噺の話

kogotokoub.exblog.jp
ブログトップ
 さて、箔座で金粉を手や顔に塗って、美肌になったと錯覚している女性陣三名を含む一行は、加賀うどんで有名な「小橋お多福」へ向かった。

e0337777_16424876.jpg


e0337777_09403275.jpg

「福わ屋」サイトの「小橋お多福」のページ

 帰ってから調べたのだが、このお店は、鍋と釜ごはんの「福わ屋」と、加賀うどん・そばが中心の「お多福」が隣同士にあるお店。

 サイトにある、経営母体の福和商事のあゆみのページには、次のように説明がある。

「小橋お多福」 創業 昭和5年6月13日
その後
昭和47年 饂飩処「福わ家」開店
昭和53年 蕎麦処「鬼は外」開店
昭和61年 釜ごはん「鬼やしき」開店
平成11年に「福わ家」と「鬼やしき」が合体
       「小橋お多福」と「鬼は外」が合体
  現在の2店舗になりました。
       ■饂飩と釜ごはん「福わ家」    ■うどん・そば「小橋お多福」

 このページには、小橋鉄橋が竣工した時の記念写真や、昭和初期のお店など、セピア色の懐かしい世界があって、なぜか、ほっとする。
「福わ屋」サイトの該当ページ

 私は福々定食を注文。
 コシのある加賀うどんにかき揚、ご飯に小鉢付き。
 先輩がおっしゃる上品な甘さのダシで美味しいうどんだった。

e0337777_13232874.jpg

 これは、Sちゃんが食べた、お多福の加賀うどん。

 そのSちゃんに先輩が感想を聞くと、「縮れ麺」と言うべきところを「縮れ毛が美味しい!」の答えに、一同爆笑!
 
 私は、ANAの機内で聞いたナオユキの、あるネタを思い出した。

 女「私、天然って言われるけど、そんなことないよ」
 俺は、そういうやつには、こう言って、その反応で天然かどうか判断することにしている。
 俺「まさか、養殖じゃないだろう」
 女「えっ、養殖の人って、いるのぉ?」
 こいつは、天然だ。

 どう?
 やはり、あっしがやると、スベルかな^^

 お多福で先輩が食べていた「名物」(メニューには海外からの旅行者のために、手書きながらRecommended Nudleの文字も!)じゃぁじゃあ麺も試食させてもらったが、なかなかの味だった。

 満足して店を出ると、先に外に出ていた仲間のK君と、注文を取りに来たり配膳をしてくれたお店の若い方が釣りの話で盛り上がっていた。
 駐車場に止めていた車の話題から発展したらしい。

 お店の方はご主人のご子息(次男)で、三代目(四代目?)を継ぐ予定、だったかな。
 彼はブラックバス釣りが好きらしく、K君もよく行く琵琶湖に次の休みに出かける予定とのこと。
 K君が、ポイントやら道具のことなどを教えていた。彼の釣り、結構本格的と察した。
 彼らの会話の専門用語は、チンプンカンプン^^

 少し、嬉しくなった。
 なぜなら、ちょっと元気のなかったK君の生き生きとした顔を見ることができたからだ。

 二日目の午後の行動範囲は、次のような地域になる。
e0337777_10041441.jpg

「地図提供:金沢市」


 箔座からお多福のみならず主計(かずえ)町茶屋街も東茶屋街も、歩いて行ける場所。近くに有名な飴の俵屋もあるのだよ。

 お多福は浅野川の西岸の彦三町で小橋を渡ってすぐ。
 すぐ近くに、主計町茶屋街。
 東茶屋街は、川の反対側。
 
 こういうロケーションを設定してもらい、散策しながら金沢の歴史やそれぞれの名所のガイドを聴くことができる・・・T先輩には本当に感謝なのである。

 お多福の食時の腹ごなしをしながら、浅野川に沿った、主計(かずえ)町茶屋街へ。

 ここは、西、東と比べると、料亭が多い。それも、高級、と言って良いのだろう。

e0337777_11571103.jpg

 その名の通りほの暗い「暗がり坂」は、主計町茶屋街と、坂の上にある久保市乙剣宮という神社を結んでいて、かつて旦那衆が人目を避けて茶屋街に通うために通った、とのこと。

 主計町茶屋街には、趣きのある家並みが続く。

 先輩から、「ここは、予約がとれないことで有名」「ここは、牡蠣鍋が美味い」「ここは、寄せ鍋が絶品」などお店の説明があり、「夜なら、浅野川に灯が映って、綺麗なんだけどね」とのこと。

 金沢市観光協会「金沢旅物語」から、夜景を拝借。
金沢市観光協会「金沢旅物語」のサイト
e0337777_10444180.jpg

「写真提供:金沢市」

 なるほど、次の機会は夜に来よう。
 でも、高級料亭での食事は、難しいだろなぁ^^

 浅野川大橋を渡り、次は東茶屋街。
 これが、私のガラケーの写真。

e0337777_10480720.jpg

e0337777_10474027.jpg

e0337777_10472995.jpg


 こちらが、「金沢旅物語」の、夕方の写真。
e0337777_11032244.jpg

「写真提供:金沢市」

 月曜というのに、多くの観光客。やはり、北陸新幹線開通は大きな契機となっているのだろう。
 後で知ったのだが、この日、一便限りで東北新幹線の仙台駅から大宮で乗り換えずに直通で金沢に来た特別便があったようだ。

 毎日新聞から引用。
毎日新聞の該当記事

直通新幹線
金沢駅に到着 仙台駅から4時間の旅

毎日新聞2017年9月4日 18時18分(最終更新 9月4日 19時47分)
.
 仙台-金沢を乗り換えなしで直通運転する北陸新幹線用のE7系車両が4日午後、金沢駅に到着し、約4時間の旅を楽しんだツアー客約440人を加賀友禅大使の女性らが出迎えた。

 午前10時半ごろに仙台駅を出発した新幹線は、福島や長野、富山の各県内の駅を経由し、午後2時45分に金沢駅に到着。観光客は大使らのもてなしに手を振って応えると、貸し切りバスに乗り込んだ。ツアー客は和倉温泉(石川県七尾市)や永平寺(福井県永平寺町)などを巡り、6日に帰路に就く。

 直通新幹線は、JR東日本と西日本が北陸を観光してもらおうと、昨年に続き1往復限定で企画した。10月にも企画している。(共同)

 う~ん、午後2時45分金沢駅着・・・・・・。

 我々が東茶屋街に滞在したのが、たぶん、1時半位から2時半くらいかな。
 まだ、仙台から直通のご一行は、茶屋街には着いていなかった、ということ。
 ということは、仲間のM君が、東茶屋街でレンタル着物の三人娘に「一緒に写真撮りませんか」と、還暦過ぎの恥を知らないナンパオヤジの乗りで声をかけたら、「いいですよ」と気軽に写真に収まってくれた宮城から来た彼女たちは、この新幹線の客ではなかったのだな。

 私はその場にいなかったが、M君がその日何度「宮城の二十歳の子、可愛かったなぁ!」と言ったことか^^

 その都度、こっちは一人で二十歳三人、二人で六人、という声がかかるのである。

 東茶屋街で仲間の数人は、891円の金箔入りソフトクリームを食べていたなぁ。
 お店が、歩きながら食べさせない、というのは、実に正しいルールだと思う。

 その近くにある“きんつば”屋さんで、買い物をした人もいた。
e0337777_10380104.jpg


 しばらく、その昔の花街の雰囲気を味わった後、お約束で俵屋に寄って飴を買う人も。
 もちろん(?)、写真を撮った。

 実は、メンバーの数名は、大学四年の新潟でのインカレの後、T先輩を頼って金沢に来ていおり、ここで写真を撮っている。
 できるだけ、あの時の同じような格好で、なんて誰か言ってたが、どんな風に撮れたかな。

 すぐ近くの箔座に戻って車で金沢駅へ。
 Tちゃんとここで、涙の別れなのだ。
 全員でお見送り。

 さすがに先輩は駅近くの安い駐車場を知っているのだ。

 北陸新幹線開通で、こんなに立派な鼓門ができた。
e0337777_11031139.jpg

「写真提供:金沢市」

 少し駅の喫茶でお茶を飲みからTちゃんを見送って、我々は山中温泉に移動するのだが、T先輩、途中まで道を先導してくれたのだった。

 T先輩、本当にありがとうございました、と車中で心から叫び、七名を乗せた車は山中温泉に向かったのである。

 山中温泉の大浴場で、朝宿を出てから一万八千歩の疲れを癒したのであった。

 夕食の後は幹事部屋へ集合し、懐かしい話やら何やら、途中で買い出ししたビールとワイン、乾き物で会話が弾んだなぁ。

 翌朝は沖縄に帰るS君と羽田に行く私のために山中温泉から小松空港に送っておもらうことになったのだが、ホテル備え付けのパンフレットで、その途中に那谷寺という名を車の運転手Y君が発見。
那谷寺のサイト
 サイトによると、加賀には古くから、白き神々の座「しらやま」に魂が昇り、地上に回帰する、という白山信仰が根付いており、自然の神を崇めてきたとのこと。
 なるほど、まさに、その自然の荘厳な景色に目を見張った。
 これが、私のガラケーの写真。

e0337777_11405367.jpg

 参道。歩いているのは仲間達。
e0337777_09534594.jpg



 奈良時代以降の歴史がサイトで紹介されている。

 Wikipedia「那谷寺」からも引用する。
Wikipedia「那谷寺」
歴史

寺伝によれば、養老元年(717年)泰澄法師が、越前国江沼郡に千手観音を安置したのが始まりとされる。その後寛和2年(986年)花山法皇が行幸の折り岩窟で輝く観音三十三身の姿を感じ、求る観音霊場三十三カ所はすべてこの山に凝縮されるとし、西国三十三観音の一番「那智」と三十三番「谷汲」の山号から一字ずつを取り「自主山厳屋寺」から「那谷寺」へと改名。

南北朝時代に戦乱に巻き込まれ荒廃した。近世に入って加賀藩藩主前田利常が再建。この時の大工は気多大社拝殿を建てたのと同じ山上善右衛門である。

前田利常は、江沼郡の大半を支藩の大聖寺藩に分置したが、この那谷寺がある那谷村付近は自身の隠居領としたため、その死後も加賀藩領となった。(後に領地交換で大聖寺藩領となる)

元禄2年(新暦1689年)奥の細道の松尾芭蕉は弟子の河合曾良と山中温泉で別れ、数日前滞在した小松へ戻る道中参詣し、奇岩霊石がそそりたつ遊仙境の岩肌を臨み句を詠んでいる。
石山の 石より白し 秋の風 芭蕉 (境内には句碑もある。)

 芭蕉、ここにも来てましたねぇ。

 「開創一千三百年大祭」という時期に訪ねることができた。
 秘仏である御本尊「十一面千手観世音菩薩」が安置されている厨子の扉を開く、33年に一度の法要「御開帳」でもあった。

 本殿(いわや)の暗い堂内を一周すれば、母の胎内をくぐり抜けたことになり、罪と穢れを洗い清められるとのことで、一行が胎内めぐり。

 果たして、どれほど穢れを清められたものか。

 庚申塚の立札に、「なむしょうめんこんごう(南無青面金剛)」と三回ご真言を唱えて下さいと書かれており、何かとネタを振りまくSちゃんが「なむしょんべん」と言ったものだから、吹き出してしまった。

 やはり、養殖じゃなく、天然か^^

 さて、三十三年に一度のご開帳の年に那谷寺を訪れることができ、胎内めぐりで穢れを洗い清めてから、小松空港へ送ってもらい、関西組みと涙の別れ。

 U君と空港の「空門」という洒落たお店に入る。
 少し待ち時間があるのに付き合った私へのお礼なのだろう、沖縄便の乗るU君にビールをご馳走となって、しばらくしてU君と別れ、私は、優しい店員さんがコンセントがあるから、どうぞお使いくださいと言ってもらって、パソコンを出し、さっそく初日の記事を書き始めたのであった。
 四時過ぎの便までは、あっと言う間のい時間が過ぎた。

 これにて、同期会加賀の旅は、お開き。

 T先輩には、あらためて大いに感謝!
 女性陣の幹事役Sちゃん、たくさんネタを提供してもらいありがとう!
 車の運転や山中温泉の予約などでもう一人の幹事の役割と果たしてくれたY君にも助けられた。ありがとう!
 もちろん、皆が協力してくれたから、事故などもなく無事、加賀の旅を満喫できたのだ。
 写真担当のM君、これからSちゃんと私が編集担当の同期会便りづくりで頼りにしてるよ!
 U君、あのビール美味かったぜ!
 K君、元気だしてね。
 落語もよく知っていて、一番鋭い批評をするTちゃん、来年は汚名挽回するぞ!
 Aちゃは、現役時代のキャプテンらしい仕切りで、流石だったよ!

