噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

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 久しぶりに、喜多八関連ではない記事。

 とはいえ、弟弟子のことではあるが。

 まったくこれまで気が付かなかったが、毎日新聞の記事で、柳家三三が、あの『嶋鵆沖白浪(しまちどりおきつしらなみ)』を再演することを知った。

 毎日のネットの記事、無料会員での閲覧回数は制限されており、それ以上は有料となっている。
 ネット時代で新聞社の経営も大変だとは思うが、こういう記事まで対象にすべきかどうか疑問だなぁ。
 少しだけ引用する。
毎日新聞の該当記事

創作の原点
落語家・柳家三三さん 稽古は嘘をつかない
毎日新聞2016年4月9日 東京朝刊

 現代の落語界を牽引(けんいん)する気鋭の一人、柳家三三さん。談洲楼燕枝(だんしゅうろうえんし)の長編噺(ばなし)「嶋鵆沖白浪(しまちどりおきつしらなみ)」を、自身の会「月例三三独演」で7月から6カ月連続で口演する。真打ち昇進から10年。今年は芸術選奨文部科学大臣新人賞を受けた。「落語が好きで、夢中で聴いていた子供の頃の自分が楽しいと思える落語がしたい」。原点を見つめ、目指す落語を明快に語る。

 燕枝は、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍。柳派を率い、同時代の三遊亭円朝とともに落語界の双璧をなした。


 日程は、他のサイトから情報収集可能。
 ここからは、拙ブログの過去の記事を含めてリンクが続くが、ご容赦のほどを。

 「三三時代」と題するサイトの出演情報によると、この噺が演じられる「月例三三独演」は、次のような開催日程となっている。会場は、すべてイイノホール。
「三三時代」の該当ページ

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 7月14日(木) 嶋鵆沖白浪 一、二 他
 8月 5日(金) 嶋鵆沖白浪 三、四 他
 9月15日(木) 嶋鵆沖白浪 五、六 他
10月19日(水) 嶋鵆沖白浪 七、八 他
11月10日(木) 嶋鵆沖白浪 九、十 他
12月 8日(木) 嶋鵆沖白浪 十一、十二 他
------------------------------------------------

 すでに、7月と8月のチケット、一般販売分は完売のようだ。

 私のこの噺への出会いの最初は、2010年11月16日、紀尾井ホールで行われた「談洲楼三夜」の初日だった。
2010年11月16日のブログ

 その時の記事でも引用した岡本綺堂の『綺堂芝居ばなし』(旺文社文庫)から、再度引用。
 燕枝の人情話の中で、彼が最も得意とするのは「嶋千鳥沖津白浪」であった。大坂屋花鳥に佐原の喜三郎を配したもので、吉原の放火や、伝馬町の女牢や、嶋破りや、人殺しや、その人物も趣向も彼に適当したものである。これは明治二十二年六月、大坂屋花鳥(坂東家橘)梅津長門(市川猿之助)佐原の喜三郎(中村駒之助)等の役割で、通し狂言として春木座に上演された。

 なお、青空文庫の岡本綺堂『寄席と芝居と』の第六章「柳桜と燕枝」に引用部分が含まれている。
「青空文庫」サイトの岡本綺堂『寄席と芝居』

 紀尾井ホールの口演では、三三が希望者に自分が書いた“あらすじ”を送ると約束してくれたので、希望する旨をアンケートに書いた。
 少し時間は経ったが、しっかり約束を守ってくれたことを、拙ブログの記事で書いた。
2011年2月2日のブログ

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       ↑これが、三三からの贈り物。手書きのコピー。なかなかの達筆。

 読めないでしょう。読むのは、もらった人の特権です(^^)

 最後には、「実は、この噺、もう少し続きがあるんですが、またいつか機会を見て申し上げるということで・・・・・・。」と結ばれていた。
 
 その機会が、翌年訪れた。

 三三は、この噺を、横浜にぎわい座で六か月連続で口演した。一回に二高座、六回で十二の高座となった。私はそのうちの二回に駆けつけることができた。
2011年7月7日のブログ
2011年8月5日のブログ

 毎回、前回のあらすじを、今度はワープロの文字で書かれたものを受付で渡してくれた。

 今回の口演も、基本は横浜にぎわい座版を踏襲するのかな、と思っている。

 私は、にぎわい座の翌年にも、都内で再演するのではないかと、思っていたが、あれから五年。

 この噺の作者である初代談洲楼燕枝のことは、紀尾井ホールの会の後に記事にしたので、ご興味のある方は、ご覧のほどを。
2010年11月19日のブログ

 なお、この噺の一つのヤマ場の一つ、吉原炎上を含む部分は、『大坂屋花鳥』という題で先代の金原亭馬生によって演じられ、音源も残っている。

 そして、三三の横浜にぎわい座の翌年、2012年11月、馬生の弟子むかし家今松が、滅多にやらない独演会で、拡大版『大坂屋花鳥』とでも言うべき長講を聴かせてくれた。なかなかの好演だった。
2012年11月9日のブログ


 さて、悩ましいなぁ。
 私がまだ聴いていない後半を聴きたい思いもあるが、改装されたイイノホールは、あまりにも大きくて、そして綺麗すぎて、落語を聴く会場とは、思えないのである・・・・・・。

 都合とも相談しなくてはならない。
 なんとか行こうかと思ってはいるが、さて、どうなるやら。

 しかし、ご興味があって、ご都合が合う方は、一度でもお聴きになることを、お奨めしたい。


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by kogotokoubei | 2016-05-31 21:02 | 落語のネタ | Comments(0)
 私が先月入院した際、手術前も後も落語を聴いていたこと、そのおかげなのか術後もほとんど痛みはなく、順調に快復したと書いた。

 おかげさまで、その後の外来診察でも、きわめて順調と担当医が言っているし、ヒノキ花粉がまだ飛んでいる時期なのに、何年ぶりになるだろうか、鼻で普通に呼吸ができることが嬉しくてならない。
 
 笑いが健康に良いことは、噺家がマクラでよくふるネタでもあるが、笑うことがストレスの解消になったり免疫力が高まることは事実だろうと思う。
 
 私などの経験など足元にも及ばない体験を元に、落語の笑いで健康になることを実証されている方がいらっしゃる。

 ご自身の癌との闘病体験を元に、「笑いは最高の抗がん剤」と唱え、毎年がん患者を招いて「いのちの落語」と題する落語会を開いている、社会人落語家の樋口強さんだ。

 「樋口強のいのちの落語」というホームページに、樋口さんのプロフィールや、落語会開催の意図などが詳しく紹介されている。
「いのちの落語」公式ホームページ
 
 このホームページの存在は、拙ブログへのコメントをきっかけにメールでの交流を続けている方から以前に教えていただいて知っていた。

 そして、柳家喜多八のことをネットの検索で調べているうちに、同ホームページで喜多八に関する、新たな発見があった。

 ぜひ、拙ブログで紹介したいと思い、メールで依頼したところ、すぐに、樋口さんの温かい人柄が伝わる丁寧な返信にてご快諾をいただいた。
 
 まず、ホームページから、樋口さんの「ごあいさつ」を引用したい。

ごあいさつ

みなさま、こんにちは。いのちの落語家・樋口強です。お変わりありませんか。

私の「いのちの落語」は、いつもこの言葉で始める
ことにしています。今日が昨日と変わらない、明日も今日と同じ日でありますように…。
これがいのちの原点だと思っております。

突然ですが、あなたは生きて何がしたいですか。
私は43歳のときに「3年生依存率5%」というがんに出会って、それでも生きたい、と切ないまでに思いました。でもその次に、では生きて何がしたいんだろう、と病室のベッドの中で問い続けました。そして、たくさんのことに気づきました。

このホームページには、樋口強がいのちをかけてつかんだ「輝いて生きるたくさんの知恵」が詰まっています。生きることにつらくなったとき、苦しくなったとき、一歩も前へ進めなくなったときにお立ち寄りください。

樋口強が二つ目のいのちを生きる信条は、

①笑いは最高の抗がん剤
②自分の生き方は自分が決める
③「普通のことが普通にできる」が一番
④そして、『生きてるだけで金メダル!!』


ほかにも、元気になれるたくさんの著作があります。
思いっきり泣いて笑える「いのちの落語講演会」で全国各地へ伺います。
いつも扉を開けてお待ちしています。私と一緒に笑ってみませんか。

いのちの落語家  樋口 強

 私より少し年上だが同世代の樋口さんが訴える信条の言葉は、強く心に響く。
 社会人として、これから、という四十代で発病・・・・・・。
 私など並みの人間ならば自暴自棄になるかもしれない状況から、自らを鼓舞して立ち直ってこられた、ご本人しか分からない体験が、言葉の背景にあるのだろう。

