噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

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TBS「赤めだか」を見て。

 12月28日の夜TBSで放送された「赤めだか」の録画を、遅ればせながら、ようやく見た。

 TBSサイトの同番組ページは、こちら。。
TBSサイトの「赤めだか」のページ


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 原作の『赤めだか』については、拙ブログ「落語の本」カテゴリーの第一回に、短い文章ながら取り上げた。
2008年6月11日のブログ

 この本については、Amazonのレビューも書いていたのだが、一時、同書のレビュー覧が何者かに荒らされたために、レビュー記事を削除した。
 どんなことがあったのかは記事にも書いたので、ご興味のある方はご覧のほどを。
2009年7月1日のブログ

 また、志らくの『雨ン中の、らくだ』が発行された後、この二冊が、同じ時期の同じ事柄について、どのように書いているかを中心に、三回に分けて記事を書いた。
2009年3月14日のブログ
2009年3月15日のブログ
2009年3月16日のブログ
 
 このドラマについて、記事を書こうか書くまいか、少し迷ったが、やはり書くことにする。

 結論から。
 まったく期待外れであった。

 こう書くと、何に対しての小言か分からない人もいるだろう。

 原作は、次のように始まっている。

 本当は競艇選手になりたかった。
 家の近くに戸田競艇場があって、子供にくれるお菓子が楽しみで父親にせがんで日曜日になると連れていってもらった。競艇場で食べるチョコフレークは格段にうまくて、僕にとってこの世で一番上等のお菓子だった。

 原作において、競艇は実に重要な要素。
 加藤峻二という伝説の選手に憧れていたのだ。
 しかし、ドラマでは登場しない。
 脚本家なのか、原作者なのか、その理由は分からない。

 なぜ、ドラマ化にあたって、競艇という重要な要素を外したのか・・・・・・。

 そして、次に、志らくのこと。
 ドラマでは、彼は独身のお婆ちゃん子。

 しかし、原作が描く姿は、違う。

 志らくには学生結婚した女房がいた。女房さんは、あまり体が丈夫でなく外へ働きに出ることができない。二人で喰ってゆくためにも、女房さんに余計な心配をかけないためにも、二ツ目になって稼ぐしか志らくには道はない。

 志らくがバツイチだろうが、この時代に、彼の環境は、こうだったのだ。

 なぜ、談春の人生で重要な競艇が外され、志らくが妻帯者であったことが外されたのか・・・・・・。

 たけしが談志役であったことから、このドラマが本来の姿にはならないだろうとは察していたが、原作とは余りに違う設定には、驚くばかり。

 原作の良さを生かすことより、今の談春や志らくにとっての“都合”を優先したように思えてならない脚色だった。

 期待していた方が“赤めだか”だったのか・・・・・・。

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by kogotokoubei | 2015-12-30 21:54 | テレビの落語 | Comments(16)
 今年のマイベスト十席に人形町らくだ亭での露の新治『中村仲蔵』を選んだ。
 遅ればせながら知ったのだが、その露の新治が芸術祭賞大衆芸能部門の優秀賞を受賞していた。

 受賞対象は、10月20日に天満天神繁昌亭で開催された、第10回露の新治寄席「新治ひとり会」。

 ご本人のホームページによると、『紙入れ』『七段目』そして『中村仲蔵』三席を演じたらしい。

 同ホームページから、ご本人のコメントの一部を引用。
「露の新治」ホームページ

おかげさまで、「文化庁芸術祭優秀賞」を戴きました! 多くの方にお支え戴いたおかげです。師匠五郎兵衛から教わった「中村仲蔵」で戴けたことが、何より嬉しいです。今年は、水平社博物館の財団から「なら人権文化選奨」も戴きました。「お笑い人権高座」と「落語」が、共に認められたのは、私にとって本当に嬉しいことです。
 そうそう、八代目正蔵から師匠が稽古してもらい、その師匠からの伝承の噺、私も日本橋で大いに楽しんだので、この受賞は実に嬉しい。
 また、「人権高座」などをはじめ、社会派としての立場を鮮明にし、積極的に活動をしている稀有な噺家さんとして、特筆されるべき人だと思う。

 文化庁のサイトでは、受賞内容や応募内容のPDFを確認できる。
文化庁サイトの該当ページ

 あっ、ゆたかさんから『高野聖』を演るので、とご案内いただいたのに行けなかった10月12日の「笑組の漫才文庫」も、芸術祭参加公演だったんだ・・・・・・。

 ゆたかさん、来年も頑張って!

 今年、大衆芸能部門での「大賞」は、該当者なし。
 優秀賞が新治を含め四名。

 落語協会HPで、優秀賞の正蔵、文菊、そして新人賞の文雀のことが案内されている。
落語協会HPの該当ニュース

 優秀賞は、他に笑福亭仁智、新人賞は他に旭堂小二三。

 なお、正蔵は、彼個人の会が対象ではなく、11月6日の第588回三越落語会が参加公演となって、彼の高座が受賞したようだ。
 聴いていないのでいい加減なことは言えないのだが、同じ会で演じられた扇辰の『匙加減』や、一朝の『植木のお化け』、花緑『愛宕山』や歌奴の『佐野山』などより、彼の『しじみ売り』の出来が際立って良かったのだろうか・・・・・・。

 文菊の受賞は、嬉しい。最近聴いていなかったので、来年はどこかで、と思っている。
 文雀は二ツ目時代笑生の時に末広亭で初めて聴いて、なかなか渋い高座に感心した記憶がある。 

 とにかく、露の新治の受賞を素直に喜ぶことにしよう。
 
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by kogotokoubei | 2015-12-28 12:48 | 落語家 | Comments(10)
 一人一席に絞ったところで、あらためてマイベスト十席の候補は、次の通り。

(1)瀧川鯉昇『御神酒徳利』
  >ざま昼席落語会 ハーモニーホール座間 1月10日
(2)入船亭扇辰『徂徠豆腐』
  >池袋演芸場 一月下席 昼の部 1月24日
(3)桂ひな太郎『締め込み』
(4)入船亭扇遊『鼠穴』
  >ざま昼席落語会 ハーモニーホール座間 2月14日
(5)桂文我 「3.11と小金治さんの思い出」&『紺田屋』 
  >ざま昼席落語会 ハーモニーホール座間 3月14日
(6)柳家小満ん『樊會』
  >柳家小満んの会 関内ホール 3月18日
(7)柳家小里ん『棒鱈』
  >小柳枝・小里ん 二人会 三輪田学園百年記念館 4月18日
(8)立川龍志『花見の仇討ち』
(9)古今亭志ん輔 『幾代餅』 
  >龍志・志ん輔 二人会 国立演芸場 4月29日
(10)橘家円太郎『野ざらし』
  >ざま昼席落語会 ハーモニーホール座間 5月9日
(11)初音家左橋『棒鱈』
  >しんゆり寄席 川崎市アートセンター・アルテリオ小劇場 6月27日
(12)林家正雀『怪談乳房榎』
  >ざま昼席落語会 ハーモニーホール座間 8月8日
(13)むかし家今松『業平文治漂流奇談より 業平文治』
  >むかし家今松独演会 国立演芸場 9月12日
(14)露の新治『中村仲蔵』
  >第62回 人形町らくだ亭 日本橋劇場 10月26日
(15)春風亭一朝『尻餅』
  >三田落語会 昼席 仏教伝道ホール 12月19日

 この十五席。

 こうやって並べると、それぞれの高座が目に浮かぶなぁ。

 この中から五つを落とすのは忍びないのだが、これも務め(^^)

 さて、悩みに悩んで選んだ、今年のマイベスト十席・・・のご紹介の前に、特別賞の発表。

 下手なテレビドラマのように、たまには引っ張ってみよう(^^)

 まず、十回行った寄席の中から、逸品を選びたい。
 上期と下期で、次の各一席とする。

<寄席の逸品賞>
上半期
三笑亭夢花『二人旅』 
>新宿末広亭(真打昇進披露興行) 5月上席・夜の部 5月5日
2015年5月6日のブログ
 芸協の三人の真打昇進披露興行で初めて聴いた夢花のこの噺には、腹がよじれた。いわゆる“キラーコンテンツ”だね。

下半期
春風亭柳好『宮戸川』
>新宿末広亭 11月上席・昼の部 11月8日
2015年11月9日のブログ
 この人の高座の楽しさをどう表現したらいのだろう。噺の持ち味を十分に引き出しながら、笑いのツボを外さない技量は並じゃない。

