噺の話

kogotokoub.exblog.jp
ブログトップ

茶の湯

季節の噺。とはいえ今年7月に新宿亭砥寄席で聞いた鯉昇のこの噺の印象が色濃く残っている。先日の一之輔も悪くなかったが、飲み食いが関わる滑稽噺で鯉昇の突き抜け方は半端ではない。この噺自体が噺家さんそれぞれのクスグリを入れやすいこともあり、さまざまな人がかけるので、若い落語ファンにも馴染み深くなっていると思う。

地で語る部分を含め、次のような筋書きである。
-----------------------------------------------------------------------
(1)蔵前の大店の主人、家督を倅に譲り根岸の隠居所へ移る。
(2)供としてつれていった定吉と退屈な日々を過ごすご隠居だったが、
  せっかく茶室があるので「茶の湯」を始めることになった。
(3)しかし、ご隠居も定吉も茶の湯のことはまったく分からない。根が
  ケチな隠居、定吉が探してきた青黄粉で茶を点てようとする。しかし、
  泡が立たないので、またもや定吉が探してきた椋の皮で泡立てる始末。
  このとんでもない代物を茶だと信じて二人は毎日「風流だなぁ」と、
  必死に飲むのだった。
(4)二人はとうとうお腹をくだしてしまうが、今度は他人に飲ませよう
  と企てる。孫店(まごだな)に住む手習いの師匠、鳶頭、豆腐屋に
  茶会をするから来るように手紙を出した。店子の三人、茶の湯の流儀
  を知らないので恥をかくから引っ越そうと思ったが、手習いの師匠の
  真似をしてなんとかその場をしのごうということになり、隠居の家へ。
(5)師匠、豆腐屋、鳶頭の順でなんとかひどい茶(もどき)を飲んだもの
  の、まずくて口なおしに羊羹をほおばって退散。隠居は懲りずに近所の
  者を茶会に呼ぶのだが、噂が広まり、呼ばれた者は飲んだふりをして、
  羊羹をいくつも食べていく始末。羊羹代が馬鹿にならない勘定になって
  きた。ケチな隠居、何か安く菓子を作れないかと考え、薩摩芋を買って
  きて蒸かして皮をむき、すり鉢に入れて黒砂糖と蜜を加え、すり粉木で
  摺って椀型に詰め型から抜こうとするがべとついてうまく抜けない。
  そこで胡麻油がないので灯し油を綿にしめして塗るとうまく抜けた。
  この油まみれの物体に「利休饅頭」などと名付けて客に出すことにした。
(6)ある日、蔵前にいたころの知り合いの吉兵衛さんが訪ねてきたので、
  さっそくお茶(もどき)を点てる。吉兵衛さん、隠居がいつもより多く
  椋の皮を入れて泡だらけになった液体を目を白黒させて飲み込んで、
  今度は口直しにと「利休饅頭」をほおばったが、とても食べられる代物
  ではなく、あわてて便所へと逃げた。
(7)吉兵衛さん、饅頭を捨てようとするが掃除が行き届いた縁側には捨て
  られず、前を見ると垣根越しに向こう一面に菜畑が広がっている。あそ
  こなら捨ててもいいだろうと放った菓子が畑仕事をしている農夫の横っ
  つらに当たった。農夫の「ははは、また茶の湯か・・・・・・」でサゲ。
-----------------------------------------------------------------------

最近の噺家さんは、「根岸」のキーワードでクスグリを入れることが多い。一之輔もそうだった。もちろん、昔はお妾さんを住まわせたり、この噺のように隠居所としてふさわしいとされた静かな地域だが、今は有名な落語一家の住むところ。決して“静か”ではない。いじり甲斐もあるのだ。

本来の噺家のオリジナリティの発揮しどころは、主に(3)の“茶もどき”を製造する場面だろう。7月の鯉昇では「椋の皮」が、ついに「全温度チアー」になり涙を流して笑った。
また時間があれば(4)の長屋トリオの慌てぶりなども、場面が替わった新鮮さを含め遊び甲斐があるといえるだろう。

なお、この「椋の皮」について、日頃御世話になっている「落語の世界を歩く」では、下記のように「椋」ではなく「無患子(むくろじ)」であると指摘されている。
落語の舞台を歩く 茶の湯
------「落語の舞台を歩く」から----------------------------------------------
椋の実は広辞苑に食用と出ています。で、それを乾燥しても食べられるはずで
(ドライナッツ)、この口伝は間違って伝わっています。正確には無患子(むくろじ)の
事です。”むくろじ”がいつか”むく”になってしまったものです。
 ただ、「むくろじ」を略して「むく」と呼ぶ事があるので、紛らわしい。

e0337777_11060923.jpg

*無患子(むくろじ)
  ムクロジ科の落葉高木。高さ約10~15メートル。6月頃、淡緑色5弁の小花を大きな
  円錐花序につけ、球状の核果を結ぶ。種子は黒色で固く羽子(ハゴ)の球に用い、
  また果皮はサポニンを含むので石鹸の代用とした。西日本の山林に自生し庭園
  にも栽培。むく。つぶ。
----------------------------------------------------------------------------
さすがである。この噺を得意にした博学な三代目三遊亭金馬でさえ「椋の皮」で演っている。
原話は1806(元和3)年に出された『江戸嬉笑』所収の「茶菓子」と伝えられているが、長年の間に「無患子(むくろじ)」→「むく」→「椋」となったのだろう。しかし、噺の筋としては、「椋の皮」であっても崩れないので、あくまで能書きとして書いたまで。

