噺の話

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NHKのホームページより
 初回放送は4月7日だったが見逃したので本日再放送で見た。昨年4月にも落語家の柳家金語楼が登場したことを思い出す。
 正直言って、見ていてつらいものがある。命日は平成11(1999)年4月19日なので、亡くなってすでに10年の歳月が過ぎようとしている。もう、十年か。

 神戸大学を中退し昭和35(1960)年に21歳で米朝師匠に入門し、ABCラジオの「漫才教室」で名を上げた漫才少年前田兄弟の兄、前田達(とおる)は落語家の桂小米となった。兄弟子は現在の月亭可朝を含め二人いたが、いずれも通いだったので、初の住み込み弟子であった。入門当時の稽古熱心ぶりはすごかったらしい。

 朝日新聞大阪の学芸部編集委員として枝雀本人とも懇意だった上田文世さんの著『笑わせて笑わせて 桂枝雀』(淡交社)から引用する。今日の内容は、引用のみならず、多くをこの本に因っている。
上田文世_笑わせて笑わせて 桂枝雀
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小米の稽古熱心さは尋常ではなかった。深夜、この道をブツブツ言いながら
歩いて、警察に通報されたことがあった。米朝家では、ちょうど、長男の現
小米朝に続いて、双子の二、三男が生まれた頃だ。子守を頼むと乳母車を
押して出て、しばしば行方不明になった。さほど遠くない所に住む姉の絢子
さんにも同じ年代の子どもがいた。小米は度々そこに双子を任せては、ネタ
繰りにでかけた。「一緒に外出しても駅のホームで稽古をする。こっちはホ
ームの端の方に寄っていったもんです。」と米朝は言う。
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 昭和48(1973)年に二代目枝雀と襲名する直前に、最初のうつ病になっている。放送は、その病気を振り返ったり、どう乗り越えたかということにも少ない中で多くの割合を割いている。収録された番組は昭和50年代後半が中心で、四十代で全盛期の彼の姿が映される。しかし、そこまでの道のりは決して平坦ではなかった。昭和45(1970)年、31歳の年に七歳年下で「ジョウサンズ」という女性漫才トリオのメンバーだった志代子さんと結婚し、二年後に長男が誕生。結婚した翌年に、弟子のべかこ(現、南光)と米治(現、雀三郎)との三人で「桂小米の会」が伊丹の杜若寺で始まった。その後、会場を変えながら枝雀襲名まで続いた、入場者の最低が23人、最高が120人というこの会が枝雀の重要な修業の場であったことは間違いない。そして、枝雀襲名を目前にして、病が襲った。前掲書には、その頃のことがこう書かれている。
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「好事魔多し」というが、すべてがうまく走り出したところで暗転があった。小米
が「演芸場に行きたくない」と言い出したのだ。73年2月1日、大阪・道頓堀の
演芸場、角座の上席(一日から十日までの興行)初日だった。志代子は「お父
さんを送ってくるわ」と弟子に言って、小米と一緒に自宅を出て、いつもの角で
タクシーを拾った。「車に乗ったので舞台着を渡そうとしたら、降りてきて『怖い、
行かへん』と言って、その場にしゃがみ込んでしまったんです」と志代子。
「えらいことになりました」と米朝に電話。会社にも電話して代演を頼んだ。それ
からは、いろんな病院、医院を巡った。診断は強い鬱病だった。
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 その後、定時制高校時代の恩師森本先生や、阪大病院(当時)の柿本医師の努力もあり、小米は快方に向かった。前掲書から再び引用する。
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「長らく『心の旅』に出ておりましたが桂小米がこの度、無事帰国いたしました
ので、再びここに『桂小米の会』を開かせていただきます。」73年4月16日に
再開した「第十八回小米の会」の案内状には、そう書かれている。小米の
「心の旅」は三カ月で終わった。小米の演目は『崇徳院』と『悋気の独楽』。
前回の五十人から百二十人と、倍増したお客さんで小米は力強く復活した。
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 しかし、四半世紀後に病が再発。そして十年前の3月13日に自殺をはかり約一ヶ月後に息を引き取った。この放送のキーワードとして取り上げられている、最初のうつ病を克服したことに関し語られた次の言葉は、あまりにも重い。
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「自分を思うことが 自分を滅ぼすこと。
人を思うことが 本当は 自分を思うこと。」

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 自殺の際に遺書はなかったが、枝雀が一枚残した紙きれに、復帰後予定していた20日間連続で毎日3席づつ披露する独演会「枝雀六十番」のネタ順が書かれていたという。その一部を紹介。
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初 日  延陽伯・一人酒盛・どうらんの幸助
  ・
三日目  代書・植木屋娘・愛宕山
四日目  壷算・くやみ・高津の富
  ・
七日目  七度狐・くしゃみ講釈・寝床
  ・
十二日目 鷺とり・宿替え・仔猫
  ・
十四日目 時うどん・雨乞い源兵衛・質屋蔵
  ・
十九日目 幽霊の辻・替り目・茶漬けえんま
千秋楽 つる・景清・崇徳院
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 残念ながら実現しなかった六十席の豪華なこと。どのネタもいまだにしっかりと耳に蘇る名演だ。たった10分の放送の中でも、「代書」「壷算」他いくつかのネタのワンショットが盛り込められている。「たら」「れば」の話ではあるが、元気だったならば、十分実現できたと思う、実現して欲しかった。昭和56(1981)年と昭和60(1985)年の二回、枝雀は一日三席の連続六日間の独演会「枝雀十八番」をサンケイホールで開いている。しかし、幻の「枝雀六十番」は毎日ネタを替えての20日間。単純に比較はできないが、志の輔inパルコは、同じ三席での連続公演である。凄いイベントになっただろうし、もしチケットが手に入ったら会社を休んででも行ったかもしれない。

 放送のタイトル通り、まさに「あの人に、そして、あの噺に会いたい」と思わせる。

 笑福亭松鶴師匠は、どんな時でもネタを繰っていた枝雀を称して、「あの男は、雨のしょぼしょぼ降る晩に、窓を開けてニタニタと笑う癖がある」と言ったらしい。今日の放送でも、傘をさし「ニタニタ」して歩きながら稽古する姿が印象的だった。「天才」とも言われるが、とんでもない努力の人であり、目一杯に真面目な人だったのだろう。収録された番組の姿と晩年への思いが交錯し、切なさと懐かしさが一緒にあふれ出てきた。
*教育テレビとデジタル教育では、まだ再放送があります。興味のある方はどうぞ。
  ・4月14日火曜日 午後2:30 ~ 午後2:40 教育/デジタル教育

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# by kogotokoubei | 2009-04-11 16:59 | テレビの落語 | Comments(2)
久しぶりにたっぷり寄席を味わいたくて末広亭の昼席へ。夜は三平襲名披露だが、もちろんそっちには興味はない。入替えありの昼の主任はさん喬師。さすが土曜日、ほとんど満席である。開口一番からすべて聞くのは初めてである。さて演目と時間は次の通り。

