噺の話

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 志ん輔の日記風ブログ「日々是凡日」で知った落語会。
 予定がはっきりしなかったので事前にチケットを入手することはできなかったが、なんとか都合がついて朝電話し、チケットが残っていることを確認してから隼町へ。
 
 志ん輔をしばらく聴いていなかったこともあるが、立川龍志は初なので、楽しみだった。

 龍志の公式ウェウブサイトから、プロフィールをご紹介。
立川龍志 公式ウェブサイト

昭和45年4月 立川談志に入門 前座名「金志」
昭和51年7月 二つ目昇進、「金魚家錦魚」
昭和62年3月 真打昇進、「龍志」
国立花形若手演芸会にて新人賞 銀賞を受賞
平成3年 国立花形演芸会にて金賞を受賞
出囃子 砧
紋 丸に左三蓋松
生年月日 昭和23年9月17日(おとめ座)
 団塊の世代。志ん輔より五歳年上になる。受賞歴からしても、実力者には違いないだろう。「おとめ座」ってぇのが、なんとも可笑しい(失礼^^)

 落語協会の旧ホームページ「芸人紹介」ページから、志ん輔のプロフィールを確認。
落語協会旧ホームページの「芸人紹介」ページ

1972(昭和47)年03月 故古今亭志ん朝に入門 前座名「朝助」
1977(昭和52)年03月 二ツ目昇進 志ん朝の前名「朝太」を襲名
1982(昭和57)年04月 NHKテレビ「おかあさんといっしょ」にレギュラーとして出演 【1999年(平成11年)3月まで】
2000(平成12)年 NHK FM「名曲リサイタル」のパーソナリティー
【2003年(平成15年)まで】
1985(昭和60)年09月 真打昇進 「古今亭志ん輔」を襲名
2000年(平成12年)から、新日本フィルハーモニー交響楽団とのファミリーコンサートが好評。現在も進行中。その他のオーケストラとコラボレーションも多くなっている。
2010(平成22)年 落語協会理事に就任
 志ん輔は昭和28年9月25日生まれ。あら龍志とはちょっとの違いで、てんびん座。

 志ん輔がマクラで“修業仲間”と語っていたが、入門と二ツ目昇進が近い二人なのである。

 開場の一時少し前に着くと、すでにお客さんが並んでいる。そう、自由席なのだ。志ん輔の奥さんからチケットをいただき、喫煙室で一服して列に並んだ。
 見た目は結構埋まった印象だ、実際には八割から八割五分ほどの入りだったろうか。

 二人のネタ出しされていた二席を含め、次のような構成だった。
---------------------------------
(開口一番 橘家かな文『やかん』)
古今亭志ん輔 『茶の湯』
立川龍志   『子別れ-上・中-』
(仲入り)
立川龍志   『花見の仇討ち』
古今亭志ん輔 『幾代餅』
--------------------------------

橘家かな文 『やかん』 (13分 *13:30~)
 後で確認したら、文左衛門の弟子。初である。二年前の秋入門で、今年から前座のようだが、実にしっかりした高座だった。
 見た目や口調は違うのだが、初めて小辰(当時は辰じん)を聴いた時と同じような好印象。鯨から始まり、ほうぼうまで続く魚の名の由来を巡る問答も楽しく演じたし、川中島の決戦の言い立ても悪くない。しっかりと隠居と八五郎を描き分けている。こんな前座さんがいるとは、知らなかった。

古今亭志ん輔『茶の湯』 (23分)
 マクラで、国立演芸場の祝日の昼は初めてで、借りられる時間が一時から四時の三時間。夜の部が五時から九時の四時間あるのよりは安いが、超過すると割り増しがかかるので、今日は時間厳守で、と説明。
 この人でこの噺は初めてではないかと思う。食べ物のネタでは、これまで瀧川鯉昇がどうしても他の噺家さんとは一線を画している、という印象だったが、なるほど、志ん輔がいたか、という印象。長屋の連中を含む隠居の茶の被害者を、あの顔の表情で見事に描く。
 長屋の手習いの師匠が、生徒たちに向かって「よんどころない事情で引っ越すことになった」という言葉に、自分のブログの引越しを思い浮かべてしまった^^
 椋の実や‘むくろじ’などについても、簡潔な(時間厳守なので^^)が説明があったが、ご興味のある方は、以前にこの噺について書いたことがあるので、ご覧のほどを。
2009年11月5日のブログ

立川龍志 『子別れ-上・中-』 (43分)
 羽織を着ないで登場したのは、志ん輔が説明したように、時間厳守のため^^
 初めてで楽しみにしていた人だ。
 この噺は、上が「強飯の女郎買い」、中は「浮名のお勝」、そして下が「子は鎹」とそれぞれ名がついている。
 今では、下の「子は鎹」が圧倒的に多く、たまに通しで演じられることもあるが、上と中、というのは珍しいのではなかろうか。六年ほど前に、NHKの「日本の話芸」(だから、東京落語会の映像)で柳家権太楼の中「浮名のお勝」のみ、という高座を見たが、なかなか貴重な内容だった。
 さて、龍志の高座だ。
 時間厳守である(^^)、「弔いが 山谷と聞いて 親爺行き」、「弔いが 麻布と聞いて 人頼み」などの川柳をふった短いマクラから本編へ。
 主役である熊が自然に本人と同化している印象。向島の生まれ育ち、という江戸っ子の啖呵も実に小気味よい。聴いていて実に楽、というと誤解を生むが、無理な負担をかけない。見た目や口調は重厚なのだが、高座全体は良い意味での軽快感のようなものがある。
 誰かに似ている・・・・・・。そうか、会場で今松ファンでブログ「毎日が落語日和」の管理人である喜瀬川さんにお会いしたら、龍志が好き、とおっしゃっていたが、今松に似た雰囲気もあるかもしれない。
 そして、この噺、今松の通しで座間で聴いて驚いたことがあったなぁ。
2012年2月12日のブログ
 龍志は、基本はほとんどいじらないのだが、効果的なクスグリを挟んで演じていた。
 酔った熊が、通夜で一緒になった伊勢屋に向かって「おめぇさんの弔いは、どしゃぶりだ。なんなら、降れ降れ坊主を上げてやらぁ」なんて科白も、良い調子だ。
 さすが、江戸っ子である。
 家に帰ってから女房に遅くなった言訳をする熊。最初は、嘘で誤魔化そうとするのだが、焼き場で通夜をした、と言っておいて、起きてから‘お茶に小梅’でおつな朝を迎える、などと言うものだからついつい嘘がばれていく。紙屑屋の長さんからすでに吉原通いがばれているのを知ると、開きなおったかのように、「七人の敵を背負って立つような女」お勝の女っぷりの良さを話し出す。
 このあたりの熊の姿が、だらしのない男を描いていて、共感(?)できてしまうのだ^^
 しかし、吉原で居続けした顛末のついでに、のろけ話を聴かされた女房はたまらんなぁ。
 ついに、女房が切れる。切れたら怖いのだが、それでも、龍志の女房は、あの「子は鎹」の母親としては、かくあるだろうと思わせる気丈さに加え、しっかりと女らしさを漂わせていた。
 女房が金坊と一緒に出て行ってからの請け出したお勝とのことを描く「中」は、地を中心に短めに語って、この後が子は鎹に続く、としてさげた。
 実に結構な高座だったのだが、最後の最後、お勝が「どこかの女にひっかかって出て行った」と“男”と“女”を言い間違えたのが、なんとも残念。とはいえ、この人の持ち味と実力を十分に示した高座だったと思う。
 この噺の作者などについては、以前書いたことがあるので、ご興味のある方はご覧のほどを。 2009年4月18日のブログ