 みんなありがとね!

 そして、長い記事にお付き合いいただいた皆さんにも感謝。
 ありがとうございます!


[PR]
# by kogotokoubei | 2017-09-09 12:20 | 小さな旅ー2017同期会加賀の旅 | Comments(0)
 9月4日の二日目の記事の前に、使用する一部の写真について説明したい。

 昨日の記事で掲載した地図は、金沢市観光協会の「金沢旅物語」からお借りしている。
 問い合わせメールでは返事が遅くなるかもしれないので、窓口にお電話をした。
 個人ブログでの使用なら掲載可能で、ぜひ金沢をPRして欲しいと言われ、実に嬉しかった。

 同サイトには、数多くの写真も掲載されているが、使用については次のように記載されている。
金沢市観光協会「金沢旅物語」のサイト

使用について

 本写真素材集に収録されている画像データについては、金沢市の観光をPRする目的において、ご利用いただくことができ、データはそのまま、又は加工してご使用いただけます。
 画像データ(ダウンロード画像を含む)を掲載する場合には、写真の下などに「写真提供:金沢市」と掲載してください。
 なお、雑誌等で使用された場合は、完成品を1部ご恵送いただけると幸いです。

 金沢市、太っ腹でしょう!

 ますます、金沢が好きになる。

 ということで、自分で写真を撮っていな場所などは、金沢市のご好意に甘えてお借りすることにした。

 さっそく、初日に金沢21世紀美術館の後に立ち寄った、西茶屋街の写真を、お借りした。

e0337777_10454646.jpg

「写真提供:金沢市」

 なかなか、趣きのある佇まい。

e0337777_13072851.gif

「地図提供:金沢市」

 初日は、上の地図の金沢21世紀美術館から長町武家屋敷を経由して、犀川をわたって西茶屋街に行ったのであった。

 言うまでもなく、茶屋街とは、昔の遊郭を含む“花街”のあった場所。
 少し調べてみると、金沢の遊郭は、最盛期には、東新地、西新地、北新地、主計町、愛宕の五か所あったらしい。

 その中で、今、茶屋街として観光客が多く訪れるのが、犀川の西岸の西茶屋街と浅野川の東岸の東茶屋街。東茶屋街の近くには、料亭が多い主計町茶屋街もある。
 
 先輩のガイドによれば、金沢の西、東は、あくまでお城を中心にした方角とのこと。

 花街は、料亭・待合茶屋・芸者置屋という三業で構成されている。そこで働く女性には、芸妓と娼妓がいるわけだが、東と主計はその割合がほぼ半々、西は娼妓の方が多かったらしい。

 それが、現在の姿にも反映しているのだろうか、観光客で賑やかなのは、この日の昼食後に訪ねた東茶屋街だった。
 

e0337777_16203391.png


 この日の最初の金沢巡りは、宿のロビーに七時に集合して行った近江町市場。

e0337777_14323258.jpg

「地図提供:金沢市」

 尾崎神社近くの宿から徒歩で十分もかからない近さ。

 当初はお寿司の朝食をと思い、昨夜先輩から聞いていた七時半開店のお寿司屋さんを、ひとまず訪ねたが、遅い夏休みなのか、なんとお休みだった。

 開いていたとしても、昨夜の酒が残っている者も私も含め多いし、皆がコーヒーを飲みたいで一致し、武蔵の辻の近くの、一人の時は滅多に入らないスタバへ。
 私は、コーヒーとパンケーキのようなバターミルクビスケットを食す。ハチミツをかけて、なかなか旨かった。他のメンバーは、コーヒーとサンドイッチが多かったかな。

 その後、近江町市場に戻り、土産を買いたい人もいれば、そうじゃない人もいるので、先輩が宿に来られる九時に宿で集合ということで、解散。
 私は土産をまとめて買って宿に戻ったが、仲間の数名はお寿司を食べたようだ。元気だね^^
 さて、先輩も宿にいらっしゃって、金沢城公園、そして兼六園に向かう。

 石川県が管理する「金沢城と兼六園」というサイトがある。
「金沢城と兼六園」のサイト

 同サイトからはパンフレットがダウンロードできるので、PDFデータから金沢城公園の地図を抽出して掲載。
e0337777_14043377.jpg

 宿から近い地図左上の黒門口から入り、右中央少し上の石川門から兼六園へ、というコースを歩く。

 新丸広場の緑が、なんとも鮮やかで、つい記念写真を撮ろう、と提案した。

 河北門、橋爪門をくぐる際も先輩の名ガイドが続く。
 
 金沢は落雷が多く、金沢城も落雷によって焼失したことや、石垣の作り方にもいろいろあること、門が二重になっていて、敵が攻めてきたら門を閉め、門と門との間に閉じ込めて攻撃する、などなど。
 先輩のガイドの内容にもあったこの城のことについて、Wikipediaの「金沢城」から引用したい。
Wikipedia「金沢城」
概要

金沢平野のほぼ中央を流れる犀川と浅野川とに挟まれた小立野台地の先端に築かれた、戦国時代から江戸時代にかけての梯郭式の平山城である(かつて「尾山」と呼ばれたのもこの地形に因む)。櫓や門に見られる、白漆喰の壁にせん瓦を施した海鼠(なまこ)壁と屋根に白い鉛瓦が葺かれた外観、櫓1重目や塀に付けられた唐破風や入母屋破風の出窓は、金沢城の建築の特徴である。

この地は加賀一向一揆の拠点で浄土真宗の寺院である「尾山御坊(おやまごぼう、または御山御坊)」であった。寺とはいうものの大坂の石山本願寺(大坂御坊)と同じく石垣を廻らした城ともよべる要塞でもあった。織田信長が一揆を攻め落とし、跡地に金沢城を築いて佐久間盛政を置いた。後に盛政が賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉により討たれ、秀吉は金沢城を前田利家に与えた。利家は文禄元年(1592年)から改修工事を始め、曲輪や堀の拡張、5重の天守や櫓を建て並べた。兼六園は、加賀藩五代藩主前田綱紀が金沢城に付属してつくらせた大名庭園である。

なお、金沢の地名は室町時代の文明年間には既に存在していたことが知られているが、尾山御坊時代は金沢の小立野台地の先端すなわち山尾(尾山)にあったことから尾山の呼称が使われていた。佐久間盛政が新城を築いた時に一向一揆の印象が強い尾山ではなく金沢を城名に用いたが、前田利家が入城すると羽柴秀吉(豊臣政権)に敵対して滅ぼされた盛政命名の金沢城ではなく自身の出身地の尾張国にも通じる尾山を採用した。だが、金沢の地名が広く知られていたために尾山城の名前は普及せず(豊臣政権の公文書でもほとんど用いられていない)、利家自身も再び金沢の城名を用い始めたと推測されている。

 「尾山御坊」は、先輩のガイドで何度もお聞きした言葉。。

 上記のように、金沢の街は犀川と浅野川に挟まれた一帯に作られたお城を中心に発展した。

 そのお城の見学は、ほどほどにして、お目当ての兼六園を目指し、一行は石川門へ急ぐ。

 石川門から出て兼六園につながる石川橋の下の道路は、かつての百間堀だった場所だったと、先輩の説明。

 佐久間盛政の時代につくられ、前田利家の入城後、その子利長により改修されたと言われている。銃弾が飛ばないだけの幅のあった、防衛上重要な堀で、長さ約270m、幅約68.4m、水深約2.4m、その大きさから百間堀の呼び名がついたとのこと。

 その百間堀を越えて到着した兼六園。

 先輩から「兼六」の由来は「六勝」であるとお聞きしたが、「六勝」の内容は宿題として残された^^

「金沢城と兼六園」のサイトに次のような説明が載っていた。
すぐれた景観の代名詞「六勝(ろくしょう)」

六勝とは、[宏大(こうだい)][幽邃(ゆうすい)][人力(じんりょく)][蒼古(そうこ)][水泉(すいせん)][眺望(ちょうぼう)]のこと。宋の時代の書物『洛陽名園記(らくようめいえんき)』には、「洛人云う園圃(えんぽ)の勝 相兼ぬる能わざるは六 宏大を務るは幽邃少なし 人力勝るは蒼古少なし 水泉多きは眺望難し 此の六を兼ねるは 惟湖園のみ」という記述があります。その伝えるところは、以下の通りです。「庭園では六つのすぐれた景観を兼ね備えることはできない。広々とした様子(宏大)を表そうとすれば、静寂と奥深さ(幽邃)が少なくなってしまう。人の手が加わったところ(人力)には、古びた趣(蒼古)が乏しい。また、滝や池など(水泉)を多くすれば、遠くを眺めることができない」そして、「この六つの景観が共存しているのは湖園(こえん)だけだ」と結ぶのです。すばらしい景観を持した庭園として賞された湖園。兼六園は、この湖園に似つかわしく、六勝を兼ね備えているという理由から、文政5年(1822)、その名を与えられました。

 要するに、宏大<->幽邃、人力<->蒼古、水泉<->眺望は、それぞれ「あちらを立てれば、こちらが立たず」、英語の「トレードオフ」の関係にあるが、洛陽の湖園だけはその六つを兼ね備えている、と言われた、その湖園に似つかわしいから兼六園、ということか。

 園の名の由来だけでも、実に深~い^^

地図を「金沢城と兼六園」のサイトからご紹介。
e0337777_16273899.png


 金沢城公園の石川門を出てから、この地図の上にある桂坂口から入る。
 もちろん、入園料310円を払って。
 仲間の一人が、「六十五歳以上は、無料か。もうすぐその年齢になるんだなぁ」
 と、やや感慨深く呟く。
 たしかに、映画なども含め、六十五歳が一つの境目になっているが、自分たちがその区切り目に近いとは、誰ひとり実感がないのだよ。
 久しぶりに会うと、一気に四十年前に戻っているので、皆、二十歳そこそこの自分と同化しているのだ^^

