噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

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 久しぶりの寄席。
 原則として土曜の夜は落語会や寄席には行かないのだが、野暮用続きで行く機会のなかった今月は、そうも言っていられない。
 昼の部の主任の柳家小袁治の高座以降、夜の部の正雀がネタ出ししていた『牡丹燈籠・お札はがし』まで。
 *拙ブログの通例で「師匠」は割愛。

 座間で正雀の見事な高座に接し、これまで積極的に聴いてこなかったことを反省した。
2015年8月10日のブログ

 この席では円朝もの中心のネタ出しで演じることを小袁治のブログで知ったので、なんとか野暮用を片付け、小袁治の高座から間に合うように出かけた。
 そういえば、前回の末広亭は5月5日の祝日で、やはり、昼のトリ近くに入場し、歌丸の板付きの高座を聴いてから、夜の真打昇進披露興行を楽しんだのだったなぁ。私が北見マキを見ることのできた最後の寄席でもあった。
2015年5月6日のブログ


 さて、入場した時は正楽の紙切りの後半。
 二階席にも少しお客さんがいた。好きな下手の桟敷に空きを見つけて、とりあえず座席を確保。
 夜の部では二階は閉ざされ、椅子席で七割程度、桟敷が半分位の入りだったろうか。 
 
 なんとか間に合った昼の部のトリの感想から。

柳家小袁治『柳田格之進』(41分 *~16:38) 
 袴で登場。マクラで夜の正雀の高座までお聴きくださいと、この方ならではの気配り。
 この噺で初めて聴く工夫として、柳田が彦根藩を離れる際の、彼を慕う部下との別れの場面があった。短いながら、柳田の人柄を偲ばせる良い演出だったと思う。
 番頭徳兵衛が湯島で柳田と再会するのが、事件のあった翌年ではなく、翌々年の正月としていた。なるほど、だから、柳田が彦根藩に戻ることができて元の部下たちの協力で五十両をつくり、吉原からお絹を請け出したところ、やせ衰え老婆のようになっていた、という時間の経過と辻褄が合う。
 よって、サゲは徳兵衛とお絹が所帯を持つ、というハッピーエンドにはならない。碁盤を斬り、「柳田の堪忍袋というお噺」でサゲた。
 小袁治の見た目は、なかなか侍に似合いである。万屋源兵衛、番頭徳兵衛、そしてお絹もしっかり描かれた好高座だった。
 元が講談ネタで、志ん生が落語として普及させたが、定型のある噺とは言えないネタだと思う。
 だから、噺家さんによって、筋書きや演出は人それぞれでも構わないと思う。
 湯島切り通しでの出会いの日も、小袁治は1月2日としていたが、人によっては1月4日。
 そういう細かな違いもあって筋書きへの影響はないし、噺家さんそれぞれが、柳田という人をどう造形するか、ということで全体の流れも変わって当然だと思う。お絹の吉原での過ごし方、そして、サゲの内容なども人によって違って不思議のない、という珍しい噺ではないだろうか。
 小袁治が、彦根藩での別れの場面を挿入した型で演じたのは、柳田という人物が、下の者には慕われていたが、つい本当のことを言ってしまうので、上にはうけが悪い。しかし、最後にはその誠実さが伝わるのだ、という人物像を強く意識したような気がした。
 それは、現在の落語協会における立ち位置が、なんらかの心理的な影響したのか、と思うのは、少し勘ぐりすぎかな。

 昼の部がはねて、桟敷の空間も広かった。場所を替えて、コンビニで買った弁当で腹ごしらえ。
 夜の部について、出演順に記していこう。印象の良かった高座にをつける。

入船亭ゆう京『二人旅』 (7分 *16:52~)
 開口一番は、扇遊のお弟子さん。昨年4月の扇遊・扇辰の二人会以来。あの時は、『道具屋』を20分以上演っていた。長さには少し閉口したが、その高座には今後に期待していた。しかし、今回は、少し残念。二人が二人とも似た口調、それも、暗いゆるい語り口でそっくりなので、噺のリズムが出ない。精進していただこう。

林家ひろ木『動物園』 (7分)
 本来は彦丸と一蔵の交互出演なのだが、代演でこの人。来春五人が真打昇進すると二ツ目の香盤が一番上になる。すぐ下が、二ツ目に同じ時期に昇進した、この日に仲入り後のくいつきを務める朝也なのだが、比較するのは可愛いそうか。若手が客席に拍手を催促する高座は、感心しない。

笑組 漫才(「かずおの失敗」?) (12分)
 本来はくいつき朝也の後の出番なのだが、浅い時間での登場。
 かずおが仕事に来るのを忘れたという複数の失敗のネタ。話は可笑しかったものの、やはり深い時間で十八番のネタを聴きたかったが、これも寄席だ。
 それにしても、前の日の下手の桟敷に外人さんがたくさんいた、というのは、いったい何だったのだろう。はとバスは、末広亭には寄らないよね(^^)

古今亭菊太楼『幇間腹』 (13分)
 菊志んの代演。二年ぶりに聴くが、以前感じた線の細さのようなものが払拭された印象。幇間の一八も実に楽しく、若旦那とのやりとりも可笑しかった。見た目も語り口もスッキリしていて、どこか扇辰を思わせるような感じもする。今後、少し気にしたい噺家さんだ。

初音家左橋『粗忽の釘』 (11分)
 6月の「しんゆり寄席」での『棒鱈』の高座を思い出す。短い時間でも、しっかりと客席を笑わせた。八五郎が伊勢屋で出会った女房に後ろから忍び足で近づき、八つ口から手を入れておっぱいをツンツンが、なんともセクシーだったなぁ(^^)

美智・美登 奇術 (12分)
 袋と卵、新聞紙の梯子の後、住吉踊りから、と言って「深川節」をご披露。いいねぇ、こういう芸。

林家鉄平『代書屋』 (14分)
 過去の記事で確認すると、一昨年4月に同じ末広亭、小満んが主任の席で『桃太郎』を聴いている。その時もそうだったようだが、この人、自分で笑ってしまう癖があるんだなぁ。
 このネタは結構ニンかもしれない。バンツマなる無筆な依頼人の口から、エクセル、ワード、パワーポイントなんてぇ科白が出るあたりは、なかなか可笑しかった。

鈴々舎馬桜『うなぎや』 (14分)
 馬生が横浜にぎわい座に出演のための代演とのこと。
 前段で、男が仲間から飲ませてやると浅草界隈をひきずり回されて、挙句の果てに隅田川の水を飲まされた、という話を加えてから、職人がいないからタダで飲めるという鰻屋へ二人連れが行く。水槽には、切られ与三郎うなぎや旗本退屈うなぎ、咳をしている「不如帰」の浪子うなぎ、などがいて楽しい。
 こういう噺でしっかり笑わせるあたり、やはりこの人は上手いと思う。
 どうしても、元は立川流であることや、かつて志らくがまくらで名指しで批判していたことなどを思い出してしまうのだが、そんな過去のことはもういいじゃないか、などと思いながら聴いていた。

三増紋之助 曲独楽 (15分)
 本当に“語り”の上手な人だと思う。滅多に演らないと言う「要返し」の引っぱり方など見事。客席を元気にしてくれるという意味でも、落語協会で不可欠な色物さんだと思う。

桂南喬『あわび熨斗』 (14分)
 小里んの代演で、久しぶりに聴くことができた。好きだなぁ、この人の高座。甚兵衛さんが、途中で可愛そうになってきて、客席の同情を誘う(^^)

春風亭一朝『たがや』 (17分)
 仲入りは、この人。桟敷で私の近くにいらっしゃったお客さんから「待ってました!」の声。そのおかげで、マクラにおける歌舞伎の大向こうの話に入りやすかったように思う。九十六間の両国橋での出来事を、見事に高座に描き出した。江戸っ子の科白や仕草も流石。やはり、いいなぁ、この人。

春風亭朝也『新聞記事』 (13分)
 くいつきには、二ツ目からの抜擢でこの人。来年の真打昇進が五人なので、再来年昇進は確実だろう。八五郎を楽しく演じ、客席を沸かせた。役割は十分に果たしたようだ。