この噺、ややうがった見方をするならば、行儀作法にうるさい茶道の世界を、庶民の立場から目一杯おちゃらけにした落語、ということもできる。しかし、身勝手なご隠居の行動が巻き起こす滑稽噺であり、あくまでこのご隠居が主役。
さて、この人が『千早ふる』で珍説を振り回すご隠居や、『寝床』で店子や使用人達を困らせるご隠居と同一人物か否かは定かではないが、ともかく自己中で、ええかっこしいであるのは他のご隠居と同様。“普通”の人は、「茶の湯」をしようにもどうすればいいか分からなけりゃ人に聞くだろうが。しかし、それをしないからこそ、落語。

でも、我々凡人には、この困ったご隠居と本質的に似たところが、間違いなくある。特にある程度の年齢になると、「こんなこといまさら、恥ずかしくてとても人に聞けない」、なんてことがどんどん蓄積されてくる。その状態で「茶の湯」隠居になるか、こわくて何もしないでストレスをためるか、が落語と現実との違いであろう。
サラリーマン川柳でかつて感心したものに「デジカメの えさは何かと 孫に聞き」というのがあったが、このおじいさんの精神が必要なのだろうなぁ。恥をかいても笑われてもいい、という開き直りのようなものが、この川柳のおじいさんから感じるではないか。聞きたくとも我慢して、生涯知ったかぶりのままではストレスもたまろうというもの。周囲の人が皆やさしく度量が広いなら、この噺のご隠居でもストレス少なく生きていけようが、現代社会なら、まず相手にされない。

いろんな意味で周囲から孤立した老人が“うつ”になる時代だ。私の周囲にもそういう高齢者が少なくない。落語を聞く人がもっともっと増えて、私が高齢者になる頃(もうすぐだが)、年寄りの失敗や粗相を笑って許せる社会になることを期待したいものだ。(最後は、妙にシリアスなサゲで失礼・・・・・・)
[PR]
# by kogotokoubei | 2009-11-05 16:07 | 落語のネタ | Comments(0)
8月の第6回、ゲスト柳家権太楼以来のこの会である。来月で最終回だが、ラス前のゲストは花緑。
結論から言うと、非常に満足な会だった。
演者とネタ。
-------------------------------------
(開口一番 柳家花いち 元犬)
柳家三三   道灌
柳家花緑   野ざらし
(仲入り)
柳家三三   文七元結
--------------------------------------

花いち(19:00-19:15)
7月の朝日名人会の開口一番(『桃太郎』)については、その噺についてコメントしなかった。それは朝日名人会の開口一番という構成面について疑問を呈したからだが、今日は少しほめたい。
いい味が出てきたと思う。師匠花緑や三三と同様、やや華奢な体型ながらも声はよく通りメリハリがきいている。噺にもしっかりとした起伏があり、結構うるさ方が多そうな会場も、このネタで笑いをとっていた。今後も期待したい。

三三『道灌』(19:16-19:41)
師匠小三治から稽古をつけてもらった噺は一つもなく、一席だけ師匠の前で聞いてもらったネタがこれ、ということで柳家伝統の前座噺を披露。この後で花緑もコメントしていたが、なかなかのネタ選びのセンスである。そして、「柳家の『道灌』は、こうだ!」というような意気込みを感じる内容。結構、緊張感が伝わった。その結果、噺の内容、味わいも良し。さて、二席目が楽しみ。

花緑(19:42-20:17)
三三の前座時代の思い出話やらなにやらと20分程マクラがあったから約15分でサゲまで演ったことになる。そのマクラでは、子ども時代の映像を見て、その年寄りじみた口調に驚いた、という話があった。なるほど、九歳で落語界に入り高齢者ばかりの異質な世界にいれば、そうなるだろう。それに比べて今の花緑の若さ(もちろん、若いのだが)や明るさというのは、落語界で別な意味で異質であろう。しかし、良い意味で。三三の『道灌』の選択理由にジャブを軽く打つかのように、こちらは小三治に稽古をつけてもらった噺、ということで『野ざらし』。
あらためてこの人の力量を認識した。サゲまでダレないし、この噺の楽しさを十分に訴え会場を沸かせた。私があらためて言うまでもなく、この人はひ弱な「七光り」では決してない。三十八歳、今後どんな噺家になるのだろうか。非常に楽しみである。こんなことを言うと問題もありだが、七代目小さんを目指してもらおう。

三三『文七元結』(20:32-21:29)
マクラなしで本編へ。ほぼ一時間の三三版文七は今年の個人的なベスト3には間違いなく入る。堪能した。佐野槌の女将には談春の匂いもするが、その“強さ”、”厳しさ”は三三ならではのもの。後は、“やさしさ”を上手く盛り込めれば、という欲もあるが、それも時間の問題だろう。三三の隠居役は、ありにもはまりすぎで閉口することもあるが、高齢の女性の場合は年だけではなく味わいが深くなるような気がした。
長兵衛が文七に五十両を渡すヤマ場では、「死ぬな」のキーワードが際立った。文七が飛び込もうとする、長兵衛が止める、という繰り返し部分も、この位の「くどさ」なら結構だろう。全編よどみなく、かつ物語の展開、スピードの緩急、ともかく今年聞いた中では傑出していた。


