噺の話

kogotokoub.exblog.jp
ブログトップ

<   2017年 10月 ( 13 )   > この月の画像一覧

 雨で、今週もテニスは休み。

 ワールドシリーズの第四戦を見ていた。
 これで、2勝2敗か。
 昨日のダルビッシュは残念だったが、前田は良く投げたなぁ。

 今日の9回のドジャーズの攻撃を見ると、このシリーズは、まったく予想できなくなった。
 ベリンジャーの復活は、大きいなぁ。
 しかし、両チームとも、クローザーに信頼が置けない。
 もし、七戦まで行って、果たしてダルビッシュに登板のチャンスが残っているのか、どうか。
  
 などなども考えながら、NHKの「わろてんか」のこと。

 まだ、なんとか、見続けている。

 嫌なら見なきゃいいのに、の声が聞こえて来るが、どこまで脚色し、「モチーフ」の人物や時代背景を逸脱するか、しばらく見てみようと思っている。

 藤岡てんが、駆け落ちした北村藤吉の実家の米穀商で、ほとんど女中奉公をするという筋書きの中で、機転をきかせる場面があった。

 北村屋では、食事する際に、わざと漬物樽の臭いにおいのするようにして、使用人がたくさん食事をしないよう図って(?)いた。
 それを、主人公てんの機転で解決したことが描かれた。

 この話には「モチーフ」である吉本せいの実体験に、ネタ元がある。

e0337777_12133659.jpg

矢野誠一著『女興行師 吉本せい』(ちくま文庫)
 矢野さんの本から、引用する。

 せいの奉公先は、月一円五十銭の給金をくれたが、船場でも有名なしまつ屋であった。「身体は労働をいとわず、心は正直に」
 という母親の信条が身についていた幼いせいだが、なにごとも節倹だいいちというこの船場の実業家の家風には苦労させられた。
 大勢の奉公先や女中の食が、あまりすすんではいけないと、漬物樽をわざわざ土蔵のわきの雨のかかる場所に出し、食事中に悪臭がただようようにしたという。
 たまりかねたせいが、朋輩の女中たちにはかった。
「明日から、毎日一銭ずつ出しおうて、土生姜買わへん?それ刻んでかけたら、少しは臭みも消えるやろ・・・・・・」
 これが家老の耳にはいり、せいはひどい叱責を受けた。この叱責は、かなりこたえたらしく、後年機嫌のいいときなど親しいひとに何度も語っているのだが、悪臭をはなつ漬物に生姜を刻むことを提案した、幼からざる才覚を自慢している気味もあった。

 ということで、あの逸話は、せいが奉公していた頃のことを、彼女があとで述懐したものが下敷きになっている。

 次に、「わろてんか」で、北村家にいるてんを母親が訪ね、藤吉の母親にしっかりと釘を刺した後、てんに白い喪服を渡す件があったが、あのネタ元は何か、ということ。


e0337777_15142351.jpg

山崎豊子著『花のれん』

 『花のれん』から引用。
 夫吉兵衛が妾の家で亡くなった後、通夜の最中の出来事。

 多加は、するっと小柄な体を四畳半ほどの納戸の中へ辷(すべ)り込ませ、電燈をつけると、引戸の左側の古い箪笥に手をかけた。赤錆びた鋲の引手が、きしみをたて、折り畳まれた絹々しい衣服の間から、樟脳の臭いが眼にしみた。三段目の引出しに手を入れ、一枚、二枚と着物の裾をはね、一番底になった白い衣服を引き摺出した。強い樟脳の臭気が納戸一杯にたち籠め、白い衣服が多加の肩に載った。白い帯がくるくると胴に巻きつけられ、おたいこの垂れをきゅうきゅっと押え込んで、白羽二重の帯〆めを結ぶと、多加は再びふらふらと、もと来た暗い廊下を伝って奥座敷へ引っ返した。
 「あっ、白い喪服を・・・・・・」
 と、最初に声を上げて腰を浮かせたのは、多加の伯母であった。伯母の横で膝を崩さず、硬い姿勢で通夜酒を含んでいた父の孫一も、体を前のめりにして、狼狽した。座敷一杯の坐った弔問客が、一斉に多加を見守った。
 多加は、初めて自分が、白い喪服を着てしまったことに気付いた。それは多加が堀江中通りの米屋から二十一歳で、西船場の河島屋呉服店に嫁いで来る時、ほかの嫁入り荷物をは別に、父が定紋入りの風呂敷に包んで多加に手渡した着物である。真っ白な重みのある綸子(りんず)に、墨色で陰紋をぬいた白い喪服であった。白繻子の帯と帯〆めを重ねて、無骨な父が、口ごもりながら、
「船場の商家で夫に先だたれ、一生二夫に真見えぬ御寮人さんは、白い喪服を着てこころの証をたてるしきたりがある。お前が小学校へ入った年に死んだ母親が、もし将来、船場に嫁ぐような縁があったら、何をおいても白の喪服だけは、持たしてやっておくなはれと、これだけ頼んで死によったもんや」
 と前置きして、手渡ししてくれた白い喪服である。

 矢野さんが前掲の著書で何度か触れているが、晩年の吉本せいは、自分の体験、逸話をやや過剰に脚色しているふしがある。

 だから、せいの思い出話を、そのまま受け取ることは危険な面もあるのだが、奉公時代の漬物の臭い対策、夫の葬式での白い喪服の逸話は、信用できそうだ。

 それにしても、矢野さんが丹念な調査を踏まえた史伝や、山崎豊子の小説とは、設定なども含め、あのドラマの脚色には理解できにくい面が多い。

 落語で言うなら、本来の古典落語の筋から、あまりにも自分なりにいじり過ぎている、そんな印象。

 そもそも夫の実家に、許嫁(いいなずけ)がいた、なんて設定、どこから引っ張り出したのだろうか。

 そして、もっとも不思議なのは、『花のれん』も同様なのだが、せいの弟が登場しないこと。

 吉本という企業の発展に、林正之助や、林勝(弘高)は大いに貢献した。

 彼らが生存中には、ありえない脚色の実話からの逸脱なのである。

 なんと、山崎豊子は、その弟たちが生存中に『花のれん』を書いている・・・・・・。

 あの作家には、モデル(モチーフ)となった人物からの抗議などが少なくないが、それもむべなるかな、か。

 ある人物や事象に光を当てると、周辺の人物や事象がその影になってしまったり、あるいは、存在そのものが“亡き者(物、事)”となることもあるが、それは結構危ういことではないかと、思うのだ。

 
 「わろてんか」、なんだかんだ小言を言いながら、もう少し見てしまうかもしれないなぁ。
 しかし、とても、わらって見ているわけではないのだ。

[PR]
by kogotokoubei | 2017-10-29 14:38 | 歴史ドラマや時代劇 | Comments(0)
 NHK新人落語大賞の結果が、ニュースにもなり、落語協会のホームページでも、いつものように素っ気なく、案内されている。

 私の予想(希望?)は、まったく外れた。

 まぁ、11月4日の放送を見て、感想などを書くことにしよう。

 さて、昨夜の「超入門!落語 THE MOVIE」の三遊亭兼好の『六尺棒』と古今亭菊之丞の『権助魚』は、どちらも結構面白かった。

 特に『六尺棒』という地味な(?)ネタを取り上げたのが嬉しい。
 初めて聴き、見た方も多いと察するが、こういう落語もあることを知っていただくのは、良いことだと思う。

