噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

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 水木しげるさんが、93歳で旅立った。

 『ゲゲゲの鬼太郎』などの妖怪漫画の巨匠だが、水木さんがご自分の戦争体験を元にした『総員玉砕せよ!』という作品も残されている。


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『総員玉砕せよ!』(講談社文庫)

 紹介しておきながら、実は未読。ぜひ、早いうちに読むつもりでいる。

 ただし、この本を元にしたドラマ、「NHKスペシャル 鬼太郎が見た玉砕 ~水木しげるの戦争~」は、五年前に見た。

 初回放送は2007年8月12日だったようだが、「ゲゲゲの女房」が放送された2010年の再放送で見た。

 原作とNHKスペシャルに関しては、Wikipediaに詳しい。
Wikipedia「総員玉砕せよ!」

 NHKのアーカイブスのサイトには、短い動画を含めて出演者の名前や写真が掲載されている。
NHKサイトの該当ページ
 
 香川照之扮する水木さんがモデルの丸山二等兵が主役。

 鬼太郎とねずみ男、目玉おやじがナビゲーターとなり、声優さんもアニメのご本人たち。ねずみ男は、先日亡くなった大塚周夫さん。
 
 ニューブリテン島での体験を描く出演者も、なかなか豪華な顔ぶれだ。

 塩見三省の「ビンタ軍曹」は、好演だった。

 水木さん(丸山二等兵)が、意を決して『総員玉砕せよ!』を描く際に、亡き上官や戦友の亡霊に悩まされるのが、印象的だった。
 
 しかし、細かな部分は、相当、忘れたなぁ。

 迂闊にも録画するのを忘れた。

 ぜひ、追悼番組として、再放送を希望する。

 一人でも多くの方が見る価値のある番組だと思う。

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by kogotokoubei | 2015-11-30 20:54 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
 昨日、紅白歌合戦の出場者や司会者が発表され、誰が当選したとか、なぜ誰は落選したのか、といった選挙のような記事がメディアを賑わわせている。

 紅白を見なくなって久しいし、今年の出場者の過半数を知らない。

 懐かしさもあって、昔の顔ぶれを調べようと思った。

 東京オリンピックが行われた昭和39年の第15回が、カラー放送開始の回でもあったようだ。小学生だった私は、間違いなく家族で見ていた、はず。

 Wikipediaにお世話になり、第15回のことを部分的に引用したい。
Wikipedia「第15回 紅白歌合戦」

 まず、司会者。

  紅組司会:江利チエミ
  白組司会:宮田輝アナウンサー

 なるほど。なんとなく、思い出す。

 司会について、次のような記述がある。
両軍司会は2年連続で江利チエミ・宮田輝(3年連続)が担当。
前回好評のコンビがそのまま続投となったが、江利は当初「『1回でやめておけば良かったのに』、などと言われたら・・・」という気持ちに苛まれ再三断っていた。「私のPRをしてくれない」「自分ばかり売り込んで」という周囲の声にも悩まされ、憂欝になったという。本人曰く「ダーリン(高倉健)もあんな疲れる仕事はもうしない方がいいって言っていたんです」とのことだが、結果的に熱心なNHKのラブコールに折れる格好で続投を決意した。だが、江利は今回の司会で神経疲れから胃を壊してしまい、翌1965年・第16回は「もうコリゴリ」と紅組司会3連投を辞退している(紅組司会は今回の審査員でもある林美智子に交代)。そして、これが江利の生涯最後の紅組司会担当となった。
 まだ、江利チエミと高倉健は夫婦だったんだね。

 江利チエミの曲紹介は美空ひばりが行ったようだ。

 小学生だったあの頃、次のなぞなぞ問答が流行ったのを思い出す。
 「江利チエミの好きな県は?」
 「・・・高倉健!」
 今思うと・・・何ともつまらない(^^)

 この年の落選者の話題について。
この年デビューした都はるみが出場歌手選考時において、有力候補に挙がっていたが、惜しくも落選となる。都は翌年の第16回で初出場を果たしている。

 Wikipediaつながりで都はるみを調べると、この年に「困るのことヨ」で、デビューし、「アンコ椿は恋の花」がミリオンセラーになる大ヒット、第6回日本レコード大賞・新人賞を獲得。それでも、選ばれなかった。
 林家しん平と仲がよく落語とも縁のある“ももクロ”が今年選ばれなかったどころではない、不思議ではないか(^^)
 
 NHKの出場者の選定基準は、(1)今年の活躍、(2)世論の支持、(3)番組の企画・演出、ということらしいが、私が初めて聞く出場者って、私以外の「世論」の支持を得ている、ということなんだろうねぇ。

 さて、昭和39年に戻る。第15回ということで、特別企画による出演者もいたようだ。
15回目を記念して、創世記の紅白の看板歌手である藤山一郎、淡谷のり子、渡辺はま子、伊藤久男が再出場し、それぞれ自身の代表曲である「長崎の鐘」(藤山)、「桑港のチャイナ街」(渡辺)、「別れのブルース」(淡谷)、「イヨマンテの夜」(伊藤)を披露した。藤山の「長崎の鐘」の際には、当時の若手「四天王」である橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦、三田明がコーラスを担当し、同曲を盛り上げた。
 なんとも懐かしい名前が並ぶ。

 
 次に審査員の顔ぶれ。
長沢泰治・NHK芸能局長
大林清(作家)
北葉山英俊(大相撲・大関)
林与一(俳優。この年の大河ドラマ『赤穂浪士』の堀田隼人役)
古賀忠道(恩賜上野動物園初代園長)
春風亭柳橋(落語家)
岩下志麻(女優)
司葉子(女優)
長谷川町子(漫画家)
林美智子(女優。この年の連続テレビ小説『うず潮』のヒロイン・林フミ子役)
吉屋信子(作家)
坂井ゆき子(東京オリンピック開会式の聖火リレー最終ランナー坂井義則の母)
地方審査員のみなさん16名
 
 おや、柳橋が入っている。なぜかは、分からない。
 地方審査員は、かすかな記憶だが、何世帯かの家族が審査員を任せられたのではなかろうか。
 応募制だったのかどうかは、記憶にないなぁ。

 聖火リレー最終ランナーの坂井義則さんは昨年亡くなられたが、ランナーとして選ばれた理由は、昭和20年の8月6日、原爆投下の日に広島で生まれたことだった、という話は、結構知らない人も多いのではなかろうか。
 あれから、日本はオリンピックができるまで復興しました、という象徴でもあったわけだ。しかし、2020年の五輪で、3.11や原発事故の被災者などが聖火リレーで選ばれるだろうか・・・・・・。
 オリンピックどころではない状況が、まだ続いているだろうし、オリンピックのせいで、復興が遅れ、もろもろの費用がかさむという構造になっているのではないか。

 さて、昭和39年、出場者たちと曲はどうだったか。
 少し見づらいのは、ご容赦のほどを。出演順で、( )内の数字は出場回数。

     紅組                               白組
朝丘雪路(7) 夜の八丈島                  北島三郎(2) ソーラン仁義
仲宗根美樹(3) 午前0時のブルース           田辺靖雄(2) 二人の星を探そうよ
伊東ゆかり(2)・園まり(2)・中尾ミエ(3) 夢みる想い  芦野宏(10) ほゝにかゝる涙
渡辺はま子(8) 桑港のチャイナタウン           藤山一郎(9) 長崎の鐘
坂本スミ子(4) マラゲーニァ             デューク・エイセス(3) A列車で行こう
九重佑三子(初) ウェディングドレス            三田明(初) ごめんねチコちゃん
畠山みどり(2) 浮世街道                   春日八郎(10) ロザリオの島
岸洋子(初) 夜明けのうた                  立川澄人(2) オー・ソレ・ミオ
梓みちよ(2) リンデンバウムの歌       ボニー・ジャックス(2) 幸せなら手をたたこう
二代目コロムビア・ローズ(初) 智恵子抄         克美しげる(初) さすらい
西田佐知子(4) 東京ブルース               アイ・ジョージ(5) 紅子のバラード
こまどり姉妹(4) 女の恋                 新川二朗(初) 東京の灯よいつまでも
島倉千代子(8) ふたりだけの太陽             村田英雄(4) 皆の衆
江利チエミ(12) 木曽節                    三橋美智也(9) また来るよ
ペギー葉山(11) ラ・ノビア                  フランク永井(8) 大阪ぐらし
弘田三枝子(3) アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド      植木等(3) だまって俺について来い
青山和子(初) 愛と死をみつめて              西郷輝彦(初) 十七才のこの胸に
倍賞千恵子(2) 瞳とじれば                  舟木一夫(2) 右衛門七討入り
淡谷のり子(9) 別れのブルース               伊藤久男(11) イヨマンテの夜
五月みどり(3) 温泉芸者               和田弘とマヒナ・スターズ(6) お座敷小唄
越路吹雪(10) サン・トワ・マミー              森繁久彌(6) 戦友
雪村いづみ(7) ショウほどすてきな商売はない     ダーク・ダックス(7) アンジェリータ
吉永小百合(3) 瀬戸のうず潮                 橋幸夫(5) 恋をするなら
ザ・ピーナッツ(6) ウナ・セラ・ディ東京            坂本九(4) サヨナラ東京
美空ひばり(9) 柔                         三波春夫(7) 俵星玄蕃

