噺の話

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 一昨日、今秋師匠松喬の名を襲名する笑福亭三喬のラジオで聴いた高座について記事を書いた。

 あの一門での襲名ということでは、三喬の大師匠だった、“松鶴”という名にも思いが至る。

 上方で「六代目」と言えば、松鶴のこと。
 そして、七代目松鶴の名は、松葉が亡くなってから追贈されている。
 松葉については以前記事を書いた。
2011年9月22日のブログ

 しかし、もっと以前に、七代目松鶴襲名を周囲から期待されていた男がいる。

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笑福亭松枝著『ためいき坂 くちぶえ坂』(浪速社)

 笑福亭松枝の『ためいき坂 くちぶえ坂』は、拙ブログにいただいかコメントで知った本。1994年に初版が発行され、2011年6月に改訂版発行。

 以前この本に基づき書いたいくつかの記事には、今でもアクセスが少なくない。
 最初の記事は、2012年6月。ご興味のある方はご覧のほどを。
2012年6月18日のブログ
 
 この本は、序章で、松葉を七代目とすることを一門メンバーに仁鶴が告げる場面から始まる。

 副題にある通り「松鶴と弟子たちのドガチャガ」が何とも可笑しかったり、理不尽だったり、そして感動的であったりする。

 目次は次の通り。
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「増刷にあたり」
序章  凍てついた時間
第一章 ためいき坂、くちぶえ坂
第二章 「昭和ブルース」
第三章 粉浜村「虎の穴」
第四章 それぞれの彷徨
終章  溶け始めた時間
あとがき
<付録>松鶴一門の推移・一門系図
------------------------------

 今回は、“幻の松鶴”と言われる、先代の枝鶴について、本書より紹介したい。
 五代目の枝鶴は、六代目の実子である。
 枝鶴という名跡は、いわば出世名であり、六代目も名乗っていたし、初代が四代目松鶴、二代目が五代目松鶴となっている。

 「第四章 それぞれの彷徨」より引用する。

「ノラやねん」

 「まさか」楽屋で居合わせた全員が、我が目我が耳を疑った。
 「またか」舌打ちしてうなだれた。
 昭和六十二年九月二十二日より二十八日迄、道頓堀・浪花座に於て松鶴の一周忌にちなむ追善興業(ママ)が行われた。米朝、春団治はもとより、東京から小さん、夢楽、志ん朝、談志、円蔵等を招き、香川登志緒、三田純市、新野新他の作家、漫才の大看板等の追想談義、そして昼夜二回都合十四回の興業のトリを、枝鶴、鶴光、福笑、松喬、呂鶴が故松鶴の十八番で括る、それは盛大な物になる筈であった。その初日に枝鶴が姿を現さない。二日目、三日目も。
 此の興業は松鶴の追善が名目ではあるが、実子・枝鶴が立派に筆頭弟子として「らくだ」他を演じ切り、内外に向けて将来に於ける彼の「七代目・松鶴」を認めさせる、大目的があった。
 なかなか豪華な追善興行(こっちの字だと思うんだけどなぁ)・・・になるはずだった。
 この松鶴の実子枝鶴、失踪の前科があったことがこの後の文で分かる。
 「ひょっとして、今度も又・・・・・・」疑い恐れては、
 「まさか、今度はいくら何でも・・・・・・」危惧を打ち消して来たのである。
 失踪劇は格好のマスコミ・ネタになった。程無く、ビートたけし夫人とのスキャンダルも発覚した。
 「“枝鶴”襲名の“資格”無し」
 「“枝鶴”(四角)四面楚歌」
 「“枝鶴”の“視覚”に“死角”有り」
 笑うに苦しむ見出しが、スポーツ紙の裏面を飾った。
 数日後姿を現し、関係者の口を借り「重責に耐えかね、ノイローゼ気味になり・・・・・・」と弁明し、「再度、復帰を」と願い出たが、松竹芸能は首を縦に振らなかった。当然であろう。“重責”の度、舞台を放棄されたのではたまったものでは無い。仏の顔も三度どころでは既に無かった。枝鶴は自ら、「父の後」を追う道を絶ってしまったのである。

 この逸話で、私はNHKの朝の連続ドラマ「ちりとてちん」を思い出す。
 渡瀬恒彦扮する三代目の徒然亭草若は、主人公の喜代美と出会う三年前の一門会の日、高座の直前に妻の余命を知って動揺し、天狗座での公演に穴を開けてしまた。そのため、天狗芸能会長の逆鱗に触れ、天狗芸能を追放されたのだった。

 あのドラマは、上方落語界における逸話などを散りばめていたように思うが、草若が一門会に穴を開けるという筋書きは、この枝鶴のことが下敷きになっていたと察する。
 そして、草若が病で定席設立の夢なかばに倒れる設定には、吉朝がモデルかと思わせた。
 また、草若の亡くなった妻の志保(藤吉久美子)は、生前夫の囃子方を務めていた、という設定に、枝雀夫人を連想した。

 さて、枝鶴について著者松枝は、「彼は此の世界に身を置くべきではなかったと断言する」と言い、その理由をこう書いている。

 なぜなら、「誘惑に弱く、美味しい言葉につい酔ってしまう。先を見通し、危険を避ける事が出来ない。「ノイローゼ」とは、最も縁遠い所に居る男である。
 そして、枝鶴本人も自分自身を良く知っていた。
 「俺は、しんどい事、堅苦しい、むつかしい事が面倒やねん。一生懸命、何かをやれる人間や無いねん・・・・・・。ならば松鶴は根本的にその性格を叩き直すか、少なくとも、勤労と報酬の最低限の法則を教えるべきであった。彼は実に安易に此の世界に入り、仕事、地位を得た。それが何に依ってもたらされたものか、分からぬまま失踪・借金・女との不祥事を繰り返し、松鶴に後始末をさせ、しかも復帰をその都度許された。

 そうか、松鶴も、いわゆる親バカだったんだなぁ、と思うが、その背景には少し事情がある。

 松鶴(竹内日出男)は枝鶴(竹内日吉)の幼い頃、彼の許を離れ、夫人(衣笠寿栄)と、その子供達と暮らしはじめた。子・枝鶴が最も必要とする時期に、父・松鶴は自分の為のものではなかった。松鶴は、夫人と子供達の為の松鶴であった。やがて父・松鶴は落語の為の松鶴になり、落語家の為の、その愛好者の為の松鶴でありつづけ、そして最後は本人・竹内日出男の為の松鶴になった。もうすこし、松鶴(日出男)が枝鶴(日吉)の為だけに生きる時期が、長くても良かった・・・・・・、そう思える。
 “父の後”を追わず、他に生きる道を探していれば或いは・・・・・・。とも思う。

 松鶴は三度結婚している。元芸妓の最後の夫人は弟子たちから「あーちゃん」と親しみを込めて呼ばれたが、枝鶴の実の母ではないことは、紹介した文の通り。

 この枝鶴は五代目。昭和20年生まれ。
 いまだに、消息不明、である。
 弟子だった小つるが六代目枝鶴を継いでいる。

 彼のホームページには、「枝鶴はどこに居てるねん?!」と、書かれている。
六代目笑福亭枝鶴のホームページ

 まだどこかで生きているのか、それとも・・・・・・。

 今週土曜日で、あの日から丸六年。
 テレビの特集番組で、あの津波で行方不明になった親族をいまだに探し続けている人の姿などを目にした。
 
 同じ行方不明でも、もちろん、その原因も含めて大きな違いがあるのだが、生きているならすでに古希を過ぎた五代目枝鶴。
 どこかにいるのが発見(?)されたら、どんな姿であろうが、それは上方落語の関係者にとっては、きっと嬉しいことではあるまいか。

 しかし、もし誰かが彼を発見しても、枝鶴は「ノラやねん」と言って、人前に姿を見せることを固辞するのかもしれない。
 
 東西でさまざまな襲名披露がある今年の落語界、“幻の七代目松鶴”が世に復活するには、悪い時機ではないように思うのだが、彼は行方不明者リストの中にとどまったままで時間が過ぎるのかもしれない。
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# by kogotokoubei | 2017-03-09 21:37 | 落語の本 | Comments(0)
 メールで、ほぼ毎日、落語会の案内がくる。