 兼好のスピーディな高座を、中村芝翫親子が楽しく演じていた。
 なんとも、贅沢な歌舞伎役者の使い方だ^^

 サイトで確認すると、30日の午前3時45分~ 午前4時10分再放送されるようなので、ご興味のある方は、ぜひ録画のほどを。
NHKサイトの番組ページ

 来週は、喬太郎の『井戸の茶碗』。これも、見なきゃ。

 この番組を見ながらいつも思う、素朴な疑問。

 どう見ても、あの高座は新宿末広亭。

 NHKのサイトに、公開放送の案内を見つけることができなかった。
 
 さて、いつ収録しているのだろうか・・・・・・。

 通常の寄席興行がある以上、収録は昼の部の前か、夜の部の後、場合によっては深夜かもしれない。

 まとめて収録するだろうから、最低二席、多くて四席位の収録だってあるかもしれない。

 あの顔ぶれである。
 木戸銭取っても、客は集まりそうだな。

 あの番組はいつ収録しているのか・・・ちょっとした、疑問なのであった。

 
[PR]
by kogotokoubei | 2017-10-27 12:36 | 幸兵衛の独り言 | Comments(6)
 昨夜、NHKのEテレの「グレーテルのかまど」を見た。昨年放送された内容の再放送だが、見て実に感じることがあった。
 実は、拙ブログにコメントをいただいたご縁から、昨年大阪でお会いし、真田丸の里、そして、坂の大阪の散策をご案内いただいた山茶花さんから、ご連絡をいただいたのだった。
 どんな、内容だったのか。
 まず、NHKのサイトから、引用する。
NHKサイトの該当ページ
グレーテルのかまど
「桂米朝師匠の栗(くり)きんとん」

若手落語家・桂吉坊さんが、人間国宝である桂米朝師匠から芸のヒントをもらったのが、秋の味覚“栗きんとん”。ひとくち食べればホロリ、師匠と弟子の絆の味に迫ります。

上方落語の演目「足上がり」。かつてこのネタをものにしたいと苦労していたのが、若手落語家の桂吉坊さん。人間国宝である桂米朝師匠からもらった意外なヒントは、“栗(くり)きんとん”。そのホロリとした口どけと栗の風味が教えてくれたこととは?栗きんとんが結んだ、師匠と弟子の絆に迫ります。スタジオのヘンゼルは、素朴な茶巾絞りタイプの栗きんとん作りに挑戦。古くから縁起物として愛されてきた栗の魅力を堪能します。

【出演】瀬戸康史,【声】キムラ緑子

 この『足あがり』というネタ、知らなかった。

 吉坊は、丁稚の定吉が栗きんとんを食べる場面を描くのに苦労していた。吉坊自身が、栗があまり好きではなかった。
 だから、この噺を演じる自信ができない吉坊に、米朝は「栗きんとん」を実際に食べさせることで、吉坊の悩みを解きほぐす。
 そのとき、吉坊が食べず嫌いだった栗きんとんの、なんと美味かったことか。

 それは、食べず嫌いせず、何でも挑戦してみなはれ、という米朝からのメッセージと吉坊は受け取った。
 
 番組では、米朝が実に好奇心旺盛で、現代のことでも、知識を習得しようとする姿勢が衰えなかったことを、吉坊が振り返る。

 吉坊は、吉朝の弟子だが、吉朝門下は、弟子に大師匠米朝の元での前座修行を恒例としていた。

 番組では、その前座時代の米朝と吉坊の写真も何枚か紹介されていた。

e0337777_11102075.png

『米朝ばなし』(講談社文庫)

 知らなかったこの噺を、『米朝ばなし』で確認した。
 この噺は『蔵丁稚』(『四段目』)と似ていると前置きして、次のように筋書を説明している。
 
 道頓堀の小屋で、丁稚が番頭に連れられて芝居見物をさせてもらう。「一足先に帰ります」という丁稚に、番頭が「帰ったら、だんなには、番頭はんのお供で播磨屋さんのお宅へ行ったら、えろう碁がはずんでました。あんまり遅うなったんで、私、一足先に帰って参りましたが、番頭さんは、もう一手、二手見せてもろうて帰ります、とそういうふうにだんさんに言うといてくれ」「ほな、先に帰らしてもらいます」同じ座敷にいた芸者が「あ、ちょっと」と小遣いを包んでくれる。
 喜んで店へ帰ってくると、だんなが「なんでこないに遅うなったんや」「へえ、播磨屋さんへ・・・・・・」「播磨屋さんは、さいぜんまでここで、どうしても番頭どんに会いたい、言うて待ってはったにゃ。あんまり遅いんで、いましがたお帰りになったところじゃ。ほんまのことを言いなはれ!」「・・・・・・芝居に行ってました」「なぜそれを正直に言わん。中座か、ちょっと後ろから立ち見か」「そんなしょうもない」「えらそうに言いな。平場でもおごったか」「桟敷でんがな」「桟敷!」
「へえ。芸妓はんやら、お茶屋の女将やらみな一緒で、御馳走を前にぎょうさん並んで、番頭はん、ちびちびお酒飲みながら見てはりまんねん。“こんなことしたら高うつきまんねんやろな”ちゅうたら“これみな、筆の先から出るんや”言うてはりました」
 番頭が、芸妓といちゃつきながら芝居見てるとことまで、みんなしゃべってあいまう。
「そういうことしてくさったか。あした請け人を呼んで、話をつけてしまおう」「え!番頭は、お暇が出まんのん、足があがりまんのん・・・・・・。えらいことしゃべってしもたな。番頭はんの悪いとこは、丁稚の私が謝りますさかい・・・・・・」「アホなこと言うな。・・・・・・番頭が帰ってきても、何も言うことはならんぞ」
 足があがる、というのは、クビになることを言うた。
 
 この後、サゲまでが簡潔に書かれている。

 師匠と弟子、いろんな形での教えはあると思うが、この季節に相応しい、心をあたため、口の中に甘みがじわーっと浮かんでくるような逸話だった。

 明日の朝、再放送。ご興味のある方は、ぜひ。
[PR]
by kogotokoubei | 2017-10-24 12:33 | 師匠と弟子 | Comments(4)
 いろいろあって、来年の真打昇進のニュースについて記事を書かずにいた。

 落語協会は、予想通り香盤順に五人が昇進。

 協会のホーームページから引用する。
落語協会ホームページの該当記事

2017年10月01日
平成30年 秋 真打昇進決定

平成30年 秋(9月下席より)

古今亭駒次(志ん駒門下)、柳家さん若(さん喬門下)、柳家花ん謝(花緑門下)、林家たこ平(正蔵門下)、古今亭ちよりん(菊千代門下)

 いつものように、これだけ。

 昨年8月に、今秋の三人の昇進が発表された後の記事で、この五人のことを含め、次のように書いていた。
2016年8月24日のブログ

 来年“秋”の昇進者三人は、見事に香盤順で、次のような履歴になっている。
---------------------------------------------------------------
桂三木男 
 2003(平成15)年金原亭馬生に入門、2006(平成18)年11月二ツ目昇進
柳亭こみち
 2003(平成15)年柳亭燕路に入門、2006(平成18)年11月二ツ目昇進
古今亭志ん八
 2003(平成15)年古今亭志ん五に入門、2006(平成18)年11月二ツ目昇進
 *志ん五没後、志ん橋門下
----------------------------------------------------------------

 春の昇進者のうちの三人(ろべい、時松、馬るこ)とは二ツ目昇進と同じ半年遅れでの真打昇進ということになる。

 ちなみに、この後に、こういう人たちが続く。

古今亭駒次
 2003(平成15)年3月古今亭志ん駒に入門、2007(平成19)年2月二ツ目昇進
柳家さん若
 2003(平成15)年柳家さん喬に入門、2007(平成19)年2月二ツ目昇進
柳家花ん謝
 2003(平成15)年柳家花緑に入門、2007(平成19)年2月二ツ目昇進
林家たこ平
 2003(平成15)年11月林家こぶ平に入門、2007(平成19)年5月二ツ目昇進
古今亭ちよりん
 2003(平成15)年古今亭菊千代に入門、2007(平成19))年5月二ツ目昇進

 ここまでが、平成19年の二ツ目昇進者。

 5月の記事で、来年春が十人ではなく五人になったのは、二ツ目昇進時期でキリが悪いからか、と書いた。
 そういう面もあったと思う。五人に続く同時期の二ツ目昇進者が三人で、その後の駒次、さん若、花ん謝の、これまた三人が同時二ツ目昇進者。
 その三人とたこ平、ちよりんとは二ツ目昇進時期が三ヵ月しか違わない。