 北島三郎が二回目の出場で、トップバッターだったんだ。

 新川二朗の「東京の灯よいつまでも」は、結構、印象が残っているなぁ。好きな歌だ。
 060.gif雨の外苑、夜霧の日比谷~、だね。
 曲のイメージは、井沢八郎の「ああ上野駅」に近くて、連想するのは、上京、出稼ぎ、集団就職、などの言葉。
 三橋美智也の「哀愁列車」も、同じような範疇に入るだろう。

 映像のイメージは、「三丁目の夕日」だなぁ。


 青山和子の「愛と死を見つめて」を、しみじみを聴いたのことは、結構鮮明に覚えている。
 あの年にテレビドラマにもなったし、映画化もされたことは、田舎の小学生だって、知っていた。

 デューク・エイセス、ボニー・ジャックス、ダーク・ダックスといった男性ボーカルグループも、懐かしい。

 デュークの曲もそうだが、ジャズなど洋楽の名曲も結構あるねぇ。

 白組のトリは、落語愛好家にはお馴染み(?)、三波春夫「俵星玄蕃」。

 紅組は、美空ひばりの「柔」。

 このトリ二曲、なんとも重厚。

 ノスタルジーに浸るが、やはり、昔の曲は良い!

 昭和39年とほぼ50年後の今日では、流行歌の変遷、音楽業界の変貌、テレビを取り巻くメディア環境の違い、など様々な環境の違いがある。

 その違いを百も承知で言うのなら、昭和39年の紅白の顔ぶれには、時代を経ても存在感を失わないだけの名前が並んでいるように思う。歌手の名前と曲名から、その当時を振り返ることができる。

 では、今年の若い紅白出場者について、同時代の若者が、50年後にも彼らの名前や曲を覚えている人が、果たしてどれだけいるだろうか。

 ジャニーズ系やAKB系(?)が多く出演するのは、若者の歓心を買いたいからだろうが、果たしてその効果はあるのだろうか。
 
 若者に無駄に迎合しているような気がするなぁ。

 昭和39年の第15回は、対照的な構成だ。

 その年にデビューし、ミリオンセラーを記録した都はるみを落選させ、記念企画として創世記の看板歌手を揃えた。
 
 当時の紅白は、基本的には大人を対象にしていたのだと思う。だから、大人の鑑賞に耐える内容を模索したのではないか。

 今は、テレビの前に、割合的にはもっと多くの大人がいる。しかし、聞いたこともないグループや、やたらメンバーの多い複数のグループが登場し、どのグループの曲やら区別のつかない、いわば個性のない合唱を聞かせるが、それらはテレビの前の大人の鑑賞には耐えないだろう。

 それで思い出したが、朝のドラマ「朝が来た」の主題歌「365日の紙飛行機」は、AKB48となっているが、メインで歌っているのはNMB48のメンバーらしい。どういう仕組みになっているのか、私には分からない。
 
 大晦日の大人の鑑賞、で連想する番組がある。
 紅白がもっと視聴率を取っていた頃から、裏番組で大人向け歌番組づくりに頑張ってきたのが、かつての東京12チャンネル、現在のテレビ東京の「年忘れにっぽんの歌」。
 以前は関東圏でしか見ることはできなかったが、今ではBSジャパンで全国で視聴可能。
 しかし、今年で第48回を迎える「年忘れにっぽんの歌」は、会場などの関係もあるようだが、ついに生放送ではなくなった。
 せっかく、大人が楽しめる番組なのに、録画放送では視聴者も興味がそがれるのではなかろうか。


 メディアも、視聴者も、世の中は高齢化が進んでいるのに、質量とも低年齢化する、この矛盾・・・・・・。

 昨日の出場者発表から、つい、昔を振り返って、こんなことを考えていた。

 トシだねぇ。

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by kogotokoubei | 2015-11-27 21:54 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 雨の中、久しぶりの横浜にぎわい座、それも、地下秘密倶楽部(?)のげシャーレだ。

 にぎわい座は、1月9日の白酒ばなし以来。今年最初の落語会である連雀亭初席の後に行ってから、なぜか縁がなかったなぁ。
 のげシャーレとなると、もっとご無沙汰。
 2013年4月30日の、「ハマのすけえん」以来となる。
 二年半前、前の年に一人真打昇進の後でも、まだ一之輔はこの場で独演会を行っていたんだなぁ。

 一之輔に限らず、白酒、兼好、文菊などが、この地下の独演会を経て成長していったことを、つい数年前のことなのだが、なんとも懐かしく感じる。

 今回は、小痴楽の名があったことに加え、今年のNHKで優勝した佐ん吉が出演することが、久しぶりに行く大きな動機づけとなった。佐ん吉、生では初。

 最大141席という会場は、八分ほどの入りだったろうか。

 東西三人づつ六人も出演する会、次のような順番とネタだった。
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全員登場での挨拶
春風亭昇也 『看板のピン』 
桂二乗   『短命』
三遊亭橘也 『もぐら泥』
桂佐ん吉   『佐野山』
(仲入り)
笑福亭鉄瓶 『三年目』
柳亭小痴楽 『佐々木政談』
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挨拶 (6分 *18:59~)
 この会が昨年の博多天神落語まつりでの出会いから始まり、その後、天満天神繁昌亭で開催したことなどを、鉄瓶が主に説明。
 偶然、上のホールでは鶴瓶と銀瓶の親子会を開催しており、挨拶に行くと打上げの足しにと小遣いをもらったとのこと。鉄瓶いわく「これ、必ず話すんやで」と師匠から言われたらしい(^^)
 その金額は、佐ん吉がまくらでバラすのだが、内緒にしておこう。私個人としては、鶴瓶なら当然、と思われる金額だったが、少ないとは言えない額でもある。
 この6人の中から今年のNHK(新人落語大賞本選)に二人も出場し、今や優勝した佐ん吉はスター気取り、とみんなでいじる。
 最後には、出演順も紹介された。

春風亭昇也『看板のピン』 (15分)
 神田連雀初席で聴いて以来。あの時には好楽に稽古してもらったという『庭蟹』を楽しく聴かせてくれたことを思い出す。後で夏丸が漫才上がりと言っていたが、その下地が良い方に生かされていたと思っていたが、この高座は、やや流れが悪かった。よく笑ってくれるお客さんに助けられていたが、途中での言いよどみでリズムが途切れ、この人の持ち味の軽妙なノリの良さが十分に発揮されたとは言えない。
 笑いのツボを押さえるセンスがあると思うので、今後も気にかけたい人ではある。

桂二乗『短命』 (21分)
 昨年5月、深川における師匠米二の会以来。ネタは同じ。きっと、十八番にしたいのだろう。
 まくらで大阪と東京のお客さんの違いを説明していたが、大阪の客の八割は、自分の方が高座の噺家よりおもしろいと思っている、というのが可笑しい。。
 昨年と同じ演目なので比較しやすいのだが、以前は上方の若手にしては大人しいと感じていたが、良い方に変わっていたように思う。
 “お前さん”に、十一屋の若旦那が続けて亡くなる原因を苦労しながら説明する甚兵衛さんが良かった。上方では、別嬪の十一屋の娘と結婚して半年して具合が悪くなり、夫婦揃って須磨に出養生に行く、という設定だが、甚兵衛さんが「出養生、毒も一緒に連れて行き」という川柳を口にする際の、なんとも言えない表情が楽しい。

三遊亭橘也『もぐら泥』 (18分)
 初である。円橘の弟子。挨拶では、鉄瓶から「しゃべるゴリラ」といじられていた。なかなか、しっかりした体格で、いかつい見栄え。兄弟子の萬橘(前名、きつつき)とは好対照。
 鶴瓶と銀瓶の楽屋に挨拶に行ったら、銀瓶に「あぁ、下の人たち」と言われた、とのこと。たしかに、上のホールからは下には違いない(^^)
 昼間は師匠について大月の落語会に行っていたとのことで、当地の出身者である小遊三にちなみ、泥棒ネタにしたとのこと。
 泥棒が腕をねじこんだところで、「お客さんが近いなぁ」と口走ったために、せっかく噺が始まったのに、気がそがれた。ああいう一言は、集中できていない証拠、と私は思う。
 泥棒に気付いた夫を泥棒の仲間と勘違いした女房が、「私を縛る気かい?」と聞く筋書きは初めてのように思うが、師匠譲りなのだろうか。
 泥棒に相棒がいて、それが野良犬のシロ、というのも聞いたことがないなぁ。
 この噺は、何と言っても喜多八が群を抜いているが、それは、腕が抜けなくなってからの泥棒の科白や仕草に、彼の心身の苦悩が滲み出されるからだろう。
 比較しては可愛そうだが、そういった点では、上滑りしていた印象。
 筋書きを進めることだけではなく、やはり、登場人物になりきっているかどうかが大事なのだ。

