噺の話

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 このブログを開設しているエキサイトのニュースに、週刊ポストの記事が掲載されていた。

 青山繁晴が、新幹線の中で、とんでもないマナー違反の乗客に出会ったことが、彼のブログに書かれており、その内容を元にした記事。引用する。
エキサイト・ニュースの該当記事
『笑点』メンバーSとT「新幹線で女と大騒ぎ」を認め謝罪
NEWSポストセブン 2016年2月29日 07時00分 (2016年2月29日 10時33分 更新)

 <お二人の振る舞いは、人のこと、周りのことを考えている気配は、カケラもありませんでしたね。いったい、誰に支えられての成功でしょうか>

 この怒りの文言は、民間シンクタンク・独立総合研究所社長の青山繁晴氏(63)が2月21日に自身のブログに書き込んだものだ。その矛先は、今年5月に50周年を迎える日本テレビの看板番組『笑点』に出演する人気落語家2人に向けられていた。

「著名人のマナー」と題されたブログ記事で青山氏は、2月20日夜、名古屋駅から東京へ向かう新幹線に乗車した際、マナーの悪い乗客に遭遇したことを明かした。同じく名古屋駅から乗車した男性2人、女性2人の4人組は、青山氏と通路を挟んだ反対側で座席を回転させて4人向かい合わせで座り、大声で宴会を始めたという。

〈周りが吃驚(びっくり)するくらいの大声で、何かの宴会ゲームのようなことに興じるわ、騒ぎに騒いでいます〉

 翌日、同行していたスタッフと前日の騒がしい乗客について話題になると、青山氏はこう告げられた。

〈あれはテレビの『笑点』に出てる有名な落語家さんですよ。SさんとTさんです、男性二人は〉

『笑点』を見ない青山氏は2人が落語家と気付かなかったようだ。青山氏は長寿番組の出演者は視聴者に支えられていることを忘れてはならないと指摘した上で、2人の関係者へ向けてブログをこう締めくくった。

〈万一、お読みになれば、ご当人たちにお伝えください。もうほんの少し謙虚になっていただけませんか、と〉

 改めて青山氏にコメントを求めるも、秘書から「お断わりします」との返事。SとTとは誰なのか。

『笑点』に出演する落語家8人の2月20日の予定を調べると、愛知県の常滑市民文化会館で春風亭昇太(56)と林家たい平(51)が「特選花形落語会 春風亭昇太・林家たい平 二人会」を開いていた。しかも、「二人会」は14時開演の約2時間の公演なので、帰路につく時間帯もブログの記述と重なる。2人に話を聞いた。

「少し騒がしかったかもしれない。青山さんをはじめ同乗のお客様に対する配慮が足りなかった。今後は舞台人として恥ずかしくないよう努めてまいります」(春風亭昇太)

「この度は不快な思いをさせてしまいましたこと、申し訳ございません。自分を律して、姿勢を正して参る所存でございます。今回、青山様、ご不快な思いをされた方々にこのような形でお詫びをさせていただく機会を作っていただいた週刊ポスト様にもお礼申し上げます」(林家たい平)

 と、2人とも潔く認めたが、今回は「座布団一枚!」とはいかなそうだ。
※週刊ポスト2016年3月11日号
 
 彼らは、本当に反省しているのだろうか。
 昇太の「少し騒がしかったかもしれない。」という言葉には、あまり潔さを感じない。

 これ、青山繁晴がブログに書かなきゃ、表沙汰にならなかっただろう。
 
 『笑点』メンバーは、やはり勘違いしていると思う。

 全国区の人気者、と思っているのだろうが、だからこそ、襟を正さなければならないのではないか。

 昇太、たい平の高座を聴かなくなって久しいが、『笑点』も見なくなった。

 マクラで、どうしても、あの番組のネタを離れることができないような高座には、興味がどんどん薄らいでいくのだ。

 50年を機に、やめる、という決断はできないだろうが、番組としての改善があっても良いのではなかろうか。

 いまだに、大喜利を落語と勘違いしている人がいるが、それはあの番組の影響だろう。それだけ視聴者がいるのだから、落語界への貢献も考えて欲しいものだ。

 色物ばかりではなく、短くてもいいので落語の高座を大喜利の前に入れて、大喜利は時間を短くするなども一つの方法ではないかと思う。

 偉大なマンネリ、という評価もあるだろうが、人気に胡座をかいていては、芸がすさんでいくばかりだ。


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by kogotokoubei | 2016-02-29 20:23 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
 訃報に接してから三代目桂春団治のことは、本の引用を含め、何度か書いてきた。

 三代目の師匠は、父でもあった二代目春団治。

 初代は映画にも舞台にも本にもなっており、あまりにも有名。
 
 春団治で、エアポケットにように情報が少ないのが、二代目ではなかろうか。

 実は二代目も名人と言ってよい人だし、上方落語界への貢献も大きかった人。

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露の五郎著『上方落語のはなし』(朝日新聞)

 平成4(1992)年発行の『上方落語のはなし』は、二代目露の五郎兵衛が、露の五郎と名乗っていた時期に、半生を振り返りながら自分が見聞きし体験したことを元に昭和の上方落語界について記した朝日新聞の連載「五郎ばなし上方落語私記」の単行本化。
 露の五郎兵衛の著作としては、これまで何度か引用している朝日カルチャーセンターの内容を中心に書籍化した『上方落語夜話』(大阪書籍)もある。

 本書は「夜話」から十年後の発行だ。

 この本からも、以前に何度か引用している。
 二年前の五代目文枝の命日(3月12日)の記事が最初。
 その翌日に、二代目春団治と五代目笑福亭松喬が和解したある日のことを紹介した。
 また、その翌日には、『上方落語夜話』から、その後の動きを紹介した。
2014年3月12日のブログ
2014年3月13日のブログ
2014年3月14日のブログ

 本書から、「春団治、といえば、赤い人力車」という逸話の真実について書かれた内容を引用したい。


赤い人力車-初代ゆずりを色あげ
 
 桂春団治全快興行と大書した紅ちょうちんが横一文字に並んだ戎橋松竹の表正面。その華やかさの裏で春団治一門や劇場関係者は「何とぞこの十日間が無事でありますように」と祈ってたんでおます。
 表かざりは全快でも、ホンマはそうやおまへんのや。全快どころか、前昭和二十七年八月、この同じ戎橋松竹で五代目松鶴の追善興行がおこなわれていたころなんか、春団治は生きるか死ぬかというような発作に見舞われて、もち直したのが奇跡と言われるような有り様でしたのや。
 病院では、もうこれ以上手のほどこし様がないと言うとこまで行きまして、同じ天命を待つのんならと、人に勧められて、さるい大師さんへおこもりしやはったん。これが験があったといいまんねんけど、私は、これはある意味で精神療法やったと言うか、ホンマは当人の精神力で治ったんやとおもいますのやけど。ともあれ、お大師さんのご利益というわけで。
 この昭和二十八年一月は久しぶりの家で迎えるお正月、十一日から十日間、これも久しぶりの寄席出演。たとえ小康を保っているだけにしても、今、上方落語が上げ潮に乗りかけている大事な時、旗頭のわしが病気してられるかい、というのが春団治の胸中やったんですやろなぁ。
「春団治久方ぶりの戎松出番や、いやがうえにも盛り上げな、どもならん。春坊、清荒神の家においてある初代の人力車をとってこい。福団治、お前も行って二人で交代で引っぱったら持って来られるやろ」
 初代春団治ゆずりの人力車を補修、色あげをして、これに乗って楽屋入りをしようと言うのでおます。
 と、ここでちょっと楽屋話を申し上げまひょか。
 初代春団治の乗ってた人力車、まっ赤に塗ってあったと言うのは、それこそまっ赤なうそ。黒塗りに金で菊水みたいな、いや、菊水ではおまへんのやけど何や、そんなふうな紋が描いておました。後で聞いたところによると、花月亭九里丸が、赤車(あかぐるま)の文三(ぶんざ)(三代目桂文三、もし興味のある方は、朝日カルチャーブックスの拙著「上方落語夜話」を御覧下さい)から思いついて初代春団治のエピソードとして話したところ、長谷川幸延が、これは面白い、いかにも初代春団治らしいと小説にとり入れ、それが、お芝居になって渋谷天外の春団治として中座で上演され、この時の酒屋の丁稚で藤山寛美のアホ役が人気を呼んで、以後のアホボン路線につながって行きまんねんけど、ともあれ、初代春団治の赤い人力車は定着してしもうたんでおます。
 さあ、そうなると人のイメージというもんがおますさかい、春団治が黒い人力車では具合がわるい。車の泥よけと蹴込みをまっ赤にして、とりあえずそれに見せかけましたのや。
 現物を知ってる私が言うのんでっさかい間違いおまへん。
 露の五郎と一緒に人力車を取りに行った福団治は、後の三代目。

 “春団治”=“赤い人力車”のイメージを利用した景気づけの演出が、三代目の襲名披露興行でも登場するのは、以前「夜話」から引用して紹介した通り。
2016年1月16日のブログ

