噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

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 6月に、中日新聞の記事を元に、大須演芸場が再開することを書いた。
2015年6月17日のブログ

 その際、新聞記事にある名前だけを見て、なぜ志ん朝一門が出演しないのか、と書いたのだが、昨日、志ん輔が出演していたことを、日記風のブログ「日々是凡日」で確認した。
「志ん輔日々是凡日」の該当記事

 まずは、早とちりしていた前回の内容について、お詫びします。

 10月の公演には、志ん橋や菊志んなども出演するようだ。
大須演芸場のサイト


やはり、志ん朝ゆかりの大須には古今亭の名は必須だよね。

 志ん輔のブログには、大須へ行ったら骨董市が立っていたと書かれている。この記事を読んで、師匠志ん朝の大須の『火焔太鼓』のまくらで、道具屋で万年筆を買ったことを話していたのを思い出した。インクを入れたらこぼれたので道具屋に持って行くと、「インクを入れちゃだめ、つけるんです」と骨董屋に言われたという逸話で、古典的な小咄、棚を吊った大工が、その棚が壊れたと聞いて、「何かのっけたんじゃねぇだろうな?」と聞く場面を思い出したものだ。
 
 さて、大須演芸場の杮落とし特別興行や10月の番組表をご覧になるとお分かりのように、落語芸術協会からの出演者はいない。

 人数は少ないが地元で活躍する噺家さんや芸人さん、そして上方落語協会、落語協会、円楽一門などが中心の顔づけとなっている。

 では、かつての大須演芸場でも興行をしていた落語芸術協会はどうしているかと言うと、7月に「芸協らくご・名古屋寄席」を開催することを以前に書いたが、9月も、栄の長円寺会館で興行をしている。
2015年5月29日のブログ
落語芸術協会HPの該当記事

 9月公演の概要は次の通り。
2015芸協らくご・名古屋寄席 九月公演(9/16からスタートです!)

東海地方の方お待たせいたしました。
落語芸術協会9月の名古屋公演のご案内です。
ご来場をお待ちいたしております。

【公演名】
2015芸協らくご・名古屋寄席 九月公演

【日時】
平成27年9月16日(水)-21日(月祝) 各日2回公演 計12公演

【会場】
長円寺会館 名古屋市中区栄2-4-23
伏見駅5番出口より東へ徒歩5分

 大須の再開の直前までの公演だ。

 これは、いわば“棲み分け”なのだろう。

 栄で芸協、大須で上方と落語協会、そして円楽一門、ということで、名古屋の落語ファンの楽しみが増えたこと自体は、良いことなのだろうと思う。


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by kogotokoubei | 2015-09-29 12:55 | 寄席 | Comments(8)
 9月27日は、旧暦8月15日、中秋の名月。

 十五夜に加えて月を愛でる日としては、旧暦9月13日の十三夜が有名。

 しかし、江戸時代の人々は他の日にも月を愛し、楽しんでいたということを紹介したい。

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杉浦日向子監修『お江戸でござる』(新潮文庫)

 出典は、お馴染みの『お江戸でござる』。

 平成7(1995)年から平成16(2004)年まで放送された、NHK「コメディーお江戸でござる」を本にしたもので、もちろん杉浦日向子さんの監修。

 言葉の起源についても勉強になる部分を、引用する。

 八月の月見も、十五夜だけでは終わりません。次の夜は「十六夜(いざよい)」で、満月よりも、出るのがちょっと遅くなります。「いざよう」というのは、ためらっている状態をあらわしています。
 その次の夜が「立待月(たちまちづき)」。立って待っているうちに、月が出てきます。物事が早くはかどることを、「たちまち」というのは、ここから来ています。また、江戸時代の即配便を「十七夜(じゅうしちや)」と呼ぶのは「たちまち着く」というシャレからです。

 「いざよう」や、「たちまち」という言葉の起源が「月」だったとは。
 ここで、まだ月の楽しみ方が終わらないのが、江戸人の凄いところ。

 十八夜が「居待月(いまちづき)」で、座敷で待っていると、月が出ます。十九日が「臥待月(ふしまちづき)」です。座敷に横になって待ちます。さらに出てくるのが遅くなると、「更待月(ふけまちづき)」といいます。夜更けにならないと出てきません。
 江戸で月見が最もにぎわったのは、実は「二十六夜待ち(にじゅうろくやまち)」です。八つ(午前二時くらい)に月が出てくるので、それを、どんちゃん騒ぎをしながら待ちます。水菓子、にぎり鮨、天麩羅、二八蕎麦、団子などの屋台が出ます。月見を口実に、夜更かしができるというわけです。「月見舟」も出ます。

 「二十六夜待ち」なんて、言葉自体が死語化しているねぇ。
 ちなみに、この「二十六日」は、旧暦の七月二十六日。
 月の出が遅いので、“待ち”なのである。
 待つだけの、ご利益がある、と信じられていた。

 二十六夜待ちでは、観音様、阿弥陀様、勢至菩薩の三尊の光を見ることができるといわれ、信仰に対象にもなっています。月は女性と深い関わりがあり、子宝・子育ての願もかけます。秋に収穫の時期なので、農耕の感謝の気持ちも込めます。
月見の種類の多さを知るだけでも、どれほど江戸の人々が感受性が豊かで粋か、よく分かる。

 さて、これから団子・・・ではなく酒と肴で月見と洒落込むか(^^)


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by kogotokoubei | 2015-09-27 17:45 | 江戸関連 | Comments(2)
 NHK木曜時代劇「まんまこと」の第九回「鬼神のお告げ」の録画を見た。
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畠中恵著『こいわすれ』(文春文庫)

 ①「おさかなばなし」
 ②「お江戸の一番」
 ③「御身の名は」
 ④「おとこだて」
 ⑤「鬼神のお告げ」
 ⑥「こいわすれ」

 「鬼神のお告げ」は、文春文庫のシリーズ三作目『こいわすれ』所収の物語。

 原作では古着の行商をしている駒吉が庚申待の夜に三尸(さんし)の虫を捕まえて、当たり札の番号を聞き出したのだが、放送では高橋家の手代、巳之助(えなりかずき)に、その役を替えた。湯島天神での富くじ興行に不正があり、それに巳之助が一枚かんでいた、それは、天神様が養っている孤児たちのためで、実は巳之助もかつて孤児であった、という設定。
 なるほど、こうきたか・・・と納得できる脚色。

 原作ではもっと登場人物を多くもできるが、制約のある時間での放送に、馴染みのない人物を登場させるのは観る者にも混乱を与える。原作の骨子を曲げず、不自然ではない設定になっていたと思う。
 あの悲しい顛末は、原作を読んだ際、「えっ、そうなの、そうしちゃうの!?」と驚いた。
 だから、放送では心構えができただけ、落胆、悲しみは深いものではない。それでも、ちょっと泣けた。
 原作では、おこ乃が登場するが、彼女は出なかったなぁ。

 ということは、最終回でも、おこ乃は出ないのか・・・・・・。

 ということで、来週の最終回のこと。
 NHKサイトの同番組のページにもあるように、最終第十回は、「朝を覚えず」だ。
NHKサイトの「まんまこと」のページ

 おっ、予想がまたまた当たったぞ!