 再来年は、結構昇進者の決定は難しいだろう、などど思っていた。
 まさか、来年秋に、2006年11月の二ツ目昇進者の三人を先に真打昇進させるとは、予測しなかったなぁ。
 甘かった^^

 三人昇進は、たぶんに最近の落語芸術協会を模倣したように思う。

 各定席十日間の披露目に三人全員が出演し、トリのみ順番で務めるという芸協の方式は、なかなか結構な趣向だ。
 落語協会の三人昇進も、同じような興行になるなら、駆けつけようとする動機づけにもなる。

 これで、再来年の昇進者も見えてきた。

 平成30(2018)年の春は、駒次、さん若、花ん謝、たこ平、ちよりんの5人で決まりなのだろう。
 香盤順では彼等の後に続く四人は、二ツ目昇進時期に一年近い差があるのだ。

柳家わざび
 2003(平成15)年11月柳家さん生に入門、2008(平成20)年3月二ツ目昇進
柳家喬の字
 2004(平成16)年柳亭さん喬に入門、2008(平成20)年3月二ツ目昇進
初音家左吉
 2004(平成16)年6月柳亭初音家左橋に入門、2008(平成20)年3月二ツ目昇進
柳家ほたる
 2004(平成16)年6月柳家権太楼に入門、2008(平成20)年3月二ツ目昇進

 この後には同じ2008年の11月に二ツ目になった、三遊亭たん丈、春風亭一左、三遊亭歌太郎、柳亭市楽の四人が続く。

 だから、平成31(2019)年の昇進者が、どうなるか・・・・・・。

 四人や八人での昇進は、披露目の番組が組みにくい。

 あっ、そうか!
 また、春と秋で、五人と三人での昇進にするのか。

 こんなことを書いていた。

 予想通り、香盤順の五人。

 先日、浅草で志ん五の披露目に行った。
 その内容は記事にしたように、なかなか楽しいものだった。

 しかし、残念ながら、落語協会の三人昇進の披露目は、私が期待したような、全員が毎日出演する落語芸術協会型ではなかったなぁ。

 
 それにしても、なぜ来年の昇進披露が、春ではなく、秋なのか。

 春に、何か別な披露目と重なっていたっけ・・・・・・。

 昨年の記事で書いたように、次に続く顔ぶれとは二ツ目昇進時期の差があるので、来年はこの五人だけというのは理解できるが、春の昇進でも良いのではなかったか。
 
 今年、春、秋と披露目が続いたために、間隔を空けたい、ということか。

 今から春の昇進では、準備期間が短いということか。

 春にこの五人を昇進させると、秋にも昇進があると勘違いするのを避けるためか^^

 新たな一歩を踏み出すのに、日本の春という季節は相応しいように思うのだがなぁ。

 どうも、腑に落ちない秋昇進である。
[PR]
by kogotokoubei | 2017-10-22 15:14 | 真打 | Comments(4)
 自分で、“怒涛の一週間”と呼んでいる日々が、なんとか無事に終わった。
 
 ということで、久々のブログは、つい、先ほどしばらくぶりに見てしまった「わろてんか」のこと。

 ある人物を「モチーフ」とした「フィクション」とことわっているとはいえ、どうしても「モチーフ」となっている人物と、ドラマの人物との違いに、首を傾げざるを得ない。

 吉本吉兵衛(泰三)を「モチーフ」とする北村藤吉の描き方には、その脚色の逸脱ぶりが、気に障る。

 今日の「わろてんか」では、吉本せいを「モチーフ」とする、藤岡てんを嫁にもらいたいため、藤岡家の家族の前で、芸道の遊びはこれきりやめると宣言し、最後の芸として太神楽の升の傘回しを披露した。

 違うのだよ、吉本吉兵衛が好きで、自分でも演じた芸は。
 そして、その芸の違いは、その人物の個性の違いでもあるのだ。

e0337777_12133659.jpg

矢野誠一著『女興行師 吉本せい』(ちくま文庫)

 たびたび紹介している、矢野誠一さんの『女興行師 吉本せい』から引用する。

 昭和37年に歿した大阪の漫談家花月亭九里丸は、東京に出てくると神田伯山、徳川夢声との三人看板で売れた人だが、芸のほうははなはだしく言語不明瞭であまり面白くなかった。終生、吉本興業の禄をはんだことを誇りにしていて、上方演芸の研究家としても確固たる足跡を残している。その編著『大坂を土台とした寄席楽屋事典』(渡辺力蔵刊)で、吉本吉兵衛のことを、
<だらしない極道者ではない>
 としながら、こう書いている。
<好きな道としてその頃大流行の剣舞を旦那芸として覚えたのが病みつきとなって、その芸を大勢の人達に見せたさに、女賊島津お政本人出演のざんげ芝居の大夫元になって、地方巡業をして、泰三自身が幕間に出て、黒の紋付小倉の袴、白鉢巻に白だすき、長い刀を腰にぶち込んで、詩吟につれて、鞭声粛粛夜渡河、暁見千兵擁大牙で飛んだり跳ねたり。少年団結白虎隊、国歩艱難戍堡塞で女の子に手を叩かせたりしてゐたのはよかったが、興行にはズブの素人の悲しさ、狡猾な地方興行師の悪辣なわなに陥されて散々の大失敗。これがため家業の荒物問屋が二度までも差押えの憂き目を見た>
 ここには、大店の若旦那のひとつのタイプがうかがえる。落語家に、縮緬の座布団を贈ったり、高座着をこしらえてやったりしているうちはよかったが、好きが昂じて自分も舞台にといった旦那衆は、よくある型で、その時分は少なくなかったのである。

 このように、実際の吉本吉兵衛は、あくまで、当時の若旦那の遊びとして、自らは詩吟をバックに剣舞を演じ、趣味が昂じて一座を持って失敗した男だ。

「わろてんか」の藤吉のように、芸人に憧れて、一芸人として旅興行に付いて行ったような人物ではないし、自ら演じた芸は、藤吉の傘回しと吉兵衛の剣舞では、あまりにも違う。

 吉本せいの実家の大阪の米穀商、藤岡てんの実家の京都の薬問屋、吉本吉兵衛の実家の荒物問屋と北村藤吉の実家の米穀商、といった設定の違いは許せるが、重要な登場人物は、「モチーフ」とする人物の個性、持ち味を生かして欲しいものだ。

 そろそろ、あのドラマからは退散の時期が近いが、もう少しだけ我慢(?)するつもりだ。
[PR]
by kogotokoubei | 2017-10-21 10:32 | 歴史ドラマや時代劇 | Comments(0)
 恒例の日曜のテニスが、雨で休み。

 さっそく、ネットで寄席、落語会の情報を確認。
 浅草で、行きたかった二代目志ん五の披露目だ。
 三人の交代だから、この日に当たるのは、僥倖と言えるだろう。
 落語の神様が雨を降らせてくれた(^^)と勝手に喜び、しばらくメジャーリーグの試合を観た後で、浅草へ。

 雨とはいえ日曜の浅草は、海外からの旅行者を含め、人通りが多い。
 裏道を通りながらホールに着いたが、先に近くのコンビニで食料と飲料を仕込んで、12時を少し回った頃に入場。
 志ん丸が『浮世床ー本ー』を演っていた。
 一階席は、結構埋まっていた。ところどころに十席ほど空席が見えるだけ。
 腹も空いていたので、買った弁当を食べやすいであろう二階席へ。
 二階は三分の一位は埋まっていたが、最前列の下手端の席が空いていた。

