噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

三代目 三遊亭歌笑


5月30日は、三代目三遊亭歌笑の命日である。大正6(1917)年9月22日 に東京都西多摩郡五日市町(現:あきる野市)で生まれ、昭和25(1950)年5月30日に、銀座松坂屋前の路上横断中、アメリカ軍のジープに轢かれて亡くなった。斜視だったことが災いしたといわれる。まだ32歳、人気絶頂期での突然の事故だった。

歌笑が落語家になるきっかけは兵隊検査で丙種合格であったことに失望し上京したこと。昭和12(1937)年に三代目三遊亭金馬に入門し金平の名をもらう。東宝専属で寄席に出ない金馬を離れ、二代三遊亭円歌門下に移り、かつて金馬が名乗った歌笑を襲名して昭和22(1947)年10月に真打昇進。映画によれば、苦悶した末に古典は自分に合わないと考え、初恋の人からもらった『啄木詩集』に触発されて以降翻訳された「詩集」なども熱心に読み耽り、独自の新作づくりに打ち込んだ。その成果が『純情詩集』『豚の夫婦』『妻を語る』などの作品となり、SP盤に残された高座の中のいくつかはCD音源としても入手可能だ。

その人気の凄さは、桂文楽が語る次のようなエピソードが裏付けている。暉峻康隆さんの著『落語藝談』(昭和51年に三省堂から発行、平成10年に小学館ライブラリーで再刊)から引用する。この本は昭和40年代後半を中心に行われた著者と四人の名人(文楽、正蔵、円生、小さん)との対談をまとめたもので、なかなか興味深い書だ。
暉峻康隆_落語芸談
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文楽  これは歌笑が盛んに売れている時分の話ですがね。私が車へ乗りました。
     「ええ・・・・・・と、旦那は、どこかで聞いたことのある声だな。旦那、
      どこでしたっけね」 
     「放送局」
     「あ、放送局。あ、あなたは・・・・・・」
     「落語の文楽」
     「あ、わかりました。おたく、なんですか、あの、歌笑さんみたいな、
      ああいう大先生がお宅へ出入りしますか」
     「ええ、きますよ」
     「あ、そうですか・・・・・・」

    二、三日たって、また放送局NHK。・・・・・・そういうことが三度ありましたよ。
    歌笑の売れているときに。人の人気というものは恐ろしいもんだと思ったこと
    があります。
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 当時の文楽は、押しも押されもしない大看板である。もちろん、通といわれる落語ファンは、文楽を聞きに寄席に行くのであり、歌笑の時には席を外したかもしれない。しかし、戦後の復興ムードの中、一般市民の中でのアイドルは断然に歌笑のほうであったようだ。
 彼の落語とはどんなものだったのか。今度は同じ暉峻康隆さんの著書『落語の年輪』から有名な「歌笑純情詩集」をご紹介。
暉峻康隆_落語の年輪
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  銀座チャラチャラ人通り
  赤青みどりとりどりの
  着物が風にゆれている
  きれいなきれいな奥さんが
  ダイヤかガラスか知れねども
  指輪をキラキラさせながら
  ツーンとすまして歩いている
  バスや電車の警笛に
  あわてて呼子を吹きながら
  交通整理の警官が
  銀座通りのまん中で
  踊るはタンゴかブルースか
  ルンバかおけさか八木節か
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  銀座チャラチャラ人通り

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 七五調の新作落語には熊さんや八っつぁんは登場しない。しかし、戦後復興する東京の情景をリズミカルに謳う噺は、やはり庶民の生活を落語的に描く精神が生きており、それがラジオの普及と相まって、「爆笑王」「笑いの水爆」と呼ばれ、一世を風靡した。今、同じ「爆笑王」と言われた父親の名を襲名する息子がいるが、先代の三平も、さすがに「水爆」や「原爆」とは言われなかったし、三平の憧れの的が歌笑だった。歌笑の存在は、後に歌笑の後継役と見なされた四代目柳亭痴楽や当時の九代目柳家小三治(後の五代目柳家小さん)ら若手の落語家に大いに刺激を与えたと言われている。そして、演芸大好き少年だった立川談志家元は名著『現代落語論』(三一新書)の中で、歌笑が亡くなった当時のことを次のように書いている。
立川談志_現代落語論
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ラジオはNHKだけなので、落語が聞けるのは日曜日夜のラジオ寄席、金曜日の
第二放送の若手演芸会、時折劇場中継としての寄席中継ぐらいのものだった。
さらにくわえれば、第二放送の若手演芸会ぐらい。この若手演芸会には、馬生、
小金馬(腹話術)、貞鳳、人見明とスイングボーイズなどといった人たちがやって
いた。中で何といっても三遊亭歌笑の全盛時代、それと楽しかったのは、当時
ちょうど油の乗り切った感じの三木トリローの日曜娯楽版。        
ところがある朝、目がさめるとおふくろに、
“お前、歌笑が死んだョ”
と、新聞をみせてくれた。
三面に小さく、“歌笑師禍死”と書いてあった。腹が立った。信じられなかった。
あの歌笑が死ぬなんて、いやだった。悲しくて口惜しくてたまらなくなり、そんな
馬鹿なことがこの世にあるもんかと、涙がこぼれた。
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松岡克由少年が14歳の初夏のことである。戦後の数少ない娯楽の中で、どれほど歌笑の存在が大きかったかが推し量れる。

彼の人生は映画『おかしな奴』(昭和38年)、テレビドラマ『おもろい夫婦』(昭和41年から42年)になり、両作品とも渥美清が主演している。私が歌笑に興味を持ったのは、映画をテレビで見てからだ。映画の中での渥美清による『純情詩集』などは、ある意味では、本人以上に渥美清の芸による上乗せがされた可笑しさがあったように記憶する。母親役の清川虹子さんも名演だったし、南田洋子さんが扮する奥さんも良かった。修行時代に憧れた女性役の三田佳子も、最後は場末の女となってGIのぶら下がりになるのだが、当時は若くて色気のあるいい女優だった。先代の春風亭柳朝が金馬門下の威勢のいい兄弟子役で出演していたのも懐かしい。最後のシーンは、夢に見ていた野球場での独演会のシーンであったはず。
ある落語家の生涯が、映画になりドラマになるというのは、初代桂春団治と歌笑くらいしかいないのではなかろうか。
映画_おかしな奴

「銀座チャラチャラ人通り」の一節を口ずさむ時、その銀座の人通りの中で短い人生を終えたこの稀代の落語家の、なんとも皮肉な運命を感じずにはいられない。残念ながら、歌笑が事故に合う時に「呼子」を吹いてくれる警官がいなかったことが悔やまれる。
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# by kogotokoubei | 2009-05-28 13:06 | 落語家 | Comments(0)

落語協会新真打情報

落語協会のホームページで、昨日5月23日付けで下記の発表があった。
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新真打 決定!

桂文ぶん、三遊亭窓輝、柳家三之助、桂笑生
の四名が真打に昇進することが決定。
平成22年3月下席より。
改名・襲名などの詳細は未定。
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落語協会_ニュ−ス

正直、三之助以外はよく知らないので、三之助のことを少し書く。まずは、昇進おめでとう!

