噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

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NHK木曜時代劇「風の峠~銀漢の賦」については、先日書いたが、このドラマ、やはり良い!
2015年1月19日のブログ
 
 葉室燐の原作『銀漢の賦』を元にしたこのドラマは、少年時代、同じ夜空の天の川(銀漢)を仰いだ三人の仲間の物語が中心。二人は侍の子である松浦将監(しょうげん)と日下部源五、もう一人は農民の子、十蔵だ。

 昨夜の第3回『友の死』では、百姓一揆を機に家老の地位に復帰することができた松浦将監が、心を鬼にして一揆の首謀者である十蔵をはりつけの刑にする。源五は、なんとか十蔵を助けるよう将監に頼むのだが、将監の判断は変わらない。将監の家を出て、地面を叩きつけてなく源五。源五が去った後の将監も、自らの辛い決断に涙する。
 十蔵が役人に連れ去られてから、十蔵の妻から渡されたのは、将監が十蔵のために書いた蘇軾の五言絶句「中秋月」だった。処刑場で十蔵が槍で付かれる寸前、源五が「中秋月」を読み上げる場面は、映像としての演出として、十分に納得できたし、感動もした。
 昨夜は、その前にも一つの見せ場があった。隠居後も藩政を操ってきた九鬼夕斎に将監が自ら出向いて切腹を申し付ける場面だ。つい、将監は、自分が夕斎によって殺された政敵の子であることを口走る。しかし、夕斎は、「上意の場で私事をはさむとは何事か!」と叱りつける。彼もまた、好むと好まざるとに関わらず、侍としての自分の道を信じて生きてきた自負があることを表現し、潔い最後を遂げる。
 リズム、スピードもあるし、音楽も効果的。原作の良さを損なわず、映像ならではの演出も納得。
 このドラマ、ますます好きになった。

 見逃した方は、再放送でご覧のほどを。
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第3回『友の死』
再放送:【総合】2015年2月4日(水) 午前1時25分~2時8分(火曜深夜)
再放送:【BSプレミアム】2015年2月4日(水) 午後0時~0時43分
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NHKサイトの「風の峠~銀漢の賦~」のページ

 NHKのサイトから、来週第4回「懸命」の紹介文を引用。

源五(中村雅俊)と将監(柴田恭兵)が斬り合う寸前、将監の妻みつ(麻生祐未)が機転を利かして二人の刀を収めさせる。藩主に嫌われた理由を問う源五に将監は国替えの動きを止めるためと答える。幕閣になりたいあまり藩主は幕府に月ヶ瀬の土地を差しだそうと言うのだ。一揆を収めた後、源五が命がけで作った堰によって豊かな実りをあげる故郷を失うかも知れない。源五の心が揺れる…。


 若い藩主は、国替えすることで幕閣入りできるとそそのかされているが、将監はそれが自藩にとって滅亡の道になることを知っている。残り少ない命を藩を救うことに賭けようとする将監、そして自ら汗水流して堰づくりに励んだ源五の故郷への想い・・・・・・来週も楽しみだ。

 このドラマは、原作もそうなのだが、回想場面を適度に挟んで、テンポよく進む。

 第3回では、蘇軾の「中秋月」を、源五が引き取った十蔵の娘の蕗に説明する場面もあった。

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葉室麟著『銀漢の賦』

 この漢詩、原作『銀漢の賦』で、次のように書かれている。(文庫158頁~159頁)

 源五が手にとって開いてみると立派な筆跡で

   暮雲収盡溢清寒 
   銀漢無聲轉玉盤
   此生此夜不長好
   明月明年何處看

 と書かれていた。宋第一の詩人と言われた蘇軾の「中秋月」という漢詩だった。

   暮雲(ぼうん)収め尽くして清寒(せいかん)溢れ
   銀漢(ぎんかん)声無く玉盤(ぎょくばん)を転ず
   此の生、此の夜、長くは好(よ)からず
   明月、明年、何れの処にて看ん

 日暮れ方、雲が無くなり、さわやかな涼気が満ち、銀河には玉の盆のような明月が音も無くのぼる。この楽しい人生、この楽しい夜も永久につづくわけではない。この明月を、明年はどこで眺めることだろう、という詩である。
(十蔵は、このように素養を積んでおったのか)
 -銀漢声無く玉盤を転ず
 とつぶやいた源五は昔、小弥太、十蔵とともに祇園神社に行き、夜空の星を見たことがあったと思い出した。
(あの時、小弥太がわしらに銀漢という言葉の意味を教えてくれたのであった)
 十蔵はその後もひそかに勉学を続けたのだ、と思うと源五の目から涙があふれた。



