噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

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 テニスの後、クラブハウスでの談笑や昼食を遠慮して、桜木町は横浜にぎわい座へ。
 にぎわい座へは、昨年2月の、かい枝・兼好の会以来ほぼ一年ぶり。
 のげシャーレの会は、一昨年11月の若手六人の東西交流落語会以来となる。

 お目当ての人を含め、若手三人の会に興味があったし、“秘密地下倶楽部 のげシャーレ”独特の雰囲気を久しぶりに楽しみたい思いもあった。

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 にぎわい座のサイトにあるこのチラシに大きく写真が載っているが、その三人は、三遊亭時松、古今亭志ん吉、桂伸三。
横浜にぎわい座サイトの該当ページ

 なぜ、この三人が“魅せる”と形容されるのかなどは、最初の会では説明があったのだろうが、不勉強で私は知らない。

 本来はテニス主体で落語には行かない日曜に出向いた動機の第一は、巷で評判の高い、もうじき真打に昇進する時松(昇進と同時に、ときん襲名)を聴きたかったからである。
 また、他の二人、志ん吉と伸三も以前に聴いていて悪い印象はなかった。
 それぞれ、久しぶりでもあり、どんな成長ぶりを見せて(魅せて?)くれるか、楽しみだった。

 この三人のプロフィールを、それぞれの協会のサイトから確認。

三遊亭時松
昭和51(1976)年1月28日生まれ。
平成15(2003)年4月 金時に入門
平成18(2006)年5月 二ツ目昇進
平成29(2017)年3月 真打昇進し、ときん襲名

桂伸三(しんざ)
昭和58(1983)年2月10日生まれ
平成18(2006)年4月 春雨や雷蔵に入門し、雷太
平成22(2010)年8月 二ツ目昇進
平成28(2016)年3月 桂伸治門下となり、伸三

古今亭志ん吉
昭和55(1980)年3月6日生まれ
平成18(2006)年 志ん橋に入門
平成19(2007)年3月 前座となる
平成22(2010)年9月 二ツ目昇進


 時松と志ん吉が落語協会、伸三が落語芸術協会(芸協)の所属。

 志ん吉と伸三は、協会は違うが、ほぼ同期と言えるので、どこかで接点があったのかと察する。

 さて、久しぶりの地下秘密倶楽部には、この三人のために、最大で141席の会場を満席近く埋めるお客さんが駆けつけていた。
 日曜ということもあったのか、あるいは、時松に限らずそれぞれ結構固定のお客さんがついているということなのだろうか、なかなかの“にぎわい”だ。

 ネタ出しされており、時松は『井戸の茶碗』ともう一席、志ん吉が『明烏』、伸三が『宿屋の富』となっていた。

 出演順に感想などを記したい。

三遊亭時松『白日の約束』 (20分 *14:00~)
 この日二席披露する真打昇進直前のこの人の一席目。
 なかなか端正な顔立ちをしている。これが普通なのか、少し風邪気味なのか、若干鼻にかかった声が、やや見た目とは違う印象を与える。
 この後の志ん吉の語り口と声が良かったので、対照的だった。
 マクラで、以前のこの会では一人三席演じた後に踊りを披露したとのこと。もしかすると、この三人、踊りつながり、かな。
 3月21日から始まる真打昇進披露興行のチケットを“偶然”持ってきており、買っていただくと、三人の絵の巨匠(?)による、本人の似顔絵入りクリアホルダーをプレゼントすると、営業活動。
 その巨匠三人は、わざび、志ん八(真打昇進により志ん五襲名)、そして正太郎。
 それぞれに違った画風で、なかなか特徴をとらえたイラストではあった。
 しかし、先のことは分からないので、チケットは買わなかったけどね。
 この人については予備知識がなかったのだが、喬太郎の新作が飛び出すとは思わなかった。
 この高座から、この人が新作にも取り組める器用さは伝わったし、会場はよく笑ってくれるお客さんで湧いていたが、本編の時間も短く、私にはやや物足りなかった。二席目に期待だ。

古今亭志ん吉『明烏』 (45分)
 昨年3月の「さがみはら若手落語家選手権」本選(決勝)以来。
 あの時、私は優勝した柳家花ん謝ではなく、この人の『片棒』に一票を投じた。
2016年3月14日のブログ
 マクラでは、素人の落語教室の指導をしていて、とあるテレビ局が「ビジネスに役立つ習い事」というテーマで取材に来て、実に困った、と話す。
 役に立つことを全部取り払って残ったオリのようなものが、落語ですから、と語るが、若い噺家さんがこういうことを言うとサマにならないことが多いのに、この人は不思議に説得力がある。
 結構以前から聴いているが、その度に上手くなっているという印象で、この高座を、やや驚きながら聴いていた。
 全体を通して印象深かったのは、これだけ源兵衛と太助を見事に描き分けたこの噺を聴いたことがない、ということ。やや乱暴な口ぶりの太助なのだが、源兵衛が困った時に助ける知恵者であるという造形が明確だった。
 もうじき三十七歳、前座から今年十年目という経歴ながら、日向屋半兵衛の年齢相応の姿を見事に演じた。登場はしないが、半兵衛の語りかける先にいる女房の言動も効果的に浮かび上がってくる。
 初午で赤飯を二膳ご馳走になった後、子供達と太鼓を叩き、♪(時次郎)ドンドン、(子供たち)カッカ、ドンドン、カッカ♪と、「・・・おもしろかったです」と語る時次郎の幼い姿を冒頭でしっかり描くことで、サゲ前のデレっとした態度との落差が一層可笑しくなる。
 そこがお稲荷さんではなく吉原であると分かった後に、初めて聴く、なかなか楽しい件があった。隅の方で泣いている時次郎に、源兵衛が「ぼっちゃん、さっき可愛い新造の話を知ってるって言ってたじゃないですか、聞かせてくださいよ」とふると、時次郎が、戦争を前にした上野動物園のゾウ、ジョン、トンキー、ワンリーの悲しい物語を語り出し、慌てて源兵衛が止めに入って、「それは、かわいいしんぞじゃなくて、かわいそうなゾウの話じゃねんぇですか」というネタなのだが、果たして自分のクスグリなのだろうか。
 確かに、二宮金次郎のクスグリを後生大事にすることもないだろう。
 サゲ前、源兵衛と太助が連れて帰ろうと時次郎の部屋に行ったものの、時次郎ののろけに呆気にとられ、時次郎が「昨晩は眠れませんでしたから、あ~っ」と欠伸をしたところで、太助が「オレの欠伸とは違うぜ、この野郎」と怒る場面なども、なかなか味があった。
 見た目の噺家らしさ(?)、しっかりとした語り口、口跡の良さなど、もはや二ツ目の域は十分に超えている。
 昨日から旧暦2月で、もうじき初午という時期の旬な噺、45分の長さを感じさせない見事な高座だった。今年のマイベスト十席候補とはいかないまでも、何かの賞をぜひ与えたいので、を付けておく。
 一夜明けても、その評価には変わりがない。実に結構な高座だった。

 ここで仲入り。

桂伸三『宿屋の富』 (30分)
 仲入り後は、この人。
 春雨や雷太の頃、志ん輔が支援する“たまごの会”のメンバーだったので、志ん輔の国立演芸場やにぎわい座の独演会、そして三代目春団治をゲストで迎えた“東へ西へ”などで聴いている。
 なぜ、昨年伸治門下に移ったかは、よく知らないが、伸三として初めて聴く高座。
 個性的な、噺家らしい(?)見た目は、この人の武器だと思う。
 その強みを生かすネタとして、この噺が相応しかったのかどうか。
 主役の一文無し、宿屋夫婦、富興行をしている神社に集まった人々、それぞれを無難にこなしていたが、どうも、この人の個性が発揮できたようには思えない。
 以前、この三階ホールでの志ん輔の会で、『古手買い』(『古着買い』)という珍しい噺を楽しく聴かせてくれたことを思い出す。
2013年12月4日のブログ
 聴く側の勝手な言い分かもしれないが、この人には、他の若手とは違うネタ選びを期待してしまうなぁ。
 とはいえ、今後も気になる存在であり、ぜひ「たまごの会」出身者としての成長を願っている。