 三ヵ月も四か月も先の案内などもあって、予定を決めることもできず予約はしないが、内容によってはリンク先で詳細を確認することもある。

 木戸銭を確認すると、それなりに名の通った噺家さんが複数出演する会は、四千円を超えるものが増えてきたような気がする。

 また、独演会や二人会でも、噺家さんや会場によって、結構な木戸銭を設定している。

 その中でも驚いたのが、この落語会だ。
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赤坂ACTシアタープロデュース 恒例 志の輔らくご
第一部 大忠臣蔵-仮名手本忠臣蔵のすべて/第二部 落語 中村仲蔵
[出演]立川志の輔
2017年5月4日(木・祝)-2017年5月7日(日)
会場:TBS赤坂ACTシアター (東京都)
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 木戸銭は、5500円。
赤坂ACTシアターサイトの同公演のページ

 赤坂ACTシアターは、一階席が890、二階席434で、合計1324席もある大ホールだ。
 そもそも、落語に相応しい小屋とは言えない。

 渋谷のパルコがなくなってからの目玉づくり、ということか。

 志の輔の企画では、恒例で『牡丹燈篭』のあらすじ説明を含む落語会をしているようだが、ゴールデンウィークは赤坂「大忠臣蔵」を恒例にしようということか。

 すでに「恒例」と謳っている・・・・・・。
 演目についても、“恒例となった「中村仲蔵」”と説明されている。

 『中村仲蔵』は、パルコで一度ならず演じてきたお手の物の十八番。

 パルコ同様、四日間とも同じ内容・・・・・・。

 私は、こういう企画への興味はまったくない。
 がってん、しない。

 もし、忠臣蔵を題材に落語会を開くのなら、私は行けなかったが、桂文我の会のような、忠臣蔵にちなんだ複数の噺で構成するのなら、がってんだ。
 ちなみに、紀尾井小ホールで今年一月十四日(土)に開催された会では、一部と二部合わせて、次のような噺が演じられたようだ。
 「田舎芝居(大序)」「芝居風呂(二段目)」「質屋芝居(三段目)」「蔵丁稚(四段目)」「五段目(五段目)」「片袖(六段目)」「七段目(七段目)」「九段目(九段目)」「天野屋利兵衛(十段目)」「三村次郎左衛門(十一段目)」) / 桂米平「立体紙芝居」

 聴いたことのない噺が並んでいる。
 一月十四日は旧暦で十二月十七日だったので、ネタとして“旬”でもあった。
 こういう企画こそが、忠臣蔵にちなむ落語会に相応しいと思う。
 これで一部、二部のそれぞれの木戸銭は、3000円。
 ちなみに、紀尾井小ホールは250席。
 三三が、最初に『嶋鵆沖白浪』を披露した会場でもある。
 行きたかったが、野暮用で無理だった。来年もあるなら、最優先で予定したいものだ。

 対して志の輔の赤坂でゴールデンウィークの忠臣蔵・・・器が大きすぎることに加え、何ら季節感のない企画。


 もちろん好みの問題である。
 赤坂に志の輔の忠臣蔵の講義と高座を聴きに行きたい方は、どうぞ行ってください。


 江戸時代の寄席の木戸銭について以前に書いたことがある。
2014年4月29日のブログ


 いろんな考えがあるが、一両を120,000円としよう。
 一両が四千貫として一文は30円になる。
 蕎麦の十六文が480円。これでも、少し高いけどね。

 寄席の木戸銭は、安政以前の三十六文で1,080円、安政以降の四十八文で1,440円。それぞれに下足札四文、中入りに引くくじ代十六文の計二十文分の600円を足すことにして、安政以前1,680円、安政以降2,040円になる。
 寄席の木戸銭としては、妥当な気がする。

 大工の月の稼ぎが銀で135匁、銭にして9,000文という試算があるので、月の収入が現在価値で270,000円。週に一度位は寄席に行く余裕もあるだろう。

 現在、都内定席の寄席の木戸銭が、ほぼ3,000円になっているが、これはあれだけの出演者がいて、鈴本以外は入れ替わりがないことを考えると、江戸時代よりは少し割高とはいえ妥当かもしれない。

 独演会や二人会規模の落語会も、せいぜい3,000円が妥当で3,500円が上限ではないか、と私は思っている。

 だから、4,000円超えが当り前になりつつある昨今の木戸銭には、違和感がある。
 また、会場も、落語という芸能に相応しいのは200~300席ではないかと思っている。

 よって、千人を超えるような大ホールでの落語会には、原則として行こうとは思わない。
 実は、以前にそういう会に行った時の小言から、このブログは始まったのである。
 大きなホールで、高い木戸銭の会を目にする度、私には、「野暮」の二文字が脳裏に浮かぶ。

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# by kogotokoubei | 2017-03-08 08:54 | 木戸銭 | Comments(10)
 最近は、録音したラジオ番組を、通勤途上に携帯音楽プレーヤーで聴いている。
 とはいえ、ある落語愛好家のお仲間のご支援があってのことなのだが。

 日曜喫茶室が今月で最終回なのは、しょうがないとは言え、残念。

 上方落語も好きなので、毎週楽しみなのが、毎日放送「茶屋町MBS劇場」だ。

 先週4日の土曜日放送回は、笑福亭三喬の『崇徳院』と米朝の『土橋万歳』だった。
茶屋町MBS劇場のサイト

 私は、2012年のJAL名人会で、六代目松喬の生の高座に、ぎりぎり間に合った。
2012年8月29日のブログ

 その時のネタが、『崇徳院』。

 闘病中と聞いていた松喬の姿は明らかに痩せており、内心「大丈夫か?」と思っていたが、口跡もしっかりしていて、「緋塩瀬(ひしおぜ)の茶帛紗(ちゃぶくさ)」なども言いよどむこともなく、実に素晴らしい高座だった。
 「まだ大丈夫、松喬は復活する!」と期待を込めてブログの記事を書いたものだ。

 しかし、翌2013年7月30日、松喬は帰らぬ人となった。
 まさにその日に開催された「JAL名人会」で、私は三喬を聴いている。
2013年7月30日のブログ
 師匠逝去は、午後四時半とニュースに記されていたので、三喬はこの会開演直前に訃報を伝えられたか、あるいは気を遣って周囲が終演まで連絡しなかったのか・・・・・・。
 いずれにしても、最後を看取ることはできなかっただろう。

 今秋、三喬は七代目松喬を襲名する。

 そんなこともあって、私にとって松喬の思い出のネタ『崇徳院』を、ぜひ三喬で聴きたいものだと思っていた。

 それだけに、この放送は嬉しかった。
 加えて、放送されたのは、松喬が亡くなった2013年の10月20日に阿倍野区民センターで開催された「松喬十六夜 追福興行」の高座。
 同区民センターのサイトに、ポスターがまだ掲載されていた。
阿倍野区民センターサイトの該当ページ
 元気な頃の松喬の写真があるのは、三喬の高座の後、松喬による『網舟』のビデオが上映されたらしい。

 この会、師匠が自分のライフワークとも言える「松喬十六夜」の直前に旅立って、まだ三ヵ月後だ。

 どんな高座なのか興味深々で聴いていた。

 マクラなしで、すぐに本編に入る。
 
 前半、若旦那の衰えぶりと明るい熊さんとの対照の妙。
 若旦那の回想には、高津さんで出会った“水のたれる”お嬢さんの「緋塩瀬(ひしおぜ)の茶帛紗(ちゃぶくさ)」も登場する。
 熊さんと親旦はんとの会話のナンセンスなすれ違いも、可笑しい。
 漁師(料紙)の言葉を引き出すために狩人と言うあたりでも、会場も沸く。
 松喬一門が好きな、い~いお客さんで会場が一杯なのが察せられる。
 熊さんと気丈な女房との会話のリズムの良さ。
 噺の流れに無理がない斬新なクスグリ。
 お嬢さん探しに奔走し、床屋とお湯屋を三十軒以上回って疲労困憊した熊さんが遭遇した僥倖・・・・・・。