春風亭柳枝のことを書いた際、まったくの勝手な希望として、三之助に九代目柳枝を襲名して欲しいと書いた。しかし現実としては、この名跡の背後にある複雑な歴史や、小柳枝師が芸術協会でご健在なことを考えると、実現は難しいだろうと思う。名前は、まぁ、どうなってもいい。

半年から一年昇進が遅れたかな、と思う。昨年も昇進話があっただろうが、小三治師匠があえて一年延ばしたのではないか、と私は推測している。飛行機の本を遊雀と一緒に書いたり、落語協会のホームページを担当したりと多才だが、もちろん寄席や小三治一門会を始めとして多くの高座で発揮する実力は、二~三年前から真打として十分だった。まぁ、これからが勝負なので、一年位遅かったかな、と思われる昇進のほうが気が楽であろう。

老婆心ながら、激励の意味で贈る言葉として、「多才」が「器用貧乏」にならないよう気をつけ落語に打ち込んで、ぜひ柳家の次の世代の大看板となって欲しい。こんなことを書くと、「三三がいるじゃないか!」という声が聞こえてくるが、私は、すでにあの若さで「老成」を思わせる三三の芸には若干の危惧を感じており、三之助のほうに大きく「化ける」潜在力を感じている。三三はもちろん、実力はある。ぜひ三三を脅かす噺家になって欲しい。
来年の昇進披露には、なんとか都合をつけて、どこかの席に駆けつけたい。
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# by kogotokoubei | 2009-05-24 14:10 | 真打 | Comments(0)

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*蕪の間引き菜。ブログ「ほっこり日記」からコピーさせていただきました。ほっこり日記

このネタも夏の代表的な噺。先日の「らくだ亭」では、桂都丸の『青菜』がなかなか良かった。

原話は古く江戸時代1778(安永7)年の笑話集『当世話』にあるらしい。元は上方噺で、東京には他の多くの噺も移植している三代目柳家小さんが広めたようだ。最初は『弁慶』のタイトルだったらしい。
上方と東京で微妙に演出が違うが、東京版で説明すると次のようなストーリーである。
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(1)植木屋が仕事先のお屋敷の主人から接待を受ける
初夏の夕暮れ時、ひと仕事終えた植木屋が、主人から声をかけられた。大阪の
友人が送ってくれた柳影、関東で言う「なおし」があるから、一杯やってくれとの
ことでご馳走になる。”鯉のあらい”を肴に冷やした柳影でいい気分の植木屋さん。

(2)奥さんと主人の会話
主人から「菜をおあがりか?」と勧められ、主人が奥さんに言いつけるが、奥さん
がかしこまって言うには「鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官」、
この言葉を聞いた主人が「では義経にしておきなさい」と答えた。植木屋が不審に
思うと、これは「菜を食ろうて、なくなった」ということを隠し言葉、洒落で答えたの
だと主人の説明。

(3)植木屋が長屋に帰宅
お屋敷の夫婦の会話にいたく感心した植木屋さん。家に帰り、がさつな女房に、
おまえにはこんなこと言えないだろうとけしかけると、女房が「私にだってそれ
くらい言える」との返答。ちょうどやって来た熊さんを相手に芝居をすることにし、
女房を押入れに隠す。

(4)植木屋夫婦の芝居
熊さん相手に「冷やした柳影」は「燗冷ましの酒」、「鯉のあらい」は「鰯の塩焼き」
で代替、菜は嫌いだという熊さんになんとか頼み込んで、ようやく待望の夫婦芝居
の出番になった。「奥や、奥!」と声をかけると押入れから汗だくになった女房が
出て来て、「鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官、義経」と言って
しまう。慌てた植木屋、「え、義経、う~ん、じゃあ、弁慶にしておけ」でサゲ。
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サゲで植木屋さんが味わう落胆状態のことを「青菜に塩」という、というのは嘘です。

よそで聞いた感心した話を亭主が女房に聞かせるが失敗するドタバタ、という設定は、『猫久』『町内の若い衆』などと共通する。なんと言ってもこの噺の「温度差」が良い。前半の夏の夕暮れ時、打ち水された庭先での主人と植木屋との会話。そして冷えた柳影や氷に乗った鯉のあらい、という情景が目に浮かぶ。思わずよだれが出るシーン。この前半の清涼感と、後半の長屋でドタバタと暑苦しさが好対照である。特に押入れから這い出る女房の場面で客もドット汗が噴出したら、その噺家はよほど上手い、と言える。

「青菜」は本来は蕪(かぶ)の間引き菜のことで、古名「阿乎奈(あをな)」または「かぶな」と呼ばれていたらしい。しかし、この噺に関しては、「青い菜」ということでほうれん草、春菊、小松菜など一般的な野菜と解釈しても、まったく問題ないだろう。そもそも「青菜」が最後まで登場しない。余談だが、山形には高菜の仲間の「青菜(せいさい)」があり、この漬け物「青菜漬け」はとてもおいしい。
ちなみにこの噺を得意としている柳家権太楼は『江戸が息づく古典落語50席』(PHP文庫)で、次のように書いている。(この本もなかなか結構です。)
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この噺をすると、青菜ってなんだ、とよく訊かれます。三つ葉なんですか、
小松菜なんですかと訊かれます。私は知りません。落語界の薀蓄王の柳亭市馬
師匠に訊いても「何でしょう」という答えです。つまり、落語はそこまで気に
しないということです。夏の季節にお浸しにして食べられる「あおいはっぱ」、
それが「青菜」。
あんまりしつこく調べると、それは「あほな」です。
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柳家権太楼_江戸が息づく古典落語50席

「柳影」は、柳「陰」とも書くようだが、夏に井戸水でよく冷やして飲む、味醂に焼酎を加えて甘みのある飲みやすい強い酒。つまりつくり直し酒だから関東では「直し」と呼ぶらしい。他にも関西ではもち米と麹と焼酎で仕込んだもので、「直し」とは少し違うものという説もあるが、いずれにしても夏に冷やして飲む「オツ」な酒であろう。
これ以上しつこく調べるのは「ぃやな、いい加減」です。(苦しい、寒い・・・・・・)

サゲの「弁慶にしておけ」は、上方落語『船弁慶』のサゲと同様に、「おごりで済ます」という意味がある。ただし、今日では、特に東京では分かりにくい。別な意味として「立ち往生する」という含意もあり、こちらの意図として話す落語家さんも多いだろう。
どちらにしても説明しないと難しいが、「義経」と「弁慶」という有名な人物名での応答なので、弁慶の本来の意味を知らなくても違和感はなく聴ける。

季節感たっぷりで笑わせどころも多い夏の噺だから、今日でも多くの噺家さんが演じる好きなネタである。この夏もいろんな噺家さんのこのネタを聴きたいものだ。

お奨めCDとなると、まず第一に東京へ移植した三代目の直系五代目柳家小さんが、なんとも言えない味わいがある。
柳家小さん_青菜ほか
小さん門下柳家権太楼のこの噺が一番、と指摘する落語ファンも多い。今年に入ってポニーキャニオンから、昨年の8月15日の鈴本夏祭りの高座を収録したCDが発売されたが、現役の第一線である、ぜひ生で味わいたい。

次に、三代目の春風亭柳好の音源が最近相次いで発売されたが、これも短いながら良い。鰯の代わりに鮭の切り身である。柳好の魅力はなんと言っても、そうめんを洋芥子(ようがらし=マスタード)で食べる独特の演出、そして酔っ払いの演技である。
昭和30年の音源が二種類、今年になってビクターとコロムビアから発売されている。ほぼ同じ内容で、観客の笑いのポイントもほぼ一緒というのが興味深い。
ビクター落語_春風亭柳好_青菜ほか
*昭和30年(1955)年7月19日放送・ラジオ東京[現TBSラジオ]
コロムビア_春風亭柳好_青菜ほか
*昭和30(1955)年2月7日放送・NHKラジオ