三遊亭時松『井戸の茶碗』 (45分 *~16:31)
 入門する時、師匠からは「嘘をつくな」と「楽屋の女に手を出すな」の二つを守るよう言われた、とのこと。後者については、「師匠、過去に何かあったのでしょうか」と笑わせる。
 屑屋の清兵衛が、千代田卜斎の仏像を預かった後に細川屋敷お窓下を訪れ、二階の窓から高木作左衛門に呼ばれた場面で、呼ばれて高木の部屋に入るという演出は、関内の小満んの会で聴いて以来二度目。
 元が講談「細川茶碗屋敷由来」で、初代や三代目の春風亭柳枝が手掛け、名人三代目小さんが改作し、その後は古今亭志ん生、志ん朝親子の十八番となるまで、多くの噺家さんによっていろんな改編、演出が施されているだろうから、どれが正しいとは言えないだろう。
 私は、二階からザルで高木と清兵衛がやりとりする姿に、その場の空間の広がりを感じるので、好みである。
 登場人物が皆いい人、というネタだが、時松が演じる清兵衛は、後半はやや幇間めいた姿になるのが気になる。
 やはり、正直者清兵衛であって、曲がった道もまっすぐ歩こうという男として描いて欲しかった。
 茶碗の取り分である百五十両のカタを何にするか思案する卜斎が、清兵衛に「高木どのは、ひとりものか」と聞いて、清兵衛が「いえ、あわせを着ていました」という何気ないクスグリでも笑わせる技量があるし、噺本来の可笑しさは十分に伝わっていたので、清兵衛の造形さえもう少し工夫してもらえれば、と思った次第だ。


 初めて時松を聴くことができたし、伸三も久しぶりに聴けた。
 そして、何と言っても志ん吉の見事な高座に出会えたのが嬉しい。
 日曜日に野毛に出向いただけのことはあった。
 
 帰宅してから、座右の書をめくってみた。
 実は、意外なことに『井戸の茶碗』は、講談が元ということが理由なのかどうか分からないが、興津要さんの『古典落語』にも、麻生芳伸さんの『落語百選』にも入っていない。

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 野村無名庵の『落語通談』は昭和18年に高松書房より単行本が発行され、中公文庫で昭和57年に再刊された本。
 この本の前半にこのネタについての記述があり、興味深いことが書いてあった。
 清兵衛が、茶碗の褒美として細川様が払った二百両を持って卜斎を訪れた際の卜斎の言葉から。なお、細川家の若侍の名は高木佐太夫。

「屑屋殿も喜んでくれ。よい事は重なるもので、このたび旧主家への帰参がかなった。承れば佐太夫殿まだ御独身の由。何と不束な娘ながら、その方橋渡しになって、ああいう潔白なお方に貰うて頂くよう、働いてはくれないか」と頼んだ。屑屋も喜んで、「それはそれは結構なお話でございますが、しかしお嬢さんをあまり美しくおみがきになりますとまた騒動になりましょう」というサゲ。

 へぇ、卜斎の帰参がかなったという筋書きは、まだ聞いたことがないなぁ。
 サゲは、やはり高木の部屋に行ってからで良いと思うが、善人ばかりのこの噺、いっそ、紹介したように卜斎の窮状を救ってから娘を嫁にやるのも悪くないと思う。
 講談では、卜斎は元々浅野家の家臣で、茶碗を手に入れた細川候が仲介し浅野家に戻ることができた、という筋書きらしい。いいんじゃないの、落語もそれで。

 一夜明けて、時松の師匠金時のブログなどを見ると、先週は真打昇進披露のパーティーがあったらしい。本人のツィッターでは、末広亭深夜寄席の卒業公演もあったようだ。
 そういう状況からも、声の調子などを含め、昨日の高座は万全な体調ではなかったのだろう、と思う。

 ぜひ後日、ときんの元気な高座を聴きたいものだ。

 同時に真打に昇進する中には、朝也あらため三朝もいる。
 どちらかの主任の披露目には行きたいと思っているのだが、都合と縁次第だなぁ。

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by kogotokoubei | 2017-02-27 12:54 | 落語会 | Comments(10)
 先日、今松は『品川心中』のマクラで、吉原は“きぬぎぬの別れ”だが、品川は少し下がって“もめんもめんの別れ”というクスグリで笑わせたが、吉原と品川では、たしかに大きな違いがあるのだろう。

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 安藤鶴夫さんの『わが落語鑑賞』には、文楽、三木助の十八番が並ぶ中で、円生のこの噺が挟まれている。
 ちなみに、私が持っているのは、この表紙画像の筑摩叢書版。その後、ちくま文庫でも発行され、新しいところでは河出文庫からも出ている。
 なお、あとがきでアンツルさんが書いているように、筑摩叢書版は、『落語鑑賞』(苦楽社)と『名作聞書』(創元社)の中から十六篇を選んだものだ。

 さて、アンツルさんは、吉原と品川との違いを、このように書いている。

 おなじ遊び場でも、吉原は大門までで駕籠をおろされたという話だが、品川は海道にそった宿場である、駕籠が通る。
  売れぬやつ馬の尻ばかりかいでいる
というわけで、化粧をすました女が立て膝をして、朱羅宇(しゅらお)の長煙管から煙を吹いている目の前には、田圃で狐に化かされたご仁がいただくぼた餅のたぐいも、ところかまわず落ちていたことであろう。
 本来、きぬぎぬの別れなどというものは、あけの鐘がゴンと鳴るとか、あるいは鴉カアの声とかがその別れをいっそうあわれにするはずの音響効果があるのにかかわらず、
  品川は烏よりつらい馬の声
などといわれて、きぬぎぬの別れにはヒヒン、ブルルという艶消しな馬のいななきが、その枕もとに響いたものとみえる。
 だから、品川の女郎ともなれば、なんだかそこに色っぽいとかあわれというよりは、一種の滑稽感がつきまとうようだ。
 
 なるほど、鐘の響きや、烏カアの音響効果(?)をバックにした“きぬぎぬの別れ”と、“ヒヒン、ブルル”の音響に、あの“ぼた餅”という小道具を目の前に配した“もめんもめんの別れ”では、大きな違いだ。

 『品川心中』という噺は、なるほど、「品川」でなければならない理由がある、と得心する。
 それは、『居残り佐平次』も然りで、吉原にあの噺は似合わないだろう。
 
 二つの苦界の違いは、紋日にもあったらしい。
 アンツルさんはこう説明している。
 江戸の吉原にはやれ恵比須講だ、やれ初午だ、やれ花植えだ、やれ衣替えだ、やれ八朔だと、一月から年の暮までいわゆる紋日といわれた年中行事がひっきりなしにあって、そのたびに馴染の客はさまざまにしぼり取られたものだが、そこへいくと品川の紋日は二十六夜待ちを最も盛んなものとして、正月の月待ち、八月の十五夜、九月の十三夜というふうに、海を背景としたお月様ばかりがだいたい紋日とされていたようである。
  また九月きなと品川にくて口(ぐち)
 月見がてらに品川の宿に一夜を明かすのも、あるいは江戸人の市井風流であったかもしれない。品川とはざっとこんなところである。