ホームラン漫才 (11分)
 下手のたにしが、まず昔のスポンサーの名や製品名が入るテレビドラマの主題歌(たとえば、ナショナルキッド、とんま天狗)を歌って客席を沸かせた後、勘太郎が、藤木隆や山本リンダの真似で、より大きな笑いを誘い出す。この人たち、ハズレがない。

林家時蔵『しわい屋』 (12分)
 初めて、のはず。落語協会が290名、落語芸術協会は140名、立川流60名、円楽一門が50名と、マクラで各協会所属の落語家の人数を並べたのは、何か意図することがあったのか・・・・・・。
 上方では『始末の極意』。一個の梅干で三週間ご飯を食べる方法などから、庭の松の木を握らせての、体を張った始末の伝授を楽しく聴かせた。渋い中に、なんとも言えないお茶目な色合いを含んでいるような、そんな印象。

入船亭扇遊『家見舞』 (14分)
 時蔵と真打昇進の同期生が登場。ちなみに、古今亭志ん輔も同じ昭和60(1985)年9月の昇進だ。志ん輔の日記風ブログでは、時蔵と楽屋で会うと、なんとも嬉しいようなことを書いている。一緒に前座修行をした仲間との交流は、特別なものがあるのだろう。
 兄ぃの新居祝いを出し忘れた二人の楽しい会話が実に結構だった。あの壷を二人合わせて五十銭より内輪の三十銭で手に入れる、という設定って、意外に少ないような気がするなぁ。
 湯銭と言って兄ぃが五十銭くれた時、「おい、これでもう一つ買えるな」とヒソヒソ話で言うのだが、結果論だが、先に兄ぃの新居に来ていれば、持っていた五十銭と合わせて一円で祝い品が買えた、という計算か(^^)

鏡味仙三郎社中 太神楽 (9分)
 三人で登場。芸より、とにかく仙三郎が元気そうで、良かった。

林家正雀『牡丹燈籠~お札はがし~』 (32分 *~21:00)
 一度緞帳が下りたのは、高座に、蝋燭(電気だが)を用意するのと、明かりを落とすため。
 柳家小袁治のブログ「新日刊マックニュース」には、この蝋燭の写真や、楽屋に貼ってあるのだろう、正雀の、円朝もの中心の怪談ネタでの九日間のお題が掲載されている。
柳家小袁治「新日刊マックニュース」
 ネタ表の写真をお借りする。

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 一日休演があるが、並んだこれらのネタ、結構凄いと思う。
 この内容を、なぜ落語協会のホームページ、あるいは末広亭のホームページで掲載しないのか、実に残念だ。
 さて、本編のこと。初日で語られたはずの二月に亀戸の梅見の後、幇間医者の山本志丈に連れられて、新三郎が柳橋の寮(別荘)でお露と最初の出会いをしたことを地で語ってから、その後のことに。
 新三郎は、お露に会いたくてたまらないのだが、一人で行くのは厚かましいと思い、山本志丈が来るのを待つのだが、なかなか来ない。原作では夢を見る場面があるが、それは割愛して早や時は過ぎて六月も半ば、ようやく志丈がやって来た。しかし、なんとお露が、新三郎に恋焦がれて死に、看病疲れで女中のお米も後を追ったとのこと。
 悲嘆にくれる新三郎さが、お盆七月十三夜の月を見ていると、深夜八つ過ぎに、下駄の音がカランコロンと・・・と怪談話のクライックスにつながっていく。

 昨年の9月に関内での柳家小満んの会以来聴く噺なのだが、その構成や力点は大きく異なる。
2014年9月27日のブログ
 小満んは、独演会での高座でもあり、正雀の本格的な連日の通し口演ではないぶん、その前段の筋書きにも力点を置く。
 たとえば、新三郎とお露の柳橋での初対面の場面。
 お露が女中のお米に言われて、新三郎が厠を出てから柄杓で水をかけてやるのだが、新三郎を見ることができず、水があちこちへ。新三郎が手を動かして、という場面で笑いをとる。
 さて、お露が持っていった手拭いの上から新三郎がお露の手を握り・・・・・・二人は相思相愛であることを確認。
 これは、志ん生の音源にもある演出で、それはそれで結構だった。
 しかし、正雀は発端についてはすでに演じているということと、題の通りに「お札」をはがす場面でま演じたい、という思いがあるからだろう、そういった艶っぽい場面は割愛。
 というか、この人は、真面目なんだろうなぁ。
 志ん生の音源では、笑いがとれる場面でしっかり客席を笑わせるのだが、正雀は、あるいは、師匠の八代目正蔵は、円朝の怪談噺への向き合い方が違うのかもしれない。
 新三郎の世話をしている伴蔵と女房のおみねが、幽霊の女中お米から百両をもらうこと、そして結果として金無垢の海音如来をいただくことで、せっかく幽霊除けに新三郎が貼ったお札をはがし、その結果新三郎が無残な死をとげ、伴蔵とおみねは、伴蔵の故郷である栗橋に引越し、荒物屋を始める、というところまで、しっかり。
 実に格調の高い高座だった。ただし、せっかくネタ出しもしている席、たとえば寛永寺の鐘の音などを含め、下座さんや前座さんの協力も得て、音響効果があったほうが良かったのではなかろうか。
 しかし、そういった仕掛けは一切なしで素噺に執着するのも、正雀の高座ということなのかもしれない。
 最後には、彦六の声色での奴さん、大成駒屋の声色で姉さんの踊りを披露。これは、座間でも見せていただいたが、贅沢な高座だった。


 終演後に外に出ると、そぼ降る雨の中、深夜寄席に並ぶお客さん達。若い人ばかりでもない。こういう場所で並んでいる人達が、本当の落語ファンなのかなぁ、などと思いながら帰路を急いだ。
 帰宅して一杯やると、とてもブログを書く余力なし。
 一夜明け、雨でテニスは中止。
 岩隈が登板しているメジャーリーグを見たりしながらブログを書き始めたが、途中で本を読んだり、なかなか集中できない。
 結局、書き終えたのは、以前から行くと決めていた相模大野のデモに参加した後であった。

 それにしても、正雀の円朝シリーズのネタ出し一覧、なぜ落語協会のホームページで掲載しなかったのか、実に残念だ。
 末広亭のホームページで掲載してもらうにしても、落語協会からの問いかけが必要だろう。
 今年は行けなかったが、鈴本の夏祭り、さん喬・権太楼の会のネタ出しや雲助の主任の席のネタ出し、池袋演芸場の企画ものの案内などと末広亭の違いを感じる。

 ちなみに、池袋演芸場の9月中席は、三遊亭白鳥作『任侠流れの豚次伝』を、いろんな噺家さんが演じる番組が記載されている。
池袋演芸場のサイト 

 これは、落語愛好家にとっては、実に有難い情報である。

 鈴本や池袋の例は、協会というより、噺家と演芸場との緊密な関係があってのことかとは思う。
 では、末広亭は・・・・・・。
 
 数年前、末広亭の席亭は落語芸術協会が主催する寄席の客の入りが少ないことに苦言を呈した。
 さて、それでは、現在の末広亭は、他の定席と比べて、営業努力をしていると言えるのだろうか?
 もちろん、落語協会が、もっと噺家の立場で、寄席の情報を発信すべきことは当たり前だ。
 しかし、寄席によっても、そのホームページに“料簡の違い”が出てきた、そんな気がする。


 本日8月30日、国会前には12万人とのこと。相模原も、三カ所合計だとは思うが1000人は超えたと言っていた。
 この国民の声は確実に実るはず、と思ってデモ後の酒を呑んでいるのであった。


p.s.
後から「新日刊マックニュース」を拝見し、小袁治版『柳田格之進』は、十代目金原亭馬生の型であることを知った。なるほど。
また、『柳田格之進』と『牡丹燈篭~お札はがし~』の共通点を見のがしていた。
それは、お盆七月の月。かたや、万屋であの事件が勃発、こなた、深夜八つ過ぎにカランコロン、である。
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by kogotokoubei | 2015-08-30 20:42 | 落語会 | Comments(4)

 昨日8月28日は、旧暦7月15日。そう、盂蘭盆だった。
 本日が7月16日ということで、神霊に無事お帰りいただくよう、精霊馬(しょうりょううま)をご用意した。お帰りはナスの牛なのだが、キュウリの馬さんも特別出演。


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 さて、27日に放送された「清十郎の問い」の録画を見た。
 NHKサイトの番組ページにある、あらすじをご紹介。
NHKサイトの「まんまこと」のページ