立川龍志 『花見の仇討ち』 (30分)
 仲入り後、羽織は相変わらず着ていないが、袴姿で登場。
 結論から書くが、これだけ、この噺で笑ったことはないだろう。かつて、若手中堅の兼好、三三、一之輔でこの噺を立て続けに聴いたことがあったが、もっとも印象に残った三三の高座でも、これだけは笑えなかったし、楽しめなかった。
 それは、会場の空気の良さも一因だと思う。志ん輔と龍志が好きな方を中心とするベテラン落語愛好家が多い客席。笑いのツボを皆さん知っているし、聴くべき場面には、シーンと静寂が訪れる。
 落語が高座と客席との一期一会の楽しみである、ということをあらためて感じた。
 六部役となった八五郎が、飛鳥山に向かう途中で本所の叔父さんとバッタリ会ってからの場面などに、その可笑しさが象徴されていた。「この叔父さん、耳は遠いのだが、馬鹿に、目が良い」という科白の型が、足の速さ、力の強さ、酒の強さでも繰り返されるのだが、「この叔父さん、耳は遠いのだが、馬鹿に・・・・・・」の科白の途中から笑いの渦が巻き起る感じ。いいんだよね、こういう運の良い日の寄席のような空間^^

 敵討ちをする巡礼に扮した亥さんと竹だん兄弟が、飛鳥山の雑踏で、練習をしようとして仕込み杖を侍に当ててしまう。起こる近藤をなだめる侍が、
 「何か訳がありそうだ。大望があるのであろう?」
 の後に少し間をおいて、兄が大望と体毛を勘違いして、
 「へえ、兄弟とも毛深いほうでして」
 と返答するのには、笑った。初めて聴いたように思うが、もしかすると以前に誰かで聴いたかもしれない。
 しかし、場面の雰囲気との見事なギャップで、この人ならではの可笑しさがあった。
 ようやく桜の木の下で朝から待っていた敵役の熊のところにたどり着いた巡礼役の兄弟。兄の亥さんが、科白を言う際に「じゃあ、言うよ」「いちいちことわるんじゃねぇ」のやりとりが二三度あるのだが、この場面も実に楽しい。
 場所の設定を上野ではなく飛鳥山にしたのも史実から正しい。江戸時代の上野での花見は、酒肴も趣向も禁じられていたからね。
 『子別れ』も、ほとんど今年のマイベスト十席候補に近い内容だったので、二席目はどうかと思っていたが、この高座は、文句なくマイベスト十席候補とできるものだった。龍志、これからも聴こう!

古今亭志ん輔 『幾代餅』 (30分 *~16:01)
 マクラで修業仲間の龍志が好きな理由として、「欲がない」と言っていたが、なるほどと思った。
 そう、上手く演じよう、というような前のめり感が一切ないように思えたなぁ。古くからの友人は、よく知っていなさる。
 その後で、欲の強い人がいますから、と、何かを言いかけたような気がしたが、気のせいかな^^
 ほぼ10分づつの三部構成、という内容。
 (上)0~10分 
   清蔵が浮世絵の幾代太夫を見て恋煩いになったが、搗米屋の親方に一年
   頑張って金を貯めたらお前だって会えると諭され、立ち直るまで。
 (中)10~20分 
   一年貯めた給金の十三両二分に、親方が一両二分乗せてくれて、
   病気は治せないが遊びの大家である藪井竹庵と吉原に出かけるまで。
 (下)20~30分 
   吉原で僥倖に恵まれ幾代と一夜を共にした清蔵。朝を迎え、つい自分の   
   身の上を正直に告白したところ、その正直さに打たれた幾代が来年三月
   年が明けたら女房にしてくれと言い、その日が来て二人は結ばれ、餅屋を
   開店して、サゲまで。

 龍志が目一杯笑わせてくれた後は、志ん輔が、次の場面で泣かせてくれた。
 清蔵が、幾代から次はいつ来てくれるのか、と問われ、「一年たったら・・・・・・」と言葉を少し詰まらせる。清蔵、意を決して、実は野田の醤油問屋の若旦那ではなく搗米屋の職人であることを白状し、その誠意を感じた幾代が年が明けたら女房になると言う場面、目が潤んだ。
 前半の搗米屋夫婦と清蔵との会話も楽しいし、一途な清蔵の姿も印象的。
 四年前の5月中席で主任の際にも同じ会場で聴いて感心したが、あの時は、それほどお涙ちょうだい的な演出にはしなかったように思う。志ん輔も、狙って人情噺風にしたわけではなかろうが、この日は、時間厳守で全体的に間を短くしたように思うのだが、それが功を奏したのかもしれない。結果として、あの場面が際立った、そんな印象だ。
 無駄を省きながらも、肝腎な場面はしっかり、という感じで、実に心地よい高座。今年のマイベスト十席候補とするのを迷わない。


 帰り際、演芸場の係の女性に、「超過料金は取らないでね」と言ったら、笑っていた^^
 先日の、小柳枝と小里んの二人会は、落語芸術協会と落語協会。この日は、立川流と落語協会の二人会。芸達者同士の所属協会を越えた会も、実に良いものだ。
 そして、仲入り後の二席とも、きっちり30分というところに、この二人の技を感じる。
 実に良い気分で帰宅し、連れ合いと犬の散歩の後、一杯やりながら記事を書き始めたのだが、心地よい眠気が襲ってきて書き終えることはできなかった。
 翌朝書き続けながらも、あらためて、二人の高座の良さを思い出す。
 龍志、好きになったなぁ。まだまだ聴いたことのない素敵な噺家さんがいることと、志ん輔の芸の進化を痛感した会であった。
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by kogotokoubei | 2015-04-30 08:45 | 落語会 | Comments(5)

引っ越しし、心機一転!


