噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

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 事前に楽日の今日、小三治は末広亭を休演することが案内されていた。

 果たして、誰が代バネかと落語協会ホームページの「本日の寄席」を見たら、三三だった。
落語協会HPの該当ページ

 池袋の高座の後で、新宿へ移動だな。

 私は、昼の主任が夜も出演するより、ずっとこの方が良いと思っていたので、メデタシメデタシ^^

 しかし、行くことはできない。

 知らずに小三治だと思って行かれる方が、散々(三三)な目に遭うことは、ないと思う!

 失礼しました。
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by kogotokoubei | 2016-06-30 12:22 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 市馬が昼夜共主任を務めることができない(?)、小三治出演日に、末広亭へ。

 この日は、日本橋か新宿か、で迷っていた。

 日本橋は、当初喜多八と三三の兄弟会の予定だったが、はん治と三三による「喜多八を偲ぶ会」に替わった。二人の対談には興味があった。

 しかし、どういう偶然か居残り会メンバーが新宿に集合することになり、私の迷いも吹っ切れた。

 とはいえ、都内で一件野暮用を済ませた後なので、私は途中入場。
 ほぼ昼夜居続けの佐平次さんなど、他のよったりさんは、先に昼の部からお楽しみ。
 まぁ、私は4月の入院前後に居続けをしたので、今回は、小三治さえ聴けて、居残り会が楽しめれば、と思っていた次第。

 コンビニでおにぎりを買って、5時40分頃に入場。
 柳家さん福の『普段の袴』が始まったばかりのようだった。
 一時過ぎに入場した佐平次さんからは、メールで「二階まで、ほぼ一杯」とご連絡をいただいていたが、昼の部がはねて椅子席の団体さんが帰られたこともあり、席に余裕ができたようだ。

 二階には空きがあるらしいし、一階の椅子席にもわずかながら空ができていた。
 私の好きな下手桟敷は、後ろの方に空きがあるのだが、柱が邪魔で高座が見えにくい場所。上手の桟敷には中央付近に若干スペースがあった。
 上手の桟敷と決め、後ろのパイプ椅子に座って、さん福のサゲまで待つ。

 さん福は、4月8日の居続けの昼の部で『だくだく』を聴いていた。
2016年4月10日のブログ
 その4月が5年前の、同じ小三治主任の席で聴いてから久しぶりの二度目、そして今回が三度目なるのだが、ハナから聴くんだった、と思わせる、なかなかの高座だった。
 袴を大家に借りに行くと、大家から「誰かと思ったらガラか」と言われ、八五郎が「今日はハチなしか。縁日の植木屋じゃねぇや」とか、「襞(ひだ)が崩れて、高山は大騒ぎだねぇ」なんてぇ科白が、楽しかった。

 さて、最初から聴けた出し物について感想などを記す。
 小三治主任の席ながら、結構幅広い一門から、珍しいと思われる人も含んだ顔付になっているように思う。

ひびきわたる キセル漫談 (9分 *17:53~)
いつもの芸。オットセイ、アザラシ、トド、微妙に違って聞こえたのは、私の耳が悪いのか^^

入船亭扇好『権助魚』 (14分)
 権助が、魚屋で“網打ち魚”として買う中に、サメの切り身があるのは、もしかすると初めて聴いたような気がする。サゲにつながるので、結構普及しているのかもしれないが、勉強不足で誰の型なのかは知らない。
 嫌いではないし楽しく聴いたのではあるが、何か物足りなさを感じたのも事実。あえて言うなら、高座に“華やかさ”が欠けている、ということだろうか。
 上手いだけに、もう少し華があれば、と思うのだ。
 昨年亡くなった九代目扇橋には、七人の弟子がいる。入船亭扇遊・入船亭扇海・三代目入船亭扇蔵・二代目入船亭扇好・入船亭扇治・入船亭扇辰・入船亭扇里だ。
 扇海は寄席にはほとんど出ていないはず。三代目扇蔵は四十代でなくなっており、昨年、扇遊の弟子遊一が、四代目扇蔵を襲名した。
 この人は、若い時は結構将来を嘱望されたとも聞く。扇遊は、もはや中堅の一枚看板。その次は、となるとこの人ではなく、弟弟子扇辰の名が挙がるだろう。
 まだ、五十代の前半。力はあると思うので、扇橋の芸を継承する一人として、より存在感のある噺家になって欲しいし、きっとなれると思う。

柳家一九『そば清』 (15分)
 師匠小満んが主任の席以外でこの人を聴くのは、私としては珍しい。
 以前も聴いたことがあるが、この噺は、ニンだ。
 清兵衛さんが、喋りながらリズミカルに蕎麦をたぐる場面、つい、こっちも蕎麦が食べたくなる。
 清兵衛さんの「どう~もぉ~」を何度か聴くうちに、それだけで可笑しくなる。
 過去の音源では十代目馬生が際立っていると思うが、現役でこの噺に関して、この人は間違いなく上の方に位置するだろう。師匠が師匠である、それも当然かもしれない。
 さん生を含む一門会などは開いているのだろうか。もし開催されているのなら、ぜひ駆けつけたいものだ。

伊藤夢葉 奇術 (11分)
 あの“鞭”、よほど好きなんだろうなぁ^^
 コミック的な芸に、一層磨きがかかったような気がする。
 最初に、師匠の一葉を知っている人がいますか、と客席に聞いたら結構手が挙がったので、嬉しかったのではなかろうか。
 以前、彼が師匠の名を口にして懐かしく思い、矢野誠一さんの本を引用して記事を書いたことがある。
 ご興味のある方は、ご覧のほどを。
2014年6月8日のブログ

春風亭勢朝『大師の杵』 (14分)
 地噺の達人、とでも形容できるかもしれないが、それ以外は聴いたことがない、というのも寂しい気がする。
 同じネタにしても、以前小満んで聴いた時とは、印象はまったく異なる。
 器用ではあるが、その先に何を求めるのか・・・そんなことも思ってしまう。
 
桂南喬『短命』 (16分)
 仲入りは、私が好きなこの人。
 マクラで、四十九日の法要での落語会に呼ばれ、故人が好きだった『野ざらし』を演じたが、笑うどころか未亡人が号泣した、という話は可笑しかった。ネタじゃないよね、まさか^^
 この噺は、最近では若い人もよく演じるのだが、やはり、年の功だなぁ、と思う。
 なかでも、隠居が何度説明しても、なかなか短命の原因が分からない八五郎のとぼけた味が良い。
 隠居と八五郎とのやりとりにも、笑いを取ろうとする、あざとさを見受けない。
 伊勢屋の若女将が、困った人の質草をこっそり夜になって返してあげる、という美談(?)は、初めて聴いたと思う。 
 寄席で欠かせない芸達者、この日も見事な高座で十分に役割を果たした。寄席の逸品賞候補としたい。
 それにしても、このネタを聴いても、喜多八を思い出すなぁ。
 
古今亭菊太楼『饅頭こわい』 (11分)
 クイツキは、この人。大抜擢ではなかろうか。
 4月の居続け夜の部で『替り目』を聴いて感心していた。
2016年4月11日のブログ
 しかし、小三治主任の席でのこの深い位置は、プレッシャーもかかるだろう。
 語尾を飲み込む場面もやや目立ち、4月に比べると本来の出来ではなかったと思う。
 円菊門下ではすぐ上に菊志ん、その上には菊之丞、そして下に文菊と、良い意味でライバルに恵まれている。
 明るい高座には好感が持てる。ぜひ、一門でも先輩後輩にひけをとらない噺家さんになって欲しい。
 この深い位置での起用は、きっとそういう期待もあってのことだと察する。

ホンキートンク 漫才 (10分)
 落語を素材にし、水を飲もうとして「やめよう、夢になるといけねぇ」などのギャグで大爆笑。
 今、もっとも乗っている漫才コンビかもしれない。
 昼の部で笑組も観た四人さんは、ホームランも良かったし、とにかくホンキートンクが圧倒的に良かった、笑組は、今一つ、との感想で一致していた。
 コンビの個性も違うし、短い時間で制約があったとは思うが、ゆたかさん、頑張れ!

