噺の話

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関内駅から迷いながら到着したのが午後6時50分頃。大ホールでは和田あき子コンサートとのこと。さて小ホール。ロビーのモニターにさん弥が映っている。「あれ、もう始まってるの?」とスタッフの方に聞いたら「開演は6時半ですが・・・・・・」とのこと。7時開始と勘違いしていた。しかし、分かっていてもこの時間が精一杯。副題が「県民ホール寄席 237回」とあり、主催が“ごらく茶屋”としてある。演者の好みだけでチケットを入手した会なのだが、平日の落語会で6時半開演、まるで落語研究会的な社会人の参加を期待しない(拒絶する?)秘密会か・・・・・・と一瞬イヤな予感。しかし、結果としては大いに満足な会だった。
まったく聞いていない開口一番も含め本日のネタは次の通り。
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柳家小ぞう  子ほめ
柳家さん弥  もぐら泥
柳家さん喬  品川心中(通し)
(仲入り)
柳家さん喬  妾馬(八五郎出世)
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会場に入り、さん弥の「もぐら泥」の終了を待って座席へ。
すぐにさん喬師匠登場。

『品川心中』(19:05-20:20)
まさか、通しで聞けるとは、という素直な感激にひたった。マクラは時事ネタで「事故米」の話のあと、定番とも言える師匠小さんとの旅の思い出を経て品川宿につなぎ少し会場を暖めて本編へ。白木屋のお染が心中相手を探すために玉帳(なじみ帳)を探すくだりで、「噺家・・・志ん朝さんも亡くなったし、ほんとにいい人から亡くなるんだから、もっと早く死んで欲しい噺家なんかいくらでもいるのに」には笑えた。金蔵が親分の家に帰りお決まりの大騒動のあたりでほぼ7時50分頃、「与太郎が厠から出るところでサゲだな」と思って聞いていたら終わらない。なんとなんと通しである、と心の中で大喝采。後半の「仕返し」のサゲは、古くは「客を釣るから比丘(魚籠)にした」という地口オチだが、さすがに現在これでは分からない。今日のサゲはさん喬師オリジナルだと思うが、その内容は明かさないでおこう。お染をだます民公が芝居がまったく下手であるという設定もさん喬師匠の工夫としておもしろかった。後半はやや時間を気にされて少し巻いたのかと思うが、1時間15分の長講は、今年2月の「黒談春」で演じられた『札所の霊験』をもしのいでいる。しかし、まったくその時間を感じさせないのが素晴らしい。『志ん生の噺』(ちくま文庫)の第五巻(廓ばなし)に収められているが、小島貞二さんの解説では、「後半は放送用のテープにはない。・・・・・・ポイントポイントを説明しながらひと通りさらってくれた。」とあるから、志ん生の現役時代でさえ“はなしが陰気になるから”という理由で寄席や独演会でも通しでは演じられていないようだ。ちなみに志ん朝のCDは、昭和54(1979)年11月12日に大阪毎日ホールでの独演会における傑作だが、もちろん上のみである。他の噺家の独演会などでも演じられている例は少ないのではないだろうか。得難い経験だった。後で調べたら朝日名人会で通しで演じられたCDが発売されている。買おうかどうか、迷うなぁ。

『妾馬(八五郎出世)』(20:35-21:20)
仲入り後に黒紋付、羽織、袴でのご登場。予想し、期待もしていた。マクラは最近の企業の不祥事の際の経営陣のお詫びの言葉について。「お詫び申し上げたいと、゛思います゛。」という表現が、どうしても気になる、なぜ「お詫び申し上げます。」と言わないのか・・・・・・と思います、という言葉遣いのテーマから本編へ。さん喬師匠の妾馬は以前にNHK「日本の話芸」で見て以来、ぜひ生で味わいたいと思っていた。この噺を生で経験した現役の噺家さんのランキングをあえてつけるなら、さん喬師匠がトップで、志の輔、談春の立川流コンビが僅差で2位と3位というのが私の評価。もちろん人によって異論はあるだろうが。それだけ、さん喬師の八五郎、大家さん、三太夫、そして赤井御門守といった登場人物が生き生きしていいのだ。ニンです。でも、さすがにこの噺は゛通し゛とはいかなかった。現在、上しか演じられない噺の代表的な二席を両方通しで行うのは、さすがに難しいだろうなぁ。でも、いつかは『妾馬』という題として誰かの通しを聞きたいものである。サゲがつまらなかろうと、それはそれで結構。

400名強キャパの会場は、ほぼ8分の入り。お客さんの反応など雰囲気は非常に良い。横浜の地元のお父さん、お母さん達の会員固定客を中心とした落語会という様子。帰り際の皆さんの感想も概ね肯定的。そりゃそうだろう、さん喬の『品川心中』の通しに、十八番のひとつ『妾馬』だよ。

会場の交通の便の悪さと開始時間、これだけはネックだが、なかなかの会でした。運営も結構ボランティア風で、アットホームな会のようです。勝手な推測であるが、伊勢崎町や馬車道の老舗の店主たちがメンバーの中心にいそうな会。こういう継続的な地元の落語会は、ぜひ長続きして欲しいものです。土曜の昼間での開催なら、少し早めに来て山下公園を散歩してから会場に入るに相応しいロケーションなのだがなぁ・・・・・・。ちょっとぜいたく過ぎる望みですかね。

そうそう、最近やたらと『子別れ』の通し公演が多い。これは良い傾向だと思っている。また、五街道雲助師匠が『お初徳兵衛』と『船徳』の二席をネタ出しで披露する会などもあった。本来「上」「下」の噺が「上」だけで普及している噺は意外に多い。もちろん、サゲが現代では通じない、おもしろくない、など理由も分かる。しかし、二人会などのリレー落語でもいいから、゛通し゛の落語会なんていうのも面白そうだ。今日の二席のほか、『宮戸川』『おせつ徳三郎』『居酒屋~ずっこけ』などが候補だろう。『崇徳院』で大騒動の末に結ばれた夫婦が『三年目』に至る、という話もどこかで聞いた気がする。寄席では難しいだろうが、ホール落語会だからできる企画だろう。もちろん、ネタにニンな噺家さんであれば、人は十分呼べるはず。落語ファンの皆さんいかがでしょう。
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# by kogotokoubei | 2008-09-18 23:39 | 落語会 | Comments(0)
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「落語の本か?」と突っ込まれそうだが、「落語的」「江戸的」精神の本、ということでご勘弁のほどを。
これはいい本だ。序章で「粋を大切にする暮らし方に欠かせない3つのポイント」が説明されている。
(1)気持ちや身なりがさっぱりと垢抜けていること。それでいて、どことなく色気があり、品格もある。
(2)人情の機微に通じていることだ。自分本位、自分勝手は最低最悪。これほど格好悪いことはないと考えられていた。
(3)洒落ていること。洒落とは、どこか現実を突き放し、面白がってしまおうとする精神をいう。