第6回「清十郎の問い」

総合 2015年8月27日(木)午後7時30分
【再放送】総合 2015年9月3日(木)午後2時5分

父・宗右衛門(高橋英樹)と母・おさん(竹下景子)の留守を預かることになった麻之助(福士誠治)はやっかいなもめごとに巻き込まれる。お寿ず(南沢奈央)の知り合いの娘が婚約者からもらったお守り無くし、一方お由有(市川由衣)の実家の番頭が、お由有の父・角右衛門(村井國夫)からもらったお守りを無くしてしまった。自身番にお守りが届けられたが、一つだけである。果たして落とし主はいずれか?板挟みになった麻之助は...。

 今回も、脚色の妙を感じた。
 たとえば、仲の良い姑(おさん)と嫁(お寿ず)との会話の中で、放送しなかった物語の逸話をさりげなく挟んでいた。第一冊目『まんまこと』の「柿の実を半分」のことや、麻之助がお由有に惚れていたこととか。
 そして、新たな創作としても、工夫があった。たとえば、お由有は子供がいるのを承知でお由有を嫁がせてくれたの清十郎の父、源兵衛が亡くなったため、お由有の父である札差の大倉屋に、清十郎にお由有をもらってくれないか、と言わせた。これは、ありえる話である。年齢的には麻之助や清十郎とお由有の方が、一緒になるに相応しいのだから。
 途中で板ばさみになった麻之助を気遣うお由有のやさしい姿も、よく分かる。
 また、サゲで可笑しかったのだが、騒動の元となったお守りは、実は麻之助の父宗右衛門が落としたものだった、というのも悪くない。

 麻之助の大事な女性二人が敵対する物語も、なかなかに楽しむことができた。

 さて、、次回。あら、なんと「せなかあわせ」だ!
NHK「まんまこと」のページの「次回予告」


 8月26日、放送前日の記事で、次のように書いた。
2015年8月26日のブログ

放送される十の物語は、きっと次のように選択されるだろう、と思う。
 (1)『まんまこと』:4作
 (2)『こいしり』:2作
 (3)『こいわすれ』:2作
 (4)『ときぐすり』:2作。


 この段階で、予想が外れていたのである

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畠中恵著『こいしり』(文春文庫)

 『こいしり』の六作から、なんと三つの物語(下記の太字)が選ばれた。

 ①「こいしり」
 ②「みけとらふに」
 ③「百物語の後」
 ④「清十郎の問い」
 ⑤「今日の後」
 ⑥「せなかあわせ」

 一冊目の『まんまこと』から4つだったので、すでに7つ。
 ということは、『こいわすれ』と『ときぐすり』の2冊から、3つ選ばれるということか。

 予想は仕切り直しだ(^^)

 よく検討して、雪辱(?)を果したい!

 
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by kogotokoubei | 2015-08-29 08:53 | 歴史ドラマや時代劇 | Comments(0)

 最近、江戸時代や明治時代の日本と日本人のことを考えて、つい、渡辺京二『逝きし世の面影』をめくることが多くなった。

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渡辺京二著『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)

 「ノスタルジーに浸るな!」とお叱りを受けそうだが、それでも結構。

 かつての日本にあって、今日では見かけなくなった日本と日本人の光景を、幕末から明治にかけて来日した海外の人たちが残してくれた貴重な文章が満載だから、読むべき価値は高いのだ。

 読み直して印象的な部分を紹介したい。

 まず、「第四章 親和と礼節」から引用。

 ウィリアム・ディクソンは、ある車夫が苦労して坂を登っていると、別な車夫がかけつけてうしろから押してやる光景をしばしば見かけた。お辞儀とありがとうが彼の報酬だった。これは互いに見知らぬ車夫どうしの間で起こることなのである。彼は、東京に住む宣教師が車夫からうやうやしく声をかけられ、様子が気に入って家まで車に乗り、さて財布を取り出したところ、「お気になさらずに」と言われたという話を紹介している。車夫のいうところでは、彼の友達の病気をこの宣教師が親切に治療してくれたので、ささやかなお礼をしたかったのだとのこと。そう言うと車夫はお辞儀をして立ち去って行った。
 エドウィン・アーノルドも「俥屋にお茶を一杯ご飯を一杯ふるまって、彼のお礼の言葉を耳にすると、これがテムズ川の岸で、まぜもののビールをがぶ飲みしたり、ランプステーキに喰らいついたりしている人種とおなじ人種なのかと、感嘆の念が湧いてくる」と言っている。彼は明治二十二(1889)年の仲通りと銀座の群衆について次のように記す。「これ以上幸せそうな人びとはどこを探しても見つからない。喋り笑いながら彼らは行く。人夫は担いだ荷のバランスをとりながら、鼻歌をうたいつつ進む。遠くでも近くでも、『おはよう』『おはようございます』とか、『さよなら、さよなら』というきれいな挨拶が空気をみたす。夜なら『おやすみなさい』という挨拶が。この小さい人びとが街頭でおたがいに交わす深いお辞儀は、優雅さと明白な善意を示していて魅力的だ。一介の人力車夫でさえ、知り合いと出会ったり、客と取りきめをしたりする時は、一流の行儀作法の先生みたいな様子で身をかがめる」。田舎でも様子は変らない。弟妹を背負った子どもが頭を下げて「おはよう」と陽気で心のこもった挨拶をすると、背中の赤児も「小っぽけなアーモンドのような目をまばたいて、小さな頭をがくがくさせ、『はよ、はよ』と通りすぎる旅人に片言をいう」。茶屋に寄ると、帰りぎわに娘たちが菊を一束とか、赤や白の椿をくれる。礼をいうと、「どういたしまして」というきれいな答が返ってくる。

 本書の注によるとディクソンは、おそらく当時中国在留の医師であろう、とのこと。
 アーノルドは、イギリス出身の新聞記者であり、紀行文作家。福沢諭吉の庇護を受け、慶応で講師も務めた人。

 ディクソンやアーノルドが感嘆した日本人の礼儀正しさ、その美しさを、我々はは失ってしまった。
 アーノルドが形容したような、どこを探しても見当たらないような幸せそうな姿も、今の日本のどこを見渡せばあるのやら。

 その挨拶やお辞儀が、異国の人々に美しく優雅なものと映ったのは、その時の日本人に心の余裕があったからだろうとは思うが、それは日本人全員が本来持っている美徳でもある。

 「第五章 雑多と充溢」からもアーノルドの本からの引用部分を紹介したい。
 アーノルドは言う。「日本の街路でもっともふつうに見かける人物のひとつは按摩さんだ。昼間は彼がゆっくりと―というのは彼は完全に目が見えないのだ―群衆の中を通り過ぎてゆくのを見かける。手にした竹の杖を頼りとし、またそれで人びとに道を明けるように警告す。・・・・・・夜は見かけるというよりも、彼の通るのが聞こえる。たずさえている小さな葦の笛で、千鳥の鳴き声にいくらか似ているメランコリックな音を吹き鳴らす。・・・・・・学理に従ったマッサージを行う者として、彼の職業は日本の目の見えぬ男女の大きな収入源となっている。そういうことがなければ、彼らは家族のお荷物になっていただろうが、日本ではちゃんと家族を養っており、お金を溜めて、本来の職業のほかに金貸しをやている場合もしばしばだ。目の見えぬ按摩は車馬の交通がはげしいところでは存在しえないだろう。彼の物悲しい笛の音なんて、蹄や車輪の咆哮にかき消されてしまうし、彼自身何百回となく轢かれることになるだろう。だけど東京では、彼が用心すべきものとては人力車のほかにない。そいつは物音はたてないし、子どもとか按摩さんと衝突しないように細心の注意を払ってくれるのだ」。
 アーノルドとともに明治二十年代初頭の東京の街頭に立ってみよう。四人の男の肩にかつがれた方形の白い箱がゆく。死者が東京と見納めているのだ。だが「あまり悲しい気分になる必要はない。日本では誰も死ぬことを、ひどく怖れたり嫌ったりすることはないのだから。下駄屋、氷水屋で氷を削っている少女、鰻の揚物を売り歩く男、遊びの最中の男の子と女の子、坊さん、白い制服の警官、かわいい敏捷なムスメが、ちょっとばかり葬列を見やる。だが彼らの笑いとおしゃべりは半分ぐらいしかやまない。・・・・・・街頭はこんどは人足たちで一杯になる。材木を積んだ車を曳いているのだが、紺のズボンをはいた年輩の女たちがあとから押している。・・・・・・あまいねり粉を文字や動物や籠の形に焼きあげる文字焼屋、それに彼の仲間の、葦の茎を使って、大麦のグルテンをねずみや兎や猿の形に吹きあげる飴屋」。紙屑拾い、雀とり、小僧に薬箱をかつがせた医者、易者、豆腐屋、砂絵描き、それにむろん按摩。アーノルドの列挙する街頭の人びとの何と多彩なことだろう。それぞれに生きる位置をささやかに確保し、街を活気とよろこびで溢れさせる人びとなのだ。