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(開口一番 柳家小んぶ 道灌 11:52-12:00)
柳家喬之進  真田小僧      12:01-12:14(13m)
ペペ桜井    ギター漫談    12:15-12:23( 8m)
林家久蔵   勘定板       12:24-12:36(12m)
柳家喬之助  長短          12:37-12:51(14m)
にゃん子・金魚 漫才       12:52-13:00( 8m)
桂才賀     漫談       13:01-13:11(10m)
柳家小里ん   親子酒      13:12-13:26(14m)
太田家元九郎 津軽三味線   13:27-13:41(14m)
川柳川柳    ガーコン     13:42-14:00(18m)
柳家はん治  ぼやき居酒屋   14:01-14:15(14m)
伊藤夢葉   奇術        14:16-14:29(13m)
三遊亭歌之介 龍馬伝      14:30-14:45(15m)
(仲入り)
柳亭燕路    幇間腹       14:57-15:10(13m)
笑組      漫才       15:11-15:20( 9m)
三升家小勝  漫談       15:21-15:33(12m)
柳家小さん  長屋の花見   15:34-15:50(16m)
仙三郎社中  太神楽曲芸   15:51-15:59( 8m)
柳家さん喬  井戸の茶碗   16:00-16:30(30m)
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久しぶりの喬之進だが、ちょっと太めになったような気がする。まぁまぁ、無難な出来。

久蔵が、本日の笑い獲得量では一番だったかもしれない。ベテラン落語ファンのお客さんでも滅多に聞けないネタであったのと、ネタ自体の可笑しさもあるが、十分に自分のものにしていた。下ネタではあるが、これも落語ならではの世界だ。

喬之助の横浜にぎわい座での真打昇進披露に行ったのが、もう2年前のことになった。昇進当時は、結構、一杯一杯といった感じで先を案じたが、ようやく落着きが出てきたようだ。難しい噺だが勘どころは押さえていたと思う。もしかして化けるかな、と思わせた。

ナイキのロゴ風の頭髪カットで登場の才賀師。ネタ収集にうってつけなのは、台東区役所の高齢者福祉課だ、という漫談、結構会場を沸かせていました。お元気で寄席に顔を出し続けて欲しい人だ。

小さん門下の層の厚さを示す落語家さんの一人、小里ん師。安心して聞ける本寸法の噺でした。こういう人が、寄席には欠かせない。

柳家紫文の代演、元九郎師。いいんだねぇ、津軽三味線での「パイプライン」や「コンドルは飛んでいく」が。津軽弁でのたどたどしいギャグも好きだなぁ。

昭和6年3月生まれ、78歳になったばかりの川柳師匠。相変わらず「舌」好調。自分の著作の売り込みも忘れず、寄席の定番で沸かせる芸、これはギネス級じゃないかと思う。

はん治師は、結構私が今ハマリそうな噺家さんである。前進座での『背なで老いてる唐獅子牡丹』も良かったが、この噺も「自分の味を良く知っているなぁ」と思わせるニンな噺である。落語ではなく、「地」で居酒屋で語っているように思わせるところは、見事な「芸」だ。

仲入り前は、池袋の昼席での主任と掛け持ちの歌之介。この噺と『B型人間』は、何度聞いても笑える。本人が噺の中で言う通り、英語と古典が苦手なのだから、あえて古典に挑まず、歌之介ワールドのラインアップを増やす次の新作に期待したい。まだ今の持ちネタだけで保身に走る年ではないはず。龍馬とB型のギャグも三分の一はかぶっているからねぇ。

勢朝の代演が燕路師。非常に良かった。この噺は、名人文楽が甚語楼時代の志ん生に稽古をつけてもらったが、なかなか納得できず自分で演じることをあきらめたという噺。燕路はニンである。はん治とこの人の二人の小三治一門が、主任のさん喬師以外では、今日は光っていた。

文生の代演が小勝師。昭和13年生まれだから志ん朝と同じ年だ。才賀師と同様に刑務所の慰問などで社会貢献されている。こういう噺家さんが寄席の名脇役となっている。昔、テレビのレポーターなどで活躍する姿を思い出した。

季節ピッタリの噺だった小さん師。無難だが、さて、どうコメントしたらよいのだろう。はん治師、燕路師ともに、しっかりと「個性」や「味」を示しているのだが、どうもこの人には形容する言葉を捜すのが苦だ。名前が重いかな、と思わざるを得ない。

さん喬師の『井戸の茶碗』のよさは、屑屋の清兵衛さんに集約されているように思う。騒動の中であたふたする姿も秀逸だし、最終的に二人の潔癖な武士とその娘の仲人役を務めることになる清兵衛さんが、「こんな私でいいんですか・・・」といった泣かせの芸が、さん喬師ならではであり、わかっていながら目頭を熱くさせる。夜席と入替えなので30分という時間を厳守しながら、丁寧かつツボをはずさない芸、やはりこの人は凄い。

あえて、演じた時間を記した。出演者が多すぎる、などと野暮な話をしたいわけではない。あらためて思うのだ。たったこれだけの時間で、これだけ多くの噺家さんがしっかりと自分の空間を作って楽しませてくれる。もちろん、漫才、奇術、太神楽といった色物の皆さんも含めて久しぶりの寄席は良かった。10分前後で、あれだけ会場を沸かせるって、そうは出来ませんよ。ビジネスで言うなら、プレゼンテーションの原則であるが、時間が短かければ短い程、相手に思いを伝えるのは難しいのである。落語という芸も、ある意味でプレゼンテーション。凝縮した芸のてんこ盛りである寄席。やはりたまに来ないといけないと思う。

外に出ると、夜席のお客さんの大行列。三平襲名披露である。いっ平が三平になるだけでも、これだけ並ぶのかぁ・・・・・・と妙な気分になった。昼席にも大きな名前を継いだ人が何人かいた。非常に悩ましいのが、この襲名問題である。代が変われば先代とは別なのは当たり前なのだが、「世襲」は歌舞伎の世界だけにして欲しい、と思いながら駅に向かった。
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# by kogotokoubei | 2009-04-04 19:46 | 落語会 | Comments(2)
初めて週刊誌を取り上げる。電車の中吊り広告でこの座談会を発見しなければ特別定価360円を払うことはなかっただろう。しかし、他のページ(特に吉永小百合さんの写真など)も、結構楽しめた。さて、この座談会は、写真も含めてだが6ページ。結構なボリュームである。今日の落語家の中で志の輔と合わせて人気と実力いずれもトップ3といえるこの二人の座談会は魅力的である。
冒頭で談春いわく、創刊50周年記念号で、なぜ落語家の座談会なのか、という疑問の答えは、堀井憲一郎さんの「ずんずん調査」でのこの雑誌への貢献と、落語がそれだけ歴史の中の「今」を語る上で取り上げるにふさわしいブームにある、ということなのだろう。