 次に新人賞。文句なく、この人。

<新人賞>
柳亭小痴楽
*該当高座
(1)『湯屋番』
 >さがみはら若手落語家選手権 第4回予選会 杜のホールはしもと 2月28日
2015年3月1日のブログ
(2)『大工調べ』
 >柳亭小痴楽・古今亭始 二人会 赤坂カルチャースペース嶋 3月7日
2015年3月8日のブログ
(3)『佐々木政談』
 >東西交流落語会 横浜にぎわい座・のげシャーレ 11月25日
2015年11月26日のブログ
 見かけと違って(?)、落語に打ち込む姿勢は真剣そのもの。
 NHK新人落語大賞の来年の大本命と、私は思っている。まぁ、賞を取らなくても、確実に芸協の将来を背負って立つ存在になるだろう。

 次に、新設した「まくら大賞」。
<まくら大賞>
柳家喜多八 「正しい立飲み(かぶと)の作法」(仮称)

 鯉昇が見事な『御神酒徳利』を聴かせてくれた1月10日の「ざま昼席落語会」で、柳家喜多八による『親子酒』のマクラを選ぶ。
2015年1月11日のブログ

 380席、超満員のお客さんに、「かぶと」(酒屋の立飲み)での本寸法の飲み方を情熱的に披露してくれた。
 
 ネタばれになるのだが、喜多八の快癒への期待をこめて、あえてその概要をご紹介したい。
 (1)前提条件
  分厚いガラスの角ばったグラスに注がれた酒がこぼれて、ガラスの受け皿に
  こぼれている
 (2)グラスを持つ左手とつまみの右手  
  グラスを持つのは左手でなくてはならない。右手はつまみを持つために必要。
  つまみがなくて、右手の指をしゃぶってでも五合は飲める。
  喜多八殿下は、右手の指は風呂に入っても洗わない。
 (3)グラスの底
  こぼれて受け皿にある酒がグラスの底についているのを、皿の端で切って
  から、飲む。
 (4)受け皿にこぼれた酒の処置
  グラスから酒を飲み、減った量と受け皿にこぼれている量が同じになった
  ところで、皿の酒をグラスに注ぐ。早くても、遅くても、いけない。
 (5)持ったグラス
  一度左手で持ったグラスは、飲み終わるまで下に下ろさない
 (6)つまみ
  酒屋の口が斜めに向いたガラス瓶に入ったアタリメや豆で飲むが、
  先輩たちは、がま口の中にアタリメが入っており、他の客にも配る。
  食べると、十円玉の緑青の味がする
 (7)酒は二杯まで
  一軒のかぶとでは二杯まで。もっと飲みたければ別の店へ行くのが礼儀

 こういった作法について、喜多八ならではの口ぶりや仕草で満員の会場を揺らした。
 この年末年始にかけ入院とのことだが、ぜひ来年も喜多八殿下ならではの高座に出会いたい。

 さて、ようやく(?)、今年のマイベスト十席の発表!
 悩みに悩んだ十の高座、当該記事へのリンクと、ちょっと気取った寸評とともに記すことにしよう。
 

<平成27年マイベスト十席>
(1)瀧川鯉昇『御神酒徳利』
  >ざま昼席落語会 ハーモニーホール座間 1月10日
2015年1月11日のブログ
喜多八との二人会は380席、過去最高超満員。その客席を唸らせた
三代目桂三木助を髣髴とさせ、円生にも迫る見事な高座!

(2)入船亭扇辰『徂徠豆腐』
  >池袋演芸場 一月下席 昼の部 1月24日
2015年1月25日のブログ
蜀山人「世の中は われより先に用のある 人のあしあと橋の上の霜」をマクラに、
その橋の上に見事に浮かんだ豆腐屋の姿。これぞ扇辰噺の真骨頂!

(3)入船亭扇遊『鼠穴』
  >ざま昼席落語会 ハーモニーホール座間 2月14日
2015年2月15日のブログ
「落ちぶれて 袖に涙のかかるとき 人の心の奥ぞ知らるる」、
夢と分かっていながら惹き込まれる人情劇。客席に飛ぶ火の粉が見えた!


(4)桂文我 「3.11と小金治さんの思い出」&『紺田屋』
  >ざま昼席落語会 ハーモニーホール座間 3月14日
2015年3月15日のブログ
3.11、そして同じ年の小金治さん最後の高座(『渋酒』)をめぐる逸話に涙。本編の見事さを含め、文我でしかできえない珠玉の高座!

(5)柳家小満ん『樊會』
  >柳家小満んの会 関内ホール 3月18日
2015年3月19日のブログ
お箪笥長屋に住む聘珍樓と崎陽軒の抱腹絶倒な会話を実に楽しそうに演じ、「我が骸骨を乞う」での見事なサゲ。手作り独演会ならではの小満ん劇場!

(6)立川龍志『花見の仇討ち』
  >龍志・志ん輔 二人会 国立演芸場 4月29日
2015年4月30日のブログ
修行仲間同士の二人会で、この噺でもっとも笑わせてくれた高座。
志ん輔が「欲がないから好き」と言う噺家さんを、もっと聴こうと欲が出た!

(7)林家正雀『怪談乳房榎』
  >ざま昼席落語会 ハーモニーホール座間 8月8日
2015年8月10日のブログ
ざまの夏、十二社の滝に重信の亡霊が見事に現れた、伝統を継ぐ怪談噺。
師匠八代目正蔵の継承者の高座、もっと聴かなきゃと反省!

(8)むかし家今松『業平文治漂流奇談より 業平文治』 
  >むかし家今松独演会 国立演芸場 9月12日
2015年9月14日のブログ
80分の長講で、初めて演じられた歴史に残る『業平文治』通し。
侍の血筋の文治が、堀丹波守のお抱えとなる大団円の工夫も実に結構!

(9)露の新治『中村仲蔵』
  >第62回 人形町らくだ亭 日本橋劇場 10月26日
2015年10月27日のブログ
師匠露の五郎兵衛から伝わる正蔵版を見事に継承。
山崎街道に斧定九郎がはっきり見え、女房お岸が際立つ新治ワールドに感動!

(10)春風亭一朝『尻餅』
  >三田落語会 昼席 仏教伝道ホール 12月19日
2015年12月21日のブログ
師走の三田で、楽しく品よくテンポよく繰り広げられた餅つき芝居。
芝居噺でも長屋噺でも、乗ってる一朝は“いっちょうけんめい”!


 あぁ、ようやく十席選ぶことができた。

 選ばなかった、ひな太郎、小里ん、志ん輔、円太郎、左橋の高座も、決してこの十席と見劣りしないのだが、心を鬼にして外したことを、あえて記しておこう。

 さて、最後に、「幸兵衛大賞」の発表。
 マイベスト十席に残った高座、噺家さんの中から選出する、新設の賞。

<幸兵衛大賞>
柳家小満ん
*柳家小満んの会(関内ホール)などに対して。
 年間会員になった独演会の高座全般の素晴らしさや、同会のお洒落なプログラムの内容、新刊書でも如実に見受けられた卓越した文才。
 総合的に、今年一人の噺家さんを選ぶなら、この人しかいない。

 さぁ、マイベスト十席と特別賞各賞選びも、これにてお開き。

 来年は、どんな噺家さんの名前や演目が並ぶのか、自分でも楽しみ。
 一席も多く、得難い時間と空間に浸れることを、祈りたい。

 長々のお付き合い、誠にありがとうございます。

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by kogotokoubei | 2015-12-27 17:04 | 落語会 | Comments(8)
 この年末はいろいろと野暮用があり、今年の落語会・寄席は先日19日の三田でお開き。

 ということで、今年もマイベスト十席を決める時期になった。

 まずは、今年行った落語会・寄席の数、および聴いた落語の高座数。

-平成27年上半期-
1月 5回(うち寄席2回-連雀亭・池袋-)、高座数31
2月 3回(寄席1回-末広亭-)、高座数24
3月 3回、高座数12
4月 3回(寄席1回-池袋-)、高座数23
5月 3回(寄席1回-末広亭-)、高座数21
6月 2回、高座数9
上半期計
19回(寄席は5回)、高座数は120