 花月亭九里丸は、当時の上方落語界、上方芸能界を語る上で欠かせない人物なのだが、彼については、別途紹介するつもり。

 執筆時の名で呼ぶが、露の五郎が残してくれた著作は、実に貴重だと思う。

 実際に彼が見たり聞いたり行ったことが元になっているので、戦後の上方落語界の様子が、実に生き生きと描かれる。

 “赤い人力車”の逸話、もし露の五郎がこのように書き残してくれていたからこそ、三代目文三という人の名も浮かび上がるわけだ。

 米朝や文枝も、実に重要な著作を残してくれた。
 しかし、露の五郎は、彼ら四天王を横で見る立ち位置にいたこと、落語のみならず大阪にわかや芝居なども経験していたので、その交流が幅広いことなどが、その著作の魅力につながっている。

 当代では、笑福亭松枝が、上方落語界の語り部として重要な存在になっているが、私はもっと多くの人が、今胎動している歴史を書き残すことを期待している。
 
 この本からは、露の五郎自身についても、今後紹介したい。

 とにかく、読み応えのある良書である。

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by kogotokoubei | 2016-02-27 11:11 | 落語の本 | Comments(0)

 古今亭志ん輔の日記風ブログ「志ん輔日々是凡日」の25日の記事を読んだ。
「志ん輔日々是凡日」の該当ページ

 昭和47年の「二朝会」での師匠志ん朝の『らくだ』の音源を、昨日聴いたことが書かれている。
 本編のみで44分らしい。
 志ん輔は入門したばかりでイイノホールの受付を手伝っていたらしい。

 一昨年、KAWADE夢ブック『古今亭志ん朝-落語家としての生涯-』について記事を書いた。 
2014年10月28日のブログ

 その記事から引用。
 このムックには「演目一覧」がついていて、実に貴重な記録が掲載されているが、その内容について書いた部分。

------------(2014年10月28日の記事の引用)----------------------
 『よってたかって古今亭志ん朝』にも、主要ホール落語会での演目の詳細な一覧があって重宝しているが、この一覧はホール落語会や独演会はもちろん、ラジオの音源や寄席などでの演目も含め、志ん朝のあらゆるネタを網羅しようという試みで、志ん朝ファンには、なんとも嬉しい企画だ。

 たとえば、先日、大須のまくらシリーズで『時そば』のまくらを書き起こしたが、このネタについては、次のようになっている。


時そば
 昭和36年5月14日 第86回 三越落語会
 昭和40年1月28日 第37回 若手落語会 「湯浅喜久治七年追悼」
 平成11年11月9日 第10回 大須演芸場 三夜連続独演会 初日

 『よってたかって~』の巻末資料には、紀伊国屋落語会の記録はあるが、三越落語会の情報はない。

 よって、23歳での三越落語会、37歳での若手落語会の上演記録は、この本で初めて知った。

 他に、たとえば『らくだ』については、次のような記録が掲載されている。

らくだ
 昭和38年4月22日 第30回 若手落語会
 昭和43年3月15日 第105回 東京落語会
 昭和47年2月28日 二朝会

 NHKの東京落語会の音源が残っていれば、志ん朝のみならず、昭和の名人の貴重な‘歴史’があるはずなのだが、なかなか世に出てこないのが残念でならない。30歳の志ん朝の『らくだ』を、ぜひ聴きたいと思う。
--------------(引用おわり)------------------------------------

 二朝会の『らくだ』は、今からほぼ44年前、34歳の誕生日少し前の頃だ。

 志ん輔は、落語協会のプロフィールでは「昭和47年3月」入門となっているので、この記載の通りなら入門前(^^)

 実際には入門していて、受付の手伝いをしていたのかと察する。

 志ん朝の『らくだ』、一般の落語愛好家が聴くことのできる音源は市販されていない。
 きっと、関係者だけが持っているテープなどを、志ん輔は聴いているのだろう。
 昨年、東京落語会の中から34席(DVD23席、CD11席)が、NHKエンタープライズより発売されたが、『らくだ』は含まれていない。
NHKエンタープライズのサイト該当ページ

 『時そば』は大須の音源が発売されたことにより聴くことができたが、『らくだ』は、存在しないのだ。

 志ん朝の『らくだ』、聴きたい!

 志ん輔が、うらやましいなぁ。


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by kogotokoubei | 2016-02-26 12:45 | 噺家のブログ | Comments(0)
 出演者に笑福亭松枝、そして小満んの名を見つけ、久しぶりにこの会へ。

 私にとっては、2012年8月に笑福亭松喬の最初で最後の生の高座に出会った会であり、翌年7月には、師匠の訃報を知ったばかりと察する弟子三喬の高座を聴いた会でもある。
 そして、そのまた翌年は三喬の弟子、喬若をこの会で聴いている。
2012年8月29日のブログ
2013年7月30日のブログ
2014年3月27日のブログ

 松喬一門に縁がある会だが、今回は松喬の弟弟子に出会うことができた。

 出演順に内容と感想を記したい。

柳家圭花『初天神』 (8分 *18:31~)
 開口一番は、この人。三回目のはず。最初新宿末広亭、その後で国立演芸場で聴いている。古風(?)な見かけが忘れがたい。よく笑ってくれるお客さんにも助けられたが、なかなか楽しい高座。とはいえ、やや粗っぽさも目立つ。落語協会の前座ではもっとも香盤が上のようなので、今年二ツ目昇進は間違いないだろう。もう一段上を目指して精進していただきましょう。
 それにしても、この会に開口一番は、必要かな。疑問だ。

桂三木男『猿後家』 (23分)
 久しぶりだ。髪型が、妙に気になる。ワキをそり上げていて、上の方が長髪でオールバック。カリアゲ君的だが、彼のような純朴な印象は、ない。
 口調でも気になる点があった。「え~」「う~」「あ~」という間投詞が多すぎる。自然な語り口としての間投詞なら構わないのだが、あれだけ聴かされると、「ネタ、思い出しているか?」などとも邪推するし、年齢的にも似合わない。
 演出面では、親指で「Good!」とやる源兵衛の仕草なども、私には笑えなかった。
 会場でいただいたプログラムには「サラブレッド」という言葉が載っている。たしかに三代目三木助の孫、四代目三木助の甥には違いないが、そろそろ、そういった形容による圧力から解放してあげないと、いけないのではなかろうか。
 順当なら再来年に真打昇進だろう。ウケを狙うことより、まだまだ基本を身に着けることが大事な時期かと思う。周囲の期待と現実の乖離に打ち克つだけのものが備わっているかどうか。
 あくまで、将来楽しみな二ツ目の一人として精進してもらいたい。いつか、その高座を聴いた後で、その血筋の良さに「なるほど」と思わせるような芸を期待したい。

春風亭柳好『宮戸川』 (23分)
 そうそう、柳好の名があったのも今回来た理由の一つだった、と思い出した。
 この人のこの噺は、昨年11月に新宿末広亭(寿輔が主任)で聴いて、2015年の「寄席の逸品賞」に選んだ。あの時同様、実に結構な高座。
 マクラは、師匠柳昇が将棋連盟の名誉三段をもらった逸話など、昨年11月と同じ内容もあったが、波照間での落語会のことは初めて聴いたように思う。また、過去二度の出演では、JALの国内線では何席かが選択して放送されるが、これまで「一勝一敗」で、この日に勝ち越しをかけている、とのこと。
 この内容なら、「勝ち」だろう(^^)
 冒頭の半七とお花の掛け合い、霊岸島の叔父さん夫婦のやりとり、など筋を知っていても、また以前聴いていても笑えて楽しめるということに、この人の力量の高さがある。
 勘違いする叔父さんと半七との会話、「わかってる、わかってる」「ちがう、ちがう、わかってない」「わかってる、まかせておけ」なども、リズミカルで楽しい。
 最後の方で一度だけ言い直しがあったのが残念だが、それもご愛嬌だ。
 会場には初めてこの人を聴くお客さんも多かったように見受けるが、結構驚かれたのではなかろうか。芸協は、実は(?)層が厚いのだよ。

笑福亭松枝『三十石 夢の通い路』 (30分)
 仲入りは、この人。ようやく聴くことができた。
 ブログの写真に慣れているので、そうか、あれは少し前のものだな、と感じた次第(^^)
 右ひざの痛みのことから、客席をほどよくいじるマクラが楽しい。
 焼き芋を食べる場面、機上で聴く方は、どこまで想像力をたくましくできるかなぁ(^^)
 本編は、時間の関係だろう、京人形屋で買い物をする場面をカット。
 伏見の浜、船茶屋で番頭が帳面をつける場面は、お約束で上方の噺家の本名が並んだ。竹内梅之助は五代目松鶴、河合浅次郎は二代目春団治、大橋駒次郎は三代目染丸。中川清も登場。長嶋茂雄は・・・出なかった(^^)
 船頭が「出しましょう~」の後に「ハコハコハコハコ」と叫ぶ件、「師匠(松鶴)のこの科白、最初何を言ってんのか分からんかった」と振り返る。
 「早く来い」が「ハコ」なんだ。これは笑福亭だけの科白かな。

