噺の話

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雨の中、四ツ谷駅から会場の紀尾井ホール(小ホール)へ。8月1日以来の三三であり、紀尾井ホールだ。さすがにこの季節である、真向かいのニューオータニのクリスマス飾りがまばゆい。携帯のカメラでイルミネーションを撮影していた開場待ちのお客さんがいた。
演者とネタは次の通り。
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春風亭一之輔  代脈
柳家三三     夢金
(仲入り)
柳家小菊     粋曲
柳家三三     富久
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一之輔(19:02-19:19)
医者の見習いである銀南がとにかく可笑しい。特に羊羹を食べる場面がオリジナルのくすぐりとして秀逸である。医者の先生に伊勢屋の女将さんを「ご老母(ゴロウボ)とでも言いなさい」と言われたのを「ゴロンボ」として刑事コロンボのギャグをはさんだあたりも笑える。さまざまな医者(葛根湯、手遅れ)のマクラはやや急ぎすぎで少し心配したが、さすが一之輔、という出来。先輩と、その先輩が認める若手という関係でいえば、談春にとっての三三、三三における一之輔、とたとえると、人によっては異論もあるかもしれない。しかし、私は一之輔の可能性に大いに期待している。

三三「夢金」(19:20-19:58)
侍の噺に合わせてであろう、黒紋付での登場。マクラを昨日四ツ谷駅から会場に向かう際の上智大学の「暮れ六つ」の鐘のこと、10月1日から変わった東京のゴミ分別ルール、そしてWBCの黒幕「欲の深い」ナベツネのネタなどから本編へ。船頭の熊を三三らしい軽さで演じたことが全編の出来を左右した。もちろん吉と出ている。船を漕ぎながら適度に発する「(酒手)出ないのぉ~」が可笑しい。聞こえよがしにねだっても酒手が出ないと「感じないねぇー」と続けるあたりが今風で良い。船を漕ぐ姿もさまになっている。侍を中洲に置き去りにした後の「ざまぁ見やがれー、馬鹿~」も利いている。船宿のオヤジ役がはまっているので、いかに熊を主役にするかという苦労はあるだろうが、この噺は三三の冬の十八番(おはこ)の一つになりそうだ。

小菊(20:10-20:28)
小円歌姐さん以外では初めての粋曲の芸。途中で音合わせのご苦労もあったように見受けるが二分五十秒の「仮名手本忠臣蔵」は良かった。独演会に寄席の香りを加えたいという趣向には大賛成。

三三「富久」(20:29-21:35)
昨日も夜は寝る前に反省していた、という話のあと、年内にまだネタおろしが四席あり、23日は左龍との二人会で三題噺が待っている、といったマクラを約5分ふって本編へ。吉兵衛さんが久蔵を訪ねるという設定で、富くじを久蔵が買うまでのプロローグに最初のヤマを作りたかったのだろうか、半鐘が鳴るまでに約15分かけている。三三の工夫なのだろうが、この部分は吉兵衛さんが残った一枚の富くじを売りたかったのか、売りたくなかったのか、という点でちょっと混乱した感があった。今夜も寝る前の反省材料かもしれない。舞台設定は久蔵が浅草三間町、火事で久蔵が駆けつける旦那が芝の久保町。小三治師匠のこの噺を聞いたことがないので、師匠譲りなのかどうかは分からないのだが、過去の名人で言えば、文楽は安倍川町と芝神明(後に横山町)、志ん生と小さんは今夜の三三と同じである。可楽(八代目)は久蔵は日本橋へっつい河岸、旦那は久保町。ちなみに、三三の富は「鶴の1888番」。オリジナルであろう。近いのは可楽の「鶴の1555番」、志ん生は同じ鶴で1500番、文楽は「松の110番」である。
三三は、名人の多くが噺のヤマ場の一つにした旦那の家での荷物の運び出しや火事見舞い客への対応ではなく、火事が収まったあとの久蔵の酒でのからみに置いた。富の番号、このヤマ場作りから考えると可楽の型に近いといえる。もちろん志ん生版の面影もある。明確なのは文楽型ではない、ということだ。この噺は非常に難しく、名人それぞれに個性的な型がある。冒頭の富くじを買うまでを少し引っ張った工夫は今後どう刈り込まれるかは分からない。また、酒でからむ場面をあえて強調するのは、この会だからこそ三三がトライしたのだろうと思う。今後はいろいろと変化し発展する予感がする。しかし、こういった前半部分への若干の疑問をも吹き飛ばしたのが、今夜もっとも秀逸だった最後の久蔵の泣き笑いの演技である。鳶頭の家にあった大神宮さまの中の富くじを手にした時の久蔵の姿が、三三版富久の今後を期待させてくれた。これだけはCDでは味わえない生の落語の魅力である。

来年の「月例三三独演会」は国立演芸場に場所を変えて行われるようだ。すでに1月12日は完売とのこと。今年の三三は夏の唐茄子屋も良かったし、今夜の噺も十分に次代の名人を感じさせた。ますますチケット入手が困難になるだろうが、四季に一度は彼の会に足を運びたいものだ。そんな思いで小雨が残った夜の四ツ谷駅へ向かっていた。上智の鐘は鳴っていなかったが、心の中ではまだ富久の半鐘の余韻が残っていた。

p.s.
あとで調べましたら、富札の番号「鶴の1888番」は大師匠小さん、師匠小三治と伝承されている柳家の型のようですので、補足訂正します。
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# by kogotokoubei | 2008-12-17 23:50 | 落語会 | Comments(0)

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KAWADE 道の手帖「安藤鶴夫」

 安藤鶴夫の生誕100年を記念した河出書房新社「道の手帖」シリーズでの発行。河出文庫では『巷談 本牧亭』が復刊されたばかりであり、河出としては多角的なアンツル特集といえる。歯に衣をきせぬ物言いで、容赦なく批判されたり無視された芸人の多くを敵にしたことは有名である。初代柳家権太楼、三代目の三遊亭金馬、そして先代を評価するあまり無視された八代目の三笑亭可楽など、アンツルという影響力のあるご意見番の評価によって損をした噺家は多い。文楽、三木助への偏執的ともいえる高い評価とは対照的だ。
 よく引き合いに出されるが、本牧亭でアンツルさんが「桂三木助を偲ぶ会」を行った時に、アンチ・アンツルのメンバーが本牧亭の階下の食堂でアンツルの悪口を言う「偲ばずの会」を開き、その場には席亭の石井英子さんも参加した、というエピソードがある。しかし、石井英子さんの『本牧亭の灯は消えず』という一代記には、次のような英子さんの言葉がある。
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人の悪口を言う会をつくるなんてことは趣味のいいことではありませんからね。
すぐやめようと思ったんです。そうこうしているうちに、安藤さんが亡くなっ
ちゃって・・・・・・。本牧亭のことを書いてくださったのだから、恩を感じるのが
当たり前なのに、悪口を言う会に入るなんて、先生に申しわけないことをした、
なんとしても謝ろうと思いましてね。たまたま本牧亭で「安藤鶴夫を偲ぶ会」が
催されて、三千子夫人がいらしたんです。このときしかないと思ったから、
恥じをしのんで、
「これこれこうで、安藤先生にはたいへんに悪いことをしました」
と謝ったんです。顔中の毛穴が開くような恥ずかしさで、カッとなりましたね。
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 いわゆるエピソードというものは、おもしろ可笑しいところだけが伝達され、その背後にある真実や後日談などはかき消されることが多い。