 ブログを引っ越しして、あらためて思うことがある。

 そもそも、なぜブログを書き始めたかと言うと、行った落語会や寄席の備忘録を書こうとしたこと。

 ブログを書く前には、手帳に出演者とネタは記録していたが、感想などは、ごくごく短い言葉でしか記録してこなかったので、しばらくして読み返しても、具体的な点が思い出せなくなっていた。

 ブログは、その日、あるいは翌日に自分のメモを頼りに、記憶を呼び起こして記録をつけることができるので、備忘録として適していた。そこで、せっかくブログを書くなら、落語のことを中心に本やネタなどについても書こうと思った次第。
 始めてみると、同好の方とのコメントを通じたやりとりも楽しいもので、なかには、その後お会いしてお付き合いが続いている方も数名いらっしゃる。
 仕事を通じた知り合いではく、利害関係のない、共通の趣味を通じた人間関係は、得難いものだ。

 3.11以降は、書く内容がいろいろ多岐にわたってきたので、兄弟ブログとして一部を分割した。
 それはエキサイトでも同じように別にしている。

 これまで、FC2しか知らなかったが、それなりに便利に使わせてもらってきた。

 しかし、今回のように、FC2に対して信頼を置けなくなると、私の性分としては、そのままそのサービスを使い続ける心情にはなれない。


 たしかに、丸七年近く継続してきたブログを引っ越すのは、大きな決断だった。
 予想を上回る数多くのアクセスをいただいていた。
 とりあえず引っ越しをしてすぐにFC2から退会しデータが消えたので、ブックマークされていた方は、「あれっ?」と思われたに違いない。

 誠に申し訳ないと思っている。
 
 しかし、他の人からは「もったいない」とご指摘も受けるが、こうした決断と行動をしてしまうのが、粗忽でもあるかもしれないが、私なのである。

 今月、還暦を迎えた。これも巡り合わせなのかな、と思う。
 
 新たな場で、新たな気持ちで、もう一度ブログを出発をしたいと思っている。
 
 FC2の時からお付き合いいただいている方、そして、引っ越ししてからお立ち寄りいただいた方も、そんな小言幸兵衛と、今後もお付き合いいただければ幸いです。

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by kogotokoubei | 2015-04-28 21:05 | 幸兵衛の独り言 | Comments(6)

26日の「花燃ゆ」は、ついに松陰の最後の場面だった。

 処刑直前に一気呵成に書いた「留魂録」のことは少しふれられたが、松陰が書いている場面がほとんど描かれていなかったのは残念。
 また、最後の場面で「留魂録」が文の手元にある映像は、このドラマらしいが、やはり不自然。

 文のかたわらにあるのは、松陰が家族宛てに書いた「永訣の書」の方が相応しい。しかし、それも、長女の千代の手元にあるほうが、自然だろう。

 何度も書くが、その千代が、あのドラマには存在しない。やはり文を主役にする無理がある。
 

 伝馬町牢獄に松陰がいる場面で、松陰が二部作成した「留魂録」のうちの一部を預けた牢名主の沼崎吉五郎が登場する。彼は、松陰が、万が一「留魂録」が獄吏に取り上げられた場合の保険として、吉五郎に門下生に渡してくれという頼むのだ。吉五郎は明治になり遠島先の三宅島から帰ってから、当時の神奈川県令であった野村靖に渡している。吉五郎、島流しになる際も隠し通し、しっかり松陰との約束と守った律儀な男なのである。

 現在残っている「留魂録」は、この吉五郎が預かったもの。松陰処刑の後に門下生に届き、久坂たちが必死に筆写したもう一部は行方不明となっている。もしかしたら、文が隠し持ったか^^


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古川薫『吉田松陰-独り、志に生きる』(PHP文庫)
 

 昨日の放送で私がもっとも残念に思ったのは、伝馬町の松陰と高杉晋作との関係が深く描かれなかったことだ。

 長州出身の作家古川薫は、松陰や松下村塾、そして晋作、玄瑞に関して多くの著作があるが、その中に、PHP文庫『吉田松陰-独り、志に生きる』(1990年単行本、1993年に文庫化)がある。(残念ながら今では古書でしか入手できない)

 六つの章、全五十話の中の、「第四十八話 死生観の発見」を引用したい。
 第四十八話 死生観の発見

 獄中の松陰のために最もよく奔走したのは江戸遊学中の高杉晋作だった。彼は間部詮勝暗殺計画に参加しなかったことで、松陰から失望や怒りを並べた手紙をもらっていた。師にそむいたという罪の意識を抱く高杉は、せめて獄中の松陰のために、牢名主などへの賄賂に使う金の差し入れその他で走り回っているうち、藩政府ににらまれ帰国を命じられてしまった。松陰が処刑される直前のことである。
 それ以前、松陰は獄中から高杉に次のような手紙を送っている。松下村塾時代、高杉が松陰に「男子はどこで死すべきか」と質問したことがある。松陰は確答できなかったことを覚えていて、このときはじめて回答したのだが、それは死を目前にして悟り得た死生観だった。
 「今この獄中になって、死の一字につき発見したことがあるので、いつかの君の質問に答えておく。死は怖れるものではなく、憎むべきものでもない。生きて大業をなす見込みがあればいつまでも生きたらよい。死して不朽の見込みがあると思うなら、いつどこで死んでもよい。要するに死を度外視してなすべきをなすが大事だ」
 これは高杉晋作の生き方を決定する重要な示唆となった。「いさぎよく死ぬ」という武士の美学によって、逃げることを恥辱と心得る人々が幕末に多く、あたら人材が消えて行く例がめずらしくなかった。「神出鬼没」といわれる一方ではよく逃げもしたが、晋作は「犬死」を避けて「不朽の見込み」のある死場所をさがしていたともいえる。松陰の門下生の中で、師の遺志を最高に実現させたのは高杉晋作だが、その行動を支えたのは、処刑寸前の松陰からさずけられた死生観である。
 長州藩の藩論を討幕に確定させようとして苦闘した松陰の悲願は、晋作による功山寺決起によって達成されたのだが、それも「死して不朽の見込み」ありとして無謀とみられた挙兵の敢行がもたらした結果であった。死を目前にした松陰のひとことが、その愛弟子を通じて歴史を旋回させたのである。
 
 実に重要な場面が、処刑直前の松陰と晋作の間にあったことが、分かろうというものだ。
 伝馬町の牢獄から、江戸にいた高杉に送った松陰の手紙は、十三通におよぶと言われる。

 何度かご紹介している、「吉田松陰.com」の高杉晋作のページに、紹介した松陰からの手紙のことも説明されているので、ご興味のある方はご覧のほどを。
吉田松陰.comの該当ページ
 あえて、偉そうに書くが、私が脚本家なら、小田村伊之助に小伝馬町の牢獄に行かせる、なんてありそうにない脚色ではなく、処刑直前まで江戸にいた晋作と松陰の関係を、もっと濃密に描くところだ。
 このへんも、文を主役にしたので、二番目の夫に活躍させようという狙いが見える。小田村は当時は明倫館や藩の仕事で忙しかったはずなのだが。
 