 師匠松喬の型を真似るのではなく、あくまでその精神を継承しながら、自分なりの高座に仕立てていた、という印象だ。

 すでに、三喬はこの時点で師匠の名を継ぐに値する噺家になっていた、ということだろう。

 泥棒ネタばかりではない三喬の見事な高座は、亡き師匠も「よし、松喬の名はお前に譲った!」と天国で安心するであろうものだった。

 今朝の通勤電車で聴きながら、少し目が潤んできた。

 三喬の七代目松喬襲名、大いに結構。

 そして、東京地区での披露目には何とか縁があることを期待しよう。

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# by kogotokoubei | 2017-03-07 12:23 | ラジオの落語 | Comments(2)

 今日は、五節句の一つ「上巳の節句」。

 五節句は、次の通り。

 ■人日(じんじつ):正月七日(七草粥の日)
 ■上巳(じょうみ/じょうし):三月三日(ひな祭り)
 ■端午(たんご):五月五日
 ■七夕(しちせき/たなばた):七月七日
 ■重陽(ちょうよう):九月九日

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荒井修著『江戸・東京 下町の歳時記』

 2010年12月に集英社新書から発行された『江戸・東京 下町の歳時記』の著者荒井修さんは、私より少し年長の“団塊の世代”で、浅草にある舞扇の老舗、荒井文扇堂の四代目社長さん。
 
 「はじめに」から、少し引用。
 この本は、あたしの生まれ育った下町と、江戸時代からの歳時記を加えて綴ったものです。もちろん下町とは、江戸城から江戸湾に向かった日本橋あたりから人形町方面をさした言葉で、江戸時代でいうところの浅草は下町エリアではありません。けれども庶民の町で江戸一番の盛り場ですから、下町文化という点では、この地のあれやこれを下町の歳時記とすることには間違いはないと思います。
 それから、歳時記を語る上で難しのは旧暦と新暦。つまり、今と季節が違うときがある。年賀状に「初春」と書くように、昔の暦では一月、二月、三月が「春」で、四月、五月、六月が「夏」、七月、八月、九月が「秋」で、十月、十一月、十二月が「冬」となる。たとえば八月は秋の真ん中ですから、八月の月は中秋の名月となり、いわれてみればごもっとも、となるわけですが、突然「七月は秋」なんて言われたら、面食らったりするでしょう。

 「七夕」は俳句で秋の季語、と書いた拙ブログの記事には、その時期に結構アクセスがある。
2010年7月7日のブログ

 さて、「上巳の節句」について、この本から引用する。

 三月三日は「上巳の節句」。通称「桃の節句」といいます。実は中国の方では、この日に人の形に切った紙、「形代(かたしろ)」っていうんだけど、これで身体を拭うんです。それを川に流して、けがれを祓う。流し雛の原点でもあります。それが日本に伝わって「雛遊び」と結びつき、女の子の節句になるんですね。
 だけど、女の子の節句といっても、室町時代までは普通の町場の人間はやっていないんだね。公家と武家だけ。江戸に入って幕府が推奨して、一般の人もやるようになるんです。
 この日にいちばん繁盛するのは、人形屋に貝屋に、蕎麦屋と酒屋。今でも神田猿楽町に、豊島屋っていう酒屋がありますよ。江戸時代にそこの白酒がいちばんうまいっていわれて、たいへん人気があったんだ。大田蜀山人の『千とせの門』によれば、二月の十八から十九日の朝までに、千四百樽売ったっていうんだね。千四百樽ということは、一升瓶で五万六千本だ。
 これはね、豊島屋の初代十右衛門の夢枕にお雛様が立ったというんです。そのお雛様が、「こうやってつくるとおいしい白酒ができる」って言ったんだって。それでその通りにつくって雛祭り用に販売したら、江戸中の評判になった。江戸中の人がそこに行列して、その日は鳶がガードマンとして手伝っている絵もありますよ。鳶をガードマンとして雇わなきゃならないって、そりゃすごいよね。

 「桃の節句」も、江戸時代に、今につながる文化や風習が醸成された一つの例ということか。
 しかし、新暦三月三日では、まだ桃には早い。
 荒井さんが指摘するように、歳時記は旧暦を元に考えないと、時期のズレがどうしても生じてしまうなぁ。

 ちなみに旧暦三月三日は、今月の三十日。

 白酒で有名な豊島屋は、今も営業している。

 豊島屋本店ブログで、今年も伝統の白酒が出来たことが案内されている。
豊島屋本店ブログの該当記事

 この店、落語『業平文治』にも登場する。
 あの噺について書いた記事に、豊島屋についても少し紹介しているので、ご興味のある方はご覧のほどを。
2015年7月9日のブログ


 引用した文で疑問に思われるかもしれないのが、なぜ貝屋が繁盛するのか、ということだろう。
 実は、こういうこと。
 そのころはちょうど潮干狩りが始まる時季でもありますから、新鮮なハマグリが手に入る。だから、お雛様のところに、ハマグリのお吸い物をあげたりしました。

 これまた、旧暦でなければ、実感できないねぇ。

 なぜ、蕎麦屋が繁盛するか、も疑問だねぇ。
 その答えになる部分も引用しよう。

 それから、お雛様はなるべく早く片づけないといけない。そうじゃないと、縁遠くなるといわれている。片づける前にはお蕎麦をあげて、それから箱におさめて片づけないとだめなんですよ。「お蕎麦をあげてから片づけなきゃ嫁入りが遅くなりますよ」って親が言う。験かつぎみたいなもんだろうね。とにかく、最後はお蕎麦なの。

 昨今、女性が結婚年齢が高くなってきたのは、もしかすると、雛人形を片づけるのが遅かったからか、あるいは、片づける前にお蕎麦をあげなかったからか・・・なんてことはないだろうね。

 この問題を突き詰めていくと、政治がかってくるので、今回はこれ位で。


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# by kogotokoubei | 2017-03-03 12:36 | 年中行事 | Comments(4)
 先月の記事別アクセスランキングは、次のような結果だった。

1 談春は、なぜ『妾馬』と『粗忽の使者』を組み合わせるのか・・・・・・。 (2013.11/29)
2 「小南への道」ー落語芸術協会のメルマガより。 (2017.2/3)
3 落語芸術協会、鈴本との離別から三十年・・・・・・。 (2013.3/5)
4 新宿末広亭 一月下席 昼の部(仲入り後)&夜の部 1月30日 (2017.1/31)
5 『擬宝珠』—柳家喬太郎による古典掘り起こしの成果の一つ。 (2014.1/18)
6 松鶴に土下座させた、笑福亭小松という落語家のこと。 (2014.8/4)
7 NHK「超入門!落語 THE MOVIE」、10月19日よりレギュラー放送開始。 (2016.9/30)
8 NHK「超入門!落語THE MOVIE」、高座のみの放送を望む! (2017.1/5)
9 成田屋のこと。 (2013.2/4)
10 命日に、“キザな小円遊”という虚像を思う—『談志楽屋噺』より。 (2013.10/5)

 今年の記事は、なんと3本のみ。
 後は、2016年が1、2014年が2、2013年が4となっており、古い記事へのアクセスが多い。

 談春が、いわゆるツク噺をすることについて四年前に書いた記事がトップ。
 この二席を演じることが、今でも多いということだろうか。

 2位は、落語芸術協会のメルマガに連載されている、桂小南治のコラムに関する最初の記事。メルマガ三月上席号の記事も良かったなぁ。

 3位の記事も、最近よく読まれているようだ。鈴本と芸協との決別は昭和59年。ヨリが戻りそうな気配は、残念ながらありそうにない。

 次に、一月の末広亭の記事。

 『擬宝珠』に関する記事は、喬太郎のこの噺がテレビで放送されてから、しばらくアクセスが急増していた。

 6位の笑福亭小松の記事は、いまだにアクセスが減らないものの一つ。

 7位、8位にNHK「超入門! 落語THE MOVIE」の記事が入った。
 関心の高い番組であることを、先日の横浜にぎわい座・のげシャーレでも、再認識した。仲入りで、近くに座っていた二人連れの女性が、あの番組が終了したことを嘆いていらっしゃった。「楽しみにしてたのに」「そうよ、もうやらないのかしら」というようなやりとり。