 最初の写真スポットは、霞ヶ池。

e0337777_16441977.jpg

 私のガラケーで少し離れた場所から撮った、徽軫灯籠(ことじとうろう)。

 金沢旅物語の綺麗な写真もご紹介。
e0337777_17500407.jpg

「写真提供:金沢市」

 徽軫灯籠は、形が楽器の琴の糸を支え音を調整する琴柱(ことじ)に似ているため、その名が付いたと言われていると先輩のガイドもあり、全員で灯籠をバックに撮った写真は・・・個人情報になるので掲載しないよ^^

 その後、雁が渡る姿に似た雁行橋などを眺めながら、園内を散策。

 途中に、芭蕉の句碑。
e0337777_16513562.jpg


  あかあかと 日は難面(つれなく)も 秋の風

 奥の細道にある句で、旧暦七月の晩夏から初秋にかけた時期に、夕陽を見ながら詠んだとされている。
 訪れたのが旧暦七月十四日で、ちょうど同じ頃、同じような季節といえるだろう。
 
 現代語訳は、立秋も過ぎたというのに、夕日は相変わらず赤々と照りつけ残暑はきびしいが、さすがに風だけは秋の気配を感じさせる、という意味のようだ。
 たしかに、今はそういう時期といえるだろう。
「秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」という『古今和歌集』の歌を念頭に置いて詠んでいるとされている。

 途中で休憩を挟んで、一時間ほど園内を散策しただろうか。

 宿に戻って、駐車場の京都からやって来た仲間の車、そして先輩の車の2台に乗り込み、向かったのは、先輩お奨めの金沢の伝統工芸のお店。

e0337777_18291653.jpg

e0337777_18294338.jpg


 それは、金箔と金箔製品の製造、販売の「箔座」本店だった。
「箔座」のサイト
 箔座のコーポレートサイトから、引用。
社名であり、ブランド名でもある「箔座」は、金箔の歴史において実際に存在した金銀箔類の統制機関「箔座」に由来。
そこには、世界に誇る技を残しながら質の高い箔をつくり、日本の伝統文化に貢献できる箔のギルドの中心でありたい、という思いがこめられています。

 お店の方と先輩は懇意にされているようで、他の見学者もちょうどいなかったこともあり、九人は店の中に入って、金箔のお勉強。

 このお店の方が、実に流暢に金箔の歴史から製法、そして、店にある「黄金の茶室」のこと、そして、ちょうど職人さんが働いていたので、その仕事ぶりを見ながらの解説をしていただいた。

 この人の名調子を聴いて、仲間からは昨日の私の落語の大スベリをからかう声、多数^^

 写真が、「黄金の茶室」。

e0337777_18290037.jpg


 もっと鮮やかな写真は、コーポレートサイトでご確認のほどを。

 同サイトによると、国宝修復に使われる最高級の「縁付金箔」約4万枚を用い、職人たちの技術の粋をあつめてつくり上げた「黄金の茶室」。

 つい、「秀吉と箔座だけですねぇ」、なんて言っちゃった^^

 皆は、思い思いのお買い物。
 奥さんにアクセサリーを買った仲間もいたが、私は、金箔入りのチョコレートケーキ。

 さて、ここまでが、二日目の午前中・・・フーッ(と、ため息)。

 お店のご好意により駐車場に車を置かせていただき、徒歩で昼食に向かったのであった。

 昼食から午後の散策については、明日(か、明後日)の心だ!


[PR]
# by kogotokoubei | 2017-09-07 21:37 | 小さな旅ー2017同期会加賀の旅 | Comments(4)
 以前は一年おきで開催していたが、数年前から毎年開催になった、関西の某大学体育会某部の同期の会。

 来年で卒業40周年になるなぁ。

 今年は、先輩のいる金沢から山中温泉への二泊三日の旅。
 都合で金沢一泊、という人もお一人いたけどね。

 昨年、京都での同期会で場所と日程の相談をし、宴会の後に先輩に電話して決めていたのだが、いろいろと都合がつかない人もいて、メンバーの約半数、男性五名、女性三名の会となった。
 なお、今回は、私、幸兵衛が男性陣の幹事役。

 9月3日日曜日午後三時、宿に集合としていた。

 空を飛んで集まるのは、羽田からの私と、沖縄からもう一人。
 残る六名のメンバーは、広島や大阪、奈良の人もいったん京都に集合し、メンバーの車一台で北上。

 私が少し早めの便で小松空港に着き、リムジンバスで終点の香林坊に着いたのは、十二時半頃か。

 片町まで行って、予約していたお寿司屋さんの場所を確認。
 期待が高まる外観だった。
 先輩ご推薦で、ご主人も同じ大学卒業の大先輩というお寿司屋さん。

 その後、同じ片町のラーメン屋さんで昼食をとってから宿に向かった。
 その途中、いしかわ四校記念公園で、何やらイベントをしている。

 近づいてみると、「オクトーバーフェスト」開催中、だ。
 あら、この日が最終日ではないか。

e0337777_13400460.jpg

e0337777_13402235.jpg


 夜の楽しみのためにも、そして、これからの散策が辛くなるのも困るので、「飲みたい!」という思いを抑え、宿に向かったのだった。

 兼六園、金沢城公園の近く、尾山町にある宿に二時頃に到着。
 他のメンバーの動向はメールで確認していたので、ほぼ予定通り皆が集まりそうだ。
 二時半頃、車でのご一行が到着。
 しばらくして、金沢在住の先輩もいらっしゃった。
 久しぶりだが、変わらないなぁ^^
 その少し後に沖縄から来た一名も来て、何らトラブルもなく全員揃った。

 さて、金沢巡り初日の始まりだ。

 「まず今日は兼六園、明日は近江町市場で朝食後に金沢21世紀美術館と考えていました」と先輩にお話しすると、美術館は明日月曜が休館日とのことで、兼六園は明日に変更。
 さっそく、先輩ガイドがその実力(?)を発揮!

 初日に歩いた場所は、主に次の地図の地域になる。

e0337777_11343407.jpg

「地図提供:金沢市」

 この地図は、金沢市観光協会の「金沢旅物語」のサイトよりお借りした。
金沢市観光協会「金沢旅物語」のサイト


 美術館に行く前に、宿にごく近くにある尾山神社を訪ねた。

e0337777_11163793.jpg


 金沢ガイドの資格を持つ先輩からも概要の説明をお聞きしたが、同神社サイトから引用する。
尾山神社のサイト
尾山神社の歴史

慶長4年(1599)閏3月3日、利家公が薨去します。その後、二代利長公は、利家公を仰ぎ神として祀ろうとしました。しかし、当時、前田家は、なんといっても外様大名の立場です。徳川幕府の許可なくして、勝手なことはできません。利長公とて、徳川幕府をはばかり、公然と神社創建に踏み切ることができませんでした。

そこで利長公は、守護神としていた物部八幡宮ならびに榊葉神明宮を遷座する名目で、卯辰山麓に社殿を建立し、利家公の神霊を合祀しました。これが、卯辰八幡宮です。むろん藩あげて、厚く祭儀を執り行い、尊崇しました。

ちなみに、物部八幡宮は、もと東海老坂村の鎮座です。利長公が、越中国の守山城におられたとき、守護神としていました。榊葉神明宮は、もと越中国阿尾の鎮座です。

加賀藩祖前田利家公と正室お松の方を祀る

さて、廃藩置県後、旧加賀藩士等は祭祀を継続し、利家公の功績を不朽に伝えんと、明治6年旧金谷御殿の跡地である現在の社地に社殿を新築しました。尾山神社と称して、郷社に列せられます。翌明治7年には県社に昇格、そののち明治35年には別格官幣社に列せられました。また、平成10年には正室であるお松の方も合祀されました。

廃藩後、旧藩士たちは禄を離れて、必ずしもその生活は楽ではなかったはずです。

それにしては、素晴らしい雄大な社殿を造営したものと感嘆いたします。これもひとえに、利家公の神威の然らしめるところ、前田家三百年の仁政があればこそです。利家公を敬慕し、仁政に浴した士民が、こぞって忠誠と感謝のまごころを捧げてきた結果でしょう。

戦後は神社社格制度が廃止され、現在は神社本庁の別表神社になっています。

 ということで、建造は維新後で、和漢洋混合の様式。
 洋風の三層には、なんとステンドガラスがはめられていて、夜は綺麗らしいが、昼なので残念。

 江戸時代、徳川幕府をはばかって利家を祀る神社を建立しなかった加賀藩の“忖度”が、江戸時代を生き延びることにつながった、ということか。

 先輩のガイドでは、金沢では、金沢城周辺を「御山(おやま)」と言い、今でも高齢者の方は、「おやまに行く」と言うらしい。
 この神社も最初は「御山」としようとしたようだが、徳川幕府に畏れ多いと考え「尾山」となった、とのこと。忖度の芸が細かい。
 「おやまー!」ってなもんだね^^

 先輩のガイドで知ったことはいくつもあり、例えば、美術館に行く道すがら「いもり堀」の脇を歩いていて、仲間の一人「いも堀」と間違えると、実は、金沢の地名の由来は「いも堀」と関係がある、とのタイミングの良い解説。

 昔、ある人(後で調べたら、藤五郎という青年らしい、)が山で芋をほっていると、芋のひげに砂金がついていて、その砂金を洗った泉が「金洗沢(かなあらいざわ)」とよばれ、それが金沢の地名になったのだとさ。
 
 勉強になるねぇ!
 
 さて、おつぎは金沢21世紀美術館だ。

 美術館のサイトを確認すると、三年前が開館10周年。。
金沢21世紀美術館のサイト
 常設の展示と企画展示があるが、有名なのが、「スイミング・プール」だ。

 2004年開館時からの「恒久展示作品」で、レアンドロ・エルリッヒの作で、「レアンドロのプール」と言われる。

 サイトから「作品解説」を引用。

光庭のひとつに設置されたプール。ライムストーンのデッキが周囲を縁取り、ここから波立つプールを見下ろすと、あたかも深く水で満たされているかのように見えます。実際は、透明のガラスの上に深さ約10センチの水が張られているだけで、ガラスの下は水色の空間となっていて、鑑賞者はこの内部にも入ることができます。プールを見下ろして水の中に人を見つけたときの驚き、内部からの水上を見上げる眺めといった多様な経験が展開される本作品は、あたりまえの日常の感覚を揺さぶるとともに、一旦仕掛けに気づいた人に作品との積極的な関わりを促し、さらには、見る人同士の関わりをも生み出すことになるでしょう。

 このプール、外にあるプールの上部は、入場券がなくても入れる。
 プールの底にあたる部分は、入場券が必要。

 上から撮った、同期の“かわいこちゃん”二人の写真。解像度の低いガラケーのせい(おかげ?)ではっきり見えない^^
e0337777_12281135.jpg


 プールをはさんだ同期の「見る人同士の関わり」は、40数年前から始まっている^^

 本当は、2~3時間はかけて観たいものだが、その後の工程もあって、一時間で急ぎ足で各展示を巡った。

 サイトから開催中の展示の内容を引用する。

日本・デンマーク外交関係樹立150周年記念展

日々の生活 – 気づきのしるし Everyday Life – Signs of Awareness

2017年8月5日(土) - 2017年11月5日(日)