 圧巻は、これこそ笑福亭の型なのだろう、混みあった三十石船に、もう一人「お女中」を乗せてくれ、と船頭に言われてからの、ある男の妄想場面。

 この男の想像力は、船の中にとどまらない。
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 ここからは、座右の書、興津要さんの『古典落語』(「続」)から引用。
 この本、上方落語だって収録している。
 男の妄想部分の一部を引用する。たぶん、松枝の高座もほぼ同じだったように思う。
 「船が八軒家へつきますと、『兄さん、えらいお世話になりましたなあ』『どういたしまして・・・・・・』『兄さん、どっちへお帰り?』『へえ、久宝寺町へ帰りますが、ねえさんはどちらへ?』『わたしは、上町の和泉町へ帰りますねんが、おんなじ方角でっさかい、ごいっしょに帰りまひょか?』『そんならお供いたします』『ほな、人力車(くるま)いいまひょ。あの・・・・・・人力車屋はん!人力車屋はーん!』
 「わあ、びっくりした、あんた、大きい声やなあ」
 「『人力車屋はん、合乗り一台』『へい、どうぞ・・・・・・』『兄さん、お乗り』『いえ、ねえさん、お乗り』『兄さんから・・・・・・』『ねえさんから・・・・・・』『ほな、ふたりいっしょに乗りまひょ。ひい、ふう、みい。やっ、乗ったわ・・・・・・人力車屋はん、母衣(ほろ)かけてんか?』♪合乗り母衣かけ頬ぺたひっつけ、テケレッツのパー!」
 「おい、船頭はん、気ちがいが乗ってるで、投(ほ)りあげてしまい」
 「とたんに人力車がガラガラガラ・・・・・・」
 「わあ、まだやってるわ」
 「人力車がとまる。『人力車屋はん、おおきにごくろうはん』、帯のあいだから銭入れをだして、人力車屋に銭をやると一軒路地。表の戸をトントンをたたくと、なかなかから女中(おなごつ)さんがでてきて、『あら、お帰りあそばせ』『ただいま・・・・・・これ、お梅、ここにござるおかたは、船でご厄介になったおかたや。お礼いうとくれ』『まあ、さよでござりますかいな。主人が、船でお世話になったそうで、ありがとさんでござります。さあ、どうぞこっちはおはいり』『いえ、これでおわかれいたします』『そんなこといわんと、おはいりあそばせ、おはいり、おはいり・・・・・・』」
 「もしもし、なにをしなはんねん、あての袖をひっぱって・・・・・・もし、これ、はなしなはれ!袖がちぎれるがな、はなしなはれ!」
 (中 略)
 「・・・・・・料理がとどく・・・・・・酒のしたくができて、女中さんがはこんでくる・・・・・・チャプ、チャプ、チンチロリン、チャプ、チャプ、チンチロリン、チャプン、チリンのトプン」
 「もしもし、そのチャプ、チャプ、チンチロリン、チャプン、チリンのトプンちゅうのはなんだす?」
 「女中さんが気取(ようす)して歩きますさかい、盃洗の水が、チャプ、チャプ、チャプンといいます。そのひょうしに、さかずきがあたって、チンチロリン、チリン、底へ沈んでトプン」
 「わあ、こりゃ、いうことがこまかいわ」

 この妄想場面、実に楽しい。『湯屋番』的な味もある部分だ。
 松枝は、男が酒、肴をご馳走になった後、雷に驚いた年増が抱きついてくる、という設定。まるで『宮戸川』ではないか。『夢の酒』にも似ているなぁ。
 その後の演出が、凄い。松枝は、クレヨンしんちゃんが興奮した時に機関車となって走り出すような状態(?)で、「アウ~、アウォ~」と叫ぶのであった(^^)
 ちなみに私が聴いている六代目の音源は、ここまでは弾けていないので、松枝ならではの演出かと察する。
 この、やや(ずいぶん?)下がかった空気は、この後に舟歌にハメモノが入ることで一変する。
 松枝、なかなかの喉を披露。
 ♪やれ~ ここはどこじゃとな 船頭衆に問~えばよ
   ここは枚方な 鍵屋浦よ
 舟歌の場面では、扇子を使って櫓を漕ぐ擬音を出していたが、こういう小技も上手いねぇ。
  ちょうど30分が経過し、船が枚方にたどり着いたところでサゲた。
 
 期待はしていたが、大ネタを見事に松枝は演じてくれた。
 男の妄想を膨らませる演出は、五代目松鶴からの笑福亭の伝統かと察するが、その歴史を引き継ぐ松枝の力強い高座、今年のマイベスト十席候補とする。 

宮田陽・昇 漫才 (16分)
 いいねぇ、この二人。日本地図のみならず、ギリシャで世界地図も登場しかけた。
 「わかんねぇんだよ」の得意フレーズも楽しいが、この人たちらしいブラック・ジョークが好きだ。
 JAL名人会で、「皆さんが喜んでいただける話題」として、陽が「北海道新幹線開通!」だからね(^^)
 また、懐かしいテレビ番組のネタも登場。
 陽が竹下景子派で、昇が北川景子派。
  陽 北川景子は、何点?
  昇 100点だ!じゃ、竹下景子は?
  陽 竹下景子に3000点!
  昇 クイズじゃないんだから。でも、どうして全部賭けないの?
  陽 残りは、はらたいらさんへ
 で、私も含め会場は大笑いなのだが、彼らは「クイズダービー」観ていた世代だっけ。
 プログラムに「ナイツ、ロケット団、ホンキートンクと並んで漫才協会の四天王とも呼ばれています」と載っているが、おいおい、笑組を忘れちゃいけねぇ!
 とはいえ、この二人は、結構。

柳家小満ん『盃の殿様』 (30分 *~20:56)
 この噺は、何度か聴いているが、この高座がベストだった。
 米朝が、東京落語の中では、スケールの大きな噺、と評するネタ。
 演じ手で有名なのは六代目円生。現役では、小満んと喜多八でしか、聴いたことがない。
 どんな噺か、あらすじとともに、小満んの高座についても感想を記したい。

(1)お殿様の心の病気
 参勤交代の江戸詰めのお殿様が、うつ病的な心の病。剣術や馬術の稽古も具合が
 悪い、といって引きこもっているので、重役でご意見番の植村弥十郎も困って
 いた。
 小満んの植村弥十郎の造形が、何ともご意見番という感じで良い。だから、
 お国入りした後のお殿様の無茶ぶりで、弥十郎が花魁の真似をする場面が、
 なんとも可笑しい。
(2)珍斎の妙案
 お茶坊主の珍斎が、お慰みにと、お殿様に豊国の作である『全盛花競六花撰』を
 お見せした。綺麗な花魁を描いたこの錦絵をご覧になったお殿様、珍斎から、
 錦絵のような美女が吉原に実際にいると聴いて、とたんに元気になる。
(3)ご一行は吉原へ
 お殿様、植村弥十郎に「吉原へ行って、傾城(花魁)を見たい」と言うが、
 止められる。駄々っ子のようなお殿様、「頭(つむり)が痛い、気分が悪い、
 しかし、薬は飲まん。」と言い出した。弥十郎は医者とも相談の上、 しかたが
 ないので、観るだけ(素見-ひやかし-)なら気晴らしにもなるでしょう、と吉原行きを
 許した。なんと三百六十何人と言うご一行が、金紋先箱、槍、鉄砲、薙刀を揃え
 大名行列での登楼。
(4)花魁道中から、お泊りへ
 お殿様、茶屋の二階から、艶やかな花魁道中を見て感激。なかでも五番目に
 登場した花扇に一目ぼれ。ここで、「能狂言の見物左衛門よろしく」という言葉が
 出てくるのが、小満んらしさ。見物左衛門では、お殿様満足しない。
「遠くから見るだけではなく、近くで盃の相手をさせたい」と弥十郎に言うが、
 弥十郎に断られる。そうなれば「頭が痛い」と、奥の手。弥十郎も負けて、
 花扇を呼んでのお殿様とのご対面。近くで花扇を見たお殿様、もう止まらない。
 「泊まりたい」と言うが、弥十郎が駄目だと言うので、「頭が痛い、気分が
 悪い」で、一泊することに。家来もご相伴あずかった。
 小満んの演じるお殿さまの駄々っ子ぶりが、楽しい。
(5)裏から馴染みへ
 次の日はなんとか我慢したが、一日おくと、もう我慢のならないお殿様、
 弥十郎を呼び、「かの花扇が、初めて行くのを初回。二度目に行くを裏と申す
 と教えくれた。初回に参り、裏に来ん時は、その客の恥辱にあいなると言う」
 と花扇の言葉を武器に使い、「先祖は戦場において敵に後ろを見せたことがない、
 いやしき傾城に後ろを見せるのは無念。武士の意気地で、行くぞ」。と弥十郎を
 丸め込んで吉原は。その後は、連日連夜の登楼。
(6)お国入り、盃が江戸へ
 弥十郎はじめ家来達は、吉原遊びがお上にばれて、何かお咎めがなければ
 良いがと心配していたが、何事もなく、一年経ちお国入りとなった。
 花扇から、仕掛(内掛け)をもらって、原羊遊斎作と小満んが説明する蒔絵が
 見事な百亀百鶴(ひゃっきひゃっかく)の盃で別れをし、江戸から三百里という
 お国へ帰った。お殿様。仕掛を見て、つい懐かしくなり、「弥十郎、その仕掛を
 着て、余の側に来い」と無茶を言う始末。この場面の弥十郎の姿が、前言した
 ごとく、なんとも可笑しいのだ。廓と同じ作法で酌み交わしたい、とお殿様が、
 「誰か、足の丈夫な者はいるか」と問うと、お目見え以下だが、早見東作という
 三百里の道を十日で駆ける藩きっての早足が召し出され、殿様が呑んだ大盃を
 担いで、江戸の花扇へ届ける。喜多八は、ここで道中付けを聴かせてくれた。
(7)箱根で粋な大名登場
 花扇がこの盃を受け、なみなみとついで呑み干し、東作は、すぐに帰路へ。東作は、
 急ぐあまり、箱根の山で、ある大名の供先を切り、無礼者と取り押さえられて
 しまった。そのお大名が訳を聞くので、東作は、主人の名や国元の名を明かす
 ことなく、国元と三百里離れたお殿様と吉原の花魁との盃のやりとりのことを説明。
 この殿様が、実に粋な人で、三百里離るる酒盛りとは面白い。大名の遊びは
 かくありたいものと、感じ入り、「あやかりたい」と、例の盃に酒をなみなみと
 ついで一気に飲み干し、「そちの主人によろしく伝えてくれ」と、返盃。
(8)帰国、そして捜索、サゲ
 国へもどった東作が、箱根の山中での出来事を殿様に話すと、「お見事。ぜひご返盃したい、探してまいれ」。
 東作、また、盃を担いで駆け出したが、名も国も聞かずじまいで、さて、どこの
 お大名だかわからないんで、何でもいまだにほうぼう探しているそうで・・・
 で、サゲ。小満ん、この日は「佐川急便が、いまだに探し回っているようで」と
 していた。

