噺の話

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 能村庸一さんの訃報に接した。

 全国紙にも載っているが、「時代劇専門チャンネル」のサイトがもっとも詳しく業績などを紹介しているので、引用したい。

「時代劇専門チャンネル」サイトの該当ページ

お知らせ詳細
2017.05.22

【訃報】★・・時代劇プロデューサーの能村庸一さんがお亡くなりになりました(享年76)・・★

「鬼平犯科帳」を手がけられた時代劇プロデューサーの能村庸一さんが5月13日にお亡くなりになりました。76歳でした。

1941年東京生まれ。'63年フジテレビ入社。アナウンサーとして舞台中継などを担当した後、編成企画部へ。数々の番組に携わるなかとりわけ時代劇の制作に強くひかれ、「鬼平犯科帳」(中村吉右衛門主演)、「剣客商売」(藤田まこと主演)、「御家人斬九郎」(渡辺謙主演)、「八丁堀捕物ばなし」(役所広司主演)、「忠臣蔵」(北大路欣也主演)などレギュラー番組で20本、単発作品では映画も含め100本に及ぶ時代劇を手がけました。いずれもテレビ時代劇史に燦然と輝く名作です。

受賞も多数。
第20回ギャラクシー賞月間賞 「丹下左膳-剣風!百万両の壷-」('82年)
第31回ギャラクシー賞選奨 「八丁堀捕物ばなし」('93年)
第33回ギャラクシー賞奨励賞 「阿部一族」('95年)
など作品に対する受賞のほか、個人としても90年代・フジテレビ時代劇の企画・プロデュースに対して1999年には第36回ギャラクシー賞テレビ部門特別賞を受賞。執筆活動も行い、2000年にはテレビ時代劇の歴史をまとめた著書「実録・テレビ時代劇史」(東京新聞出版局)で第13回尾崎秀樹記念・大衆文学研究賞を受賞しました。

時代劇専門チャンネルには「時代劇ニュース オニワバン!」など情報番組・解説番組への出演から「鬼平外伝」シリーズをはじめとしたオリジナル時代劇の監修に至るまで大変なお力添えを賜りました。

深く感謝するとともに謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

時代劇専門チャンネルでは能村庸一さん最後のプロデュース作品となった「鬼平犯科帳 THE FINAL」を放送します。
〈放送スケジュール〉
7月29日(土)よる8:00「鬼平犯科帳 THE FINAL 前編 五年目の客」  
8月5日(土)よる8:00「鬼平犯科帳 THE FINAL 後編 雲竜剣」


 「時代劇ニュース オニワバン!」の最終回に関するサイト内のページで、能村さんの、あの笑顔を拝むことができる。
「時代劇専門チャンネル」サイトの該当ページ

 「鬼平」「剣客商売」を代表とする能村さんプロデュースの作品は、多くの池波正太郎ファン、そして時代劇ファンにとって、大いなる楽しみであったと思う。

 「時代劇ニュース オニワバン」が昨年終了したのが能村さんの体調に関係したのかどうかは、詳しくは知らない。
 あの番組も、結構好きだった。
 えなりかずきや春風亭三朝(当時は朝也)と能村さんとの楽しいやりとりなども思い出す。

 不定期の放送だったが、「能村庸一がこっそり教える時代劇スターが愛した場所」なども楽しかった。


 自宅近所に高層マンションが建つことにより工事費無料で入会したケーブルテレビのおかげ(?)で、「時代劇専門チャンネル」が、テレビで私がもっとも好きなチャンネルになった。

 「鬼平」は、何度も繰り返し見て飽きない。
 また、池波に限らず、藤沢周平原作のドラマも好きだ。
 仲代の作品がまとめる放送されたりもしている。
 
 
 現在の地上波テレビはスポーツ、ニュースとドキュメンタリー、良質な歴史ドラマや時代劇以外は、滅多に見ない。見るに堪えない、と言った方が良いだろう。
 特に、一山いくらというお笑い芸人が出るバラエティ番組には辟易する。
 また、コメンテーターなどと称して、何ら専門的な知識を持たないタレントが時事問題やら、芸人のスキャンダルに物申すのは、目にするだけで嫌になる。

 要するに、今のテレビの現場には本物のプロがほとんんどいないと思う。
 そして、彼らは、視聴率は気にするが、視聴“質”には無頓着なのだ。

 過去に能村さんがプロデュースしたドラマが今でも鑑賞に耐えるのは、スタッフも俳優も皆がプロフェッショナルの仕事だったからだと思う。
 その現場を離れても、“御意見番”として存在感のあった能村さんだった。

 テレビが、そして時代劇が輝いていた頃のプロフェッショナルが、また一人去った。

 能村庸一さんのご冥福を、心よりお祈りする。

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# by kogotokoubei | 2017-05-22 21:17 | 歴史ドラマや時代劇 | Comments(0)
 積んであった本を読み、野暮用で行けなかった落語会を思い出した。


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森まゆみ著『明治東京畸人傳』(新潮文庫)
 その本は森まゆみさんの『明治東京畸人傳』。
 平成八年単行本、平成十一年の文庫化。森さんの住んでいる‘谷根千’近辺に縁のある人々について書かれた本。
 積ん読の中の一冊だった。

 読み始めて思い出した、行けなかった落語会というのは、4月29日に国立演芸場で開催された、むかし家今松独演会。

 森さんの本を、最初に「円朝・谷根千めぐり」の章から読み始めたのだが、こんな文章に遭遇。
 『怪談牡丹燈籠』の舞台について書かれた後の部分。

 新幡随院の向い側に大円寺という日蓮宗の寺があり、ここでは毎年十月十五日菊まつりが開かれている。境内に笠森稲荷があり、永井荷風による笠森お仙の碑、笹川臨風による鈴木春信の碑があることでも知られる。
「藤川庄三郎、彼(か)の大西徳蔵という車屋に供させて、人力でどっとと降(くだ)る中を谷中の笠森稲荷の手前の横町を曲がって、上にも笠森稲荷というのがありますが、下のほうがなにか瘡毒の願いが効くとか申して女郎衆やなにかがよくお参りにまいって、泥でこしらえたる団子を上げます。あの横町をまっすぐに行き右へ登ると七面坂、左が蛍沢、宗林寺という法華寺があります。その狭い横町をずうっと抜けると田んぼに出て、むこうがずっと駒込のほうの山の手に続き、かすかにまだ藪蕎麦の燈火が残っている。田んぼ道で車の輪がはまってなかなか引きません」
 これは明治四、五年まだ開けない時分の話を断わった語りおろし『松と藤芸妓の替紋』の一節だが当時の情景をほうふつさせる。