桂佐ん吉『佐野山』 (26分)
 円橘がまくらで、佐ん吉には「スター」と声をかけてくれと言っていたので、半数位の人の「スター」の声に迎えられて登場。
 NHKのことにふれ、本来落語は採点することなど出来ないもので、たとえば米朝と談志のどちらが名人かと聞いても人それぞれでしょう、と語る。彼の思いは、よく分かる。
 阪神の新監督の話題を、大阪ほど受けない中でも頑張って語った後、相撲のことへ。
 逸ノ城の目つきが誰かに似ていると思っていたら、ようやく分かった、かみさんだった、には笑った。
 上方の噺家さんでこのネタは初めて聴く。
 設定が東京とは違っており、佐野山に情けをかけ負けてやるのは、谷風ではなく、横綱小野川。小野川が近江出身ということからだろう。
 横綱小野川が千秋楽で十両の佐野山と対戦すると聞いた堂島衆が、これは女をめぐる遺恨試合だろう、などと言うやりとりも楽しかったし、相撲の場面でも熱演。流石、NHKで優勝するだけはあるという貫禄の高座だった。
 東京でこの噺は、『谷風の情け相撲』あるいは『谷風の人情相撲』の別名があり、講談にもなっている噺。だから、小野川という設定には、私がそうだったのだが、関東の落語愛好家は、やや納得しずらい面もあるかもしれない。
 本音としては、NHKで見事に縮めた『愛宕山』の長講版を聴きたかったのだが、そうはいかなかった。

笑福亭鉄瓶『三年目』 (29分)
 初である。佐ん吉とは、同期(平成13年入門)だが、年齢は鉄瓶が四つ上とのこと。後で調べたら、昭和53年生まれと昭和58年生まれなので、五つ違いだなぁ。
 佐ん吉は「まっすぐな男」で、と持ち上げておいて、鶴瓶が打上げ用にとくれた小遣いの額をバラしたことをいじったりした後、蕎麦屋の落語会での逸話。浪曲好きの主人から『竹の水仙』をリクエストされたのはいいが、その主人が・・・というまくらが可笑しくはあったが、10分を超えるまくらは長すぎた。
 本編は、これが師匠の型のようなのだが、前半は東京版『三年目』と同様に、亡くなる寸前の妻と夫の会話をしんみりと聴かせ、後半は上方の『茶漬幽霊』に則り、没後三年たって、昼間茶漬けを食べている時に、女房の幽霊が出てくる、という筋書き。
 見た目とは違う繊細さを感じた前半部分に、この人の持ち味があるのかもしれないが、後半とのメリハリに欠けたように思う。
 そのうち、上方爆笑落語も聴きたいと思わせた。印象は、悪くない。

柳亭小痴楽『佐々木政談』 (32分 *~21:35)
 繁昌亭での会の時の逸話などを短くふって本編へ。
 以前の記事で、さがみはら若手落語家選手権にこのネタで挑んだらしいが、『大工調べ』なら優勝できたのではないか、と書いたことがある。
 前言を訂正し、お詫びしなければならない。それだけ、実に素晴らしい高座だった。
 この噺で春風亭正太郎に負けたのなら、それは、その日は正太郎の日だった、としか言えないだろう。もちろん、高座を聴いていないので、どんな出来栄えだったかは分からないが、この高座に近かったのなら、この人の持ち味は十分に発揮できていたはず。
 前半の子供たちのお奉行ごっこや、お白洲から呼び出しがあってからの町役や四郎吉の父綱五郎たちの会話も、楽しく聴かせる。
 佐々木信濃守家中の三蔵が綱五郎の家にやって来た際、綱五郎が戸を開けて名を聴いてから、また戸を閉めようとする場面なども可笑しく、こういった細かな仕草などに、この人の技量の高さを感じさせる。
 そして、この噺の聴かせどころは、何と言っても、お白洲での佐々木信濃護守と四郎吉とのやりとり。
 信濃守が繰り出す難問に、頓智頓才で答える四郎吉が、なんとも結構。

 信濃守「夜空の星の数はいくつあるか?」
 四郎吉「お奉行様は、お白洲の砂利の数はいくつあるか分かりますか?
     手に取れるものでさえ数が分からないのに、手が届かない星の
     数など分かるわけがありません」
 
  これだから、落語は油断して聴いていてはいけない、という名言(^^)

 衝立の仙人の件は割愛したが、十分にこの噺の楽しさを味わわせてくれた。
 四郎吉は、可愛さと小憎らしさとが程よくないまぜになっている。これは、本人の個性でもあるかもしれないが、登場人物になりきっている、という印象だ。

 ちなみに、興津要さんの『古典落語』(続々)によると元ネタの上方落語『佐々木裁き』のサゲは次のようになっている。

 「これ、四郎吉、そちは、きょうより、余の家来じぞ」
 「いやあ、きょうからさむらいやなあ・・・・・・それで、名大将の名前ができました」
 「名大将の名前とは?」
 「あんたが佐々木さんで、おとっちゃんが高田屋綱五郎、
  わたしが四郎吉でしゃろ?あわせて佐々木四郎高綱や」
 「ふーん、佐々木四郎高綱・・・・・・とは、余が先祖じゃぞ・・・・・・
  四郎吉、そのほうも源家(げんけ)か?」
 「いいえ、わたしは、平家(平気)でおます」

 このサゲは今では通じにくいので、サゲなしで演じられることの多い噺だが、小痴楽は、「小児は白き糸のごとし」の地口で、綱五郎が「勝利は、四郎吉、意図のごとし」と頭を指してサゲた。このサゲは初めて。
 もしかすると、最近は、父親五代目柳亭痴楽の十八番を意識して演じているようなので、父親が演じていたサゲなのかもしれないが、不勉強で分からない。
 サゲはあってもなくても良いネタだと思う。

 二ツ目の域をはるかに超える見事な高座、今年のマイベスト十席候補とまではいかないが、何らかの表彰に値する高座だったので、目印として赤い色を付けておこう。


 終演後、雨の中、外の喫煙場所で一服。時計を見ると、もう十時近いのだ。
 生きのいい東西の若手の会は、なかなか充実していた。ぜひ続けてほしいと思う。
 アンケートにも書いたが、終演予定が21:00となっていたが、19:00開演で、六人である。それは無理とは思っていたが、せめて、十五分でも早めて始めてはどうかと思う。
 
 仲間から佐ん吉というチャンピオン(スターか?!)が誕生した。
 そして、小痴楽は、着実に成長しているし、他のメンバーも、将来性を感じる。

 連雀亭もご無沙汰だし、若手の落語会にもっと行かなきゃなぁと思いながら、帰路についた。

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by kogotokoubei | 2015-11-26 12:59 | 落語会 | Comments(2)

 11月23日は勤労感謝の日、というお話ではなく、旧暦で10月12日。翌13日は、日蓮の祥月命日である。
 弘安5年の10月13日(新暦1282年11月14日)に、池上の地で亡くなっている。

 あらかじめお断りしておくが、私は日蓮宗の信徒ではない。

 しかし、『甲府い』や『鰍沢』、『堀の内』といった法華信徒に関連する落語を聴くと、江戸時代の人々にとって信教が生活や自然と一体化していることに、ある意味での憧憬を感じないこともない。
 そして、宗教が、今に残る文化をも形成してきたことも実に重要なことだと思う。

 日蓮宗では10月13日を中心にいろいろな行事があるのだが、今ではほとんど新暦で行われている。
 電車で、「お会式(おえしき)」のために特別ダイヤになる、という車内放送をお聞きになったことのある方もいらっしゃるかと思う。

 「お会式ネット」というサイトがあり、「お会式」について、次のような説明がある。
「お会式ネット」の該当ページ

 お会式(おえしき)とは日蓮聖人のご命日である10月13日を中心に行われる法要のことで、御命講、御影講ともいいます。

 日蓮聖人御入滅の霊跡である池上本門寺では、12日の御逮夜に万灯練供養(万灯行列)が行われます。 100を超える各地の万灯講中が練り歩き、池上の町は深夜まで万灯の灯りとお題目に包まれます。その様子は古くから秋の風物詩として名高く、安藤広重の名所江戸百景などの浮世絵にも当時の賑わいを知ることができます。また、俳句では「御会式(お会式)」「御命講」「御影講」は秋の季語とされ、かの松尾芭蕉の俳句も残っています。

 旧暦10月なら、暦では冬なのだが、「御会式」関係の言葉は秋の季語なんだね。

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 先日、柳家小満んの会で『甲府い』を聴いてから、野村無名庵の『落語通談』を開いてみた。
 『落語通談』は昭和18年に高松書房より単行本が発行され、中公文庫で昭和57年に再刊された本。

