噺の話

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 午前中は、毎年この時期恒例(?)の人間ドックを予約していたので、一日休みをとって、午後から小里んが主演の末広亭の昼の部へ。

 今回は、居続けはできない。
 
 入場した際は、夢葉の手品の途中。
 なんと、平日とはいえ椅子席は九割ほど埋まっていた。
 仲入り時点では、椅子席はほぼ埋まった。

 壁に貼ってあった出演一覧を見ると、開口一番の後の二ツ目以外は代演がない。
 実に珍しいのではなかろうか。

 夢葉の後に、まだ、数名しかいない好みの下手の桟敷、前寄りに落ち着くことができた。

 登場順に感想などを記したい。

柳家海舟『金明竹』 (11分 *12:25~)
 初めて聴く。二年前に真打昇進した主任の小里んのお弟子さんだが、なんと、私よりたった二歳下で今年還暦。入門が四十二歳だからねぇ。
 年齢よりは若く見えるが、語り口は相応に渋い^^
 松公の地で状況を簡単に説明し、奇妙な関西弁を話す男が登場。
 サゲにつながるキーワードを印象付けようということなのかもしれないが、「木ィが違うとります」を繰り返すのは、いただけない。
 これが師匠の型とは思えない。短い時間で演じるための工夫かもしれないが、初めて聴く人にもサゲを悟られるような演出は良くないなぁ。
 自分の年齢を武器にできるだけの古風な良い雰囲気を持っている人なので、本来噺が持つ味わい、可笑しみで演じて欲しい。

柳家喬之助『つる』 (15分)
 マクラからの丁寧さはいつもの通りなのだが、そろそろ若手から中堅の域にかかる時期、噺にもう少し深さというか、重さのようなものが欲しい。
 明るく元気な高座は好感が持てるが、師匠さん喬、兄弟子喬太郎から、もっと盗めるものがあるはずではなかろうか。

ホンキートンク 漫才 (8分)
 何度聞いても、ことわざの現代風言い換えが可笑しい。
 「海老で鯛を釣る」→「エビはタイから輸入する」は、今度使わせていただこう^^

宝井琴調 講談『赤垣源蔵 徳利の別れ』 (17分)
 初である。落語協会に三名しかいない講談の一人。
 見た目も、髪をオールバックにし、さも講談師然としている。
 討ち入りを前にし別れに寄った兄の家。留守の兄の代わりに羽織を相手に酒を酌み交わす源蔵が、討ち入り後に、下男の市助に見せた爽快さ、そして気配りが(日本人なら)泣けてくるのだ。まさに、「講釈師、見てきたような嘘」が結構だった。
 源蔵のモデルである赤埴重賢(あかばね しげかた)は、実は下戸であったらしい。また、兄はなく、討ち入りの前に妹の嫁ぎ先に行って、妹の舅から仇討ちをしないことで罵られた、と言われている。
 あくまで、歌舞伎も講談も、「忠臣蔵」は“お芝居”であり創作であるが、そこに聴く者の胸を打つものがあれば、それが芸というものだろう。
 
三遊亭吉窓『狸の札』 (13分)
 どうも、この人とは相性が悪い。この高座も、駆け出しの真打クラス、という印象。

柳家小菊 粋曲 (11分)
 「お酒ひと樽 千両しようとままよ 主の寝酒は絶やさせぬ」なんて、我が家の同居人に聞かせたいぞ。
 都々逸の新内のアンコ入りや、さのさも挟んで、この時間。
 「水攻め火攻めは厭わねど 油攻めとはーあぁ~情けなや」と豆腐が嘆くのは初めて聞いたような気がするが、忘れただけかもしれない。「親たちゃ在所で豆でいる」とは、目出度い目出度い。
 両協会を含め、三味線の技術、歌、見た目を含む総合力でトップであることを再認識。

柳家はん治『妻の旅行』 (16分)
 当代文枝作シリーズの一つだが、初めて聴いた。
 定年を迎え、女房が沖縄旅行に出かけ、犬と一緒に留守番の亭主が、息子に向かって嘆く女房と二人暮らしの悲哀(?)が、なんとも説得力があることか。
 オリジナルのサゲまではいかなかったが、小さなテレビで野球を楽しんでいる時に、三時間のサスペンスドラマを観ている女房から「こっちを見て」と声がかけられ、「この人が犯人よ」とか、橋から何者かに突き落とされた人物の姿に「あれ、人形よ」と話す女房に辟易する様子が、実に可笑しい。
 やはり、文枝の作品は、この人が演じる方が、ずっと面白い。

林家種平『ぼやき酒屋』 (14分)
 あら、はん治の十八番を、この人も演るんだ。
 同じ寄席の席で文枝の新作を二つも聴くのは初めてだなぁ。
 独自のオヤジギャグ風クスグリ満載。
 「モズク酢 レーニン主義」「漬け物 名を名乗れ」など。
 この人では以前に『お忘れ物承り所』を二度聴いているだけなので、古典はまだ一度も出合っていないことになる。
 前座時代に、立川談四楼、らぶ平、柳家権太楼(当時ほたる)の四人で「少女ふれんど」というバンドを結成しレコード(CDじゃない^^)を出している。
 芸風からは、こういう噺の方が合っているのだどろうが、古典滑稽噺も聴いてみたいものだ。結構、悪くないと思うのだがなぁ。

林家正楽 紙切り (13分)
 ご挨拶代わりの「相合傘」の後、お客さんの注文に応じたが、「雪の穴に落ちたシロクマ」というお題を出したお客さんは、本当は、ただの紙一枚を希望したのだろうか^^

柳家小満ん『素人鰻』 (16分)
 仲入りはこの人。神田川の金が酔って飛び出すところまでの短縮版で下がったが、もう少し聴きたかったなぁ。
 幕末のことに関するマクラで、ペリー艦隊を脅かそうと、台場に寺から集めた釣鐘を大砲の代わりに並べたという逸話で「唐人に釣鐘・・・本当は提灯に釣鐘ですが」と元ネタを説明しなければならないもどかしさが表情からうかがえた。来週関内で開催される独演会(小満んの会)などでは、説明のいらないクスグリだろうが、寄席のお客さんの反応を見ての種明かしだったのだろう。
 「提灯に釣鐘」は、つり合いがとれないという意味だが、ホンキートンクなら、どう現代風に言い換えるかな、なんて思いながら聴いていた。