 侍と農民、侍と侍、それぞれが宿命の中で精一杯生きる結果、意に反して敵対することもあるというあの時代の縮図が背景にあり、それぞれニンな役者が演じるドラマ、これこぞ、大河の風格があると言えるだろう。

 葉室麟ファンとしては、昨年映画化された『蜩ノ記』や『秋月記』、また『いのちなりけり』&『花や散るらん』などのドラマ化も期待したいところ。『花や散るらん』は、忠臣蔵の真相に迫る新たな視点としてもお奨めだ。

 NHKの時代劇ドラマ、日曜はダメでも木曜があるさ!


p.s.
鍵コメさんから、某サイトから引用した「中秋月」の現代語訳の誤りをご指摘いただいたので、同サイトの引用をやめ、葉室麟『銀漢の賦』からの引用に変更しました。
鍵コメさん、誠にありがとうございます。
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by kogotokoubei | 2015-01-30 06:38 | 歴史ドラマや時代劇 | Comments(0)
落語協会で、今春十人が同時に真打に昇進することについては、すでに昨年書いた。
2014年7月20日のブログ
 その際に書いた彼らの入門と二ツ目昇進時期を、再度ご紹介。

三遊亭司:平成10(1998)年5月三木助に入門→平成13年3月より歌司門下、平成15(2003)年5月二ツ目。
柳家喬之進:平成12(2000)年1月入門、平成15(2003)年10月二ツ目。
三升家う勝:平成12(2000)年1月入門、平成15(2003)年10月二ツ目。
柳家麟太郎:平成11(1999)年4月入門→平成12年4月より前座、平成15(2003)年10月二ツ目。
入船亭遊一:平成11(1999)年12月入門→平成12年6月より前座、平成15(2003)年11月二ツ目。
金原亭馬治:平成12(2000)年4月入門→7月より前座、平成15(2003)年11月二ツ目。
金原亭馬吉:平成12(2000)年4月入門→7月より前座、平成15(2003)年11月二ツ目。
柳家 さん弥:平成12(2000)年7月入門→平成12年11月より前座、平成16(2004)年7月二ツ目。
柳家 右太楼 :平成12(2000)年11月入門→平成16(2004)年7月二ツ目。
三遊亭 ぬう生:平成13(2001)年2月入門→平成16(2004)年11月二ツ目。

 ご覧のように平成15年から16年に二ツ目になった人たち。だから、二ツ目から11年から12年での昇進。

 十人の新名跡や真打昇進披露興行の日程が落語協会のサイトにある。
落語協会サイトの該当ページ

 襲名については次の通り。三遊亭司金原亭馬治は変わらない。

三遊亭 司 さんゆうてい つかさ

喬之進 改メ 柳家 小傳次 やなぎや こでんじ

う勝 改メ 四代目 桂 右女助 かつら うめすけ

麟太郎 改メ 柳家 海舟 やなぎや かいしゅう

遊一 改メ 四代目 入船亭 扇蔵 いりふねてい せんぞう

金原亭 馬治 きんげんてい うまじ

馬吉 改メ 二代目 金原亭 馬玉 きんげんてい ばぎょく

さん弥 改メ 三代目 柳家 さん助 やなぎや さんすけ

右太楼 改メ 柳家 燕弥 やなぎや えんや

ぬう生 改メ 三遊亭 彩大 さんゆうてい さいだい



 披露興行は鈴本の3月下席が恒例。鈴本のサイトにあるポスターを借用。
鈴本演芸場サイトの該当ページ

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 出演順は、香盤の順。


 新名跡襲名の人は、かつて存在した名跡を継いだ人もいれば、新しい名跡を名乗る人もいる。

 喬之進が襲名する柳家小傳次は初代のように扱われているのだが、三代目小さん門下だった二代目小せんが名乗っていたので二代目になるようにも思うが・・・・・・。その方はその後廃業して落語協会の事務員になられたので、代数として認知されないのだろうか。