具体的な江戸の「粋」の例として、第二章の「-人として守りたいルールを尊ぶ- 『粋』に振る舞い、はからう」で、代表的な゛江戸しぐさ゛が紹介されている。
 「傘かしげ」
  雨や雪の日、傘をさして人とすれ違うときに、相手にしずくが落ちないように、
  傘を傾けること。
 「肩引き」
  同様に、人とすれ違うときの心づかいとして相手側になる肩や腕をちょっと
  引いて通りすぎ、ぶつからないようにすること。
 「こぶし腰浮かせ」
  渡し場で船が出るのを待っているとき、後から乗ってきた客があれば、こぶし分
  だけ腰を浮かせて席を詰め合うこと。
  「詰めてください」といわれてから詰めるのは「野暮」なのだ。

落語でも、混んだ場所に人が詰めあうとき、登場人物が当たり前のこととして「お膝おくり」をするではないか。

゛江戸しぐさ゛そのものについては、越川禮子さんによる多くの著作がある。
越川禮子_暮らしうるおう江戸しぐさ

本書では、「子別れ」や「天災」などで語られる『三行半(みくだりはん)』の一般的文章も紹介されている。なかなかお目にかかれるものではない。
また、幕府の厳しい奢侈禁止令にもめげず、いっけん地味な着物の裏や襦袢に鮮やかな色を使う、江戸市民の粋な反骨精神のことや、最近マスコミでもよく話題になるが、「リサイクル」してモノを大事に使うことで゛環境にやさしい゛江戸の生活も説明されている。
そして、適度にはさまれる川柳が、またうれしいのである。
 
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納豆としじみに朝寝起こされる
 
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初かぼちゃ女房はいくらでも買う気
 
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うららかさしきりに銭が欲しくなり

など、それぞれに光景が目に浮かぶんでくるではないか。
初対面では、(1)生まれや出身、(2)年齢、(3)過去や家族、を尋ねない、という「三脱の教え」も、全国各地からさまざまな人が集まる江戸ならではの人付き合いの重要な知恵であったのだろう。
今日では、時と場合によっては、出身などを聞くことから話が円滑になる場合もあるが、たぶんにこれはビジネスでの会話でのみ許されるのであって、ご近所づきあいやプライベートでは、「三脱の教え」は十分有効であるし、今や失われていく大切なマナーである。

電車の優先席に、どう見ても健康そうな若者が我が物顔で座り、携帯ゲームをやっているのが、今日の日常風景である。電車の「優先席の近くでは携帯電話をお切りください」というアナウンスが、どれほどむなしく、そして腹立たしく聞こえているか、保守的な電鉄会社の社員は気がつかないのだろうか。加えて携帯音楽プレーヤーの騒音被害も日常である。
江戸の「粋」の大原則の一つが、他人に迷惑をかけない、ということであり、迷惑なヤツは「野暮」なのである。「野暮」ばかりの世の中、「粋」や「いなせ」にこだわりたいものだ。

そこで考えた。電車やバスのアナウンスは、次のような内容にしてもらいたい。。
「健康な若者は将来メタボにならないよう立ちましょう。なお、携帯音楽プレーヤーから漏れている騒音にぶち切れたお客様からあなたがなぐられても、当社は一切責任を持ちません」

このくらいのユーモア精神と「粋」でマニュアルを変えてはいかが、JRさん私鉄さん。マニュアル世代に「行間を読め」などという小言は、残念ながら通じない。
植月真澄_日本人が身につけたい江戸の「粋
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# by kogotokoubei | 2008-09-13 09:02 | 江戸関連 | Comments(0)

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 9月4日「志らく百席」第26回のことを書いた際に、吉川潮さんによる10年ほど前の志らく評を紹介したが、この高田文夫編集による『江戸前で笑いたい』からの引用である。吉川さんの文章は、「第一部 やっぱり落語だ!」の中で「小朝、志の輔とそれに続く若手たち」というタイトルの、本書のための゛語りおろし゛である。
「志らく 談春」の部分をもう少し紹介しよう。
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立川流では志の輔のあとに志らくと談春が続く。落語協会には志らくと談春
どころか志の輔さえも認めない落語家が大勢いるんだよね。・・・・・・でも批判
する連中が二人の落語をちゃんと聞いているかと言えば、聞いてないんだよね。
・・・・・・最近の志らく、談春の落語を生で聞いてみればわかることだけど、声が
通るようになって、めりはりもあって、とってもいいよ。寄席で修行した落語家で
彼ら二人と同じキャリアの落語家と比べたら、二人のレベルはかなり高いね。
志らくの場合は、創作力、構成力、演出力を兼ね備えているのが強い。小朝に
しても志の輔にしても、その三つを持っている。・・・・・・
談春は高座姿がきれいだわな。最近形のいい落語家が少ない。・・・・・
談春は声もいいよ。ドスが利いて歯切れがいい。・・・・・・
志らくは野球で言えば技巧派の投手。七色の変化球を操る。・・・・・・
対して、談春は本格派の速球投手だ。ストレートの速さが魅力で気持ちがいい。
今はまだコントロールがないから、試合に出ると打たれることもあるだろうが、
コントロールがついてくれば楽しみだよ。
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初版が1997年の1月に筑摩書房から単行本で発行、2001年に中公文庫で復刊。だから、吉川さんの゛語りおろし゛は、談春の真打昇進がこの年の9月なので、その直前での評価である。ちなみに、吉川さんが小朝、志の輔に続く若手として9人の名前を挙げているのだが、それは次の通り。
市馬、花緑、三木助、昇太、たい平、喬太郎、勢朝、そして志らく、談春である。このなかで、たい平、喬太郎、談春の三人が、当時まだ二つ目である。

この本は゛江戸前゛の笑いに関する宝庫といっても良い傑作だ。口上のあと、編者である高田文夫さん自身の「笑いと二人旅」(前編)で始まる。渋谷で生まれ世田谷で育った高田さんが、鳶頭の子で粋でいなせなお母さんの影響もあり、笑いに身近に接し、日大芸術学部落語研究会でも活躍した、といったプロフィールは、本書で初めて知った。近所に『社長シリーズ』で売れる前の森繁久彌の家があり、庭の柿や栗を盗んでは「森繁のバカヤロウ」とかウワーとか言って、森繁さんが出てくると逃げた、などのエピソードも楽しい、高田さんの傑作な半生記である。

第一部と第二部が落語をメインテーマにしているが、その目次は次の通り。
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第一部 やっぱり落語だ!
    口上・・・・・・高田文夫
  笑いと二人旅(前編)・・・・・・・・・・高田文夫
  現代ライバル論(1) 志ん朝と談志・・・・・・・・・・・・・・・・・山藤章二
  現代ライバル論(2) 志ん生と文楽・・・・・・・・・・・・・・・・・玉置 宏
  現代ライバル論(3) 高田文夫と藤志楼・・・・・・・・・・・・・森田芳光
  小朝、志の輔とそれに続く若手たち・・・・・・・・・・・・・・・・・吉川 潮
  変貌する落語−今こそ、新作落語に注目!・・・・・・・・・・渡辺敏正
  談志論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・立川志らく
第二部 中入り
   中入り・・・・・・高田文夫
  志ん生と江戸の笑い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鴨下信一/高田文夫
  みんな落語が好き・・・・・・・・・・・・篠山紀信/春風亭昇太/高田文夫
  名人に二代なし?・・・東貴博/三波伸一/柳家花緑(司会・高田文夫)
  浅草芸人寿司屋ばなし・・・・・・・・・・・・・内田榮一(聞き手・高田文夫)
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森田芳光監督が日大芸術学部落研で高田さんの後輩(しかし在籍半年)だった、というのも、本書で初めて知ったことだ。言わずもがなだが、第二部は対談である。唯一の゛素人゛さんである内田榮一さんは美家古寿司のご主人。金原亭馬生師匠が生前に足繁く゛飲むだけ゛に通ったお店である。