林家木久蔵『やかんなめ』 (14分)
 クイツキは、この人。マクラでこの名前を襲名して十年、と言っていたが、そうか、早いものだ。ということは、この九月で真打昇進からも十年、ということだ。
 高座は、それだけのキャリアなら、まぁ、当たり前という印象。親の七光りを隠すこともなく、天然キャラで売ってきたが、今後の十年が、本当の勝負だろう。

ロケット団 漫才 (12分)
 上手側、ツッコミ役の倉本剛が入院していたことを知っているお客さんから「治ったのぉ?」と声がかかり「治ったよう!」と返した。
 胃に三つ穴が開いて、先月五日間ほど入院していたらしい。
 ボケ役の三浦は去年膝の手術で入院したようだ。 
 ともかく、二人元気になり、メデタシ。
 テレビではできない危ないネタで会場を沸かすこのコンビ、好きだなぁ。
 「大麻・コカイン・タンジェント」なんてぇギャグも秀逸。
 最後は、三浦が出身地山形弁を使った十八番ネタで会場を沸かした。
 なお、倉本のブログ「ギョロ日記」は、結構マメに更新されていて、入院のことや、退院後の様子なども、細かく書かれている。入院中や節制中の相棒や同じ事務所のサンドウィッチマンからのイジメ(?)が結構楽しく、ついつい読んでしまった。
ロケット団倉本剛のブログ「ギョロ日記」

柳家小ゑん『すて奥』 (14分)
 動かない主婦を自由に扱うリモコンがあれば、五千円位なら買う、という話に、つい頷く。
 足立区の築85年、7.5坪の三角形の家に住む夫婦の会話による本人の新作。
 同世代なので、ふんだんに散りばめられるクスグリも素直に笑える。
 この人の新作は、おでんを擬人化した『ぐつぐつ』が他の噺家さんでも演じられていて有名だが、他にも数多くあるようだ。しかし、生で聴くのは実は二度目で、まだ、聴いたことのない噺ばかり。
 私より少し年上で今年九月で64歳になるとは思えないエネルギッシュな高座。新作でも古典でもいいので、もっと聴きたい人、のリストに加わった。

柳家小はん『馬のす』 (14分)
 三木助から小さん門下、という今年喜寿の噺家さんが、文楽が軽い出番で十八番としていたネタを披露。
 いいなぁ、この人。夫婦の会話の途中で、「隣の婆さんは丈夫だねぇ、死ぬのを忘れたんじゃないかねぇ」なんて科白も、何とも可笑しいのだ。
 馬の毛を抜くと「大変なことになる」という謎をふったまま、酒を二合じっくり飲みながら、枝豆を美味そうに食べる勝ちゃんの姿に、こっちも喉が鳴るのだ。
 池袋では、小のぶが出ているので、どちらへ行こうか迷ったのだが、この人や小のぶは、私のまだまだ聴きたい人リストの筆頭と言える。
 寄席の逸品賞候補として、色を付けておきたい。
 
翁家社中 太神楽 (10分)
 小楽と和助の二人。
 和助の、ハラハラさせる土瓶芸が見応えがあった。
 小花をしばらく見ないが、元気なのだろうか。

柳家小里ん『山崎屋』 (32分 *~16:39)
 吉原の花魁のことなど、この噺に今では不可欠な仕込みのマクラが約五分。
 その後、若旦那に妾を囲っていることがバレた番頭が、若旦那と花魁と一緒になるための狂言を創作し、その芝居をすることに若旦那が合点するまでが、約14分。ほぼ同じ時間で後半が演じられた。
 それぞれの場面をしっかり演じ、聞かせどころ、笑いのツボを外さないながら、実に品のある高座だ。
 かつては円生、そして正蔵が十八番とし、今でも多くの噺家がこのネタを演じるのは秀逸なサゲの魅力のみならず、談志が言う人間の「業」を描いているからだろう。
 初出は「文藝春秋」昭和49年11月号で、その後『真二つ』に収められ、作品社「日本の名随筆」の「落語」の巻の一篇にも選ばれているが、山田洋次は、“あっぱれな親不孝「山崎屋」”と題して、この噺のことを書いている。
 その骨子は、親には孝行しろ、夫婦は仲良くしなさいという健康な道徳意識に、時にはみ出してしまいたい、と思うのが人であって、「つまり、山崎屋の若旦那とその父親は、両方とも民衆の心の中に矛盾しながら生きて」いて、「人間の意識をそのようにとらえて物語にして見せるところに、落語というリアリズム芸術の近代性があるのだ」と山田洋次は言う。なるほど、合点だ。
 この噺では、どうしても五街道雲助の名高座を思い出すのだが、雲助が演じる山崎屋の大旦那は、さもケチであろう、という個性が見た目からも浮かび出ているような気がする。対して、小里んの大旦那は、見た目には気品があり、その吝嗇な性癖が見えにくい。
 だからこそ、その内面が表出する場面が、効果的でもある。
 番頭に言われ、鳶頭(かしら)の家に息子が落した(ということになっている)百両を拾ってくれた礼に山崎屋の大旦那が行くが、番頭の思惑通り、最初は十両の目録を鳶頭が返そうとするのだが、横から女房が「せっかく、大旦那ご本人がわざわざ持ってきてくれたんだから」と、ニンベンの切手と一緒にもらってしまう際の、大旦那の落胆ぶりに、そういった内面が現われていた。また、お茶を出しに来た花魁を見て、その美しさに驚き誰かと問えば、鳶頭の女房の妹とのこと。その際の「おかみさんとは・・・似てないねェ」の呟きにも、この人の本音の部分が窺えて、味がある。
 そういった民衆の代表たる(?)親子の姿を中心として、番頭や鳶頭、そして花魁を配して見事に描いた高座、今年のマイベスト十席候補としたい。


 久しぶりの寄席は、やはりいいねぇ。
 なかでも、小ゑん、小満ん、小はん、そして、小里ん・・・そうか、この席は小さん門下での、小(ショー)タイムだったか。


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by kogotokoubei | 2017-03-17 12:57 | 落語会 | Comments(8)
 石原慎太郎が、まったく男らしくない会見をしていたが、地元築地には、強い女将さんたちがたくさんいるというニュースを、日刊スポーツから引用。
日刊スポーツの該当記事

築地女将の会「築地を生殺しにしてるのは石原さん」
[2017年3月14日15時53分]

 築地市場で働くおかみ46人で構成される「築地女将の会」は14日、都内で会見を開き、豊洲市場移転計画の中止を求める誓願署名を東京都へ提出したことを発表した。

 553ある水産部・仲卸事業所のうち、393事業所(約71%)の署名が集まったという。「女将の会」会長の山口タイさん(74)は「半分集めるのが目標だった。『(移転には反対だが)きっちとした形でないと署名できない』という方もいたので、今後も増えると思う」と話し、「若者たちを不安な場所に行かせたくない、その一心です」と、あらためて移転反対の意思を示した。