 う勝が襲名する桂右女助の名を懐かしむ落語愛好家の方も多いと思う。二代目が「右女助の小勝」と言われることの多かった六代目三升家小勝。新作の『水道のゴム屋』などで有名な人だったので、右女助の名で小勝を思い出す人が多かろう。ただし、初代と先代は三遊亭。ちなみに初代はその後の四代目古今亭今輔。
 う勝の師匠が八代目三升家小勝であり、将来の小勝襲名を予感させる右女助復活と言える。

 麟太郎の柳家海舟は、初代。これはどう考えても勝麟太郎→勝海舟、になぞったね^^

 遊一の入船亭扇蔵は、先代が大師匠である扇橋の三番目の弟子だったが、平成11(1999)年に47歳でで亡くなっている。初代と二代目は入船扇蔵で、亭が付かない。それぞれその後に二代目扇橋、三代目扇橋になっている。その後、橘家で扇蔵を名乗る人もいたようだ。
 入船亭一門としては、久しぶりの名跡復活であり、扇橋への縁起の良い出世名と言えないこともない。

 馬吉の金原亭馬玉は二代目となっているが、初代については不勉強で分からない。引き続き調べてみよう。

 さん弥の柳家さん助は、丁髷や寄席の踊りで有名だった先代が四年前に85歳で亡くなっているので、時期をあまり置かずに復活することになった。雰囲気は先代に似ているように思う。

 右太楼の柳家燕弥は、過去にありそうでなかった名。「それで、ええんや!」の洒落かどうかは不明。

 ぬう生の三遊亭彩大は、師匠円丈のブログを読むと、埼玉大学卒業だかららしい^^

 
 右女助、さん助といった懐かしい名跡の復活は、素直に喜びたい。

 鈴本から五月の国立演芸場までの昇進披露興行に何日行けるか分からないが、昨年行っていないので、ぜひ一日でも足を運ぼうと思っている。
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by kogotokoubei | 2015-01-29 00:45 | 襲名 | Comments(4)
先週土曜日に池袋の昼の部に行ったことは書いた通り。

 あらためて振り返って、五人の代演の内容で、「あれ?」と思った。

 落語協会の代演は、お客様に失礼があってはいけないと、香盤が上の人に代わると言われていた。
 逆に、落語芸術協会は、余ったワリを皆で分けるという理由らしく、香盤が下の人に代わると言われている。

 あの日の五人の代演の状況を並べてみると、こうなる。

    本来の出演者   →     代わった噺家

     柳家三語楼           柳家我太楼
  林家三平or林家彦いち       春風亭百栄
     柳家はん治           橘家蔵之助
     柳家小せん           柳亭左龍
     橘家文左衛門          隅田川馬石

 落語協会サイトの「芸人紹介」のページで確認すれば一目瞭然なのだが、香盤の関係は、こうなる。
落語協会サイトの「芸人紹介」ページ

     柳家三語楼           柳家我太楼 ↑
  林家三平or林家彦いち       春風亭百栄 ↓
     柳家はん治           橘家蔵之助 ↓
     柳家小せん           柳亭左龍   ↑
     橘家文左衛門          隅田川馬石 ↓

 五人のうち三人は、香盤が下の人に代わっている。

 落語協会は、内規を変更したのか・・・・・・。
 最近の寄席で意識していなかったが、結構前から、変わったのだろうか。

 明文化された基準ではなかっただろうが、これって、結構、気になるのだ。

 とは言っても、落語協会の誰かが、何らかの回答を拙ブログにコメントしてくれるとは思えない。

 実は去年、神田連雀亭の案内を、落語芸術協会はサイトでしっかり掲載しているのに、落語協会はいっさい掲載していなかったので、私は落語協会のサイトから問い合わせたのだが、その後まったく返事がなかった。
 結構、失礼な団体なのである^^
 たとえば、「他にも多くのスケジュールがあり現在は掲載できませんが、今後検討します」とでも事務方から返事があっても不思議はないのにねぇ。

 香盤が上の人、という縛りではうまく代演の手配ができなくなって内規をなくした、と察するが、そうだとすると、一つの協会としての伝統が消えたような気がして、少しさびしい気がする。

 また、香盤の上でも下にしても、ある程度の範囲はあろうと思うが、そのへんはいったいどうなっているのだろう。

 代演は寄席につきもの、とは思っている。しかし、代演に関する基準は存在して然るべきではなかろうか。存在するなら、私はぜひ知りたい。
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by kogotokoubei | 2015-01-27 20:10 | 落語協会 | Comments(4)
NHKの朝ドラや大河において、歴史の歪曲や捏造が多いことについて昨年書いた。2014年12月24日のブログ

