噺の話

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 昨日は、落語会に行くつもりが野暮用のため行けなかった、と書いた。
 その行けなかった落語会は「花形演芸会」で、お目当ては桂吉坊の『冬の遊び』だった。

 悔しさはあるが、この噺のことは、やはり書いておきたい。

 この噺は、ある本で知った。
 その本のことは、かなり前になるが、記事で書いたことがある。
2008年10月4日のブログ



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『小沢昭一がめぐる寄席の世界』
 
 その本とは、『小沢昭一がめぐる寄席の世界』である。
  
 以前のブログと重複するが、紹介したい。

 この本での落語家との対談のトップは、同じ正岡容門下生の桂米朝師匠。
 米朝師匠が4つ年上。この二人の付き合いは長い。
 対談の中で「スケールの大きな落語とは」というテーマでの会話。

米朝 スケールの大きい落語というのは、どんなもんがあるかなと思って考えたんやけれども、案外ないんでね。「盃の殿様」というのが東京にありますけど、あれなんかは江戸の落語には珍しく、えらい大きな噺やな。・・・・・・・
小沢 いい噺ですね。
米朝 ・・・・・・大きい噺ですよ。長い噺ではないんやけどね。こういうもんは大きいなと思うんですよ。大坂落語でいろいろ考えたら「冬の遊び」というええ噺があってね。

 本書を元に、「冬の遊び」の内容を説明すると、こうである。
(1)なにかの事情で奉行所ににらまれ、夏の真っ盛りに花魁道中をやる
  ことになった。
(2)堂島の米相場町の連中が遊郭のある新町にやって来てお目当ての
  栴檀太夫を呼んでくれと言ったが、道中のさなかなので、と断られる。
(3)堂島の衆、「えっ、道中、聞いたか」「いや俺は知らん」と、事前に
  挨拶がなかったことが面白くない。
(4)堂島衆が帰ろうとすると、仲居のお富があわてて押しとどめ、急いで
  道中に栴檀太夫を探しに行く。
(5)お富が道中の見物客をかき分け「新町の一大事」と叫び、相談の結果、
  役人をお茶屋に連れて行っている隙に栴檀太夫を急病と偽って連れ出した。
(6)新町に戻ってくると、道中で歌舞伎の服装をしていたため、栴檀太夫も
  「船弁慶」の知盛の格好をしているのを堂島衆が見て、みんなで冬の袷を
  着て、襟巻きをして「冬の遊び」をすることになった。
(7)そこへ幇間が「暑いこったんなー」と入ってきた。店の主人に着ぶくれ
  姿にされた幇間が暑さに辛抱できなくなって着ているものを脱いで庭に
  飛び降り、井戸の水を浴び出す。
(8)「冬の遊びなのになにしてんねん」「寒行のまねをしています」・・・
  がサゲ。

 昨日の吉坊が、この筋書きの通りか、何か工夫をしたのかは、聴いていないので分からないemoticon-0106-crying.gif
 
 米朝師匠は、この噺に当時米相場を舞台に勢力のあった堂島衆の影響の強さや、夏真っ盛りに「冬の遊び」に興じる洒落っ気を含め「スケール」が大きいと評しているのだろう。

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『米朝ばなし』(講談社文庫)

 『米朝ばなし』では、「新町」の章で、次のように書かれており、大夫道中の時期が変わったことの、補足となっている。


 大夫の道中、これは大変金がかかるものですが、ふつうは花見どきにやったものらしい。しかし、たびたびのご法度や禁制で、いろいろ変転もあって、お上のご威光で花どきにはやってはならんということになって、これが真夏に変更になった。群衆が雑踏してけが人か死人でも出たんでしょうか。これは幕末のことで、明治になるとまた花どきに戻った。『冬の遊び』という話は、この幕末の真夏のころの九軒あたりが舞台です。


 さて、実際に吉坊の高座をお聴きになった方は、どんなご感想をお持ちだろうか。

 私は、そのうち、誰かのこの噺の高座を聴く思いを捨てないぞ!


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by kogotokoubei | 2015-05-31 20:59 | 落語のネタ | Comments(2)

 落語会に行く予定だったのだが、野暮用で行けなくなった。
 そういうこともあるのが、人生。ちょっと大袈裟(^^)

 でも、最近の土曜は、BSジャパンの「男はつらいよ」があるのだ!

 寅さんシリーズは、全部見ている。
 映画館で見たこともあるが、テレビで観ている方が多いかな。

 とにかく、このシリーズは、日本人にとって大事な映画だと思っている。
 何度観ても、同じ場面で笑い、そして、目頭が熱くなる。

 今夜は、第20作「寅次郎頑張れ!」だった。

 松竹の公式サイトから、この作品の「かいせつ」と「ゲスト」などをご紹介。
松竹「男はつらいよ」公式サイトの第20作のページ


かいせつ
 とらやに下宿中のワット君こと良介(中村雅俊)が、初対面の寅さんを“押し売り”と間違えたことから大騒動となる。結局、寅さんと意気投合した良介は、食堂「ふるさと亭」の幸子(大竹しのぶ)との恋愛を、寅さんの指南で成就させようとするが、振られたと勘違い。良介はガス自殺を計ろうとして、とらやの二階は大爆発! 責任を感じ、長崎県平戸に帰った良介を、励まそうと寅さんがやってくるが、良介の姉・藤子(藤村志保)に一目惚れをして、そのまま居着いてしまう…
 テレビドラマで人気絶頂の中村雅俊と、若手実力派ナンバーワンの大竹しのぶをゲストに迎えた、シリーズ二十本記念作品。寅さんが“恋の指南”を買って出るパターンは、第14作『寅次郎子守唄』以来だが、本作を機に、寅さんの「恋のコーチ役」は定着していく。寅さんが、良介の美しき姉・藤子にぞっこん惚れてしまう後半、藤子と二人きりになってしまう状況を“寅さんのアリア”で語るシーンは、シリーズの白眉。平戸の船長を演じたベテラン・コメディアン、石井均の「惚れとるばい」の名台詞とともに、華やかな笑いに包まれた一編。

マドンナ 藤村志保
ゲスト 中村雅俊、大竹しのぶ
ロケ地 長崎県平戸

 昭和52(1977)年の作品。だから、中村雅俊も大竹しのぶも、若いねぇ。
 もちろん、渥美清も、藤村志保もだが(^^)

