噺の話

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立川談幸一門の落語芸術協会(芸協)入会に関し、弟子の二人のことを心配していた。2015年1月6日のブログ

 古今亭志ん輔の日記風ブログ「志ん輔日々是凡日」の2月23日の記事に、吉幸が一年間は芸協で前座修業することになった、との記事を発見。
「志ん輔日々是凡日」の該当記事

 志ん輔の元へ太鼓の稽古に来ているようだ。

 そういうことだったのか。

 これは、道理だろう。

 もう一人の弟子、幸之進も、同じように前座修業なのだろう。

 師匠の談幸は、すでに真打の一番下の香盤として位置づけられ、寄席などにも出演している。
 談幸なら、寄席に出たい、という思いがかなえられれば、香盤など気にすることもないだろう。

 ところが、二ツ目や前座の移籍(?)は、そう簡単にはいかない。
 彼らは、寄席での前座修業をしていないので、協会の同じような経歴の噺家さんの香盤に位置づけるには、協会員からの反発もあろう。
 特に、吉幸は経歴から真打昇進を目前にしているので、実に微妙な時期での入会。

 一年間、寄席の楽屋でしっかり修業して、芸協の先輩たちに認められて、数年以内に晴れて真打に昇進して欲しい。
 吉幸の寄席修業において、私は、志ん輔の存在は実に大きいと思う。
 志ん輔本人から学ぶことも多いはずだし、たまごの会や神田連雀亭などにおける、両協会の二ツ目さんとの交流も得難いものだろう。
 
 この試みは、今後、立川流や円楽一門会を脱退し東京の二つの協会に入る場合の一つの指針になるかもしれない。

 もちろん、どんな経歴、実力、人気の噺家さんが移籍するのかによって対応は変わるだろうが、若手二ツ目にとっては、やはり寄席の前座修業は大事だし、受け入れる側も、そう思っているのは明白だ。

 「太鼓も叩けないんじゃなぁ・・・・・・」と言われては、本人も辛いだろう。
 また、噺をするにあたっても、笛や太鼓の素養は実に重要だ。

 どんなキャリアの二ツ目さんでも、まず一年は寄席の前座修業を課す。そして、その内容をもとに、香盤を決める、ということになれば、一つの基準が出来る。
 もちろん、立川流や円楽一門会の噺家さんについて、その師匠との過去の軋轢などから、入門を認めたくない両協会のベテランは、まだ多いかもしれない。
 しかし、それは、時間が解決する部分もある。
 そして、若手の移籍に関する難問も、一年間は前座修業、とすることで来る者と迎える者の双方が歩み寄れる可能性はある。

 寄席に出たい、という談幸の思いから、一門の垣根をなくす動きが今後続くかもしれない。
 しかし、定席は四つ、芸協はそのうち一つ出れないので三つ。
 以前にも書いたが、少ない出演機会を増やすためにも、鈴本と芸協の雪解けを期待したいものだ。
2014年3月5日のブログ

 すでに、神田連雀亭には、一門の壁など存在しない。

 まずは、吉幸の芸協での立場が分かり、少しほっとした。

 今後、吉幸には、良い意味で苦しみながら前座修業を務め、早ければ来年、遅くとも再来年真打に昇進することを期待している。

 それにしても、これからの落語界にとって、志ん輔は、重要な役割を担っているような気がする。
 落語協会や芸協、立川流に円楽一門会といった垣根を越え、前座や二ツ目という若手に目を向けて彼らの活躍の場を作るために手弁当で奮闘する人などは、他に見当たらないように思う。

 談幸にも、一門を超えた交流があってこその芸協入会だったのだろう。
 
 いわゆるグローバルな活動には異文化と上手に交流する必要がある。
 落語という世界でも、元々は根が同じ同士。良い意味で一度離れて出来た異文化がふたたび交流して、良い刺激を与え合う時が来ているのかもしれない。

 以前、小朝が垣根を超えた活動を試みたことはある。しかし、その試みは残念ながら継続性を持てなかった。

 それとは別な切り口で、将来の落語という芸のことを考え、触媒役を担う人が志ん輔も含めて登場することで、この芸能の未来が明るくなるかもしれない。

 吉幸のことを知って、そんなことも思うのだった。
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by kogotokoubei | 2015-02-25 19:48 | 落語芸術協会 | Comments(10)
「上方落語若手噺家グランプリ」という名のイベントが開催されるらしい。日刊スポーツから引用。(太字は管理人)
日刊スポーツの該当記事

「上方落語若手噺家グランプリ」を開催へ

 上方落語協会会長の桂文枝(71)が24日、大阪市北区の定席寄席小屋、天満天神繁昌亭で、今春に協会所属落語家のトーナメント「上方落語 若手噺家 グランプリ」を開くと発表した。今年から10年連続開催を目指す。

 会長職に就き、悲願の上方定席(繁昌亭)を開き、自らは師匠の名跡を襲名。文枝にとって、次の悲願は後進の育成だった。

 「先日も(ラッスンゴレライでブレークした)8.6秒バズーカーと共演しましたが、類い稀な才能があり、どうも最近は若い人の才能があちら(漫才、コント)へ流れている」と危惧。未来の落語スターを発掘しようと思案してきた。

 そんなおり、上方芸能の支援を目的としたアーツサポート関西へ、500万円の寄付金が届いた。文枝が三枝時代から親交のあるアートコーポレーションが若手落語家育成を支援しようとしたもので、これを機に、今グランプリの創設が決まった。

 すでに入門6年目~15年目までの協会所属落語家に希望を募り、31人の参戦を決定。4月7、14、16、22日に繁昌亭で予選を行い、6月に本選を行う。本戦の審査員には在阪テレビ各局のプロデューサー、ディレクターらが入り、大賞(賞金20万円)1人、奨励賞(同5万円)1人を選出する。

 文枝は入門1年足らずだった67年、MBSラジオ「ヤングタウン」に抜てき。駆け出しながら頭角を現し、タレント活動のかたわら、240本を超える創作ネタを生み出すなど、今なお第一線で走り続ける。

 「今の若い人にもチャンスを作ってあげたい」と言い、審査員にはテレビ局関係者を選んだ。タレントの原石を発見し、レギュラーに採用してもらいたい考えもある。

 「私たちのときのように、落語家にもまずはチャンスが与えられるようになれば。おもしろいと思ったらリポーターでも使ってもらいたい。ただし、その後の未来は本人の努力次第」と話す。

 協会内に賞レースを設けて活性化をはかるとともに、自らが歩んできたように、ワンチャンスを確実に物にし、スターへの道を駆け上がる形を作るねらいもある。

 また、6月に予定される本選について「今年は放送はないですけども、来年はM−1やR−1のようにテレビや、ラジオでも中継、もしくは深夜でもいいので、そういった形を思い描いています」とし、将来的にはテレビ、ラジオでの本選中継も望んでいる。[2015年2月24日13時36分]


 類いまれな才能が漫才に流れている、とは思わない。また、寄付した会社の経営者については、やや言いたいこともあるが、こういうイベント開催自体には、素直に拍手を送ろう。

 東京であれば、二ツ目さんに相当する噺家さんが対象となる大会だ。東京も上方も、彼らが腕を磨く場所、機会は実に限られている。こういう競争の場があることは、本人にもその周囲にも十分に刺激になるだろう。

 天満天神繁昌亭での予選は、もちろん公開制。
 繁昌亭サイトに、ネタも含めて出場する噺家さんの情報が掲載されているので、ご紹介。天満天神繁昌亭のサイト

 4月7日

繁昌亭夜席 上方落語若手噺家グランプリ2015予選会《予選第一夜》
笑福亭鉄瓶 「茶漬幽霊」」 桂佐ん吉 「堪忍袋」 桂三幸 「その川の向こう側」 桂雀太 「代書」 桂そうば 「親子酒」  露の紫 「金明竹」 桂団治郎 「七段目」 林家愛染 「みかん屋」      
*出演順は当日オープニングの抽選会で決定致します。
前売1,500円 当日2,000円 Pコード442-502
開演:午後6時30分
*6時よりチケットに記載されている整理番号順にご入場いただきます
*25歳以下のお客様は、当日500円キャッシュバック致します(要証明書)


 4月14日

繁昌亭夜席 上方落語若手噺家グランプリ2015予選会《予選第二夜》
林家染太 「魁!!学習塾」 林家市楼 「天狗裁き」 笑福亭べ瓶 「いらち俥」 笑福亭松五 「書割盗人」 桂二乗 「短命」 露の団姫 「時うどん」 露の雅 「あくびの稽古」 桂三語 「二人癖」      
*出演順は当日オープニングの抽選会で決定致します。


 4月16日

繁昌亭夜席 上方落語若手噺家グランプリ2015予選会《予選第三夜》
桂まめだ 「子ほめ」 笑福亭呂竹 「京の茶漬け」 桂吉の丞 「仏師屋盗人」 桂鯛蔵 「ふぐ鍋」 桂三四郎 「MOMO」 林家染吉 「佐々木裁き」 露の眞 「蛸芝居」 桂寅之輔 「転失気」      
*出演順は当日オープニングの抽選会で決定致します。


 4月22日

繁昌亭夜席 上方落語若手噺家グランプリ2015予選会《予選第四夜》
桂雀五郎 「初天神」 森乃石松 「転宅」 笑福亭生寿 「阿弥陀池」 桂咲之輔 「七段目」 笑福亭呂好 「天狗裁き」 桂三輝 「誰がファースト」 桂和歌ぽん 「平林」        
*出演順は当日オープニングの抽選会で決定致します。



 他の記事によると、予選の審査に大学落研の学生が加わるらしい。スポニチの該当記事
 できれば、「さがみはら若手落語家選手権」のように、お客さんの投票も反映して欲しいものだ。

 いずれにしても、予選から公開することは、非常に良いことだと思う。
 審査する側にも、相応の緊張感をもたらすだろうし、客席の反応も参考になるだろう。

 何度か書いているが、NHKの新人落語大賞も、ぜひ予選を公開して欲しい。
2014年11月7日のブログ

 この上方の試みが、NHKへの良い刺激になることを期待している。

 知らない若手の懸命な高座を一度に聴くことのできる得難い機会でもある。関西の人がうらやましいなぁ。
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by kogotokoubei | 2015-02-24 12:29 | 上方落語 | Comments(2)
旧暦で19日が春節、いわゆる旧正月だったので、今日は正月三日になる。

 大晦日恒例ともいえるネタ『掛取万歳』の“万歳”は、本来は三河万歳であるのだが、今では、噺家それぞれの得意芸のオンパレードという構成がほとんどになっている。そして、この三河万歳は、、かつて獅子舞とともに江戸の正月では欠かせない光景だった。

 忘れ去られそうになっている三河万歳や放浪芸のことにについて、ある本から紹介しようと思う。

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矢野誠一著『落語歳時記』(文春文庫)