 ここまで読んで、「ありゃ、今松が独演会でネタ出ししていた、珍しい噺じゃないか!?」と心の中で叫んだのであった。
 居残り会仲間のIさんから、実に良い高座だったとメールを頂戴したことも思い出し、悔しさが込み上げてきた。

 この後には、その悔しさを倍加させる文章が続いている。
 人力車、フランケット、素敵(ステッキ)、ざんぎり頭などが登場するところが新奇だが、戊辰戦争で生き別れになった会津藩士の兄と妹、元旗本ながら車夫に身を落とした兄と横浜でラシャメンになった妹、二組の運命というところも時代である。

 まさに、実に私にとって興味深い時代背景と舞台設定。

 あの落語会は行けないことが事前にはっきりしていたので、円朝の原作を読むこともなかったが、そういう噺でしたか・・・・・・。

 この本を読んで、未練がましく行けなかった会のことを思い出した次第である。

 師走の末広亭で短縮版でいいので演ってくれないかなぁ。
 無理だろうなぁ。

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# by kogotokoubei | 2017-05-20 15:20 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)
 16日の夜10時から、NHKのEテレで放送された「先人たちの底力 知恵泉」を見た。
 あの遠山の金さんは、実は大変な上司のために苦労した、というお話。
 NHKのサイトから引用。
NHKサイトの該当ページ

先人たちの底力 知恵泉「遠山金四郎 一件落着!苦手な上司対処法」

「この桜吹雪をよ~く見ろぃ!」実は遠山の金さんは上司に悩んでいた?「ワンマン」「ムチャぶり」「職場いじめ」…現代もいる迷惑上司に向きあう、一件落着!の知恵とは?

「お前の所業は、この桜吹雪がすべてお見通しだ!」と、嫌な上司に言えたらいいのに…。実は「遠山の金さん」こと遠山金四郎(景元)は、苦手な上司との関係に悩んでいた。上司は「天保の改革」で有名な老中・水野忠邦。江戸が衰退しかねない強引な改革を進める水野は、「ワンマン」「ムチャぶり」「職場いじめ」と3拍子そろった迷惑上司。庶民の笑顔を守るため金さんが駆使した、人づきあい全般にも使える、みごとな知恵とは?

 番組で「天保の改革」で、水野が寄席全廃を主張したが、遠山が意見書を出して、なんとか十五軒の寄席を残すことができたと紹介されていたが、たしかに、幅広い芸能に関して、あの改革は「改悪」でしかなかった。

 天保の改革においては、水野の方針のために八丁堀の同心たちも、大いに苦労した。

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林美一著『江戸の二十四時間』(河出文庫)

 時代考証家の林美一さんの著書『江戸の二十四時間』には、江戸時代の庶民や旗本、殿様や同心などのある一日の模様を描いていて、実に興味深い。

 本書の「定町廻同心の二十四時間」は、天保十二年(1842)に絵草紙、人情本、好色本等の取締りのために右往左往する定町廻同心、飯尾藤十郎の一日を描いたものだが、その行動の後の実際の裁きの経緯について書かれた部分をご紹介しよう。

 押収品をもとに、改めて版元の洗い直しがなされ、作者や絵師の身元の割出しが急がれたが、人情本はともかく、春画本の作者や絵師は、署名を欠いたり、わざと隠号を使ったりしているので、なかなか摑めず、嬌訓亭腎水・大鼻山人・女好菴主人・好色山人・淫斎白水・百垣千研・桃草山人・好色外史・悪疾兵衛景筆・猿猴坊月成(以上作者)、婦喜用又平・一秒開程芳・艶川好信・淫乱斎(以上絵師)などと多数の人名が挙がったが、結局、作者としては人情本の元祖と自称する「春色梅児誉美」の作者・狂訓亭為永春水が、嬌訓亭腎水なる似通った隠号から春本作者でもあったことが明らかとなり、かつ最も多作でもあるところから代表的人物として槍玉に挙げられ、浮世絵師では、これも婦喜用又平なる隠号で、最も多作、かつ代表的人気浮世絵師であった歌川国貞が、一月下旬に版元ら七人とともに北町奉行所から差紙を立てられて、奉行遠山左衛門尉じきじきの調べを受けることになった。

 遠山の金さんじきじきのお調べとは、大事だ。
 
 ところが、春水は出頭したが、国貞は事前に察したのだろう、門人を連れて伊勢参りに出かけて裁きの日になっても帰って来なかった。
 その代わりに召喚されて被害に遭ったのが、同じ豊国門下の弟弟子で一秒開程芳の名を高めていた国芳だった。
 彼は、二日間牢に入った後、春水と同様に吟味中に手鎖の刑になってしまい、両手が使えないから絵を描けず飯の食い上げ。

 特に国芳は、人一倍向う意気の強い男だが、二日間の入牢はさすがにこたえた。彼は憤懣の余り、判決後、水野の改革を諷刺した錦絵「源頼光公館土蜘作妖怪図」を発表し、江戸っ子たちの喝采を浴びるのだが・・・・・・。

 その後、伊勢に逃げた国貞が捕えられることはなかった。
 
 金さんが水野に進言して春画、枕絵の作者や絵師を裁かないよう仕向けることができず、自らお白洲で春水や国芳を罰したのだから、逃げた国貞も江戸に戻った後で裁くべきだったと思うなぁ。金さん、ちょっと片手落ちでしょう。

 その逃げた国貞について、林一美さんは、こんな譬えをしている。
 何だかロッキード事件で、すぐアメリカへ飛んでしまった容疑者たちと似たような話
 この本の単行本での初版は平成元年(1989年)。