 なるほど、それだけに、少ない紋日に、移り替えができないことは、おそめにとってプライドが許さなかったのたろう。

 ない、二十六夜待ちについては、以前に杉浦日向子さんの本から紹介したことがある。
2015年9月27日のブログ

 「二十六日」は、旧暦の七月二十六日である。
 月の出が遅いので、“待ち”なのである。待つだけの、ご利益がある、と信じられていた。

 ちなみに、八朔については、ずいぶん前になるが、2011年の八朔に記事を書いた。
2011年8月1日のブログ

 昭和40年発行のアンツルさんの本に、これらの言葉の注釈はつかない。
 必要なかった、ということだ。
 とにかく、落語でしか聞くことのなくなった言葉が多くなった・・・・・・。
 
 もちろん、品川には吉原にはない良さもある。

 一方にそうした海道を持つそのかわりには、遊女屋の裏にはまた、冬ならあくまでくっきりと晴れ渡った安房、上総の見える海を持っている。
 安い鬢つけ油の女の髪のにおいがする部屋のなかには、汐の香もまた漂っていたことであろう。
  いうことがなさに初会は海をほめ
という川柳は、はじめて品川の宿で遊興の一夜を明かした若い手代風の男なんかが、房楊子を使いながら、宿酔の顔を朝の汐風にふかしている景色がよみがえるようだ。
 この文章を読んで、ある本を思い浮かべた。

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松井今朝子著『幕末あどれさん』

 それは、松井今朝子さんの『幕末あどれさん』。
 「銀座開花おもかげ草紙シリーズ」全四巻の第一巻と位置付けることができる本。
 旗本の次男である主人公の久保田宗八郎は、幕府の行く末に疑問を持ち、芝居に興味を抱いて河竹新七に弟子入りするのだが、その頃、品川によく出入りするようになった。

 私がアンツルさんの文を読んで思い出すのは、この光景だ。

 女は出窓の欄干にひじをかけ、ぼんやりと外を眺めている。風が左右の髪をなびかせて、女は先ほどから何度もうるさそうに髪をかきあげるしぐさをする。そのつど、ふとした向きによって、宗八郎がまじまじ見つめてしまうほど、女の顔は寿万によく似ていた。障子の開け放たれた出窓から海風が吹き抜けて、宗八郎の火照った膚を冷ました。
「やはり夏はここにかぎるなあ」
「生意気おいいでないよ。まるでよそをたくさん知ってのようじゃないか。ここしか知らないくせによう・・・・・・」
 出窓から離れた女は、やおら宗八郎の手を取ると、おのれの股ぐらに差し入れて、ふふふと下卑た笑いを漏らした。宗八郎は急に味気ない気分に襲われて、女の顔から目を背けた。
 ここ品川の相模屋抱えの花紫とはちょうと丸一年の仲になる。

 読んでいて、相模屋の窓から品川の海が見えるようではないか。
 ちなみに、「あどれさん」はフランス語で「若者たち」の意。

 幕末に生を受けた若者が、その運命に翻弄されながらも懸命に生きようとする姿を描く作品として、松井さんのこのシリーズと杉浦日向子さんの『合葬』は、どちらも傑作だと思う。
 このシリーズ、完結版は『西南の嵐』。そう、西南戦争が舞台となる。

 NHKの来年の大河、私は林真理子が描く西郷隆盛などにはあまり興味がなく、この「銀座開花おもかげ草紙」シリーズで久保田宗八郎を主人公にしたほうが、よっぽど、あの時代の姿を適切に描くことができるように思うがなぁ。

 さて、話は品川だった。

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*歌川広重「品川(日之出)」(東海道五十三次)
Public Domain Museum of Artサイトの該当ページ

 品川には、おそめと金蔵の物語に限らず、花紫と宗八郎の物語もあれば、他にもたくさんの男と女の話があったに違いない。

 それは、浦里と時次郎や、喜瀬川と五人の男などの物語とは違って、馬の嘶(いなな)きとともに、汐の香りに包まれていたことだろう。

p.s.
初めて使う女性が手紙を書いているようなデザインスキン(テンプレート)は、おそめにちなんでいるのだが、どれほどの人が察してくれるものやら・・・・・・。
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by kogotokoubei | 2017-02-24 20:45 | 落語のネタ | Comments(4)
 いろいろとあって、しばらく落語会、寄席から遠のいていた。

 20日にある会にお誘いを受けていたのだが、涙を飲んでお断りし、この会も行くのを諦めていた。
 しかし、状況の変化(好転)もあり、なんとか駆けつけることができた。

 今松のホームページ・出演情報のページに、『一文笛』と『品川心中~通し~』がネタ出しされていた。
むかし家今松ホームページの該当ページ

 『品川心中~通し~』は、2012年、末広亭の師走下席の主任の高座で聴いている。
2012年12月27日のブログ

 初めてあのネタを通しで聴いたのは、2008年9月の県民ホール寄席、さん喬。
2008年9月18日のブログ

 さん喬が1時間15分だったのに比べ、今松が38分でこなしたのには驚いたものだ。
 しかし、この時間では、無理があるのも致し方なく、それぞれの場面の描写がどうしても浅くならざるを得なかった印象。

 さて、今回はどうなのか、楽しみだった。

 この会は「ごらく茶屋」主催の伝統ある地域落語会。
 県民ホール寄席として、通算341回目とのこと。
 この伝統ある会には、三年前の七月、同じ会場の一朝独演会以来。あの時は「県民ホール寄席ー馬車道編ー」と銘打っていた。
2014年7月31日のブログ
 この日、受付でいただいたプログラムには、今後の予定が7月まで載っているのだが、会場はすべて関内ホール(小ホール)だ。
 かつてのように神奈川県民ホールの小ホールが主会場、関内が出張版、ということではなく、関内ホールを今後はメインにするということなのだろうか。
 私個人にとっては、それなら実に結構。県民ホールは、少し遠いのだよね。

 関内なら、勤め帰りで行く場合の便も良い。
 小満んの会で親しみのある会場での今松の会に行くことが出来た僥倖に、感謝。

 念のため昼に電話し、まだチケットがあることは確認していた。
 受付には、ごらく茶屋さんの有志(?)の方が数名いらっしゃって、あの懐かしい家庭的な雰囲気が漂っていた。

 運よく、結構前の方の席も残っていた。
 小満んの会の時と同じようにコンビニで買ったおにぎりをロビーで食べ、腹ごしらえ。
 会場は、六割ほどの入りか。
 小満んの会と同じ位かと思うが、指定席を前の方から販売していたようで、前の方がしっかり埋まっている。
 小満んの会では、四方にお客さんが散っているので中央が空いていたりするのに比べ、この方が噺家さんにとっては、やり良いのではなかろうか。客席も、一体感があるように思う。

 さて、こんな構成だった。
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(開口一番 立川らくぼ 『二人旅』)
むかし家今松 『一文笛』
(仲入り)
むかし家今松 『品川心中~通し~』
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 感想などを記す。

立川らくぼ『二人旅』 (21分、*19:01~)
 初である。受付でいただいたプログラムには、学習院大学卒、2013年6月に志らくに入門、とのこと。
 志らくには二十人近く弟子がいるようだが、なぜそんなに多いのか、不思議だ。
 マクラでスラム街を歩くのは好きなどとふってから本編なので、流れは悪くない。
 謎かけ部分は、今では分かりにくい洒落ではあるが、なんとかこなして茶屋へつないでサゲた。噺家らしさを感じる見た目を含め、印象は悪くない。
 それにしても、同じ大学の大先輩は、入門の選択肢には入らなかったのかな。