 昭和52年、渥美清が49歳、藤村志保は38歳、中村雅俊が26歳で、大竹しのぶは、まだ20歳である。
 ちなみに、私は22歳の大学4年生の頃で、たぶん、劇場でこの映画は観ている。
 その頃は、体育会の部活動の費用を稼ぐ旅館でのアルバイトをする時は、中村雅俊演じる良介のようなジーパン姿だったなぁ。本人は、松田優作に似ている、と思っていたのだが(^^)


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吉村英夫著「へたな人生論より『寅さん』のひと言」

 吉村英夫著「へたな人生論より『寅さん』のひと言」は、単行本が2006年発行されていたらしいが、2008年に同じ河出から文庫で発行されてから気づいて読んで、すぐにAmazonのレビューを書いた。
 このブログを書き始めた頃だ。
 
 この本の著者は、昭和15年生まれで早稲田で映画研究会に所属していたらしい。卒業後、高校教諭や大学の講師を勤め、この文庫発行時は、愛知淑徳大学文化創造学部教授、とのこと。『山田洋次X藤沢周平』(大月書店)という本も出しているようだ。
 とにかく、著者は寅さんが好きで、映画を観るのみならず、全作品のシナリオをつぶさに読んでいる。

 「第三章 たしかな絆に気づく『寅さん』のひと言」で、今日放送があった第20作から紹介されている寅さんの言葉があるので引用したい。


「例えば、俺が旅をしている、秋の日はつるべおとしよ、遠くの寺で、ゴーンと鐘の音が聞こえる。そんなときにも、あーあ、今ごろとらやでは、みんな、どうしているんだろうな-。さくらや博は元気か、ヒヨッとしたら、おじちゃんは持病の喘息が出てるんじゃないか。おばちゃんは腰が冷えてるんじゃ、そう思うと、もう、矢も楯もたまらなくなってよ、とびおりして一目散に帰って来た帝釈天の参道だ。お寺の山門、みやげ屋の家並、ここだけは昔と一ツも変わってやしないよ」

 いいよねぇ、こういう科白。

 この作品は、松竹公式サイトでも紹介されている“寅さんのアリア”も聴きどころだが、他にもたくさん見どころがある。
 脇役陣も石井均も良いし、神父役の桜井センリも、実に結構。
 粗筋として主旋律は、良介と幸子の、今ではありえないであろう、淡く純な恋。
 この若い二人は、初心なので、プロポーズもすんなり上手くはいかなかったことを、本書から引用する。

 第20作は告白が拙速だった。ラーメン屋に勤める幸子(大竹しのぶ)に良介(中村雅俊)が告白するが、その直前、幸子は故郷の母親が倒れて緊急手術を受けるとの連絡が入っていた。

 良介 「幸ちゃん」
 幸子 「え?」
 良介 「結、俺と結婚してくれ」
     幸子、呆然としている。・・・泣き出しそうな困惑に耐えながら、
     幸子が答える。
 幸子 「・・・・・・・・こんなときに、なんてこと言うの、バカ・・・・・・・・」

 この場面、ジーンときて、いいんだよねぇ。

 この本から、放送と連動して、今後も紹介することがあると思う。
 「寅さん」というカテゴリーもつくった。
 
 Amazonの私のレビューをご紹介して、今回は、お開きとします。

寅さんファン必携の本。泣けるセリフに映像が蘇る!
 著者は『男はつらいよ』や山田洋次監督に関する著作のある大学教授。私自身が大の寅さんファンであるので、割り引いて評価する必要があるが、やはりこの本はお奨め。2年前に単行本で発行されていたらしいが、まったく気づかなかったので文庫での発行に感謝。
 タイトルは少し長いが、「その通り!」と共感。偉い先生たちの処世訓やら人生論などよりも、人生や家族、生きるために大切なことを教えてくれるのが『男はつらいよ』であり、寅さんをはじめとする登場人物の数々の“名言”なのだ。

 “第一章 心がまっすぐになる「寅さん」のひと言”から“第六章 生きる勇気がわく「寅さん」のひと言”まで、もちろん「寅さん」の言葉のみならず、全48作のシナリオを読み抜いた著者に選ばれた、会話、モノローグ、手紙の文句などがぎっしり詰まっており、寅さんファンも、そうじゃない方も、日本人ならうれしくなる言葉の宝庫である。
 山田洋次という、冷徹な目で日本人や家族の原風景に迫り続ける映画監督と、渥美清という稀代の名優によって初めて成し得た数々の傑作。そこには、多くの人生哲学が織り込まれている。山田洋次は、「笑い」があって初めて人が心を開くということを知っている。
 巻末の全48作のリストもうれしい。読みながらリストを参照し、より一層懐かしく、そして感慨を新たにした。学生時代に見た名画座でのオールナイト3本立てなども思い出す。
 そして、あらためて、その凄い出演者の顔ぶれに、「国民映画」と呼ばれただけの価値を再確認するのだ。いまだ、この映画に代わるものは出ていないし二度とありえないだろう。
 目一杯笑わせながら、「日本人で良かった」と思わせるそれぞれの会話や寅さん一流のセリフに、まさに気持ちが“やわらかーく”なるのだ。


 観ている途中の地震・・・・・・。

 最終第48作、1995年の阪神淡路大震災の傷跡がまだ残る街に立つ、寅さんを思い出した。

 寅さん、やっぱり、いいんだよねぇ!