第一部と第二部は、ほとんどが本書のための書き下ろし、または語り下ろし。
「第三部 東京の喜劇人」は、雑誌「東京人」95年7月号からの収録が多いが、三木のり平、由利徹、渥美清、クレージーキャッツ、萩本欽一、ビートたけし、イッセー尾形、伊東四郎といった喜劇人について、それぞれニンな書き手が担当している。この第三部でも、喜劇人を語る中でふんだんに落語と落語家のことにも話は及んでいる。

第一部に戻る。本書を読んでうれしかったのは、志ん生のことが目一杯書かれているからだ。玉置宏さんの文章から少し抜粋。
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昭和28年(1953年)六月、新たな同人を加えて「第二次川柳鹿連会」が発足、その
作品記録のうちの十二冊が私の手許にある。これは八代目春風亭柳枝未亡人から
頂戴したもので、同人は、桂文楽、三遊亭円生、先代橘家円蔵、先代桂三木助、
先々代三升家小勝・・・(中略)・・・志ん生の作品をいくつか御披露しておこう。
 同業に 悪くいわれて 金ができ
 宝くじ 当たるは政府ばかりなり
 煮てみれば 秋刀魚の姿 哀れなり
 恵比寿さま 鯛を逃して 夜にげをし
 ビフテキで 酒を呑むのは忙しい
ちょっぴりケチで皮肉屋の、いかにも志ん生らしい川柳である。
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志ん生本来のブラックなセンスが川柳にも十分現れているではないか。
第三部で中野翠さんがイッセー尾形を語る文章の冒頭で、こんな志ん生の言葉を紹介している。
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「落語というのは、世の中のウラのウラをえぐっていく芸であって、おもしろいうという
ものじゃなくて、粋なもの、おつなものなのだ」−と。この言葉は、よくかみしめたい。
言いたいことは、何となく、わかるような気がする。
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当時まだ健在だった志ん朝師匠と談志家元を論じた山藤章二さんの次の名文も有名だ。
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・・・・・・と、ここまで書いてハタと気づいた—<現代(コッチ)>から<過去(アッチ)>へ
客を運ぶのが志ん朝で、<過去(アッチ)>をグイと<現代(コッチ)>の岸に引き寄せる
のが談志である。
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11年前の本とはいえ、珠玉のような名文、名企画が一杯の本である。しかし、あまり本屋には並んでいないのが残念。落語ファン、たけしファン、渥美清ファン、そしてすべての“江戸前”のお笑いファンにとって、必読の書だと思いますよ。

高田文夫_江戸前で笑いたい
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# by kogotokoubei | 2008-09-06 17:09 | 落語の本 | Comments(0)
満員どころか、1階の両そでと後ろには補助席が出る盛況。私自身、この会は3回目なのだが、こんな大入りは初めて。ネタ出しされているので、そのせいなのだろうか。ともかく本日のプログラムは次のとおり。

立川志ら乃 『天災』    
立川志らく 『宮戸川』
立川志らく 『三軒長屋』
(仲入り)
立川志らく 『抜け雀』

『天災』(19:00-19:20)
真打への道、ということの一環なのか、前座で志ら乃は、得した気分。ただし持ち時間20分なので、八五郎が紅羅坊名丸先生を訪ねるところから開始。紅羅坊先生をこれだけ弾けさせるのは、この師匠にしてこの弟子あり、である。志ら乃は“顔”の演出に特筆すべきものがある。“芸”でもあるが、もって生まれた“財産”でもあり今後も彼の「売り」になるだろう。紅羅坊先生の「居酒屋は、いっけ~んも、な~い!」の形態くすぐりに会場の温度もほどよく上がってきた。少し顔色が良くないように思えたのは、真打挑戦シリーズによる疲労かと思えたが、この調子なら、昇進は間違いないだろう。

『宮戸川』(19:21-19:48)
冒頭、「真打になりたいらしいんです」と志ら乃の話から。自慢じゃないが、と自分が真打になった時にはもっと会場を沸かした、との“自慢”話。「今、この師弟は戦っているんだな」と再認識させてくれた。談志家元と弟子達とが真打昇進の際に味わってきた緊張感を、志らくは弟子に体験させたいのであろう。「『百席』は演りやすい噺から進めてきたので、今日のような苦手な噺ばかりが残ってしまった」、とのこと。時節柄、福田辞任とオリンピックの話題をマクラに本編は実質20分ほどであっさりと。お花のおじがベトナムのサイゴン(ホーチミン)に住んでいる、というあたりは志らくらしさ、というところか。、また、お花が幼い時に霊岸島のおじさんから教わったという軍歌を歌う入れ物があったが、“志らくイリュージョン”というほどの演出ではない。今ひとつの出来。今後の改良に期待したい。

『三軒長屋』(19:50-20:35)
師匠談志のこの噺を思い出す、という話から、このネタがニンなのは談四楼兄ぃ、でも聞いてて寝てしまった、と落とすあたりが志らくの本領発揮。この噺のマクラなのに、「『抜け雀』には期待して欲しい」、という言い訳モードが強く、好きな噺だが、本人は自信はなさそう。シネマ落語の「タワーリングインフェルノ」を“百軒長屋”で演ったが受けなかった、という話から江戸時代の長屋の構造につないで本編へ。結論からすると、たしかに苦手なのかまだ自分の手のうちになっていないようだ。「何も足さない、何も引かない」というどこかのウィスキーのような構成。これでは志らくの噺とはいえない。せいぜい三軒長屋の真ん中に住む妾宅の女中おたけの弾け具合に“らしさ”を感じたが、全体としては今ひとつである。ベースは談志家元というよりは志ん朝師匠であろう。しばらくしてから、進化したこの噺を聞いてみたい。このネタは志らくに合うと思うのだ。志らく流アレンジがしにくい噺なのかもしれないが、三軒を五軒や十軒に変えてでも、オリジナリティを発揮して欲しい。今日のような構成で演るのなら、談春にはかなわない。

-仲入り-(20:35-20:50)

『抜け雀』(20:50-21:25)
10年程前、吉川潮さんが当時の志らくを期待する若手として評するとき、「『創作力』『構成力』『演出力』を兼ね備えている」、と表現した。その力量が十分感じられる噺だった。本人が期待させただけのことはある。冒頭で定番といえる宿を探すプロセスや主人公の汚い身なりの詳細な説明を刈り込んで、宿のひどい設備の描写に焦点を当てたが、この創作は良かった。旅籠「相模屋」裏にある屋外の便所で、両手に松明を振り回しながら用を足すとか、風呂の少ない水を増やすためにその都度、宿のおやじと一緒に湯ぶねに入るナンセンス、あるいは階段の腐った段についての凝った説明、といった入れ物の楽しさは、他の噺家では味わえない。硯に水を張らずに持ってきた気が利かない宿の主に向かっての「インドの女中か!」も、笑える。また、絵師親子が「雀」や「鳥かご」を描く際の声と仕草の演出も秀逸。これなら、ある程度“志らくイリュージョン”に近づいていると思う。この噺だけでも、足を運び帰りに雨に濡れた甲斐があった。

