噺の話

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収録してあった本日早朝の放送を、今ほど見たところである。

「夢」のネタはいくつかあるが、これは初夏のネタ『夢の酒』の冬版、という感じ。別名『夢の瀬川』と言い、こちらが本家(?)で、『夢の酒』もこの噺からの分家とも言われている。「夢」のネタであることを明かしたくないので、別名が使われているのだろうし、『橋場の雪』という演題のほうが洒落ているし、このネタを知らない人にはミステリアスな響きもあるかもしれない。そもそも「瀬川」本人がこの噺には登場しないので、なおさら別名が主流になったと思われる。途中で三三もクスグリにしていたが、ある断面を取り出せば、同じ“夢”を扱うネタである『天狗裁き』そっくりな部分もある。落語ファンにとっては、こういったクスグリも、また楽しい。

詳しいストーリーは書かないが、このネタの可笑しさは、
・若旦那が夢の中で後家さんと浮気をしそうになる艶っぽい場面
・夢の話なのに本気で嫉妬する嫁との犬も食わない若旦那夫婦の喧嘩
・息子夫婦の喧嘩の仲裁に入ったのはいいが、丁稚の定吉を叱るなどご隠居の早とちりぶり

などだが、『夢の酒』よりも前半の構成が若干複雑なので、ダレないように演じる必要がある。ヘタな噺家が演じると、この噺は受けないだろうが、三三、なかなかの出来だった。
特に、若旦那を誘惑する後家さんや、嫉妬する妻のお花などの女性が良い。ご隠居役は定評のあるところだが、最近の三三は、去年『文七元結』の佐野槌の女将も魅力的に演じたように、女役が随分と上手くなってきた。

今後もますます人気が出るだろうしチケットも取りにくくなるだろうが、今年もできる限り生でも楽しみたい人だ。ただし、人情噺もいいが、柳家伝統の滑稽噺でもぜひ楽しませて欲しい。実際には演っているんだろうが、まだこの人の『あくび指南』『野ざらし』『小言念仏』などにめぐり合っていないなぁ。独演会やネタ出しの会では、どうしても人情噺の大ネタが多くなるとは思うのだが、喜多八先輩に負けず、ぜひ師匠小三治が得意とする滑稽噺にも挑戦してもらいたい。それでこそ“柳家”の将来を担うことになるはずだ。
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# by kogotokoubei | 2010-01-17 17:42 | テレビの落語 | Comments(0)

春風亭栄橋

春風亭栄橋が昨日亡くなった。asahi.comでは、次のように伝えている。

春風亭 栄橋さん(しゅんぷうてい・えいきょう=落語家、エッセイスト山田光恵〈本名・美津江〉さんの夫、本名山田昌男〈やまだ・まさお〉)が12日、パーキンソン病で死去、70歳。葬儀は16日午前10時から東京都品川区西五反田5の32の20の桐ケ谷斎場で。喪主は妻美津江さん。
1980年に「味噌(みそ)蔵」で芸術祭優秀賞を受けた。


立川談春のエッセイ『赤めだか』には、談春、志らく、関西改メ談坊(昨年亡くなった文都)、談々改メ朝寝坊のらくの四人が、昭和63年3月4日にそろって二ツ目昇進披露をする有楽町朝日マリオンホール(当時)に、栄橋がお祝いで駆けつけてくれたことが記されている。少し長くなるが引用する。

「続きまして落語芸術協会より、春風亭栄橋、御挨拶申し上げます」
 文字助師匠の紹介で会場がどよめく。大拍手・・・・・・。
 春風亭栄橋。談志(いえもと)の後輩で、談志は昔から栄橋師匠のキャラクター、個性を買っていた。笑点のメンバーに推薦したぐらいだ。三代目桂三木助の弟子で軽い芸風に根強いファンは多いが大病を患った。パーキンソン病。当時は治る見込みのない難病だった。その難病を戸塚ヨットスクール校長、戸塚宏氏が治せると云い出した。談志を通じての話だ。どうせ治らないなら洒落でヨットに乗ってこい、談志の弟子を付き添いに付けるからという申し出を、栄橋師匠は断らなかった。栄橋師匠の魂が現役の落語家であった証拠である。断りゃ、洒落のワカラナイ奴だと判断される。堅気の人間なら、魂が病気なら断っただろうが、春風亭栄橋、「ようがしょ」と戸塚ヨットスクールに乗り込んだ。談春(オレ)達四人が交替で付き添い、その期間一か月。一部始終をドキュメンタリー番組が追いかけた。世間の同情が集まった。落語家としての了見と、病人栄橋を応援する世間の好意の間で、バランスをとるのに栄橋師匠は苦労したことだろう。
 当たり前と云えばそれまでだが、病は治らなかった。しかし栄橋師匠の基礎体力はアップし、心は元気になったらしく、ポツポツと高座に復帰するようになった。
 その栄橋師匠が突然、単身マリオンの楽屋に照れくさそうな笑顔で現れた。驚く談志、談春に向かって、
「前座(おまえ)さん達には世話になったから・・・・・・かえって迷惑かい」
 と云った。とんでもない、ありがとうございます、ということで口上のサプライズゲストとなった。


この後に、栄橋の口上が続くのだが、それを書いてはこれから『赤めだか』を読もうという人に申し訳ない。

出演は短期間だったが「笑点」での栄橋は好きだった。なんとも言えない個性があり、とぼけていながらも頭の良さを感じていた。どうぞ安らかにお眠りください。
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# by kogotokoubei | 2010-01-13 13:33 | 落語家 | Comments(6)
今年の落語もにぎわい座からのスタート。地下の密室とも言える“のげシャーレ”で「白酒ばなし」として行っていた独演会から臨時に昇格(?)し、三階の芸能ホールでの会。
出演者とネタは次の通り。
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(開口一番 入船亭辰じん 狸の札)
桃月庵白酒 つる
柳亭市馬  厄払い
(仲入り)
柳家紫文  俗曲
桃月庵白酒 妾馬
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辰じん(19:00-19:14)
落語協会のプロフィールによれば扇辰に平成20年2月入門とのことだから、もうじき丸2年。年齢は28歳らしいので社会人を経験してから26歳での入門のようだ。なかなかシャープな江戸っ子のいなせなおぁ兄さんという感じ。扇辰を師匠に選んだのもわかるような気がする。語り口はメリハリが利いていて、強面ながらなかなかのイケメン。今後に期待。