 私は、アンツルさんの基本姿勢とでも言うものは、『巷談 本牧亭』で示されているような古き良き日本の芸能と、その芸の習熟と研磨のために血の滲む修練を積む芸人達への尊敬であり、賛歌なのだと思う。それは、本人が義太夫語りの八代目竹本都太夫(本名、安藤鶴吉)の長男として明治41年に生まれ、本人も玄人はだしに義太夫を語っていたからこそ、芸人の心と生活がわかるのだろう。それは、次のような文章でも裏づけされる。
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あんつるさんが、父親の都太夫に稽古をつけてもらっていた時も、程度こそ違うが、
似た情況もあったようだ。
「おやじの教えている通りに、こっちはやっているつもりなのに、ちがう、という。
そうなると、ぜったいに稽古はさきへ進まず、その、たったひとことをくりかえさせ
られ、そうなると、なお、へんてこになった」
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 山川静夫さんによる「あんつるさんと義太夫」からの抜粋である。『芸阿呆』というラジオ放送のためにアンツルさんが執筆した、義太夫語りの厳しい修行をテーマとした作品に関連した部分である。
 
 アンツルさんの守備範囲は「劇評」に始まり、ラジオ台本、講談や落語などの芸能評論、そして小説と幅広い。本書は、その対象の広さを精一杯カバーしようという姿勢があり、落語の部分が決して多くはないかもしれない。しかし、志ん生、文楽との対談があり、お嬢さんの安藤はる子さんへの特別インタビューがあり、『安藤鶴夫作品集』未収録の落語エッセイも数多く収録されている。
 
 作品集未収録の中の「落語三題」(1952年5月『馬酔木』掲載)からの抜粋。
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 死んだ三語楼の”寝床”は別に取りたてて巧いものでもなんでもなかったが、
一ヶ所、いかにも三語楼式の、これでもかというおかしいところがあった。
 旦那の義太夫を聴くのが辛くって、みんながなんとかかんとか理由をつけて
逃げる、そのうちにお長屋を一軒一軒歩いて、どうか旦那の義太夫を聴いて
くれと頼んできた店の者を掴まえて、旦那が義太夫を語ろうとする。店の者が
土蔵の中に逃げ込む、それを追い掛けた旦那が、土蔵の扉の外から、中へ
義太夫を吠え込むというギャグである。
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 私は古今亭志ん生が好きで、志ん生に大きな影響を与えたと思われる柳家三語楼をもっと評価してもいいのではないかと思っている。このブログの「落語家」のテーマで三語楼を最初に取り上げた。
2008年6月12日のブログ
 だから、この文章は三語楼から志ん生への芸の伝承について、アンツルさんの生きた証言を確認する思いで感慨深く読んだ。

 本書で驚くのは執筆者の顔ぶれの多彩なことだ。ほんの数名紹介するにしても、大佛次郎、戸板康二、金子桂三カメラマン、江國滋、矢野誠一、吉川潮、高田文夫、そして立川談春(今年河出文庫で復刊された絶筆『三木助歳時記』の「あとがき」)という顔ぶれが並ぶ。

 安藤鶴夫さんは、『落語鑑賞』『寄席紳士録』『落語国・紳士録』『寄席はるあき』『わたしの寄席』などの落語評論・エッセイの名作をはじめ、直木賞受賞の『巷談 本牧亭』という傑作で小説家としても十分に評価に値することは疑いがない。今でもNHKアーカイブスで見ることのできる「夢で会いましょう-落語国紳士録-」の中で、当時まだ友好関係にあった若き立川談志家元と冗談を言い合う、粋な着物姿のアンツルさんが偲ばれる。

 本書は、生誕100年の年にぎりぎり間に合った価値ある保存版だと思う。
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# by kogotokoubei | 2008-12-12 21:50 | 落語の本 | Comments(0)
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 個人的には私は花緑ファンではない。正直なところ、ライブやテレビでの彼の芸には馴染めない。それは、まだ若いせいもあるのかもしれないが、同じ年令層で好きな噺家がいないわけではないので、単に好みの問題ともいえる。だからそれほど気にかけている噺家ではなかったので、この本も偶然書店で出会わなければ読まなかっただろう。ネットで買うほどの思い入れがある噺家ではないのだ。
しかし、本書はなかなかの掘り出し物であった。
 
 この本は、これまで数多の落語関係本、落語家のエッセイなどが出版されている中で、まったく異色なものと言える。なぜ異色かと言うと、ここまで噺家がネタ帳を自ら明らかにすることもなかったし、その145のネタを「いつでも高座にかけられるネタ」(24席)、「二~五回さらえば高座にかけられるネタ」(72席)、「高座にかけたことがあるが作り直す必要のあるネタ」(49席)などと分類して提示するなどということが前代未聞だと思うからだ。

 本書は15歳で祖父小さんに入門してからの、ネタとの格闘の記録でもある。その内容には、孫だからこそ五代目小さんのエピソード がふんだんにちりばめられている。また、折々に小三治師匠から受けた厳しくも愛情ある言葉が語られているし、『紺屋高尾』 を習った時のお礼についての談春の気配りなど、現在進行形の噺家さんとの交流も、「へぇ~、ここ までバラスすの!」という内容が語られている。
 稽古に関する思い出が豊富に綴られているが、印象的だったのが古今亭志ん朝直伝の『愛宕山』に関する部分だ。この稽古の思い出とともに次のような記載がある。本書のタイトルへのタネ明かしになってしまうかもしれないが、少し引用する。
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こうして持ちネタのひとつひとつを思い起こしてみると、稽古を付けてくれた
師匠方の言葉のほか、稽古場の風景や当時の自分の考え方、あるいは
ノートに書き込まれた文字の様子など、いろいろなものが一瞬にして蘇って
きます。ネタと格闘した思い出とでもいいましょうか。いろいろな情報が染み
込んでいるのです。
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 落語を題材にした、「記号論」「情報論」などと言うと大げさかもしれないが、そういった要素も本書にはあるし、狙いもそこにあるのだろう。ただ機械的な暗記では、試験勉強の一夜漬けと一緒で、そのうち間違いなく忘れてしまうのだ。関連して記憶されている情報によって、その記憶の深さ、長さが違う、ということなのだろう。

 『笠碁』について は、いかに師匠小さんの十八番を花緑オリジナルにするために苦労したか、という一つのネタを中心とする格闘の物語ともなっており、オマケとして巻末に、現時点での花緑版『笠碁』が収録されている。