  この噺の章に、次のような内容があった。
 この「甲府イ」が、落語を主題とした紙芝居となり、画劇報国社で製作したのを参観したが、「甲府イ」だけでは変化に乏しいとあって、後半に「鰍沢」がついていた。「鰍沢」は御承知のごとく、身延へ参詣した帰り道の旅人が、雪の中で道に迷い、山奥の一つ家で宿を求めると、この隠れ家の主人は熊の膏薬を売る伝三郎、女房は以前吉原にいた月の輪お熊という悪婆だったから、この旅人の持金に目をつけ、玉子酒へシビレ薬を混ぜて飲ませる。その残りを伝三郎が誤って飲み、苦悶し始めるのでお熊は狼狽。奥に寝ていた旅人は驚いて起き上がろうとしたが、毒が全身に廻っていて動けない。ちょうど七面山で頂いて来た毒消の御符を思い出し、あわててこれを飲み込むと、いくらか身体の自由を得た。ヤレ嬉しやと壁の破れから逃げ出したが、それと心づいたお熊は雪の夜道を、鉄砲さげて追って来る。旅人は絶体絶命の絶壁から、身を躍して鰍沢へ飛び込んだが、幸いにも筏の上へ落ちて九死に一生を得た。「これも日頃信ずるお祖師様の御利益、一本のお題目(材木)で助かった」というサゲ。これが毒消に鉄砲、玉子酒という三題を、即席にまとめた三題ばなしとは思われぬほど、実によく出来た筋であるが、この趣向を「甲府イ」の後半へ付け、善吉夫婦が道に迷って悪者夫婦の一つ家へ泊り、すでに殺されようとするのを鰍沢へ飛び込んで助かるという事になっていた。なるほどこうすれば連絡もつく。
 なおこの「甲府イ」と同種類の、すなわち、神祇釈教を扱った落語としては「神楽茶碗」「稲荷車」「義竜」「後生うなぎ」「こんにゃく問答」「小言念仏」「杵夫婦」「不精代参」「お血脈」「万金丹」「なす娘」等がある。

 法華のネタつながりで『甲府い』と『鰍沢』を組合せるとは、この紙芝居作家、なかなかやるものである。

 この組合せ、ぜひ現役の噺家さんも、法華信徒ではなかろうと、挑戦してもらいたいものだ。

 それにしても、最後の野村無名庵があげたネタの中に、知らない噺が多い。ぜひ、誰かに発掘して欲しいと思う。
 「なす娘」などは、扇橋一門が継承してくれているからこそ聴くことができるということに、感謝すべきなのだろうなぁ。

 富士山や大山など自然への信仰、お稲荷さんや天神様、八幡様にお不動様なども含め、江戸の人々にとって信仰は日常生活と深く密着したものであったのだろう。
 それは心の支えであり、季節の移り変わりを知る行事となっていたことを、落語は教えてくれる。

 七五三での神社の賑わいはあるが、では日常において、今の日本人は何を心の支えとし、何に祈りを捧げているのだろうか、なんてことも思ってしまう。

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by kogotokoubei | 2015-11-23 11:40 | 落語のネタ | Comments(0)
 昨夜の「プレミア12」準決勝の日本チームの敗戦に関し、メディアは、小久保監督の継投策失敗を批判、非難する記事で溢れている。

 たしかに、他の選択肢はあっただろう。

 しかし、結果だけを見て好き放題語るだけでは、素人の居酒屋談義の域を出ない。

 昨夜の失敗をあげつらうことは簡単だ。
 
 しかし、もし、則本が九回も抑えていたら、メディアは、監督の采配を褒めるのではないか・・・・・・。
 大谷を8回以降も引っ張って、もし打たれていたら、必ず批判する人がいるだろう。

 監督、コーチなどのスタッフの反省点もあるだろうし、実際に試合を戦っている選手たちには、大きな経験になった、と前向きにとらえるべきだろう。

 元来、スポーツは、ほんの些細なことが勝負の分かれ道となる。
 また、「勝利の女神」は、結構、気紛れだ。

 テニスにおいてマッチポイントからの逆転なども、そんな珍しいことではない。
 
 小久保の初の監督としての采配は、そんなに酷かったのか?

 私は、素人ながらテレビで見た限り、監督経験のない人としては、プエルトリコ戦までの小久保監督の采配は、結構評価できると思う。
 少なくとも山本浩二や田淵が監督をしている時より、安心して観ることができた(^^)


 オリンピック種目から外れた今、野球のワールドカップと言えるのは、WBCと言わざるを得ない。
 プレミア12のアメリカ選手は、MLBの3A以下(マイナー)が中心。

 昨夜の敗戦は、2017年のWBCを戦うための糧としなくてはならないと思う。

 そんなことを考えると、プレミア12とWBCとの違いや、今年初開催のプレミア12の目的や意義は何か、ということに思いが至った。

 勝ち負けのことで大騒ぎしているが、メディアは、大会そのものについての情報発信が不足しているように思う。

 プレミア12とWBCの違いについて、どれだけの野球ファンが知っているのだろうか疑問だ。

 おせっかいながらも、分かりやすい説明をしている記事を見つけたので紹介したい。
 日経BP「BizCOLLEGE」のサイトの青島健太 “オヤジ目線”の社会学の11月9日の記事、“「プレミア12」とWBCの違いを理解していますか?”から引用。

日経BP「BizCOLLEGE」の該当記事

 断片的に引用するが、プレミア12の背景やWBCとの違いなどが分かるはず。

元はアマチュアの世界一を決める大会だった

 先にはじまったWBC(2005年から)が、野球のおもしろさをアピールしプロモーション(宣伝・広告)に重きがある大会ならば、「プレミア12」は野球の普及と振興に軸足を置いた大会だと言えるだろう。

 WBCは、開催をメジャーリーグ開幕前の春に限定し、メジャーリーガーたちを各国代表に振り分けて、シーズン前のプレイベントのような形で開催される。
 その運営はメジャーリーガーの組織であり、収益の分配率なども詳細に決められていてビジネス的側面も強い大会となっている。準決勝、決勝がアメリカ国内で行われるのも、選手たちの負担を考慮し、直後にはじまるメジャーリーグのシーズンに配慮しているからだ。

 一方「プレミア12」は、野球シーズンの最後を飾る秋に行われることに、特徴と背景が表れている。元々この大会は、アマチュアの世界一を決める大会で、他のスポーツ同様、野球の「世界選手権」として行われてきた。

 プレミア12は、もともとアマチュア野球国別世界一決定戦だった、ということを知っておくことは重要。

 WBSC(World Baseball Softball Confederation)の前身は、IBAF(International Baseball Federation)で、IBAF主催の世界大会には、日本はアマチュア選手でチームを組んで出場していた。

 IBAFの大会が開催されている時期も、野球世界一決定戦は、やはりオリンピックと見られていた。
 かつて日本生命のエースだった杉浦正則は、「ミスターアマ野球」と言われ、オリンピックで5勝の最多勝利記録を持つ。何度もプロから誘われたが、結局プロの世界に入らなかった。そんな選手も、少なからずいたのが、アマチュア球界。

 オリンピックやIBAF世界大会では、キューバが強かったねぇ。
 では、なぜIBAFのアマチュア世界大会が、プレミア12と変貌を遂げたのか・・・・・・。

 最大の問題は、それまで五輪種目ということで支給されていたIOC(国際オリンピック委員会)からの助成金のカットである。WBCがはじまっても、その収益がアマチュアを統括するWBSCに回ってくることはない。

 ソフトボールと一緒になって五輪への復帰を目指すWBSCは、その財源に苦しむことになったのだ。そこではじまったのが「プレミア12」である。

 ただ、この大会の開催に関しては、WBCとの力関係を物語るストーリーがある。財政難に陥ったWBSCは、WBCを運営する機構から援助を仰ぎ、その代わりにWBCをWBSCが認める世界最高峰の大会と位置付けたのだ。つまり歴史を誇った世界選手権の権威をWBCに譲る形になったのだ。その結果、世界の野球界の位置付けで言えば、最高峰がWBC、その次に「プレミア12」という序列になっているのだ。
 IBAFの時は、MLBと一線を画してきた。
 しかし、野球、ソフトボールがオリンピックの種目から除外され財政的に厳しくなったことが、MLBへの歩み寄りとプレミア12の開催につながった、ということ。

 「プレミア12」には、世界の野球振興と普及に大きな使命がある。この大会への出場に、あらゆる世代(フル代表、U21、U18、U15、U12)の国際大会の成績が反映されているのもそのためだ。WBSCはこうした総合成績を「野球国力」と称し、これをランキング化して出場12カ国を選んでいる。つまり、「プレミア12」の盛り上がりと収益は、野球とソフトボールの普及振興、五輪への復帰活動に当てられることなるのだ。 

 その意味で、はじまったこの大会を頓挫させるわけにはいかない。サムライ・ジャパンでコーチを務める鹿取義隆氏(投手コーチ)や仁志敏久氏(内野守備・走塁コーチ)は、それぞれU15やU12の監督も務めている。そうした世代の成績も反映されて、日本はこの大会にランキング1位で出場している。

 プロもアマチュアも一体となって日本の野球力を高める。そして、その総力で日本の野球が世界に君臨する。そうした理想が、この「プレミア12」への取り組みに込められている。