 喜多八と「いのちの落語」とのつながりを、ホームページの樋口さんの記事で知った。

 喜多八は、この落語会に出演していたのである。

 樋口さんの特別寄稿の全文をご紹介したい。

特別寄稿 柳家喜多八師匠に捧ぐ-噺家の美学-
「いのちの落語独演会」主宰  樋口強

 喜多八さんと出会ったのが今から35年前。
 まだ二つ目で「小八さん」と名乗っていた頃だ。
 社会人落語の会で楽屋にフラッと顔を出して、私の出番の前に一言、
 「聞かせてもらいます」
 礼儀正しい人だった。

 2001年、私が生きるはずがないというがんに出会って5年が経ったとき、
 「がんの仲間を招待して落語会をやりたい」と喜多八さんに話したら、
 「アタシも(その高座に)上がらせてよ」
 と、特別出演を買って出てくれた。

 会場は上野広小路亭。
 ここは落語芸術協会が定席として開業した場所で上野鈴本とは目と鼻の先。
 落語協会の噺家さんが出演してはいけない高座である。(喜多八さんは落語協会所属)
 「気にしなくていいんですよ。アタシでお役に立つんなら」
 初回から13年間、毎年しびれるような迫真の高座であった。
 博品館(毎回切符が取れないことで有名な喜多八独演会)でも見せたことのない落語の楽しさとすごさを、全国から集うがんの人たちに教えてくれた。

 そして、2012年の高座でこう切り出した。
 「アタシもね、この度、皆さんのお仲間に加えていただくことになりまして・・・」
  会場から拍手が起こった。
  喜多八さんがあとになって述懐する。
 「がんを告白して拍手されるのはこの会だけだよ。けど温かいね」

  一年に一度、東京深川に集う全国のがんの仲間たちが、喜多八さんの至芸に酔いしれ大笑いした。
 喜多八さんがこの高座に掛けた噺の数は18席。
 初回が『小言念仏』。そして、『粗忽の釘』、『やかんなめ』など大爆笑の得意ネタが続き、『明烏』、『船徳』と絶品芸がかかる。
 そして、2013年。この会を卒業する最後のネタに選んだのは、とっておき『鰻の幇間(たいこ)』であった。

  会場のがんの仲間たちは、「笑うと元気になれる」と、その高座から生きる希望と勇気をいただいた。
 しかし、2013年の春、新幹線で移動中の私の携帯に喜多八さんから電話が入った。
 「今年で終わりにさせてほしい」
 「わかりました」
 多くの会話は必要なかった。
 喜多八さんは病気のつらさや苦しさを決して高座には出さなかった。
 噺家としての美学を貫き通した人であった。

 その柳家喜多八師匠が育ててくれた落語会が、今年も9月に全国からがんの仲間が駆けつけて、東京深川で16回目を迎える。

 柳家喜多八師匠のご冥福をお祈りいたします。

 最初に読んだ際、目頭が熱くなった。

 特に、2012年の会での冒頭の挨拶と、お客様の反応・・・・・・。

 他の方のブログなどを拝見すると、2011年、あの震災の頃に手術で二十日間入院し、その年には、再入院もしていたようだ。

 それから、五年・・・・・・。

 一昨年から昨年にかけて、私や居残り会仲間の人たちの、喜多八の高座の印象は、だいたい似ていた。
 驚くくらい痩せていたが、声も良く出ていて、しっかりした高座だったし楽しめた、という内容。
 
 しかし、病魔は休むことなく、喜多八の体を蝕んでいたのだろう。
 
 邪推だが、昨年末から正月にかけての入院は、樋口さんと私が偶然同じ言葉で形容した、「美学」を貫くための最後の“燃料補給(ピットイン)”だったのだろうか。

 喜多八の美学、あるいは哲学は、決して独演会やホール落語の高座でのみ発揮されたものではなく、日常の考え方や行為のすべての底流にあったことが、樋口さんの文章でよく分かる。

 社会人落語会における“「聞かせてもらいます」”の言葉、そして、「気にしなくていいんですよ。アタシでお役に立つんなら」と、上野広小路亭という落語芸術協会の定席にも関わらず、「いのちの落語会」に出演した行為、それらが、まさに喜多八という噺家の“美学”の現われだと思う。

 最後の最後まで噺家として高座にが上がることを貫いたために、喜多八が「いのちの落語」の客席の側で落語を聴き笑うことは、実現しなかったようだ。

 しかし、喜多八は、樋口さんが挙げる信条の一つ、「自分の生き方は自分で決める」ことを実践したに違いない。

 だから、もし、彼が休養をとっていれば、「いのちの落語」の客席側にいたならば・・・と考えるのは、喜多八にとって実に失礼になるのだろう。

 あらためて、柳家喜多八のご冥福をお祈りする。

 そして、樋口強さんの「いのちの落語」の活動が、今後も一人でも多くの方の支えになることを、お祈りしたい。


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by kogotokoubei | 2016-05-29 21:03 | 落語家 | Comments(6)
 流行り言葉を使うなら、「キタハチ・ロス」は、まだ尾を引いている。

 ただし、いただいたコメントの中には、その音源を聴くことも躊躇われる方もいらっしゃるようなので、『欠伸指南』を聴きながら、来月のテニス合宿の一席はこれだ、などと思っている私は、間違いなく「昨日今日」の喜多八ファンなのだと思う。 

 音源も聴くし、喜多八という噺家さんのことを、今こそいろいろと考えてみることで、逆に悲しみを忘れたい、などと思っている。

 一昨日25日に開催された第575回の落語研究会では、会場に在りし日の喜多八の写真が掲載され、花が手向けられていたと、居残り会仲間の佐平次さんやI女史からご連絡をいただいた。
 
 その写真にご興味のある方は、佐平次さんのブログをご覧のほどを。
「梟通信~ホンの戯言」の該当ページ

 先日、博品館の<膝栗毛>のネタをご紹介したが、落語研究会では喜多八がどんなネタを演じてきたのか、気になった。

 そもそも、「落語研究会」とは・・・・・・。

 落語研究会については、現在の“第五次”研究会の500回記念の放送について書いた記事で、その歴史について少し触れた。
2010年5月29日のブログ
 重複する部分もあるが、あらためて落語研究会の沿革について、少し記したい。
 第一次は明治38(1905)年から始まった。
 速記者の今村次郎、歌舞伎演出家で作家の岡鬼太郎が顧問。二人は第二次でも顧問を務める。

 今なら「レギュラー出演者」に相当するだろう、「発起人」の顔ぶれが凄い。
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初代三遊亭円左
四代目橘家円喬
三代目柳家小さん
四代目橘家円蔵
初代三遊亭円右*幻の二代目円朝
二代目三遊亭小円朝
------------------------------------

 これまで五次に渡る研究会の歴史の各時代の期間は次のようになっている。

◇第一次 明治38(1905)年~大正12(1923))年:18年
◇第二次 昭和3(1928)年~昭和19(1944)年:16年
◇第三次 昭和21(1946))年2月~8月
◇第四次 昭和23(1948)年~昭和33(1958)年:10年
 
 第三次は落語会の開催を目指したものというより、敗戦後に落語界の結束を意図したものだったらしく、会長が久保田万太郎、参与に正岡容、安藤鶴夫の名が並んでいる。
 第四次は、今村次郎の子息で『試し酒』などの落語作家としても著名な今村信雄が主事として世話人を務めていた。出演者のギャラのことでもめて解散したらしいので、第三次で確認した“結束”は、徐々に失われてきた、ということか。
 第五次は、当時TBSにいた川戸貞吉の発案で昭和43年に再開。
 だから、今年で49年目になる。
 昭和43年3月14日の第五次落語研究会第一回目の出演者とネタは次の通り。
----------------------------------
柳家小さん 『猫久』
三遊亭円楽 『花見の仇討』
三遊亭円遊 『小言幸兵衛』
林家正蔵  『三人旅』
(中入り)
柳家さん八(後の扇橋)『千早ふる』
桂文楽   『明烏』
三遊亭円生 『妾馬』
----------------------------------

 第500回記念の会は、この第一回を意識した構成になっていた。

 さて、由緒正しい、歴史と伝統のある落語研究会、数年前に年間会員になる抽選があり、実は居残り会仲間の佐平次さんI女史、M女史は、涙ぐましい(?)大変なご苦労の末に、会員になられている。
 当日券も販売しているが、数は少ない。年季の入った(?)落語愛好家の方がお客さんの中心、と言えるだろう。テレビの収録もあるから、いわゆる、ゲラ男さんやゲラ子さんがいても困るしね。