 文を主役にするのは今さら替えられないだろうが、できれば久坂や高杉については、歴史的に重要な場面を割愛せず、描いて欲しいと思う。
 文が出しゃばる無理な演出をするより、史実に沿って松陰と松下村塾の門下生の激動の人生を描いてこそ、その家族たちの物語も深みが増すのではなかろうか。

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by kogotokoubei | 2015-04-27 20:57 | 歴史ドラマや時代劇 | Comments(2)

引越しした理由など。


 FC2から引っ越しのきっかけとなった事件の記事を、毎日から引用したい。毎日新聞の該当記事

公然わいせつ容疑:FC2実質運営のネット関連社長逮捕

毎日新聞 2015年04月23日 10時59分(最終更新 04月23日 14時12分) 

 大手動画配信サイト「FC2」で投稿者がわいせつ動画を生中継した事件で、京都や三重、島根、山口、高知の5府県警による合同捜査本部は23日、FC2を事実上運営していた「ホームページシステム」(大阪市北区)の社長、足立真容疑者(39)=同市天王寺区清水谷町=と、FC2創業者の実弟で同社元社長、高橋人文(ともん)容疑者(38)=同市福島区福島1=を公然わいせつ容疑で逮捕した。2人は「この事実は間違っている」などと容疑を否認しているという。

 FC2を運営する法人は米国にある。海外に拠点を置く動画投稿サイトを運営する側の検挙は、全国で初めて。今後、わいせつ電磁的記録記録媒体陳列容疑での立件も視野に調べる。

 逮捕容疑は昨年6月、大阪市北区豊崎の自称ライブチャット配信業の男(31)=執行猶予付き有罪判決が確定=らと共謀。性行為の様子を映した違法なわいせつ動画を無修正のまま送信し、不特定多数が閲覧できる状態にしたとしている。 

 FC2は若者を中心に利用者が多い。今回のようなわいせつ動画は、有料会員向けの「FC2ライブ」と呼ばれるサイトで生中継され、動画の投稿者にも報酬が入る仕組み。 京都府警は実質的にサイトを運営していたホームページシステムが違法動画と認識していたとみて、昨年9月に公然わいせつほう助などの容疑で、大阪市北区中之島の同社を家宅捜索し、関連を捜査していた。 捜査本部は、動画の投稿を仲介する業者の存在も確認しており、業者と運営側の関係についても慎重に調べている。

 この記事でFC2については、次のように紹介されている。
◇FC2 インターネット上で動画配信やブログ、ネットショッピング、ゲームなど40以上のサービスを提供するサイト。運営会社は1999年7月に設立され、米ネバダ州ラスベガスにある。市場調査会社コムスコアによると、今年3月の国内のパソコンでの視聴者数は約1809万人で、動画サイトでグーグルやヤフーなどに次いで4位
 昨年から、FC2ライブについては、何かと問題が指摘されてきた。そして、この逮捕である。

 ブログを始めて八年目になる。
 最初はどこのサービスを使うか深く考えず、たまたま試してみたサービスがFC2だった。

 自分でもできそうだと思い、とりあえず始めることにした。
 それが今まで続くとは、自分自身が驚くばかりだ。

 Amazonのブックレビューや拙ブログのコメントなどでも、自ら経験したことだが、ネットの匿名性には功罪両面がある。
 自分も利用しているわけだが匿名だからブログができる、というメリットがある。しかし、匿名だからこそ陥る罪もあるわけで、今回の事件なども、そうした罪の一つだと思う。

 FC2ライブが行ったことは、まず品性がない。もちろん、犯罪である。
 別に聖人君子ぶるつもりはない。私もエロチックなブログや画像を一切見ない、とは言わない。男の“性(さが)”である。セクシーな女性、美しい裸体への興味がないことはない^^
 しかし、FC2ライブは登録もしていないから見たこともない。

 FC2は、今回逮捕された一人を含む兄弟が実質的な責任者であることを知ることになり、その会社のサービスを利用することに、自分自身がなんとも落ち着かない思いがあった。

 「ライブと、ブログは、別なサービスだから、ブログを続けることに問題はないだろう」
 という思いもあった。
 しかし、「どちらのサービスを提供しているのもFC2という会社である。経営者に近い関係者が、報道されているような事件を犯したのであれば、信頼される会社とはいえないだろう」
 という思いが強くなった。
 もちろん、FC2という会社の存続についても、不安を感じた。
 近い将来、慌てて引越しするよりも、思い立った今、引っ越そう、と決めた次第。

 引越し先は、いくつか検討したが、どこでも引越しできるだわけではなかった。
 例えば、FC2からの引越し自体ができないブログがあったし、データ要領が大きすぎて移管できないブログもあった。変換はできたが、改行などのレイアウトが保たれず、大幅な修正を必要とするブログもあった。テキストの移管は可能だが、画像が移管できない、とかコメントが引っ越せない、などのブログもあった。

 結果として、エキサイトさんにしたのは、ほぼ以前のレイアウトをそのまま生かして移管可能であったこと、そして、数多くいただいたコメントも移管できたことが、大きな理由。
 加えて、落語愛好家仲間で我らが先輩、佐平次さんもエキサイトを利用していることが、もうひとつの理由である。

 まだ、エキサイトに慣れるのに、結構苦労している^^
 
 FC2にあった「拍手」がないので、しばらく状況を見るつもりで記事に「いいね」ボタンをつけておこうと思う。
 

  こちらの記事の掃除をする必要があるが、できるだけ速やかに、そう、今日中にもFC2を退会したいと思っている。

 今回他のブログを試して、あらためて判明したことだが、FC2は機能的には使いやすいブログサービスだっただけに、実に残念だ。しかし、便利だからといって、経営者の了見があれでは、いけない。

 さて、まだまだエキサイトブログのお勉強しなくちゃ!