上方版では、やはり桂枝雀をお奨めする。ドッカンドッカンさせながら、この噺の品のようなものも失わせることがない。上方版は鰯ではなく「おからの炊いたの」、である。長屋での芝居において、大工の留さんに向かって「植木屋さん」をリフレインするのも上方流。枝雀のこの噺を聞きながら初夏の夜道を家路に向かう時、なんともいえない良い気分になるのだ。
桂枝雀_青菜ほか
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# by kogotokoubei | 2009-05-21 20:21 | 落語のネタ | Comments(0)

益田太郎冠者

昨日5月18日は、益田太郎冠者(ますだたろうかじゃ)の命日だった。
この名前にピンとこない落語ファンも、『堪忍袋』『宗論』『かんしゃく』といった噺は聞いたことがあるだろう。明治時代の第一回落語研究会の発起人の一人だった、三遊亭圓朝門下の三遊亭圓左のために、数多くの新作をつくった落語作家である。
明治8(1875)年9月25日生まれで、昭和28(1953)年)5月18日に78歳で没した。

 実はこの方、三井物産の創始者・男爵 益田孝の次男であり、ご本人も実業家として後の大日本製糖や台糖の役員を務めている。青年時代のヨーロッパ留学中に本場の芸術に親しみ、その経験を生かし劇作家や音楽家としても活躍したようだ。そして貴族院議員であり男爵でもあった。本名は益田太郎。「今日もコロッケ 明日もコロッケ」と歌う『コロッケの歌』の作詞者としても、知る人ぞ知る。とんでもないマルチな才能を発揮した人である。

『堪忍袋』『宗論』は、今でも多くの噺家さんが手にかける。『かんしゃく』は圓左の後では八代目桂文楽が有名。
春風亭小朝は『苦悩する落語』(光文社発行カッパブックス)の中で次のように書いている。
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 もしも、この本を読んで下さっているあなたが、将来、噺家を夢みている人ならば、
文楽師匠の『かんしゃく』を徹底的に研究することを、おすすめします。
 黒門町のこの噺には、名人のありとあらゆる声の技が集約されていますから、
じっくりこれをお聴きになれば、落語が声の芸術であることがよくおわかりになる
はずです。
 一度「文楽全集」を手にCDをお聴きになってみてください。
『かんしゃく』の冒頭、
「夏のお噺で」というひと言。
これは『船徳』の「四万六千日、お暑いさかりでございます」
と同じように、一瞬で聴き手を説得してしまう声の魔力です。
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 実は、私はこの文章を読んですぐに『かんしゃく』のCDを買った。そして、まさに小朝の指摘通りの素晴らしさに感動すら覚えた記憶がある。ただし、落語家を目指したわけではない。説明するまでもないか・・・・・・。
*今、読み返すと、小朝のこの本は良かったなぁ、文章も丁寧で・・・・・・。この本、ネットでも品切れで現在手に入らない。絶版ということかもしれない。小朝の苦悩がなくなったからか・・・・・・。
苦悩する落語

 もちろん、その演者によって噺が生きもするし、つまらなくもなるが、噺そのものがつまらなければ、いかな噺家が努力しても限界はあろう。明治の実業家にして落語作家。その作品も今では「準古典」ともいえる生命を得た名品がしっかり残っている。

 明治は遠くになりにけり、なのだが、仕事もしっかりしながら、文化・芸能分野にもこれだけ秀でた人がいたことになんとも言えないノスタルジーと憧れのような思いを感じる。神楽坂の菊人形を見ながら各町内に一軒はあった寄席で気軽に楽しめた時代。

 ちなみに第一回「落語研究会」は明治38(1905)年に始まり関東大震災の大正12(1923)年まで続いた。この会の創始者である今村次郎の子息が、後に父を継いで落語研究会を主宰し、『試し酒』の作者としても知られる今村信雄である。昨今の落語作家としては、桂枝雀のために『幽霊の辻』や『雨乞い源兵衛』などを作った小佐田定雄さんが有名だが、中堅・若手ではまだ目立った人が出ていない。

 三井に縁(ゆかり)のある益田太郎冠者である。物産でも銀行でもどこでもいいが三井関連企業がスポンサーになって「新作落語コンテスト 太郎冠者賞」優勝賞金100万円、などという粋なことをやってくれると、うれしいのだが。

 SWAのメンバーはがんばっているが、噺家自身ではなく、落語作者として食べていけるような環境整備、評価という土壌ができることを期待するからである。そうなれば、私もぜひ応募しようと思うのだが、凡人には、なかなか創作できるものでもないという現実に突き当たる。

 あぁ、太郎冠者翁の爪の垢でも煎じて飲みたかったのものだ。
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# by kogotokoubei | 2009-05-19 11:52 | 落語作家 | Comments(0)
 らくだ亭へ行くのはこれで四回目だが、土曜開催へは初めてである。また、会場である神保町の日本教育会館・一ツ橋ホールも初めて。
 神保町で午後2時の開演なので、久しぶりに”らくごカフェ”へ。といっても、らくごカフェでの落語会にはタイミングが合わず行ったことはなく、三度ほど都内での仕事のついでにお茶を飲みに立ち寄っていた。
 
 コーヒーとホットサンドで軽い昼食をとってから会場入り。ホットサンドは店員さんのお勧めのドライカレー味が美味しかった。これは結構いけます。私のようにこの落語会に行く前に立ち寄ったお客さんがほかにお二人いらっしゃった。
 帰りがけ、オーナーの青木さんに「ニフティの『ぽっどきゃすてぃんぐ落語』の終了は残念ですね」、と声をかけたところ、まったく同感とのこと。「らくごカフェの落語会を収録してニフティで放送するなんて話はありえませんよね」とお聞きすると、そういう依頼があればできる限りの協力はする、とおっしゃっていた。しかし、ニフティが噺家さんのギャラを拠出できるスポンサーを見つけられるかどうかが鍵、とのご指摘はごもっとも。
 「ぽっどきゃすてぃんぐ落語」は、想定していたスポンサーがつかず、結局長いこと出演者のギャラをニフティが持ち出しで支払っていたらしい。現在行われている”らくごカフェ”の落語会は、出演者はほとんど儲けることなど考えない修業の場として位置づけているのだろうが、記録に残る音源として収録する場合は話は違ってくる。継続して番組を維持するためには、相応のメンバーを確保する必要があるし、噺家さんの仕事上の負荷を考えると、たしかに準備と出演を含む対価をどう捻出するかが課題となる。加えて、なかには収録するのは嫌だという噺家さんがいても当然だろうし・・・・・・。

ちょっと話がそれていたので、あらためてこの落語会に戻り、演目から。
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(開口一番 桂宮治)
柳亭市楽  真田小僧
桂都んぼ  堪忍袋
柳亭左龍  甲府い
柳家喬太郎 路地裏の伝説
(仲入り)
桂都丸   青菜
柳家さん喬 船徳
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宮治(14:00-14:04)
 本人いわく、本当は出る予定ではなかったのだが、楽屋の諸先輩に押し出されて出てきたようである。芸術協会で伸治師匠の弟子。昨年入門の前座で30歳を越えているようだが、携帯電話などの諸注意と小噺を4分でなんとかこなし、会場は意外に暖かい拍手で送り出した。なかなか見所がありそうだ。がんばってください。

市楽(14:05-14:22)
 着物で電車に乗っている時に近くの女子高校生が「エロ詩吟の弟子?」とささやいていた、というマクラは笑えたが、本編に関しては残念ながら市朗時代の好印象が強いので、今日は期待していただけに今ひとつの印象。少し鼻声だったように思うので風邪気味だったのかもしれない。