 移転反対の理由は、主に「土壌汚染」が多く、他には「液状化対策の不足」「高額なランニングコスト」などの意見もあった。

 土壌汚染については、築地市場でも敷地内で基準値を上回る有害物質が検出されているが、「築地は300年以上も前に埋め立てられた。護岸のヒ素は自然由来」「一部にクリーニング屋があっただけで、築地は工場跡地ではない」「豊洲は全区域汚染地域に指定されている」と、築地と豊洲では汚染の程度、質が違うことが強調された。

 液状化対策については「豊洲は液状化対策で建築学会の基準を満たしていない。東日本大震災の後は、100カ所以上が液状化した。そんなところで生鮮市場は営業できない」。豊洲市場維持費については「ランニングコストが5~7倍かかる豊洲にはついていけない」などの声が上がった。

 また、川合水産を営む川合ミワ子さんは、今月3日の会見で石原慎太郎元東京都知事が「築地市場の人たちを生殺しにしたのは小池都知事」と発言したことを引き合いに、「築地の人たちを生殺しにしているのは、石原さんなんです」と発言した。

 ほかにも、「豊洲へ行ったら魚を買わないと言われた」「移転の話が出て、廃業した方もいた」など、おかみならではの話が多く飛び交った。

 「女将の会」は、水産仲卸だけでなく青果仲や関連事業者へも署名活動を広げていくといい、今後も東京都への提案を続けていく方針。

 いいねぇ、こういう女将さんたちがいれば、万が一旦那が豊洲移転によろめきそうになっても、その愚行を止めることができるだろう。

 ただし、問題は、豊洲じゃなければ、どうするのか、ということになるだろう。

 たぶん、女将さんたちの希望は、築地改築(改造?)ということだろう。

 もちろん、それも選択肢の一つ。

 しかし、個人的には、以前に八五郎とご隠居の会話で示したように、大田市場がもっとも現実的な移転先ではないかと、今のところ私は思っている。
2017年1月18日のブログ

 しかし、メディアでそういう代替策を提示しているところはないなぁ・・・・・・。

 それが、不思議でならない。

 築地の女将さん達の輪が広がって、築地改築案や移転先の代替案に関する議論が活発になることを期待するなぁ。
 豊洲移転派は、きっと環状二号線問題を持ち出すだろう。それだって、東京五輪の輸送問題について代替案があるはずだ。
 環状線について、感情的になってはだめなのだよ^^

 そもそも、国民や地元の方を無視して東京都や国が密室で決めてきたから、問題がどんどん拡大したのだ。

 公開の場で、地元の人の声を踏まえて考えることで、新たな解を探るべきだろう。
 古希を過ぎた「女将の会」の山口会長やメンバーの皆さんに大いに期待する。
 会長のお名前が「タイ」とは、築地らしいし縁起がいい!

 ぜひ、行政や政治の問題も、女将さん達が扱っている魚のように、見事にさばいてもらいたいものだ。

 
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by kogotokoubei | 2017-03-14 21:27 | 責任者出て来い! | Comments(2)
 今日三月十三日は、旧暦二月十六日、西行忌だ。

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矢野誠一_落語歳時記

 座右の書、矢野誠一さんの『落語歳時記』から引用する。
 旧暦二月二十六日、西行法師の忌日。建久元(1190)年のこの日、河内弘川寺に入寂した。「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」という歌は有名。釈尊入滅の日に死ぬことを願っていたのである。二十三歳出家してより諸国行脚して歌道にその名を知られた。家集『山家集』のほか、その歌を集めた『聞書集』『聞書残集』がある。

    *
 あの西行法師が未だ佐藤兵衛之丞則清といった北面の武士時代のエピソードを綴ったのが、地ばなしによる『西行』で、故柳亭痴楽や三遊亭円歌などがしばしば高座にかける。昔、摂津泉つまりいまの大阪近辺から千人の美女を選び、さらにそのなかの一人選び抜かれたという染園内侍に、佐藤兵衛之丞則清が恋をしたはなすだが、落語では、この恋に破れたため、かざりをおろし、名も西へ行くべき西行と改めることになっている。
 有名な歌は、如月の望月のころだから、二月十五日頃の花の咲く春の日に死にたいということ。釈尊入滅、つまり釈迦が亡くなった二月十五日に自分も死ぬつもりでいたわけだ。
 ほぼその通りに旅立つとは、描いた通りの人生のクロージングの姿ではないか。

 なお、佐藤則清の「のり」の表記は、以降で引用する本やサイトで「義」や「憲」も使われており、混在したまま引用するのでご容赦のほどを。

 西行が登場する噺として『鼓ケ滝』は何度か聞いているが、『西行』を聴いたことがない。
 
 あの「柳亭痴楽はいい男」の四代目痴楽が十八番とし、二代目円歌、そして当代円歌も持ちネタとしているようだ。

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矢野誠一 『新版 落語手帖』

 同じ矢野さんの本『落語手帖』から、『西行』の「あらすじ」をご紹介。

 北面の武士佐藤兵衛尉憲清は、染殿の内侍に思いをかけていたが、内侍から「この世にては遭わず、あの世にてもあわず、三世過ぎての後、天に花咲き、地に実り、人間絶えし後、西方阿弥陀の浄土にて我を待つべし。あなかしこ」と手紙がくる。則清は、これをいまから四日目、空に星が輝き、草木に露を含む頃、西の阿弥陀堂で待てとのことと解釈した。内侍がなかなか来ないので居眠りをしていると、内侍がやってきて「我ならば鶏鳴くまでも待つべきに思はねばこそまどろみけり」といって帰ろうとした。とび起きた憲清は「宵は待ち夜中はうらみ暁は夢にや見んとしばしまどろむ」と返歌した。内侍は機嫌をなおし、うちとけた。鶏鳴暁を告げる頃、「またの遭うせは」と憲清が聞くと「阿漕であろう」と袖を払われる。「伊勢の海阿漕ヶ浦に曳く網も度重なればあらはれにけり」の古歌を知らぬ則清は、武門を捨て剃髪、名を西行と改めて歌修行の旅に出る。伊勢の国で、馬方が「われのような阿漕なやつは・・・」と馬を叱るので、西行がその意味をたずねると、「あとの宿で豆食っときながら、まだ二宿も稼がねえのに豆を食いたがるだ」「ああ、してみると二度目のことが阿漕かしらん」