 勝敗だけでなく、ゲームの内容や大会の盛り上がりにも注目する。
 また選手&指導者、大会関係者、メディア等においても国際交流を大いに図るべきである。

 青島健太が言うように、勝ち負けの結果のみならず、野球、ソフトボールの普及、オリンピック競技種目への復活などのために、関係者は交流を深めることも大事だろう。

 それも、近くて遠いアジアの国の人々をの交流を一層深めることも、重要ではなかろうか。

 王貞治を国の英雄と尊敬する台湾でも開催された。
 スタンドは大入りとは言えなかったが、多くの台湾の方が日本に声援を送ってくれた。

 そして、日本で開催される決勝に、韓国が進出するのだ。
 もう一つの準決勝は、アメリカがメキシコをリードしている。

 ぜひ、日本の野球ファンもお隣の韓国を応援して優勝してもらおうじゃないか。
 
 そういうアジア同胞との親睦を深めることも、プレミア12開催の副次的な効果ではないかと思う。

 自国の勝ち負けのみに拘泥していては、スポーツの楽しみ方は半減するだろう。

 ラグビーワールドカップで、あれだけ多くの海外のラグビーファンが、日本を応援し、讃えてくれたことを思い出したい。

 日頃の鍛錬がもたらす鮮やかなプレーや、真剣かつ真摯に試合に臨む態度や行動などは、スポーツを愛する誰もが楽しみ、賛美することができるはずだ。

 野球もサッカーも、そして五郎丸フィーバーが過剰なラグビーも含め、目の前の勝敗や監督、選手への短絡的な情報が溢れる中、本寸法のスポーツファンとは何か、を考えてしまうのだ。

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by kogotokoubei | 2015-11-20 21:21 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
 雨の中、関内へ。

 たしか、前回九月も開演時点では雨だったような。

 なんと通算で百三十回目とのこと。

 ロビーで開口一番のモニターを見ながら、近くのコンビニで買ったおにぎりを食べるのは、この会の私の“ルーティン”だ。
 三遊亭わん丈が『初天神』を演っている。なかなか良い感じの語り口。 
 小満んが一席目のまくらで、来春二ツ目に昇進することを紹介した上で、しっかりした高座、と褒めていた。同感だ。
 二年前の中野で行われた喜多八・三三の二人会でわん丈が開口一番を務めた後、三三が「あの円丈一門に、ああいう人がいるんですねぇ・・・柳家にトレードしたい位」と言っていたが、結構本音だと思った(^^)

 わん丈がさげてから会場入り。
 四割、入っていたかなぁ・・・という寂しい空間。

 事前に落語協会の落語会情報を確認したが、この会は載っていなかった。あえて掲載の申請をしていなかったのかもしれない。年間会員中心のこじんまりとした会で良い、と小満んは思っているのかもしれない。
 しかし、関内ホールの公演情報にも事前に掲載されていなかったのは、ホール側の責任だろう。小ホールは、264席。七割から八割くらいは入っても、まったくおかしくない独演会である。

 もっと多くの落語愛好家に聴いてもらいたい、とあらためて思わせた小満んの三席について、順番に感想などを記したい。

柳家小満ん『猫の皿』 (18分 *18:49~)
 地方を回って、旧家などの物置などにある焼き物の逸品を探して歩く「はた(端、あるいは、果)師」のことを説明。
 「はた師」の言葉の由来には、安くハタくからというのと、旅で旅籠に泊まり歩くから、などがあるという話はためになるねぇ。
 この高座の素晴らしかった点の一つ目は、掛け茶屋のある場所が高台で、そこから下に流れる利根川の船着き場が見える、という噺の舞台の情景を聴く者の脳裏にしっかりと浮かばせたところ。この「高低」の見せ方、なかなか秀逸だと思う。端師が「一服しながら下を眺めていれば、そろそろ船が着く頃か、と降りて行ける」と言わせるが、高座に茶屋が立体的に浮かび上がった。
 もう一つ印象深かったのが、端師が高麗の梅鉢をなんとか手にせんと思い、猫を可愛がる場面。猫を「チュッチュッチュッッ」と呼び寄せ、茶屋の主がその汚さに「雑巾猫」と言い、毛が落ちるし汚れるから、と止めるのも聞かずに懐にまで猫を入れる。このへんの端師の努力(?)があるから、茶屋の主が皿のことを知っていて譲らないことを知った後の、「おらぁ、猫嫌いなんだ」「あっちへ行け」と懐から出そうとして爪でひっかかれる場面の可笑しさが際立つ。
 この皿の由来について、茶屋の主が、「昔はひと盛りあったが、火事で焼きだされる時、この皿だけ持って飛び出した」、と語るのは、初めて聴くように思う。
 事前に志ん朝の東横の音源を確認していたが、そういった回顧談は出てこない。
 サゲ前の端師の行動からは、猫に引っかかれたこともあり、「こんな猫はいらねぇから三両返せ」とでも言いかねない余韻があった。小満んも、あえてそう演出したのかもしれない。
 なぜなら、三両は決してはした金ではない。
 茶屋の主は皿の価値を知らないだろうから、猫と一緒にだまし取ろう、というのが端師の魂胆なのだから、皿が手に入らないのに、三両で猫を買うような無駄遣いは、しないだろう。
 また、この噺で思う疑問として、茶屋の主が、確信犯で高価な皿で猫に餌を食べさせていたのか・・・・・・。捨て値でも二~三百両、という価値を知ってるのだ。盗まれるかも、しれないのにねぇ。
 高台にある茶屋や下の船着き場の光景がはっきりと見え、端師の前半の“猫っ可愛いがり”が楽しかった高座、実に結構だった。
 帰宅後、興津要さんの『古典落語』(大尾)を開いたら、『ねこの茶わん』として4ページほどの短いネタが掲載されていた。
 巻末で、原話は滝亭鯉丈の滑稽本『大山道中栗毛後駿馬(くりげのしりうま)』にあり、「これといってストーリーのない、まことに淡々とした小品」と解説。
 その後に、古今亭志ん生が、茶屋に腰かけた道具屋に、茶屋からの眺めが良いこと、川の水がきれいでめだかや蛙がいる様子をつぶやかせる場面を設定し、「あざやかな田園描写をみせていたのが印象的だった」と興津さんは書いている。
 小満んの高座にも、淡々とした小品に田園描写を加えた志ん生の精神が生きていたなぁ、と思った。
 元々短い噺を、噺家が情景描写や茶屋の主の造形などの工夫で膨らませてきたネタだろうから、上述したような疑問を感じたり、変な理屈をこね回してはいけないなぁ、と反省。

柳家小満ん『甲府い』 (23分)
 いったん下がってから、再登場。
 「一声や三声はかけぬ、玉子売り」と、玉子売りの売り声のことから、豆腐屋の売り声のことへ。その昔は自転車とラッパだったが、江戸の昔は、と「豆腐ぃ~、生揚げがんもどき」と聞かせてくれる。舞台となる豆腐屋は、胡麻入りのがんもどきが名物なので、「豆腐ぃ~、胡麻入りがんもどき」と売り声をかける。この売り声は、サゲにつながるから大事。
 このへんの無駄のないまくら、ぜひ若手は参考にして欲しいなぁ。ネタと関係のない、決して客が聞きたくもない個人的な話題をまくらでふる噺家が、昨今は多すぎる。
 事前に、この噺で好きな八代目春風亭柳枝の音源を聴いていた。結構、小満んの設定との違いがある。
 大きな違いは、登場人物が全員良い人、という噺ではあるが、小満んが描く豆腐屋の主は、若干、強面だ。しかし、主人が女房とのなれ初めを語ることで、この造形に合点がいった。
 善吉が、あまりに腹がすいて、店のおからに手を出したことについて、店の若い者である金公に「お前は、そういうひもじさを知らないだろうが、私にはわかる」と、自らの体験を回顧する。
 主人と女房は駆け落ち同然で一緒になり、何も食べずひもじい思いをし、とある家の前で座り込んでいたら、「どうした」と声をかけられた。「実は腹が・・・」の後、減っているとは言えず、「痛いもので」と答えた。家の人が「それは大変、今、丸薬を持ってきましょう」と奥に引っ込んで、「あたなたの腹痛には、この丸薬が効くでしょう」と、にぎり飯を恵んでもらったことが忘れられない、ということが語られる。
 駆け落ちまでする男であり、無一文から一軒の豆腐屋を開いて今では繁盛させているのだ、優しいだけではない、ということだろう。
 主人が女房のことを、「昔はおつな女だったが、今じゃ干しぶどう」と語るのが、可笑しかった。
 善吉が江戸に出る際に身延山に願掛けをしたが、柳枝では三年だったが、小満んは十年。人によって五年というのもあるね。
 身延山へのお礼詣り、願ほどきは、柳枝の音源では、主人が「仕事ばかりではなく、たまには息抜きも」と声をかけて、それではと善吉が答える型だが、あらかじめ善吉とお花夫婦が相談して隠居部屋に報告に来る、という設定だった。違和感はない。
 最初の師匠である文楽も持ちネタにあったようなので、主人の回顧談があることなども含め文楽の型なのかもしれないが、あいにく音源を持っていないので確認はできない。
 柳枝のような優しさたっぷりの柔和な主人も悪くないが、小満んらしさも活きたやや強面の主人を含め、楽しく心地よく聴くことができた高座。