 この記事へのコメントで、今秋のNHK朝ドラに関するスポーツニッポンの記事を教えていただいた。

 非常に問題を感じるので、記事の内容をご紹介したい。(太字は管理人)スポーツニッポンの該当記事

今秋NHK朝ドラは「あさが来た」実業家モデル、初の幕末スタート

 NHK大阪放送局は14日、今年度後期の連続テレビ小説(9月28日スタート、月~土曜前8・00)が「あさが来た」に決まったと発表した。明治の女性実業家をモデルに、激動の時代の大阪を明るく元気に駆け抜けたヒロイン・あさと、陽気に彼女を支え続けたボンボン夫の「おもろい夫婦」を描く第93作。朝ドラ初の江戸時代、幕末からのスタートとなる。

 原案は古川智映子氏の「小説 土佐堀川」。ヒロインのモデルになるのは、時代に先駆けて銀行や生保を設立し、日本初の女子大学設立にも尽力した実在の人物で、豪気・英明な天性から「一代の女傑」と称えられた明治の女性実業家・広岡浅子。「カバチタレ!」「不機嫌なジーン」などで知られる大森美香氏(42)が「風のハルカ」以来、10年ぶりに朝ドラの脚本を務め「身の引き締まる思いです」とコメントしている。

 制作統括の佐野元彦氏は「今、私はフィクションとして、脚本家・大森美香さんと“奇跡の夫婦の物語”を紡いでゆく挑戦にワクワクしています」と話している。

 タイトルは「朝が来ると明るくなる。新しい世界が始まるのです。ヒロインの名前は“あさ”。明るく元気な“あさ”が来ると周りが明るくなる。社会を明るくするドラマにしたい」という思いが込められた。

 現在、放送中の「マッサン」(~3月28日)が第91作。国際結婚した夫婦が本格的な国産ウイスキー製造に奮闘する姿を描く。玉山鉄二(34)と、朝ドラ初の外国人ヒロインとなるシャーロット・ケイト・フォックス(29)が主役。

 第92作は「まれ」(3月30日~9月26日)。石川県能登地方を舞台に、土屋太鳳(たお=19)演じるヒロイン・希(まれ)が世界一のパティシエを目指す姿を描く。

[ 2015年1月14日 14:00 ]


 今年秋から始まる朝ドラの主人公の広岡浅子は、紛れもない実在の人物である。
 大阪の豪商加島屋に嫁ぎ、自ら辣腕をふるって、九州の探鉱事業や生命保険会社(現在の大同生命)経営に参画し、現在の日本女子大につながる日本女子大学校を設立した人物。
 村岡花子との交流があったので、「花子のアン」に登場するのではないかと思っていたが、彼女の存在は割愛されたようだ。

 その人物を描くのにあたって、堂々と‘フィクション’と言い切る制作者の神経を、私は疑う。

 もし、‘フィクション’なら、実在の人物を題材にしてはいけないだろう。
 実在の人物を描くならば、出来る限りの情報を集めて、実像に一歩でも近づく努力をすべきではなかろうか。
 初めから‘フィクション’と言うことに、実像に迫ることへの諦めと、その人物に対する不誠実さを感じる。

 杉家の長女である千代が登場しないなど、大河の「花燃ゆ」の歴史の歪曲には半ばあきれているが、これも二人の女性脚本家や制作者が確信犯的に、史実よりも女性の視点で物語をつくるため‘フィクション化’しているためだろう。
 久坂玄瑞が、おみくじの凶で惨めな姿をみせたり、夜中に若い女性に先導されて海に黒船を見に行くなど、彼のその後の九州行脚の足跡や、吉田松陰との激しい手紙のやりとりという史実からは、印象があまりにもかけ離れている。

 フィクションとは、事実ではないことを、さも事実らしくつくった物語である。
 良質のフィクションは、もちろん実在の人物を題材とはしない。
 しかし、フィクションとしての良質な物語では、そういった人物の行動や発言や心理が、実際にそうであっただろうと思わせるだけの血の通った人間ドラマとなり、人に感動を与えることもできる。

 私が好きな時代小説で言うなら、藤沢周平の『蝉しぐれ』やNHK木曜時代劇の原作である葉室麟の『銀漢の賦』などが良質なフィクションの好例だと思う。許されない男女の仲を描くにしても、また、時代の荒波に翻弄されながら貫かれる男と男の友情を題材にするにしても、それらの作品には、‘フィクション’だからという甘えも不真面目さも入り込む余地はない。