白酒『つる』(19:15-19:40)
このネタは昨年2月18日の浜松町かもめ亭での喜多八との二人会の時にも聞いた。その時も大笑いしたが、いっそう笑いの演出に磨きがかかってきた。とは言っても、この人らしいセンスのある、若干ブラックなマクラが約15分あってからのネタなので、ほぼ10分で話しきったことになる。正月初席でも、けっこう演じてきたショートバージョンなのだろうが、笑いのツボはしっかり押さえている。さすがだ。

市馬(19:41-20:10)
実は、白酒独演会なのに、一番の収穫はこのネタに生で出会えたこと。八代目桂文楽や米朝の音源では聞いたことがあるが、実際の高座では初めて聞くことができた。
この人らしく、正月にふさわしい相撲甚句や相撲ネタで会場をあたためておいてから与太郎が登場した時は、「えっ、まさか市馬が『道具屋』・・・・・・・」とがっかりしかかったのだが、なんとなんと節分を前に、今では演じる人の少なくなった文化的に貴重なネタだった。言い立てを含んだ前座噺の範疇には入るが、職業としての「厄払い」が死語となった今日、次のような口上で節分の夜に厄払いをする習慣があったという歴史を学ばせてくれる。矢野誠一さんの『落語手帖』からご紹介。
*下記は1988年駸々堂出版発行から引用していますが、講談社から新装版が発行されました。拍手!
矢野誠一_落語手帖(新装版)
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「ああら、めでたいなめでたいな、今晩今宵のご祝儀に、目出たきことにて払おうなら、
まず一夜あければ元朝の、門に松竹しめ飾り、床にだいだい鏡餅、蓬莱山に舞い遊ぶ、
鶴は千年、亀は万年、東方朔は八千歳、浦島太郎は三千年、三浦の大介百六ツ、この
三長年が集りて、酒盛りいたす折からに、悪魔外道がとんで出て、さまたげなさんと
するところを、この厄払いがかいつかみ、西の海への思えども、蓬莱山のことなれば、
須弥山のほうへサラリ、サラリ」
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紫文(20:20-20:39)
私自身は、いわゆるオヤジギャグを言って周囲から顰蹙をかっている駄洒落オヤジだが、どうもこの人の駄洒落芸は合わない。三味線は上手いのだろうから“本寸法の俗曲”を演じてくれないものだろうか。初めてだったので、そういった芸もあるのかどうか不案内なのだが、この手の芸では、“華”のある女性の俗曲のお姉さん達にはかなわないでしょう。得がたい存在だと思うので、ぜひその芸を生かした“古典”でがんばって欲しい。

白酒『妾馬』(20:40-21:15)
この人としては珍しいくらい噛んでいた。もちろん、白酒ならではの現代的なクスグリなどで盛り上げるのだが、どうも初席などの疲れが残っているような、あるいはネタの新たな構成にトライしているせいなのか、今一つ切れ味に欠ける出来。会場をそれなりに沸かしてはいたが、『つる』があまりに弾けていたので過剰に期待していたのかもしれないが、もっともっと白酒ワールドは凄いはず。また、後日聞きたいネタだ。

全体としては、市馬効果もあって楽しい会だった。『つる』で初笑い、そして初の生『厄払い』の収穫あり、という今年のスタートでした。
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# by kogotokoubei | 2010-01-08 08:18 | 落語会 | Comments(0)
今年最初の落語研究会の顔ぶれとネタが下記のように発表されていた。

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第499回落語研究会のお知らせ
[日 時] 2010年1月12日(火)
夜6時開場/6時30分開演
[場 所] 国立劇場小劇場
[番 組]
「駒長」  五街道弥助
「兵庫舟」 三遊亭王楽
「竹の水仙」柳家喬太郎
「愛宕山」 古今亭菊之丞
「子別れ」 古今亭志ん輔
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BS TBS 落語研究会

 私は、チケット入手方法や開演時間から察してサラリーマンの来場を拒んでいるとしか思えないこの会には行ったこともないし、今は行こうとも思わない。しかし、テレビ放送は内容によって見ている。
 だから、出演者とネタは、テレビ放送を見るかどうかの判断材料となる。特に、TBSのBSの方のサイトが情報が新しいから参考にするし、実際に見るのもBSを収録しておいて後から休日などに見ることが多い。
 
 さて、このプログラムを見ていくつか思い浮かんだことがある。疑問と邪推、と言っていいだろう。

(1)円楽一門からの出演
 同じ京須偕充さんがプロデュースする朝日名人会の今年の出演予定者に円楽一門の名前がないことへの疑問と邪推を、12月3日のブログで書いた。
 12月3日のブログ
 その中で、円生襲名問題をめぐる対立のために円楽一門は京須さんから締め出されているのではなかろうか、と書いたのだが、もしかして、落語研究会への王楽出演は、京須さんと円楽一門との和解の前兆なのだろうか?
 *もちろん、京須さんと円楽一門が対立しているという前提も邪推。

(2)王楽のネタと2007年9月15日の朝日名人会の顔ぶれとの偶然
 兼好ではなくて王楽かぁ・・・・・しかもそのネタは、私が会場に出向いた2007年9月15日の朝日名人会と同じ『兵庫舟』だって?!京須さんは兼好よりも王楽を評価しているのか?
 そして、あえて二年以上前の朝日名人会と同じネタで、彼の成長を確認しようということか。加えて、同じ2007年9月15日の朝日名人会の出演者とネタは次の通りだった。
  三遊亭王楽 (ネタは『兵庫舟』)、古今亭菊之丞 (『酢豆腐』)、
  古今亭志ん輔 (『居残り佐平次』)、柳家喬太郎 (『粗忽長屋』)、
  柳家権太楼 (『質屋庫』) 

