよ、妻と良好な関係をつくるのは^^

翁家社中 太神楽 (12分)
 小楽と和助。和助の土瓶の芸は、仙三郎に迫りつつあるのではなかろうか。
 だから、「寄席のxxxxxです」の役者の名を考えることだ^^

三遊亭歌奴『子は鎹』 (28分 *~16:32)
 四月にもこの場で『初天神』を聴いている。
 この人の清潔感は、ある意味で落語家として不似合かもしれないが、爽やかな高座は好感が持てる。
 いろんな型や工夫などもあって、筋書きは一門や人によって微妙に違うが、歌奴は、こうだった。
 ・八五郎が亀に出会うのは、番頭の仕掛け
 ・地主の倅に駒をぶつけられたと八に話した後、亀は泣く
 ・二人の側で聴いている八百屋は、出てこない
 ・亀と別れた後、八は番頭に礼を言う。こんな感じの会話
  八五郎 もう木場には行かなくていいんですね
  番 頭 さっしがいいなぁ、ばれちまったかい
  八五郎 おかげさまで、いい木口を見せていただきました
 ・かと言って、鰻屋の場面に、番頭は登場しない

 やはり、円歌一門は、冗舌だなぁ、とも思ったが、人物の演じ分け、丁寧な仕草、目と顔だけでの表情の巧みさ、など、歌彦時代からもずいぶん上手くなったと思う見事な高座だった。母親が玄能を持ったまま振り上げないのも結構。
 今年のマイベスト十席候補、とまではいかないが、今後もこの人の高座を聴きたくさせる好高座。


 さて、ようやく昼の部がはねた。

 志ん弥、雲助、小満ん、はん治など、芸達者の寄席ならではの高座が印象に残る。
 歌奴は、もう少し色気のようなものを醸し出せるようになると、凄い噺家になる潜在力があるように思う。

 夜の部は、次の記事までお待ちのほどを。

 やはり、いいね寄席は。


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# by kogotokoubei | 2017-06-08 15:18 | 落語会 | Comments(6)
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立川談四楼著『シャレのち曇り』

 さて、後半。
 立川談四楼著『シャレのち曇り』の「第一章 屈折十三年」から、昭和五十八年五月に行われた落語協会の真打昇進試験で、立川小談志と談四楼が落された後のお話。

 談志は二軒の家を持っている。一軒は新宿柏木のマンションで、そこに家族を住まわせ、もう一軒は練馬の一戸建、来客用、書斎として使っている。談四楼が小談志とともに午前十一時、その練馬の方の家へ行くと、居間には四人の知った顔の女がいた。ブレーンとも言うべきか取り巻きと言うべきか、正確にはそこにいたのは三人で、一人はなぜかトイレで寝ていた。三遊亭楽太郎の女房であった。前夜、宴会があったのは明らかで、男達は皆帰ったと言う。
「師匠は」ときくと、中の一人が、
「二階で寝(やす)んでる。二時には出かけると言ってたから、十二時に起こすことになってんの」と、張れぼったい顔をこちらへ向けた。
 昼少し前、「どしたい」と談志が顔を出した。思ったよりさっぱりした顔付きだった。
 談四楼と小談志は逆に、女友達と同じような顔をしていたはずで、重度の宿酔のように青白く、しかも強張っていた。
「師匠、申し訳ございません。揃って試験に落ちました」
 思わず目をつむった。案の定、
「何ィ、もういっぺん言ってみろ」
 殴られた記憶はないが、この時ばかりは覚悟した。談志は、声の調子を落とした。
「そんな筈はねえだろうよ。それが証拠にゆンべ、三平さんとこの源平が受かりましたと報告に来て、パーティに出てくれとかなんとか、大はしゃぎして帰ったぞ。じゃあなにか、てめえ達の方が源平よりマズイってことか、俺の弟子が三平の弟子よりマズイのか、そんなバカなことがあってたまるか」
 談志は興奮してきた様子で、急に声を張り上げると受話器に飛びついた。
「俺だ、渡辺を出せ」