にぎわい座は、影の立川流定席、のような存在だと思っている。志の輔、談春、そして笑志(生志)といった個性的なメンバーそれぞれのプログラムがある。しかし、根強い固定ファンで会場が継続的に埋まるのは、志らくだけかもしれない。もちろん、志の輔、談春は発売から5分以内にはソールドアウトだが、ある意味で全国区でのチケット争奪の結果でありお客さんの顔ぶれは入れ替わる。(とはいってもいつも来ている人がいるなぁ・・・・・・)「志らく百席」は、幅広い年齢構成のお客さんたちのやさしい眼差しを感じ、ビールを飲みながらゆったりと楽しむことができる。この雰囲気は゛好意的観客゛に恵まれた時の寄席だ。
思い出すと、昨年の5月1日第18回(『火焔太鼓』『粗忽長屋』『子別れ(中)(下)』)も客席のムードはよく、3作とも10点満点なら8.5以上という出来栄えだった。さて通算78席が終了。大ネタや期待したいネタも結構残っている。あと8回なのか、特別版などがあるのか分からないが、本人が吐露するように、残されたネタへの挑戦に、できる限りお付き合いしたいものである。
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# by kogotokoubei | 2008-09-04 23:16 | 落語会 | Comments(0)
溝の口駅前の商業ビル最上階、12階にある、初めて行く会場。
開演午後7時5分、談春師が登場で拍手。
「なぜ前座がいないかというと会場の関係で8時40分には終わってくれ、ということなので・・・・・・開演を6時半にしたらいいでしょう、と言われたけど、近所のお客さんばかりではないから、来れないですよね」“その通り”と思うと同時に、いや~な予感。
会場、あるいは会場の制約が主役になってはいけないのだ。前座なしのネタは次の2席。

『お化け長屋』 (マクラ約15分、本編約30分:19:05-19:50)
『五貫裁き』   (マクラ約15分、本編約30分:20:00-20:45)

一席目のマクラ。馴染みのある場所で、20数年前に武蔵新城にあった料理屋さんでの地域寄席で前座に呼んでもらった、という話は良かった。また、昨日の今日でもあり福田首相の辞任会見ネタをまじえ、噺のうまい落語家というのは「怪談」か「猥談」がうまい、という話で引っ張り、「お化け」の噺であることを示唆。自らの開口一番でもあり、やや乗り切れない。これも、時間制約を考えることによる悪影響であろう。マクラから、「へっつい幽霊」ならうれしいのにと思ったが、『お化け長屋』。先週のNHK「日本の話芸」で小三治師匠のこの噺がちょうど放送されていたことを思い出す。談春流は気の強い職人のはじけ具合など、さすがという部分は十分に魅せるのだが、どうも時間に追われている印象がぬぐえない。古狸の杢兵衛の手つきに「熊がしゃけを取るような格好」という表現は秀逸だった。

仲入り後、「話していて思い出した」ということで、談春師と実家の家族が一緒に味わった「怪談」ばなしについて。たしかに、この話のほうが一席目のマクラにはふさわしかっただろう。そして、博多での談志家元との親子会のネタ。内容はお約束で明かせないが、会場は大爆笑。ようやくエンジンが温まってきた感じ。少し長引いたかと思わせるマクラの後で、「珍しくておもしろくない、立川流の噺」ということで『五貫裁き』。家元が講談モノが好きなので、たしかに立川流ならではのネタだが、最近この噺は三三師のイメージが強い。大家のキャラクター設定など随所に談春流の味わいはたしかにあるものの、最後の10分は少々飛ばしすぎにならざるをえなかった。ほぼ1年前の9月3日、横浜にぎわい座での「市馬・談春ふたり会」でこの噺を聞いたことを思い出した。にぎわい座では噺がこの一席だけだった(前座こはるちゃんの『たらちね』とお二人のトーク、市馬師は『佃祭』の一席)ので単純比較はできないが、時間の制約が最大の原因だろう、やはり今一歩舌足らずの感はぬぐえない。本来なら大岡裁きの場面はもっと長いはずだ。

結果としての時間配分は絶妙だしプロの技は十分に感じた。ドッカンドッカンさせる勘どころもはずさないし、実際に受けていた。しかし、夜7時からの落語会、客は9時までは当然、長講なら9時半も覚悟なのだ。たまの、そしてハレの落語会を十分楽しみたいというのに、会場の都合で2時間未満での、それも談春師クラスの落語会ということ自体に無理がある。

さて、会場への不満の付録である。終演後、数百名がいっせいに3台のエレベーターに向かうのだが、会場スタッフによる誘導もなく、効率が悪い。加えてエレベーターのソフトが、どれか一台が最上階12階に止まるなら、他のエレベーターは勝手に下の階から降りてしまうという設定のようで、「さぁ、来るぞ」と思っているトタンに、「降りる」の点滅が消え、すぐ下の11階やレストランのある10階から降り始める。まるでミステリーなのだ。結局いくら早く終演したところで、エレベーター待ちが15分~20分。加えて階段への扉も閉じており、待ちきれないお父さんから、たまらず、「なぜ、階段を使わせないんだ」との一声。市役所なのか主催者なのか居合わせた気の弱そうなスタッフが「危険防止のため使用できません」と答えたものだから、「火事になったらどうするんだ。川崎市の方針で焼死させるのか」・・・・・・。エレベーターを待つストレスのたまった一同、お父さんに同感なのだった。スタッフが『お化け長屋』で最初に逃げ帰る借り手で、お父さんが威勢のいい職人に思え、一人、笑いを噛み殺した。
あえて、今日のネタで苦しい洒落を言うのなら、「お化けエレベーター」と「動かん騒ぎ」が最後には主役になってしまった。公演中も、観客は最初に時間制約のことを聞いているものだから、談春師の汗をかきながらの熱演を時計を見ながら聞いていたのではなかろうか。少なくとも私はそうだった。