 本書の内容は、決して花緑という噺家にとって「徳」な情報公開には見えない。しかし、「おわりに」で彼は次のように、執筆の動機を語っている。
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 ここで、はっきりと言っちゃいましょう。私はそうとう「野暮」な落語家です。
しかも我が家小林家、柳家一門で私だけです。五代目も六代目も粋を重ん
じる噺家です。私だけが突然変異のように、こんなんなっちゃったんです。
 でも考えてみれば、人間、基本はみんな野暮じゃないんですか。人間は
野暮だという前提のもと、だから粋を目指そうとした。
 今、時代がどっちかというと野暮な時代なんだと思います。お客様が「粋」
だけじゃもの足らない。もっと見たい。もっと聞きたい。それに応えようとする
時代。だから昔は、「いよっ粋だねェ」がほめ言葉。これからは「いよっ野暮
だねェ」がほめ言葉になるんじゃないんでしょうか。
 私はお客さんともっと近づきたい、という純粋な気持がこの本を書かせた
と思います。
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 花緑の「野暮」と「粋」についての解釈には異論がないわけではないが、本書は、落語ファンへの彼なりのサービス精神の表れであり、その挑戦的でオープンな姿勢も評価したい。読後に花緑の噺を聞きたくなったのだから、本書は少なくとも一人の落語ファンの彼への認識を変えたことは間違いない。
柳家花緑_落語家はなぜ噺を忘れないのか
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# by kogotokoubei | 2008-12-02 12:29 | 落語の本 | Comments(0)
大賞受賞者が誰かはすでに知っていたが、本日テレビにて確認。

登場順は次の通り。
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(1)笑福亭喬若   『青菜』
(2)三遊亭王楽   『鼓ヶ滝』
(3)桂まん我     『野ざらし』
(4)立川志らら    『壺算』
(5)古今亭菊六   『やかん』
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ご存知の通り大賞は王楽。

ライブでご覧になった落語ファンのいくつかのブログでも、いろいろ選考結果への疑問が投げかけられていたが、私も素朴な感想として違和感がある。もちろん、「評価」そのものが個人の好みに頼るわけだし、加えて複数の審査員で合意をとるなどという場合は、声の大きな人、いわゆる「偉い人」の影響力が強くなるだろう。あるいは、何らかの政治的な配慮が働かないとも言えないだろう。

個人的な順位と100点満点の点数を記します。
100人落語ファンがいれば、100通りの順位があっていいでしょう。

1位 菊六  85点 
2位 まん我 82点
3位 志らら  75点
4位 喬若  73点
5位 王楽  72点

菊六とまん我が決選投票の結果菊六、という印象である。
まず、80点以上が、菊六とまん我の二人。
70点から80点までに他の三人、という感じだ。
参考になるかどうか、昨年のこのイベントについて、あえて私が採点をするなら、春風亭一之輔 『鈴ヶ森』と桂よね吉 『芝居道楽(七段目)』が 85点で同点、他の三人は80点以下という評価になる。ただし、古今亭菊六 『権助提灯』 はほぼ80点という感じで、出来は悪くなかった。「この人はなかなか古典落語の空気があって、いいなぁ。」という印象を持った記憶がある。

王楽のネタ選びを寸評で評価した審査員がいたが、それを言うなら上方の噺家では非常に珍しい『野ざらし』を選び、違和感を感じさせなかったまん我のチャレンジ精神のほうが評価されるべきだろう。
喬若は、やはりトップバッターというのが緊張を強いたと思う。この人は初めて聞いたが、上方にしてはおとなしい落語だが、基本がしっかりできているように思え、先が楽しみだ。
志ららは、「暴れてやる」という思いが強すぎたのか、ちょっと自分でスピードをコントロール仕切れていなかったように感じた。二つ目で当たり前だが、まだこのネタをこなし切れていないと思うし、ネタに助けられている面とネタに負けている面が五分五分という感じだった。
王楽は何度かライブで聞いているが、今回の出来そのものは悪くない。しかし、とてもこの五人の中で1番、とは思えない。
菊六の『やかん』は、間違いなく真打レベルの内容であり、川中島の決戦の講釈語りの場面も堀井憲一郎さんの寸評の通りで澱みなく、全体として゛古典落語の居心地よい場゛をつくってくれたように思う。もしかしたら、少しくらい噛んだほうが、審査員達のウケは良かったのでは、と思うほどの出来だった。(この皮肉が審査員に届くかどうか?)菊六という噺家の醸し出す懐かしい落語の世界があったようにも思う。
私のつける順位も、もしまん我が得意の上方落語で勝負していれば、どうなったかはわからない。

他のバラエティ番組やものまね番組では、ほとんど意味のない点数で審査結果が明らかにされるが、それは別として、このイベントも、そろそろ審査結果について、もう少し説明責任を感じてもらう必要があるかもしれない。
来年の王楽の真打昇進という話と、彼のガッツポーズに妙に寂しいものを感じた。他にも若手を対象としたコンテストはあるが、やはりもっとも重要視されているイベントである。無記名でいいので、審査員の採点結果の合計位は明らかにしてはどうだろうか。番組冒頭に3つの基準、という話もあった。それぞれの項目別に採点しているなら、項目別合計点と総合計点を公表するのが親切かもしれない。もし、そういったデジタル的な集計などなく「話し合い」で決めた、というなら、誰が誰を推したか、ということだけでも明確にして欲しい。ライブでは、そういう選評もあったのだろうか。どなたか教えていただけるとうれしい限り。菊六の悔しい表情がやけに印象深かった。
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# by kogotokoubei | 2008-11-24 17:30 | テレビの落語 | Comments(0)
厚木市文化会館の小ホールは376席のキャパ。その会場が、市馬と喬太郎で、それも土曜日で7割ほどの入りである。落語会は多摩川越えでも動員が厳しいが、相模川越えとなるとここまで寂しくなることを実感。まずは、演者と出しモノ。
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台所鬼〆        子ほめ
柳家喬太郎       小言幸兵衛
(仲入り)
あした順子・ひろし   漫 才
柳亭市馬         掛取り
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鬼〆(14:00-14:18)
花緑の弟子。名前の由来などのマクラをふって『子ほめ』へ。名前の珍しさだけではなく、芸を磨いていただきましょう。