座談会のタイトルは「いまだかってない落語が始まる」。印象的な部分を引用する。
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談春   ところで、ねえ、喬ちゃん、アドリブってない?
喬太郎  ありますよ。ほぼ、アドリブの連続ってこともある。
談春   そうだよね。ほとんどアドリブなのよね。その場でのおもいつきで
      喋ってる。やってる最中に、何か見たことのない景色が見えてき
      て、それについて喋り出したりする。自分でどこへ行くかわから
      ない。
喬太郎  そうです。いいか悪いかわからないけど、『文七元結』やっていて
      も、吾妻橋の上で、いままで聞いたこともないセリフを言っていたり
      する。
談春   確認していい?そういう聞いたことのない新しいセリフをいったあと、
      セリフは続いていくけど、頭の中で、さっきのセリフの感想が動いて
      ないですか。
喬太郎  動いてる。
談春   動いてるよね。それはあとで考えることじゃない。するとセリフの
      順番がどんどん変わっていったりして、自分の言ったことが広がって
      いく、それに手応えを感じて、そのままお客さんにも広がっていくの
      を感じて、それに自分も引っぱられていくという。
喬太郎  そう!ありますあります。
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「その時」には、噺をしていながらも言ったばかりのセリフを評価している別の自分がいる、というのはなかなか興味のある話だ。茂木健一郎さんがこの座談会に参加していたら、どう解説しているだろうか。記憶に新しいが、WBCの決勝戦延長10回にタイムリーを打ったイチローは、その時の心境を、「やっぱり、神が降りてきましたね。ここで打ったら、日本がものすごいことになると思って、自分の中で実況しながら打席に入ってました」と答えているが、何か近いものがありそうだ。「デュアル・プロセッサ」で考えられる一瞬、あるいは、時間が一瞬止まる時とでも言うことができるかもしれない。その昔、野球の鉄人による「ボールが止まってみえる」という言葉もあった。
もちろん、年400回落語会に行く堀井さんだって、滅多に「その時」には出会えないのに、その十分の一しかチャンスのない私には、まさに僥倖といえる「その時」に出会えることを、気長に待ちたいものだ。加えて、この座談会で喬太郎が言うように、柳家小三治が何でもないような噺(『出来心』)で会場をどかんどかんとひっくりかえす芸も、ひとつの目標であって欲しいし、そういう落語に出会いたい落語ファンも、これまた大勢いることを忘れて欲しくない。もちろん、「何かを求めて行く落語会」だけでなく、「何も求めずに行く寄席」もいつまでも大事にして欲しい。
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# by kogotokoubei | 2009-03-29 17:31 | 落語の本 | Comments(0)
春休みなのだろう、どこへ行っても家族連れが多い。それはそれで日本経済復興のために少しでも良いことなのであろうが・・・・・、平日の12:00−13:00という標準的な昼食時間に、なぜこれほど若い母親と子供連れが混んだ飲食店でサラリーマンの意地悪をしなければならないのか、が疑問だ。
今日も今日とて私は落語会の席料を振込むため昼食時間に銀行へ行った後で、馴染みのラーメン店へ向かった。港北ニュータウンの地下鉄駅の近くのビルにある、札幌に本店のある店、とまでは明らかにしておこう。すでに4名のサラリーマンと道路工事関係と思しき人たちが並んでいる。私も含め皆さん、限られた時間で昼食を済ます必要がある人だ。待つこと10分。中は、30歳代半ばから40歳代前半までと思われる母親と幼稚園から小学生低学年までと察する子供の母子連れで半分以上占められていた。そして案の定、子供は半ば遊びながらラーメンを食べており、時間をかけた挙句ラーメンを残して終了、かと思いきや食後のプリンにとりかかるのだ。私より先に食べていた親子連れに私は両隣りを挟まれた席だったが、味噌ラーメン&半ライスをどちらのお隣さんよりも先に食べ終えて、店を出た。まだ待っている人が店外にいた。
この母子連れは、どうしてもサラリーマンの昼食休憩である繁忙時間帯に、店に来なければならない理由があったのだろうか。その食べ方から察するに、食後に急ぎの用があるようには、到底思えない。12時前に店に来るとか、13:00近くに店に入るといった配慮は、まったく思いつかないことなんだろうか。そもそも、あんな遊び半分でタラタラ子供に食事をさせること自体が教育的な配慮を欠いている。それと、当たり前のことだが、注文した以上は残させてはいけないのだ。注文したら残さず食べる、そういった教育や躾を含めての食事時間なのだ。だからこそ、超繁忙時間帯に彼らは店に来るべきではない。
江戸時代の代表的な仕草である「傘かしげ「肩引き」「こぶし腰浮かせ」などは、すべからく他人と気持ちよく暮らすための気配りの仕草であり、その時代には常識的な礼儀、マナーであった。そして、親や近所の大人が子供達に実践して教えてきた伝統である。
「混む時間は自分たちが待たされるからはずそう」ではなく、「混む時間は、昼食時間が限られているサラリーマンの人たちに迷惑だから、時間が自由な私たちはその時間をはずそう」という気配りを、残念ながら、多くの若い母親達にはできないようだ。そして、この母親達の子供が将来は社会人になる・・・・・・。この母親達は、自分の旦那が別の混んでいるお店で、迷惑な他の母子連れに歯軋りしているとは思わないのだろうか。
「侍ニッポン」、が賛美されているうちに、侍や町人、職人さん、そして彼らのオカミさんなど全員が当たり前のように身につけていた「江戸」の粋や礼儀などについて議論が沸きあがることを期待したいものだ。
落語から離れた小言だけを書き込むことは想定していなかったのだが、私の名前に免じて許していただきたい。実はあるんだよ、毎日、小言を言いたくなることが。たまには書かせてもらいます。
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# by kogotokoubei | 2009-03-26 13:41 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
朝日名人会は来月から料金体系が変わる。今回がS席4000円、A席3500円設定の最後で、5月から全席4300円となる。これまでもS席の席数が多く、後ろのS席ならA席とほとんど変わらない条件なのでA席で見ることのほうが多かった。これが3500円で来れる最後だという思いと、遊雀と花緑を目当てにA席チケットを持って銀座へ向かった。演目は次の通り。
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(開口一番 古今亭志ん坊 道灌)
鈴々舎わか馬  紋三郎稲荷
三遊亭遊雀   崇徳院
古今亭志ん橋  宗珉の滝
(仲入り)
柳家花緑    天狗裁き
桂歌丸     鰍沢
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志ん坊(14:00-14:15)
よほど緊張していたのだろう、名乗らず始めた。声の大きさだけは前座らしく良いが、こんな機会に自分の名を売り込む余裕がなかったことは大反省だろう。頑張ってください。

わか馬(14:16-14:35)
きっと志ん坊の名前を言ってあげるだろう、という期待は裏切られ、わか馬でさえ出だしから緊張度は高く、その後も噛むことが多かった。この人のこの噺はニフティのポッドキャスト落語で聞いているが、結構良い出来だったと思う。しかし、この会場と名前がプレッシャーになるのだろう、彼の持ち味の半分位しか発揮できんかったのではなかろうか。声が非常に良い人なので、今後に期待したい。