むかし家今松『一文笛』 (26分)
 県民ホール寄席には初登場なのだろう、結構しっかりと自己紹介。
 師匠のことを語る中で、中尾彬が義理の息子と説明し、信用できない人間つながり(?)で、トランプ、大阪人、京都人、のことなど。
 若い頃によく大阪に行き、その際に米朝に稽古してもらった噺として本編へ。
 ネタのマクラとして意外に思ったのが、大阪では掏摸のことを“チボ”という。本にもなっている「チボー家の人々」・・・読んでないので内容は知りませんが、で会場も大笑い。へぇ、こんなクスグリもするんだと思って私も笑っていた。
 この噺は、正直なところ、あまり好きではない。あの右の人差し指と中指を・・・という部分が、聴いていて“痛い”のだ。同じような理由で、犬が登場する『無精床』も、苦手だ。
 しかし、そういう“痛さ”を今松の高座では感じさせない。それも芸だろう。
 主催者からリクエストがあった噺とのこと。理由は、以前、米朝がこの自作のネタを演じてくれたことによるらしい。
 四年前の三百回記念企画、小三治独演会の時にいただいた「演目一覧」を確認すると、この会が始まって四年目の昭和58(1983)年3月17日、第18回の桂米朝独演会で、『持参金』『算段の平兵衛』と『一文笛』の三席を演じたらしい。34年前だ。
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 米朝はまだ五十路、さすがの三席。
 その年の一月には小朝の名もある。
 「演目一覧」を眺めると、あらためて、この会の歴史を感じるなぁ。

 さて、ここで仲入りだった。

むかし家今松『品川心中~通し~』 (52分、*~20:56)
 仲入り後、羽織を脱いで登場。
 結論から書くが、圧巻の高座。この会の目の肥えたお客さんに今松の存在感をしっかり印象づけたように思う。
 まず、日本橋から京都三条大橋までは、距離にして約五百キロ、徒歩で十四~五日の旅だったと説明。
 吉原からの帰りは「後朝(絹々)の別れ」だが、品川は少し落ちて、「木綿木綿の別れ」と言って笑わせる。どこか、小満んの会を思わせるようなこういったマクラも実に結構。
 昨年師走の末広亭、あの『鼠穴』でも感じたことだが、おそめの表情の変化が巧みだったことにも驚いた。貸本屋の金蔵とのやりとりでも、それが際立つ。
 金蔵がやって来たのはいいが、果たして一緒に死んでくれるのやら、と思案している時の表情から、金蔵がおそめが死ぬならおれも死ぬ、と言ってくれた後の満面の笑み。また、金蔵が海に飛び込んだ後で、若い衆が番町の旦那が移り替えの金を持ってきてくれたと伝えた後の、なんとも白状な態度、などなど。
 前の方の席だったので、その表情の豊かさが、よく分かった。
 聴かせどころの一つは心中をしようとする件だが、金蔵が親分に暇乞いに行った際、あわてて短刀(あいくち)を忘れてきたと判明した後の会話を、座右の書興津要さんの『古典落語(続)』と記憶を元に再現。

おそめ まあ、そそっかしいねぇ、この人は・・・・・・あたしも、こういうことがあるかと思って、昼間のうちに、カミソリを合せておいたから・・・・・・金さん、死ぬのはかみそりに限るよ
金 蔵 おい、待ちなよ・・・・・・かみそりはいけねえ、刃の薄いので切ったやつは、あとで縫うのがていへんだと医者が言ってた

 このあたりでも笑いが起こるのが、芸というものだろう。
 結局、品川の海に飛び込もうということになって、裏の木戸を外して桟橋へ。

おそめ さあさあ、金さん、なにしてるんだよ、ずんずん前へいくんだよ。桟橋は長いよ。
金 蔵 桟橋は長いが寿命は短けえ。おいおいおいおい・・・水がある

 この「水がある」なんてなんでもない科白にも、会場の多くの方と一緒に笑ったなぁ。

 「上」のサゲ部分、あの親分の家でのドタバタも、淡々と進めながらも、十分に楽しかった。
 
 「下」の『仕返し』の部分では、幽霊役の金蔵がおそめに縁起の悪い話をする場面も、なかなか出合えない聴かせどころ。

 いったん死んだが、十万億土という暗いところを歩いていると、金蔵、金蔵とよばれてふりかえると生き返った、という金蔵。

おそめ まあ、よかったねぇ。じゃあ、こうしよう。今夜はいろいろはなすことや聞くこともあるから、あたしが台のものをとってあげよう
金 蔵 それが、もう、いったん死ぬと、人間は意気地がねえもんだから、なまぐさものはちっとも食べられねえ
おそめ あらそう・・・・・・じゃあ、精進ものならいいだろう
金 蔵 うん、そんならすまねえけど、おだんごをすこし・・・・・・
おそめ いやだよ。で、おだんごは、餡かい、それとも焼いたのかい
金 蔵 白だんごがいい
おそめ いやなことおいいでないよ
金 蔵 ここにある紅い花なんぞよしちまって、樒(しきみ、別名仏前草)を一本・・・・・・
おそめ おふざけでないよ、縁起でもない。今、だんごをそう言うから
金 蔵 いや、もう、なにも食べたくない、なんだか心持が悪いから、寝かしてくれ

 これだけの科白にしたって、白だんごや樒を調べることで、その時代の人々の風習などを知るヨスガとなる。
 枕団子や枕飯なんてぇのも、死語になりつつあるなぁ。

 金蔵の戒名は、大食院食傷信士。ちなみに興津さんの本では、養空食傷信士。

 以前、末広亭で38分で聴いたが、今回は52分で仕立て上げた。
 この噺では、映画『幕末太陽傳』を思い出すが、金蔵が小沢昭一さんに、そして、おそめが左幸子さんに見えるかどうか、などと開演前に思っていたが、あくまで今松が描く、金蔵であり、おそめであった。金蔵は小沢さんよりもアクを少しなくした感じ、おそめは左さんよりは優しい印象。それも、悪くない。
 とにかく、おそめが、生き生きとしていた。落語登場人物の中では、嫌な女の筆頭にもなろうかというおそめが、表情に愛敬のある、なんとも可愛い女として描かれていて、それがまた噺に艶を与えていた。 
 サゲは、従来の「比丘(魚籠)」ではなく、尼にちなんだものにしていたが、これも無理はなく、結構。
 よく今松の高座を評して、“軽さ”という言葉が使われるが、単にそれでは誤解を招くだろう。まったく、言い足りない。
 小満んとは味わいが違うのだが、あえて言うなら、軽妙洒脱、なのだろうなぁ。軽いだけではないのだ。
 同門の雲助とは好対照だが、師匠の芸風を思うと、今松こそが継承者だと思う。
 長講を感じさせない好高座。迷うことなく、今年のマイベスト十席候補としたい。


 おそめについて、少し。
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安藤鶴夫著『落語国紳士録』

 安藤鶴夫さんの『落語国紳士録』で、「おそめ」はこう書かれている。

 「品川心中」に登場。品川新宿・城木屋の女郎、神田から通ってくる馴染客の貸本屋の金蔵(三二)と心中をやりそこなったひと、当時二十七、八。
   □
 勝気で、意地ッ張りで、伝法で、色の浅黒いきりっとしたいい女だったから、若いうちはいつも板頭を張っていた。板頭というのは吉原でいうお職、つまりいちばんその店で営業成績のよろしいスターを宿場の女郎屋でそういっていた。
 ちょいと新内ぐらいはやりそうな女にみえるが、別に音曲の素養はなかったようだ。しかし、手紙を書かしたらまず品川はおろかなこと、花の吉原にもおそめほどの女はいないといわれたものである。大の男を骨抜きのひょろひょろにして、心中を決意させるほど、ことほど左様に、見事な手紙を書いた。
 とあって、金蔵に宛てた手紙が掲載されている。
 ちなみに、城木屋は、白木屋とする本もある。

 今松は、アンツルさんの見立てよりは、おそめの勝気、意地っ張りの度合いを薄め、以前は板頭を張っていたのだから、さもありなんという可愛さや愛嬌を少し強く押し出していたように思う。二十七、八なら、今松の造形は納得できる。