 そういう方々のため(?)に、4月からEテレでは、全11本に新たに特集2本加え、短い解説も加えた「超入門! 落語THE MOVIE E」が始まることをNHKのサイトからご案内。
NHKサイトの同番組ページ
2016年度10月から総合テレビで放送し、ご好評をいただいた「超入門!落語THE MOVIE」に“E”(江戸=EDOのEと学ぶ=EducationのE)の要素を付け加え、より落語や江戸の文化の理解を深められるようにしたEテレバージョンを制作します。
名付けて、「超入門!落語THE MOVIE E」。
レギュラーで放送した11本に、特集2本を加え、計13本がEテレに登場。さらに、本編を見て、ちょっと気になった江戸の言葉・習慣について、本編後に2分の解説コーナーが加わります。本編に脇役で登場した俳優が役のまま登場し、ナレーションと共に解説を行います。お楽しみに!
 とのこと!
 そういう企画があるからなのか、サイトにある高座動画は、今週末3月4日に総合テレビで再放送される二席だけになっている。
 いいじゃないの、全回の動画載せておけば、と思うのは私だけか・・・・・・。
 Eテレの特集2本が、少し気になる。


 さて、ランキングのことに戻ろう。
 9位の成田屋の記事へのアクセスは、海老蔵一家の話題がメディアに出る度に増えるようだ。

 過去の記事の中で異常なロングセラー(?)が、小円遊に関する10位の記事。


 さて、次の日曜5日は、啓蟄だ。
 そろそろ、土の下から虫だちが這い出てくる季節。
 いろいろと世間も慌ただしくなりそうだ。

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# by kogotokoubei | 2017-03-01 21:36 | アクセスランキング | Comments(0)
 今日三月一日は、旧暦二月四日。
 
 元禄十六年(西暦1703年)のこの日、赤穂義士四十六人が切腹した。

 先日行った落語会で、三遊亭時松が一席目に柳家喬太郎作『白日の約束』を演じた。
 この噺は、今ではホワイトデーという実に迷惑な日(?)となっている三月十四日が、浅野内匠頭の命日(元禄十四年)であるということがネタの骨子になっているのだが、もちろん本来は旧暦三月十四日なので、ホワイトデーとはまったく重ならない。

 忠臣蔵としてあまりにも知れ渡っている事件に関しては、吉良邸討ち入りの十二月十四日に義士たちが眠る泉岳寺などで「義士祭」があるが、命日の行事はあまり聞かない。

 そう思って少し検索したところ、故郷の赤穂の大石神社で、先月二月四日に「御命日祭」が行われたというニュースが見つかった。

 神戸新聞から引用。

神戸新聞の該当記事

2017/2/5 05:30神戸新聞NEXT
赤穂義士しのび御命日祭 大根炊き振る舞う

 討ち入りを果たした赤穂義士が切腹してから314年目の命日に当たる4日、兵庫県赤穂市上仮屋の大石神社で「御命日祭」が行われた。神社総代ら約20人が参列して47本の大ろうそくに火をともし、参拝客に厄よけの大根炊きが振る舞われた。

 同神社で1912(大正元)年の創建時から続く伝統行事だが、かつては、義士が吉良邸に討ち入った12月14日に比べ、切腹した2月4日は知名度が低かった。行事を盛り上げようと、2005年から大根炊きの振る舞いや大ろうそくの点火を始めたところ、近年、参拝客が増えてきたという。

 この日、午前10時から拝殿で神事があり、参列者が大ろうそくに火をつけた。参拝者も次々と訪れ、手を合わせて義士の遺徳をしのびつつ、温かい大根炊きを笑顔で味わった。

 毎年訪れるという市内の女性(75)は「赤穂が有名になったのも義士のおかげ。命日ももっと有名になってほしい」と話していた。(古根川淳也)

 “切腹した2月4日は知名度が低かった。行事を盛り上げようと、2005年から大根炊きの振る舞いや大ろうそくの点火を始めたところ、近年、参拝客が増えてきた”、とあるが、参列者は、約20名とのこと・・・・・・。

 思い出したが、先月放送されたNHK「鶴瓶の家族に乾杯」で、鶴瓶が武井咲と一緒にこの神社を訪ねていたなぁ。
 武井咲は、あの番組では実に可愛かったのだが、土曜時代劇「忠臣蔵の恋ー四十八人目の忠臣ー」で礒貝十郎左衛門の恋人きよ(後の月光院)の役は、彼女にとって少し荷が重すぎた。

 討ち入りの日のみならず、主君の暴挙(?)でお家断絶となり、命を懸けて討ち入りを挙行した四十六人の命日が話題になることは、悪いことではないだろう。

 しかし、どうしてもこういう記念日については、新暦に置き換える現代日本の風習に馴染めない。

 ちなみに、浅野長矩の命日旧暦三月十四日は、今年は新暦なら四月十日。
 辞世、「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」は、その時期にこそ相応しい。

 再来週の新暦三月十四日は、“春の名残り”ではなく、せいぜい“春めく”頃、であろう。
 来週8日は、旧暦二月最初の午の日、いわゆる初午。
 だから、先日志ん吉で聴いた『明烏』が、まさに旬の噺と言える。

 
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# by kogotokoubei | 2017-03-01 12:36 | 今日は何の日 | Comments(0)

 テニスの後、クラブハウスでの談笑や昼食を遠慮して、桜木町は横浜にぎわい座へ。
 にぎわい座へは、昨年2月の、かい枝・兼好の会以来ほぼ一年ぶり。
 のげシャーレの会は、一昨年11月の若手六人の東西交流落語会以来となる。

 お目当ての人を含め、若手三人の会に興味があったし、“秘密地下倶楽部 のげシャーレ”独特の雰囲気を久しぶりに楽しみたい思いもあった。

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 にぎわい座のサイトにあるこのチラシに大きく写真が載っているが、その三人は、三遊亭時松、古今亭志ん吉、桂伸三。
横浜にぎわい座サイトの該当ページ

 なぜ、この三人が“魅せる”と形容されるのかなどは、最初の会では説明があったのだろうが、不勉強で私は知らない。

 本来はテニス主体で落語には行かない日曜に出向いた動機の第一は、巷で評判の高い、もうじき真打に昇進する時松(昇進と同時に、ときん襲名)を聴きたかったからである。
 また、他の二人、志ん吉と伸三も以前に聴いていて悪い印象はなかった。
 それぞれ、久しぶりでもあり、どんな成長ぶりを見せて(魅せて?)くれるか、楽しみだった。

 この三人のプロフィールを、それぞれの協会のサイトから確認。

三遊亭時松
昭和51(1976)年1月28日生まれ。
平成15(2003)年4月 金時に入門
平成18(2006)年5月 二ツ目昇進
平成29(2017)年3月 真打昇進し、ときん襲名

桂伸三(しんざ)
昭和58(1983)年2月10日生まれ
平成18(2006)年4月 春雨や雷蔵に入門し、雷太
平成22(2010)年8月 二ツ目昇進
平成28(2016)年3月 桂伸治門下となり、伸三

古今亭志ん吉
昭和55(1980)年3月6日生まれ
平成18(2006)年 志ん橋に入門
平成19(2007)年3月 前座となる
平成22(2010)年9月 二ツ目昇進


 時松と志ん吉が落語協会、伸三が落語芸術協会(芸協)の所属。

 志ん吉と伸三は、協会は違うが、ほぼ同期と言えるので、どこかで接点があったのかと察する。

 さて、久しぶりの地下秘密倶楽部には、この三人のために、最大で141席の会場を満席近く埋めるお客さんが駆けつけていた。
 日曜ということもあったのか、あるいは、時松に限らずそれぞれ結構固定のお客さんがついているということなのだろうか、なかなかの“にぎわい”だ。