 さて、五十年近くの歴史を誇る第五次の落語研究会で、いったいどんな出演者により、どんなネタが披露されたのか・・・・・・。

 それを知るには、実に素晴らしい情報の宝庫がある。

 過去のホール落語や名人たちの音源のことなどを調べる際に訪問している「手垢のついたものですが」サイト内の「落語はろー」だ。
 他のホール落語会のデータとともに、過去の落語研究会の出演者とネタの情報が掲載されている。
「手垢のついたものですが」サイトの該当ページ

 同サイトの管理人さんから、掲載内容の引用をご快諾いただいた。加えて、今年最後の出演情報も教えていただいた。

 この情報を元に、落語研究会で喜多八が披露したネタを列記したい。

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( 1)第234回 昭和62(1987)年10月20日 だくだく
( 2)第243回 昭和63(1988)年 7月18日 蜘蛛駕籠
( 3)第249回 平成 元(1989)年 1月17日 初天神
( 4)第258回 平成 元(1989)年10月30日 ぞろぞろ
( 5)第267回 平成 2(1990)年 7月23日 弥次郎
( 6)第275回 平成 3(1991)年 3月29日 巌流島
( 7)第296回 平成 5(1993)年 2月23日 やかんなめ
( 8)第303回 平成 5(1993)年 9月28日 首提灯
( 9)第317回 平成 6(1994)年11月29日 七度狐
(10)第323回 平成 7(1995)年 5月 9日 にせきん
(11)第381回 平成12(2000)年 3月31日 ぞめき
(12)第388回 平成12(2000)年10月10日 一つ穴
(13)第396回 平成13(2001)年 6月27日 三味線栗毛
(14)第402回 平成13(2001)年12月26日 睨み返し
(15)第416回 平成15(2003)年 2月27日 幇間の炬燵
(16)第431回 平成16(2004)年 5月31日 乳房榎(上)
(17)第438回 平成16(2004)年12月24日 仏の遊び
(18)第445回 平成17(2005)年 7月27日 将棋の殿様
(19)第461回 平成18(2006)年11月30日 鈴ヶ森
(20)第467回 平成19(2007)年 5月30日 付き馬
(21)第473回 平成19(2007)年11月26日 居残り佐平次
(22)第485回 平成20(2008)年11月20日 二十四考
(23)第493回 平成21(2009)年 7月 9日 煙草好き
(24)第504回 平成22(2010)年 6月30日 鰻の幇間
(25)第518回 平成23(2011)年 8月23日 死神
(26)第524回 平成24(2012)年 2月23日 鼠穴
(27)第538回 平成25(2013)年 4月26日 五人廻し
(28)第547回 平成26(2014)年 1月21日 二番煎じ
(29)第559回 平成27(2015)年 1月20日 盃の殿様
(30)第566回 平成27(2015)年 8月31日 らくだ
(31)第572回 平成28(2016)年 2月26日 明烏
-------------------------------------------------------------------------

 この三十一席、なかなか興味深い。
 ネタ選びはプロデューサーの意向があるのだろうが、大半は喜多八の十八番が並んでいる。

 しかし、「えっ、これを、研究会で?!」というネタも含まれている。

 由緒ある落語研究会で、寄席でも滅多に聴くことのない艶笑噺『にせきん』を演じた噺家は、他にいない。
 三年前、池袋で当代円遊のこの噺を聴いた際は、ネタの名が分からなかった。いただいたコメントで教えていただいた。
 なぜか1990年代後半に喜多八の出演がないのが、このネタに関係しているのかどうかは、分からない。
 この噺や『旅行日記』は、落語芸術協会の噺家さんの持ちネタと言ってよいのかと思うが、喜多八は、協会の枠などには執着しない自由な考えがあったように思う。

 <膝栗毛>で聴いたことがある『一つ穴』は、あの「禁演落語」五十三席の一つであったネタで、喜多八ならでは、という気がする。この噺、長井好弘著『新宿末広亭のネタ帳』では、2001年から七年間に渡る末広亭のネタ帳の分析の結果で一度もかからなかったネタの一つとして紹介されている。
 
 2004年の「12月24日」という日に、本田久作の新作『仏の遊び』という選択は、なかなか洒落ている(^^)。

 これらのネタを眺めることは、実際にお聴きになった方にとっても懐かしいだろうし、私のように、地上波やBS、そしてCSの放送で観たことのある人にとっても、喜多八の姿を思い出すよすがとなるのではなかろうか。

 なお、地上波のTBSおよびBS-TBSの落語研究会では、喜多八追悼的な放送があるようだ。
地上波「TBS落語研究会」のサイト
「BS-TBS落語研究会」のサイト
 地上波から、まず引用。
演目・出演
「らくだ」柳家喜多八

解説:京須偕充
聞き手:長岡杏子(TBSアナウンサー)
.
放送予定時間
6月19日(日)あさ4:00~
※放送時間は変更になる場合がございます。
(18日土曜日の新聞などでご確認ください)

 次にBSのサイトから。
第137回落語研究会
6月24日(金) 深夜3:00~4:00
内容:「らくだ」柳家喜多八
お話: 京須偕充 長岡杏子(TBSアナウンサー)

第119回落語研究会(2時間版)
6月25日(土) 深夜3:00~5:00
内容:「二番煎じ」柳家喜多八、「猫怪談」柳亭左龍、「花見酒」柳家小満ん
お話: 京須偕充 外山惠理(TBSアナウンサー)


 137とか119の回数は、同番組の回数。同じ回で、違う時期の複数の高座が放送される。
 地上波も含め、喜多八の『らくだ』は、昨年第566回の高座、BSの『二番煎じ』は、一昨年第547回。
 ちなみに、6月25日放送の柳家小満ん『花見酒』は、2014年3月28日の第549回の高座。こちらも楽しみだ。

 研究会で最後の高座となった、本年2月26日の『明烏』は、今年の高座がみなそうであったように、板付きだったようで、さすがにTBSも再放送は躊躇ったのだろう。

 TBSには、その最後の高座を含め、三十一席の映像と音声の記録があるわけだ。

 人によっては、聴くことも見ることも、今は辛い方も多いかもしれない。
 しかし、『やかんなめ』じゃないが、悲しみには、時間というありがたい“合い薬”がある。

 今後、落語研究会における喜多八の置き土産を、ぜひとも落語愛好家、そして喜多八を愛する多くの方が共有できるようになることを期待している。


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by kogotokoubei | 2016-05-27 12:27 | 落語家 | Comments(6)
 柳家喜多八のネタを、自分のブログの記事などで振り返っていた。

 いろんなネタを楽しませてもらったし、そのマクラも楽しかったことを思い出す。

 ちなみに、持っている音源は、フジポッドお台場寄席から入手していた『欠伸指南』『代書屋』『旅行日記』の三席。
 通勤の電車の中で携帯音楽プレーヤーで聴いていたが、この中では、『欠伸指南』が良いなぁ。

 この音源では、最初にあの人の声を聴くことになる・・・今では、懐かしい、という思い。

 喪失感が郷愁に移行するには、それ相応の時間が必要だろう。

 居残り会仲間は、皆さん喜多八のファンだったので、結構、落ち込んでいるのが、メールのやりとりで伝わってくる。

 喜多八という噺家は、他の噺家さんとの落語会で、存在感を発揮した。
 入船亭扇遊、瀧川鯉昇との睦会、そして、柳家喬太郎、三遊亭歌武蔵との落語教育委員会は、多くの固定客も動員した、人気落語会だったように思う。

 私は、鯉昇との座間での二人会を、何度か聴くことができた。
 きっと、仲がいいんだ、あの二人(^^)

 もちろん、独演会も多かったと思うが、なんといっても、喜多八が大きく飛躍するきっかけになったのは、博品館劇場での<喜多八膝栗毛>だろう。

 平成19年から東京音協主催で始まり、その後、担当されていた方が独立された「いがぐみ」の主催に替わった。

 三年前、2013(平成25)年5月8日の会で、受付で過去のネタ一覧表を配ってくれた。
2013年5月9日のブログ

 平成19年5月29日の会から、平成25年2月28日の会までの23回について、開口一番や色物さんなども含むネタ一覧である。

 その「ネタ帳」を元に、喜多八のネタだけを並べてみたい。
 なお、それぞれの回には、たとえば「春之巻」とか「秋之陣」というお題がついているのだが、開催日のみを記載することにする。