 体調も良いようにお見受けした。私が聴いた小満んのこの噺で、これまででベストなら、今年のマイベスト十席候補に入れないわけにはいかないねぇ。

 緞帳が下がり、近くにいらっしゃったご常連と思しき方が、お連れの人に「今日は、あたりだな」と言っていた。
 私は比較できるほどこの会には来ていないので、何とも言えないが、全体として、中身の濃い会だったことは、間違いない。

 三代目の訃報に接して以来、上方落語関係の本を読み直し、音源を聴く日々が続いている。
 そして、生の高座でも、これまで聴いたことのない上方の噺家さんに出会えた。
 松枝は、拙ブログでも紹介している本の著者として文才を発揮しているが、本業(?)の高座も、なかなか結構だった。
 天満天神繁昌亭のサイトの「上方落語家名鑑」にある松枝のプロフィールで分かることだが、平成11年に、昨年露の新治が受賞した、文化庁芸術祭優秀賞を受賞している実力者だ。
「上方落語家名鑑」の該当ページ

 まだまだ、聴いていない上方の噺家さんが多いなぁ。 
 こうやって、一人一人、自分の落語家地図の空白を埋めていくしかないのだろう。

 松枝が演じた『三十石』は、初代文枝の作。金の工面のため、この噺を質入れした、という逸話の持ち主。

 ここ数日、高座や作品とは関係ないことで世間を賑わわせている、当代文枝を名乗る人がいるが、本人も言う通り、まったくの自業自得だろう。
 できるものなら、あの名を返上してもらいたいものだ。

 そんなことも思いながら、帰路の車中では、五代目文枝の『三十石』を聴いていた。
 文枝系と、松鶴系、どちらも、それぞれにいいんだよねぇ。
 加えて、関内で聴いた小満んの『三十石』も、泥棒の場面を含むサゲまでを演じる素晴らしい高座だったことを思い出す。

 帰宅して「あさが来た」の録画を見ながら、一杯。
 何気なくチャンネルをひねっていると、NHK BSプレミアムで広岡浅子特集の再放送があった。
 『土佐堀川』作者の古川智映子さんが、どのような経緯であの本を執筆することになったかなどの内容を、ついブログの記事を書きながら見ていたのであった。

 ちなみに、昨夜の番組のお題は、“アナザーストーリーズSP「これがリアル“あさ”だ!女傑 広岡浅子」”で、3月19日(土)にも再放送されるらしい。

 それにしてもNHKは、主役のあさが「妾」の子であったことを、どうしても明らかにしたくなかったようだなぁ。あの時代は、決して珍しいことではないのにねぇ。
 
 その広岡浅子も、京都と大阪の移動には、三十石船にも乗っていたはず。そんな時代のお話は、落語でもドラマでも、私は好きなのだ。

 さてさて、飲み過ぎて船を漕ぎだす前に、この記事はお開きとしよう。

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by kogotokoubei | 2016-02-24 20:47 | 落語会 | Comments(8)
 最後の上方落語四天王だった三代目も、彼岸の人となってしまった。

 そこで、ふと考えた。
 もしかすると、今、東京(関東)地区の落語愛好家の中で、もっとも評価の高い現役の上方の落語家は、露の新治ではなかろうか。

 そして、この度の芸術祭優秀賞受賞。

 私も何度か聴いているが、どの高座も実に素晴らしい。
 
 その新治の師匠は、亡くなる前の名で書くなら、露の五郎兵衛。

 東京では、この一門のことは、米朝一門、松鶴一門、五代目文枝一門、そして三代目春団治一門などに比べると、あまり知られているとは言えないだろう。

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笑福亭松枝著『当世落語家事情』(弘文出版)

 先日、三代目のことで引用した本から、この一門について書かれた部分を紹介したい。
 ほぼ20年前、平成8(1996)年2月に発行された、笑福亭松枝の『当世落語家事情』の「露の五郎・湖」の章からの引用。
 ちなみに、各一門について書いてある章の他の題は、「米朝山脈」「春団治の海」「文枝平野」「故六代目松鶴・火山帯」「可朝の月」「染丸の丘」など。
 なんとなくイメージが伝わるものもあるが、ややこじつけっぽいのもあるかな。

 「露の五郎・湖」の冒頭は、ある別の一門の上方落語協会からの脱会事件から、始まる。

 平成六年、露の五郎は上方落語協会、第五代会長に就任した。
 直後、待ち構えていたように桂枝雀一門が脱会を表明。少し遅れてざこば一門もその後を追う。マスコミが取り沙汰。世間も大いに関心を寄せた。
 一般にこういう騒動が起こった場合、その原因と渦中の人物の本心など、興味本位に邪推され、歪んだ形で流布、結論づけられることが多い。困ったものである。
 その一つ。
「枝雀一門、特に南光は、かねてより露の五郎に好意的ではなく、彼を盟主に戴くことは耐えがたく・・・・・・」など、誠しやかに言われたが・・・・・・誠である。筆者、署名の上捺印する。あたわず。
 また、一つ。
「元来、米朝が何代も前に会長になっていなければならないところを先送り、怒りが募り、表明するべく・・・・・・」とも言われたが、それは根も葉も・・・・・・ある。幹もウーンと太い。
 しかし、その真相は細々ここに記す気はない。紙数に限りもある。もし何としても知りたければ、私の許へ意思表示をして欲しい。一万人を超えたら、本にする。
 枝雀一門の上方落語協会脱会騒動は、知る人ぞ知る、知らない人は知らない、上方落語界の事件。

 この本の発行が平成9(1997)年。

 まだ、生々しい話題だったに違いない。
 
 そろそろ時間も経ったから、松枝に、ぜひ本にしてもらうべく意思表示しようか・・・迷うところだ(^^)
 この件、別途何か書くとして、露の五郎について。

 さて、「露の五郎」は、二代目・春団治に付いて、現・幹部連の中では最も落語家らしい修業をした一人であろう。いかんせん他に比べて年が若く、不利があったことがかえって持ち前のバイタリティに繋がっている。多芸多才、万事に精力的である。本業の落語は無論、大阪仁輪加、演劇、著述その他、業績は輝かしい。サービス精神と研究心で、一つの素材(ネタ)でいかに多くの笑いを取るか、涙を絞るか、怖がらせるかを限界まで追及する、翻って、素顔の五郎は至ってきさくで、話がしやすい。つい話題が下ネタに行く傾向も愛嬌である。熱烈で息の長い支援者が多い。