十番勝負も来月で千秋楽。三三はついに師匠小三治を担ぎ出した。発売日が昨日の日曜で外出していたこともあり油断していたが、にぎわい座窓口でもチケットは完売だった。どなたかがブログで書いてくれることを期待しよう。
一時、その「老成」が気にかかったが、花緑との真っ向勝負の二席を聞き、その杞憂はなくなった。年寄りに限らず幅広く登場人物の描写が優れている、と考えていいだろう。佐野槌の女将には、意外性もあり感心もした。ますます今後が楽しみである。(七代目の小さん、実はこの人かな・・・・・・。)
[PR]
# by kogotokoubei | 2009-11-02 23:13 | 落語会 | Comments(0)
平成21年10月29日という日は、なんと罪な日なのだろうか。
この日の午前中に亡くなって、マスコミへの発表が翌30日だった五代目の三遊亭円楽については、各メディアには十分に追悼記事を掲載させる準備があったようだが、同じ日夜に亡くなった立川文都の扱いは、あまりにも対照的だ。
落語協会から脱退した翌年の昭和54年9月3日に円楽の師匠六代目の円生が亡くなった時、同じ日の夜半、日付がかわった頃に亡くなった上野動物園の人気者パンダのランランのニュースのほうが新聞やテレビにあふれ、名人円生のメディアでの扱いが極端に少なかったことを思い出す。

円楽は、いわゆる「四天王」の一人であったし、「笑点」で全国区の人気だった。もちろん落語界にとって伝承者として得がたい人を亡くしたことは残念である。しかし、個人的には、まだ49歳の文都の死が重い。

前座時代の立川関西、と言ったほうがなぜか馴染み深いが、それは多分に『赤めだか』での印象が強いからだろう。談春とは入門が一ヶ月違いの同期。談春のベストセラーエッセイ『赤めだか』で語られる修業仲間の談春達に示していた関西の友情や、高座やテレビなどでもうかがえる彼のなんとも言えない柔らかな笑みが暖かな人柄を表していた。出身の上方ではなく、あえて立川談志に入門してからの関西弁を直すための悪戦苦闘、談春達との“理不尽”な築地市場での修業などを経て、いまや一大勢力となった立川流においても、欠かせない中堅の位置づけだったはず。良くも悪くも“尖った”人材の多い立川流で、文都の柔らかさは得がたかった。直球勝負ばかりの噺が続く時に、文都の変化球には救われるような思いもした。

あの世では今頃、
「談志の弟子?師匠じゃなく、弟子のお前が先に来たのか!談志って奴ぁ・・・・・・」
と昔話をする円楽に耳を傾け柔和に微笑む文都の顔が眼に浮かぶ。

お二人に、合掌。
[PR]
# by kogotokoubei | 2009-10-31 08:01 | 落語家 | Comments(0)
にぎわい座の地下にある“秘密倶楽部”のような「のげシャーレ」が満員である。開演10分前ほどに着いたが前三列のパイプ椅子席はすでに埋まっており階段席へ。パイプ席は一列18席ほどで3列。階段席が一列14~15席で4段、だったかと思う。満席で100余りの会場が開演前に埋まった。白酒人気を物語っていた。

今日が第二回目で一回目は気がついた時には“ぴあ”では完売だったので今回は発売日に購入していた、楽しみにしていた会。
時間を含めて下記の通り。
--------------------------------------------------------------
古今亭志ん公  厩火事       19:15-19:35
桃月庵白酒   錦の袈裟      19:36-20:11
(仲入り)
桃月庵白酒   宿屋の仇討    20:23-21:05
--------------------------------------------------------------

開口一番はないのかと思ったが、前座ではなく二つ目の志ん公が白酒の依頼で務めたようだ。
この会場は不思議な空間で、階段席は高座よりも高い位置になり、私の席あたりが噺家の目線と同じ位の高さになる。「高座」ではなく「低座」である。主役の白酒はさすがに目線がしっかりしていたが、志ん公にはこの環境はプレッシャーがかかったようで、前半はややオドオドした様子。「麹町のサル」あたりから落ち着き出したが、噺の出来は本人も満足はしていないだろう。いい雰囲気のある古今亭の若手なので、今後も暖かく見守りたい。

白酒の第一席。
今日の高座だから、やはり円楽のことからマクラが始まったが、途中から円生つながりで川柳のことになり結構引っ張る。先日のよみうりホールでも共演した記憶も蘇ったのだろうつい長引いて円楽ネタになかなか戻らなかったのだが、それはそれで、いつもの“毒”のある現代風のエスプリが楽しい。マクラ15分で、さてどんなネタかと思ったら『錦の袈裟』へ。本編20分だが肝腎な筋はしっかり押さえて、与太郎の味もよく、「澄み切ったバカ」などの白酒ならではの表現も笑いを誘い、十分に楽しめた。

二席目のマクラは約10分で、チケットの購入ノウハウなど。
この噺でこの人らしさがもっとも発揮されたと感心したのは、三人組で相撲をとる際に「佐野山」や「花筏」をクスグリで巧に盛り込んだところ。もちろん、江戸っ子三人組の中でリフレインされる「想い出づくり」というキーワードも現代風でユニークだし、効いている。侍が何度も伊八に前夜のことを繰り返すダレ場もうまく聞かせて、流石である。先日の『替り目』通しを聞いたあとなので、今後はこの噺の江戸版とも言える、かつて志ん生くらいしか演らなかった『庚申待』を聞きたいものだ。


エスプリの効いたマクラにオリジナルの現代版クスグリ、そして師匠雲助譲りの本寸法。この人の可能性は体型と同様大きい。朴訥や素朴というイメージの強い九州男児とは思えない現代的なセンスの良さ(九州出身の方、ゴメンナサイ)もあって、急速に人気が高まってくる理由が、よく分かる。12月の会の次は会場の関係で来春4月らしいが、その前に上の演芸ホールで雲助一門会があるかもしれないとのこと。なかなかの顔ぶれが揃ってきた一門である。都合次第で要検討だ。

