噺の話

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 恒例の日曜のテニスが、雨で休み。

 さっそく、ネットで寄席、落語会の情報を確認。
 浅草で、行きたかった二代目志ん五の披露目だ。
 三人の交代だから、この日に当たるのは、僥倖と言えるだろう。
 落語の神様が雨を降らせてくれた(^^)と勝手に喜び、しばらくメジャーリーグの試合を観た後で、浅草へ。

 雨とはいえ日曜の浅草は、海外からの旅行者を含め、人通りが多い。
 裏道を通りながらホールに着いたが、先に近くのコンビニで食料と飲料を仕込んで、12時を少し回った頃に入場。
 志ん丸が『浮世床ー本ー』を演っていた。
 一階席は、結構埋まっていた。ところどころに十席ほど空席が見えるだけ。
 腹も空いていたので、買った弁当を食べやすいであろう二階席へ。
 二階は三分の一位は埋まっていたが、最前列の下手端の席が空いていた。

 後ろ幕の送り手は、ちょっ蔵応援団、有限会社希助、みかねた、の合同。
 上手の酒は、長命泉。下手には、帯が五本。

 二階席に落ち着いて、ちょうど始まった色物さんから順に、感想などを記したい。印象が良かった落語の高座には、を付ける。

おしどり 音曲漫才 (11分 *12:14~)
 聴きたかった二人。出番が少し押していたようで、これも僥倖。
 女性のマコがアコーディオンとメインMC担当。男性のケンが、針金細工。
 お客さんへのお土産になるケンの金正恩やトランプにそっくりな針金細工は見事。また、マコの語りは、スピーディでセンスが良い。ほぼ満席のお客さんを大いに沸かせた。
 お土産の針金細工は、遠くから来た人ということで客席に挙手してもらったところ、鹿児島や北海道から、というお客さんがいた。はとバスのお客さんかな。
 この二人、私は、その芸よりも、社会的な活動で先に名を知った。
 彼らのホームページから、プロフィールを紹介したい。
「おしどり」ホームページ
マコとケンの夫婦コンビ。横山ホットブラザーズ、横山マコトの弟子。
よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。社団法人漫才協会会員。
認定NPO法人沖縄・球美の里 理事。二人はフォトジャーナリズム誌「DAYS JAPAN」の編集委員でもある。
ケンは大阪生まれ、パントマイムや針金やテルミンをあやつる。パントマイムダンサーとしてヨーロッパの劇場をまわる。
マコと出会い、ぞっこんになり、芸人に。マコは神戸生まれ、鳥取大学医学部生命科学科を中退し、東西屋ちんどん通信社に入門。アコーディオン流しを経て芸人に。
東京電力福島第一原子力発電所事故(東日本 大震災)後、随時行われている東京電力の記者会見、様々な省庁、地方自治体の会見、議会・検討会・学会・シンポジウムを取材。また現地にも頻繁に足を運び取材し、その模様を様々な媒体で公開している。
第22回平和・協同ジャーナリスト基金 奨励賞を受賞。
 「DAYS JAPAN」の編集委員だよ。
 東電の記者会見におけるマコの毅然とした態度での取材は、ネットで結構見ている。
 社会問題に対して発言し、行動する芸人さんとして、今後も期待したい。
 落語協会には今年6月に正式会員として入会したばかりなので、プロフィールにはまだ反映していないようだが、同じ日に正式会員となったジキジキとこの二人の夫婦の音曲漫才、落語芸術協会と比べて色物全体では見劣りする落語協会にとって、貴重な戦力となるだろう。

金原亭世之介 漫談 (9分)
 定番の漫談。少し押している状況で、披露目の短い出番としては、やむを得ないかな。
 I Live In 東京.の過去形が、I Live In 江戸.ってぇネタは、どこかで使おう^^

春風亭栄枝 『都々逸坊扇歌伝』 (15分)
 久しぶりだ。小さなネタをいくつかふってから、十八番へ。
 田舎の人が東京に出てきて、長命寺の桜餅を食べる時に、どうやって食べるのか聞いたら、皮をむいて食べるとのことで、隅田川の方を向いて食べた、というネタでも、会場からは笑いが起きる、実に良いお客さん達。ビートルズが来日した際に、林家三平がネタにしていた、オナラの温度は、ヘイ・ジュード、も結構受けたねぇ。
 「七つ、八つでいろはを覚え、はの字が抜けて、いろばかり」なんてぇのも、オツ。
 秋田藩佐竹公と扇歌との逸話なども楽しませ、しっかりとした高座。
 昭和13年生まれは、志ん朝と同じだ。79歳の元気な姿を見ることができたのも、雨のおかげだなぁ。

 二階から観ていて、一階の最前列の下手側の端の席が空いているのが分かったので、この後に急いで一階に移動した。

 なんとか、落語から漫談への高座切り替え中に座ることができた。
 最前列は、すべての寄席を含め、初体験かな。

昭和こいる 漫談 (8分)
 相方のいるが、自転車で転んで複雑骨折のため長期療養中。
 元気だ、とのことだが、少し休養期間が長いのが、気になる。
 師匠てんや・わんやのことや、森昌子ショーでの逸話などで楽しませてくれたが、やはり二人の漫才が、早く見たい。

春風亭柳朝 『紙入れ』 (11分)
 若手から中堅、という表現に近づいている印象。この人の醸し出す、清潔感というか品の良さは、二ツ目あたりの見本になるだろう。
 その生真面目さは、毎日更新されるブログを見ても、分かる。
 とはいえ、芸の幅もあって、この噺での女性の描き方にしても、艶っぽさもほどほどで悪くない。だんな、新吉も、しっかりと表情や仕草などで演じ分ける。
 人によっては、もう少しアクが欲しい、という思いを抱かせるかもしれないが、最近のアクの強すぎる若手を多数見ていると、まずは基本を大事に、丁寧な高座を心がけることの大切さを感じさせる噺家さんだ。
 もう少し年齢を重ねれば、自然と味わいが増すに違いない。一之輔とは違う持ち味で、一朝の総領弟子は、大きな看板となると私は思っている。

 
三遊亭円丈 『金さん銀さん』 (14分)
 母校の熱田高校のことや名古屋自虐ネタをいくつかふってから、本編へ。
 「あまり、おもしろくないです」と前置きしたが、会場大爆笑。
 新作落語の大御所の健在ぶりを確認できた。
 なぜか、講釈の台が設置されている状態での高座だったが、あれ、必要あったのかなぁ。
 
ロケット団 漫才 (13分)
 前半は、十八番の四字熟語ネタ。
 「疑心暗鬼」となるはずの設問で「加計学園」は、センスの良さを感じさせる。
 後半は、セキュリティ、エグザイル、アルギニンが、秋田では日常会話だ、という、これまた十八番ネタ。
 初めて聴くお客さんも多かったようで、大いに客席を沸かせた。
 
柳家甚語楼『猫と金魚』 (14分)
 このネタも持っていたのか、と少し驚いた。
 居残り会のお仲間であるI女史は、この人の大の贔屓だが、それも納得できる、しっかりした高座で、笑いも多い。
 平成18(2006)年三月真打昇進の同期に、三三、左龍がいるが、それぞれ個性の違う三人は、きっと良きライバルなのだろう。
 まだ、行ったことはないが、同期との二人会や、一年先輩の白酒との二人会も、芸を磨くための良い機会となっていると思う。そのうち、それらの会にも足を運びたい。
 この高座でただ一つの疑問に思ったのは、トリの志ん五のネタとツクのは、志ん五のネタを知らなかったからだろうか、ということ。