 なるほど、内容やサゲを考えると、今日では聴くことができなくなった理由が分かる。

 ネタ調べをする際にたびたびお世話になる「落語の舞台を歩く」には、前段の美女選びのことなども含む円歌の高座の概要が説明されている。

 同サイトから、「染殿の内侍(ないし)」について引用。
「落語の舞台を歩く」の該当ページ
染殿の内侍(そめどののないし);内侍=伊勢神宮に奉仕した皇女。天皇の名代として、天皇の即位ごとに未婚の内親王または女王から選ばれた。記紀伝承では崇神天皇の時代に始まるとされ、後醍醐天皇の時代に廃絶。また、斎宮に関する一切の事務をつかさどった役所の女官。町屋風に言うとお染さんというが改まって染殿と言った。


 次に、サゲにつながる「阿漕」を含む、内侍が謎をかけた古歌について「故事ことわざ辞典」で調べてみた。

「故事ことわざ辞典」サイトの該当ページ

阿漕が浦に引く網
【読み】 あこぎがうらにひくあみ
【意味】 阿漕が浦に引く網とは、人知れず行う隠し事も、たびたび行えば広く人に知れてしまうことのたとえ。
【阿漕が浦に引く網の解説】
【注釈】 「阿漕が浦」は三重県津市東部の海岸一帯で、昔は伊勢神宮に奉納する魚を取るために網を引いた場所。
特別の漁業区域で一般人の漁は許されていなかったが、阿漕の平治という漁師が病気の母親のために、たびたび密漁をしていて、ついには見つかり簀巻きにされたという伝説から。
「あこぎなまねをする」などと用いる、強欲であくどいさまをいう「あこぎ」も、この伝説から出た言葉。

 この伝説を知り、落語の『二十四孝』を思い浮かべてしまった。
 秦の王祥が、母親が寒中に鯉を食べたがったが貧乏で鯉を買う金がなく、氷の張った沼に出かけ、裸になり自分の体温で氷を割って鯉が飛び出した、という噺は美談。
 しかし、阿漕の平治の密漁は罪となり簀巻きか・・・・・・。


 「阿漕」という言葉ができた背景に、こんな伝説があったことを、初めて知った。

 そして、この噺、少しバレがかってもいて、それも現在では演じられにくい理由の一つか。

 しかし、知れば知るほど、この噺は奥が深いと思う。
 染殿の内侍と彼女が謎かけをした阿漕が浦の古歌という内容と、サゲ近くの馬方と西行のやりとりの落差は、実に興味深い。

 たしかに、今では演りにくい噺には違いないが、埋もれてしまうのは惜しい。
 地ばなしとして噺家さんそれぞれの現代風の工夫も活きるだろう。

 誰か、復活してくれないものだろうか。

 西行忌に、今は聴くことのない、味わい深い噺のことに思いが及んだ。

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by kogotokoubei | 2017-03-13 12:45 | 落語のネタ | Comments(4)
 一昨日、今秋師匠松喬の名を襲名する笑福亭三喬のラジオで聴いた高座について記事を書いた。

 あの一門での襲名ということでは、三喬の大師匠だった、“松鶴”という名にも思いが至る。

 上方で「六代目」と言えば、松鶴のこと。
 そして、七代目松鶴の名は、松葉が亡くなってから追贈されている。
 松葉については以前記事を書いた。
2011年9月22日のブログ

 しかし、もっと以前に、七代目松鶴襲名を周囲から期待されていた男がいる。

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笑福亭松枝著『ためいき坂 くちぶえ坂』(浪速社)

 笑福亭松枝の『ためいき坂 くちぶえ坂』は、拙ブログにいただいかコメントで知った本。1994年に初版が発行され、2011年6月に改訂版発行。

 以前この本に基づき書いたいくつかの記事には、今でもアクセスが少なくない。
 最初の記事は、2012年6月。ご興味のある方はご覧のほどを。
2012年6月18日のブログ
 
 この本は、序章で、松葉を七代目とすることを一門メンバーに仁鶴が告げる場面から始まる。

 副題にある通り「松鶴と弟子たちのドガチャガ」が何とも可笑しかったり、理不尽だったり、そして感動的であったりする。

 目次は次の通り。
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「増刷にあたり」
序章  凍てついた時間
第一章 ためいき坂、くちぶえ坂
第二章 「昭和ブルース」
第三章 粉浜村「虎の穴」
第四章 それぞれの彷徨
終章  溶け始めた時間
あとがき
<付録>松鶴一門の推移・一門系図
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 今回は、“幻の松鶴”と言われる、先代の枝鶴について、本書より紹介したい。
 五代目の枝鶴は、六代目の実子である。
 枝鶴という名跡は、いわば出世名であり、六代目も名乗っていたし、初代が四代目松鶴、二代目が五代目松鶴となっている。

 「第四章 それぞれの彷徨」より引用する。

「ノラやねん」

 「まさか」楽屋で居合わせた全員が、我が目我が耳を疑った。
 「またか」舌打ちしてうなだれた。
 昭和六十二年九月二十二日より二十八日迄、道頓堀・浪花座に於て松鶴の一周忌にちなむ追善興業(ママ)が行われた。米朝、春団治はもとより、東京から小さん、夢楽、志ん朝、談志、円蔵等を招き、香川登志緒、三田純市、新野新他の作家、漫才の大看板等の追想談義、そして昼夜二回都合十四回の興業のトリを、枝鶴、鶴光、福笑、松喬、呂鶴が故松鶴の十八番で括る、それは盛大な物になる筈であった。その初日に枝鶴が姿を現さない。二日目、三日目も。
 此の興業は松鶴の追善が名目ではあるが、実子・枝鶴が立派に筆頭弟子として「らくだ」他を演じ切り、内外に向けて将来に於ける彼の「七代目・松鶴」を認めさせる、大目的があった。
 なかなか豪華な追善興行(こっちの字だと思うんだけどなぁ)・・・になるはずだった。
 この松鶴の実子枝鶴、失踪の前科があったことがこの後の文で分かる。
 「ひょっとして、今度も又・・・・・・」疑い恐れては、
 「まさか、今度はいくら何でも・・・・・・」危惧を打ち消して来たのである。
 失踪劇は格好のマスコミ・ネタになった。程無く、ビートたけし夫人とのスキャンダルも発覚した。
 「“枝鶴”襲名の“資格”無し」
 「“枝鶴”(四角)四面楚歌」
 「“枝鶴”の“視覚”に“死角”有り」
 笑うに苦しむ見出しが、スポーツ紙の裏面を飾った。
 数日後姿を現し、関係者の口を借り「重責に耐えかね、ノイローゼ気味になり・・・・・・」と弁明し、「再度、復帰を」と願い出たが、松竹芸能は首を縦に振らなかった。当然であろう。“重責”の度、舞台を放棄されたのではたまったものでは無い。仏の顔も三度どころでは既に無かった。枝鶴は自ら、「父の後」を追う道を絶ってしまったのである。