 後ろ幕の送り手は、ちょっ蔵応援団、有限会社希助、みかねた、の合同。
 上手の酒は、長命泉。下手には、帯が五本。

 二階席に落ち着いて、ちょうど始まった色物さんから順に、感想などを記したい。印象が良かった落語の高座には、を付ける。

おしどり 音曲漫才 (11分 *12:14~)
 聴きたかった二人。出番が少し押していたようで、これも僥倖。
 女性のマコがアコーディオンとメインMC担当。男性のケンが、針金細工。
 お客さんへのお土産になるケンの金正恩やトランプにそっくりな針金細工は見事。また、マコの語りは、スピーディでセンスが良い。ほぼ満席のお客さんを大いに沸かせた。
 お土産の針金細工は、遠くから来た人ということで客席に挙手してもらったところ、鹿児島や北海道から、というお客さんがいた。はとバスのお客さんかな。
 この二人、私は、その芸よりも、社会的な活動で先に名を知った。
 彼らのホームページから、プロフィールを紹介したい。
「おしどり」ホームページ
マコとケンの夫婦コンビ。横山ホットブラザーズ、横山マコトの弟子。
よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。社団法人漫才協会会員。
認定NPO法人沖縄・球美の里 理事。二人はフォトジャーナリズム誌「DAYS JAPAN」の編集委員でもある。
ケンは大阪生まれ、パントマイムや針金やテルミンをあやつる。パントマイムダンサーとしてヨーロッパの劇場をまわる。
マコと出会い、ぞっこんになり、芸人に。マコは神戸生まれ、鳥取大学医学部生命科学科を中退し、東西屋ちんどん通信社に入門。アコーディオン流しを経て芸人に。
東京電力福島第一原子力発電所事故(東日本 大震災)後、随時行われている東京電力の記者会見、様々な省庁、地方自治体の会見、議会・検討会・学会・シンポジウムを取材。また現地にも頻繁に足を運び取材し、その模様を様々な媒体で公開している。
第22回平和・協同ジャーナリスト基金 奨励賞を受賞。
 「DAYS JAPAN」の編集委員だよ。
 東電の記者会見におけるマコの毅然とした態度での取材は、ネットで結構見ている。
 社会問題に対して発言し、行動する芸人さんとして、今後も期待したい。
 落語協会には今年6月に正式会員として入会したばかりなので、プロフィールにはまだ反映していないようだが、同じ日に正式会員となったジキジキとこの二人の夫婦の音曲漫才、落語芸術協会と比べて色物全体では見劣りする落語協会にとって、貴重な戦力となるだろう。

金原亭世之介 漫談 (9分)
 定番の漫談。少し押している状況で、披露目の短い出番としては、やむを得ないかな。
 I Live In 東京.の過去形が、I Live In 江戸.ってぇネタは、どこかで使おう^^

春風亭栄枝 『都々逸坊扇歌伝』 (15分)
 久しぶりだ。小さなネタをいくつかふってから、十八番へ。
 田舎の人が東京に出てきて、長命寺の桜餅を食べる時に、どうやって食べるのか聞いたら、皮をむいて食べるとのことで、隅田川の方を向いて食べた、というネタでも、会場からは笑いが起きる、実に良いお客さん達。ビートルズが来日した際に、林家三平がネタにしていた、オナラの温度は、ヘイ・ジュード、も結構受けたねぇ。
 「七つ、八つでいろはを覚え、はの字が抜けて、いろばかり」なんてぇのも、オツ。
 秋田藩佐竹公と扇歌との逸話なども楽しませ、しっかりとした高座。
 昭和13年生まれは、志ん朝と同じだ。79歳の元気な姿を見ることができたのも、雨のおかげだなぁ。

 二階から観ていて、一階の最前列の下手側の端の席が空いているのが分かったので、この後に急いで一階に移動した。

 なんとか、落語から漫談への高座切り替え中に座ることができた。
 最前列は、すべての寄席を含め、初体験かな。

昭和こいる 漫談 (8分)
 相方のいるが、自転車で転んで複雑骨折のため長期療養中。
 元気だ、とのことだが、少し休養期間が長いのが、気になる。
 師匠てんや・わんやのことや、森昌子ショーでの逸話などで楽しませてくれたが、やはり二人の漫才が、早く見たい。

春風亭柳朝 『紙入れ』 (11分)
 若手から中堅、という表現に近づいている印象。この人の醸し出す、清潔感というか品の良さは、二ツ目あたりの見本になるだろう。
 その生真面目さは、毎日更新されるブログを見ても、分かる。
 とはいえ、芸の幅もあって、この噺での女性の描き方にしても、艶っぽさもほどほどで悪くない。だんな、新吉も、しっかりと表情や仕草などで演じ分ける。
 人によっては、もう少しアクが欲しい、という思いを抱かせるかもしれないが、最近のアクの強すぎる若手を多数見ていると、まずは基本を大事に、丁寧な高座を心がけることの大切さを感じさせる噺家さんだ。
 もう少し年齢を重ねれば、自然と味わいが増すに違いない。一之輔とは違う持ち味で、一朝の総領弟子は、大きな看板となると私は思っている。

 
三遊亭円丈 『金さん銀さん』 (14分)
 母校の熱田高校のことや名古屋自虐ネタをいくつかふってから、本編へ。
 「あまり、おもしろくないです」と前置きしたが、会場大爆笑。
 新作落語の大御所の健在ぶりを確認できた。
 なぜか、講釈の台が設置されている状態での高座だったが、あれ、必要あったのかなぁ。
 
ロケット団 漫才 (13分)
 前半は、十八番の四字熟語ネタ。
 「疑心暗鬼」となるはずの設問で「加計学園」は、センスの良さを感じさせる。
 後半は、セキュリティ、エグザイル、アルギニンが、秋田では日常会話だ、という、これまた十八番ネタ。
 初めて聴くお客さんも多かったようで、大いに客席を沸かせた。
 
柳家甚語楼『猫と金魚』 (14分)
 このネタも持っていたのか、と少し驚いた。
 居残り会のお仲間であるI女史は、この人の大の贔屓だが、それも納得できる、しっかりした高座で、笑いも多い。
 平成18(2006)年三月真打昇進の同期に、三三、左龍がいるが、それぞれ個性の違う三人は、きっと良きライバルなのだろう。
 まだ、行ったことはないが、同期との二人会や、一年先輩の白酒との二人会も、芸を磨くための良い機会となっていると思う。そのうち、それらの会にも足を運びたい。
 この高座でただ一つの疑問に思ったのは、トリの志ん五のネタとツクのは、志ん五のネタを知らなかったからだろうか、ということ。

三遊亭吉窓 『大安売り』 (13分)
 協会理事で、後の口上でも司会役を担っていたが、この人の高座、私は相性が悪い。
 円窓の総領弟子なのだが、後継者としては、萬窓の方がずっと相応しいと私は思っている。
 
鏡味仙三郎社中 太神楽 (14分)
 三人で登場。近くの二列目と三列目に座っていた、初めて寄席に来たと思しき五~六名のグループの方から、小さな歓声が続いていた。初めて、それも高座近くで太神楽を見た時は、私もそうだったなぁ。
 寄席の吉右衛門は、健在だった。
 それにしても、浅草演芸ホールのプログラムでは、「曲芸」となっているのが、いつも気になる。太神楽にしましょうよ。

 感心しきりのグループが、ここで退場。飲み会の前の時間潰しであったような、そんな、会話。
 さすがに最前列で端っこは、首がくたびれるので、空いた二列目のやや中央寄りの席に移動。
 
桂文楽 『替り目』 (11分)
 途中でサゲたが、寄席らしい楽しい高座は、悪くなかった。
 「ペ・ヤング」の小益も、志ん朝、栄枝と同じ昭和13年生まれの、傘寿なんだなぁ。しかし、この後には、米寿の方が登場。

三遊亭金馬 『表彰状』 (17分)
 仲入りは、大御所。
 見台は用意されていたが、板付きではなく、自ら歩いて登場。
 このネタは、初めて聴く。
 泥棒の兄貴分と弟分の会話が中心。二人で泥棒に入ったが見つかってしまい、弟分が走って逃げる途中に、お婆さんを突き飛ばした。しかし、その結果、車でお婆さんがはねられるのを助けたので、警察に表彰される、というのが、発端。その後、表彰されて新聞などに顔がばれたら困るから、悪いことやって表彰を取消しにしてもらおうとするが、何をやっても裏目(逆裏目?)に出て良い行いになり表彰されることになる、という筋書き。
 後で、ネタをを調べたら、昭和38(1963)年に、「創作落語会」として芸術祭に参加し、奨励賞を受賞している中の一席だった。
 Wikipedia「創作落語会」から、引用する。
Wikipedia「創作落語会」
1963年11月30日の第14回創作落語会公演は、団体として以下のプログラムで芸術祭に参加した。