 さて、ここで仲入り。

柳家小満ん『試し酒』 (30分 *~20:13)
 トリネタは、二人目の師匠小さんの十八番。
 「白玉の歯にしみとほる秋の夜の 酒はしづかに飲むべかりけり」と、一日一升の酒を飲んでいたといわれる若山牧水の有名な歌から、酒仙と言われた李白の逸話につなぐ。玄宗皇帝との出会いなど。このあたりは、小満ん落語の真骨頂。
 小満ん自身が、他人が酒三升を飲むのを見たことがある、という話も披露された。
 その大酒飲みの方に言わせると「おへそが浮くようにならないと、本物の酒飲みとは言えない」とのこと。これは、肝臓を悪くして腹水がたまった状態のようなので、とても本物の酒飲みになりたいとは思わない(^^)
 近江屋の飯炊き清造が、主人の賭けのために、一升入る大盃で一杯づつ五升の酒を飲む有り様が、なんとも見事。
 最初の一升は、一気。「クーン、クーン、クーン」と飲む擬音は、先日末広亭で寿輔が『親子酒』で見せた「ク~ッ、ク~ッ、ク~ッ」とは趣が違うが、ともに酒の飲み方を演じる双璧と言えるのではなかろうか。
 二杯目は、三口ほどで一休み。「いい酒だねぇ。こんないい酒を毎日飲んでおるだか」と言って、自分の主人に向かって「旦さん、こないだうちで飲んだ酒、ありゃよくねえぞ」の一言で、私も含め会場大爆笑。
 清造は、酒をつくったのは中国の儀狄という人だ、と薀蓄もたれ、絶好調。
 さて、三杯目。途中で息をつぎ、「おらの国は丹波だ。酒呑童子が親戚だ・・・嘘だよ」で、主人や客席を煙に巻き、都々逸もいくつか披露する。
 「明けの鐘 ごんと鳴るころ 三日月形の 櫛が落ちてる 四畳半、なんてね・・・どういう意味か知らねぇけど」の、間の良い科白が、実に可笑しい。
 「酒は米の水 水戸は丸に水 意見する奴ぁ向こう見ず」なんてぇのも飛び出す楽しさ。
 主人と相手が昔の大食い大会のことなどを話している間に四杯目を飲み干す。
 最後の五杯目も、一気だ。

 見ているこっちが、少し酔っぱらった高座、今年のマイベスト十席候補とすることをためらわない。「う~ぃ」

 九月の会は、やや声の調子が万全ではなかったように思うし、言いよどみも多かったように思うが、この日は、三席とも、実に結構。
 
 終演後は、我らがリーダー佐平次さんと関内のいつものお店で居残りだ。
 なんと、お通しが、おから。まるで、この日の小満んの演目を知っていたかのようではないか(^^)
 カワハギの刺身、白魚のぽん酢、信州牛のステーキと大ぶりの牡蠣の組合せ、自家製の千枚漬け、などなど珠玉の肴と熱燗で、久しぶりの居残りは実に楽しかった。
 小満んの会は、お開きの時間は程よいのだが、帰宅は日付変更線を越える寸前であった。
 
 会場のロビーで、支払は後で良いとのことで、年会員に来年の会員証を配っていた。
 来年は六回で一万円。一回分が無料になる勘定だ。
 持ち合わせが少なかったため、次回、一月にお支払いするつもりで、会員証をいただいた。

 その次回は、一月十九日(火)の開催で、ネタが『城木屋』『厩火事』『御慶』と案内されている。

 二人の師匠の、それぞれの十八番を、正月も楽しむことができそうだ。
 

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by kogotokoubei | 2015-11-19 12:54 | 落語会 | Comments(4)
 ミュージックテイトから届いたダイレクト・メールで知ったのだが、明日11月18日、ユニバーサル・ミュージックから、「決定版!!NHK落語名人選」が発売される。

 とはいえ、「NHK落語名人選」として以前から発売していた音源を安く再販することも含む企画なので、自分がすでに持っているものを再び買わないよう注意が必要だ。

 118席を100枚のCDに収め、一枚づつ千円(税抜き)でバラ売りもするし、100枚まとめたBOXでも発売するようだ。
 BOXについては、ユニバーサルのサイトで次のように案内されている。
「ユニバーサル・ミュージック」サイトの該当ページ。
「NHK落語名人選100」の100タイトル全てを素敵なBOXに収納し、豪華特典と一緒にしてCD100枚分と同価格でお届けする超お得セットも在ります。
初回限定商品 POCS-25901 ¥100,000(税抜)
「NHK落語名人選100」BOX
※数に限りがありますので、必ずお近くのCDショップでご確認の上、お早めにご予約ください。

 同サイトによると、次の噺家さんの演目を含んだシリーズ。(現役を含む)

九代目 入船亭扇橋・桂歌丸・古今亭志ん輔・五代目 古今亭今輔・五代目 古今亭志ん生・五代目 三遊亭円楽・五代目 春風亭柳昇・五代目 春風亭柳朝・五代目 柳家小さん・三代目 桂三木助・三代目 桂文朝・三代目 三遊亭金馬・三代目 三遊亭遊三・三代目 三遊亭圓歌・三代目 柳家権太楼・三代目 柳家小満ん・四代目 桂米丸・四代目 三遊亭金馬・四代目 三遊亭圓遊・四代目 春風亭柳好・四代目 柳亭市馬・十代目 金原亭馬生・十代目 桂文治・十代目 柳家小三治・十代目 鈴々舎馬風・初代 桂小文治・初代 三笑亭夢楽・初代 林家三平・二代目 桂小南・二代目 三遊亭円歌・二代目 三遊亭小遊三・八代目 橘家圓蔵・八代目 三笑亭可楽・八代目 雷門助六・八代目 林家正蔵・柳家さん喬・林家木久扇・六代目 五街道雲助・六代目 春風亭柳橋

 志ん朝や談志、文楽、圓生などの名は見当たらないが、なかなかの顔ぶれだと思う。

 ミュージックテイトのサイトにも、拙ブログ10月2日の記事(2015年10月2日のブログ)でご紹介した古今亭志ん朝のCDとDVDのセット「志ん朝 三十四席」や「落語CDブック 人形町末広 圓生独演会」などと同じページで紹介されている。

 今回初CD化の演目などを含め、同サイトから引用。
「ミュージックテイト」サイトの該当ページ


NHK落語名人選100

・NHKが保有する落語音源のなかから、古典落語の名作をピックアップし39の演者による118演目を100枚のCDに納めました(今までのPOCNシリーズの出し直しになります)
・CD1枚価格は税抜千円!収録時間は30分弱とコンパクトにし、1席または2席分を収録。
・初CD化の21演目を含め、まさに、落語CDの決定盤です。
・演者紹介、演目解説付
初CD化商品
〇二代目三遊亭圓歌「社長の電話」 〇五代目古今亭今輔「ねぎまの殿様」
〇六代目春風亭柳橋「時そば・青菜」 〇初代林家三平「源平盛衰記」
〇四代目三遊亭圓遊「七福神・浮世床」 〇四代目春風亭柳好「味噌蔵」
〇五代目柳家小さん「宿屋の富」 〇五代目柳家小さん「粗忽の使者」
〇五代目柳家小さん「たぬき」 〇四代目三遊亭金馬「池田大助」
〇柳家小満ん「寝床」 〇柳家小満ん「盃の殿様」 
〇六代目五街道雲助「お見立て」 〇六代目五街道雲助「文違い」 
〇柳家さん喬「福禄寿」 〇柳家さん喬「幾代餅」 
〇古今亭志ん輔「佐々木政談」 〇古今亭志ん輔「猫忠」 
〇四代目柳亭市馬「花見の仇討」

 東京落語会での高座が中心で、その多くは「日本の話芸」で放送されたものだろう。

 初代夢楽や四代目圓遊、初代小文治などの音源は持っていないので、バラ売りはありがたい。

 そう思うと、先日の記事で書いたことの繰り返しになるが、「志ん朝 三十四席」だって、バラ売りはできないにしても、CDだけでも販売して欲しいものだ。

 それとも、十年後に、半額になるのか・・・・・・。
 ならないだろうなぁ。

 NHKが、その販売形態はともかく、落語の貴重な財産である東京落語会の音源を中心に、積極的に市場に投入し始めた。

 こちらは、相手の商売上手に負けず、持っている音源を確認し、買い物上手になりたいものだ。

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by kogotokoubei | 2015-11-17 21:41 | 落語のCD | Comments(0)
 先週土日と一泊二日で京都での同期会。

 還暦過ぎの男女の同期会のことや、宴会における余興の落語の顛末などについて、備忘録代わりに記しておきたい。

 宿泊地は、京都市内中心部にある、江戸時代天保年間創業という、老舗の日本旅館。
 幹事に感謝。
 紅葉の時期でどこもいっぱいなのに、よくぞ確保できたものだ。

 あいにくの雨ではあったが、土曜午後からの企画は予定通りに自分たちが卒業した大学キャンパスのツアー。
 一年先輩が母校に勤めている関係での企画。
 在学時代にも何かとお世話になったこの先輩は、宿泊はしなかったものの、旅館での夕食、二次会にも特別参加。