 何度か引用している矢野誠一著『落語歳時記』は、最初昭和47(1972)年に読売新聞から単行本として発行され、平成7(1995)年、二十年前に文春文庫の一冊になった。

 同書の「新年」の章、“万歳”から引用。対象となる落語のネタは『万歳の遊び』だ。

万歳 万歳の眼鏡かけてるバスのなか

万歳の遊び(まんざいのあそび)

  お正月に、江戸の町辻を流してまいりました万歳は、みな三河の国から出ました。

                                  『万歳の遊び』

 芭蕉に、
   やまざとはまんざい遅し梅の花
 という句のあることを、ぼくに教えてくれたのは小沢昭一だが、この句、元禄四(1691)年、芭蕉四十八歳の作で、「伊陽山中初春」の前書がある。戸板康二『劇場歳時記』(読売新聞社)には、
 「名作かどうかはわからないが、そうした山村の人々が、炉端でひっそりと
 春を待っている心持ちを、連想させてくれる意味では、日本人の生活感情
 の或る部分を反映した詩である、といってもさしつかえないであろう」
 と書かれている。

 獅子舞のほうは、まだまだ東京の正月風景の、よきアクセントになっているが、風折烏帽子(かざおりえぼし)に素袍(すおう)、扇を手にした大夫と、大黒頭巾で鼓を打つ才蔵のコンビによる万歳となると、ブラウン管や舞台での、漫才タレントの活躍をよそに、すたれるいっぽうなのは、さびしいことだ。


 今では獅子舞もすたれるいっぽうである。三河万歳は、もはや博物館行きに近いのではなかろうか。
 では、三河万歳とは、いったいどんなものだったのか。

 その時分、江戸の街を流して歩いた万歳は三河から出てきたといわれているが、これは大夫のほうだけで、相手をつとめる才蔵は野洲は栃木の在の出身である。
 年の暮れになると、江戸橋広小路に才蔵の市が立ち、ここで大夫と才蔵が一組になって、正月のあいだいっしょに稼いで、ひと月たつと別れて、それぞれの国へ帰っていくしくみ。
 江戸っ子は口から声を出すが、上方のひとはのどから出す。野洲の人間の声は鼻にかかる。言葉は国の手形などといわれるが、のどと鼻で、声の質の取りあわせの妙も、ちゃんとそなえていたのである。


 このように、実は三河出身は大夫のみ、才蔵は野洲、栃木の出身なのであった。
  
 さて、このあと落語『万歳の遊び』について書かれている。

 落語『万歳の遊び』は、この万歳という藝が、演藝というよりもむしろ、素朴な民俗藝能の趣をもっていた時代の風俗を、的確に伝えてくれる。いまは、ほとんど高座にかけられることがないが、藝能史的な興味からも、ないがしろにはできないはなしだ。



 私も聴いたこともないネタ、『万歳の遊び』とは、いったいどんな噺なのか、ご紹介。

「さて、才蔵、これで正月も終わっていよいよ別れるわけだが、今年は天気が続いて結構だった」
「大夫さん。おらァ六年江戸に来てるが、まだ吉原というとこへお客として一度もいったことがない。女郎買いにいきてえと思うがどうでござりましょう」
「才蔵、それはいいところへ気がついたな。さっそく出かけてみようか」
「やァ、それはおめでとう・・・・・・」
「これこれ商売詞(ことば)のおめでとうをいうたらあかん。大夫と才蔵が女郎買いに来たとお得意さまに聞こえてはぐあいが悪い。ちょっくらなりを変えていこう。おれが刀を置いて、羽織を着て旦那。おまえが下男の才蔵・・・・・・ではまずい、才兵衛と変えていこうか」
 かくして二人、吉原の大門をくぐったが、才蔵のほうは、なにかというとすぐに地が出るので大夫は気が気でない。若松楼なる妓楼(みせ)にあがりこみ、内藝者がやってきて飲んでいるうち、酔った才蔵は、とうとう商売詞を出してしまう。困った大夫が、
「これ才兵衛、もういいかげんにして寝てしまえ」
「旦那さまがお休みなさいとさ」
「ソレ、

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旦那ァさまァも、お好きなァら、ご新造さァまもお好きで・・・・・・」
「なんですねえ、そんな大きな声で、もう夜中ですよ」
「フン、、
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夜中の頃には、ムックリ、才蔵なんぞはコレワイ・・・・・・」
「ほんとに、お前はんはおもしろい方ねえ、どうも旦那のただのお供ではありませんね。ええと・・・・・・うん、きっと藝人衆だよ」
「いやァ、藝人なんぞじゃァねえ」
「じゃァ、きっと幇間(たいこ)衆ですね」「なァに、おらァつづみだ」

 
 なるほど、太鼓と鼓ですね。

 本書では、小沢昭一さんが消えかかっている放浪の藝をさがし求め『ドキュメント・日本の放浪芸』(ビクター)というレコードに集大成する際、昭和46年正月、尾張の老万歳師の大夫に、自ら才蔵となってついて、浅草と鎌倉を門付けして歩いた体験について新聞の記事から紹介している。
 

 「当代の芸能者が、言葉を縦横無尽にあやつるわざを、枯渇させて
  しまったことを知った。かつて、定着社会からはみ出た放浪芸人たちは、
  呪術まがいのたぶらかしを、舌先三寸にのせて人々の上に投げかけて、
  その日を生きて行ったのである。それはまさしく命がけのわざであった。
  そういう、したたかな言葉の魔術を、いまわれわれは失っている」
  という彼の体験の結果が、
  「鎌倉と浅草とでは、浅草のほうがこういう芸をうけ入れる土壌ありと
  睨んでいたが、事実は逆で、浅草の街は冷淡であった。“押し売り
  獅子舞お断わり”の都会風が、旧弊と思われる花柳街にもやはり
  あった。私は何度もどなられ、戸を激しくしめられた。鎌倉は鷹揚
  であった。訪問芸を迎える風習がまだ残っていた」
 といった事実であったことは、現代の伝統藝のあり方について、ひとつの示唆を与えてくれるように思える。
 小沢のいうごとく、日本の藝能は、放浪者の手によって、蔑視のなかで育てられてきたものがきわめて多い。落語や漫才をはじめとする、こんにち大衆藝能とよばれる藝のほとんどもその例外たり得ない。そして、そうした藝にたずさわる藝人たちは、いつの世にも、一般社会から逸脱した負け犬としての立場にのめりこんだいった。つまり、負け犬であることを自ら選ぶことで自分たちだけの特殊な世界を形成したのである。彼らは、そのことが時代の変革にたいしても、いちばん楽で、しかも的確な対処のしかたであることを感覚的にとらえていたのである。


 小沢昭一さんが指摘する浅草の冷たさ、なんとなく分かるなぁ。あそこは、あまりにも商売優先の観光地であり、それも、結構閉鎖的なムラ社会になっているような気がする。浅草見番での雲助の落語会の後に、佐平次さんと老舗と言われる居酒屋へ行った際の、なんとも居丈高な態度を思い出す。

 ‘門付け’からは、映画『はなれ瞽女おりん』や『鬼の詩』、そして高橋竹山などをイメージするが、その昔の京都、大阪で露の五郎兵衛や米沢彦八による大道芸として落語が始まったこと、そして、この三河万歳という芸も含め、これら大衆芸能の成り立ち、演じ手のことを思うと、やはり隔世の感がある。

 最近、落語会で四千円を超える会が増え、なかには五千円、あるいは六千円などという木戸銭の数字に驚く。
 お土産が付いたり、お金のかかる演出があったりもするのだろうが、私には、「落語だよ・・・違うだろう」という思いが強い。
 そういうこともあり、今年はできるだけ寄席に行こうと思っている。

 旧暦の正月三日、この本を読み、門付け、三河万歳、そして軒付けなども含め、貴重な芸能の歴史を、せめて落語の世界だけでも長く伝えて欲しいと強く思うのだった。

 最後に、本書で紹介されている一茶の句をご紹介。

 万歳や馬の尻へも一祝ひ
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by kogotokoubei | 2015-02-21 09:33 | 落語の本 | Comments(10)
 最終回も良かった。まだ、余韻が残っている。

 記事の内容はネタバレもあるので、再放送(下記日程)を楽しみにしている方は、ご覧になってからお読みのほどを。

--------「風の峠~銀漢の賦~」最終回再放送-------------------
再放送:【総合】2015年2月25日(水) 午前1時25分~2時8分(火曜深夜)
再放送:【BSプレミアム】2015年2月25日(水) 午後0時~0時43分
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 葉室麟の作品では、漢詩や和歌が実に効果的に使われる。
 将監、源五、十蔵の三人の友情の象徴として、すでに「銀漢」の出典でもある蘇軾の「中秋月」があるが、最後の場面でも蘇軾の詩、「玲瓏山に登る」が登場する。

 元の七言律詩は、次の通り。

 登玲瓏山

  何年僵立兩蒼龍
  瘦脊盤盤尚倚空
  翠浪舞翻紅罷亞
  白雲穿破碧玲瓏
  三休亭上工延月
  九折巖前巧貯風
  腳力盡時山更好
  莫將有限趁無窮

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葉室麟著『銀漢の賦』

 さて、原作では、どのようにlこの漢詩が登場するかをご紹介。
 風越峠での決闘をなんとかしのぎ、松浦将監は、残り少ない命を振り絞って、絵師として評価を得ている老中松平定信に直訴することで、月ヶ瀬藩藩主惟忠が幕閣入りを狙い、その条件として不平等な国替えを強いられることを阻止することに成功した。 
 日下部源五は、鷹島屋敷の屋敷番になっていた。
 (漢詩の部分、ふりがなが読みにくいかもしれませんが、ご容赦のほどを)

 九月になって、鷹島の古屋敷にいる源五のもとへ将監の遺品が届けられた。見ると一幅の掛け軸である。
 みつからの書状によれば、将監が死の直前まで絵筆を取って描きあげたもので、
 「源五に-」
 と言い残したそうである。掛け軸が届いた日の夜、源五は茶室の床の間に掛け軸を掛けた。そして茶室の障子を開け放ち、月光で将監の絵をしみじみと眺めた。
 見る者を粛然とさせる山水画だった。濃淡の墨で豪宕(ごうとう)な山容が描かれている。将監の絵らしく代赭が刷かれ、地肌の熱を伝えるかのようだ。墨のにじみはなだらかな斜面を表し、鋭い描線は天を切り裂く峰を描いていた。
 二つの高い峰が天を切り裂き、お互い向い合うように聳えている。その景色は、あたかも二頭の龍が天に飛翔しようとしているように見えた。雲が湧き起り、疾風が峰々を駆け巡っている。自然の厳しさを見つめ、その偉容を称えている絵であり、山を越えて広がる天空へ思いを馳せる絵だった。
 この絵には凛冽(りんれつ)という言葉が最もふさわしいと源五は思った。
 (将監は死の直前にこのような絵を描いたのか)
 画賛は漢詩が書かれていた。源五は、月光の中で胡座をかき、掛け軸を眺めながら、静かに画賛を読んだ。