 それにしても、地震大国日本で原発を再稼動させようとしている人達に、寅さんだったら、なんと言うだろう。
 「そりゃあないよ、おっさん!」かな。
 
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by kogotokoubei | 2015-05-30 21:02 | 寅さん | Comments(4)
 以前に、一般社団法人である落語協会は、公益社団法人を目指して欲しい、と書いた。
2015年4月2日のブログ

 それは、公益社団法人になることで、国からの助成金も増え、ホームページの充実化など協会員の活動を支援することに充てることができるだろう、と思ったからだ。

 その記事を書いた際には、平成27年度の助成金の情報が、まだ開示されていなかったのだが、確認すると、すでに開示されていた。
 記事が4月2日で、資料の日付が4月10日なので、あの後にすぐ発表されていたようだ。確認するのが、遅れてしまった。

 独立行政法人日本芸術文化振興会サイトの該当ページから、平成27年度の文化芸術振興費補助金による助成対象活動の資料をダウンロードすることができる。
日本芸術文化振興会サイトの該当ページ

 下記が、資料9ページの、公益社団法人落語芸術協会(芸協)と一般社団法人落語協会への助成金を含む部分。

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 これを見て、我が目を疑った。

 芸協は、仙台・山形と名古屋(紹介した7月の寄席かな)の企画への助成分を併せて約4400万円。
 一方、落語協会には、なんと約6400万円の助成金が支払われることになっている。

 4月の記事で書いたが、芸協への助成金は、平成26年度に約3000万円、平成25年度が約4400万円、平成24年度が約4500万円だったので、二年前の水準に戻った金額。
 
 落語協会には、平成26年度は約2300万円助成金があったが、平成25年度、平成24年度には、なかった。

 平成27年度の約6400万円は、際立って大きな増額。それも、認可基準が厳しい公益社団法人の芸協よりも2000万円近く多いのは、疑問だ。

 対象は「定席 寄席公演」となっている。
 もし、この増額がホームページのリニューアルに関連しているのなら、理由も分からないでもないが、それにしても、サイトの構築や維持管理は、内容と業者さん次第ではあるが、それほど費用はかからないはず。
 
 過去に支払われていなかったことが考慮されるなんてことも、あるのだろうか。

 元は国民の税金である。

 落語愛好家として、助成されること自体は結構なことだと思うが、この金額の多さと芸協との差は、不思議である。
 
 もし、この助成金が支払われる時期などが、ホームページのリニューアルに関わっているのなら、それを説明する必要もあるのではなかろうか。

 また、なぜ、これだけの助成金が一般社団法人である落語協会に支払われるのかは、納税者である我々が知る権利があるようにも思うが、いかがなものだろうか。

 遅ればせながら知ったのだが、いろいろと疑問を抱かせる金額である。

 くどいようだが、落語という伝統芸能の振興のために、適切にこの助成金が使われるのならば、それは大賛成なのだが、芸協との比較、過去との比較で、あまりにも差異があることが不思議なのである。


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by kogotokoubei | 2015-05-29 12:20 | 落語協会 | Comments(3)
 落語芸術協会は、大須演芸場があった頃には大須での落語会を開催していたが、今年は会場を替え、真打昇進披露興行と、上方落語協会と協力した落語会を7月に開催すると案内されている。
落語芸術協会ホームページの該当ページ

 内容を少し短くして、ご紹介。
 すべての内容は、ぜひ落語芸術協会のホームページでご確認のほどを。
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【公演名】
2015芸協らくご・名古屋寄席 七月公演

【日時】
平成27年7月16日(木)-20日(月・祝) 各日2回公演 計10公演

【会場】
長円寺会館 名古屋市中区栄2-4-23
伏見駅より東へ徒歩5分/栄駅より西へ徒歩8分

【入場料】
前売2,200円/当日2,500円 整理番号付自由席


【真打昇進披露・番組】
7月16日(木)11:30開場12:00開演
宮治/京子/遊雀/仲入/夢吉改メ夢丸/うめ吉/柳橋
7月16日(木)15:00開場15:30開演
宮治/京子/柳橋/仲入/口上/遊雀/うめ吉/夢吉改メ夢丸
7月17日(金)11:30開場12:00開演
宮治/京子/遊雀/仲入/笑松改メ小柳/うめ吉/柳橋
7月17日(金)15:00開場15:30開演
宮治/京子/柳橋/仲入/口上/遊雀/うめ吉/笑松改メ小柳
7月18日(土)11:30開場12:00開演
昇々/柳之助/遊雀/仲入/朝夢改メ小夢/うめ吉/柳橋
7月18日(土)15:00開場15:30開演
昇々/柳之助/柳橋/仲入/口上/遊雀/うめ吉/朝夢改メ小夢

【東西落語競演・番組】
7月19日(日)11:30開場12:00開演
福丸/柳之助/文治/仲入/昇々/花丸/文都
7月19日(日)15:00開場15:30開演
福丸/柳之助/文治/仲入/昇々/花丸/文都
7月20日(月・祝)11:30開場12:00開演
昇々/花丸/文都/仲入/福丸/柳之助/文治
7月20日(月・祝)15:00開場15:30開演
昇々/花丸/文都/仲入/福丸/柳之助/文治

7/16-20全公演前座 たか治、希光

【主催】
公益社団法人落語芸術協会 03-5909-3081
【共催】
公益社団法人上方落語協会
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 前半三日間は新真打三人の昇進披露興行。
 後半の日曜と祝日が東西交流。

 7月16日、17日の平日の開催時間が、会社員の方には行きづらい時間帯ではあるが、後半の土曜・日・祝日を含む三日間は、二回公演で、多くのお客さんの来場が可能だろう。

 
 会場の長円寺会館のホームページを見ると、ホールの定員は143名らしい。
 協会の回し者ではないが(^^)、前売り券を早めに確保された方が良いだろう。
長円寺会館のホームページ
 場所は、名古屋市のほぼ真ん中、と言ってよく交通の便が良い。かなり以前だが、中部地区担当でよく出張したので、名古屋は結構知っているのだ。栄や錦の夜が、懐かしいなぁ(^^)

 これは、名古屋の落語愛好家の方が羨ましい、と思わせる番組だ。

 落語芸術協会の最近の取組やホームページの充実度、そして東西交流は、実に良い傾向にあると思っている。

 私は行けそうにないが、名古屋の方でいらっしゃった方から、どんな会だったかお知らせをいただければ、嬉しい限り。

 落語芸術協会、頑張れ!