 一度、二冊目の『こいしり』からの採用数の予測を間違い予想が外れたが、再挑戦した第八回、第九回、そして最終回を当てることができた。

 脚本家と同じような思いだったのかなぁ、と少しばかり嬉しい。

 さて、自分で自分を褒める賞品を何にしようか(^^)

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by kogotokoubei | 2015-09-26 10:54 | 歴史ドラマや時代劇 | Comments(0)
 雨がそぼ降る中、関内へ。
 いつものように、ロビーのモニターで開口一番の小かじの『道灌』を、近くのコンビニで買ったおにぎりを食べながら見た。上手くなったような気がする。
 サゲ近くで会場へ。
 天気のせいなのか、入りは五分ほど。常連さんの固定客はついている会だが、もっと入って良いように思うなぁ。
 加えて、いつもいらっしゃるあの方が、見当たらない。

 ネタ出しされていた三席、順に感想などを記したい。

柳家小満ん『厳流島』 (24分 *18:46~)
 このネタで、これほど味わいたっぷりなまくらを聴かせてくれる噺家さんを知らない。
 まず、「秋の川 四条五条と 急ぎけり」といったん都の句をふっておいて、東に戻り隅田川にかかる橋のことへ。
 江戸時代に架橋された橋を古い順(両国橋->新大橋->永代橋->吾妻橋->清洲橋)に紹介し、両国橋と吾妻橋の間に厩橋が架かる前の厩(御厩)の渡しのことから本編へ。
 季節感があり、ネタに相応しい五分ほどのまくら、私はもっと聴いていたかった(^^)
 厩の渡しは侍は無料だが、町人は四文の渡し賃が必要だった。しかし、竹屋の渡しが二百文から四百文もしたことと比べれば安かった、なんてぇ勉強をさせてくれる噺家さんは、そうはいない。
 渡しもたくさんあって、とずらっと並べ、最後に「あなたの私」なんてぇ科白で締めるところも粋だねぇ。
 本編でも、ネタに関わる薀蓄が適度に入る。
 羅宇屋が万力で羅宇と吸い口の部分を締めることを、羅宇を殺す、と表現するなんてぇことは、きっと羅宇屋さんにじかに聞いた知識なのだろう。
 手や指を添えて煙管を大事に扱う仕草を見せ、つい怒ったりすると煙草盆の角に煙管をぶつけキズをつけてしまう、と説明し「新煙管(きせる) 振られた晩に きずをつけ」の川柳。
 こういう落語が、本来の江戸落語なのだなぁ、などと思いながら聴いていた。
 船に居合わせた町人達のテンポの良い会話や岸においてけぼりになった侍への罵声が楽しかったし、「屑屋だけに、ボロを出した」なんて地口も笑わせる。
 まくらだけでも楽しめた。こういう軽い噺でこそ、噺家さんの力の差が出る、そんな見本のような高座だった。
 今年のマイベスト十席候補とまではいかないが、何かの賞をあげたい佳作。

柳家小満ん『三人息子』 (22分)
 いったん下手に下がってから再登場。
 元は上方落語で、『三人兄弟』とも言う。
 この噺は、2010年の12月、国立演芸場で行われた桂文我の会で聴いている。
2010年12月6日のブログ
 亡き桂小金治さんをゲストでお迎えし、先代三笑亭可楽譲りの『三方一両損』の見事な江戸っ子の啖呵を聴くことのできた日だ。
 東京では小里んも演じるらしいが未見。
 日本橋石町の大店の三人兄弟は揃って遊び人。とは言っても、好みが違っており、長男の幸太郎は、日本橋芳町の芸者などと、おつに静かに遊ぶのが好き。次男の銀次郎は婀娜で鉄火な辰巳芸者が好き。三男の政吉は、吉原をひやかしたり、博打をするのが好き、と三人三様。
 三人とも、あまりに遊んでばかりいるので、父親は二階に三人を幽閉した。
 ところが、長男が貸本屋の善公に深夜に外から梯子をかけるよう頼んで、逃亡を図る。
 結局三人は二階から脱出して思い思いに遊んで、朝帰り。
 父親に「夜中にどこへ行っていた?」と詰問され、その答え方で誰に身代を譲るかを決めようとする、というような筋書き。
 『片棒』にも『干物箱』にも似た噺だが、何と言っても聴かせどころは、末っ子、政吉の妄想部分。
 「蕎麦屋が来るのが、引け過ぎ、大引け前。その頃だよ、おれが出かけるのは」
 「ひやかしの時は、喧嘩が出来るように、はじめっから拳固をつくっておく」
 「ひやかしの(花魁からもらう)煙草は、一服じゃいけない、一服半」
 などの独り言をまくしたてる。
  おばさんに「上がっていきなよ」と誘われるが、
 「汚ねぇ芝居小屋の、一番いい切符をもらったようで、行きたくもあり、行きたくもなし」
 などの科白が可笑しい。
  贔屓の花魁と、酒を飲ませろ、いや大引け過ぎだよ明日にしなよ、でつい諍いになり、政吉が拳固を振り上げたところで、おばさんが仲介に入る。この、おばさんが楽しい。
 花魁も政吉を悪く思っていないので、「あの拳固を振り上げた形は、音羽屋だった」の科白で笑った。
 そんな妄想にひたっているうちに、二人の兄は善公が架けた梯子を伝って逃げ出していた。
 しかし、その梯子はすでに外されている。政吉は梯子などいるものか、と二階から飛び降りて吉原へ。
「朝帰り 行く時ほどの 知恵は出ず」の川柳が挟まれた。
 「どこへ行っていた?」という父親の問いに、長男は「運座がありまして」、次男は「謳いの会へ」、そして三男は「吉原へ行って馬鹿なもて様」と答える。
 さて、父親が家督を譲ろうとしたのは、いったい誰でしょう。それは・・・秘密です。
 吉原での妄想ということでは、『あくび指南』でも繰り返し挟む場合があるが、この噺での政吉の妄想は、花魁、おばさんも含む立体的(?)な会話が実に楽しかった。
 珍しい上方ネタを、場所を江戸に移しての好高座、今年のマイベスト十席候補としたい。
 
 ここで仲入り。
 外に出て一服。雨はほとんど上がりかかっていた。
 さて、三席目だ。

柳家小満ん『井戸の茶碗』 (35分 *~20:20)
 今と違って江戸時代は無駄がない、と紙屑屋の話につなぐ短めのまくらから本編へ。
 清兵衛さんが、高木佐久左衛門の部屋にまで上がって仏像を売る演出は、初めて聴くと思う。終演後にKさんから、さん喬もそうだとお聞きした。
 五十両が仏像の中から出た後、「腹ごもり」の言葉がなかなか出なかったのは、残念。
 佐久左衛門と亮介がお窓下を通る紙屑屋を、かたっぱしから止めて顔をあらためる場面は、黒い顔-長い顔-でこすけ、の順。この、でこすけ、というのも珍しいように思う。
 仏像から出た五十両や、細川の殿様からの三百両を巡って清兵衛さんが千代田卜斎と佐久左衛門の間を行き交う場面、卜斎を訪ねた後に清兵衛が佐久左衛門の家に戻り、「そういうことでして」と科白の繰り返しを避けショートカットにしたのは、良かったと思う。あの場面で清兵衛さんが一から説明すると、だれるからね。
 紙屑屋が集まって細川様のお窓下での話題をしている時、一人が「あれは、仇を探している」という仕方噺をする場面で、佐久左衛門が敵討ちのために稽古を重ね、「やっとうやっとうやっとう、朝はなっとう」という科白や、細川備中守が「これは、井戸であるぞ。鑑定団を呼べ」というくすぐりは、可笑しかった。
 しかし、仲入り前の二席に比べると、リズムは今一つ乗っていなかったように感じたし、喉の調子が悪いようにも思ったが・・・気のせいかなぁ。