-平成27年下半期-
7月 2回(寄席1回-国立-)、高座数11
8月 2回(寄席1回-末広亭-)、高座数17 
9月 2回、高座数7
10月2回(寄席1回-池袋-)、高座数10
11月3回(寄席1回-末広亭-)、高座数22
12月2回(寄席1回-国立-)、高座数9
下半期計
13回(寄席は5回)、高座数は76

 年間合計で32回、そのうち寄席が10回、高座数の合計は196となった。

 ここ数年に比べると減ったが・・・今までがやや行き過ぎとも言える。

 以前に比べ自分や周囲の状況も変わっているし、評論家や興行関係者でもないのだから、生の落語を月に二~三回でも楽しむことができればいいと思っていたので、想定内だし、回数に不満はない。

 まぁ、一昨年(58回)、昨年(51回)と二年続けて50回超えをしたから、「聴き貯め」(?)ができた、と言えるかもしれない(^^)

 今年は、少ない中でも寄席にできるだけ行きたいと思っていた。
 10回なら、まずまずだろう。

 また、今まで聴いたことのない噺家さんや若手中心に聴きたいと思っていた。
 その結果、龍志や蝙丸などに出会うことができた。

 昨年までよく聴いた雲助の高座が極端に減ったが、しばらく間をとるのも悪くはないだろう。

 さて、そんな一年196の高座の中からマイベスト十席候補としたものは、次の通り。

(1)瀧川鯉昇『御神酒徳利』
  >ざま昼席落語会 ハーモニーホール座間 1月10日
(2)入船亭扇辰『徂徠豆腐』
  >池袋演芸場 一月下席 昼の部 1月24日
(3)柳家小満ん『居残り佐平次』
  >新宿末広亭 二月上席 昼の部 2月7日
(4)桂ひな太郎『締め込み』
(5)入船亭扇遊『鼠穴』
  >ざま昼席落語会 ハーモニーホール座間 2月14日
(6)桂文我 「3.11と小金治さんの思い出」&『紺田屋』 
  >ざま昼席落語会 ハーモニーホール座間 3月14日
(7)柳家小満ん『樊會』(『支那の野ざらし』)
(8)柳家小満ん『おせつ徳三郎』
  >柳家小満んの会 関内ホール 3月18日
(9)橘家円太郎『雛鍔』
  >池袋演芸場 四月上席 昼の部 4月4日
(10)柳家小里ん『棒鱈』
  >小柳枝・小里ん 二人会 三輪田学園百年記念館 4月18日
(11)立川龍志『花見の仇討ち』 
(12)古今亭志ん輔 『幾代餅』 
  >龍志・志ん輔 二人会 国立演芸場 4月29日
(13)むかし家今松『家見舞い』
(14)橘家円太郎『野ざらし』
  >ざま昼席落語会 ハーモニーホール座間 5月9日
(15)柳家小満ん『大師の杵』
(16)柳家小満ん『転宅』
  >柳家小満んの会 関内ホール 5月18日
(17)初音家左橋『棒鱈』
  >しんゆり寄席 川崎市アートセンター・アルテリオ小劇場 6月27日
(18)柳家小満ん『あくび指南』
(19)柳家小満ん『三十石』
  >柳家小満んの会 関内ホール 7月21日
(20)林家正雀『怪談乳房榎』
  >ざま昼席落語会 ハーモニーホール座間 8月8日
(21)むかし家今松『業平文治漂流奇談より 業平文治』 
  >むかし家今松独演会 国立演芸場 9月12日
(22)柳家小満ん『三人息子』
  >柳家小満んの会 関内ホール 9月24日
(23)露の新治『中村仲蔵』 
  >第62回 人形町らくだ亭 日本橋劇場 10月26日
(24)柳家小満ん『試し酒』
  >柳家小満んの会 関内ホール 11月18日
(25)春風亭一朝『しりもち』
  >三田落語会 昼席 仏教伝道ホール 12月19日

 さて、並んだ中から、原則として一人一席に絞る必要がある。

 複数選出されたのは、小満んの九席、今松と円太郎が各二席。

 小満んの候補となった九席を並べてみる。
・『居残り佐平次』  >新宿末広亭 二月上席 昼の部 2月7日
・『樊會』       >柳家小満んの会 関内ホール 3月18日
・『おせつ徳三郎』  >柳家小満んの会 関内ホール 3月18日
・『大師の杵』    >柳家小満んの会 関内ホール 5月18日
・『転宅』       >柳家小満んの会 関内ホール 5月18日
・『あくび指南』    >柳家小満んの会 関内ホール 7月21日
・『三十石』      >柳家小満んの会 関内ホール 7月21日
・『三人息子』    >柳家小満んの会 関内ホール 9月24日
・『試し酒』      >柳家小満んの会 関内ホール 11月18日

 小満んは、関内ホールでの独演会の年間会員になったこともあり聴いている高座も多いのだが、とにかくその内容が素晴らしい。
 俳句や川柳などの豊富な引き出しから語られる、その噺に相応しいまくらを聴くだけでも楽しい。
 並んだ九席から一つに絞るのは結構難しいのだが、ご本人が実に楽しく演じ、客席も多いに沸いた3月の会での『樊會』(『支那の野ざらし』)を選ぶ。

 今松は、ざま昼席落語会の『家見舞い』も捨てがたいのだが、やはり『業平文治』だなぁ。

 円太郎は、最近になって遅ればせながら見直している人。池袋の『雛鍔』も良かったが、ざまの『野ざらし』とする。

 さて、なんとか、一人一席に絞ることができた。

 さて、今年のマイベスト十席候補、その顔ぶれは次の通り。

(1)瀧川鯉昇『御神酒徳利』
  >ざま昼席落語会 ハーモニーホール座間 1月10日
(2)入船亭扇辰『徂徠豆腐』
  >池袋演芸場 一月下席 昼の部 1月24日
(3)桂ひな太郎『締め込み』
(4)入船亭扇遊『鼠穴』
  >ざま昼席落語会 ハーモニーホール座間 2月14日
(5)桂文我 「3.11と小金治さんの思い出」&『紺田屋』 
  >ざま昼席落語会 ハーモニーホール座間 3月14日
(6)柳家小満ん『樊會』
  >柳家小満んの会 関内ホール 3月18日
(7)柳家小里ん『棒鱈』
  >小柳枝・小里ん 二人会 三輪田学園百年記念館 4月18日
(8)立川龍志『花見の仇討ち』
(9)古今亭志ん輔 『幾代餅』 
  >龍志・志ん輔 二人会 国立演芸場 4月29日
(10)橘家円太郎『野ざらし』
  >ざま昼席落語会 ハーモニーホール座間 5月9日
(11)初音家左橋『棒鱈』
  >しんゆり寄席 川崎市アートセンター・アルテリオ小劇場 6月27日
(12)林家正雀『怪談乳房榎』
  >ざま昼席落語会 ハーモニーホール座間 8月8日
(13)むかし家今松『業平文治漂流奇談より 業平文治』
  >むかし家今松独演会 国立演芸場 9月12日
(14)露の新治『中村仲蔵』
  >第62回 人形町らくだ亭 日本橋劇場 10月26日
(15)春風亭一朝『尻餅』
  >三田落語会 昼席 仏教伝道ホール 12月19日

 この十五席。

 マイベスト十五席、としてすべてとしてもいいほどだが、やはり、恒例として十に絞ろう。

 この中から十席選ぶのは、そんなに簡単なことではないのだよ。

 ということで、本日はここまで。

 マイベスト十席の発表は、明日か明後日のお楽しみ。
 
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by kogotokoubei | 2015-12-26 09:33 | 落語会 | Comments(6)
 23日の祝日、近所の幼稚園で恒例の餅つきをしていた。
 途中から雨に降られて早めに中断しただろうが、子供たちにとっては、実に良い体験だったに違いない。

 先日の三田落語会で、春風亭一朝の『尻餅』を楽しんだ。

 長屋の夫婦は、一軒だけ餅つきをしていないことが恥ずかしく、女房の尻を臼に見立てて餅つきをしている様子を演じるわけだが、文字通り体を張り、見栄を張ったわけだ。

 我が家でも、近所のお菓子屋さん(団子屋さん、かな)にお願いしていたことを思い出す。
 商売をしていたので、暮れは何かと忙しく、とても自分のうちで餅つきをする状況ではなかった。
 豆餅が結構多かったように思う。
 汗が出るほどのストーブ-薪ストーブも石炭ストーブも懐かしい!-に網を置いて、冬の間、どれほど餅を焼いて食べただろうか。
 黄粉や砂糖と醤油、ちょっと贅沢に海苔で巻いて、など。