 ネタ出しされており、時松は『井戸の茶碗』ともう一席、志ん吉が『明烏』、伸三が『宿屋の富』となっていた。

 出演順に感想などを記したい。

三遊亭時松『白日の約束』 (20分 *14:00~)
 この日二席披露する真打昇進直前のこの人の一席目。
 なかなか端正な顔立ちをしている。これが普通なのか、少し風邪気味なのか、若干鼻にかかった声が、やや見た目とは違う印象を与える。
 この後の志ん吉の語り口と声が良かったので、対照的だった。
 マクラで、以前のこの会では一人三席演じた後に踊りを披露したとのこと。もしかすると、この三人、踊りつながり、かな。
 3月21日から始まる真打昇進披露興行のチケットを“偶然”持ってきており、買っていただくと、三人の絵の巨匠(?)による、本人の似顔絵入りクリアホルダーをプレゼントすると、営業活動。
 その巨匠三人は、わざび、志ん八(真打昇進により志ん五襲名)、そして正太郎。
 それぞれに違った画風で、なかなか特徴をとらえたイラストではあった。
 しかし、先のことは分からないので、チケットは買わなかったけどね。
 この人については予備知識がなかったのだが、喬太郎の新作が飛び出すとは思わなかった。
 この高座から、この人が新作にも取り組める器用さは伝わったし、会場はよく笑ってくれるお客さんで湧いていたが、本編の時間も短く、私にはやや物足りなかった。二席目に期待だ。

古今亭志ん吉『明烏』 (45分)
 昨年3月の「さがみはら若手落語家選手権」本選(決勝)以来。
 あの時、私は優勝した柳家花ん謝ではなく、この人の『片棒』に一票を投じた。
2016年3月14日のブログ
 マクラでは、素人の落語教室の指導をしていて、とあるテレビ局が「ビジネスに役立つ習い事」というテーマで取材に来て、実に困った、と話す。
 役に立つことを全部取り払って残ったオリのようなものが、落語ですから、と語るが、若い噺家さんがこういうことを言うとサマにならないことが多いのに、この人は不思議に説得力がある。
 結構以前から聴いているが、その度に上手くなっているという印象で、この高座を、やや驚きながら聴いていた。
 全体を通して印象深かったのは、これだけ源兵衛と太助を見事に描き分けたこの噺を聴いたことがない、ということ。やや乱暴な口ぶりの太助なのだが、源兵衛が困った時に助ける知恵者であるという造形が明確だった。
 もうじき三十七歳、前座から今年十年目という経歴ながら、日向屋半兵衛の年齢相応の姿を見事に演じた。登場はしないが、半兵衛の語りかける先にいる女房の言動も効果的に浮かび上がってくる。
 初午で赤飯を二膳ご馳走になった後、子供達と太鼓を叩き、♪(時次郎)ドンドン、(子供たち)カッカ、ドンドン、カッカ♪と、「・・・おもしろかったです」と語る時次郎の幼い姿を冒頭でしっかり描くことで、サゲ前のデレっとした態度との落差が一層可笑しくなる。
 そこがお稲荷さんではなく吉原であると分かった後に、初めて聴く、なかなか楽しい件があった。隅の方で泣いている時次郎に、源兵衛が「ぼっちゃん、さっき可愛い新造の話を知ってるって言ってたじゃないですか、聞かせてくださいよ」とふると、時次郎が、戦争を前にした上野動物園のゾウ、ジョン、トンキー、ワンリーの悲しい物語を語り出し、慌てて源兵衛が止めに入って、「それは、かわいいしんぞじゃなくて、かわいそうなゾウの話じゃねんぇですか」というネタなのだが、果たして自分のクスグリなのだろうか。
 確かに、二宮金次郎のクスグリを後生大事にすることもないだろう。
 サゲ前、源兵衛と太助が連れて帰ろうと時次郎の部屋に行ったものの、時次郎ののろけに呆気にとられ、時次郎が「昨晩は眠れませんでしたから、あ~っ」と欠伸をしたところで、太助が「オレの欠伸とは違うぜ、この野郎」と怒る場面なども、なかなか味があった。
 見た目の噺家らしさ(?)、しっかりとした語り口、口跡の良さなど、もはや二ツ目の域は十分に超えている。
 昨日から旧暦2月で、もうじき初午という時期の旬な噺、45分の長さを感じさせない見事な高座だった。今年のマイベスト十席候補とはいかないまでも、何かの賞をぜひ与えたいので、を付けておく。
 一夜明けても、その評価には変わりがない。実に結構な高座だった。

 ここで仲入り。

桂伸三『宿屋の富』 (30分)
 仲入り後は、この人。
 春雨や雷太の頃、志ん輔が支援する“たまごの会”のメンバーだったので、志ん輔の国立演芸場やにぎわい座の独演会、そして三代目春団治をゲストで迎えた“東へ西へ”などで聴いている。
 なぜ、昨年伸治門下に移ったかは、よく知らないが、伸三として初めて聴く高座。
 個性的な、噺家らしい(?)見た目は、この人の武器だと思う。
 その強みを生かすネタとして、この噺が相応しかったのかどうか。
 主役の一文無し、宿屋夫婦、富興行をしている神社に集まった人々、それぞれを無難にこなしていたが、どうも、この人の個性が発揮できたようには思えない。
 以前、この三階ホールでの志ん輔の会で、『古手買い』(『古着買い』)という珍しい噺を楽しく聴かせてくれたことを思い出す。
2013年12月4日のブログ
 聴く側の勝手な言い分かもしれないが、この人には、他の若手とは違うネタ選びを期待してしまうなぁ。
 とはいえ、今後も気になる存在であり、ぜひ「たまごの会」出身者としての成長を願っている。

三遊亭時松『井戸の茶碗』 (45分 *~16:31)
 入門する時、師匠からは「嘘をつくな」と「楽屋の女に手を出すな」の二つを守るよう言われた、とのこと。後者については、「師匠、過去に何かあったのでしょうか」と笑わせる。
 屑屋の清兵衛が、千代田卜斎の仏像を預かった後に細川屋敷お窓下を訪れ、二階の窓から高木作左衛門に呼ばれた場面で、呼ばれて高木の部屋に入るという演出は、関内の小満んの会で聴いて以来二度目。
 元が講談「細川茶碗屋敷由来」で、初代や三代目の春風亭柳枝が手掛け、名人三代目小さんが改作し、その後は古今亭志ん生、志ん朝親子の十八番となるまで、多くの噺家さんによっていろんな改編、演出が施されているだろうから、どれが正しいとは言えないだろう。
 私は、二階からザルで高木と清兵衛がやりとりする姿に、その場の空間の広がりを感じるので、好みである。
 登場人物が皆いい人、というネタだが、時松が演じる清兵衛は、後半はやや幇間めいた姿になるのが気になる。
 やはり、正直者清兵衛であって、曲がった道もまっすぐ歩こうという男として描いて欲しかった。
 茶碗の取り分である百五十両のカタを何にするか思案する卜斎が、清兵衛に「高木どのは、ひとりものか」と聞いて、清兵衛が「いえ、あわせを着ていました」という何気ないクスグリでも笑わせる技量があるし、噺本来の可笑しさは十分に伝わっていたので、清兵衛の造形さえもう少し工夫してもらえれば、と思った次第だ。


 初めて時松を聴くことができたし、伸三も久しぶりに聴けた。
 そして、何と言っても志ん吉の見事な高座に出会えたのが嬉しい。
 日曜日に野毛に出向いただけのことはあった。
 
 帰宅してから、座右の書をめくってみた。
 実は、意外なことに『井戸の茶碗』は、講談が元ということが理由なのかどうか分からないが、興津要さんの『古典落語』にも、麻生芳伸さんの『落語百選』にも入っていない。

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 野村無名庵の『落語通談』は昭和18年に高松書房より単行本が発行され、中公文庫で昭和57年に再刊された本。
 この本の前半にこのネタについての記述があり、興味深いことが書いてあった。
 清兵衛が、茶碗の褒美として細川様が払った二百両を持って卜斎を訪れた際の卜斎の言葉から。なお、細川家の若侍の名は高木佐太夫。