三遊亭吉窓 『大安売り』 (13分)
 協会理事で、後の口上でも司会役を担っていたが、この人の高座、私は相性が悪い。
 円窓の総領弟子なのだが、後継者としては、萬窓の方がずっと相応しいと私は思っている。
 
鏡味仙三郎社中 太神楽 (14分)
 三人で登場。近くの二列目と三列目に座っていた、初めて寄席に来たと思しき五~六名のグループの方から、小さな歓声が続いていた。初めて、それも高座近くで太神楽を見た時は、私もそうだったなぁ。
 寄席の吉右衛門は、健在だった。
 それにしても、浅草演芸ホールのプログラムでは、「曲芸」となっているのが、いつも気になる。太神楽にしましょうよ。

 感心しきりのグループが、ここで退場。飲み会の前の時間潰しであったような、そんな、会話。
 さすがに最前列で端っこは、首がくたびれるので、空いた二列目のやや中央寄りの席に移動。
 
桂文楽 『替り目』 (11分)
 途中でサゲたが、寄席らしい楽しい高座は、悪くなかった。
 「ペ・ヤング」の小益も、志ん朝、栄枝と同じ昭和13年生まれの、傘寿なんだなぁ。しかし、この後には、米寿の方が登場。

三遊亭金馬 『表彰状』 (17分)
 仲入りは、大御所。
 見台は用意されていたが、板付きではなく、自ら歩いて登場。
 このネタは、初めて聴く。
 泥棒の兄貴分と弟分の会話が中心。二人で泥棒に入ったが見つかってしまい、弟分が走って逃げる途中に、お婆さんを突き飛ばした。しかし、その結果、車でお婆さんがはねられるのを助けたので、警察に表彰される、というのが、発端。その後、表彰されて新聞などに顔がばれたら困るから、悪いことやって表彰を取消しにしてもらおうとするが、何をやっても裏目(逆裏目?)に出て良い行いになり表彰されることになる、という筋書き。
 後で、ネタをを調べたら、昭和38(1963)年に、「創作落語会」として芸術祭に参加し、奨励賞を受賞している中の一席だった。
 Wikipedia「創作落語会」から、引用する。
Wikipedia「創作落語会」
1963年11月30日の第14回創作落語会公演は、団体として以下のプログラムで芸術祭に参加した。

「表彰状」(作:大野桂)演:三遊亭小金馬
「遺言」(作:正岡容)演:三遊亭歌奴
「賢明な女性たち」(作:星新一)演:桂米丸
「一文笛」(作:中川清)演:3代目桂米朝
「義理固い男」(作:玉川一郎)演:春風亭柳昇
「時の氏神」(作:粕谷泰三)演:三遊亭圓右
「笑の表情」(作:はかま満緒)演:林家三平
特別出演:5代目古今亭志ん生
(中川清は米朝の本名である)
その結果、昭和38年度(第18回)の芸術祭奨励賞を受賞することとなった。
 米朝の『一文笛』や、三平のために、はかま満緒さんが作ったネタも含んでいる。
 トリの志ん五のネタを知って、古典ではなくこの噺を選んだのであれば、さすが金馬、と思わせるじゃないか。
 それにしても、この創作落語会の作者の顔ぶれが豪華だ。
 山田洋次が五代目小さんのために落語を創作してから、しばらく経つ。作家や脚本家が落語を創作して芸達者が演じる会、今でもおもしろい試みになるのではなかろうか。

 さて、仲入りで、外の喫煙コーナーで一服。
 雨は、まだ止まない。

二代目古今亭志ん五真打昇進襲名披露興行 口上 (17分)
 幕が上がり、下手から、司会役の吉窓、続いて権太楼、志ん五、志ん橋、金馬、馬風の六人。
 後ろ幕は、東松山のやきとり、「ひびき」の寄贈。
 権太楼は、先代志ん五とは、同時期に前座修業をしていたと話す。
 実際は、昭和41年9月に志ん五が志ん朝に入門、権太楼は昭和45年4月につばめに入門、志ん五は翌昭和46年11月に二ツ目になっているので、前座で一緒だった時期は、一年余り。その一年ほどの共有体験の印象が、きっと強いのだろう。
 二人は、昭和57年9月に権太楼、同11月に志ん五が真打昇進している。
 権太楼は、二代目志ん五は、その可愛さ(?)のためいろんな女性の魔の手が待ち受けているだろう、それは、昔の私と同じ、で笑わせた。
 金馬は、実に真面目な口上を披露。馬風は、いつものノリで笑いを誘う。
 二人目の師匠である志ん橋は、「新作もたくさん作ったようだが、ほとんどが駄作」と会場を笑わせてから、「ようやく二つ三つは、マシになった」と語っていたが、この日にその新作を演ることを知っての言葉だったのだろうなぁ。
 馬風の音頭による三本締めでお開き。

 いったん閉じた幕が上がった。
 後ろ幕は、立正大学校友会、立正大学同窓生有志、であい寄席実行委員会の合同。

にゃん子・金魚 漫才 (7分)
 金魚の頭の飾り(?)は、志ん五からのもらい物を材料にしたので、費用ゼロとのこと。
 十八番ネタで、会場は大爆笑。

古今亭志ん橋 『からぬけ』 (10分)
 古今亭で入門後最初に稽古をしてもらう前座噺を披露。
 披露目に相応しいと思う。

柳家権太楼 『代書屋』 (12分)
 白夜を見にアイスランドにまで行った、というお得意のマクラなどから、予想もしなかった(私だけ?)十八番ネタに。
 学歴はー>小学校ー>どこの学校ー>森友学園、でサゲたが、場内この日一番の笑いが渦巻いた。さすが。

鈴々舎馬風 漫談 (6分)
 談志、三平、毒蝮などが登場する十八番ネタを軽く。権太楼がつくった会場の空気を維持して、さすがの話芸。

林家楽一 紙切り (12分)
 膝替りはこの人。ご挨拶代わりに「土俵入り」の後、リクエストで「新郎・新婦」「志ん五」「屋形船」。紙切りの技術は、相当上がっていると思う。話芸も、あの独特の間が、板についてきたようだ。この人、結構、凄いかもしれない。