「表彰状」(作:大野桂)演:三遊亭小金馬
「遺言」(作:正岡容)演:三遊亭歌奴
「賢明な女性たち」(作:星新一)演:桂米丸
「一文笛」(作:中川清)演:3代目桂米朝
「義理固い男」(作:玉川一郎)演:春風亭柳昇
「時の氏神」(作:粕谷泰三)演:三遊亭圓右
「笑の表情」(作:はかま満緒)演:林家三平
特別出演:5代目古今亭志ん生
(中川清は米朝の本名である)
その結果、昭和38年度(第18回)の芸術祭奨励賞を受賞することとなった。
 米朝の『一文笛』や、三平のために、はかま満緒さんが作ったネタも含んでいる。
 トリの志ん五のネタを知って、古典ではなくこの噺を選んだのであれば、さすが金馬、と思わせるじゃないか。
 それにしても、この創作落語会の作者の顔ぶれが豪華だ。
 山田洋次が五代目小さんのために落語を創作してから、しばらく経つ。作家や脚本家が落語を創作して芸達者が演じる会、今でもおもしろい試みになるのではなかろうか。

 さて、仲入りで、外の喫煙コーナーで一服。
 雨は、まだ止まない。

二代目古今亭志ん五真打昇進襲名披露興行 口上 (17分)
 幕が上がり、下手から、司会役の吉窓、続いて権太楼、志ん五、志ん橋、金馬、馬風の六人。
 後ろ幕は、東松山のやきとり、「ひびき」の寄贈。
 権太楼は、先代志ん五とは、同時期に前座修業をしていたと話す。
 実際は、昭和41年9月に志ん五が志ん朝に入門、権太楼は昭和45年4月につばめに入門、志ん五は翌昭和46年11月に二ツ目になっているので、前座で一緒だった時期は、一年余り。その一年ほどの共有体験の印象が、きっと強いのだろう。
 二人は、昭和57年9月に権太楼、同11月に志ん五が真打昇進している。
 権太楼は、二代目志ん五は、その可愛さ(?)のためいろんな女性の魔の手が待ち受けているだろう、それは、昔の私と同じ、で笑わせた。
 金馬は、実に真面目な口上を披露。馬風は、いつものノリで笑いを誘う。
 二人目の師匠である志ん橋は、「新作もたくさん作ったようだが、ほとんどが駄作」と会場を笑わせてから、「ようやく二つ三つは、マシになった」と語っていたが、この日にその新作を演ることを知っての言葉だったのだろうなぁ。
 馬風の音頭による三本締めでお開き。

 いったん閉じた幕が上がった。
 後ろ幕は、立正大学校友会、立正大学同窓生有志、であい寄席実行委員会の合同。

にゃん子・金魚 漫才 (7分)
 金魚の頭の飾り(?)は、志ん五からのもらい物を材料にしたので、費用ゼロとのこと。
 十八番ネタで、会場は大爆笑。

古今亭志ん橋 『からぬけ』 (10分)
 古今亭で入門後最初に稽古をしてもらう前座噺を披露。
 披露目に相応しいと思う。

柳家権太楼 『代書屋』 (12分)
 白夜を見にアイスランドにまで行った、というお得意のマクラなどから、予想もしなかった(私だけ?)十八番ネタに。
 学歴はー>小学校ー>どこの学校ー>森友学園、でサゲたが、場内この日一番の笑いが渦巻いた。さすが。

鈴々舎馬風 漫談 (6分)
 談志、三平、毒蝮などが登場する十八番ネタを軽く。権太楼がつくった会場の空気を維持して、さすがの話芸。

林家楽一 紙切り (12分)
 膝替りはこの人。ご挨拶代わりに「土俵入り」の後、リクエストで「新郎・新婦」「志ん五」「屋形船」。紙切りの技術は、相当上がっていると思う。話芸も、あの独特の間が、板についてきたようだ。この人、結構、凄いかもしれない。

古今亭志ん五 『出目金』 (19分 *~16:30)
 オレンジの派手な羽織で登場。実は、この衣装もネタの重要な演出の一つであったことが、後で判明。
 遠隔地の落語会に行くには、格安航空会社をもっぱら利用するが、と最近乗った某航空会社での経験を、楽しく聞かせた。その行き先の徳之島の落語会のことでも、大いに笑わせてくれた。
 この人、こんなにマクラが良かったっけ、と再認識。話の間が、実に結構なのだ。
 本編は、昨年公開の映画「の・ようなもの のようなもの」のために志ん五が作った新作だったことを、帰宅後に調べて知った。
 残念ながら、あの映画は観ていない。松山ケンイチが、どう演じたのか、興味があるなぁ。そのうち、CSで放送されるのを、待とう。
 筋書きは、こんな感じだ。
 父親が、金魚すくいで出目金をすくってきた。しかし、男の子は、「ちっとも目が出ていない」と拗ねる。それを聞いた出目金が、排水溝を経由して墨田川に逃げて、あちこち修業の旅に出る、という筋書き。
 川で泳ぐ出目金が、オレンジの羽織をばたつかせる姿が、なんとも可笑しい。
 その川には、魚を相手にした寿司屋がある。主人の魚が何かは、不明としている。その寿司屋の主人の羽織のバタつかせ方、伝法な物言いが、なんとも滑稽で、会場が沸く。その寿司屋でメダカの握りなんぞを、出目金は注文するのである。
 その後、出目金は草津温泉に行きついた。志ん五は、湯もみの仕草をして「草津節」を唄い出し、「さぁ、皆さんもご一緒に」で、結構なお客さんが唱和^^
 「初めて、一緒に歌ってもらったなぁ。これも披露目のおかげだなぁ」と出目金に言わせて、ここでも会場から笑いが起こる。
 北極で皇帝ペンギンに食べられそうになった後に、浅草の大道芸人に呑みこまれてしまった。
 逃げた出目金を探し回っていた父親が、倒れているその男の腹を叩いたら、出目金が戻った。ここでのクスグリ、「富士そば、食べたな」が、あまりにも可笑しい。
 父親が出目金に「逃げて、どこへ行っていた?」に、出目金が「ほうぼう(あちこち?)で修業をしてまいりましたが、○○○○○○○○○!」でサゲ。
  サゲの言葉は、想像のほどを^^
  最初に、子どもがどんなことを言ったか、がサゲにつながっているのだ。

 筋書きにやや無理はあるが、SF的な要素、すなわち、落語的な要素もあるし、とにかく、出目金や寿司屋を描く姿が、頗る可笑しく、擬人化によるネタとしては、三年ほど前に同じ浅草で聴いた、喬太郎の『任侠流山動物園』にも似た味わいがある。
 トリにしては短い時間での高座だったが、マクラの良さ、その仕草を含めた自作ネタの秀逸さを含め、今年のマイベスト十席候補に値すると思う。
 この人、やはり、並みじゃない。


 夜の部の主任、志ん輔には申し訳なく思いながらも、小雨の中を帰路についた。
 良い披露目だった。
 浅草まで来て良かったなぁ、と思いながらの帰路は、ついうとうとと寝てしまった。
 そして、自分が出目金になっている夢を・・・見たわけではない。
 
[PR]
by kogotokoubei | 2017-10-16 18:27 | 落語会 | Comments(12)
 今年のNHK新人落語大賞の出場者などが、NHKのサイトに掲載されていた。

NHKサイトの該当ページ

 23日(月)に大阪で開催だが、放送日はまだ決まっていないようだ。

 出場者の五人は、次の通り。
桂 三度、古今亭 志ん吉、三遊亭 歌太郎、笑福亭 喬介、立川 こはる(五十音順)