デンマークと日本は、それぞれの歴史や文化を背景に、ときに影響し合いながら発展してきました。特に、機能と実用性に加え、美しい意匠をまとった優れたデザインは、両国の文化的アイデンティティと美意識を示すものとして、極めて高い評価が与えられています。
デンマークは、建築、家具、生活用品をはじめ、福祉、教育、交通網など、国のグランド・デザインも含めた優れたモデルを構築して、屈指のデザイン大国として世界の人々の強い関心を集めてきました。一方の日本は固有の文化・思想に基づき、時代の象徴となるデザインを創造し、小型でシンプルな形を可能にした技術力、素材の特徴を最大限に引き出す伝統の技とその継承によって、デザインの分野でも独自の価値を提案し続けています。本展では、日本とデンマークのデザイナー、建築家、アーティストによる、日常を豊かにする気づきの「現れ」を紹介し、デザインを通して両国の現代の暮らしに見るモノとコトについて考察します。

ヨーガン レール 文明の終わり Jurgen Lehl The End of Civilization
2017年8月5日(土) - 2017年11月5日(日)

自然とともに暮らし、その尊さを伝えてきたデザイナー、ヨーガン レール(1944-2014)が「最期の仕事」に選んだのは、深刻な環境の問題に向かい、海岸に打ち寄せられた廃品のプラスティックから美しい照明を作り出すことでした。決して自然に還ることのないプラスティックが、再び実用の場を与えられ輝き出します。
また、展覧会ではこれらの照明と共に、ヨーガン レールが、その唯一無二の美しさに魅了され、長い時間をかけて拾い集めた、ババグーリ/瑪瑙石を展示いたします。この対照的な展示には、2014年に急逝したヨーガン レールの、自然への敬意をもって生きることの強いメッセージが込められています。

コレクション展2 死なない命
2017年7月22日(土) - 2018年1月8日(月)

人工知能や遺伝子工学の発達によって「生命の編集」「機械との共存」「不死」といった主題が注目されるよう になり、これまでの生命観や倫理観がいま問われています。今回の展覧会では、当館のコレクションから9 作家を選び、「命が死によって消え去る」という従来の生命観に対して「死なない命」のあり方について考え させる作品を紹介します。さらに4作家の生物を媒体とした1930年代から今日までのテーマに沿う表現を 加えることで「新たな生命を造形する意味」や「人工的な自然を生きることの可能性」など、当館所蔵作品の 意味を新たな角度から読み直し、生命の「いま」について考えます。

Sight
2017年8月5日(土) - 2017年11月5日(日)

視覚経験を全く新しいものに変える感覚拡張デバイス「Sight」の開発に取り組むプロジェクト(和家尚希、鈴木良平、伏見遼平、宗像悠里)の活動を紹介します。イルカやコウモリが音を手掛かりに空間を移動し餌をとるように、目にする映像を音に変換することで視覚の世界を「聴く」デバイスの開発状況をプレゼンテーションしつつ、継続的なリサーチの場として開きます。

※実験室や研究室を意味する「laboratory」の短縮形である「lab」を冠したこの展覧会シリーズでは、会場となるデザインギャラリーを単なる作品展示の場所として用いるのではなく、調査・研究・実験の場として開きつつ、そのプロセスをプレゼンテーションします。本年度は「知覚の拡張と補完」をテーマに「lab.1 OTON GLASS」(4/28〜7/23)を紹介。

川越ゆりえ 弱虫標本 Insect Specim en of a Coward
2017年5月27日(土) - 2017年9月24日(日)

川越ゆりえ(1987-)は「人の感情の蠢きを虫にしたら」と発想し、心の動きを仮想の虫の姿態に呼応させて、幻想的な世界を表現します。擬人化ならぬ擬虫化したモチーフは、さらに、昆虫標本に仕立てられ、人間 の滑稽さや愛すべき表情にも見えてきます。今回の個展では最新作を含め代表作《弱虫標本》(2013)などを展示、川越が愛おしいと語る様々な感情たちや弱虫たちの世界を紹介します。

 あら、こんなにあったの・・・・・・。

 事前に予習していなかったからなぁ。
 しかし、1時間では、どのみち無理だった。

 短い時間での観覧で印象深かったのは、すでに速報(?)で紹介した「ヨーガンレール 文明の終わり」だ。
 昨日掲載したものと別の写真をご紹介。

e0337777_14570112.jpg

e0337777_14571610.jpg



 三年前に旅立った作者の「最期の仕事」は、“深刻な環境の問題に向かい、海岸に打ち寄せられた廃品のプラスティックから美しい照明を作り出すこと”だったとのこと。
 とても、そういった廃品から出来上がったとは思えない、輝く空間だったなぁ。

 「死なない命」の展示は、よくよく説明書きを読まなければ、作品の意図が分かりにくいもので、要返却の説明署を読む時間が足らず、やや消化不良のまま出ることになってしまった。

 説明書は、ぜひコピーしたものを貰いたいのだが、コストなどの問題で難しいのだろうか。
 あっ、有料のパンフレットでも売っていたということかな。

 サイトを眺めていたら、次のイベントの案内があった。

桂まん我ひとり会 ~桂まん我の落語を聴く会 金沢篇 第30回スペシャル~
2017年9月24日(日)

桂まん我ひとり会金沢編、めでたく丸十年、三十回を迎えることとなりました。
日頃のご贔屓に感謝し、今回はスペシャルヴァージョン!
落語とともに、裏方のお囃子、三味線太鼓の実演を舞台上で見ていただこうという趣向です。
この機会、お見逃しなく!!
=出演=
桂まん我、桂米輝
=三味線=
豊田公美子(石川県出身)
「お囃子あれこれ」あり
期間:2017年9月24日(日)
会場:金沢21世紀美術館 シアター21
14:00〜16:00(開場13:30)料金:前売券 2,500円、当日券 3,000円
※中学生未満の入場はご遠慮ください
 21世紀美術館のホールで、桂まんがの落語会、とは!
 もう十年ですか。

 金沢の落語愛好家の方で、まんがを聴いたことのない方、NHKの優勝者でもある彼は、お奨めですよ。

 さて、後ろ髪を引かれながら美術館を後にし、一行は犀川方面へ。

 西茶屋街を先輩の説明を聴きながら散策。
e0337777_09545455.jpg

 ガラケーで夕方の写真なので、こんな感じになってしまった。

 その後に、室生犀星が養子となって入った雨宝院にも立ち寄ったなぁ。
 これが、カメラマン役M君による写真。
e0337777_10024138.jpg

e0337777_10055807.jpg

e0337777_10061096.jpg

 やはり、解像度が良いねぇ。

 ほどほど良い時間になり、予約していた片町のお寿司屋さんへ。
 万歩計を持っている仲間によると、宿から一万六千歩とのこと。
 喉も乾くはずだ!

 お店には、寿司懐石に飲み放題付きのコースをお願いしていた。
 お店からは、サプライズ・プレゼントがあった。
 なんと、銘酒「吉田蔵」がサービスされたのであった。

 先輩によれば、有名なお酒で、とても高価らしい。
 大学の先輩からのご好意に感謝感激であった。

 美人の若女将の気配りも素晴らしく、美味しい料理と酒で、懐かしい話に花が咲く。

 近況報告では、いろいろと仲間の知られざる(?)今日この頃が明かされた。

 私も、ブログには書いていない数年前からの生活の変化を報告。
 あっと言う間に、片町の夜はふけていった。

 やや歩き疲れもあり、念のため予約していたお店近くのカラオケ屋さんは途中でキャンセル。

 十分満足の食時の後、兼六園方面へ戻って宿へ。

 途中のコンビニでビールとつまみを仕入れて、幹事部屋に集合。

 恒例の落語の催促があったが、正直、ほとんど稽古していないことに加え、散策疲れと酒のせいで自信がなく、機内で聞いていたANA寄席の“ナオユキ”のスタンダップコメディのネタをいくつか披露したが、覚えていたネタも少なく、ウケが悪い。ナオユキの話術を、あらためて実感^^

 つい、テニスの合宿ではまぁまぁの出来だった「野ざらし」を始めたが、途中で科白が飛んだ^^
 挽回とばかり無謀にも「居酒屋」を始めたが、こちらも途中で撃沈。

 落語は大スベリで翌日も仲間からいじられること、しきり。

 まぁ、そんなこともあるさ。

 翌日は、近江町市場で朝食のため、ロビーに七時集合と決めて、初日はお開きとなったのである。

 初日以上に歩いた二日目の内容は、次の記事で掲載の予定。

[PR]
# by kogotokoubei | 2017-09-06 17:54 | 小さな旅ー2017同期会加賀の旅 | Comments(2)

e0337777_07205308.jpg


 これは、9月3日に行った、金沢21世紀美術館に展示されていた、ある作品の写真。
 ガラケーなので解像度は良くないけどね。

 同美術館のサイトより。
金沢21世紀美術館のサイト
ヨーガン レール 文明の終わり Jurgen Lehl The End of Civilization

2017年8月5日(土) - 2017年11月5日(日)

自然とともに暮らし、その尊さを伝えてきたデザイナー、ヨーガン レール(1944-2014)が「最期の仕事」に選んだのは、深刻な環境の問題に向かい、海岸に打ち寄せられた廃品のプラスティックから美しい照明を作り出すことでした。決して自然に還ることのないプラスティックが、再び実用の場を与えられ輝き出します。
また、展覧会ではこれらの照明と共に、ヨーガン レールが、その唯一無二の美しさに魅了され、長い時間をかけて拾い集めた、ババグーリ/瑪瑙石を展示いたします。この対照的な展示には、2014年に急逝したヨーガン レールの、自然への敬意をもって生きることの強いメッセージが込められています。


 この展示は写真撮影可であった。

 9月3日より、大学の同期会で金沢~山中温泉の旅行中。

 3日と4日は金沢在住の一年先輩による専属ガイド(?)により、3日1万6000歩、4日1万8000歩の実に有意義な金沢散策。

 帰ってから、旅の記録を書くつもり。

 まずは、元気であることをご報告します!