都んぼ(14:23-14:51)
 ピンクの衣装が楽屋で注目されたが、上方では当たり前、という話から「とんぼ」という名前にまつわるエピソードで会場を沸かした。たしかに、酔った後輩に人ごみの中で「とんぼ兄さん!」と叫ばれては恥ずかしかろう。『堪忍袋』は『かんしゃく』なども作った益田太郎冠者の作。東京と上方では微妙に演出が違うが、この人も上方ならではの笑わせどころを押えた噺で、会場を目一杯暖めた。奥さんのお崎さんが堪忍袋に叫ぶ話には「神保町に少し早めに着いたのでパチンコ屋に言ったら、ギャラの倍はすられた!」という自虐ネタまで加えたところが上方である。来年、四代目の米紫を襲名するらしいが、この人はもっと化ける可能性を感じた。

左龍(14:52-15:21)
 この噺をする過去の名人といえば、どうしても志ん朝、柳枝を思い出す。善人ばかりの話で、その中でどう噺のメリハリを利かすかが難しい内容。演じ手によってはまったく沸かせる場面のない噺である。落語会で選ばれることも少ない噺だと思う。それだけに左龍がなぜこの噺を選んだのか、正直不思議に思った。無難な出来なのだが、う~ん、なぜこの噺だったのかなぁ。というかこの人には、もっと他に聴きたいネタがあるんだが。

喬太郎(15:22-15:45)
 大師匠の五代目小さんの命日という話からマクラが始まり、楽屋で今日の客はよくわからない、と話題になっているとふった。その通りの思いでいたので、よく分かる。今日のお客さんの笑うポイントが、いわゆるベテラン落語ファン的な部分と、落語を初めて聞くと思われる若い落語ファンの頻繁な笑いとがないまぜになっているのだ。父親の法事に集まった幼馴染の会話が中心の噺だが、「ラッキーおじさん」のところでは、実際に10代目桂文治師匠の逸話なので、開口一番の大師匠にあたるから、宮治をいじるだろうと予想したのだが、協会も違うしまだ二年目の前座なので、気を配っていじらなかったように思う。場内の爆笑のタイミングなどを考えると、若い落語ファンが過半数だったように思う。上方に負けずドッカンドッカンさせようという思いがあっただろうが、その通りの出来。さすがだ。

都丸(16:00-16:29)
 来年四代目の塩鯛を襲名するらしい。というか、都丸門下全員が襲名らしく、なかなかおもしろい一門といえるだろう。上方版の『青菜』は非常に良かった。枝雀的でもあり、また師匠のざこば的な大胆さも見え隠れしたが、間違いなく都丸の落語という味わいがあった。ただし残念だったのは、笑いが少し無駄に多すぎた、こと。これは噺家の問題ではない。特に植木屋が家に帰ってから辰っつぁんを相手に主人先でのやりとりを真似る会話で、「植木屋さん」という呼びかけをリフレーンするのだが、その度に過度に大きな笑いが起こったところが耳障りだった。今日の客層の若さが伝わった。

さん喬(16:30-17:10)
 さん喬師の『船徳』は初めて。マクラから本編の前半までは、ちょっとエンジンのかかりが悪かったが、後半にかけて、さすがと思わせるさん喬版の『船徳』を楽しませてくれた。最初のアクセントが船宿の女将さんと客二人との会話である。言葉を呑み込んでの仕草(ジェスチャー?)を含め、なんともいえない楽しいやりとりを演出する。後半からサゲまでは、これだけ弾けて唄う徳さんをさん喬が演るとは思わなかったが楽しい。ただし、せっかく盛り上がったところで17:00になって外から聞こえた「夕焼けこやけ」のチャイムには、誰にも文句を言えないのかもしれないが、ちょっと興醒めだったなぁ。


 第1回は2007年7月27日の開催で「小三治一門会」、両国の江戸東京博物館だった。柳亭こみち、三三、そのじ、そして小三治の出演。なんと言っても小三治師匠の『死神』が印象的だった。帰りの電車の中でも余韻を十分楽しみながら1時間半の道のりを長く感じることはなかった。その次に、その年の年末、同じ両国で開催された「団塊四人会」に行き、三回目が先日の権太楼・梅団治の会。始まってから2年も経ずに20回か・・・・・・。
 たった四回の参加なのだが、今日のお客さんの「落語経験年齢」がもっとも若かったように思う。主催者の意図はどうだったかわからないが、いずれにしても、この会はいろいろな切り口の企画でがんばっていると思う。大門のかもめ亭も含めぜひ続けて欲しい。少しは小言を言いたい部分もあるが、言える程通ってはいるわけではない。まずは、「継続は力なり」と応援したい。
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# by kogotokoubei | 2009-05-16 19:05 | 落語会 | Comments(0)
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最初にお断りするが、この本を推奨するわけではない。正確に言うと、「二番煎じ」「三番煎じ」の固まりの本なので、初出を知らない落語ファンや志ん朝ファンには逆にお奨めするが、すでに初出を読んでいる人にとっては、その重複している分だけ落胆度合いが大きくなる本である。また、こういう本を書いた著者の姿勢には小言を書くので、そのつもりで読んでいただきたい。

『百川』で推奨した古今亭志ん朝の「志ん朝七夜」のことなどがタイトルにあったので期待して読んだが、ここまでの「焼き直し」どころか、「コピペ」本とは思わなかった。
京須偕充さんが古今亭志ん朝に関して過去に執筆した著作や雑誌『落語』(弘文出版)の掲載内容、そしてソニーのクラブ・セールスや通販専門CDのライナーノーツに書いた短文の中から選んだものを再録し、それらの執筆の背景や思い出などについてほんの少し新たな文章を加えた書である。その「二番煎じ」「三番煎じ」の具合をわかっていただくために、章ごとに説明すると、こうなる。
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第一章 その芸—「志ん朝七夜」をめぐって
  →『らくごコスモス』(弘文出版、1996年)から60頁抜粋し新たに加えた文章は3ページ
   *同書の内容は『落語』第33号(1995年)が初出

第二章 古今亭志ん朝—その人と歩み
  →『志ん朝の高座』(横井洋司写真集、筑摩書房、2005年)から37頁、追加2頁半

第三章 志ん朝あれこれ
  →ソニー・クラブや通信販売のみで発売された志ん朝のCDに添えた文章23頁、追加1頁

第四章 古今亭志ん朝と遺すということ
  →『落語』第36号からの抜粋44頁と追加2頁
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私は隠れもしない志ん朝ファンだから、第三章のライナーノーツ関連以外の初出の本、雑誌をすべて読んでいても、この本であらためて志ん朝に思いを馳せることに時間の無駄は感じない。もちろん、志ん朝が好きで、初出の本なども読んでいなかった人にとっては、この本はうれしいと思う。

ただ、著者が京須さんだから、あえて小言幸兵衛とならざるを得ない。
なぜかについては、あえてこの本からの抜粋から始めたい。
第四章から、京須さんが昭和49(1974)年に、最初に志ん朝にレコード化のことを話した際の志ん朝の言葉を抜粋する。ニッポン放送での仕事帰りを玄関口で待っていた京須さんと志ん朝との立ち話である。
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「レコードはねえ」
 重い口を開いて、志ん朝さんは私に向き直った。高座ぶりとは正反対の口調だ。
ことばを慎重に選んでいるのか、それとも、こんな羽目になったことがたまらなく
嫌なのか。
「遺るものでしょ、ねえ。それがね、嫌なんです。遺るということが・・・・・・ねエ」
 芸は消えるものだ。いい芸だ、と感じるのは一瞬で、次の瞬間、それはもう消え去る。
取り返しはつかない。
「それがいい。だから、いい。レコードはねえ、やりたくありません。まだ遺す芸じゃ
ないしね」
 付き人の運転する愛車が志ん朝さんの前に着いた。志ん朝さんにとっては、願っても
ない切れ場だ。立ち止まって話に応じたのはクルマ待ちのついでだった。私のためでは
なかったのか。
 アルファロメオのスポーツカーは夜気を切り裂くように有楽町駅の方向へ消えてしまった。
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もちろん、後日京須さんは志ん朝の承諾を得て、2年後の昭和51(1976)年に始まる「志ん朝の会」から収録は始まった。

私が言いたいことは何か。
志ん朝への思いを「遺す」ことはいいが、あまりにもどぎつい「二番煎じ」、ましてや「三番煎じ」は当の志ん朝師匠にさえ失礼ではないか、ということ。「あとがき」さえ『志ん朝の高座』の”序文”を使っている。この本のオリジナルといえるのは、約200頁のうち10頁程度。これで「新刊」といえる?