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平成19年 5月29日 粗忽の釘 子別れ
平成19年 7月17日 いかけ屋 おすわどん お化け長屋
平成19年10月10日 片棒 茄子娘 品川心中
平成20年 2月 1日 近日息子 棒鱈 厩火事
平成20年 4月30日 たけのこ 宮戸川 景清
平成20年 7月29日 船徳 かんしゃく 鰻の幇間
平成20年 9月16日 咄家の夢 盃の殿様 廿四考
平成21年 2月25日 長短 がまの油 文七元結
平成21年 5月21日 だくだく 将棋の殿様 百川
平成21年 7月17日 夕涼み 欠伸指南 千両みかん
平成21年10月14日 もぐら泥 目黒の秋刀魚 明烏 *終演後に還暦の誕生祝あり
平成22年 3月 8日 鈴ヶ森 お見立て 二番煎じ
平成22年 7月28日 ラヴレター 小言念仏 らくだ
平成22年 9月14日 旅行日記 ぞめき 井戸の茶碗
平成23年 1月12日 代書屋 やかんなめ お直し
平成23年 4月11日 蜘蛛駕籠 仏の遊び 笠碁
平成23年 7月13日 へっつい幽霊 寝床 三味線栗毛
平成23年11月 7日 長屋の算術 付き馬 死神
平成24年 1月31日 弥次郎 味噌蔵 五人廻し
平成24年 5月16日 長命 宿屋の仇討 鼠穴
平成24年 8月23日 粗忽長屋 青菜 乳房榎-おせき口説-
平成24年11月20日 黄金の大黒 一つ穴 火事息子
平成25年 2月28日 替り目 夢金 小言幸兵衛
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 ネタが豊富だったことを、再認識する。
 私にとってこの会の最後となった平成25年の5月8日は、唖の釣り、三人旅-びっこ馬-、猫の災難、だった。

 ちなみに、私は平成23年の11月の会が、この会に行った最初。
 翌年は、5月、8月、11月、と結構行ったなぁ。

 特定の噺家さんを、結構続けて聴いていた時期で、雲助も相当行ったし、ブログを書く前は、小朝の会などにもよく行った。

 この<膝栗毛>の元になる独演会があったらしい。
 居残り会の常連I女史は、いつも元気に歌舞伎、能、狂言、落語、旅行と八面六臂の方だが、まだ、喪失感にさいなまされているようだ。
 I女史は、この会が始まるきっかけになったと察する平成18年9月26日から三日連続の独演会にもいらっしゃったらしい。
 喜多八がよく使った科白を借りるなら、「昨日今日の喜多八ファンじゃない」のだ。

 I女史から、2006年の会のネタや出演者などをメールで教えていただいた。
 喜多八、三日通しのトリネタは、「吉原百人斬り」を元にした歌舞伎を題材にした噺。

 初 日 五人廻し
     籠釣瓶花街酔醒(かごつるべ さとのえいざめ)(上)
 二日目 宿屋の富
     籠釣瓶花街酔醒(中)
 三日目 首提灯
     籠釣瓶花街酔醒(下)

 初日のゲストが小朝、二日目は志の輔、そして楽日は師匠の小三治だったとのこと。

 この独演会で博品館を満席にしたことで、翌年から四季に一度づつの「膝栗毛」が始まったのだろう。

 あらためて「膝栗毛」のネタや、他の落語会、寄席の高座の記録を読み返すと、喜多八が他の追随を許さないと思う演目や、彼ならでは、というネタがたくさんあったなぁ、と思う。

 泥棒ネタの『鈴ヶ森』『もぐら泥』は、当代随一だったのではなかろうか。
 私が最後に聴いた『やかんなめ』も、決して師匠にヒケをとらなかったと思う。
 『鋳掛屋』は、文化放送の「かもめ亭」で白酒との二人会で聴いたが、大いに笑った。
 また、好みはあるだろうが、無言の芸や科白のフェイドアウトが巧妙だった『長命(短命)』も、私は好きだった。
 泥棒ネタ、若旦那ネタ、廓噺などに加え、長講の人情噺、怪談噺にも挑めば、寄席に相応しい滑稽噺、独自のネタと言ってよいのだろう、『夕涼み』(上方の『遊山船』が元)や『ぞめき』(『三人兄弟』が元)などもある。

 <膝栗毛>のプログラムでお馴染みの本田久作による新作『仏の遊び』は、2013年に中野で開催された三三との二人会で聴いたが、その年のマイベスト十席に入れるかどうかを最後まで迷った見事な高座だった。

 志ん生のネタにあったことが後で分かった『長屋の算術』は、初めて聴く噺だった。あのネタ、誰かが継いでくれるのだろうか。


 私が年末に選んでいるマイベスト十席では、2010年に『船徳』と2012年に『付き馬』を選んでいる。

 2010年9月28日の国立演芸場での「睦会」(当時は東京音協主催)の『船徳』について、こう書いていた。
2010年9月28日のブログ

喜多八(18:49-19:24)
この人のこの噺は初めて。珍しく“病弱ネタ”のマクラはなく、「噺には旬というものがあって、まだ大丈夫かと思っていたら急に気候も変わって・・・これまでに二三回かけたのがちょうどいい練習になって、そろそろちょうどいい出来になっているだろうと・・・」という前口上で本編へ。口上通りの結構な喜多八『船徳』だった。特に、徳が船頭として悪戦苦闘する中で“切れ”かかるところが、この人らしい味。持ち味も口調も違うが先代の馬生師匠の音源を思い出した。船の二人の客が石垣を登る前でサゲたが、違和感はない。こういう噺を聞くと、この人の持つ底力のようなものを感じる。

 2012年の『付き馬』は、7月4日に開催された「柳好十八番~四代目春風亭柳好トリビュート~ 」の高座だ。あら、こちらも国立演芸場だ。
2012年7月5日のブログ

 あの会は、全体として、実に良かった。

 喜多八の高座については、こんなことを書いていた。
柳家喜多八『付き馬』 (19:15-19:47)
 やや恥ずかしがりながら、「落語をやらせていただきます。」で始めた。楽屋に川崎の師匠のお嬢さんが来られていて、了解をいただいたらしい。「虚弱体質を装ったのは、実は川崎の師匠を真似した」とのこと。これ初めて聞いた。座談会でも裏付けられたが、喜多八は、よほど好きだったのだなぁ、先代柳好が。
 9分のマクラから、これまた、ちょうど会場に来る間に聴いていたネタ。しかし、構成や語り口、スピード感など、すべからく喜多八の噺であり、それがまた頗る結構だった。本編は二十分程度だったが、牛太郎相手に一方的にしゃべくりまくり、「若さがないねぇ」などと小言を言い続ける男が、吉原から仲見世~田原町まで、「湯屋」-「食堂」-「早桶屋」への場面展開が見事だった。早桶屋の主に、独特の大声で「おじさ~ん」と叫ぶ場面も楽しいし、牛太郎が「図抜け大一番小判型」を背負う姿でも笑わせる。短いネタに川崎の師匠への思いを込め凝縮された高座、今年のマイベスト十席候補としたい。これだけ明るいこの噺を初めて聞いた。喜多八の真骨頂である。

 この“明るい”『付き馬』の“源(みなもと)”を、翌年聴く僥倖に巡り合った。
 師匠、小三治のこの噺だ。
 神奈川県民ホールで2013年月25日に開催された「県民ホール寄席 300回記念 柳家小三治独演会」の『付き馬』の、なんとも楽しかったこと。
2013年9月26日のブログ

 あの高座により、喜多八は間違いなく小三治の弟子だ、などと思ったような気がする。

 だから、忘れてはいけないのが、「マクラ」だ(^^)

 昨年のマイベスト十席で、初めて「まくら大賞」を贈呈したのが、2015年1月10日「ざま昼席落語会」、鯉昇との二人会における『親子酒』のマクラだ。
2015年1月11日のブログ
 最近は、何かと野暮用があってこの会に行けていないのだが、たぶん、パイプ椅子を隅々まで並べた380名というあの日の大入りの記録は、破られていないのではなかろうか。