現代と古典の融合という観点で落語の可能性を考えた場合、白酒への期待は高まる。志ん輔が志ん生の名を継がないのなら、この人ではないかとも思う。七代目円生も継ぐ人がいるようだし、早く誰かが六代目志ん生を襲名して欲しい。若手で可能性のある人という選択肢があったっていいんじゃないだろうか。そんな思いもした夜だった。
[PR]
# by kogotokoubei | 2009-10-30 23:16 | 落語会 | Comments(0)
今月はいろいろと仕事やら野暮用やらがあって、今日が最初の落語会。
よみうりホールの一階はほぼ埋まったが2階は大半が空席。
実際のタイトルは「よってたかって秋らくご 21世紀スペシャル寄席ONEDAY」と、無駄に長い。
最近のつまらないテレビの特番並みである。センスのかけらもない。

演者とネタ。
-----------------------------------------
(開口一番 柳亭市也 金明竹)
春風亭一之輔  茶の湯
川柳川柳     ガーコン
(仲入り)
桃月庵白酒    替り目
柳亭市馬     掛取り
-----------------------------------------

市也(13:00-13:14)
コメントがしずらい。落語未体験と思えるお客様も多く結構笑いはとっていたが、「蛙とびこむ水の音」は噺の伏線として重要なので、最後の“おと”までしっかり発音しないとダメ。前座噺、という位である、この噺ならもっと自分のものにしなければならない。イケ面だが、だからフラを感じないタイプ。市馬師匠を見習って、しっかりした落語を今からしなければならないように思う。

一之輔(13:15-13:36)
なぜか青々とした丸刈りで登場。何かあったか・・・・・・・と勘ぐったが、床屋に行ったばかりなのだろう。久しぶりの一之輔だが、やはりこの人は間違いなく次の時代を担う一人になるだろうと思った。“なつめ”を“まさこ”と言ったり、隠居と定吉を“秘密結社”と表現するあたりのクスグリというかギャグの秀逸さもあるが、噺の本筋は絶対崩さないで自分の世界を作っている。
平成13年に一朝師匠に入門なので、来年で9年ということだが、落語協会が来年一之輔を真打にしても、落語ファンで小言を言う人は少ないのではないだろうか。もう十分に実力は周囲も認めるところだろう。

川柳(13:37-14:04)
寄席以外で「ガーコン」は初体験である。少し喉の調子が悪いようで途中で前座さんに水を頼んだが、その水が出るのが遅いことが気になった。イライラしていた川柳師匠に届けられたのが、安っぽい丸い茶碗に入った水のようで、それも気になった。師匠は相変わらずの調子で唄いまくっていただいたし、会場には師匠の唄を手拍子で楽しめる年代の方も多く、それなりの盛り上がり。だからこそ裏方の気の利かなさが気になった。

白酒(14:20-14:45)
『替り目』を、ほぼ通しで聞いたのは久しぶりだ。寄席のネタとしてもランキング上位だが、ほとんどは途中でサゲるので、うどん屋の「そろそろ銚子の替り目ですから」まで演じることは少ない。まず、白酒がこの噺を選んでくれたことがうれしい。もちろん定評のある適度に“毒”のあるマクラも含め、この人が持つ実力と潜在力には大いに期待したい。体と一緒で“大きな”噺家になって欲しいものだ。

市馬(14:46-15:25)
この時期にこの噺を聞けるとは・・・・・・。もちろん市馬歌謡ショーにハズレはない。しかし、この噺には早すぎるのではないかと思う気持も。「秋」のスペシャルでしょう・・・・・・。


白酒と一之輔は、この後は三田落語会で夜の部に出演予定。ちなみに三田の昼の部は扇辰と菊之丞。実は、今日のチケットを買ってから三田のことを知った。それは、まぁいい。自分の問題。

夢空間は、少し「遊びすぎ」である。それは、今日の会のタイトルであったり、川柳師匠への水の手当てであったり・・・・・・。落語会は寄席ではない。だから楽屋のことを前座にまかせっきりにはできないはず。ご高齢の川柳師匠の高座で、あらかじめ水やお茶の手配、薬やもしやの場合の救急車まで気配りをしておくのは主催者の当然の仕事だろう。
先週、仕事で複数の大きなイベントがあり、その事務方として準備期間から実際の運営まで緊張感が続いた。だから今日は噺家の芸よりも運営側に余計に注意が向いたようだ。イベントは「無事」で当り前と評価される。いかに事前にリスクをヘッジするか、あらゆる機会損失を想定するのが運営側の当り前の仕事である。またお客様に喜んでいただけるための細かな演出や気配りを考えるとなかなか眠れないし、夢で仕事をしていることが幾晩もあった。要するに、大きなイベントの場合、運営側スタッフ(特に責任者)の仕事には際限がないのだ。
「夢空間の会だから行こう!」と言わせるか、「夢空間か、やめとこう」と思わせるかは紙一重であることをわかっているだろうか。アンケート用紙も相変わらずの使いまわし。見る人は見ている、ということを肝に銘じて欲しいものだ。

構成についても、この会のコンセプト(そんなものがあるとして)を踏まえてどれほど主催者側の配慮があったのか疑わしい。「寄席」と銘打っていながら色物はない。たぶん、噺家のネタもご当人任せだろう。大きな会場と落語家を押さえたら、あとは当日、アルバイト(社員?)に仲入りでトイレに行く人に半券の注意を大きな声で言わせるだけ、だとしたら「スペシャル」の名が泣く。