 按摩さんの文章で、『真田小僧』を思い浮かべた落語愛好家の方も多かろう。あるいは、『按摩の炬燵』や『三味線栗毛(錦木検校)』かな。

 私が子供の頃の北海道の田舎町でさえ、按摩さんがいたことを思い出す。
 目の不自由な人にとっては、貴重な職業だった。
 今では、あちこちに、チェーンのマッサージ屋さんが出来ているが・・・・・・。

 町の雑踏を通る葬列に対する人びとの対応は、あまりにも冷たい印象を受けるかもしれない。
 しかし、立川談志の言葉じゃないが、「死んだら、終わり」という、良い意味での処世訓が浸透していたように思う。そして、死に対する覚悟の違いを感じるなぁ。

 死ぬことを前提に、精一杯楽しい人生を生きる・・・そんな明るい、生に拘泥しない人びとの住む日本があった、ということか。

 なかなか、そこまで達観できないが、「死んだら、終わり」という意味を、肯定的にとらえる必要があるのかもしれない。

 町には、なんともいろんな職業の人がいたものだ。
 アーノルドが東京のどこを描いたのか分からないが、浅草や両国にも行ったのだろうし、縁日の光景に目を輝かせたに違いない。
 

 挨拶の優雅さ、礼儀正しさと姿勢の美しさ、明るいおしゃべり、相互扶助の精神、死を怖れることなく精一杯生きる姿・・・・・・。

 どれもこれも、かつての日本であり日本人のことである。

 そういった姿を、少しでも取り戻したいと思うが、もちろん、これは安倍晋三が言う「日本を取り戻す」でもなければ「美しい日本」でもない。

 安倍政権がしていることは、そういった本当に“美しかった日本”を、さらに遠い過去に退けようとする行為である。

 江戸、明治のことを考えると、どうしても今の日本の状況に対し悲観的になるが、いやいや負けてはならない、と思う。

 日本という国は、その歴史と伝統を顧みるに、海外の人に尊敬される国になれる要素は、いくらでもある。礼儀正しさ、争いを好まず平和を尊ぶ精神、相互扶助、などなど。
 なぜ、アジア近隣諸国との関係を悪化させるようなことばかり政府がするのだろうか。

 まずは、憲法を遵守し、戦争をしない国として他の国と接することが、日本として相応しいことなのは、間違いがない。


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by kogotokoubei | 2015-08-27 22:35 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)
 明日第六回の放送は、NHKのサイトの同番組のページ「次回予告」にあるように、文庫二冊目『こいしり』から「清十郎の問い」である。
NHKサイトの「まんまこと」のページ
 そうか、明日は、いつものように午後八時からではなく、七時半からなんだ。

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畠中恵著『こいわすれ』(文春文庫)

 文庫化されている四冊から十の物語を選んで放送される。すでに一冊目から4作が放送された。
 放送される十の物語は、きっと次のように選択されるだろう、と思う。
 (1)『まんまこと』:4作
 (2)『こいしり』:2作
 (3)『こいわすれ』:2作
 (4)『ときぐすり』:2作

 明日、第七回の予告がされる前に、七回目と八回目の放送が、文庫三冊目『こいわすれ』のどの物語から選ばれるか、予想しておこう。
 これも、このドラマを見る楽しみなのである(^^)

 『こいわすれ』には、次の6編が収録されている。

 ①「おさかなばなし」
 ②「お江戸の一番」
 ③「御身の名は」
 ④「おとこだて」
 ⑤「鬼神のお告げ」
 ⑥「こいわすれ」

 筋書きにおける必然性から考えると、⑤から⑥にかけては起こる麻之助の身内の一大事については、外せないだろう。
 ネタバレになるので詳しくは書かないが、⑤の最後に、その一大事が起こった後、⑥の物語に続く。⑥で登場する女性は、文庫4冊目『ときぐすり』の中のある物語にも出演(?)する。

 その身内の一大事に⑤の筋書きは関係しないこともないが、その一大事を盛り込んで⑥として映像化することもできる。
 よって、⑥が、第八回の放送と予想する。

 問題は、もう一つ、第七回だ。

 まず、⑤の扱いだ。
 富札の値段について書いた記事ですでに一部引用したので、富くじをめぐる事件が中心、とだけ書いておくが、原作では⑤の最後で、その一大事が発生するのだが・・・⑤と⑥のいずれかを短くして一篇にする、なんてこともできるかなぁ。
 いや、難しいだろう。
 ⑤は割愛されそうな気がする。

 では、どれが第七回になるか。

 私が見たい物語、という観点からは、①か②なのだがなぁ。
 ①はミステリアスな内容。かっぱが題材。
 ②も捨てがたい。江戸の狂歌と書画を題材にしてした両陣営の戦いが楽しいのだ。
 
 もしかして、3作選ばれるか・・・・・・。

 しかし、四冊目『ときぐすり』から1作だけ、ということはないだろうなぁ。

 ということで、私の予想は、②と⑥とする。もしかすると、①と⑥かもしれない。
 あるいは・・・⑤と⑥ということもあるか。

 優柔不断という声が聞こえるが、本命・対抗・穴、ということで、複数の予想にご容赦を(^^)

 う~ん、今回は、どれもハズレるかな。

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by kogotokoubei | 2015-08-26 21:39 | 歴史ドラマや時代劇 | Comments(0)
 落語芸術協会(芸協)所属の奇術師、北見マキが旅立った。

 芸協のホームページの訃報を、全文紹介したい。
落語芸術協会ホームページの該当記事

【訃報】 北見マキ

平成27年8月23日(日)午後7時52分
当協会所属の奇術師の北見マキ(本名:吉田省丘 よしだしょうく)が肝臓癌のため、都内の病院にて逝去しました。享年74

≪略歴≫
昭和15年12月10日生まれ (出身地 北海道虻田郡豊浦町)
昭和40年10月 「北海マキ」の芸名でデビュー
昭和40年1月 日本奇術協会に入会
昭和51年2月 日本手品の家元「養老派」を継承
昭和54年  社団法人落語芸術協会入会
昭和58年7月 芸名「北見マキ」に改める
平成12年5月 社団法人日本奇術協会会長就任(~平成18年3月迄:以降名誉顧問)

«受賞歴»
昭和51年9月 マジック・グランプリ賞(日本テレビ)
昭和52年1月 放送演芸大賞部門賞(フジサンケイグループ)
昭和61年11月 ベスト・インターナショナル・マジシャン賞(マジックランド)
平成3年12月 松旭斎天洋賞(日本奇術協会)
平成5年1月 平成4年度(第47回)文化庁芸術祭賞(文化庁)
平成9年4月 栄誉賞(中国上海市)
平成12年11月 篤志貢献特別賞(北海道豊浦町)

《おもな出演番組》
笑点、花王名人劇場、他

洗練されたスタイルと日本手品の伝統とその両面から常に第一線で活躍し続けた奇術界の第一人者でした。受賞歴と海外でのゲスト出演も数多く、社団法人(現公益社団法人)日本奇術協会第9代会長も歴任。後進の指導そして奇術界の発展に寄与しました。公益社団法人落語芸術協会にも所属。寄席においても欠くことのできない演者の一人でした。
本年6月10日お江戸広小路亭定席の出演を最後に、病気治療のため以降の出演を取りやめ療養中でした。

お通夜 平成27年8月28日(金)18:00~
告別式 平成27年8月29日(土)11:00~12:00
式 場  月光殿 江戸川区西小岩1-7-8 TEL 03-3671-4444
喪 主  吉田(よしだ)輝代(てるよ)(妻)