 せっかくなので(?)、おそめの手紙もご紹介。
一筆書き残しまいらせ候 御前様も御存知の如く この紋日には金子なければゆきたち申さず ほかに談合致す者もなくに泣かれぬ鶯の 身はままならぬ籠の鳥 ほう法華経までおかしく申し候えども 今宵限り自害致し相果て申し候 時折の御回向をほかの千部万部より嬉しく成仏仕り候 ほかに迷いは御座なく候えども 妾(わたくし)亡きあとはお神様をお持ち申し候かとそれのみ心にかかり候 百年の御寿命過ぎての後 あの世とやらにてお目もじ致し候をなによりのたのしみと致し申すべく候 書き残したきことは死出の山ほど候えども こころせくまま あらあらかしく
   金さま まいる                  おそめ より
 これが、アンツルさん曰く、品川どころか吉原も含めてもナンバーワンと言える技による、男を迷わす手紙^^

 なお、かつて通しで演じられる際は、最初の夜に、金蔵を目の前にしておそめが手紙を書いて、その手紙を金蔵に読ませていたようだ。
 今松は、おそめの言葉で、紋日前の切ない女郎の心境を語らせた。
 この手紙の件を入れると、あと五分は必要になるかな。
 おそめの語りで良いのだろう。

 それにしても、おそめから死ぬと聞いた金蔵が、心中に付き合う時の決断の早さは、落語ならでは^^


 一夜明け、関内で、なかなか聴く機会のない噺、そして今松に出会えた幸運を、あらためて噛みしめている。

p.s.
記事を書いてから、いただいたプログラムの今後の予定の脇の小さい文字の「これからの県民ホール寄席」という案内に気が付いた。県民ホールが7月から、関内ホールは11月から改修工事に入り、来春まで使えないと記されていた。「その期間の会場をどこにするのか只今頭を悩ませています」とのこと。そうだったのか。県民ホールは来春までだが、関内ホールはサイトを見ると来年9月まで工事で使えないようだ。あら、小満んの会は、どうなるのだろう・・・・・・。
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by kogotokoubei | 2017-02-22 12:57 | 落語会 | Comments(4)
 毎日更新されるので、頻繁に訪ねる噺家さんのブログは、古今亭志ん輔の「日々是凡日」と春風亭柳朝の「総領の甚六」、そして最近は立川談四楼のツイッターかな。

 今日の柳朝の記事は、実に興味深かった。
春風亭柳朝のブログの該当記事

 なぜなら、古今亭志ん朝の大須演芸場の独演会の、ある高座での事件(ハプニング)の真相が判明するからである。

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『よってたかって古今亭志ん朝』(志ん朝一門、文春文庫)
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 *印が、初CD化のネタである。

 上の表は、『よってたかって古今亭志ん朝』の巻末資料を元にした大須の公演日と演目の一覧表。
 
 その事件は、大須9年目、平成10(1998)年、初日11月9日の二席目の『火事息子』のマクラの時に起こった。

 なんと、この演目の冒頭で、大須演芸場の消火器のピンが抜け、白煙を撒き散らしたのであった。

 柳朝のブログでは、この事件を引き起こしたある噺家さんが写真つきで登場。
 その写真は、その噺家さんの話の聞き手、そういった楽屋ネタを高座でかけることが大好きな噺家さんとのツーショット。

 へぇ、そうだったんだ、あの事件の真相は^^

 このマクラは、まだ書き起こしていないので、次に取り上げるつもり。

 コメント欄がないので、柳朝にはリンクのことを連絡できないのだが、おかげで、大須の謎の一つが解けた。柳朝、ありがとう!

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by kogotokoubei | 2017-02-21 12:53 | 志ん朝 大須の「まくら」 | Comments(0)

 落語芸術協会の下席のメールマガジンが届いた。

 毎回楽しみなのが、小南治による「小南への道」。

 入門一ヶ月で、ついに師匠が『平林』の稽古をしてくれたとのこと。

 一部、ご紹介したい。

二日目、三日目、と演って頂き、四日目に私が師匠の前で喋るのです。

「思った程の訛りは無いなぁ。」

上下(カミシモ)の事、登場人物の年格好、そして、もっと大きな声で喋る事など注意して
頂きました。

「高座で演ってもええよ・・・。」

隣の部屋で聞いていた、南なん兄さんと南てん兄さんから

「紙切りで人前で喋った事があるんだろう。
もう少し上手いと思っていたのになぁ~。」と、残念がられました。

「平林」を喋る私の高座を見た南喬師匠からも言われました。

「お前は、身体を動かし過ぎだ。
歩く、走る、の描写以外は身体を揺らすな!」

子供の頃から正楽に紙切りの手ほどきを受けていた私には、座布団に座ると身体を揺らす。
このDNAが組み込まれていました。

 父の弟子だった当代正楽の科白を思い出すねぇ。

 動いていないと、暗くなります^^

 つい、紙切りの癖が出てしまったわけだ。

 なかなか、微笑ましい逸話だ。

 浅草の下席、昼の主任が寿輔で、夜が小南治。
 
 色物を含め、なかなか魅力的な顔ぶれが並ぶが、行けるかなぁ・・・・・・。

 そろそろ、生の落語への禁断症状が出てきた。

 いろいろ野暮用があるが、僥倖と縁を期待しよう。


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by kogotokoubei | 2017-02-20 21:45 | 落語芸術協会 | Comments(0)
 旧暦一月二十日の義仲忌に関し、『源平盛衰記』を含んだ矢野誠一さんの『落語歳時記』の記事を紹介したが、あのネタを十八番とする大事な噺家さんのことを忘れていた。

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矢野誠一著『落語讀本』(文春文庫)


 同じ矢野さんの本、『落語讀本』の同ネタの内容から引用する。

味わい
 落語は耳学問。むかしのひとは、うまいことをいった。ありとあらゆる教えが、落語のなかにこめられているのだが、歴史だってそうで、あの膨大なる源平の合戦の模様をば、わずか二十分そこそこで林家三平が語ってくれちゃったのである。
『源平盛衰記』は、林家三平の数少ない古典落語のレパートリーのひとつであった。やはりごくたまに演じていた『浮世床』『反対車』『湯屋番』などと同じく、父親ゆずりのネタなのである。1949(昭和24)年に没した三平の父、七代目林家正蔵も三平に劣らぬ人気者だった。その父親の十八番だった『源平盛衰記』が子に伝えられる。源平の合戦に限らず、歴史というものは、古来親から子へと伝えられたものだろう。
 林家三平の高座を「あんなもの落語じゃない」の一言でかたづけてしまうことを悲しむ。三平のためにではない。落語のためにである。誰もが、物語のはこびのほうに汲々として、かんじんの豊かな語り口の創造を忘れてしまっていたとき、十年一日のごとき高座ではあったが、ただその場の客を楽しませることに徹しきっていた林家三平が、いま、とてもなつかしい。


 私は生で三平の源平を聴いてはいないが、テレビでは何度も見た記憶がある。
 NHKで過去の三平の落語の映像としてこのネタの高座がよく使われるので、お馴染みの方も多いだろう。

 『源平盛衰記』は『平家物語』の異本とされるが、実は、どっちが歴史上先に世に出たかは、諸説あって定まっていない。
 そのあたりは、Wikipediaに詳しいのだが、「語り物」が『平家物語』で「読み物」が『源平盛衰記』とされる。
Wikipedia「源平盛衰記」