 終演後は、佐平次さん、Kさん、I女史のよったりで、関内の老舗で久しぶりの居残り会。
 カワハギ、鮟肝(絶品!)、生しらす、ホヤ、マコ鰈のフライと刺身、などなどの美味しい肴と、諸々の話題で盛り上がった。徳利が、さて何本空いたのやら。
 しかし、小満んの会はほど良い時間でお開きにしてくれるので、帰宅は日付変更線を越えることはなかったのだ。

 次回は11月18日(水)、『猫の皿』『甲府ぃ』『試し酒』の三席がネタ出しされている。
 これまた、落語と居残りが楽しみである。

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by kogotokoubei | 2015-09-25 12:55 | 落語会 | Comments(2)
 10月26日(月)に堺市で開催され、10月31日(土)に放送予定の、NHK新人落語大賞の出場者が、次の五人に決まったようだ。
NHKサイトの該当ページ
出演 桂 佐ん吉、春風亭 昇々、笑福亭 べ瓶、瀧川 鯉八、柳亭 小痴楽 (50音順)

 サイトの日付は9月18日になっているが、その頃検索しても見つからなかったのは、案内の時には漫才と一緒にしていたのを落語だけにしたので、URLが替わったからか。

 さて、この五人。
 佐ん吉以外は、聴いたことがある。と言っても、べ瓶は昨年のこの大会の放送。
 東京の三人は生で聴いている。

 なんと、東京代表の三人は、全員が落語芸術協会所属。

 落語協会から一人も本選へ出場できなかったことって、これまであるかな・・・・・・。
 あえて、書こう。
 落語協会ホームページのリニューアルで明らかな、協会が所属落語家を支援する姿勢の希薄さが、こういうことにもつながるのだ。

 それぞれの噺家さんのプロフィールを関連サイトから確認。

 桂佐ん吉と笑福亭べ瓶については、天満天神繁昌亭サイトにある「上方落語家名鑑」より引用。
「上方落語家名鑑」佐ん吉のページ
「上方落語家名鑑」べ瓶のページ

 東京の三人は、もちろん、落語芸術協会のHPから。
「落語芸術協会」小痴楽のページ
「落語芸術協会」鯉八のページ
「落語芸術協会」昇々のページ


 入門が古い順に、並べてみる。

1.芸名/桂佐ん吉(かつらさんきち)
2.本名/黒田 周作
3.生年月日/1983年 (昭和58)年 12月23日
4.出身地/大阪市
5.血液型/A型
6.入門年月日/2001年 (平成13年) 9月「桂吉朝」
7.出囃子/
8.紋/三つ柏
9.趣味/野球、けん玉
10.ホームページ/
11.所属/米朝事務所
12.その他/大阪府立東住吉高校芸能文化科卒
平成26年なにわ芸術祭新人奨励賞、平成23年文化庁芸術祭賞新人賞受賞、平成24年第2回繁昌亭ドリームジャンボコンテスト小枝杯8Rチャンピオン、平成23年第1回繁昌亭ドリームジャンボコンテスト小枝杯3Rチャンピオン
主な会は「ビバ☆佐ん吉」「鉄瓶・佐ん吉落語LIVE」「同級生。」
「get's待っツ動楽亭」
ひとこと:フレッシュさでがんばっていきたいところなんですが、前頭部がだんだん薄くなって、フレッシュでなくなってきました。そんなこと気にせず、元気よくやっていきたいと思っております。

1.芸名/笑福亭べ瓶(しょうふくていべべ)
2.本名/島谷 幸治
3.生年月日/1982年 (昭和57)年 10月16日
4.出身地/兵庫県西宮市
5.血液型/O型
6.入門年月日/2002年 (平成14年) 5月1日「笑福亭鶴瓶」
7.出囃子/
8.紋/
9.趣味/映画鑑賞(恋愛もの以外)、スポーツ観戦
10.ホームページ/http://www.bebe-site.net/
11.所属/
12.その他/関西学院大学経済学部中退
平成27年なにわ芸術祭新人奨励賞

芸名 柳亭 小痴楽
芸名ふりがな りゅうてい こちらく
本名 沢辺 勇二郎
本名ふりがな さわべ ゆうじろう
出身地 東京都
芸種 落語
階級 二ツ目
出囃子 将門
芸歴 平成17年10月 「ち太郞」で初高座
    平成20年6月 五代目柳亭痴楽門下へ「柳亭ち太郞」
    平成21年9月 痴楽没後、柳亭楽輔門下へ
    平成21年11月 二ツ目昇進 「三代目柳亭小痴楽」となる。
    平成23年12月 第22回北とぴあ若手落語家競演会 奨励賞
趣味 読書、サッカー、バスケットボール、洋服、おかし

芸名 瀧川 鯉八
芸名ふりがな たきがわ こいはち
本名 吉田 誠
本名ふりがな よしだ まこと
生年月日 昭和56年3月27日
出身地 鹿児島県
芸種 落語
階級 二ツ目
芸歴 平成18年8月 瀧川鯉昇入門 前座名「鯉八」
    平成22年8月 二ツ目昇進

芸名 春風亭 昇々
芸名ふりがな しゅんぷうてい しょうしょう
本名 柴田 裕太
本名ふりがな しばた ゆうた
生年月日 昭和59年11月26日
出身地 千葉県松戸市
芸種 落語
階級 二ツ目
出囃子 だんじり
芸歴 平成19年4月 春風亭昇太入門 前座名「昇々」
    平成23年4月 二ツ目昇進
恋愛対象 女性
資格 テコンドー六級
    TOEIC410点
    英検4級
    書道4段
    普通自動車免許(AT限定)
YouTubeチャンネル 〈アバンギャルド昇々〉是非ご覧ください
https://youtube.com/channel/UC_1rJed6z74UnL67KpwI6Dw
趣味 中央線沿線山登り、一人カラオケ
ホームページ http://blog.livedoor.jp/shoshoss/

 それぞれ、結構情報たっぷりで、広く知ってもらおうというサイト管理者と本人の意欲が伝わる。

 落語協会のサイト関係者は、ぜひ見習って欲しい。
 「フォーマットに書いて!」と言うだけで、その後のフォローなどはしていないのか、「もっと伝えることはないの?」と声をかけて情報を引き出して内容を改訂しているのか・・・私は前者だろうと思っている。

 
 さて、それぞれの出場者についての思いを、短く書く。

 佐ん吉については、拙ブログへのコメントで、吉朝門下で期待の一人とお伝えいただいていたので、観るのが楽しみだ。
 なお、佐ん吉は、私と同じExciteでブログを開設している。
桂佐ん吉のブログ


 べ瓶は、昨年の『真田小僧』は、まあまあの出来、という印象。
 師匠を三度もしくじって戻って来たらしい。その後の鍛錬の積み上げがどこまであるか、という意味で観るのが楽しみではある。
 ちなみに、べ瓶の高座の感想を含む昨年の記事にご興味ある方は、ご覧のほどを。
2014年11月3日のブログ


 昇々は、これまで二度ほど聴いているが、あまり印象は良くない。
 久しぶりなので、成長ぶりを見せて、良い意味で驚かせて欲しい。

 鯉八・・・私にとっては、何を考えているか分からない不気味な人、という印象。
 新作かもしれないなぁ。この人がどんな噺家になろうとしているのか、それが少しでも分かるような高座を期待しよう。

 今年は、小痴楽に期待する。
 見た目やツィッターのつぶやきなどからは誤解を与えそうだが、落語への取り組み方は実に真面目な若者だと思う。
 親からもらった血筋の良さだけではなく、日々、精進しているように思えるので、ぜひ優勝してもらいたい。