謹んでご冥福をお祈りいたします。

 写真も掲載されている。

 この記事を見て、私の郷里のすぐ近くの町のご出身なのが分かり、少し驚いた。
 実は、私の両親は、同じ町の出身だ。
 最近では、プロボクシングのフライ級チャンピオンだった内藤大助の故郷として有名(?)な地である。

 私は、最期の出演の約一か月前に、末広亭の真打昇進披露興行で拝見したことになる。
 2015年5月6日のブログ
 この日は、昼の部の主任、歌丸が板付きの高座だった印象が強いのだが、実は、もっと厳しい体調にもかかわらず出演していた人がいたわけだ。

 その時の印象を、短いながら次のように書いていた。
北見マキ 奇術 (12分)
 久しぶり。指をコヨリで縛ってのネタが見事。以前より、親しみやすくなったような気がするのは、年齢のせいかな。
 この印象は、病気のことも影響していたのか、と今になって思う。
 記事には書かなかったが、ずいぶんと老けたなぁ、というのが第一印象だった。

 かつては、年齢よりも見た目が若いダンディで、剃刀のような切れ味というか、やや近寄りがたい雰囲気があったように思う。しかし、この日の北見マキは、好々爺とも言うべき印象で、いつになく会場のお客さんへの温かいまなざしを感じたのだった。


 芸協の訃報には、その人のことを知っていただこう、という思いが込められているのを感じる。
 
 以前、入船亭扇橋と三笑亭夢丸の訃報を比較し、落語協会と芸協の訃報の違い、ホームページに対する料簡の違い、ということについて書いた。
2015年7月15日のブログ

 あらためて、北見マキの訃報に、亡くなった一人の芸人さんの足跡を多くの人に知って欲しい、という芸協ホームページ関係者の心配り、真摯さのようなものを感じた。

 合掌
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by kogotokoubei | 2015-08-25 12:26 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 三遊亭金馬の『浮世断語』から、テキヤの符牒のことを紹介した。

 なぜ「香具師」と書いて「やし」と読むか、など香具師のことをどこかで読んだなぁ・・・と思って本棚を探し、ようやく見つけた。


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 『話藝-その系譜と展開』(三一書房、昭和52年初版発行)の中にある、小沢昭一「香具師の芸」だった。
 この本は、伝統芸術の会の編集だが、同会の会長は、心理学者の南博である。

 それでは、「香具師の芸」からご紹介。
「香具師」とは何か

 「テキヤ」ってことばが非常に耳新しい方もお一人や二人いらっしゃるかもしれませんので、私もウケウリですが、ちょっと申し上げますと、普通は「野士」ともいいます。野の士という字を本人たちは書きたがります。在野のさむらいっていうムードが自分たちにぴったりなんでしょうかね。ヤシ、テキヤ、同じことでございます。テキヤっていうのは「香具師」と書きます。
 なぜ香具の師がテキヤなのかっていうお話はあとにしまして、「テキヤ」っていうのはひっくり返したことばなんです。あの人たちはことばをひっくり返すんです。いまジャズマンもひっくり返します。「昭ちゃん、ルートコ行った?」なんて言います。トルコへ行ったかっていう、これはジャズマンのことばです。途中ですけれども、テキヤさんには隠語がたくさんあるわけです。そういう、その仲間だけで隠語のある世界っていうのは、僕は本物の世界じゃないかっていう気がするんですよ。はなし家さんがそうでしょう。すし屋だって、床屋だってそうでしょう。伝統が深くて、その仲間だけで閉鎖社会を作って長いこと腕をみがき上げてきた世界には、隠語ができるんですね。新劇にはないんだ。

 隠語(符牒)のある世界は“本物”、という小沢さんの指摘、よく分かるなぁ。
 『浮世断語』には、床屋で落語家と共通の符牒が普及した背景を説明していたが、それは、後日あらためてご紹介しよう。

 引用を続ける。

 ああいう隠語のある世界っていうのは僕は尊敬したいと思うんですが、「テキヤ」っていうのは、ひっくり返したことば、おそらく「ヤーテキ」ですね、もとは。「何テキ」っていうことばが昔あったんです。「おい、金テキ」とか「おい、昭テキ」とかって、人の名前を言うときでも、「何テキ」っていう言い方をする。これは「具体的」って言う場合の「テキ」とは使い方が違って、つまり「ヤーちゃん」とか「ヤー君」とかって意味で、「ヤー公」というのと同じような使い方。だから「ヤーテキ」って言っていたんです。その「ヤーテキ」の「ヤー」は野士の「ヤー」だ。だから逆に言うと、野士を「ヤーテキ」と言って、「ヤーテキ」をひっくり返して「テキヤー」、「テキヤー」「テキヤ」と言うんだっていう説があるんだけれども、これもどうもこじつけのような気もするのでありまして、ほんとうはよくわからないんですが、問題は「香具師」という字ですね。
 「○○テキ」という接尾語のことは分かるが、やはり、「ヤーテキ」--->「テキヤ」は、たしかに無理があるような、ないような。

 引用を続ける。

 「香具」っていうのを売っていた人がいたわけ。香具っていうのは、白檀とか伽羅とかっていう匂いもの、またその道具だけれども、これはお化粧品の一種というふうな考えがあるんですね。いま薬局行くと、お化粧品と薬品と同時に売っているんですが、あれは非常に古式ゆかしいことなんで、つまり、薬草、そういう薬と匂い袋などの香具、そういうものは同じ商売なんです。
 で、テキヤさんのほうでは、信仰神は神農皇帝というシナの神さまということになっています。関西のほうでは、テキヤっていうことばを言っても、あんまり通じません。神農さんて言いますね。関西のほうが根源により近いのでしょうか、とにかくテキヤさんの信仰神は神農さま。で、大阪なんかに行きますと、薬種問屋とか、昔の漢方薬、ああいう人たちの信仰神が神農さん。ですから、もとを正せばテキヤさんと薬屋さんとは同じ神職をもつ仲間、テキヤさんが実は薬売りなんです。薬売りであり、香具売りであるわけなんです。
 薬屋さんとテキヤさんとがこんなに近い関係なんてねぇ。
 この後に、歴史上のテキヤさんの名前が登場する。「ヤシ」の新たな語源の説も説明されている。

 ついこの前まで、といっても明治のことですが浅草の奥山で、長井兵助という居合い抜きがありました。それから松井源水という人がコマ回しをやっておりましたけれども、居合い抜きもコマ回しも付属品でありまして、つまりは歯みがき粉を売るのが本旨でありました。いろんなことをやって、結局最後は歯みがき粉を売るわけであります。歯みがき粉も薬品関係の品目ですね。
 こうして考えますと、「ヤシ」は「薬師(ヤクシ)」のつまったものという郡司正勝説のほうがほんとうのように思われます。
 郡司正勝先生の最近お書きになったものを読みますと、歌舞伎の俳優さんは、昔々ですが、やはり香具店を持ってる方が多かったそうですが、かつて香具師は日本の芸能の多くを傘下におさめていました。歌舞伎も、お上が許可して常設をみとめたものの他は、すべてが香具を売るための「愛敬芸術」として、寺社の境内で小屋掛けしていたもののようです。
 なるほど、そう言えば私が子供の頃に縁日で楽しみだった「ハブ液売り」(本書では、この後に「ヘビ屋」としてしっかり説明されている)も、あくまで薬を売るための芸だったのだよなぁ。

 たしかに、 「ヤクシ(薬師)」→「ヤシ」の方が、「野士」→「ヤシ」よりは、説得力があるように思う。
 郡司正勝さんは早大教授だった方で、歌舞伎、日本舞踊、民俗芸能を専攻された方。『話藝』の巻頭の章で「話芸とは」という文章が掲載されている。

 この後に、「タンカの構造」や、「ヘビ屋」のこと、「職人ブチ」「行者ブチ」など、学校では教えない楽しいことがたくさん書かれている。

 あらためて、小沢昭一さんが遺してくれた文章や画像、映像の歴史的な重要性に思いがいたるとともに、子供の頃の縁日の楽しさを思い出す、“小沢節”ともいえる文章を楽しむことができた。


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by kogotokoubei | 2015-08-23 09:14 | 伝統芸能 | Comments(2)
 20日放送分の録画を見た。