過去のブログにおいても指摘しているが、小学館から発売されている「落語 昭和の名人」シリーズにおける、志ん朝のソニーから既発売音源の低価格での再販や、TBS「落語研究会」と朝日新聞の「朝日名人会」の二つの大きなホール落語会いずれにも京須さんが選者として携わっていることを、私は快く思っていない。

もちろん、それぞれに理由はあるのだろうし、断りきれない義理もあろう。もちろんビジネスマンとしての判断も働いたのだろう。しかし、「遺す」ことにさえ、あれだけの躊躇を見せていた志ん朝の思いを踏まえると、今の京須さんの落語市場への関わり方は、決して「粋」じゃないし、その背後に江戸っ子がもっとも嫌う「宵越しの銭」へのこだわりを感じてしまうのだ。

もちろん、「昭和の名人」における音源提供において、ソニー側の責任者はすでに京須さんではないのかもしれない。しかし、「落語研究会」DVDのネタ選出なども担う人である、志ん朝のライブラリーに関するビジネスで、京須さんの了解を得ずに下っ端が勝手に判断できるとは思えない。もちろん、購入者にとっては低価格ではあったが、単価x販売数量、の算式から小学館もソニーも決して悪い商売ではなかったはず。しかし、第一巻を買った私は落胆した。すぐに落語仲間に「同じ音源だから買わないほうがいいよ」と連絡し喜ばれたくらいである。持っていない若い落語ファンにとっては、うれしい企画ではあっただろう。頼むから「昭和の名人」シリーズは、前もって音源情報を明示して欲しい。

話が少しそれつつあるので戻そう。
京須さんへそういったネガティブな思いを抱く中で、期待を込めて読んだのがこの本である。落胆は小さくない。この企画は、第三章で採り上げた、一般市場では手に入らないCDシリーズのライナーノーツの文庫化が発端だったのだろう。しかし、それだけでは量的に不足なので、「二番煎じ」「三番煎じ」へと企画が膨らんだのかと察する。正直言って、この本には潔さを感じない。

どうせなら、一般書店では入手しにくいが、私が京須さんの著作の中でベストと思っている『らくごコスモス』そのものの文庫化のほうが良かったと思う。
らくごコスモス - 落語、昨日今日明日
弘文出版や青蛙房で発行された落語関係書籍は、古書店ルートでさえ手に入りにくいものが多いし、見つかっても安くはない。神保町の豊田書店の閉店も落語書籍ファンにとっては結構痛いのだ。だからこそ、落語関係書の発掘で頑張っている「河出文庫」のように、「ちくま文庫」でも名著の文庫復活シリーズに注力するなら、ぜひ応援したい。

落語研究会の前任者である榎本滋民さんも、数多くの落語関連の良書を出されているし、志ん朝に関しては『落語界』(深川書房)に連載していた内容の単行本『榎本版 志ん朝の落語』(ぴあ発行)という傑作もある。しかし、もちろん京須さんのような「三番煎じ」はない。
どうも、昨今の落語ブームが、昭和17(1942)年生まれで今年67歳になられる方の、これまでは澄んでいた目を曇らせ始めているのか、と思う。

稀代の名人達を粘り強く説得し、圓生、小三治、そして志ん朝の貴重な記録を遺してくれたことは、尊敬に値するし、落語界への貢献も並々ならぬものがあると思う。素直に業績を認めたい。
しかし、この書にはいったいどんな前向きな意味や思いがあったのだろう。
発行日の5月10日は、志ん朝の誕生日(3月10日)でも、命日(10月1日)でもない。
私のような落語ファンを落胆させるのを承知で、小学館に安売りさせた志ん朝の音源同様に、若い落語ファンから印税を稼ぐための手段としか、私は思えない。京須さん、寝てませんか、目を醒ましてください!

わずか200頁程の書であり、過半は以前に読んだ内容なので、私は通勤電車の行き帰りで読んでしまった。640円の投資を回収する唯一の手段として、このブログにて思いを明らかにした次第。

もちろん、ほとんどの方には異論もあるでしょうが、これで少しは気分がスッとした。
京須偕充_志ん朝の走馬灯
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# by kogotokoubei | 2009-05-14 14:41 | 落語の本 | Comments(0)
先日の睦会で喜多八が演じてくれたこの噺も、ある意味で非常に旬なネタといえるだろう。
また、実在した懐石料理屋「百川」の宣伝のために作られたといわれる、数ある落語のネタの中でも希少な噺といえる。

あらすじは次の通りである。

(1)百兵衛が百川を訪問
葭町にある桂庵(*私設の職業紹介所))の千束(ちづか)屋から、百川が頼んでいた奉公人として百兵衛がやって来る。

(2)お客様の魚河岸の若い衆と百兵衛の最初のやりとり
二階のお客さんである河岸の若い衆から手がなり、ちょうど髪結いが来ていて女中が全員髪をほどいてしまったため、主人は百兵衛を客の用を伺いに行かせる。語尾に「うひょっ」という奇声を交えた田舎言葉まるだしで、魚河岸の衆に言葉が通じにくい百兵衛。
「わしは主人家(しゅじんけ)の雇人(かけいにん)で・・・・・・」と訛って言ったことが、祭りの「四神剣(しじんけん)の掛合人(かけあいにん)」と間違われ、去年の祭りの後で四神剣を質屋にまげてしまっていた若い衆が平身低頭し、「具合をぐっと呑みこんでほしい」と「慈姑(くあい)」のきんとんを百兵衛に差し出したため、大きなきんとんを必死の形相で飲み込んだ百兵衛。

(3)百兵衛の正体判明、使い走りに長谷川町へ
百j兵衛が一階で息をつないでいると、また若い衆から手がなり、主に言われるまま百兵衛は再び二階へ。今度はこの店の使用人であることが判り、若い衆は「長谷川町の三光新道に常磐津の師匠で歌女文字(かめもじ)というのがいるから呼んで来い」と使いに出す。

(4)長谷川町での大間違い
訪ねる先の名前をうろ覚えの百兵衛、三光新道で「このへんに”か”のつく名高い先生がいるはず」と尋ねたところ、「そりゃあ医者の鴨池(かもじ)玄林先生だろう」と言われその気になり、鴨池先生宅へ。用件を聞かれ「百川からめいりました。魚河岸の若い者が今朝がけに四、五人来られやして・・・」と言ったことが「袈裟懸けに四、五人斬られた」と勘違いされ、鴨池先生は後を追うからと、薬箱を持ち先に百兵衛を戻らせる。