遊雀(14:36-15:06)
期待通りだった。マクラでは、ちょうど眠い時間で楽屋では志ん橋師匠が熟睡しているという話も゛らしく゛ていい。本編では、まず熊さんの弾け方が予想通りでうれしかった。患っている若旦那の部屋に入る際の大きな声での「ターッ、ターッ、若旦那ぁ!」、そして若旦那の消え入るような声の「ばかっ」のやりとりから先は遊雀ワールドである。熊さんのオカミさんの表情を含めた名演技、床屋、鳶頭との最後のカラミの場面など、大いに笑い、楽しめた。話の骨格から志ん朝版をベースとしているような気がするが、直接稽古をつけてもらったことがあったのだろうか。もちろん、ところどころの遊雀らしいくすぐりや人物描写も秀逸で、前に出た二人への欲求不満もあるだろう、場内はいっきに盛り上がった。出の際の拍手から察して大半のお客さんが初遊雀ではないかと思うが大いにアピールできたのではないだろうか。結果として、本日のベストは、この人でした。

志ん橋(15:07-15:52)
せっかく遊雀が暖めた会場を、ネタのせいもあるが目一杯冷やしていただいたのが、楽屋で寝ていたこの人。結果として今日のトリの歌丸師匠よりも長い45分。歌丸師匠は本当は45分の予定だったのかもしれないが、いずれにしても途中で眠ってしまった。落語会や寄席で寝たのは久しぶりだ。抑揚のない口調とネタの悪循環であろう。師匠志ん朝が好きだからその弟子も好きになるというわけではない。結構贔屓目に見ようとも思うのだが、どうもいただけない。しかし、この人は風貌や口調、声の調子から三代目の三遊亭金馬師匠を彷彿とさせるものがある。金馬の十八番だった噺を演ってもらえると、もっと好きになれるかもしれない。

花緑(16:13-16:48)
他の噺家さんと着物の色がかぶらないよう注意したが、毛氈の色とかぶった、という話から自分のみた夢のネタへ。永谷園の味噌汁のCM出演も、前夜師匠小さんと二人会の夢を見た後にCMの依頼があったなどとフッて、芝居の夢で出トチリをし、その原因は出番前の楽屋にミッキーマウス姿の米朝師匠が現れたから、と米朝師匠に稽古をつけてもらった本編へ。今回はCD収録への気合が相当入っていたような気がする。なかなかの出来だし、新たなくすぐりも加え楽しませてくれていたのだが、大岡裁きの部分での情景描写で残念ながらリズムを狂わせ言い直しがあった。これではCD化は難しいかもしれない。サゲてからのややがっかりした顔が印象的だった。しかし、私は、今日の花緑には結構好感を持てた。オカミさん、長屋の隣に住む仲の良い男、家主と進むそれぞれの場面での描写には味があり、ところどころ「おっ!」と思わせる芸もあった。この人はもっと聞きたいと思わせてくれた。七光りだけではなく、より成長する潜在力を秘めている。

歌丸(16:49-17:24)
この会のチケットを購入した直後、歌丸師匠の体調問題が発生したので、当日はどうなるのかと思っていたが、元気な姿を見ることができただけでも来た甲斐があったのだろう。談志家元と同じ昭和11年生まれなので今年73歳。小三治師匠より三歳年上である。そう思うと、さすがと言うべき出来だ。とにかく丁寧で細かい。

この会も運営が厳しいのかもしれないが、さて、次回から全席4300円という価格設定はいかがなものだろう。抽選による通し券でも、従来は一回当たり3700円だったのが4000円となる。私が初めてこの会に来た2年前から比べても、若いお客さんが増えるとともに、通し券で購入する常連さんが減っているようにも思う。噺の中で受ける場面や笑い方なども微妙に変わってきた気がする。新たな客層に変わりつつあるし、また獲得しなければならないはずなのに、プログラム編成や会場運営の姿勢は変わらないという硬直感を、前回に続き感じた。仲入りでロビーで味わうコーヒー、ビールやワインなども、これだけ混雑していては、決して「晴れの日」の感覚など味わえない。
人とネタの選定にも少し違和感がある。そんなことを考えるうちに、京須さんが落語研究会にもこっちにも絡んでいることに思い当たった。それって無理があるのでは・・・・・・。ある意味で競争することで、お互いの落語会が磨かれていくようにも思うのだ。もちろん京須さんが嫌いということではなく、現在のホール落語会でのツートップとも言える会の両方で同一人物がプロデュース的役割を担っていることが問題ではないかと思うのである。席料を考えると、ぜひ驚くような顔ぶれとネタで、行きたくなるようなプログラムを組んで欲しいと思う。
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# by kogotokoubei | 2009-03-21 20:03 | 落語会 | Comments(0)
今月2回目の内幸町ホール。今日は3月6日とうって変わっての好天気。非常に珍しい顔合わせであり、初の梅団治に食指が動き参上。本日の演目から。
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(開口一番 春風亭正太郎 転失気)
柳家権太楼  幽霊の辻
桂梅団治   八五郎坊主
(仲入り)
桂梅団治   竹の水仙
柳家権太楼  佃祭
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正太郎(19:00-19:14)
1月6日の横浜にぎわい座での睦会以来の開口一番。この2カ月での格段の進歩を感じた。テンポが良くなった。平均年齢の低くない観客から、結構笑いもとっていた。今後も期待したい。

権太楼(『幽霊の辻』19:15-19:42)
ただひたすら選んでくれた根多がうれしかった。桂枝雀のために小佐田定雄さんが作った作。両師匠ともまったく話題にはしなかったが、仲入り前の二作は、10年前1999年の3月13日に自殺をはかり4月19日に亡くなった桂枝雀トリビュートであったに違いない。私はこの噺は枝雀でしか聴いていなかったので、没後十年、上方の噺家との二人会で権太楼師匠が演じてくれるという、その気持に感謝。マクラは、今日も池袋と末広亭を済ましてきたが、お客さんが一杯で、昔はこうじゃなかった。「そこそこ」来ていただければいいんです、「そこそこ」とは池袋なら三人位、というたあたりですでに会場は爆笑のイントロが開始。ディズニーランドでも会社の若い女の子とかと一緒に行くから六十過ぎの男も行けるし楽しいわけで、六十過ぎのオヤジが三人で手をつないでお化け屋敷は似合わないが、寄席なら結構、とお化けキーワードを出して本編へ。堀越村がどこかを尋ねる男と茶店のお婆さんとの会話は、完全な権太楼ワールドである。しかしところどころに枝雀を懐かしく思い出させてくれる。東京落語ではもっとも枝雀的な噺家さんであると再認識。ただおもしろ可笑しくではなく、芸の質の高い爆笑派。久しぶりの権太楼落語に大笑いした。


