噺の話

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さん喬師匠の『百川』を堪能して帰る道すがらも、「今日は、鯉昇!」と思いながら歩いていた。

ほぼ満員の会場、最前列に堀井憲一郎さんを見かけた。
さて演者とネタ。
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(開口一番 柳家花いち 桃太郎)
三遊亭金兵衛   蝦蟇の油
瀧川鯉昇      蛇含草
金原亭馬生    唐茄子屋政談
(仲入り)
柳家喜多八    小言念仏
柳家さん喬     百川
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*「開口一番」について
14:00から約15分の『桃太郎』についてコメントは控える。花いちについてではなく、以前から主張しているのだが、この会の開口一番は今日なら金兵衛でいい。前座の開口一番は寄席では必要だが、この落語会では、はっきり言って「時間の無駄」。もし17:00には終わりたい、ということなら一人演者が減ることで、今日の例で言えば、喜多八の“16分”はもっと長くできるようになるだろう。

金兵衛(14:15-14:36)
緊張していた様子だが、口上はほぼ澱みなくこなしたので拍手はさせてもらった。しかし、この人は今後どの方向に行くのかは、ちょっと未知数。古典の雰囲気はあるので、いわゆる本寸法の道を歩みたいのだろうなぁ。とにかく頑張ってもらいたい。

鯉昇(14:37-15:05)
今の季節とネタから想像した通りの定番「扇風機」の話を含むマクラ12分で会場を一気に盛り上げて本編へ。“初鯉昇”のお客さんが多かったようだが、尚更すごい受け様である。朝日名人会で、これだけのドッカンドッカンは経験がない。私自身も以前に聞いたことのあるマクラでも十分に笑わせてもらった。私が初めて聞くギャグの中で、人間ドックで「頭の中身がないと透けて写る」というのは秀逸。本編に入ってからも鯉昇ワールドは絶好調である。とにかく、何かを「食べる」ネタになるとこの人は凄さを発揮する。餅を無理やりほうばる仕草や、食べながらの顔の表情で会話する演技などは、他を圧倒する可笑しさ。30分未満だったが、会場は目一杯沸き返って、次の馬生が気の毒な位だった。

馬生(15:06-15:46)
十一代目馬生襲名10年とのこと。そうなるか、早いもんだ。この人の丁寧な語り口は相変わらずなのだが、やはり鯉昇に喰われたという印象。田原町の親切ないい男や近所の江戸っ子の兄さん達、おかみさん達の描写が真骨頂だったが、どうしても全体としては印象が弱い。

喜多八(16:08-16:24)
結構たっぷり目の仲入りの後、いつものように気だるく登場。この噺のマクラはいつも通りなのだが、やはり受ける。今日のお客さんは“初喜多八”も多いようだ。本来はサゲがあるが、三代目金馬も師匠の小三治も含め、特定のサゲなく終わることも多い噺だが、なんと16分で仕上げたのには驚いた。なんとか17:00終演を目指すための時間配分のように察する。
ちなみに本来のサゲは、どじょう屋からどじょうを買って、おつけの実にする場面で、「・・・・・・なむあみだぶ、なむあみだぶ、鍋のすき間から酒を入れるんだよ、なむあみだぶ、苦しがっているだろ、どじょう、なむあみだぶ、なむあみだぶ、静かになったら、ふた開けてみろ、なむあみだぶ、なむあみだぶ、みんな腹出して死んでる、ざまあみやがれ、なむあびだぶ、なむあびだぶ」
ここまで演って欲しかったではないか!

さん喬(16:25-17:05)
百兵衛を、その奇妙な方言だけでなく、なんとも言えない表情で演じようという師匠の演出は見事。全編、丁寧かつ硬軟のメリハリのあるさん喬ワールドで、安心して楽しめた、と言いたいのだが、どうしても最後のほうは時計を気にしているように思えて、若干気ぜわしい印象。

最近のこの会は17:00位にはどうしても終演にしたいらしい。誰が何のためか知らないが、そうであるならば、くどくなるが前座の開口一番は省いて欲しい。二つ目の開口一番で何か問題があるのだろうか。前座の勉強する場は寄席をはじめいくらでもあるだろう。喜多八は十分に会場を沸かしたが、16分というのはないだろう。寄席じゃあるまいし。あるいは、終演を17:30、少なくと友17:15位までということで構成して欲しい。一昨年や昨年の会では当り前の時間である。
土曜の「ハレ」の日にタップリ落語を楽しむ“覚悟”で来ているのだ、中途半端な運営はしないで欲しいと思う。

鯉昇が朝日名人会に何回目の出演かは知らないが、多かったと思われる“初鯉昇”のお客さんは、今後間違いなく“気になる噺家”と認識したに違いない。鯉昇出演の落語会のチケットがますます取りにくくなりそうだが、それは仕方がないなぁ。

また、鯉昇のマクラや本編で餅を食べる仕草で気になった会場の反応が、間の悪い「拍手」。と言うか、その可笑しい演技に「笑う」場面で、前の方のお客さん中心に拍手がやたら多かった。たとえば蕎麦の食べ方や、金兵衛の演じた「蝦蟇の油」の口上などの場合は、拍手で応えるのはまだ分かる。しかし、「笑い」の場面での間の悪い過度な拍手を聞くと、「あの噺家のご親戚の方?」と聞きたくなる。

かつての名人の音源を聞くと、昔のお客さんは、今なら「拍手」かなという場面でも自然な「笑い」で反応していることが多い。途中で入れる拍手も、会場全体から自ずと沸き起こってこそ演者も乗ってくるが、部分的な拍手の大安売りは興醒めである。
私自身は、ついメモを取ることも忘れて目一杯鯉昇に笑わせてもらった。とにかく、今日は鯉昇の日だった。
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# by kogotokoubei | 2009-07-18 20:31 | 落語会 | Comments(0)
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長井好弘_新宿末広亭のネタ帳
昨年発売されていたことは知っており気にはなっていたのだが、2000円を越える価格に腰が引け買わずにいた。先日、神保町の“新古本”を扱うお店で破格の値段で入手できたので一気に読んだが、非常に楽しい本である。

2001年から2007年までの七年間の末広亭のネタ帳を全て調べて統計をとった上で、どんなネタが多く演じられているか、あるいはあまり演じられていないネタは何か、そしてよく出演している噺家さんは誰か、といった切り口でランキングを紹介しているが、何と言っても読んで楽しいのは、寄席でのネタを題材にした噺家さん達との対談。
長井さんだからこそということなのだろう、皆さん裃を脱いだ雰囲気での対談風景が想像できる。

インタビューの相手は次の通り。
まず最初の相手は古今亭寿輔師匠。第四章の「ネタ帳の中の噺家たち」の中で、七年間で1121回と末広亭出演数断然トップの噺家として登場。
他は、第五章の「噺家、寄席のネタを語る」の中で次の方々が登場。(敬称略)
 柳家さん喬、柳家権太楼、五街道雲助、柳亭市馬、入船亭扇橋、古今亭志ん輔、
 三遊亭小遊三、昔昔亭桃太郎、桂平治、瀧川鯉昇、春風亭一朝