喬太郎(14:19-14-54)
「後ろの方の席のすき具合がいいですねぇ、これが落語会ですよ。」と笑いながら、さすがに゛相模川越え゛を感じていたようである。「ほどよい緊張感で会場へ向かった。」とのフリは、本厚木駅から歩きながら「こっちで良かったよなぁ・・・・・・。でも、まだぜんぜん見えないなぁ。」という会場までの不安感のことだった。これは、まったく同感できる話で、観客の相当数がうなづきながら笑っていた。また、駅前広場のストリートライブでアンデス音楽をやっていてしばらく聞いていた、という話には、私も同様にしばし聞いていてCDの押し売りをされそうになったので、思わず含み笑いしてしまった。さて、4分ほどのマクラから本編へ。私のニックネームのこの噺、喬太郎で味わうのは昨年の前進座でのさん喬師匠との親子会以来。正直、落語会デビューだろうと思われる客が半数はいようかという会場で、このネタは予想していなかった。もちろん新作はないと思ったが古典にしても『金明竹』あたりでドッカンさせるのでは、と思っていただけにうれしい誤算。平均年齢の高さへの対応でもあるのだろうが、決して楽なネタではない。喬太郎のヤル気を感じた。細かなクスグリで特筆すべき部分もたくさんあるが、何より、長屋でブツブツ小言を撒き散らす冒頭から、会場を「幸兵衛ワールド」に引きずり込んだところが喬太郎の力量の高さを物語る。都内で、ほとんど追っかけのような多くのファンで賑わうチケット争奪戦をする会ではない。理屈抜きで会場を落語の世界に染めた。最初に店(たな)を借りに来る豆腐屋のキレ方は何度聞いてもいい。幸兵衛に「八年もたって子供ができないようなカミさんとは別れてしまえ」と言われた豆腐屋がキレて放つ、「ウチのかかぁ~が好きなんだぁ、バカー」の捨て台詞が利いている。次に店を借りに来る仕立屋と幸兵衛とのコントラストは一年前より格段に鮮やかになったように思う。仕立屋の倅と古着屋の娘お花との心中という幸兵衛の妄想ワールドに、最初は冷静だった仕立屋が次第に巻き込まれていく様子が、最大の魅力だ。歌舞伎調に心中を演出する場面では最後の念仏騒動まで笑いの渦が止まらなかった。一頃咳き込むことが多かった喬太郎の声も元気そうであり、非常に満足な35分間だった。

順子・ひろし両師匠(15:10-15:29)
4月で86歳になられたひろし師匠の声の調子が少しかすれ気味だったが、お二人の芸はいつ見てもすこぶる楽しいし、元気をもらえる。これからも是非寄席でお目にかかりたい。

市馬(15:30-16:05)
マクラで「ひろし師匠が86歳ですから、順子師匠もそれなりの御年で・・・・・・」とフッたところ、順子師匠が抗議の登場で会場は大爆笑。その後、「早いものでもう今年も・・・・・・」ときて、察しがついたが、まさか師走の十八番のネタをこの時期の厚木で味わえるとは、これもうれしい誤算である。最後のお決まりの三橋美智也メドレーでは曲ごとの大拍手。間違いなくお客さんの多くが今日から市馬ファンになったことだろう。市馬も、空席の目立つ゛相模川越え゛でも、気合十分であった。

喬太郎、市馬の両師は、目一杯本寸法のネタで300名弱の観客を良質な落語の世界に連れて行ってくれた。もちろん、順子・ひろし師匠は、マンネリとの指摘があろうと、磨きぬかれた芸の奥の深さを教えてくれた。
満足した笑顔で家路につく年輩の多くのお客さんを目にすると、こういった落語会は商業的には厳しくても、ぜひ続けて欲しいと思う。実は4日前に愛犬を19歳で亡くし、いまだに心にポッカリと穴があいたような空虚さだったが、少なくともそれぞれの芸を楽しんでいる間だけでも悲しみを紛らわせることができた。これだけ胸がはりさけそうな状況で臨んだ落語会、という意味でも一生忘れないだろう。
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# by kogotokoubei | 2008-11-15 17:57 | 落語会 | Comments(0)

三代目 三遊亭金馬

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*ポニーキャニオン発売『三代目 三遊亭金馬 名演大全集』ジャケットより


11月8日は三代目三遊亭金馬の命日である。昭和39(1964)年、東京オリンピックが終了してまもなくの頃、古希で亡くなった。三代目金馬は明治27(1894)年10月25日に本所北二葉町(現東京都墨田区石原町)の生まれで、本名は加藤専太郎。専太郎少年は小学校を卒業すると経師屋の伯父のところへ奉公に出された。この伯父さんが当時の桂南光という落語家の弟子になった経験もあることと、近所に広瀬という寄席もあるので、芸人たちのたまり場であったらしい。専太郎少年は、近所の夜学に通っていたが、この学校が寄席の広瀬の隣であり、顔なじみの広瀬は入場無料であったので通い続たことが、寄席芸人の道につながったようだ。「寄席芸人」であって、「落語家」にすぐなったわけではなく、数え年19の時、講釈師の放牛舎桃林に入門。しかし、滑稽口調が強いため、翌年、初代の三遊亭円歌門下となり、加藤の姓にちなんで歌当と名乗った。二つ目で歌笑になり、大正7(1918)年、25歳で真打に昇進したが、まだ金馬は襲名せず円州と名乗った。その後、それまで所属していた東西会から三遊睦会に移籍し、二代目の金馬に可愛がられて、大正15(1926)年に二代目が金翁と改名し、円州が三代目金馬を襲名、5月3日に金翁が没してからは東宝落語会に移り、頭角をあらわした。

談志家元は『あなたも落語家になれる-現代落語論其二-』(三一書房、昭和60年発行)の「回想の落語家」の章で、真っ先に三代目金馬をとりあげている。
立川談志_あなたも落語家になれる-現代落語論其二-
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まず、私の一番の想い出に出てくるのは三遊亭金馬である。この金馬は先代で
前著『現代落語論』にも書いたように、ラジオの落語というものを確立した人である。
ラジオの音声というもののなかで、落語の人物を使い分けたのが、この金馬。
この使い分けるということは、当時の落語通といわれた人たちにとって、八人芸
といって邪道といわれたのだが、金馬は、むしろこれを利用し武器にして、自分の
個性を大衆に浸透させた。(中 略)
当時の落語の評価を、自分の美学を基準にして好き勝手に批判していた人たちに
とっては、金馬の芸は論外であっただろう。安藤鶴夫はその最たる人で、落語家
全部を愛したような正岡容も、そんな芸を嫌うところもあり、抵抗を感じていたと思う。
しかし、金馬は現実には客を呼んだ。どんな地方に行っても客に受けた。東京に
ある二つの落語家協会のどちらにも属さず、東宝専属であった。東宝名人会が
中断した時もそのまま無所属であった。しかし、天下のNHKは金馬を離さなかった。
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安藤鶴夫さんは、ある意味正直な人で、三木助大好き、次は文楽、という感じで、田河水泡作の『猫と金魚』などで人気を誇った初代柳家権太楼や金馬のことをまったく認めていなかった。個人の好悪の問題なのでいたし方ない面もあるが、影響力が大きかっただけに批判される当人の心境は複雑だったであろう。しかし、家元が言うように、ラジオの金馬は確実に落語ファンの心をつかんだ。かく言う私も、最初にラジオで聞いた金馬の落語の印象が強く残っている。たしか、受験勉強中の高校時代で、『居酒屋』だった。深夜なのについ大きな声で笑ってしまった記憶がある。