なんねんきょうりつ りょうせいりゅう
 何年僵立す兩蒼龍
そうせきばんばん  なお   
 瘦脊盤盤として尚空に倚る 
 すいろう        ひあ
 翠浪舞い翻る紅の罷亞   
はくうんうが    あお れいろう
 白雲穿ち破る碧き玲瓏
さんきゅうていじょうたく   
 三休亭上工みに月を延き
きゅうせつがんぜんたく  たくわ
 九折巖前巧みに風を貯う
きゃくりょくつ     さら 
 腳力盡きる時山更に好し
ゆうげん もつ むきゅう    なか
 有限を將て無窮を趁うこと莫れ

 蘇軾の詩、「玲瓏山に登る」である。
 蘇軾は号を東坡居士、詩人であり宋の高官だった。「新法」をかかげて改革政治を進めた王安石と対立して地方へ流され、一時は死を覚悟したこともあった。地方へ左遷された際、名所の玲瓏山に登って詠んだ詩である。
 玲瓏山には二頭の青龍にも似た、二つの高い峰がある。
 蘇軾は、二つの峰は一体、何年の間、聳え立っていたのだろうか、と思いをはせたのだ。二つの峰は老人の背骨のように折れ曲がって空によりかかっている。
 田圃は紅色に色づき、青葉は風に翻っている。
 白雲をつきぬける峰を眺めながら山に登れば、月を見るのによい三休亭がある。
 風が心地よく、ここで歩き疲れた足を休める時、山の景色は一段と美しい。
 限りある人間の身で無窮の美をこれ以上、追い求めてはいけない、というのが詩の大意だ。両青龍、二頭の青龍という詩句に、将監は自分と源五を見立てたのだろうか。
 しかし、将監が伝えたかったのは、この詩が、はるかな山上に登った時の感慨を表していることだろう。
 「唐詩は酒、宋詩は茶」と言われる。杜甫を始め唐詩は悲哀に満ちているが、宋詩は同じように悲哀がありながらも、これに酔わず、乗り越えようとする気概があった。
 -脚力尽きる時、山更に好し
 源五は詩の一節をつぶやいた。
 将監は源五と支えあうようにして上った風越峠で見た風景を、この世で見た最後の最も美しいものとしたのかもしれない。人は脚力が尽きる老いの最中に、輝かしいものを見ることになるのだろうか。


 最初に本書を読んだ時、この漢詩のイメージから作品が出来上がったのではないか、とも思ったものだ。
 あとで紹介するが、実際は友人との温泉での体験が元になっている。

 ドラマでは、この二つの峰の間に天の川が流れていた。これは、実に良い脚色。
 源五と蕗との会話で、二つの峰が将監と源五ならこの天の川は、と言う場面、私も「十蔵」と声を出していた。そして、少し目が潤んだ。

 風越峠での決闘でも、映像ならではの好演出があった。
 原作では、将監は、蕗の鉄砲の助けを借りずに鷲巣清右衛門を倒すのだが、ドラマでは、二人が睨みあっている間に鉄砲を持って蕗が走った。「お、これは!」と私は思った。
 源五は清右衛門の助っ人である目付を相手にしている。その時、気丈な蕗なら、十分に鉄砲を用意できる。
 結果、将監が躓き清右衛門が斬りかかった時、蕗の打った鉄砲の弾丸が清右衛門の目の前を遮り、その隙に将監が清右衛門を下から突き刺す、という演出。これは、大いにあり得るし、なかなか見事な脚色だった。

 では、こういった原作にはない脚色について、作者の葉室麟自身は、どう思っているのか。

 文藝春秋の「本の話web」というサイトに、作者葉室麟と源五を演じた中村雅俊の対談が掲載されている。
 そこに、脚本への感想や、本書を書いたきっかけなどが明かされているので紹介したい。
「本の話web」サイトの該当ページ

葉室 僕は、映像作品は小説とは別物だと思っているので、おおもとの話さえ変わらなければどう脚色していただいてもいいと思っているんです。ただ今回ドラマ化のお話があったとき、原作が入り組んだ構造なので、脚色は結構骨の折れる作業になるんじゃないかなと心配していました。

中村 現在の話と昔の話が行ったりきたりして、やや複雑な作りかもしれないですね。

葉室 ところが脚本を読んだらまったくの杞憂でした。原作のややこしいところをうまく躱(かわ)しながら、すごく魅力的に脚色していただいていて。自分で言うのも変ですが、本当に面白かった(笑)。才能ある方々によって映像化され、原作も面白いと錯覚してくれる人がいたらいいなと思っています。それで本が売れてくれたらなお嬉しいなと(笑)。

中村 ハハハハ。中年を過ぎた方には、たまらない物語だと思います。ところで、この小説はどういう風にして生まれたんでしょう?

葉室 『銀漢の賦』を書いたのは、50歳を過ぎてからでした。そのときに、やっぱり友情を書きたくなったんです。小説の中で、源五と将監が温泉に行くシーンがありますが、これは実体験です。僕が社会人になって非常に辛い時期があったときに、友だちが温泉に行こうと声をかけてくれて。といっても200円払って入るような小さな温泉なんですけど。それで2人で山を見ながらぼーっとして。彼は僕が大変な時期にあることをわかっているんですけど、慰めたりはしないんです。何てことのない世間話をして帰ってくる。ただそれだけのことが、僕にとっては本当にありがたかった。これが貴重な経験になっていて、そのときの思いを小説にしました。



 葉室麟も、脚本を高く評価しているのだ。
 たしかに、‘原作のややこしいところをうまく躱(かわ)し’ながら、映像表現ならではの脚色をしていると思う。

 本作執筆の元は、友と行った温泉での経験だったようだ。なるほど、あの場面はドラマでも実に良かった。
 辛い時に傍にいてくれるのが、友なのだなぁ。

 対談している二人は、同じ昭和26年生まれで、誕生日も葉室が1月25日、中村が2月1日と極めて近い。

 葉室は、‘学生時代はジーパンで下駄を履いていました。弾けもしないギター持って歩いてた’、のは中村の影響、と話している。

 対談から再度引用。歴史における敗者について、そして、中村は源五をどう演じたのか。そして、原作を読んだ印象などについて。

中村 学校で歴史を習いますけど、それは結局勝者が作ったストーリーですよね。葉室さんの作品には、敗者への温かい眼差しを感じます。

葉室 僕は歴史の真実は、負けた人の側にしかないと思っているんです。源五にしても、世間的に見たら成功者ではありません。出世もしないし、友だちは死んでしまう。でも彼のように生きたら、自分なりに生きられたという満足感はきっと持てるんじゃないかなと。

中村 「風の峠」で源五を演じていて気持ち良かったのは、彼が義に生きた男だからなんですよ。地位が大事だったりお金にこだわったりする人もいるけれど、源五が一番大事にするものは、3人の友情なんですよね。それは他人から見たらどうでもいいことだけど、源五はブレない。将監にしても十蔵にしても、大事なものの選び方が素敵だと思いました。その優先順位の中で、自分が一番じゃないんですよ。他にちゃんと大切なものがある。そこがかっこいいなあと。

葉室 いろんな方に書評を書いていただきましたけど、今の中村さんの言葉が一番心に響きました。



 私も、原作を読んだ後は、中村雅俊と同様の感想を持った。三人の友情、それも、命を張った友情を背景にしているから、読む者の心を打つ。

 同じ年の二人、なかなか楽しい対談だったようだ。

 このドラマは、葉室燐が言うように、‘才能のある方による映像化’だったと思う。

 原作良し、脚本も良し、そして役者の了見も良しのドラマがお開きとなり、寂しい限り。

 4月からの前田慶次(利益)に関する次作については、あまり期待していない。原作がなく、原案があの「天地人」の原作者。
 あの本は書店で少し立ち読みしただけで買う気がしなくなったものだ。文章の質は葉室麟と比べようもない。時代考証にも問題があるように思った。作者の思い込みが強すぎるようにも感じたなぁ。
 そもそも、なぜ直江兼続を描くのに藤沢周平の『密謀』を元にしなかったのか、疑問だ。たしかに、藤沢作品は、史実にできるだけ忠実であろうとするので、ドラマ性は低いのかもしれない。しかし、それを、巧みに脚色することで、映像化はできたはずである。
 何より、藤沢も葉室も、善悪の単純な二者択一的、勧善懲悪のドラマなど描かない。

 対談にもあったように、葉室麟には歴史の敗者側に真実を見ようとする姿勢が強く、他の作家とは人物を描く深さが違ううように思う。そして、登場人物のそれぞれが魅力的である。


 そのうち、また葉室麟の作品をドラマ化して欲しいと願うばかり。
 拙ブログに、『無双の花』や『川あかり』のドラマ化を期待されているとのコメントをいただいた。もちろん、どちらも結構。
 立花宗茂を題材とする『無双の花』は、大河でも良いと思う。しかし、あのNHK会長は、選ばないだろうなぁ。
 『川あかり』は木曜向きだろう。七十郎と‘流れ星’たちの活躍は、ドラマ性が十分にあると思う。お若をどんな女優さんが演じるかなども興味深い。
 他にも『柚子の花咲く』などは、本来の教育とは何か、を問いかける意味でもドラマ化を期待したいものだ。

 ファンとしては、葉室作品のどれでも結構。
 なぜなら、そこには懸命に生きる生身の人間が存在するからだ。
 一見敗者と思われる側に視点を定め、厳しい環境下でも自分らしく生きようとする人間像が描かれ、登場人物たちの深い愛情、友情に熱いものを感じ、読後には清々しさや生きる元気をもらえる作品であれば、映像化しても十分に見応えがある。
 NHKの大河や木曜時代劇に限らず民放においても、そういった作品、作者に陽の目が当たることを期待したい。
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by kogotokoubei | 2015-02-20 00:04 | 歴史ドラマや時代劇 | Comments(4)
旧暦で今日2月18日が大晦日、明日19日が春節、日本での旧正月。

 春節ということで、中国からの観光客の話題をさまざまなメディアが取り上げている。

 講談社の「現代ビジネス」のサイトに、中国の春節の旅行事情に関する記事があり、結構興味深い内容を含んでいたので、紹介したい。近藤大介というライターは、『月刊現代』副編集長、『週刊現代』副編集長などを経て、現在は講談社(北京)文化有限公司副総経理とのこと。(太字は管理人)
「現代ビジネス」サイトの該当記事

 まず、中国人の海外旅行者の大幅な伸び、その人数の凄さについて。

昨年12月3日、中国国家観光局の張吉林スポークスマンが記者会見を開いて、次のように述べた。

「先月、ついに今年の海外旅行者が、初めて1億人を突破しました。中国人の生活水準の向上によって、中国人と世界各国の人々との交流は、新たな1ページを刻んだのです。『請進来』(いらっしゃいませ)から『走出去』(いってらっしゃい)への転換です。