(5)百川へ戻り、サゲへ
魚河岸の若い衆、百兵衛の持ち帰った箱が三味線にしちゃあ小さいし、歌女文字先生の伝言が、手遅れにならないよう焼酎一升、鶏卵20個、白布を五、六反ほど用意しておくこと、などを百兵衛から聞き不思議に思っていると、そこに鴨池先生登場。
「あんたがたぁ、先生ござったで、うれしかんべい」と言う百兵衛に対して若い衆、
「なにいってやんでえ、このばかっ、鴨池先生と歌女文字とまちがやがって、この抜け作!」
「抜けてる?どれくれえ?」
「どれくれも、これくれえもあるもんか。それだけ抜けてりゃあたくさんだ」
「それだけって・・・・・・か、め、も、じ。か、も、じ・・・・・・たった一字しきゃ抜けていねい」でサゲ。

「百川」は浮世小路に明治の初め頃まで現存していた懐石料理屋で、黒船来航の折には乗組員全員に膳を出して、その値なんと一千両だったと言われている。他の店の手伝いを借りず賄い、食器なども全て自前でそろえたと言われているから大きな店であったのだろう。だから、別に落語にしてまで宣伝する必要があったのかという疑問はある。奉公人は百兵衛のような地方出身者が多かったようで、意図的な宣伝ではなく、実際にこの店であったエピソードを元に、誰かが創作したとも言われている。
田舎者と田舎言葉、魚河岸の若い江戸っ子たち、という好対照な取り合わせで、言葉の行き違いを上手く落語に仕立ててあり、宣伝であったにしても、この噺は時代に残る名作だと思う。

安藤鶴夫さんは『落語国紳士録』のトップバッターとして、この百兵衛さんを取り上げている。
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百兵衛
「百川」に登場。信濃出身。由来、信州人は性剛強にして独立の気宇に富むが、
氏もまた志を立てて、江戸は葭町・千束屋なる私設職業安定所ののれんをくぐった
のは、万延元年4月28日のことであった。むろん、都会に憧れるといった軽佻浮薄な
世の風潮に乗じたわけではないが、しかし、多分に立身出世主義の傾きがあったこと
は争えない。(中略)"組重の中恐ろしきくわい哉"という句は、故郷に帰った百兵衛
の辞世ともいわれているが、そうであろうか。但し、生涯、くわいをみるとてんかん
を起し続けたことは確かである。
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安藤鶴夫_落語国紳士録

百兵衛さんが百川を紹介された、現代でいえば職業紹介所の「桂庵(けいあん)」は上方では「口入屋」と云い、落語のネタ「口入屋」は東京では「引越しの夢」であることは落語ファンなら先刻ご承知。そういえば、先日の睦会で扇遊がトリで演じたのが「引越しの夢」だった。
なお、「桂庵」の語源は、寛文(1661~1673)の頃に大和桂庵という医者が、奉公や縁談の世話をしたことが由来とのこと。
葭町の「千束屋」も百川同様に実在した桂庵で、今の日本橋北詰めを東に6~700メートル程右側にあったらしい。また、三光新道の鴨池玄林先生も、実在した高名な外科医であるらしい。

この噺は、料理屋・桂庵・医者といった歴史とともに、江戸の祭や風俗についてもいろいろと学ばせてくれる。
噺家さんは、まずマクラで「四神剣」のことを簡単に紹介することがお約束である。
四神と四神旗および四神剣について、少し説明。

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四神
四神(しじん)は、中国・朝鮮・日本で伝統的に、天の四方の方角を司る霊獣である。四獣(しじゅう)、四象(ししよう)、四霊(しれい)ともいう。四方の神、東は青竜、西は白虎、南は朱雀、北は亀に蛇が巻き付いた姿の玄武(げんぶ)。

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四神旗
四神を描いた四つの旗。剣形の旗竿から四神剣とも。

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四神剣
四神を描いた剣形の旗。四神旗。 

四神をご覧のほどを。*Wikipediaより
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竜と虎は勇ましいのでわかりやすい。しかし字でけ見ると雀と亀が守り神ということに疑問がわくが、雀は実際は鳳凰(ほうおう)などの想像上の鳥のことである。また、亀には蛇が巻き付いていて勇ましい、というか、なんとなく守ってくれそうな気がする。。

余談だが、ヨン様主演で日本ではNHKが放映している『太王四神記』。私は見ていないが、このドラマはタイトルの如く「四神」に由来している。韓流が嫌いなので、これ以上詳しく書かない。
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とにかくテレビでの韓国ドラマの流行には閉口する。いくつか止めて落語を放送しろ、と強く言いたい。


次に魚河岸の若い衆が四神剣を伊勢屋にまげてしまうほどのめり込んだ祭りのこと。
いわゆる「江戸三大祭」は神田祭・山王祭の二つは固定だが、もう一つが諸説ある、というか贔屓によって違ってくる。神田祭・山王祭が決まり、というのは幕府によって行列が江戸城に入ることを許されていた「天下祭」だから。

もう一つは、三社祭には悪いが深川祭ということにして、それぞれの神社と開催時期は次の通り。
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神田祭:神田明神、五月十五日を中心に開催。
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山王祭:日枝神社、六月十五日を中心に開催。
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深川祭:富岡八幡宮、八月十五日を中心に開催。

すでに開催中の今年の神田祭のスケジュールを神田祭のホームページから紹介。
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5月7日(木)  午後7時 鳳輦・神輿遷座祭
5月8日(金)  夕刻 氏子町会神輿神霊入れ 各氏子町会神酒所
5月9日(土)  神幸祭
5月10日(日) 神輿宮入
5月14日(木) 献茶式、明神能
5月15日(金) 例大祭
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写真は、祭のクライマックスとも言える、10日に行われた神輿宮入の様子である。

百川の魚河岸の若い衆にとっての祭はどれだったのか。アンツルさんの『落語紳士録』にあるように、百兵衛さんが千束屋を訪ねたのが4月末で、すぐに百川を紹介されたとすると、この三つの祭すべてに可能性はある。

江戸時代の魚河岸の若い衆、神輿をかついだ後の打ち上げで、さぞかし盛り上がって飲み歩き、「宵越しの銭は持たねえ」とばかり最後は吉原詣でとなって有り金を使い果たし、挙句の果てに四神剣をまげざるを得なかったのだろう。若い衆にとっては自業自得だが、百兵衛さんにとっては、アンツルさんご指摘の通り、生涯忘れがたい一日になったことは間違いない。

この噺の演者としては、まず原典とも言えるのが三遊亭圓生であり、圓生に稽古をつけてもらった人を含め昭和・平成の噺家達の複数の音源が発売されている。小三治もいいのだが、あえて一人に絞り込むなら、昭和56年4月、あの伝説とも言える「志ん朝七夜」第二夜における古今亭志ん朝版を推す。カップリングが「芝浜」であり、まったく損のないCD。
古今亭志ん朝_芝浜・百川
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# by kogotokoubei | 2009-05-13 12:12 | 落語のネタ | Comments(0)
1月以来のにぎわい座の睦会。会場は七分の入り。連休明けの平日、こんなものだろうか。しかし、この三人ならもっと入ってよさそうだと、前回も思ったなぁ。
演目は次の通り。

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(開口一番 林家はな平 初天神)
入船亭扇遊  道灌
瀧川鯉昇   ちりとてちん
(仲入り)
柳家喜多八  百川
入船亭扇遊  引越しの夢
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はな平(19:00-19:14)
初めてなのだが、どこか気になる前座さんだ。団子の蜜を舐めるシーンなど、なかなかのものである。後は、バサバサの髪の毛をなんとかして、自分の師匠(正蔵)以外からもどんどん吸収して欲しい、と願う。