 NHKのサイトの「まんまこと」のページで確認できるが、放送された内容のお題は「こいしり」。
 同サイトから概要をご紹介。
NHKサイトの「まんまこと」のページ

第5回「こいしり」
総合 2015年8月20日(木)午後8時
【再放送】総合 2015年8月27日(木)午後2時5分

麻之助(福士誠治)とお寿ず(南沢奈央)の婚礼の日、仲人の源兵衛(石橋蓮司)が再び卒中で倒れ、婚礼は日延べになる。源兵衛は、昔世話をしたお伊代を探し出し、幸せに暮らしているか確かめてほしいという。麻之助たちはお由有(市川由衣)に内緒で女の行方を探すが、見つけ出したお伊代(黒沢あすか)は、源兵衛のことを憶えていないという。事情を知らないお寿ずは、麻之助たちが自分との縁談を断る相談をしていると誤解する...。

 脚色の妙があった。
 源兵衛が昔世話をしたというお伊代さんだが、本人とは別な女が、自分がお伊代だと名乗り出た。「こいしり」の原作では、女性は二人で、麻之助たちはどちらも本人を探し出すのだが、番組では該当者はお伊代一人で、本物と偽者という設定とした。
 そして、麻之助がこの偽者を、昔源兵衛にもらったという着物をきっかけに見破るのだが、このトリックは、第一作「まんまこと」所収の「柿の実を半分」で使われていた内容なのである。この物語は第一作から放送された四つには含まれていなかった。
 無理のない内容に脚色されており、「ほう、そうきたか!?」と、私は感心した。

 さて、「こいしり」は、このシリーズの文春文庫二冊目の題であり、最初の物語。

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畠中恵著『こいしり』(文春文庫)

 この番組に関する前回の記事で、二冊目から選ばれる物語の予想を書いた。
2015年7月31日のブログ

 前回の記事の六つの物語についての私見として、次のように書いた。

 ①「こいしり」は、麻之助の祝言もあるし、八木源兵衛を巡る大事な話、外せないよね。
 ②「みけとらふに」の猫たちも、ぜひ見たい。
 ③「百物語の後」は見せ場は多いだろうが、他作品との関係性の薄さから外れるか。
 ④「清十郎の問い」は、麻之助の大事な二人の女性がからむので、外せないはず。
 ⑤「今日の後」は、おもしろい内容だが、他作品と関係が薄く外れるかなぁ。
 ⑥「せなかあわせ」は、お寿ずからいきなりあの言葉が出る幕開けが印象的。

 すでに文庫第一作から四つ取り上げていて、全十作の放送。
 あと六つを三冊の文庫作品から選ぶことになるようなので、前回の記事では、「二冊目から二つなら、①と④、もし三つ取り上げるなら、①、②、④か、などと思っているが、見事に裏切られるかもしれない」、と書いた。

 予想通り「こいしり」が放送され、次回は「清十郎の問い」のようだ。
 残る四作は割愛されて第七回目からは三冊目「こいわすれ」の内容になると察するので、予想は当たったのではないかなぁ。
 少しだけ、うれしい(^^)

 次回は、麻之助にとって大事な二人の女性が敵対する事件が勃発。
 これまた、楽しみだ。

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by kogotokoubei | 2015-08-22 08:52 | 歴史ドラマや時代劇 | Comments(2)

FC2創業者に逮捕状。


 私が以前ブログを開設していたFC2の捜査に進展があったようだ。
 朝日の記事を引用する。
朝日新聞の該当記事

FC2創業者に逮捕状、わいせつ動画配信容疑 京都府警
2015年8月20日11時32分

 動画投稿サイト「FC2」のわいせつ動画配信事件で、京都府警はFC2創業者の40代の男について、わいせつ電磁的記録記録媒体陳列容疑で逮捕状を取ったことが、捜査関係者への取材でわかった。男は米国籍を取得しており、現在米国内にいるとみられる。

 捜査関係者によると、男はFC2の実質運営会社「ホームページシステム社」(大阪)社長の足立真(まこと、40)=公然わいせつ、わいせつ電磁的記録記録媒体陳列罪で起訴=と、創業者の弟で元社長の高橋人文(ともん、39)=同=の両被告らと共謀。一昨年6月、インターネットで動画を配信できる「FC2動画」で、大阪市大正区の無職の男(53)が投稿したわいせつ映像を不特定多数が閲覧できる状態にした疑いがある。

 FC2は1999年の設立で、米国に法人の拠点があるとされる。府警は昨年9月、FC2の実質的な運営会社がホームページシステム社とみて、同社や関係者宅を公然わいせつ幇助(ほうじょ)などの容疑で家宅捜索していた。男と両被告がFC2の運営に関してメールでやりとりをしていたことが判明したとして、府警は男がわいせつ映像の配信に関与していたと判断した。
 時事通信の記事は、共謀内容について、次のように書かれている。
時事ドットコムの該当記事
同社などから押収した資料の中に、男が社の運営方針について被告らとやりとりした記録があった。多くのアクセスを稼ぐ投稿者に対する報酬割合を、一般の投稿者より割高に設定するよう話し合うなど、わいせつ動画の公開をあおるような内容が確認されたという。

 容疑者が米国籍であることなどもあり、まだ、この件は長引くかもしれない。
 しかし、もはや、逃げることはできないだろう。
 「うちは、サービスを提供しているだけ。開設者がやったこと」と言い逃れできないだけの証拠があるからこその逮捕状だと思う。

 この事件の記事を含め、私がFC2から引っ越した理由やブログを書き始めた経緯などを4月に書いたので、関心がある方はご覧のほどを。
2015年4月26日のブログ
2015年4月28日のブログ


 ブログを引っ越してほぼ4カ月が経過した。

 エキサイトブログの操作には慣れたし、当初の戸惑いはない。

 ただし、いまだに古い記事内で旧記事にリンクしているもののすべてをエキサイトの記事に直せているわけではなく、訪問される方にご迷惑をおかけしていることには恐縮するばかりだ。
 過去記事へリンクをすることが多く、該当記事の数も半端じゃないので、ぜひ、長い目で見ていただきたい。

 4月の記事でも書いたが、引っ越そうと思った時には逡巡もあった。

「やや性急すぎるかな・・・・・・」と思わないでもなかったが、どう考えても経営陣が違法なことをしていると思われる会社のサービスを利用することが、とんでもなく居心地が悪かったのだ。
 今は、あの時に決断して正しかった、と思っている。

 FC2には、私がよく訪れるブログもある。
 もちろん、引っ越しするかどうかは、それぞれの管理人さんの判断である。

 引っ越しを悩んでいる方に私の経験から言うなら、引っ越し当初は、新システムに不慣れで当惑もしたし、検索エンジンからのアクセスが極端に減ったのは事実だ。
 しかし、操作には意外に早く慣れたし、現在ではアクセス数も以前と同等のレベルに戻っている。時間と慣れの問題、と申し上げたい。
 実は、兄弟ブログ「幸兵衛の小言」のアクセスは、以前より格段に増えた。

 
 いろんなブログへの引っ越しを検討したが、エキサイトでは、ほぼ以前のレイアウトのまま移管できるし、画像もコメントも生かすことができるので、私はお奨めしたい。
 FC2からエキサイトへの引っ越し方法については、下記をご覧のほどを。
FC2からエキサイトブログへの引っ越し方法のページ

 もし、エキサイトに引っ越しされたい方で何かご質問などがあれば、非公開モードでも結構なので、拙ブログのコメント欄を利用してお聞きください。
  

 さて、当然だが、FC2が企業体として継続している限りは、お客様であるブログの管理人の方へのサポートをしっかり継続すべきだ。
 
 また、実刑が確定していないことを理由に、顧客対応を曖昧にしてはいけないと思う。
 今回の事件に伴い、多くのFC2ブログ開設者や訪問者に心配をかけたことは間違いがない。
 利用者、訪問者には、お詫びすべきである。

 何度か書いているが、ネットの世界の匿名性は、メリットもデメリットもある。
 SNSの持つ利便性も、正邪の両面性がある。

 しかし、ネットワーク世界が拡大することは、間違いないだろう。
 そこで重要なのことは、昔から変わらない。
 サービス提供者も利用者側も、料簡の問題だ。
 カタカナで言えば、モラルの問題である。
 特に運営者側は、経済性の論理ばかりで考えては、道を誤るだろう。
 ネット文化における、ネットモラルが、今後もますます問われるようになる。
 あらためて、私自身も料簡をしっかり持って、ブログを管理していきたいと思う。