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by kogotokoubei | 2015-05-29 08:26 | 落語芸術協会 | Comments(0)
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川又一英著『ヒゲのウヰスキー誕生す』(新潮文庫)

 NHKで3月まで放送されていた朝のドラマ「マッサン」の主人公のモデル、竹鶴政孝のことを書いた本『ヒゲのウヰスキー誕生す』を読んだ。
 昭和57年に新潮社で単行本が発行され、その後文庫でも再刊されていたが、昨年、ドラマがきっかけなのだろう、文庫の増補新装版が発行された。

 この本を読んで、あのドラマの背景がよく理解できたことに加え、ドラマとの違いも、強く感じた。

 大河の「花燃ゆ」については、重要な登場人物が存在しないことについて、何度か小言を書いてきたが、「マッサン」にも、いわゆる脚色が結構ある。
 本来、重要人物と思われる人が登場しなかったり、その逆に、存在しない人物が、結構重要な役割を担っていた。

 アカデミー賞には、オリジナルの脚本に脚本賞、小説や舞台などのオリジナルを元にしたシナリオに脚色賞という賞があるが、実在の人物を扱ったドラマは、小説などを元にしようがしまいが、事実を元に‘脚色’されたシナリオに基づくものであると言えるだろう。

 たとえば、竹鶴政孝が、ドラマでは住吉酒造で西川きよしが社長役だったが、摂津酒造の阿部社長からスコットランドへの留学を打診され、本来は日本酒づくりのため戻る約束だった竹原の実家に、報告および説得に行く場面。

 政孝は、徴兵検査を受けたが、検査官が政孝がアルコール製造に従事していることを知り、アルコールは火薬の原料で戦争のために重要な仕事だ、ということで乙種と判定してくれたので、徴兵を免れることができた。摂津酒造での勉強が終れば、実家に戻る約束になっていた。
 突然の帰郷を、両親は訝しがった。政孝が洋行話を切り出すと、案の定、父は表情を険しくした。
「兵隊に行かんで済んだ、そのぶんもう一年勤めて、この冬には帰ってくる言いよったけん・・・・・・」
「洋行いうて、イギリスのスコットランドとは、はて、ずいぶん遠い所じゃろうに」
 母が、ぽつりと呟いた。
 気づまりな沈黙が広がった。いまは両親と妹だけだになった広い家のなかを見廻すと、賑やかだった子供の頃が思い出されてくる。
 あの頃は兄や姉も、弟や妹もいて、きょうだい揃って川向うの竹原小学校へ通っていた。

 NHKのサイトには「マッサン」のページが残っている。
NHKサイトの「マッサン」のページ 

 姉と妹がドラマでは登場していたが、政孝には他にも兄弟がいたことが、本書に書かれている。
 あれから十数年、子供たちは、次々に巣立って竹原を離れた。長兄は早稲田の商科を出てシンガポールに行き、ゴム栽培を始めた。次兄は六高から九州帝大の工科へ進み、北海道炭礦汽船に入社して北海道へ渡ってしまった。弟は北野中学から慶応義塾へ進んだ。竹原に残って酒造りという古めかしい家業を継ごうとする者はいなかった。

 また、姉の主人、義兄が、リタ(ドラマのエリー)と政孝との結婚に反対する両親を説得する大きな役割を担っていた。

 竹原からはスコットランドへ結婚を思い留まるよう説得の手紙が出され、二度にわたって親族会議が開かれた。遠い異国のことだけに、両親はうろたえ、気を揉むばかりだった。
 (中 略)
 名古屋の医大に勤める義兄は、医者らしく冷静な口調で集った一同を諭した。
-毛唐の女だからといって頭から毛嫌いするのはどんなものでしょう。ご存じかもしれませんが、新渡戸稲造博士や尾崎行雄さんも国際結婚されて立派な家庭を営んでおられる。要は相手次第です。政孝君が結婚したいという娘さんは、なんでも名門の出というじゃありませんか。
 義兄の言葉に、ようやく母チョウが折れた。

 家名が汚れる、と反対していた父も、母の意見にしぶしぶ頷いた、と書かれている。

 ドラマでは、泉ぴん子が演じた母親が、何かと頑固な役柄を演じて、前田吟が演じた父が、結構物分りの良いようなイメージで描かれていたが、この本では、父親の方が頑固で、母親が、政孝には優しさを見せている。
 このあたりは、ドラマとしての面白さを考え、また、俳優さんの個性を生かした、と言えなくもない。

 ドラマには、家族会議で重要な発言をした、義兄は登場しない。
 その後の展開での出番は少ないかもしれないので、この割愛は、まだ許されるか。

 しかし、登場しなかった人物で、残念な人はいる。
 竹鶴政孝が摂津酒造に入社したのは、大阪高等工業醸造科の一期生として先輩であった、常務の岩井喜一郎を頼ってのことだった。
 日本人として初めてウイスキー造りを学んだ竹鶴政孝が帰国し、岩井喜一郎に提出した「竹鶴ノート」が、その後の国産ウイスキーの原点であったことも考えると、竹鶴政孝の人生において、岩井の存在は小さくない。

 ドラマに岩井は登場しない。

 ドラマの中で、大阪でのマッサン夫婦の生活面で重要な役割を担ったのが、濱田マリ演じるキャサリン。彼女にはモデルがいる。政孝が摂津酒造を退社した浪人時代、一時化学の教師として勤務していた桃山中学のローリング校長の夫人と思われる。リタはローリング夫人と親しかったようだ。しかし、キャサリンのような個性だったかどうか(^^)

 ドラマで、北海道へ渡ってからマッサン夫婦にとって重要な支援者だった風間杜夫が扮する森野熊虎は、明らかにドラマで作られた実在しない人物。
 たしかに、余市はかつて鰊漁で栄えた地であることも、会津からの入植者が多かったことも、事実。
 しかし、政孝を支える熊虎のような人物は、この本には見当たらない。

 また、余市でウイスキーをづくりを始める際、ドラマでは鳥井信次郎が資金援助したように描かれていたが、この本には、そういったことは書かれていない・・・・・・。

 本書のあとがきには、執筆にあたり話を聞いた人々の名前の中に、政孝の親族などが並んでいる。また、数多くの参考文献も記されている。

 事実は、本書に限りなく近いのだと思う。

 ドラマは、歴史や人物のすべてを描くことはできないので、‘脚色’で特定の人物や経緯、事実を割愛することは、ある意味では常套手段と言えよう。

 しかし、おもしろおかしく、また劇的に描こうとするあまり、割愛すべきではない人物や事実を描かないことでは、‘脚色’の範囲を超えると思う。


 以前にも、「花子とアン」を含め、ドラマと史実との違いについて書いたことがある。
2014年12月24日のブログ

 その記事でも紹介したことだが、「花子とアン」では、主人公村岡花子の反戦的な考えや行動を描いていた。しかし、事実は、内閣情報局と大政翼賛会の指導のもとに結成された文学者組織である日本文学報国会の大東亜文学者大会で、「子供たちの裡にこそ大東亜精神を築き上げるべき」と述べている。
 あの時代、公然と反戦を訴えにくい状況があり、そういう行動の背景に忸怩たるものがあったかもしれないが、ドラマでは、そうのような苦悩はほとんど表現されず、明確な反戦思想の持ち主として造形されていたのではなかろうか。