「屑屋殿も喜んでくれ。よい事は重なるもので、このたび旧主家への帰参がかなった。承れば佐太夫殿まだ御独身の由。何と不束な娘ながら、その方橋渡しになって、ああいう潔白なお方に貰うて頂くよう、働いてはくれないか」と頼んだ。屑屋も喜んで、「それはそれは結構なお話でございますが、しかしお嬢さんをあまり美しくおみがきになりますとまた騒動になりましょう」というサゲ。

 へぇ、卜斎の帰参がかなったという筋書きは、まだ聞いたことがないなぁ。
 サゲは、やはり高木の部屋に行ってからで良いと思うが、善人ばかりのこの噺、いっそ、紹介したように卜斎の窮状を救ってから娘を嫁にやるのも悪くないと思う。
 講談では、卜斎は元々浅野家の家臣で、茶碗を手に入れた細川候が仲介し浅野家に戻ることができた、という筋書きらしい。いいんじゃないの、落語もそれで。

 一夜明けて、時松の師匠金時のブログなどを見ると、先週は真打昇進披露のパーティーがあったらしい。本人のツィッターでは、末広亭深夜寄席の卒業公演もあったようだ。
 そういう状況からも、声の調子などを含め、昨日の高座は万全な体調ではなかったのだろう、と思う。

 ぜひ後日、ときんの元気な高座を聴きたいものだ。

 同時に真打に昇進する中には、朝也あらため三朝もいる。
 どちらかの主任の披露目には行きたいと思っているのだが、都合と縁次第だなぁ。

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# by kogotokoubei | 2017-02-27 12:54 | 落語会 | Comments(10)
 先日、今松は『品川心中』のマクラで、吉原は“きぬぎぬの別れ”だが、品川は少し下がって“もめんもめんの別れ”というクスグリで笑わせたが、吉原と品川では、たしかに大きな違いがあるのだろう。

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 安藤鶴夫さんの『わが落語鑑賞』には、文楽、三木助の十八番が並ぶ中で、円生のこの噺が挟まれている。
 ちなみに、私が持っているのは、この表紙画像の筑摩叢書版。その後、ちくま文庫でも発行され、新しいところでは河出文庫からも出ている。
 なお、あとがきでアンツルさんが書いているように、筑摩叢書版は、『落語鑑賞』(苦楽社)と『名作聞書』(創元社)の中から十六篇を選んだものだ。

 さて、アンツルさんは、吉原と品川との違いを、このように書いている。

 おなじ遊び場でも、吉原は大門までで駕籠をおろされたという話だが、品川は海道にそった宿場である、駕籠が通る。
  売れぬやつ馬の尻ばかりかいでいる
というわけで、化粧をすました女が立て膝をして、朱羅宇(しゅらお)の長煙管から煙を吹いている目の前には、田圃で狐に化かされたご仁がいただくぼた餅のたぐいも、ところかまわず落ちていたことであろう。
 本来、きぬぎぬの別れなどというものは、あけの鐘がゴンと鳴るとか、あるいは鴉カアの声とかがその別れをいっそうあわれにするはずの音響効果があるのにかかわらず、
  品川は烏よりつらい馬の声
などといわれて、きぬぎぬの別れにはヒヒン、ブルルという艶消しな馬のいななきが、その枕もとに響いたものとみえる。
 だから、品川の女郎ともなれば、なんだかそこに色っぽいとかあわれというよりは、一種の滑稽感がつきまとうようだ。
 
 なるほど、鐘の響きや、烏カアの音響効果(?)をバックにした“きぬぎぬの別れ”と、“ヒヒン、ブルル”の音響に、あの“ぼた餅”という小道具を目の前に配した“もめんもめんの別れ”では、大きな違いだ。

 『品川心中』という噺は、なるほど、「品川」でなければならない理由がある、と得心する。
 それは、『居残り佐平次』も然りで、吉原にあの噺は似合わないだろう。
 
 二つの苦界の違いは、紋日にもあったらしい。
 アンツルさんはこう説明している。
 江戸の吉原にはやれ恵比須講だ、やれ初午だ、やれ花植えだ、やれ衣替えだ、やれ八朔だと、一月から年の暮までいわゆる紋日といわれた年中行事がひっきりなしにあって、そのたびに馴染の客はさまざまにしぼり取られたものだが、そこへいくと品川の紋日は二十六夜待ちを最も盛んなものとして、正月の月待ち、八月の十五夜、九月の十三夜というふうに、海を背景としたお月様ばかりがだいたい紋日とされていたようである。
  また九月きなと品川にくて口(ぐち)
 月見がてらに品川の宿に一夜を明かすのも、あるいは江戸人の市井風流であったかもしれない。品川とはざっとこんなところである。

 なるほど、それだけに、少ない紋日に、移り替えができないことは、おそめにとってプライドが許さなかったのたろう。

 ない、二十六夜待ちについては、以前に杉浦日向子さんの本から紹介したことがある。
2015年9月27日のブログ

 「二十六日」は、旧暦の七月二十六日である。
 月の出が遅いので、“待ち”なのである。待つだけの、ご利益がある、と信じられていた。

 ちなみに、八朔については、ずいぶん前になるが、2011年の八朔に記事を書いた。
2011年8月1日のブログ

 昭和40年発行のアンツルさんの本に、これらの言葉の注釈はつかない。
 必要なかった、ということだ。
 とにかく、落語でしか聞くことのなくなった言葉が多くなった・・・・・・。
 
 もちろん、品川には吉原にはない良さもある。

 一方にそうした海道を持つそのかわりには、遊女屋の裏にはまた、冬ならあくまでくっきりと晴れ渡った安房、上総の見える海を持っている。
 安い鬢つけ油の女の髪のにおいがする部屋のなかには、汐の香もまた漂っていたことであろう。
  いうことがなさに初会は海をほめ
という川柳は、はじめて品川の宿で遊興の一夜を明かした若い手代風の男なんかが、房楊子を使いながら、宿酔の顔を朝の汐風にふかしている景色がよみがえるようだ。
 この文章を読んで、ある本を思い浮かべた。

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松井今朝子著『幕末あどれさん』

 それは、松井今朝子さんの『幕末あどれさん』。
 「銀座開花おもかげ草紙シリーズ」全四巻の第一巻と位置付けることができる本。
 旗本の次男である主人公の久保田宗八郎は、幕府の行く末に疑問を持ち、芝居に興味を抱いて河竹新七に弟子入りするのだが、その頃、品川によく出入りするようになった。

 私がアンツルさんの文を読んで思い出すのは、この光景だ。

 女は出窓の欄干にひじをかけ、ぼんやりと外を眺めている。風が左右の髪をなびかせて、女は先ほどから何度もうるさそうに髪をかきあげるしぐさをする。そのつど、ふとした向きによって、宗八郎がまじまじ見つめてしまうほど、女の顔は寿万によく似ていた。障子の開け放たれた出窓から海風が吹き抜けて、宗八郎の火照った膚を冷ました。
「やはり夏はここにかぎるなあ」
「生意気おいいでないよ。まるでよそをたくさん知ってのようじゃないか。ここしか知らないくせによう・・・・・・」
 出窓から離れた女は、やおら宗八郎の手を取ると、おのれの股ぐらに差し入れて、ふふふと下卑た笑いを漏らした。宗八郎は急に味気ない気分に襲われて、女の顔から目を背けた。
 ここ品川の相模屋抱えの花紫とはちょうと丸一年の仲になる。

 読んでいて、相模屋の窓から品川の海が見えるようではないか。
 ちなみに、「あどれさん」はフランス語で「若者たち」の意。

 幕末に生を受けた若者が、その運命に翻弄されながらも懸命に生きようとする姿を描く作品として、松井さんのこのシリーズと杉浦日向子さんの『合葬』は、どちらも傑作だと思う。
 このシリーズ、完結版は『西南の嵐』。そう、西南戦争が舞台となる。