 今年は、それぞれに観て聴く楽しみがある。

 くどいようだが、最後にあえて書く。
 落語協会の幹部や事務方の人々には、今回の予選結果を、真摯に受け止めて欲しい。
 ホームページごとき、などと言う気持ちがあったとしたら、それが、協会員の動機づけにどれだけ悪影響を与えているかを、反省すべきだ。

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by kogotokoubei | 2015-09-24 12:55 | テレビの落語 | Comments(6)
 今夜は、ラグビーワールドカップのスコットランド戦に集中したいので、それまでに記事を書こうと思った。
 スポーツは中学までは野球、高校から今までは軟式と硬式の違いはあるがテニスを自分でプレーしてきたし、MLBやラグビーなどを観るのも好きだ。

 昭和60年1月15日のラグビー日本選手権の時には、国立競技場にいた。

 南アフリカ戦の感動的な、そして歴史的な試合に続き、日本ラグビーの楽しさ、強さを今夜も世界に披露して欲しいと強く願う。
 あの低いタックル、ボールハンドリングの正確さは、他の試合もいくつか観たが、決して世界に劣ってはいない。
 世界一のアタッキングラグビーは魅力たっぷり。

 さて、では、どんな記事を書くか。

 『落語歳時記』から、秋彼岸の噺として『女護ヶ島』のことを書いたが、矢野誠一さんが、その噺をを演じた三遊亭百生についても、少しだけふれた。

 以前から、この噺家さんが気になっていた。

 彼岸の記事でも書いたが、もう一度、『古今東西落語家事典』を元に、百生のプロフィールをご紹介。
 明治28年大阪の生まれで、少年時代からの寄席通いが縁で、明治44年に芝居噺の名手初代桂文我門下で我蝶という名を貰った。
 大正7年上京、翁家さんま(のちの八代目桂文治)の門人でさん助。大正9年にいったん帰阪したが、心底から慕っていた五代目三遊亭圓生を頼って再び上京。最愛の妻を亡くしてから中国の青島に渡り、幇間をしたり、カフェガーデンを経営し繁盛したらしい。しかし、敗戦のため昭和20年12月、無一文で引き揚げた。焦土の大阪で桂梅團治の名でカムバックしたが、いったん東京に出て事業で失敗。また、帰阪。昭和27年、古くからのなじみ六代目三遊亭圓生を頼って上京し、昭和29年に百生を名乗った、とのこと。昭和39年の3月31日に亡くなっている

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『談志絶倒 昭和落語家伝』(大和書房)

 百生という噺家さんについては、さまざまな本で名前を目にした記憶があるが、落語を含め大衆芸能の目利きとして優れた立川談志の本から、紹介したい。

 『談志絶倒 昭和落語家伝』は、数多くの写真とともに、昭和を彩った多くの噺家さんについて、愛情深く、そして、厳しく談志が語った好著。
 Amazonには私も(別の名で)レビューを書いているので、ご興味のある方はご覧のほどを。
 
 冒頭、談志はこんな書き出しで始める。

 円生師匠に勧められて、または押しつけられたか、この名を名乗るようになった。で、鈴々舎馬風が高座に上がって、「東京へ来て百姓ンになったのはあの人だけだ」とジョークを飛ばしたネ
 もとは、桂文我の弟子で我朝。で、「があやん、があやん」と言われていたそうな。のちに、かの有名な浪花の名物男桂春団治の弟子となり、「桂梅団治」を名乗った。

 さすが、口の悪さで名をはせた先代馬生らしい、ジョーク。
 
 さて、どんな噺をしていたのだろうか。
 東京へ来たとき、“まずは受けなきゃいけない”てンで、『浮世床』を主に演(や)っていた。煙草を煙管に詰めるという、あの場面だ。
 二人が夢中ンなって将棋をやっているので、二人の煙草の吸い口と火を点ける部分を抜いて、片や吸い口、一方は火を点けるところと、付け替えるイタズラに気がつかない、将棋に夢中の二人。で、煙管をグルグル回したり、プップッと吹いたり、「熱ち熱ち」と言ってたりする。その陽気なところで受けていた。
 煙管が日常の中にあった時代の演出だろうが、今では見かけないくすぐりだなぁ。
 それとも、誰かやっているのだろうか。
 
 東京で、まずは受けて覚えてもらうために、必死だったのだろう。
 その後のことが、次のように書かれている。
 で、だんだん安心していったのだろう。自信がついてネタを増やしていった。『八五郎坊主』『猪買い』『夢八』『三十石』『天王寺詣り』。やがて、大阪の芝居噺も演るようにもなり、己が好きな、己が惚れた春団治のネタを片っ端から演るようになった。これも受けた。

 そうか、春団治ネタか。

 この後に談志は、上方から東京へ来た噺家として、小文治については、「この人は癖のある人で、何ィ言ってるんだか分からない」と評する。
 二代目の小南については、「大阪弁ともつかず、名古屋弁ともつかず、何処の言葉を喋っているのか判らなかった」とまで言う。しかし、その後「小南落語」というようなものを拵えた、と書くことを忘れないのが、談志の良いところ。

 そして、百生のことを、あるネタを元に次のように書いている。
 で、百生師匠だ。百生師匠なりのリアリティのある演出の仕方、または春団治流の奇想天外な表現もあった。
『へっつい盗人』はこうなる。
「ガラガッチャガチャガチャ、ドンガラガッチャ、ププー。
“どないした、どないした”
“いやァ、いま転んだ拍子に、自転車のラッパの上ェ手ェついた”
“手ェついたやらプー一つやろ。何でププーと二つ”
“いや、あんまりええ音やから、もう一つ押した”
“アホかお前は”」
 こういうナンセンスが百生師匠の作品にちりばめられていた楽しさ。
 文字を読んでいても楽しくなるような、演出。

 上方落語、それも、初代春団治の流れをひく爆笑落語の秘密を知ることのできるような内容だ。
 そして、この後に、談志は次のように書いている。
 私は、百生師匠を聴いて初めて、大阪落語の面白さを知った。ナニ、私ばかりでなく、東京の噺家の若手も聴き手も。
 この落語が、戦後衰えた大阪落語、面白い人がいなくなってしまった大阪の落語界を救い、百生師匠の喋った落語が継承され、今日に至っている。

 談志が、ここまでの褒め言葉を使うことは、そうあることではない。

 東京、大阪の架け橋となり、戦後の落語界を盛り上げた噺家として、三遊亭百生の名は、もっと語られて良いだろう。


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by kogotokoubei | 2015-09-23 17:08 | 落語家 | Comments(4)
 秋彼岸の真っ最中なのだが、敬老の日を無理やり秋分の日にくっつけて“シルバーウィーク”などという連休をつくったので、どうも彼岸や秋分の日のことが隅に追いやられたような気がしてならない。


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矢野誠一著『落語歳時記』(文春文庫)

 文字通り座右の書、矢野誠一さんの『落語歳時記』をめくると、秋彼岸の噺、として次のようなことが書いてあった。
  秋彼岸  恥ずかしき嘘をつきたり秋彼岸

  女護ヶ島(にょごがしま)

    「ご隠居はん、しばらくごぶさたしております」
    「おォ、ぶさたはえェけど、なんやええ着物きて、
    どこへ行ってきたんや」
    「ほほ、今日はな、天王寺さんへお詣りしましたんで」
    「ほゥ、そらええことしたな。あのナ、彼岸中にいっぺん
    天王寺さんへお詣りするとな、間の日に、千べん詣った
    ほどご利益があるちゅうんね。ぎょうさんひとが出てたやろ」