 今も親族の方がご健在であれば、負の側面を描かれるのは、辛かろう。
 事実通りでは、それほどドラマティックにならない、かもしれない。

 しかし、完璧な人間などいない。後から振り返ってみて、やや不穏当な発言や行動をしていたことを親族が恥じ入ることがあっても、そういった面も含めて、その人なのではなかろうか。
 私なんか、思い出せば赤面することが多々あるし、失敗だって数多くしてきた。
 でも、それが人間ではないのか。

 そんなことを考えると、三年ほど前に観た映画「連合艦隊司令長官山本五十六」のことを思い出す。
 あの映画については記事を書いたので、詳しい小言にご関心のある方はご覧のほどを。
2012年2月5日のブログ
 その記事でも書いたことを一つだけ。
 ご子息が監修にも参加されたようだが、私は、新橋芸者「梅龍」こと河合千代子とのことが一切登場しないのは、山本五十六を描く上で片手落ちだと思った。五十六の人間性を語る上で、触れないわけにはいかないことのはず。
 
 さて、どこまでの脚色を許容するか、というのは、なかなか難しい問題だ。

 ドラマを劇的に(まさに、ドラマティックに)作り上げるために、実際の登場人物の個性を、やや大げさに造形するのは、ある程度許されるだろう。
 「マッサン」の場合において、実際のリタは、エリーほど強い性格の人ではなかったように思う。しかし、エリーは、時に気弱になるマッサンを激励する役割を担った。実際は、政孝が強い精神力と決断力の持ち主で、その政孝の後ろをリタが健気についていったのではないかと思う。しかし、まったく政孝をひ弱な男として描いたわけでもないし、局面によっては、リタも気丈にふるまったかもしれない。「あるかな・・・・・・」と思えるので、許容範囲か。

 しかし、「花燃ゆ」における杉千代、中谷正亮の不在までは罪がないが、摂津酒造の岩井常務には、登場させて欲しかった。
 実際の阿部社長役に当たる西川きよしが結構好演して、その当時の空気を感じさせてくれたので、少しは救われたが、あの会社において社長以外は全員敵という状況ではなかったし、ウイスキーの物語であるなら、岩井喜一郎は、ぜひ登場させて欲しかった。

 なお、ドラマでは後半登場頻度の高い養女のエマ(実際はリマ)は、晩年までリタとの関係が良好ではなかったと言われており、その影響なのか、この本には登場していない。

 このへんも、脚色の賛否は分かれるところかもしれない。


 小説と映像の違いを踏まえた納得できる脚色もありえる。
 「猿の惑星」(1968年)がそうだ。
 ピエール・ブール(「戦場に架ける橋」の作者)の小説は、宇宙船で航行中の船員が、宇宙を漂っていたカプセルを拾う。その中にあの物語が書かれたものが入っていて、読み終わってから、「人間が猿を支配していた・・・そんな馬鹿な」とばかりに、毛むくじゃらの手で、そのカプセルを持って船外に捨てた、というサゲ。
 早い話が、猿が読んでいたという設定で、驚かせるわけだ。私も驚いた(^^)

 映画は、ご存知の方も多いと思うが、サゲは自由の女神である。映像としての脚色が見事ではないか。
 残念ながら、その年のアカデミー賞脚色賞は「冬のライオン」が受賞し、「猿の惑星」は、ジョン・チェンバースがメイクアップでの貢献で名誉賞を受賞するにとどまった。私が審査するなら、あのラストだけでも、脚色賞ものだ(^^)


 さて、話を戻そう。
 事実上の人物を扱うドラマの脚色の評価は、たぶんに感覚、感性の問題でもあるので、人それぞれに違うだろう。
 
 「ありえない!?」と思わせるか、「あるかな」と思わせるか、そのへんのさじ加減は、作る側も観る側にも、微妙なところだ。

 ウイスキーで譬えるなら、大麦からつくった原酒モルトウイスキーという事実に、程よく、他の穀物からつくったグレーンウイスキーという脚色をブレンドし、飲みやすく、美味しい味にしてもらいたいと思う。

 しかし、竹鶴政孝のような優れたマスターブレンダーが、ドラマの世界に少ないということも、これまた事実なのであるなぁ。


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by kogotokoubei | 2015-05-28 18:24 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
 自分が落語協会の噺家さんのプロフィールなどを確認するために、以前も記事にしていたがトプページからなくなってしまったので、協会の旧ホームページのリンクを張った記事を置くことにした。皆さんも、必要に応じてご利用のほどを。

(1)芸人紹介ページ
 芸人さんのプロフィールは、こちら。
落語協会旧ホームページの「芸人紹介」ページ

(2)役員紹介ページ
 今回の問題を容認している責任者が、この中にいる。
落語協会旧ホームページの「当期役員」ページ

(3)協会の概要に関するページ
 このページから「協会の活動」「沿革」「前史」などのページに行くことができる。
落語協会旧ホームページの「協会の概要」のページ

 リニューアル・サイトはこちら。
落語協会リニューアル・サイトのトップページ
 「本日の寄席」は、とりあえずの「図」の体裁ではあるが、掲載されるようになった。
落語協会ホームページ「本日の寄席」

 「最新情報」には、二ツ目昇進のことなどが案内されるようになってきたが、さて、いつになったら、工事が終わるものやら・・・・・・。



*なお、「拍手ボタン」がないので、「イイネボタン」を付けました。本当は、エキサイトブログに匿名で賛同の意を表すことのできる「拍手ボタン」が欲しいのですが・・・・・・。要望は出しております。恥ずかしいのですが、引っ越してきて試しに自分でボタンを押した履歴が残っています^^



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by kogotokoubei | 2015-05-27 21:37 | 落語協会 | Comments(2)

 落語協会のリニューアルサイトの「最新情報」に、市助改メ市童など前座五人が、5月下席から二ツ目に昇進したことが案内されている。
落語協会ホームページの該当記事
 また、11月上席から四人の前座さんが昇進するらしい。