古今亭志ん五 『出目金』 (19分 *~16:30)
 オレンジの派手な羽織で登場。実は、この衣装もネタの重要な演出の一つであったことが、後で判明。
 遠隔地の落語会に行くには、格安航空会社をもっぱら利用するが、と最近乗った某航空会社での経験を、楽しく聞かせた。その行き先の徳之島の落語会のことでも、大いに笑わせてくれた。
 この人、こんなにマクラが良かったっけ、と再認識。話の間が、実に結構なのだ。
 本編は、昨年公開の映画「の・ようなもの のようなもの」のために志ん五が作った新作だったことを、帰宅後に調べて知った。
 残念ながら、あの映画は観ていない。松山ケンイチが、どう演じたのか、興味があるなぁ。そのうち、CSで放送されるのを、待とう。
 筋書きは、こんな感じだ。
 父親が、金魚すくいで出目金をすくってきた。しかし、男の子は、「ちっとも目が出ていない」と拗ねる。それを聞いた出目金が、排水溝を経由して墨田川に逃げて、あちこち修業の旅に出る、という筋書き。
 川で泳ぐ出目金が、オレンジの羽織をばたつかせる姿が、なんとも可笑しい。
 その川には、魚を相手にした寿司屋がある。主人の魚が何かは、不明としている。その寿司屋の主人の羽織のバタつかせ方、伝法な物言いが、なんとも滑稽で、会場が沸く。その寿司屋でメダカの握りなんぞを、出目金は注文するのである。
 その後、出目金は草津温泉に行きついた。志ん五は、湯もみの仕草をして「草津節」を唄い出し、「さぁ、皆さんもご一緒に」で、結構なお客さんが唱和^^
 「初めて、一緒に歌ってもらったなぁ。これも披露目のおかげだなぁ」と出目金に言わせて、ここでも会場から笑いが起こる。
 北極で皇帝ペンギンに食べられそうになった後に、浅草の大道芸人に呑みこまれてしまった。
 逃げた出目金を探し回っていた父親が、倒れているその男の腹を叩いたら、出目金が戻った。ここでのクスグリ、「富士そば、食べたな」が、あまりにも可笑しい。
 父親が出目金に「逃げて、どこへ行っていた?」に、出目金が「ほうぼう(あちこち?)で修業をしてまいりましたが、○○○○○○○○○!」でサゲ。
  サゲの言葉は、想像のほどを^^
  最初に、子どもがどんなことを言ったか、がサゲにつながっているのだ。

 筋書きにやや無理はあるが、SF的な要素、すなわち、落語的な要素もあるし、とにかく、出目金や寿司屋を描く姿が、頗る可笑しく、擬人化によるネタとしては、三年ほど前に同じ浅草で聴いた、喬太郎の『任侠流山動物園』にも似た味わいがある。
 トリにしては短い時間での高座だったが、マクラの良さ、その仕草を含めた自作ネタの秀逸さを含め、今年のマイベスト十席候補に値すると思う。
 この人、やはり、並みじゃない。


 夜の部の主任、志ん輔には申し訳なく思いながらも、小雨の中を帰路についた。
 良い披露目だった。
 浅草まで来て良かったなぁ、と思いながらの帰路は、ついうとうとと寝てしまった。
 そして、自分が出目金になっている夢を・・・見たわけではない。
 
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by kogotokoubei | 2017-10-16 18:27 | 落語会 | Comments(4)
 今年のNHK新人落語大賞の出場者などが、NHKのサイトに掲載されていた。

NHKサイトの該当ページ

 23日(月)に大阪で開催だが、放送日はまだ決まっていないようだ。

 出場者の五人は、次の通り。
桂 三度、古今亭 志ん吉、三遊亭 歌太郎、笑福亭 喬介、立川 こはる(五十音順)

 東京三人、上方二人は、いつもと同じ。

 予選参加者がそれぞれ何人いたのかは、まったく分からない。

 何度も書いてきて、自分自身で飽きがきているが、予選を公開して欲しいものだ。

 三度以外は、生の高座を聴いている。

 落語と漫才を分けて現在のような形式で表彰し始めてからの大賞受賞者は、次の通り。
-------------------------------------------------------------
        西             東
1994年                桂平治(→桂文治)
1995年                柳家三太楼(→三遊亭遊雀)
1996年                古今亭志ん次(→志ん馬)
1997年  桂宗助
1998年                柳家喬太郎
1999年  桂都んぼ(→米紫)
2000年                林家彦いち
2001年  桂三若
2002年                古今亭菊之丞
2003年                古今亭菊朗(菊志ん)
2004年  桂かい枝
2005年                立川志ら乃
2006年  笑福亭風喬
2007年  桂よね吉
2008年                三遊亭王楽
2009年                古今亭菊六(→文菊)
2010年                春風亭一之輔
2011年  桂まん我
2012年                桂宮治
2013年                鈴々舎馬るこ
2014年                春風亭朝也(→三朝)
2015年  桂佐ん吉
2016年  桂雀太
-------------------------------------------------------------
 
 地の利で考えると上方有利なのだが、昨年、一昨年と上方の噺家が大賞受賞。
 
 どうも、今年は東に軍配が上がるような気がしている。

 私の予想、あるいは、希望かな^^

◎(本命) 古今亭志ん吉
 今年横浜にぎわい座で聴いた『明烏』が、実に良かった。
2017年2月27日のブログ

 また、昨年の「さがみはら若手落語家選手権」本選の『片棒』に、私は一票を投じた。
2016年3月14日のブログ

 上方の観客には地味に映るかもしれないが、この人が実力通りの高座を披露
 したら、優勝の可能性は高いと思う。と言っても、審査員次第だなぁ。

○(対抗) 立川こはる
 東京の女流では実力ナンバーワンと、私は思っている。
 彼女の江戸っ子の啖呵が生きるネタで、ぜひ勝負して欲しい。
 最近はあまり聴いいていないが、大門で開催されていた「かもめ亭」の
 頃から、実力はもっとアップしているはず。
 立川流から志ら乃以来、かつ女流初の優勝も夢ではない。

▲(穴) 笑福亭喬介
 上方では珍しく、端正で大人しい高座とも言えるが、その実力はかなり高い。
 もし優勝したら、師匠が七代目松喬の名跡を継いだお祝いになるね。


 歌太郎の明るい高座も嫌いではないが、やや線が細いかな。

 三度は、なぜこの人が何度も本選に出ることができるかが疑問。
 他にも上方には若手の実力者は多いはず。

 私が期待していた、柳亭小痴楽や入船亭小辰などは予選に出たのかどうか。

 昨年も記事に書いたように、一昨年同様、審査員の採点については大いに疑問を感じた。
2016年10月31日のブログ

 背中に東や西や一門、協会の看板がはっきり見える審査員や、その落語審美眼に疑問のある人の審査に、今年も閉口してしまうのだろうか。

 出場者も気になるが、審査員の顔ぶれにも危惧を抱く、そんなイベントになってきた。

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by kogotokoubei | 2017-10-13 12:18 | テレビの落語 | Comments(4)

桂春団治と吉本せい(3)

 このシリーズ三回目。

 少し復習と補足。

 春団治は、先妻と別れ、彼の後ろ盾になった岩井志うと一緒になるが、志うは大阪道修町の薬問屋の岩井松商店の後家だ。
 ちなみに、奈良出身の志うは、岩井松商店の女中だったのだが、主人の岩井松之助が前妻を失った後に後妻となっていた。

 志うが岩井家の蓄財を湯水のように使うので岩井家は絶縁を迫り、手切れ金を支払った。その金額は諸説あるが、もっとも少ない六万円としても、現在の貨幣価値で四千万ほどになる。

 その金を元に、浪花亭という席を本拠として春団治は自分の一派を立ち上げたものの、春団治も志うも、とにかく締まりのない夫婦で、上がりで連日のようにドンチャン騒ぎ。そのあげくに浪花亭を失い、旅興行に出るが金を貯めるどころではなく連夜の宴会で、元手となった手切れ金は三年ほどで使い尽くしたと言われる。
 