 Wikipediaには、「読み物」であった源平の落語版について、次のような説明があった。

元々は「源平盛衰記」といえば7代目林家正蔵の十八番であり、これを東宝名人会で聞き覚えていた息子の初代三平が後輩の柳家小ゑん(後の談志)に伝授した。これにより、「源平」は多くの落語家に演じられるようになった。 演者ごとのストーリーの例を大まかに記すが、実際には筋はないので、口演ごとに異なっていた。特に談志のものは初代三平から教わった「源平」に吉川英治の「新・平家物語」のエッセンスを加えたものである。
林家三平版…平家物語冒頭→平家追討令下る→義仲入京→義経頼朝黄瀬川対面→義仲討ち死に→オイルショックの小噺→扇の的→交通事故にまつわる小噺→壇ノ浦合戦[3]
立川談志版…マクラ(歴史上の人物の評価の変遷について)→平家物語冒頭→平清盛と常盤御前→袈裟御前と文覚→平家追討令下る→義仲入京→義経頼朝黄瀬川対面→義仲討ち死に→扇の的→ソビエト崩壊についての小噺→壇ノ浦の戦い

なお、談志が演じた源平盛衰記にはサゲが無く平家物語の冒頭部分を最後に再び語るが、元の三平や文治が演じた源平盛衰記には地口落ちのサゲが存在する。

派生の噺として那須与一の屋島の戦いでの扇の的の下りを詳しく話す春風亭小朝の『扇の的』という演目がある。この噺の場合、サゲは初代 林家三平が演じるサゲと同じである。

上方落語では『袈裟御前』という演目の落語があり、その名の通り袈裟御前に焦点を当てた形となっているが、挿話の方に重点が置かれる地噺という点では『源平』と同じである。笑福亭鶴光が得意としている。
 
 そうなのだよ、談志には三平から伝わっているのだ。
 私の記憶では、三平が高座で演じようとして、談志に逆に教わりに行ったはず。

 一時、三平を義理の父としていた小朝の『扇の的』、鶴光の『袈裟午前』は、生で聴いている。

 さて、当代の正蔵や二代目の三平が、源平を演じるのかどうかは知らない。

 しかし、必ずしも血筋のみならず、こういう噺は、途切れることなく語られ続けて欲しいと思う。

 『平家物語』や『源平盛衰記』は、能や文楽、謡曲など幅広い芸能で演じられるが、壮大な歴史絵巻を、その時代に応じたクスグリを交え、聴く者が笑いながら短時間で学ぶことができるのは、落語だけである。
 
 そして、この矢野さんの文を読んで思うのは、「豊かな語り口」のこと。

 三平の語り口を「豊か」と表現できる落語評論家は、そう多くないだろう。

 しかし、それこそ、落語というものを知っている者の証なのだと思う。
 単に、ギャグを飛ばしまくることを言うのではない。

 あくまで、リズムがあって心地よく、味わいのある・・・なかなか形容が難しい。

 とにかく、なかなかいないのだよ、そういう噺家さん。
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by kogotokoubei | 2017-02-19 17:38 | 落語のネタ | Comments(2)
 今日は二十四節気の雨水。
 雪から雨に変わり、春の訪れが感じられる季節の始まり、と暦は教えている。

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矢野誠一_落語歳時記

 矢野誠一さんの『落語歳時記』は、初版が読売新聞から単行本で『落語 長屋の四季』として昭和47(1972)年の発行。
 私の座右の書は、1995年2月発行の文春文庫版だ。
  
 今日は旧暦で一月二十二日だが、二日前一月二十日は、義仲忌。

 本書より引用する。

 旧暦一月二十日、木曽義仲の忌日。治承四(1180)年倶利伽羅峠で平氏の大軍を破り入洛したが、粗暴な行ないが多く、後白河法皇に忌まれ、範頼・義経に討たれ、粟津の松原で戦死。寿永三(1184)年のことで行年三十歳。
    *
 落語という藝は、たいてい会話が主体になってはなしが展開するが、そうでなく地の文が中心ではなしをはこぶ「地ばなし」というジャンルもある。いってみれば漫談に近いものだ。立川談志が得意にしてる『源平盛衰記』は、この地ばなしの傑作で、牛若丸と弁慶の出会いから、平家の天下、倶利伽羅峠、宇治川の先陣争い、ひよどり越え、屋島の合戦といった大河ドラマをまことにスピーディーにはこび、あっという間に平家の一門を海に沈めてしまう。まさに「おごる者久しからず」だが、なかで木曽義仲のくだりはこんなあんばいである。いかにも談志らしいギャグがちりばめられている。

 木曽義仲は、まず間違いなくNHKの大河で主役にはならないだろう。
 義経の父、義朝の弟の子。頼朝は義仲の七歳年上。義経は五歳年下。
 二歳の時に父義賢(よいかた)が義朝の庶子悪源太義平のため滅ぼされたが、救い出され、乳母の実家に匿まわれて成人した。
 この乳母の旦那が木曽谷の豪族、中原兼遠(かねとう)で、彼はこの義仲を後々のために、じっと温めていたのだ。
 この関係は、北条時政と頼朝との関係に近いが、その末路はまったく対照的なものとなった。
 日本の歴史上の人物の中で、ヒーローのベストテンの上位に挙げられるであろう義経を敵にし、皇室(後白河法皇)からも疎まれていた人物が、ドラマの主役にはなりにくいが、三十歳で亡くなった義仲、もう少し話題になってもよい人物ではなかろうか。

 ということで、義仲忌にちなんだ談志のネタを、あらためて本書から引用する。
「平家をつぶせ、都へ攻めのぼったのが木曽の山中で育った暴れ者、幼名が駒王丸、成長の暁、木曽の冠者次郎義仲。樋口兼光、今井兼平、猛将を連れた三枚。かなた越中の国境、倶梨伽羅峠へさしのぼった。すわピンチ、急遽都からリリーフに送ったのが平家のルーキー平惟盛だ。十三連勝してるからなんとかなるだろうなんてね。ところが雨がしょぼついてるすい真っ暗だから、『木曽の軍勢攻めてこねえだろうな、半チャン打つか、たまには』リーチ、メンタンピン、ドラ一ちょう、一発かなんかやってた。油断はするもんじゃあないよ。攻めてこないと思った木曽の軍勢、ふだんから訓練がちがう、木曽(基礎)訓練てえやつができてる。牛の角にたいまつつけるてえと平家の陣中へ放した。いにしえの本をひもとくと『弓を取る者は矢を取らず、かぶとを取ったがよろいがない。ブラジャーつけたがパンティーがどっかへいっちゃった』赤線の手入れみてえなもんで、アワ食って倶梨伽羅谷へ落っこちた」