三遊亭歌る多『町内の若い衆』 (14分)
 久しぶりだなぁ、と思って後で調べたら、2013年10月の末広亭、漫談と短い『替り目』以来だ。
 今や、落語協会の理事さんとしての貫禄もついてきたような気がする。
 兄いの女房を真似て熊の女房がシナをつくろうとする場面、膝を崩して斜めになったあたりは、なるほど、女流落語家の武器を出したな、と思った。
 また、それ以上は野暮という寸前で女が演じる女役の過度な色気を止めるあたりは、百戦錬磨の感あり。
 女性らしく、二人の女性を見事に演じ分けた。
 居残り会でも少し話題になったが、あえて男の噺家のような高座を目指す無理をしないことにした、のかと思う。それが、良い方向に向いているのではないだろうか。男は男、女な、やはり女なのだ。
 彼女は、東京での初女流真打。2010年から落語協会の理事。
 生年月日を正直に協会のプロフィールに掲載している。
落語協会ホームページの該当ページ
 こういう点でも、ある時点で“達観”したような、そんな気がする。
 最近若手の女流落語家が増えている。しかし、可愛いのは今のうち。問題は、高座での芸だ。
 ぜひ、勘違いしている若手の手本になって欲しい。
 また、協会の幹部として、女性の視点で発言して欲しいとも思う。
 ホームページが工事中の時、自身のブログかツィッターで、もうしばらく待って欲しい、というような内容で発言していたように思う。
 昨年、突貫工事は終わったようだが、あちこちに修理漏れがあると分かっていらっしゃるだろうか。

五街道雲助『ざるや』 (10分)
 寄席での十八番の一つを楽しく披露。
 縁起のいい噺を、10分でしっかりまとめる。このへんが、寄席で鍛えた芸。

林家正楽 紙切り (11分)
 ご挨拶替わりの「相合傘」からリクエストの「あじさい」と「文七元結」で、トリにつないだ。
 しかし、なぜ、この時期で「文七」なのか。

柳家小三治『千早ふる』 (26分 *~20:55)
 マクラなしで「知ったかぶりをするのは、いけないことです」で、ネタはすぐ判明。
 「もっと悪いのは、知っていて知らないフリをすること」で、若干政治ネタをいじる。時間が許せば、きっと都知事問題などにもふれたのであろうが、この部分はあっさり。
 そして、「一番いけないのは、知らないのに知らないフリをすること」と続く。この三段階は、私が持っている音源とも同じなのだが、最後は、実際は不思議なのだ。
 知らないのに知らないフリ、って妙なのだが、客席も私もつい笑ってしまう。何だろうなぁ、あの感覚は。意外性の笑いなのかな。
 前半は、以前よりも簡略になったように思うが、この噺の楽しさが損なわれることは、まったくない。
 「千早ふる」の和歌の意味を本当は知らないご隠居が、金さんに問い詰められながらも反撃するなかで、金さんが「考えろたって、ハナから知らねぇんですからねぇ」と言うと、「何から考えるればいいかを考えろ」という言葉は、以前はなかったような気がするが、なかなか示唆的だ^^
 サゲ直前、ご隠居が千早と神代、竜田川の意味のこじつけを解き明かした後で、「からくれない」の説明が、ポーンと抜けて、「水くぐるとは」に飛んだのは、残念。
 とはいえ、そんなことも気にならない位、飄々とした、とでも形容できる小三治の高座を堪能した。
 

 終演後は、楽しみにしていた、久々の居残り会。
 リーダー佐平次さんの後について、3月にあった権太楼の独演会(とみん小劇場)の後にもうかがったお店へ五人は向かった。途中、ちょっと迷子になったものの、無事到着。
 Yさん、M女史、そして私は途中でおにぎりを食べてはいたものの、結局、つい美味しくていろいろ食べたなぁ。
 飲み物の方は、生ビールの後は、皆で熱燗。結局、一升空いたらしい。
 締めは、佐平次さんのプロの注ぎ方(?)による瓶ビールだった。4本空いた、ような気がする。

 話題は、どうしても喜多八のことになる。
 私はI女史に、以前博品館でもらった「喜多八膝栗毛」のネタが書かれたチラシを差し上げた。たまたま、二枚あったのだ^^
 このチラシを元に記事を書いているので、ご興味のある方は、ご覧のほどを。
2016年5月25日のブログ

 I女史からは、全員に、最後の睦会で配布された、東京音協と“いがぐみ”さんで開催された睦会のネタ一覧表をいただいた。
 そのネタを眺めていても、高座を思い出す。
 聴けなくなってから、一層、その存在の大きさをずっしり感じる。
 「東京かわら版」7月号は、喜多八の追悼号らしい。いろんな人の言葉や対談が掲載されているようなので、買わなきゃ。

 話は、他にもこの日のそれぞれの高座のことやら、漫才のこと、今後の予定などに発展し、あっと言う間に11時が過ぎていた。帰宅は久しぶりに日付変更線を越えたのであった。

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by kogotokoubei | 2016-06-28 21:18 | 落語会 | Comments(10)
 新宿末広亭で開催中の6月下席夜の部は、小三治が主任。
 連日混んでいるようだ。

 次の番組表にあるように、23日、26日、30日は休演と案内されている。
新宿末広亭6月下席番組表

 ネット情報や、昨日の落語協会のホームページ「本日の寄席」によると、23日と26日、なんと昼の部主任である市馬が、昼夜とも主任を務めたようだ。

 入れ替えがない末広亭で、昼夜同じ噺家が、トリ!?
 なぜ?

 私も、たまに昼夜居続けをする。
 今年は、入院の前後に居続けをした。
 その楽しみの一つは、それぞれのトリを聴きたいからでもある。

 市馬に限らず、昼夜で同じ噺家のトリを聴きたいという人は、多くないだろう。
 
 膝前の雲助がトリに回ってもいいだろうし、池袋の昼の部に交替出演の三三が務めることだって可能だろう。

 小三治の代バネは、荷が重い、ということで落語協会会長が務めるということか・・・・・・。

 休演は事前に分かっていることのはず。
 事前に、代バネの噺家さんを案内しておけば良いのだ。
 もちろん、その案内を見逃して来られる方もいらっしゃるかもしれないが、代演での僥倖やガッカリも含めて、寄席なのである。

 落語協会には、市馬の他にも実力者は多い。
 権太楼、雲助、さん喬、そして小満んなどが代バネでも、まったく不思議はない。
 もちろん、弟子の三三だっていいじゃないかと思う。

 市馬の昼夜主任、もし、彼が会長としての責任感で考えた、としたら、大きな勘違いだ。

 あるいは、末広亭側がそう考えたのなら、友の会の会員としても、断固反対する。

 落語協会会長には、ホームページが体たらくのままであることを含め、他にやるべき仕事が、たくさんあるはずだ。

 片方の主任の休演日、同じ噺家が昼夜両方で主任という番組は、市馬本人が出演しない場合でも、会長として組んではならない構成と自戒すべきではなかろうか。

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by kogotokoubei | 2016-06-27 12:18 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
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池内紀著『はなしの名人-東京落語地誌』(角川選書)