[PR]
# by kogotokoubei | 2017-09-05 07:29 | 小さな旅ー2017同期会加賀の旅 | Comments(0)

 8月の記事別アクセスのトップ10は次の通りだった。

1.今から140年前、なぜ明治政府は改暦を急いだのか。(2013年 01月 14日)

2.三遊亭小円歌が、二代目立花家橘之助を襲名(2016年 11月 24日)

3. 納涼四景 浅草見番 8月4日(2017年 08月 05日)

4. 円楽の落語芸術協会加入について。(2017年 06月 26日)

5. 命日に、“キザな小円遊”という虚像を思う—『談志楽屋噺』より。(2013年 10月 05日)

6. 松鶴に土下座させた、笑福亭小松という落語家のこと。(2014年 08月 04日)

7. 龍志・志ん輔二人会 国立演芸場 7月30日 (2017年 07月 31日)

8. 権ちゃんの、古典落語への思いー『江戸が息づく古典落語50席』より。(2017年 08月 11日)

9. 落語芸術協会、鈴本との離別から三十年・・・・・・。(2014年 03月 05日)

10. NHK「超入門!落語THE MOVIE」、高座のみの放送を望む!(2017年 01月 05日)

 驚いたのは、1位の記事へのアクセス数が、2000を超えていたこと。
 2位以下は2位と3位が300台で、4位以下が200台のアクセスだったから、まさしく、桁が違った。

 いったい、何があったのだろう・・・・・・。

 明治改暦、などの言葉で検索すると、たしかにこの記事は上位に表示される。
 そういった検索が急増した、ということか・・・・・・。

 実に謎だ。

 今回は、個々の記事へのことについては、割愛。

 とにかく1位の記事へのアクセス数にびっくり、なのである。

 
[PR]
# by kogotokoubei | 2017-09-01 12:36 | アクセスランキング | Comments(2)
 落語芸術協会が、仙台に寄席を開場するらしい。

 毎日新聞から引用。
毎日新聞の該当記事

「とにかく笑って…」仙台に常設寄席「花座」開場へ
毎日新聞2017年8月28日 10時28分(最終更新 8月28日 22時33分)

桂歌丸さんが名誉館長 月10日間の興行

 演芸にもっと広く親しんでもらおうと、仙台市青葉区の中心街に来年4月、常設の寄席「花座」が開場することが決まった。東京の落語芸術協会(芸協)が月10日間の興行を主催し、桂歌丸会長(81)が名誉館長に就任する予定。東日本大震災から6年余り。芸協仙台事務所長、白津守康さん(55)は「皆さんにとにかく笑っていただきたい」と思いを込める。

仙台には、明治から大正にかけて「笑福亭」など複数の寄席があり、にぎわっていたという記録が残る。

 花座の予定地は、百貨店「仙台三越」のすぐ近く、飲食店などがひしめく国分町と一番町四丁目買物公園の間にある繁華街の一角。白津さんの会社が所有する建物を改築する。客席は40ほどで、情緒ある和風の外観にするという。

 イベント会社を経営する白津さんは、震災前の2010年6月から芸協主催で「魅知国(みちのく)仙台寄席」をスタート。映画館を借り月1回の興行を、震災時も休まず続けてきた。来月で92回を数えるが、「月1回では見たくても見られない人がいる。文化を根付かせたい」との思いから自前の演芸場開設を模索してきた。

 花座では毎月1~5日と21~25日の計10日間、落語や色物の公演を開催。芸協所属の真打ち落語家のほか、東北弁落語の六華亭遊花さん、漫才コンビのストロングスタイルら地元で活躍する芸人も出演する。寄席以外の日は貸し小屋として運用する予定。

 10月から、大阪の寄席「天満天神繁昌亭」の例にならい、小屋の外観を飾るちょうちんの名入れで改築費用を募るという。白津さんは「東北人は今も懸命に頑張っている。幸せだから笑うのではなく、笑うから幸せなんです」と期待をかける。【濱田元子】

 実に結構なことだ。

 「笑うから幸せなんです」という言葉、なかなか味がある。

 
 独立行政法人の日本芸術文化振興会のサイトに、本年度の「文化芸術振興費補助金」による助成対象活動のリストが掲載されている。
日本芸術文化振興会サイトの該当ページ

 東京の落語の二団体への補助金は、次のようになっている。

e0337777_11480907.png


 これまでもそうだが、落語芸術協会は、この助成金を都内の定席のみならず、北海道、東北、名古屋の落語会のために活用している。

 そういった活動の延長線上に、今回の寄席開場があったのではなかろうか。

 このリストを見て疑問なのは、公益社団法人であり、都内定席のみならず地域の落語会も開催している落語芸術協会への補助金が44,551,000円で、一般社団法人で都内の定席のみを補助金対象としている落語協会に、2000万円以上多い65,000,000円が補助されていることだ。

 この数字を見ると、いつも多くの「?」が浮ぶ。

 所属落語家の数が落語協会の方が多いからか・・・・・・。
 そもそも、この補助金は、どう使われているのか・・・・・・。
 「年間活動支援」と「公共事業支援」の違いは・・・・・・。

 この問題は何度か書いているので、これ位にするが、どうしても腑に落ちないなぁ。


 ともかく、落語芸術協会による仙台「花座」開場で、ここ数年笑いを忘れた人々が、笑って幸せになることを期待したい。

[PR]
# by kogotokoubei | 2017-08-31 12:36 | 寄席 | Comments(4)
 寄席や落語会でのマクラで、人にもよるが、鋭い権力批判が、落語家らしい装飾もされて披露されるのを聴くのも楽しみの一つだ。
 
 もちろん、ほとんどが「テレビじゃ、無理だろうなぁ」と思われる内容で、そういうことも、生の寄席、落語会での一期一会の魅力なのだと思う。

 しかし、ふと、思うこともある。

 以前は、テレビでだってそういう批判精神に富んだ発言を、もっと聴くことができたのではないか、ということ。

 そんなことを考えていたら、興味深い記事を発見した。

 テレビに出るお笑い芸人たち、そして、メディアにおける権力批判の日米の違いに関し「LITERA」に載っていたのだ。
LITERAの該当記事
 主に町山智浩の指摘が中心。

 冒頭から、まず引用。

トランプ問題で鋭い論評連発の町山智浩がアメリカと比較し「日本のお笑い芸人が権力批判できない理由」を喝破
2017年8月27日

 シャーロッツビル事件をめぐる「どっちも悪い」発言で、アメリカではトランプ大統領への批判がかつてないくらい高まっているが、日本のメディアではむしろ、トランプ的な「どっちもどっち」論が幅を利かせている印象がある。

 ネットでは事件の発端となったリー将軍像の撤去をめぐって、ネトウヨや「中立厨」を中心にリー将軍擁護論が盛り上がり、テレビでも「白人至上主義も忌まわしいが、リベラル至上主義も問題」などというトンデモ発言をした有本香はじめ、複数のコメンテーター、番組がどっもどっち的な解説を垂れ流していた。

 そんななか、こうしたトランプ擁護論を徹底論破していたのが、現在アメリカ在住の映画評論家・町山智浩氏だ。町山氏はツイッターで、リー将軍像が白人至上主義という差別思想と不可分であること、南北戦争で「南部が自治権を守ろうとしただけ」などというのは戦争終結後の南部のプロパガンダであることを指摘。こんな鋭い分析まで披露していた。

〈南部の正当化の仕組みは日本における戦争の正当化のそれと非常によく似ていると思います。南部帝国を擁護する日本人には、意識的か無意識か、大日本帝国を投影している人が多いのではないでしょうか。〉

 まさに博覧強記の町山氏らしい鮮やかな切り返しだが、その町山氏が今度は、トランプを徹底批判するアメリカのニュースショーと比較する形で、権力批判ができない日本のメディア状況やお笑い芸人の問題に踏み込む発言をして、話題になっている。

 発言があったのは、8月22日放送の町山氏のレギュラー番組『たまむすび』(TBSラジオ)でのこと。町山氏はこの日、シャーロッツビル事件以後も予定されている右翼の大集会やトランプ大統領の動向について解説したあと、「いまアメリカのレイトショー、夜のトークショーの人たちは、もうずーっと、この事件があってからもそうなんですけども、トランプギャグでものすごく面白いことになっているんですよ」と切り出した。

アメリカでは毎晩、コメディアンたちがトランプをネタに

 そして、ABCテレビ『ジミー・キンメル・ライブ!』司会者のジミー・キンメルやCBS『ザ・レイト・ショー・ウィズ・スティーヴン・コルベア』で大人気を博しているスティーヴン・コルベアが毎日のように、トランプに対して苛烈なジョークやツッコミを浴びせていることを紹介した。

 たとえば、キンメルが「ドナルド・トランプをアメリカの王様にして、政治から手を引かせよう」という皮肉たっぷりの提案をしたことや、トランプが「両方とも悪い」と言ったことに対して、コルベアが「それは違うだろ、だって、あっちはナチだよ、こっち側はそのナチのカウンターだよ、ナチと戦う人たちだよ」「アメリカはナチと戦ったんじゃないの?」と厳しく突っ込んだことなど。

 しかも、町山氏が強調したのが、これらトランプ批判の多くがアメリカの「お笑いトークショー」を舞台に、コメディアンの口から発せられていることだった。

「アメリカのすごいところは、とにかくいちばん視聴率を取っていていちばん人気のあるコメディアンは政治ネタをやるっていうことなんですよ」
 芸人やメディアにおける「言論の自由」や「表現の自由」について、何とも日米の差は大きい、と感じさせる。

 アメリカ在住の映画評論家である町山智浩に関しては、昨年7月に、ギャンブル依存症に関する記事を含め“コメンテーター”なるものについて書いた記事で、彼の言葉を引用したことがある。
2016年7月1日のブログ
 また、2014年7月には、アメリカ大統領選の背景に見えるアメリカに関し、彼の著書を引用した。
 あの時紹介したウォールストリートジャーナルの共和党予定候補に関する記事には、トランプの名は、出てこなかったなぁ。
2014年7月17日のブログ

 LITERAの記事はこの後、茂木健一郎が「空気を読んでいるお笑いばかりで権力に対して批評の目を向けたお笑いがない」」とツィートしたら“炎上”し、爆笑問題の太田や松本人志の反論にも遭って、結局茂木が松本に謝罪した、という話を紹介した後で、次のように続く。

 どうやら町山氏もこの本質が隠されしまった展開に違和感を抱いていたらしい。茂木氏に対して、「“日本のお笑いはだからダメだ”じゃなくて“なぜ、こういう政治的なお笑いをやる人がテレビに出ないのかな?”っていう話にすればよかった」と苦言を呈する一方、博多大吉の発言を引用するかたちで、日本のお笑い芸人が権力批判できない理由について、改めて言及したのだ。

「その時に(茂木氏に)反論した中で博多大吉さんが一番正直に言ったんだと思うんですね。博多さんが」
「それは『安倍総理を批判したらリスクが大きい』って言ったんですね。彼は(笑)。それが一番正直だなと思ったんですけど(笑)。だって、そのザ・ニュースペーパーっていうグループは森友事件を茶化すコントをテレビのために収録したら放送されなかったんですからね」
「だから『リスクが大きい』っていうのはやっぱりかなりストレートなものなのと、あとやっぱりスポンサーとかでコマーシャルに出れなくなっちゃうんですよね」

 そう、町山氏は日本のお笑いが権力批判できないのは、太田光の言うような「政治ネタをやってるヤツはいるけど、笑えない、浅い」とかそういうことではなく、芸人がつぶされるリスクを感じているからだ、と指摘したのである。

 爆笑問題の太田などは、あるタブー視されているキーワードを持ち出すが、その問題に本質的な批判を加えているわけではない。
 彼が、権力批判をしていると目されているなら、NHKを含めレギュラー番組を持つことはできないだろう。

 リスクは、確かにあるだろう。
 「あいつは、何を言い出すか分からない。はずそう」というメディア側の自主規制は、間違いなく存在するに違いない。
 
 さて、私が好きなザ・ニュースペーパーの、放送されなかった芸とは。
 政治風刺を入れ込んだコントを得意とするザ・ニュースペーパーのリーダーである渡部又兵衛は、2017年5月14日付しんぶん赤旗日曜版に掲載されたインタビューでこんな裏事情を暴露している。