海外旅行の統計を取り始めた1998年は、843万人でした。それが今年、10.8倍を超えて1億人に達したのです。内訳は、アジア地域が89.5%で、うち香港・マカオ・台湾が70.4%、ヨーロッパ地域が3.5%、アフリカ地域が3.0%、アメリカ地域が2.7%、太平洋諸島諸国が1.1%、その他の地域が0.2%です。

わが国の観光客が100万人以上訪問した国は、韓国、タイ、日本、アメリカ、ベトナム、それにシンガポールの計6ヵ国です。今年に入って特に激増しているのが、韓国と日本への観光旅行です」

続いて、2月9日に北京で開かれた全国旅行市場工作会議で、国家観光局の杜江副局長は、次のように述べた。

「2014年の外国人の中国への観光客数は、前年比0.27%増の2636万人。それに対して中国人の海外(香港・マカオ・台湾を含む)への旅行客数は、前年比19.49%増の1億700万人で、初めて1億人を突破した」


 貿易収支を真似て中国への「In」と「Out」を比べると、1億700万人-2636万人=80,640,000となって、約8000万人、海外へ行く旅行者が海外から中国へ来る旅行者を上回っている。

 さて、春節での旅行先で日本は人気が高いようだが、その理由が挙げられている。

 実際、今年の春節を挟んだ前後2週間ほどは、空前の海外旅行ラッシュとなっている。今年の5大人気スポットは、日本、韓国、台湾、タイ、バリ島だそうである。

日本が5大人気観光地の一角に入ったのは、主に3つの理由がある。第一に、円安元高だ。昨年来、日本旅行は3割くらい安くなった感じがする。現在の日本旅行の目安は、1日あたり1,000元(1元≒19.1円)で、4泊5日なら5,000元(約10万円)だ。だが春節の季節は値上がりが激しく、通常時の1.5倍くらいにハネ上がっているツアーもある。

訪日中国人が増えた二つ目の理由は、日本政府が1月19日に、ビザの条件を緩和したことである。観光ビザの規定というのは、4つの官庁の合議で決める。外務省、法務省、警察庁、国土交通省(観光庁)である。このうち国土交通省が開放派で、法務省と警察庁が保守的、外務省がその中間だそうだ。だが今回は、安倍官邸の強い意向を受けて、大幅緩和となった。

具体的に個人の観光ビザに関しては、高額所得者及びその家族は初回でも5年間の数次ビザを発給し、中間層でも過去3年以内に日本への渡航歴があれば、家族も含めて数次ビザを発給するとした。多くの中国人は、一度日本へ来ると、「親日」になって帰国する。そうした層をもう一度、日本に取り込もうというのである。もちろん団体旅行であれば、もっと簡単にビザを発給する。

三番目の理由は、昨年11月の北京APECで、安倍晋三首相と習近平主席が握手したことである。習近平主席の仏頂面握手は物議を醸したが、それでも敵同士のようだった両国が、表面的にでも和解してみせたことで、中国人からすれば日本旅行に行きやすくなったのである。


 一度日本に来ると、多くの中国人が親日家になって帰る、ということは、実に嬉しいことだ。

 日本への旅行者の数、そして、いわゆる経済効果について、次のように書かれている。

昨年、日本を訪れた中国人観光客は240万9200人で、前年比83.3%増! 今年は300万人を突破し、台湾と韓国を抜いてトップに立つのが確実と見られている。一人あたりの平均消費額も23万円とダントツで、計5,600億円も日本に落としてくれた。これは全体の2兆305億円の約27%にあたる。


 日本人の礼儀正しさ、綺麗好き、優しさ、などが親日家になる要素に入るのだろうが、よく考えると主たる旅行目的が買い物であろうから、お店の人が丁寧に優しく振る舞うのは、どこの国、都市だって共通だろうとは思う。しかし、、自国(中国)の接客態度との差は大きかろう。

 日本土産の人気商品について。

また、中国新聞網の記事によれば、一昔前の日本みやげの「三種の神器」は、デジタルカメラ、炊飯器、腕時計だった。だがいまは、ステンレスボトル、化粧品、バッグに変わったという。

ステンレスボトルとは、水筒のことだ。実際に私も売り場へ行ってみて驚いたが、大量に並んだ商品は、すべて中国人の観光客向けに並べたものだった。保温専用のもの、保冷専用のもの、中にコップのついたもの、口が広いものに狭いもの、片手で開けられるもの・・・。これらが大きさ別、色別に多種多様に並んでいる。加えてボトルを入れるポーチや、中を洗う洗剤など、付属用品までズラリ取り揃えてあるのだ。


 お土産の人気製品については、次のような情報もある。時事ドットコムからの引用。
時事ドットコムの該当記事

日本旅行、洗浄便座購入が人気=旧正月、519万人が海外へ−中国

【北京時事】中国国家観光局は17日、春節(旧正月)に伴う大型連休(18~24日)を前に、期間中に海外(香港・マカオを除く)旅行のため出国する国民が、前年と比べ約10%増の延べ519万人に上ると発表した。「海外旅行ブーム」が本格化する中、円安などの影響で日本旅行に人気が集まっており、中国メディアは日本で温水洗浄便座を買う中国人観光客に焦点を当てた記事を相次いで掲載している。

 「中国の消費者はなぜ、日本の洗浄便座をわれ先に買おうと熱狂するのか」。15日付の中国紙・北京青年報はこう見出しを掲げる記事を掲載。除臭、洗浄、抗菌などの機能の付いた便座は電気炊飯器に続き、日本での買い物で欠かせない一品となっており、約2000元(約3万8000円)の商品が売れ筋だと紹介した。
 共産党機関紙・人民日報も先に、「中国にも同じ商品があるのに、なぜ日本で便座を買うのか」と問い掛け、「彼らは国内の製品では満足を得られていない」と指摘。「コピー・偽物を取り締まり、絶えず技術革新を行えば、近い将来に中国で製造した便座にも人気が集まると信じる」として、日本に学ぶことが必要との見方を示した。
 日本政府観光局によると、昨年の中国からの訪日者数は約240万人で、前年比83%増を記録した。北京の日本大使館によれば、春節前の1月の訪日ビザ発給件数は中国全土で約25万件で、昨年1月の約14万5000件を大幅に上回った。(2015/02/17-18:35)


 春節での日本土産のおかげで、中国で「TOTO」や「INAX」という言葉が普及しそうだ。

 しかし、ウォシュレットが売れるということは、中国で「お尻を洗いたい」という文化が浸透し始めたということで、これは、結構画期的なことだと思う。

 三宅秀道著の『新しい市場のつくりかた』(東洋経済新報社、2012年発行)は、「なぜトーマス・エジソンには、ウォシュレットがつくれなかったのだろう?」という問いかけに対し、「自分のお尻を洗えないという不幸せを不幸せと思えなかったことにある。つまり、「お尻を洗うと気持ちがよいのではないか?」という問題を発明することができなかったからだ、としている。著者は、新市場の創出には4つの制約条件があると指摘する。
三宅秀道著『新しい市場のつくりかた』

 湯之上隆が著書『日本型モノづくりの敗北』(文春新書、2013年発行)の中で、『新しい市場のつくりかた』を元に、制約条件と、「しあわせ創出」による新市場の創出について、次のような図をつくっている。(この図そのものは管理人作成)
湯之上隆著『日本型モノづくりの敗北』

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 ウォシュレットは、新たな「しあわせ創出」であり、「問題の発明」「市場の発明」であるという主張は、今後の日本の製造業にとって重要な示唆だと思う。

 さて、一部の富裕層ではあろうが、中国の人も「お尻をきれいにすることが、しあわせ」と思うようになってきたのは、文化的制約を越えたということで、結構、画期的なことではなかろうか。

 しかし、新しい「しあわせ」感が出来上がっても、上の図でも分かるように、他の制約条件が満たされているかどうかも、重要。特に「技術的制約」や「社会的制約」は、まだ課題がありそうだ。

 だから、日本の便座は、そのまま中国で使えるのか、という疑問が湧く。

 そう思っていたら、チャイナネット(「中国網」)に、次のような記事が掲載されていた。
「チャイナネット」の該当記事

日本のウォシュレット、中国での使用で注意すべきことは?
発信時間: 2015-02-17 11:23:31

日本製の炊飯器に続き、日本製のウォシュレットも流行している。日本を訪れた多くの中国人消費者の購入リストのうち、除臭・水洗・ドライ・抗菌・マッサージ機能を持つウォシュレットが「必買品」の一つになっている。中国人ツアー客がよく訪れる家電量販店では、売り切れが相次いでいるほどだ。

人々は日本製のウォシュレットを購入すると同時に、この海外製品が自国での使用に適していない可能性に注意するべきだ。北京青年報の記者の調べによると、一部の消費者は日本から持ち帰ったウォシュレットを使い始めたばかりで、水が詰まるという問題を報告している。検査の結果、水垢が吐水口を詰まらせたことが分かった。このウォシュレットには温水機能がついているが、実際には小型貯水タンク内の水を常に加熱することで温度を維持している。問題はここにある。日本の水は水質が柔らかく、加熱と冷却によって多くの水垢が発生することはない。中国の多くの地域では水質が硬く、水垢によって吐水口を詰まらせやすい。ゆえに水質が硬い地域では、このウォシュレットを5−6ヶ月使用しただけで、吐水口が故障する可能性がある。記者の調べによると、ウォシュレットには全世界のアフターサービスが存在せず、中国で故障した場合は厄介なことになる。

それから日本でウォシュレットを購入する中国人消費者は、日本の電圧が110Vで、中国は220Vであることに注意が必要だ。ウォシュレットのようにプラグを直接差し込み交流を使用する家電は、携帯電話やノートPCのような電圧範囲が広い製品ほど便利ではない。他にもこれらのウォシュレットは取り付けの際に、近くに水道や電線とコンセントが必要だ。中国の多くの家屋は建築の際にこれらの設備を取り付けておらず、わざわざ水道管や電線を引っ張ってきて取り付けても、海外で目にするほど美しくは見えない可能性がある。


 せっかく買っていった洗浄便座も、そのままでは使えない可能性がある。いや、そのまま使えない可能性の方が高いのではなかろうか。

 お店でも、使用するための注意事項を説明するのだろうが、中国語が話せる店員は、それほど多くはいないだろう。

 もし、せっかく買った便座が家に帰って使えないために、それまで抱いていた親日の感情が、反日感情に変わらなければいいのだが。

 とても「水に流して」と言って許してくれそうには思えない^^
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by kogotokoubei | 2015-02-18 19:39 | 旧暦 | Comments(0)
 先週7日の土曜日は、ざま昼席落語会で、入船亭扇遊の『鼠穴』を堪能した。