梅団治『八五郎坊主』(19:43-20:12)
初めてだが、高座姿の自然さも見た目も含め、こういう、大阪ならどこにでもいそうなオッサンは好きだ。しかし落語は本寸法の師匠春団治譲りである。マクラはお約束なのだろう、好きな電車のネタからで、「冨士・はやぶさ」のことはもちろん出ました。そして師匠の話も楽しめた。師匠と師匠のオカミさんの血液型がA型、自分がB型、合うはずがない!に爆笑。枝雀トリビュート(と、私が勝手に思っているだけだが)の二作目のこの噺、枝雀は明治21年生まれの桂文蝶師匠から小米時代に教わったと著作『桂枝雀のらくご案内』に書いている。少しだけ引用。
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ある時、私が神戸の松竹座の楽屋にいてましたら文蝶師が遊びに来はって、
「小米はん、ひとつ噺教えたげまひょ」言うて演りはじめはったんがこのネタ
でした。私は「あァ、あの噺かいな」てな調子で、失礼ながらええかげんに聞か
せてもろてたんです。
 と、お寺の描写のところで、「左右には鶏頭の花が真っ赤に咲いております。
お寺の表にはあんまり人のおりませんもので」という一節があったんです。
「これや!」と思いましたね。この一節がお寺のリアリティを出したんです。それ
以来何べんも高座にかけさせてもらい、うちの師匠からも「このネタもなんとか
残るようになったなァ」と言うてもらえるようになりました。これもみな文蝶師の
おかげです。
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本来のサゲは、八五郎が和尚から「法春」と付けられた名前の読み方について、「ホウバル」やら「ノリカス」やらと友だちからさんざん間違えられた挙句、「おまえホウシュンか?」と聞かれ、「ホウシュン?」とつぶやきながら八五郎は『ハシカも軽けりゃホウシュンも軽い』と自分が和尚に言った「疱瘡」との洒落を思い出す。それで間違いないと思い、「わかった!わいの名前は『ハシカ』ちゅうねん」で落とすのだが、さすがにこの洒落が今では通じないということだろう。「ノリカス」をキーワードにして、「そうやノリカスや、道理で和尚が名前が付きにくい(つけにくい、の洒落)と言うておった」でサゲた。なるほど、このサゲを生かすために、寺を八五郎に紹介する甚兵衛さんとの冒頭のやりとりで、ご飯粒で手紙に封をするシーンに時間をかけていたわけだ。短いながら、上方落語のエキスをしっかり伝えていた。

梅団治『竹の水仙』(20:30-20:49)
この噺は意外だったが、上方噺の『幽霊の辻』を演じてくれた権太楼師匠への返礼のような意味合いがあるのだろう。上方でこの噺をする人は少ないはずだ。短い時間であったが、手際よくまとめた無難な芸である。

権太楼『佃祭』(20:50-21:18)
なぜこの噺だったかは、徳川家康がかつて恩義のある摂津国佃村の人たちを、江戸への転封の際に移住してもらった、という佃島の由来における上方(大阪)つながりか。短いマクラから本編へ。次郎兵衛さんが暮れ六つのしまい船に乗ろうとするところから始まった。短い時間でも、さすがである。佃島の夫婦とのやりとりの泣かせのシーン、そして悔やみの爆笑シーン、メリハリの利いた芸できっちり締めた。特に海苔屋の婆さんが悔やみで言う「壷買いませんか、安くしますよ」には大笑い。


とにかく私にとっては、今日の会は仲入り前の二作だけでも十分に価値があった。妄想かもしれないが、開演前の楽屋で今日のお二人が、枝雀師生前の思い出話でもしていたに違いない。もう10年か・・・・・・。帰路、駅から家に向かって歩きながら、iPodで枝雀の『宿替え』を聞いていたら、なぜか笑いながら涙が出てきた。
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# by kogotokoubei | 2009-03-18 23:34 | 落語会 | Comments(0)
談春の「赤めだか」では、その弐で紹介した二つ目昇進試験が、すでに全体の三分の二くらい進んだ後半になる。約280ページの本の190ページ前後にあたる。一方、志らく『雨ン中の、らくだ』では、全体のボリュームは「めだか」とほぼ同じ280ページ位で、二つ目昇進試験は前半の110ページあたりである。もちろん、それぞれの本の切り口も違えば、「書きたいこと」も違うのだから当たり前。「その時」の最後はコレにした。

■志らく真打昇進パーティ

 先に、「らくだ」から行く。なぜなら、志らくが具体的な「赤めだか」のページを明らかにして、談春の記述は誤り(記憶違い?)だと指摘しているからである。
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私が真打になるにあたって、師匠はこうまで言ったのです。
「志らくが先に真打になるということは、談春よりも格が上になるということ。
だから極端な話、談春と呼び捨てにしてもいいのだ」
師匠の言葉を談春兄さんに伝えました。
「そうなんだってさ、兄さん、師匠が談春と呼び捨てにしてもいいって」
「お前に談春と呼ばれてたまるか」
「談春とは呼ばないよ」
「当たり前だ」
「春公と呼ぶよ」
「ふざけるな!」
「じゃあ、近頃、兄さんは太ってきたからブタ兄さんと呼ぼうか」
「なんだい、そのブタ兄さんというのは?」
「そうだ、兄さんという必要がないから、ブタさんにしよう。いいね、ブタさん」
「人を歌丸師匠みたいにいうな。ブタ(歌)さんって」
私が先に真打になるということでブタさんは、いや談春兄さんはずいぶんと
苦悩したのでしょう。そこらへんは談春の名著『赤めだか』に書いてある
からね。ただ、、『赤めだか』のあそこのところはちょっと事実と違うなぁ。
あそこのところって、263ページ。真打昇進パーティのところ。たしかに、
パーティの司会は談春兄さんではありましたが、『赤めだか』によると
自分から進んで司会になったみたいに書かれているけれど、本当はこう
だったはず。
「兄さん、司会やってよ」
「嫌だよ、司会なんか」
「司会をやれば、兄さんの居場所ができるし、洒落にもなるよ。それに
ひとりだと淋しいだろうから、三井ゆり(深夜番組『アンモナイト』で仲良く
なりました)をサブにおくからさ」
「・・・・・・じゃあ、やるよ」
まあ、どっちでもいいか、私を信じるか談春を信じるか。それはあなた次第
です!
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公平を期す(?)ために、「めだか」の263ページの部分を、少し前からご紹介。
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「なあ、志らく。どうして真打になるのを急ぐんだ」
慣れない仕草で灰皿に煙草を置いて、視線を談春(オレ)から外して志らく
が答えた。
「談春(アニ)さん、俺達立川ボーイズで売れ損なった。もうモタモタしていられない
と思うんです。真打をきっかけにして知名度を上げたい・・・・・・それに・・・・・・」
「なんだ」
「談春(アニ)さんを待っていたら、いつ真打になれるか、わからない・・・・・・」
「そうか。志らくから見れば、談春(オレ)は博打ばっかりしてて、落語に対して
一所懸命には見えないかもしれないな。なァ志らく、談春(オレ)は真打とは、
いくらか世間に知られた存在になった者に与えられる称号だと思ってるんだ。
どうぞ、先になってください」