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矢野誠一著『落語歳時記』(文春文庫)

 座右の書の一冊である矢野誠一さんの『落語歳時記』(昭和47年読売新聞より『落語 長屋の四季』として単行本発行、平成7年文春文庫より改題し再刊)の冬の章に、『尻餅』が取り上げられている。
餅つき   黄昏れて餅つく騒ぎ止みにけり

尻餅(しりもち)

     「着物はまァしょうがないとして、近所はみなもう餅搗いて
     てやし。
     戸口のの徳さんまなはれ、あと月(げつ)、あれだけ思うて、
     つまらんつまらん言うてたかて、やっぱりちゃんと一斗の餅でも
     搗きゃはるやないか、二軒目のお芳っさん、女やけれども
     甲斐性者や、五升の餅も搗いてはる」
                                       『尻餅』

 世のなかも、なにかとせちがらくなってきて、店の払いも月払いならいいほうで、むかしのように盆、暮れの二度払いなんてわけにはとてもいかない。それだけに、歳末風景もかなりかわって、年が越せないなどというまえに集金されてしまうから、年越しの切実感からはいや応なく解放された。大晦日を過ぎてさえしまえば、勘定というやつ、取るほうも、取られるほうも休戦協定みたいなものが、自然に成立してしまうむかし式のやりかたにも、それなりのかけ引きの妙があって、なかなか捨て難いものなのだが。


 この後のネタの概要説明に続き、昔の餅つき事情などについて書かれているので引用したい。
 いまでこそ、歳末になると、米屋や菓子屋の店先に「ちん餅うけたまります」のはり紙が出て、家々を注文とって歩いてくれるから、『尻餅』のように、なれない芝居を演じてまで見栄をはることもなくてすむ。だがこれが大正から昭和にかけた頃までは、どこでも餅つきの音が聞こえるとあって、せめて人なみのことはしたい庶民にとっての餅つき、かなり切実な問題であったに相違ない。
 その時分、ちょっと金のある家の餅つきとなると、出入りの鳶の者は無論、ひいきにしている相撲とりから、幇間や落語家という、あまり餅つきには役立つちそうにない藝人衆まで、手伝いに参上したものである。

 「ちん餅」は「賃餅」で、搗き賃をいただいて餅をつくということだ。

 幇間の一八などが、旦那によいしょで、餅つきの掛け声だけをかけている様子が想像できるではないか。
 相撲取りは、今でも相撲部屋の近くの商店街などで餅つきをしているようなので、貴重な師走の年中行事と言えるだろう。

 矢野さんは、この後に斉藤茂太の『精神科医三代』から、青山脳病院の炊事場での餅つきの様子を引用した後、『東京年中行事』から、次のような文章を紹介している。
「ちん餅でも引きずり餅でも先ず搗かせる方はいいが、本当の貧民などになると、それもかなわぬ。けれども、こうした連中に対しては又相当の方法があるもので、さすがに東京だと思うところがある。試みに、押しつまった三十日か大晦日の晩あたり街頭にのぞいて見ると、平素から縁日の市の立つような処は、どんなところでも年の市が立って、そこには色んな飾りもの店が揃っている上に、神棚や仏壇に上げるべきお鏡餅の店迄がちゃんと出ている」
と記されている。
 いまでこそ、どんな家でもちん餅屋専門で、わざわざ臼や杵を持ち出して餅をつくのは、それこそ相撲部屋か、幼稚園の先生の、園児へのサービスぐらいになってしまった。いまや、金持ちといえども、ついこのあいだまで「世間へ恥じし風俗」や「本当に貧民など」のやることを、じつに堂々と恥じることなくやっているわけだ。
 もっとも、そのちん餅屋にしてからが、いちいち、杵を振りあげて「ペッタン、ペッタン」やっていたのでは商売にならない。糯米をセイロで蒸しあげるのから、それを餅状につきあげるまで、すべて機械の世話になる。そうしてつきあがった餅が、ビニールに包装されて、各家庭の台所にとどくまでの過程の、どこをさがしても、あの「ペッタン、ペッタン」というなつかしい音のしないのが、現代の餅つきなのである。
 寒空に、「ペッタン、ペッタン」という音がしみ通るからこそ、また正月が来るという感慨もわくし、「はやくうちも餅をつかねば」とはやる気持ちにさせられるわけで、そうした音が去ってしまって、ただあわただしいだけの当節流の年の瀬では、あの『尻餅』のもの哀しさは理解できないくなるかもしれない。

 今では、スーパーやコンビニに、いわゆる「切り餅」が山積みされている時代。

 『尻餅』のように体を張って見栄を張る必要性はなくなった。

 だからこそ、こういった噺を継承することが、大事なのだと思う。

 今夜は旧暦11月15日で満月。

 月ではウサギさんが餅つきをしている、なんていうメルヘンも、そのうち話題に上らなくのかもしれない。

 さて、ウサギを見に、ちょっと一服、と思ったが、あら小雨が降ってきた。
 餅つきには、力水も必要、ということか。

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by kogotokoubei | 2015-12-25 21:01 | 落語のネタ | Comments(2)
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 先日、春風亭一朝の『尻餅』を楽しんだ後、野村無名庵の『落語通談』を開いてみた。
 『落語通談』は昭和18年に高松書房より単行本が発行され、中公文庫で昭和57年に再刊された本。

 この時期の旬な噺について興味深い内容があったので、引用したい。
年の暮人生

「元旦や今年もあるぞ大晦日」と、それは誰しもちゃんと心得てはいるのであるが、さていよいよとなるとその問題に臨んで、不心得の者は狼狽せざるを得ず、「春うわ気、夏は陽気で秋ふさぎ、冬は陰気で暮はまごつき」というマクラの狂歌同様の始末となる。
 この年くれを扱ったものには「掛取万歳」「三百餅」「言訳座頭」「睨み返し」「晦日の五円」等いろいろある中に、おかしいのは「尻餅」などだろう。

 この後に「尻餅」の概要を説明した後に、実に興味深い噺のことが書かれている。
 これも貧乏のいたすところ、アアどうか仕合わせになりたいと、働く事も考えず、徒に一足飛びの僥倖を願う虫のいい人間もなきにしもあらず、思えば人の望みは限りのないものだが、そこを目がけて夢屋という珍商売が出来、客の望みに任せて何でも思った通りの夢を見させる。芝居の夢、角力の夢、遊興の夢、何でもお好み次第に夢を見られるので、評判になって大繁昌。

 へぇ、夢屋か、楽しそうな噺だ。
 さて、どんな内容なのか。
 ところへやって来たのが、自分の貧乏から世の中をひがんでいる男、おれァいくら稼いでも足りねえのが忌々しくてならねえ。おまけに世間の金持ちが、どいつもこいつも自分たちばかり栄耀をして、威張っているのが癪にさわってならねえ、おれが金持ちになったら、どんどん施しを出して困る者を潤してやりったいと思うんだから、、「せめて夢だけでもいい。金持ちになったところを見せてくれ」という注文。

 この男の気持ち、分かるではないか。
 しかし、落語は修身とは違うので、そんな立派な筋書きとなならないのだ。
「へェよろしゅうございます。どうぞこちらへ」と寝台へ案内。いい心持ちにとろとろしたかと思うと、「ちょいとお前さん。起きておくれ」と女房の声。「お隣の犬が裏の松の木の根っこを掘って、ワンワン吠えるから行って見たら大変だよ」という知らせに、ドレドレと覗けばこはいかに、深く掘った穴の中には、金貨銀貨紙幣がシコタマ見える。びっくりしてサア事だと向こう鉢巻になり、女房と協力で掘れば掘るほどザクザクと無限に出る。