 ロッキード疑惑が明らかになったのは昭和51(1976)年だ。

 十年以上を経ても作者林さんが譬えにしただけの大事件だったということだろう。

 私は学生時代で、結構テレビに釘付けになったものだ。

 結果としては総理の犯罪として田中角栄の退陣につながるのだが、あの事件を巡っては、周囲で不審な関係者の死が続いた。
 まず、ロッキード事件を追っていた日本経済新聞の高松康雄記者が昭和51(1976)年2月14日、児玉誉士夫の元通訳の福田太郎が同年6月9日、さらに田中元首相の運転手である笠原正則が同年8月2日と立て続けに急死している。

 証拠隠滅のため、何者かの手によって抹殺されたのではないかとの疑念を呼んだ。

 この度の加計学園疑惑のことに思いが至る。
 ようやく全国紙やテレビも思い腰を上げたように思う。
 森友とは比較にならない「総理の犯罪」の匂いがプンプンするじゃないか。

 周囲で不自然なことが起こらないことを祈るばかりだ。


 水野忠邦という暴君とも言える上司に知恵と行動で対処した遠山の金さんのような奉行が、今まさに求められているなぁ。

 遠山の金さんや天保の改革のことから、つい、現実に戻ってしまった。

 「改革」という名で「改悪」をしようとする権力者は、いつの世にもいる、ということか。

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# by kogotokoubei | 2017-05-18 12:47 | 江戸関連 | Comments(0)
 先週末のテニス合宿、宴会の余興で『鈴ヶ森』と『野ざらし』をご披露したのだが、合宿前に落語愛好家仲間である佐平次さんのブログで目にした小三治の言葉が、実にタイミングの良い助言となった。

 佐平次さんの「梟通信~ホンの戯言」の5月6日の記事で目にした、ある本からの引用だった。
「梟通信~ホンの戯言」の該当記事

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『落語の愉しみ』(岩波書店「落語の世界」第一巻)

 佐平次さんの記事を読んで、引用されていた本『落語の愉しみ』を私は読み返した。
 岩波書店「落語の世界」全三巻の第一巻に掲載されている柳家小三治へのインタビューは、聞き手が大友浩さんで、時期は2003年1月。

 あらためて小三治の言葉を確認しよう。

ー落語は、口調でトントンと運んでいくものではなく、人物をそこに浮き立たせるように演ずるのが本寸法だというお考えをお持ちでしょう。
小三治 そんなことはありません。人物を描くってことは、不可欠です。だけど、ぽんぽんしゃべっていくことが人物を表さないことにはならない。
ーああ、なるほど。
小三治 そういう基本的なことに心をとめて探究しようという姿勢をあまり感じないというか、そういうことに気がついてるんだろうかと・・・・・・。『二ツ目勉強会』へ行っても、わたしはいつも同じことしか言わないんですよ。
 それは、「そこにいる人に向かって話しかけろ」ということですね。ご隠居さんと八っつぁんの会話なら、ご隠居さんは八っつぁんに向かって話しかけろ、ということです。それがどうも、客席全体に向かって話しかけている人が多い。これでは人物は出てこない。
 (中 略)
 人物が出るってことは、年齢や職業ということは当たり前ですけれども、それに加えて、距離感、空気感のようなものが出ないと・・・・・・。
 それは技術ではないんですよ。心にそういうことを思ってしゃべれば、自然と表に出てきて、お客さんにそれが伝わるんです。速くしゃべろうと、遅くしゃべろうと、そういう気持ちがあればお客さんに伝わるんですよ。 
 お客さんに向かってひけらかすのではなくて、自分に向かって表現する。すると、その姿がお客さんに見えてきて、お客さんが舞台を覗き込むようになるんですね。
 まあ、いろんな芸の形があっていいんでしょうけれども、あまりにも客席にぶつけるようにして笑わせるというのは、一人でやってる漫才あるいは漫談と同じようなものになってしまう。わたしだって、マクラをしゃべるときはお客さんの興味を喚起するようにもっていきます。だけど、(登場)人物と人物でドラマをつくっていくときには、舞台の上に世界をつくって、それに対してお客さんが首をぬーっと伸ばしたくなる、というのが理想だと思ってるんです。

 この小三治の言葉で、「ハッ」とした。

 これまで、宴会の余興で、自分の落語は誰に向かって語っていただろうか・・・・・・。
 聴いているお客さん(仲間)に向かっていて、笑いを取ろうとばかり思っていなかっただろうか・・・・・・。

 このインタビュー記事では、もう一つ印象的な小三治の言葉がある。

ー師匠が「そこにいる人に向かって話しかけろ」ということをお考えになったのはいつ頃からですか?例えば前座さんの頃からとか・・・・・・。
小三治 入ったときは、そんなことは考えませんねェ。はっきり覚えてないです。噺の稽古っていうのは、昔から「三遍稽古」といって、初日に師匠にやってもらい、「ありがとうございました」って帰って、二日目にまたやってもらう。三日目に行くときは、教わる者が師匠の前で演じる。それでああだこうだ言われて、その後また師匠がやってくれるというのが原則らしいんです。わたしはいっぺんもそういう稽古はありませんでしたけど、そういうことを頭に入れて「本当はそうなんだよな」と思いながらやっていました。
 入って何カ月ですかねェ、今の(柳家)つば女と、もう一人ほとんど同期の三人がいっぺんに『道灌』を師匠の前でやることになったんです。一人目がやり終えると、師匠が何かいうわけですよ。二人目、何かいう。三人目がわたしだったんです。
 途中までやったらね、「もういいよ、お前。今までやったの聞いてたんだろ」(笑)。
 そのときだったか、あるいは別の機会だったかよく覚えていないんですが、当然、隠居さんは隠居さんらしくやらなきゃいけないということは知っています。隠居さんらしくといても、年をとってなきゃいけないというぐらいしか頭にないんんですよ。おじいさんなんだろうと。そこへ来る八っつぁんは、若い者で威勢がいいと。そのぐらいのつもりで始めたわけです。
 隠居さんと八っつぁんは、その時点でわたしは見事に演じたと思いましたよ。隠居さんは隠居さんらしく、八っつぁんは、職人のべらんめい口調で、威勢よくぽんぽんと。
 そこですごいことを言われたんです。本当に雷に打たれたっていうのは、あのことですね。
「お前の隠居さんと八っつぁんは、仲が良くねェな」。
 これはねェ、大ショックでしたねェ。「うわァ、すごいッ」と思いましたよ。
 年をとってるのと若いのとだけをやれば噺ができるわけじゃない、ってことですよ。二人はどういうつながりで、どういう付き合い方をしてきたのか・・・・・・。そこから後は、自分で考えろ、ですよ。放っとかれますから。徹底的に放っとくんです。怖いでしょう、放っとかれたら。