時間、寒暖、照明具合、音声などなど、芸を披露する環境は、なるべくその存在を感じさせないほうがよい。胃痛のときに胃の存在を感じる、ごとくである。もし、この会場で今後も落語会を行うのであれば、ぜひ学習効果があることを期待したい。多摩川超えでの落語会は、そう多くはないのだ。特に田園都市線沿線ではなおさらである。聞きたい落語家が、「あそこではやりやくない」と思ったとたんに、落語ファンのチャンスも減る、ということを肝に銘じて欲しい。志の輔師の『歓喜の歌』着想のエピソードとして、一部公共の会場における対応のまずさが語られていたが、なるほどと共感できた夜だった。
もちろん、すべてのお客様が私のような思いになったとは限らない。十分に楽しんで帰った方も多かっただろう。早めにエレベーターに乗れた人は、「動かん騒ぎ」には見舞われなかったはずだし。田園都市線沿線で、会社からも近い会場。今後も落語会の開催を期待しているからこその小言である。
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# by kogotokoubei | 2008-09-02 23:10 | 落語会 | Comments(0)
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歴史読本の別冊では『落語への招待』がすでに2冊発行されているが、本誌は貴重な映像記録を中心とする別な切り口で構成された゛ムック゛である。最初に目をひいたのは五代目柳亭左楽の大葬列の写真だった。昭和28年3月25日に亡くなった五代目の葬列のことは、さまざまな落語関連書籍で知っていたが、写真を見たのは初めてだったので、新鮮な驚きを感じた。本誌でも冒頭に引用している『聞書き・寄席末広亭』の北村銀太郎席主の言葉。
富田均『聞書き・寄席末広亭』
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「そりゃ芸人としちゃ空前絶後のおとむらいだったよ。六代目菊五郎の葬式
と双璧だったって新聞にも出たほどだもの。花環が千本以上、上野動物園の裏
に並んじゃった。」
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北村席主は、『続 聞書き・寄席末広亭』の中で次のように五代目について語っており、この大葬列の理由が推し量れる。凄い人だったのだろう。富田均『続 聞書き・寄席末広亭』
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とにかく、五代目からは学ぶべき点が多いよ。高座にあがるとき、上方にならっ
てお囃子を入れるようにしたのもそうだし、熱心に勉強して、しかも客受けの
いい芸人には前座幹部の区別なく給金を上げて、年に二回特別賞与を出すとか、
とにかく次々と手を打ってゆく・・・・・・。大震災でいろんなもんが崩れた
あとでは、演芸会社と睦会に分かれたまんまやっていたのでは駄目だってんで、
今度はその二つの協会を一つにさせてしまった。バラバラになってる場合じゃ
ないっていうわけなんだ。それで本人が会長となって、落語協会を設立した。
だから私が六三亭をやっている時期は、もろに五代目がその力を発揮していた
ときなんだ。芸人たちの組織が一つしかなかったというのは珍しいことなんだよ。
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政治的なセンスも優れていたのだろうが、これだけの葬列を見ると、その人間の大きさ、というものも十分に察することができる。孫娘で末広亭の裏で喫茶店「楽屋」を営む石川光子さんの思い出話を含め、当時の落語界のドンともいえる五代目の貴重な記録である。

本誌の冒頭は新宿末広亭の今年6月上席で開催された、五代目小さん七回忌追善興行「小さんまつり」の高座と楽屋のスナップが中心に構成されている。小三治、扇橋、さん吉といった大御所師匠が談笑する様子を楽屋の隅っこに立ったまま神妙に聞き入っている三三の姿が実に微笑ましい。さん喬、権太楼という寄席の中心的存在を含め柳家の人材の豊富さには目を見張る。

「私の住んだ街、歩いた街」というタイトルで、小三治、文楽、金馬、正雀の4人の師匠がそれぞれの自分の師匠の思い出、弟子時代の師匠の家の様子、そして師匠からの教えと自分自身の落語に取り組む姿勢、考え方などを普段着の姿で披露してくれている。
小三治師の言葉から少し抜粋。
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繰り返しになりますが、こういうすべての努力は、師匠・五代目柳家小さんの
言うところの「人物になり切る」ためにあります。師匠の教えはまったく正し
かった、齢を重ねるほどそう思えるようになってきましたね。・・・・・・とは
言ってみたものの、本当はよく分かりません。普段からそれほどいろいろ考えて
整理しながら演ってるわけじゃあありませんから。齢を重ねて高座に何か変化が
出てきましたか、なんて聞かれたりもしますが、そんなことは自分にゃあ分か
りゃしません。
(中 略)
私自身、これからどうしたらいいんだろうと今も悩みながら、迷い、迷い、歩いて
います。今日はこう思っているけれども、二、三年もすればあのときは間違って
たなって思うかもしれない、まァ、それでいいんだと思うんですね。私は齢を
重ねていまそういう心境になれたということが嬉しいんです。
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九代目が語る八代目文楽や四代目の三代目金馬の思い出、正雀師匠が語る八代目正蔵の芸と人、など街並みや自宅の味のある写真と聞書きで構成された好企画である。
なかでも正雀師が明かす、八代目正蔵師匠が、何かと衝突があった六代目圓生師匠の葬儀でのエピソードには胸が熱くなる。
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圓生師匠がお亡くなりになったときも、青山斎場に出向いたウチの師匠は、落語
の祖・安楽庵策伝の研究で知られる名古屋在住の関山和夫先生に言ってました。
「これほどの名人はもう二度と出ないんだから、関山先生、大いに圓生師匠のこと
を褒めてやって下さいよ」と。感動しましたね。
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正雀師への聞書きに続いて、27回忌追善写真企画として「稲荷町」のさまざまな映像が掲載されており、その中にも六代目とにこやかな顔での鈴本の楽屋におけるツーショットが含まれている。あの二人は本当はどんな関係だったのか、あの諍いは二人の芝居だったのではないか、と思うばかりのいい雰囲気なのである。落語ファンにとってはうれしい記録であろう。

金馬師匠は、趣味のカメラで撮りためた噺家たちが楽屋でくつろいでいるスナップを提供しており、なかなか楽しい。青年扇橋師匠は、一見しただけでは誰か分からないような傑作だ。「落語の舞台・下町を歩く」では「長谷川町、三光新道」や「下谷山崎町」、「芝浜」など、落語と落語家にまつわる場所の現在の姿が丹念にスケッチされている。逆に、昔の姿をしのばせるのが橘右楽さんへの「聞書き 寄席研究」だ。師匠右近の志を引き継ぎ史料の収集、分析をしている右楽さんが語る寄席の歴史と、昭和29年に閉館した神田須田町の立花亭や人形町末広の写真などが掲載されていて楽しい。

本誌を手にして、すぐに本棚から1997年10月平凡社発行、別冊太陽『落語への招待』を取り出してみた。表紙は当時健在だった五代目小さん師匠。第一席から第五席に分けられ、若手から中堅、大御所まで、江戸も上方を含めて当時第一線で活躍していた噺家の高座や楽屋でのスナップと達者な書き手による文章で構成されていて、第一席のトップバッターは、当時絶好調の小朝師である。熟年期ともいえる時期の志ん朝師匠の姿を見ると目頭が熱くなる。10年前の本でもずいぶん懐かしく、そして楽しく読み返すことができる。『落語百景』の「住吉踊り稽古見学記」のスナップにも姿を見せる、今やこの踊りの中心人物である小円歌姐さんの10年前の写真の、なんとお若くて艶っぽいこと。(もちろん、今もお綺麗ですが)