 なんと、出演者の“四名”が同じ・・・・・・というのは、偶然?
 またまた邪推なのだが、京須さん自身がプロデュースする二つの大きなホール落語会の
 ネタ帳をめくりながら、二つの会を併せて、「えいやっ!」と、ローテーション的に
 出演者を決めている、なんてことはないよなぁ・・・・・・。

(3)ネタ選び
 あえてもう一つの疑問と邪推は、そのネタ選びである。王楽の『兵庫舟』の疑問とは別に、喬太郎の『竹の水仙』に志ん輔の『子別れ』・・・・・・。この二人にとって、十分にこなれたネタでは?
 落語「研究会」って、もっとチャレンジングなネタが本来はふさわしいのではないの。いろんな方のブログなどから察して、落語研究会には高齢者の落語愛好家の常連さんが多いようだ。
 それはそれで結構だと思う。私も悠々自適の身になったら(いつのことやら!)、
 喜んでチケット購入のために列をつくるだろうし、この会を楽しみにし同好の士
 とのアフター落語会での一杯を心待ちにするだろう。
 
 ここで、またまた邪推。もし落語研究会の常連さんで、他の落語会や独演会など
 にはあまり出向かない方で、いわゆる声の大きな人が、
 「喬太郎の『竹の水仙』はいいらしいねぇ。今度聞きたいね」
 「志ん輔の『子別れ』もいいらしいねぇ」
 などという要望に京須さんが応えた結果だとしたら、“それでいいの?”ということ。
 *くどいようですが邪推です。
 もちろん、その噺家さんが十八番のネタに大幅に手を入れた上での最初の発表の場が
 この会である、といううこともありえる。これは、しっかり後からテレビで確認させて
 いただきましょう。

“しつこい!”とのお叱りを覚悟で、また書く。同じ人が二つの大きな落語会をプロデュースしていることが、やはり問題だと思うのだ。家の近所にたまたま高層マンションが建築され、電波障害対策として工事費無料でケーブルテレビに加入できたので、私は「TBSチャンネル」で過去の落語研究会も見ることができる。聞き手の山本文郎さん、解説の榎本滋民さんの名コンビぶりが楽しい。榎本さんの嫌味のない、そして図なども使った懇切丁寧な解説は大好きだ。それに比べて、最近の京須さんの解説は・・・・・・。
 
 そろそろ、どちらか一つに絞りましょうよ、京須さん。あるいは、朝日新聞社かTBSが勇気をふるって、今日の若い落語ファンの視点にも立ちながら長期的な観点で、伝統的な落語会をリニューアルできるプロデューサーに代える時期がきているのではなかろうか。
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# by kogotokoubei | 2010-01-04 17:43 | 落語会 | Comments(0)
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柳家つばめ_落語の世界

 『創作落語論』に続いて河出文庫から再販された本書の初版は昭和42年講談社からで、著者38歳の時である。よくぞ復刊されたこの本の魅力は、次のようになるだろう。
(1)落語家や寄席の世界(まさに「落語の世界」)を知る絶好の入門書
(2)柳家つばめが活躍した時期の落語界のことを知る歴史的に価値のある書
(3)柳家つばめ自身のことを知ることができる書
あえて言えば、「空間」と「時間」、そして「人物」に関してよく出来た本である。
なお、過去の落語関係本発掘に関する河出文庫の奮闘には敬意を表するが、残念ながら、すでに関係者はお分かりだろうが、表紙カバー裏のプロフィールにおいて生年を「1927年」と誤記している。昭和4年、1929年の生まれなので、できるだけ早いうちに訂正版に変更をお願いしたい。

 さて、本書のことを記す前に、今日の落語ファンに馴染みが深いとは思えない著者のことを少し知っていただくために、東京放送(TBS)で長年落語番組の企画を手がけた川戸貞吉さんの『現代落語家論』(下巻)(昭和53年、弘文出版発行)から引用する。
川戸貞吉 現代落語家論 下巻
 

 私は『小さん一門全員集合』という企画を練っている最中だった。月曜から金曜まで五日間にわたる放送で、最後の日には御大小さんが登場してオチをつける。こんな大筋は、きまっていた。
 長年小さん師のもとへ出入りしている私は、小さん門下の余興に数多く接することが出来た。忘年会、新年会で演じられた余興のうち、おもしろかったものを集大成してみたいとも思って、小さん師と飲みながら何回か相談した。
 大勢の門下を一堂に集めるのだから、たいへんである。各人のスケジュールを調整して、こちらのスタジオのスケジュールと合わせなければならない。ひとりでも欠けたら駄目である。余興も選び出さなければいけないし、簡単に、ことは運びそうになかった。私がそのことをいうと、即座に小さんの答えが返ってきた。
 「つばめがいい。つばめに頼めばいいよ」
 小さんの目が細くなった。
 小さん一門は大所帯である。直弟子の真打だけでも、小せん、さん助、つばめ、談志、燕路、小三治、扇橋等がいる。孫弟子まで含めると、たいへんな数となる。五代目柳家つばめは、こうした大人数の小さん一門を取りまとめる番頭役として、師匠小さんを助けていたのである。 
  (中  略) 
 病院で考えてきたのだろう、画用紙を貼って、小さん一門の似顔絵を画きながら、出演者を紹介しはじめた。私は、昔の彼の高座を思い出していた。さいわいにも心配した咳は出ず、無事収録することが出来た。
 すぐに病院に送って、二日目三日目のぶんの録画を撮り、この日の作業を終わった。
 『車を出してください。いまから行きますから』という連絡が入ったのは、その翌日である。『駄目だ』という私に、『最終回は師匠が出ます。師匠の紹介だけはしたいから、病院に迎えの車を出してほしい。車をくれないんなら、タクシーを拾っても行きますから』。こういわれては、しかたがない。私は車の手配をさせざるを得なかった。
 画用紙に、小さん、小さん夫人の似顔を描きながら、師匠とおかみさんの長所短所を説明するつばめの紹介は、おもしろかった。
 これが最後のテレビ出演になろうとは、夢にも思わなかった。
 柳家つばめの容態が芳しくないと聞いたのは、それから半月ぐらいたってからである。