 まるで、花咲か爺さんではないか(^^)
 その後、どうなったのか、というと。
 たちまち家の中は財宝の山。「アア驚いた。一遍に大金持ちになっちまったが、サアこうなったらもう裏店にはいられない。表通りへ立派な普請をして、方々へ別荘も拵えよう。着物を誂えて物見遊山。あれを食べてこれをして」と、自由主義、個人主義の行われていた時代の浅ましさは、すぐこんな心持ちになるのが一般の凡人であったから、夫婦が有頂天で喜ぶ最中、ぞろぞろと引っ切りなしに訪問の客、これが何々孤児院、養老院、救済園、博愛会、慈善療院等々、あとからあとから寄付金の勧誘ばかり。
 宝くじが当たったり、膨大な遺産を相続したりすると、いっきに知らない親戚が増える、というやつですな。
 この男、いったいどうしたのか。
 奴さんおれが金持ちになったら困る者に施しを出して、などといった理想はたちまち豹変し、「御免蒙りましょう、冗談じゃあねえ。お前さん達の言う事を、いちいち取り合っていちゃあ際限がねえから、一切お断りだ。うるせえな帰れ帰れ」と片っ端から撃退。
 (中 略)
「モシモシ、モシモシ、お時間でございます」と、夢屋の番頭に起こされる。「アッ、何だ夢だったか。アア夢なら慈善をしてやりゃあよかった」と、これがサゲ。境遇によって心持ちの変る人情の機微を痛切にえぐって世間の裏面を諷刺し、とりようによっては立派な教訓にもなっている。
 なお、同じ夢を扱ったものには、この「夢分限」の外に、「夢金」「鼠穴」「乞食の夢」「天狗山」「大黒屋」などがある。

 落語から道徳的なことを学ぼうとするのは、本来の落語の楽しみ方ではなかろうが、談志家元ではないが、「人間の業」が、この「夢分限」には描かれていると言えるだろう。

 金持ちになったとたん、施しをするという慈善の志を忘れ、すべてを我が物にしたい、という人間の本性を、「夢分限」に見ることができる。

 そう、権力の座に長く居座る者が、つい、その座を離れがたくなるのと、似ている。

 無名庵があげる「夢分限」も「乞食の夢」「大黒屋」も、、まだ聴いたことがない。
 ぜひ、誰かに掘り起こしてもらいたい。

 実は、以前紹介した本書にある「落語名題総覧」の496席に、この「夢分限」が含まれていないのだ。
2015年03月17日のブログ

 きっと、野村無名庵は、夢でこの噺を聴いた、ということにしておこう。
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by kogotokoubei | 2015-12-23 14:24 | 落語のネタ | Comments(4)
 実に久しぶりの三田落語会。昨年の8月以来だ。

 今回は、居残り会メンバーのスケジュールを調整しての、居残り忘年会が日程選定の中心であった。
 とはいえ、一朝、扇辰の顔ぶれは、私も含め皆さんお好みである。

 少し早めに田町に着き、蕎麦屋で腹ごしらえと思って更科の三田店に行ったのだが、お休み。
 お休みでも店にいらっしゃったご主人にお聞きして田町駅ビルの地下飲食街にある蕎麦屋さんで、板わさで菊正の熱燗を楽しんだ後、もりで仕上げて会場へ向かった。

 会場は九分ほどの入りだっただろうか。途中途中に空席。
 夜の部(兼好・一之輔)のチケットは早々に売り切れていたが、この昼の部はまだチケットが残っていようだ。顔ぶれなのか、三田のお客さんは夜を好むのか。

 さて、次のような構成だった。
-------------------------------------
(開口一番 入船亭辰のこ『たらちね』)
春風亭一朝 『尻餅(しりもち)』
入船亭扇辰 『薮入り』
(仲入り)
入船亭扇辰 『雪とん』
春風亭一朝 『二番煎じ』+笛
-------------------------------------

入船亭辰のこ『たらちね』 (14分 *13:31~)
 初である。扇辰の弟子で三年前の入門のようだ。
 なかなかの二枚目で、さわやかな印象。芸人らしくはない、とも言えるが、最近はこういう若手の方が主流かもしれない。
 はっきりした口跡で、ご通家の多い会場から笑いをとっていた。筋は良さそうだ。
 奉公上がりで言葉が丁寧すぎる嫁さんの父が「大和の侍、四条上がる横町に住まいを構え、姓を佐藤、名をけいぞう」という設定は珍しいが、いったい誰の型なのか、勉強不足で不明。そのうち調べてみよう。

春風亭一朝『尻餅』 (24分)
 それぞれの席にあったチラシの中に、出演者の過去のこの会での演目が記載された一覧があった。一朝は2009年8月以降16回、32席のネタが並んでいる。暗に過去のネタ以外の演目を要求されているのだろうから、噺家さんにとってはプレッシャーだろう。
 臼で餅をつく家が減り、調べたところ東京都内にある臼の数が八百・・・などのまくらから本編へ。
 このネタは、八代目三笑亭可楽の音源が好きだ。当代の噺家さんでは、あまり聴くことがない。
 長屋二十六軒で唯一餅つきをしていない夫婦。餅をつきたいが、先立つものがない。
 亭主が編み出した奇策(?)で、近所にも聞こえるように餅つきをしている芝居をすることになった。
 餅をつく臼は何か・・・これが、女房の尻。
 亭主、大晦日の夜の街を一回りしてから、餅屋の親方と使用人二人(辰公と金太)の三人役の亭主が、我が家を訪れる(^^)
 劇中劇、に近い設定そのものが、落語らしいネタとも言える。
 亭主が餅屋に祝儀を出すので、女房に声をかける。「あ(お)~ぅ、おみつ」の「あ」と「お」の間の江戸っ子らしい掛け声が、なんとも楽しい。
 この女房もたいしたもので、祝儀に見立てて鼻紙をよこせという亭主に、しっかり二つ三つ勢いよく洟をかんでから「はいよ」と手渡すあたりが、実に可笑しい。
 見事だったのは、餅つきの擬音。手と肘を使って、手際よく職人が餅をつく様子を音で浮かび上がらせてくれた。
 笛の名手であるだけに、音感も優れているのだなぁ、と感心して聴いていた。
 つい女房が臭いのを一発で「くさもち」、亭主が女房の尻をひっかいて「かきもち」なんて地口も、リズムの良い噺の流れで挟まれるから、妙に笑えるのだ。
 演者によっては、下品にならないでもない難しいネタ。そこは一朝である、品良く、軽く、楽しく、聴かせてくれた。
 文句なく、今年のマイベスト十席候補としたい。

入船亭扇辰『藪入り』 (45分)
 「かくばかり 偽り多き世の中で 子の可愛さは誠なりけり」とふって、すぐ本編へ。
 私が同期会の余興で20分で披露したが、仲間から「少し、長い」「サゲがよく分からない」なとと苦情を受けたネタだが、扇辰は、たっぷりの長講に仕立てた。
 私は三代目金馬を元にしたが、師匠扇橋にこの噺はあったかどうか、勉強不足で不明。
 サゲのための仕込みや、その昔の奉公のことを説明するためにやむを得ない点はあるにしても、中盤以降、少し引っ張りすぎた印象。
 ただし、父親が、宿りで三年ぶりに帰ってくる亀に食べさせたいものとして、辛したっぷりの納豆・中トロ・軍鶏・汁粉・蕎麦の大もり・うなぎ・つけ台で食べる寿司・揚げたての天ぷら・大福・金つば、などを列挙するあたりは嫌いではない。
 江戸から明治、寿司も天ぷらも屋台が本寸法、ということは、落語を通じてでないと伝わらないように思う。握りたて、揚げたてを美味しくいただく、ということは大事なのである。
 サゲは工夫していた。「忠のおかげ」の後に、夫婦の会話で亭主が繰り返す「おっかぁ、今何時だ」で女房に「九時だよ」と言わせてから二つ目ともいえるサゲ。
 これは、良い工夫だと思う。それにしても、長すぎた。
 扇辰は、良くも悪くも“芝居がかった”演出になる。それがはまると、「この人は、とんでもなく上手い!」と思うのだが、くどく思える時も、ある。そのへんは、実に難しいところだ。

入船亭扇辰『雪とん』 (23分)
 仲入り後、再登場。
 この噺は、2012年2月29日の銀座ブロッサムでの小満んと喬太郎二人会で、小満んで聴いて以来。
2012年03月01日のブログ
 実は、あの会の後の居残りで、この日の居残り忘年会を開いたお店に、私は初めて行ったのであったなぁ。あれから、三年半か。