 せっかくなので(?)、その時の記事から、「まくら大賞」となった、「正しい立飲み(かぶと)の作法」を再び引用。

「かぶと」(酒屋の立飲み)での本寸法の飲み方を満員の客席に情熱的に披露。
 せっかくなので、記録しておきたい。
 (1)前提条件
  分厚いガラスの角ばったグラスに注がれた酒がこぼれて、ガラスの受け皿に
  こぼれている
 (2)グラスを持つ左手とつまみの右手  
  グラスを持つのは左手でなくてはならない。右手はつまみを持つために必要。
  つまみがなくて、右手の指をしゃぶってでも五合は飲める。
  喜多八殿下は、右手の指は風呂に入っても洗わない。
 (3)グラスの底
  こぼれて受け皿にある酒がグラスの底についているのを、皿の端で切って
  から、飲む。
 (4)受け皿にこぼれた酒の処置
  グラスから酒を飲み、減った量と受け皿にこぼれている量が同じになった
  ところで、皿の酒をグラスに注ぐ。早くても、遅くても、いけない。
 (5)持ったグラス
  一度左手で持ったグラスは、飲み終わるまで下に下ろさない
 (6)つまみ
  酒屋の口が斜めに向いたガラス瓶に入ったアタリメや豆で飲むが、
  先輩たちは、がま口の中にアタリメが入っており、他の客にも配る。
  食べると、十円玉の緑青の味がする
 (7)酒は二杯まで
  一軒のかぶとでは二杯まで。もっと飲みたければ別の店へ行くのが礼儀

 どうです。なんと深~いものが、“かぶと”の作法にはあるのです^^

 こんなことは、学校では教えない。
 焼き鳥の正しい食べ方、なんてぇのも寄席のマクラでよく聴いたなぁ。

 そうそう、喜多八はマクラで寄席のことを、数少ない「大人の遊び場」と表現していたが、まさに、彼は、数少ない大人の噺家さん、だったと思う。

 あぁ、あの高座が、もう見られない、聴けない・・・・・・。

 振り返ることで、そして、いろんな方のブログなどを拝見して新たな発見をすることで、その存在の大きさが、ズシンズシンと腹の底に伝わってくるようだ。
 
 私はせいぜい「昨日今日」の喜多八ファンなのだが、訃報を聞いて以来、出囃子「梅の栄」が耳の奥で鳴り響いている。

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by kogotokoubei | 2016-05-25 21:47 | 落語家 | Comments(6)
 居残り会リーダーの佐平次さんのブログや、拙ブログにいただいたコメントで、今日の中日新聞ならびに東京新聞のコラムで、柳家喜多八のことを取り上げていると教えていただいた。
「梟通信~ホンの戯言」の該当記事


 結構、落語を知る筆者が書いたように思う。
 そのうちリンク切れになるかもしれないので、東京新聞の「筆洗lから全文を引用する。
東京新聞の該当記事

筆洗
2016年5月22日

 師匠はその弟子に「おまえは暗い」と、いつも嘆いていた。人を笑わせる落語家が憂鬱(ゆううつ)そうでどうする。師匠の意見はもっともだが、おかみさんはかばい続けた。「いいんだよ、この子は。暗さを売り物にすればいいんだから」。その一言に暗い弟子はずいぶんと気が楽になった▼師匠とは人間国宝の柳家小三治さん。暗い弟子とは十七日にがんで亡くなった柳家喜多八さんの若き日である▼深みのある声。巧みな人間描写。喜多八さんの訃報に贔屓(ひいき)にしていた方はさぞ、がっかりしているだろう。円熟味を増し、さらなる変化、進化の過程にあったその芸である▼一時期の高座。初めて見た方は面食らったかもしれぬ。暗い。年中「夏の疲れが尾をひいております」「虚弱体質でして」と元気がない。本気で心配したお客さんもいたそうだが、それが手。聴衆を「なんだ?」と引きつけて、その憂鬱さからは予想もできぬ大熱演となる。暗さを逆手に取る、あのアドバイスも効いていたのだろう▼「うまそうに演じたり、うまいと(聞き手に)思わせるのもいけない」。晩年の境地。押し付けがましさのない高座はおかしく、奥行きがあった▼「噺家(はなしか)は六十を過ぎてから」。先代林家正蔵(彦六)さんの言葉だが、還暦過ぎてもなお成長を求め努力した方である。「まだ伸びしろがある」。伸びしろの先にあったものが実に惜しい。

 おかみさんの、「いいんだよ、この子は。暗さを売り物にすればいいんだから」の言葉は、たしかに喜多八にとっては、大事な一言になったことだろう。

 それにしても、そんなことを噺家のおかみさんが言うとは、なんとも個性的である。

 このおかみさん、郡山和世さんは、たしかにユニークな方だ。

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郡山和世『噺家カミサン繁盛記』
 この方の著書『噺家カミサン繁盛記』を、以前ご紹介したことがあった。
2010年12月2日のブログ

 柳家小三治の妻となり、おかみさんとして多くの、そして、いろんな弟子たちと接してきた奮闘の半生を語った、実に楽しい本。

 以前の記事では、小八と言っていた二ツ目時代の喜多八が、おかみさんに「からすみ」をお土産に買ってきたので、おかみさんは楽しみにしていたら、実は「からすみ」という名のお菓子だった、という逸話を引用した。

 小八は、値段は安いのが明白なのだが、おかみさんに頻繁にお土産を買ってきたことが、本書で明かされている。

 それが、「暗さを売り物にすればいいんだから」という言葉の後かどうかは、分からない。

 しかし、おかみさんが自分を応援してくれていることは、十分に感じた上での行動だったのではなかろうか。

 この本には、こんな内容もある。
 噺家を志そうとする場合、大別して二通りのタイプがある。
 親が厳しく、丁度、青少年の反抗期とあいまって、今までの環境から逃れるべく、全く反対の世界に身を投じるタイプ。
 早い話が、鬼っ子の悪あがき。親がアタフタする姿を、こよなく喜ぶ。
 小三治を筆頭に、小八(現・柳家喜多八)等が顕著な例だ。
 二人とも親が学校の先生という共通項があり、斜に構える型をとる(何となく顔つきも似ていて、手足が毛深いことも共通する・・・・・・)。
 いまひとつは、家庭環境がバカ陽気で、当人も口から先に生まれ落ちたようなタイプ。

 落語協会のホームページでも確認できるが、喜多八が小三治に入門したのは、満27歳の時。
落語協会ホームページの該当ページ

 今でこそ大卒後に社会人生活の経験を経て二十代後半での入門者は珍しくないが、昭和24年生まれの団塊の世代で、喜多八のような入門者は、そう多くなかったのではなかろうか。

 喜多八が師匠を選ぶ際、小三治も自分と同じ教育者の師弟であることが、入門の動機の一つだったかどうかは、知らない。

 しかし、おかみさんは、間違いなく他の弟子とは違うものを感じていたに違いない。
 同じ教育者の師弟で、いろいろと他にも似たところのある小八に、なんとも言えない思いを抱いていたからこそ、その暗さを売り物にしろ、と応援したのではなかろうか。

 そのおかみさんが、今、どんなお気持ちなのかは・・・察するばかりである。

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by kogotokoubei | 2016-05-22 19:45 | 落語家 | Comments(12)
 昨夜は、寝付けなかった。

 ある程度の心の準備はしていたつもりだが、柳家喜多八の訃報は、あまりにも悲しく重い。

 ここ数年、高座で出会う度に、どんどん痩せていくようで、居残り会でも、よく話題になり心配していた。
 そして、昨年末からの入院、今年正月鈴本初席の休席で、容態のへ懸念は高まるばかりだった。

 その思いは、多くの落語愛好家の方が共有していたことであったのだろう、落語協会ホームページで鈴本初席への喜多八休席の案内の内容が不適切ではないかという主旨の拙ブログの記事へのアクセス数は毎日上位にあり、昨日は、とんでもない数になった。


 結局、今年最初に行った落語会、1月14日横浜にぎわい座での睦会における『やかんなめ』が、私にとって最後の高座になってしまった。
2016年1月15日のブログ

 自分の記事で恐縮だが、その高座に関する内容を確認したい。
柳家喜多八『やかんなめ』 (25分)
 久しぶりに聞く出囃子「梅の栄」とともに緞帳が上がり、高座に喜多八の姿。
 痩せた・・・・・・。
 まくらで、栄養失調で1月4日まで入院していた、と語る。入院前は40キロそこそこで、それより3キロ体重は戻ったと言っていたが、頬はこけている。髪も、以前は染めていたのかもしれないが、白っぽい。
 しかし、声は、いつもの喜多八なのだ。あるいは、かつて聴いた中でも、大きいくらい。
 以前演じたネタを調べていたら、「これ、やってなかったんだ」と選んだネタは、十八番の一つ。
 侍がお供の可内(べくない)に向かって何度か「笑うな!」と叫ぶ場面で、会場も大いに沸いた。
 本編にかかるマクラで「一病息災」の言葉があったが、それは自分自身に言い聞かせていたのかと思わないでもない。
 上方では『癪の合い薬(あいぐすり)』の題。
 高座は、何ら健康時とは変わらない、いや、それ以上かもしれない。
 しかし、まだ体重は戻っていないし、歩けない状態は、健康とは言えない。
 喜多八にとっての「合い薬」が見つかり、無事快癒することを祈るばかりだ。