 今回も、池内紀さんの『はなしの名人-東京落語地誌』を取り上げる。

 『悋気の火の玉』の章から。

 この章は、池内さんが、この噺の舞台の一つである大音寺で、実際に人魂を見たことから始まっている。
 本当に、少し怖いこともあり(^^)、その後から、ご紹介。
 元となる音源は、もちろん八代目桂文楽である。

「・・・・・・エー。花川戸に立花屋さんという鼻緒問屋がございました。あるとき、仲間の寄り合いでございます。そのくずれ、いまでいう二次会」
 どうだ、これから吉原へくりこむつもりだが、いかないかい。オイ、立花屋、おまえさんもおいでよ。
 悪友にさそわれて吉原にいって遊んでみたら、おもしろい。ドンドン、ジャンジャン、ガンガン、抜けるような騒ぎをした。根が商人であって、ソロバンをはじいて考えた。こんなことをしていた日には、いくら身上(しんしょう)があってもたまらない。もっと安く楽しめる方法はないものか。そうだ、身請けしよう。本人に話をして親元身請けというものにした。「根岸の里へ船板塀に江市屋格子、庭をひろくとって立派なご別宅をかまえました・・・・・・」

 鼻緒問屋の店構え。これはもう判で捺したようにきまっていた。間口は狭いが奥が深い。天井から色とりどりの鼻緒が束になってぶらさがっている。だからしぜんと腰をかがめ、上目づかいにすすまなくてはならない。鼻緒だけではない、爪革や麻裏草履、店によっては傘も扱っていて、蛇の目や番傘が並んでいた。
 壁にそってスラリと棚があり、下駄の見本が飾られている。薩摩下駄、駒下駄、吾妻下駄、日光下駄、それにポックリや雪駄。明治の中頃まで、駒下駄は畳つきののめりが好まれた。前がくってある下駄で、のちに一般化する両ぐりのものは、、いかつい感じで、やぼったく思えたらしい。地味なつくりだが、そのじつ、すこぶる上等品というのが履き手の自慢だった。落語「鰻の幇間」のい一八は、客にカモにされ、あり金すっかりなくしたあげく、すごすごと鰻屋を出ていくとき、最後っぺのようにタンカをきった。
「オイ、履きものだよ、下足(げど)だよ。冗談いっちゃいけねえ、こんな小ぎたねェ下駄履くかよ、芸人だ、けさ買った五円の下駄だよ」
 桐糸柾、本南部の表つき、鼻緒は白、またはネズミのなめし、茶の鹿革(こかわ)、あるいは繻珍(しゅちん)の腹革。こういったのが粋筋の好みだった。

 同じ文楽の別の十八番にまで、下駄つながりで飛んでいくところが、実に楽しい。

 それにしても、下駄の種類がたくさん登場するねぇ。
 池内さんは、本業がドイツ文学者のはずだが、履物評論家でもあるのか^^

 「繻珍」・・・私が持っている三省堂「新明解国語辞典」(小型版、1991年10月の第四刷)によると、こうなっている。
シュチン しゅすの地に模様を織り出した織物。「<繻珍」は、借字。
 では、「しゅす」はどうかと言うと。
繻子 縦糸・(横糸)を浮き出すようにして織った、つやが有ってなめらかな感じの織物。サテン。
 
 ということで、サテンの地に模様を織り出した織物が、繻珍。
 これ以上は、ご自分でお調べのほどを。

 ちなみに、私が最初に「繻珍」という言葉に出会ったのは、樋口一葉の『たけくらべ』だ。
 ご興味のある方は、青空文庫で第十一章をご覧のほどを。
青空文庫の樋口一葉著『たけくらべ』

 珍しい言葉ほど、最初の出会いなどを覚えているものだ。
 だから、この部分を読んで、『たけくらべ』を思い出した。

 下駄屋さん、懐かしい。
 子供の頃、北海道の田舎町でさえ、近所に下駄屋さんがあった。
 あの頃の靴屋さんということになるだろうから、当たり前と言えば、当たり前か。

 本書からの引用を続ける。

 「悋気の火の玉」には四つの地名が出てくる。花川戸と吉原と根岸、それに大音寺前。花川戸の旦那が吉原のい女をひかして根岸に妾宅をかまえた。これは前半である。後半はもっぱら大音寺の門前。
 どうして主人公を花川戸の鼻緒問屋にしたのだろう。むろん、花川戸に鼻緒問屋があったからだ。スラリと軒を並べていた。花川戸が下駄と鼻緒の街だったことは、都立産業会館裏の花川戸公園に「履物問屋街発祥碑」があることからもあきらかだ。「先人の偉業」を顕彰して、浅草履物会協同組合がこれを建てた。

 検索していただければ、「履物問屋街発祥碑」の写真などをご覧いただけると思う。

 なるほど、鼻緒問屋は、花川戸じゃなくてはならないのだ。

 妾宅が根岸、というのは、落語好きの方に違和感はないだろう。
 では、なぜ、妾と本妻の火の玉が出合うのが大音寺前なのか。

 池内さんの散策も踏まえた裏付けが、書かれている。

 実は、私が「繻珍」で思い出した、あの本のことを池内さんも引用しているので、ドキッとしたのだ。

 大音寺は樋口一葉の『たけくらべ』の冒頭に出てくる。「廻れば大門の見返り柳いと長けれど」のすぐあと、お歯ぐろ溝(どぶ)に灯がうつり、あけくれなしに遊び客のクルマがいきかうところー。
「大音寺前と名は仏くさけれど、さりとは陽気に町と住みたる人の申(もうし)き」 
 その『たけくらべ』では、下駄が重要な役目をはたした。雨の日に信如(しんにょ)は母のいいつけで用たしにいく。片手に届けものの小包み、もう一方の手に番傘。足は「鼠小倉の緒のすがりし朴木歯の下駄」。お歯ぐろ溝の角を曲がったところで、鼻緒が切れた。傘を大黒屋の門に立てかけ、紙のこよりで応急処置をしようとするのだが、うまくいかない。美登利が障子のガラスごしに見て、針箱の引き出しからちりめんの切れはしをつかんで走り出る。
「それと見るより美登利の顔は赤うなりて、どのような大事にでも逢いしように、胸の動悸の早ううつを、人の見るかと背後(うしろ)を見られて、恐る恐る門の傍で寄れば、信如もふつと振返りて、これも無言に脇を流るる冷汗、跣足(はだし)になりて逃げ出したき思ひなり」
 ほのかな恋の物語。遠眼鏡で幼い日々をのぞいたような、あのだれにでもある遠い日の甘ずっぱい思い出。
 信如の下駄と鼻緒は、花川戸の鼻緒問屋の旦那と、まんざらかかわりがなくもない。しかし、成熟寸前の少年・少女の「たけくらべ」と、少々成熟しすぎた本妻・別妻の意地くらべとでは、やはり、どうも、ちがいすぎるようだ。問題の鍵は、やはり大音寺にあるのだろう。

 文章が、なんとも上手いなぁ。
 大音寺、そして下駄から、『たけくらべ』につなげるあたりが、池内さんならではである。
 『たけくらべ』で、この後に美登利と信如が、どうなったのか・・・は、実際に読んでいただきましょう。