錚々たる顔ぶれ。これらの噺家さんが七年間に末広亭でかけたネタのランキングは、人によって「な~るほど」と思ったり、「えっ!」と驚いたりするデータが明らかになる。
例えば、さん喬師匠のランキングのトップ10は次の通り。ちなみに、さん喬師匠は七年間での末広亭への出演数は779回で、落語協会では扇橋師匠の867回に次いで二番目に多い。さて、779回の出番で、どんな噺が多く演じられたのだろうか・・・・・・。
 (1)替り目/107回 (2)真田小僧/80 (3)そば清/66 (4)時そば/53 (4)長短/53 
 (6)短命/52 (7)天狗裁き/49 (8)初天神/44 (9)子ほめ/34 (10)浮世床・夢/21

もちろん主任(トリ)で出演する回数のほうが少ないのだから、こういったネタが並ぶのは、ほぼ想像通りである。トリ、あるいは仲入り前のネタだろうと思われる演目の七年間での回数を記す。
 千両みかん(9回)、心眼(7)、百川(5)、芝浜(4)、妾馬(4)、掛取り(4)、たちきり(2)、らくだ(2)、中村仲蔵(2)、文七元結(2)、笠碁(2)、鰍沢(2)、鼠穴(1)、柳田格之進(1)、品川心中(1)、三枚起請(1)

七年間、779回の末広亭への出演で、たった一回しか演じられていない『鼠穴』や『品川心中』などに出会えたお客さんは、まさに僥倖ということになる。

長井さんとさん喬師匠の対談から抜粋。
−「初天神」は、たしかTBS落語研究会でネタおろしをしたんですよね。
さん喬 あの日のことは、いまでも忘れないなあ。
−上手にできて、ほめられたから?
さん喬 とんでもない。高座の前の日から絶不調。尿管結石の痛みで
    歩くこともままならない状態だったんです。それで、一夜明け
    たら、師匠小さんのおかみさんが自宅で倒れた。で、その日の
    夜の「研究会」が「初天神」のネタおろしだったんですよ。
−スゴイ状況ですね。心身ともにボロボロ。
さん喬 そう。心も体も痛くて辛くて。高座では、よけいなことを考え
    る余裕なんてあるわけがない。もう、な~んにも考えずにやっ
    たら、ほどよく肩の力が抜けたんでしょうね。お客様に「本当に
    いい『初天神』でした」とほめられて、こっちはポカンと口
    あけたまんまでしたよ。
−その「初天神」が売り物になるんですからねえ。それにしても、師匠の滑稽落語は面白いですねえ。
さん喬 そういうことは、もっと方々で言ってよ。アタシはさあ、「滑稽
    落語のさん喬」って、言われてんだよ。
−何言ってるんですか、「人情噺のさん喬」でしょ。
さん喬 いやあ、みなさんから、そう言っていただくのはうれしいん
    だけど、そうなると期待にこたえなきゃいけないから、長講の
    人情噺ばかりやることになる。と、それを聞いた人が大ネタ
    ばかり注文してくる。
    好きな滑稽落語がだんだんやりにくくなっちゃうんですよ。
−そういえば、師匠お得意の滑稽噺、「棒鱈」だとか「片棒」は、ネタ一覧で見るかぎり、そんなに多くやってないですね。
さん喬 ・・・・・・そうです。一時はどこへ行ってもかけていたんですけど。
    でも、最近は、ちょっと息切れ状態かなあ。お客さんも変わって
    るんだから、噺も動かなきゃいけない。あれこれ棚卸しをしている
    うちに、ついやらなくなっちゃったんですねえ。「棒鱈」も「片棒」
    も、まだまだ改良の余地があると思うんだけど。
    
なるほど、さん喬師匠にしても、いろいろ悩みがあるわけだ。

次にそのトップ10を見て意外だった噺家さん。先にトップ10をご紹介。
(1)子ほめ/59回 (2)ざるや/40 (2)粗忽の釘/40 (4)権助魚/32 
(5)町内の若い衆/30(6)夏泥/28 (7)浮世床・将棋/25 (8)手紙無筆/24 
(9)身投げ屋/23 (10)豆や/18

この方の七年間での末広亭出演は553回で、落語協会で八番目に多い。この段階で噺家さんを当てれる人は、相当の落語通、寄席通、あるいはこの噺家さん通(?)だろう。

正解は、
五街道雲助師匠。

長井さんとの対談から抜粋。


−師匠のネタでいちばん多いのが、なんと前座噺の代表みたいに言われる「子ほめ」なんですね。ちなみに、落語協会でいちばん多く「子ほめ」を演じているのも雲助師匠という衝撃的な事実を今あきらかにしてしまいました!
雲助 何が衝撃的なんだか・・・・・・。しかし、アタシの「子ほめ」っ
   て、そんなに多いのかあ。たしかにね、「子ほめ」は好きな噺なん
   ですよ。その日、「子ほめ」が出ていないなあと思ったら、まず必ず
   やりますね。えっへん。
−そんなにいばらなくてもいいと思うけど、金原亭の寄席ネタと言うと、「ざるや」を思いつきますけど、師匠の場合は「子ほめ」のほうがずっと多い。
雲助 アタシの出番はねえ、なぜか夜のヒザ前が多いんですよ。末広亭
   みたいな入れ替えなしの寄席だと、アタシの出番までにけっこうな
   数の噺家が出て、定番ネタみたいなのは出つくしているんですよ。
   ところが、「ざるや」てえのは、きちんとした筋があるようなない
   ような不思議な噺だから、まず、前に出たネタと内容がカブるという
   心配がない。だから、けっこう多くなるんだね。うちの師匠(先代
   馬生)の「ざるや」も、ヘンテコで面白かったよな。


落語会、独演会で雲助師匠の「子ほめ」を聞くことはできそうにない。寄席に行かなきゃね。

私が6月6日に末広亭で出会えた古今亭志ん輔師匠の『夕立勘五郎』は、七年間で22回だった。
通算305回出演で『替り目』『宮戸川』『たがや』『相撲風景』についで志ん輔師匠のネタで五番目に多い演目。年間三回位は末広亭で演じられる勘定ですね。でも、他の噺家さんはほとんど演らないネタなので、やはり貴重な経験だった。

他にもこの本にはいろんな発見があり楽しい。ご興味のある未読の方には、ぜひ推奨します。まだ、神保町の「新古本」屋さんに置いているかもしれませんよ。あえてお店の名前は記しません。
だって、神保町探索の楽しみがなくなりますからね。
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# by kogotokoubei | 2009-07-16 18:02 | 落語の本 | Comments(0)
7月10日は、六代目尾上菊五郎の祥月命日だった。明治18(1885)年8月26日生まれ、 昭和24(1949)年の7月10日に亡くなった。大正から昭和にかけて活躍した歌舞伎役者であり、屋号はもちろん、音羽屋。歌舞伎界で単に「六代目」と言うと、通常はこの六代目尾上菊五郎のことを指すらしい。初代中村吉右衛門とともに、いわゆる「菊吉(きくきち)時代」の全盛期を築いた人。ちなみに、初代中村吉右衛門は明治19(1886)年3月24日生まれで六代目より一つ年下、亡くなったのは昭和29(1954)年9月5日である。屋号は播磨屋だが、「大播磨」の掛け声で知られたらしい。