 
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by kogotokoubei | 2015-04-26 19:48 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)

お知らせ。

 さきほど、FC2を退会しました。
 よって、FC2の記事はすでに存在しません。

 もう少しエキサイト側の掃除をしてからとも思ったのですが、過去記事へのリンクなどがたくさんあることや、せっかくいただいていた方のコメントを、あらためて「承認」していくなど、やや時間がかかりそうなので、ズルズルと両方の記事が並存することは良くないと思い、まず退会しました。

 よって、記事の中で過去の記事にリンクしているものは、しばらく見えないかもしれないですが、適宜、こちらの記事にリンクをしなおすようにします。
 また、文字や画像のレイアウトが不自然なものなども、じっくり直してまいりますので、ご容赦ください。

 正直、気持ちがスッキリしました。

 今後は、こちらで記事も更新してまいりますので、よろしくお願いします。

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by kogotokoubei | 2015-04-26 17:14 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 「噺の話」の管理人、小言幸兵衛と申します。

 これまでFC2で落語を中心に、たまにはいろいろ独り言やら小言やらを書いてきましたが、エキサイトブログに引越してまいりました。

 まだ、こちらの作業環境に慣れておりませんので、勉強中です。

 今後とも、よろしくお願いします。


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by kogotokoubei | 2015-04-25 19:21 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
 昨年は公演をキャンセルしてしまったポール・マッカートニーが、来日公演中である。
 
 幅広いビートルズ・ファンの方、なかでも昨年無念の涙をのんだ人にとっては、待望の来日だろう。

 私自身は、過去の思い出に浸りたいほうなので、かつて好きだったミュージシャンが、その後何十年か経ってから来日してもライブに駆けつけないのだが、それは、人それぞれである。
 落語家なら、年齢を重ねて熟練した味わいが出るかもしれないけどね。

 もちろん、その惚れ方にもよるわけで、そこにいるだけで、同じ空気を吸っているだけで幸せ、という人もいらっしゃるだろう。
 そういう意味では、ジョン・フォガティの来日公演なら、行くかもしれないなぁ。

 自慢じゃないが(自慢かな^^)、学生時代に、ボズ・スキャッグス、イーグルス、ビリー・ジョエル、の‘初’来日公演に行った。
 初来日ではないが、ニッティ・グリッティ・ダート・バンド(NGDB)やドノバン、アルバート・ハモンドなどのライブも思い出深い。
 中学時代から好きだったCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)が、高校時代(1972年)に来日した。北海道の田舎から、よほど行こうかと思ったが、諸般の事情で断念した。しかし、ファンクラブに入っていたので、プログラムは入手している。宝物だ。

 ビートルズの絶頂期は、団塊の世代である姉や兄の時代だった。私は、中学時代からアメリカン・ロック、なかでもCCRやNGDBなどのカントリーの味わいのあるロックが好きで、その流れからイーグルズはファーストアルバムから同時代で聴いていた。ジャクソン・ブラウンも好みだったし、イーグルスのメンバーの前歴でもあるバッファロー・スプリング・フィールドやポコなども好きな部類だったなぁ。高校時代は、ジャズにも少し目覚め、クリフォード・ブラウンを中心に聴いたものだ。

 それでも、ビートルズやメンバーで、私の忘れられない思い出はある。
 まず、高校の授業を抜け出して見た映画「レット・イット・ビー」だ。同時上映が「いちご白書」だった。いわゆる名画座で、1970年の封切りから一年位後で観たように思う。
 「レット・イット・ビー」を見ながら、なんとオノ・ヨーコは嫌な奴だろうと思ったものだ^^
 「いちご白書」は、バフィー・セント・メリーの主題歌「サークル・ゲーム」が、しばらく耳に残った。「いちご白書よもう一度」がヒットした時、あの主題歌の方が流行って欲しいと思ったものだ。

 ビートルズ解散後の思い出は、映画を観たのと同じような時期だっただろう、ポールとジョンのソロアルバムで友人たちと激論したこと。
 1971年5月に発売されたポールとリンダの「Ram」と、ジョンが前年末に出した「ジョンの魂」と、どちらが良いか、というバトルだった。
 「マザー」を含む「ジョンの魂」が、はるかに上と主張する多数派を相手に、「Rsm」派の私は対抗(?)した。
 アルバム全体の総合力では、私は今でも「Ram」が上だと思っている。

 もちろん好みなので、争う必要はないのだが、解散してしばらくは、ポール派、ジョン派は、結構明確に分かれていたように思う。

 「Ram」は、セールス的には成功したが、専門家においても、その評価が極端に分かれたような記憶がある。
 
 私は、ビートルズ解散後の、ポールの悩みや葛藤が反映したようにも思われる下記の曲、それぞれになんとも言えない魅力を感じたものだ。

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(1)Too Many People トゥ・メニー・ピープル
(2)3 Legs 三本足
(3)Ram On ラム・オン
(4)Dear Boy ディア・ボーイ
(5)Uncle Albert/Admiral Halsey アンクル・アルバート~ハルセイ提督
(6)Smile Away スマイル・アウェイ
(7)Heart Of The Country 故郷のこころ
(8)Monkberry Moon Delight モンクベリー・ムーン・デライト
(9)Eat At Home 出ておいでよ、お嬢さん
(10)Long Haired Lady ロング・ヘアード・レディー
(11)Ram On アム・オン
(12)The Back Seat Of My Car バック・シート

 とにかく、一曲目で驚かせてくれた。この曲はジョンへの批判が込められていると言われたものだが、私は好きだ。
 そして、アメリカではシングルカットされた五曲目の、なんとも凝ったつくり。
 シャウトする八曲目も印象的。前の曲とは好対照な組合せ。
 とにかく、アルバムとして、これほどスリリングなものはない、と当時は思ったものだ。
 もちろん、CCRは別格としてね^^

 「ジョンの魂」が好評価であったこともあり、ポールは、いろいろ悩んでいた時期だと思うが、私はこのアルバムを今でも好んでいる。

 しかし、同じ年に発売されたジョンの「イマジン」も、もちろん好き。あれは、歴史的なアルバムである。
 
 ポールはウイングスになってから、あまり聴かなくなった。それは、いわばウイングスというバンドの曲調が確立され、驚きが少なくなったからのように思う。売りを狙った曲が増え、アルバムとしての魅力が薄れたことも、離れた一因だと思う。
 
 とにかく、その頃はアメリカのロックばかり聴くようになっていたなぁ。

 なんとも懐かしいことを書いてしまった。
 ポールの来日で、こんなノスタルジックな思いをしてしまったのも、年のせいかなぁ。

 きっと、私に限らず多くの方が、ポールの来日で、若かりし日々の音楽遍歴の思い出を懐かしんでいるのではなかろうか。
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by kogotokoubei | 2015-04-23 21:30 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
 落語協会の来春の真打昇進者が決まったようだ。
 たまたま、落語協会のツィートで発見した情報。
 ホームページがいまだに工事中なのでご紹介したいが、ガセじゅないだろうね^^
 だいたい、誰がツィッターしているのだろう。
落語協会のツィート

平成28年 春(三月下席より)、林家彦丸(正雀門下)、月の家鏡太(圓鏡門下)、林家たけ平(正蔵門下)、林家ぼたん(こん平門下)、台所鬼〆(花緑門下)
以上、5名が真打に昇進することが決定致しました