 東京三人、上方二人は、いつもと同じ。

 予選参加者がそれぞれ何人いたのかは、まったく分からない。

 何度も書いてきて、自分自身で飽きがきているが、予選を公開して欲しいものだ。

 三度以外は、生の高座を聴いている。

 落語と漫才を分けて現在のような形式で表彰し始めてからの大賞受賞者は、次の通り。
-------------------------------------------------------------
        西             東
1994年                桂平治(→桂文治)
1995年                柳家三太楼(→三遊亭遊雀)
1996年                古今亭志ん次(→志ん馬)
1997年  桂宗助
1998年                柳家喬太郎
1999年  桂都んぼ(→米紫)
2000年                林家彦いち
2001年  桂三若
2002年                古今亭菊之丞
2003年                古今亭菊朗(菊志ん)
2004年  桂かい枝
2005年                立川志ら乃
2006年  笑福亭風喬
2007年  桂よね吉
2008年                三遊亭王楽
2009年                古今亭菊六(→文菊)
2010年                春風亭一之輔
2011年  桂まん我
2012年                桂宮治
2013年                鈴々舎馬るこ
2014年                春風亭朝也(→三朝)
2015年  桂佐ん吉
2016年  桂雀太
-------------------------------------------------------------
 
 地の利で考えると上方有利なのだが、昨年、一昨年と上方の噺家が大賞受賞。
 
 どうも、今年は東に軍配が上がるような気がしている。

 私の予想、あるいは、希望かな^^

◎(本命) 古今亭志ん吉
 今年横浜にぎわい座で聴いた『明烏』が、実に良かった。
2017年2月27日のブログ

 また、昨年の「さがみはら若手落語家選手権」本選の『片棒』に、私は一票を投じた。
2016年3月14日のブログ

 上方の観客には地味に映るかもしれないが、この人が実力通りの高座を披露
 したら、優勝の可能性は高いと思う。と言っても、審査員次第だなぁ。

○(対抗) 立川こはる
 東京の女流では実力ナンバーワンと、私は思っている。
 彼女の江戸っ子の啖呵が生きるネタで、ぜひ勝負して欲しい。
 最近はあまり聴いいていないが、大門で開催されていた「かもめ亭」の
 頃から、実力はもっとアップしているはず。
 立川流から志ら乃以来、かつ女流初の優勝も夢ではない。

▲(穴) 笑福亭喬介
 上方では珍しく、端正で大人しい高座とも言えるが、その実力はかなり高い。
 もし優勝したら、師匠が七代目松喬の名跡を継いだお祝いになるね。


 歌太郎の明るい高座も嫌いではないが、やや線が細いかな。

 三度は、なぜこの人が何度も本選に出ることができるかが疑問。
 他にも上方には若手の実力者は多いはず。

 私が期待していた、柳亭小痴楽や入船亭小辰などは予選に出たのかどうか。

 昨年も記事に書いたように、一昨年同様、審査員の採点については大いに疑問を感じた。
2016年10月31日のブログ

 背中に東や西や一門、協会の看板がはっきり見える審査員や、その落語審美眼に疑問のある人の審査に、今年も閉口してしまうのだろうか。

 出場者も気になるが、審査員の顔ぶれにも危惧を抱く、そんなイベントになってきた。

[PR]
by kogotokoubei | 2017-10-13 12:18 | テレビの落語 | Comments(4)

桂春団治と吉本せい(3)

 このシリーズ三回目。

 少し復習と補足。

 春団治は、先妻と別れ、彼の後ろ盾になった岩井志うと一緒になるが、志うは大阪道修町の薬問屋の岩井松商店の後家だ。
 ちなみに、奈良出身の志うは、岩井松商店の女中だったのだが、主人の岩井松之助が前妻を失った後に後妻となっていた。

 志うが岩井家の蓄財を湯水のように使うので岩井家は絶縁を迫り、手切れ金を支払った。その金額は諸説あるが、もっとも少ない六万円としても、現在の貨幣価値で四千万ほどになる。

 その金を元に、浪花亭という席を本拠として春団治は自分の一派を立ち上げたものの、春団治も志うも、とにかく締まりのない夫婦で、上がりで連日のようにドンチャン騒ぎ。そのあげくに浪花亭を失い、旅興行に出るが金を貯めるどころではなく連夜の宴会で、元手となった手切れ金は三年ほどで使い尽くしたと言われる。
 
 吉本せいは、そうなることを見越して、月給七百円と借金の肩代わりをして、大看板の春団治を吉本興行部の専属にした。

 この七百円は、当時のサラリーマンの月給が四十円から五十円、千円あれば家が建つと言われる時代だったので、破格だ。

 しかし、春団治夫婦の金遣いの荒っぽさは変わらず、財布の中身が少なくなったことも、あの事件につながっていたのは、間違いないだろう。


e0337777_07485883.jpg

富士正晴_桂春団治

 まず、富士正晴の『桂春団治』から、その事件の背景について。

 昭和も五年となってくると、ラジオの普及ははなはだしく、丁度、映画界がテレビに対して抱いたような恐怖を持つようになって来ていた。それで、落語家のラジオ出演を吉本興行を通じての許可制にして制限した。その制限に対してJOBKの方が面白くない感情を持つのも当然であった。その上、吉本興行部を通じて落語家をBKに出演させると、そのギャラを吉本興行部が受けとり、その何割かを落語家の前借の返済金として差し引き、残りを落語家に渡すというふうなやり方で、BK側の若いディレクターなどの目には不快に映ったことであろう。結局、吉本興行部のこの仲介が、何はともあれ、芸人側にとっても、JOBK側にとっても、感覚的にも実質的にも、はなはだ不都合に見えたのであろう。芸人側にとっては圧政に見えたし、また、出番表の横に「無断休席は容赦なく下記の如く給料より差し引くことを厳守いたします」といったきつく感じられる注意書きをそえるようであれば、ラジオ無断出演を禁止する文体も高圧的峻厳な文体であって、芸人に恐喝と共に反感の念も与えたと思われる。そこでBK側の反感と芸人側の反感との握手がこの春団治の無断出演であったと見てよく、そのやり口には幾分感情的なからかいの気分が見られる。

 吉本せいの、ラジオへの恐怖感は実に強いもので、その思いがラジオ出演への許可制となり、加えて、出演した場合でも、そのギャラを芸人の前借りへの返済に充てるという処置になったわけだ。
 
 そして、ついに、春団治の反抗(?)となる。

e0337777_15142351.jpg

山崎豊子著『花のれん』

 吉本せいに関わることを書くのなら、やはりこの『花のれん』を外すわけにはいかない。
 昭和33年上半期の直木賞受賞作である。

 吉本せいは、本書で多加と名を替えている。
 花月亭は、花菱亭である。
 ちなみに、姉と弟の三人きょうだい。

 春団治のラジオ出演による騒動の部分を引用する。

 多加が太夫元になり花菱亭に出演している芸人は、ラジオに出られない約束になっている。ラジオで寄席演芸を聞けるなら、わざわざ寄席まで足を運ばさず、家でお茶漬けでもかき込みながら聞く客が多くなる。そうなると誰よりも大阪、京都に十六軒の寄席(こや)を持ち、寄席一本でたっている自分が真っ先に参るというのが、多加の考え方であった。
 ガマ口が春団治のラジオ出演を知って、三津寺筋の多加の家へ駆け込んで来たのは、その日の四時過ぎであった。多加は大学の春休みで帰省している久男と向い合って夕食をしていたが、知らせを聞くなり、
「しもた!」
 男のような声で、手に持っていた箸を刃物のように食卓の上に突ったて、敷居際にたって息を切らしているガマ口に、
「あこぎなこと(むごいこと)しはるやないか!それほんまか」
 眼を血走らせて憤りながら、まだ半信半疑で、もう一度、ガマ口に念を押した。
「今、人に聞いたとこだす、間違いおまへん」
「ラジオなんかで落語(はなし)されたら、花菱亭(うち)が一番こたえるのや、あんなお客の顔を伺えんようなところで、ろくな芸が出けるもんか、春団治はんは、みすみす、花菱亭との一礼を破りはったわけやな」
 多加はこれからの寄席(こや)の入りを考えると、体が細って行きそうだった。
「お母はん、そやけど、ラジオの落語もなかなかいけるで、そない血相変えんときいな」
 紺絣の着物を着た久男が、上目遣いの気弱な笑い顔で、多加のいきりたった気を柔らげるように云った。
「あんたは何も知らんのや、黙っていなはれ、寄席商ひはそんななまやさしいもんやあらへん」