 凄いね、五代目小さんの言葉。

 小三治の『道灌』では、2013年9月の、県民ホール寄席第300回記念の高座を思い出す。
2013年9月26日のブログ

 あのご隠居と八っつぁんは、実に仲良しだったなぁ^^


 先週土曜の夜、昼のビールに夕食のワインと日本酒が加わって、話せるかどうか実に危ない状況だったが、なんとか「登場人物に向かって話せ」と心に言い聞かせて、せめて一席だけでもと、一之輔のニフティ寄席の音源で稽古した『鈴ヶ森』を話しはじめたら、結構、泥棒の親分とマヌケな子分との楽しい会話になってきた。
 鈴ヶ森に着いて、子分が尻を端折ってしゃがんだら、そこにタケノコが・・・という場面では皆大爆笑。
 人が通りかかり、子分が飛び出したものの逆に凄まれて謝るところでサゲ、これで今日は勘弁という感じで高座(実はベッドの上)から降りようとしたら、「え、一つだけ!?」という抗議(?)の声。
 つい、そのまま八代目春風亭柳枝版を元にした『野ざらし』にとりかかった次第。
 「四方の山々雪溶けて、上げ潮南にどぶーりどぶーり」のあたりで若干口ごもったものの、なんとか尾形清十郎と八五郎の掛け合いをこなし、舞台は向島。八五郎が妄想している最中つい釣竿を振り回して針を顎にひっかけ、その針を抜いて捨てたところで、サゲた。
 
 二席とも、あくまで落語の人物に話しかける、ということを意識して演じたら、噺の中に自分もどっぷり入り込めた気がした。
 
 小三治の助言に大いに感謝。

 今回の二席を含め、これまでテニス仲間と大学同期の仲間の前で演じた噺は、次のようになった。

 『道灌』・『金明竹』・『寿限無』・『牛ほめ』・『替り目』・
 『小言念仏』・『千早ふる』・『代書屋』・『高砂や』・『居酒屋』・
 『うどん屋』・『雑排』・『厩火事』・『買い物ブギ』・『看板のピン』・
 『天災』・『目黒のさんま』・『紙入れ』・『元犬』・『持参金』・
 『三方一両損』・『たらちね』・『そば清』・『親子酒』・『藪入り』・
 『子ほめ』・『夜の慣用句』・『あくび指南』・『転失気』・『二人癖(のめる)』・
 『夜の慣用句』・『子別れ(子は鎹)』・『鈴ヶ森』・『野ざらし』

 合宿や同期会の直前に音源を聴き込んで稽古したからなんとか出来たものばかりで、もちろん、これだけの持ちネタがあるというわけではないので、念のため。


 私のような落語好きが、実際に人前で落語を披露することにより、失敗も含めその難しさを体感し、寄席や落語会でプロの噺家の高座を聴く姿勢、態度が変わる。
 
 今回の、登場人物に向かって話せ、という教訓は、今後の高座を聴く時の重要な視点になるだろう。

 お客に向かって話しているのか、その登場人物に話しているのか・・・これは、実に大きな違いであるが、結構、客席に向かって話している人が多いのである。

 小三治の言葉、若手の噺家さんに、しっかり噛みしめてもらいたい、実に有難味のある助言だと思う。

 小三治が指摘するような、距離感、空気感が漂い、つい首をぬーっと伸ばしたくなる、そんな高座に少しでも多く巡り合いたいものだ。

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# by kogotokoubei | 2017-05-15 12:59 | 落語の本 | Comments(2)
 先ほど、テニス仲間との合宿から帰宅したところ。
 昨日はあいにくの雨だったが、そのかわり今日、いつものテニスクラブに戻りテニス。
 恒例の昨夜の宴会での落語は一之輔版を元にした『鈴ヶ森』と春風亭柳枝の音源を元にした『野ざらし』。
 一之輔は、かつてのニフティ寄席の音源。あのポッドキャストは、実に貴重な音源を残してくれたなぁ。
 あくまで登場人物に対して話すようにしたら、それぞれ短縮版ではあったが、結構良くできたように思う。
 雨で出来なかったテニスの代りにアサヒビール神奈川工場を見学し、昼から無料の出来立てビールを三杯飲んだのが効いてはいたが、なんとか高座(?)を務めることが出来た。
 
 帰宅し少しネットをのぞいたら、歌丸の落語芸術協会(芸協)会長の後継者に関する記事が目に入った。
 スポニチから引用。
スポニチの該当記事

落語界に新しい風を吹き込む芸協 桂歌丸の“後釜”は?

 現在も横浜市内の病院に入院中である落語家の桂歌丸(80)。肺炎という高齢者にとっては非常に危険な病気だったが、症状はほぼ治まり、日増しに体力も回復している。一時は35キロまで落ち込んだ体重も、病院食を毎日ペロリと完食していることもあって着実に増加。周囲には「病院で1・5キロも太ったよ」と笑顔を見せている。

 とはいえ、昨年から何度も入退院を繰り返しており、決して万全とはいえない状態。退院しても、定期的に高座を務めることに不安はぬぐえない。さらに、現在は落語芸術協会の会長。月に約10日は行事などの出席が義務づけられる会長職の継続は、相当難しいと思われる。5月下旬に理事による会議では、後任について議論が交わされるのは必至だ。

 問題は後継者の選定。副会長を務める三遊亭小遊三(70)は昨年4月に不整脈の手術を行っており、健康に不安がないとはいえない。そんな中で有力視されていたのが春風亭昇太(57)だった。

 落語家が最も多く在籍している落語協会は、3年前に柳亭市馬(55)が52歳という協会史上最年少で会長職に就いた。副会長には林家正蔵(54)が就任し、幹部の若返りに成功している。そのため、芸協の周囲では昇太待望論もあったが、昨年の「笑点」司会就任とともに人気が沸騰。大河ドラマにまで出演するほどになってしまった。現時点では芸協主導の寄席やイベントへの出演にもスケジュール調整が難しい状態で、会長職を引き受けることは、昇太に相当な負担を強いることになる。