 では、5月に昇進した人を含め、落語協会と落語芸術協会に、現在何名の二ツ目さんがいるか、それぞれのホームページを元に名前を香盤順に並べてみる。(講談は含まず)

<落語協会>
(1)林家 彦丸
(2)月の家 鏡太
(3)林家 たけ平
(4)林家 ぼたん
(5)台所 鬼〆
(6)林家 ひろ木
(7)春風亭 朝也
(8)柳家 ろべえ
(9)三遊亭 時松
(10)鈴々舎 馬るこ
(11)桂 三木男
(12)柳亭 こみち
(13)古今亭 志ん八
(14)古今亭 駒次
(15)柳家 さん若
(16)柳家 花ん謝
(17)林家 たこ平
(18)古今亭 ちよりん
(19)柳家 わさび
(20)柳家 喬の字
(21)初音家 左吉
(22)柳家 ほたる
(23)三遊亭 たん丈
(24)春風亭 一左
(25)三遊亭 歌太郎
(26)柳亭 市楽
(27)三遊亭 歌扇
(28)三遊亭 粋歌
(29)柳亭 市江
(30)柳家 小太郎
(31)春風亭 正太郎
(32)三遊亭 めぐろ
(33)古今亭 志ん吉
(34)柳家 小んぶ
(35)柳家 緑君
(36)柳家 花いち
(37)三遊亭 美るく
(38)春風亭 ぴっかり
(39)鈴々舎 八ゑ馬
(40)林家 はな平
(41)春風亭 一蔵
(42)柳亭 市弥
(43)入船亭 小辰
(44)林家 まめ平
(45)三遊亭 日るね
(46)林家 扇
(47)柳家 かゑる
(48)柳家 さん光
(49)林家 木りん
(50)柳家 花ごめ
(51)古今亭 志ん松
(52)春風亭 朝之助
(53)古今亭 始
(54)柳家 緑太
(55)柳家 花飛
(56)三遊亭 天歌
(57)林家 けい木
(58)柳亭 市童
(59)柳家 吉緑
(60)柳家 やなぎ
(61)林家 なな子


<落語芸術協会>
(1)橘ノ 圓満
(2)三笑亭 可女次
(3)昔昔亭 桃之助
(4)笑福亭 和光
(5)桂 夏丸
(6)瀧川 鯉斗
(7)橘ノ 双葉
(8)柳亭 小痴楽
(9)昔昔亭 A太郎
(10)瀧川 鯉八
(11)春雨や 雷太
(12)三遊亭 小笑
(13)春風亭 昇々
(14)春風亭 昇吉
(15)笑福亭 羽光
(16)春雨や 風子
(17)桂 宮治
(18)春風亭 柳若
(19)春風亭 昇也
(20)桂 翔丸
(21)三遊亭 遊里
(22)春風亭 吉好
(23)柳亭 明楽
(24)山遊亭 くま八
(25)笑福亭 竹三
(26)瀧川 鯉津
(27)瀧川 鯉輪
(28)瀧川 鯉丸

 落語協会の人数を「多い」とみるか、落語芸術協会を「少ない」とみるかは、何とも表現しにくいが、東京の主要二団体合計で、約90名の二ツ目さんがいる。

 昨年10月に、連雀亭のことを書いた記事でも、その当時の二ツ目さんを数えてみたが、若干減ったとはいえ、ほぼ変わらない。
2014年10月9日のブログ

 前座は修業が辛いかもしれないが、寄席の開口一番を務めて楽屋の仕事もすることに対し何がしかの給金があり、兄弟子や先輩たちから小遣いをもらえたりもする。また、先輩の落語会で開口一番も前座さんが務めることが多い。

 かたや、楽屋の修業からは解放されたものの、寄席や、開口一番役での落語会の出番が極端に減るのが二ツ目さんだ。

 各定席で、前座さんの開口一番の後の枠を交替で務めるのが通常なので、一つの寄席で昼夜合計2つの枠、定席が4つあるので、一日8つの枠を、90名で取り合う(?)ことになる。
 それだけでは、お客さんを前にした修業の場が少なすぎるから、定席の早朝寄席、深夜寄席に加え、居酒屋さんやお寺なども含め、自ら数多くの落語会に発表の場を求めることになる。

 落語芸術協会のホームページには、実に多くの落語会のスケジュールが案内されている。
落語芸術協会ホームページの「落語会スケジュール一覧」ページ
 落語協会の古今亭志ん輔が中心となって立ち上げた神田連雀亭、巣鴨獅子座の出演情報も、しっかり掲載されている。

 懸念されるのは、落語協会のホームページのリニューアル後、もしかすると、定席寄席のスケジュールしか案内されないのではないか、ということ。
 ちなみに、旧ホームページ時代に、ぜひ連雀亭の案内を掲載して欲しい、と問合せ欄で発信したが、なんら音沙汰はなく、リニューアルに突入してしまった。

 宇野信夫の本を紹介した記事で、かつてのようなタニマチが存在しない現在、売れない時代の落語家を支援する役割を、互助会としての協会が担わなければならないのではないか、と書いた。
 もちろん、好きだ入った道だ。本人が努力して、アルバイトでもなんでもしながら、修業時代を乗り切る覚悟は必要だ。
 しかし、彼らの成長を支援する役割は、まちがいなく協会が担うべきだろう。

 ネット時代である。協会の‘顔’とも言えるホームページで、二ツ目さんや若手真打が出演する落語会を、小まめに情報を拾って案内するのは、協会の責務ではないかと思う。

 修業時代に、将来大物になる金の卵をいち早く見つけたくなるのが、落語愛好家の楽しみでもある。
 だから、彼らが出演する落語会があって都合がつくなら、ぜひ応援してみたくもなる。
 しかし、たとえば、ご本人のツイッターを、多くの方が見ているわけではない。

 落語協会は、結果としてここまで時間をかけてホームページをリニューアルしているのだから、ぜひ、定席以外の、できれば、協会員が出演するあらゆる落語会の情報を案内して欲しい。
 そうすることで、一人で多くのお客さんが来場することで、出演する噺家さんも気合いが入るだろうし、出演情報を事務局とやりとりすることで、事務方と噺家さんのコミュニケーションも活発になり、協会全体として活性化するのではなかろうか。