 前回も登場した“渡辺”とは、落語協会の事務局長を務めた人。
 2001年の9月に亡くなっている。志ん朝が旅立つ少し前。

 さて、その後どうなったのか。

 電話をかけた先は落語協会事務所で、談志だ、と名乗らずともそれが誰かを察したようだった。渡辺は留守だった。談志は受話器を叩きつけた。ポケットベルでも使用しているのか、電話はすぐにかかってきた。
「いいかよくきけ、二度とは言わねえぞ。小さんに電話させろ、他の理事でも誰でもいい、うちの弟子が落ちた理由を明確に述べろ。もしそれが納得できなかったら、俺にも考えがあるぞ」
 談志は、ドスの効いた声で捲し立てた。
 更に数人の理事の名前を出し、即刻理事をやめさせろと続けた。
 話を終えた談志の顔には、皮肉な笑いが浮かんでいた。
「ナベが俺に何と言ったと思う」
 両名怪訝な顔をすると、
「そのまま小さん師匠にお伝えしてもよろしいんでございましょうかだとよ。呆れ返(けえ)った大馬鹿野郎だ」
 実際、この渡辺という男、血も涙もない丸太ン棒である。
 試験が済んだその目白(小さん)宅で、結果はいつ発表になるのか、どういう方法で発表するのかという二ツ目の問いに、
「存じません、あたくしは何も知らされておりません」の、一点張り。何も知らない筈の男がその晩、受かった四人にオメデトウと電話を入れ、落ちた六人には知らせなかったのだ。

 談志の怒りの凄さが分かる。
 さて、この後、事態はどうなっていったのか。

 後日の話になるが、二日目も三日目も梨の礫だった。五日ほど経ってようやく一通の茶封筒が届いた。中身は事務用の横書きの便箋が一枚で、
『先日の審査会の結果、下記の四名の方が、合格致しました。なお、本年秋に審査会を催します。日程等につきましては、あらためてご連絡致します。社団法人落語協会』
 とあった。その下に合格者四人の名が連ねてあり、「以上」としてあった。おつかれさまでしたでもなければ、ごくろうさまでもない、ただそれっきりの紙っぺらだった。せめて、『サクラチル』ぐらいはあってもよい。ま、ほんとにあったら喧嘩になること必定であるが。
「なお、本年秋に審査会を催します」というのは追試験のことである。誰が受けるかそんなもン、この大馬鹿野郎。
 試験の結果について、ある事情通はこう言い切った。
「会長の弟子小里ん、副会長の弟子花蝶、三平門下三人のうちの総領弟子源平、それに抜擢の正雀、以上四人ゴウカーク」
 鋭い見方をすると思ったが、それはいかにも協会幹部の考えそうなことだった。

 この“茶封筒”“事務用便箋”の“紙っぺら”と、その内容には、何らそれを受け取る相手への気遣いが感じられない。
 どこか、改悪された今の落語協会ホームページの味気なさにも似たものがあるように思う。事務方が“丸太ん棒”である、ということだ。
 ともかく、正式に(?)不合格が伝えられたのだ。
 文中の“ある事情通”が誰かは分からないが、たしかに、政治的な力が働いているとしか思えない結果である。
 この後、談志の協会への電話の後のことに、話は戻るが、印象的な談志の長科白がある。