 吉本せいは、そうなることを見越して、月給七百円と借金の肩代わりをして、大看板の春団治を吉本興行部の専属にした。

 この七百円は、当時のサラリーマンの月給が四十円から五十円、千円あれば家が建つと言われる時代だったので、破格だ。

 しかし、春団治夫婦の金遣いの荒っぽさは変わらず、財布の中身が少なくなったことも、あの事件につながっていたのは、間違いないだろう。


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富士正晴_桂春団治

 まず、富士正晴の『桂春団治』から、その事件の背景について。

 昭和も五年となってくると、ラジオの普及ははなはだしく、丁度、映画界がテレビに対して抱いたような恐怖を持つようになって来ていた。それで、落語家のラジオ出演を吉本興行を通じての許可制にして制限した。その制限に対してJOBKの方が面白くない感情を持つのも当然であった。その上、吉本興行部を通じて落語家をBKに出演させると、そのギャラを吉本興行部が受けとり、その何割かを落語家の前借の返済金として差し引き、残りを落語家に渡すというふうなやり方で、BK側の若いディレクターなどの目には不快に映ったことであろう。結局、吉本興行部のこの仲介が、何はともあれ、芸人側にとっても、JOBK側にとっても、感覚的にも実質的にも、はなはだ不都合に見えたのであろう。芸人側にとっては圧政に見えたし、また、出番表の横に「無断休席は容赦なく下記の如く給料より差し引くことを厳守いたします」といったきつく感じられる注意書きをそえるようであれば、ラジオ無断出演を禁止する文体も高圧的峻厳な文体であって、芸人に恐喝と共に反感の念も与えたと思われる。そこでBK側の反感と芸人側の反感との握手がこの春団治の無断出演であったと見てよく、そのやり口には幾分感情的なからかいの気分が見られる。

 吉本せいの、ラジオへの恐怖感は実に強いもので、その思いがラジオ出演への許可制となり、加えて、出演した場合でも、そのギャラを芸人の前借りへの返済に充てるという処置になったわけだ。
 
 そして、ついに、春団治の反抗(?)となる。

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山崎豊子著『花のれん』

 吉本せいに関わることを書くのなら、やはりこの『花のれん』を外すわけにはいかない。
 昭和33年上半期の直木賞受賞作である。

 吉本せいは、本書で多加と名を替えている。
 花月亭は、花菱亭である。
 ちなみに、姉と弟の三人きょうだい。

 春団治のラジオ出演による騒動の部分を引用する。

 多加が太夫元になり花菱亭に出演している芸人は、ラジオに出られない約束になっている。ラジオで寄席演芸を聞けるなら、わざわざ寄席まで足を運ばさず、家でお茶漬けでもかき込みながら聞く客が多くなる。そうなると誰よりも大阪、京都に十六軒の寄席(こや)を持ち、寄席一本でたっている自分が真っ先に参るというのが、多加の考え方であった。
 ガマ口が春団治のラジオ出演を知って、三津寺筋の多加の家へ駆け込んで来たのは、その日の四時過ぎであった。多加は大学の春休みで帰省している久男と向い合って夕食をしていたが、知らせを聞くなり、
「しもた!」
 男のような声で、手に持っていた箸を刃物のように食卓の上に突ったて、敷居際にたって息を切らしているガマ口に、
「あこぎなこと(むごいこと)しはるやないか!それほんまか」
 眼を血走らせて憤りながら、まだ半信半疑で、もう一度、ガマ口に念を押した。
「今、人に聞いたとこだす、間違いおまへん」
「ラジオなんかで落語(はなし)されたら、花菱亭(うち)が一番こたえるのや、あんなお客の顔を伺えんようなところで、ろくな芸が出けるもんか、春団治はんは、みすみす、花菱亭との一礼を破りはったわけやな」
 多加はこれからの寄席(こや)の入りを考えると、体が細って行きそうだった。
「お母はん、そやけど、ラジオの落語もなかなかいけるで、そない血相変えんときいな」
 紺絣の着物を着た久男が、上目遣いの気弱な笑い顔で、多加のいきりたった気を柔らげるように云った。
「あんたは何も知らんのや、黙っていなはれ、寄席商ひはそんななまやさしいもんやあらへん」

 ガマ口は、吉本吉兵衛(本書では河島吉三郎)が贔屓にし、また遊び相手にしていた剣舞士で、吉兵衛とせい夫婦が寄席商売を始める際に、何かと奔走してくれて、開場後は番頭役となった男。久男は、吉三郎と多加の長男。

 主人公や家族の名は替えているが、芸人の名は、そのままになっている。

 さて、この後、多加とガマ口は春団治の家に乗り込んだ。
 そこで、ガマ口が、活躍(?)する。

「夜分に御無礼さんでござります」
 くそ丁寧なあ挨拶をした。
「なんや、お前、ぬうっと入って来て、まるで居坐り強盗やないか。それにしては修繕のきかんガマ口みない何時見ても面白い面さらしとるな、これでは威しも利きまへんわい。ヒヒ・・・・・・」
 春団治は、黄八丈の丹前の膝に酒をこぼしてせせら笑い、銚子を持った手を宙に浮かせている女房に、酌を促した。ガマ口は、その間に割って入り、女房の手から銚子を奪い取り、火鉢に際へ膝を寄せて、春団治の盃に一杯、お酌をした。
「師匠、夜分、居坐り強盗みたいに参上致しましたのは、今日、師匠が出はったラジオ出演のことだす、あれは、ちゃんと一本、約束が入ってるやおまへんか、これでは約束を反故にして、花菱亭の首絞めはったのと同じや、師匠が、そんな気でいてはるなら、花菱亭(こっち)も、その気で勘定さして貰いまっさ」
 と云うなり、皮の手提げ袋の止め金をはずし、中から白い紙片を出したかと思うと、紫色の長い舌で唾をつけ、眼の前の長火鉢の上でペタリと貼り付けた。幅八分、縦一寸五分位の長方形の和紙に、花菱亭と墨で記した上から、印肉の判を捺している封印であった。
「ガマ口はん、一体、これなんやねん」
「へへ・・・・・・、高利貸しやおまへんけど、貸金と損害賠償の抵当(かた)に、家財道具を差押えさして貰う次第でおますわ」
「そんなえげつない!御寮人(ごりょん)さん、何とかー」
 春団治は、一言も口をきかないでいる多加の方へ向いた。多加は無表情な顔で、春団治の眼をじろっと一瞥しただけで、答えなかった。
 (中 略)
「御寮人さん、これで家財道具一切、差押えだす、あとは三度のご飯を食べる鍋、釜と茶碗だけということですわ、宜しおますか」
 ガマ口が帳面を多加に示すようにして、尋ねた。
「ご苦労さん」
 と頷きながら、多加はいきなり、つかつかと長火鉢の傍まで近付いた。多加の白い手が大きく伸びたかと思うと、寝そべりかけている春団治の口の上へ、ピタリと封印紙を貼りつけた。春団治は跳ね起きざまに自分の口に手を当てた。
「殺生な!口まで差押えせんかて借金は返したるで」
 封印紙が下唇だけはずれて、春団治の上唇の上でヒラヒラした。
「師匠、わては借金の一寸の証文が三寸になるより、ラジオが一番こわい、家財道具より師匠の口を、差押えさして貰いまっさ」

 春団治のラジオ出演の後に、吉本せいが自ら春団治の家に乗り込んで差押えをした、というのは山崎豊子の脚色だ。
 実際には、ラジオ出演の翌日、吉本興業が訴えて財産差し押さえの仮執行が行われたが、家に乗り込んで家財道具に封印紙を貼ったのは、執行官である。
 そして、口に貼ったのは、春団治自身。差押えの紙を奪って、「もしもし、この口押えはらしまへんのか。これあったら何ぼでもしゃべりまっせ。」と自分の口へ貼り付けた一件は、次のように、写真付きで新聞に大きく取り扱われた。