志らくは真打昇進試験の会で、見事に談志(イエモト)から合格をもらった。
「おめでとう。良かったな」と談春(オレ)が声をかけたら、志らく(アイツ)は、
「ありがとう。君も頑張ってね」と笑いながら答えやがった。
「殺すぞ、この野郎」と談春(オレ)も笑いながら云ったら、周囲(マワリ)が凍った。
どうもこの種の洒落は通じないらしい、という現実に談春と志らくの方が驚いた。

「志らく、真打パーティーの司会、誰がやるんだ」
「決まってませんよ」
「談春(オレ)がやってやるよ」
「えーっ。いいんですか。志らく(ワタシ)のパーティーですよ」
「だからやるんじゃねェか。普通に会場に行ってみろ。色んな人が、色んな
ことを談春(オレ)に云ってくるだろ。いちいち相手にすんの面倒くせえョ」
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 まぁ、どちらが正しいかというよりも、「めだか」としては、このほうがカッコはいい。
談春の男の美学による「イリュージョン」とでも云えるかもしれない。

 二冊の本で少し遊びすぎたかもしれない。しかし、紹介していない部分も含め、あらためて読み比べてみて、また新たな楽しさを味わった。

 あとは志の輔が、彼ら後輩と共有した同じ「その時」を含むエッセイでも出してくれるとうれしいのだが、忙しくてそれどころではないかなァ。ひとまずこのシリーズ、「完」です。
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# by kogotokoubei | 2009-03-16 21:00 | 落語の本 | Comments(0)
さて、次の「その時」はこれ。

■二つ目昇進試験

厳しいことで有名な立川流の二つ目昇進試験を、談春と志らくは他の前座仲間である関西(後の文都)、談々(後の朝寝坊のらく)と四人で一緒に受けることになった。さて、そのときの話である。まず「赤めだか」から試験前夜と当日集合までの談春の様子を拾い出してみる。
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四人それぞれが稽古に励む。この段になればチームワークなんて
云ってられない。試験前夜、五十席を書き出した。丁寧に心を込めて
一席ずつ書く。不安でたまらなかった。書けば書くほど、それぞれの
根多でトチった箇所ばかりが頭に浮かんでくる。頭が冴えてくる。心臓
が高鳴っている。とうとう一晩マンジリともできなかった・・・・・・。
で、明朝、寝過ごした。じゃあ寝たんじゃねェかと思った人、殴るぞ。
バスに乗っている最中、こりゃダメかなと思う。目覚めていない頭と
緊張しきっている身体。車窓の外に流れている風景をボォーッと見て
いたら何だか無性に腹が立ってきた。原因もわからなければ、誰に対
して怒っているのかもわからないが、ただひたすらに腹が立った。
「あー、もう面倒くせえ、落ちたら辞めりゃあいいんだろ。上等じゃ
ねェか」と本気で考えていた。集合時間に三十分遅れた。三人に半ば
ふてくされながら、「おはようございます」と云った。
「何しとんねんお前!」関西が怒っている。当たり前だ、こんな大事な
日に遅刻なんて誰がどう考えても怒る。
「とにかく早く行こう」と談々。結局談春(オレ)は三人に一言も謝らなかった。
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「らくだ」からは、二つ目昇進についての当時の志らくの焦る思いが読み取れる。
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昇進にあたって一番波風立たないのは談春兄さんたちが先に昇進する
ことです。そのあとすぐに私が昇進する。しかし、もともと一年で昇進しよう
と決めていた私にはもうタイムリミットでした。一緒に二つ目になるしかないと
思いました。客観的にみれば嫌な奴です。
私は談春兄さんと、時には関西兄さんや談々兄さんと一緒に師匠のところ
に通いました。「来なくてもいい」と言われても、行きました。
そして二カ月後に「お前ら二つ目になるか」と師匠に言われたのです。昇進
条件は落語五十席、歌舞音曲です。
試験当日、昇進条件の落語五十席を記した紙を師匠に提出しました。
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さて、試験本番直前。「めだか」から、まだ続く談春の悲劇をご紹介。
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談志(イエモト)は起きて洗面所で歯をみがいていた。
「おはようございます」と皆で挨拶すると、
「五十席書き出しとけ」と云った。
カバンの中から根多帳を出そうとしたら紙がない。
忘れた。全身が総毛立った。志らくと談々の根多帳を見せてもらって重複
している根多から書き出すが、手のふるえが止まらない。落ち着こうとすれ
ばするほど自分が何をやっているんだかわからない。四十席書いたところで
ピタッと筆が止まってしまった。
「志らく、オレ四十席しか根多ねェや」
「えっ」と云って志らくが根多の確認をしてくれた。
「アニさん、真田小僧は」
「あ、そうか」
「十徳もないよ」
「そうだ、十徳。あとろくろっ首・・・・・・」
四十九席まで思い出したがあと一席がどうしても思い出せない、
出てこない・・・・・・。
「お前ら二階へ上がれ」
談志(イエモト)が呼んでいる。どうしよう。
「寿限無ならできるだろう」と談々が云った。そうだ、寿限無だ。覚えて
いないし、持ち根多ではないのだが、寿限無ぐらい子供だって知ってる。
五十席目に寿限無、と書いた。間に合った。
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そして試験は始まった。「らくだ」から悲惨な状況をご紹介。
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私が一番不安だった落語は「品川心中 後日談」。ほとんど演じ手は
いません。師匠がたまに演ずるくらいです。だからこそ私はあえてそれを
入れました。師匠しかやらない落語を覚えたということを師匠にアピールした
かったのです。ただただアピールだけしたかった。アピールのみでよかったの
です。
まさか、それをやってみろと言われるとは思ってもおりませんでした。
だってできないんだもん。可愛く言っても仕方ないけど、覚えただけで
一度も人前で演じたことはないし、稽古もあまりしておりませんでした。
師匠はすべてお見通し。しどろもどろになって「品川心中 後日談」を語る
私に、「ああ、もういい。ちゃんと覚えておけ」とだけ師匠は言いました。
談春兄さんはもっと酷かった。覚えた落語をよくよく勘定してみたら四十九
席しかなく、慌てて当日「寿限無」を書き加えたのです。
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「めだか」から志らくのことを含め、試験模様がこう書かれている。
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談春(オレ)の番だと思った途端、喉がヒリヒリとした。
「志らく、品川心中の下を演ってみろ」」
と談志(イエモト)は云った。談春(オレ)は飛ばされた。
談々も関西も、エッという顔をした。気の毒なのは志らくで、まさか自分の
順番が来るとは思っていないから突然の指名にうまく返事ができなかった。
「ウヒャイ」
まるで百川の百兵衛のような奇声を上げるとしゃべりだした。それを聴き
ながら、談春(オレ)は無試験なのだろうか、どうしてだろうと、ぼんやり、
本当に他人事のようにぼんやり考えていた。志らくの声が遠くで聴こえて
いる。人間極度の緊張から解放されると音が遠くで聴こえるものらしい。
そのうちに耳鳴りがしだした。志らくの声も聴こえなくなった。
遠くで誰かが談春(オレ)を呼んでいる。よーく聴いたら談志(イエモト)の
声だった。
「談春!」
正気に戻った。ハイと云ったつもりがどういうわけか、ホイと云っていた。
「何がホイだ、馬鹿野郎」
「失礼しました」
「お前は・・・・・・」と云って談志(イエモト)が談春(オレ)の根多を見ている。
他の三人より念入りに見て、
「お前、寿限無演ってみろ」
と云ってニヤッと笑った。横で志らくが笑った。談々もうなずきながら
笑ってる。大変な事態になったことは理解できるが、一旦解いてしまった
緊張感はおいそれと取り戻せない、元に戻せないことを初めて知った。
俺、寿限無はできないなァ、あれッ、こりゃ一人だけ試験に落ちるのか
なァ、とのん気に考えていたら、今でも信じられない一言を、談春(オレ)は
談志(イエモト)に向かって云ってしまった。
「寿限無の名前を云えばいいんですかァ?」
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この後、しどろもどろのオリジナル(?)寿限無が始まり途中で家元に止められた。談々の踊りの試験に替わってからこの試験の家元の判定までを、また「めだか」から。
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そのあとのことは記憶にない。ひょっとすると唄わされたり、踊らされたり
したのかもしれないが本当に覚えていないのだ。
思い出すのは・・・・・・談志(イエモト)が談春(オレ)達四人に向かって、
「まァ、合格ということだ」
とボソッとつぶやいたシーンから。
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「ウヒャイ」に「ホイ」・・・・・・。二つ目試験は、この「擬音」がキーワードかもしれない。
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# by kogotokoubei | 2009-03-15 21:01 | 落語の本 | Comments(0)
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『雨ン中の、らくだ』の執筆は、最初に出版社から志らくに対し、師匠談志の全音源の解説本「談志音源全集」という企画が持ち込まれたことがきっかけらしい。しかし、怖いもの知らずで引き受けたものの、感想文なら書けるが批評はできない、と気がついた志らくは断念。企画変更となったわけだが、その後のことについては、『雨ン中の、らくだ』の「まえがき」から引用。
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そこで浮上してきたのが、落語ブームにもっとも乗っかった男、
立川談春の著書『赤めだか』です。
便乗するわけではありません。この本を読んだ談志の感想が、
談春にしてはよく書けている、しかし俺が教えた落語のことは
一切書いていない。「イリュージョン」についても「帰属論」に
ついても・・・・・・。
ならばそこを私が書こうと思い立った次第で。
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しかし、「談志の落語論」という直球ではなく、志らくが好きな家元の噺を十八章のタイトルにし、時系列的にたどる青春物語としながら、「イリュージョン」や「帰属論」についても書こう、となったようだ。やはり、『赤めだか』を大いに意識し、しっかり「便乗」しようとしている。それは別に悪いことでなない。落語ファンも本好きにとっても、この2冊の比較を意識しないと言えば嘘でしょう!