 渡辺との電話を切り、そこで女達のいれたお茶をひと口啜った談志は、とうとう、
「よくやった、でかした」とまで言い出した。
 ぶん殴るられるかと思っていただけに、その展開は意外だった。
 オレ達のせいで談志の名を汚した。二人の背中に押された、ヘタクソ印の大きなスタンプ。「弟子も満足に育てられないのか」という談志に対する世間の集中砲火。次から次に押し寄せる悪い連想。
 談四楼と小談志は、物事を悪い方にとるという小心な体質を有していた。申し訳なさで、その胸は張り裂けんばかりであったのだ。
「よオしこいこい、面白くなってきゃあった。やりゃあったねあいつら、いつかこういうことになんのはわかってた。よし、俺は協会を出るぞ。どうする、ついてくるか。ま、俺が出ても彼奴(きゃつ)らにはまだわからんだろうがな。しかし、危機感を持っている者には何らかのインパクトは与えるだろう。落語界を活性化させる為にも、出なきゃしゃねえだろ。喜ぶ奴がいやぁんだろうな、うるせい奴がいなくなったてんで、目に浮かぶねまったく。
 俺がいなくなっても、協会はしばらくは保(も)つだろう。だが、いずれ滅びる、これは言える。俺の改革案ひとつも取り上げねえんだ、そらまあ見事なもんだ。
 こないだ言ってやったんだ師匠に、このまんまじゃ保たねえと。したら小さん何てったと思う。後のことなんぞ俺は知らねえってんだ。わかるかこの意味。つまり俺が死ぬまで保ちゃいいってんだ。無責任と片づけるのは楽だが、小さんにしてもそういう状態に追いこまれてんだ。仮に後のことはおまえに任せると、とりあえず俺が言われたとしようか。断わるね、まっぴらだね、束ねていく自信がねえもん。現状はお手上げだ。言っとくが円歌や金馬じゃもたねえぞ。志ん朝でも無理だろう。な、そんなとこにいる理由がねえだろ。だから出ると、こういうこった。
 小さんは俺の師匠だ。誰が何と言ってもそうだ。だがな、今、俺と小さんの間にあるのは、師弟、すなわち親子という血の繋がりだけなんだ。芸、つまり落語に関する接点は最早ない。心配するな、そこは俺が何とかする。快楽の代償は高いというわけだ。おまえ達二人の為に出るんじゃねえぞ、勘違いするな。いいキッカケなんだおもえ達の一件は、いいか、試験に落とされたからってペコペコ卑屈になるんじゃねえぞ、胸張って堂々と歩け、落された、陰謀で落されたって大騒ぎしろ、方々行って喋りまくれ。こんなもん、受かった方がみっともないってぐらいのもんだ。よし、ビールでも抜けや」
 談志は、出かけるのをやめて、両名に檄をとばした。
「これは面白い、是非出るべきよ」
「あたしもそう思う、賛成だわ」
「ねえ、それ脱退ということでしょ。カッコイイー」
 女達は、自分のことではないので気軽に言いたいことを言ったが、悪い気はしなかった。

 談志の長科白は文字にして約800字、原稿用紙二枚分。

 談四楼の記憶と若干の創作によるものだろうが、あの試験結果への談志の思い、そして落語協会脱退、立川流創設の理由や背景は、この800字にほぼ込められていると思う。

 それにしても、あの場にいた女性陣、楽太郎の奥さん以外は、どんな顔ぶれだったのか・・・・・・。
 ま、それはいいか^^

 昭和五十八年の真打昇進試験についての記事ということでは、これにてお開き。
 とはいえ、本書『シャレのち曇り』からは、今後もご紹介する機会があるだろう。

 さて、今日は休みととったので、これから落語協会の寄席に行くつもりだ。

 あの時、談志が「このまんまじゃ保たねえと」と言った状況から、30年余り経った。

 志ん朝も談志当人も、今はいない。

 しかし、なんとか保ってきたその現場を見に行くことにしよう。
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# by kogotokoubei | 2017-06-07 09:32 | 落語の本 | Comments(2)
 ここしばらくの間、落語家でニュースを賑わわせるのは、歌丸と小朝の二人かもしれない。

 先週三日の土曜日、小朝との二人会で相模大野駅近くにある相模女子大グリーンホールに顔を出すはずだった歌丸が、残念ながら何度目かの入院で出演できなかったとのこと。

 また、小朝は、元妻による“訴えてやる”という会見で、注目を浴びている。

 真相は知らないし知りたくもないが、小朝は高座でこの件を語るはずもないだろう。

 落語に疎い若い人は、小朝という人を、泰葉が言うところの“金髪○野郎”の落語家、というイメージしかないかもしれないなぁ。

 私と同年齢のあの人、凄い時もあったのですよ。

 その小朝が、三十六人抜きで真打昇進した頃のお話。

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立川談四楼著『シャレのち曇り』

 立川談四楼の『シャレのち曇り』は、処女作『屈折十三年』を含む、彼の半生記とも言える本だが、初版が1990年発行の文芸春秋の単行本、その後私が読んだ講談社ランダムハウス文庫での発行が2008年、そして昨年、PHP学芸文庫の仲間入りをした。