大西信行さんは『落語無頼語録』(芸術生活社、昭和49年発行)の中で次のように記している。大西信行_落語無頼語録
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うまいという点では充分文楽志ん生に匹敵し得るはなし家だったのではあるまいか。
『佃祭』の船頭の熊を金馬は、宇野信夫の描く江戸世話狂言の人物以上に活写して
いたとぼくは高く評価している。先代円馬のうまさをうけついいだはなし家として多く
の人たちは文楽を挙げる。が、先代円馬の豪放さを、文楽はついに継承しきれない
で終わった。文楽とともに円馬にはなしの稽古をつけてもらった落語家金馬のある
日ある時の高座には、これが話に聞く先代円馬の豪放さではなかろうかと思わせ
られるつよい力がみなぎっていた。
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興津要さんは、前述した経歴の紹介で参考にさせてもらった『忘れえぬ落語家たち』(河出文庫、平成20年発行)の中で、作家の土師清二の言葉を紹介しながらこう表現している。
興津要_忘れ得ぬ落語家たち
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金馬の特質を、親交のあった作家土師清二が、つぎのように延べている。
  落語家は、文楽、志ん生、柳橋、三木助そのほか練達の人々がある。
  それぞれの持ち味で、おもしろい。そのうちで、気楽に安心して聞いていら
  れるのは金馬であるように思われる。文楽のはなしは、こちらが、うっかり
  していると、あの滋味を取りにがしそうだし、志ん生だと、うっかり聞いている
  と、あの警抜な比喩を、あとから追っかけねばならない場合がある。聞いて
  いて油断ができない。その点、金馬は、話しぶりが、直裁簡明でいて、親切
  なので、楽々として聞いていられる。話の味に、「あたりまえのことを言って
  いてもおかしい」趣があるからだ。
                   (速記本「三遊亭金馬・落語独演会」あとがき)
—ここに言う金馬の持ち味こそ、まさしく直木賞の感覚だと言えよう。
子どもにもわかる前座噺の『道灌』や『金明竹』を、創意もくわえて、明快に、
しかも格調高いものに磨きあげ、『孝行糖』『小言念仏』『転失気』などという小品を
印象深い噺に仕上げたり、『薮入り』や『唐茄子屋政談』や『佃祭り』では、人情の
機微をえがいたり、『片棒』『高田馬場』『茶の湯』などの名編に大真打としての
実力をしめしたり、『勉強』『相撲放送』『長屋チーム』などの新作物にも、的確な
描写と明快な弁舌の冴えを見せたり、落語の楽しさを満喫させてくれたひとだった。
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ダメ押しのようにもう一つ、『寄席放浪記』から、著者色川武大さんと矢野誠一さんの対談の抜粋。
色川武大_寄席放浪記
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色川 金馬はもうちょっと評価する必要があったんじゃないか。
矢野 評価されてよかったですよね。「佃祭」とか「夢金」とか、物語のある噺
    がとってもいい。やっぱり講釈師をやっていたせいなのかな。骨格の
    しっかりしたものがうまかった。
色川 金馬がしゅっちゅうやっていた幾つかの落語のイメージが、ちょっと
    邪魔しているのね。
矢野 そうなんですよ。「孝行糖」とか「居酒屋」とか、そういうところがある。
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ご紹介した落語の目利きが評した通り、一部の評論家には評判が芳しくないが、分かる人には分かる、そして何と言っても一般大衆が支持した落語家であり、今日の落語ブームにもつながる大功労者の一人が三代目金馬だと思う。落語家仲間での評価がどうだったかについて、まず矢野誠一さんの『落語家の居場所-わが愛する芸人たち-』から次の文楽の言葉を紹介しよう。
昭和37年に、若干27歳の矢野さんが「精選落語会」を桂文楽、三遊亭圓生、柳家小さん、林家正蔵、三笑亭可楽の五人の名人で幕開けさせる際のことである。
矢野誠一_落語家の居場所-わが愛する芸人たち-
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毎偶数月に開催する「精選落語会」が正式に発足することになって、一年間の
演目を決めてもらう必要もあり寄りあいを持ったとき、開口一番という感じで桂文楽
にこう言われた。
「この会に、金馬さんがはいっていないのは、どういうわけのもんです?」
文楽の質問に他意はなかったと思うが、これには正直困った。三代目の三遊亭
金馬をこの会の出演者に加える気持が私にはまったくなかった。レギュラー出演
者の人選をしているときにも、金馬の名前は私の頭のなかにはまるで浮かんで
こなかった。あれだけのひとでありながら、その時分のなんとなく落語に対して
一見識あるような気にうぬぼれていた私には、三代目三遊亭金馬の芸が、どうし
ても好きになれなかったのである。講釈師あがりという経歴からくるのだろうか、
調子にかんでふくめるようなところがあって、それがどうにも理屈っぽい感じに思え、
いやだったのである。
時間の関係もあって、レギュラー出演者を五人以上にふやせないからと、なんとか
その場をとりつくろって納得してもらいはしたものの、三遊亭金馬というひとの仲間
うちでの評価の高さに、いまさらのようにおどろかされたのをよく覚えている。
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古今亭志ん朝は、『世の中ついでに生きてたい』の中の結城昌治さんとの対談の中で、桂文楽特有の”くささ”が好きだ、という発言の後で金馬のことを語っている。
古今亭志ん朝_世の中ついでに生きてたい
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結城   まあ、そのくさいところが芸人の個性だろうけど。
志ん朝 ええ。でも、うちのおやじの個性ってえのは、くさいっていうより、なん
      だか、ただ個性っていう言葉になっちゃって、くさいとはあんまりいわれ
      ないんですね。文楽師匠の場合、たしかにくさい。あれが、ぼくはたまん
      なく好きだったんですね。
      あとは最近、ことに金馬師匠です。
結城   先代のね。
志ん朝 若いころは、あんまり感じなかったんですよ。ところが、いまんなって考
      えると『清書無筆』だとか『道灌』だとか、短い噺であんだけ受けさせる
     のは、すごいと思う。大きなネタで感心させるんじゃないんですもの。
     それと、あの口調のよさ。まあ、くささもありますけどね。
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この対談は、昭和55(1980)年のことなので志ん朝師匠42歳。昭和51年から始まった三百人劇場での「志ん朝の会」も五年目を迎え、この年は4月に『お直し』『今戸の狐』、6月『おかめ団子』『茶金』そして10月に大ネタ『百年目』と『宿屋の富』を披露している。この全てがCD化されてベストセラーとなっている。そして、伝説の「志ん朝七夜」はこの翌年4月の開催。よって、もっとも脂の乗った時期に、三代目三遊亭金馬を再評価していたということになる。たしかに、志ん朝師匠のCDのうち、作品によっては聞きながら金馬の影がうっすらと浮かぶものが少なくない。『蔵前駕籠』などは、間違いなく金馬版をテキストの中心にしているように思える。この本(『世の中~』)には平成6(1994)年に行われた江國滋さんとの対談も掲載されているが、その会話の中でも次のような金馬への賛辞がある。志ん朝師匠、56歳の時である。
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江國   そうしてみると、金馬さんは、文楽さんなんかの一格下みたいに言う人が
      いたけれども、あの人の高座もやっぱりすばらしかったですね。
志ん朝  ええ。もう、なんてんでしょうか。志ん生、金馬とこう並べると、わたしなん
      か好みからいくと志ん生なんですけど、本当にお手本にすべきはやはり
      金馬なんですね。だからたまにテープを聞いたりすると、「ああ、こういう
      ふうにしゃべれないもんかなあ」と思いますね。
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金馬は落語界きっての物知りであり、文章の達人でもあった。彼の著書『浮世断語』は、噺家の着物や食べ物といった落語関係の話に加え、趣味の釣りの話題、犬や馬、虫のことなどまで、とにかく幅広いテーマについて楽しく書かれており、噺家によるエッセイとしてベスト3に入る傑作だろう。
三遊亭金馬_浮世断語