 
 落語協会旧ホームページの「芸人紹介」ページから、五人の入門と二ツ目昇進時期を並べてみる。
落語協会旧ホームページの「芸人紹介」ページ
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林家 彦丸   
 2001(平成13)年 林家正雀に入門、2004(平成16)年 二ツ目昇進
月の家 鏡太 
 2001(平成13)年06月 月の家圓鏡に入門、2004(平成16)年11月 二ツ目昇進
林家 たけ平  
 2001(平成13)年 林家こぶ平に入門、 2005(平成17)年05月 二ツ目昇進
林家 ぼたん  
 2002(平成14)年03月 林家こん平に入門 、2005(平成17)年05月 二ツ目昇進
台所 鬼〆  
 2002(平成14)年03月 柳家花緑に入門 、2005(平成17)年11月 二ツ目昇進
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 見事に香盤順なのだが、今春の十人昇進から考え、来年も十人かな、などと私は思っていた。
 続く二ツ目さんを並べてみる。

林家ひろ木
 2002(平成14)年林家木久扇に入門、2005(平成17)年11月二ツ目昇進
春風亭朝也 
 2002(平成14)年05月春風亭一朝に入門、2005(平成17)年11月二ツ目昇進
柳家ろべえ 
 2003(平成15)年02月柳家喜多八に入門、2006(平成18)年05月21日二ツ目昇進 
三遊亭時松
 2003(平成15)年04月三遊亭金時に入門、2006(平成18)年05月21日二ツ目昇進
鈴々舎馬るこ 
 2003(平成15)年05月鈴々舎馬風に入門、2006(平成18)年05月21日二ツ目昇進
桂三木男 
 2003(平成15)年金原亭馬生に入門、2006(平成18)年11月二ツ目昇進
柳亭こみち
 2003(平成15)年柳亭燕路に入門、2006(平成18)年11月二ツ目昇進

 二ツ目昇進時期で合わせるなら、ひろ木、朝也まで入っておかしくはない。
 いっそ、ろべい、時松、馬るこまで含め十人でも、2006年5月二ツ目昇進者までということでキリがいいのに、なぜ五人だったのだろう・・・・・・。

 ちなみに、昨年7月の拙ブログの記事から、今春昇進の十名を並べてみる。
2014年7月20日のブログ
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三遊亭司
 平成10(1998)年5月三木助に入門→平成13年3月より歌司門下、平成15(2003)年5月二ツ目。
柳家喬之進
 平成12(2000)年1月入門、平成15(2003)年10月二ツ目。
三升家う勝
 平成12(2000)年1月入門、平成15(2003)年10月二ツ目。
柳家麟太郎
 平成11(1999)年4月入門→平成12年4月より前座、平成15(2003)年10月二ツ目。
入船亭遊一
 平成11(1999)年12月入門→平成12年6月より前座、平成15(2003)年11月二ツ目。
金原亭馬治
 平成12(2000)年4月入門→7月より前座、平成15(2003)年11月二ツ目。
金原亭馬吉
 平成12(2000)年4月入門→7月より前座、平成15(2003)年11月二ツ目。
柳家 さん弥
 平成12(2000)年7月入門→平成12年11月より前座、平成16(2004)年7月二ツ目。
柳家 右太楼
 平成12(2000)年11月入門→平成16(2004)年7月二ツ目。
三遊亭 ぬう生
 平成13(2001)年2月入門→平成16(2004)年11月二ツ目。
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 二ツ目昇進時期で一年半の間隔だ。

 彦丸の二ツ目昇進の月が分からないのだが、11月とするなら、ろべい、時松、馬るこの二ツ目昇進まで一年半で、同じ。たしかに、ひろ木、朝也までの七人という人数は、昇進興行が組みにくいので、十人昇進で、おかしくないように思う。

 今年の十人が多すぎた、という反省の結果なのか?
 二ツ目昇進時期の間隔をできるだけ短くしたい、ということか?

 あるいは、十人もいるとお祝いもいっときにたくさん必要になるので、減らしたか^^

 これは勘繰りだが、ホームページ問題が関係しているか?
 馬るこは、新宿末広亭の出演情報を特設サイトで発信する、という努力をしてくれているのだが、それが、協会幹部への反抗(?)とみなされて、十人昇進では彼も入るので、五人になったりして・・・・・・。
 まさかとは思うが、そんなことまで思わせるのが、今の落語協会なのではなかろうか。何か、不穏な空気が漂っているのだ。

 秋にも五人昇進、ということもありえるなぁ。
 そうなると、秋の五人には、NHKの優勝者が二人含まれることになる。これは、結構集客力があるねぇ。
 春と秋にお祝いができることで、興行的にも盛り上がる。

 ともかく、ホームページが工事中なので、‘つぶやき’を元にした、なんとも頼りない記事になってしまった。

 落語協会には、ツィッターでこれほど大事なことを発信するだけではなく、この発表にホームページのリニューアル時期を合わせるくらいのセンスが欲しかった。
 それにしてもホームページは、早くなんとかしてもらわなければ。
 

p.s.
 よく見たら、落語協会の新ホームページの「最新情報」に告知されていました。大変失礼しました。
 しかし、トップ画面ですぐ目につくように配置して欲しいものです。
落語協会新ホームページの該当ニュース
 「芸人紹介」なども含め、他の内容は工事中のまま・・・・・・。

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by kogotokoubei | 2015-04-21 18:11 | 真打 | Comments(2)
昨日の「花燃ゆ」は、文さえでしゃばらなければ、松陰との別れを描く、そう悪くない内容だったように思う。最後の紀行も良かったように思う。
 
 野山獄の司獄官福川犀之助の計らいで最後の一夜を実家で過ごし、早朝に野山獄に戻って、江戸に護送される松陰。
 故郷萩が見渡せる最後の場所での、有名な場面がヤマだった。

 「花燃ゆ」では表現されなかった、詩人久坂玄瑞について、補足したい。
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古川薫著『花冠の志士 小説久坂玄瑞』(文春文庫)

 長州を舞台にした歴史小説で定評がある古川薫の『花冠の志士 小説久坂玄瑞』から、引用。

 萩城下の郊外に大家というところがあり、そこに涙松と呼ばれる大樹が数本しげっていた。旅に出かける者が、そこから城下を見納めて涙をうかべることからの名である。玄瑞ら門下生が、濡れながら追う松陰の駕籠も、そこで停まる。役人の手で駕籠の戸がわずかに開けられた。ぼんやりと白い松陰の顔が覗き、二、三度うなずくのがわかった。
 名残りを惜しむ門弟たちや、雨にけむる城下の景色を目に焼きつけると、松陰は役人に出発をうながした。
 「帰らじと思ひさだめし旅なればひとしほぬるる涙松かな」
 そのとき松陰が詠み遺したふるさとへの別れの歌である。
 松陰が発って間もなく、空は嘘のように晴れあがり、日本海からの乾いた風が、狂おしく吹きつのる炎熱の午後となった。
 西洋学所を早退けした玄瑞は、杉家に帰ると、ひと気のない村塾の講義室にこもり、涙のまじる汗をしたたらせて、一詩を書きなぐった。