 先に同じ学校法人の女子大の校舎を、現役の女子大生に案内していただいた。
 新築中や改装中の校舎も多かったが、その中に明治時代の古い由緒ある校舎も残っていて、新旧混在した有り様は、なんとも不思議な印象を与える。
 その後、大学のキャンパスに移り、先輩自らが、詳しくツアーガイド役を務めてくれた。改装費用の額に、やや驚く。

 四十年前に通っていた、あの古かった校舎はどこも綺麗に改装され、アスファルトだった地面は、すべて煉瓦敷きに改装されていた。
 新たに出来た校舎のコンピュータールームなどの最新設備などは、ホテル並みかそれ以上、という印象。

 ここまでするか、との思いもないではなかった。
 しかし、オープンキャンパスなどで親子して大学を訪れて志望校を決めたりするようだし、大学のブランド力の戦いも過酷なのだろう。
 しかし、ハードウェアである建物も大事なのだろうが、果たして建学の精神など、ソフトウェアの方が今はいかがなものなのだろうか、などど思いながら歩いていた。 

 さて、キャンパスツアーも無事終了し、旅館へ。

 ひとっ風呂浴びてから、宴会場へ。

 宿泊者は男が六名、女性陣が四名計十名なのだが、宴会場での夕食には、宿泊しない人が先輩を含め四名いるので、総勢十四名。

 この宴会場には、立派な舞台があるのだった。高さは1メートル位ある。

 幹事の説明によると、旅館での夕食後の二次会用に、生バンドによるオールディーズの演奏のあるお店(“K”が頭文字)を予約しているとのこと。
 宿泊しない四名は、その二次会でお別れとなる。

 いつもは、宿の一室に集まっての会話の隙間で、私の下手な落語をご披露するのだが、このスケジュールで考えた。

 二次会の後に帰る四名にも、せっかくなので(?)落語を聴いてもらいたいし、立派な舞台もある。

 幹事と相談して、夕食の時間で一席披露することにした。六時から始まった、懐石料理コースに二時間飲み放題セットをオプションで加えた夕食。ほぼ料理も出そろって、あちらこちらで数名づつの輪が出来て会話が盛り上がっている最中の七時半頃、舞台に座布団を敷き、旅行では欠かせない携帯音楽プレーヤー用小型スピーカーで出囃子「一丁入り」をかけ、高座に登場。

 さて、ネタは・・・・・・。

 古典と新作を一席づつと想定していたが、古典は、前座噺の中で今まで演じていなかった『子ほめ』(談志の音源が元)にしようか、『藪入り』(三代目金馬が元)にしようか、決めかねていた。

 稽古は『子ほめ』の方を中心にしていたが、新幹線の中で、『藪入り』を二度聴き、なんとか出来そうな感触だったので、この噺に決めた。

 さて、その高座はどうだったのか・・・・・・。

 舞台は、結構高い。客席(?)まで、少し距離がある。
 これまでの、至近距離での高座とは、まったく勝手が違うのである。
 会場全体が見えすぎてしまう、というのもあまり良くないねぇ。
 まだ会話が続いている人の輪もあり、ざわついている様子が一目で分かる。

 話し始めると、ざわつきも収まり皆よく聴いてくれたが、皆、久しぶりに話したいことは、山ほどあるだろう。
 心の中で、「長講はまずいな、なんとか縮めて早めに切り上げなければ」と思ったものの、素人の赤坂見附(?)で、少し焦りが出た。
 明治の昔は、義務教育などなく、可愛い子には旅をさせろ、ということで奉公に出した。今では、「忠孝」という言葉はほとんど死語になっているが、主人への「忠(義)」、親への「孝(行)」ということが大事だと言われていた頃のお噺で・・・という私なりに追加した内容もまくらで説明したところまでは良かったのだが・・・サゲにつながる肝腎な内容を飛ばしてしまった。
 それは、昔の奉公先の丁稚の仕事の中に、ランプ磨きなどのほかにネズミ取りがあって、ネズミを捕まえて交番に届けたら巡査が紙をくれて、それを郵便局に持って行けば一銭くれた。ペストだ、となれば二銭・・・だから、バイキン・・・五円、十円、十五円と当たる懸賞もあった、という地で説明すべき内容が、すっかり飛んだのだ。
 やはり、稽古不足は、否めない。
 もはや『子ほめ』に替えることもできない。
 腹を決めて、本当に“高い”高座で、頑張ろうと思ったのだった。
 亀に三年ぶりに会える喜びで熊さん夫婦が眠れずに、明日は亀に何を食べさせようか、どこへ連れてってやろうか、などどの会話は、それなりに出来たが、この場面で、地でネズミやペストのことは入れにくい。
 結局、湯屋から帰って亀が、父親の熊から財布の中の十五円について詰問され、それはネズミの懸賞で当たったものだ、と自ら説明風に語る、ということで筋書き的にはなんとか補完した次第。でも、これはまくらで仕込んでおかなきゃ。
 熊さんの科白、「ご主人を大事にしなよ・・・これも忠(チュウ)のおかげだ」、でさげたが、やはり仕込みが十分ではなかったから、唐突な印象を与えたのは間違いない。
 それでも皆律儀に拍手はしてくれたが、私としては、忸怩たる思いで舞台を降りた。
 『子ほめ』にするんだった・・・・・・などと思ったが、素人の余興、許していただこう。

 さて、気分を替えて夕食後は、オールディーズの生バンドのお店“K”へ。
 幹事のこの企画、大成功。
 東京や横浜にもあるようだが、初めて行った。
 一時間に一度のライブタイムを、結局三度楽しむことができ、大いに盛り上がった。
 懐かしの曲で、ほぼ全員が他のお客さんと同様、ステージ前に出て踊っていた。
 一番激しく踊っていたのは、あの先輩(^^)
 それにしても、バンドのレベルが高かった。アメリカの60年代、70年代ポップスなどに加え、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」など、ギターはドン・フェルダーばりに聴かせる。また、オリジナルはサム・クックの曲で、映画「刑事ジョン・ブック 目撃者」でお馴染み「Wonderful World」なども見事だった。エルビス・プレスリーの「Can't Help Falling In Love」では、還暦の男女同志でチークダンス!
 私が知っている曲が多く、歌いっぱなしで、翌日は、声が嗄れていた(^^)

 二次会に満足して十二時過ぎに旅館に戻り、本来は十二時までの入浴なのだが、旅館の方のご厚意でお風呂に入ることもでき、広い男六人が寝る部屋に全員集合しての三次会。結局二時過ぎまで続いたかな。
 懐かしい話題などで盛り上がったし、やや酔いも回ってきていることに加え、年甲斐もなく二時間余り汗をかいて騒いだ後なので、とても一席務めることはできそうになく、小咄を三つほどご披露した。

 数名から、『藪入り』より小咄の方が良かった、の感想には、果たして喜んでいいのかどうか(^^)
 来年の幹事から、次は『天狗裁き』、などと言われているが、とてもとても。

 翌日曜日は、京都市内のお寺を訪ね、三十半ばで亡くなった同期のお墓詣り。
 実は、十年ほど前この同期会が始まったのは、彼女のお墓詣りが主目的でもあった。
 帰り際、お寺の玄関に住職が挨拶に来られた。どこからかご覧になっていたのだろう、我々が誰のお墓詣りをしたかご存知で、ご家族の近況を聴くことができた。
 「こうやって、皆さんが来られて、さぞかしご本人も喜ばれているでしょう」の言葉に、少し目が潤んだ。
 こういうお寺で供養されている彼女は、幸せなのだと思う。

 その後、今回の幹事の地元である宇治まで行き平等院を見学。
 途中から一人が順番を取りに出かけ、甘味どころとして有名なお店Nに、一人ではまずしないことだが、一時間待ちで入った。「きつね茶そばセット」は、なかなか旨かった。最近はぜんざいなどの甘味も、結構好きになってきた。
 お店自慢の抹茶のシフォンケーキをお土産に買い、新幹線の時間も迫っていたため、皆に別れを告げて近くのJR宇治駅から京都駅へ。
 京都駅では、お決まりの漬物を買って、帰ったのであった。
 
 なんとも充実した、そして楽しい時間があっと言う間に過ぎた二日間。

 同期の皆は、それぞれ精一杯に生きている。
 介護で大変な人もいるし、子供の悩みが続く人もいる。
 私を含め会社員だった者も、さまざまな第二の人生を歩んでいる。
 京都で商売をしている来年の幹事は、後継者である息子さんや奥さんとの見解の相違などもあり、順調そうな見かけでは分からない苦労も多いようだ。
 