 このネタは、師匠譲りで当代の文治も十八番にしていて、それはそれで可笑しいのだが、あらためて音源を聴くと、やはり談志版は秀逸だ。

 倶梨伽羅峠の勢いのままにはならなかった、木曽義仲。

 時代小説でも、彼を主役とした作品を、私は知らない。

 誰か、書いてくれないかなぁ、などど思っている。 


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by kogotokoubei | 2017-02-18 14:25 | 落語の本 | Comments(4)
八五郎 いますか?
ご隠居 おや、八っつぁんじゃないか、お上がりよ。
八五郎 言われなくても、上がらせていただきやす、よっと。
ご隠居 どうした、やけにご立腹じゃないか。
八五郎 そりゃぁそうですよ、ご隠居。
ご隠居 何かあったかい。
八五郎 何かどころじゃねぇですよ、あの天下りの件でさあ。
ご隠居 ああ、文科省の嶋貫というOBが天下りを斡旋した、ってえ
    やつだね。
八五郎 そうそう、それですよ。ひでぇじゃねぇですか、国の教育を
    考えなきゃならねぇ役人が、あんなことやってていいんですか。
ご隠居 たしかに、そうだねぇ。
八五郎 人間は平等だとか、公平だとかってぇことを教えるのが教育
    じゃねぇんですか。
    あんなことやって、何が平等で公平か、ってんですよ。
    そんで、そのOBってぇのが保険屋さんに月二日行っただけで、
    一千万ももらってんですってね。驚くじゃねぇですか。
ご隠居 他にも財団法人や文科省の火災保険の代理店から報酬をもらって
    いるらしいね。
八五郎 前川とか言う先(せん)の事務次官とかが、「万死に値する」
    なんて言ってましたが、その後で嶋貫と顔を合わせて笑ってまし
    たぜ。
    まったく、反省なんかしてませんぜ、あいつらは。
    責任とって辞めたって言ったって、前川の退職金は8000万
    とかって聞きますぜ。それだって税金からでしょう。
    「万死に値する」と思っているなら、返せって言いてえ。
ご隠居 まぁまぁ、八っあん、少し落ち着いたらどうだい。
八五郎 これが落ち着いていられますか、ご隠居。
    あっしの築地に勤めていた仲間は、その店が豊洲に移転でき
    ねぇんで、店をたたんじまったもんで、仕事なくしちまったん
    ですぜ。
ご隠居 ああ、前にも聞いたが、勝っあんのことだね。
    だが、文科省の天下りと勝さんの話は、別じゃあないかい。
八五郎 あっしがいいてぇのは、お上(かみ)のやることで仕事をなくす
    奴がいるってぇのに、お上では、仲間内でろくに苦労しねぇで、
    天下っている、ってえことですよ。
    勝の野郎、今は日雇いの力仕事をしてますが、まだ子どもは
    小せえし、かみさんだって仕事してますが、万が一どっちかが
    倒れたら、てぇへんなことになりやす。かみさんは、スーパーで
    レジ打ってますが、子どももいるんで働く時間もすくねぇもんで、
    辞めたって失業手当ももらえねぇんです。
    他の長屋の連中も、みな大変なんですよ。親の面倒をみてるかみさん
    なんか、働きにも出れねぇ。
ご隠居 そうだね、親御さんの介護をしている人は大変だなぁ。
八五郎 どうも、世の中、不公平でならねぇ。
    役人やでっけえ会社の勤め人はいいかもしれやせんが、長屋の
    連中は、いっこうに給金は上がらねえわりに、税金やら保険
    やらが上がって、ピイピイ言ってますぜ。
    それに比べて、税金で高い給料や退職金もらっていながら、
    辞めた後も天下りで甘い汁を吸っている連中は許せねぇ。
    格差社会、って言われますが、それをなんとかするのが、役人の
    仕事じゃねえんですか。
ご隠居 八っあんの言うことは、ごもっともだ。
    そうそう、格差ということでは、いろいろ統計からも裏付けされて
    いる。
    先進諸国が加盟するOECDの統計がある。
    2015年5月にOECDから「格差縮小に向けて」というレポート
    が出ているので、その中から紹介しよう。
「格差縮小に向けて」(OECDのレポート-2015.5)
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ご隠居 これは、ジニ係数のグラフだ。0に近ければ格差が少なく、1に近づく
    と格差が大きいことを示す。
    オレンジ色が日本のジニ係数の推移だね。
    アメリカほどではないが、フランスやOECD加盟国平均より1に近い
    のが分かる。ここ数年、1に近づいてきているのが確認できるね。

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ご隠居 こっちのグラフが、所得上位10%の平均が、下位10%の平均の
    何倍あるか、という国別のグラフだ。まさに、格差を表す数字だね。
    オレンジが日本。
    これらのグラフを見ながら、レポートの次の内容を読むと、
    分かりやすいのじゃないかな。

日本における所得格差は、OECD 平均より高く、1980 年代中盤から拡大している。これは、大半のOECD 加盟国と同様の傾向である。日本では2009 年には、人口の上位10%の富裕層の平均所得は、下位10%のそれの10.7 倍になり、1990 年代中盤の8 倍、1980 年中盤の7 倍からの増加となる。2013 年のOECD 平均は9.6倍だった。

相対的貧困率(所得が国民の「中央値」の半分に満たない人の割合)は、日本では人口の約16%である*
(これはOECD 平均の11%を上回るもの)。相対的貧困率は、世代間では、高齢者が最も高く、66 歳以上の約19%に影響をもたらしている。
 *別の統計である全国消費実態調査によると、2009年の所得不平等や貧困の水準はもっと低い。

総じて、1985 年以降、日本では、家計収入の平均はほとんど増加しておらず(毎年約0.3%増加)、さらに下位10%の貧困層では家計収入が毎年約0.5%減少している。格差は2006-2009 年の金融危機の間にも引き続き拡大し、人口の上位10%富裕層の所得は横ばいだったものの、可処分所得は合計で5%減少した。

ご隠居 数字で見ても、間違いなく格差が拡大しているね。
    このレポートによると、所得の再分配においても、日本は決して
    褒められる国とは言えない。税や給付などの再分配の度合いで、
    日本より低いのは、チリ、韓国、アイスランド、スイス
    だけだった。
八五郎 なるほどねぇ。格差は拡大しているのに、貧しい人間を
    国が救う手を打ってねぇということですね。
    こういう数字ってのは、動かぬ証拠です。
    どっかで聞いた科白ですが、数字はウソをつかねぇや。
    こういう問題をなんとかするために、政治家や役人は税金から
    給金をもらっているんでしょうが。
ご隠居 OECDは、政策決定者に求められること、として次のような提言
    をしているんだ。
◇職場ベースの社会保険制度によって非正規労働者の社会保障を拡大する。そのためには例えばコンプライアンスの向上や、フルタイムに近い実質労働時間のパートタイムへの適用拡大などがあげられる。
◇非正規労働者が正規労働に移行しやすくするために研修機会を推進したり、昇進ができるように日本版職業能力評価制度を構築する。特に家計における第二の稼ぎ手に働く意欲を与えるために、就業中の給付や財政措置を強化する。
◇利用しやすい保育を増やし、父親に育児休暇取得を推進する等、仕事と家庭のバランスを改善できるような対策を発展させることで、女性の労働市場参加を増やす。
◇低所得者のために勤労所得税額控除の導入を検討する。

ご隠居 二年前の内容だが、状況はあまり変わっていないように思うねぇ。
    「一億総活躍」とか政府は言っているが、具体的な策が打たれている
    のかは疑問だ。
八五郎 そう言えば、共働きのカミサンの稼ぎで税金が控除される金額が
    変わりますね。103万から150万になるってぇんですが、なんか
    中途半端じゃねぇんですか。
ご隠居 お、よく知ってるね。配偶者控除の上限が上がるんだが、その
    通り、中途半端だ。これ位じゃ、女性が活躍する社会などには
    つながらないねぇ。いっそ上限をなくし、共稼ぎができやすい
    仕組みを考えて欲しいものだね。そして、女性の出産や育児を
    考え、勤務時間が短いパートさんでも失業手当が受けられるなど、
    いわゆるセーフティネットを設けなければ、いけないねぇ。
    そして、母子家庭や父子家庭、子どもの貧困問題など、問題は
    山積みだ。
八五郎 そうそう、あっしの家も、いろいろやることが山積みだった。
    ご隠居、ありがとやんした。
    今日は、いろいろ、タメになりやした。
    ・・・ちょいと帰る前に、はばかり貸してもらいてぇんですがね。
    どうも、食ったものが悪かったのか、朝から腹が、ピーピー
    言ってましてね。
ご隠居 そうだったのかい。早く行っておいで。
八五郎 はばかりながら、お借りします。
    そうか、役人は天下りで、あっしは腹下り、えれぇ格差だ!