                               『女護ヶ島』

 「女護ヶ島? 女護ヶ島って、ぼく聴いたことないんですが、そのはなし、色っぽいんですか」
 とたんに、「ハハハハ・・・・・・」という、けたたましい笑いが、受話器のむこうから返ってきたが、その笑いがやむと、ちょっと間があって、いかにも悪戯っぽい調子で、
 
「色っぽ過ぎますのや」
 と百生はいった。
 『古今東西落語家事典』によれば、三遊亭百生は、明治28年大阪の生まれで、少年時代からの寄席通いが縁で、明治44年に芝居噺の名手初代桂文我門下で我蝶という名を貰った、とある。
 大正7年上京、翁家さんま(のちの八代目桂文治)の門人でさん助。大正9年にいったん帰阪したが、心底から慕っていた五代目三遊亭圓生を頼って再び上京。最愛の妻を亡くしてから中国の青島に渡り、幇間をしたり、カフェガーデンを経営し繁盛したらしい。しかし、敗戦のため昭和20年12月、無一文で引き揚げた。焦土の大阪で桂梅團治の名でカムバックしたが、いったん東京に出て事業で失敗。また、帰阪。昭和27年、古くからのなじみ六代目三遊亭圓生を頼って上京し、昭和29年に百生を名乗った、とのこと。昭和39年の3月31日に亡くなっている。
 
 東京に上方落語を伝えた功労者の一人は、東京五輪開幕を目前にして旅立ったわけだ。

 『落語歳時記』の引用を続ける。
 ふだんあまり接する機会のない艶笑落語ばかり何本か選んで、特別に聴く会を開こうという企画の出演交渉と演目の選定で、いまは亡き三遊亭百生に電話をかけたときのはなしで、昭和38年もかなりおしつまった時分のことである。受話器を置いてから、百生のいう『女護ヶ島』が、『島巡り』ともよばれるはなしであることに気づくのに、さして時間はかからなかった。
 (中 略)
 百生のいう『女護ヶ島』という題だが、内容に忠実たらんとすれば、当然『島巡り』だし、前田勇の『上方落語の歴史』(杉本書店)には、もっとていねいに、『万国島巡り』としてあるほどだが、『女護ヶ島』という題、いかにも艶笑落語にふさわしく、捨て難い。そして、このとき聴いた百生の出来がすjこぶる良かったのは、年が明け、本格的な春の訪れを待たず、鬼籍に入ってしまっただけに感無量なものがある。

 本書の冒頭を読んでから百生という噺家さんの略歴を知り、本書の続きをあらためて読むうちに、ああ、この百生という噺家さんにとって、あの戦争はいったい何だったのだろうか、という思いが強くなった。

 
  百生という噺家さんについては、あらためて書きたいと思う。

 さて、『女護ヶ島』とはどんな噺なのか。
 まず、このネタは旅ネタに一つであり、あらすじの前に次のような説明がある。
 旅だとか、道行きだとかいう言葉は、漂流と無縁ではない。わが国の藝能が、この種の漂流の身によって伝えられてきたことを思うとき、大道藝から出発し、こんにちなお大衆藝能と規定される落語の、根源にあるものを、上方の旅ネタは教えてくれているような気がしないでもない。

 大道藝から出発した落語・・・その落語の会を1,000席を越えるホールで開催したり、4,000円を超えるような木戸銭で開催する時代になった。

 マイクなどもいらない会場で聴いてこそ、落語の本来の味が楽しめるのではないかと思っている。

 脱線する前に、この噺の筋書きに関する記述をご紹介。
 さて『女護ヶ島』への旅、彼岸の天王寺詣りと洒落こんだ阿呆が、境内にかざられた見せ物小屋の絵看板を見てきたことに始まる。
 絵看板のなかに、赤い腰巻きの、女ばかりの島があった。これすなわち『女護ヶ島』というわけで、隠居の怪し気なる説明によれば、この島の女、毎朝、神国はわが日本のほうに股を広げて、扇をもちいだすと、風よきたれとあおぎこむ。そうして十月十日たって生まれた子が玉のような女の子。それがなによりの証拠には、
「日本の男が朝起きたとき、こう固うになっとるやろ」
「ああァ、ええェ、なってまんな」
「あのとき、むこうであおいどるンや」
「はは、さよか、ほたらなんでんな、むこうであおぐのンが、こっち感じまんねんな。ワァ、えらい面白いもんやなァ・・・・・・いま、だいぶあおいどるやろ?」
 といった調子の、単純な絵に描いたような男だけに、即日家財道具を売り払い、「女護ヶ島」求めて旅立ったのも無理はない。
 旅立ったといっても、ストレートに「女護ヶ島」につければ苦労はないので、最初についたのが「小人国」。ここで水を飲もうと滝の下に行くと、これが滝ではなく、「大人国」の男の小便で、あげくの果てに、この男の放屁でまる一日とばされて、ついたところが待望の「女護ヶ島」というしだい。この放屁の場面、楽屋でドロドロドロと文字通りの鳴りもの入りというのだから、上方落語とはおおらかなものだ。どうも、なにごともさらりと演ずるのをもって粋とする江戸落語にはない。泥くさいもでの執拗さが、上方落語の特色とみえて、糞、尿、屁のでてくる度合いがすこぶる多い。

 この後、『愛宕山』の冒頭部分で、春景色の情景描写の後でさえ、幇間の一八に“ばば”をつかませる上方落語の底力(?)のことが記されている。

 矢野さんは、関連するいろんな話題を挟んでくれるので、読んでいて実に楽しいのだが、それらを割愛して筋書きに関する記述をご紹介。

 かくして「女護ヶ島」に到着した阿呆のもてっぷり、なにしろ開闢このかた訪れたことのない男とあって、想像を絶する騒ぎが展開する。股間にぶら下がった一物を発見した女の質問に、うっかりと、
「これか、これはな掃除棒というてナあんたらのお腹掃除するもんや」
 などと答えたため、掃除希望者が続出、朝、門を開けると二百人も列をつくってるありさま。さすがの阿呆も、
「ワァ、こない掃除してたら、こっちの身体が続かん。・・・・・・しゃべってる、落語家の身体も続かん」

  凄い噺だねぇ(^^)
  
  本書では、この後に、正岡容が聴いたという桂文團治のこの噺では、「女護ヶ島」へ行く男は百生の高座のような阿呆ではなく、「職人か、小料理屋のかよい板前か」としていること、また、旅立つきっかけも隠居が退屈まぎれに読んでいた絵本であることが説明されている。
 しかし、矢野さんはこう記す。
 だが、三遊亭百生という落語家の十八番が、『天王寺詣り』という落語で、彼岸の天王寺の雑踏を描いて出色だったのを忘れることのできないぼくは、彼岸の天王寺境内、見世物小屋の絵看板というイメージには、いささかひかれるものがある。

 『天王寺詣り』も、春でも秋でも通用しそうだが、たしかに彼岸に相応しい噺。
 あの噺も好きだなぁ。

 秋彼岸、今後は、この時期に、三遊亭百生と『女護ヶ島』という噺を思い出しそうだ。


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by kogotokoubei | 2015-09-22 10:07 | 落語の本 | Comments(4)
 木曜の第八回「おさかなばなし」の録画を見た。

 感想を書こうと思うが、先に、来週のこと。
 NHKサイトの同番組のページにもあるように、来週第九回は、「鬼神のお告げ」だ。
NHKサイトの「まんまこと」のページ

 おっ、予想がまた当たったぞ!