「僕は最近コントで「カゴイケ前理事長」を演じています。そう、森友学園問題の。こんなコントもしました。
 アベシンゾウ首相(舞台袖から登場し)「どうも、カゴイケさん。お久しぶりです」
 カゴイケ「あ、首相。ごぶさたです。…『お久しぶり』って、やっぱり僕ら、知り合いですよね?」
 それから二人は「お互い、奥さんには苦労しますね」と嘆きあうといった内容です。
 見たテレビ局の人が「面白い!」といってコントを放送することになりました。収録までしたのに放送当日、「すみません。放送は見送りです」と電話がきました」

 これ以上の詳細な裏事情は詳らかにされていないが、おそらく、現場スタッフのなかで「是非放送したい」とされた内容が、放送前の上層部チェックで「自主規制」および「忖度」の対象となったのだろう。
 このネタ、ぜひ見たいじゃないか^^
 寄席でなんとか遭遇したいものだ。

 結局、テレビに出る(出たい?)お笑い芸人が自主規制(忖度?)するのは、次の鴻上尚史が指摘するように、メディア側の問題だ。

 劇作家の鴻上尚史氏は「SPA!」(扶桑社)17年6月20日号掲載の連載エッセイ「ドン・キホーテのピアス」のなかでこのように書いている。

〈地上波では、現在、まったく政治ネタの笑いがありません。かつてはありました。昭和のずいぶん前、テレビがまだいい加減さを持っていた頃、毎日、時事ネタを笑いにしていました。
 でも、今はありません。それは、お笑い芸人さんの責任ではありません。テレビが許さない。それだけの理由です〉

 この後、ウーマンラッシュアワーの村本大輔が、例外的に権力批判をしていると紹介されている。
 どこまで彼の批判精神が本物なのかは、しばらく様子を見る必要があるだろう。
 本当に、体を張っているのか、どうか。
 
 アメリカだって、かつては、なかなか芸人が権力批判ができにくい時代もあった。
 アンダーグラウンドでの芸だって、あのレニー・ブルースは、何度も逮捕されている。
 
 彼が舞台でこう言ったのは有名だ。

 “I'm not a comedian. I'm lenny bruce!”

 たしかに、仕事を失うリスクを考えると、なかなか、権力批判を口にすることはできないかもしれない。
 しかし、権力への不満を抱きながらも飲み込んでしまう芸人や、逆に権力へのヨイショを続ける芸人は、レニーの言葉を踏まえると、「自分自身が、存在しない」ということになりはしないだろうか。
 アメリカのメディアの「自由」を尊ぶ姿勢と、コメディアンの権力批判で笑いたい聴き手の存在は、単純に国民性の違い、と片付けられないような気がしてならない。

 自由に発言できにくい社会は、やはり、おかしいだろう。


 とはいえ、今、切れ味鋭く、洒落の聴いた警句は、寄席や落語会で楽しむしかないのだろうなぁ。

 むかし家今松、桂文我などの高座は、そういったマクラも大きな魅力なのである。

[PR]
# by kogotokoubei | 2017-08-28 23:21 | お笑い・演芸 | Comments(2)
 「約束の地。メンフィス~テイク・ミー・トゥー・ザ・リバー~」の余韻から、まだ醒めない。

e0337777_10225245.jpg


 本棚から、昔買った「ジャズ批評」の一冊を取り出した。

 第44号(昭和58年2月20日発行)「特集黒人雑学事典」だ。
 約600頁と分厚い。

 この本から、“伝説(レジェンド)”達のことや、彼らにとっての“伝説”のことを拾ってみた。

 この本の「ビッグO(Otis Redding)のデヴューから20年 メンフィス/サザン・ソウル その後」(塩月俊明)から引用。

 60年代の黒人音楽の表面的な動きを追ってみれば、トゥイスト・ブーム、タムラ=モータウン・レーベルによるポピュラー化したソウルの大躍進が目に付く。しかし本質的な部分に目を向けてみれば、やはりメンフィスを中心としたサザン・ソウルの台頭だろう。

 そうそう、私もそれを言いたい^^

 タムラ=モータウン系のソウルが'50年代のブルース/R&Bをより洗練させ、白人にもアピールして全国的な規模で成功を収め、70年代へと脱皮していったのに対し、メンフィス/サザン・ソウルが同じ意味で成功した時期は短かった。
 '62年、ウィルアム・ベルの「ユー・ドント・ミス・ユア・ウォーター」のヒットで幕を開けたメンフィス・ソウル界は同じ年にはオーティス・レディングの登場。'65年にはアトランティック所属のウィルソン・ピケットのスタックス録音「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」のヒット、'66年にはスタックス入りしたサム&デイブの「ホールド・オン・アイム・カミン」と続くが、'67年には早くも雲行きが怪しくなる。それはいうまでもなく、ナンバーワン・スター、オーティスの死である。

 ほら、ウィリアム・ベルだ、などと読みながらあの映画を思い出す。
 
 あの飛行機事故は、大きな転機だったなぁ。

 1967年12月10日、自家用機で移動中のオーティスとバッグバンド、バーケーズのメンバーは、事故に遭遇した。
 たまたま安全ベルトをしていず湖に放り投げられたトランぺッターのベン・コーリーと、別の便に乗ったジェイムス・アレキサンダーが助かったが、ベンもジェイムスも「約束の地。メンフィス」に登場していたなぁ。
 映画では収録されていなかったが、サウンドトラックのボーナストラックとして、再結成されたバーケーズの一員としてジェイムスはベースを担当している。

 残念ながら二年前、ベン・コーリーは旅立った。

 たしかに、あの事故は、メンフィス・ソウル、とりわけスタックス・レコードにとって大きな分岐点となった。
 一時は所属のソウル・アーチストのほとんどを南部に送り込み録音させていたアトランティックも、'69年には見切りをつけ、スタックスの配給も打ち切っている。

 これより少し前のメンフィスのことについて、「シカゴ・ブルースの成立とそのR&B化」(川副正大)からも紹介したい。

 ハウリン・ウルフについて書かれた部分。

 彼はこの時代ずっとメンフィスに住んでいたわけだが、'49年、ようやく地元のラジオ番組に登場するチャンスが訪れた。タフマン、ウルフがこれを逃すはずはなかった。彼の人気はウナギ登りに上がって、クラブ出演の仕事もたくさん得られるようになっていったのだ。それから彼は自分自身のブルースに対して、サポートするバック・バンドの必要性をしっかり認識していたので、クラブ出演の時には、必ずバンドがついた。しかも、人気者の彼の回りには、秀れたメンフィスのミュージシャンが集まってきたのだ。たとえば、マット・マーフィー、ヒューバート・サムリン、バット・ヘア、ジェームス・コットン、ジュニア・パーカー、ウィリー・ジョンソン、ウィリー・ラブといった連中だったわけだ。
 (中 略)
 '54年頃まで彼のバンドの中心は、レコーディングでもライブの時でも、メンフィス時代の古顔で構成されていたため、マディのデルタ・ブルースサウンドとは一寸違ったシカゴ・ブルースサウンドが生まれたのだが、この事は実に興味深い。彼らのほとんどは、おそらくデルタ地方出身だったのであろうが、戦後メンフィス体験(40年代後半)によって、そのサウンドに独特のムードを出している。

 ヒューバート・サムリンも、「約束の地。メンフィス」でその生前の姿を見ることができたなぁ。

 あの映画の興奮から、つい、本棚から引っ張り出したこの本を読んでいた。
 ジャズに比べて、それほどR&Bやソウル、ブルースに詳しいわけではないが、好きではある。

 この本を読みだしたら止まらなくなった。

 BGMはもちろん、あの映画のサウンドトラック。

 映画では登場しなかったボーナス・トラックも、悪くないのだ。


 ホワイト・ハウスでウィリアム・ベルが「You Don's Miss Your Water」を熱唱している映像があったので、ご紹介。
 オルガンは、もちろん、ブッカー・T.ジョーンズだ!

 ああ、オバマのアメリカが懐かしく思える、今日この頃。

[PR]
# by kogotokoubei | 2017-08-26 10:23 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)

e0337777_10260680.png

オリジナルサウンドトラック「約束の地。メンフィス~テイク・ミー・トゥ・ザ・リバー~」

 居残り会リーダー、ブログ「梟通信」管理人、佐平次さんのお奨めの映画を、ようやく関内の横浜シネマリンで観ることができた。
「梟通信」の該当記事

 久しぶりの映画館。
 なんと、五年余り前の「聯合艦隊司令長官 山本五十六」以来。
 あの時は、結構辛口の感想を書いた。
2012年2月5日のブログ

 今回は、下記の公式サイトの謳い文句通り、感動した。
「約束の地 メンフィス」公式サイト

テネシー州メンフィス。ここでは多種多様な音楽が生まれ融合し、また、数々の“生ける伝説”と呼ばれる世界的ミュージシャンたちを輩出してきた。彼らを今一度この故郷に呼び戻し、名門ロイヤル・スタジオ等にて、ジャンルや人種、世代を超えた新たなレコーディングを行い、メンフィスの音楽と精神を現代の世界に再び送り出そう――この破天荒なプロジェクトの過程を追ったドキュメンタリーである本作。

ブッカーT.ジョーンズやメイヴィス・ステイプルズ、惜しくも収録後にこの世を去ったボビー・ブランドやスキップ・ピッツといった巨匠たちが次世代を担う若者に音楽を継承する貴重なセッションの数々を、かのスタックス・レコードの盛衰に象徴される黒人差別の歴史と絡めつつ綴っていく。偉大なる先人たちがプレイの秘訣を惜しげもなく伝授してゆくシーンが印象深く、過去から現代へ粛々と受け継がれるこの地の“ソウル”がスクリーンから溢れ出す。音楽の本質を垣間見せてくれる感動作。

 オリジナルサウンドトラックCDの越谷政義さんのライナーノーツからも引用。
 映画「約束の地、メンフィス~テイク・ミー・トゥー・ザ・リバー~」の監督マーティン・ショアは、キース・リチャードと懇意にしていた故ジム・ディキンソンのゼブラ・ランチのスタジオで友人であるジムの二人の息子のうちの一人のコーディ(兄のルーサーとノース・ミシシッピ・オールスターズで活動)と一緒にいる時こう閃いた。メンフィス音楽を生み出していった伝説のアーティストに集まってもらい、その素晴らしさをもう一度世界に発信しよう。でもノスタルジーに浸るだけでなく、足跡をドキュメントするだけでなく、大ベテランたちをリスペクトしその歴史を受け継ぎながらも斬新なムーブメントの中で活躍している“若いミュージシャン”と“伝説”との“競演”をひとつの“世界”に作り上げよう。それがCDとなり、映画となって完成した。

 このマーティン・ショアの思いは、見事に素晴らしい作品となって結実した。
 
 最初に佐平次さんからメールをいただき公式サイトを見て、ブッカー・T.ジョーンズ(Booker T. Jones)の名があったことに興奮した。

 私は、中学生の頃からクリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)が好きで、NHKの「ヤング・ミュージック・ショー」で最初にCCRを取り上げた時は、興奮しながら観ていた。
 Wikipediaで確認すると、1971年10月24日の放送だ。
Wikipedia「ヤング・ミュージック・ショー」

 ブッカー・T&ザ・MG'sは、その時に知った。

 CCRメンバーとのセッションも印象的だったし、彼らのビッグヒット「Green Onions」は、今でも耳に残っている。

 そのブッカー・T.ジョーンズも登場するなら、観ないわけにはいかない^^

 ブッカー・T&ザ・MG'sは、メンフィスのスタックス(STAX)・レコード専属のスタジオ・バンドだった。
 オルガンのブッカー・T.ジョーンズを中心に、ギターは、あのスティーヴ・クロッパー、ベースがルイス・スタインバーグ、ドラムのアル・ジャクソン。ベースは、その後、あのドナルド・ダック・ダンの代わっている。
 “あの”への私の思い入れが分かる人は、この映画是非見て欲しい。
 スティーブ・クロッパーは「ブルース・ブラザース」で知った方も多いと思うが、あの「The Dock of the Bay」の作曲者。

 スタックス・レコードは、アメリカのR&B、ソウルミュージックを語る上で欠かせないレーベル。
 この映画は、そのスタックス・レコードの歴史、数多くの伝説的なミュージシャンの歴史とともに、人種差別を背景として銀行の融資を止められて倒産してしまった歴史も、しっかりと伝えている。

 もちろん、音楽もとびきり素晴らしい。
 収録されたセッションは、次の9つ。
 短い私の補足や感想(*)を添えてみた。

Session1
「サポーズド・トゥ・ビー(Supposed to Be)」
ブッカー・T.ジョーンズ with ノース・ミシシッピ・オールスターズ featuring アル・カポネ
 *アル・カポネは、ラッパーの芸名なので、お間違いなく^^
  ブッカー・Tはこれだけだったのは、少し残念。
  しかし、ところどころにMG'sの曲がBGMとして流れていた!