 残念ながら、「合い薬」は、見つからなかった、ということか。

 ブログを書く前から聴いているが、ブログ開始後の最初の記事は、2008年10月25日の、当時はビクター落語会という名の三田での落語会、文左衛門、白酒との三人の会における、『文七元結』だった。
2008年10月25日のブログ
 ビクターを冠した会としては、私が最後に行った会。ご存じのように、その後は三田落語会として存続している。

 こんなことを書いていた。
柳家喜多八(15:15-16:05)
喜多八師匠の文七は初めて。この人は、出やマクラの弱々しさに騙されてはいけない、「コントラストの魔術師」といえる噺家である。登場人物の演じ分け、静と動、声の大小、という変化を巧みに芸として活かすテクニシャンである。時節柄少し早いかな、と思うのはこの落語会の事情なのだろう。「コントラストのマジシャン」の今日の芸、特にラストシーンでの鼈甲(べっこう)問屋・近江屋卯兵衛の貫禄ある姿と長兵衛とのコントラストが見事だった。吾妻橋でのくすぐりで「誰か来ねぇかな、来りやぁこんな奴渡しちまうのに」など、師ならではのオリジナリティも秀逸だが、やはり何と言っても「コントラスト」の妙がいいのだ。時間の都合でマクラもそこそこに本編に入り、終了間際の携帯電話の騒音にも惑わぬ熱演。

 「コントラストの魔術師」という思いは、今も変わらない。


 落語愛好家仲間であり人生の大先輩、喜多八贔屓の佐平次さんと度々行った博品館の独演会を思い出す。

 また、鯉昇との二人会で会場を満席にした、ざま昼席落語会での雄姿が偲ばれる。

 今年に入ってから、喜多八の出演情報が余りにも多いことに、ある感慨を抱いた方は多いのではなかろうか。
 板付き-高座まで歩けない、ということは、きっと会場までも歩くのが困難な状況と察する状態で、最後の最後まで休むことなく現役の噺家として貫き通したのは、まさに殿下と言われた柳家喜多八という芸人の美学そのものであったように思う。


 自分のブログをたどりながら、目が潤んでくる。

 今日は、これ以上は書けそうにない。

 最後まで美学を貫いた柳家喜多八という稀代の噺家のご冥福を、心よりお祈りする。

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by kogotokoubei | 2016-05-21 10:23 | 落語家 | Comments(14)
 二十四節気「小満」の前日に開催された、小満んの会に行ってきた。

 開口一番の途中で入場し、いつものようにコンビニで買ったおにぎりを食べながら、モニターを見ていた。
 春風亭一猿という前座さんが『道灌』を演じている。
 落語協会のホームページに、次のように紹介されている。
2014(平成26)年11月 春風亭一朝に入門
2015(平成27)年10月1日 前座となる 前座名「一猿」

 入門から前座まで、約一年。
 以前、桃月庵白酒が、入門者が増えて楽屋で前座仕事をするのを待つ“待機児童”が多い、と言っていたが、その一人だったのだろうか。

 一猿の高座が終わってから会場の中に入る。
 いつものように、ほぼ半数位の入りだったろうか。

 小満んの三席について、感想などを記す。

柳家小満ん『蝦蟇の油』 (18分 *18:47~)
 一猿のネタに関連して、最初の師匠文楽は、入門して一年間は『道灌』しかネタがなく、寄席で噺家が来れない時、三回『道灌』を演ったことがあり、お客さんが「ご苦労さん」と祝儀をくれた、という逸話を語る。
 また、“めくらの小せん”が、一年間『道灌』ばかりを演じ、文楽の芸の師匠と言われた三代目三遊亭円馬が、一年間、違うネタばかりをかけたことがあるが、円馬が「小せんさんに、負けた」と語ったという、文楽譲りの話も披露。
 終演後の居残り会で佐平次さんがおっしゃっていたが、一猿への温かい励ましの言葉であったのかもしれない。
 本編は、元々が『両国八景』の中の一篇であることを匂わせる縁日のマクラから。「カエル娘」「ベナ」「大ザル、小ザル」「六尺の大イタチ」など、円生の音源とほぼ同じかと思う。
 最初の口上は、円生のように“立て板に水”とはいかなかったが、酔ってからの口上との対比が効いていて、全体としては実に楽しかった。
 酔って「後足が八本」と言って客から「八本じゃ蛸じゃねぇか」と言われ、「蛸、蛸ぶつ、蛸ぶつは塩がいい」などのクスグリが、妙に可笑しかった。
 一所懸命に口上を速く言い立てることに重きを置く噺家さんが多い中で、この噺の面白さは後半にある、という当たり前のことを思わせる、結構な小品。

柳家小満ん『馬の田楽』 (24分)
 すぐに高座に戻り、二席目。なぜか、めくりが『がまの油』のままで、返されなかった。
 母の日の競馬のことなどをマクラでふり、昔は街道に「(馬)立て場」があったと説明してから本編へ。
 元は上方落語で、三代目小さんが東京に移した多くの噺の中の一つ。
 上方版は、ませた子供たちの会話が楽しいが、東京版は、逃げられた後に馬方が馬を探して尋ねるいろんな可笑しな(?)人たちとの会話の方に重きがあるようだ。とはいえ、小満んは、子供と太十との会話も楽しい。トンボ捕りに使うために馬の尻尾を抜いたタケやんの悪さを暴露する子供が、自分の分だけでなく「みんなの分も抜いた」の科白で、つい笑ってしまった。
 馬方の太十、子供たち、三州屋の“おんじー”、立て場の耳の遠い婆さん、空を見ている男に尋ねると、午前中の草とりから始まり、長々とそれまでの経緯を語って、明日釣りに行くから空を見に来たところへ太十から「おらの馬を見ねえか」と聞かれたが知るわけがねぇ、と語る『長短』の長さんにも負けないようなお百姓さん、最後に酔って登場の虎十まで、田舎言葉が、実に自然、と言うと小満んに叱られるかな(^^)
 この噺は橘家円太郎で、さがみはら若手落語家選手権の決勝で聴いたが、円太郎は、耳の遠い婆さんとの会話をもっと大声で長く演じたり、とにかく馬方の言葉が耳にビンビンと響いた記憶がある。少し「爆笑」させることを意識し過ぎの高座。それに好対照な小満んの「微笑」を誘う高座が、実に結構だった。
 「微笑を演じる」と、飯島友治さんが、三代目三遊亭小円朝の高座を形容したが、まさにそんな芸を堪能。

柳家小満ん『抜け雀』 (32分 *~20:19)
 仲入り後は、この噺。
 マクラで狩野派の名人の絵師(名前は聴きそこなった)の描いた馬は、絵から抜け出して田んぼに水を飲みに行く、とふって「朝帰り 田んぼで狩野の 馬に会い」。
 他にも、ある名人の画家が、絵の中の馬が痩せてきたから草原を加えてやると太ったり、道を遠くの丘まで描くと、馬が消えていたりという、二席目の噺ともつながりのある、見事なマクラから本編へ。
 文字にしても伝わらないだろうが、何気ないクスグリをふんだんに散らばめた、見事な「微笑」を誘い出す高座。
 たとえば、舞台となる小田原の宿の相模屋の主が、疑い深い女房に、「おまえはすぐそうやって人を疑ってかかるけど、人間は信じ合わなけりゃならない」なども可笑しい。
 一文なしの絵師が、その女房のことを「いつから、飼っておる・・・女じゃない、かんなだな・・・お前の命を削る」でも、つい笑ってしまった。
 衝立に描いた雀がわからないと言うので、一文なしが宿の主に「お前のまみえの下についているのは何だ」と問う常套のクスグリで、小満んは、「役に立たぬなら、くり貫いて、煙草入れの緒締めにでもしておけ」と言ってから、「銀紙でも張っておけ」と言っていたが、煙草入れの緒締めは、初めて聴いたように思う。
 雀が絵から抜け出して、お向かいの家の屋根で餌をついばんだことを、そのお向かいの主に言うと、とうとうおかしくなったかと思ったお向かいの主の「かわいそうにねぇ」の一言も、いいんだよねぇ。
 また、相模屋の夫婦の会話、絵師と相模屋の主の会話の、部分部分でのリズムの良さ、大袈裟な顔の上下ではなく、目だけで切る上下の具合も、この人ならでは。
 一文なしの父親は、籠を書かず、「呉竹の一群れ」を描いて、雀たちを休ませる。
 はて、どんなサゲかと思うと、なるほどと思う初めて聴くサゲで締めた。内容は、内緒。
 独自の工夫なのかどうかは勉強不足で不明。
 絵師が衝立に描く際、枕を二つ用意して、平に置いてから描く、という細かな設定も初めて聴いたなぁ。
 サゲ前、絵師が絵の裏に書く「旅人は雪呉竹の群雀、泊まりては立(発)ち泊まりては立(発)ち」も、父親の描いた呉竹にかかっているし、噺に相応しい。
 軽妙洒脱な、そして微笑を醸し出す高座、今年のマイベスト十席候補とするのをためらわない。