扇遊『道灌』(19:15-19:34)
開口一番のはな平が喜多八と同じ学習院卒であり、正蔵門下という話から、初代三平の思い出話に。マクラで何度か聞いているが、いつ聞いても楽しい。昨年のまったく同じ日も扇遊が二席で『人形買い』と『佃祭』だった。さて今夜の一席目は何かと期待していると、まさかまさかの『道灌』である。後で喜多八が「扇遊兄いは風邪気味で」とフォローしていたように、少し鼻声ではあったが、扇遊のこの噺には決して手を抜いた、という印象がない。何と言っても八五郎の顔の表情による演出などは素晴らしく、前座噺で流石と思わせる力量を魅せてくれた。

瀧川鯉昇(19:35-20:13)
いつも通りの雰囲気から、独特のエスプリ溢れるマクラが楽しい。本編は、なんと『酢豆腐』の上方あるいは柳家のバージョンであるこの噺。しかし、いいんだなぁ。『時そば』で顕著なように、この人は食べる仕草のある噺が滅法楽しい。『酢豆腐』よりもこっちのほうが持ち味が出せることを、よくご存知なのであろう。出される酒肴すべてに感動してお世辞を言ってくれるのが太兵衛さん、見栄っ張りで最後に「ちりとてちん」を食べさせられる役を熊さんで演じたが、前半の太兵衛さんのクスグリが何ともいえない。”灘の生一本”には「こんなものが実在するんですか?」と応じ、”鯛の刺身”には「あるんですか、日本に?!」、”鰻”に至っては「こういうものがあるということは、聞いたことはありますが・・・・・・」と対応してくれる。中でも、「今日の日記に書き切れない」には目一杯笑った。

喜多八(20:24-21:04)
マクラでの「この三人はただ飲みたいだけ」的なフリから、「今日は扇遊兄いが風邪で飲み会には出ずに帰るというから鯉昇兄いと二人でみっちり呑むつもり。だいたい扇遊兄いは飲むと江戸っ子ぶるからいけない」「江戸っ子といっても熱海生まれの江戸っ子だけど」という話は、やはり三人で飲みたい、というラブコールに聞こえた。江戸っ子→祭り、という自然な流れで本編へ。喜多八の「百兵衛」、なかなかいい。お約束の「ウッヒョイ」もいいが、一つのヤマである「慈姑のきんとん」を飲み込む場面は、さすがにCDでは伝わらない。サゲも(オリジナルかどうかは不明だが)工夫されていた。この人、どんどん十八番(オハコ)を増やしている、そんな気がする。

扇遊『引越しの夢』(21:05-21:25)
特に喜多八のマクラに触れることもなく、「もう九時五分ですね」といううフリから、これは短いなと思ったが、20分で仕上げたこの噺の中身は濃いし、後半は笑いの連続であった。上方では『口入れ屋』というこの噺、生では初めてだったが、ライブで楽しみが倍増するネタであった。最後の釣り棚(ねずみ入らず)を担ぐ番頭と第二番頭、井戸に落ちた小僧の松蔵の三人の仕草は音声だけではわからない。さすが、である。体調が悪くても結果を出すプロの技を見る思いだった。

今日は、鯉昇、喜多八のお二人はニンなネタをたっぷりと、持ち味を十分に発揮して演じ、トリの扇遊は短い噺ながらも二席、いぶし銀の技で魅せてくれた。
帰り際に次回の睦会が9月1日開催に決まったというチラシが配られていた。都合がつくようなら販売開始の8月1日には申込むつもりだ。
この会は、仲の良い(はず?)三人の個性が光り、それぞれが相応しい噺を演じることで、落語の魅力がびっしり凝縮された贅沢な時間を提供してくれる。いつか、各自一席として、余興で三人の鼎談なども期待したいものだ。
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# by kogotokoubei | 2009-05-07 23:16 | 落語会 | Comments(0)

旬のネタ 『人形買い』

端午の節句の季節のネタといえば、この噺だろう。元は上方ネタだが江戸時代末期には東京に伝えられていたらしい。この噺の代表的な噺家は、三代目桂三木助といわれる。師匠である二代目三木助宅に居候していた大阪時代に習い、東京で演じるときは舞台設定も東京に替えていた。三木助はこの噺についてこう語っている。(ちくま文庫『古典落語 正蔵・三木助集』より)
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あたしが先代から教わったのは、昭和の二、三年ごろの春風亭柳昇時代
ですね。当時、板(高座)に掛けてはいたんですが、どうも最初(ハナ)の
半分はよかったけれども、後半が難しいんで、一時おくら(高座でやらない
こと)にして・・・・・・それで、いつとはなくきれいに忘れましてね・・・・・・その
後、昭和十九年に、先代の五代目笑福亭松鶴から後半を教わって、また
高座に掛けはじめ、あとは季節ごとに、まあ、得意のうちに入れて演って
いますよ・・・・・・とにかく前半は比較的やさしいんですが、後半が難しくて
骨が折れる割には、もうからない噺で・・・・・・。二ァ人で人形を買いに行く
ところなんか、演ってて愉快ですけどねェ、占者・講釈師、それに神道者の
登場するあとの半分は、演るのに苦労するんです・・・・・・」
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ちくま文庫_正蔵・三木助集*残念ながら現在増刷されていない模様。筑摩さんに版を重ねてもらうよう皆で要望しましょう。

この噺を聞いたことのある方ならば、三木助が「骨が折れる」「苦労する」と言っていた後半は、現在の噺家さんはほとんど演じないことをご存知だろう。通しでやると次のような構成になるが、三木助が「骨が折れる」と評しているのは(5)以降である。

(1)神道者の子どもが初節句なので長屋中に粽(ちまき)が配られる
(2)長屋二十軒でお返しにお祝いの人形を買うことになり、月番の甚兵衛さんが
  二十五銭づつ計五円を集めたが、カミさんに「あんたはぼんやりしているから」と、
  一緒に買い物に付き合ってもらいに「こすっからい」松っつぁんを訪ねる
(3)松っあんはなんとか人形代を値切って二人の飲み代をこしらえると言って甚兵衛
  さんと人形屋へ行って、「太閤さま」か「神功皇后さま」なら四円で売ってやるといわれ、
  どちらがいいかは長屋の連中に相談するので、二つとも持って帰り残ったほうは返す
  ということで、人形屋の小僧を荷物持ちとして連れて長屋へ戻る
(4)小僧から、実は四円の人形は「豆食い」とか「二荷目」といって一昨年の売れ残りで、
  二円でも売るつもりで置いていた人形だと明かされ二人はがっくりする。加えてこの
  小僧が、人形屋の内輪ばなしをおもしろ可笑しく話すのにあっけにとられる。
(5)長屋では、易者が神功皇后さまがいいと易を立ててくれたが見料に五十銭取られる。
(6)次に講釈師のところに行くと、「太閤記」を一席読まれた上、神功皇后をすすめられ、
  また五十銭取られてしまう。二人は苦労してひねり出した飲み代を失ってしまった。
(7)ようやく人形を持って神道者のところへ行くと、神道者は喜んで「神功皇后一代記」を
  語り始める。またか、と思った二人
  「待った、待った、先生、あんたんところも随分長いね、その様子じゃ、いくらか銭を取ら
   れるんでしょうけど、二人とも一文なし、あんたんところへ払う分は、長屋へのお返しの
   中から差し引いといてください」でサゲ。