 “年が若く、不利があった”という表現は、たぶんに「上方四天王」と比べているのだろうと思う。

 露の五郎と、四天王の生年月日を並べてみる

 ◇六代目笑福亭松鶴 大正7(1918)年8月7日生まれ。
                    *昭和61(1986)年9月5日没。
 ◇三代目桂米朝    大正14(1925)年11月6日生まれ。
                    *平成27(2015)年3月19日没。
 ◇三代目桂春団治   昭和5(1930)年3月25日生まれ。
                    *平成28(2016)年1月9日没
 ◇五代目桂文枝    昭和5(1930)年4月12日生まれ。
                    *平成17(2005)年3月12日没。
 そして、
 二代目露の五郎兵衛 昭和7(1932)年3月5日生まれ。
                    *平成21(2009)年3月30日没。
 
 「若い」と言っても、三代目、文枝とは、たった二歳の違いだ。
 五郎が「上方落語四天王」とは距離感を持たれてしまうのは、若かったこともあるだろうが、それよりも、彼が落語に限らず芝居や仁輪加などの芸道を歩んでいたことの方が、大きく影響しているように思う。
 
 私は、子供の頃に初めて露の五郎をテレビで見たことを、ぼんやりと覚えている。何か艶笑噺をしていたのか、下ネタの話題だったのか、いずれにしても、下がかった印象を露の五郎に対して根強く持つようになった。
 だから、あまり、良い第一印象とは言えない。

 しかし、今は違う。
 新治を知るようになってから、五郎の『大丸屋騒動』などの音源を聴き、実にびっくりしたのである。
 「あれ、ただのエロ爺ぃじゃなかったんだ!」と思ったのだ。
 きっと、上方落語を長らくお聴きの方は、その力量を十分に評価されていたのだろう。

 本書から、五郎の弟子達について書かれている部分を、引用。
 あらためて、本書は20年前の発行ということをお忘れなく。

 立花家千橘(たちばなやせんきつ)は、露の団丸を改め、襲名。温厚な人柄は周囲をほっとさせる。持ちネタを巡ってこんな逸話がある。
 若江岩田寄席という長年続いた若手の勉強会があった。千橘は兄貴格として数回客演していたが、ある時、そのネタ帳を偶然に五郎が目にした。千橘の演じたソレはことごとく五郎の十八番で、しかも一度も稽古をつけてないものばかりだったという。
 『慎悟』は最近、糖尿病と結核で別々の病院に通院している。一向に回復の兆しが見られない。聞けば糖尿への投薬が結核の症状を悪化させ、結核への療法が糖を増やすという。医者同士の話し合いが待たれる。
 『都(みやこ)』は、数少ない東西女流落語家達の姉貴分。平成7年十一月、再婚。前の相手は造幣局員、この度はNTT職員とおカタい。本人は何かにつけてヤハラかい。若い頃、笑福亭松葉にほのかに憧れ、出した年賀状でしくじっている。宛名を「笑福“停”松葉様」としてあったという。
 『団四郎』は、師・五郎になくてはならない存在である。まず仁輪加の相手(一輪亭花咲の名を持っている)、次に五郎演じる怪談の幽霊。色あおざめて白く、小柄で身のこなしがこの世の者とは思われず、幽霊になるために生まれてきたような・・・・・・。
 『団六』が来て、五郎宅のふまえつき(踏み台)は押し入れに仕舞われた。182センチの長身。神戸大出身で、物事の本質をズバリ、バッサリ。ラジオ関西の「団六のニュース大通り」は好評で、長寿である。
 『新治』も負けず、大阪市立大学出身。学校の先生であった経験を生かしての講演もよく依頼される。師匠宅の新年会でベロベロに酔い、帰りのタクシーのシートに大便をしたという豪傑でもある。
 八年前である。某地区会館の和室で一門の勉強会が開かれた。入門間もない『吉次(きちじ)』が、前座で『平林』をやりだしたところ、会の常連で目の不自由な女性客が伴っていた盲導犬が、突如「ウー、ウー」唸り出した。盲導犬は主人に危険を知らせる以外、絶対にそういう反応はしない。と、断言するほどその方面の知識に明るくないが、多分そうだろう。吉次の『平林』が、主人に危害をもたらすと予測したのだろうか?誰よりも驚いたのは犬の主人で、“人いきれに犬が苦しんで”と判断し、空気の入れ替えに、とっさに横手の襖を開けた。なんと、そこは出演者の控え室になっていて、折しも次の出番の都が長襦袢一枚の姿でたたずんでいた。犬はさらに激しく唸り声をあげたという。主人に及ぶさらなる危機を感じたのだろうか。会は中断、女性客は帰り、その後、姿を現さないと聞く。
 ・・・・・・たいした話だ、ヒラリンは。

 あの新治が、そんなしくじりをしていたなんてねぇ(^^)

 この本の発行後、弟子はもう一人増えている。
 実の娘の、露のききょう 、だ。女優の綾川文代でもある。

 露の五郎一門、なかなか個性的な顔ぶれが揃っていそうなのだが、生で聴いたことがあるのは、新治と都のみ。

 天満天神繁盛亭のサイトに「上方落語家名鑑」がある。
 その中の「露の五郎兵衛(二代目)」一門のページを確認すると、都には五人も弟子がいる。
天満天神繁昌亭サイト「上方落語家名鑑」の該当ページ

 都の弟子の一人、紫は、2013年NHK新人演芸大賞のテレビ放送で聴いている。
 馬ること同点での決選投票の結果、4対3で負けはしたが、私は彼女の優勝でも、まったく異論はなかった。
2013年10月20日のブログ

 新治にも弟子が一人いるようだ。

 二代目春団治の弟子なので、、三代目と兄弟弟子だった露の五郎兵衛。

 人数の面では「春団治の海」に対して「湖」かもしれないが、新治に代表されるように、透き通るように澄んだ、綺麗な湖なのではなかろうか。
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by kogotokoubei | 2016-02-21 19:46 | 上方落語 | Comments(8)
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桂米朝x筒井康隆『対談 笑いの世界』(朝日選書)

 この本をあらためて読んでいるが、実に楽しい。

 最初に読んだのが、ずいぶん前になる。
 「日曜喫茶室」を聴いて、米朝の「長崎シャンソン」の話を聴いたことが、本棚に埋もれていた(?)好著を見つける機会となった。

 前半で、戦中と戦後まもなくの頃の、映画の話題などで話が盛り上がる。
 チャップリン映画など、米朝も結構よく観ている。

 その後に落語に関する話題も登場する、「SFと落語のスケール」の章から引用。

筒井 漫才や落語の若手から、電話かかってくるんですよ。「先生のあれを使わしてもらいたいけど、でも漫才や落語の方には著作権っていうものはないんで」あるって!(笑)。「そりゃーちょっと勉強してもらわなきゃいけません」って言うんですが。
米朝 いやいや、われわれはほんまに著作権ないようなもんですよ。昔からの、作者のわからんものは仕様がないけどね。わたしが作った噺でも、もう勝手にやってるし。
筒井 ははあ。そうですか。
米朝 知ってる連中は断りに来るけどね。わたしが作って、わたしがちょいちょい入れたギャグなんかでも、誰もそんなこと認めへんからね。知ってる者は知ってるけどね。
筒井 原則的に、古典には、落語の作者というのはいないんでしょう。
米朝 稀にはあるけど、まず、ないんです。わかっていても大概とうに死んでるからね。五十年どころやないしね。
筒井 それはそやけど、例えば「こぶ弁慶」の最初の方で、大津の宿の女子衆(おなごし)の描写がありますね。あれ、えんえんとやるのは、後の人がちょっとずつギャグつけていったん違いますか?
米朝 つけてもいったんです。つけてもいったし、わからなくなったところを変えてますわな。これが難しいんや。ほんとはねえ、なかなか変えられへん。
筒井 わからんとこ言うのは、欠落があるんですか?筋が通らんところとか。
米朝 いや。宿屋の女子衆の描写なんか、ああいうふうなものは昔の通りにやるとわからん。「一番の十能(じゅうのう)みたいな手で」という「一番の」というのがわからん。
筒井 大きさ、というのはわかりますが。
米朝 荒物屋の丁番、符牒ですわな。いちばん大きい。
筒井 そこが面白いんですけどね。
米朝 そやからわたしは、そういうところは変えずに、そのままやってますけどな。
筒井 「十能」がわからんどころか、カンテキがわからんちう人も。
米朝 火鉢がぼちぼちわからん。(扇子を火箸にして)こうやって、寒いなあって言うても、何してるこっちゃわからん。近ごろは。こういうふうに扇子でやっても火箸で火をいじってるとこを見たことがない(笑)。

 この件を読んで、今月8日横浜にぎわい座の「西のかい枝 東の兼好」の開口一番で、雷門音助が演じた『たらちね』の中で、彼が「十能」と言っていたことを思い出した。

 関西の若い人もだろうし、東京の人はなおさら、カンテキは分からないよねぇ。

 本書は親切で、しっかり次の注釈がついている。

カンテキ 関西、中国地方の方言で「七輪」のこと。

 しかし、そろそろ「七輪」もあぶないか・・・・・・。

 私が持っている米朝の音源には、しっかり「一番の十能」や「カンテキ」が登場する。
 しかし、枝雀は、女子衆の形容そのものが、カット(^^)
 たぶんに他を膨らませているためで、決して古い言葉を粗末にしているのではないと、思いたいなぁ。枝雀のこの噺も、実に楽しいのである。 