 この逸話で、私はNHKの朝の連続ドラマ「ちりとてちん」を思い出す。
 渡瀬恒彦扮する三代目の徒然亭草若は、主人公の喜代美と出会う三年前の一門会の日、高座の直前に妻の余命を知って動揺し、天狗座での公演に穴を開けてしまた。そのため、天狗芸能会長の逆鱗に触れ、天狗芸能を追放されたのだった。

 あのドラマは、上方落語界における逸話などを散りばめていたように思うが、草若が一門会に穴を開けるという筋書きは、この枝鶴のことが下敷きになっていたと察する。
 そして、草若が病で定席設立の夢なかばに倒れる設定には、吉朝がモデルかと思わせた。
 また、草若の亡くなった妻の志保(藤吉久美子)は、生前夫の囃子方を務めていた、という設定に、枝雀夫人を連想した。

 さて、枝鶴について著者松枝は、「彼は此の世界に身を置くべきではなかったと断言する」と言い、その理由をこう書いている。

 なぜなら、「誘惑に弱く、美味しい言葉につい酔ってしまう。先を見通し、危険を避ける事が出来ない。「ノイローゼ」とは、最も縁遠い所に居る男である。
 そして、枝鶴本人も自分自身を良く知っていた。
 「俺は、しんどい事、堅苦しい、むつかしい事が面倒やねん。一生懸命、何かをやれる人間や無いねん・・・・・・。ならば松鶴は根本的にその性格を叩き直すか、少なくとも、勤労と報酬の最低限の法則を教えるべきであった。彼は実に安易に此の世界に入り、仕事、地位を得た。それが何に依ってもたらされたものか、分からぬまま失踪・借金・女との不祥事を繰り返し、松鶴に後始末をさせ、しかも復帰をその都度許された。

 そうか、松鶴も、いわゆる親バカだったんだなぁ、と思うが、その背景には少し事情がある。

 松鶴(竹内日出男)は枝鶴(竹内日吉)の幼い頃、彼の許を離れ、夫人(衣笠寿栄)と、その子供達と暮らしはじめた。子・枝鶴が最も必要とする時期に、父・松鶴は自分の為のものではなかった。松鶴は、夫人と子供達の為の松鶴であった。やがて父・松鶴は落語の為の松鶴になり、落語家の為の、その愛好者の為の松鶴でありつづけ、そして最後は本人・竹内日出男の為の松鶴になった。もうすこし、松鶴(日出男)が枝鶴(日吉)の為だけに生きる時期が、長くても良かった・・・・・・、そう思える。
 “父の後”を追わず、他に生きる道を探していれば或いは・・・・・・。とも思う。

 松鶴は三度結婚している。元芸妓の最後の夫人は弟子たちから「あーちゃん」と親しみを込めて呼ばれたが、枝鶴の実の母ではないことは、紹介した文の通り。

 この枝鶴は五代目。昭和20年生まれ。
 いまだに、消息不明、である。
 弟子だった小つるが六代目枝鶴を継いでいる。

 彼のホームページには、「枝鶴はどこに居てるねん?!」と、書かれている。
六代目笑福亭枝鶴のホームページ

 まだどこかで生きているのか、それとも・・・・・・。

 今週土曜日で、あの日から丸六年。
 テレビの特集番組で、あの津波で行方不明になった親族をいまだに探し続けている人の姿などを目にした。
 
 同じ行方不明でも、もちろん、その原因も含めて大きな違いがあるのだが、生きているならすでに古希を過ぎた五代目枝鶴。
 どこかにいるのが発見(?)されたら、どんな姿であろうが、それは上方落語の関係者にとっては、きっと嬉しいことではあるまいか。

 しかし、もし誰かが彼を発見しても、枝鶴は「ノラやねん」と言って、人前に姿を見せることを固辞するのかもしれない。
 
 東西でさまざまな襲名披露がある今年の落語界、“幻の七代目松鶴”が世に復活するには、悪い時機ではないように思うのだが、彼は行方不明者リストの中にとどまったままで時間が過ぎるのかもしれない。
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by kogotokoubei | 2017-03-09 21:37 | 落語の本 | Comments(0)
 メールで、ほぼ毎日、落語会の案内がくる。

 三ヵ月も四か月も先の案内などもあって、予定を決めることもできず予約はしないが、内容によってはリンク先で詳細を確認することもある。

 木戸銭を確認すると、それなりに名の通った噺家さんが複数出演する会は、四千円を超えるものが増えてきたような気がする。

 また、独演会や二人会でも、噺家さんや会場によって、結構な木戸銭を設定している。

 その中でも驚いたのが、この落語会だ。
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赤坂ACTシアタープロデュース 恒例 志の輔らくご
第一部 大忠臣蔵-仮名手本忠臣蔵のすべて/第二部 落語 中村仲蔵
[出演]立川志の輔
2017年5月4日(木・祝)-2017年5月7日(日)
会場:TBS赤坂ACTシアター (東京都)
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 木戸銭は、5500円。
赤坂ACTシアターサイトの同公演のページ

 赤坂ACTシアターは、一階席が890、二階席434で、合計1324席もある大ホールだ。
 そもそも、落語に相応しい小屋とは言えない。

 渋谷のパルコがなくなってからの目玉づくり、ということか。

 志の輔の企画では、恒例で『牡丹燈篭』のあらすじ説明を含む落語会をしているようだが、ゴールデンウィークは赤坂「大忠臣蔵」を恒例にしようということか。

 すでに「恒例」と謳っている・・・・・・。
 演目についても、“恒例となった「中村仲蔵」”と説明されている。

 『中村仲蔵』は、パルコで一度ならず演じてきたお手の物の十八番。

 パルコ同様、四日間とも同じ内容・・・・・・。

 私は、こういう企画への興味はまったくない。
 がってん、しない。

 もし、忠臣蔵を題材に落語会を開くのなら、私は行けなかったが、桂文我の会のような、忠臣蔵にちなんだ複数の噺で構成するのなら、がってんだ。
 ちなみに、紀尾井小ホールで今年一月十四日(土)に開催された会では、一部と二部合わせて、次のような噺が演じられたようだ。
 「田舎芝居(大序)」「芝居風呂(二段目)」「質屋芝居(三段目)」「蔵丁稚(四段目)」「五段目(五段目)」「片袖(六段目)」「七段目(七段目)」「九段目(九段目)」「天野屋利兵衛(十段目)」「三村次郎左衛門(十一段目)」) / 桂米平「立体紙芝居」