『道灌』『やかん』『一目上がり』など、物知りな横丁のご隠居が登場する噺がニンであることはもちろん、人情噺での力量も抜きん出ている。『夢金』などにおける、笑わせながらも、情景を目に浮かばせながら物語としてしっかりと演出する芸には、流石と唸ってしまうほどだ。

三代目三遊亭金馬、もっと今の時代に語られ、聞かれてもいい噺家さんだと思う。

p.s.
追加情報です。『浮世断語』が12月8日に河出文庫で復刊されます。アンツルさんの直木賞受賞作『巷談 本牧亭』と同時のようです。落語関連本復刊の河出、偉い!
三遊亭金馬_浮世断語
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# by kogotokoubei | 2008-11-07 11:09 | 落語家 | Comments(0)
吉祥寺駅から徒歩10数分、前進座では平成10年から毎年の小三治落語会。独演会ではない。一門会でもない。しかし、小三治師匠をトリとする、いろんな意味で、ちょっと贅沢な落語会だった。演者とネタは次の通りである。
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柳家三之助  時そば
柳家はん治  背なで老いてる 唐獅子牡丹
柳家権太楼  家見舞い(肥いがめ)
(仲入り)
林家正楽   紙切り
柳家小三治  猫の災難
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柳家三之助(13:00-13:23)
小三治師匠の九番目の弟子、である。この後に登場のはん治が三番目。二人の入門時期には18年の間隔がある。三之助は入門から13年、今年にでも真打になっていいだけの実力は十分。私の好みは『棒鱈』など、酔っ払いの噺だが、今日は師匠の落語会の開口一番ということが理由なのかどうか、『時そば』。マクラは「贔屓」の話で軽く場を暖めて本編へ。この噺は、本当は難しい噺だと思う。ほとんどの客がネタを知っている。だから、そばを食べる仕草を含め、芸そのものが問われる。噺自体が持つ魅力はあるが、初めてプロットを知ることによる意外性の笑いはほとんど期待できない。だからヘタな噺家がやると、本当に惨めになる。しかし、三之助は多くの客の期待するそばを食べる仕草はもちろん、オリジナルのくすぐりもなかなかのもの。前夜の客のマネをして失敗するそば食いのマヌケな客が竹輪を探す部分の「おれは大々的に捜索しているのに見つからねえじゃないか」とか、ついに食べるのが厭になって「もうやんなっちゃった」とやめる演出も、演者の若さに似合って良かった。

柳家はん治(13:23-13:47)
まったく初めて聞く。本寸法の古典かと勝手に思っていたのだが、なんと桂三枝による新作である。それも、まるでこの人のために作られたのでは、と思われるほどニンな噺だった。この噺の内容は詳しく説明しないが、ヤクザが高齢化することによるさまざまなギャグ主体の噺、ということである。さすがに、平均年齢の低いとはいえない会でのウケは悪くなかった。配布されたチラシでは鈴本の独演会で『らくだ』をネタ出ししている。小三治師匠お女将さんが書いた本の中でも重要な脇役だったはん治師匠、次はぜひ古典を聞いてみたい。なんとも言えないフラがある。こういう噺家が寄席では必要なのだ。

柳家権太楼(13:48-14:20)
贅沢な落語会だったと思えるその一つは、仲入り前でこの師匠である、ということ。ともかく、良かった。まず、マクラが、泰葉のことから始まる「海老名家」ネタ。その昔、前座仲間の林家らぶ平が、権太楼師匠も参加した゛少女フレンド゛というグループのデビューの時の会見で「破竹の勢い」と言うべきを、「家畜の勢いです!」と言ったこと、など会場を精一杯盛り上げる。そして本編へ。どう言えばいいのだろう、このリラックスし、奔放でいてお約束通りの権太楼ワールドの素晴らしさは。トリではない気楽さもあるのだろうが、今年夏の度重なる休演など、一時心配したのだが、ずいぶん体調も回復したように見える。噺は兄ぃの新築祝い五銭で買える甕をようやく見つけたのはいいのだが、古道具屋の主人が「水甕には使うな」、という理由を何度も聞く「漏るんだぁ?」「漏らないって言っているでしょ!」のリフレインは、師匠の売り物である、あの表情を含め、本当にうれしい芸である。
(仲入り)
林家正楽(14:35-14:53)
流石の芸である。とにかく、寄席で正楽師匠は、今や不可欠。前進座に末広亭か鈴本か、という寄席の空気が漂い始めた。
今日の贅沢の二つ目は、最初、正楽師匠の紙切りの作品をお客さんに渡していたのは、三之助だったが、途中から権太楼師匠が普段着で舞台に出てお客さんへに渡し始めたのだ。お客さんも、はじめは「えっ?」という感じから、そのうち握手を求めるお客さんに気軽に応える権太楼師匠。夜の部の関係で三之助が休憩中だったのか。しかし、切り紙をお客さんに照れながら渡す時の権太楼師の顔が、またいいのだ。
余談だが、終演後に吉祥寺駅へ向かう帰り道、夜の部までの休憩を終えたのであろう、私服で会場へ急いで戻ろうとする正楽師匠とすれ違ったのが、なぜかとてもうれしかった。高座姿と同じように左右に体を揺らしていたものだから。

柳家小三治(14:55-15:58)
「ニュースでは例年より17日早い木枯らし、らしんですよ」「どこで木枯らしが吹いたんですかねぇ」という話からマクラは始まった。木枯らしの俳句、というネタから話はあちらこちらへ飛んでマクラは約30分。自作の俳句を2題披露したが、その出来は別にして、重要なのは「俳句を始めて40年位になりますが、2~3年前から、人にどう思われよう、とか思わないで、自分自身のために作ればいい、とようやく思えるようになった」という話。「感じたことを、感じたように」という最近よくおっしゃる、ある意味で悟りのような持論になる。その後、いろいろと話は徘徊し、やおら始まったのが『猫の災難』である。マクラほぼ30分。結果として本編も約30分。この位が、ちょうどいいような気がする。さて、『猫の災難』は柳家のネタだ。三代目の小さんが上方から持ち込んだと言われている。だから五代目のこの噺も良かった。そして、今日の小三治師匠の出来栄えも、素晴らしかった。先代小さんは、本人も上戸であり、その呑みっぷりは定評のあるところ。しかし、小三治師匠は、よく知られたことだが下戸である。なぜ、これほど酒飲みの心理を巧みに表現できるのか、ということに驚く。「それがプロだ」という指摘もあるだろう。しかし、今日の小三治師匠の熊さんの飲みっぷりは、そして、この噺全体の完成度は、きっと歴史に残るものだろう。これも、人が飲んでいる姿を観察して「感じたまま」に演じている、ということなのだろう。そうか、実はマクラはそういう意味だったか、と後から気づいた次第。