 通じない古い落語の言葉、ということでは、志ん朝が大須のマクラで、「襖」や「鴨居」が通じなくなった、と嘆いていたことを思い出す。

 私は、「十能」や「カンテキ」、もちろん「鴨居」も「「敷居」などの言葉は、ぜひそのままで演じて欲しいと思う。

 そして、落語の原作を大事にしてもらうことで、それを聴いたり読んだりすることが、実にためになるのだ。

 昔の品物の名前のみならず、その言葉の背後にある歴史を知ることは、学びにつながる。

 そういうことを、米朝は著書で語っている。

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桂米朝著『落語と私』(ポプラ社)

 何度か引用しているが、桂米朝著『落語と私』は、落語入門書として素晴らしい本。
 昭和50(1975)年ポプラ社から発行され、その後昭和61(1986)年文春文庫に収録。平成17(2005)年にはポプラ社から新装版が発行されている。
 上の写真はポプラ社の新装版。
 ちなみに私は文春文庫版を元に、この記事を書いている。

「落語から学んだもの」から紹介したい。

 お父さんの影響で、落語や講談に興味を持った中川清少年は、ラジオやレコードのみならず、活字で落語、講談を楽しんでいた。
 金銭の問題(借りたり、貸したり)は難しいが、「三十をすぎてからでしたが、落語によってわかったことがあります」と書いた後の部分を引用。
 さらに、当時はみな漢字にルビ(ふりがな)がふってあったので、おもしろいはなしを夢中になって読んでいるうちに、知らず知らずに、普通では読みにくい熟語や特殊な職制の呼び方など、これはむしろ講談の方が多いのですが、そんな知識も仕入れることができました。
 たとえば、内蔵助(くらのすけ)、主税(ちから)、帯刀(たてわき)、主馬(しゅめ)、頼母(たのも)、主殿(とのも)、図書(ずしょ)、大膳(だいぜん)、左馬介(さまのすけ)などといった役職から来た武士の名前、常陸(ひたち)、駿河(するが)、遠江(とおとおみ)、美作(みまさか)、讃岐(さぬき)などの国名、検非違使(けびいし)、目代(もくだい)、祐筆(ゆうひつ)、お馬廻(うままわ)り、小姓(こしょう)、中納言(ちゅうなごん)とか左少弁(さしょうべん)とかの官位や役名、従三位(じゅざんみ)などという読みくせ、さらにまた、花魁(おいらん)、妓夫(ぎゆう)、禿(かむろ)、猪牙船(ちょきぶね)などという言葉、それに「長屋の金棒曳(かなぼうひ)き」とか、「犬の町内送り」なんておもしろい言葉もおぼえました。

 ねぇ落語って、勉強になるでしょう。

 米朝にとって、少年時代に落語や講談の本を読みふけった経験が、大きな財産になったと思う。

 もちろん、言葉に限らず、落語を聴き読むことで、その昔の長屋や商家の人々の暮らしぶりが察せられ、せちがらい平成の世の中の息苦しさを一時でも忘れさせてくれるし、庶民のたくましい生き方に勇気づけられることもある。

 死語になりつつ言葉が多い昨今、落語だけでも昔の言葉を、背景にある時間と空間と一緒に残して欲しいと切望する。

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by kogotokoubei | 2016-02-18 20:53 | 落語の本 | Comments(0)
 はかま満緒の訃報に接した。

 NHK NEWSwebから引用。
NHK NEWSwebの該当記事

「日曜喫茶室」はかま満緒さん死去
2月16日 23時18分

NHKのラジオ番組「日曜喫茶室」で40年近く司会を務め数々のバラエティ番組でも活躍した放送作家のはかま満緒さんが、16日、東京都内の自宅で倒れ、亡くなりました。78歳でした。

はかまさんは東京都出身で、慶應義塾大学を中退しラジオ局に勤めたあと、昭和34年にフリーの放送作家になりました。
落語家の初代、林家三平さんのギャグの台本を手がけたことで活躍の幅を広げ、一世をふうびした民放のバラエティ番組「シャボン玉ホリデー」など数多くの番組で企画や構成を担当しました。
そのかたわら、若者が笑いを学ぶための「はかまお笑い塾」を開き、当時新人だった、コメディアンの萩本欽一さんや脚本家の市川森一さんらを自宅に寝泊りさせながら世に送り出してきました。
また、昭和52年からはNHKーFMのラジオ番組「日曜喫茶室」で司会となるマスター役を務め、現在まで40年近く続く長寿番組となっていました。関係者によりますと、はかまさんは、15日までラジオ番組の収録を行うなどふだんと変わらず仕事をしていましたが、16日昼前、東京都内の自宅で倒れているのを家族が見つけたということで、病院で死亡が確認されたということです。78歳でした。

 実は、この訃報を知る前から、ある記事を書いていた。
 昨日は、当初その記事を公開するつもりでいたのだが、三代目の追悼興行のニュースを目にして、そちらを優先した。

 一日遅れになったので、はかま満緒の訃報も含めて改訂することになった。
 予定していた内容とは、私が初めて聴いたある日の「日曜喫茶室」に関係している。

 まさか、こんな形で記事を改訂することになるとは思わなかった。

 はかま満緒のことは別途何か書くつもりだ。昭和の「お笑い史」を語る上では、外せない人だと思う。
 
 では、「日曜喫茶室」の内容に端を発して紹介することになる、ある本のこと。

 拙ブログにコメントを頂戴する上方落語に実にお詳しい方のご厚意で、かつてラジオで放送された番組をお聴きする機会を得た。

 その中には三代目の高座もあって、実にありがたい。

 今ではネットで聴けるラジオがあったり、そのラジオ番組を録音できるソフトウェアがあって、何かと便利になってきたようだが、私自身はラジオを録音して楽しむことは、今のところ始めていない。

 そのうちやろうか、とも思っている。

 ご厚意でお聴きできた音源の中に、昨年放送された「日曜喫茶室」があった。

 この番組の名前だけは知っていた。
 NHK-FMで毎月最終日曜の午後に放送されているらしいが、実は、聴いたことはなかった。
 三十年以上に渡り毎週日曜はテニス、そして、だんだんと時間が長くなってきたアフターテニスの飲み会の日なのだ。

 司会、はかま満緒。私にとっては、実に懐かしい名だ。
 この番組を40年近くもやっていたなんて、知らなかった。

 ある方のおかげで聴けたのは、NHKのサイトの「バックナンバー」のページによると、昨年5月31日に放送されたものだ。
NHKサイトの該当ページ

 題名は「ありがとう!桂米朝さん 人生を笑いにささげて 」。
 
 「テープ出演」として、桂 米朝、藤本義一の名があり、これは2003年9月14日に放送されたもので、この番組で唯一、大阪まで行って収録したとのこと。
 お題は、「わが人生に定年なし」である。

 昨年五月の放送の中心は、3月に亡くなった米朝への追悼を込めて、この2003年の内容である。

 収録された前年に、米朝は落語家で初めて文化功労者に選ばれていて、その記念的な番組でもあったようだ。
 
 懐かしいお声から、さまざまな米朝の思い出話などを楽しんでいたら、ある逸話で、「あれ、これ、どこかで読んでいるなぁ・・・・・・」と思ったのだ。

 その本を、雑然とした本棚でなんとか見つけた。

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桂米朝x筒井康隆『対談 笑いの世界』(朝日選書)

 筒井の「序談」によれば、この本に至る元は、朝日新聞が2003年正月の紙面に二度に分けて掲載するために設定した対談だった。
 2002年11月26日に大阪の朝日新聞のビル内にあるレストランで行った対談は、担当者を含む新聞社の十名ほどの社員を前にソファーに並んで行われ、お二人の会話は興に乗って四時間に及んだとのこと。時おり、観客(?)は、二人の会話に笑い転げていたという。

 その盛りだくさんな内容は二回の紙面では到底収容できない。
 また、米朝が、「言い足らない点があった」と高座で語っていることを耳にした筒井、そして朝日側も、せっかくだから出版を想定しようということで、2003年2月に料亭での二度目の対談が組まれ、その二度の内容を元に出版されたものだ。