 さて“意地くらべ”の『悋気の火の玉』における、池内さんの大音寺の実地検証が続く。

 本堂にすすんでいく途中、左手にニューと立っている、大きなまっ黒の石に気がついた。角の一方が削(そ)いだように欠け、基底に近いところも欠け落ちていて、奇妙なバランスで立っている。となりあった二面に文字が刻まれており、正面はおそろしく太い字体で「南無阿弥陀仏」、左面の細字は闇に沈んで読みとれない。ライターをつけて、おもうさま上にかざした。小さな炎のなかに、端麗な細字がクッキリと浮き出した。「為安政横死墓」。右肩に安政二年十月二日の日付。
 西暦でいうと1855年である。秋十月のこの日、江戸は大地震にみまわれた。世に安政大地震といわれるもので、倒壊、焼失家屋一万四千戸。死者四千余。いたるところで火事がおこり、浅草から千足にかけてもまた壊滅。吉原田んぼは死者で埋まった。
 落語は意味深い地誌をきっちりおさえている。ここは死者たちのいつねい立ちもどるところなのだ。悋気のあげくの人魂もまた、落ち合うところは大音寺でなくてはならない。「悋気の火の玉」の舞台は慎重に選ばれ、意味深く語りつがれてきた。ここにはいまもなお、夜ごとにものさびしげな人魂があらわれ、人知れず消えていく。

 なるほど、火の玉は、大音寺に向かわなければならないわけだ。

 意外に、この噺を生で聴くことは少なく、2012年5月に池袋で三笑亭笑三で聴いただけだと思う。
2012年5月3日のブログ
 『悋気の独楽』は、結構多くの噺家さん、特に若手から中堅が演じるが、こっちの噺は、やはりそれ相応の人生の経験(?)がないと、難しいということだろうか。

 小満んは、ネタに持っているのかなぁ。
 ぜひ聴きたいものだ。

 私は池内さんの下駄の解説から、樋口一葉の『たけくらべ』を思い出し、その後読み進むうちに、大音寺という舞台と下駄の結びつきで、池内さんが『たけくらべ』を引用された部分を読んで、その偶然に驚きもし、嬉しくもあった。

 こういう僥倖に出会うことも、本を読む楽しさであるのだろう。

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by kogotokoubei | 2016-06-24 21:42 | 落語の本 | Comments(6)

 若者の落語ブームについて書いた記事にいただいたコメントで、確実に落語会や寄席で若いお客さんが増えているという情報に加え、一部の若いお客さんのマナーの悪さについてご指摘があった。

 せっかく、落語愛好家のすそ野が広がっているのに、ベテラン落語ファンとの間で軋轢があっては、いけない。
 しかし、教えなければ分からないこともあるだろう。
 また、いわゆる「マニュアル世代」は、一度教えてあげると守ってくれるような気がする。

 落語会や寄席でのマナー違反は、若い人に限らない問題である。

 落語芸術協会のホームページには、マナーに関して次のようなことが記されている。
 「寄席に行こう-落語はじめの一歩-」というページから引用。
落語芸術協会ホームページの該当ページ

寄席でのマナーって?

寄席は、好きなときに入って好きなときに出ることができます。寄席自体の再入場はお断りしているところが多いですが、基本的に客席は出入り自由。ただし、マナーとして、高座の切れ場(演芸と演芸の間)にするとよいでしょう。
また、飲食も自由です。売店でお弁当を売っているところも多いので、それも寄席の楽しみのひとつです。ただ、こちらもあまり音のするものやアルコール飲料はお控えください。アルコールOKの寄席でも、飲みすぎて芸人に絡まないようにしましょう。
このように、寄席には窮屈なルールはなく、とても自由な空間です。他のお客様や出演者に迷惑をかける行為に気をつければ大丈夫。携帯はマナーモードにしておいてくださいね。


 なかなか良いガイドだと思う。
 “他のお客様や出演者に迷惑をかける行為”に気をつける、ということが基本だね。

 私が気を付けていることや、気になることを踏まえてマナーについて書くなら、こんな感じ。
 
(1)着席は高座の切れ場
  これは、大前提。高座が盛り上がってきた時に、近くで他のお客さんが席に着く
  ためゴソゴソされること位、興醒めなことはない。
  一般的には、開口一番なら高座の途中でもまだ許される。色物も、まぁ途中着席も
  構わない、という風潮がある。
  しかし、私の場合は、開口一番も色物も、できるだけ切れ場になるまでは着席しないよう
  心がけている。演者に、そしてお客さんに耳障り、目障りであることに、変わりはない。
  また、奇術や太神楽の後には、道具の片づけや高座の準備のために少し時間がかかるので、
  着席するのに余裕もできる、ということを付け加えておこう。

(2)音(ノイズ)に注意  
  落語は、見て、そして“聴く”芸。
  人によっては、目をつぶって聴いている。だから、“ノイズ”は大敵である。
  近くで、お菓子の袋やポリ袋でガサゴソと音を立てられる位、気になることはない。
  音を立てそうな場合、これも、切れ場にするよう心掛けたい。
  また、高座の途中で、入場の際にもらったチラシを音を立ててめくっている人
  (だいたいは中高年の女性)がいるが、困ったものだ。
  
(3)携帯・スマホは電源を切る
  私は、マナーモードではなく、電源を切る。
  着信が途中で鳴るのは言語道断だが、バイブレーターの音だって、耳障りだ。

(4)メモは、迷惑にならないように
  私もメモは取る。ほとんどはチラシの裏。
  しかし、高座の噺家や近くのお客さんに迷惑をかけないよう出来るだけポイント
  を絞り、短時間で殴り書きするようにしている。
  場合によっては、前を向きながらペンを見ずにメモる。
  その結果、後から自分の字が判読できないこともあるが、熱心に下を向いて
  メモを取り続けるのは、噺家にも周囲のお客さんにも迷惑なことだ。

(5)高座途中の会話や発言はご法度
  若いカップルもお客さんに増えたようだが、高座の途中での会話はダメ。
  切れ場に小さな声で話すのは構わない。
  最悪な例は、ネタが分かった時に隣りの連れの人に告げる人や、サゲ前に
  サゲを言う人。
  これは、初心者ではなく、少し落語を知っている人なのだが、勘弁願いたい。
  以前、地域落語会で、高座の噺家に話しかけるお婆さんがいたが、実に驚いた。


 主だったマナーは、こういうことかと思う。

 あえて付け加えると、笑い方にも、できれば注意したいものだ。
 なかなか矯正するのが難しい面もあるが、無駄に大きな声で笑う“ゲラ男”さん“ゲラ子”さんが、たまにいらっしゃる。できれば、そのボリュームを調整していただきたい。
 本当は、笑いのツボでもないのに、むやみに笑う人も迷惑なのだが、これは感性の問題だろうから、治らないだろうなぁ。
 他に、座高が高い人や、頭の大きい人が前に座っていると高座が見えにくいが、これは、そういう席を避けるしかない^^

 マナーに関連して、お客さんではなく、落語会や寄席のスタッフにも言いたいことがある。
 お客さんを“高座の切れ場”ではなく、途中で客席に誘導するスタッフがいるが、困ったものだ。
 切れ場になるまでは、後ろで立って待つように注意すべきなのに、お客さんのマナー違反を誘導しているようなものである。
 