 ガマ口は、吉本吉兵衛(本書では河島吉三郎)が贔屓にし、また遊び相手にしていた剣舞士で、吉兵衛とせい夫婦が寄席商売を始める際に、何かと奔走してくれて、開場後は番頭役となった男。久男は、吉三郎と多加の長男。

 主人公や家族の名は替えているが、芸人の名は、そのままになっている。

 さて、この後、多加とガマ口は春団治の家に乗り込んだ。
 そこで、ガマ口が、活躍(?)する。

「夜分に御無礼さんでござります」
 くそ丁寧なあ挨拶をした。
「なんや、お前、ぬうっと入って来て、まるで居坐り強盗やないか。それにしては修繕のきかんガマ口みない何時見ても面白い面さらしとるな、これでは威しも利きまへんわい。ヒヒ・・・・・・」
 春団治は、黄八丈の丹前の膝に酒をこぼしてせせら笑い、銚子を持った手を宙に浮かせている女房に、酌を促した。ガマ口は、その間に割って入り、女房の手から銚子を奪い取り、火鉢に際へ膝を寄せて、春団治の盃に一杯、お酌をした。
「師匠、夜分、居坐り強盗みたいに参上致しましたのは、今日、師匠が出はったラジオ出演のことだす、あれは、ちゃんと一本、約束が入ってるやおまへんか、これでは約束を反故にして、花菱亭の首絞めはったのと同じや、師匠が、そんな気でいてはるなら、花菱亭(こっち)も、その気で勘定さして貰いまっさ」
 と云うなり、皮の手提げ袋の止め金をはずし、中から白い紙片を出したかと思うと、紫色の長い舌で唾をつけ、眼の前の長火鉢の上でペタリと貼り付けた。幅八分、縦一寸五分位の長方形の和紙に、花菱亭と墨で記した上から、印肉の判を捺している封印であった。
「ガマ口はん、一体、これなんやねん」
「へへ・・・・・・、高利貸しやおまへんけど、貸金と損害賠償の抵当(かた)に、家財道具を差押えさして貰う次第でおますわ」
「そんなえげつない!御寮人(ごりょん)さん、何とかー」
 春団治は、一言も口をきかないでいる多加の方へ向いた。多加は無表情な顔で、春団治の眼をじろっと一瞥しただけで、答えなかった。
 (中 略)
「御寮人さん、これで家財道具一切、差押えだす、あとは三度のご飯を食べる鍋、釜と茶碗だけということですわ、宜しおますか」
 ガマ口が帳面を多加に示すようにして、尋ねた。
「ご苦労さん」
 と頷きながら、多加はいきなり、つかつかと長火鉢の傍まで近付いた。多加の白い手が大きく伸びたかと思うと、寝そべりかけている春団治の口の上へ、ピタリと封印紙を貼りつけた。春団治は跳ね起きざまに自分の口に手を当てた。
「殺生な!口まで差押えせんかて借金は返したるで」
 封印紙が下唇だけはずれて、春団治の上唇の上でヒラヒラした。
「師匠、わては借金の一寸の証文が三寸になるより、ラジオが一番こわい、家財道具より師匠の口を、差押えさして貰いまっさ」

 春団治のラジオ出演の後に、吉本せいが自ら春団治の家に乗り込んで差押えをした、というのは山崎豊子の脚色だ。
 実際には、ラジオ出演の翌日、吉本興業が訴えて財産差し押さえの仮執行が行われたが、家に乗り込んで家財道具に封印紙を貼ったのは、執行官である。
 そして、口に貼ったのは、春団治自身。差押えの紙を奪って、「もしもし、この口押えはらしまへんのか。これあったら何ぼでもしゃべりまっせ。」と自分の口へ貼り付けた一件は、次のように、写真付きで新聞に大きく取り扱われた。

e0337777_10593567.jpg

(Wikipedia「桂春団治」より)
Wikipedia「桂春団治」

 山崎豊子の吉本せいと番頭のガマ口が直接春団治の家に乗り込んで差押えをしたという脚色は、私は“あり”だと思う。
 許容できる脚色と、できないそれがあるが、“史伝”ではなく“小説”として、実によく出来ている。さすが、直木賞受賞作。

 舞台にもなったし、昭和34(1959)年に映画化されているが、主人公の河島多加役は淡島千景、ガマ口役が花菱アチャコ、吉三郎は森繁久弥が演じた。

 『花のれん』の多加には弟がいるものの、実際の林正之助のように、姉と一緒に吉本の経営に携わる役としては描かれていない。
 その点に関しては、私は脚色の行き過ぎだと感じているが、主役を中心にするためには、小説やドラマは、そういうオミット(省略)をすることが少なくない。

 NHKの『わろてんか』も、オミットだらけ。主人公には弟すら、いない。

 小説もドラマも、史実では重要な“脇役”を外す傾向があるが、その“脇役”も、見方によっては“主役”なのであるんだがなぁ。

 「わろてんか」の主人公が、女学校に通っているお嬢さんで、いいとこのボンと見合いする展開になっている今、私はこのドラマを見る気力を失いつつある。
 奉公に出ているのだよ、吉本せいは。

 繰り返しになるが、あのドラマは決して吉本せいの人生を語っていない。

 つい、朝ドラのことに脱線してしまったが、それは、あの番組の主人公が吉本せいであると勘違いする人が多いだろうから、あえてこのシリーズを書いたのでもある。

 それほど裕福とはいえなかった幼年期や、吉本の発展のためには、いわゆる裏社会との接点も必要であったこと、春団治などの芸人を縛り付けるため、雇用契約として労働者には酷な条件なども、吉本せいの姿を知る上で欠かせない要素なのである。

 史実は、そんなに「わろてんか」とは言えないことが多いのだよ。

 まだ、『花のれん』の方が、はるかにモデルの人生と相似している。
 また、この本は小説としても良く出来ているし、当時の大阪の庶民生活や、上方演芸界を知る上でも貴重な本だと思うので、別途記事を書くつもりだ。


[PR]
by kogotokoubei | 2017-10-10 12:54 | 落語家 | Comments(0)

桂春団治と吉本せい(2)

 さて、このシリーズの二回目。

e0337777_12133659.jpg

矢野誠一著『女興行師 吉本せい』(ちくま文庫)
 矢野誠一さんのこの本から、大正十年に、初めて南地花月の春団治が出演した時のことの、続き。

 その少し前、春団治が、ある寄席を本拠として自らの一門である浪花派を立ち上げたものの一年ほどしか続かず借金を残して旅興行に出たが、放蕩の結果、借金まみれで窮地に追い込まれていたことは、前回紹介した通り。

 吉本せいは、春団治がそうなることを読み切っており、まさに、その時期が到来したところで、吉本専属の話を持ちかけた。
 まず高額な月給を提示。
 そして、借金の肩代わりを申し出た。

 芸人への月給制は、当時は珍しいことだったが、吉本せいは、どうしても花月に出て欲しい芸人を、高い月給で勧誘した。
 たとえば、春団治の前に、三升家紋右衛門を月給五百円で専属にした。

 富士正晴の『桂春団治』では、吉本の月給七百円のことは書かれていたが、借金の肩代りのことは、あくまで空想するにとどまり、金額なども記されていなかった。
 矢野さんは、その肩代わりの金額を明らかにしている。
 しかし、富士正晴の作品の価値が下がることはない。
 矢野さんは、この本を書くための取材で、『桂春団治』を持ち歩いていた。また、矢野さんの本では、同書から数多く引用があり、まるで、二冊の本を楽しめて徳した感じがする。
 では、矢野さんの本から、引用。