古今亭志ん生(五代目、明治23年生まれ)は、この二人に贔屓にされており、酒席などにも数多く誘われていたようだ。『なめくじ艦隊』(ちくま文庫)によると次のような記述がある。少し長いが六代目との初対面の思い出が書かれた、なかなか心温まる話なので引用する。
古今亭志ん生_なめくじ艦隊
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 音羽屋(六代目菊五郎)とも、あたしはしたしくしていました。あるときあたしに
一席きかしてくれというんです。はじめあたしは、音羽屋という人は傲慢で、ぶっ
きらぼうで何だかつきあいにくい人だときいていたから、行くのがあんまり気が
すすまなかった。
 とにかく、あたしだって、音羽屋になにかしてもらわねば食っていけないという
訳じゃない。もしも気にくわんことがあったら、サッサと帰ってきちゃおうとハラを
きめて、築地のやしきへ出かけていったんです。
 するとそこに、さきごろ亡くなった三升がいて、音羽屋を火鉢をかこんで何か
話をしている。あたしがその部屋へスーッと入っていくてえと、
 「いくつになったい?」
 音羽屋はぶっつけにこう言った。その調子ったらないんです。たいていの人
だったら、おたがいに一礼して、それから初対面のあいさつをして、年配だから
「あなたはいくつになられました」とくるのが常識でしょう。それなのに座敷に入っ
て行ってあたしが、坐るかすわらないうちにこうきくんですよ。文字にしてしまっ
たんじゃわかんないでしょうけれど、その発音間合がとてもうまくて、なんとも
いえぬ親しみがある。で、あたしがそれに答えると、
 「そうかい。いつのまにかお互いに年をとったね、ハハハハ・・・・・・」
 といった調子なんです。あたしはそれがスッカリ気にいっちまいましてね。
そのぶっきらぼうなことばの中にこもっているあたたかい親しみぶかい気持が、
あたしの心をスーッとほぐしてくれたんです。あたしはうれしくなりましてね。
 「おらァ、なんだよ、おめえの師匠とは、すいぶんいろんなことがあったよ」
 といった話っぷり、まるで肩をたたいて話しあっているようで、まったく十年も
つきあった友達に出くわしたような気持になったんですよ。
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話し言葉そのままのような楽しい文章を読んでいると、まるで二人が旧知の仲のように軽口をたたいているその初対面の光景が現れてくるようだ。

さて、六代目で思い出すのは、「菊吉爺(きくきち じじい)」という言葉である。その前の時代なら「團菊爺(だんぎく じじい)」である。
歌舞伎好きの中で用いられる俗語が一般化した言葉である。九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎が最高の歌舞伎役者であって、他の若い役者を認めない頑固爺が「團菊爺」であり、その対象が六代目尾上菊五郎と初代中村吉右衛門になると「菊吉爺」となる。
“菊吉爺”は言う。
 「六代目に比べりゃあ、今の役者なんて・・・」
 「初代吉右衛門を知らないって、それじゃあ話にならん」

自分が同時代でその至芸を経験した名人・達人を、ノスタルジーもあるのだろう、過大に賛美するあまり、ついつい若者に憎まれ口をたたく爺(あるいは婆!?)は、間違いなく後輩世代から煙たがれる。しかし、この「爺」たちはどんな世界にでもいた。もちろん、落語の世界でもである。
たとえば、小島貞二さんが「四代目橘家圓喬爺」だったのは有名。先日取り上げた『祇園会』も、圓喬が最高だった、と小島さんは書いている。志ん生や文楽なら小島さんの噺を聞いても実際に圓喬の芸に接し尊敬していたから納得できたのだろうが、圓喬の生の落語に接することができなかったそれより若い世代は、小島さんの話を聞いて、さぞやストレスがたまっただろうと思う。

しかし、「菊吉爺」達は、ある意味で伝統芸能の歴史に関する「口承者」であると思うし、その芸の詳細に渡って語ることができる場合は、「口伝」の役割さえ担っているように思うのだ。
もちろん、今や昭和や平成の名人上手の芸はCDやDVDで再現することはできる。しかし、ある特定の「一期一会」に居合わせた人にしか語れないことは間違いなくある。特に、「落語の神」が舞い降りたと思われるような至芸の場に出会った場合など、その時の「背筋がぞっとする」感覚などは、同じ時間と空間を共有した者しか語れないことである。

もう数年すると、「談志爺」とか「志ん朝爺」、あるいは「談朝爺(?)」が登場するのだろう。
私は残念ながら全盛期の二人の“生の芸”にほとんど接していない。もっぱらCDの音源を楽しむばかりなので、「志ん朝爺」と言う資格はない。もし15年後、20年後になれるとしたら、「さん喬爺」とか「鯉昇爺」かな・・・・・・。そして、このブログを見ている私より若い落語ファンの方々も、これから先には次のように後輩の落語愛好家から言われるだろうか。「談春爺」「喬太郎爺」・・・・・・。
「xxx爺」のxxxに入るだけの名前になったら、それは凄いことなのである。もしこの先、いろんな「xxx爺」が存在感を持つことができたら、それは今が落語ファンにとって素晴らしい時期にある、ということなのだろう。間違いなく落語家の人数は昔に比べ格段に多い。好きな噺家のバリエーションが増えるということは、きっと良いことに違いない。

でも、よく考えたら、いくら「xxx爺」のxxxが増えようと、自分より若い人達に嫌われるのを承知で「xxx爺」になる人そのものが少なくなるだろう。煙たがられるのが嫌で小言を言う人が少なくなるのと同じ理屈である。せっかく後輩達に自慢できるだけの、自分が同時代で経験した贔屓のエンターティナーの思い出があるのに、それを嫌がられてでも語ろうとする「爺」は少なくなるのは、世の中にとって寂しいこと、もったいないことだと思う。

昔は、日本全国、家の近所には“恐い”おじさん、おばさんが必ずいて、他人の子であっても、マナーやルールを守れない子供を叱ったものだ。だからこそ、「これはやっちゃいけないことなんだ」と、身をもって学ぶことができた。小刀やナイフで鉛筆を削り、刃を滑らせて怪我をするからこそ、刃物による人の痛みが分かる、のと同じ道理であろう。
昨今は市町村合併やら道路拡張やらで、伝統的な地名は消え去るばかりだし、地域の共同体としてのつながりは、ますます希薄になっている。こういうことがボディブローとなって、他人の迷惑を省みない子供と親が充満する世の中になるのではなかろうか。モンスターペアレントなんていうのは、この悪い風潮の最悪な事例だと思う。私が小学校、中学校時代、先生に叱られ殴られて帰ると、親は先生にお礼を言いこそすれ抗議するなど考えられなかった。もちろん、先生の能力も権威も、そして品格も昔とはまるで違うのではあるが・・・・・・。