 主催者側に言いたいことは、他にもあるが、マナーのことから話が別な方向に進みそうなので、これ位にしておこう。

 結局は、他のお客さん、そして噺家の立場になって行動しよう、ということに尽きる。
 想像力の問題、と言えるかな。

 そういう想像力の豊かな人は、落語を堪能することも出来るはず。

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by kogotokoubei | 2016-06-21 12:47 | 幸兵衛の独り言 | Comments(12)

 最近、若者の落語ブームのことがメディアで取り上げられることが増えた。

 集英社「週刊プレーボーイ」のweb版「週プレNEWS」の6月18日の記事をご紹介。
 見出しは、ややウケ狙いに過ぎる気がするなぁ^^

「週プレNEWS」の該当記事
暴走族の元総長に女子が出待ち? グラドルもハマる若手落語家人気とは
[2016年06月18日]

高座も観客も老人ばかり――そんなイメージもあった落語で、噺家(はなしか)もファンにも“若返り”が起きているという。

■観客席に増える若者&女性

「最近、意外と若いお客さんも多いですよ。平日に行っても混んでますし、ひとりの女性やカップルで来てる方とかいます。昔よりはだいぶ、TVとかにも落語家さん出てきたりとかニュースで取り上げられたりしているので興味のある人が増えたんじゃないですかね」

というのは、グラビアアイドルの川奈ゆうだ。5年前にファンにもらった落語CDを聞いて以来、落語にハマり、時間があれば寄席(よせ)に通っているという落語好きだ。

確かに近年、“落語ブーム”と言われて久しい。2005年に宮藤官九郎脚本・長瀬智也主演でドラマ化された『タイガー&ドラゴン』や2007年の国分太一主演映画『しゃべれどもしゃべれども』あたりから火が付き、大泉洋が売れない落語家役を務めた『トワイライト ささらさや』(2014年)、松山ケンイチが主演を務めた『の・ようなもの のようなもの』(2016年)と最近も落語を題材にした映画がヒット。漫画『昭和元禄落語心中』も今年、アニメ化され、話題となった。

「『行ってみたいんだけど、ひとりで行けない、行きづらい』という友達も少なくないですね。『行きたいから連れてって』といわれて一緒に行ったりしますよ。知り合いのアイドルのコでも好きなコがいて、今度行こうという話をしたりしています」(川奈)

映画やアニメなど普段、落語を観ない層からファンが増える一方、落語界もブームに乗って変わってきている。特に注目を集めているのが、若手の台頭だ。

2014年にスタートした、落語に造詣(ぞうけい)の深いお笑い芸人・サンキュータツオが主催する、若手落語家が中心となった「渋谷らくご」(通称:シブラク)は連日満員。

さらに『平成27年度 NHK新人落語大賞』を獲った柳亭小痴楽(りゅうていこちらく)と瀧川鯉八(こいはち)などが結成した若手落語家ユニット『成金』の公演も満員御礼が続いている。

「今はSNSもありますし、若手落語家自ら発信する機会も増えました。そうしたところから各々アピールして認知され始めていると思います。特に昔と違って、今は元お笑い芸人出身だったり前職のある若手も多く、キャラクターに富んでいるので面白いんですよ」

そう話すのは、演芸情報誌『東京かわら版』の佐藤友美編集長。「落語」という芸だけでなく、その魅力的な人間性でファンを増やしているとのことだ。

 元暴走族のことや、このグラビアアイドルさんが、落語の楽しみ方について、なかなか良く分かっていらしゃることは、リンク先の2ページ目でご確認のほどを。
 同ページにあるのだが、なんと、若者にとっては、柳家喬太郎が“渋めの落語家”らしい。

 紹介した文中では、小痴楽が昨年のNHKで大賞を取ったことになっているが、それでは、桂佐ん吉が可哀想だろう^^
 たしかに小痴楽の高座も良かったけどね。
 ご興味のある方は、拙ブログの感想などの記事をご覧のほどを。
2015年11月1日のブログ


 落語芸術協会が、二ツ目の「成り金」メンバーを売り出そうと後押ししてきたことなどが、実を結びつつあることは、結構だと思う。

 漫画やドラマ、映画をきっかけに、これまで落語に接することのなかった若い人が落語と縁が出来ることも、良いことだと思う。
 「落語女子」が、寄席にかけつけることで、寄席の空間も華やかになるだろう。

 しかし、危惧することもある。

 本当に“人間性”で人気になるのならいいが、決してそうは言えないだろう。

 ブームの中で、果たして冷静にいられるかどうか、少し心配だ。
 人気になることで、また、若い女性に追いかけられて、自分を見失わないで欲しい。

 実力と人気とは比例しない。

 テレビも「イケメン」落語家などということで若手を紹介するのは、あまり感心しない。
 見た目の魅力(?)と落語の実力は、まったく別物である。
 ちなみに、紹介した記事の中でイケメン若手二ツ目として二人の名が挙がっているが、私は、どちらの技量も、まだまだ、と思っている。

 お客様の前で落語を披露する機会が増えるのは、自分の芸を磨くために良いことだが、チヤホヤされることで、勘違いしないで欲しい。

 ブームは、いずれにしても一過性のものである。

 いつブームが去っても不思議はない、という心づもりで、この流れをぜひ芸を磨くための場として活かせるかどうかが、長い落語家生活を左右するだろう。

 繰り返しになるが、今の若者の落語ブームは、落語芸術協会の若手を支援しよう、売り出そうという努力が実を結びつつあることが背景にある。

 そして、その活動は、危機感を背景にしていたと思う。

 2011年師走の同協会納会の席で、末広亭の社長が、落語芸術協会の寄席の客の入りの悪さに対し、他派との合同での開催なども含めたテコ入れを要請した。
 このことは、翌年正月の朝日の記事を引用して拙ブログで書いた。
2012年1月27日のブログ
 この記事で、私は、当時の落語芸術協会のホームページの問題などを含め、結構きつい小言を書いた。

 その後、ホームページは、当日の代演情報の掲載など、一歩づつ改善され、今では適宜最新情報も掲載されているし、二ツ目昇進者の案内も、出演予定の寄席情報を含め掲載されるなど、実に良いホームページとなっている。

 どうしても、落語協会のホームページと比べてしまう。

 五年前と今とでは、両協会のホームページは、まったく逆の状況になっている。

 あえて書くが、柳家喜多八のプロフィールは「物故者」の欄ではなく、現役のページに残ったままだ。
 四十九日までは、このまま、とでもいう規定があるのだろうか・・・・・・。

 7月11日の「お別れの会」についても、何ら案内されていない。

 昨年のNHK新人落語大賞の本選には、落語協会から一人も出場できなかった。

 協会は、これを“危機”として、考えているのかどうか・・・・・・。

 若い落語ファンから“渋め”と形容されている、柳家喬太郎理事あたりが、今何を考えているのか、気になるところだ。

 ネット時代の今日、ホームページは、その組織の「顔」とも言えるものである。

 落語芸術協会のホームページからは、実にニコニコした、元気な協会の顔を拝むことができる。

 一方、落語協会のそれは、“渋め”の色調と同様、なんとも活力のない顔としか見えない。

 若者の落語ブームという記事から、五年前から、ほぼ完全に逆転した両協会の勢いのことなどに思いた至った次第だ。

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by kogotokoubei | 2016-06-20 12:36 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
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池内紀著『はなしの名人-東京落語地誌』(角川選書)

 池内紀(おさむ)さんの『はなしの名人-東京落語地誌』から、二つ目の記事。
 本書は平成11(1999)年の8月初版発行で、内容は主に1994年から1999年にかけて「野生時代」や「東京人」に掲載されたものだ。書き下ろしのネタも一つある。