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(Wikipedia「桂春団治」より)
Wikipedia「桂春団治」

 山崎豊子の吉本せいと番頭のガマ口が直接春団治の家に乗り込んで差押えをしたという脚色は、私は“あり”だと思う。
 許容できる脚色と、できないそれがあるが、“史伝”ではなく“小説”として、実によく出来ている。さすが、直木賞受賞作。

 舞台にもなったし、昭和34(1959)年に映画化されているが、主人公の河島多加役は淡島千景、ガマ口役が花菱アチャコ、吉三郎は森繁久弥が演じた。

 『花のれん』の多加には弟がいるものの、実際の林正之助のように、姉と一緒に吉本の経営に携わる役としては描かれていない。
 その点に関しては、私は脚色の行き過ぎだと感じているが、主役を中心にするためには、小説やドラマは、そういうオミット(省略)をすることが少なくない。

 NHKの『わろてんか』も、オミットだらけ。主人公には弟すら、いない。

 小説もドラマも、史実では重要な“脇役”を外す傾向があるが、その“脇役”も、見方によっては“主役”なのであるんだがなぁ。

 「わろてんか」の主人公が、女学校に通っているお嬢さんで、いいとこのボンと見合いする展開になっている今、私はこのドラマを見る気力を失いつつある。
 奉公に出ているのだよ、吉本せいは。

 繰り返しになるが、あのドラマは決して吉本せいの人生を語っていない。

 つい、朝ドラのことに脱線してしまったが、それは、あの番組の主人公が吉本せいであると勘違いする人が多いだろうから、あえてこのシリーズを書いたのでもある。

 それほど裕福とはいえなかった幼年期や、吉本の発展のためには、いわゆる裏社会との接点も必要であったこと、春団治などの芸人を縛り付けるため、雇用契約として労働者には酷な条件なども、吉本せいの姿を知る上で欠かせない要素なのである。

 史実は、そんなに「わろてんか」とは言えないことが多いのだよ。

 まだ、『花のれん』の方が、はるかにモデルの人生と相似している。
 また、この本は小説としても良く出来ているし、当時の大阪の庶民生活や、上方演芸界を知る上でも貴重な本だと思うので、別途記事を書くつもりだ。


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by kogotokoubei | 2017-10-10 12:54 | 落語家 | Comments(0)

桂春団治と吉本せい(2)

 さて、このシリーズの二回目。

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矢野誠一著『女興行師 吉本せい』(ちくま文庫)
 矢野誠一さんのこの本から、大正十年に、初めて南地花月の春団治が出演した時のことの、続き。

 その少し前、春団治が、ある寄席を本拠として自らの一門である浪花派を立ち上げたものの一年ほどしか続かず借金を残して旅興行に出たが、放蕩の結果、借金まみれで窮地に追い込まれていたことは、前回紹介した通り。

 吉本せいは、春団治がそうなることを読み切っており、まさに、その時期が到来したところで、吉本専属の話を持ちかけた。
 まず高額な月給を提示。
 そして、借金の肩代わりを申し出た。

 芸人への月給制は、当時は珍しいことだったが、吉本せいは、どうしても花月に出て欲しい芸人を、高い月給で勧誘した。
 たとえば、春団治の前に、三升家紋右衛門を月給五百円で専属にした。

 富士正晴の『桂春団治』では、吉本の月給七百円のことは書かれていたが、借金の肩代りのことは、あくまで空想するにとどまり、金額なども記されていなかった。
 矢野さんは、その肩代わりの金額を明らかにしている。
 しかし、富士正晴の作品の価値が下がることはない。
 矢野さんは、この本を書くための取材で、『桂春団治』を持ち歩いていた。また、矢野さんの本では、同書から数多く引用があり、まるで、二冊の本を楽しめて徳した感じがする。
 では、矢野さんの本から、引用。

 前貸金二万円、それに月給七百円、これが桂春団治が吉本興行部に身を投ずるにあたっての条件であった。三升家紋右衛門を二百円上まわる七百円という月給もさることながら、二万円の前貸金というには破天荒な金額であった。春団治が、浪花派でこしらえた借金の肩がわりだが、これだけの大金をいかに春団治といえどもおいそれと返金できるはずもなく、いわばこの二百円は春団治をしばりつけておくための身代金であった。
 桂春団治と、吉本せいのあいだをとりもった人物がいたとして、その人物が、
(栗岡百貫ではあるまいかという感じを持っている)
 と、富士正晴は『桂春団治』に書いている。「並々ならぬ業師」だといわれる栗岡百貫なる人物は、
(南に事務所兼住所をもち、若い者を数人ごろごろさせ、三百代言のようなことや、金融の世話のようなことに関係していて、後に出て来る吉本興行部の紅梅亭乗っ取りにも、裏でゆっくり工作したようにも見える一種の怪物)
 で、春団治の、
 (大口の借金が栗岡百貫の手を通じてなされており、それがかねがね、吉本に線が通じていたのではないかというふうに、これは空想だが、思われてならない)
 と、いうのである。
 富士正晴の「空想」は、空想として、かなりいい線をついているように思われる。

 私も、富士正晴の「空想」は、当たる確率が高いように思う。
 引用を続ける。

 びっくりするくらい短い期間に、吉本吉兵衛が沢山の寄席を手中にしていくには、かなり危ない橋も渡ったものに相違なく、その過程でうさんくさい人物や、いうところの怪物が介在してきたのは充分考えられることである。そうした人物との交際が、決してきらいではなかったように思われる吉本せいが、なんとしても手に入れたい桂春団治を引き抜くために、それを利用しなかったわけがない。だいいち、大阪の演藝界を席巻していた桂春団治という超大物が、いかに急激に勢力をのばしつつあったとはいえ、この世界ではまだかけ出しの吉本せい個人のちからで、どうにかなるというものではあるまい。まして春団治の目から見たら、そこらの小僧っ子にすぎなかった林正之助のはたらきなど、取るに足らないものであったと考えるほうが自然だろう。


 当時の“超大物”春団治と、新興勢力吉本の関係を考えると、やはり、何らかの仲介者の存在は疑いようがないだろう。

 そういう力も利用し、ついに春団治の看板を南地花月に掲げることができた吉本せい。
 その後のこと。

 春団治を得てからの吉本花月連の勢いは、まさに一気呵成であった。大正十一年(1922)八月には、ついに三友派の牙城法善寺裏の紅梅亭が傘下に身を投じ、大阪の寄席はほとんど花月一色にぬりつぶされたことは前章で記した。この年九月一日からの「花月連・三友派合同連名」というのが『大坂百年史』に載っていて、得意の演目なども記されているのだが、まさに壮観というほかにない。
 直営席亭、提携演藝場が、大阪十八、堺一、京都五、神戸一、三宮一、名古屋一、東京一の計二十八軒。連名にある落語家七十三名、色物十四名と二十組、ほかに東京交代連として八名の名があがっている。まさに吉本は大阪の演藝を支配したといっていい。この連名で見ると桂春団治は正式に「2代」と記してあり、得意の演目として『いらち車』と『金の大黒』が載っている。
 こうした一覧表を見てすぐ気がつくことだが、この時代の大阪の寄席演藝はまだまだ落語が主体であった。