落語ファンの中には、現在進行形の落語にのみ関心のある人も多いだろう。故人のCDを聞くことなどない人もいるかもしれない。しかし、現在の噺家が今あるのも、江戸から明治、大正、昭和、そして平成へと、数多くの師匠から弟子達に、その芸とともに人生哲学とでもいうべきものが伝承されてきた歴史があったからこそであろうと思う。また、落語の舞台の大半が江戸、明治など古き良き時代である。過去と、未来には過去となる現在の貴重な断面をしっかりと記録する本が今後も発行されることを期待したい。50歳を超えた中年のノスタルジーと思われても結構、10年後に懐かしく読み返すことのできる本も必要なのだ。
落語百景
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# by kogotokoubei | 2008-08-23 18:25 | 落語の本 | Comments(0)
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昨日のNHK BS2での放送。東京落語会のライブラリから、うれしい映像の登場。昭和53(1978)年10月13日の「夜の指定席」で放映されたらしいが、落語会の開催はこの年の8月18日。
当日の演目は、
2代目 柳家さん助         『湯屋番』
2代目 桂文朝          『三方一両損』
4代目 三遊亭小圓遊        『崇徳院』
10代目 桂文治(当時は伸治)  『三国誌』
そして
10代目 柳家小三治        『天災』
3代目 古今亭志ん朝       『たがや』
*『ご存じ古今東西噺家紳士録』(エーピーピーカンパニー)より

当時小三治師匠が誕生日が12月だから満で38歳、志ん朝師匠40歳である。ともかく若い、そして二人とも達者である。仲入り後の二人の噺をノーカットで放映していると思われる。

『天災』は、時間の都合なのか、今では考えられないがマクラなし。「おらぁ江戸っ子だからねぇ、職人だから・・・・・・」の台詞が小三治師匠ならではのリズムをつくっていて心地よい。途中で煙草屋に立ち寄らずまっすぐに紅羅坊先生宅へ行くなど、刈り込み方も適切で、まったくあきさせない。30代の貴重な映像である。

『たがや』は歌舞伎の大向こうからの掛け声をマクラにして本編に入っている。よく言われる「唄う」ような流暢さでうならせる。不惑を迎えたばかりの志ん朝師匠は、直前に起こった大騒動の疲れも見せず、「芸のみに生きる」という気持ちの切り替えができていたのかもしれない。たが屋の立ち回り場面も含め、実に爽快な芸を見せてくれる。

昭和53年の大騒動というのは、あの落語協会分裂騒ぎのことである。
落語界にとって重要なエポックなので少し説明すると、こんないきさつである。
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5月9日の落語協会理事会で、同協会前会長であった6代目三遊亭圓生が大量
真打昇進に異を唱え、同制度を推し進めていた常任理事5代目春風亭柳朝、
4代目三遊亭金馬、3代目三遊亭圓歌を更迭し代わりに自分と同調する圓楽、
談志、志ん朝を常任理事にして同制度を白紙撤回する議案を出す。だが、賛成
は圓生と志ん朝だけ、圓楽と談志は棄権し、その他全幹部は反対したため大差
で否決されてしまった。圓生は一門を率いて新協会設立にに動き始め、5月24日
に赤坂プリンスホテルで新たな落語三遊協会の設立記者会見を行った。しかし
翌5月25日の席亭会議で、それまで新協会設立に理解を見せていた席亭達も、
新宿末広亭の北村席主の意見に従い、三遊協会には寄席を使わせない事を
決定。志ん朝、圓蔵、圓蔵門下の圓鏡は5月31日にそれぞれ落語協会からの
脱退を撤回。しかし、圓生一門は翌6月1日正式に落語協会を脱退。6月14日、
上野本牧亭で三遊協会を旗揚げした。
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ご存知のように、この翌年圓生は亡くなり、三遊協会は円楽党となった。
この騒動に関しては、三遊亭円丈、金原亭伯楽の両師匠によってリアルに騒動の内幕を明かした本があるので、別の機会にでも紹介したい。
この騒動のすぐ後、6月24日に三百人劇場で「志ん朝の会」が開催された。CDにも残る当日の『三軒長屋』のマクラでは、天候不順のことに続き「とにかく今年は大変な年で~お客様だけが頼りです。」と語って、場内からの笑いと拍手を誘っている。
このCDは、数ある志ん朝ライブラリの中でも、その出来栄えと歴史的な意味を含めトップ10に入ると思っている。

『よってたかって古今亭志ん朝』(文春文庫)の記録による昭和53年の志ん朝師匠の主要落語会での演目は次の通り。
1月13日 東京落語会  『ぞろぞろ』
3月29日 東横落語会  『碁泥』
3月31日 落語研究会  『幾代餅』
4月6日  志ん朝の会  『柳田格之進』『愛宕山』
5月29日 東横落語会  『船徳』
6月24日 志ん朝の会  『三軒長屋』『子別れ(下)』
6月29日 落語研究会  『酢豆腐』
7月31日 東横落語会  『宗の滝』
8月15日 落語研究会  『紙入れ』
8月16日 紀伊國屋寄席 『鰻の幇間』
8月18日 東京落語会  『たがや』*8月20日放映されたのはコレです。
8月30日 東横落語会  『唐茄子屋政談』
9月29日 東横落語会  『蒟蒻問答』
11月17日 東京落語会  『三枚起請』
11月19日 東横落語会  『猫の皿』
12月5日 志ん朝の会  『居残り佐平次』『芝浜』
12月26日 落語研究会  『居残り佐平次』

放送された『たがや』を演じた8月のスケジュールの過密なことに驚かされる。
京酢偕充さんプロデュースによりソニー・ミュージックから発売されているCDは、昭和51年から昭和57年にわたって三百人劇場で開催された「志ん朝の会」と、昭和56年の「志ん朝七夜」が音源の中心となっているが、この年の3回計6作品のうち5つはCD化されている。『芝浜』だけは、翌年11月の大阪での独演会の内容が七夜での『百川』とのカップリングで発売されている。この時期の志ん朝師匠の充実度は際立っている。

NHKの東京落語会に志ん朝師匠は昭和34年10月(なんと師匠21歳!ネタは『元犬』)から亡くなった平成13年の2月まで計71回出演している。
NHkさんには、もっと放送する機会を増やしていただきたいと願う落語ファンは少なくないはずだ。
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# by kogotokoubei | 2008-08-21 12:21 | テレビの落語 | Comments(0)