 前回の記事(『船徳』)では、舞台は柳橋だったが、今回は日本橋の『百川』の章から。

 こんな書き出しである。

 「百川」の舞台は日本橋・浮世小路である。現在の地番では中央区日本橋室町二丁目。“寛政四年創業・刃物の木屋”の横を通りをしばらく行くと、左に鰹節の老舗“にんべん”がある。これを左に折れた裏通り。
「むかしは浮世茣蓙(ござ)をあきなったので、それが地名に残って浮世小路となったそうで・・・・・・福徳稲荷という、そばにお稲荷さまがありました。そのへんが、百川のあった跡だということをうかがいましたが・・・・・・」
 一説によると、風呂屋があり遊女(ゆな)がいたので、この名がついた。食べもの屋が多かったことは、川柳の「門並にうまいものある浮世かな」からもわかる。そこの大店が百川で、天明(1871~89)のころは江戸で一、二をあらそう料亭だった。当時、料理茶屋としては、呉服町の樽三、佐柄木町の山藤、秋葉権現前の大黒屋などが知られていたが、百川は日本橋という土地柄もあって、あたま一つ抜き出ている。
 「江戸名物詩」にいわく、「諸家振舞、名改めの宴、貸切一日の休みなく、浮世小路浮世の客、百千年来り会す百川楼」。
 川柳子もうたっている。
  百川で長鯨を吸う留守居客
 そこへ妙なのがとびこんできてはなしの幕があく。

 こういう文を読むと、柳家小満んの高座のマクラを思い浮かべる。
 味があるし、ためになる。
 「地誌」と謳っているように、落語の舞台について、関連する古今の書などにもあたり、十八番としていた円生の内容を元にネタによる楽しさも再現しながら、まさに“本寸法”な書だと思う。
 
 日本橋界隈のことについて、このように書かれている。

 熊田葦城(いじょう)の『江戸懐古録』(大正六年)には、末尾に「地名の由来」がついている。それによると「日本橋」は「全国の諸侯に課して、海を埋め、川を掘りて架せしに依り、日本中のもの之れを架せしとて、誰れ言ふとなく日本橋と呼ぶ」とある。『中央区三十年史』といった本にも似たような記述がみえる。
 (中 略)
 橋を中心として、あたりには「日本橋」をいただく地名がひしめいている。日本橋小伝馬町、日本橋大伝馬町、日本橋馬喰町、日本橋小舟町、日本橋堀留町、日本橋小網町、日本橋茅場町、日本橋兜町、日本橋蠣殻町・・・・・・。
 伝馬町は伝馬役、つまりはメッセンジャーをつかさどる者がいた。馬喰町は高木源兵衛とか富田半七といった馬喰頭(ばくろうがしら)が住んでいたからだという。兜町は、ここに牧野侯の屋敷があって、源頼義の兜を納めた塚があったのが名の起こり。現在は東京証券取引所があって、資本主義の精鋭が目に見えない兜をかぶって出陣している。
 茅場町は茅を商う者が神田から移ってきて、この名がついた。只今はごぞんじ証券(かみ)を商う人種のメッカである。小網町は佃島の漁師の網干場があって、毎朝、夜詰まから帰るとき、ここに小網を人ずつ干したのにちなんでいる。照降(てりふり)町というのもあった。小舟町三丁目の俗称で、セッタ屋と傘屋が軒を並べていたので、こう呼ばれた。富沢町は、もともとhじゃ日本橋鳶沢町といった。鳶沢町甚内という者がこの地を拝領して古物市を開いたのがはじまり。のちに甚内が富沢と改姓したので、町も富沢町と改まった。

 池内さん、落語の舞台については、いにしえの書物を紐解くことを忘れない。
 熊田葦城という人は、1862年生まれで報知社(のちの報知新聞社)に在籍したことのある人。『江戸懐古録』以外にも『少女美談』『日本史蹟』『幕府瓦解史』『明治畸人伝』『日本史跡大系』他、たくさんの著作がある。

 池内さんも参照したようだが、中央区のホームページに、日本橋地域の地名の由来が載っている。
中央区のサイトの該当ページ
 引用した部分に、蠣殻町の説明が抜けていたので、同サイトから引用したい。

昔は漁師の小網の干し場であり、牡蠣の殻の堆積した海浜であったらしいのですが、町名の由来は明らかではありません。

 あら、そういうこと・・・・・・。
 だから、池内さん書かなかったのかな。

 百川があった界隈の変貌ぶりについて。

“にんべん”の角を折れて、旧浮世小路。電柱の広告に「この手前・日本ばし・宮川」とあるとことをみると、百川はないが宮川はあるらしい。左は銀行、右も銀行。なにしろ日本橋金座跡・日本銀行のお膝元である。ニッポン国中の銀行が忠誠をつくすようにして、われもわれもと支店をつらねている。
 
 この部分を読んで、銀行は「か・ね・も・じ」で、「か・め・も・じ」と一字違い、などと思っていた。

 池内さん、もちろん、落語そのものに対しても、的確な指摘で締める。
 ことばのいたずら。善意あふれた奉公人の、そのことばの悪意が都びとを愚弄する。日本橋をとり巻いて加賀町や出雲町や因幡町や越前堀が健在だったころ、落語の「百川」は、ひそかにべつの意味と役割をおびていたのではあるまいか。四方からやってきた他国者、無数の百兵衛たちの、ちょっとした仕返し、腹いせ。
 そのせいか、魚河岸の若い衆に、間抜け、抜け作とののしられても、百兵衛は平然としていた。
「うぬが抜けてるてえんだよ」
「どれくれえ抜けてますか」
 わざとらしく指を折って数えてみせた。か・め・も・じ、か・も・ぢ・・・・・・抜けているとしても、たった一字。

 賑わう浮世小路に登場した田舎者の百兵衛が、魚河岸の江戸っ子たちへの抵抗の物語、そんな噺だったということか。

 これが、実際に「百川」の宣伝に作られたというのは、信じにくいのだが、いずれにしても、よく出来た噺だ。

 田舎者が都会人に対して、嘲笑の対象である方言を武器に打ち勝った噺と思えば、田舎者の私は、結構うれしくなるのであった。

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by kogotokoubei | 2016-06-17 22:41 | 落語の本 | Comments(4)
 古書店通いが好きだ。
 見ているだけでも楽しい。

 今週火曜は、手術をした耳鼻科で外来診察のため午後から休みをとった。
 診察の結果は極めて順調で、次は五週間後でいいか、と言いながらも主治医の先生が手帳をめくるとその週は都合が悪く、四週間後に行くことになった。

 もっと混むかと思っていたが、たった15分待ちという異例のスピードで診察室に入ることができたので、時間が出来た。
 月曜と木曜の午前、そして火曜の午後が主治医の先生の診察日。
 これまでの経験で午前中は結構待たされるのだが・・・たまたまかな。
 そうか、花粉症の最盛期(?)が過ぎたからか。

 いずれにしても、楽しみな神保町散策である。
 ほぼ二時間ほど、あちらの店や、こちらの店。
 店に入ったり、外のワゴンを覗いたり。
 数軒のぞいたのだが、結局一冊も買わなかった。
 喉が渇いた。
 最近は、お茶が飲める古本屋さんが増え、そういうお店で以前本を買った際にもらったクーポンでお茶を飲んだ。
 アイスコーヒーは、思ったより濃い目で結構。「ショパン」ほどではないけどね。
 棚から数冊取り出して読みながらのコーヒータイムだったが、結局そこでも一冊も購入せず帰宅。