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畠中恵著『こいわすれ』(文春文庫)

 文春文庫「まんまこと」シリーズの三冊目『こいわすれ』には、次の六つの作品がある。

 ①「おさかなばなし」
 ②「お江戸の一番」
 ③「御身の名は」
 ④「おとこだて」
 ⑤「鬼神のお告げ」
 ⑥「こいわすれ」

 ご覧のように「おさかなばなし」は、最初の物語。
 そして、「鬼神のお告げ」は、同書五作目。

 予告を見ると、巳之助が富くじに当たるようなので、原作からは脚色されているが、それは大筋において問題ないだろうし、巳之助の出番が増えることも悪くない。

 さて、9月2日の記事で、予想再挑戦として、次のように書いた。
2015年9月2日のブログ

なかなか難しいが、ハズレも承知で、

 第八回「おさかなばなし」
 第九回「鬼神のお告げ」
 第十回「朝を覚えず」

 と予想する。

 「おさかなばなし」に続き「鬼神のお告げ」も、当たった。
 素直に嬉しい。
 しかし、最終の第十回「朝を覚えず」(文庫四冊目の『ときぐすり』所収)まで当たるかどうかは分からない。
 三つとも当たったら、自分で自分に何かご褒美を出すことにしよう(^^)

 あらためて「おさかなばなし」の感想。
 先週の放送がお休みになり、関連して河童の記事を先に書いたように、河童にまつわる物語。
 原作から違う脚色は、原作では、河童の噂を利用して“置いてけ堀”で盗みを働いたのは、川越の呉服屋七国屋の手代である岩吉だったが、テレビでは、桧山うめ吉演じる小唄の師匠おと吉の弟、としていたこと。原作には登場しないおと吉を配して、清十郎が慕う人としたことは、寄席ファン、うめ吉ファンとして嬉しいことであって、彼女の出演場面が増えることは大歓迎である。大筋に影響することもなかったし、主人思いの岩吉を犯人にしない脚色も悪くない。
 この物語では、麻之助の妻、お寿ずの懐妊が分かる。吉五郎の姪、おこ乃がお寿ずの懐妊祝いを持って登場。幸せいっぱいの麻之助だったのだが、果たして今後どうなるのか。
 最後に市川左團次演じる宗匠との会話は、微妙に次回「鬼神のお告げ」の内容を暗示しているようだった。


 来週第九回「鬼神のお告げ」は、予告にあるように、えなりかずき演じる巳之助が富くじに当たるのだが、それは庚申の夜に三尸(さんし)の虫を捕まえて、当たりくじを聞いたという内容で、結構落語ファンが楽しめる素材が豊富だと思う。
 そして、来週の放送後の最終回予告が、私の予想した「朝を覚えず」になるのかどうか、次回の内容もその後の予告も、実に楽しみになってきたなぁ。

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by kogotokoubei | 2015-09-19 08:11 | 歴史ドラマや時代劇 | Comments(2)

 鴻池祥肇(よしただ)という男が、良くも悪くも、今の日本では実に有名になっている。

 いわゆる戦争法案を論議するはずの参院平和安全法制特別委員会の委員長として、ここ最近はつとに有名になった。

 彼は、鴻池善右衛門の鴻池財閥とはまったく関係なく、鴻池組の方に関係している。

 大伯父の鴻池忠治郎が鴻池組や鴻池運輸の創業者。侠客としても知られた人だ。

 鴻池祥肇には、この大伯父の血は流れていないのか・・・・・・。

 彼は昭和15年生まれで、日本青年会議所の会頭を経て国会議員になった人。

 公式ホームページのプロフィールから、彼の「座右の銘」を紹介しよう。 
鴻池祥肇公式HPの該当ページ

座右の銘

信無くば立たず
政治に最も大切なものは国民との信頼関係である

政治家は一本のろうそくたれ
政治家は自分の身を燃やし燃え尽きるまで、身を削りながら世のすみずみまでを照らし出し、よりよき社会を造るべく働くものである

 かつて女性問題でも話題を提供したが、郵政民営化では、当初反対していながら、その後「民意」を考慮して賛成に寝返った。

 さて、彼は「国民との信頼関係」を大事にするのであれば、今すべきことは何か、じっくり考えて欲しいものだが、どうも「座右の銘」は空手形、いや、大嘘だ。

 「民意」は、どこにあるのか、分からないらしい。
 同じような年齢、あるいはもっと目上の人たちが国会前に詰めかけている現実こそ、「民意」の表出である。

 上方落語に『鴻池の犬』という噺がある。東京では『大どこの犬』として演じられる。

 元ネタは、次のような内容。
 ある商家の軒先に黒、白、ぶちの3匹の犬が捨てられていた。ある日、男が商家を訪ね、その中の黒犬を欲しいと申し出る。 断られた男が後日持参したのは、鰹節、酒、反物などの数々。 それらの土産は犬に相応しくないと断る主人だが、男は自分が鴻池善右衛門の使いであると告げる。鴻池家で飼っていた黒犬が死に、その犬をかわいがっていた子供が落胆しているとのこと。商家の黒犬が亡くなった犬にそっくりなので、ぜひとも欲しいと言う。主人も事情を聞いて依頼に応じ、黒は鴻池家にもらわれた。
 贅沢な暮らしをし、近所のボスとなった黒犬。ある日、見慣れない痩せ細った犬が近所の犬にいじめられ、鴻池の家の前まで逃げて来た。黒犬がその痩せ犬の生い立ちを聞けば、三匹の兄弟で捨てられていたが、兄弟のうち黒犬はお金持ちの家にもらわれたが、ぶちは車にはねられて亡くなったとのこと。黒は、その犬が兄弟の白だと分かり、再会を喜び彼の面倒をみるようになる。
 サゲの地口は、今では分かりにくいかもしれない。

 鴻池祥肇という男。
 この人は、いわば恵まれた家に生まれた、「黒犬」のようなものではなかろうか。
 同じような年代の方が、雨に濡れながらも国会前に詰めかけている。

 もし、「座右の銘」にあるように、「国民との信頼関係」を大事にするのなら、国会前の人たちに対して別れた兄弟のような思いで、鴻池の黒犬がぶちにそうしたように、迎えることができるのではないのか。

 しかし、安倍内閣の「犬」でしかないなら、「鴻池犬」と言わざるを得ない。

 大伯父の侠客としての血が流れているのなら、弱き者を助ける義侠心を見せて欲しいが、どうも、そんな気概はないようだ。

「鴻池は犬」なら、座右の銘に「政治に最も大切なものは国民との信頼関係である」などとは、書かないで欲しいものだ。


 公式ホームページに、次の「好きな言葉」が載っている。
生きているということは
誰かに借りをつくること
生きてゆくということは
その借りを返してゆくこと
(永 六輔)

 今回は、委員長役を譲った「ヒゲ」に、借りをつくったのか。

 我が家にも犬が二匹、いや、二人いる。
 彼等は、大事な家族だ。

 たとえば桂枝雀の「鴻池の犬」を聴くと、ぶちが亡くなるのは辛いが、黒と白の兄弟再会場面には、胸が熱くなる。

 しかし、「鴻池は犬」の場合の「犬」は、言うまでもなく蔑称であり、ボスに従順な子分のことで、可愛いくもなんともない。

 松戸での紀州犬の事件には心が痛んだが、自民党の飼い犬は、主人に噛みつくことはないだろう。
 
 来年の参院選の後に、彼は議員としては「いぬ」存在である。

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by kogotokoubei | 2015-09-17 12:58 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
 なんとか野暮用をやりくりして、国立演芸場へ。