いい、落語会だった。会場よし、客層もよし、そして演者すべてがよし、というなかなか味わえない落語会だった。
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# by kogotokoubei | 2008-11-01 18:58 | 落語会 | Comments(0)
どうも、私が来れるのはこれが最後かもしれない、三田の仏教伝道センターでの第25回目の落語会である。まずは、ネタから。
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柳家小ぞう      初天神
桃月庵白酒      短命
橘屋文左衛門    試し酒
(仲入り)
柳屋喜多八     文七元結
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小ぞうさん、聞く度に間違いなく達者になっている。今後に期待、という常套句であるが声援を送りたい。

桃月庵白酒(13:50-14:30)
マクラがますます冴えてきた、ということは、芸の懐が深くなったということかと思う。
時局ネタでは、「メラミンって響きが健康に良さそう。メラミン、セサミン・・・・・・」あたりから、「ビクターさんは本当にカットしないから・・・・・・」と言いながら、都内の寄席の惨状を言いよどんでいながら、鈴本の「ラブシート」ネタをふって本編へ。これは、ビクターが本当にカットしないから「ここだけの話」ができないのだろう、と理解。もちろん難しいのだろう、ライブのどこをカットするかといった編集の判断、感性は。しかし、ノーカットでDVD化されることを承知では、さすがに際どいネタは自主規制するだろう。一番楽なのがノーカット。しかし、それでは、゛生゛で゛ライブ゛で味わった者とDVDの購入者と「情報量」としては一緒になる。それは違うと思いますよ、ビクターさん。(でも、これは、配布されたチラシを見て、終演後にスタッフの方にお聞きしたひとまずこの会が終了する、という話を聞く前の感想。ビクターさん、これからも頑張って!)
さて、白酒師の熱演、特に感心したのは「くやみ」の芸。『寿限無』でのくやみを見事に演じたご隠居、それに呼応する八五郎の「たらちねでもできる?」の間が良かった。この人は「長生きも芸のうち」という観点では、ぜひ少しダイエットしてもらい、長く楽しませて欲しい。

橘屋文左衛門(14:30-15:05)
マクラは白酒師のマクラを少しいただいて「ダウ平均株価」から。「麻生首相がホテルのバーで飲んで何が悪い?」「ホテルのバーって、そんなに安いのかな、行ったことないけど、ホッピーでも呑んでるの?」など、まぁまぁの乗りだが、この人は、聞く度に゛二日酔い゛という言い訳が気になる。ラジオデイズの時は、そんな話をしながら今日の喜多八師匠の大ネタ『文七元結』を1時間近く熱演し、なかなかであったが。そういう噺家だから、今日のネタは「ニン」であった・・・・・・。
久蔵が呑む酒の二升目あたりから酒の匂いがしてきたことから、今日の出来が分かるというもの。一升目の飲みっぷりで会場から拍手が沸き起こった。いわゆる「ふら」がある人なのだが、まだ壁を突破するまでには至らない、という印象。好きな噺家さんなので、ぜひ、一皮もふた皮も剥けて欲しい。

柳家喜多八(15:15-16:05)
喜多八師匠の文七は初めて。この人は、出やマクラの弱々しさに騙されてはいけない、「コントラストの魔術師」といえる噺家である。登場人物の演じ分け、静と動、声の大小、という変化を巧みに芸として活かすテクニシャンである。時節柄少し早いかな、と思うのはこの落語会の事情なのだろう。「コントラストのマジシャン」の今日の芸、特にラストシーンでの鼈甲(べっこう)問屋・近江屋卯兵衛の貫禄ある姿と長兵衛とのコントラストが見事だった。吾妻橋でのくすぐりで「誰か来ねぇかな、来りやぁこんな奴渡しちまうのに」など、師ならではのオリジナリティも秀逸だが、やはり何と言っても「コントラスト」の妙がいいのだ。時間の都合でマクラもそこそこに本編に入り、終了間際の携帯電話の騒音にも惑わぬ熱演。


どうも11月22日の会で、これまでの「ビクター落語会」のスタイル、仏教伝道センターでの開催は終了するらしい。経営的に厳しいのであろう。しかし、ホームページには、まだ、こう書いてある。
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<ビクター落語会とは>

「ビクター落語会」は古典落語を通して、「落語の本格」をお楽しみ戴き、
また落語文化をいささかでも高める場となればとの思いから発会致しました。
ご出演頂く噺家の方々も、当会の趣旨に共感し腕をふるいたいと言ってくれた
面々による顔付けになっております。
今後とも当会へのご贔屓を賜りますようお願い申し上げます。
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主催者や形態、会場は変わっても、ぜひこの精神は忘れず頑張って欲しい。
この位の席が落語には寄席の香りがしてちょうど良いのだ。
今年も何度かうかがった、この会。本当に終了は残念だが、装いを新に再出発されるのを期待。

<補足>
ビクターの冠がなくなっても、「三田落語会」として、この会場で開催されるらしいが、詳しいことは11月22日の最終回で説明されるようです。私は都合で11月22日には行けないので、梅薫庵さんなど他の熱心な落語ファンの方がきっとフォローしてくれることを期待しています。
梅薫庵さんのブログ
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# by kogotokoubei | 2008-10-25 21:33 | 落語会 | Comments(0)
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NHK総合テレビの「プロフェッショナル 仕事の流儀」の今日(日が変わったので昨夜だが)は、100人目という特別版で柳家小三治師匠だった。
小三治師匠の本の中で読んだ内容もあったが、本人の生の言葉で語られるさまざまなエピソードが非常に刺激的だった。師匠小さんが「お前の噺は面白くねぇな」の一言からの苦悩。志ん生の言葉「落語を面白くするなら、面白くしようとしないことだ」という珠玉の名言。これまで、この名言は師匠小さんのアドバイスだとばかり思っていたので、意外な発見である。小さんの有名なアドバイスは「その料簡になることだ」であり、よく言われるのが「狸の噺なら、狸の料簡にならなきゃいけねえ」である。だが、今日の放映には一切この小さんの口癖のことは話題は出てこなかった。「おもしろくねえなぁ」と言ったきり床屋へ行った師匠はひどい、という発言は面白かったが。

今年8月に主任をつとめた池袋演芸場上席昼の部での姿が取材されており、プログラムの中心として使われていたが、初めて見る六畳という狭い楽屋を含め、貴重な映像だった。中休み前の三日目、その日のネタが決められず、よもやま話のマクラで探りながら始めたのが十八番の一つ『あくび指南』というのが驚きだった。こういう噺は、ある程度決めていないと出来ない噺ではないのか、という疑問である。さすが名人と思わせる一瞬だった。楽日前日の逸話も興味深い。前座が漢方薬の入った湯呑みを出し忘れていた。しかし、この萎えかけた自らにつぶやいた言葉が「小さく、小さく」だったと言う。ついつい受けようとする気持ちを戒める言葉とのこと。そして始めたその日のネタが『死神』。その時のくじけかけた気持ちをそのまま主人公の惨めさに投影したのであろう。このへんが名人芸なのかと得心した。そして、楽日は『宿屋の富』。

もちろん、落語ファン、小三治ファンには、8月の池袋でのネタの説明は不要かもしれないが、それぞれの「楽屋話」があって、師匠の心の動きがうかがえるようで、゛えっ、この時にこのネタ゛という意味で書き記しておきたかった。