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by kogotokoubei | 2015-08-20 19:27 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 私の読書は、芋づる式で進むことが多い。

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『東京百話-人の巻-』(ちくま文庫、種村季弘編))

 三代目三遊亭金馬の『浮世断語』とのつながりから、ちくま文庫の『東京百話-人の巻-』の巻頭にあるこの文章を再読した。

 『東京百話』は、幅広い分野の方の厳選された短編を楽しむことができるので、時おりめくる本。
 『竿忠の家』の出典は、『ことしの牡丹はよい牡丹』(主婦と生活社)だが、こちらは未読である。近いうちに読むつもりだ。

 先日の記事にいただいたコメントでも、根岸の女将さんのことにふれられた方がいらっしゃったが、多くの落語愛好家の方は、金馬-海老名香葉子-林家三平、という連想をされるだろう。

 初代の林家三平の女将さん海老名香葉子は、東京大空襲で家族を失い、敗戦後に金馬に引き取られた人。
 釣り好きだった金馬が、「竿忠」の娘であった彼女に救いの手を差し伸べたのだった。

 今や、“根岸の女将さん”として、確固たる(?)地位を築いた感のある方が、どんな子供時代を過ごしたのか、ご紹介したい。

 部分的に割愛するが、“かよちゃん”一家が戦争に巻き込まれる前の、平和な暮らしを紹介したい。
 まずは、『竿忠の家』冒頭部分から。
 本所三ツ目通り。押上方面から三之橋を渡って右側が堅川三丁目。
 わたしはここで生まれ、ここで小学校五年まで育ちました。生まれたときから三の字に縁があったんだわ、と思っています。
 お隣はふとん屋さん。裏隣はフォードという大きな自動車の修理工場。三ツ目通りを渡って二百メートルも行ったところに菊川小学校-わたしのなつかしい母校があります。小学校の近くには小さい公園があり、ここはいつも子供たちが遊びほうけているところです。その公園の前に通称百軒長屋があり、その角の煙草屋のおばさんの明るい顔が、いまだに目に浮かびます。
 朝、広いアスファルトの三ツ目通りには、馬や牛の糞がたくさん落ちていて、狐が人間をだまし、あの糞を食べさせたんだという流行歌を、子供たちは親たちから聞かされていました。その、だました狐の歌を思い出します。

  おとっつあん
  今帰ったコーン
  おみやげあげようか
  温かい酒まんじゅう
  コーン
 
 学校から帰る頃には、この糞は近在のお百姓さんの畠の肥料(こやし)にでもなるのでしょうか、きれいに拾われて跡かたもなくなっていました。

 三ツ目通り、三之橋、三丁目・・・なるほど、三平に嫁ぐ運命にあったということか。

 馬糞・・・私が子供の頃には、道端に落ちていたなぁ。
 北海道の田舎生まれだったので、都会に比べトイレが水洗になるのは遅く、小学生低学年まで農家が馬車で集めて回っていたのを思い出す。

 さて、本所生まれの香葉子さんの家は、どんな家だったのか。
 わたしの家は代々釣竿師でした。三ツ目通りの角から二軒目で、間口六間(十・八メートル)、奥行四間(七・二メートル)の家です。二階の手すりの前には、ぶあつい立派な板に、大きく力強い字が彫り込まれた「竿忠」の看板が、掲げてあったのを覚えています。
 店の広い仕事場では、祖父と父がいつも竿づくりをしていました。常連の客が三、四人上り端に腰をかけ、その仕事ぶりを無言でじっと眺めているのが、毎日の店の風景の一つでした。竿師の家業がスタートしたのは五代ぐらい昔で、「竿忠」の屋号を掲げてからは祖父で二代、父で三代めということになります。
 曽祖父は明治の人で、名人とまでいわれたそうです。パリ万国博覧会に和竿を出品して最高級の銀盃をいただき、一躍有名になったようで、わたしの物心つく頃は下町の職人ながら、けっこう華やかな毎日だった印象があります。
 曽祖父の血を受け継いだ祖父や父の仕事ぶりは、子供心にも有無をいわせない気迫を感じさせました。短めの着物にたすきがけで、仕事中ほとんど口をきかず黙々と竿づくりに励む姿には、幼いわたしにも、「偉い人なんだなあ」と思わせる風格がありました。
 祖母は、神田の小柳亭という講釈場と寄席の小屋主の長女で、その界隈では飛び切りの美人という評判の娘だったそうです。わたしも「おばあちゃん」と呼びかけながらも、不思議なくらいきれいな人だと思っていました。
 母は木場の材木屋の長女で、父とは菊川小学校での同窓生。父が猛烈に母に惚れて、たっての願いで嫁いできてもらったそうで、父の一世一代の大恋愛だったことは、家族の間でも言い伝えられていたのです。
 店には、世間に名を知られる人が客として出入りしていました。中島飛行機社長の中島知久平、歌舞伎役者の先代市川海老蔵、落語家、講釈師から陸軍大将まで、そうそうたる人たちです。
 万博で賞を取ったほどの名人の曽祖父の血筋を受け継ぐ、伝統的な竿師の家の様子が、うかがえる。
 おばあさんが寄席、講釈場の小屋主の娘だったことは、その後の運命との縁を感じさせる。

 店を訪れた有名人の中には、きっと三遊亭金馬も含まれていたのだろう。

 そんな本所界隈の生活は、どんなものだったのか。

 象徴的な、その当時の朝の模様をご紹介。
「あさりからしじみよー」
 遠くに近くに聞こえる、もの売りの声から朝が始まります。
 祖母が長火鉢の端で、キセルの吸いがらをはたく音で、母がすっと起き、シャッ、シャッと手早く、着物とかっぽう着を身につけ、髪を撫でつけながら、あわてて下へ降りて行きます。
 間口の広い家の雨戸をゴトゴト開ける音、はたきをかける音、掃き出す音、丸い大きな卓袱台をギイギイ脚を出して組み立て、お茶椀やお皿を置く音、まな板でトントン、トントン・・・・・・の頃には、ご飯をおはちに取る匂い、そしておみおつけの香りがプーンと。
 一日の生活様式も明治時代以来のしきたりどおり、型が決まっていたものです。祖父母が睨みをきかせていて、店の仕事は祖父が、家内の取締りは祖母がとりしきっていました。
 朝脱いだ寝巻きやふとんのたたみ方、しまい方、洗顔、朝食など、子供たちもちゃんとしないと叱られます。母は色白の頬を赤くして、きゃしゃな体をきびきびと動かして、朝の秒刻みの忙しさをこなしていました。
 わたしたちが、
「行ってきます」
 と、次々に学校へ出かける頃には、入口に敷きつめられた玉石は、水で洗い清められています。四人も子供がいるので、部屋は散らかっていましたが、店の中は朝晩塵一つなく掃除されていたのです。
 わたしは、兄妹四人の末娘でした。

 そうなのだ、かつての日本の朝には“音”と“匂い”があった。
 
 また、この文章には、いわゆる‘核家族’時代の現在では考えられない、三代同居の生活風景が描かれている。
 いや、今は“核”すらあるのかないのか・・・・・・。

 出典元の著作の題名が登場する部分を、少し紹介。
 道路での遊びは、ろう石、縄跳び、ゴム段跳びなどの他に、

 ことしの牡丹はよい牡丹
 お耳をからげてスッポンポン

 や、「子取ろ子取ろ・・・・・・」「坊さん坊さんどこいくの・・・・・・」などを、男の子も混じえて喧嘩しいしい遊びをしました。
 ろう石、なんて死語になりつつあるのではなかろうか。

 お次は、竿忠一家の夕食の様子。
 風呂からあがると、おじいちゃんを除いた家族は、大きな丸い卓袱台を囲んで食事です。
「かよちゃん家のおかずはすごいね」
 近所の子によく羨ましがられましたが、今考えてみると、たいしたものではなかったと思います。
 祖父だけは湯あがりに手拭いを頭にのせ、長火鉢の前でくさやの干物などを肴に、わたしたちが食事をする横顔をミコニコ眺めながら、晩酌をチビリチビリとやり、仕事中の顔とはまるで違って、やさしい表情をしてました。
 子供たちは午後八時になると、否が応でも寝なくてはなりません。