 この後、二週間ほどたった昭和49年9月30日に、五代目柳家つばめは肝硬変で亡くなった。まさに“芸人魂”を物語るエピソードである。そして、彼がどれほど師匠小さん、そして一門を愛していたかが推し量れる。

 その師匠小さんが、本書の冒頭で「つばめのこと」と題して次のように書いているが、ここでは入門当時のつばめの意外な(と私は思った)横顔を紹介している。

 

 藤沢から出て来るのは大変だから東京に部屋を借りたいというので、私の借りている家の一間があいたから、そこへ越して来なと言って同じ屋根の下に住むことになった。
 ところが、私が起きて掃除をしていても、なかなか起きてこない。部屋に行って見ると、きもちよさそうに寝ている。「おい何時まで寝てんだ」とどなると、しぶしぶ目をああけて、「ハッ私は十時間寝ませんと頭がはっきりしません」−大変な奴だ、師匠が掃除をしてるのに弟子がのんびり寝てちゃいけねえ、そこで雑きんがけをやるようになったが、どうもまずくて見ちゃいられねえ。朝は私より先にお膳の前に座って待っている。「おい母ちゃん、小伸がお膳の前で待っているから早く飯にしてやれよ」。飯もあわてて食わない。よくかんで、味わって、ゆっくり食べている。米の少ない時分で女房が代用食にうどんの煮込みをこしらえた。飯が少しある。そこで小伸に、「おい飯が少しある、お前はうどんを食うか飯を食うか」ときいた。私としては、「師匠御飯をおあがんなさい、私はうどんをいただきます」と、言うかと思って期待をしていたんだが、「御飯の方をいただきます」と、少しの抵抗もなく、すらすらと言ったもんだ。まことに正直で、すなおで、立派なものである。


 なかなか、こういう弟子もいないだろう。また、小さんが師匠でなければ、早々に追い出されていたのではなかろうか。だからこそ約二十年後に、師匠夫妻をテレビで紹介するため、病身ながら病院を抜け出してまで駆けつけたのだろう。

 師匠小さんの餞(はなむけ)の言葉の後、二十一の章にわたって本編が構成されている。そのタイトルを全て並べてみる。

 自殺した落語家・入門・楽屋入り・前座の仕事(その1・その2)・噺の稽古・
 下座さん・小言のかずかず・覚えること・二つ目前夜・二つ目の悲哀・迷い・真打・
 新作落語の苦しさ・古典落語のすばらしさ・評論家・定席天国・噺家の収入・
 高座のおきて・高座での考えごと・師匠と弟子


 巻末には「附録 落語事典 つばめ編」が付いており、解説は大友浩さん。
 
 紹介し始めるとキリがないほど内容が豊富なのだが、最初に第十六章「評論家」から、著者柳家つばめが、談志をはじめとする当時の「若手」落語家を評する部分を引用したい。これは魅力であげた当時を知る「歴史」的な意味と、それぞれの噺家さんをつばめ自身がどう見ていたか、ということで「つばめを知る」ことにもなる。二つの魅力がある部分といえるのだ。
 

 慢心で、いい例が、談志さんだ。
 彼は、私と同じ二十七年四月に入門し、同じ二十九年に二つ目、同じ三十八年に真打になった。
 彼は、昔からすじがいいと言われ、なまいきだと言われ、油断ができないと言われ、やっぱりうまいと言われ、慢心するぞ、と言われ、していると言われ、現在まで育ってきた。
 立派なものだ。人間的には、ひとくせあるから、当然悪く言う人もいる。私も、性格はまるで合わないから、同期であっても、あまりつきあいはない。つきあわない、と言うより、お互いに合わないのを十分知っているから、領分を侵しあわない、とでも言うのが本当だろう。
 彼は、今も、慢心かもしれない。しかし、ことによると、慢心が、本人のためになっているかもしれない。それで、あれだけの人気が出たのなら、慢心も悪いものではなかろう。
 ただし、この頃は落語家と言うより、落語家出身の毒舌タレントになってしまった、という気はするが。ついで、と言っては申し訳ないが、他の若手にも、私なりに感じたことをひと言ずつふれてみると、
 林家三平さん。
 ネタが少ないということは、売れっ子共通の悩みだが、やはり気になる。もう永いことないぞ!すぐ人気が落ちるぞ!と言われ出したのは七、八年も前。それが、今も人気を持ち続けているのは、そのサービス精神と、可愛らしさだろう。問題は、もっと年をとっていじいさんになっても、いかに可愛らしさを持ちつづけるか。可愛いおじいさんになれるかという点だ。しかし、この人ならできそうだ。
 三遊亭歌奴さん。
 売れっ子の中では、私は一番の技術者だと見ている。だから、一時、故馬風師の線をいっていたが、そんな必要はない。歌奴には歌奴の行き方があるはずだ。何も他人の足跡をさがすことはない。馬風流は、後輩のかゑるあたりにまかしておいて、あなたは堂々と、歌奴でわが道を走るべきだ。
 金原亭馬の助さん。
 昔からうまい人だったが、今もやはり、若手中では屈指の達人だ。ただ、いまだに、志ん生師の幻がぬけない。好きだからこそ弟子になったのはわかるが、弟子だからこそ、志ん生のかすを払い落とすべきだろう。そのかすを、平気で拾い上げて、手にとって眺められるようになった時、名手馬の助が生まれるにちがいない。
 月の家円鏡さん。
 この人は、売れっ子になってはいけない。いや、実際は売れっ子であっても、何とかして売れっ子になりたいと努力している姿が、この人の魅力である。だから、売れっ子のような顔をしたら、とたんにファンは、半分に減るだろう。典型的な噺家像。客から見ては理想的な噺家なのだから、いつまでも客に愛されていてもらいたい。
 柳家小せんさん。
 大勢の中のすばらしい一人、として売れ出したところに、この人の苦しさがある。あの味を、一人高座の時、どうやって出すか。大問題ではあるが、信頼できるのは、その神経の図太さと度胸だ。
 桂米丸さん。
 人気も芸もすっかり地についたが、客はもう一つ、新鮮さを求める。これが新作派の辛いところだ。冒険をバリバリやってもらいたい。失敗でもいい。不死鳥米丸の姿を、大勢が見たがっているにちがいない。
 古今亭志ん朝さん。
 名門出を感じさせなくなったところに、この人のえらさがある。噺は以前の繊細さが消えたが、線の太さが目立ってきた。もう一度、以前とちがう繊細さを取り戻したら、素晴らしいものになるだろう。
 他にも有望な若手はいっぱいいる。