 本の出会いにも、“縁”とでも言うべきものがある。
 なかなか、縁を感じることがない時もあれば、店に入って、20~30分のうちに、複数の本との運命の出会い(?)を感じ、二冊、三冊と買うこともある。

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池内紀著『はなしの名人-東京落語地誌』(角川選書)

 池内紀(おさむ)さんの『はなしの名人-東京落語地誌』は、後者の方で、三冊ほど購入した中の一冊。
 しばらくは“積ん読”の状態だったが、最近になって読了。

 平成11(1999)年の8月初版発行で、内容は主に「野生時代」、一部「東京人」に掲載されたものだ。

 入手したのは、先月初旬の診察の日だったので、かれこれ一か月以上は、寝かせていたことになる。やはり、寝かせておくと、味わいが増す(酒じゃあるまいし^^)。

 病院が神田淡路町なので、神保町はすぐ近くなのだ。
 だから、通院は、結構楽しみだったりする。

 池内さんはドイツ文学者だが、落語などの芸能にも造詣は深い。

 また、はかま満緒さんが亡くなる前日まで収録していたという、NHK FMで毎月最終日曜に放送されていた「日曜喫茶室」の“常連客”としてご存知の方は少なくないのではなかろうか。

 実は、今年になってから、ある方のご支援をいただき収録したラジオを聴くようになった。
 いまや、ラジオがパソコンでも聴くことができ、それを録音して後から聴くこともできるということを、恥ずかしながら知らなかった^^

 テニスのため放送時間には聴けない「日曜喫茶室」の録音を聴き始めたのが、はかまさんご存命の時の最後の回だった。。

 こんな良い番組があったのか、と思っていたのだが・・・・・・。

 今は、過去の名作を放送しているが、これもなかなか楽しい。
 先月の放送で、私は近藤正臣という人を大いに見なおした。
 
 さて、そういうわけで、池内さんの声には親しみを感じていたので、この本を古書店で発見した時、「あっ、日曜喫茶室の」と思い、状態も良く値段も手ごろ、迷わず購入した。

 落語の舞台にちなむ本は、数多く出版されている。
 この本のように実際にその土地を歩いた上で書かれた本も、少なくない。
 
 本書は、落語家や落語評論を本業としている人ではない、かつ引き出しが多くて深い筆者ならではの魅力がある。

 たとえば、これから“旬”を迎える噺の『船徳』には、文楽の高座の引用を織り交ぜながら、次のようなことが書かれている。

「道楽とは道を楽しむと書くそうですが、なかには道に落ちるというのもずいぶん多いようで・・・・・・」
 ややカン高い声で、うたいあげるように話しだした。飲む打つ買うの三道楽のなかでも、若いうちは、つい三つ目にいく。これがたび重なると、親がかりならまず勘当ということになる。
「仕事がないから出入りの船宿の二階に権八(ごんぱち)ということになります」
 「権八」とは、居候のこと。芝居で白井権八が蟠随院長兵衛のところに厄介になるのにちなむ。人に問われると、ちょっと気どって「権八をきめている」などといった。
 柳橋は、もともとはその名のとおり橋の名前だった。橋ができたのは元禄十一年(1698)、神田川が隅田川に注ぐ河口にある。柳橋とはいえ柳はなかったことは、永井荷風の『日和下駄』に「柳橋に柳なきは既に柳北先生柳橋新誌に橋以レ柳為レ名而不レ植一株之柳とある」とあることからもわかる。それでもすぐ下手の両国橋に近い溝ぎわに小橋があって、元柳橋といい、そこに一本の古柳があったらしい。小林清親(きよちか)が『東京名所図』に描いているが、朝霧に川面がけむっていて、岸辺に幹の太い老木が見える。その下に着流しの男が一人、手拭いを肩にのせてボンヤリと水の流れをながめている。朝帰りといったところかもしれない。大川の水が威勢よく盛りあがり、その上げ潮にあおられるようにして猪牙舟がのぼっていく。櫓を漕ぐ音、カモメの鳴き声。荷風の東京散策記『日和下駄』が出たのは大正四年(1915)、そこに彼は書いている。
「かの柳はいつの頃枯れ朽ちたのであろう。今は河岸の様子も変り小流も埋立てられてしまったので元柳橋も尋ねにくい」
 ここから吉原通いの猪牙舟が出る。それで船宿が多かった。


 どうです、なかなか味わい深いと思いませんか?

 白井権八と蟠随院長兵衛、「鈴ヶ森」のあの有名な科白「お若えの、お待ちなせえ」を思い出すねぇ。

 しかし、本名の平井権八と長兵衛は、出会うのには少し時代がずれていて、あくまでお芝居の世界だけのようである。

 柳橋に関して荷風が登場すると、『日和下駄』をどうしても読みたくなるのが、私の性分。

 うれしいことに、「青空文庫」で読むことができる。
青空文庫の該当ページ

 紹介した“柳北先生”(成島柳北)の漢文の読みが、次のような内容だと、おかげで分かった。

  橋以レ柳為レ名而不レ植一株之柳
  橋は柳をもって名と為すに、一株の柳も植えず

 成島柳北の作品もいくつかは青空文庫に存在するが、残念ながら『柳島新誌』は、現時点では掲載されていない。
 ちなみに、成島柳北という人は・・・と始めると、どんどん本記事から離れて行くから、本書のことに戻り、巻末に一覧が掲載されているネタ十五席と初出情報をご紹介。

  野ざらし     「東京人」1994年9月
  品川心中     「野生時代」1995年6月
  船徳       「野生時代」1995年7月
  百川       「野生時代」1995年8月
  悋気の火の玉   「東京人」1995年4月
  文ちがい     「野生時代」1995年9月
  佃祭り      「野生時代」1995年10月
  富久       「野生時代」1995年11月
  藁人形      「野生時代」1996年1月
  芝浜       「野生時代」1995年12月
  王子の狐     「野生時代」1996年2月
  小言幸兵衛    「野生時代」1996年3月
  明烏       「野生時代」1996年4月
  真景累ケ淵    「東京人」1999年8月
  怪談乳房榎     書き下ろし
  
 
 なかなか、興味深い選択ではなかろうか。

 今後も、この本から紹介したい内容がある。

 まずは、「序」のお開き。
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by kogotokoubei | 2016-06-16 21:52 | 落語の本 | Comments(6)
 ブログを書いていることもあり、落語に関するニュースを日に一度はチェックする。
 今日、あの番組に関して、こんな記事を見つけた。
 「週刊ポスト」や「女性セブン」を発行している小学館のサイト「NEWSポスト・セブン」における「笑点」に関する記事。「週刊ポスト」6月17日号の記事らしい。

 番組そのものについては、司会者が替わろうが視聴率が高かろうが、まったく関心がなくて見てもいないが、この記事に、出演する噺家に関する広瀬和生という人のコメントがあり、それがどうもひっかかった。
「NEWSポスト・セブン」サイトの該当記事

 広瀬という人は、落語に関する本も書いているし、落語愛好家の間では有名だと思う。

 彼が、あの番組の出演者に関して、次のようにコメントをしている。

 まず、昇太について。
「もちろん好みはあるでしょうが、私は笑点メンバーだけでなく、今の落語家の中で昇太さんがトップクラスに面白いと思っている。彼は新作落語が得意といわれますが、実は古典も面白い。