 春団治を得、順風満帆だった、吉本せいと吉本興行部。

 しかし、この二人の間には、その後に有名な事件が起こる。

 最終回では、その件について書くつもり。

 
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by kogotokoubei | 2017-10-08 17:31 | 落語家 | Comments(0)

桂春団治と吉本せい(1)

 今日十月六日は、初代(正確には二代目)桂春団治の祥月命日。
 明治十一年八月四日生まれで、昭和九年十月六日に旅立った。享年五十七歳。

 「わろてんか」のチェックポイント、という題で矢野誠一さんの『女興行師 吉本せい』を元に記事を書いたが、吉本せい、あるいは吉本興業にとって、春団治は実に重要な芸人さんだった。

 命日を機に(?)、春団治と吉本せいに関し、少し振り返ってみたい。
 
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富士正晴_桂春団治

 矢野さんも、あの本の中で、富士正晴の『桂春団治』から何度も引用している。
 その引用は、本文のみならず、貴重な上方落語界の史料である「桂春団治を書くために出来上った上方落語年表」も多い。

 その年表の大正十年の部分から、まず、引用したい。

吉本派(南地花月亭ヲハジメトシテ二十ノ席)
 春団治の出演歴で、吉本の名が出る最初である。

 その前後のことを、富士正晴はこう書いている。

 『落語系図』174頁に「大正十年九月十一日浪花三友派出番表の写し」というのがある。克明に見ると、三代目円馬の前名の川柳があり、また大正十年には二代目小春団治となっている筈の子遊の名がある。円馬の川柳時代は大正五年(月不詳)より、大正七年五月までなので、これは大正十年ではなく、大正五、六年の浪花三友派の出番表とわかるが、そこに挙げられている浪花三友派の席は紅梅亭、瓢亭、延命館、あやめ館、松島文芸館、堺寿館、京都芦辺館の七つである。これが浪花三友派の勢力範囲なのだろう。
 これを吉本興行部は次々に食っていった。先ず真打連を浪花三友派よりもぎとっていき、大正十年には春団治一門も加わっている。春団治は月給七百円という約束で、吉本の花月連というのに加わったというが、その他にそれまでの借金を吉本に肩がわりしてもらったのであるまいか。大口の借金が栗岡百貫の手を通じてなされており、それがかねがめ、吉本に線が通じていたのではないかというふうに、これは空想だが、思われてならない。
 
 富士正晴の空想は、まさに事実だったということだろう。

 春団治を獲得するための高い月給も借金の肩がわりも、吉本せいの計らいである。
 
 せいは、とにかく春団治が欲しかった。
 そのチャンスをじっと待っていた。

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矢野誠一著『女興行師 吉本せい』(ちくま文庫)

 その当時、吉本せいの春団治攻略までのことを、矢野さんの本から引用したい。

 春団治は、贔屓の後家、岩井志う(じゅう)の資金によって、元第一文芸館であった内本町演芸場を借り浪花亭と名づけて、自らの一派を立ち上げたのだが、毎夜のごとくのドンチャン騒ぎなどの浪費により、浪花亭は一年ともたなかった。

 本拠地を失った春団治の一行は旅に出た。二十数人の一座で、中国筋から九州にかけて約一年の巡業である。春団治の名前で、充分商売になったはずだが、なにせ湯水の如くに金を使うことを覚えた座長の一行である。行く先々で派手な遊びをくりかえし、結局莫大な借金だけが残った。
 こうして桂春団治が無一文になるのを、吉本せいはじっと待っていた。金のあるうちは、どんな大金をつんでみたところで、天下の春団治、それほど有難がるわけじゃない。春団治という大きな看板だけが残って、しかも無一文、のどから手が出るほど金がほしい・・・・・・そういう状態になる日がいずれきっと来る、とふんだせいは、いささか無分別にすぎた春団治の浪花派の旗あげを、醒めた目で見つめていたのである。
 大正十年(1921)初席、桂春団治の看板が、南地花月の木戸口の上にかかげられた。木戸銭は、なんと一円である。十銭の木戸銭で出発したのがわずか三年前であったことが、せいには信じられないような気分であった。それよりなにより、「花月派 桂春団治」と、大阪を代表する落語家を自分の傘下におさめた事実が、大阪の落語そのものを手にいれたような気がして、満足であった。それは、何軒もの寄席を手にいれたことより、もっともっと大きな意味があるように思われた。

 ついに、吉本せいは、春団治という大看板を手に入れる。

 春団治と吉本せいについては、もう少し書きたいので、これにて前篇の、惜しい切れ場^^

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by kogotokoubei | 2017-10-06 22:40 | 落語家 | Comments(0)
 矢野誠一さんの『女興行師 吉本せい』を踏まえ、NHKの「わろてんか」のチェックポイントと題して記事を三つ書いた。

 第二のチェックポイントは、せいのきょうだいは、どう描かれるか、だった。
2017年9月27日のブログ

 見ている方はご存じの通りで、NHKサイトの同ドラマのページでも確認できるように、主人公藤岡せいには、兄一人、妹一人という設定。。
NHKサイトの「わろてんか」のページ

 年齢順に並べると、こうなる。

   藤岡新一
    |
   藤岡てん
    |
   藤岡りん

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矢野誠一著『女興行師 吉本せい』(ちくま文庫)

 あらためて矢野誠一さんの本から、確認の意味で引用。
 せいの父、林豊次郎は文久元年(1861)十二月十日生まれ、母ちよは、元治元年(1864)三月十二日生まれとある。父二十七歳、母二十五歳のときの子になるせいは三女で、せいが生まれたとき、すでに明治十六年(1883)生まれの長男信之助、二十年(1887)生まれの次姉きくがいた。むかしのひとの例にもれず、豊次郎とちよの夫婦には子供が多かった。せいの生まれたあとも、千之助、正之助、勝、治雄という四人の弟と、ふみ、はな、ヨネ、富子のこれまた四人の妹ができている。死亡した長女をふくめ、十二人のきょうだいである。
 この十二人のきょうだいのなかで、明治三十二年(1899)年一月二十三日に生まれた三男の正之助と、明治四十年(1907)二月一日生まれの四男勝のふたりの弟が、後年のせいの仕事に大きな役割を果たすことになる。四男の勝は、昭和十四年に、その名を正式にそれまで通称として用いていた弘高と変更している。

 亡くなった長女も含め、十二人きょうだい。

 弟や妹の正確な順番は分からないので、弟四人、妹四人の順で並べるてみる。

   林信之助
    |
   林きく
    |
   林せい
    |
   林千之助
    |
   林正之助
    |
   林勝(弘高)
    |
   林治雄
    |
   林ふみ
    |
   林はな
    |
   林ヨネ
    |
   林富子   

 家族構成が、藤岡はなと吉本せいでは、あまりにも違う。

 そして、吉本興行というお笑いの一大帝国を築いた吉本せいを“モデル”にするなら、弟の正之助と勝(弘高)を描かないのは、まったくの片手落ち。

 しかし、“モチーフ”にした“フィクション”だから許されるのだろう^^

 今後、幼馴染の武井風太が正之助を“モチーフ”として、てんを支えるようになるのかもしれないが、「わろてんか」のシナリオなどを調べていないので、どうなるかは分からない。
 もし、そうだとしても、身内と幼馴染とでは、まったく意味合いが違う。