 だから、2003年の「日曜喫茶室」とは時期が近い。

 そういうこともあるのだろう、私はこの本により、「日曜喫茶室」で語られた同じ逸話を読んでいた。

 では、本書から、その部分を引用したい。

米朝 青空楽団というのがあったの、知らんですか。
筒井 ありました、ありました。聞かれましたか。
米朝 何回かね。あれは時間潰しには、黙って立ってても一文も金が要らん。空き地のようなところで、ドラマーがおりゃ上等の方やな。アコーディオンと四人ぐらいのバンドで、歌詞カードを売るんです。それを買(こ)うたやつはリクエストできるんです。この曲をやってくれ言うたらやってくれる。
筒井 あれはぼくは買ったことないけど、楽譜やなくて歌詞だけですか、書いてあるのは。
米朝 歌詞だけ。
-それは、場所はどこですか。
米朝 あのね、あちこちでやっていたの。空き地のある、人集められるところならどこでも。
筒井 東京にもあったんですよ。シミキンの「浅草の坊ちゃん」がそうでしょう。
米朝 浅草はもちろんアコーディオンですね。大阪では、新世界でも天王寺でもやっていた。今里でも。それでその頃、「長崎シャンソン」という歌が流行った。060.gifバッテン長崎 夢の町夢の町。この歌を聞くと、安油の焦げる匂いがしたもんや。三十年代でも。
 新世界の、当時温泉芸者がおったけど、そこへ六代目松鶴が、まだ光鶴(こかく)いうとったけど、それから貰う金があるんですよ。一緒に仕事に行って、「光鶴さんに渡した」言われて、あっ、これはもうあかんなと思うた。あの人に渡したら使うてしまうさかい(笑)。しょうがない。それ貰いに行かなんだら、こっちはどうしようもあらへんし。そしたら、「今、出番の間で、何時ごろには帰ってきますわ」と。待つ間、腹減ってくるしね。こちで青空楽団やってるしね。横で串カツ揚げてるんです。その匂いがプーンとこの、空腹を刺激するんです(笑)。一文もないしやね。繰り返し繰り返しその「バッテン長崎」をやっている(笑)。リクエストするやつがおるからね。何回もそれ繰り返すんです。で、楽屋に入っていったら、案の定金払わへん。「せめて今里の師匠のところへ帰る百円ぐらい」言うてやっと取ったけどね。とにかく、侘しい思いと、安油の焦げる匂いとが、あのメロディに絡みついたあるねん(笑)。
筒井 060.gif夢の港の長崎に今日も来た来た 黒船が。
米朝 060.gifギヤマン・グラスで飲む酒は、
筒井 060.gifほんに切ない 恋の味だとさ。
米朝・筒井 060.gifバッテン長崎 恋の町 来まっせよかとこよりまっせ、バッテン長崎 夢の町夢の町(笑)。
筒井 覚えてるな、ちゃんと。
米朝 えらい。若い時に憶えたものというのは。出てくる。

 文章を読んでいても、笑ってしまう。

 「日曜喫茶室」では、若原一郎の「長崎シャンソン」が、米朝のリクエストとしてかけられた。
 程よいノイズが、なんともいえぬ味で、あの時代を感じさせる。

 ラジオでは、米朝さん、歌っていない。
 
 朝日新聞の人たちが聴く機会に恵まれた筒井康隆との合唱(?)は、なんとも貴重。
 
 それにしても、さすがの、筒井康隆(^^)

 実は(?)、私は高校から大学にかけて、当時発行されていた筒井の本を読破していたほど、彼のファンだったことがある。
 その蔵書は、大学を卒業する際の諸々の費用捻出のために古書店にたたき売りしたことを思い出す・・・・・・。

 落語を中心に、上方の大衆芸能について造詣が深い米朝と、マルクス兄弟などのスラプスティック・コメディ映画をはじめ、日本や海外のお笑いについて豊富な引き出しを持つ筒井。

 そんな二人による、紹介したような対談なら、聴いていた人たちが笑い転げるのも納得。

 
 米朝X筒井、という二人の対談は、時おり、良質な漫才に近いものでもあったのではないだろうか。

 米朝と「長崎シャンソン」の逸話、音声で聴いて、相当前に読んだ本でも確認して、あらためてこの本で笑った。


 このあたりまでは、当初予定していた内容。

 さて、はかま満緒。
 あの方も、まさに「笑いの達人」だったなぁ、と思う。

 今になって、40年近くも放送されていたラジオ番組を初めて聴くことになったが、私にとっては、はかま満緒は「林家三平」の台本作家であり、何と言っても「シャボン玉ホリデー」の、はかま満緒である。

 記事によると、亡くなる前日までラジオの収録をされていたらしい。

 それが「日曜喫茶室」なのかどうかは、知らない。
 「日曜喫茶室」のバックナンバーを見て、その贅沢とも言える顔ぶれから、はかま満緒でなければ成り立たない番組だったのだということが、よく分かる。
 
 私が聴いた昨年5月の放送は、音楽を含めて1時間45分ほどなのだが、まったく長さを感じない。
 それは、はかま満緒が、出演者にも聴く者にも余計な力を入れさせず、まさに日曜の午後、ゆったりとお茶を飲みながら楽しい会話を楽しむ空間と時間をつくっているからだろう。

 初めて聴いた者が、番組をこのように評するのは生意気かもしれないが、初めてだからこそ新鮮に聴くこともできた、ということでお許しいただきたい。

 まさに、はかま満緒だから、40年近くも続けてこれたのだろう。

 今日のテレビ界、ひな段に一山いくらの芸人が並んで楽屋ネタをダラダラ聴かせるだけのバラエティ番組の横行に、はかま満緒は、いったい何を思っていたのだろう。
 
 あくまで勝手な推察だが、テレビの娯楽番組に限界を感じて、ラジオの世界に活躍の場を見出したのかなぁ。

 いずれにしても、お笑いやテレビ、ラジオなどを含め、はかま満緒の思いを聞くことは、もうできない。

 また一人、「お笑いの達人」、大衆芸能の重要な担い手を失った。

 合掌

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by kogotokoubei | 2016-02-17 12:55 | 落語家 | Comments(4)

 昨日から、道頓堀角座で三代目の追悼興行が始まった。

 日刊スポーツから引用。
日刊スポーツの該当記事

桂春団治さん追悼興行で珠玉の「お玉牛」が“復活”
[2016年2月15日21時32分]

 1月9日に心不全のため亡くなった3代目桂春団治さん(享年85)の追悼興行が15日、大阪・道頓堀角座で始まり、高座映像で春団治さん珠玉の「お玉牛」が“復活”した。

 21日まで同所で続く同興行では、毎回、生前の高座映像が流されるが、初日のこの日は、06年に芸能生活60年記念舞台で演じた「お玉牛」だった。

 艶と色気、そしてかわい気。春団治さんの“らしさ”が詰まった「お玉牛」は男の夜ばいを描いたネタ。扇子を牛の尻尾に見立て、くるりと回り、自分の額を打つ所作は、春団治さんにしか出せない“味”として、落語ファンの心をつかんできた。

 スクリーンに映し出された春団治さんへ、満席の客席からは大きな拍手。下げが終わり、映像が途切れても、拍手は鳴りやまなかった。

 春団治さんの名演について、門弟筆頭の桂福団治(75)は「あれだけの(動きの多い)所作があるネタでも、額縁からはみ出さない。日本絵のようです。師匠のもとで学んでよかった」と振り返った。

 あえて多くのネタに手を出さず、厳選したネタを磨き上げて高座に上がった春団治さんは、本題に入る前の「枕」も振らず、流れるように羽織りを脱ぎ、ネタに入った。所作のひとつひとつが美しく、計算され尽くしていた芸風だった。

 またこの日は、一門による口上も行われ、福団治は「こんなに集まっていただき、春団治師匠はさぞかし天からほほ笑まれていることでしょう」と、満席の客席を見渡し、感謝した。

 春団治さんは足指のけがをきっかけに「正座できんで高座には上がれん」と言い、晩年の2年半ほどは高座に上がることはなかった。それでも、自宅ではけいこを続けており、3番弟子の桂春若(64)は「ある日、自宅にうかがったら、代書屋のけいこをしてはった」と明かした。

 また、春団治さんのファンで、高校時代に弟子入りした2番弟子の桂春之輔(67)は、弟子入り当時の思い出を披露。「師匠の家に電話して『弟子に入りたい』と言いますと、『うちはうどん屋ちゃうわ』と断られた」と話していた。


 関西に住んでいらっしゃる落語愛好家の方が、羨ましい。

 『お玉牛』は、私が生で三代目を聴いた最後の演目だ。

 福団治が言うように、“額縁からはみ出さない。日本絵のよう”な高座に出会えたのは、僥倖だった。 


 映像で故人の高座を鑑賞する、ということで思い出すのは、2009年12月に、新百合ヶ丘の麻生市民館で行われた「桂枝雀 生誕70年記念落語会」の『つる』の映像だ。
2009年12月4日のブログ

 その映像を観た感想を、次のように書いていた。
枝雀ビデオ落語『つる』
不思議な体験だった。正面のスクリーンに「ひるまま」の出囃子で枝雀が登場すると、ビデオの会場(ABCホール?)も麻生市民館の1,000人の会場からも拍手。
そして、その笑いもビデオと会場で呼応する。会場には、この噺そのものを初めて聴く人も少なくなかったようで、私の席の周囲の中年から高齢者までの複数の女性が、笑いころげていた。
私は後半、笑いながらだんだん目がかすんできた。