 『へっつい幽霊』と『業平文治漂流奇談より 業平文治』がネタ出しされていた。

 開演時点で七割五分の入り、というところだったろうか。
 年に一度の独演会を楽しみにしていた顔見知りの今松ファンたちの集会、という趣き。

 ちなみに、昨年(ネタ出し『敵討札所の霊験』)、一昨年(『名人長二』)、三年前(『大坂屋花鳥』)にも来ており、滅多に独演会をしない今松が、円朝作品などの大作に挑む会として、楽しみにしていた。
2014年11月9日のブログ
2013年11月7日のブログ
2012年11月9日のブログ

 次のような構成だった。
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開口一番 笑福亭喬介『牛ほめ』
柳家小せん  『黄金の大黒』
むかし家今松 『へっつい幽霊』
(仲入り)
江戸家猫八 物まね
むかし家今松 『業平文治漂流奇談より 業平文治』
------------------------------------------------------

笑福亭喬介『牛ほめ』 (16分 *18:00~)
 昨年2月に行った横浜にぎわい座の上方落語会以来だ。
2014年2月16日のブログ
 三喬の二番目の弟子なので、松鶴→松喬→三喬、よって六代目からは曾孫弟子になる。兄弟子は喬若。
 実は今松とは楽屋で初めて会った、とのこと。
 ネタは、にぎわい座の時と同じ。よほど自信がある噺、なのかもしれない。
 東京版では主役は与太郎だが、上方では池田の伯父貴の甥になる。与太郎ではないから、口上は自分で書いて池田へ行く、という寸法。この口上書きを懐に入れて、それを見ながら普請を褒める、とんちんかんな語りが笑いを誘っていた。さわやかな印象の高座ながら、笑いのツボは外さないところが、一門の伝統なのかもしれない。品の良さも感じた、上方では珍しい存在(^^)
 終演後に翌日曜の連雀亭での落語会のチラシを配っていたのは身内の方だろうか。残念ながら日曜はダメヨの男なのであった。

柳家小せん『黄金の大黒』 (18分)
 実に久しぶり。調べてみたら、三年前の8月の国立、志ん輔が主任の会以来だ。
2012年8月5日のブログ
 相変わらず、声の良さが印象的。冒頭の店賃をめぐる頓珍漢な会話、一枚の羽織で吉っあんが見事な口上を披露した後の源ちゃんの珍妙な口上、などを楽しく聴かせる。世間から「ギリシャ経済っぽい長屋」と呼ばれている、というクスグリなども挟み、しっかりと今松の一席目を前にした客席を温めた。
 以前よりはずいぶん貫録がついてきたような気がする。今後は、初代が得意にして廓噺なども聴いてみたい。

むかし家今松『へっつい幽霊』 (40分)
 安倍内閣に関する時事的な内容を少し、そして、鬼怒川の氾濫についてもふれてから、今は死語化している“へっつい”や“かまど”のことをふって本編へ。
 私は初めて聴くが、十八番の一つのようだ。
 いわゆる古今亭の型ではなく、円生や三木助のように元ネタである上方の型に近いが、今松ならではなのが、サゲも本来の上方の内容にしていること。
 志ん生や志ん朝は、へっついを返しに来る客、という内容を省いて、いきなり熊さんが買って、その夜に幽霊が出るので、若旦那も登場しない。
 今松版は、一分二朱で売ったへっついを誰もが返しに来るので商品はそのまま残り、一回の商売で売値の三割の二朱づつ儲かる、という前段がある。しかし、へっついから幽霊が出るという噂から客足が途絶えて、金を付けてでもへっついを誰かに引き取ってもらおう、という道具屋夫婦の話を裏長屋に住んでいる熊が聞きつけて、若旦那の徳さんを巻き込んで・・・という円生、三木助と同じ筋書き。
 しかし、サゲは、熊との博打に負けた幽霊の長兵衛が、翌日に賭場を開いている最中の熊の家にあらためて出現する、という内容。
 熊が、「まだこの金に未練があるのか」と言うと、「いえ、テラをお願いに参じました」でサゲ。寺と博打のテラ銭を掛けたものだ。
 この噺、幽霊の仕草の可笑しさは、生で見ないと分からない。今松の幽霊が、熊のサイコロをあらためる時に、うらめしや~の両手の恰好のままで賽を振る場面が、可笑しい。
 また、幽霊が賽を持った時の科白「サイコロを持つと、浮世の苦労を忘れますねぇ」に対し熊の「おめえはとうに死んでるじゃねえか」のやりとりで、会場から程よい笑いが起こる。
 この噺でも、独演会のトリネタとして十分通用するだろうが、二席目には、あの大ネタが控えているのだよ。

 ここで、仲入り。

江戸家猫八 物まね (14分)
 昨年に続き、膝替りはこの人。
 猫の紋の着物で登場し、座布団に座った。かつて、祖父の初代猫八の時代には、もの真似も落語と同様に座って演じた、息子の小猫が洋服で立って演じているので、私は古風な形で、と説明。
 その表情が、ますます父親に似てきたなぁ、という印象。猫や犬、鳥などの「音をつかむ」コツを演技を挟んで解説。森の五種類の小鳥の鳴き声を交え、その覚え方のコツ(たとえば、三光鳥は「月、日、星、ホイホイホイ」と鳴くなど)を披露しながらの芸は、すでに父親と並んだか、もしかすると越えているかもしれない、と思わせた。
 「お後、今松師匠の大作がございます。準備もできたようですので」と下がった姿が、なんとも粋に感じたのは、私だけではないだろう。

むかし家今松『業平文治漂流奇談より 業平文治』 (78分 ~20:58) 
 この長い演題には、それなりの理由がある。
 なぜなら、この通し口演では「漂流」の場面もなければ、円朝の原作のように、最後に漂流することの説明も、ないからだ。

 この噺については、以前に三回に分けて記事を書いたので、ご興味のある方は、ご参照のほどを。
2015年7月8日のブログ
2015年7月9日のブログ
2015年7月10日のブログ

 私の感想から記すが、歴史的な高座だったと思う。
 誰も手掛けていない通しで、見事に仇討ちまでを演じきった今松には、感心した。

 今松の高座の概要を記す都合上、7月10日に紹介した、永井啓夫さんの『三遊亭円朝』の梗概を引用し、森まゆみさんの『円朝ざんまい』も参考にして、今松が、どのように通しとして再構築したのか、また、どう脚色したのかを振り返りたい。

 円朝の原作では、次のような物語が、半ば並行して語られることになる。
 今松が主に演じた内容にはをつける。

前提
安永年間、本所業平村に浪島文治郎という浪人が母と住んでいた。七人力で真影流に秀で、侠客として盛名があった。

本所中の郷杉の湯の場
文治は中の郷杉の湯で、ゆすりを働こうとした浮草お浪と夫まかなの国蔵をこらしめ、改心をさせる。

天神の雪女郎
業平天神前で雪中百度詣りをしていたおまちを救い、父の浪人小野庄左衛門を見舞う。そしておまちを妻にしようとする大伴蟠竜軒の門弟をこらしめる。

③柳橋芸者お村の話 
 両国の芸妓おむらは、芝紀伊国屋手代友之助と心中し、二人は文治に救われる。

神田の勇亥太郎の話
 文治は豊島町左官亥太郎と喧嘩し、これが縁で交誼を結ぶ。

⑤おむらの怨み 
 おむらは文治に不貞の心を見破られ、逆に怨みの心を抱く。

おあさ殺し
 浪人藤原喜代之助の妻おあさの不貞と不孝を知った文治は、折檻を加え、あばら骨を折って殺す。
 *今松は、文治を犯人にしない脚色をしているので、題の色を替えた。