 真打ちの数は約100人で、落語協会は倍の約200人。どうしても人材不足となりがちだ。ただ「二ツ目」と呼ばれる若い落語家には活きのいい落語家が揃っている。柳亭小痴楽(28)、春風亭昇々(32)、講談の神田松之丞(33)らは「渋谷らくご」などお笑いライブ感覚の落語会を開催し、これまであまりアクセスすることのなかった若い女性ファンを取り込んでいる。

 かつては「古典の落語協会、新作の落語芸術協会」と言われたこともあるほど、旺盛な創作意欲で落語界に新しい風を吹き込んでいた芸協。その伝統を若手が体現している今、誰が舵を取るのか注目したい。[ 2017年5月12日 10:45 ]

 この記事でいくつか気になることがある。
 
 まず、落語協会が市馬会長、正蔵副会長という“幹部の若返りに成功”と記しているが、いったい何が成功に値するのだろうか。

 “若さ”の象徴とも言えるはずのネット時代の組織の看板であるホームページは、改悪されたままだ。

 市馬会長体制になってから、果たして、落語協会の活動について、落語愛好家が良い意味での変化を見出せたことがあっただろうか。

 落語協会の役員など幹部は、HPに次のような名が並ぶ。
落語協会HPの該当ページ
当期役員(任期:平成28年6月24日より2年間)
会長 柳亭市馬
副会長 林家正蔵
常任理事 柳家小さん・三遊亭圓丈・柳家さん喬
理事
古今亭志ん輔・入船亭扇遊・金原亭馬生・
三遊亭歌る多・三遊亭吉窓・五明楼玉の輔・
林家たい平・柳家喬太郎・鏡味仙三郎

監事 柳家さん八・柳家権太楼
外部監事 友原征夫(会計士)
最高顧問 鈴々舎馬風
顧問 三遊亭金馬・柳家小三治
外部顧問 寺脇研(京都造形芸術大学 芸術学部教授)
相談役 三遊亭圓窓・林家こん平・桂文楽・林家木久扇


 たい平や喬太郎が理事になったことで、何かが変わったのか・・・・・・。
 若手を幹部に抜擢して、何か“新しい風”が持ち込まれたのか。

 真打ち昇進にしても、前小三治会長が行ったような抜擢はその後続かず、かつての芸協よりも年功(年々)序列になっている。
 それも、今年は春に五人、秋に三人の真打大バーゲン(?)だ。
 加えて三木助という名跡の安易としか思えない襲名・・・・・・。

 対照的に芸協は今まさに昇進披露興行中の二人だけ。
 このところ、真打ち昇進には芸協の方が厳しい目で見ているような気がしているが、落語協会の大量昇進に比べて、私は芸協の選抜の姿勢を好ましく思っている。

 いわゆる“成金”という言葉が象徴する元気な二ツ目は、たしかに芸協所属の若手が多い。
 彼らが今後の東京の落語界を背負って立つことができるかどうかも左右するだろうから、たしかに、歌丸の後継会長は気になるところだ。

 芸協の幹部は次の通り。
落語芸術協会HPの該当ページ

会長 桂 歌丸
副会長 三遊亭 小遊三
理事 三遊亭 遊三
理事 三笑亭 茶楽
理事 春風亭 小柳枝
理事 三笑亭 夢太朗
理事 桂 米助
理事 古今亭 寿輔
理事 桂 歌春
理事 柳亭 楽輔
理事 柳家 蝠丸
理事 瀧川 鯉昇
理事 春風亭 昇太
理事 桂 竹丸
理事 春風亭 柳橋
理事 桂 文治
監事 山遊亭 金太郎
監事 三遊亭 遊吉
参与 鏡味 健二郎
参与 東 京太
参与 神田 松鯉
最高顧問 桂 米丸
相談役 三笑亭 笑三


 さて、歌丸の後継を決めるなら、誰が相応しいのか。

 私は、昇太にそれを期待していない。いいじゃないか、テレビの人気者で。
 そういう役回りの人も必要なのだから。

 組織が若々しくなるには、物理的な年齢の若さではなく、あくまで精神的な若さと、落語への情熱、組織改革のための構想力に企画力、そして文科省の役員や席亭などとの交渉における政治力が重要なのである。

 
 たとえば、茶楽などが会長になったら、彼ならではの理性的な目で組織を活性化させることができそうな気がしている。
 寿輔だって、悪くない。あの人ほど寄席を大事にしている人もいないではないか。

 スポニチの記事には小痴楽など、最近脚光を浴びている二ツ目の名前が挙がっているが、彼らを売り出すことに歌丸の精神的な後押しが強かったことは、小痴楽のツィッターなどでよく分かる。

 歌丸は、落語協会が一之輔や文菊、志ん陽を抜擢して真打に昇進させた際に取材を受け、かたや年功序列の芸協と言われ、憮然として「うちはうち」と答えた。

 今、逆に年功的要素が強くなった落語協会を横目で見て、歌丸は毅然として「うちはうち」と思っているような気がする。

 そういった精神を受け継ぐことができる人が後継者に相応しいのではなかろうか。

 この記事を読んで、いくつか違和感を覚えるとともに、そんなことを思っていた。

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# by kogotokoubei | 2017-05-14 16:25 | 落語芸術協会 | Comments(2)
 山手線の新駅近くに、「新東海道」ができる、という東京新聞の記事をご紹介。
東京新聞の該当記事

「新東海道」江戸の活気再び 山手線新駅・田町-品川間
2017年5月10日 14時27分

 JR山手線と京浜東北線の田町-品川間に二〇二〇年春に開業する新駅(東京都港区)の西側に、国内外の人々が集う広場のような歩行者道「新東海道」がお目見えする。二〇年の東京五輪後に着工し、三〇年代の完成が見込まれている。すぐ近くにかつての東海道にあった江戸の玄関口「高輪(たかなわ)大木戸」の跡があることから、交通の要衝だった往時のにぎわいの再現を目指す。(増井のぞみ)