 日々脳細胞が激減する中で、あの日のことは、結構よく覚えている・・・・・・。

 笑いながら、涙が止まらなかった。

 角座では、同じような体験をする人が、大勢いらっしゃるように思う。
 同じ噺家さんを愛する人で埋まった空間で、映像とはいえ、珠玉の高座を一緒に観て聴くということも、素晴らしい一期一会であると思う。

 あの時には、そんな思いで聴いていた。
 そして、2009年のあの場所には、枝雀の師米朝とともに、三代目がいらっしゃって、私は初めて生の高座、『祝い熨斗』に出会うことができたのだった。
 今日16日以降の映像の演目や出演者などにご興味のある方は、角座のサイトでご確認のほどを。
道頓堀角座のサイト

 ちなみに、今日16日の映像は・・・やはり内緒にしておこう。

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by kogotokoubei | 2016-02-16 12:39 | 落語会 | Comments(2)

 春一番の雨と風により、日曜恒例のテニスはお休み。

 寄席に行こうか、とも思ったが、インフルエンザが渦巻く人ごみの中に行くこともないかと思い、落語の本を読んでいた。


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笑福亭松枝著『当世落語家事情』(弘文出版)

 笑福亭松枝の『当世落語家事情』は弘文出版で1997年に発行されたもの。
 神保町で手に入れてから、長らく本棚に積ん読、の状態だった。

 松枝は六代目松鶴の五人目の弟子、昭和25年生まれで昭和44年に入門。

 拙ブログにいただいたコメントで教えていただき記事でも紹介した本、『ためいき坂 くちぶえ坂』の著者でもある。
2012年6月18日のブログ

 六代目とその一門について、あの本はなんとも楽しく読んだ。
 そして、その後に発刊された本書も、なかなか読み応えがある。

 本書の「春団治の海」の章から引用。
 ここでは、弟子を含む一門のことが書かれているが、ご本人に関する部分を紹介する。
 「ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます・・・・・・」
 華やかはずみ出ばやし「野崎」、しっとり艶やか色紋付。体形、顔立ち整って、粋な身ごなしは、高座への僅か数歩でうかがい知れる。
 対して、その喋り出しは地味である。陰気ですらある。このギャップに初めての客は一瞬戸惑う。が、やがて彼らはその目を耳を、五感のありったけを集中させ、話にドップリ、法悦境に浸る。
 『春団治』を観に来い。聴きに来い。的確で生き生きとした人物と情景の描写、練りつくされた間と呼吸、話の構成の妙、面白く、そして美しく冴えわたった芸と舞台は“洗練の極み”である。春団治を観に来い。聴きに来い。
 松枝の、実に的確な評である。
 しかし、この本では、決して褒めるだけではないところが、魅力でもある。
 その春団治を、寄席三味線の内海英華がボヤく。口をとがらせ、しかし嬉しげに。
 「最近、三代目(春団治のこと)、ウチの若い娘(弟子達)のお尻、撫で倒しよんねん・・・・・・」
 もちろん、撫でて倒してコトに及ぶわけではない。昔はいざ知らず・・・・・・。
 通りすがりに軽くお尻を触る、そういった仕草さえ洒落ていて美しく、微笑ましい。触られた当人はもとより周りをも和ませる。米朝の紳士、文枝の円満をもってしてもこうはいかない。
 お尻を触る仕草さえ、「洒落ていて美しい」なんてぇ噺家さんは、そうはいない(^^)

 今の世の中、芸能の世界ですらお尻を触りでもしたら“セクハラ”と言われそうだが、三代目の“芸”は、高座だけではなかったのである。

 この本では、同じ業界人(?)同士、楽屋でしか知りえない逸話なども紹介されているのだが、三代目について、こんな話も登場する。

 -春団治の腹部には、十二指腸潰よう、胃潰ようの何針にも及ぶ手術跡がある。ある日、舞台を降りて着物を脱ぐと、次の着替えに入った米朝が自分の胆石のやはり何針もの手術跡を見せて言った。
「わしのコレは昭和40年やったが、三代目(春団治)のそれは?」
「エー、横の線が五十二年、縦の線が確かオリンピックの前の・・・・・・」
 米朝に襦袢を着せかけながら米二は思った。
「地下鉄の開通じゃあるまいに・・・・・・」

 米二に「座布団二枚」という感じ(^^)

 本書発行時期から察して、約二十年前の楽屋での会話だろうか。

 本章には、なんとも個性的な三代目の弟子達の逸話がたくさん紹介されていて、それも楽しい。
 ぜひ、あの芸の一端なりとも、皆さんに継いで欲しい。

 しかし、美しい尻触りや、体に残る地下鉄路線図は、真似しようにも、真似できないだろうなぁ。

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by kogotokoubei | 2016-02-14 18:28 | 落語の本 | Comments(2)
 先日の「西のかい枝・東の兼好」で開口一番を務めた雷門音助が、昨日からの2月中席より二ツ目に昇進した。

 落語芸術協会のホームページに新着情報として、案内されている。
落語芸術協会ホームページの該当ページ
 
 プロフィール欄から、芸歴・好きな食べ物・コメントの部分を引用する。

芸歴 
2011年 10月 雷門助六に入門
2012年 1月下席楽屋入り
2012年 2月下席 浅草演芸ホールにて初高座「たらちね」
2016年 2月中席より二ツ目昇進
好きな食べ物
蕎麦・すあま
コメント 
落語が好きな方、演芸が好きな方、人間として噺家が好きな方、ふらっと寄席に引き込まれた方、これから寄席に行こうと計画している方、落語に対しての思いは様々だと思いますが、観た時に「なんかいいな」と思ってもらえるように精進していきます。
よろしくお願い申し上げます。

 好きな食べ物が、蕎麦、なんてぇのもなかなか結構(^^)
 
 彼のプロフィール欄も最初の頃は愛想がなかったのだが、今は自分なりの言葉で落語に取り組む姿勢を語っているように思えて、好感が持てる。

 前座、二ツ目の頃は、とにかく名前を憶えてもらうようにしなくちゃね。

 これまで三度生で聴いている。
 
 先日の横浜にぎわい座、2013年の深川での「扇辰・兼好 二人会」、そして初対面(?)は、同じ年、国立演芸場での芸協の真打昇進興行披露だった。

 どの高座も、「なんかいいな」、を上回る良い印象を持っている。

 音助の高座に関する記事の内容を、古いものから順に引用したい。

2013年7月
2013年7月6日のブログ

雷門音助『つる』 (10分 *12:45~)
 初である。落語芸術協会のサイトにも、詳しいプロフィールがないが、助六の弟子なのだろう。なかなか初々しい高座で好感が持てた。

2013年10月
2013年10月24日のブログ

雷門音助『たらちね』 (14分 *19:02~)
 今年七月の国立演芸場、芸協の真打昇進披露興行(主任は笑好)以来。あらためて、好印象を持った。口調ははっきりしているし、仕草も悪くない。芸協サイトのプロフィール欄に詳しいことが記載されていないので入門時期などは分からないが、先週の開口一番と比べてずっとマシ。会場を温める役割を果たしたし、前座仕事もしっかりこなしていた。今後も聴きたい気にさせてくれた。

2016年2月
2016年2月9日のブログ

雷門音助『たらちね』 (16分 *19:00~)
 久しぶりだ。2013年に二度聴いている。二度目は10月の扇辰と兼好の二人会だった。兼好お気に入りの前座さんかな。その年5月、芸協の国立演芸場での真打昇進披露興行が初だったが、二度とも好印象。
 マクラで、明々後日(二月中席)から二ツ目で前座最後の高座、と言うと会場から拍手。
 今回も、大いに感心した。とにかく口跡が良い。また、上下を含めた仕草もしっかりしている。見た目も落語家さんらしいし(?)、八五郎が隣の婆さんに七輪の火種をもらう道具を“十能”を言うあたりも、私好み(^^)
 高座から感じる印象では、昨年二ツ目になった柳亭市童に似ていなくもない。市童もそうだが、基本がしっかり出来ていて将来が楽しみな若手だ。

 
  『たらちね』が二席あるが、時間も空いており、新鮮な気持ちで聴いている。

 ほとんど元ネタをいじらずに演じていたが、それでいて、実に楽しめたし、表情や仕草、肝腎な語り口が、実に良い。

 前座さんの時代に好印象を受けた噺家さんは少なくないが、やや飛びぬけている印象だ。

 先輩の二ツ目さん達を、結構焦らせるだけの力を秘めているように思うなぁ。

 とはいえ、前座時代に期待し過ぎ、しばらくして聴くと伸び悩む姿に直面することも度々。

 そういった壁にぶつかってもがくことも必要だが、通過儀礼を上手く過ごせない人も、少なくない。
 
 しかし、音助は、磨けば光る若手の有望株には違いない。
 ぜひ、良い意味で壁に当たって、それを乗り越えて欲しい。

 前座時代から知っている噺家さんを、長い間にわたって応援できるのは、落語愛好家の得難い楽しみの一つ。

 雷門音助、今後に期待する。

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by kogotokoubei | 2016-02-12 20:47 | 二ツ目 | Comments(6)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