  いたずら者は、いないかナァ
  いないかナァー いわみぎんざん
  
「いわみぎんざんがくるから早く、早く。子供は寝なさい。恐いよ、恐いよ」
 祖母が大きな声でせきたてます。
「知ってるんだ、いわみぎんざんは、鼠取のことなんだ」
 口答えをしつつ、わたしは梯子段の丸太の手すりにぶら下がりながら、まだ眠くないのにと、うらめしそうにしていました。
 仕方なくすごすごと二階に上がった兄たちは、部屋いっぱいに敷かれたふとんに入ってからも、笑ったり怒鳴ったり、取っ組み合ったりで、しばらくさわいでいました。
 わたしは父母のふとんの間にはさまれて、二の半の矢がすりのかいまきにくるまって寝ます。夢うつつに、父のほっぺや母の温かでやわらかいほっぺを、嬉しいなあと肌で感じながら。
 その頃になると、三ツ目通りの騒音は静まり、平和で穏やかな夜が更けていきました。

 まもなく、あんな大きな戦争が始まり、予想もしなかった不幸がわたしたち家族を襲ってこようなどとは露知らず、家族八人身を寄せ合って、ささやかながら幸福に充ち足りた生活を送っていました。昭和十五、六年頃までは-。

 昭和8年生まれで国民学校の5年生だったが“かよちゃん”は、昭和20年3月のあの日、静岡県沼津の叔母の家に疎開していた。9日の夜半から10日まで続いた東京大空襲で、父と母、美人だった祖母、長男と次男の兄、そして弟の家族六人を、いっぺんに失う。三男の兄は生き残り、「竿忠」の四代目を継ぐことになる。
 終戦後に親戚をたらい回しにされるが、父の知人で釣り好きだった三遊亭金馬に引き取られるのだった。

 私は、中学生の頃に夏目漱石の本を読むまで、敗戦前の日本について、あまりにも知らな過ぎた。
 意識の中で、昭和20年以前が、ほとんど空白だったとも言える。
 しかし、漱石の本には、私が知らなかった、素晴らしい明治や大正の日本が描かれていた。
 そこには文化の香りが充満していたし、知識人の姿や庶民の暮らしにも、憧れを抱いたものだ。
 「えっ、昔、そんな時代があったの!?」という驚きは、私にとってのカルチャーショックだった。歴史の教科書では分からないものだった。
 

 戦争の悲惨さ、残酷さを語る手法はいろいろあるだろう。

 ご本人の戦争体験そのものを語ることも大事だ。
 根岸の女将さんも、伝え続けている。
 デイリースポーツの8月14日の記事より引用する。
デイリースポーツの該当記事
12歳の年に終戦を迎えた。戦災孤児として生きた自身の体験を語り継ぐことを自分の「使命」と捉え、活動を続けている。終戦から70年の時間が流れ、戦争体験者は減少し、高齢化が進むが、「命がある限り伝えたい」と使命に燃える海老名さんの思いとは-。

 「戦後は生きる戦いでした。食べること、眠る所。もう、夢中でした。戦争は哀しいものです」。12歳で戦災孤児となってからの月日を、海老名さんは静かに語り始めた。
 私は、戦中戦後のことはもちろんだが、戦前の姿を伝えることも重要ではないかと思う。

 あの戦争が起こる前に、実に文化的な香り溢れる生活空間があったことや、金銭的に貧しかろうが心が豊かな人々、そして家族の幸福な姿があった事実、歴史を伝えることも貴重なことだ。

 そういった、大事なもの、人を、容赦なく奪うのが戦争であるという思いが、心の奥に深く沁み込んでくる。 

 そういう意味で、紹介した文章は、戦前の「竿忠の家」のことであっても、十分に反戦の訴えにつながる貴重な記録、記憶だと思う。

 
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by kogotokoubei | 2015-08-19 21:31 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)

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三遊亭金馬 『浮世断語』

 三代目三遊亭金馬の『浮世断語』を引用して符牒のことを書いたが、同じ章にテキヤの符牒のこともあったので、寅さん大好きな私は、ぜひ紹介したくなった次第。

 テキヤさん、縁日やさんの符牒にはおもしろいのがある。
 口上をつけて売るのを「三寸」とも「タンカバイ」ともいう。タンカは、浪花節の対話もタンカというが、辞苑には「啖呵=勢い鋭く歯切れのよいことば。江戸っ子弁でまくしたてる、路傍にたって大声にて口上をいう」としてある。「バイ」は商売、「三寸」は舌三寸で売るという意味もあるが、障子の桟のような物を並べて、その上へ品物を乗せるともいう。
 縁日で売る飴やさんを俗に「コロビ」、飴を「ネキ」、作ることを「デッチル」、つまり「ネキデッチ」
 ゴム風船を「チカ」、紐をつけて上げる、つまり「アゲチカ」、おなじ風船でも水のなかへ入れて釣らせるのは「ボン釣り」
 金魚釣りは「赤タンポ」
 「ナキバイ」、これは「サクラ」といって仲間が二、三人いる。
「よいナメ棒だ。このナタはいくらだい、俺は床屋の職人だぞ」
 うそばっかり、これも同じ仲間のサクラである。ナメ棒もナタも剃刀のことである。
 ぼくはテキヤさんのタンカを聞いて歩くのは大好きで、うまいのがあって思わず聞き惚れる。
 浅草公園で俄雨にあって、見ると蝙蝠傘をタタキ売りしている。前は大勢人が立っているので、後ろから、
「その傘一本下さいな」
 というと、その男が振り向いて、
「ああ師匠、この傘はシケモノだ、デッチモノだ、セコモノだからお止しなさい」
 と符牒をいう。よく考えてみると、この男は前に咄家の前座をやっていた男である。「シケモノ」と「セコモノ」は悪い品、「デッチモノ」はこしらえ物というわけだ。

 子供の頃、縁日が大好きだった。
 私の故郷では、「蝦蟇の油」売りではなく「ハブ液」売りのオジサンがよく来ていて、飽きずに日がな一日見ていた記憶がある。
 袋に入ったハブが、いつ登場するかを待っていたのだ(^^)
 屋台では型抜きにはまったこともあったなぁ。
 あのソース焼きそばや味噌おでんが美味しかったのも、縁日という場所のせいだったのだろう。

 「ナキバイ」「サクラ」のことからは、「男はつらいよ」で、寅次郎と関敬六扮するポンシュウとの掛け合いを思い出す。

 寅とポンシュウといえば、今週土曜BSジャパンの寅さんは、あの傑作「口笛を吹く寅次郎」である。
BSジャパンのサイトの該当ページ

 この作品にタンカバイは登場しない。しかし、松村達雄扮する住職が二日酔いで檀家の法事に行けなくなり、寅が納所坊主(-なっしょぼうず-寺の会計や庶務をする人、あるいは下級の坊主のこと)に化けての見事な和尚ぶりが、実に可笑しいのだ。

 なんとか読経を誤魔化した後の科白が、「天に軌道があるごとく、人それぞれに運命の星というものを持っております」なんてぇんだから、これは、タンカバイです(^^)

 住職役の松村達雄の演技も実に良い。二代目おいちゃんの時はプレッシャーもあっただろうが、肩の荷を下ろしたような印象。

 なお、以前の記事で、この作品のロケの後、和尚の衣装のままの渥美清と関敬六が仏具屋さんを訪れたという逸話を、小林信彦著『おかしな男 渥美清』から紹介しているので、ご興味のある方はご覧のほどを。
2015年6月21日のブログ

 符牒のことで、あえて一言。
 私は、その商売や芸能の伝統や歴史を知る一貫として符牒を知ることが楽しいのであって、通ぶって使おうと思っているわけではない。
 たとえば寿司屋で、他の客が「アガリ」や「ガリ」「ムラサキ」、そしてお勘定の際に「オアイソ」などと言うのを耳にすると、その客を睨みつけたくなる。
 あくまでも符牒は、その世界の人たちが使う言葉であり、素人が使ったら、寅さんじゃないが「それを言っちゃぁ、おしまいよ!」なのだ。

 そういう客こそ、「セコイ」「キンチャン」なのである。


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by kogotokoubei | 2015-08-18 12:19 | 落語の本 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