 小説として“虚実皮膜”の部分もあるが、なかなか興味深い内容が詰まっている。

 立川流の創立につながる談四楼と兄弟子小談志の真打昇進試験落第のいきさつについて、本書の「第一章 屈折十三年」からご紹介。

 まず、談四楼が受ける前の真打昇進試験のことから。

 結果として、小朝のことにもふれることになる。

 昭和五十五年は五月に春風亭小朝が真打になり、『小朝旋風』が吹き荒れた年である。第一回目の真打昇進試験は、その風のいよいよ強い十一月に行われた。
 古いということが基準の受験資格者二十名のうち、「試験なんて野暮のキワミでございます」と四人が辞退し、残り十六名から五人が落されるという結果になった。
『何と、あの落語界に試験制度!』と、スポーツ紙の芸能欄ばかりでなく、一般紙も社会面で驚いたという真打昇進試験。
 小朝は三十六人抜きであるから、対象となった二十人は当然その中に入り、抜かれた挙句に落とされるという者が出たのである。抜かれることは仕方がないと納得はしても、
「オデキの上を針で突っつきやがった」
「首くくりの足を引っぱるような真似をしやがって」という、五人の落とされ組の捨て科白は、あえて軽い口調で発せられたものの、後に続く二ツ目達には、他人事ではなく響いたのである。
「どうだ、オレ達が仕掛け、世に送り出した小朝の売れ方を見ろ。しかも我々はそれに浮かれることなく、有史以来の試み、真打昇進試験をこれだけ厳しい形で実施したんだ。どうだ、どうだ、落語協会ってなァちゃんとしたところだろう」
 落語協会は、スタア小朝の後押しを、見識、定見という形で世に示し、記者団に囲まれ相好を崩した。記者会見の席上に連なる幹部達のなんと手柄顔であることか。
 あとは、ちゃんとしていることの何よりの証明、試験で真打を誕生させていること、だけが世間に伝わればよい。故に第二回目の試験は昭和五十七年に実施され、十人が受験し全員合格となったのである。つまり試験は、ここでハッキリ形式だけということになった。
 各寄席における披露目も、十日興業のうちの一日だけ務めればよく、客席は上野鈴本演芸場、新宿末広亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場、と都内に四軒であるから合計高座は四日間だけ。
 金銭面での負担は、単独でなった真打のそれより遥かに軽く、十人の人柄も手伝って楽屋には、御馳走になろうという後輩たちが大挙して押しかけ、あふれた。
 小朝の評価は、とにかく高かった。
 三十六人抜きは、偶然にも志ん朝と同じ。

 昭和五十三年のNHK新人落語コンクール、小朝は『稽古屋』、さん光時代の権太楼は『反対俥』で臨んだ。
 以前、当時の模様を権太楼の著作から紹介したことがある。
2014年11月5日のブログ

 権太楼は、こう書いている。
 現場では「俺のほうが・・・・・・」と思ってましたよ。これはねえ、偽らざる心境。「ここでもって、俺がとらなかったら、おかしいだろう。こいつら相手にして」というぐらいに思ってたんですよ。
 ところが、その録画が放送されたときに、すーっと見るわけじゃないですか全員のを、たしか江ノ島で見たんですよ、仕事で行ってて。「きょう放送があるから見たいな」つって。
 で、見たら「あ、俺が審査員でも、小朝です」って思ったの。あとで冷静に見たら「この人、うまいわ。また、ちゃんといい構成を持ってきてる」ってね。
 私もテレビで観て、そう思ったことを思い出す。