 その見本が、最近の落語芸術協会であるように思えるのだ。

 百人近い二ツ目さんの中には、磨けば光る素材も含まれている。日頃の稽古を積み、大小いくつもの落語会、寄席の高座でお客様の前で恥をかき、汗をかき、時には悔し涙を流すことこそが磨くことであり、その結果、見事に光って欲しいではないか。
 そういった修業の場を、たくさん重ねることを奨励し、かつお客様の動員のためにホームページを含む情報発信で支援することは、大事な協会の責務だと思う。

 定席情報だけでは、彼ら、彼女たち二ツ目さんの研磨の場を伝える情報として不完全である。

 落語協会に、重ねて、リニューアルを機に、幅広く落語会の情報をホームページから発信してもらうようお願いしたい。


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by kogotokoubei | 2015-05-26 12:54 | 二ツ目 | Comments(2)
 私の読書やブログは、結構芋づる式、連想ゲームにも似たところがある。

 柳家小満んが宇野信夫作『江戸の夢』を先日演じたのを聴いて、「そういえば、宇野信夫が書いた落語家の思い出の本があったなぁ」と本棚を探すことになる。

 あった。

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宇野信夫著『私の出会った落語家たち』

 『私の出会った落語家たち-昭和名人奇人伝-』は、2007年河出文庫の発行だが、1986年に同じ河出文庫発行の『今はむかしの噺家のはなし』を底本にして、一部を割愛、いくつかの章を他の本から追加したもの。

 この本、Amazonのレビューを書いていたが、ブログを始める前なので、記事にしたことはなかった。

 まず最初に、三遊亭圓生の章をめくったが、残念ながら『江戸の夢』に関する内容はなかった。
 圓生が亡くなった頃のことが中心で、この章の題が「黒い蝶」。
 五十四年の九月三日の夜、一人で茶の間にいる私に新聞社から電話がかかった。
「たった今、習志野の圓生後援会で、圓生さんが亡くなりました」
 続いて圓生の留守宅から電話があって、弟子らしい人の声で、
「何が何だかわかりませんが、師匠が亡くなって、おかみさんは習志野に行きました」
 続いていくつもの新聞社から電話があった。毎日新聞が、今夜のうちに是非追悼文を書いてくれという。茶の間のチャブ台でそれを書いている私の膝へ、庭の闇の中から、黒い大きな蝶々が飛んできて、とまった。追悼文を書いているうち、蝶々は動かず私の膝のうえにいた。
 この後に、九月五日の毎日の夕刊に掲載された「美しい死」と題された追悼文が紹介されている。
 蝶が亡くなった人の化身となって身近な人に挨拶に行く、という話は他にもよく聞いたり本で読んだりするが、圓生の化身となった黒紋付きの蝶が、宇野信夫が追悼文でどんなことを書くか、確認に行ったのだろうか。
 
 
 第一章「橋場の家」から引用。

 私の初めてつきあった噺家は、蝶花楼馬の助であった。
 昭和五年のころだった。私は学校は出たけれども、ろくなものは書けず、ぶらぶら暮らしていた。
 文学界には左翼の思想が横行して、左翼の作家が続出し、新劇界も、「何が彼女をそうさせたか」とか「太陽のない街」とかが評判になって、イデオロギーのない小説戯曲はナンセンスであるという風潮があった。
 そのころの私のたのしみは、寄席や講釈場へ通うことであった。
 劇場の椅子は冷たくそっけなく、寄席の片隅で膝を抱えて噺をきいたり、柱にもたれかかって講釈に耳を傾けたりするのを私は好んだ。寄席も講釈場も不景気で、いつ行っても客は数えるほどしかいなかった。
 住居が橋場だから、私のかよったは、浅草の寄席であった。そのころ、浅草にはそれでも三軒の寄席があった。江戸館と金車亭(昼間は講釈場)と国際劇場の筋むこうの橘館というバラック建ての席で、いつも客は三、四十人くらいであった。

 古今東西落語家事典によれば、蝶花楼馬の助は、昭和十一年に金原馬の助、さらに金原亭馬の助を経て、昭和十四年に八代目金原亭馬生を襲名した。

 なぜ、橋場に住むことになったのか。

 そのころ私は、父親が出張所にしていた橋場に、女中を使って暮していた。この家には二軒の貸家、蕎麦屋と道具屋がついていて、それが私の生活費であった。
 芸人が訪ねてきても、ろくなもてなしもできなかった。となるの天ぷら蕎麦をとるのが関の山、それでも馬の助の紹介で、噺家があとから訪ねてくるようになった。もちろん、売れない人たちである。

 うらびれた鹿の橋場は吹きだまり

 川柳家の坊野寿山氏がそのころそんな川柳をつくった。それからこんなのもつくったと示してくれた。

 面倒をよくみて橋場は旦那様
 橋場を出ると鼻唄の甚語楼

 「面倒をよくみて」と寿山氏はよんでいるが、前にいうとおり、天ぷら蕎麦がせいぜいである。しかし、そのころ売れない噺家の行きどころがなかったのである。
 極端ないい方をすれば、名もない噺家を相手にするような物好きはいなかった、ところが橋場は独身で、文句をいう人はいないし、遠慮なく食事ができる-そんなところだったのであろう。
 「鼻唄の甚語楼」-この甚語楼は、のちの古今亭志ん生で、馬の助の一番仲よくつきあっている仲間だった。新落語で売っている柳家三語楼の一門の人で、本所の業平の長屋住まい、竹屋の渡しの廃止されたあとにできた言問橋を渡って、よく訪ねてくるようになった。

 宇野信夫の父は、埼玉県熊谷市で紺屋・染物屋を営んでいて、浅草に出張所と貸家を持っていて、そこに住んでいたのである。

 この本の解説で、大西信行が次のように書いている。
 貸家からあがってくる家賃で、なに不自由なく暮らしている若旦那、これは三遊亭円朝が「怪談牡丹燈籠」で若い浪人萩原新三郎の境遇について語っているそれを、そっくりそのままひき写しにしたようなものだ。
 その若旦那が落語が好きで、あり余る時間を持てあまして寄席へ通っていらっしゃる。