 NHKの来年の大河、私は林真理子が描く西郷隆盛などにはあまり興味がなく、この「銀座開花おもかげ草紙」シリーズで久保田宗八郎を主人公にしたほうが、よっぽど、あの時代の姿を適切に描くことができるように思うがなぁ。

 さて、話は品川だった。

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*歌川広重「品川(日之出)」(東海道五十三次)
Public Domain Museum of Artサイトの該当ページ

 品川には、おそめと金蔵の物語に限らず、花紫と宗八郎の物語もあれば、他にもたくさんの男と女の話があったに違いない。

 それは、浦里と時次郎や、喜瀬川と五人の男などの物語とは違って、馬の嘶(いなな)きとともに、汐の香りに包まれていたことだろう。

p.s.
初めて使う女性が手紙を書いているようなデザインスキン(テンプレート)は、おそめにちなんでいるのだが、どれほどの人が察してくれるものやら・・・・・・。
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# by kogotokoubei | 2017-02-24 20:45 | 落語のネタ | Comments(4)
 いろいろとあって、しばらく落語会、寄席から遠のいていた。

 20日にある会にお誘いを受けていたのだが、涙を飲んでお断りし、この会も行くのを諦めていた。
 しかし、状況の変化(好転)もあり、なんとか駆けつけることができた。

 今松のホームページ・出演情報のページに、『一文笛』と『品川心中~通し~』がネタ出しされていた。
むかし家今松ホームページの該当ページ

 『品川心中~通し~』は、2012年、末広亭の師走下席の主任の高座で聴いている。
2012年12月27日のブログ

 初めてあのネタを通しで聴いたのは、2008年9月の県民ホール寄席、さん喬。
2008年9月18日のブログ

 さん喬が1時間15分だったのに比べ、今松が38分でこなしたのには驚いたものだ。
 しかし、この時間では、無理があるのも致し方なく、それぞれの場面の描写がどうしても浅くならざるを得なかった印象。

 さて、今回はどうなのか、楽しみだった。

 この会は「ごらく茶屋」主催の伝統ある地域落語会。
 県民ホール寄席として、通算341回目とのこと。
 この伝統ある会には、三年前の七月、同じ会場の一朝独演会以来。あの時は「県民ホール寄席ー馬車道編ー」と銘打っていた。
2014年7月31日のブログ
 この日、受付でいただいたプログラムには、今後の予定が7月まで載っているのだが、会場はすべて関内ホール(小ホール)だ。
 かつてのように神奈川県民ホールの小ホールが主会場、関内が出張版、ということではなく、関内ホールを今後はメインにするということなのだろうか。
 私個人にとっては、それなら実に結構。県民ホールは、少し遠いのだよね。

 関内なら、勤め帰りで行く場合の便も良い。
 小満んの会で親しみのある会場での今松の会に行くことが出来た僥倖に、感謝。

 念のため昼に電話し、まだチケットがあることは確認していた。
 受付には、ごらく茶屋さんの有志(?)の方が数名いらっしゃって、あの懐かしい家庭的な雰囲気が漂っていた。

 運よく、結構前の方の席も残っていた。
 小満んの会の時と同じようにコンビニで買ったおにぎりをロビーで食べ、腹ごしらえ。
 会場は、六割ほどの入りか。
 小満んの会と同じ位かと思うが、指定席を前の方から販売していたようで、前の方がしっかり埋まっている。
 小満んの会では、四方にお客さんが散っているので中央が空いていたりするのに比べ、この方が噺家さんにとっては、やり良いのではなかろうか。客席も、一体感があるように思う。

 さて、こんな構成だった。
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(開口一番 立川らくぼ 『二人旅』)
むかし家今松 『一文笛』
(仲入り)
むかし家今松 『品川心中~通し~』
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 感想などを記す。

立川らくぼ『二人旅』 (21分、*19:01~)
 初である。受付でいただいたプログラムには、学習院大学卒、2013年6月に志らくに入門、とのこと。
 志らくには二十人近く弟子がいるようだが、なぜそんなに多いのか、不思議だ。
 マクラでスラム街を歩くのは好きなどとふってから本編なので、流れは悪くない。
 謎かけ部分は、今では分かりにくい洒落ではあるが、なんとかこなして茶屋へつないでサゲた。噺家らしさを感じる見た目を含め、印象は悪くない。
 それにしても、同じ大学の大先輩は、入門の選択肢には入らなかったのかな。

むかし家今松『一文笛』 (26分)
 県民ホール寄席には初登場なのだろう、結構しっかりと自己紹介。
 師匠のことを語る中で、中尾彬が義理の息子と説明し、信用できない人間つながり(?)で、トランプ、大阪人、京都人、のことなど。
 若い頃によく大阪に行き、その際に米朝に稽古してもらった噺として本編へ。
 ネタのマクラとして意外に思ったのが、大阪では掏摸のことを“チボ”という。本にもなっている「チボー家の人々」・・・読んでないので内容は知りませんが、で会場も大笑い。へぇ、こんなクスグリもするんだと思って私も笑っていた。
 この噺は、正直なところ、あまり好きではない。あの右の人差し指と中指を・・・という部分が、聴いていて“痛い”のだ。同じような理由で、犬が登場する『無精床』も、苦手だ。
 しかし、そういう“痛さ”を今松の高座では感じさせない。それも芸だろう。
 主催者からリクエストがあった噺とのこと。理由は、以前、米朝がこの自作のネタを演じてくれたことによるらしい。
 四年前の三百回記念企画、小三治独演会の時にいただいた「演目一覧」を確認すると、この会が始まって四年目の昭和58(1983)年3月17日、第18回の桂米朝独演会で、『持参金』『算段の平兵衛』と『一文笛』の三席を演じたらしい。34年前だ。
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 米朝はまだ五十路、さすがの三席。
 その年の一月には小朝の名もある。
 「演目一覧」を眺めると、あらためて、この会の歴史を感じるなぁ。

 さて、ここで仲入りだった。

むかし家今松『品川心中~通し~』 (52分、*~20:56)
 仲入り後、羽織を脱いで登場。
 結論から書くが、圧巻の高座。この会の目の肥えたお客さんに今松の存在感をしっかり印象づけたように思う。
 まず、日本橋から京都三条大橋までは、距離にして約五百キロ、徒歩で十四~五日の旅だったと説明。
 吉原からの帰りは「後朝(絹々)の別れ」だが、品川は少し落ちて、「木綿木綿の別れ」と言って笑わせる。どこか、小満んの会を思わせるようなこういったマクラも実に結構。
 昨年師走の末広亭、あの『鼠穴』でも感じたことだが、おそめの表情の変化が巧みだったことにも驚いた。貸本屋の金蔵とのやりとりでも、それが際立つ。
 金蔵がやって来たのはいいが、果たして一緒に死んでくれるのやら、と思案している時の表情から、金蔵がおそめが死ぬならおれも死ぬ、と言ってくれた後の満面の笑み。また、金蔵が海に飛び込んだ後で、若い衆が番町の旦那が移り替えの金を持ってきてくれたと伝えた後の、なんとも白状な態度、などなど。
 前の方の席だったので、その表情の豊かさが、よく分かった。
 聴かせどころの一つは心中をしようとする件だが、金蔵が親分に暇乞いに行った際、あわてて短刀(あいくち)を忘れてきたと判明した後の会話を、座右の書興津要さんの『古典落語(続)』と記憶を元に再現。

おそめ まあ、そそっかしいねぇ、この人は・・・・・・あたしも、こういうことがあるかと思って、昼間のうちに、カミソリを合せておいたから・・・・・・金さん、死ぬのはかみそりに限るよ
金 蔵 おい、待ちなよ・・・・・・かみそりはいけねえ、刃の薄いので切ったやつは、あとで縫うのがていへんだと医者が言ってた