話はちょっと脱線気味になってきたが、「團菊爺」や「菊吉爺」といった言葉も死語になりそうな趨勢が、誠に寂しいじゃないですか。いいじゃないの、自分より若い人に嫌われても。どんどん「xxx爺」になりましょう、とあえて言いたい。子供の頃、近所や銭湯などで叱られた恐いおじさん達のことって、結構覚えていて、「あ~、そういえばあのおじさんに、あんなこと教わったなぁ」なんて今になって思い出すのである。恐い人達って、それだけいろんなことも知っていたなぁ、とも思う。そんなことを思い出しながら、こんなブログでもそれなりにがんばって「小言」を書いていこう、と気持を新たにするのである。
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# by kogotokoubei | 2009-07-13 12:02 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
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*“山鉾巡行”(「DigiStyle京都」さんのサイトから)DigiStyle京都

京都祇園祭のクライマックスである7月17日の「山鉾巡行」の順番が決まったというニュースを見て、『祇園会(ぎおんえ)』を思い出した。京都を舞台に夏真盛りのネタであり、今では演者が少ないのが残念。現役では橘家圓太郎のこの噺がなかなか良い。

祇園祭を楽しむはずの茶屋で、江戸っ子と京都人(京者)がそれぞれのお国自慢、祭り自慢を戦わせる楽しい噺。京都と江戸の祭り囃子を演じるところが噺のヤマでもあり、京言葉も含め相応の芸を要求される。また、この噺は連作『三人旅』シリーズのアガリであるが、『三人旅』とは独立したネタとして扱われている。『三人旅』は、その昔には東海道五十三次すべてを題材にした噺があった、と言われているが、その多くが文献としては残されていないためアテにはならない。
今に残る『三人旅』は、個々の噺を組み合わせて演じられることも多いが、分解すると
・江戸を出発する『発端』
・神奈川宿の『朝這(あさば)い』
・『びっこ馬』(談志など)
・小田原付近の『道中』
・『鶴屋善兵衛(つるやぜんべえ)』
・『おしくら』
そして、旅のアガリがこの『祇園会』となる。
三代目三遊亭金馬の『三人旅』は、旧き昔の旅支度のことや道中の説明なども丁寧で、江戸時代の旅の様子がよく分かる。

さて、『祇園会』の概要は次の通り。
*筋書きにはいく通りかの種類がありますが、ここでは主に橘家圓太郎版に基づきました。
落語の蔵_橘家圓太郎『祇園祭』
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(1)江戸っ子三人が連れ立って伊勢参りを済ませた後、京見物にやって来たが、
  京都の夜の街で金を使い過ぎてしまい二人は先に江戸に帰り、京都に叔父の
  いる男だけが残る。
 (かつては、残る江戸っ子を八五郎として、八五郎が病に伏せ、他の二人が先に
  江戸に帰る、という筋書きが主流だったようです)

(2)叔父と茶屋で祇園祭を楽しむ予定だったが、祇園祭の当日、伯父に用事が
  でき、替りに茶屋で一人で楽しむことに。
 (この部分も叔父に替わって一緒に飲むことになったのが叔父の知り合いの京者、
  という設定もあります)

(3)茶屋に居合わせた京者がいつしか京都の自慢話を始めた。「王城の地だから、
  日本一の土地柄だ」と自慢する京者。「ワァー、ハー、ハーッ」という間延び
  した笑いが、短気な江戸っ子をいらつかせる。ついに京者が、江戸を「武蔵の
  国の江戸」ならぬ「むさい国のヘド」と言うに至り、江戸っ子は“切れた”。

(4)江戸っ子は、京都の町の面白くないところをことごとく上げて反論していく。
  そしてこの噺のヤマ場に向かう。、

(5)江戸と京都の祭りのどっちがいいかという話になり、二人は祭り囃子や神輿
  の情景をそれぞれ言い合って譲らない。
  京者が祇園祭の囃子を「テン、テン、テンツク、テテツク、テンテンテン・・・
  ・・・」とやり、対抗して江戸っ子は「なんて間抜けな囃子だい。江戸は威勢
  がいいやい。テンテンテン、テンテンテンツクツ、ドーンドン、ド、ド、ドン、
  テンツクツ、テンツクツ・・・・・・」とやり返す。

(6)二人のお国自慢合戦はまだ続き、京者が
 「御所の砂利を握ってみなはれ、瘧が取れまんがな」と言うと、江戸っ子は、
 「それがどうした!? こっちだって皇居の砂利を握ってみろい・・・・・・」
 「どうなります?」
 「首が取れらぁ!」で、サゲ。
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この後に欲深い芸妓が加わる筋が、かつては一般的であったようだ。別名『およく』とも言う。
芸妓が加わってからの内容は次の通り。
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・大阪者のとりなしで何とか騒ぎも一段落し、しばらく経って、江戸っ子が
「芸妓を一人買ってみてえ」と言い出した。しかし、祭礼の真っ最中で茶屋に
残っている芸妓は、欲が深く、客の商売に応じて「あれが欲しい、それが欲
しい」と無心ばかりするので評判が悪い芸妓だけ。

・茶屋の女将が渋るのを、江戸っ子が「ねだっても何もやれないような商売人
ということにしよう」と一計を案じ、一同それはおもろいと賛成。やってきた
のは亀吉という芸妓。

・なかなかいい女だが、案の定、いきなり「お客はん商売は何どす?」ときた。
江戸っ子が「オレは死人を焼く商売だ!」と答えると、亀吉、「そうどすか。
おんぼうはんにご無心がおます」、それを聞いた江戸っ子が、「おんぼうに
無心とは何だ?」返すと、「私が死んだら、タダで焼いておくれやす」でサゲ。
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かつては八代目桂文治、別名「根岸の文治」が得意ネタにしていたらしい。江戸と上方と両方で活躍していたからこそ、この噺が生きたのだろう。この人の『夜櫻』を聞いたが、ノイズまじりの音源でも、その高い技量は察することができる。

『祇園祭』や『京見物』という別名もあるが、『祇園会』の名で残して欲しい。そのためにも現役の噺家さんに一人でも多く演じてもらいたい。春風亭一朝師匠も演じるので、一之輔もネタにしているらしい。ぜひ一之輔版を生で聞いてみたいと思う。