Session2
「愛なき世界で(Trying to Live My Life Without You)」
オーティス・クレイ featuring リル・ピーナッツ
 *ジャクソン・ファイブ時代のマイケルを思わせるようなリル・ピーナッツ
  の、なんとも可愛いこと!
 残念ながら、オーティスは2016年1月18日、日本公演を前に旅だった。
 リル・ピーナッツには一生の思い出になったことだろう。

Session3
「プッシュ・アンド・プル(Push and Pull)」
ボビー・ラッシュ featuring フレイザー・ボーイ
 *ボビー・ラッシュは、今でも現役。まだまだ、頑張って欲しい。
 サウンドトラックCDには、もう一曲'Hen Pecked'が収録されている。

Session4
「イフ・アイ・シュド・ハブ・バッド・ラック
(If I Should Have Bad Luck)」
チャーリー・マッセルホワイト with ザ・シティ・チャンプス
 *チャーリーの鞄の中には、とんでもない数のブルース・ハープが詰まっていた!
  サウンドトラックでは、この人の声、実に味わい深く聴くことができる。
 
Session5
「シッティング・オン・トップ・オブ・ザ・ワールド
(Sitting on Top of the World)」
ヒューバート・サムリン featuring エリック・ゲイルズ & イアン・シーゲル
 *ヒューバート・サムリンはハウリン・ウルフのバンドで活躍した人。
  2011年12月4日没。だから、この映像も貴重な記録だ。

Session6
「ウォーク・アウェイ(Walk Away)」
テレンス・ハワード with ハイ・リズム・セクション
 *映画「陽のあたる教室(Mr.Holland's Opus)」に出ていたテレンス・ハワードが、
  こんな素晴らしいミュージシャンでもあったとは知らなかったなぁ。

Session7
「消えゆく太陽(Ain't No Sunshine)」
ボビー“ブルー”ブランド featuring ヨー・ガッティ 
 *ボビー・ブランドは、エリック・クラプトンが尊敬し、ボビーの
  「Farther On Up The Road」をレパートリーにしていて、The Bandの
  ファイナルコンサート「The Last Waltz」で披露していたなぁ。
  車椅子で登場していたボビーは、惜しくも2013年6月23日に旅立った。

Session8
「アイ・フォーガット・トゥ・ビー・ユア・ラヴァー
(I Forgot to Be Your Lover)」
ウィリアム・ベル with スタックス・ミュージック・アカデミー学生
featuring スヌープ・ドッグ
 *このセッションには、しびれたなぁ。別途、書きます。

Session9
「ウィッシュ・アイ・ハド・アンサード
(Wish I Had Answered)」
メイヴィス・ステイプルズ with ノース・ミシシッピ・オールスターズ(NMA)
 *ザ・ステイプル・シンガーズのメイヴィスと、ルーサーとコーディの
  ディキンソン兄弟を中心とするNMAの楽しいセッション。
  曲が決まり、ネットから懸命に音を拾うコーディとルーサーが、
  メイヴィスを深く尊敬していることが、映像から伝わる。


 それぞれ素晴らしいセッションだが、中でも「I Forgot To Be Your Lover」が収録されていく様子には、見ていて鳥肌が立った。

 この映画で、その優しさが滲み出るギターリストのCharles “Skip” Pittsが、スタックス・ミュージック・アカデミーで学ぶ少年にギターを教えている間に、彼らが滞在できる時間内に一曲一緒にやろうと提案。あと30分ほどしか時間がない。急いでWilliam Bellと相談して、彼が作り、ブッカー・T.ジョーンズのプロデュースでスタックスからリリースしたヒット曲に決まる。メンフィスゆかりのスタックスやハイといったレコード会社の曲を聴いて育ったラッパーのSnoop Doggが急いで自分のパートの詞を作る。

 そして、アカデミーの少年達との素晴らしいセッションが収録されていく。

 観終わってから迷いなく買ったサウンドトラックCDには、残念ながら日本語の歌詞しか載っていない。

 オリジナルの歌詞と、CDの和訳に少しだけ手を加えてご紹介。

---------------------------------------------------------------
I Forgot To Be Your Lover

Have I told you lately that I love you?
Well, if I didn't, darlin', I'm sorry!
Did I reach out and hold you in my loving arms
Oh, when you needed me?

Now I realize that you need love, too
And I'll spend my life making love to you
Oh, I forgot to be your lover

最近君に愛してると言ったかな
言ってなかったらごめん
手を伸ばし君をこの腕に抱いたかな
ああ 君は俺を求めてた

今さら気づいたんだ 君も愛を求めてたと
これからの人生は君に捧げるよ
ああ 俺は君の恋人らしくなかった
---------------------------------------------------------------

 いい歌だと思うが、なかなか日本人には言えない科白だなぁ^^

 サウンドトラックCDには、スタックス・ミュージック・アカデミーの少年たちの名もクレジットされている。
 Charles “Skip” Pittsは、彼らを褒め、そして笑顔で手を差し伸べた。
 彼は、少年たちにとって、まさに“伝説”である。
 Pittsはアイザック・ヘイズ(Isac Hayes)が頼りにしていたギターリストであった。

 Hayesの大ヒット曲「黒いジャガーのテーマ」は、1972年の第44回アカデミー賞で歌曲賞を受賞。Hayesは、俳優部門以外でアカデミー賞を受賞した初のアフリカ系アメリカ人となった。同じ年の8月20日、スタックス・レコードはロサンゼルス・メモリアル・コロシアムでコンサート「ワッツタックス」を開催し、Hayesはトリで出演し「黒いジャガーのテーマ」を歌ったのだが、その映像も、この映画で挿入されている。Hayesが、若き日のPittsに丁寧にお辞儀をしている姿が、そこにはあった。

 そのPittsも、2012年5月1日に旅立っている。
 
 映画の中では、Sam&Daveの大ヒット曲「Hold On,I'm Comin'」をIsac Hayesと一緒に作った名プロデューサーのDavid Porterが登場し、同曲誕生の逸話を披露していた。結構、あの場面は笑えたなぁ。
 PorterはPittsに向かって、「Hold On(待っていろ)I'm Comin'(俺が行くから)」と笑いながら言っていたが、晩年癌で入院していたPittsの部屋を、Porterは訪れていたに違いない。

 Isac Hayesが獲得したオスカー像は、スタックス・ミュージアムに展示されていることが紹介された。ヘイズが乗っていた車も、そこにあった。
STAX MUSEUMのサイト

 STAXの歴史は、主にAL BELL (Alvertis Isbell) と、WILLA DEAN “DEANIE” PARKERによって語られる。
 この映画のアメリカの公式サイトにある、二人のプロフィールを少しご紹介。
Take Me To The River公式サイト(英語)

 Al Bellについては、次のような説明がある。
Bell was vital to the careers of many of Stax’s stars, including The Staples Singers, Isaac Hayes, The Emotions, and The Dramatics. Bell’s promotional efforts drove the “Memphis Sound” internationally, and made Stax the second-largest African-American owned business in the 1970s. In 2009, the BBC profiled Bell as “one of the icons of soul music.”
 メンフィス・サウンドを国際的なものとした(drove the “Memphis Sound” internationally)、ソウル・ミュージックの象徴的な人物の一人(one of the icons of soul music)。

 Parkerは、元は、いわゆるシンガー・ソングライターだった。
 その後の経歴は次の通り。
After her retirement, Parker became CEO of Soulsville, where she spearheaded a fundraising campaign to raise the $14 million required to build the Stax Museum of American Soul Music and The Stax Music Academy on the original site of Stax Records. Soulsville was also a force behind the South Memphis neighborhood’s redevelopment. In 2009, she executive produced the Emmy-winning documentary, I AM A MAN, about the 1968 sanitation strike that brought Martin Luther King to Memphis, to which she contributed the title song (with Fred Jones), the first song she wrote in 45 year. The film played numerous festivals, and won prizes at the CMJ Film Festival, Indie Memphis, Trimedia, Cape Fear, the Charlotte Film Festival, and Louisville Film Festival.
 募金活動によって、Stax Museum、Stax Music Academyを設立した人であり、キング牧師をメンフィスに招致して行われた公民権ストのドキュメンタリー、エミー賞受賞「I AM A MAN」の制作を行った彼女は、この映画で重要な役割を演じている。
 彼女の存在が、この映画をメンフィス・ミュージックの歴史の記録にとどまらず、アメリカの公民権運動の歴史の一面を描写する優れたジャーナリスティックな映画に高めているように思う。

 メイヴィスがメンバーだったザ・ステイプル・シンガーズが1965年に発表したアルバム『Freedom Highway』は、当時の公民権運動で、キング牧師が先導したアラバマ州モンゴメリーからセルマまでの行進を支持する意図で行われたコンサートを収録したものだ。その有名な行進の映像も挿入されている。
 映画では、Session9の曲を決めようとする際、ルーサー・ディキンソンが「Freedom Highway」がいいとメイヴィスに言って、彼女を驚かせていたなぁ。

 ちなみに、タイトルの「Take Me To The River」は、Al Greenの1974のアルバム'Explores Your Mind'の中に収録されていたヒット曲。Talking Headsのカバーでも有名。
 Al GreennとギターリストMabon “Teenie” Hodgesとの共作で、ロイヤル・スタジオでWiilie Mitchellがプロデュースしているから、まさにこの映画に相応しいということで名付けられたのだろう。
 ただし、Alのスケジュールと映画の撮影日程が合わなかったらしく彼が出演していないのは、残念。

 とはいえ、映画には、Mabonが登場する。
 彼は2014年6月22日に旅立っており、この映画は、やはり貴重なのだ。


 誰かが、酒やドラッグに溺れることがなかったのは音楽のおかげ、と語っていた。
 貧しく、そして人種差別の激しかったアメリカ南部の街で彼らを救った音楽は、厳しい環境に耐えながら音楽を守ってきたレコード会社やスタジオ関係者の多くの人々によって彼らに与えられた素晴らしい贈り物であることを、彼らは分かっている。
 多くの先人への感謝の気持ちがあるから、伝説となった彼らを心底尊敬する後継者たちを見守る目は優しい。
 それぞれのセッションは、歴史を紡ぐ場であり、、そこには“師弟”の交流、それも、一期一会と言うべき交流が見事に描かれている。
 