 聴いたことのない噺が並んでいる。
 一月十四日は旧暦で十二月十七日だったので、ネタとして“旬”でもあった。
 こういう企画こそが、忠臣蔵にちなむ落語会に相応しいと思う。
 これで一部、二部のそれぞれの木戸銭は、3000円。
 ちなみに、紀尾井小ホールは250席。
 三三が、最初に『嶋鵆沖白浪』を披露した会場でもある。
 行きたかったが、野暮用で無理だった。来年もあるなら、最優先で予定したいものだ。

 対して志の輔の赤坂でゴールデンウィークの忠臣蔵・・・器が大きすぎることに加え、何ら季節感のない企画。


 もちろん好みの問題である。
 赤坂に志の輔の忠臣蔵の講義と高座を聴きに行きたい方は、どうぞ行ってください。


 江戸時代の寄席の木戸銭について以前に書いたことがある。
2014年4月29日のブログ


 いろんな考えがあるが、一両を120,000円としよう。
 一両が四千貫として一文は30円になる。
 蕎麦の十六文が480円。これでも、少し高いけどね。

 寄席の木戸銭は、安政以前の三十六文で1,080円、安政以降の四十八文で1,440円。それぞれに下足札四文、中入りに引くくじ代十六文の計二十文分の600円を足すことにして、安政以前1,680円、安政以降2,040円になる。
 寄席の木戸銭としては、妥当な気がする。

 大工の月の稼ぎが銀で135匁、銭にして9,000文という試算があるので、月の収入が現在価値で270,000円。週に一度位は寄席に行く余裕もあるだろう。

 現在、都内定席の寄席の木戸銭が、ほぼ3,000円になっているが、これはあれだけの出演者がいて、鈴本以外は入れ替わりがないことを考えると、江戸時代よりは少し割高とはいえ妥当かもしれない。

 独演会や二人会規模の落語会も、せいぜい3,000円が妥当で3,500円が上限ではないか、と私は思っている。

 だから、4,000円超えが当り前になりつつある昨今の木戸銭には、違和感がある。
 また、会場も、落語という芸能に相応しいのは200~300席ではないかと思っている。

 よって、千人を超えるような大ホールでの落語会には、原則として行こうとは思わない。
 実は、以前にそういう会に行った時の小言から、このブログは始まったのである。
 大きなホールで、高い木戸銭の会を目にする度、私には、「野暮」の二文字が脳裏に浮かぶ。

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by kogotokoubei | 2017-03-08 08:54 | 木戸銭 | Comments(10)
 最近は、録音したラジオ番組を、通勤途上に携帯音楽プレーヤーで聴いている。
 とはいえ、ある落語愛好家のお仲間のご支援があってのことなのだが。

 日曜喫茶室が今月で最終回なのは、しょうがないとは言え、残念。

 上方落語も好きなので、毎週楽しみなのが、毎日放送「茶屋町MBS劇場」だ。

 先週4日の土曜日放送回は、笑福亭三喬の『崇徳院』と米朝の『土橋万歳』だった。
茶屋町MBS劇場のサイト

 私は、2012年のJAL名人会で、六代目松喬の生の高座に、ぎりぎり間に合った。
2012年8月29日のブログ

 その時のネタが、『崇徳院』。

 闘病中と聞いていた松喬の姿は明らかに痩せており、内心「大丈夫か?」と思っていたが、口跡もしっかりしていて、「緋塩瀬(ひしおぜ)の茶帛紗(ちゃぶくさ)」なども言いよどむこともなく、実に素晴らしい高座だった。
 「まだ大丈夫、松喬は復活する!」と期待を込めてブログの記事を書いたものだ。

 しかし、翌2013年7月30日、松喬は帰らぬ人となった。
 まさにその日に開催された「JAL名人会」で、私は三喬を聴いている。
2013年7月30日のブログ
 師匠逝去は、午後四時半とニュースに記されていたので、三喬はこの会開演直前に訃報を伝えられたか、あるいは気を遣って周囲が終演まで連絡しなかったのか・・・・・・。
 いずれにしても、最後を看取ることはできなかっただろう。

 今秋、三喬は七代目松喬を襲名する。

 そんなこともあって、私にとって松喬の思い出のネタ『崇徳院』を、ぜひ三喬で聴きたいものだと思っていた。

 それだけに、この放送は嬉しかった。
 加えて、放送されたのは、松喬が亡くなった2013年の10月20日に阿倍野区民センターで開催された「松喬十六夜 追福興行」の高座。
 同区民センターのサイトに、ポスターがまだ掲載されていた。
阿倍野区民センターサイトの該当ページ
 元気な頃の松喬の写真があるのは、三喬の高座の後、松喬による『網舟』のビデオが上映されたらしい。

 この会、師匠が自分のライフワークとも言える「松喬十六夜」の直前に旅立って、まだ三ヵ月後だ。

 どんな高座なのか興味深々で聴いていた。

 マクラなしで、すぐに本編に入る。
 
 前半、若旦那の衰えぶりと明るい熊さんとの対照の妙。
 若旦那の回想には、高津さんで出会った“水のたれる”お嬢さんの「緋塩瀬(ひしおぜ)の茶帛紗(ちゃぶくさ)」も登場する。
 熊さんと親旦はんとの会話のナンセンスなすれ違いも、可笑しい。
 漁師(料紙)の言葉を引き出すために狩人と言うあたりでも、会場も沸く。
 松喬一門が好きな、い~いお客さんで会場が一杯なのが察せられる。
 熊さんと気丈な女房との会話のリズムの良さ。
 噺の流れに無理がない斬新なクスグリ。
 お嬢さん探しに奔走し、床屋とお湯屋を三十軒以上回って疲労困憊した熊さんが遭遇した僥倖・・・・・・。

 師匠松喬の型を真似るのではなく、あくまでその精神を継承しながら、自分なりの高座に仕立てていた、という印象だ。

 すでに、三喬はこの時点で師匠の名を継ぐに値する噺家になっていた、ということだろう。

 泥棒ネタばかりではない三喬の見事な高座は、亡き師匠も「よし、松喬の名はお前に譲った!」と天国で安心するであろうものだった。

 今朝の通勤電車で聴きながら、少し目が潤んできた。

 三喬の七代目松喬襲名、大いに結構。

 そして、東京地区での披露目には何とか縁があることを期待しよう。

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by kogotokoubei | 2017-03-07 12:23 | ラジオの落語 | Comments(2)