⑦蟠竜軒兄弟おむらを奪う
 文治の母は絶食して意見をする。大伴蟠竜軒兄弟はいつわって友之助からおむらをうばい、友之助は自殺を計る。

蟠竜軒の小野庄左衛門殺し
 兄の蟠竜軒は小野庄左衛門を連れ出し、お茶の水で殺害する。

文治とおまちの蟠竜軒への切り込み 
 文治はおまちと結婚し、その夜、斬り込んで弟の蟠作おむらを斬る。
 *今松は、弟を登場させず、文治は蟠竜軒を斬った。

 以前書いたように、志ん生の音源は、これだけ多くの物語がある中で、①と④のみを、ラジオで15分づつ五日連続で放送した記録。
 現役の噺家さんでも、①と④しか演じた人はいないはずなので、この噺を通しで演じようとすること自体が、実に挑戦的なのである。
 まくらで今松が、「円朝の噺は、長い・・・無駄に長い」と語っていた言葉は、よく分かる。
 怪談にしても、円朝の噺には、「えっ、そんな話まで盛り込むの!?」という疑問に突き当たることが多い。
 80分で通し一席に仕立てるには、もちろん、割愛すべき話があって当然である。

 さて、今松はどうしたか。
 まず、①を最初に持ってくるのは、自然な流れ。志ん生の音源との違いは、浮名のお浪が文治に殴られた翌日、夫のまかなの国蔵と文治の家に強請に来た際、文治が留守で母親が相手をする場面を丁寧に描いた。
 文治が帰宅して、国蔵を懲らしめ改心の約束をさせるまでの所要時間は約25分。
 次にすぐ④にはいかず、私が期待していた②をしっかり挟んでくれた。後に文治の妻になるおまちとの出会いの場、おまちを妾に欲しいという大伴蟠竜軒の使いの者を退けるまでを約10分で語り、高座に雪を降らせた。
 この場面で嬉しかったのは、おまちの家の一軒挟んだ長屋に、お浪と国蔵が引っ越してきており、引っ越し蕎麦の最初の一杯を文治に食べさせる件を入れてくれたこと。これで、文治も、そしてお浪と国蔵、あわせて聴いている我々も、救われるのである。

 その後、④の亥太郎の登場。亥太郎がどれほどの向こう見ずな男かという逸話を二つ三つ挟む。
 居酒屋での騒動を止めに入った文治との喧嘩沙汰になり文治に痛めつけられた亥太郎が、浅草見附から鉄砲を奪ってお縄にかかり牢に入る。文治は病気の亥太郎の父親を訪ね見舞いとして十両を渡す。二か月後に百叩きを受けてから牢を出た亥太郎が家に戻り、父嫌に文治に仕返しに行くと言うと、父親は文治を殺す前に俺を殺せ、と叱る。亥太郎が改心して豊島屋の酒を持ってお礼に行こうとする場面までを、約17分で演じた。
 よって、ここまでで約52分。結果として、残りが約26分だった。
 次に亥太郎つながりで⑧を語った。亥太郎が、おまちの父小野庄左衛門を蟠竜軒が殺す場面に出くわし、蟠竜軒の煙草入れ(原作では胴乱)をもぎ取った。これが、後で犯人を特定するための重要な証拠となる。

 一人ぼっちになったおまちは、身の振り方を近所の国蔵に相談する。国蔵は文治の子分である森松に相談。二人はなんとかおまちを文治の家の飯炊き、いや女房にお世話しよう、ということになるが、国蔵や森松が言ったところで文治は首を縦には振らないだろうと浪人の藤原喜代之助に頼むことにする。
 この浪人藤原喜代之助は、元は老中松平右京の家臣だったが、品川の女郎おあさに熱を上げて一緒に住み始め、主君から放逐されていた人。
 原作では、舅の面倒をろくに見ない悪女おあさを文治が殴り殺すのだが、今松は、藤原喜代之助が叩っ斬った、と脚色した。
 この脚色は、良かったと思う。

 実は、原作の文治は、円朝の作品で言うなら『名人長二』の長二のような職人としての潔癖さがあるわけでもなく、侠客の元祖とも言うべき幡随院長兵衛ほどの男気や器の大きさのある男とは言えないのだ。
 親の残した財産のおかげで金に困らず、やたら人に大金をばら撒きたがり、その金の力で人をつないでいるような印象が強い。また、女性への暴力をはじめ、その七人力を見境なくふるう乱暴な男と言えないこともない。
 特に、印象が悪いのは、おあさ殺しだ。

 森まゆみさんも『円朝ざんまい』のこの噺の章の最期で、相棒のぽん太との居酒屋での会話として、「ちょっとお金を恵みすぎですよう」とか「あんな簡単に人をぶったり殺しちゃいけない」と言わせているが、私も同感だった。
 だから、おあさを藤原喜代之助に殺させ、その後、おあさの悪行が判明して喜代之助にはお咎めなく、老中の家臣として復帰できるという今松の脚色で、文治も、そして聴いている側も救われるのである。

 今松の脚色の良さは他にもあって、原作では蟠竜軒兄弟が登場し、話をやや複雑にしているのを、兄一人だけにしたことも、なかなか良い工夫だった。
 文治の支援で袋物屋を営むことのできた友之助は、煙草入れが蟠竜軒のものであることを証言する役として登場させた。③、⑤、⑦の、おむらがらみの話は割愛しても、友之助はこの場面では必要。違和感はなかった。

 さて、藤原喜代之助のおかげで老中を味方につけることができた文治、妻となったおまちとと一緒に蟠竜軒の家に乗り込み、同心たちの助っ人も得て見事に義父の仇を討つことができた。
 なんと、文治には、多くの藩から召し抱えたいとの声がかかり、父親がかつて仕えていた堀丹波守のお抱えとなる、という大団円でサゲ。

 原作では大伴蟠竜軒は不在で、仇討ちはできないまま、数人を殺害した罪を自ら名乗り出て小笠原の無人島に七年の島流し。その後に、おまちと仇を討ったと地で語られているのみ。
 円朝は続編を書くつもりだったのだろうが、残念ながら世に出す機会を失い、弟子の円橘が遺稿を元にしたのであろうか、『後の業平文治』として発表した。しかし、この内容も、新潟の海で漂流した船が小笠原に漂着するなど、やや不可解。

 今松の脚色は、複雑でやや難解な原作を、通しで演じるために見事に仕立て直したように思う。

 途中では笑いを取る場面も適度にあり、まったく80分飽きさせることがなかった。
 いろいろと‘救い’のある噺に仕立てたのも後味を良くしていたと思う。出来過ぎ、という指摘もあるかもしれないが、原作に忠実に通しを語っては、文治の侠客としての姿は存在感を持ちにくい。

 多くの物語から、①と④を中核とはしているが、他の物語からも適宜内容と人物を違和感なく挟み、好脚色で仇討ちまでを描き切った今松の高座、文句なく今年のマイベスト十席候補とする。

  
 永井啓夫さんの『三遊亭円朝』によると、明治十二年の本郷の春木座二番目狂言として「業平文治」が上演されたらしい。本名題は『業平文治松達摂』。円朝の作品で初めての芝居上演がこの作品で、円朝は当時『侠客浪島文治郎』として高座にかけていたようだ。
 そこには、「漂流」の文字は、ない。


 終演後も、帰宅の電車の中で、結構興奮していたように思う。

 翌日曜も、いろいろとあって記事を書き終えることができなかった。

 今振り返っても、歴史に残る高座だったという思いは変わらない。

 加えて、開口一番の喬介、小せん、猫八の高座のすべてが良かった。主役を立てながらも、自分の役割はしっかりこなす、という姿勢も感じた。

 あの場にいて良かった、としみじみ思う。


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by kogotokoubei | 2015-09-14 12:22 | 落語会 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