 新東海道は、新駅前広場の西側に南北にわたって造る想定で、道幅は八メートル以上、長さ四百メートル。道の両側に高層ビルが並び、ビルの低層階に飲食店や商業施設が入る。

 道沿いの建物の一階部分には柱だけの空間や、外に張り出したひさしを設け、建物内と路上を行き来しやすくする。路上などに机やいすを置き、ビル内のオフィスで働く人らが外で仕事をするなど、買い物客、観光客を含めた憩いの場所にする。

 新東海道に近い国道15号沿いにある国史跡の高輪大木戸跡は、旧東海道の関門。江戸時代に道の両側に石垣を築き、門を取り付けた場所で、治安維持のために門を開閉して江戸への人の流入を制限した。近くに茶屋などが並び、旅人らでにぎわった。門は江戸後期に外され、今も石垣の一部が残っている。

 品川駅の地下には二七年にもリニア中央新幹線が開業し、泉岳寺駅は京急線で羽田空港とつながっている。新駅周辺の整備方針を検討した委員会の座長で東京工業大の中井検裕(のりひろ)教授(59)=都市計画=は「新駅周辺は、日本全国や世界各地から訪れるのに便利な場所。東海道の歴史を生かし、人の交流を促して新たなビジネスや文化の創出につなげたい」と話した。

<東海道> 江戸時代に江戸を起点に整備された五街道の一つで「江戸と京、大坂を結ぶ大動脈。幕府が最も重要と位置づけた」(品川区立品川歴史館)。海沿いにあり、景色が良く起伏が少ないため、参勤交代によく使われ、物資を運ぶ人馬、旅人らが行き交った。現在の東京都港区では、国道15号の位置にあったとされる。

<JR山手線・京浜東北線の新駅> 1971年開業の西日暮里駅(荒川区)以来となる山手線30番目の駅。2020年春に、品川-田町間の品川車両基地(約13ヘクタール)の一角で暫定開業の予定。基地跡地では、山手線と京浜東北線の線路を東に最大120メートル移設。JR東と他の地権者の土地を合わせて東京ドーム3個分に当たる約16ヘクタールの開発用地をつくり出す。オフィス向けを中心とした7棟の高層ビル、マンションなどが建てられる。

(東京新聞)


 この「新東海道」ができる背景となる歴史について、肝腎な部分を、もう一度太字で確認。
すぐ近くにかつての東海道にあった江戸の玄関口「高輪(たかなわ)大木戸」の跡があることから、交通の要衝だった往時のにぎわいの再現を目指す


 “道の両側に高層ビルが並び、ビルの低層階に飲食店や商業施設が入る”というのは賛成しないが、高輪大木戸にちなむ新たな「東海道」という“憩いの場”ができることには賛成したい。

 三年ほど前、この新駅の名を「高輪大木戸」にしてはどうか、という記事を書いた。
2014年6月4日のブログ

 その記事で、次のようなことを書いた。
 2020年の東京五輪に向けた“建設という名の破壊”ばかりではなく、良い機会ととらえて過去の名所を蘇らせる試みがあってもよいだろう。

 新駅「高輪大木戸」の命名で、その昔の話題が喚起されることも結構だし、新たな町が江戸時代の庶民の生活を偲ぶことのできる、土や木の香りのする場所がある方が、海外のお客様も喜ぶのではなかろうか。

 もはや、新駅の名は「高輪大木戸」で決まりでしょう^^

 しかし、この「新東海道」、「新」という言葉に甘えた超近代的なつくりにはして欲しくないなぁ。
 すでに概要は決まっているのだろうが、新「東海道」なら、それに相応しい道のあり方があるはず。

 まだ間に合うのなら、良い手本がある。
 東北自動車道の羽生パーキングエリア、“鬼平江戸処”だ。
鬼平江戸処のサイト

 羽生には「栗橋関所」が近くにあった。
 円朝の『怪談牡丹燈籠』の舞台でもあった。

 鬼平江戸処のコンセプトは、「温故知新」。

 同じ商業施設にしても、その土地の歴史に立脚し、まさに、「温故知新」の精神で開発してもらいたいものだ。

 「新東海道」では、“高層”ビルより、“高輪大木戸”にちなむ街づくりという“構想”にこそ力を入れて欲しいと切に願う。

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# by kogotokoubei | 2017-05-11 00:36 | 江戸関連 | Comments(2)

 昨年12月、イイノホールの最終公演になんとか間に合った三三の『嶋鵆沖白浪』。
2016年12月9日のブログ

 三三は「たびちどり」と称して、今年は名古屋と大阪、そして福岡で今月から六か月公演を行う。
 
 「ぴあ」に掲載された記事を紹介したい。
「ぴあ」サイトの該当記事

落語の豊かさを伝える“続き物”に柳家三三が挑む
2017/5/8 16:40配信

落語の伝統を守る一方で、独演会ではさまざまな挑戦を続けている柳家三三。昨年は文化庁芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞するなど、その活躍がいっそう注目されるなか、六ヶ月連続独演会〈たびちどり〉で挑む演目が、大作『嶋鵆沖白浪(しまちどりおきつしらなみ)』だ。幕末から明治期に活躍した柳派の談洲楼燕枝(だんしゅうろう・えんし)が創作した長編人情噺を、毎回2話ずつ高座に上げ、全12話を通すという試み。長らく演じ手が途絶えていたという本作への想いを、三三に聞いた。

大商人の跡取りでありながら侠客となった“佐原の喜三郎”。物語は彼と、やはり裕福な家の娘ながら芸者から遊女へ身をやつすお虎の運命を軸に、巾着切りの庄吉や、なまぐさ坊主の玄若、三宅島に流された罪人の長・勝五郎、旗本の優男・梅津長門ら多彩な人物を巻き込んで展開する。「人情噺というと泣ける話をイメージするかもしれませんが、元々は広い意味で人情の機微を描いた話のことなんですよ」と三三は言う。「燕枝は九代目市川団十郎と親交が深かったこともあり、この作品も“白浪物”(盗賊を主人公とする物語)や“三尺物”(博徒や侠客が主人公)、“世話物”(町人の人情を活写した芝居)と、色々な要素がたっぷり詰まっているんです」と、その口調にも自然と熱がこもる。