 あの時せっかく(?)筋書きを書いたので、その内容をあらためてご紹介。

 ・ある船宿に、昔世話になった方の子息、若旦那(庄太郎?)が田舎から
  江戸を見物に来て二階に泊まっていた
 ・この若旦那が恋煩いになり、船宿の女将が聞き出した相手は、本町二丁目
  の糸屋の 箱入り娘“糸”
 ・女将が糸屋の女中“おきよ”に訳を打ち明け二両の金をつかませて、若旦那が
  今夜四つ時に裏木戸をトントンと叩けば糸の部屋へ女中が案内するという
  段取りとなった
 ・ところが若旦那、雪の降る中を糸屋に向かう途中、白犬とじゃれるなど
  道草を喰う
 ・男っぷりのいい「お祭り佐七」といわれる男が、雪に足をとられ、糸屋の
  裏木戸を トントン叩くことになる
  *ただし、佐七の名前はサゲ直前まで明かされない
 ・若旦那と思い込んだ女中が佐七を糸の部屋へ通し、その見た目の良さに糸の
  心もなびいて 二人は・・・・・・
  *「・・・・・・」の 部分、小満んは、さらっと「粋なことになった」
   あるいは「オツなことになった」と言っていたはず。
 ・遅れて糸屋に付いた若旦那が裏木戸を叩いても何の応答もない
 ・「家を間違えたか?」と思った田舎の若旦那隣近所の癒えの裏木戸を、
  トントン 叩き続けて夜が明ける
 ・糸屋の裏木戸から女中に見送られて出て来た佐七を見かけた若旦那、佐七の
  後を つけると、船宿の女将と言葉を交わして去っていった
 ・船宿の女将が、「あ~ら、お楽しみでしたね。良かったですね」と若旦那に
  言うのだが、
  若旦那「いんや、先客がいた」
  女将 「えっ、どなたが?」
  若旦那「今、おめえさんが話をしていた男だ。誰だ、アレは?」
  女将 「あの方は、お祭り好きで、纏を持たせてたら一番のお祭り佐七」
  若旦那「なに、お祭り!?道理で、オラがダシ(山車)に使われた」で、サゲ

 一席目よりも、ずっとこちらの方に、扇辰らしさが発揮された好高座だったとは思う。
 特に、船宿の女将の、田舎の若旦那が恋わずらいだと知る件での顔の表情の変化などは、楽しい。これは、生で聴かなければ分からない。
 ただし、お糸と佐七との濡れ場の場面、引用したように小満んは、「粋なこと」(あるいは「おつなこと」)になりまして、とあっさり品よく流したのだが、扇辰は、少し引っ張りすぎた。居残り会でも少し話題になったが、会場の反応を確かめていたのかもしれない。ちょっと、無駄な間があったのが気になる。
 また、「おやすみなさいませ」とお糸が佐七の元を離れようとしたところで、佐七が「親指」と「人差し指」だけでお糸の着物の裾をつかんだら、お糸が「あ~れぇ~」と倒れてきたと、ややくどく説明していたが、落語における閨事の表現としては饒舌すぎた。
 あの場面は、小満んのようにあっさりと流して欲しいものだ。下品になるぎりぎりのところだったように思う。
 扇辰が贔屓の噺家であることには変わりないが、『徂徠豆腐』や『麻のれん』『団子坂奇談』などで発揮される扇辰ならではの持ち味は、この日は今ひとつ不発だった、そんな印象。
 芝居心が、やや勝ちすぎたのかなぁ、と思う。

春風亭一朝『二番煎じ』+笛 (34分+12分 *~16:22)
 「火事と喧嘩は江戸の華」とふったので、「えっ、火事息子は以前演ってるなぁ」などと思っていたら、この噺。なるほど、まだこのネタが残っていたか。
 とにかく楽しく聴かせてくれる。
 演者の音曲の素養が、この噺は生きる。
 黒川先生の謳の調子の「火の用心」や、伊勢屋の主人の三味線混じりの義太夫風の掛け声、そして、煙管の雨を呼び込むばかりの辰っあんの艶のある声も、堂に入っている。宗助さんの売り声の「火の用心」も笑えるた。
 外から番小屋に戻り、煎じ薬という熱燗(?)をやりながら、しし鍋を囲む場面では、終演後の居残り会で、しし鍋を食べたくなった(^^)
 「 騒ぐカラスに  石投げつけりゃ それてお寺の鐘がなる 」なんてぇ都々逸も効果的に挟まれた。
 欲を言えば、前半の夜回り場面で、もう少し外の寒さを感じさせて欲しかったようにも思うが、それは、わがままかもしれない。
 持ち味の音曲の素養をさらりと生かした好高座だったことには違いない。

 サゲた後、クリスマスのプレゼント(?)ということで、笛を披露してくれた。
 何度か拍手で催促したものの、きっと心の準備と化粧の準備が出来ていなかったのだろう(^^)、三味線太田その嬢は残念ながら姿を見せてはくれなかったが、次の三曲を二人で聴かせてくれたのは、うれしいご褒美。
 (1)長唄「連獅子」 
 (2)祭囃子「鎌倉」~「屋台ばやし』
 (3)清元「隅田川」から「空笛」
 「久しぶりなので」と謙遜していたが、流石。余芸の域を超えている。
 居残り会でI女子から「隅田川」は代表的な能の一つであるとお聞きした。
 そうなんだ。まだ、能や狂言を楽しむ境地には至っていないのだなぁ、あっしは。十年後か(^^)

 結果として、一朝は八代目可楽の十八番を二つ並べたことになったが、何と言っても一席目の出来が素晴らしかった。


 はねてから、お楽しみの居残り忘年会だ。
 我らがリーダー佐平次さん、そして、居残り会発足メンバーのYさんも久しぶりに参加。I女史と四人で、少し時間があるので、東銀座までぶるぶらと歩く。
 東京タワーのライトアップが、「タワーなら、俺もいるぜ!」と自己主張しているように感じた。
 新橋のSLも綺麗な光に包まれ、多くの方がカメラを向けていた。
 烏森神社に少し立ち寄り、異国の言葉があちらこちらから聞こえる銀ブラの後、六時十分ほど前に熊本料理のKに到着。
 間もなくM女史も駆けつけ、五人で居残り忘年会である。
 お約束の馬刺し、刺身の豪華な盛り合わせ、ナマコに焼き鳥、さつま揚げといった美味しい肴に、楽しい話が弾む。
 美少年の徳利が、はたして何本空いたのやら。
 後半は、本来はお休みのところを開けていただいたご主人もご一緒に、かつて、志ん朝も座ったテーブルで、落語のことやいろいろな話題に花が咲く。
 佐平次さんはドイツ語で歌い出し、Yさんは、権太楼の真似で絶好調。
 ついに私には落語をやれ、との無茶ぶり!
 酒の勢いで『金明竹』の言い立て部分と、先日テニス仲間の合宿で披露した『夜の慣用句』の短縮版をご披露してしまった(^^)
 なんとも楽しい居残り忘年会は、来春のある落語会での再会を約してお開き。

 帰宅後は風呂に入って爆睡。
 翌日曜はテニスの後で、ちょっとした忘年会的な宴会になってしまい、帰宅してブログを書き始めたものの、サッカーの広島対広州戦を眺めながらだったし、バルセロナとリバープレートの試合を観た後には、上の瞼と下の瞼が一緒になりたいと叫んでいるのだった。

 ということで、ようやく二日後の記事掲載となってしまった次第。
 ブログを書き始めた頃は、いくら飲んでも帰宅後寝る前に書き上げていたことが遠い昔のようだ。
 還暦も過ぎた。それも、いたしかたなかろう(なんとも、言うことが爺ぃ臭い)。

 サッカーを見て思うことだが、一朝は、バルセロナのイニエスタかブスケツのような存在かと思う。
 技ありのパスを前線の弟子たちに送ることもあれば、ここ一番では自ら見事なシュートも決める。
 メッシ、ネイマール、スアレスのような存在ではないが、ゲームを作る要諦として不可欠な、それも一流のプレーヤー。
 パス、ドリブルの基本技能は、実に高度なレベルにある。

 よく言われることだが、弟子一之輔の真打昇進披露興行を境に、この人はその芸を大きくしていると思う。
 寄席のいぶし銀から、十分、独演会で客を呼べる一枚看板になった。とはいえ、一朝の魅力は、二人会の方が光るかもしれない。その方が、一朝の良い意味での軽み、江戸落語ならではの歯切れの良さ、弾む調子が、際立つのではなかろうか。

 来年も、小満んや一朝の高座には、都合と相談しながらも出来るだけ足を運ぼうと思う。
 そして、小痴楽など、若手の会も楽しみだし、やはり寄席も好きだ。
 ともかく、来年も落語を楽しむだけの心の余裕は残したいものだ。