『落語歳時記』矢野誠一

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矢野誠一_落語歳時記

『佃祭り』でも引用させてもらったし、最近別の著者から同一タイトルの本も発行されたので、矢野誠一さんのこの名著をとりあげる。
私が落語のネタを調べる時は、まず矢野さんの『落語手帖』(駸々堂出版 、1988年10月発行) か、同じく矢野さんによる『落語讀本−精選三百三席−』(文春文庫、1989年12月発行)にあたることにしている。これらの本でネタの原話であるとか、時代背景、主な演者のコメントなどを知った上で、次に参照するのが本書なのだ。
初版は1972年12月に読売新聞社から単行本として『落語 長屋の四季』として発行され、1995年2月に改題されて文春文庫として復刊された。それでもすでに13年前のことになるが。矢野さんは「徳三郎」という俳号をもつ「東京やなぎ句会」のメンバーである。この句会は桂米朝、入船亭扇橋、三遊亭小三治といった落語家に小沢昭一、加藤武そして矢野さんなどの落語通人で構成され、扇橋師匠を宗匠格とする、落語ファンならご案内の会である。
本書は新年から冬までの季節ごとに季題と対応する落語で章立てされている。冒頭はそれぞれの季題についての矢野さん自作の句で始まる。
ちなみに、夏の項の目次は次の通り。
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<夏>
業平忌       洒落小町
短夜         酢豆腐
うなぎ        鰻の幇間
蚊帳         麻のれん
四万六千日    船徳
暑さ         千両蜜柑
祭り         佃祭り
-季題寸景-
野崎参り/端午/幟/神田祭り/山王祭り/
祇園祭り/富士詣り/大山詣り/川開き/井戸替え
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落語の味わい方はいろいろあると思うが、江戸や明治といった時代の風俗や文化、そして庶民の生活を思い浮かべながら聞くことで楽しみが増えることは間違いないだろう。
季題「短夜」という言葉そのものが死語になりつつあるが、こんな粋な俳句を知ることで、季題とともに忘れることもなくなるだろう。
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短夜や軽き悪事のふたつみつ  徳三郎
短夜のあけゆく水の匂いかな   久保田万太郎
短夜や嘘と知りつつきくはなし  川口松太郎
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また、短夜の季題で扱っている「酢豆腐」についての次のような著者の指摘にも、なるほどと思うのだ。
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『酢豆腐』の若い衆は、口ではいやな野郎、キザな野郎とけなしながらも、あとに
引けなくなって、腐ってカビの生えた豆腐に敢然とたちむかい、「酢豆腐はひと口に
かぎる」と逃げた若旦那にたいし、「ざまァ見やがれ」といった態度はとらない。
おそらく、悪臭を放つ、くさった豆腐に立ちむかったとき、若旦那の胸中には、あの
『助六由縁江戸桜』で韓信よろしく、花川戸助六の股をくぐってみせる通人里暁を
気取るものがあったにちがいない。まことに通人をもって貫き通すのも、はた目には
わからないつらい部分があるものだ。口でけなしながらも、そうした気取りに徹した
いき方は、十分に認めてやった結果の、「やった、やりましたね」であって、「酢豆腐、
酢豆腐はうまいね」なのである。
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俳句を下敷きに季節感のある噺の時代と当時の庶民の生活、そして登場人物の心情など、落語の楽しみを何倍にもしてくれる名著だと思う。本書が多くの落語ファンの手に入るよう、改訂版の発行を期待している。文春文庫には過去に落語関連本が結構多く発行されているのだが、最近改訂されていないので古書店ルートに頼らざるを得ない。ちくま文庫や河出文庫の奮闘に負けないで欲しいと思う次第である。

矢野誠一_落語手帖
矢野誠一_落語讀本
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# by kogotokoubei | 2008-08-17 11:07 | 落語の本 | Comments(0)

今年は大祭 『佃祭り』

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8月6日の末広亭夜席の主任、入船亭扇遊のネタは、今がまさに旬の噺。といっても通年は8月6日と7日が祭りなのだが、今年は三年に一度の大祭で、8月1日から始まり土日をはさんで4日がクライマックスであった。上の画像は「佃住吉講」が作っているホームページからいただいた例大祭のポスターである。このホームページにある佃島、住吉神社そして佃祭りの解説は次のとおり。
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佃煮のルーツで知られる東京都中央区佃は、隅田川の河口に位置し、いまだに
江戸情緒を残すレトロな町として多くの観光客が訪れています。そもそも佃は、
天正18年(1590年)徳川家康公が関東に下降の際、摂津国佃村から漁民33人
呼び寄せ、鉄砲州向干潟を埋め立てさせ佃島と命名し住まわせたことに始まり
ます。この佃を社地とする住吉神社は、正保3年(1646年)6月29日、住吉大社
の分神霊を奉遷祭祀し建立されました。以来、住吉神社の例大祭(佃祭り)
は、江戸幕府に許可された由緒ある祭りとして今日に至っております。揃衣の
若衆が獅子頭の鼻先めがけ殺到する獅子頭宮出しや隅田川を渡御する船渡
御祭、江戸三大囃子のひとつである佃ばやしにのって、高さ20米にも及ぶ六基
の大幟のもと八角神輿が繰り出す風情は、文化的にも希有なものと言えましょう。
佃 住 吉 講
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矢野誠一さんの『落語歳時記』には、「摂津国といえば、いわずとしれた現大阪府。だんだんと残り少なくなってきている生粋の江戸っ子が、いまなお多く住むといわれる佃島も、もとはといえば、大阪からの移民によって開かれたとは、なんとも皮肉なことではないか」と書かれている。たしかに佃と大阪というのは、まったく意外な組み合わせである。
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佃住吉講活動記録から、今年の4日最終日の宮神輿とにぎわいぶりの画像である。今年はNHKの朝の連続ドラマ『瞳』の舞台ということで、ドラマ出演者も収録のため神輿をかついだようだ。
さて、噺は、まだ佃島に橋がかからず渡し舟に乗る必要のあった時代の話。実際に佃の渡しが沈む事件があったので実話がベースかと思わせるが、原話は中国明代の『輟耕録(てつこうろく)』(陶宗儀著)に収録されている「飛雲の渡し」だといわれる。

現在の橋と船のルートは、いつも参照させていただくすばらしいホームページ「落語の舞台を歩く」から拝借。
落語の舞台を歩く

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さて噺は次のようなストーリーである。
(1)神田お玉ケ池の小間物屋の主、次郎兵衛さんは、大の祭り好き。今日もやきもち焼きの女将さんに「どうせお祭りが白粉(おしろい)つけて待っているんでしょう」などと言われながらも佃祭りに出かけた。

(2)祭りを楽しみ、目一杯帰りの乗客を乗せた暮れ六つの終い船で帰ろうと船に足を踏み出した次郎兵衛さんの袖を引く女がいた。次郎兵衛さんが女に引き止められているうちに船は出てしまう。しょうがなく女の話を聞いたところ、実は三年前に奉公先の主人の金三両(五両とする場合もある)を盗まれ、橋(本所の一つ目の橋、とか吾妻橋など設定はいろいろ)から身を投げようとしたところを助けたのが次郎兵衛さんだった。女は結婚して佃に住んでいるので、ぜひ寄って欲しいと懇願する。連れあいが船頭なので、後でお送りすると言われ、ほっとして家を訪ねる次郎兵衛さん。

(3)女の家で次郎兵衛さんが一杯ご馳走になっていると、急に外が騒がしくなってきた。なんと終い船が沈んで岸は死体の山になっているとのこと。三年前に命を救った女に、今度は次郎兵衛さんが助けられたわけだ。女の連れあいが次郎兵衛さんに挨拶に立ち寄ったが、船を出すのは騒動がおさまってからになるので、家でゆっくりしていってくれと言われ、腰を落ち着けてご馳走になる次郎兵衛さん。

(4)一方、神田の次郎兵衛さんの家で帰りを待つ女将さんに、終い船が沈没したとの伝聞が届く。どうも一人も助からなかったらしいという噂に泣き崩れるおかみさん。近所の若い衆がさっそく弔いの準備を始める。若い衆の半分は、次郎兵衛さんの遺体をひきとにり行こうということで、おかみさんに次郎兵衛さんの体の特徴を聞いたところ、次郎兵衛さんの二の腕におかみさんの名前が彫ってあるとのこと。「なんとも、ごちそうさまで」と出かけていく。はっきりしない伝聞ではあるが、次郎兵衛さんが死んだらしい・・・・・とのことで弔問客でごったがえす。中には、とんちんかんな悔やみを言う者もいるが、とにかく早桶も届き坊さんも駆けつけて通夜が始まった。