   「懐(おもい)を回先生に寄す」

  炎日白草を蒸し
  黯風(あんぷう)しきりに沙(すな)を飛ばす
  檻與(かんよ)去りてまさに遠し
  君子意如何
  ・・・・・・国家の興る何れの日ぞ
  君子帰ることを期し難し
  わが心はなはだしく耿歎(こうたん)す
  静かにこれを思ふにたへず

  (炎日蒸白草/黯風頻飛沙/檻與去方遠/君子意如何/・・・・・・国家興何日/君子帰難期/我心酷耿歎/不勝静斯思)



 「花燃ゆ」でも登場した涙松での松陰の歌も印象的だが、松陰に捧げた久坂玄瑞の詩の才能も特筆すべきだろう。
 玄瑞は、九州を行脚した際にも数多くの詩を作っている。玄瑞は、優れた詩才のある人なのだが、残念ながら「花燃ゆ」では、そういった側面が描かれていない。
 
 昨日の放送で、松陰最後の杉家での一夜と涙松での別れの間に、野山獄での高須久子との相聞歌ともいえる歌のやりとりがあった。
 この二人の歌については、古川薫の『吉田松陰の恋』を原作とする映画のことなどを含め、昨年の旧暦の松陰の命日に記事を書いた。ご興味のある方はご覧のほどを。
2014年12月18日のブログ

 印象的な歌と句を、再度紹介したい。

 死出の旅にたつ松陰に、高須久子は餞別に手布巾を贈った。
 次は、「高須うしのせんべつとありて汗ふきを送られければ」と前書きした松陰の和歌。

 箱根山越すとき汗の出でやせん君を思
 ひてふき清めてん


 そして、久子が松陰に贈った絶唱ともいうべき別れの相聞の句

 「手のとはぬ雲に樗の 咲く日かな」

 それにたいする松陰の返し歌は、「高須うしに申し上ぐるとて」とした次の句。

 一声を いかで忘れん ほととぎす

 まさに、相聞歌とも思える、二人のやりとりではなかろうか。


 あらためて思うが、古川薫の原作を元に、松陰、あるいは松陰と松下村塾という主題で大河をつくっていたら、もっと見ごたえがあったと思う。古川薫が‘一人静’のような人、とたとえる文は、脇役でたまに登場すればよいのだ。

 「花燃ゆ」は、せっかく良い流れで進行していても、途中で無理な脚色により文が登場する場面で、全体の流れを止めてしまう。
 それは、以前にも書いたように、主演女優の責任ではない。彼女に、あの番組から抹殺された長女千代や松陰の盟友中谷正亮が本来果たしたであろう役割を強引に押し付けるプロデューサーや脚本家、演出家のせいであり、その元凶は会長である。

 これから怒涛の時期を迎える。
 久坂玄瑞や高杉晋作の姿が、‘幕末ホームドラマ’の中で、無理に文を主役にする脚色のために矮小化されないことを祈るばかりだ。
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by kogotokoubei | 2015-04-20 20:49 | 歴史ドラマや時代劇 | Comments(0)
落語芸術協会のホームページで見つけた二人会。
 なかなか聴けない渋い組み合わせだ。

 土曜の夜は原則として行かないのだが、都合もつき、連れ合いの了解もとって前日に電話したら、嬉しいことになんとか席が用意できるとのこと。
 そう、会場の名前からは大ホールをイメージするかもしれないが、会館の中の和室の会場で、客席40~50席という、家族的な会なのである。
 市ヶ谷の駅から、徒歩で10分ほどだろうか、法政大学の施設の近くに、女子教育で歴史のある、この三輪田学園があり、隣接して記念館があった。
 少し早めに場所を確認した後、すぐ近くの靖国神社を散策。初めてだった。
 実に閑散としていた。21日から大祭というのは、旧暦雛祭りと関係しているのか・・・関係ないかなぁ。
 歩いた印象などは、後日書くつもりだ。
 
 副題は「この人を聞きたい」となっており、席亭は遊心亭さんとプログラムに記されている。
 そのプログラムに、次回は五月九日(土)、雲助と馬石の親子会で清澄白河にある中村学園のホールとのこと。やはり夜の会で六時開演。
 この会も学校の先生が多かったようだが、学校関係者の落語会、ということなのだろうか。

 前の方は座蒲団敷きで一列八人の三列、後ろはパイプ椅子で一列七名の四列、というところか。
 雰囲気は、お江戸日本橋亭を狭くしたような感じ。九分ほどの埋まり具合だったので、五十人には少し欠けたかもしれないが、高座と接近した、実に濃密な空間だった。
 
 次のような構成だった。小里んの『百年目』と小柳枝の『柳田格之進』が、いただいたプログラムでネタ出しされていた。
 どちらも、大作。独演会か寄席の主任でもなければ出会えない噺。ワクワクしながら開演を待っていた。
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(開口一番 昔々亭喜太郎 『転失気』)
春風亭小柳枝 『長屋の花見』
柳家小里ん   『百年目』
(仲入り)
柳家小里ん   『棒鱈』
春風亭小柳枝 『柳田格之進』
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昔々亭喜太郎 『転失気』 (14分 *18:00~)
 桃太郎の弟子。初である。やや無理して住職と珍念の声を変えようとしているのだが、前座の時期は同じように聞こえてもいいから、大きな声でハキハキと、の方が大事なのであるまいか。良い雰囲気はある。しばらくしたら、また聴きたい。

春風亭小柳枝 『長屋の花見』 (21分)
 手づくりの高座に慎重に上がってから、以前、新しいフワフワの座蒲団で足を痺れさせたことがある、と語る。昭和11年生まれは談志と同じで、満79歳になる。
 しかし、高座は元気一杯な旬のネタ。有名な芭蕉の句「花の雲 鐘は上野か浅草か」などをふって本編へ。
 貧乏長屋、トンネル長屋、戸なし長屋の大家が、酒は番茶を水で薄めたのが二升、と言うと、店子から「料理は本物なんでしょうね」と尋ねられ、「酒に料理を合わせるのに、苦労した」の返事が、可笑しかった。あえて妙なクスグリも入れない内容だが、この噺自体の可笑しさと、熟練の技で十分に楽しい。
 最後は源さんが「長屋中 歯を食いしばる 花見かな」の、三代目蝶花楼馬楽の句でサゲた。
 定評のある『青菜』を期待していたのだが、それは後日の楽しみにしよう。