学生時代に京都にいたのに、実は一度もじっくり祇園祭など見たことがない。運動部に所属していたので、大会と大会の間にある合宿の時期にちょうどぶつかっていた。しかし、オフシーズンには京都の旅館でのアルバイトに精を出したことを思い出す。京都の旅館はアルバイトなしでは立ち行かない。主(ぬし)のような人も含め、いろんな人がアルバイトにもいたものだ。今年の一月、大学時代の恩師が亡くなったので、久しぶりに京都に行ったが、駅前や繁華街の街並はなんとも言えない変わり様。たった30年余りでも変貌は大きい。この噺の時代からは想像できない変化があるのだろうと思う。ぜひ、噺だけでも古き良き時代の物語を残して欲しいと願う次第である。
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# by kogotokoubei | 2009-07-04 14:44 | 落語のネタ | Comments(0)
都内での打ち合わせが少し早く済んだおかげで、持参していた河合昌次さんの『江戸落語の舞台を歩く』のガイドで、日本橋・人形町周辺の落語散策ができた。「玄冶店跡」「人形町末広亭跡」「三光稲荷神社」「三光神道」を経由して「椙森神社」まで散策。初めて来た地域だが、また来たくなる一帯である。少しだけ拝見した「甘酒横丁」にある“つづら屋”さんなど、次の機会にじっくり拝見したい職人さんの世界もある。さて、「小網神社」に立ち寄ってから近くの会場へ。

演者とネタは次の通り。
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(開口一番 春風亭昇々  初天神)
三遊亭兼好  熊の皮
古今亭今輔  影武者
(仲入り)
春風亭百栄  化け物使い
三遊亭兼好  大山詣り
-------------------------------

トップバッターの兼好によると、この会は第二回目だが、初回は三人で一席づつだったようだ。今回から順番に誰か一人が二席ということで、今日は兼好が担当とのこと。「睦会」と同様のスタイルだが、演者は昨年真打になったばかりの三人。落語協会の百栄、芸術協会の今輔、そして圓楽一門の兼好という他流試合であることもユニークであり、会場周辺の魅力とともに来たかった落語会である。ほぼ200席の会場は約六分の入り。なかなかご通家のお客様が多かったように思う。

兼好『熊の皮』(19:00-19:20)
この人の魅力は何と言っても高いトーンの声を基調にしたテンポが良い語り口だと思う。こういう噺でも甚兵衛さんと女房の会話を明るくメリハリをつけてリズミカルに進めながら、笑いのポイントははずさないのが流石だ。もともと噺家によって演出やサゲがいろいろあり、かつてはきわどい演出が中心となったため、戦争中には「禁演落語」に入ったネタだが、兼好は、いたって健康的な筋書きで、分かりやすいサゲ。今の時代はこのサゲがふさわしいのかもしれない。

今輔(19:21-19:40)
初めてで期待していた。「アタック25」出演の思い出話から始まるクイズ番組ネタのマクラも良かったし、この新作の本編もなかなか楽しめた。非常に、存在感のある個性的な新作派であることは間違いないだろう。古典もぜひ聞きたい、何とも言えないフラを感じた。

百栄(19:55-20:24)
ちょっと体調が悪かったのだろうか。やや噺の流れを止めるレベルで噛んでいた。古典は、兼好を意識しすぎて力んだかもしれない。百栄らしいクスグリもあったが、全体的には少し残念な出来。

兼好『大山詣り』(20:25-20:55)
この人がなぜ好楽師匠を選んだかは分からないが、師匠との共通点は「丁寧さ」と「粋」への意識なのだろう。しかし、目標とするのは大々師匠(?)の圓生であり、圓生を芸の手本とした志ん朝なのではないかと、勝手に思っている。そういった手本の上にこの人なりの噺の解釈、そしてクスグリが加えられて兼好落語となっているように思うのだ。だから、噺の本筋は伝統をしっかり踏まえながらも、熊が喧嘩の発端となる無理やり混んだ風呂に入る際の「ジリジリ」という演出や、宿の女中と女将さんが頭を剃られた熊を見た時の「ターッ」という叫び声などの彼なりの工夫で、“今”を演出する。もちろん、“謳うような語り口”は「軽い」という批判もあるだろうが、志ん朝だって、そう言われた時期もあったはず。今後に期待させるいい噺を聞かせてもらった。


この顔ぶれは、なかなかおもしろい。今日は百栄が今ひとつだったと思うが、彼の潜在力は相当なものと思っている。今輔にはなんともいえない魅力があるし、まだまだ化けそうだ。兼好は好二郎時代から光るものがあったが、今後本格派として限りない発展性を予感させる実力とセンスがある。ぜひ、今後も続けて欲しい同期三人会だ。
そして、所属団体の壁を越えたこのような落語会が今後ますます増えていくことを期待する。
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# by kogotokoubei | 2009-07-03 23:12 | 落語会 | Comments(0)

匿名性の功罪

このブログを見ていただいている人の中には、すでにお気づきの方もいらっしゃるのだろうが、私はAmazonで落語関係本中心にブックレビューを書いている。(ニックネームは幸兵衛ではない。)
今日、久しぶりに自分のレビューの状況を見て驚いた。たった4~5日で、ある自分のレビューの「参考にならない」という数が30ほど増えている。通常ではありえない数だ。ここまでカミングアウト(?)したのだから、そのレビューの対象も明らかにしよう。昨年発行間もない頃に読んだ立川談春の『赤めだか』である。通勤電車の中で読了し、ついつい涙が出たことを今でも思い出す。もちろん星5つで評価した。しかし、なぜ今になって、あえて「No」という意思表示を一日平均5~6件も受けたのか・・・・・・。これは普通ではない。高い評価の定まった本であり、ここ数カ月は、私のレビューへの投票は2~3週間に一つあるかどうかという状況だったのだから。そう思って最近書かれた他のレビューを見ていると、以前にはなかったネガティブなレビューが並んでいた。加えて、そのレビューへの支持が、短期間では考えられないレベルで多い。一週間で20も30も「参考になった」という投票があるのは、よほど話題性のある新刊の場合くらいである。非常に不思議だ。また、そのレビューを読むと、「この本は楽しめた。しかし・・・・・・」と、本そのもののことではなく、この本を高く評価することが過剰な「談春礼賛」だと短絡している。「本」は本であり、「高座」は高座、「人」は人である、という当り前のことが分からないレビューが、なぜそんなに支持されているのか?