 昇太師匠の信条に『人は追い詰めると変なことをする』というのがあるのですが、たとえば彼の演じる『時そば』は、『一人なのに二人連れのように振る舞う客に恐怖するそば屋』と『二人の客を一人で演じるプレッシャーに押しつぶされた客』という『二人の追い詰められた男』のドタバタの表現が絶妙です」

 『時そば』は上方版をベースにした昇太の生の高座を実際に聴いて感心した憶えがあるので、後半については同意できる。

 では、他のメンバーについて。
「林家木久扇師匠は、誰でも知っているあのキャラクターが魅力。三遊亭好楽さんは正統派の古典落語を手堅く務め、ネタ数が多い。三遊亭小遊三さんは滑稽話がものすごく上手い。

 三遊亭円楽さんは、先代の五代目・円楽のネタも引き継いで人情話から軽い話まで何でもできる。やっぱり先代の円楽師匠が『円楽』という名前を継がせただけはありますね。

 林家たい平さんは落語協会のホープとして、彼の本格的な古典落語の才能は春風亭小朝も高く買っていた。三平さんは、とにかく明るくて寄席を盛り上げる華があります」

 もちろん、最初に広瀬氏がことわっているように「好み」の問題はある。
 落語家の評価も人それぞれであって当然だと思う。 

 見解が違うことは悪いことではない、という前提で書くが、この記事の中の好楽、円楽、三平に関する評価は、私には同意できない。

 私が気になったのは、「この人、こんなコメントをする人だったのか?」ということ。

 「この落語家を聴け!」というような、刺激的なタイトルで落語評論の本を書いている人が、あの番組のあの顔ぶれについて、「ヨイショ」に近いようなことを言う人だったとは、どうしても思えなかったので、違和感を抱いたのだ。

 広瀬和生という人、落語については相当肥えた耳を持っていると思っていた。
 だから、好楽や円楽、三平について、こんな評価をする人だったっけ、と驚いた。

 そもそも、「笑点」出演者に関するコメントを受けるような人とも、私は思っていなかった。

 以前は、見解は私と違うことがあるが、数少ない硬派、辛口の得がたい落語評論家だと思っていたのだが、少し芸風が変わってきたかな。

 このコメントは、雑誌とネットに公開されている内容だ。
 最近になって落語に興味を持った人も、目にすることだろう。

 記事の冒頭には、小学館から発行されているこの方の著書の名前も出て来るし、同書のAmazonのバナーも表示されている。

 この方、最近は落語会も主催されているらしい。

 落語家への距離が近づくことが、彼の評論の切れ味に影響を与えているのか、と思うのは邪推だろうか・・・・・・。

 私は、職業として落語評論をしているわけでもないし、落語会を主催しているわけでもない。
 だから、自分の「好み」で、自分の思いを次に書く。

  好楽は、“正統派の古典落語を手堅く務める”噺家とは、思えない。
  円楽は、“人情話から軽い話まで何でもできる”、とは到底思えない。
  三平に、“寄席を盛り上げる華”などないことは、寄席で彼の高座を三分も聴けば分かる。

 これらは、それ相応の鑑識眼をもった落語愛好家の方と共有できる見解ではないかと思うのだが、果たしていかがだろうか。

 広瀬和生という人が、落語の指南役として少なからず存在感がある人だと思うからこその小言である。

 若手二ツ目を中心にした会に、若い女性客が駆けつけるなど、新たな落語ブームの到来かと、言われている。

 落語評論家と認められている方の言葉や著作は、それ相応の影響力を持つだろう。

 別に個人的な怨みなどは、いっさいないことを、おことわりしておく。
 
 どうしても、以前からのイメージでは、紹介したようなコメントをするような人に思えないので、つい、書いてしまった次第である。


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by kogotokoubei | 2016-06-13 21:29 | 落語評論 | Comments(18)
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安藤鶴夫著『落語国紳士録』

 飯島友治さんの『落語聴上手』を元に、糊屋の婆さんの記事を書く時、安藤鶴夫さんの『落語国紳士録』を確認した。
 この本は、1959年に青蛙房より出版され、その後1991年ちくま文庫、2000年に平凡社ライブラリーで再刊されている。私は、ちくま文庫版を所有。

 残念ながら、この本に登場する92名の中に、糊屋の婆さんは含まれていない。

 「紳士録」だからといっても、男ばかりというわけではない。

 女性は、次のような名が含まれている。
   喜瀬川・千代女・お崎・おそめ・おひさ・おなめ・おつる・お絹・小春、など。

 中には、『鰻の幇間』の、あの鰻屋の女性店員が、「ねえや・某」として紹介されている。


ねえや・某

 「鰻の幇間」に登場。手拭いをぶら下げた浴衣掛けの男に、野幇間の一八が連れていかれた鰻屋で「ああなる程、仰有る通りあんまり結構なお宅じゃないね、家は汚い、家は汚いけどうまいものを食わせるという・・・・・・」
          □
 などといわせた店で働いているねえやである。お松どんか、お竹どんか、それともお梅どんぐらいなことはいうかと思って、一生懸命に調べたが、名がない。癪に障ったので「ねえや・某」としてワキに「なんだかわからない」というルビを振ろうとしたら、そんなに長いルビを振ると印刷する上の形がつかないといって怒られた。怒られても、しかし、なんだかわからないことだけは、間違いはない。

 本書では、この後、羽織の男(一八)のことを尋ねた時の「ねえや・某」の言葉が掲載されている。一部をご紹介。

 「あんだって? その羽織着た男のことえを訊きてえッてかね? お前さんなにかね、あの変なお客様の親類の方かね? そうではねえ? ともだちでもねえ? ふんなら、あんでそんなに訊きたがるだかねえ。けど、いくら流行らねえ店だからッってもよ、おら、七年も八年もこの店に働いてて、紙幣(さつ)の皺ァのばしのばし男泣きに泣いた客つゥもん、おら、みたこたねえ。」

 「ねえや・某」が、一八が隠し持っていた紙幣の歴史、背景を知ったら、同情して、泣いてくれるだろうか・・・・・・。
 
 実は、「ねえや・某」は、その後、苦労しているようだ。

 釣りの二十五銭さおらにくれただけんどもね、あれ以来、この家も悪いことだらけでよ、去年神さんがおッ死んじまって、いまにも旦那がおッ死ぬてえ騒ぎだ。おら、羽織着のうらみじゃねえか思うだがね、おらもはァ二十五銭なんとかして返(けえ)してえ思うとるだに」

 まさか、一八のうらみじゃなかろう。
 
 それにしても、本書には、一席の落語だけに登場する、“なんだかわからない”鰻屋の「ねえや・某」は含まれているのに、多くのネタで存在感を示す「糊屋の婆さん」が含まれていないのが、私には不満である。

 きっと、飯島友治さんだって、同じ気持ちに違いない。

 上の画像、ちくま文庫の帯には「なじみの顔がみんないる、下町劇場」とあるが、看板に偽りありだ^^

 それにしても、お松でも、お竹でも、なんでもいいから、名前を付けてもらいたいものだ。
 「ねえや・某」と、毎度書く側の身にもなって欲しい。

 あっ、そうか!
 「糊屋の婆さん」を参考にして、「鰻屋のねえや」でいいじゃないか。
 今後は、そうしよう。

 とはいえ、他のネタには登場しないから、今後、「鰻屋のねえや」について書く機会は、そう多くはないかもしれない。

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by kogotokoubei | 2016-06-12 17:05 | 落語の本 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