 そろそろ、今年のマイベスト十席を決めねばならない時期になった。

 ここ数年に比べると落語会や寄席に行く回数は減った。それでも、一般(?)の方に比べれば、少ないとは言えない。

 今年も、折々に楽しく落語を聴くことができた一年の幸福を噛みしめねばならないのだろう。そんなことを思う、師走である。

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by kogotokoubei | 2015-12-21 12:18 | 落語会 | Comments(6)
 浅草寺では明日19日まで「羽子板市」が開かれている。
 
 「浅草寺歳の市」のサイトをご覧のほどを。
「浅草寺歳の市」のサイト

 昨年、「羽子板市」が「歳の市」の名残りであることについて記事を書いた。
2014年12月4日のブログ

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鈴木章生著「江戸の職人 その『技』と『粋』な暮らし」

 江戸関連本も多い青春出版社のプレイブックス・インテリジェンスシリーズの一冊、「江戸の職人 その『技』と『粋』な暮らし」からは、すでに、職人さんと信仰について記事を書いた。
2015年12月1日のブログ

 今回は「押絵羽子板」のことについて、本書から紹介したい。

 「第七章 季節を彩る」からの引用。

押絵羽子板
■縁起物としての羽子板
 娘道成寺、藤娘、八重垣姫、助六、鏡獅子、弁慶、め組の喧嘩の辰五郎・・・・・・、歌舞伎の登場人物の絵姿が目にも鮮やかに再現された押絵羽子板の世界。江戸時代から人々に愛され続けてきた、日本の正月を彩る華やかな小道具である。
 羽根突き遊びはもともと、その羽根を、子供に病気もたらす蚊を食べてくれるとんぼと見立てて、これを突き上げて厄払いする、という風習からはじまったとされる。室町時代には御所で、公家やその女官たちらが集まって、羽根突き大会に興じたという。かつては胡鬼板(こぎいた)、羽子木板(はこぎいた)と呼ばれ、羽根は、こぎの子、はごの子などと呼ばれていた。
 また、時代が下がって天保九年(1838)の『東都歳事記』(江戸後期の最も詳しい年中行事の解説書)によると、当時、男の子が生まれると破魔矢を、女の子が生まれると羽子板を贈る風習があったとされる。この通り、江戸時代、羽子板は遊び道具であるとともの、縁起物であり、祝いの品であった。さらに土産物としても重宝された。

 羽根を「蚊」を食べてくれる「とんぼ」と見立てていた、なんてぇことは、初めて知った。

 羽子板が遊び道具から発展して、縁起物、土産物になったわけだが、そうなったことに「押絵」の技術は大きく関わっている。
 さて、現在の押絵羽子板は、描かれた下絵に合わせて頭、顔、襟、袖、帯、手、小道具など、各部分をボール紙で作り、これに綿をもってその上から柄布でくるみ、それを板の表面に糊で貼り付けて作られている。裏面には、板屋によって松竹梅などの絵がさらりと描かれている。
 押絵羽子板は、それ以前に生まれた押絵の技術を羽子板の装飾に応用したものである。現在知られている中でもっとも古い押絵を残しているのは、二代将軍秀忠の娘で、後に後水尾天皇の中宮になった東福門院(1607~1678)だ。当時の押絵は、綿が少ないか全く入っていない作りで、現在のように立体的なものではなかった。
 東福門院の影響により、押絵はやがて京都御所内の女官の間で、やがては江戸城内の奥女中の間で流行したとされる。やがて絵師の中から押絵を専門とする押絵絵師が生まれ、さらに押絵で羽子板を作る者が出てきて、押絵羽子板が誕生した。
 押絵羽子板の歴史をたどると、秀忠の娘、東福門院にたどり着く、ということか・・・・・・。


 例年、その年の話題の人で「変わり羽子板」を発表している「久月」。
 今年は、「五郎丸羽子板」も登場。
「久月」サイトの該当ページ

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*「久月」のサイトより借用。


 TPPで「甘利羽子板」というのは、なんとも・・・・・・。

 「話題の人」の選定基準、今ひとつ分からないなぁ。
 あくまで、選ぶ人にとっての「話題」ということか。

 羽子板->押絵、ときて、東福門院を話題にする人は、現在は皆無に近いだろう。

 しかし、私は、今後は羽子板を見ると、徳川家と天皇家をつなぐための人生を送った東福門院のことを思い出しそうだ。
 彼女は、お江の方と秀忠の末っ子の徳川和子(まさこ)。

 武家から初めて天皇家に嫁いだ人で、宮尾登美子が『東福門院和子の涙』という小説を書いているようだが、未読。近いうちに読んでみたい。

 彼女は後水尾天皇の中宮(妻)となってから、宮廷での辛い生活のために心から笑うことはなかった、と言われている。

 東福門院和子が今に残る押絵を作っていたのは、そういった日常から少しでも気を紛らすためだったのかもしれない。

 羽子板市をきっかけに、東福門院という一人の女性のことを思う、そんな師走である。

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by kogotokoubei | 2015-12-18 20:45 | 江戸関連 | Comments(0)

 柳家小袁治師匠(この方には、特別に“師匠”を付けます)のブログ「新日刊マックニュース」の12月15日の記事で、古今亭駿菊さんと林家すい平さんのお二人が落語協会を退会することを知った。
「新日刊マックニュース」の該当記事

 すい平さんは噺家もやめるとのこと。

 駿菊さんは、まだ聴いたことがない。
 下記のように円菊一門において入門順で八番目の方。

-古今亭円菊一門-
(1)古今亭菊龍
(2)古今亭志ん弥
(3)古今亭菊丸
(4)古今亭菊春
(5)古今亭菊千代
(6)古今亭菊寿
(7)古今亭菊輔
(8)古今亭駿菊
(9)古今亭菊生
(10)古今亭菊之丞
(11)古今亭菊志ん
(12)古今亭菊太楼
(13)古今亭文菊

 今後は協会に頼らず独自に活動されるようだ。

 少し調べてみると、この方は、「3.11」を契機に、「今そこに落語と笑いを配達する演芸団(略称=今そこ演芸団)」というNPO法人を設立したらしい。
「今そこ演芸団」のホームページ

 NPO設立の理由は、サイトにある「ごあいさつ」で説明されている。
 全文を引用したい。

落語家の古今亭駿菊と申します。

 町に笑いが溢れて、平和と安全を当たり前に享受し、こんな時間がいつまでも続くと、自分の生きている間だけはこの平穏が続くものとただ漠然と思っていたあの日、「3月11日」悲劇が東日本を襲いました。

 今まで経験もした事のない大きな揺れや、テレビから流される”同じ日本”で起きている惨状に私たちは心底打ちのめされました。その後起きる事の予想もつかず、ただただその空気に怯えて暮らしていました。

 そしてその日を境に約3ヶ月、落語家はキャンセルの嵐にさらされました。当たり前の事ですが決まっていた高座が次々と公演中止となり自宅待機。
 芸人は気付かされました、いかに笑いというものが平穏な生活の上のみに存在していたかを。
 普通に落語をしゃべり、普通に落語を聴ける事がいかに特別な事だったかを教えられたのです。

 そんな中一番情けなかった事は「何もできない」でいる事でした。
落語を愛するお客様に生かしていただいている私たちが落語を通じて恩返しをする術が今まで構築されてこなかったのです。
 このような不安でさらに高座が無い状態がいつまでも続けば、落語自体が無くなってしまう。
 この経験を一過性のものにせず、胸に残った傷の欠片を見返しながら前に進むには、被災されて疲れきった方、心に傷を負った子供、今笑いが必要な方に、笑いを提供しながら高座の場を作り落語を守るシステムを新しく作っていかなくてはいけない事に気がつきました。

 今までのように環境を与えられるのを待っている事はできません。同じようなことが起きた時に、何もできないまま後悔したくないからです。

 心を同じくする仲間(落語家、席亭や主催者、世話人、落語ファン)と新しい動きを始めて行きたいのです。
 
 あの日あの瞬間あの期間を決して忘れないために。

 サイトの「活動報告」を拝見すると、東北の被災地を中心に、すでに200回を超える落語会を開催している。

 小袁治師匠のブログで落語協会退会を知ったことで、初めて古今亭駿菊という噺家さんのことを知ることができたのは、喜んでいいのかどうか微妙だが、何らかの形で応援したくなった。