得意ネタの一つにしている柳家権太楼の場合を例にするならば、(4)の部分、甚兵衛さんと松っつぁんが、ませた人形屋の小僧の可笑しくエロティックな内輪話を聞く場面を盛り上げてサゲにしている。
三木助版から、この小僧がどんな話をしているか、この噺をご存知ない方のために上述書からト書きを含め引用する。
*この部分を知らないでおいて生で最初に出会いたい方は読まないようご注意申し上げます。
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「先月あたしがおなかが痛くて部屋で寝てェたんで、隣の部屋がおもよ
さんの部屋なんで、ちょうど、薮入り(やどり)に行く日なんで、すっかり
着物を着かえちゃって(右手で顔をなで)鏡台の前でこうやってお化粧を
してえたン・・・・・・そこィトントントンッて若旦那が上がってきて『おもよ・・・
やどりに行くのにそんなに気取って行っちゃァあたしが心配じゃァないか』
・・・そ言ってくるんで・・・・・・そしたらおもよさんが、『女の部屋へ男なん
ぞ上がってくるもんじゃありません、だれか来るとおかしゅうござんすから
下へおりてらっしゃい』『大変に髪(あたま)が乱れているから、俺がちょい
となでつけてやる』『女の髪が男になでつけられますか』『つけられるか、
つけられないか、櫛をこっちィ貸してごらん(荷を持った手をそのままに、
肩ごと右へ揺する)』『だれか来ると変だからおよしなさい(今度は左に
揺する)』『櫛をこっちィ貸してごらん(また右へ)』『そんなとこをさわっちゃ
くすぐったい(ぐらぐら揺する)』」
「(両手で押える形で)おいおいおい・・・・・・大変な小僧が付いてきや
がった・・・・・・(後略)」
----------------------------------------------------------------------------

このあたりで、演者が上手ければ場内は爆笑、となる。

権太郎はマクラで次の「五節句」の説明をする。
■人日(じんじつ):正月七日(七草粥の日)
■上巳(じょうみ/じょうし):三月三日(ひな祭り)
■端午(たんご):五月五日
■七夕(しちせき/たなばた):七月七日
■重陽(ちょうよう):九月九日

江戸時代は、五節句には、参勤中の全大名が登城して、将軍に拝謁を賜り、大名は家臣に酒食を供し、店子は大家に節句銭を届けたらしい。
この噺は、神道者(本来は「しんとうしゃ」だが、江戸っ子は「じんどうしゃ」と濁る)の家の男の子が初節句なので、長屋中に粽(ちまき)が配られたことから、長屋中でお金を集めてお祝いに人形を買おう、というのが発端だ。
*昔の噺を採り上げると、ルビがやたら増えるなァ・・・・・・。

たしかに、オリジナルのように通して演じなくても、甚兵衛さんと松っつぁんとの冒頭の問答、人形屋でのやりとり、そして長屋に向かう道中での三人の会話などで、十分に楽しめるのも事実だ。ネタの題にも矛盾はない。また、神道者、占者、講釈師といった後半の登場人物そのものが、現代では分かりにくい存在でもある。通しの場合のようなサゲがなくても江戸時代の庶民生活を彷彿させる噺であり、笑わせどころも多い。中でもご紹介した小僧の一人芝居が一つのヤマになっており、噺家にとって聞かせどころである。しかし、前半だけにしても、最近はこの噺をする噺家さんが少なくなったように思うのだが、気のせいだろうか。
今が旬な噺である。多くの落語会で、この噺を聞いてみたいし、それぞれの噺家さんの弾けた小僧さんを見てみたい、と思う。

残念ながら三木助のこの噺はCDで発売されていない(と思う)。CDで楽しむなら圓生版と、三木助が稽古をつけてもらった五代目の子息、六代目笑福亭松鶴版がお奨めだろう。
三遊亭圓生_人形買い
笑福亭松鶴_人形買い
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# by kogotokoubei | 2009-05-02 14:08 | 落語のネタ | Comments(0)
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*NHK BSのサイトより

NHK BS ハイビジョンの企画で1時間半のインタビュー番組に談志家元が登場。

家元の声が十分に出ていて安心した。

落語への思い、イリュージョン落語とは何か、などなど落語ファンならこれまでにも耳にしてきた内容の再確認、という感じのインタビューだったが、後世に残すための集大成的な内容にはなったようだ。NHK BSでは昨年3月にも「立川談志 きょうはまるごと10時間」という破天荒な番組を放送している。

しかし、思うのだ。NHKが、こういった番組を組むことや、他のメディアでの家元の最近の扱われ方が、少し「伝説づくり」のモードに入ってきたな、ということである。たしかに家元の凄さは認めるが、あくまで生身の人間であり、かつて政治家時代も含め、決して行跡が良かったほうではない。
しかし、その芸の素晴らしさや人間的魅力が、そういった難を隠す、あるいはそれ以上のプラス要素で吹き飛ばしているのだろうが、家元自身だって、「伝説」になることを望んでいるわけではあるまい。

少し古くなるが、大学の落研時代に当時二つ目の小ゑんの頃から交流のある家元の古い友人の一人川戸貞吉さんは『現代落語家論』(昭和53年弘文出版)の中で、家元との次のような思い出を語っている。
川戸貞吉『現代落語家論』(上・下)
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 私たちは、年に一度の大学祭でお遊び大会をすることになった。演じるのは、
むろん芸人さんで、企画の中心は、もちろん立川談志であった。
 このときなにを演ったかもうあらかた忘れてしまったが、『怪傑黒頭巾』だけ
は、いまでもよく覚えている。これは、映画の題名パントマイムというお遊びで、
例えば、女装した男が黙って手招きをして、『かま(河)は呼んでいる』という、
くだらないものである。
 舞台に颯爽と登場した黒頭巾が、お尻を掻いて去って行く—これで『怪傑 
黒頭巾』という、実に他愛のないものなのだが、客席は爆笑の渦であった。
いまでもこのときの話を肴にして、彼と酒を飲むことがある。
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私は、若い時のこういった軽妙さも家元の本質的な部分だと思うし、『夢であいましょう』の落語をテーマにした放送で、長屋の住人に扮して落語ネタのコントの狂言回しをしていた家元の姿がなんとも言えず好きだった。
志の輔、談春、志らくといった弟子を育てたことも、家元をどんどん神棚に祭るような流れを強めているかもしれない。しかし、家元の本質はある意味、客としても話し手としても尋常ではない「落語バカ」であり、それ以上でもそれ以下でもないと思う。
 
 歴史に名が残る名人であることに疑問はないし、落語が伝統文化として認知されてきたからこそのこういった番組なのだろうが、家元を梯子にどんどん登らせていくばかりでは、いつその足元がぐらつかないともいえない。
 生身の「一流」の落語ファンであり、その落語の高い鑑識眼から見て聴いても好きになれる、また評価できる落語家に自分自身がなりたいと一途に目指してきた、それが立川談志という噺家だと思う。

 マスコミがヨイショしまくってきたら、それは「ほめ殺し」が始まったかもしれない、と危惧したほうがいいだろう。まだまだ元気で「やんちゃ」をしてくれそうな気がするし期待もしている。品行方正で勲章をもらう立川談志なんて、まったく魅力がないでしょっ。「長生きも芸のうち」という吉井勇が桂文楽に語った言葉を思い出す。惨めな姿になっても、ぜひ「不良老人」として、筋金入りの「小言幸兵衛」として"居つづけ"てくれることを切に願っている。
---NHK BS hiでの再放送---
5月 7日(木) 午後1:30~2:59
5月17日(日) 午前10:00~11:29

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# by kogotokoubei | 2009-05-01 12:33 | テレビの落語 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