 終演後は、我らがリーダー佐平次さんと二人、関内で来年開店から四十周年を迎えるという老舗のお店で居残り会。
 しっかりした大きさの“のどぐろ”焼きは絶品で、かつお安かった。いつもの“くさや”も結構。“むつのなめろう“や小鮎など美味しい肴に、久しぶりに、いろんな話で盛り上がり、「男山」から始まり「神亀」に移った熱燗徳利が、さて何本空いたのやら。

 小満んの会の後の居残りは、二時間かかったところで帰宅が日付変更線を越えることがないのが、これまた結構なのであった。

 次回は7月21日、『千両みかん』『那智の滝』『天災』がネタ出しされている。
 これまた、楽しみだ。
 
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by kogotokoubei | 2016-05-20 12:13 | 落語会 | Comments(2)
 上方の落語愛好家の皆さんに、朗報!
 神戸新開地に、定席寄席を開設することが決まった、という毎日の記事をご紹介。
 
毎日新聞の該当記事

定席開設へ 兵庫県と神戸市
毎日新聞2016年5月18日 08時30分(最終更新 5月18日 08時30分)

 兵庫県と神戸市は17日、同市兵庫区の新開地に上方落語の定席を開設する方向で事実上合意した。1億8000万円前後と見込まれる建設費は兵庫県と神戸市などが負担する。運営は地元NPOなどが担う形を想定し、早ければ2018年度のオープンを目指す。上方落語の定席は大阪市北区の天満天神繁昌亭に続き2カ所目になる。

 県と神戸市の政策調整会議で、建設費を双方が負担することで合意した。明治期に湊川を埋め立ててできた新開地は、芝居小屋などが軒を並べ、「東の浅草、西の新開地」とも呼ばれた。戦後の一時期は映画館20館以上が集まり、現在も大衆演劇場などがある。落語の定席の新設を往時の歓楽街復活の柱に据える。

 新開地商店街のアーケード街に面した店舗跡地が候補地となっており、建設費は国庫補助も活用し、「ふるさと納税」による寄付も募るという。高座に上がるのは若手中心で、運営は商店主らでつくる「新開地まちづくりNPO」が担当する方向で検討している。

 定席の開設は2014年に上方落語協会の桂文枝会長が提案していた。運営・維持については課題も残っており、民間主体の運営を安定させるため、県と神戸市は集客やスポンサー開拓などを検討し、上方落語協会にも協力を求める。最終的にまとまれば、来年度予算で建設費などが計上される見通し。【井上元宏、久野洋】

 元々、新開地は寄席の盛んな地。
 “B面の神戸”と形容する「新開地ファン」のサイトに、通算で80回を超える「新開地寄席」のページがある。
「新開地ファン」サイトの該当ページ
 同サイトから、引用する。

「東の浅草、西の新開地」と謳われ、芝居小屋や映画館がひしめく有数の歓楽街だった新開地。なかでも唯一の演芸場だった「神戸松竹座」では、落語や漫才などが毎日行われ、“笑いの殿堂”として、閉館する1976(昭和51)年まで神戸の人々に愛されてきました。
それからおよそ四半世紀。そんな新開地のまちで、気軽に落語を楽しんでもらえる場をつくろうと、2000(平成12)年、新開地まちづくりNPOが地域寄席「新開地寄席」を企画。

 1976年に改名し、格上の「神戸松竹座」への出番が約束されていたにもかかわらず突然の閉館でその舞台に立つことができなかったという落語家・桂雀三郎氏に世話人(キャスティングプロデューサー)と して協力いただくことになりました。
 以来、5月以外の奇数月の第3日曜日に途切れることなく開催。約100席の会場は、毎回ほぼ満席状態に。「演者さんとの距離が近い」「アットホームで親しみやすい」などの声も多く、「新開地寄席」で“落語デビュー”をしたという人も多くいます。
時は移り、器は変わってしまっても、歓楽街だった新開地のまちには“人を愉しませたい”という魂が、変わらず受け継がれています。肩ひじ張らず、普段着のまま、どうぞ「新開地寄席」をお楽しみください。

 神戸松竹座は、昭和4(1929)年9月30日に開場し、昭和51(1976)9月30日に閉館した。雀三郎としては、幻の寄席、と言えるだろう。

 現在の「新開地寄席」を運営するNPOが、新設される定席寄席の運営を担当するようだ。
 2008年12月に上方落語協会に復帰した雀三郎が、何らかの形で定席開設を支援したと察するし、新設寄席においても、少なからず関与していくのではなかろうか。


 先日の記事で、桂歌丸は、一人の落語家としての評価はさておき、落語芸術協会会長として偉いと思っている、と書いた。

 文枝についても、本人の高座はさておき、天満天神繁昌亭の開設や、この新開地での定席開設における上方落語協会会長としての政治力と業績は評価している。

 定席の寄席以外でも、上方の噺家さんは頑張って活動されていると思うが、定席が増えることは、稽古の場、披露の場が増える、実に結構なことではなかろうか。

 国立演芸場を除けば東京の定席は四席。
 決して多いとは思えない。
 二つの落語の協会が協力して、東京都知事に無駄な海外出張や経費の支出をやめさせて新たな定席開設のための費用を捻出させる位の動きがあれば、東の多くの落語愛好家も喜ぶのではないかと思う。

 兵庫県知事の井戸敏三は、昭和20年生まれで、日比谷高校から東大法学部、自治省を経た人。たまにその独自の発言(NHK大河の「平清盛」の映像の件など)で非難されることもあるが、関西広域連合長として、橋下が進めようとした都構想に反対し、カジノ誘致構想にもギャンブル依存症が増えることを危惧し反対した点では、私と意見を同じくする。

 神戸市長の久元喜造は、私と同世代の昭和29年生まれだが、灘高から東大法学部を卒業し自治省を経ている点では、私と大きく違う(^^)
 
 少なくとも、新開地への定席開設を認めたということは、この二人の首長は、落語などの芸能への理解がある人たちなのだろう。

 ともかく、関西に二つ目の定席寄席の開設、目出度いじゃないか!
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by kogotokoubei | 2016-05-18 22:27 | 寄席 | Comments(4)
 今月一日に、4月の拙ブログへのアクセスランキングで、二年半近く前に書いた、「命日に、“キザな小円遊”という虚像を思う—『談志楽屋噺』より。」という記事へのアクセスがトップであったことを書いた。
 
 エキサイトブログの管理ページでは、月別に限らず、日別でも上位10のアクセスページのランキングが確認できるのだが、この記事は、その後も毎日トップの座にある。それも、二位以下を圧倒的に離しての一位。

 私は、一日のブログで、なぜこの記事がトップか分からないと書いたら、コメントで、歌丸が「笑点」の司会を降りるというニュースが出ていることと関係しているのではないか、とお教えいただいた。
 
 なるほど、そういうことだったか、と合点。
 その後、あの番組と歌丸に関するニュースは、日を追って増えている。
 
 検索キーワードでは「三遊亭小円遊」からのアクセスが急増している。

 また、実際に小円遊で検索して初めて拙ブログにアクセスしていただいた方からのコメントも頂戴した。

 そんな記事を書いた直後の今月二日、新宿末広亭夜の部の落語芸術協会新真打昇進披露興行が目当てであったが、歌丸が主任である昼の部から居続けした。
 少しは心の準備(?)はできていたのだが、あの昼の部でトリの歌丸の高座の際の混み具合は、私が過去末広亭で経験した中で最多人数であった。

 桟敷後ろの通路に、三重、四重の人が立ち見していたからねぇ。
 私は、二階席でなんとか座布団一枚の空席を発見したので、そこに座ることができたけど、足を伸ばすこともできない状況だった。