今回はこの大作を12話に分け、三三自ら再構成。「怪僧玄若坊」「闇の島脱け」「お虎の美人局」など、内容に合わせて付けられたタイトルは、どれもワクワクするものばかりだ。「本当にね、なぜこの演目が長い間忘れ去られていたのか不思議なくらい」と三三は話しつつ、「ただ、長編だけにダイナミックな場面と地味な場面とがありますから、そこは1話ずつ観ても楽しめるように調整しました。あとは、初見でも、途中の回を観ていなくても内容が分かるように、前回までのあらすじは読み物で配る予定です」と“続き物”ならではの工夫を明かす。

そんな苦労もいとわないのは、落語のもつ豊かな世界をもっと知ってもらいたいから。「燕枝が活躍した当時は町内に1軒ずつくらい寄席があって、人々は晩ご飯を終えた後、ちょうどテレビを観てくつろぐ感覚で寄席に足を運んだそうですよ」と三三は語る。「だから『あの寄席で面白い“続き物”をやってるぞ』と評判になると、その寄席によその町からわーっとお客さんが集まったりしてね。艶のある場面にドキドキしたり、切った張ったの立ち回りにハラハラしたり。そういった楽しさを、現代のお客さんにどうやったら届けられるか。それだけを考えて演りたいですね」という三三。その言葉からは、名作を伝える演じ手としての覚悟が伝わってきた。

公演は愛知・大須演芸場と大阪・グランフロント大阪にて、5月から10月まで毎月1回ずつ開催。チケット発売中。

取材・文 佐藤さくら

 「ぴあ」での取り扱いは名古屋と大阪だが、福岡でも開催される。
 「落語 de 九州.com」のサイトに日程などが案内されている。
「落語 de 九州.com」サイトの該当ページ

 名古屋・大阪・福岡での全6回の開催日程は、次のようになっている。

 会場は、名古屋が大須演芸場、大阪はグランフロント大阪のナレッジシアターー、福岡が森本能舞台。


   名古屋  大阪  福岡
①  5/25  5/26  5/27
②  6/20  6/19  6/18
③  7/12  7/13  7/14
④  8/17  8/9   8/10
⑤  9/11  9/19  9/18
⑥  10/12  10/13  10/14

 四回目と五回目を除くと、この三都市にまたがって三日間連続公演になっている。
 結構、移動などが大変だろうが、三三の各開催場所への“たび”ちどりによって、お客さんは登場人物それぞれの人生の“たび”ちどりを楽しむことになるだろう。


 私は、初演の2010年11月の紀尾井ホール「談洲楼三夜」、初日のみだが行くことができた。
2010年11月16日のブログ

 
 その翌年、横浜にぎわい座での六か月公演では、私は七月の第三夜(『大坂屋花鳥』に相当)と八月の第四夜(三三によると『闇の島抜け』)を聴くことができた。
 
2011年7月7日のブログ
2011年8月5日のブログ


 そして、昨年12月の最終公演と、七年に渡って、序盤、中盤、千秋楽を楽しんだことになる。

 三三が言うように、それまでの筋書きを書いたものを用意しているので、通しで聴かなくても十分楽しむことはできる。

 もちろん、通しで毎月聴くことができれば、それは生涯忘れることのできない落語体験になるだろうことは、七年かけて聴いてきた私が保証しましょう。

 紹介した三三の言葉を借りるが、この作品には、
“白浪物”(盗賊を主人公とする物語)や“三尺物”(博徒や侠客が主人公)、“世話物”(町人の人情を活写した芝居)と、色々な要素がたっぷり詰まっている
 から、どの回でも、楽しむ要素がある。

 それぞれの地域の落語愛好家の方に、ぜひお奨めしたい落語会。


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# by kogotokoubei | 2017-05-10 12:40 | 落語会 | Comments(2)
 女優、月丘夢路さんの訃報に接した。
朝日新聞の該当記事

 大正11年生まれ、94歳での旅立ち。

 先日帰郷して会ってきた北海道の父と同じ戌年の生まれだ。

 宝塚出身で、数多くの映画に出演された。

 原爆に関する映画に出演されたことでも知られている。

 昭和25(1950)年の「長崎の鐘」は、戦後最初に原爆をテーマとして日本映画だ。当時の長崎医科大学(現長崎大学医学部)助教授だった永井隆の随筆に基づいている。永井が原爆爆心地に近い同大学で被爆した状況と、右側頭動脈切断の重症を負いながらも被爆者の救護活動に当たる姿などが描かれている。
 GHQの検閲もあり原爆を直接批判する映画には出来なかったので、永井の半生を描く映画となっており、月丘さんは永井の妻役を演じた。

 そして、出身地でもある広島に関する映画、その名も映画「ひろしま」に、ノーギャラで主演された。

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                (写真はWikipedia「ひろしま」より)
Wikipedia「ひろしま」

 同映画は、日教組プロにより昭和28(1953)年に製作され、昭和30(1955)年に第5回ベルリン国際映画祭長編映画賞を受賞した。

 この映画は、後に新藤兼人監督・脚本で映画化された『原爆の子』と同じ長田新編纂による文集『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』(岩波書店、1951年)を原作としている。

 八万人の広島市民がエキストラで出演している、市民参加の反戦映画と言えるだろう。

 上映にあたっては、GHQへの忖度などから批判的な意見も出たようだ。

 しかし、フランクリン・ルーズベルトの妻、エレノア・ルーズベルトが高く評価したり、ベルリン国際映画祭で長編映画賞を受賞したことが、この映画の価値の証左である。

 月丘さんが、この映画について語っているYoutubeを見つけたので、掲載する。



 松竹専属だったが何度も嘆願して出演した映画だったことや、現地で目にしたアメリカの映画人や歌手のように、富を得た者が何等かの形で社会に還元することの大切さなどが語られている。

 残念ながら、この二つの映画を見ていない。

 「長崎の鐘」、「ひろしま」をぜひ見たい。

 月丘さんの追悼の意味でも、ぜひ地上波でもBSでもCSでもいいので、放送して欲しいと思う。


 月丘夢路さんのご冥福を、心よりお祈りする。


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# by kogotokoubei | 2017-05-08 20:54 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 NHKの朝のドラマ「ひよっこ」の一週間分(通算で第五週)をBSで見た。
NHKサイト番組ページの該当週のあらすじ