上野鈴本で恒例だった余一会での独演会は今年で終了らしいが、池袋の真夏の主任興行は、どうも小三治師匠自身が”まだ頑張れるだろうか”ということを測るバロメーターと考えているようであり、また「江戸っ子」としての寄席へのこだわりでもあるようなので、しばらく続けてもらえそうな気がした。もちろん、「無理をするこたぁねぁ」と思ってやめても不思議はないのだが。
真夏の池袋、平日の昼席、夏休み前でいろいろ忙しい時期、しかし来年もご出演いただけるのであれば休みをとってでも行って、立ち見でもいいから行ってみようかと思った次第である。あの狭い特殊な空間で演者の呼吸音が聞こえる寄席というものは、なかなかホールでは味わえないものだ。

ちょっとだけ、師匠小さんとのやりとりについて補足したい。小三治師匠の著書『落語家論』の中で、次のようにある。第一章の「面白くねぇな」の部分から抜粋する。
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「お前の噺は面白くねぇな」
このひとことは効いた。グサっと心の臓を突き抜けた。しかも、どうしたら面白くなる
のでしょうかとは聞けない威厳があった。そんなことは自分で考えるのだ、人に聞く
もんじゃないうという、裏を含んだ口調であった。
(中略)
ボクは、師匠小さんはほったらかしで何も教えてくれない、と愚痴を言っている訳
ではない。その逆で、よくほったらかしにしてくださいました、という気持ちでいっ
ぱいだ。ここはこうやるんだよと親切に教えてくれれば、なんとかそのようにできる
かもしれないが、それ以上のものはできなくなってしまわないだろうか。
(中略)
あるとき、師匠が「気の長短」を演じるのを人形町末広の高座のソデで見ていて、
ハッとした。気の短い方がじれてくるところがあの噺では一番むずかしいのだが
(これもずっとあとになってわかってきたことだが)、その短七つぁんにハッとした。
ダラダラした長さんの話を聞いているうちに短七つぁんがイライラしてくるわけだが、
イライラしてくると、座ってる師匠の足の指がピクピク動いたのである。お客さん
からは、どんなことがあったって見えない場所だ。ボクはそれを発見したうれしさ
とあきれ返ったのとで、ボーッとしてしまった。
「その料簡になれ」
なァるほどなァ。イライラするときは足の指を動かせ、と、もし教わったとしたら、
フーンそんなもんかで終わっちまっただろう。
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月報『民族芸能』に連載された「紅顔の噺家諸君」というタイトルのエッセーを中心に本書は2001年に小沢昭一さんが発行者である”新しい芸能研究室”から単行本で発行され、昨年末、ちくま文庫でも発行された。上記の内容は昭和61年に書かれたもので、小三治師匠がまだ40歳代である。さすがに筆に勢いがある。68歳の今日の番組を見たことで、この本を読み返す楽しみも増した。私にとっては、著作と映像、昔と今、師匠と弟子、寄席とホール落語、といった複数の対比を楽しむことにつながる好企画だった。そこには、司会者とゲストという対比もあって、さすが小三治師匠、冒頭では司会者の茂木健一郎さんを鋭い質問でやり込める一瞬があり、このあたりも「名人」、なのである。

柳家小三治_落語家論
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# by kogotokoubei | 2008-10-15 00:27 | テレビの落語 | Comments(2)

『志ん生一代』結城昌治

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「お好み寄席」で古今亭志ん五師の思い出話を聞いて、久しぶりに本書を開いてみた。本書によると、志ん五師の初高座で志ん生最後の寄席となった昭和43年上野鈴本の初席の後の一月二十日、柳家三語楼門下で兄弟弟子だった柳家三亀松が胃ガンで66歳で亡くなっている。
 その三亀松が亡くなってから三日後、談志家元が志ん生宅を訪ねた様子が次のように描写されている。

 志ん生は機嫌よく談志を迎えた。話相手が欲しいところだった。
 談志のほうは、志ん生が去年の十一月に勲四等瑞宝章をもらったお祝いと病気見舞いが口実で、ただ会いたくて会いにきたのである。
「お客さんに酒だよ」
 志ん生は美津子に言った。もちろん自分が飲みたいのだ。
 午前中に胃けいれんで苦しんだことなど忘れ、心配する美津子にわがままを通した。酒はコップに冷酒である。
「酒がいちばんいいね。酒というのは人の顔色をみない。貧乏人も金持ちも同じように酔わしてくれるんだ。あいつは酔わせないよ、なんて 言わねえとこがいい。乞食にも厭な顔をしねえからな。若い頃は毎日二升も飲んでいて、それを病気になったからって途中でやめるのは 卑怯だよ。」
 志ん生はまわらない舌でよく喋った。



この後、話題は貧乏のどん底時代や、戦争中の慰問興行のことなど多岐に渡り、志ん生はよほど談志の訪問がうれしかったらしく銭湯に行く時間になっても「きょうは銭湯やめだ」と話が続く。

 もちろん話は芸談にも及んだ。
「ある師匠に、おまえがやる大工調べの棟梁は軽すぎる、もっと貫禄をつけろって言われたんですがね。ぼくはあの棟梁はばかなお調子野郎で、そのばかなところが面白いと思うんだけど、師匠はどう思いますか」
「それはそう思ってやるのが当たり前さ。あいつは啖呵を切りてえ野郎なんだ」
「そこがどうもわかってもらえない」
「近頃のはなし家はみんなケバだよ」
「畳のケバみたいなもんですか」
「そうじゃねえ。馬のケツ(尻)の穴の毛みてえなもんだ」
 志ん生はますます上機嫌で、談志が腰を上げなければ、話はいつまでも続きそうだった。


 著者は志ん生にとって生涯にわたっての憧れであり目標であった四代目の橘家円喬を引き合いに出し、志ん生を支えてきたプライドを描こうとしている。談志が帰った後、志ん生は娘の美津子さんに「独演会をやるから人形町に電話しろ」と言ったらしい。美津子さんをはじめ家族が体調を気遣い、さすがに独演会は実現しなかったが、十月九日には精選落語会に出演する。
その日のプログラムの豪華なこと。

さん治(現、小三治) 『厩火事』
正蔵  『三人旅』
文楽  『景清』 
(仲入り)
志ん生 『二階ぞめき』
円生  『猫忠』

 の予定だった。゛予定だった゛と書くのは、得意の『二階ぞめき』が途中で『王子の狐』に変わってしまったからである。
 初版は昭和52年に朝日新聞社から単行本で発行され、2005年に学陽書房から文庫が出た。しかし、たった3年前のこの文庫を置いている書店を探すのはけっして楽ではない。今や欲しい本は古書店で探すか、インターネットで購入する、そんな時代になってしまった。

 日本のハードボイルド小説家のパイオニアと呼ばれ、すぐれたミステリーの書き手であった直木賞作家が、唯一遺した落語名人一代記である。落語家の伝記としては、小島政二郎著『円朝』富士正晴著『桂春団治』と並ぶ三大傑作だと思う。お奨めです。 結城昌治_志ん生一代
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# by kogotokoubei | 2008-10-13 17:14 | 落語の本 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