 小朝の絶頂期は、平成二年に、博品館で一ヶ月の独演会を開催した頃ではなかろうか。

 小朝の抜擢昇進した年、昭和五十五年の第一回試験については、以前に雲助の本から紹介した。
2014年7月21日のブログ

 雲助は、その頃に届いた受験案内を“赤紙”と呼んでいたと明かしている。

 さて、談四楼にも赤紙が届いたものの、“形式だけ”とタカをくくっていた第三回目の真打昇進試験のこと。時は昭和五十八年の五月。

 第三回真打昇進試験の当日、五月十日午前十一時三十分、二ツ目は目白駅近くの柳家小さん宅に集合した。
 前日、年功順で林家源平、柳家小里ん、林家種平、林家上蔵、蝶花楼馬楽の五人が受験し、今日は今回唯一の 抜擢、十三人を飛び越えて受験資格を得た林家正雀を含む、立川小談志、真田家六の輔、林家らぶ平、それに談四楼の五人である。

 ここで、補足しておくが、談四楼と一緒に受験した中の一人、真田家六の輔は、実際の名を替えている。
 
 談四楼の『談志が死んだ』では、還暦記念落語会に入門同期を呼ぶ話があって、実際の名跡で登場している。

 単行本を平成二年に発行する時点では、著者がその本当の名跡を明かすことが憚れた、ということだろうか。

 私も、六の輔のままにしておくが、落語愛好家の皆さんなら察することはできるはず。

 引用を続ける。

 小さんの道場では、抜擢の正雀を除いて、それぞれが非常に良い感触を得た。
 審査員は、小さん、馬楽、円歌、さん助、円菊、小三治、扇橋、円窓の八人で、志ん朝、談志、六朝、円蔵などの人気幹部は欠席だった。さん助は、これから審査の集計という段になって、寄席(しごと)があるからと帰ってしまった。誰かに意見を託したという様子もなく、不思議な人だ。
 談四楼は『岸柳島』を演じて、上手い、達者だ、描写力に優れている、情景が目に浮かぶ、人間も描けている、末が楽しみだ、と賞められた。
 理事達は胡坐をかき、煙草をくゆらせながらそれを言う。そして二ツ目は、正座のまま、汗を拭き拭き礼を述べる。
 らぶ平などは賞めちぎられた挙句、イイ男だ、とまで言われた。あまり賞められるので舞い上がり、高座から審査員に「それほどでもないでしょ」と言ってしまったほどである。

 こういう状態であったから、談四楼たち五人は上機嫌で、蕎麦屋(あの「翁」)で打ち上げをした。
 正雀だけが、沈んでいた。
 その後、思わぬ展開が待ち受けていた。

 翌日談四楼は、らぶ平からの電話で目を醒ました。午前九時だった。
「シャレんならねえよ、落っこちだよ、落っこち」
 らぶ平の声は普段の陽気さはどこへやら、沈みきったものだった。
「確かな話か、誰かから連絡があったのか」
 追及すると、協会事務局長といってよい渡辺が、らぶ平の兄弟子林家こん平に情報を漏らし、彼からきいたものだと言う。
「ほぼ間違いないと思うよ。現に受かった人のところへは連絡がいってんだから」
「誰から」
「渡辺から」
 なぜオレ達には連絡がないのか、それは事務局として当然の仕事ではないのか、基本ではないのか、ええっ、違うからぶ平。
「知らないよ、そんなこと」 
 らぶ平の情報は正確だった。十人中、受かったのは源平、小里ん、花蝶、正雀の四人で、種平、上蔵、小談志、六の輔、らぶ平、談四楼と、何と六人が落された。そう、落されたのだ。
 青天の霹靂と言ってよい。根拠がない。その基準がまるでわからない。明らかに首を傾げたくなる結果、人選であった。

 さて、この後、最終的には談志一門が落語協会を脱退することになるまでのお話は、次回ということで、前半はここでお開き。

 惜しい、切れ場だ^^

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# by kogotokoubei | 2017-06-06 08:48 | 落語の本 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