 その日は、午後一時少し過ぎに末広亭に入る時点で「立ち見」と案内されており、私の近くで、入場するかどうか悩んでいたご夫妻と思われるお客さんが、「どうしようか、立ち見だって?」「入ろうよ、歌丸さんだけでなく、好楽も出るんだよ」「そうだね、入ろう!」というような会話を耳にした。
 「ほら、歌丸だ!」と叫びながら入場された、男性複数のお客さんの姿も見かけた。

 察するに、あの方たちは、初めての寄席体験だったのではなかろうか。

 初めての寄席体験が、超満員で入場から三時間余りを立ち見で過ごすということが良かったのかどうか・・・・・・。
 「生の歌丸さんを見ることができた」という嬉しさが、少々の足腰の疲れなどを上回った人も、きっと、いらっしゃったのだろう。
 また、歌丸目当てで来て、新たな噺家さんとの嬉しい出会いができた人もいたかもしれない。
 しかしその反面、「寄席って、誰もが面白いわけじゃないだ」とか、「なんで木戸銭払ってずっと立ってなきゃなんねぇんだ」という思いを抱き、二度と寄席に来ない人もいるかもしれない。

 私としては、ある特定の寄席や落語会だけで、落語という芸を評価して欲しくないし、テレビに出ている人だけが落語家じゃないですよ、と言いたくなる。
 
 次の日曜で、司会者歌丸の放送は、最後らしい。
 ジャニーズの人気者も出るらしい。
 後任の司会者も発表されるのだろう。
 
 私は、見るつもりは、ない。

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『談志楽屋噺』(文春文庫)

 「笑点」は、五十年の間に、放送開始当初から、大きく様変わりしている。

 アクセスが急増した二年半前の記事でも引用したのだが、立川談志の『談志楽屋噺』から、放送開始直後のことに関する談志の回想を、少しだけ紹介したい。
 その頃はメンバー全員『笑点』の問題を一所懸命考えてきたもんだ。答えを持ち寄りアドリブはいっさい無しで、全部演出、その基は作家とメンバーが創り、それを割りふった。それでもいい。あの番組に基本はウィットにあったので、こんなときはこういうことを言おう、というWIT(ウィット)、それを許すユーモアにナンセンスを加えた番組だった。
 諺のパロディにこんなのがあった。
「よしのずいより天井のぞく」にあらず「よしのずいから戦場のぞく—大森実」だとか、「老いては子に従い」は「老いても子に従わず—美空ひばりのおっかさん」、傑作に「弘法も筆のあやまり」が何と「暴行も筆のあやまり」

 とても、今のあの番組では登場しそうにない内容。

 当初、談志が考えていた「笑点」が、間違いなく大人向けの番組だったことが分かる。

 そういう大人向けのウィットやブラックを含むユーモアについて番組関係者との意見が合わなくなり、談志は司会を降りた。

 談志、前田武彦、そして三波伸介が司会を務めていた時期は、司会者の技量、そして小円遊、小痴楽(のちの梅橋)などの持ち味などで、楽しませてくれた。

 私があの番組を観なくなったのは、先代円楽が司会の時代、昭和50年代の半ばからかと思う。
 まず、二十代半ばの独身男は、日曜の夕方五時に、アパートの自室にほとんどいなかった(^^)
 そして、たまに見ても、以前に比べてつまらなかった。
 この二つが主な理由だろう。
 
 歌丸が司会の最近の笑点を、テレビのチャンネルを切り替えている途中で短い時間眺めたことはあるが、チャンネルはとどまらない。やはり、つまらない。

 さて、ここからが、今回の本論(マクラが長い!)。

 きっと歌丸が司会降板のニュースで、「昔、小円遊ってのが出ていたなぁ」などと思い出されて、検索された少なくない方が、拙ブログにたどり着いたのだろうと察する。

 初めてアクセスしていただいた方も多いと思うので、あえて書かせていただきます。
 (なぜか、ここから「です、ます調」です)

 (1)大喜利は、あくまで余興であって、「落語」ではありません。
 (2)「落語」は、江戸時代からの歴史と伝統を持つ、日本固有の素晴らしい
   一人語りの“話芸”です。
 (3)その話芸「落語」を楽しみたいのであれば、「笑点」に出演している噺家
   より、もっと上手い、可笑しい、素晴らしい噺家さんが、たくさんいます。
 (4)落語を、ぜひ寄席や落語会で楽しんでください。
 (5)地域落語会なども探せば結構あちこちで開催されています。ぜひ、ご自宅
   近くでの落語会も探して、落語に接して、その魅力を味わってください。

 ここから、また調子が戻る。
 「笑点」出演者は、全国的な人気者になるので、その技量には関係なく、落語会の出演料も高くなる。
 しかし、その高座が、その木戸銭に見合うものかどうかは、他の噺家さんの高座を聴いてから、ご判断願いたい。
 テレビに出ている噺家さんは、全体のほんの一部。

 誤解なきように付け加えるが、私は、落語芸術協会会長としての桂歌丸という方は、偉いと思う。
 何度か記事に書いてきたが、同協会のホームページなども含め、若手協会員を応援する姿勢が明確だし、会長個人も若手に温かい声援を送っている。
 しかし、一人の噺家としての桂歌丸は、必ずしも傑出した存在だとは思っていない。
 他にも聴きたい噺家は、いくらでもいる。

 好みを押し付けることになるので、あえてお奨めの噺家などの名は、この記事では書かない。
 もし、ご関心があれば、ここ数年、年末に発表している、マイベスト十席をご覧のほどを。

 テレビの影響は大きく、寄席での観客動員力は、5月2日の末広亭昼の部に関しても書いた通り。

 歌丸人気、そして、笑点人気で、初めて寄席に行かれた方が、落語との接点がそれっきりで終わりではなく、ぜひ、それを縁に落語に接する機会を増やしていただければ、と思う。
 高座と客席が一体感の持てる寄席や落語会の一期一会を、一度でも多く経験されることを期待する。
 また、落語による笑いが、心身の健康につながるなら、そんな素晴らしいことはないだろう。
 落語好きなブロガーとして、あの番組をきっかけにご縁があった方に、以上のことを、ぜひお伝えしたかったのである。

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by kogotokoubei | 2016-05-16 21:50 | 幸兵衛の独り言 | Comments(8)
 先日、11日のNHK「おはよう日本」で柳亭小痴楽のことが放送されることを、落語芸術協会のホームページから紹介した。

 録画していたものを観て、少し物足りない思いがあった。
 父五代目柳亭痴楽の映像などは貴重だった。
 しかし、「成金」を中心とする落語会が人気であるという現象を、やや表面的にしか捉えていない印象があった。
 また、当代文枝の誘いがあって大阪で新作を披露したことが、結構長い時間を占めていて、小痴楽の本来の持ち味や、彼の落語に取り組む姿勢などは、舌っ足らず、という感想を持っていた。
 
 その記事に、U太さんからコメントをいただき、大田区久が原で開催されている落語会「くがらく」のサイトに小痴楽へのインタビューが掲載されており、参考になると教えていただいた。
「くがらく」サイトの該当ページ

まず、「くがらく」について、同サイトから引用。
■もともとは、東京都大田区久が原に住む落語好き有志たちが集まって「落語会できないかな?」という思いから生まれました。

■「くがらく」は、“久が原の落語会”という地名が由来であると同時に、『落語を聴けば苦も楽になる。笑ってハッピーに過ごそうよ』という願いも込められています。

■笑いは脳の活性化、心の健康にもつながると思っています。

 落語の笑いの効用は、先日の入院で自ら体感したので、大いに同感!

 さて、そのインタビュー記事、7ページに及ぶ長い記事だが、私は一気に読んだ。

 小痴楽という二ツ目の落語家さんの落語、そして落語界への熱い思いが伝わる、実に結構な内容だ。
 嬉しかったのは、小痴楽が落語家を目指すきっかけになったある噺家さんと、そのネタのこと。
 その私が大好きな噺家さんのことから別な協会の落語家さんと親密になり、ネタの稽古をしてもらうまでになったことなども興味深い。
 他にもどんな師匠からどんなネタを稽古してもらったか、など発見もある。
 しかし、何と言っても、彼が自分を客観的に見つめて、決して驕り高ぶることなく落語に取り組んでいることが、よく伝わってくる。

 あえて、内容は引用しません。
 小痴楽に興味のある方は、ぜひご覧のほどを。

p.s.
野暮用などのため、しばらく表題の誤字を放置しており、お詫び申し上げます。
小痴楽の志は高いのですが、管理人のそれが低いということで、ご容赦のほどを。
なお、「くがらく」主催者の方から、拙ブログからのリンクに対しご快諾をいただいたことをご報告します。

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by kogotokoubei | 2016-05-14 11:45 | 落語家 | Comments(3)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