 このドラマの評価はいろいろあるだろうが、少なくとも効能があるとしたら、かつての日本の電気製品やその作られ方を知ることができることだろう。

 主人公は茨城から東京に出て、向島電機に就職。
 トランジスタ・ラジオのプリント基板に部品を手作業で挿入していくラインで仕事をすることになる。

 足がついた部品(DIP:Dual Inline Package)を基板に順に差し込んで行く製造ラインの建物は、「鳥小屋」と呼ばれいた。
 なぜなら、二本足の部品を基板に差し込む様子が、鳥がエサを啄(ついば)む姿に似ていたから。

 主人公のみね子は不器用で、最初はラインを止めてばかりいる。
 後に続く人が間違いに気づくとブザーを鳴らしてラインを止めるのだが、みね子は何度もブザーを鳴らす張本人となる。

 この番組では、かつての女性マラソンランナーがナレーションを務めていて、当時のトランジスタラジオについて、どんな部品で構成されているか説明もあった。

 なかなか、ためになる。
 
 東京オリンピック開催時期の頃が時代だが、日本で最初の携帯型のトランジスタラジオは、昭和30(1955)年にソニーから発売された「TR-55」だ。
 ソニーのサイトに、その写真を含め説明されている。
ソニーのサイトの該当ページ

 ソニーのラインにも、多くの女性社員が並んで、基板にトランジスタや抵抗、コンデンサなどを流れ作業で装着していた。

 彼女たちは、トランジスタ・ガール(トランジスタ・グラマー、ではなく^^)、と呼ばれていた。
 

 今、スマホが当たり前の道具と考える若者こそ、この番組を見るべきかな、などと思って見ていた。

 世界最初のコンピュータは、アメリカが第二次世界大戦でのミサイルの弾道計算に使おうとしていた「ENIAC(エニアック)」。しかし、完成は戦中には間に合わなかった。
Wikipedia「ENIAC(エニアック)」

 エニアックは、1秒間に10万回のパルスで各電子機器の同期をとっていたので、動作周波数0.1メガヘルツ(MHz)となる。
 現在のパソコンのマイクロ・プロセッサの動作周波数はギガヘルツ(GHz)の単位となっていて、1GHz=1,000MHz。
 動作原理が異なるので単純比較はできないが、同期をとる周波数で考えると、今日のパソコンはエニアックの1万倍以上速いということになる。

 もちろんスマホに搭載されているプロセッサも、もちろんギガヘルツのレベルだ。
 エニアックで使用された真空管は17,468本、その広さは、床面積450㎡で136坪だ。なんと、重さは30トン。
 Wikipediaによれば、ペンシルベニア大学の学生が1995年にENIACを7.44mm x 5.29mmのシリコン基板上にエニアックを再現した、とのこと。

 「TR-55」は、ソニーで8ミリビデオの製品名でも復活した栄誉ある名。
 昭和30年生まれなので、トランジスタラジオの「TR-55」は、私と同じ年に生まれたことになる。
 私はラジオ、カセットデッキ、βビデオ、8ミリビデオなど、ソニー製品の愛用者だった。
 そのソニーが、今のような停滞した状況になるのは、どうにも残念でならない。
 
 向島電機は、ソニーが先鞭をつけた後に続くトランジスタラジオの町工場の風景を、ある程度のデフォルメを許せば、結構大事な日本の戦後の復興の姿として再現してくれている。

 
 個人的なノスタルジーもあるが、たしかに、あの頃を懐かしく思うであろう視聴者を期待して作られた作品なのかもしれない。

 ドラマとしての「ひよっこ」は、失踪した主人公の父親が田舎の人間にはどうしても見ることができないなど不満もあるが、かつての日本の電気産業勃興期の製品のことや、それを作ってきた多くの人々のことを知る効能はあるようだ。

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# by kogotokoubei | 2017-05-06 12:55 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)

 4月の記事別アクセスランキングは、次のような結果だった。


1.雲助の「お初徳兵衛」「船徳」への思い (雲助ホームページより)(2011年 08月 26日)

2.NHK「超入門!落語THE MOVIE」、高座のみの放送を望む! (2017年 01月 05日)

3.“目の前”の“寄席”にかける、一之輔ーNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」より。
(2017年 04月 11日)

4.落語ブームに関する毎日新聞の記事を読んで思う、いろいろ。(2017年 04月 05日)

5.新宿末広亭 四月上席 昼の部 4月9日 (2017年 04月 10日)

6.一之輔の『藪入り』ー「超入門!落語THE MOVIE」特番を5月2日に放送。(2017年 04月 16日)

7.三遊亭小円歌が、二代目立花家橘之助を襲名(2016年 11月 24日)

8.加川良の訃報に接して・・・・・・。(2017年 04月 06日)

9.落語協会、平成29年秋にも三名が真打昇進。(2016年 08月 24日)

10.松鶴に土下座させた、笑福亭小松という落語家のこと。(2014年 08月 04日)


 1位の雲助の記事は、どうもNHK「日本の話芸」で『お初徳兵衛』の東京落語会の高座が放送されたためのようだが、まったく想定外だ。

 2位は、あの番組について、私と同じような思いのある人が多かった、ということだろうか。

 3位は、一之輔が確実に“全国区”になった証とも言うべき番組への注目からだろう。

 4位は、やや中途半端な面もあるが、全国紙としては結構真っ当な落語界の現状についての記事へのアクセス。

 5位に、なんとか4月に二回行けた末広亭の前半の記事が入ったのは、少し嬉しい。

 6位は、今夜の番組に関する記事。予告編も流れているが、これまた、一之輔。

 7位の記事は、師匠の訃報の前にもアクセスがそれなりにあったが、24日以降に急増。
 
 8位は、兄弟ブログでも掲載した記事だが、とにかく残念な訃報だった。

 9位は、この秋の真打昇進の件だが、そのうちの一人については、先日の末広亭で聴き、落胆した。

 10位は、安定的(?)にアクセスの多い記事。いつも、不思議に思う。

 
 さて、5月はどんな記事を書き、どのような方がご覧になるのだろうか。

 テニスの合宿もあり、そろそろ余興の落語の稽古をしなくてはならないなぁ。
 まだどのネタにするか決めかねている。
 一之輔の十八番の一つにしようか、などと思っているが、なかなかこの噺、手強いのだ。

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# by kogotokoubei | 2017-05-02 12:57 | アクセスランキング | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