 前貸金二万円、それに月給七百円、これが桂春団治が吉本興行部に身を投ずるにあたっての条件であった。三升家紋右衛門を二百円上まわる七百円という月給もさることながら、二万円の前貸金というには破天荒な金額であった。春団治が、浪花派でこしらえた借金の肩がわりだが、これだけの大金をいかに春団治といえどもおいそれと返金できるはずもなく、いわばこの二百円は春団治をしばりつけておくための身代金であった。
 桂春団治と、吉本せいのあいだをとりもった人物がいたとして、その人物が、
(栗岡百貫ではあるまいかという感じを持っている)
 と、富士正晴は『桂春団治』に書いている。「並々ならぬ業師」だといわれる栗岡百貫なる人物は、
(南に事務所兼住所をもち、若い者を数人ごろごろさせ、三百代言のようなことや、金融の世話のようなことに関係していて、後に出て来る吉本興行部の紅梅亭乗っ取りにも、裏でゆっくり工作したようにも見える一種の怪物)
 で、春団治の、
 (大口の借金が栗岡百貫の手を通じてなされており、それがかねがね、吉本に線が通じていたのではないかというふうに、これは空想だが、思われてならない)
 と、いうのである。
 富士正晴の「空想」は、空想として、かなりいい線をついているように思われる。

 私も、富士正晴の「空想」は、当たる確率が高いように思う。
 引用を続ける。

 びっくりするくらい短い期間に、吉本吉兵衛が沢山の寄席を手中にしていくには、かなり危ない橋も渡ったものに相違なく、その過程でうさんくさい人物や、いうところの怪物が介在してきたのは充分考えられることである。そうした人物との交際が、決してきらいではなかったように思われる吉本せいが、なんとしても手に入れたい桂春団治を引き抜くために、それを利用しなかったわけがない。だいいち、大阪の演藝界を席巻していた桂春団治という超大物が、いかに急激に勢力をのばしつつあったとはいえ、この世界ではまだかけ出しの吉本せい個人のちからで、どうにかなるというものではあるまい。まして春団治の目から見たら、そこらの小僧っ子にすぎなかった林正之助のはたらきなど、取るに足らないものであったと考えるほうが自然だろう。


 当時の“超大物”春団治と、新興勢力吉本の関係を考えると、やはり、何らかの仲介者の存在は疑いようがないだろう。

 そういう力も利用し、ついに春団治の看板を南地花月に掲げることができた吉本せい。
 その後のこと。

 春団治を得てからの吉本花月連の勢いは、まさに一気呵成であった。大正十一年(1922)八月には、ついに三友派の牙城法善寺裏の紅梅亭が傘下に身を投じ、大阪の寄席はほとんど花月一色にぬりつぶされたことは前章で記した。この年九月一日からの「花月連・三友派合同連名」というのが『大坂百年史』に載っていて、得意の演目なども記されているのだが、まさに壮観というほかにない。
 直営席亭、提携演藝場が、大阪十八、堺一、京都五、神戸一、三宮一、名古屋一、東京一の計二十八軒。連名にある落語家七十三名、色物十四名と二十組、ほかに東京交代連として八名の名があがっている。まさに吉本は大阪の演藝を支配したといっていい。この連名で見ると桂春団治は正式に「2代」と記してあり、得意の演目として『いらち車』と『金の大黒』が載っている。
 こうした一覧表を見てすぐ気がつくことだが、この時代の大阪の寄席演藝はまだまだ落語が主体であった。


 春団治を得、順風満帆だった、吉本せいと吉本興行部。

 しかし、この二人の間には、その後に有名な事件が起こる。

 最終回では、その件について書くつもり。

 
[PR]
by kogotokoubei | 2017-10-08 17:31 | 落語家 | Comments(0)

桂春団治と吉本せい(1)

 今日十月六日は、初代(正確には二代目)桂春団治の祥月命日。
 明治十一年八月四日生まれで、昭和九年十月六日に旅立った。享年五十七歳。

 「わろてんか」のチェックポイント、という題で矢野誠一さんの『女興行師 吉本せい』を元に記事を書いたが、吉本せい、あるいは吉本興業にとって、春団治は実に重要な芸人さんだった。

 命日を機に(?)、春団治と吉本せいに関し、少し振り返ってみたい。
 
e0337777_07485883.jpg

富士正晴_桂春団治

 矢野さんも、あの本の中で、富士正晴の『桂春団治』から何度も引用している。
 その引用は、本文のみならず、貴重な上方落語界の史料である「桂春団治を書くために出来上った上方落語年表」も多い。

 その年表の大正十年の部分から、まず、引用したい。

吉本派(南地花月亭ヲハジメトシテ二十ノ席)
 春団治の出演歴で、吉本の名が出る最初である。

 その前後のことを、富士正晴はこう書いている。

 『落語系図』174頁に「大正十年九月十一日浪花三友派出番表の写し」というのがある。克明に見ると、三代目円馬の前名の川柳があり、また大正十年には二代目小春団治となっている筈の子遊の名がある。円馬の川柳時代は大正五年(月不詳)より、大正七年五月までなので、これは大正十年ではなく、大正五、六年の浪花三友派の出番表とわかるが、そこに挙げられている浪花三友派の席は紅梅亭、瓢亭、延命館、あやめ館、松島文芸館、堺寿館、京都芦辺館の七つである。これが浪花三友派の勢力範囲なのだろう。
 これを吉本興行部は次々に食っていった。先ず真打連を浪花三友派よりもぎとっていき、大正十年には春団治一門も加わっている。春団治は月給七百円という約束で、吉本の花月連というのに加わったというが、その他にそれまでの借金を吉本に肩がわりしてもらったのであるまいか。大口の借金が栗岡百貫の手を通じてなされており、それがかねがね、吉本に線が通じていたのではないかというふうに、これは空想だが、思われてならない。
 
 富士正晴の空想は、まさに事実だったということだろう。

 春団治を獲得するための高い月給も借金の肩がわりも、吉本せいの計らいである。
 
 せいは、とにかく春団治が欲しかった。
 そのチャンスをじっと待っていた。

e0337777_12133659.jpg

矢野誠一著『女興行師 吉本せい』(ちくま文庫)

 その当時、吉本せいの春団治攻略までのことを、矢野さんの本から引用したい。

 春団治は、贔屓の後家、岩井志う(じゅう)の資金によって、元第一文芸館であった内本町演芸場を借り浪花亭と名づけて、自らの一派を立ち上げたのだが、毎夜のごとくのドンチャン騒ぎなどの浪費により、浪花亭は一年ともたなかった。

 本拠地を失った春団治の一行は旅に出た。二十数人の一座で、中国筋から九州にかけて約一年の巡業である。春団治の名前で、充分商売になったはずだが、なにせ湯水の如くに金を使うことを覚えた座長の一行である。行く先々で派手な遊びをくりかえし、結局莫大な借金だけが残った。
 こうして桂春団治が無一文になるのを、吉本せいはじっと待っていた。金のあるうちは、どんな大金をつんでみたところで、天下の春団治、それほど有難がるわけじゃない。春団治という大きな看板だけが残って、しかも無一文、のどから手が出るほど金がほしい・・・・・・そういう状態になる日がいずれきっと来る、とふんだせいは、いささか無分別にすぎた春団治の浪花派の旗あげを、醒めた目で見つめていたのである。
 大正十年(1921)初席、桂春団治の看板が、南地花月の木戸口の上にかかげられた。木戸銭は、なんと一円である。十銭の木戸銭で出発したのがわずか三年前であったことが、せいには信じられないような気分であった。それよりなにより、「花月派 桂春団治」と、大阪を代表する落語家を自分の傘下におさめた事実が、大阪の落語そのものを手にいれたような気がして、満足であった。それは、何軒もの寄席を手にいれたことより、もっともっと大きな意味があるように思われた。

 ついに、吉本せいは、春団治という大看板を手に入れる。

 春団治と吉本せいについては、もう少し書きたいので、これにて前篇の、惜しい切れ場^^

[PR]
by kogotokoubei | 2017-10-06 22:40 | 落語家 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