 今日は、五節句の一つ「上巳の節句」。

 五節句は、次の通り。

 ■人日(じんじつ):正月七日(七草粥の日)
 ■上巳(じょうみ/じょうし):三月三日(ひな祭り)
 ■端午(たんご):五月五日
 ■七夕(しちせき/たなばた):七月七日
 ■重陽(ちょうよう):九月九日

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荒井修著『江戸・東京 下町の歳時記』

 2010年12月に集英社新書から発行された『江戸・東京 下町の歳時記』の著者荒井修さんは、私より少し年長の“団塊の世代”で、浅草にある舞扇の老舗、荒井文扇堂の四代目社長さん。
 
 「はじめに」から、少し引用。
 この本は、あたしの生まれ育った下町と、江戸時代からの歳時記を加えて綴ったものです。もちろん下町とは、江戸城から江戸湾に向かった日本橋あたりから人形町方面をさした言葉で、江戸時代でいうところの浅草は下町エリアではありません。けれども庶民の町で江戸一番の盛り場ですから、下町文化という点では、この地のあれやこれを下町の歳時記とすることには間違いはないと思います。
 それから、歳時記を語る上で難しのは旧暦と新暦。つまり、今と季節が違うときがある。年賀状に「初春」と書くように、昔の暦では一月、二月、三月が「春」で、四月、五月、六月が「夏」、七月、八月、九月が「秋」で、十月、十一月、十二月が「冬」となる。たとえば八月は秋の真ん中ですから、八月の月は中秋の名月となり、いわれてみればごもっとも、となるわけですが、突然「七月は秋」なんて言われたら、面食らったりするでしょう。

 「七夕」は俳句で秋の季語、と書いた拙ブログの記事には、その時期に結構アクセスがある。
2010年7月7日のブログ

 さて、「上巳の節句」について、この本から引用する。

 三月三日は「上巳の節句」。通称「桃の節句」といいます。実は中国の方では、この日に人の形に切った紙、「形代(かたしろ)」っていうんだけど、これで身体を拭うんです。それを川に流して、けがれを祓う。流し雛の原点でもあります。それが日本に伝わって「雛遊び」と結びつき、女の子の節句になるんですね。
 だけど、女の子の節句といっても、室町時代までは普通の町場の人間はやっていないんだね。公家と武家だけ。江戸に入って幕府が推奨して、一般の人もやるようになるんです。
 この日にいちばん繁盛するのは、人形屋に貝屋に、蕎麦屋と酒屋。今でも神田猿楽町に、豊島屋っていう酒屋がありますよ。江戸時代にそこの白酒がいちばんうまいっていわれて、たいへん人気があったんだ。大田蜀山人の『千とせの門』によれば、二月の十八から十九日の朝までに、千四百樽売ったっていうんだね。千四百樽ということは、一升瓶で五万六千本だ。
 これはね、豊島屋の初代十右衛門の夢枕にお雛様が立ったというんです。そのお雛様が、「こうやってつくるとおいしい白酒ができる」って言ったんだって。それでその通りにつくって雛祭り用に販売したら、江戸中の評判になった。江戸中の人がそこに行列して、その日は鳶がガードマンとして手伝っている絵もありますよ。鳶をガードマンとして雇わなきゃならないって、そりゃすごいよね。

 「桃の節句」も、江戸時代に、今につながる文化や風習が醸成された一つの例ということか。
 しかし、新暦三月三日では、まだ桃には早い。
 荒井さんが指摘するように、歳時記は旧暦を元に考えないと、時期のズレがどうしても生じてしまうなぁ。

 ちなみに旧暦三月三日は、今月の三十日。

 白酒で有名な豊島屋は、今も営業している。

 豊島屋本店ブログで、今年も伝統の白酒が出来たことが案内されている。
豊島屋本店ブログの該当記事

 この店、落語『業平文治』にも登場する。
 あの噺について書いた記事に、豊島屋についても少し紹介しているので、ご興味のある方はご覧のほどを。
2015年7月9日のブログ


 引用した文で疑問に思われるかもしれないのが、なぜ貝屋が繁盛するのか、ということだろう。
 実は、こういうこと。
 そのころはちょうど潮干狩りが始まる時季でもありますから、新鮮なハマグリが手に入る。だから、お雛様のところに、ハマグリのお吸い物をあげたりしました。

 これまた、旧暦でなければ、実感できないねぇ。

 なぜ、蕎麦屋が繁盛するか、も疑問だねぇ。
 その答えになる部分も引用しよう。

 それから、お雛様はなるべく早く片づけないといけない。そうじゃないと、縁遠くなるといわれている。片づける前にはお蕎麦をあげて、それから箱におさめて片づけないとだめなんですよ。「お蕎麦をあげてから片づけなきゃ嫁入りが遅くなりますよ」って親が言う。験かつぎみたいなもんだろうね。とにかく、最後はお蕎麦なの。

 昨今、女性が結婚年齢が高くなってきたのは、もしかすると、雛人形を片づけるのが遅かったからか、あるいは、片づける前にお蕎麦をあげなかったからか・・・なんてことはないだろうね。

 この問題を突き詰めていくと、政治がかってくるので、今回はこれ位で。


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by kogotokoubei | 2017-03-03 12:36 | 年中行事 | Comments(4)
 先月の記事別アクセスランキングは、次のような結果だった。

1 談春は、なぜ『妾馬』と『粗忽の使者』を組み合わせるのか・・・・・・。 (2013.11/29)
2 「小南への道」ー落語芸術協会のメルマガより。 (2017.2/3)
3 落語芸術協会、鈴本との離別から三十年・・・・・・。 (2013.3/5)
4 新宿末広亭 一月下席 昼の部(仲入り後)&夜の部 1月30日 (2017.1/31)
5 『擬宝珠』—柳家喬太郎による古典掘り起こしの成果の一つ。 (2014.1/18)
6 松鶴に土下座させた、笑福亭小松という落語家のこと。 (2014.8/4)
7 NHK「超入門!落語 THE MOVIE」、10月19日よりレギュラー放送開始。 (2016.9/30)
8 NHK「超入門!落語THE MOVIE」、高座のみの放送を望む! (2017.1/5)
9 成田屋のこと。 (2013.2/4)
10 命日に、“キザな小円遊”という虚像を思う—『談志楽屋噺』より。 (2013.10/5)