だったら、修行時代に二人が同じ時間を共有していた「その時」を中心に、この二冊の中からいくつか文章をひっぱり出して比較してみるのも一興と思った次第。徒然なるまま書きましょう。

■志らく入門、築地、親

「めだか」における談春と家元の会話から。祭り好き、ケンカ好き、落語好きの激情派の兄弟子である文字助師匠から、「あの野郎だけは許せねえ。必ずクビにしてやる。手前らもそのつもりで野郎をイビリ抜け!」と云われていた談春が、築地での修業を終えて家元宅を訪ねた際の会話である。
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「おかげさまで河岸の修業も、もう少しで一年たちます。満期です。
また一からよろしくお願い致します」
「そうか、わかった。奥で弟子が働いてるだろ。志らくってんだ。
何も満足にできないから、河岸に行って修業してこいって云ったら、
野郎、嫌ですって云いやがンだ。じゃあクビだって云ったら、クビも
嫌ですとよ。両方嫌じゃしょうがねェよナ。それじゃウチに入るかと
聞いたら、はいって涼しい顔してやがる。変な奴だぞ」
力が抜けた。文字助師匠が云ったことは本当だった。築地の修業は
嫌です、というたった一言で許されてしまう程度のことなのか。
河岸で歯を喰い縛った僕達は、一体何だったんだろう。
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談春にとっては、これは当然の思いであろう。さて、一方の志らくはというと。
「らくだ」ではこうある。大学落研の大先輩である高田文夫の推薦で入門し、最初は家元にも見込まれていたが、相次ぐ失敗(しくじり)を重ねた入門半年後のことである。
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「お前は見込みがあると思ってたいがいのことは我慢してきたが、
やっぱり駄目だな。お前も明日から築地に行け」
とうとう審判が下されたのです。私の頭の中に一瞬、高田先生の顔が
浮かびました。高田先生にこのことを報告したらどれだけ悲しむか。
それから師匠のあのときの言葉が浮かんできました。
「お前は築地に行くような馬鹿になるなよ」

私は覚悟を決めて言いました。
「師匠、築地に行くのは嫌です」
「・・・・・・お前だけエコひいきするわけにはいかないのだ。行け」
「嫌です。行きたくないです」
「ならば、破門だ。辞めてもらう」
「それも嫌です」
師匠に逆らうなんてこの世界ではありえないことです。師匠の言うこと
は絶対というのが不文律。でも、師匠の「師匠は絶対ではない。
ケースバイケースだ」という言葉を思い出しました。築地には行きたく
ないし、破門は嫌なのだから、ここはどんなことがあってもくらいつか
ないといけない。私は必死でした。
師匠はちょっと驚いた顔をしましたが、しばらく無言のあと、こう言って
くれました。
「両方嫌なんじゃしょうがねェ。じゃあ今までどおり、いろ」
(中略)
談春兄さんは半ば呆れた顔で私に言ってきました。
「嫌って言えばよかったのか。ずるいなぁ」
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昭和61(1986)年、談春が二十歳、志らくは二十三歳での会話である。
たしかに、談春は「ずるい」と言いながらも、築地「菅商店」での修業がムダだとは思っていなかったはずだ。築地とは言っても餃子やシュウマイの卸なのだが、このお店の夫婦がいいんだなァ。