 萩原新三郎ばりの若旦那だった宇野信夫、あの正岡容とは明治37(1904)年生まれで同じ年齢。
 その正岡容に関する章より引用。
 正岡容を私にひきあわせたのは、鈴木通夫という人で、この人は後年、古今亭今輔のためにお婆さんの落語をいくつも書いた人である。正岡とは九段の精華学校の同級生で、私も同年であった。
 正岡は早熟な人で、十代で「風船紛失記」という小説を出し、「文章倶楽部」に雑文などを書いていた。強烈な個性の持つ主で、独身の私や鈴木とちがい、二十代から何度も妻帯した経験をもっていた。大阪には捨てた女に二人も女の子がいるようなことを言って、
「雪のふる頃になると、子供のことを思い出すよ」そんな感傷的なことを言っていた。
  (中 略)
 二十代の終り頃、私は甚語楼(後の志ん生)をつれて、滝野川の正岡の家をたずねたことがある。酒を一升もって行くと、よろこんで相長屋の百圓(後の圓太郎)をよんで、四人でたちまちかたづけてしまった。
 この圓太郎は、当代の一つ前、七代目の圓太郎だ。正岡容の尽力で圓太郎を襲名した、と言われている。昭和52(1977)年に亡くなっている。当代が襲名したのが平成17(2005)年なので、あの名は28年ぶりに復活したわけだ。

 この本、他の本と同様、再発見することなどが、実に多い。それだけ、忘れている、ということ^^

 あらためて本書全体で感じることは、解説で大西信行が喩えるように、その昔は宇野信夫のような若旦那がいて、その住まいに売れない芸人たちが寄り集まったり、若旦那が彼らを贔屓にするような時代が、かつては実際にあったのだなぁ、ということ。

 時代も違う。人の心も変わる。

 文楽の『つるつる』の旦那のモデルであった某運送会社の社長さんのような、いわゆるタニマチの存在も、今は昔のことだ。

 画家など芸術家を育てるパトロンと一緒にはできないだろうが、“パトロン”も“タニマチ”も、言葉としては死語になりかかっていると言えるだろう。

 良くも悪くも、お座敷に噺家を呼んで楽しむ、という時代ではなくなった。

 落語家を育てるのは、一人一人の落語愛好家、そんな時代になったことは間違いないだろう。

 うらびれた鹿の橋場は吹きだまり

 のような場所も、今はなかろう。
 
 そう思うと、互助的な組織として「協会」が、噺家や色物の芸人さん達が困った時に、若旦那に代わって‘天ぷら蕎麦’を食べさせてあげる役割を果たす必要があるのではなかろうか。

 時代は、変わった。芸人は、かつてのようなタニマチの存在には頼りようもない。

 大衆芸能とは言え、伝統を継承する人たちに、国からの支援も引き出し、雨が降ったときに傘を差し出し、空腹の時に何か食べさせてあげる役割を、協会が担う時代を迎えているとは言えないだろうか。
 
 そんなことも、この本を再読しながら考えてしまった。 


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by kogotokoubei | 2015-05-24 17:02 | 落語の本 | Comments(0)
 昨日深夜(今朝早朝?)放送された米朝特番の録画を見たところだ。

 なぜか、出演した落語研究会がいつだっかを、アナウンサーも京須氏も説明しなかったなぁ。

 この映像は、昨年発売されたDVDの内容と同じはず。

 TBSishopという通販のページに、昨年発売された17席のリストがあるので引用。
 
TBSishpの該当ページ


芸を極める米朝落語の真髄、いよいよ落語研究会から登場!
卒寿記念の8枚組DVD-BOX!
1971年から2002年までの全17席を収録しています。

<収録演目>
Disc1:「どうらんの幸助」('71)「算段の平兵衛」('72)
Disc2:「軒づけ」('73)「たちぎれ線香」('75)
Disc3:「一文笛」('79)「天狗裁き」('80)「京の茶漬」('84)
Disc4:「壺算」('84)「住吉駕籠」('85)
Disc5:「らくだ」('86)「不動坊」('87)
Disc6:「千両みかん」('87)「質屋蔵」('88)
Disc7:「たちぎれ線香」('89)「はてなの茶碗」('90)
Disc8:「三枚起請」('91)「厄払い」('02)

 最初の「厄払い」が2002年、1972年正月番組の「しわいや」を挟んで二席目「京の茶漬け」が1984年の研究会ということだろう。

 大正14年(1925)年のお生まれなので、「厄払い」は、77歳。冒頭、研究会への出演は久し振り、十年ぶりほどと説明していた。
 「京の茶漬け」は、59歳の時。一席目と比べれば、ずいぶんお若いが、テレビの46歳の映像の若々しさには、当り前だが、かなわない。

 「厄払い」で、新米の厄払いが、鍋焼きうどん屋の売り声を真似た、「な~べや~くはらい」で、うどんの注文が入る場面が、なんとも可笑しい。

 「京の茶漬け」では、この言葉と対のように言われると説明する高松の“あつかん”のマクラなんて、実に勉強になる。
 大阪の男と京都の女のバトル、これは、やはり見る落語だね。
 
 生で聴いた「京の茶漬け」で印象深いのは、2012年9月8日「ざま昼席落語会」における桂文三の高座。
2012年9月8日のブログ
 しかし、この日の会では、文三のもう一席「はてなの茶碗」が、それ以上に素晴らしかった。
 この噺も米朝十八番。
 五代目文枝門下にも、米朝の噺がしっかり伝わっている。
 その一門の総領弟子当代文枝が、七月に「抜け雀」に挑むようだ。古典への挑戦は、歓迎したい。その背景には、米朝の「古典を演じてはどうか」、という言葉があったようだ。

 没後二ヵ月が過ぎた今、あらためて米朝の大きさを感じる。


 
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by kogotokoubei | 2015-05-23 12:45 | テレビの落語 | Comments(0)
 今ほど気が付いたばかりで、見逃さなくて良かった!

 本日深夜、BS-TBSの「落語研究会」は追悼米朝特番です。

BS-TBS「落語研究会」の該当ページ

第121回落語研究会
5月22日(金) 深夜3:00~4:00
内 容:「厄払い」と「京の茶漬」桂米朝
お 話: 京須偕充 外山惠理(TBSアナウンサー)
ゲスト: 林家正蔵

 
 録画して、明日観るのが楽しみ!

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by kogotokoubei | 2015-05-22 17:55 | テレビの落語 | Comments(10)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