あえて勘ぐるなら、何らかの「談春憎し」といった意図を持った人が『赤めだか』憎し的な動きにつながったのだろう。そして、ポジティブなレビューの中で「参考になった」という支持の多いものに、意図的にネガティブな評を入れているように察する。技術的にどんな手法を使っているか分からないが、私以外の高い評価のレビューにも同様の現象が見られるのだから、尋常ではないと思う。もちろん私は談春の身内ではないし、出版社の回し者でもない。良い本と思うから良いと言うのであって、それは本という作品への評価ではあるが、著者を「礼賛」するものではない。

しかし、私のレビューへの「賛成票」とともに「反対票」の数の多さは、これから初めて読もうとする人への影響もあるだろう。また、何らかの作為的な、あるいは不自然な動きに自分のレビューが曝されるのは許せない。自分のレビューを本日削除した。
もちろん『赤めだか』が素晴らしい本であるという思いは今でも変わらない。

なぜ、一年も前のブックレレビューに、いきなり「No」「No」「No」という意思表示をされなくてはならないのか・・・・・・。匿名であることは、メリットもたくさんある。匿名だからブックレビューも書きやすいし、このブログも書いていると言える。しかし、今日は匿名であることの、特にネットでの危険性を、身にしみて感じた。よく「ブログ炎上」という表現があるが、これはたぶんに「便乗派」の付和雷同がもたらしているのだと思う。“みんなで渡れば怖くない”というギャグは笑えるかもしれないが、特定のポジティブ、あるいはネガティブなキャンペーンをするのに「匿名性」は“みんなで渡りやすい”、格好の隠れ蓑ともなり、この現象は笑って見過ごせない恐さがある。「匿名」であることは、群がりすごいエネルギーで流れを突き動かすこともあるが、反面大きな危険性も持つ。2チャンネルも氏名を公表するのなら成立しない。身をもって匿名性の功罪を再認識したのだった。

しかし、これからも「良いものは良い」「悪いものは悪い」と、幸兵衛は書く。もし、何らかの作為的な意図でこういうことをする人がいるのなら、私はその人を心底かわいそうに思う。また、やたらネガティブなレビューばかり投稿している人にも、憐れみを感じる。私のレビューの基本姿勢は、ほんの一部の例外を除き、「ぜひこの本を他の人にも読んでもらいたい」というポジティブなお奨め本紹介である。お奨めできない本は、レビューを書かなければいいのだ。どうも、世の中には良い面を発見することがヘタで、悪い面ばかり見えてしまうかわいそうな人もいるようだ。小言は言うが、幸兵衛は“良いもの”がわかるつもりだから、その目指すレベルと現状とのギャップに小言を言っているのである。最後はちょっと偉そうだが、自分が受けたショックから立ち直るには、これ位は許していただこう。
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# by kogotokoubei | 2009-07-01 23:50 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
都内での仕事を終えて駆けつけてギリギリ間に合ったが、なんと大ホールでは吉田拓郎ラストツアーの二日目という大イベント。去年のこの会場の柳家さん喬独演会の時は大ホールが和田アキ子コンサートだったことを思い出した。
*大ホールと小ホールの間のロビーには拓郎コンサートの音が漏れてくる。大ホールは3階席まで含め約2500席がソールドアウトらしい。さて、小ホールは・・・・・・約400席がほぼ七分の入り。比べるものでもないが、今の自分には鯉昇こそ「ライブ」であり、私にとっての拓郎の「ライブ」とは、遠い昔のコンサートなのである。拓郎が木琴をたたき、バックバンドの゛猫゛のメンバーと唄った『ある雨の日の情景』など、未だに鮮明に思い出す。「つま恋 2006」もテレビで十分だった。あくまで人それぞれだが、ラストと言われてもプレミアチケットを無理して手に入れてまでして今の拓郎を見たいとは思わない。「あの頃」とのギャップを感じるだけだろうから。気になるのは『青春の詩』や『マークⅡ』は唄うかな、ということぐらいかなぁ・・・・・・。

さて、噺の話。ネタは次の通りであった。
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(開口一番 鯉八 牛ほめ)
鯉昇  蒟蒻問答
(仲入り)
鯉昇  御神酒徳利
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鯉八(18:31-18:46)
6月10日のにぎわい座と同じネタだったが、少しだが表情が豊かになった。大きな体で小さな仕草は変わらないが、これからの化け方に期待したい。

鯉昇『蒟蒻問答』(18:47-19:23)
得意の「タミフル」のマクラなどで落語通の多い会場を盛り上げて本編へ。「問答」の例を先に示してからの丁寧な導入。以前にもにぎわい座の睦会で聴いているが、これも鯉昇十八番の一つであり、ライブでなければ味わえない楽しさだった。

鯉昇『御神酒徳利』(19:40-20:38)
本寸法かつ鯉昇ならではの『御神酒徳利』を堪能した。学校寄席の話から始まる15分ほどのマクラの後本編へ。何と言っても主役善六とその女房がいい。算盤占いをする所作が、微妙なアクセントとなっていてなんとも可笑しい。神奈川宿での善六の弾け方などを含め鯉昇ならではのクスグリがちりばめられているが、ベースは本寸法だと思う。CDで聴いた三木助を途中で思い出した。でも、ここまでこの噺を爆笑落語に出来るのは、この人だけではなかろうか。

昭和48(1973)年に行われた圓生による『御神酒徳利』の御前口演も45分だったというから、ほぼ同じ位の所要時間。しかし、昭和天皇が今日の客ほど声を出して笑ったとは思えない。
*そう言えば、鯉昇の最初の師匠であった八代目春風亭小柳枝のことも、小島貞二さんの『高座奇人伝』の中の「変人さま言行録」で紹介されていた。とにかく“凄い人”だったようだ。

この人はライブで映える。表情、体の大胆な動きを含めた場面展開、などなど。権太楼と同様に枝雀からの影響を思わせることが、よくある。7月18日の朝日名人会でのネタも『そば清』ではなく『蛇含草』である。非常に楽しみだ。
鯉昇は見た目は別として拓郎(昭和21年生まれ)よりも七歳若い56歳。まだまだ「ライブ」で落語ファンを堪能させてくれそうだし、そう期待したい。今こそが“旬”のように思う。
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# by kogotokoubei | 2009-06-25 22:34 | 落語会 | Comments(4)

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小島貞二_高座奇人伝

 これだけ楽しく読んだ本は久しぶりだ。
 
 著者は大正8(1919)年生まれで、寄席や演芸の目利きのプロといえる小島貞二さん。立風書房の『落語名作全集』や『志ん生の噺』全五巻(現在は、ちくま文庫で発行)、そして志ん生『びんぼう自慢』の仕掛け人かつ編集者である。演芸記者として数多くの落語家と交流して得た、足で稼いだ情報を元にした貴重な本だ。昭和44(1979)年に立風書房から初版発行なので、約30年ぶりに蘇ったことになる。

 中心となる“高座の奇人”は下記の目次を読んでもらえば分かるが、タイトルとなった人だけでなく、その周辺の落語家や色物の個性的な面々もたくさん描かれている。そして、それぞれの奇人をおもしろ可笑しく披露しているだけではなく、さまざまな貴重な物語も明かされており、演芸史としても興味深い。
------------<目  次>-------------------
□鼻の円遊と珍芸四天王
    -変人さま言行録 1-
□気違い馬楽とめくらの小せん
    -変人さま言行録 2-
□三亀松色ざんげ
    -変人さま言行録 3-
□爆笑王歌笑純情伝
    -変人さま言行録 4-
余滴《あとがきにかえて》
--------------------------------------------