八王子や三田、また相模原や他の地域で手弁当で頑張っている落語会の主催者のきめの細かい気配りと真摯な態度と、大手と言える興行主のアバウトさとやや傲慢に見える姿勢を、どうしても比較してしまう。今日の会、4,000円は決して安くはない。やはり「三田」だったかな・・・・・・と思いながら地下鉄の駅に向かった。
[PR]
# by kogotokoubei | 2009-10-24 18:54 | 落語会 | Comments(0)
正直あまり高い期待は持っていなかったので、次の映像にはうれしかった。
-----------------------------------------------
第19回(昭和36年1月13日)
古今亭志ん生 『おかめ団子』
三遊亭金馬  『薮入り』
第265回(昭和56年7月17日)
柳家小さん 『禁酒番屋』
-----------------------------------------------

それぞれ約1分ほどなのだが、NHKには、全編残っているのだろうか?
あるのならぜひ放送して欲しい。
志ん生に関しては、『風呂敷』(NHK)、『替り目』(映画「銀座カンカン娘」)以外で初めて見ることができた。
400回記念の口上での志ん朝もうれしかったが、落語ではない。

600回記念での6席は「日本の話芸」で放送済み(あるいは放送予定?)の内容(一部は短縮)で、まとめて見せてもらったからといって、コメントのしようもない。

収穫はあくまで上記の貴重な映像。残っているライブラリの全編再放送を期待したいが、番組のエンディングではなんらそういう類の告知はなかった。第600回の落語会そのものもいいが、それを記念して過去の名作を放送するというところまで、今後発想が拡大していくことを強く期待したい。何度も言うが、志ん朝を含む名人の“旬”の時代のライブラリーがたんまり残っているはずだ。
[PR]
# by kogotokoubei | 2009-10-13 21:26 | テレビの落語 | Comments(0)
たまたま来週の番組を調べていたら、NHKのBS2で10月12日の3時間のスペシャル番組が組まれているのを発見した。NHKのホームページの案内は下記の通り。
-----------------------------------------------------------------------
東京落語会600回スペシャル 10月12日(月) 午後4:00~7:00 

昭和34年(1959年)に始まったNHK主催の落語会「東京落語会」。今年
6月19日の公演をもって、600回・50周年という節目を迎えた。これまで
東京落語会では、志ん生、小さん、文楽、正蔵、志ん朝など至芸を誇る“名人”
たちがその舞台を踏んできた。今回の第600回公演では、現代の名人6人
が勢揃いし、記念のステージを極上の話芸で盛り上げた。
番組では、記念口上や楽屋・舞台袖のロケ映像を交え、さらに東京落語会
600回の歴史を振り返りながら、まるごと6本の落語を一挙放送。落語の
魅力を再認識してもらう、またとない番組。

【出演】三遊亭小遊三(落語「浮世床」)、桂米丸(落語「旅行鞄」)、
三遊亭圓歌(落語「中沢家の人々」)、柳家小三治(落語「馬の田楽」)、
桂歌丸(落語「小言幸兵衛」)、鈴々舎馬風(落語「猫の災難」) ほか
-----------------------------------------------------------------------

“まるごと6本の落語”そのものは、すでに「日本の話芸」で放送済みの内容かと思うが、“記念口上や楽屋・舞台袖のロケ映像”、“600回の歴史”の振り返りには興味がある。

でも、ちょっと待てよ?
30分の落語を6本とすると、それだけで3時間・・・・・・。どんな構成になるのか、ということも楽しみのひとつとしよう。
このブログで私が度々NHKの落語ライブラリーをもっと放送して欲しい、と書いたからではなかろうが、なかなかうれしい企画だ。「体育の日」を「落語の日」に替えることにしよう。

NHK BS オンライン
[PR]
# by kogotokoubei | 2009-10-10 06:51 | テレビの落語 | Comments(0)
e0337777_11060713.jpg

保田武宏著『志ん生の昭和』

 志ん生ファンが泣いて喜ぶ本だと思う。アスキー新書での発行。
 著者の保田さんは志ん生のCDとDVDの全作品691のガイドブックを書いているが、本書は”志ん生全高座と放送で見る昭和の落語”という趣だ。
志ん生全席落語事典-CD&DVD691-
「はじめに」に著者が執筆の狙いを語っているので引用する。

 

 志ん生の生き様は、いままでに三種類の伝記に描かれている。自伝『なめくじ艦隊』(昭和31年・朋文社)、同じく自伝『びんぼう自慢』(昭和39年・毎日新聞社)、小説の形をとっている結城昌治著『志ん生一代』(昭和52年・朝日新聞社)である。三つとも文庫化されているので、いまでも入手しやすい。
 いずれもエピソードがたくさんで、おもしろく読めるが、志ん生の高座についてはほとんど描かれていない。志ん生の芸が、どのようにして向上していったのか、当時の落語界は、どのような状態だったのかについては、ふれていないのである。そこを少しでも説明したいと思って書いたのが、本書である。



 これだけ読んでも、志ん生ファンがワクワクする姿が浮かぶ。私がそうだった。
 以前に『志ん生一代』については書いたことがある。
2008年10月13日のブログ_志ん生一代
 もちろん、『なめくじ~』も『びんぼう~』も読んでいる志ん生ファンの私にとって、この“マクラ”の効果は大きかった。各章のタイトルをご紹介。
------------------------------
はじめに
第一章 なめくじ長屋
第二章 「火焔太鼓」
第三章 ああ、満州
第四章 「お直し」
おわりに
------------------------------
「おわりに」の後の次の付録もうれしい。
・志ん生のホール落語出演記録
・志ん生の放送出演記録(落語のみ)

 保田さんの真骨頂は、まさに本文と巻末を含む「記録」にある。志ん生の高座や、落語界の動向について記されたそのデータには、この著者の執念のようなものを感じる。また、前述の三冊の著作はあくまでも志ん生を主役に描かれているのだが、本書は志ん生の“あの時”に他の昭和の名人達はどうだったか、という視点でも書かれているのが“その時”を客観的に知ることに役立つ。