 せいの夫吉本吉兵衛が亡くなる少し前から、吉本せいは、頼りになるのは身内だけとばかりに、正之助を、その後に勝を自分の商売に引っ張り込んだ。

 弟だからこそ姉の意を受けて可能だった面があったはずで、幼馴染では、肉親との関係性に大きな違いがある。

 
 第一週を見ているだけでも、ドラマは、“モチーフ”とは、あまりにかけ離れている印象だ。
 生家の大阪と京都の違い、米問屋と薬問屋の違い、きょうだい構成や富裕度を含めた幼少期の家庭環境の違いなど、フィクションであると強調せんがための設定変更の努力と思えて、ハハハ・・・・・・と笑ってしまえる。

 後に夫となる人物との出会いも、吉本せいと吉兵衛とのそれとは、あまりにもかけ離れた“物語(フィクション)”。

 今後登場する、実際には存在しなかったはずのイケ面俳優演じる人物の登場なども含め、もはや、“モチーフ”という言葉すら相応しくないと思われる設定変更。

 すでに、明白だ。「わろてんか」は、吉本せいの物語ではない。

 チェックポイントの一番目や三番目の検証は、まだ先のことになるが、見続けることができるかどうか・・・・・・。

 チェックポイントの四番目には桂春団治のことを想定していたが、その記事を書くかどうか、思案中。

 ドラマが進むにつれて、吉本せいのドラマとして見ている視聴者の誤解は、どんどん拡大しそうで、それこそ、わろてんか、である。

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by kogotokoubei | 2017-10-05 12:36 | 歴史ドラマや時代劇 | Comments(0)
 9月の記事別アクセス数のトップ10は、次のような結果だった。( )内が掲載日。

1.三遊亭小円歌が、二代目立花家橘之助を襲名(2016年11月24日)
2.落語芸術協会が、来年4月、仙台に定席寄席を開場!( 2017年8月31日)
3.桂文字助のこと。(2017年9月23日)
4.いよいよ、三代目桂小南襲名披露興行が始まる!(2017年9月20日)
5.落語芸術協会、鈴本との離別から三十年・・・・・・。(2014年3月5日)
6.松鶴に土下座させた、笑福亭小松という落語家のこと。(2014年8月4日)
7.今から140年前、なぜ明治政府は改暦を急いだのか。(2013年1月14日)
8.命日に、“キザな小円遊”という虚像を思う—『談志楽屋噺』より。(2013年10月5日)
9.健さんが愛した歌、「ミスター・ボージャングル」についての補足。(2014年11月25日)
10.二代立花家橘之助襲名披露興行について。(2017年7月6日)

 昨年11月の二代目立花家橘之助襲名について書いた記事には、約600のアクセスがあった。10位にも、今年の橘之助の披露目に関する記事が入った。
 来月からハードな日程の興行が始まる。なんとか、どこかで駆けつけたいと思っている。
 7月の記事でポスターを掲載したが、その中の日程のみをご紹介。
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 五十日間連続、休みなしの興行だ。

 2位に落語芸術協会の仙台の寄席開場の記事が入った。意外なアクセスの高さになり、少し驚いている。

 文字助の記事も、予想外のアクセス数だった。テレビの威力を感じたなぁ。

 なんとか先日行くことができた三代目小南の披露目に関する記事が3位というのは嬉しいのだが、あの日の客席の寂しさは残念。

 5位から9位までは、古い記事が続く。

 芸協と鈴本、なんとか和解の道はないものだろうか。

 改暦の記事へのアクセス増も、たぶん、テレビの影響があったと察する。
 

 ようやく秋めいてきた。NHKの朝ドラも「わろてんか」に替わった。
 チェックポイントへの感想は、どうなることやら。

 実質的な衣替えの時期かと思うが、政権も代わる秋、になるのかどうか。

 何かと野暮用の多い月なので、落語会や寄席には、あまり行けそうもないが、なんとか時間の穴を見つけたいものだ。

 明後日4日、旧暦の八月十五日で中秋の名月、十五夜。
 
 世の中は、なかなか丸~くなりそうにないが、心の中だけは、月のように角を取って丸く暮らしたいと思う今日この頃だ。

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by kogotokoubei | 2017-10-02 12:28 | アクセスランキング | Comments(0)
 昨日は途中まで書いて、晩酌の酒がまわってきて断念。
 今日のテニスの後、クラブハウスで缶ビールを飲み、昼食に誘われたが、それ以上飲むと今日も書き終わらないと思い、心を鬼にして断った^^
 
 さて、夜の部。三代目桂小南襲名披露興行だ。

 客席は、椅子席が三割から四割。桟敷にはそれぞれ三~四人。
 仲入り後には、椅子席も桟敷ももう少しお客さんが増えたが、平日雨交じりの夜とはいえ、ちょっと寂しいねぇ。

 出演順に感想など。

開口一番 桂こう治『転失気』ー>『牛ほめ』 (13分 *16:48~)
 初めて聴く、小文治門下の前座さん。
 『転失気』を始めたので、「おいおい、可風とツクよ!」と思っていたら、案の定、楽屋の前座からダメ出し。ネタ帳を見せてもらって、「それでは、『牛ほめ』を演らせていただきます」と仕切り直し。客席から「がんばれ!」の声。優しいお客さんだ。
 しかし、本人はもうアップアップという感じで、噛むやら言いよどみやら、科白を忘れるやら・・・・・・。
 これも、経験。精進してもらいましょう。
 それにしても、秋葉様のお守りではなく、防火宣伝のビラ、というのはいかがなものだろう。師匠譲りなのかもしれないが、通じなくなった言葉を言い換えてばかりいると、落語そのものが壊れてしまうのではなかろうか。やはり、秋葉様だと思うなぁ。

山遊亭くま八『魚根問』 (8分)
 これまた初めて聴く人。
 繰り返されるネタの後に笑いを待つ間が、あまり好きではない。
 これは、後から出る歌春でも感じたことなのだが、笑いを半ば強制するような間が頻繁に続くのは、あえて言えば品のない行為であり、それは芸とは言えない。
 まだ、若く明るい高座には好感が持てるので、今後の成長を期待したい。

新山真理 漫談『巨人軍の納会』 (11分)
 このネタは初めて聴いたこともあり、結構笑った。
 詳しくは書かないが、三十数年前、横浜ファンと西武ファンの若手女性漫才師が、熱海後楽園ホテルの巨人の納会に呼ばれて漫才をした時の逸話。さて、どこまでがフィクションかは分からないが、ネタとしてはよく出来ている。この人の話芸、結構、レベル高いんだよね。

三笑亭夢丸『お菊の皿』 (12分)
 久し振りだが、少し太ったか^^
 この人の持ち味は、そのスピードであり、弱点もその速さかもしれない。
 立て板に水の勢いの良さを感じる時もあれば、次の科白が待てないかのような忙しさが聴く方を落ち着かせてくれないこともある。
 まだ、若いので今後次第に落ち着きが出て来るとは思う。
 この高座では、スピードの良い面が出ていたようだ。
 芸協の将来を担う一人であることは間違いがない。