 政治家もマスコミも、「あの日あの瞬間あの期間」を、どんどん忘れさせようとしているように思えてならない。

 とんでもないことだ。

 復興庁のサイトで11月末時点での避難者の方の総数を確認すると、約18万7千人の方が避難生活を続けていらっしゃる。

 大震災と津波、そして原発事故は、「終わった」ことではない。
 

 ブログを拝見したら、なんと我が家の近くでも落語会を開催しているではないか。
「古今亭駿菊の今そこブログリスタート」

 私は、まだ聴いたことがない古今亭駿菊さんを聴きたくなったし、彼の行動を少しでも応援したくなった。

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by kogotokoubei | 2015-12-17 12:52 | 幸兵衛の独り言 | Comments(8)
 昨日の記事へのコメントで、落語協会HPトップページの下に「協会概要」というバナーがあり、リンクされたページに役員や組織概要、沿革なども記載されていることをお知らせいただいた。

 落語協会HPの「協会概要」

 そのままコピペすると長すぎて見ずらくなるが、全文引用したい。

協会概要

一般社団法人落語協会

名称
一般社団法人落語協会

所在地・連絡先
住所 〒110-0005 東京都台東区上野1-9-5
TEL:03-3833-8563
FAX:03-3833-8599

業務内容
•古典落語の継承及び研究発表会、鑑賞会等の開催
•後進の育成及び寄席芸能関係者の顕彰
•下座音楽実演家の育成
•学校、職場等の落語研究会への協力及び指導
•落語家の昇進資格の認定
•芸能関係団体との連絡提携
•寄席芸能に関する調査研究及び資料文献の収集保存
•会報及び寄席芸能に関する刊行物の発行
•その他目的を達成するために必要な事業
一般社団法人落語協会定款より、抜粋


役員
当期役員(任期:平成26年6月25日より2年間)

会長  柳亭市馬
副会長 林家正蔵
常任理事 柳家小さん・三遊亭圓丈・柳家さん喬
理事 古今亭志ん輔・入船亭扇遊・金原亭馬生・
   三遊亭歌る多・三遊亭吉窓・五明楼玉の輔・
   林家たい平・柳家喬太郎・鏡味仙三郎
監事 柳家さん八・柳家権太楼
外部監事 友原征夫(会計士)
最高顧問 三遊亭圓歌・鈴々舎馬風
顧問 三遊亭金馬・柳家小三治
外部顧問 寺脇研(京都造形芸術大学 芸術学部教授)
相談役 三遊亭圓窓・林家こん平・桂文楽・林家木久扇

前史
 職業的な落語家と寄席の始まりは、寛政十(1798)年、下谷稲荷社内で初代三笑亭可楽が打った興行を、その祖とする説が有力である。以後、明治維新を迎えるまでの70年間に、江戸の町に寄席の数は百七十軒以上を数えるようになり、落語家の数も増えていった。
明治8年、三代目麗々亭柳橋を「頭取」とし、「補佐」に三遊亭圓朝と六代目桂文治らがつき「落語睦連」を結成するが、明治20年代になると「柳派」「三遊派」の二大派閥にほぼ大別されるようになった。各席を半月ごと(当時は15日間ずつ、上席・下席として興行を打っていた)に、交替で勤める興行形態が整い、それが大正時代まで続くことになる。大正6年8月、柳派と三遊派が合併し、四代目橘家円蔵、初代三遊亭圓右、三代目柳家小さんらが中心となって「東京寄席演芸株式会社」を創設し、月給制を取り入れる。
ところが同月下席、同会社に所属した五代目柳亭左楽が脱退し、四代目春風亭柳枝らと共に「落語睦会(三遊柳連睦会)」を旗揚げした。
以後、この両者が二大団体となるが、小さな離合集散を繰り返すことになる。詳しくはとても書ききれないくらいの、脱退、旗揚げ、合併、解散、復帰などが繰り返された。噺家という人種の気性を、現している現象と言えるかもしれない。

大正12年10月関東大震災の後に、五代目柳亭左楽が奔走した結果、大同団結し「東京落語協会」を設立する。これが現在の一般社団法人落語協会のルーツとなる。
しかし、翌13年6月には、またまた分裂。旧睦会が独立し「東京落語睦会」として復活する。その後も、両会派はさらに小さな分裂や解散を繰り返す。その団体名を挙げるだけでも「落語演芸東西会」「柳三遊研成社」「日本演芸協会」「東京演芸組合」「三語楼協会」「金語楼一座」「東京落語組合」など、正確に把握する事さえ困難なありさまである。
昭和5年、六代目春風亭柳橋と柳家金語楼が「日本芸術協会」を創設する。これが現在の公益社団法人落語芸術協会の母体である。


沿革
 昭和15年5月、第二次世界大戦への突入を前にして、新興行取締り規則の改正により、演芸界は警視庁統括のもとで「講談落語協会」として統一させられる。すべての落語家は否応もなく、この協会に所属することになる。会長は、人格者であり名人と謳われた講談の六代目一龍斎貞山が務めた。
昭和20年終戦後、官主導の「講談落語協会」は解散し、元の形態である「東京落語協会」と「日本芸術協会」の二団体に戻る。
「東京落語協会」は昭和21年10月、四代目柳家小さんが会長に就任。「落語協会」として新発足する。以後会長は、22年に八代目桂文治。30年・八代目桂文楽。32年・五代目古今亭志ん生。38年・再度桂文楽。昭和40年・六代目三遊亭圓生が歴任した。
昭和47年に、五代目柳家小さんが会長に就任すると、次々に近代化をはかっていった。若手の理事を登用。合議制を導入する。また、任意団体として上野黒門町に事務所を構え、公益法人化に向けて活動を開始した。
昭和52年12月、文化庁を主務官庁として、社団法人の認可を受ける 。以降、正式な名称は、社団法人落語協会となる。
昭和53年5月、六代目三遊亭圓生が中心となり、七代目橘家円蔵、三代目古今亭志ん朝、五代目月の家円鏡らが脱退し、「三遊協会」を創設。ただしその直後に、圓生直系の一門以外、すなわち円蔵、志ん朝らは全員落語協会に復帰する。結局は、三遊亭圓生とその一門だけが落語協会を脱退した。同年、十代目金原亭馬生が副会長に就任。
昭和54年圓生没後、五代目円楽の一門を除いて、六代目圓窓、圓弥、生之助、圓丈らが落語協会に復帰する。「三遊協会」は円楽一門だけとなり、その後「大日本すみれ会」から「圓楽党」と名称を変更し、現在に至っている。昭和57年、馬生没後、六代目蝶花楼馬楽が副会長に就任する。同年、立川談志が弟子一同を引き連れて脱退。「立川流」を創始する。
昭和62年、馬楽没後、三代目三遊亭圓歌が副会長に就任。
平成7年5月、落語家として史上初めて柳家小さんが、重要無形文化財(人間国宝)に認定される。翌年、平成8年8月、小さんは24年間勤めた会長職を勇退し、三遊亭圓歌が会長に就任。同時に古今亭志ん朝が副会長になる。小さんは、最高顧問。
平成13年10月、志ん朝没後、五代目鈴々舎馬風が副会長に就任。
平成14年5月、柳家小さん死去。
平成18年6月、三遊亭圓歌が10年間勤めた会長職を勇退し、鈴々舎馬風が会長に就任。
平成22年6月、二期4年間勤めた鈴々舎馬風が勇退。柳家小三治が会長に就任。
平成24年6月、役員改選にともない小三治会長再選。柳亭市馬を副会長に選出。
平成24年8月、一般社団法人となる。
現在に至る。

参考文献:古今東西落語家事典(平凡社・諸芸懇話会)


 これらの内容がなくなった、と書いたことを訂正し、お詫びします。

 しかし、このバナー、上の方の他の大きなバナーと一緒に並べて欲しい。
 気が付かなかった・・・・・・。

 コメントをいただいた方には、あらためて感謝申し上げます。

p.s.
「沿革」の内容をよく読むと、談志が脱会した時期の間違い(昭和57年ではなく58年のはず)や、平成25年以降のことが記載されていないなど、不備があるなぁ。
過去の文章をそのままコピペ(私と一緒か!)しただけのようで、やっつけ仕事の匂いがプンプン(^^)
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by kogotokoubei | 2015-12-16 08:59 | 落語協会 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