 落語のマクラでよく耳にする江戸の名物が、「武士、鰹、大名小路、広小路、茶店、紫、火消、錦絵、火事に喧嘩に中っ腹、伊勢屋、稲荷に犬のくそ」と最後はやや下品になるが、もちろん火事は欠かせない。

 火事にまつわる小咄は多いが、ネタとしては、先日の『鼠穴』以外に、『富久』、『大坂屋花鳥』、『火事息子』、江戸ではないが『厩火事』なんてぇのもある。

 江戸の大火で被害が大きかったものを、Wikipedia「江戸の火事」を元にご紹介。Wikipedia「江戸の火事」

明暦3年1月18日・19日 (1657年)  明暦の大火(別名、振袖火事) 死者数は最大で107000との推計

天和2年12月28日 (1682年) 天和の大火(別名、八百屋お七の火事)  死者数830-3500

明和9年2月29日(1772年) 明和の大火(別名、行人坂の火事)死者数14700、行方不明者数4060

天保5年2月7日 (1834年) 甲午火事 死者数4000

安政2年10月2日(1855年) 地震火事 死者数4500-26000


 
 2月16日は、旧暦で12月28日。天和2年のこの日に「天和の大火」があった。

 なぜ「八百屋お七の火事」と言われているかはWikipediaにも書かれているのだが、「歴史人」のサイトの昨年12月28日の「今日は何の日?歴史人カレンダー」からご紹介する。
「歴史人」サイトの該当記事

お七火事=天和の大火が起こる (天和2年=1683年1月25日) 12月28日 

 331年前の今日(旧暦)、天和の大火が江戸の町を焼いた。お七火事とも呼ばれる。
 天和2年(1683)、駒込大円寺が火元という大火が江戸の町を襲い、死者3500名にも及ぶという大惨事となった。
 井原西鶴の『好色五人女』を始め、歌舞伎や文楽などで名高い八百屋お七の物語は、この天和の大火に始まる。
 天和の大火で焼け出された江戸・本郷の八百屋、八兵衛なる男は、檀那寺であった駒込の吉祥寺に避難した(本郷の円乗寺ともいう)。八兵衛にはお七という16歳になる娘がいた。お七は避難場所で出会った寺小性、生田庄之介と恋仲となる。
 やがて八兵衛は新居を再建、一家は寺を引き払うが、お七の庄之介への恋情はやみがたかった。
 お七は、火事になればまた庄之介に会えるかもと、なんと自宅に放火をしたのである。
 お七の火付けによる火事は幸い大火にはならずすぐに消し止められて小火で済んだ。
 しかし、当時、火付けは大罪である。
 お七は捕われ、鈴ヶ森で火あぶりの刑に処される。
 天和3年のことだった。
 この事件の3年後の貞享3年(1686)、井原西鶴が『好色五人女』でお七を取り上げたことにより、お七の名は全国に広く知られるようになる。
 歌舞伎や文楽などの悲恋のヒロインがこうして誕生したのである。
(文/宮本次郎=コラムライター)



 お七が小姓の庄之介(佐兵衛とも言われている)に会いたい一心で放火をしたのは、天和3年の3月2日とされている。
 ぼやで済んだようだが、放火は大罪。

 お分かりのように、別名「八百屋お七火事」と言われる「天和の大火」は、あくまでお七を吉祥寺(あるいは円乗寺)に避難させ、小姓に合わせるきっかけになった火事だ。

 実際のお七という人物に関しては、天和3年の3月に放火で断罪された女性がいたことだけは事実のようだが、詳細は謎に包まれている。

 西鶴の本、その後の人形浄瑠璃、歌舞伎によって、お七の姿が、あくまでフィクションとして伝説化したと思ったほうがよいだろう。

 ネットで調べているうちに、お七の墓は、生まれ故郷である八千代市の長妙寺にあるらしいことが分かった。「長妙寺」サイトの該当ページ
 しかし、このお寺のサイトでは、お七の放火で江戸の町が焼かれた、とある。‘小姓吉三’で説明されていることもあり、大変失礼だが、もう少し史実に沿った内容に訂正してもらいたいものだ。

 史実と、その後に読み物や浄瑠璃、歌舞伎などで脚色されて世に流布している内容とが大きく違うことは多い。
 忠臣蔵の討ち入りの時は前日までの雪がやんでいた、とか、堀部安兵衛が高田の馬場で倒した相手は多くても五人である、とか。人々は、どうしても、物語として大袈裟に脚色(歪曲?)されたり美化されたりするフィクションの方を好みがちだ。

 八百屋お七についても、お七の放火で江戸の大火になったと勘違いしている方も多かろう。

 ことほど、史実がフィクションによって歪曲され、それが、事実のように広まることもあるのは、実に恐ろしいことだ。

 しかし、よ~く考えると、フィクションと分かった上で、一つの物語を楽しむのであれば、お七も浮ばれるかもしれない。

 落語では、円生が得意にしていた『お七』があるし、『七段目』でも重要な演出の一こまをつくっている。『くしゃみ講釈』では覗きカラクリが大事な要素である。小姓と胡椒だよね^^


 八百屋お七のことから、史実(ノンフィクション)とフィクションのことに思いが至る。

 たとえば、史実(史伝)の吉村昭、歴史小説の司馬遼太郎という二人の対比を思い浮かべるが、最近は、そういう二者択一的な考え方ではまずいのではないか、と思い始めた。

 たとえば、藤沢周平や葉室麟は、どう位置づけられるのか、ということ。

 いわば、ノンフィクションとフィクションの狭間にある作品は存在すると思う。

 たとえば、定説のある歴史的な事実に、まったく別な角度から光を当てる試みは貴重だ。
 また、無名の庶民を題材としていながら、当時の世相なども巧みに織り込み、リアリティのある人間像を描き出し読者を魅了するフィクションも存在する。藤沢や葉室は、そういった作品の代表的作家だと思う。

 時代小説、あるいは歴史小説において、肝腎なことはいったい何なのだろうか・・・・・・。

 描かれた作品が人の心に迫ってくるかどうかは、作者の想像力と了見によって決まるのだと思う。

 視聴率だけがその番組を測る指標とは思わないが、NHKの大河の低い視聴率が話題になるのは、当然の帰結である。想像力と了見の両方に問題があり、観る者の心を揺さぶらない。

 それに比べて葉室麟の原作『銀漢の賦』を元にした、同じNHKの木曜時代劇「風の峠」は違う。原作の良さを、映像化する人達も的確に演出しており、実に観る者の心を揺さぶるではないか。そこには、定めの中で必死に生きる男や女が、侍も農民も含め描かれている。脚本家や演出家の想像力と了見が大河とは違うのだろう。今週で最終回なのが惜しくてならない。

 ノンフィクションがフィクションより上とか下とかの問題ではなく、小説やドラマ、映画という作品において、どれほど読者や視聴者に、その時代や環境において、悩み、もがき、葛藤する、生きた人間が描けているかが大事なのだろう。
 その結果、読む者、観る者に、感動や、それこそ勇気を与えることができる作品こそが傑作なのだと思う。

 昨今、テレビのスポーツ番組で「勇気」や「感動」という言葉が大安売りされている。「勇気と感動をありがとう!」という軽~いノリのアナウンサーの言葉を聞くと、興醒めだ。
 しかし、優れた文章や映像から、本当に勇気や感動を受けた場合、しばらく何も言えず、じ~んと胸に沁みてくるものだと思う。目が潤むこともある。とても、軽々しく言葉など発せられないのが、心から感動した時の状況のはずだ。


 「八百屋お七の火事」の日、最近の時代劇ドラマなどのことも含め、いろんなことを考えていた。
 相当発散してしまったが、じ~んとくる、小説や映像に一つでも多く出会いたいと思う。それは、ノンフィクションでもフィクションでも、もちろん構わない。
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by kogotokoubei | 2015-02-16 19:45 | 今日は何の日 | Comments(0)
第186回とのこと。
 正月恒例となった鯉昇・喜多八の二人会も豪華な顔ぶれだったが、その二人の睦会仲間である扇遊と、かつての古今亭志ん上、桂ひな太郎との組み合わせも、決して見劣りしないと楽しみにしていた。

 相武台前駅近くで昼食をとり、一時少し過ぎに会場に着いたら、すでに三十人ほど並んでいる。私も外で一服してから並んだ。
 先月が追加のパイプ椅子もびっしり並んで380名の過去最高の入りだったようだと聞いた。今回も、そこまではいかないにしても通常の席がほぼ埋まっていた。

 次のような構成だった。
-----------------------------
(開口一番 柳亭市助『真田小僧』)
入船亭扇遊 『棒だら』
桂ひな太郎 『後見じいさん』
(仲入り)
桂ひな太郎 『締め込み』
入船亭扇遊 『鼠穴』
------------------------------

柳亭市助『真田小僧』 (13分 *14:00~)
 現在のレギュラー前座として板についてきた。高座内容も、なかなか堂に入ったもので、父親を言葉巧みにだます金坊が良い。たとえば、父親の留守中に母親を白い服を着てステッキを持った男(実は按摩)が訪ねてきて、男の手を引いて母親が部屋の中に引き入れ、金坊が遊びに出たふりをして戻ってきたら、開いていた障子が閉まっている。少しその障子を開けて、「中を覗いたらね、中を覗いたらね」「・・・」「二銭は、ここまで」、などのリズミカルな語り口で、会場から大いに笑いをとっていた。

入船亭扇遊『棒だら』 (23分)
 今日は少しは暖かいなど天候のことから、共演のひな太郎とはよく飲む、と酒の小咄(にわとり上戸や薬上戸、親子の酔っ払いなど)につなげた約7分ほどのマクラから本編へ。
 この噺は、当代ではさん喬の素晴らしさは定評のあるところだが、扇遊も大いに楽しませてくれた。薩摩の田舎侍が、料理屋の仲居から「声を聞かせてくださいな」と言われ、一瞬の間のあと口を開けて「ア~ァ、ア~ァ」と大きな声を出す場面なども、妙に可笑しい。その後、声とは歌か、とばかりに薩摩の田舎侍による①百舌のくちばし②十二ヶ月③利休、もしっかり。寄席で鍛えられた芸、という印象がした。二席目も大いに楽しみになった。