 今年の記事は、なんと3本のみ。
 後は、2016年が1、2014年が2、2013年が4となっており、古い記事へのアクセスが多い。

 談春が、いわゆるツク噺をすることについて四年前に書いた記事がトップ。
 この二席を演じることが、今でも多いということだろうか。

 2位は、落語芸術協会のメルマガに連載されている、桂小南治のコラムに関する最初の記事。メルマガ三月上席号の記事も良かったなぁ。

 3位の記事も、最近よく読まれているようだ。鈴本と芸協との決別は昭和59年。ヨリが戻りそうな気配は、残念ながらありそうにない。

 次に、一月の末広亭の記事。

 『擬宝珠』に関する記事は、喬太郎のこの噺がテレビで放送されてから、しばらくアクセスが急増していた。

 6位の笑福亭小松の記事は、いまだにアクセスが減らないものの一つ。

 7位、8位にNHK「超入門! 落語THE MOVIE」の記事が入った。
 関心の高い番組であることを、先日の横浜にぎわい座・のげシャーレでも、再認識した。仲入りで、近くに座っていた二人連れの女性が、あの番組が終了したことを嘆いていらっしゃった。「楽しみにしてたのに」「そうよ、もうやらないのかしら」というようなやりとり。

 そういう方々のため(?)に、4月からEテレでは、全11本に新たに特集2本加え、短い解説も加えた「超入門! 落語THE MOVIE E」が始まることをNHKのサイトからご案内。
NHKサイトの同番組ページ
2016年度10月から総合テレビで放送し、ご好評をいただいた「超入門!落語THE MOVIE」に“E”(江戸=EDOのEと学ぶ=EducationのE)の要素を付け加え、より落語や江戸の文化の理解を深められるようにしたEテレバージョンを制作します。
名付けて、「超入門!落語THE MOVIE E」。
レギュラーで放送した11本に、特集2本を加え、計13本がEテレに登場。さらに、本編を見て、ちょっと気になった江戸の言葉・習慣について、本編後に2分の解説コーナーが加わります。本編に脇役で登場した俳優が役のまま登場し、ナレーションと共に解説を行います。お楽しみに!
 とのこと!
 そういう企画があるからなのか、サイトにある高座動画は、今週末3月4日に総合テレビで再放送される二席だけになっている。
 いいじゃないの、全回の動画載せておけば、と思うのは私だけか・・・・・・。
 Eテレの特集2本が、少し気になる。


 さて、ランキングのことに戻ろう。
 9位の成田屋の記事へのアクセスは、海老蔵一家の話題がメディアに出る度に増えるようだ。

 過去の記事の中で異常なロングセラー(?)が、小円遊に関する10位の記事。


 さて、次の日曜5日は、啓蟄だ。
 そろそろ、土の下から虫だちが這い出てくる季節。
 いろいろと世間も慌ただしくなりそうだ。

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by kogotokoubei | 2017-03-01 21:36 | アクセスランキング | Comments(0)
 今日三月一日は、旧暦二月四日。
 
 元禄十六年(西暦1703年)のこの日、赤穂義士四十六人が切腹した。

 先日行った落語会で、三遊亭時松が一席目に柳家喬太郎作『白日の約束』を演じた。
 この噺は、今ではホワイトデーという実に迷惑な日(?)となっている三月十四日が、浅野内匠頭の命日(元禄十四年)であるということがネタの骨子になっているのだが、もちろん本来は旧暦三月十四日なので、ホワイトデーとはまったく重ならない。

 忠臣蔵としてあまりにも知れ渡っている事件に関しては、吉良邸討ち入りの十二月十四日に義士たちが眠る泉岳寺などで「義士祭」があるが、命日の行事はあまり聞かない。

 そう思って少し検索したところ、故郷の赤穂の大石神社で、先月二月四日に「御命日祭」が行われたというニュースが見つかった。

 神戸新聞から引用。

神戸新聞の該当記事

2017/2/5 05:30神戸新聞NEXT
赤穂義士しのび御命日祭 大根炊き振る舞う

 討ち入りを果たした赤穂義士が切腹してから314年目の命日に当たる4日、兵庫県赤穂市上仮屋の大石神社で「御命日祭」が行われた。神社総代ら約20人が参列して47本の大ろうそくに火をともし、参拝客に厄よけの大根炊きが振る舞われた。

 同神社で1912(大正元)年の創建時から続く伝統行事だが、かつては、義士が吉良邸に討ち入った12月14日に比べ、切腹した2月4日は知名度が低かった。行事を盛り上げようと、2005年から大根炊きの振る舞いや大ろうそくの点火を始めたところ、近年、参拝客が増えてきたという。

 この日、午前10時から拝殿で神事があり、参列者が大ろうそくに火をつけた。参拝者も次々と訪れ、手を合わせて義士の遺徳をしのびつつ、温かい大根炊きを笑顔で味わった。

 毎年訪れるという市内の女性(75)は「赤穂が有名になったのも義士のおかげ。命日ももっと有名になってほしい」と話していた。(古根川淳也)

 “切腹した2月4日は知名度が低かった。行事を盛り上げようと、2005年から大根炊きの振る舞いや大ろうそくの点火を始めたところ、近年、参拝客が増えてきた”、とあるが、参列者は、約20名とのこと・・・・・・。

 思い出したが、先月放送されたNHK「鶴瓶の家族に乾杯」で、鶴瓶が武井咲と一緒にこの神社を訪ねていたなぁ。
 武井咲は、あの番組では実に可愛かったのだが、土曜時代劇「忠臣蔵の恋ー四十八人目の忠臣ー」で礒貝十郎左衛門の恋人きよ(後の月光院)の役は、彼女にとって少し荷が重すぎた。

 討ち入りの日のみならず、主君の暴挙(?)でお家断絶となり、命を懸けて討ち入りを挙行した四十六人の命日が話題になることは、悪いことではないだろう。

 しかし、どうしてもこういう記念日については、新暦に置き換える現代日本の風習に馴染めない。

 ちなみに、浅野長矩の命日旧暦三月十四日は、今年は新暦なら四月十日。
 辞世、「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」は、その時期にこそ相応しい。

 再来週の新暦三月十四日は、“春の名残り”ではなく、せいぜい“春めく”頃、であろう。
 来週8日は、旧暦二月最初の午の日、いわゆる初午。
 だから、先日志ん吉で聴いた『明烏』が、まさに旬の噺と言える。

 
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by kogotokoubei | 2017-03-01 12:36 | 今日は何の日 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