 たとえば、戦後満州から引き揚げてきてからの志ん生については語られることが多いが、戦前のことについては、“びんぼう”とか、“借金”という言葉のイメージが強すぎて、寄席での人気をとる姿が浮かびにくい。しかし、志ん生襲名の前年、馬生時代の昭和13年でさえ、次のように名門の寄席でトリをとるだけの評価を受けていたことがわかる。

 

 馬生の人気が高まっていき、文楽はすでに大看板。それなのに橘屋圓蔵(山崎松尾・後の六代目三遊亭圓生)は低迷を続けた。自分は落語家に向いていないと真剣に思い込むようになり、ついに七月に東京落語協会に脱退届を出した。幸い届は保留されたが、圓蔵は七月中席から寄席に出なくなってしまう。九月上席から復帰したが、このあいだどうしていたのか、自著『寄席育ち』にも書いていないので不明である。
 圓蔵の苦悩をよそに、馬生は寄席でトリをとりまくる。五月は上席神田立花、中席人形町末広、下席駕籠町鈴本ととり続け、その後も人形町末広、四谷喜よしととる。ただ上野鈴本だけは、回ってこなかった。やはり落語睦会脱退以来のしこりが、まだ残っていたのかもしれない。



 この文章だけでも、戦前の「その時」の文楽、志ん生、そして圓生という三人の名人の位置づけがわかろうというものだ。馬生から志ん生を襲名したのは翌昭和14年だが、この年は東宝名人会とも契約をした画期的な年でもある。著者の記録が次のように記されている。
-------------------------------------------------------------------
 昭和14年に志ん生が東宝へ出演したうち、演目のわかっているのは
次のとおりである。
3月1日-10日
 替り目 千早振る 肥がめ たいこ腹 風呂敷 将棋の喧嘩
 火焔太鼓 大工調べ 売物八景 三助の遊び
5月1日-10日
 不精床 甲府い 犬の御難 町内若者 麻のれん 替り目
 馬鹿泥 後生鰻 万病円 宿屋の仇討ち
6月1日-10日
 がまの油 お化け長屋 女給の文 (四日は立川談志代演 反対車)
 鰻屋 三枚起請 鮑のし 狸 そば清 金名竹
10月1日-10日
 物識り 肥がめ お灸 替り目 穴泥 氏子中 火焔太鼓
 鰻屋 風呂敷 鮑のし
11月21日-30日
 鮑のし 町内若者 肥がめ 桃太郎 穴泥 ラブレター
 付き馬 お灸 火焔太鼓 雨の将棋 
-------------------------------------------------------------------
太字は複数回演じたネタ

 『火焔太鼓』を十八番にし始めたのがこの頃だということがよく分かる。後に十八番(オハコ)となる『替り目』『風呂敷』『鰻屋』、そして志ん朝が父の噺の中で“意外な十八番”と指摘する『鮑のし』も複数回披露している。なぜか『肥がめ』も多いが、これも志ん生らしさだろう。『雨の将棋』は、碁よりも将棋の好きな志ん生による『笠碁』の改題であろう。

 戦前と戦後、というテーマに関連しては、次のような文章もある。
 

 志ん生の高座が、一番よかったのはいつだろうか。長男の馬生は、「おやじさんは終戦前のほうがうまかったと思う」といっていた。馬生は昭和18、19年に、志ん生が数多くやっていた独演会の前座を務めていた。そこで満員の客に向かって迫力のある芸をぶつける志ん生をみて、「すごいなあ」と思ったであろう。
 しかし芸の巧拙は、数字で表すのは難しい。多分に聴いた者の主観によることになる。戦時中のほうが戦後よりうまかったことを証明するのは至難のわざである。


 この後、著者は「一番活躍したのはいつか」ということを“数字”で証明せんと、ホール落語が始まって以降の落語会、寄席、そしてラジオ・テレビといった放送への出演統計を紹介し、特に“活躍していた”と数字が物語る昭和30年から32年の三年間の演目をすべて並べた上で、次のように記している。
 

 昭和30年は70、31年は93、32年は68種類の噺を演じている。三年間を通算すると実に141種類となる。・・・(中略)・・・全盛期には寄席にも休まず出演している。多いときは年間63興行に出ており、一興行十日間のうち、二日休んだとしても年間500回は寄席で口演している勘定になる。寄席とホールと放送の口演合計が年間620を超える。こんなに数多くの噺と、多い回数を演じた落語家をほかに知らない。まさに質、量ともにナンバーワンである。


 この数字には圧倒される。
 
 巻末には、三越落語会・東横落語会・東京落語会・精選落語会・紀伊国屋寄席での全演目が一覧化され、NHKと民放のラジオとテレビでの演目も網羅されている。ちなみにテレビは昭和28年2月2日NHKで放送された『火焔太鼓』から、昭和41年10月9日に日本テレビで放送された『後生鰻』までの116席がリストアップされている。くどいようだが、ラジオではなくテレビで、14年間に100以上の放送があったのだ。それなのに、なぜ我々が今日映像で懐かしいあの顔と声、仕草に出会えるのが、NHK所蔵の『風呂敷』と、映画「銀座カンカン娘」の中で演じる『替り目』くらいしかないのが、不思議だ。ラジオはあれだけ音源が残されているのに。もちろん、版権の問題、広告主の問題、再生するための技術的問題、保存していなかったという過失、などいろいろ理由があるだろうが、まったく勿体ない話であり、勿体ない“噺”ではないか。