桂ひな太郎『後見じいさん』 (25分)
 得意の「落語界の玉三郎・・・病み上がりの舟木一夫」から、「成年後見制度」を分かりやすく広めるための落語を披露していることを語り、その話題から自分のことになり、もうじき63歳であること、最近涙もろくなったこと、などとつないで本編へ。いったん、人権落語のことから離れたと思わせながら、高齢化にまつわる新作に持って行ったところが巧みだった。 
 さて、その噺。きよしは伯父さん(母親の兄)のところに、父が亡くなって一年たったが、母親が認知症になって困っていると相談に来た。
 悪徳業者から、50万円の羽毛蒲団、80万円の化粧品、30万円の健康食品、15万円の鍋・ヤカン、そして、10万円の「悪徳業者に騙されない方法」というビデオを買わされている、という。
 伯父さんが、近くに弁護士事務所があるから相談に行こう、ときよしを連れて行く。その弁護士が蕎麦打ちに凝っていて、さんざん蕎麦を食べさせられた後で、きよしが母親のことを相談すると、何件も被害があるならクーリングオフでは間に合わないから、成年後見制度と利用すべきだ、という筋書き。なるほど。サゲは、明かさないことにしよう。
 結構、この噺は今日の高齢化社会において、有益に思う。他人事ではないかもしれない。
 帰ってからネットで調べたら、ひな太郎のホームペ^−ジに、この新作落語をつくることになった由来について紹介されていたので、ご興味のある方はご覧のほどを。結構、この噺であちこり呼ばれて忙しくしているようだ。
桂ひな太郎のホームページの該当ページ

桂ひな太郎『締め込み』 (17分)
 仲入り後に再登場。短いマクラからの高座、私は非常に楽しんだ。マヌケな泥棒が実にいい味を出していたし、夫婦の会話も楽しい。夫婦が泥棒がつくった荷をめぐって口論になる際の、かつて亭主が脅しまぎれに女房を口説いた際の逸話、他の噺家では「ウンか出刃(庖丁)か、うんデバか?」とやるが、大工なのでノミを使い、「うんかノミか、うんノミか?」というの初めて聴いたように思っていたが、後から志ん朝の音源を聴いたら、ノミだった。師匠譲りなのだ。
 女房が、伊勢屋に来ていた時の亭主のドジぶりを、「自分の足場は切って落っこちるは、寸法はしょっちゅう間違えて親方に叱られるわ」・・・「本当はこの人、目が悪いのかと思っていたら、私に擦り寄ってきて、やっぱり目が悪いのかと思ったけど・・・」なども、リズムカルに叩き込む語りで笑わせる。
 熱いお湯にたまらず床下から泥棒が飛び出た後の会話も楽しい。亭主が、「留さんじゃねぇのか」「えぇ、通りすがりの者です」も、間も良く妙に可笑しい。夫婦喧嘩のタネになっている荷を作ったことを泥棒が白状し、亭主から「おめぇさんが、こしらえた・・・どうして?」に答える「どーしてと聞かれても・・・」の“どーしてと”の科白でも会場に大きな笑い。通常のサゲの前で、泥棒が「これもご縁、またちょくちょく伺います」でサゲたが、短いながらもスピーディな楽しい会話による佳作と言ってよく、記録する意味も込めで、今年のマイベスト十席候補として残したい。やはり、この人は上手い。

入船亭扇遊『鼠穴』 (40分 *~16:12)
 江戸の冬は火事が多い、火事好きの野次馬も多かった、と短いマクラをふって本編へ。このマクラで‘ならい’(冬に吹く西北の風)という言葉が出るあたりは、好きだなぁ。
 この噺の肝腎な点は、聴き手が火事が夢であることを知っていても、その夢の中での物語をどれほど聴かせるか、ということだろうが、扇遊は流石だった。まず、竹次郎が起され、慌てて深川の家に帰り、目の前で蔵が焼け落ちる場面。最初に三番蔵から煙が出て、ガラガラと崩れる描写の迫力は、高座に火の粉が舞ったのではないかと思うほどの迫真の演技。次に二番蔵、そして一番蔵と焼け落ちた後の空虚感が漂う。そして、焼け跡から女房が夫婦巾着(このへんの小道具も好きだなァ)に残っていたわずかな金で掛け小屋から初めて、やはり、兄に元手を借りて店を出そう、と娘のよしを連れて出かける。
 火事が心配だから帰ると言う弟を引きとめ、お前の家に何かあったら自分の身代をやる、と言っていた兄が、あれは「酒が言わしたこと」と冷たくあしらう。この後に、「落ちぶれて 袖に涙のかかるとき 人の心の奥ぞ知らるる」の歌を挟んでから、娘よしに、「これが鬼の顔だ」と言って兄の家を後にする。竹次郎の無念さ、辛さ、怒りなど複雑な心境を抑え目ながら見事な仕草、顔の表情で演じていた。
 娘よしが吉原に身を沈めてつくった、せっかくの二十両を盗まれる場面も良かった。ぶつかってきたスリの大きな声、「危ねぇじゃないか」で一瞬に緊張感が高まり、体をぶつけられたために咳き込む竹。胸をなでていくうちに、懐にあった金がないことに気づいた時の落胆ぶり。このへんは、芝居を観るような印象だ。
 夢と分かってから、内容を聴いた兄が、「あまりいい役じゃないなぁ」の一言で夢の話の緊張感を程よく溶かして笑いをとるあたりも、結構だった。
 立川談志の音源も聴いているが、兄が悪い人、という造型に過ぎている気がしていた。十年ぶりにやって来た兄の店の番頭が、すぐに竹のことを分かった、ということからも、兄が弟のことをよく話題にしていたことが伺えるし、あの「三文」が、心を鬼にして渡したものだ、という言葉にも説得力がある。扇遊の兄の造型は、そんな人物像も良く表現していたように思う。サゲまでしっかりの高座、迷わず、今年のマイベスト十席候補としたい。


 残念だったのは、『鼠穴』の最中、二度携帯が鳴ったことなのだが、高座そのものには何ら影響を感じさせなかったところも、流石だった。この会、以前より確実にお客さんが増えている。なかには、落語経験の浅い方も多いだろう。悪気はなくても、あれはまずい。帰り際、係りの方に、仲入り後にも携帯の注意をしてもらいたいと告げた。

 相武台前駅に向かう道すがらも、ひな太郎の人権落語と『締め込み』の良さ、そして扇遊の二作、なかでもトリネタの素晴らしさの余韻に浸っていた。
 200回を目前とした地域落語会。4月からは、前売り券が700円から800円、当日券が800円から900円、5枚つづりの回数券が一枚当たり600円から700円と各100円値上げするらしいが、それでも、この木戸銭である。この落語会での噺家さん達の熱演を考えると数倍の価値があると思っている。近所に住んでいることに感謝したい落語会だ。
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by kogotokoubei | 2015-02-15 00:23 | 落語会 | Comments(0)
 昨日2月11日の朝日新聞オピニオン欄「言論空間を考える」で「人質事件とメディア」と題して映画監督で作家の森達也と、フリージャーナリスト土井敏邦の二人へのインタビューが掲載されていた。
 事件を巡る報道にモヤモヤしていたところで、大いに同意できる発言があったので、兄弟ブログ「幸兵衛の小言」で取り上げた。
2015年2月11日のブログ

 兄弟ブログは、以前は一緒に掲載していた政治的な内容を中心に別ブログに分離したものだが、この問題、本質的には落語などの芸能にも関連してくる。

 森達也や土井敏邦が指摘する現在のメディア状況は、いわば政府の言論統制に近い恫喝めいた動きへの過剰適合であったり、政府の思いを忖度して自主規制する動きがもたらしている。

 政府の悪口を言ったり、書いたりすることを強く抑制しようとしているのが、現政権であることは間違いがない。

 NHKの夜9時のニュースキャスターの交代が、定例の人事異動だと信じる人はどれだけいるだろう。

 今になって、テレビ朝日の原発関連報道について、その過ちを詫びさせようとすることの意図は何か。
 放送倫理検証委員会(BPO)は、なぜこのタイミングで、昨年9月のテレビ朝日「報道ステーション」での事実誤認報道について、意見書を発表したのか。大いに作為的なものを感じる。

 今の言論に関する環境は、まさに、戦前・戦中の社会によく似ているのではなかろうか。
 お上(おかみ)に逆らうことは言わせない、という雰囲気が一杯だ。

 先の戦争の最中、落語関係者にも、当時の言論統制の波は影響した。
 昭和16年10月30日、時局にふさわしくないとして、次の53のネタを禁演落語として、浅草寿町(現台東区寿)にある長瀧山本法寺境内のはなし塚に葬って、自主規制することにした。
 内容は廓噺や間男の噺などを中心としたものだったが、戦後昭和21年9月30日、「禁演落語復活祭」によって解除した。

--------禁演落語53種---------------------------------------------
明烏・粟餅・磯の鮑・居残り佐平次・氏子中・お茶汲み・おはらい・お見立て・
親子茶屋・紙入れ・蛙茶番・首ったけ・郭大学・後生鰻・五人廻し・駒長・
子別れ・権助提灯・三助の遊び・三人片輪・三人息子・三枚起請・品川心中・
城木屋・疝気の虫・高尾・辰巳の辻占・付き馬・突き落とし・搗屋無間・葛籠の間男・
つるつる・とんちき・二階ぞめき・錦の袈裟・にせ金・白銅の女郎買い・引っ越しの夢・
一つ穴・ひねりや・不動坊・文違い・坊主の遊び・包丁・星野屋・万歳の遊び・
木乃伊取り・宮戸川・目薬・山崎屋・よかちょろ・悋気の独楽・六尺棒
--------------------------------------------------------------------

 これだけの名作が禁じられては、ネタを考えるのに苦労したはずだ。

 そして今の日本の状況だが、私には戦中の言論統制に似た状況にあるように思われる。

 たとえば、NHKの正月番組、寄席からの生中継で、爆笑問題が政治ネタを封印されたことが話題になった。ラジオで彼らが暴露して騒ぎが大きくなったが、NHKにレギュラー番組を持つ身である、敏腕の女性社長(?)からお小言があったのだろう、あくまで現場の判断とか、いつものこととか、彼らは火消しに躍起になっていたように思う。

 実は、この‘現場の判断’や‘自主規制’にも、問題がある。禁演落語と同様、お上の意向を忖度し、自らの首を絞める行為に他ならない。それは、当の芸人のみならず、制作者側においても、自殺行為である。

 あからさまに統制されることがなくとも、現場が空気を読んで、「これは、まずいかな?」ということで規制することで、本来は、「世情のアラで飯を食う」はずの噺家や漫才師が、高座での切れ味をどんどん鈍らせてはならないと思う。

 それは、人質事件に関するメディアの報道姿勢と本質的に同じ問題だ。

 寄席や落語会で、かつては切れ味鋭い政治的なギャグを言っていた噺家が、昨今では、あまりその手のマクラをふらなくなってきたように思えてしょうがない。「世情のアラ」には、もちろん政治的なことも含まれるが、最近の落語のマクラ、お上に対する内容はすっかり減り、その代わりに弱い者いじめのギャグが増えてきたように思うのは、錯覚ではないだろう。
 
 朝日新聞で森達也が指摘した、集団化による暴力の波に、噺家も乗っかっては欲しくない。

 平成の‘禁演落語’があってはならないし、マクラで時事ネタを自主規制していてはいけないと思う。
 もし、持論を通した芸を披露してNHKに出演できなくなったら、それをネタにする位の了見をみせて欲しい。