 著者の「余滴」によれば、明治、大正、昭和、そして戦後の代表を選んだとのこと。
 さて、第一章には、円遊の師匠名人円朝に関するこんな話がある。
 話芸ではなく独特の踊りが受けて「ステテコの円遊」と言われ、人気のピーク時には一日に三十軒の寄席を回った円遊に対し、いわゆる保守派、伝統派の噺家がにがにがしく思い、師匠である円朝の家に談判に言った時の逸話。
-----------------------------------------------------------------------
 さて、翌朝、お歴々が十三人もそろって、本所二葉町を訪れた。何しろ、
すべて一流中の一流、寄席では円朝と看板をならべる大真打ばかり。丁重
に迎え入れた円朝は、
「まァ、まァ・・・・・・さァ、どうぞ」
 と、座敷へ通す。そこには酒肴が用意してあって、間髪を入れず、芸者の
きれいどころが、三つ指をついてニッコリと登場。たちまち宴会がはじまった。
みんなきらいな口じゃァないので、すっかりいいご機嫌になる。そこへ、円朝
が紋服で現れて、
「じつは、ウチの円遊でございますが、みなさんのおかげをもちまして、
看板はあげさせていただきましたが、なにせ未熟者でございますので、
ステテコなどという妙なもので、ごまかしておりますが、けっして本筋の
はなしを忘れているわけではございません。まァ、今後とも、何かとお目に
かけられて、どうか末長く、お引き立てをいただけますよう、あたしからも、
よろしくお願い申しておきます・・・・・・」
 頭を下げて、うしろを向いて、
「さァ、おまえも、お取り持ちをしないかい」
 と、次の間にはべらせてある当の円遊をさしまねく。円遊は腕にヨリを
かけて、サービスにつとめたので、こう先手を取られて、ふり回されては、
さすがの十三人もきり出す言葉がない。結局、そのことはひとこともいわず、
かえって円朝にお世辞タラタラ、円遊を激励して、来るときのえんま顔を、
えびす顔にかえて、鼻唄まじりに千鳥足で帰っていった。
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 この「十三人」の中には、三代目麗々亭柳橋、二代目(相撲の)古今亭志ん生などが含まれていたらしいが、円朝のなんとも見事な手綱さばきではないか。
 たまたま余興の「ステテコ踊り」で売れたとはいえ、その噺家としての力量を認めていたからこそ必死に円遊をかばおうとして考えた円朝の落語にも負けない優れたシナリオだと思う。円遊は、「ステテコ」の代名詞をはずして、その創作力、脚色の才能をもっと評価されていい噺家であろう。『野ざらし』『湯屋番』などは円遊が絶妙な滑稽噺に作り変えたからこそ、代々の噺家に引き継がれ今日まで残ったのだから。

 さて、第二章のタイトルは今日では大きな声では言えないなぁ。巻末にもことわっているように、差別用語として今や使えない単語が並ぶが、この二人の形容詞には決して彼らを蔑む意味はない。著者もそうだし、彼らを知る人々が、愛着を込めてこう呼んでいたはず。三代目蝶花楼馬楽は本名が本間弥太郎なので”弥太っぺの馬楽”とも呼ばれていた。弥太っぺとつるんで遊んでいたのが四代目の古今亭志ん生、本名が鶴本勝太郎だから”鶴本の志ん生”、そして初代小せんである。
 この三人の仲の良さは、「五徳の足」とうたわれていたと著者は説明する。火鉢の灰の中に埋めて鉄びんをのせる「三本の足」にたとえられていたわけだ。弥太さん、勝ちゃん、万ちゃん(小せんの本名は鈴木万次郎)の三人は、ただ同然の空き家で寝起きをともにしたこともあるし、吉原に行くのも一緒。驚くのは、三人揃って連続十四日間吉原に通い続けたというから、凄い。もちろん、そのツケが後々馬楽を狂わせ、小せんの視力を奪うことにもなったのだが・・・・・・。 
 馬楽がおかしくなる前、落語研究会に岡本柿紅の推薦で抜擢され出演し大絶賛された。一部の新聞は「名人馬楽」とまで誉めた。しかし、せっかくの波に乗るチャンスを潰してしまった。理由は”女”である。仕事に出かけようとすると当時の女房が金を払うから一席演って欲しいと頼まれ、『居残り佐平次』をたっぷり演った、という。しかし、その横浜から大金を持ってやって来た四歳年上の女は、持ってきた金を使い果たしたら弥太っぺをとんでもないなまくら者にして去っていったという。自業自得とは言え、名人馬楽あるいは四代目小さんはの可能性を潰したのは、なんとももったいない話だ。頭がおかしくなってからのいくつかの逸話は書くには少し物悲しすぎる。

 さて、小せんの方はめくらになってから、師匠三代目小さんのはからいで、有料で若手の噺家に稽古をつけていたが、この「小せん学校」には五代目志ん生、彦六の正蔵、そして六代目円生などが学ぶことになる。実体験に基づき郭噺が抜群だったと言われる小せん、今に残る『五人廻し』『居残り佐平次』『お茶汲み』などは、小せんが伝えた噺が元になっているというから、三十七歳の短い人生だったにもかかわらず、今日の落語界への貢献は小さくない。

 テレビで見た三亀松の晩年の姿を思い出す。あの何とも言えず粋で艶っぽい都都逸は、当時子供ながらにも耳に残る魅力があった。本書には、落語『風呂敷』を思わせる間男の逸話など、さまざまな”女”にまつわる話が書かれており、それはそれで楽しめるのだが、何にも増して印象深いのは、そんな女好きの三亀松と添い遂げた元宝塚スターの高子夫人の献身ぶりである。また、多い時には二十五匹いたという犬をはじめと様々なペットのエピソードも微笑ましい。

 三代目の三遊亭歌笑については以前にも書いた時に「純情詩集」の中の『銀座チャラチャラ』を紹介したので、今回は本書から『豚の夫婦』を引用する。
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ブタの夫婦がのんびりと
畑で昼寝をしてたとさ
夫のブタが目をさまし
女房のブタにいったとさ
いま見た夢はこわい夢
オレとおまえが殺されて
こんがりカツにあげられて
みんなに食われた夢を見た
女房のブタが驚いて
あたりのようすを見るならば
いままで寝ていたその場所は
キャベツ畑であったとさ

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 小島さんも書いているが「ペーソス」があって可笑しい。新作落語と言うより、ちょっとした“メルヘン”ではないか。歌笑については本書で初めて知ったことがたくさんあった。丙種合格の歌笑にさえ太平洋戦争の戦況きびしい時には赤紙が届き、ひと月ほど軍隊のメシを食べたこと、もその一つ。また、柳家金語楼が歌笑に与えた影響力の大きさもあらためて知った。そして何よりも印象的なのは、歌笑を支えた奥さん二二子(ふじこ)さんの深い愛情である。本書では、昭和38年に渥美清主演の映画『おかしな奴』が封切られたのを記念して建てられた三ノ輪の浄閑寺の「三遊亭歌笑塚」に、武者小路実篤の筆で次のように書かれていることが紹介されている。
   「古よりの言の葉に、山地水明の地、必ず偉人を生じるとかや。
   アアされどわれ未だ偉人の部類に属することかなわず。若き
   落語家歌笑をはぐくみし故郷は南奥多摩絶景の地なり。
                             歌笑純情詩集より」