 この映画に関して書きたいことは、まだまだあるが、この辺でお開き。

 R&Bやソウル、幅広くアメリカの音楽が好きな方には、素直にセッションを楽しんでもらえるし、アメリカの公民権運動に関心のある方にも、十分に見応えのある映画だと思う。

 私は、この映画を見て、嫌いだったラップが好きになりそうだ^^
 ただし、日本語のラップを除くけどね。


 公式サイトにあるように、関東地区や新潟では、まだ上映予定がある。

 東京
 下高井戸シネマ 9月2日(土)〜9月8日(金)
 神奈川
 横浜シネマリン 8月12日(土)~9月1日(金)
 栃木
 宇都宮ヒカリ座 調整中
 新潟
 シネ・ウインド 10月7日(土)~10月13日(金)

 サウンドトラックを聴くと、それぞれのシーンが甦る。


[PR]
# by kogotokoubei | 2017-08-24 23:36 | 映画など | Comments(2)
 なんとか都合がつき、ご旅行で行くことができなくなったF女史より、四日の浅草見番の会の後にいただいたチケットを活かすことができた。

 本来は喜多八ファンの方によって企画された二人会の予定だったとのこと。
 二月の第一回目も佐平次さんからお誘いがあったのだが、都合が合わず、今回は落語研究会で佐平次さんは来られないのだが、私は僥倖に恵まれた。

 久しぶりの会場は、ほぼ満席に近い盛況。

 こんな構成だった。
 
-----------------------------------------------
開口一番 入船亭遊京 『つづら泥』
入船亭扇遊 『夢の酒』
入船亭扇遊 『青菜』
(仲入り)
入船亭扇遊 『牡丹燈篭ーお札はがしー』
-----------------------------------------------

入船亭遊京『つづら泥』 (20分 *19:00~)
 扇遊の二人目のお弟子さんを初めて聴いた。
 マクラでの80日間中国旅行の逸話が本編よりは楽しかったかな。
 与太郎の女房が登場する噺はこのネタと『錦の袈裟』くらいだろう。
 まだ、それぞれの人物を描くのは難しそうだが、明るい高座には好感が持てた。頑張っていただきましょう。

入船亭扇遊『夢の酒』 (26分)
 熱海の夜という会の名は、扇遊の出身が熱海であること、本来は喜多八との二人会の予定だったこと、などを説明。
 電車ではスマホを見ている人ばかり、あまりウトウトしている人はいない、などとふって本編へ。
 寄席を含めて何度目だろうか、この人のこの噺は。
 間違いなく十八番の一つだと思う。
 ブログを初めて、「落語のネタ」というお題で最初に取り上げたのは、文楽版を元にしたこの噺だった。
2008年6月13日のブログ
 その記事を元に、あらすじをご紹介。

(1)若旦那の夢の説明
 大黒屋の若旦那が昼寝をして夢を見た。女房お花がどうしても聞きたい
 というので、若旦那が嫌々説明をする。向島で夕立に遭い軒先を借りた家
 の女主人が若旦那を知っており座敷にあげる。若旦那は普段飲まない酒を
 飲んで酔い、布団に横になって休んでいるところに女が長襦袢姿で横に
 スッと入ってきたところで、女房に起こされる。
(2)女房お花の怒り
 女房は怒らないと約束して若旦那に夢の話をさせたのだが、話をきくうちに
 嫉妬にもだえ、怒り、しまいに泣き出してしまう。
(3)大旦那登場
 泣き声を聞いた大旦那が驚いて嫁に理由を聞き息子を叱るのだが、夢の話と
 分かりホッとする。しかし嫁は大旦那に、すぐに昼寝をして夢をみて、
 向島の女に意見をしてくれとせがむ。
(4)大旦那の夢
 大旦那、しぶしぶ昼寝をし向島の家を訪ね、女から酒を勧められる。
 下女がいったん落とした火をおこしているがなかなか燗がつかない。
 大旦那は若い時に冷酒(ひや)を飲みすぎてしくじりが多かったことも
 あり今では燗酒しか飲まない。女がつなぎで冷酒をすすめるのだが断る。
 しかし、なかなか燗はつかずいらいらする。
(5)サゲ
 そこで、嫁が親父を起こす。そして、サゲ「ヒヤでも良かった」

 扇遊は、若旦那と女房のお花との会話で、次第に怒りが募るお花を、絶妙な表情の変化で描く。若旦那が向島でグダグダになる様子も、実に楽しい。
 科白の間も味がある。たとえば、普段は大旦那が酒を飲むと嫌な顔をする若旦那が向島で酒を飲んだと知り、「えっ、こいつが・・・酒を・・・こういう奴なんです」の可笑しさは、譬えようがないなぁ。
 そして、女性の描き方が絶妙だ。
 女房のお花の嫉妬する姿、向島の女の艶やかさは、同じ演者とは思えない巧みさ。
 袖で見ていた遊京には、ずいぶん勉強になったのではなかろうか。
 この噺では当代の噺家で随一だと思う。
 もちろん、今年のマイベスト十席候補だ。

入船亭扇遊『青菜』 (30分)
 座ったままで、二席目へ。
 今年の天気のことなどネタに相応しいマクラ。とはいえ、かつて定番(?)だった半井さんの名前が出なかったのは、ちょっとだけ寂しい^^
 お約束でもあるが、蜀山人の狂歌がいい。
 蜀山人は、涼しさをこう表現した。
 「庭に水 新し畳 伊予簾 透綾縮に色白の髱(たぼ)」
 反対に、暑さは、こうだ。
 「西日さす 九尺二間にふとっちょの 
  背中(せな)で子が泣く 飯(まま)が焦げつく」
 
 こういうマクラを聴くと、小満んを思い出すのだ。
 さて、この噺も、古くなるが拙ブログ「落語のネタ」で取り上げたことがある。
2009年5月21日のブログ
 同記事を元に、扇遊の高座のあらすじを書くと、こうなる。

(1)植木屋が仕事先のお屋敷の主人から接待を受ける
 初夏の夕暮れ時、ひと仕事終えた植木屋が、主人から声をかけられた。
 大阪の友人が送ってくれた柳影、関東で言う「なおし」があるから、
 一杯やってくれとのことでご馳走になる。”鯉のあらい”を肴に、
 冷やした柳影でいい気分の植木屋さん。
(2)奥さんと主人の会話
 主人から「菜のお浸しはお好きか?」と勧められ、「でぇー好き」と
 答える植木屋。主人が奥さんに言いつけるが、奥さんがかしこまって
 言うには「鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官」、この
 言葉を聞いた主人が「では義経にしておけ」と答えた。
 植木屋が不審に思うと、これは「菜を食ろうて、なくなった」ということを
 隠し言葉、洒落で答えたのだと主人の説明。
(3)植木屋が長屋に帰宅
 お屋敷の夫婦の会話にいたく感心した植木屋さん。家に帰り、がさつな
 女房に、おまえにはこんなこと言えないだろうとけしかけると、女房が
 「私にだってそれくらい言える」との返答。ちょうどやって来た建具屋の
 半公を相手に芝居をすることにし、女房を押入れに隠す。
(4)植木屋夫婦の芝居~サゲ
 熊さん相手に「冷やした柳影」は「燗冷ましの酒」、「鯉のあらい」は
 「鰯の塩焼き」で代替、菜は嫌いだという半公になんとか頼み込んで、
 ようやく待望の夫婦芝居。
 「奥や、奥!」と声をかけると押入れから汗だくになった女房が出て来て、
 「鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官、義経」と言って
 しまう。
 慌てた植木屋、「え、義経、う~ん、じゃあ、弁慶にしておけ」でサゲ。

 この人の噺で、これほど笑ったことはないと思う。
 また、蜀山人の二つの狂歌の落差のように、涼と暑の落差が見事に描かれていたことも、噺の味を引き出していた。
 庭に吹く風、植木屋の見事な水遣り、などの涼の光景が目に浮かぶから、後半の暑さが際立つ。
 鯉の洗いを見た植木屋の、「鯉ってぇのは黒いかと思ってたら、白いんですねぇ・・・よっぽど洗ったんですか」に主人が「あれは鯉の外套だ」と返すと、植木屋「鰻なんざぁ、さしづめズボンですか」などもほど良い笑いを誘う。
 氷を頬張る仕草なども、なんとも可笑しい。
 長屋に帰ってからの夫婦の会話も、楽しく聴かせる。見合いの場所が上野動物園で、長い時間カバを見ていたせいで女房が良く見えたのは、仲人の作戦か、というやりとりでも大いに笑った。
 サゲ前の半公との会話では、植木屋の、いわゆる鸚鵡返しの楽しさが満載。
 半公が「なにか、のりうつったんじゃねぇか」で爆笑。
 この噺の名手は少なくないが、間違いなくこの人もその一人だと感じた高座。
 もちろん、今年のマイベスト十席の候補である。

 仲入りでは、次回、来年三月の会のチケットが販売されていたが、そんな先のことは分からず、買わなかった。しかし、行きたいとは思っている。

入船亭扇遊『牡丹燈篭ーお札はがし』 (50分 *~21:22)
 白い着物に着替えての登場。
 マクラもふらず「根津に~」とこの噺へ。
 発端の本郷の刀屋の件は、割愛。また、お露が柳橋の寮(別荘)に住むようになったいきさつは、途中でお米が語るという構成にしていた。
 根津に住む萩原新三郎が、二月に亀戸の梅見の後、幇間医者の山本志丈に連れられて、柳橋の寮でお露と最初の出会いをしたことからしばらくは、地での語り。
 新三郎は、お露に会いたくてたまらないのだが、一人で行くのは厚かましいと思い、山本志丈が来るのを待つが、なかなか来ない。原作では夢を見る場面があるが、多くの演者同様それも割愛して早や時は過ぎて六月も半ば、ようやく志丈がやって来た。しかし、なんとお露が、新三郎に恋焦がれて死に、看病疲れで女中のお米も後を追ったとのこと。
 悲嘆にくれる新三郎が、お盆七月十三夜の月を見ていると、深夜八つ過ぎに、下駄の音がカランコロンと・・・と怪談話のクライックスにつながっていく。
 やはり、この噺は難しいなぁ、と感じた高座。
 山本志丈が、武士のようみ見えたことから、ちょっと噺に入り込めなくなった。伴蔵とおみねの会話を中心に据えたと思われるが、二人があまり悪い人には思えなかったなぁ。
 ニンではない、とは言わない。そうとう高いレベルの高座だったのだとも思う。
 やはり、前半の二席が良すぎたのだろう。


 お腹いっぱいの三席。
 この会を教えていただいた佐平次さん、チケットを譲っていただいたF女史に感謝しながら、帰途についた次第。

 電車の中で見た受付でいただいたチラシには、扇遊の独演会の案内がいくつか入っていた。
 分かる人には分かるのだ、と心で呟いていた。
 
[PR]
# by kogotokoubei | 2017-08-23 12:47 | 落語会 | Comments(5)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