 また、芸人なのだから真正面からお上に楯突くばかりではなく、一つひねった、笑いと味わいのある内容で庶民の声を代弁するような噺家のマクラや漫才を、ぜひ聴きたいと思う。


 江戸時代、松平定信の寛政の改革で文武が奨励され、武士や庶民に倹約が強いられた頃、次の有名な落首が江戸中に流行った。

 「世の中に かほどうるさき物はなし、ぶんぶといふて 夜も寝られず」

 大田直次郎、のちの蜀山人は当時狂歌師の四方赤良(よものあから)として有名であり、この落首の作者として疑われた。
 平岩弓枝の『橋の上の霜』では、この落首は、四方赤良、朱楽菅江(あけらかんこう)とともに江戸三大狂歌師と言われた唐衣橘洲(からころもきっしゅう)の作となっている。
 四方赤良と唐衣橘洲とは、吉原の花魁をめぐって仲違いする状況にあった、という設定で、唐衣橘洲が自分がつくった落首を、大田直次郎作と言いふらしたという筋書きだった。その直次郎を救うのが、とある美女。
 蜀山人については、後日何か書こうと思っている。

 さて、この落首を、少し真似てみる。

 「しんぞうの 鼓動の音をよく聴けば、ぐんびぐんびと 日夜脈打つ」

 オソマツ。
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by kogotokoubei | 2015-02-12 00:45 | 幸兵衛の独り言 | Comments(5)
中山康樹が亡くなっていたことを知った。時事ドットコムの該当記事


中山康樹氏死去=音楽評論家
 
 中山 康樹氏(なかやま・やすき=音楽評論家)1月28日午後8時21分、悪性リンパ腫のため川崎市の病院で死去、62歳。堺市出身。葬儀は近親者で済ませた。喪主は妻啓子(けいこ)さん。後日、お別れの会を開く予定。

 ジャズ専門誌「スイングジャーナル」編集長を経て評論活動へ。トランペット奏者マイルス・デイビスの研究で知られ、近年はロックも論じた。著書に「マイルスを聴け!」など。 (2015/02/06-18:04)

 このニュースに気が付いたのは、7日土曜の夜だった。
 パソコンを開いて目にしてから、末広亭の記事を書こうと思っていた手が、止まった。

 あのスイングジャーナルで、岩浪洋三さん(岩浪さんとか油井正一さんは、どうしても‘さん’づけとなる)の後に編集長となり、その後、音楽評論家として多数の著作を発表した人だ。私にとっては、大事なジャズの指南役だった。

 年齢は彼が少し先輩だが、1950年代生まれの同世代。

 五年前にスイングジャーナルが終刊、三年前に岩浪洋三さんが旅立ち、中山康樹の訃報を目にして、明らかにスイングジャーナルの時代が終ったのだと感じる。

 私は学生時代は体育会系で、たまにしかジャズ喫茶に通えなかったが、油井さんの「アスペクト・イン・ジャズ」は、よく聴いていた。「トランペット、クリフォード・ブラウン、テナー・サックス、ハロルド・ランド・・・・・・」という油井さんの独特の語りが耳に残る。
 社会人なってからはジャズ喫茶(バー?)に入り浸りだった。同じ店で一年間にバーボンのボトル50本キープ、なんてぇ年もあった(馬鹿だねぇ^^)。

 もちろん、スイングジャーナルはジャズ喫茶でよく読んだ。と言うより、ジャズ喫茶に積んであるスイングジャーナルは、いわば一種の調度品のような存在で不可欠だった。
 各楽器の人気ランキングなどもあって、日本人のトロンボーン奏者では、長年にわたって谷啓が第一位だった。向井滋春がトップに立ったのは結構遅かったように思う。「スイングジャーナル誌選定ゴールド・ディスク」には権威があったなぁ。

 私の好みは1950年代のハードバップで、なかでもトランペッターが好き。とりわけクリフォード・ブラウン大好き、である。
 実は、しばらくの間、1956年6月26日のブラウンとリッチー・パウエル夫婦が遭遇した自動車事故の背後に、ブラウンを妬んだマイルスがいるのではないか、マイルスが車に何か仕掛けたのではないかと真剣に思っていたのである^^
 まぁ、そんなことはないとは思うし、もちろん、マイルスも偉大である。でも、マイルスのあの日のアリバイは確認する必要がある^^

 私はモードのマイルスには弱く、「カインド・オブ・ブルー」を聴いても、一曲目のタイトルを洒落て「So What、それが、どうしたの?」と桂枝雀の口調を真似てジャズ喫茶で呟いていた。

 私が好きなマイルスは1950年代の前半から半ばまで。1956年の5月11日と10月26日のマラソン・セッションから生まれたプレスティッジの4枚のアルバムは愛聴している。

 かつて好きだったジャズをあらためて聴き出したのは、落語と同様に十年ほど前からだが、中山康樹の本からは、いろんなことを教わってきた。


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中山康樹著『マイルス・デイヴィス 青の時代』(光文社新書)

 中山康樹のマイルスに関する著作は多い。なかでも『マイルスを聴け!』は有名。そういえば、このタイトルを某落語評論家が落語評論本で真似たときは、やや興醒めだった。「お前にそんなことを言われる筋合いはない!」と思ったものだ^^

 さて中山康樹の数ある著作の中の『マイルス・デイヴィス 青の時代』(光文社新書、2009年12月発行)は、マイルスのチャーリー・パーカーとの出会いから、1959年の「カインド・オブ・ブルー」までの時期を対象に発表作品の背景や、さまざまなジャズミュージシャンとの出会いなどが描かれている。

 本書において、パーカーと同様に重要人物として挙げられているのが、ピアニストのアーマッド・ジャマル。私は、ジャマルの存在をこの本で初めて知った。
 アーマッド・ジャマルは、その昔ジャズ喫茶で聴いた記憶がなかった。あるいは、バップ大好き、ラッパ大好きの頃なので、聴いていても記憶には残らなかったに違いない。当時、ピアノ・トリオなどは絶対にリクエストしなかったしねぇ^^

 本書から、引用。
 マイルスがアーマッド・ジャマルの存在を耳にしたのは、あくまでもマイルスの自伝に従えば「1953年」ということになる。シカゴで教職に就いていた姉ドロシーの助言という。以下は自伝より。

  ドロシーは、シカゴのペルージアン・ラウンジ(Persian Lounge:
  原文のママ。パーシング・ラウンジの誤記かと思われる)の公衆電話
  からかけて来て、言った。「ジュニアーオレの家族は誰も、おやじが
  死んだずっと後まで、オレをマイルスとは呼ばずに、こう呼んでいた
  ーいま聴いてるピアノ、アーマッド・ジャマルっていうんだけど、
  絶対気に入るわよ」。で、オレも聴きにいって、間に対するコンセプト、
  タッチの軽さ、控えめな表現、音符や和音や楽節のアプローチに
  一発で虜になってしまった。
  (中略)叙情性やピアノの奏法、グループのアンサンブルの重ね方
  なんかも、オレの好みにピッタリだった

 マイルスがシカゴでジャマルを聴いたのは1957~1958年と思われるが、55年6月録音『ミュージングス・オブ・マイルス』では≪ウィル・ユー・スティル・ビー・マイン≫≪ア・ギャル・イン・キャリコ≫といったジャマルのレパートリーが取り上げられている。よって先の自伝におけるマイルスの記憶は、レコードとライブを混同しているふしがある。
 
 自叙伝の翻訳を担当した、そして、人一倍マイルスを知る中山康樹でなければ、マイルスのレコードとライブの混同などを指摘できないに違いない。

 いずれにしても、シカゴのホテルのラウンジでトリオの演奏を披露していたジャマルへのマイルスの執着は強く、いわばマイルスは、‘ジャマル化’していく。
 レッド・ガーランドにジャマルの演奏を聴くように指示、さらにクインテットそのもにに‘ジャマル的なるもの’を取り入れ、それらが相乗効果を発揮して新たなグループ表現を実現するというマイルスの目論みは実行に移された。
 先に挙げた『ミュージングス・オブ・マイルス』では知る人ぞ知る程度のジャマル化ではあったが、上記のセッション(管理人注:1955年10月26日、ニューヨーク、コロンビア・スタジオでのセッション)ではピアノ・トリオ編成でジャマルの当たり曲をカヴァーするという、誰の目にも明らかなジャマルへの傾倒を示し、このセッション以降、マイルスのジャマル化はさらに加速していく。次に挙げるジャマルとマイルスの特定の楽曲における録音記録は、その一端を如実に物語っている(リストはジャマルの録音順)。

 曲名(ジャマル録音年→マイルス録音年:初演/収録アルバム)

 飾りのついた四輪馬車(51→56/スティーミン)
 ウィル・ユー・スティル・ビー・マイン(51→55/ミュージングス・オブ・マイルス)
 ビリー・ボーイ(52→55/未発表)
 ビリー・ボーイ(52→58/マイルストーンズ)
 アーマッズ・ブルース(52→56/.ワーキン)
 ア・ギャル・イン・キャリコ(52→55/ミュージングス・オブ・マイルス)
 ニュー・ルンバ(55→57/マイルス・アヘッド)
 オール・オブ・ユー(55→56/ラウンド・アバウト・ミッドナイト)
 イット・エイント・ネセサリリー・ソー(55→58/ポギー&ベス)
 アイ・ドント・ウォナ・ビー・キスト(55→57/マイルス・アヘッド)
 枯葉(55→58/サムシン・エルス)
 ラヴ・フォー・セイル(55→58/サムシン・エルス)
 オン・グリーン・ドルフィン・ストリート(56→58/1958マイルス)

 ただしこうした記録はあくまで参考資料にすぎず、過剰な深読みはマイルスとジャマルの関係を曲解することにつながりかねない。公平を期す意味でいえば、偶然とはいえ、≪ゼア・イズ・ノー・グレイター・ラヴ≫≪バット・ノット・フォー・ミー≫≪マイ・ファニー・ヴァレンタイン≫≪ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ≫のようにマイルスがジャマルより先に録音した曲もある。さらに、かりにこうした事例から強引に結論を引き出すとするなら、ジャマルが(たまたま)録音していた≪10番街の殺人≫や≪パーフィディア≫を演奏しているヴェンチャーズもまた「ジャマルから影響を受けていた」ということにもなりうる。

 私は、1950年代後半のマイルスの作品に、実に色濃く‘ジャマル的’なものが反映されているかを、つい数年前にこの本で知った。曲解ではなく、明らかにマイルスはジャマルを意識していたことは明白だ。

 この本を読んだ後さっそくジャマルを聴き、30年前では見向きもしなかった、ピアノ・トリオの良さを知ることになる。

 年齢のせいもあるかもしれないが、最近はオスカー・ピーターソンやソニー・クラークのトリオを聴くと落ち着くなぁ。

 こういったマイルスの逸話に限らない本書の良さの一つは、レコーディング・セッションにおける詳しい記録が紹介されていること。もちろん、あのマラソン・セッションも記載されている。その内容を書き写した次の表を私は手帳に貼ってある。