三笑亭可龍『宗論』 (14分)
 見た目の若さに反して落ち着いた高座。夢丸はこういう先輩に見習うべき点が多いように思うなぁ。
 十八番と言えるだろう。このネタなら、春風亭正朝とこの人の二人が双璧ではなかろうか。小三治は、別格^^
 拙ブログを書き始める前、2008年2月9日のさがみはら若手落語家選手権の予選、一之輔が出場したのだが、この人がこのネタで一位通過。私が一票を投じたものの(?)一之輔(『鈴ケ森』)は僅差の二位だった。ちなみに、一之輔は、予選全体の二位でもっとも惜敗率が高いということで本選会に出ることはできたが、その年の本選会は三遊亭歌彦(現歌奴)が優勝。一之輔もきっと忘れられない予選ではなかったかな。
 短い噺とお祝いの踊りかな、と思っていたが、テッパンとも言えるネタを楽しく聴かせてくれた。寄席の逸品賞候補としたいので、色を付けておく。

松旭斎小天華 奇術 (10分)
 無言での紐とスカーフの奇術。なんとも言えない雰囲気は、この人ならでは。
 “職人”という言葉が当てはまるような、そんな人。嫌いではない。

三遊亭遊之介『真田小僧』 (15分)
 これまで聴いた高座の印象が良いので、少し残念。表情が硬いのだ。
 口上の司会という大役が待っているせいか、あるいは、打ち上げの酒が残っているのか^^

桂歌春 漫談 (15分)
 歌丸の総領弟子なので、私も歌丸の襲名披露をしたいが・・・といった内容を中心の漫談。笑いを待つ間が、気になった。この人も、打ち上げ疲れか。
 とはいえ、口上では、なかなかいいこと言ったなぁ。

桧山うめ吉 俗曲 (13分)
 小唄「水の深さ」から「三階節」、新内の「蘭蝶」、締めに躍りで「茄子と南瓜」。
 まさに、寄席の“彩(いろどり)”だなぁ。

桂南なん『辰巳の辻占』 (12分)
 見た目に騙されてはいけない噺家としては、病弱を装った頃の喜多八とこの人が双璧ではなかろうか。
 高座に上がった時の、なんとも言えない見た目と靜的な印象と、ダイナミックな所作と表情の豊富な高座との落差の大きさは、これまでの経験がなせる技なのだろう。 

三遊亭小遊三『蛙茶番』 (18分)
 仲入りは、この人。
 この噺は、たぶん十八番の一つではなかろうか。
 女性のお客さんも、あの場面(?)で笑うこと、笑うこと^^
 この人が、なぜ会長にならないのか・・・きっと、政治的なことより、自ら演じることが好きなのだろうなぁ。
 そんなことを思わせる高座だった。
 
 
 一息入れて、口上だ。

三代目桂小南真打昇進披露口上 (13分)
 後ろ幕は、落語芸術協会から、岩槻の須賀食品寄贈に替わった。
 下手から、遊之介、遊吉、金太郎、小南、南なん、歌春、小遊三の六人。
 印象に残る内容は、まず、兄弟子の金太郎。師匠は三代目三遊亭金馬を師匠に東京落語を百席以上覚えてからすべて捨て去って上方落語を学び直した人で、「東京でも大阪でもない、場所で言うなら、静岡落語」と称していたが、独自の小南落語と評された。三代目小南は春日部出身、東京との間、自分独自の北千住落語を目指して欲しい、と笑いも意図したネタだったのだろうが、客席はまともに聞いていたなぁ。トースターにまつわる逸話も紹介されたが、その犯人のためにも割愛。
 南なんは、披露目は金がかかり、春日部の畑を売って費用を捻出したが、落語という畑を耕し欲しい、と締めた。
 歌春が、自分の高座よりもずっと良かった^^
 小南治の真打昇進披露に、協会の違う父親の二代目林家正楽が出演したらしい。今回も、協会の枠を超えて、父の芸を継いだ弟の二楽が出るので、ぜひ兄弟の高座を楽しみにして欲しいと、知らない人もいたかもしれない補足情報が良かった。
 締めの小遊三は、先代の小南に聴いた逸話を披露。ある程度、自分の落語に自信を持ってきた頃、師匠の金馬が高座を聴いてから、「お前のは、金が欲しい欲しいという落語だ」と言われ、呆然とした、とのこと。いったいどうすればいいのか分からなかったと二代目小南は述懐していたらしい。
 今、金が欲しい欲しい落語、蔓延しているなぁ。
 お約束の三本締めで口上は、結構真面目な雰囲気のままお開き。
 兄弟子二人の優しさが伝わる、実に結構な口上だった。

ボンボンブラザース 曲芸 (8分)
 十八番の紙の芸、下手桟敷への出張サービスで、私のすぐ後ろまで来ての熱演。
 いいねぇ、いつ見ても、この人たち。

三遊亭遊吉『粗忽の釘』 (14分)
 何度か聴いているが、もっともスピード感のある高座。地味な印象だが、その飄々とした個性は、嫌いではない。

山遊亭金太郎『たらちね』 (13分)
 先に口上を聴いたが、高座は初。
 ロマンスグレーの頭髪。金じゃなくて銀太郎か^^
 無理に笑わせようとはしない、無駄のない高座。兄弟子南なんと弟弟子小南が、個性が強いのとは対照的。
 トリの時間を作るための短縮版だが、一番難しい膝前の役割をしっかり務めた。

林家二楽 紙切り (9分)
 元気に高座へ。挨拶代りの「桃太郎」の後、お客さんの注文で「文治の相合傘」「選挙」の三作で兄につないだ。協会を越えた出演、本人も楽しんでいるのが、伝わった。

桂小南『しじみ売り』 (26分 *~20:57)
 自分の羽織と着物をつくり、余った分で二楽の羽織ができた、とマクラで話す。彼らしい、弟への感謝の思いなのだろう。
 本編は、師匠の十八番の一つだった、この噺。もちろん、上方版。だから、しじみ売りの子から、しじみを買ってやるのは、鼠小僧次郎吉ではなく、ある親分。
 匿名で演じる場合もあるが、人によっては、遊びを入れる。五年余り前、テレビ朝日「落語者」で桂まん我のこの噺を聴いた際は、米朝の本名を使っていた。
2012年5月12日のブログ
 実は、いただいたコメントで親分の名前の由来に気が付いた次第。
 三代目小南は、師匠と同じ市村三五郎という名の侠客にしていたが、場所は江戸に替えていた。時期も師匠が十日戎で、三代目は初午。
 親分、しじみ売りの子、そして、子分の留公の三人が、主な登場人物。
 あの独特の声は、親分にはピッタリ^^
 しじみ売りの子どもの可愛さ、家族思いの健気さは、よく伝わった。
 欲を言うなら、バイプレーヤーの留公を、もう少し軽いお調子者に描いて欲しかったが、全体としては、師匠の得意ネタへの取り組みを嬉しく思いながら聴けた好高座。
 サゲは、師匠と同じ「あまり声が大きいので、しじみ(縮み)あがりました」。
 その独特の声、しぐさ、間など、三代目小南の落語の可能性を感じていた。


 中にいる間に降った雨も、嬉しいことに上がっていた。
 なんとか来ることのできた披露目だが、披露目が終わってしばらくしてから、また、小南の高座を聴いてみたいと思う。できれば、南なん、金太郎との三人会などがあれば、駆けつけたいなぁ。地下鉄の駅に向かいながら、そんなことを思っていた。

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by kogotokoubei | 2017-10-01 16:46 | 落語会 | Comments(6)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