 本書の主役はもちろん志ん生だが、落語研究会やホール落語会、ラジオ・テレビで共演した噺家のこと、睦会や落語協会など所属団体の噺家のこと、そしてもちろん本人の演目について非常に丁寧に調べられている。代々の歴史のある名前を持つ落語家については本名を添えてあり、読者に間違いなく伝えようという著者の気配りがわかる。志ん生の落語家としての歴史を縦軸にしながら、その人生の時々で縁のあった人々や、“その時”の演目を知ることで新たな発見に素直に驚かされたり、『火焔太鼓』のレコードがなぜ戦後まで発売されなかったか、という謎解きなどもうれしい。200頁にも満たない本なのだが、なかなか味わい深いし貴重なデータブックでもある。

 とにかく、志ん生ファンと、古典落語ファンには、楽しくてためになる本としてお奨めします。
[PR]
# by kogotokoubei | 2009-10-03 08:08 | 落語の本 | Comments(0)
昨年9月2日の談春独演会以来の、この会場。「あ~また帰りのエレベーターが混むなぁ」と思ってはいたが、結果は、それにとどまらないヒドサだった。参考に昨年の談春独演会のブログを少し長いが引用する。
----------------------------------------------------------------------
溝の口駅前の商業ビル最上階、12階にある、初めて行く会場。
開演午後7時5分、談春師が登場で拍手。
「なぜ前座がいないかというと会場の関係で8時40分には終わってくれ、
ということなので・・・・・・開演を6時半にしたらいいでしょう、と言われたけど、
近所のお客さんばかりではないから、来れないですよね」“その通り”と思う
と同時に、いや~な予感。
会場、あるいは会場の制約が主役になってはいけないのだ。
前座なしのネタは次の2席。

『お化け長屋』 (マクラ約15分、本編約30分:19:05-19:50)
『五貫裁き』   (マクラ約15分、本編約30分:20:00-20:45)
  ・
  ・
  ・
多摩川超えでの落語会は、そう多くはないのだ。特に田園都市線
沿線ではなおさらである。聞きたい落語家が、「あそこではやりたくない」
と思ったとたんに、落語ファンのチャンスも減る、ということを肝に銘じて欲しい。
志の輔師の『歓喜の歌』着想のエピソードとして、一部公共の会場に
おける対応のまずさが語られていたが、なるほどと共感できた夜だった。
----------------------------------------------------------------------

今日は開演6時半。たっぷり柳の三人の噺を楽しめるだろうと思っていたのだが・・・・・・。
演者とネタ、そして時間は次の通り。
-----------------------------------------------------------
(開口一番 柳家さん市 寿限無 18:30-18:42)
柳家三三  道具屋        18:43-19:09
柳亭市馬  目黒のさんま    19:10-19:35
    (仲入り            19:35-19:46)
柳家さん喬 芝浜         19:46-20:26
-----------------------------------------------------------

要するに、三三と市馬が25分、さん喬40分という持ち時間で、8:30までに終わるというプログラムだったようだ。開演当初は600人の会場、ほぼ六分の入り。仲入り前に七分程度に増えていた。

この会場と運営の問題点をいくつか指摘する。
(1)噺の途中で客を席まで案内して騒音を出す
人の歩く音が大きく響く構造にもかかわらず、開口一番は許すが三三が始まってからも、噺の途中でわざわざスタッフが遅れてきた客を席まで案内する。ドアの開閉、歩く音、非常に耳障り。
一席終わるまではガラガラの後方の席に坐って、替わり目で坐ってもらうようスタッフがお願いするべきでしょう。三三は噺の途中でこの件をイジッタが、その時の笑いと拍手が今日一番大きかったのではなかろうか。

(2)時間が短い
昨年の談春の時と同様、少なくとも8:40位までは終演を延ばすべきでしょう。さん喬師匠は8:30を意識する余り、端折りすぎで、せっかくの大ネタが落ち着かなかった。落語の一席における10分の重みを知って欲しい。

(3)エレベーターの管理不十分
昨年同様、スタッフは混むことが当然予想できるエレベータ管理をまったくせず客任せ。よって、無秩序な行列で混乱気味。最初に私が乗った時に定員オーバーにもかかわらず誰も降りようとしないので、「開」のボタンを押して待っていた私は降りた。しばらく待って次にエレベーターに最初に乗ったが、今度も定員オーバーのブザー。最後に乗った高齢の方が数名渋々、降りた。
お客さんにエレベーターの定員を考慮して並んでいただき、4台のエレベーターに順に乗っていただくよう誘導すべき。終演後に気持ちよく客に帰ってもらおうという気配りはないのだろうか。主催のロットが悪い、ということにしよう。

(4)チケット販売(座席の埋め方)の拙さ
さん喬師もマクラで「幕が閉まるのに26秒かかる」と言っていたが、とにかく間口が無駄に広く、一列目から30席以上ある。前のほうはその30席がほぼ埋まっていて、後ろのほうがガラガラになっていた。私はそれほど前ではなかったが、5列目位までの両端の席のお客さんは、さぞかし見えにくかったろうと思う。主催のロットが悪いのかどうか知らないが、席の埋め方がヘタすぎる。