(5)すっかりご馳走になり明け方に船で神田川まで送ってもらった次郎兵衛さん。ご機嫌で家に帰ってきたが、家では弔いの最中。「おやっ、簾が裏返しになって“忌中”って、誰が死んだんだ。お袋か。かかぁか・・・・・・」と家の中に入って、居並ぶ弔問の者たちが「幽霊!」、という大騒動。

(6)次郎兵衛さんにいきさつを聞いたご一同、坊さんに若い衆があやまるが、坊さんいわく。「けっこうけっこう。因果応報と言いましてな。次郎兵衛さんが三両の金で若い女の人を助けた。だから今日んなって、その三両のために、こんどは自分の命を買うようになったのです。人を助けるということは、みんな自分の身にかえってくることでございます・・・・・・」と法談のように場を締めた。

(7)さて、この話を聞いていたのが与太郎。「身投げを助けて三両やれば、自分が死なねぇですむ」とばかり三両を都合して、毎日、ほうぼうの橋に身投げを探しだした。三日目にようやく、橋に若い女の姿。目に一杯の涙をため手を合わせている。与太郎、ここぞとばかりうしろから抱きついて「待ってくれ。三両の金がねえために、身を投げるんだろう。おれが三両やるから、待ちねえ」」と止めにかかったが、女の言い分はこうだった。「あたしはね、歯が痛いから、戸隠さまへ願をかけているんだよ。」与太郎が「うそぉつきやがれ、え、懐に石があらあ」女の言葉がサゲとなる「これは納めるありの実(梨)だよぉ」

このサゲのために、まずほとんどの噺家が、マクラで戸隠さまへの願かけのことを説明する。矢野誠一さんの『落語歳時記』からふたたび引用する。
「戸隠さんは、平維茂の鬼女退治で知られる長野県は戸隠山にある神社。古くより虫歯の神様として有名だった。このでんで、薬師様が目、水天宮が産婦人科、トゲ抜き地蔵は外科。神様にも専門があるわけだ。戸隠に願をかけるには、生年月日と、上下、何枚目の歯が悪いかを梨に書き、橋の上から戸隠様におがんで川に流す。その様子、遠くからみると、さながら身投げ同様というから、与太郎が間違えるのも無理はない。」
梨を「有(あり)の実」と言うのは、「なし」では縁起が悪いからだが、せっかくマクラで説明していても、サゲで「有の実」と言う噺家はほとんどいない。もったいない。ぜひ死語にならないよう、この噺も語り続けてほしいし「有の実」をサゲでも使って欲しい。

東京オリンピックのあった昭和39(1964)年の佃大橋の完成で姿を消した渡し船が題材となっていることや、神田お玉ケ池町内の若い衆や与太郎によるドタバタ、次郎兵衛さんが昔助けた女の連れあいの船頭(辰五郎)の「いなせ」な立ち居振る舞いなど、季節感もたっぷり役者もいっぱいで江戸落語の代表作の一つだと思う。また、(4)の場面の滑稽な“悔やみ”もこの噺の売りの一つ。噺家がそれぞれ工夫しているので、噺家によってどう悔やむかを聞き比べるのも一興だ。
江戸、祭り、粋といなせで、おっちょこちょいな町人たち、「落語って、本当にいいですねぇ」と、誰かの口癖をまねしたくなる噺である。
お奨めは、迷うことなく古今亭志ん朝である。
古今亭志ん朝_佃祭り
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# by kogotokoubei | 2008-08-09 10:47 | 落語のネタ | Comments(0)
都内での打ち合わせが終わって、気が向いたので2月29日以来の末広亭へ。主任は扇遊。仲入り前の二人から、次の顔ぶれとネタを桟敷で楽しんだ。客の入りは6割位。いい感じ。
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春風亭正朝   町内の若い衆
三遊亭歌武蔵  親子酒
(仲入り)
入船亭扇治   狸の札
ホームラン    -漫才-
桂 文生     雑談 *二日酔い?
柳亭小燕枝   無精床
林家正楽     -紙切り-
入船亭扇遊    佃祭り
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さん喬が休演だったのは残念だったが、それも寄席である。ちなみに2月29日は、代演でうれしい誤算の桃月庵白酒がすこぶる良かった。

主任の扇遊は、期待通り。この人はビクター落語会で何度か聴いているが、やはり寄席が似合う噺家さんだ。演じる姿がよく分かる寄席空間でこそ、その細やかな仕草や表情の変化が際立つ。しかし、本日の一番は、歌武蔵。あの巨体で、禁酒の約束を破って飲んで帰ってきた息子がいきなり倒れるシーンを、砂かぶりとも言える至近距離から見る迫力はホール落語会では絶対味わえない。また正朝の粋な語り口と現代的なクスグリは相変わらず髪形と一緒でシャープだ。寄席ならではのネタでしっかり客席を暖めた。末広下席では主任らしい。都合がつけば来たいものだ。また、さん喬の代演である小燕枝は初体験だが、さすが小さん門下だけあり柳家の香りがするし、無精床という寄席ならではのネタでしっかり笑いをとっていた。扇辰と交替出演の扇治。雰囲気はあるのだがなぁ、クイツキでこのネタというのはちょっとがっかり。文生は酒にまつわる雑談10分でおりた。二日酔いだろう。

久しぶりの寄席は本当に心がなごむ。特に末広亭は、都内の四つの寄席の中でもっとも建物が古く、いわゆるレトロ感覚がうれしい。部分改修はしているものの昭和21年築なので60年以上たっている。昭和の面影いっぱいの寄席で、この環境そのものが来る価値がある。

寄席はホールでの独演会などと違い噺家や出来栄えにハズレも多いし、主任以外は15分ほどの持ち時間であわただしいという欠点もある。しかし噺家との一体感、お客さん同士の連帯感などは寄席でしか味わえない魅力だ。独演会でチケット完売となるレベルの噺家が主任の時は立ち見にもなるだろう。でも、空席が目立つ平日の会場で、初めての噺家に出会ったり、ホールで知っている噺家の顔を至近距離で確認するのも楽しいものだ。最前列でドッカンドッカン笑っていた年配のおかぁさん達、あなた達は長生きしますよ。
来週の鈴本夏祭りは都合で行けないが、近いうちに寄席にまた来ようと思う、そんな夜だった。

なお、新宿末広亭については、富田均さんの故北村銀太郎席主からの聞書きによる下記の書があり、昭和53年の落語協会の分裂騒動でも存在感を発揮した北村席主の人と生涯を興味深く読むことができる。大正から昭和にかけての噺家達との交流など、北村席主しか知りえないエピソードも多く、落語の歴史書としての価値もあり推奨します。
聞書き_寄席末広亭
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# by kogotokoubei | 2008-08-06 23:05 | 落語会 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