 月曜の今日、いまだに、携帯には「楽しかった」「来年も、また」などのメールが飛び交っている。

 今になって、あらためて、学生時代に得た友人たちが貴重であることをしみじみ思う同期会だった。

 体育会だったので遠征費用などがかかり、仕送りで親にも苦労をかけた。
 部活動のオフシーズンには、いろんなアルバイトをして過ごした四年間。

 ゼミなどの授業での友人は出来なかったが、運動部での四年間で、貴重な友人を得ることができた。

 最初は一年おきだった同期会は、数年前から毎年開催になった。
 子育てが落ち着いた、ということもあるし、五十歳の声を聞くと、何かと昔を懐かしむようになるような気がする。
 早い話が、皆に、会いたいのだ(^^) 


 余興の落語は結局一席だった・・・さて、もう一席予定していた、新作とは何だったのか・・・・・・・。

 それは、今月末のテニス仲間との合宿で披露しょうか、などと思っているので、そのご報告までお待ちのほどを(誰も待っていないか^^)。

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by kogotokoubei | 2015-11-16 12:51 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 ここ数年、テニス仲間との年二回の合宿、および大学の同期会の宴会の余興で、下手な落語を披露している。それも、毎度、二席。

 明日から同期会がある。

 体育会で、いわゆる同じ釜の飯を食った仲間とは、会えばすぐ四十年前に戻る。
 今回は、京都の日本旅館に一泊。浴衣が備えてあるので持参する必要がないのが、なにより助かる。

 記憶のままにこれまで披露したネタは次のようなものだった、はず。

  『道灌』・『金明竹』・『寿限無』・『牛ほめ』・『替り目』・
  『小言念仏』・『千早ふる』・『代書屋』・『高砂や』・『居酒屋』・
  『うどん屋』・『雑排』・『厩火事』・『買い物ブギ』・『看板のピン』・
  『天災』・『目黒のさんま』・『紙入れ』・『元犬』・『持参金』・
  『三方一両損』・『たらちね』・『そば清』・『親子酒』

 最後の二席は、今年春のテニスの合宿のネタ。

 もちろん、これらのネタを、いつでも演じることができるのではない(誰もそんなこと思っちゃいないか)。
 直前の二週間くらいは、候補のネタを携帯音楽プレーヤーで聴き続け、道すがら、ぶつぶつ稽古するのである。

 できることなら、同じネタは二度演りたくない。
 二週間ほど前から、今年のネタを何にしようか迷いながら、いろんな音源を聴き、いくつか動画も見ていた。ようやく、候補を三つに絞ったが、まだ二席を決めきれていない。これは、まずい。

 どんなネタかは、今はナイショだが、一席はある噺家さんによる新作にするつもり。古典の一席を二者択一しないといけない。
 『文七元結』や『芝浜』ではない、とだけお断りしておく(当たり前か)。

 今月末には、テニスの合宿もあるので、同じ二席にするつもり。

 同期の連中もテニス仲間も、皆、忍耐強いのか、憐み深いのか、「今回は、やらなくてもいいよ」とは言わない(^^)
 「楽しみにしているよ」などというお世辞を、結構、真に受けている。

 だから、いつもお客さん(?)に甘えて、酒の勢いも借り演ってしまう。


 これまで、難しい噺なのに意外に上手くできたなぁ、と思ったのは小三治の動画を何度も観て練習した『うどん屋』。
 当日までの一週間に四日くらいは、無理してでも、立ち食いのうどんを食べていたものだ。

 逆に、甘く見て失敗したのが『道灌』。談志の音源を元に覚えた。
 テニス合宿では上手く出来たつもりで、同期会で油断した。肝腎の『七重八重 花は咲けども山吹の みのひとつだになきぞ悲しき』の古歌が、頭から吹っ飛んだ(^^)
 しどろもどろで、いったん休憩してやり直した、苦い思い出がある。

 基本的には、素人が演るには前座噺が相応しいだろうと思っている。しかし、『寿限無』のような有名な噺はともかく、落語初心者が初めて聴く噺は、やや気配りも必要になる。
 特有の言葉が並ぶ言い立てが中心のネタは、『金明竹』(三代目金馬の型)にしても、『牛ほめ』(四代目柳好の型)にしても、補足説明が必要になるのだ。噺の流れで笑ってはくれるが、意味がよく分からないので、置いていかれる人もいる。
 だから、謎の上方人の話す道具七品の内容や、牛の褒め言葉の意味などを、蛇足ながらも後から解説した。せっかく演るのだから、少しでも内容を分かって欲しいのだ。

 今年の春の二席は、『そば清』(十代目馬生の型)が、予想外に受けたが、これも、直前の数日、そば屋に行った賜物(^^)


 自分で演じることにより、その場における、ある種のカタルシスとともに、副次的な効果がある。

 落語会や寄席でのプロの高座への視点、観方が変わるのだ。

 一つは、自分で演じる場合のテキストとして見て聴こうとする、ということ。
 上・下のつけ方は、どうか。語り口は、抑揚は、仕草、顔の表情、などなど。だから、どうしても、笑わせどころでもむすっとして凝視してしまうので、高座の噺家さんは、私の目つきの悪い視線を感じているのではなかろうか。

 もう一つ、演じることで変わるのは、どうしても辛口になる。
 あれ、「上・下が逆だろう!?」とか、「リズムが悪いなぁ」「肝腎な科白を間違えた!」などと思いながら聴いてしまうのだ。
 自分がど素人の癖に、「あれなら、オレの方が上手い!」などと思うことが、たまにあるから、まったくのお調子者だ。


 さて、そろそろ古典のネタを、決めなきゃ。
 まだ披露していない、前座噺かなぁ・・・・・・。

 明日の新幹線の中も、携帯音楽プレーヤーを聴きながら、ぶつぶつつぶやいていることだろう。車掌さんに不審人物と思われないようにしなきゃ(^^)

 
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by kogotokoubei | 2015-11-13 20:54 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
 古今亭志ん輔の日記風ブログ「志ん輔日々是凡日」の11月8日の記事によると、「たまごの会」は、私が先日行くことができた池袋のみならず、西蓮寺の会がこの日で終わり、実相寺の会も12月の会をもって終わる、とのこと。
「志ん輔日々是凡日」の該当記事

 12月の会の内容は、「たまごの会」こーほー支援ついったーに次のような情報があった。
「たまごの会」 こーほー支援ついったー

「第69回 実相寺たまごの会」
12/13(日) 14時開演
木戸 1500円(予約不要)
於:実相寺(西馬込,池上)

志ん八
宮治
雷太
志ん輔
コント(志ん八&宮治)
きらり(トリ)

 「志ん輔師、卒業」と書かれているが、世話人のみならず、会そのものをお開きとするのか・・・・・・。
 しかし、最後の実相寺の会は、日曜昼の開催で、雨でも降らないことには私は行けそうにない。

 志ん輔のブログでは、彼自身が卒業(?)しても、二ツ目たちに継続して欲しかったようなのだが、そうもいかなかったようだ・・・・・・。

 彼らだけでの開催は、荷が重かったのだろう。この会における志ん輔の存在の大きさが察せられる。

 志ん輔は、当初メンバーの朝太、才紫、そして志ん公が真打昇進するまでは続けよう、と思っていたようだ。

 たしかに、それぞれ真打になり、志ん陽、やまと、志ん好と名も替わった。

 しかし、彼らの真打昇進後にも会が継続したことで、さんざまな若手二ツ目の修行の場になったことは間違いないだろう。

 小痴楽などは、大いに彼の成長の助けとなったのではないかと察する。

 神田連雀亭や巣鴨獅子座などを含め、志ん輔が会派を問わずに若手を支援しようとする思いや行動は得難いものだと思う。
 ほとんど、手弁当、持ち出しではなかったのか。

 彼がいろんな師匠にお世話になった恩返し、という思いなのかもしれないが、それこそ、精神と技能の「伝承」なのだろう。

 師匠の立川談幸と共に立川流を離れ芸協の会員となった吉幸が、志ん輔宅で太鼓を習っていることなども、ブログで知った。
 楽屋修行の機会がなかった彼らにとっては、実にありがたいことだったろう。

 今になって思えば、その吉幸や小痴楽が出演した池袋最後の「たまごの会」に行けたのは、僥倖だったと思う。
2015年10月24日のブログ

 何度か記事に書いてきたが、増え続ける前座さん二ツ目さんに比べ、彼ら彼女たちがお客さんの前で芸を披露する場は、あまりにも少ない。
 数少ない定席では、そのまた数少ない出番しか、二ツ目には生の高座を経験する場がない。

 人気のある噺家さんから共演の声がかかる人は限られている。

 仲間でありライバルである二ツ目が、良き指南役を得て切磋琢磨する「たまごの会」がなくなるのはさびしいが、ぜひ、志ん輔の思いや行動が刺激となって、二ツ目さんが芸を磨く場所や、支援する先輩噺家さんの活動が広がることを期待するばかりだ。
 
 そして、彼ら若手の会に、出来る限りは行きたいと思っている。

 そういえば、連雀亭にも、行っていないなぁ。

 どれどれ、どんな予定になっているのか、ネットで調べねば。


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by kogotokoubei | 2015-11-11 12:27 | 二ツ目 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