というような訳で、とても噺の中身について何か書こうという気分になれない、今年最悪の落語会だった。もちろん、出演者も被害者である。この会場と、この主催者の会にはしばらく行く気がしない。
[PR]
# by kogotokoubei | 2009-09-30 21:54 | 落語会 | Comments(2)
放送当日は外出していたこともあり、5時間の録画を今日じっくり見た。ともかくうれしい企画には違いない。貴重な落語九席を登場順(=枝雀の年齢の若い順)に放送日と番組名をリストにすると次のようになる。EMIから発売されているCDの収録日と会場もついでに加えてみた。上段の「TV」というのが9月23日の放送である。
--------------------------------------------------------------------------
『軒づけ』
TV:1977年9月9日放送『金曜指定席』
CD:1994年6月2日『和歌山市民会館小ホール』
『天神山』
TV:1979年8月5日放送『納涼落語特選』
CD:1981年10月2日『大阪サンケイホール』
『かぜうどん』
TV:1981年4月2日放送『夜の指定席』
CD:1997年9月22日『姫路市民会館』
『上燗屋』 *CDは『首提灯』
TV:1981年5月4日放送『新緑寄席』*末広亭
CD:1987年5月27日『滋賀県立八日市文化芸術会館』
『鉄砲勇助』
TV:1982年5月3日放送『新緑寄席』*末広亭
CD:1986年10月2日『大阪サンケイホール』
『宿替え』
TV:1984年8月28日放送『東西落語フェスティバル』
CD:1984年3月5日『徳島郷土文化会館』
『こぶ弁慶』
TV:1984年10月28日放送『日曜招待席』*大阪厚生年金ホール
CD:1985年10月3日『大阪サンケイホール』
『貧乏神』
TV:1987年6月27日放送『演芸指定席』*大阪厚生年金ホール
CD:1985年10月3日『大阪サンケイホール』
『時うどん』
TV:1992年12月28日放送『落語特選』
CD:1988年12月26日『鈴本演芸場』
--------------------------------------------------------------------------

 あくまで記録として並べてみただけで、それぞれの噺について何かコメントするつもりはない。もっと言うと、枝雀の噺はTVでもCDでもすべて好きだから。ただ、TVは音だけと違って想像力をかきたてないということと、どうしても生より映像が平面的になるのはやむを得ない。しかし、この手のことを言い出すと、また堀井さんの『落語論』などを引き合いに出すハメになり今回のテーマから脱線する危険があるので、ここまで。

*「落語はライブだ」という堀井さんの論について興味のある方は過去のブログをご参照ください。7月30日のブログ_堀井憲一郎『落語論』

 TVの「放送日」は収録日と同じではないが、少なくともそんなには時期的に離れていないと思う。TV放送日とCD音源の収録日とでもっとも期間が離れているのが、『軒づけ』で約17年の差がある。逆に時期が近いのが『宿替え』で、数カ月の間隔しか空いていない。

 私がiPodでもっとも聴いていると思う噺が『軒づけ』である。*『宿替え』といい勝負だと思うが・・・・・・。
 放送の昭和52年は枝雀が38歳。若い。枝雀を襲名して四年目、前年からはサンケイホールで独演会が始まったという昇り調子の落語は勢いがある。髪の毛も、まだある。しかし、意外にCD音源との17年の時間差をそれほどは感じなかった。もちろん、勢いや若さはTVでうかがえたが、この噺の本質的な部分は、実は三十台ですでに出来上がっていたのか、という思いで見ていた。

 最後の『時うどん』が53歳だから九席は15年間の推移を見ることになる。以前に「あの人に会いたい」についても書いたことだが、正直なところ元気な枝雀を「見る」ことのつらさは、まだある。
4月11日のブログ_あの人に会いたい 桂枝雀

 しかし、この番組は枝雀の高座だけではなく、南光、雀三郎、雀松、雀々、九雀、文我、紅雀といった弟子達の思い出話や彼らへの「枝雀らしい噺はどれか」という質問へのそれぞれの答えが楽しい。なかでは、雀々が語る『代書』の稽古の話が印象深い。弟子は総勢九人だったので、残る二人について少し補足。南光とほぼ同時期の入門で一番弟子の位置づけだった音也はすでに亡くなっていて登場のしようがない。破門になっていたが葬儀は元師匠である枝雀が中心になって執り行われた。む雀は脳出血から復帰後は落語ではなく寄席の鳴り物やハーモニカで活躍しているが、映像にはなかったものの、歌舞伎座での『地獄八景~』の後の伝説のカーテンコールの音声を収録していたということで、貴重な記録をこの番組に提供してくれた。

 小朝や昇太という一門以外の人たちの回想話も貴重な歴史の記録である。そして小佐田定雄さん、俳優の國村隼さん、松尾貴史さん、そして九代目正蔵のトークも楽しいアクセントとなって、映像を見ることによる淋しい思いをやわらげてくれる。小佐田さんがお元気なのが印象的。

 高座の映像以外でもっとも印象に残ったのは小朝だ。師匠柳朝のお供で大阪のトップホットシアターでの落語会で出会った枝雀落語の衝撃は、相当大きかったようだ。昼席で枝雀の『宿替え』で小朝が腹を抱えて笑い転げていたのを見て、本来はシャイでそんなことをしないはずの師匠柳朝が、対抗して夜席に『粗忽の釘』をかけ会場をひっくり返した、というエピソードも微笑ましい。また、柳朝が仲介して小朝が枝雀から『鷺とり』の稽古をつけてもらったという話も初めて知った。小朝の『鷺とり』、ぜひ聞きたいものだ。

 なかなか嬉しい番組だったが、最後に残った疑問が一つ。ナレーターは談春である必要があったのだろうか。あるいは、談春が希望したのだろうか。しかし、彼自身の枝雀への思いを語るシーンは登場しない。この点だけが妙に腑に落ちなかったが、それもNHKだから出来る贅沢なのだろう。

 何度か書いてきたことだが、NHKには東京落語会をはじめとする膨大な落語の映像ストックがある。今後もぜひ数多くの懐かしい噺家さん達の名演を放送して欲しい。志ん朝師匠の映像など、まだまだ出し惜しみだと思うのだ。今回の企画は、今後に大いに期待させてくれる。
[PR]
# by kogotokoubei | 2009-09-26 14:30 | テレビの落語 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