  ・
  ・
  ・
オソマツさまでした。

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by kogotokoubei | 2017-02-15 21:39 | 八五郎とご隠居 | Comments(6)

 いわゆる評論家と言われる人は掃いて捨てるほどいるし、その中の経済評論家も、中には政府の犬のような人物が多い中、浜矩子は異彩を放っていると思う。

 私より少しだけ年上だが、このおばちゃん(失礼^^)、権力に媚びないし、なかなか言うことが鋭く、気の利いた科白も多い。

 「アホノミクス」「ドアホのミクス」、さらには「妖怪アベノミクス」などの造語(?)は、なかなかのものだと思っていたら、落語がお好きらしい。

 ダイヤモンド・オンラインの「一人一話」というコラムで、佐高信が書いていた。
ダイヤモンド・オンラインの該当記事
落語と酒が好きなエコノミスト、浜矩子
佐高 信 [評論家]
【第64回】 2017年2月13日

「過激な論客ふたりが初めて手を組んだ!」という謳い文句の浜と私の『どアホノミクスの正体』(講談社+α新書)が、刊行2ヵ月足らずで5万部に達した。

 計4回8時間に及ぶ対談をまとめたものだが、私は何度か、「浜さん、私以上に厳しいことをおっしゃいますね」という驚きの声を発した。
 
 佐高信は昭和20年生まれなので、浜矩子は一回りほど年下になるのだが、対談では年の差を感じさせなかったようだ。

 その威勢の良い浜さんが、落語好きであることが明かされる。
とにかく浜との8時間の対談は濃密だった。そのメリハリの利いた言葉のセンスに私は感心したが、それは落語好きの影響もあるらしい。『どアホノミクスの正体』の対談の後に『俳句界』での対談をお願いして、「浜さんは落語が好きなんだって?」と水を向けると、彼女は、「大好きです。今は江戸落語なら古今亭志ん朝さん。上方なら、桂文珍さんが好きですね。子どもの頃は、それこそ志ん朝のお父さん・志ん生さんをよくラジオで聞いていました」と告白した。

 上方の好みは私と違うが、古今亭親子の好みは、同じだ。
 落語の魅力について、なかなか鋭い意見が披露される。
「落語の何が面白いかというと、“おかしい”からなんですけど、特に古典落語は人々の生態がにじみ出て来るし、あの頃の日本人はこういう感じだったのかというのがよくわかる。単一民族でみなが金太郎飴みたいだ、というのが日本人の本性ではないとわかる。実に多様な人々が共存していて、みんな勝手なことを言っているんです。人の顔色を見ているでもないし、あまり突出してはいけないという考えもないし、それでいて、長屋で絶妙な呼吸で共同生活をしていますよね。そういう姿が、すごくビビッドに出てくるので、猛烈に面白いです」と続けた。

 経済をめぐる話の時より、生き生きしている感じさえする。

 まったく同感。
 落語長屋の住人は一人一人、自分の了見をもって、権力に媚びずに生きている。
 二本差しが怖くては、鰻のかば焼きも田楽も喰えねぇ、のだ。
「落語の言葉づかいというのは、すごくうまいですよね。無駄がないし、諧謔というのはこういうものだなというのがにじみ出ていて。落語台本を書く人というのは冴えていたんだなと思います。ちょっとした綾のところに、猛烈なおかしさがある。言葉もそうだし、呼吸もそうですよね。うまい落語家は面白くするための呼吸を持っていて、えも言われずいいものだし、難しいものだし、張り詰めたものだし、でもそれが猛烈におかしいという。なかなか素敵に高度なものですよね」

 そうそう、諧謔精神が落語には溢れている。
 直球の野暮な言い方はしないけど、無駄のない洒落た科白が満載だ。

 権力に抗せず、思ったことを言う姿勢や、切れ味の鋭い啖呵や表現のセンスの良さは、落語がお好きだったからかと、浜女史の秘密を知ったような、嬉しい記事だった。

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by kogotokoubei | 2017-02-13 12:58 | 落語好きの人々 | Comments(8)
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 前の記事で書いたようの、加太こうじさんの『落語ー大衆芸術への招待ー』では、『一眼国』の後に、『死神』が登場する。
 最初の部分から、あらためて引用するが、あの噺で初めて知るサゲに、実に驚くのだ。

体制と反体制
 道徳というものは、その時代の価値基準の大きな目もりである。支配者はつねに支配者の道徳を作り出して、支配される者に押しつける。支配される側も自分たちの道徳を持ち、その立場から支配者の道徳を批判する。支配者の道徳と支配される者の道徳が一致する場合もあるが、多くは相反するものである。落語はいつも、支配される側ー民衆の立場に立っていたから支配者の道徳を批判する話が多い。ここでは、直接、支配者の道徳に対して別の道徳を提示した落語について考察してみよう。
 「死神」という落語は、同内容のものがグリム童話集にある。また、「死神」は明治時代に、イタリアのオペラから改作したものだといわれている。いずれにしてもヨーロッパの民話が落語「死神」の原典であることにまちがいはない。
   珍八という幇間は陰気でひねくれた男だった。あるとき、死神が
  あらわれて「お前のような男が好きだ、仲良くしよう」という。
  珍八は死神から人の生死の秘密をきいた。それは、病人の枕元
  に死神が坐っていれば病人は死に、足の方に坐っていれば、
  その病人は助かるということであった。
   (中 略)
  居ねむりからさめた死神は自分が足の方にいたので、病人を
  助けてしまう。珍八は莫大な礼金をもらったが、あとで死神は
  珍八の計略を知って怒った。珍八を地獄へつれていった死神は、
  地獄のおそろしいようすを見せる。珍八は人間の寿命の灯を見て、
  消えかかっているのやパッと明るいのがあるのを知った。珍八は
  死神が油断しているすきに、どれもこれも長生きするように、みんな、
  燈芯をかき立てて明るくしてこの世へ帰ってきた。

 今日演じられる「死神」では、一度ももお目にかかったことのない、ハッピーエンドなサゲ。

 この後に、加太さんは、こう続ける。
 「死神」という話は<人間を支配しているものは人間の力の及ばぬところにある>という考えをみごとにひっくり返して<人間を支配するものは人間である。その知恵と勇気によってこの世の中の主人公になるのだ>と主張している。すなわち、神とか、強力な力を持つ支配者の支配に抗して、弱者とされている者の力を人間尊重の立場から誇示しているのである。<人間の生きる喜びを尊重しない者は、いかなる絶対的な権力者といえども、だましても、反抗してもかまわない>と、落語「死神」は語っている。

 悩ましいのは、円朝の原作は、こんなハッピーエンドなものではないということだ。

 加太さんは、紹介した内容の「死神」が、どの噺家のものなのか書いていないが、“鼻の円遊”こと初代三遊亭円遊だろう。
 「誉れの幇間(たいこ)」、または「全快」と題し、ろうそくの灯を全部ともして引き上げるというハッピーエンドに変えていたらしい。

 元となったと言われるイタリアのオペラ「クリスピーノと死神」が、ハッピーエンドらしいので、先祖がえりと言えないこともない。

 サゲについて、この噺ほど噺家による工夫を求めるネタもないだろう。
 加太さんは、円遊版を元に、支配者に抗する人間の知恵、という視点でこの落語を評しているが、まさにサゲには知恵を絞る噺家さんが多いだろう。

 蝋燭の灯が、どうやって消えるかで工夫をする噺家さんが多い中、いっそ円遊のように、窮地を脱して生き延びる物語にする人がいても、それもまた結構ではなかろうか。

 もちろん、通常のサゲでも、この噺が聴く者に与える深い味わいは残る。
 しかし、それは権力者に抗する人間の知恵の素晴らしさと言うより、その知恵の使い方をめぐる道徳的な戒めになるかもしれない。

 そのうち、円遊版に負けない、ハッピーエンド版の「死神」に出会ってみたいものだ。
 
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by kogotokoubei | 2017-02-11 15:02 | 落語のネタ | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