柳家小里ん 『百年目』 (42分)
 昭和23年生まれなので、小柳枝とは一回り違いの、同じねずみ年だ。そんなに差を感じないのは、この人の貫禄(?)だろうか。
 最近は入社式に親が来る、などの短めのマクラから本編へ。
 この噺は大きく三つに分かれる。
 (1)番頭の治兵衛と手代や小僧との会話。ここで、仕事一筋で堅物な番頭を表わすために、「芸者という紗はいつ着るのか?」なんて科白が効く。また、手代や小僧が番頭を恐れており、両者に溝がある、組織の雰囲気が伝わる。
 (2)その番頭が、実は粋な遊び人であることが明らかになる場。幇間や芸者たちと船で向島に花見に繰り出し、酔った勢いで扇子で顔を隠した鬼ごっこでつかまえたのが、なんと旦那。治兵衛としては、大変な事件発生だ。
 (3)そして、翌日の旦那と治兵衛との会話、というより、旦那のお説教だ。有名な栴檀と南縁草の喩えが登場する。

 小里んの高座、(1)と(2)で、番頭治兵衛の二つの顔を見事に表現していた。(3)の二人の会話では、旦那が、栴檀と南縁草の他に、「鯛の尾っぽと頭だって、食べないから無駄に思うが、あれがなくて身だけでは、なんともみっともないだろう」という科白も、、会話の主旨として、実に効果的だった。
 テレビの映像で志の輔のこの噺を聴き、やたら低姿勢な旦那の姿に違和感を感じたが、小里んの旦那は、さもありなん、という貫禄と器の大きさを示していた。ひたすら冷や汗をかいていた治兵衛も、最後は救われたように思う。
 途中で何度か言いよどみがなければ、今年のマイベスト十席候補としたい素晴らしい内容だった。
 なお、この噺については、以前に‘トリクルダウン’(栴檀と南縁草の喩)に関して書かれた「内田樹の研究室」の記事の引用を含め書いたことがあるので、ご興味のある方はご覧のほどを。
2012年5月28日のブログ

柳家小里ん 『棒鱈』 (19分)
 仲入り後のネタは、なんとこの噺。結論から書くが、寄席で鍛えたと思われる、実に結構な高座だった。
 「生酔い本性違わず」などの言葉や、バーで水割りを二杯頼む男の小咄など、ネタに相応しい短いマクラから本編へ。
 この噺ではさん喬の末広亭の高座を思い出すが、決して劣らなかった。江戸っ子の二人のうち、寅さんにぼやきまくる若い方の男が重要。名前は・・・熊五郎とする場合もあるが、ほとんどの噺家は小里ん同様に名を明かさない。熊とはちょっと違うように思う。仮に‘棒鱈男’(ボウ タラオ)と名付けておくが、このタラオが単にだらしのない酔っ払いではなく、結構、男気を感じさせる。この人の柄もあるだろうが、私には「なるほど」と思わせる人物造型と映った。
 このタラオ、「あ~憎らしい明けの鐘・・・」の小唄や、「夕立のざっと降るほど・・・」などの都々逸もたしなみ、なかなか粋な男なのだ。また、隣りの部屋の島津の“浅黄色”も、それほど大袈裟に頭の悪そうな田舎者としないのも、結構。
 「百舌の嘴」や「十二か月」などの唄も、無理に可笑しさを求めない歌いっぷりなのだが、なんとも良いのだ。酔って覗き見をしていたタラオが部屋に転がり込んできた時に、「無礼者」と刀に手をかける際も、しっかり侍なのである。
 あえて言うなら“硬派”の『棒鱈』とでも言うべきだろうか。
 まさに“いぶし銀”の高座と言いたい。こういった寄席で鍛えた噺、好きだなぁ。文句なく、今年のマイベスト十席候補としたい。

春風亭小柳枝 『柳田格之進』 (36分 *~20:26)
 マクラでは、池波正太郎が、作品の登場人物に語らせる言葉について。「人と煙草の良し悪しは、煙(けむ)にならなきゃ、わからねぇ」なんて、粋な文句が登場。喫煙者にとって、実に納得感がある^^
 柳田の侍としての姿が、なんともニンである。だから、娘の絹も、侍の娘として凛としている。
 父親が浪人になってからの絹の苦労を表わすのに、「ついこの前までは、襖(ふすま)の隙間風(すきまかぜ)も嫌う娘だった」という表現が、なんとも味がある。
 万屋の番頭徳兵衛の造型によって、この噺の流れや、サゲが少し変わる。小柳枝は、それほど嫌な人物としては徳兵衛を描かない。番頭としては当然のことのように、十五夜の晩に消えた五十両の容疑者として格之進を訪ね、話の成り行きから、このまま五十両が出なければ奉行所に届け出る、と告げる。番頭としては当たり前かな、と思わせる。だから、それほど悪い奴には見えず、サゲでも、吉原から身請けしたお絹と一緒になり、その子が柳田の養子となって家を継ぐ、という筋書きが不自然ではない。ハッピーエンド、目出度し目出度しで、後味が良い。
 この噺では、その年のマイベスト十席にも選んだ2013年4月、横浜にぎわい座での古今亭志ん輔の高座を思い出す。
2013年4月12日のブログ
 あの日の志ん輔の場合は、やや徳兵衛を嫌な人物として造型し、サゲでお絹と一緒になることもない。ただし、あの時、私はそれを不自然に感じなかったのだ。自分の主人である万屋源兵衛と碁を通じて懇意になった浪人の格之進への、番頭としてのやっかみがあって当然、と思わせた。それは、噺全体の流れの中でも、納得感があった。とにかく志ん輔の高座では、湯島切通しの雪が、しっかり目に浮んだものだ。
 そして、小柳枝の徳兵衛の造型も、全体的な流れでは、まったく違和感がなかった。主人思いの番頭であり、役目に忠実な男なのだ。
 単に、どちらの設定、人物造形が良いのか、という問題ではない。その高座として、納得感があれば楽しめるという意味で、小柳枝は志ん輔とは好対照な高座だったように思う。噺家が、自分の思いとして‘これはこうだろう’と納得できる設定、造形がその人の高座に反映される。加えて、噺家さんは、必ずしも同じ設定で演じ続けるわけではない。落語は生きているし、演じる噺家さんの思いも変わるものだ。落語の生命力のようなものを、二人の高座を比べながら感じていた。
 「なる堪忍は誰もする、ならぬ堪忍するが勘忍・・・・・・柳田勘忍袋の一席」でサゲた高座、途中、少し言いよどんだものの、なんとも味のある一席だった。


 終演後、もしかすると小柳枝ファンなのでお会いするかなぁ、と思っていたら予想通り開口一番の後で来られたI女史と、「良かったね!」と口を揃え、別れて帰路へ。

 充実した二人会の余韻に浸り、冒頭に書いたように、この会は落語芸術協会のホームページで発見したことを思い出した。もう一方の協会は、そういったホームページの情報の重要性を、まったく分かっていないのだろうなぁ、などと思いながらウトウトしていたのだった。

 いぶし銀の噺家さん二人の会、実に結構だった。
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by kogotokoubei | 2015-04-19 15:53 | 落語会 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