 同門、同期で何かと引き合いに出される談志をはじめ、その後大看板となる人たちについての柳家つばめ評、なかなか鋭いものがある。本書が発行された昭和42年、談志は31歳、志ん朝はまだ29歳である。

 少し戻って第十二章の「迷い」には、落語家二つ目時代に直面する心理的葛藤を説明する中で、ある大名人のエピソードが明かされている。
 

よく、先輩が、
「若い頃、何度やめようかと思ったか・・・・・・」
と言うが、本当を言えば、これは嘘だと思う。
苦しい時に、やめたら気楽だ、とは思ったことだろう。
しかし、やめよう、とは思わなかったはずだ。
やめたくないから苦しむのだ。あくまでやっていたい。成功したい。そこで血の涙を流すのである。
われわれの仲間での、最高峰の一人。黒門町の師匠桂文楽。
若くして、文楽となり、若い頃か大いに売れ、順調にのびて、名人の名をほしいままにしている師匠。才能も精神も最高と思える人。
「わたしゃね、苦しくて苦しくて、寝たって寝られるもんじゃない。真夜中に、枕にしがみついて、カーッて、男泣きなんだ。女房がびっくりして、とび起きて、どうしたんですって、聞くんだよ。しかし、女房に話せることじゃないし、話したって、わかるようなもんじゃないんだ。そんなことが、何度あったか」
まさか、あんなに大成功の師匠に、そんなことがあったのか、と、これを聞いた時、私は思ったものだ。
しかし、事実は、そうした苦しみを、感じとる心があったからこそ、成功したのだ、と私は思い返した。



 へぇー!あの文楽にして、である。
 他にも、「巌流島」を、なぜ「岸柳島」と表記するようになったか、とか下座さんの仕事などなど、紹介したい内容は山ほどあるのだが、これ以上は本書を実際に読む人にとってはネタバレにもなるので、師匠小さんの言葉を借りて、「落語の世界を知るにはこの本がいい、この本を読めばいいよ」とお奨めし、サゲとしたい。
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# by kogotokoubei | 2009-12-29 15:39 | 落語の本 | Comments(2)

今年のマイベスト10席

今年行った寄席・落語会は39回。備忘録替わりに、私のベストテンを選んでおくことにした。ただし、好みもあって結構同じ噺家さんの会に複数通っていることもあるので、あえて同じ噺家さんからは一席だけとし、マイベスト十席を序列をつけず時系列で並べてみる。
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・三遊亭遊雀 『崇徳院』 
  *3月21日 朝日名人会(有楽町朝日ホール)
・桃月庵白酒 『木乃伊取り』 
  *4月28日 WAZAOGI落語会 白酒ひとり会(お江戸日本橋亭)
・柳家喬太郎 『純情日記・横浜篇』 
  *6月17日 談春・喬太郎 二人会(関内ホール)
・瀧川鯉昇 『御神酒徳利』
  *6月25日 県民ホール寄席 瀧川鯉昇独演会(神奈川県民ホール)
・柳家権太楼 『寝床』
  *8月3日 三三 背伸びの十番 第六回(横浜にぎわい座)
・柳家さん喬 『百年目』
  *8月18日 鈴本夏まつり さん喬・権太楼選集
・桂雀々 『夢八』
  *9月2日 雀々・談春 二人会(国立演芸場)
・古今亭志ん輔 『居残り佐平次』
  *9月15日 志ん輔三夜 第三夜(国立演芸場)
・柳家三三 『文七元結』
  *11月2日 三三 背伸びの十番 第九回(横浜にぎわい座)
・三遊亭兼好 『一分茶番』
  *12月1日 師走新風落語会(横浜にぎわい座)

<番外特別の一席>
・桂枝雀 『つる』(ビデオ落語)
  *12月4日 桂枝雀生誕70年記念落語会(麻生市民館)
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 悩みに悩んで次の高座は十席からはずしたが、どれも印象に残るものだった。
  ・立川談春 『三枚起請』(2月14日 立川談春独演会)
  ・柳家喜多八 『首提灯』(2月18日 浜松町かもめ亭)
  ・桂平治 『おかふい』(6月10日 鯉昇・平治 二人会)
  ・古今亭菊之丞 『船徳』(8月27日 平成特選寄席)
  ・昔々亭桃太郎 『寝床』(9月8日 桃太郎・鯉昇 二人会)
 
 寄席の高座の中では、6月6日の新宿末広亭における古今亭志ん輔『夕立勘五郎』が印象深い。

 迷いなく選べたものが次の三席。まぁ、2009年マイベスト3と言ってよいだろう。
 ・柳家三三   『文七元結』
 ・瀧川鯉昇   『御神酒徳利』
 ・柳家喬太郎 『純情日記・横浜篇』