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 ジャズ好きの方ならご存知のように、大手レコード会社CBSコロンビアと契約したマイルスだが、まだプレスティッジとの契約上、4枚アルバムを発表する必要があった。1956年の5月と10月に一日づづ、ジョン・コルトレーン、レッド・ガーランド、ポール・チェンバース、フィリー・ジョー・ジョーンズのクインテットで、ブルーノートのリマスターで後に有名になるRudy Van Gelder Studioにこもって録音したものだ。この26曲、すべてワンテイクだったと言われる。凄い。

 ちなみに、プレスティッジは、CBSコロンビアでアルバムが発売されることで、マイルス人気がもっと高まると考え、4枚のアルバムを、『クッキン』1957年、『リラクシン』1958年、『ワーキン』1960年、『スティーミン』1961年と、一枚づつ小出しに発売した

 中山は、他にもチェット・ベイカーなどのように、三日間でアルバム5枚分収録などの例があるが、マイルスのマラソン・セッションの凄さは別格だと、書いている。
 マイルスの4部作が別格として遇されているのは、マラソン・セッションによって生まれたからではなく、それらが例外なく名演名盤としていまなお“現在進行形”でありつづけるという、信じがたい完成度の高さによる。ジャズの世界にマラソン・セッションは数々あれど、しかし2日間の奇跡はマイルスが走ったコースでしか起こらなかった。

 まったく、その通りで、この4作は、どれも素晴らしい。


 中山康樹が旅立って、何より、ジャズの指南役が新たな情報を発信してくれなくなったことが、寂しい。
 まだ読んでいない彼の本を読むことで、ジャマルのような、自分としては新たな発見を期待するしかなさそうだ。

 中山康樹の喪失は、私にとって‘スイングジャーナル時代’の終焉を強く印象づける。

 マイルスの曲を紹介しようと思った・・・・・・しかし、とても特定の一曲では中山康樹の弔いにはならないと思い、中途半端なことはしないことにした。

 さらば中山康樹、さらばスイングジャーナル、そして、ありがとう。

 合掌
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by kogotokoubei | 2015-02-09 19:45 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
末広亭の2月上席は昼の部で柳家小満んが主任。私にとって唯一のチャンスの土曜日に、なんとか駆けつけた。

 実は、夢吉などが出演する神田連雀亭きゃたぴら寄席(13:00~14:30)とハシゴすることも考えたのだが、仲入り前の顔ぶれも悪くないので末広亭に集中することにした。

 近くで腹ごしらえをして1時20分頃から少し並び入場した時、渡された当日のプログラムを見て少しびっくり。
 池袋などでは以前より、代演も含む当日のプログラムを配布していたが、末広亭でもらったのは初めて。かと言って以前からの広告も入ったプログラムもなくなったわけではない。非常に、良い配慮だと思う。

 なんとか好きな下手桟敷を確保できたが、最終的には二階も開放する大入りだった。

 出演順にネタや感想などを記す。好印象のものにをつける。

柳家花どん『真田小僧』 (10分 *11:51~)
 初だと思う。最初の見た目は、やや暗~い印象だったが、次第に明るい雰囲気になってきた。
 後で調べると花緑の八番目の弟子のようだが、それにしても、なぜ花緑に弟子が多いのか不思議だ。

柳家わさび『幇間腹』 (19分)
 小太郎と交替出演の枠。
 先週の「さがみはら若手落語家選手権」と、着物も同じ、そしてマクラから本編まで、ほとんど同じ高座^^
 結構、よく笑うお客さんで埋まっており、よく受けていたこともあるが、やはり悪くはない。
 一八が若旦那をヨイショする「えらい!く~っ、さすがですねぇ!」の科白は、なかなか結構。
 「落語物語」で少しは名を売ったが、これからは高座でもっと知られる存在になって欲しいし、その力はあると思う。

 春風亭一之輔『めがね泥』 (9分)
 初めてもらったこの日のプログラムでは、のだゆきの代演でペペ桜井のはずだったが、一之輔が先に上がった。
 一之輔の希望だったのか、ペペの高座入りが遅かったのかは、分からない。
 それはともかく、このネタ、主任ではない場合の一之輔の寄席十八番の一つとなったのではなかろうか。
 この時間でも、しっかりネタを演じてくれのがうれしい。

ペペ桜井 ギター漫談 (10分)
 実に派手な衣裳だった。結構高そう^^
 初めてのお客さんも多かったようで、いつもの芸でしっかり客席を沸かせた。

隅田川馬石『狸の札』 (12分)
 兄弟子白酒の代演。なるほど、私が思っていた落語協会の代演は香盤が上の人、ということは、実は“幻”だったか、あるいは変わったのだろう。
 前半を割愛して、狸がお礼に来た場面から。劇団にいたこの人の高座は、どんなネタでも、演劇的な印象を与える。それが一つの大きな魅力ではあるだろうが、人気者の兄弟子の白酒、伸び盛り弟弟子龍石に囲まれ、結構プレッシャーもあるように思う。しかし、この人の十年後どんな噺家になっているか期待したい。意外に兄弟子、弟弟子に負けない存在感を持っているかもしれない。
 先日の池袋では文左衛門の代演を務めたように、実力があり、そして寄席を大事にする姿勢に、私は好感を持っている。

ストレート松浦 ジャグリング (8分)
 中国独楽からお手玉、そして得意の技へ。初めてのお客さんが多かったようだ。最初は反応が少なかった会場から少しづつ「ほぅ」という溜息が出初め、次第にあちこちから「おー」という声が聞こえてくる。最後は大きな拍手と感心する声しきり。そういった反応を聞いているのも楽しい。

入船亭扇治『長短』 (14分)
 いつものマクラから本編に入り、マクラを活かした展開。長さんは寄席に行ったら扇治が出ていないので入らずに短七さんのところにやって来た、という設定。この人も寄席でいい味を出してきた、そんな印象。

古今亭志ん弥 漫談と踊り (14分)
 お天道様・お月様・雷様の小咄などから立ち上がって踊って下がった。これも、寄席の芸。

ニックス 漫才 (12分)
 ロケット団の代演。姉妹漫才。初である。コメントするのが難しい。女性漫才なら、東京では、にゃん子・金魚かな。

古今亭志ん輔『目薬』 (15分)
 長めのマクラから軽いが笑いが多いネタへ。会場のよく笑ってくれるお客さんに合わせたのかもしれない。しかし、私もしっかり笑った。

柳家さん八『小言念仏』 (16分)
 この人のこのネタ、よく出会う。初めて聴くお客さんが多かったこともあるのだろう、笑いをとっていたが、別なネタも聴かせてくれ^^

アサダ二世 奇術 (11分)
 ペペ桜井やこの人の芸、お二人が引退した後、すご~く懐かしく振り返りそうな気がする。好きなんだなぁ、こういう味。

柳家小はん『親子酒』 (15分)
 仲トリは、権太楼の代演でこの人。昨年も正月二の席で聴いているネタで、年間「寄席の逸品賞」に選んだが、やはり良い。息子との禁酒を決めた父が言う「降る雪は 積もらぬうちに、払うべし」なんて言葉も、実に結構。酔っている父が、煙管の吸い口を鼻の穴に入れそうになる仕草なども笑える。
 また、ネタが進化しているのには驚く。息子が客に酒を勧められても、父との男と男の禁酒の約束があるので、「たとえ、虫入りの○クドナルドを喰わされようと、呑みません」などと言う^^
  帰ってきた息子の顔が六つにも七つにも見える父親、「ばーゃろう、ばーゃろう・・・ダメヨダメダメ」には笑った。
 日々精進怠りない姿を感じた、小はんの逸品だった。

春風亭朝也『短命』 (18分)
 クイツキは二ツ目からの抜擢でこの人。若い人でも、やたらこのネタをかけるのには疑問がないでもないが、やはり達者である。十分に会場の温度を保っていた。

大空遊平・かほり 漫才 (11分)
 相性が合う方ではないが、この日は結構笑えた。たまに、遊平が、本当に可愛そうになることがある^^

柳家一九『寄合酒』 (11分)
 師匠が主任の寄席では欠かせない人。師匠の時間をつくるためであろう、与太郎が味噌を拾ってくる(?)まででさげたが、寄席ならではの好高座だった。

春風亭正朝『金明竹』 (14分)
 内容は長屋噺とお店噺の違いはあるにしても、与太郎が登場するネタは、直前のネタと完全にツクように思う。
 笑いはとっていたが、私は、「なぜ、また与太郎?」という複雑な思いで聴いていた。

林家二楽 紙切り (11分)
 ご挨拶代わりの桃太郎から藤娘、スカイツリーの三作で下がった。ちなみに、リクエストしたお客さんのポチ袋は、なかった。

柳家小満ん『居残り佐平次』 (38分 *~16:35)
 紋付を含め黒い衣装での登場。果たしてどんなネタかと思っていたが、「今日は、品川のお噺を」と、まったく予想もしていなかったこの噺へ。
 佐平次と仲間三人のよったりで「山八つ 越して南へ買いに来る」と品川に繰り出した。
 お引けという段で三人から五円を集め、佐平次は馴染みの質屋で黙っていても五円になるという煙草入れを差し出し、仲間に母親に持って行ってくれという。煙草入れという設定は初めて聞いたように思う。それも都新聞製というのは、最初の師匠文楽が所蔵していた煙草入れからの引用なのだろうか。
 かすみ姐さんのいい人である勝ちゃんの部屋で、「この酒をとめちゃ厭だよ酔わしておくれ、まさか素面じゃ言いにくい」なども、味がある。都々逸や俗曲などを噺に挟む技量、円生亡き今、小満んの右に出る人はいないのではなかろうか。
 とうとう若い衆を騙すのも限界で、勘定を払ってくれと言われ、「ほいほい、これが勘定、これがご祝儀」と手で支払うふりをして、「あればね」と言う間が、絶妙。その後、強面の若い衆に替わって迫られるが、「人間、あきらめが肝腎」という一言も可笑しい。
 やはり、寄席では時間的制限もあろう、忠信利平の科白は短めで通常のサゲの前でお開きになったが、寄席でこの噺を、それも小満んで聴けただけでも嬉しかった。今年のマイベスト十席候補としたい。


 先月の池袋といい、この日の末広亭といい、土曜日とはいえ大入りだった。
 たまたまなのかもしれないが、寄席にお客さんがたくさん入っているのは嬉しい限り。

 夜の部は菊之丞が文左衛門の代バネのようだった。やはり、落語協会の代演は香盤が上の人、というのは私の勘違いか、一種の“都市伝説”だったのだろうか^^
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by kogotokoubei | 2015-02-08 15:18 | 落語会 | Comments(8)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