さて、志らくのこの「ズルさ」はどこから来てるのか。もちろん学生結婚しており早く稼げるようにならなければいけない状況もあったが、たぶんに彼の性格というか気質も影響していると思う。そこで参考になりそうなのが、両親だと思う。「らくだ」第二章「粗忽長屋」に両親のことが次のように書かれている。
-------------------------------------------------------------
主観の強い人間というと、私の母がそうかもしれません。
長唄の師匠で、曲がったことは大嫌い。物凄く真面目な女性。
(中略)
私の父はクラシックギター奏者。無口で物怖じせず、マイペースな
遊び人です。落語に登場する若旦那的な雰囲気。母は「粗忽長屋」
です。
(中略)
師匠は両親を前に「こいつは落語家にするしかしょうがない奴でしょ」
と言いました。すると母は「そうです。私もそう思うのです」と返答
しました。これにはさすがの師匠もたまげていました。
いまだに師匠は言います。
「お前のおっかさんは、凄いな。『そうです』と言いやがった」
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では、談春の書く父親の像を、「めだか」の書き出しから少し引用。
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本当は競艇選手になりたかった。
家の近くに戸田競艇場があって、子供にくれるお菓子が楽しみで
父親にせがんで日曜日になると連れていってもらった。競艇場で
食べるチョコフレークは格段にうまく、僕にとってこの世で一番上等
のお菓子だった。だからチョコフレークがビスコに替わった時には泣いて
悔しがった。八十円のお菓子ごときで泣きだす息子に親父はあきれ、
しまいに怒りだし競艇場の売店にあるだけのチョコフレークを買うと、
「全部喰え。ひとつでも残したら許さん」と僕に渡した。
(中略)
「もう食べれません」
「喰え」
「ごめんなさい」
「菓子を欲しがるのは子供の権利だがな、権利を主張するなら義務
がついてまわるんだ。覚えておけ。ひとつも残さず喰え」
少年は競艇場のスタンドで、泣きながら権利と義務の因果関係を
学んだ。未だにチョコフレークを食べると人間の自由とは何かと考える。
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私は何か偉そうに論評しようとは思わない。ただ、「その時」を中心に談春と志らくが綴る印象的な文章を取り出して、この戦友でありライバルである二人がどう落語家として成長してきたかを、二冊の本を鏡のように向かい合わせにしてたどってみたい、というだけである。

すこし、長くなりそうなので、第一回はこれにてお開きということで・・・・・・。
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# by kogotokoubei | 2009-03-14 07:56 | 落語の本 | Comments(0)
雨の中、新橋まで足を運んだ甲斐があった。これだけ素直に笑った落語会は久しぶりだ。演目は次の通り。
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(開口一番 柳亭市也 たらちね)
菊志ん 岸柳島
三三  ねずみ
(仲入り)
三三  時そば
菊志ん 千早振る
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市也(18:57-19:10)
1月30日お江戸日本橋亭での菊之丞独演会以来。市馬師匠の三番弟子だが、ここ数年の落語会の開口一番でよく出会った先輩の市楽(前座名は市朗)と比べてしまうと、線が細い感がぬぐえない。どこかで一皮向ければと思うが、少し奮起が必要かもしれない。がんばってください。

菊志ん『岸柳島』(19:12-19:33)
たぶん二つ目菊朗時代に鈴本で聞いて以来なので楽しみにしていた。この人の持つ明るい雰囲気は誰にもない味があり好きだ。冒頭、お江戸日本橋亭の公式な定員が240名という話には驚くばかり。100人だってギリギリである。その後に三平、円楽の襲名の件でブラックに笑わせる。「ブログに全部書いてください」と言っていたが、最低限のブロガーのエチケットとして、深くは書きませんよ。入門と真打昇進で一年先輩の三三に「菊志んの落語と言えば『岸柳島』だよ」と言われたが、今日がネタおろし、どこで三三兄さんは聞いたのだろう、とふって本編へ。十数分でまとめたがネタおろしとは思えない無難な出来だと思う。しかし、噺そのものの魅力がそれほどでもなく、これ以上に磨き上げるのは難しそうだ。今後の寄席ネタの一つ、ということだろう。

三三『ねずみ』(19:34-20:13)
伊豆韮山のイチゴ狩りでイチゴを51個食べた話から石川さゆりの「天城越え」と歌の話題になり、なぜか「山賊の唄」が好きだというマクラ。「山賊という言葉が歌詞にないのがいい」とのこと。マニアックいうか何と言うか不思議な主張だったが、実際の三番までの歌詞の他に作詞者不詳の四番・五番がであって、その歌詞には「山賊」というフレーズがあることに怒っているという部分にポイントがあったようだ。本編はもちろん楽しませてくれたが、甚五郎の年齢設定をいくつ位しているかが、やや疑問。「ねずみ屋」の主人との年齢差をもう少し感じさせたほうが良いように思えたが、どうしても得意な年寄りっぽい演技になってしまうのかもしれない。しかし、十分許容範囲である。

三三『時そば』(20:25-20:55)
話し始めてすぐに、仲入り休憩からやや遅れて席に戻ったお客さんが手荷物を落としたのだろう、やや大きな物音がしたのを受けて「大丈夫ですか?」とイジってからマクラを広げたところに、余裕というか、この会の暖かさのようなものを感じた。『夢金』をめぐる高座でのエピソードやカメラ撮影のハプニングなど、はじめから用意していたのかアドリブなのかわからないが、見事に会場と一体となったマクラだった。そして、『時そば』が笑えた。三三のこの噺を聞くのは初めてなのだが、キーワードは蕎麦屋の「すいません、聞いてませんでした。」である。これ以上詳しくは書かないが、三三版の『時そば』、なかなかのものだ。聞きながら「志の輔もやりそうな演出だなぁ・・・・・」と思いながら目一杯笑っていた。

菊志ん『千早振る』(20:56-21:20)
市也がメクリを変えているのを横目で見ながら早足で登場。この人らしい。落語家のギャラの話から始まり、落語協会事務所への二十八歳の落語家志願者からの問い合わせ電話という実話に基づくネタが、ともかく笑えた。途中、別な電話でxxxx襲名に関する抗議の電話も入るところがなんとも可笑しい。「それを言ったら小さんも文楽も・・・・・・」これ以上は詳しく書けません。本編はこれぞ菊志んワールドと言ってよく、相撲取りの龍田川や落ちぶれた千早の口調、根問いの二人の会話のスピード感など、この噺をここまでに練り上げた技は尋常ではない。やはりこの人は、できる。

年齢は三歳菊志んが上だが、二人とも誕生日が同じ七月四日。どこかで聞いた有名な日だ。入門も真打昇進も三三が一年先輩。前座修行など、ある意味で同じ釜の飯を食べた仲だろう、自由な雰囲気と抱き合わせに良い意味でライバル意識も感じる。「しゃべれどもしゃべれども」で二人は落語指導をしている。三十歳代半ばで将来が大いに期待できる二人の会、今後も楽しみである。しかし、次回7月25日の会場はお江戸日本橋亭に戻るらしい。土曜の午後六時開演ということも含め、悩むところだ。まぁ、二人会ではなくても、三三のみならず、菊志んの会も要チェック、ということにしよう。NHK新人演芸大賞落語部門優勝の実力者が持ち味のフラと彼ならではの演出でこれから花開くはずである。本寸法の先輩菊之丞とともに円菊門下、志ん生が大師匠ということになる。この人にはぜひ志ん生ならではの数多くの噺を引き継いで欲しい。(円)菊志ん(生)という名前に負けないで頑張ってもらおう。
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# by kogotokoubei | 2009-03-06 23:21 | 落語会 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