 このあたりでも笑いが起こるのが、芸というものだろう。
 結局、品川の海に飛び込もうということになって、裏の木戸を外して桟橋へ。

おそめ さあさあ、金さん、なにしてるんだよ、ずんずん前へいくんだよ。桟橋は長いよ。
金 蔵 桟橋は長いが寿命は短けえ。おいおいおいおい・・・水がある

 この「水がある」なんてなんでもない科白にも、会場の多くの方と一緒に笑ったなぁ。

 「上」のサゲ部分、あの親分の家でのドタバタも、淡々と進めながらも、十分に楽しかった。
 
 「下」の『仕返し』の部分では、幽霊役の金蔵がおそめに縁起の悪い話をする場面も、なかなか出合えない聴かせどころ。

 いったん死んだが、十万億土という暗いところを歩いていると、金蔵、金蔵とよばれてふりかえると生き返った、という金蔵。

おそめ まあ、よかったねぇ。じゃあ、こうしよう。今夜はいろいろはなすことや聞くこともあるから、あたしが台のものをとってあげよう
金 蔵 それが、もう、いったん死ぬと、人間は意気地がねえもんだから、なまぐさものはちっとも食べられねえ
おそめ あらそう・・・・・・じゃあ、精進ものならいいだろう
金 蔵 うん、そんならすまねえけど、おだんごをすこし・・・・・・
おそめ いやだよ。で、おだんごは、餡かい、それとも焼いたのかい
金 蔵 白だんごがいい
おそめ いやなことおいいでないよ
金 蔵 ここにある紅い花なんぞよしちまって、樒(しきみ、別名仏前草)を一本・・・・・・
おそめ おふざけでないよ、縁起でもない。今、だんごをそう言うから
金 蔵 いや、もう、なにも食べたくない、なんだか心持が悪いから、寝かしてくれ

 これだけの科白にしたって、白だんごや樒を調べることで、その時代の人々の風習などを知るヨスガとなる。
 枕団子や枕飯なんてぇのも、死語になりつつあるなぁ。

 金蔵の戒名は、大食院食傷信士。ちなみに興津さんの本では、養空食傷信士。

 以前、末広亭で38分で聴いたが、今回は52分で仕立て上げた。
 この噺では、映画『幕末太陽傳』を思い出すが、金蔵が小沢昭一さんに、そして、おそめが左幸子さんに見えるかどうか、などと開演前に思っていたが、あくまで今松が描く、金蔵であり、おそめであった。金蔵は小沢さんよりもアクを少しなくした感じ、おそめは左さんよりは優しい印象。それも、悪くない。
 とにかく、おそめが、生き生きとしていた。落語登場人物の中では、嫌な女の筆頭にもなろうかというおそめが、表情に愛敬のある、なんとも可愛い女として描かれていて、それがまた噺に艶を与えていた。 
 サゲは、従来の「比丘(魚籠)」ではなく、尼にちなんだものにしていたが、これも無理はなく、結構。
 よく今松の高座を評して、“軽さ”という言葉が使われるが、単にそれでは誤解を招くだろう。まったく、言い足りない。
 小満んとは味わいが違うのだが、あえて言うなら、軽妙洒脱、なのだろうなぁ。軽いだけではないのだ。
 同門の雲助とは好対照だが、師匠の芸風を思うと、今松こそが継承者だと思う。
 長講を感じさせない好高座。迷うことなく、今年のマイベスト十席候補としたい。


 おそめについて、少し。
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安藤鶴夫著『落語国紳士録』

 安藤鶴夫さんの『落語国紳士録』で、「おそめ」はこう書かれている。

 「品川心中」に登場。品川新宿・城木屋の女郎、神田から通ってくる馴染客の貸本屋の金蔵(三二)と心中をやりそこなったひと、当時二十七、八。
   □
 勝気で、意地ッ張りで、伝法で、色の浅黒いきりっとしたいい女だったから、若いうちはいつも板頭を張っていた。板頭というのは吉原でいうお職、つまりいちばんその店で営業成績のよろしいスターを宿場の女郎屋でそういっていた。
 ちょいと新内ぐらいはやりそうな女にみえるが、別に音曲の素養はなかったようだ。しかし、手紙を書かしたらまず品川はおろかなこと、花の吉原にもおそめほどの女はいないといわれたものである。大の男を骨抜きのひょろひょろにして、心中を決意させるほど、ことほど左様に、見事な手紙を書いた。
 とあって、金蔵に宛てた手紙が掲載されている。
 ちなみに、城木屋は、白木屋とする本もある。

 今松は、アンツルさんの見立てよりは、おそめの勝気、意地っ張りの度合いを薄め、以前は板頭を張っていたのだから、さもありなんという可愛さや愛嬌を少し強く押し出していたように思う。二十七、八なら、今松の造形は納得できる。

 せっかくなので(?)、おそめの手紙もご紹介。
一筆書き残しまいらせ候 御前様も御存知の如く この紋日には金子なければゆきたち申さず ほかに談合致す者もなくに泣かれぬ鶯の 身はままならぬ籠の鳥 ほう法華経までおかしく申し候えども 今宵限り自害致し相果て申し候 時折の御回向をほかの千部万部より嬉しく成仏仕り候 ほかに迷いは御座なく候えども 妾(わたくし)亡きあとはお神様をお持ち申し候かとそれのみ心にかかり候 百年の御寿命過ぎての後 あの世とやらにてお目もじ致し候をなによりのたのしみと致し申すべく候 書き残したきことは死出の山ほど候えども こころせくまま あらあらかしく
   金さま まいる                  おそめ より
 これが、アンツルさん曰く、品川どころか吉原も含めてもナンバーワンと言える技による、男を迷わす手紙^^

 なお、かつて通しで演じられる際は、最初の夜に、金蔵を目の前にしておそめが手紙を書いて、その手紙を金蔵に読ませていたようだ。
 今松は、おそめの言葉で、紋日前の切ない女郎の心境を語らせた。
 この手紙の件を入れると、あと五分は必要になるかな。
 おそめの語りで良いのだろう。

 それにしても、おそめから死ぬと聞いた金蔵が、心中に付き合う時の決断の早さは、落語ならでは^^


 一夜明け、関内で、なかなか聴く機会のない噺、そして今松に出会えた幸運を、あらためて噛みしめている。

p.s.
記事を書いてから、いただいたプログラムの今後の予定の脇の小さい文字の「これからの県民ホール寄席」という案内に気が付いた。県民ホールが7月から、関内ホールは11月から改修工事に入り、来春まで使えないと記されていた。「その期間の会場をどこにするのか只今頭を悩ませています」とのこと。そうだったのか。県民ホールは来春までだが、関内ホールはサイトを見ると来年9月まで工事で使えないようだ。あら、小満んの会は、どうなるのだろう・・・・・・。
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# by kogotokoubei | 2017-02-22 12:57 | 落語会 | Comments(4)
 毎日更新されるので、頻繁に訪ねる噺家さんのブログは、古今亭志ん輔の「日々是凡日」と春風亭柳朝の「総領の甚六」、そして最近は立川談四楼のツイッターかな。

 今日の柳朝の記事は、実に興味深かった。
春風亭柳朝のブログの該当記事

 なぜなら、古今亭志ん朝の大須演芸場の独演会の、ある高座での事件(ハプニング)の真相が判明するからである。

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『よってたかって古今亭志ん朝』(志ん朝一門、文春文庫)
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 *印が、初CD化のネタである。

 上の表は、『よってたかって古今亭志ん朝』の巻末資料を元にした大須の公演日と演目の一覧表。
 
 その事件は、大須9年目、平成10(1998)年、初日11月9日の二席目の『火事息子』のマクラの時に起こった。

 なんと、この演目の冒頭で、大須演芸場の消火器のピンが抜け、白煙を撒き散らしたのであった。

 柳朝のブログでは、この事件を引き起こしたある噺家さんが写真つきで登場。
 その写真は、その噺家さんの話の聞き手、そういった楽屋ネタを高座でかけることが大好きな噺家さんとのツーショット。

 へぇ、そうだったんだ、あの事件の真相は^^

 このマクラは、まだ書き起こしていないので、次に取り上げるつもり。

 コメント欄がないので、柳朝にはリンクのことを連絡できないのだが、おかげで、大須の謎の一つが解けた。柳朝、ありがとう!

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# by kogotokoubei | 2017-02-21 12:53 | 志ん朝 大須の「まくら」 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