 本書を読みながら時に笑い、時にはしんみりとしながら、落語の奇人というよりも「偉人」達の人生を、ほんの少しだけ覗けたように思う。ちくま文庫には、こういう意義のある落語関連本の復刊を、ぜひ今後も期待したい。落語の良書復刊で頑張っている河出文庫とぜひ競って欲しいものだ。

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# by kogotokoubei | 2009-06-24 17:47 | 落語の本 | Comments(0)

『三枚起請』の謎

談春・喬太郎の関内ホールでの二人会。その第二部での談春のネタ選びに疑問を呈したのだが、どうやら、その謎が解けかかってきた気がする。

落語ファンの皆さんのブログから、6月8日の三三独演会で、三席目に『三枚起請』がかかっていたことが判明。そして、6月10日の談春一門会でも50人の客を前に談春がこのネタを披露していた。
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6月8日(月) 月例三三独演会(国立演芸場)
三席目『三枚起請』

6月10日(水) 談春一門会 第二部(らくごカフェ)
談春『三枚起請』

6月17日(水) 談春・喬太郎 二人会 第二部(関内ホール)
談春『三枚起請』
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そして、関内ホールの楽屋に三三がいたことが、喬太郎のマクラでわかっている。

「う~ん、談春は三三のために『三枚起請』を演じたのでは?」というのが、私の推理。

三三の独演会後の会話は次のように進んだ(んじゃねぇかな?)
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三三 「兄さん、この噺を独演会でやったんですが、今ひとつこういう郭噺って
    つかみきれていないんですよね。」
談春 「そうか、じゃあ今度俺が演るから見に来いよ。そうだなぁ、17日の
    喬ちゃんとの二人会の打上げに参加するだろ、その時にかけるよ」
三三 「そうですか兄さん、助かります。舞台袖で勉強させていただきます。」
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約束した談春だがこの噺をかけるのは久しぶり(およそ二年半前の第一回黒談春以来?)なので、10日の一門会でリハーサルした、という筋書き。

もちろん、まったく私の空想です。

この三つの会の全てに行った人は、十日間で三回この噺を聴いたことになる。『三回希少』(?)ということで表彰もんですね。(つまらない地口オチで、失礼しました・・・・・・)
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# by kogotokoubei | 2009-06-22 12:08 | 落語会 | Comments(0)
麻生市民館は1,000名の収容力がある。私が行ったここ数年の落語会でほぼ満員にしたのは志の輔と談春だが、さすがに今日はほぼ六分の入り。それでも、主催者側が無理をして集客したのか、テレビで知っている吉弥を見ようと初めて落語会に来られた方が多かったのか、後述するようにマナー違反のご高齢の方が少なくなかった。
まずは、演者とネタ。
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桂ひろば   動物園
柳家三三   のめる
桂吉弥    親子酒
(仲入り)
桂吉弥    狸の賽
柳家三三   井戸の茶碗
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ひろば(18:31-18:49)
ざこばの弟子とのこと。特筆すべき点はないが、会場は意外に盛り上がった。それだけ「ちりとてちん」ファンで関西弁に抵抗のない落語ファンが多かったのだろう。

三三『のめる』(18:50-19:18)
マクラの小田急線ネタは、二日前の喬太郎の横浜私鉄線ネタに刺激されたせいではなかろうか。実は、喬太郎が談春との二人会でマクラを振っている時、「今、脇で三三が笑いころげているんです」と言っていたのだが、さすがに三三は舞台に出なかった。なぜ三三が関内ホールにいたかは不明。打ち上げに参加するため?
さて、このマクラの途中で一回目の「携帯」が鳴る。三三は「電話鳴ってますよ」と受けて客をイジッタが、それを笑う客が多かったのが、今日の客層を示していた。笑っちゃいけないのよ、ここは。
さて噺の話。上方では『二人癖』というこの噺は、吉弥とのふたり会というイベントを意識したものだろう。三三のこの噺でもっとも感心したのは、半さんの詰め将棋の場面。なかなかサマになっているのだ、将棋の指し方が。実際好きなのかなと思った次第。

吉弥『親子酒』(19:19-19:45)
拍手と笑いの量で、「今日はちりとてちんファンが多い」ことを確信。それを見越した吉弥も新たなテレビ出演の話題などをし、三三の小田急線ネタに対抗して阪神電鉄ネタ。学生時代を関西で過ごした私には、結構笑えた。上方のこの噺は゛うどん屋゛とのやりとりが重要なのだが、さすがに米朝一門の中堅選手、しっかり笑いをとっていた。私には、ちょっと酔っ払い方が上品すぎるように思えたが、それは関東向けなのかもしれない。

吉弥『狸の賽』(20:00-20:15)
前座噺で15分の理由は今夜中に大阪に戻らなければならないから、とのことだが、釈然としない。

三三『井戸の茶碗』(20:16-20:54)
短いマクラから本編へ。屑屋仲間が弁当を食べた後に細川様のお窓下のことを話題にしている時に二度目の「携帯」が鳴る。いい加減にして欲しい。また三三は「電話の邪魔が入った」とイジって、これまた客の多くが笑うという始末。正直、この後の三三の噺はまともに聞いていなかった。思うに三三も集中して出来ていたようには思えない。携帯までは、結構いい感じだっただけに残念。


三三の二席目が始まってすぐに一組の高齢の夫婦が席を立ち、後半にもう一組が帰った。どちらも前のほうの席である。何かのっぴきならない理由でもあったのか?吉弥を目当てに来ていたのなら替わり目に帰ればいいじゃないか。

とにかく、今日はここ数年の落語会の中で、演者と客がつくるライブ作品として「ハズレ」であった。二度の携帯は論外。二席目を前座噺で早々に切り上げた吉弥を含め、非常に後味の悪い落語会だった。吉弥は二席合わせて40分である。その結果三三がたっぷりだったのだが、その二席ともに携帯での妨害があったのだから、三三も切れかかっただろう。

談春から吉弥への「三三をライバルとみなして頑張れ」という助言などもあって東西で開催されている二人会のようだが、噺家も客も人気に便乗しているだけでは、とても「一期一会」の素晴らしさなどは味わえない。
私は吉弥が初めてだったので期待していた。しかし、あの慌しさはいただけない。一席目が良かっただけに、次はどんな師匠吉朝ゆずりの噺をしてくれるか楽しみだった。米朝事務所が仕事を取りすぎるせいなら、事務所にも言いたい。「多摩川越えだからと言って東京郊外の客を馬鹿にするな」、と。これが吉弥との最初で最後の出会いとなるファンもいるかもしれないのだ。しっかり演じるだけの時間を確保できるスケジュール管理をすべきではなかろうか。
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# by kogotokoubei | 2009-06-19 22:33 | 落語会 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