 三三は、“背伸びの十番”で権太楼『寝床』と同じ日に演った『三枚起請』も捨てがたかったが、二者択一なら文七になる。マクラなしで一気に語り込んだ噺には、今後の三三の可能性が見えたような気がする。また、それまでは年齢不相応に老獪さばかり目立っていて心配していたのだが、佐野槌の女将の演技などを含めそういった杞憂を払拭してくれた。「背伸びの十番」は、企画そのものが良かった。来年の三三が、またどこまで伸びるか楽しみだ。しかし、チケットはますます取りにくくなるなぁ・・・・・・。

 鯉昇は、今年意図的に追いかけた人だが、一つもはずれがなかった。『ちりとてちん』も『船徳』も『茶の湯』も忘れ難いが、一席に絞るならこの噺。何度も書いているが、“食べ物”のネタになると追随を許さないものがあるが、あえて三遊派本寸法の『御神酒徳利』を鯉昇ワールドに仕立て直し、横浜のベテラン落語愛好家で埋まった県民ホールを沸かせたこの高座を選ぶ。来年もこの人からは目が離せない。

 喬太郎は、談春との二人会での一席。昨年、一昨年あたりの喬太郎は、超過密日程のせいだろう、やや疲れが見られ風邪気味とも思える日も少なくなかったのだが、この日は良かった。ちなみに、談春に関しては今年は独演会には一度だけで他は雀々そして喬太郎との二人会の計三度しか行かなかったが、十席に入れようかどうか迷ったのは独演会の『三軒長屋』。二人会のほうはどちらも相手のほうが光った。なかでも横浜での喬太郎との二人会では、喬太郎の出来がすこぶる良かったこともあり、ボクシングなら8ラウンドのノックアウト、野球なら5回コールド、で喬太郎の勝利という印象。もちろん、喬太郎にとっては地元ということもあって談春にハンデがあったと言えるのだが、それにしても談春は二人会の場合に気負い過ぎるのか、独演会に比べて出来が良くないようだ。“上手い”のは、誰しも認めるところなので、“凄い”談春に会える落語会に出会いたいのだが、ともかく喬太郎も談春もチケットが取れなさ過ぎる。


 もちろん、上記以外の落語会、寄席でのたくさんの高座で今年も笑わせてもらい、時には唸らせていただきました。さて、来年はどんな顔ぶれになるのか、自分自身でも楽しみである。ただし、意図的に追いかけようと思う若手・中堅が二~三人いるので、結構同じ名前がブログに登場するかもしれませんが、ご容赦の程を願います。
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# by kogotokoubei | 2009-12-24 12:23 | 落語会 | Comments(2)

正岡子規と寄席・落語

NHKの『坂の上の雲』第一部は次の12月27日放送の第五回で終了するので、また来年末までこのドラマとは間が空く。第一部第二回で、試験が終わってからご一同が寄席に繰り出し、下手な落語家を演じた古今亭菊六が彼らに野次られたシーンがあった。よく言われることだが、正岡子規と夏目漱石が懇意になったきっかけは寄席の話題で意気投合したからであった。すでにこのブログでは漱石と落語について書いたことがあるし、漱石の落語好きは彼の多くの作品にも反映されていて、いわば“物証”がたくさん残っている。それでは子規は、寄席や落語についてどんな記録を残しているかを、少しだけ書きたい。
 すでに先週の第一部第四回、日清戦争従軍記者として帰途にあった船上での喀血が、子規の病状が決して軽くないことを伝えているが、彼は病に伏せてからも、恩人である陸渇南が発行する新聞『日本』に随筆を発表していた。その内容の多くは岩波文庫で今日でも読むことができるが、もっとも若い時分から書き溜めていた随筆も『筆まかせ(抄)』として岩波文庫から発行されている。これは子規が東京にやって来た明治16年の翌年、明治17年2月13日から、新聞『日本』に俳句論を連載し始め、大学中退を決意した明治25年まで書き続けたものだ。慶応3(1867)年生まれの子規は、明治と年齢が一緒なので、17歳から25歳までの記録である。その中から第一編、明治19年に書かれた「寄席」と題した内容を抜粋。
正岡子規 筆まかせ(抄)

寄 席
  余はこの頃井林氏と共に寄席に遊ぶことしげく 寄席は白梅亭か
  立花亭を常とす しかれども懐中の黄衣公子意にまかせざること
  多ければ あるいは松木氏のもとに至りあるいは豊島氏の許に到り
  多少を借り来りてこれをイラッシャイという門口に投じることしば
  しばなれども未だかつて後にその人に返済したることなし 必ずや
  うたてき人やとうとまれけん また人をして余らの道楽心を満足
  せしむることは度々出来ることにあらざれば 時として井林氏は
  着物を質に置きその金にて落語家の一笑を買ふることもありたり 
  寄席につとめたりといふべし


 すでに大学予備門(明治19年からは第一高等中学校と名称変更)で夏目漱石(金之助)と出会っているはずなのだが、彼の名はこの文章にはまだ出てこない。寄席や落語の話題で仲良くなったのはこの後なのだろう。しかし、借金までして寄席へ通ったというのだから、相当の熱の入れようだ。その後、子規が債権者に返済したかどうかは不明。
 ちなみに「黄衣公子(きんいこうし)」は「うぐいす」のことなので、うぐいす色をしたお金のことを、洒落てこう呼んだのだろうと思う。(この件、幸兵衛は自信なし・・・・・・)
 “しゃれ”といえば、地口に関心のあった子規は、この『筆まかせ(抄)』には残念ながら割愛されているのだが、第二編の「一口話し」に、落語家が高座にかける「一分線香即席ばなし」を真似た作品を書いている。これは矢野誠一さんの『文人たちの寄席』から引用する。
矢野誠一 文人たちの寄席
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 ・ラムプがこわれた「ホヤ~
 ・あの木村の親父は死んだといふねヘ「オヤ~
 ・あの男も英雄だったが 哀れな西郷をしたなァ
 ・若竹亭へいかんか「よせ~
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 なぜか、我々凡人をホッとさせてくれる作品ではないか(笑)

 次に、彼にとっての晩年の文章から。新聞『日本』に明治34(1901)年1月16日から7月2日までの期間、途中たった四日だけ休み計164回にわたって連載された『墨汁一滴』より抜粋する。子規34歳、亡くなる前年である。
正岡子規 墨汁一滴
 

散歩の楽(たのしみ)、旅行の楽、能楽演劇を見る楽、寄席に行く楽、見世物興行物を見る楽、展覧会を見る楽、花見月見雪見等に行く楽、細君を携へて湯治に行く楽、紅灯緑酒美人の膝を枕にする楽、目黒の茶屋に俳句会を催して栗飯を鼓する楽、道灌山に武蔵野の広さを眺めて崖端の茶店に柿をかじる楽。歩行の自由、坐臥の自由、寝返りの自由、足を伸す自由、人を訪ふ自由、集会に臨む自由、厠に行く自由、書籍を読む自由、癇癪の起りし時腹いせに外に出て行く自由、ヤレ火事ヤレ地震といふ時に早速飛び出す自由。・・・・・総ての楽、総ての自由は尽(ことごと)く余の身より奪ひ去られて僅かに残る一つの楽と一つの自由、即ち飲食の楽と執筆の自由なり。
(後 略)                            (3月15日)


 病に伏せる身の上であっても、彼の筆は決して暗くない。もちろん書いている内容そのものは健常者から見れば誠に可哀想ではあるが、彼はユーモアたっぷりに身の上を表現し、そして「まだ、食べて、そして書くことができる」と自分自身を鼓舞しているようにも読み取れる。
 そして、この時期には、いろいろと昔の回想もネタになる。5月30日付けで次のような文章がある。

  (前 略) 
余は漱石と二人田圃を散歩して早稲田から関口の方へ往たが大方六月頃ンお事であったろう。そこらの水田に植ゑられたばかりの苗がそよいで居るのは誠に善い心持であつた。この時余が驚いた事は、漱石は、我々が平生喰ふ所の米はこの苗の実である事を知らなかったという事である。都人士(とじんし)の菽麦(しゅくばく)を弁ぜざる事は往々にしてこの類である。もし都(みやこ)の人が一匹の人間にならうといふのはどうしても一度は鄙住居(ひなずまい)をせねばならぬ。 (後 略)


 田の苗が米になることを知らぬ漱石に、子規はよほど驚いたことだろう。その時は笑いころげたのではなかろうか。ちなみに「菽麦(しゅくばく)を弁ぜず」とは、三省堂の「大辞林」によると、中国の左氏伝(成公十八年)にある言葉で、「豆と麦との区別さえつかない。非常に愚かなことのたとえ。」とのこと。私は四十歳くらいまで、カリフラワーとブロッコリーの違いが分からなかった。どっちも嫌いなので覚えようとしなかった、とも言える。しかし、苗が米になることは、田舎で生まれて田圃や畑に囲まれた環境だったので幼い時分から知っていた。かといって、私の方が漱石より偉いということにはならない。当たり前だ。

 さて、正岡子規はその短い生涯を俳句に捧げたわけだが、その背景には寄席・落語から獲得したユーモア精神や、漱石をはじめとする同好の士との交流が大いに影響していると思うのだ。そして「坂の上の雲」を追いかけながら、秋山真之や母、妹に暖かく見守られ、35歳とはいえ幸せな生涯を送ったのだと思うし、そう思いたい。
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# by kogotokoubei | 2009-12-22 17:31 | 歴史上の人物と落語 | Comments(0)
睦会と東京音協の、いわゆるコラボレーションによる年末特別開催二日目。会場は演芸場ではないが同じ池袋にある東京芸術劇場の小ホールで、演芸場よりはずいぶんキャパが増えたがほぼ九割の入り。演芸場が92席、こちらが287席なのでほぼ三倍である。
 初日の昨日のテーマが「わるい奴」ということで、ジャマさんのブログ「落語の噺とネコの話」によると、次のネタだったようだ。
□初日(12月16日) テーマ「わるい奴」のネタ
  柳家喜多八『鰻の幇間』、瀧川鯉昇『ねずみ』、入船亭扇遊『三枚起請』
落語の噺とネコの話_12月16日

 さて、二日目のテーマは「こまった人たち」。落語の多くが「こまった人」を扱っているので、初日よりネタの選択肢は多かろう。事前のネタ予想として、
「季節柄『二番煎じ』は誰かやるんじゃないかなぁ、扇遊かなぁ。『居残り佐平次』は・・・やるなら昨日だなぁ。
鯉昇は『時そば』かな?喜多八の『いかけ屋』なんかもいいなぁ・・・・・・。」

といった心境で出かけたが、ものの見事にはずれた。

演者とネタは次の通り。
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(開口一番 柳亭こみち 黄金の大黒)
入船亭扇遊  明 烏
(仲入り)
柳家喜多八  粗忽の釘
瀧川鯉昇   味噌蔵
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こみち(19:00-19:21)
上手くなったのは間違いない。しかし、・・・・・・。好みの問題にもなるので失礼なことは書きたくないが、女流落語家でも好きな人はいるが、この人は私には合わないかもしれない。

扇遊(19:22-20:00)
マクラで師匠扇橋のことを題材にして、入門時に前座の時は「酒、煙草、博打」はダメと言われたが女性に関してはダメとは言われなかった・・・・・・という話が出たので、「もしや、昨日演らなかったので、『佐平次』か!」と淡い期待をしたが、郭噺ではあっても、こちらだった。「こまった人」は時次郎ということらしい。しかし、源兵衛と太助も、たぶん町内では“こまった”札付きだろうから、いずれにしてもテーマには合致しているが、季節感にはちょっとはずれ、という感じ。しかし、この人の噺の完成度というか上手さには聞く度に感心する。まず、見た目も所作も語り口も丁寧で綺麗、かつ“江戸”がしっかり描かれている。野球なら安定した三割打者というイメージ。残る二人ほど“毒”がないので熱狂的なファンは少ないのだろうが、私はこういう本寸法の人は好きだ。今後、もっと枯れてきたら師匠のような存在になるのかなぁ・・・・・・。“今年の漢字”というイベントで「新」が選ばれたらしいが、これを真似て扇遊を表すならば“颯爽”の「爽」かな。

喜多八(20:15-20:44)
いやぁー、楽しませてもらった。『首提灯』など噺自体が「見て味わう」ものなら当たり前なのだが、こういう噺でも「見せる」ことで「魅せる」技を十分に発揮して会場を沸かせた。特に、慌て者の亭主が八寸のかわら釘を隣家との壁に打ち込んでしまって詫びに行ってからの「顔」と「目」の演技が真骨頂。こういった楽しさは、CDでは味わえない。女房に「あんたも落ち着いたら一人前なんだから」と決め台詞で後押しされ隣家で一服し、自分達夫婦の馴れ初めでのろけるくだりが絶妙だった。隣家の主とのセリフの入らない掛け合いにも笑った。今日は、結果として喜多八が一番。昨夜飲んで寝て夕方起きたので休養十分、という意味のことをマクラで言っていた通り、私が今まで見た喜多八の中で一番良かった。
この人を漢字一字で表現するなら、エンジンがかかる前の絶妙な病的イメージ演出とその後のフルパワーとの転回の妙で「転」かな。

鯉昇(20:45-21:20)
何度聞いても笑えるタミフルのマクラから本編へ。マクラで登場した「近所の(医者の)青木先生」を本編でも活かすなど、流石の鯉昇ワールド。ケチな主人の店に奉公に来てから「刺身」にお目にかかっていない奉公人が、食べ方を思い出すシーンで笑いをとるなど、あらためて、「食べ物」ネタでこの人を上回る人は今いないんじゃないか、と思わせたが、『ちりとてちん』や『時そば』を知っている者としては、これが十八番とは言えない。実際に今日は喜多八ほどは笑いを取れていなかった。(喜多八は絶好調だったと思う。)
しかし鯉昇ワールドを堪能した。さて、漢字なら・・・・・・鯉昇流の演出やクスグリの“捻り出し”方にいつも驚くので「捻」かなぁ。

 睦会のお三方、漢字のイメージをつなぐと「爽転捻」となった。「総天然」の洒落!?

 今年私が行く落語会や寄席は1月6日の横浜にぎわい座の睦会に始まり、この池袋の睦会で終わりそうだ。このままだと回数は39。本年も落語に“サンキュー”という洒落ですね。もしあと一回行くことができれば四十回。“しじゅう”落語にお世話になります、となるかどうかは年内のスケジュール次第。
 ともかく、今日は三者三様で楽しませていただきました。
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# by kogotokoubei | 2009-12-18 09:01 | 落語会 | Comments(0)
今回はNHKで放送中の『坂の上の雲』への、落語家さんの出演について。

 第一回の放送で笑福亭松之助師匠が出演していても、松之助師匠は立派な“役者”なので特別な感覚はなかった。そして第二回放送で、寄席に繰り出した秋山真之ご一行に野次られる下手な噺家の役を古今亭菊六が演じたのを見てうれしかったし、この番組関係者のキャスティングのセンスの良さを感じたものの、寄席に落語家がいるのは当たり前なので、それ以上の詮索をしなかった。
 しかし、先日の第三回目。松山の警察署長役で柳家喬太郎の登場となると、これは明確に“意図的なもの“を感じるではないか。

 司馬遼太郎を愛読する私は、もちろん今後三年間このドラマを見るつもりだが、本来の壮大な歴史物語を見る以外に、もしかして新たなこのドラマの楽しみが増えるのだろうか。

 (1)ドラマに登場する正岡子規や夏目漱石が落語好き・寄席好き←これは事実
 (2)番組関係者(演出家など)が落語好き←これは想像

というつながりで、今後も現役噺家さんの思わぬ場面への登場があるのなら、それはなかなか結構なことであり楽しみである。あるいは、喬太郎出演は“たまたま”で、今後はこういった落語ファンにとっての“サプライズ”はないのかもしれないが・・・・・・。

 いずれにしても、原作良し、キャスト良し、このドラマからは目が離せませんぞ。
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# by kogotokoubei | 2009-12-15 12:10 | 役者としての落語家 | Comments(0)
12月10日配信の「お台場寄席」は、フジテレビに一席だけ存在したという、先日亡くなった立川文都の『短命』。今日聴いて、文都の良さを再確認した。
 1999年1月9日の収録で真打昇進の翌年。立川流であっても上方落語を東京の落語ファンにも分かりやすく演じようという姿勢が、マクラでの警察官募集ポスターの東西の違い、成田空港と関空のポスターの違いなどの楽しいクスグリに現れている。彼は、常に「東」と「西」のギャップを感じ、たまには“アウェー”の洗礼も受けたことだろう。しかし、最後は自分の立場を逆に強みにすることができたのだと思う。
 文都の『短命』はもちろん上方流で、「くやみ」の言い方について甚兵衛さんに教わる場面も彼らしく演じている。柔らかな語り口で、決して聴く者に“緊張”を強いるようなこともない。やはり、得がたい人だった。
 ナビゲーターの塚越氏が「サゲの通りになっていれば良かったのですが・・・・・・」とコメントしていたが、たまにはいいこと言うじゃないですか、まったくその通りです。

文都落語をご存知ない方は、ぜひお聴きください。
お台場寄席
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# by kogotokoubei | 2009-12-12 11:33 | インターネットの落語 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