 しかし、実在の人物を題材としながら、「そりゃあ、ないだろう?」と思わせる内容を展開されても、何ら感動もなければ、疑問符がとめどなく浮かぶだけである。

 もちろん、ドラマなので‘脚色’は必要だが、たとえば紹介した記事のように「奇跡の夫婦の物語」などという大前提がすべてに優先するあまり、登場人物たちを美化することばかり描かれては、どんどん現実感から離れていくだけである。
 

 歴史の歪曲や捏造は、安倍首相が、太平洋戦争に関し「侵略の定義は定まっていない」などと言うのと同様の、危険な香りがする。けっして、それはかぐわしいものではない。まさに、きな臭いという言葉が相応しい。
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by kogotokoubei | 2015-01-27 00:08 | 歴史ドラマや時代劇 | Comments(0)
上方の落語家さんのことを調べる場合、まず上方落語協会のサイトにある「上方落語家名鑑」を参照する。
上方落語協会のサイト

 しかし、ここしばらく、この名鑑にアクセスできない・・・・・・。
 本来なら、左にあるバナー真ん中あたりの「上方落語家名鑑」の文字をクリックするとリンクするはず。

 少し、トラブル対処に時間がかかりすぎではないか。

 これはリンクすべきURLが間違っているのが理由のようで、繁昌亭のサイトに該当ページはしっかり残っている。
「上方落語家名鑑」

 今や、ネット時代。

 これだけ長期間の障害は、ビジネスなら損害賠償ものなのだが、いったいどうなっているのだろう。

 先日、桂米八の訃報を目にして、米朝の弟子一覧を確認しようとしてアクセスできなかった。それ以来なので、少なくとも五日間は障害が解消されていない。困ったものだ。
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by kogotokoubei | 2015-01-26 07:01 | 上方落語 | Comments(0)
二週間近く生の落語を聴かなかったので、禁断症状が出てきた^^
 寄席の顔付けを確認し、扇辰が主任の池袋の下席へ。噺家8人のうち代演が5人だったが、私にとっては十分許容できる顔ぶれだった。

 開演前30分に着いたら、テケツに20人ほどの列。土曜とはいえ池袋では珍しい光景だ。
 会場には目一杯パイプ椅子の補助席も並べられ、結果として、それらも埋まって満席だった。私が池袋で経験した最多客数だと思う。扇辰人気か・・・・・・。

 出演順に記したい。印象が良かったものにを付けた。

三遊亭ふう丈『初天神』 (13分 *13:47~)
 初である。落語協会のサイトで確認すると、2012年に円丈に入門した三年目のようだ。経験を考えると、この高座は非常にレベルが高いと思う。滑舌は悪くないし、カミシモもしっかり。父親と金坊のやりとりのリズムも悪くない。
 見た目は、三遊亭鬼丸を、もう少し優しくしたような感じ^^
 好印象の開口一番で、幸先の良さを感じた。

柳家かゑる『たまげほう』 (16分)
 この人も初。体格がいい。マクラで池袋演芸場のもっとも近くに住んでいる噺家といい、地元のバーで外人と喧嘩になった逸話を披露。8分と長めのマクラの後のネタは月亭太遊による新作で、馬るこが優勝した2013年のNHK新人演芸大賞で本人が演じたのを聴いている。あの時は、馬るこ悪くはなかったが、私の審査結果は、僅差ながら露の紫の優勝だった。
2013年10月20日のブログ
 さて、このネタ。不思議な名のついた伝統芸能と、その芸能に関する専門誌を題材にした内容だが、太遊のオリジナルをあまり覚えてなく、聴きながら「こんなネタだったっけ・・・・・・」と思っていた。会場からは結構笑いをとっていたが、私は今ひとつ笑えなかったなぁ。
 しかし、この後の複数の演者に“たまげほう”は使われたので、良いネタふりになったようだ。

柳家我太楼『相撲風景(大安売り)』 (12分)
 本来の三語楼の代演。ずいぶん久し振り。さすがに床山をやっていただけあって、相撲のネタは堂に入っている。満員の客席で、本来の噺の筋の面白さだけで笑いが起こっていたのは、この人の力量の高さを物語っている。

春風亭百栄『あの姉妹』 (16分)
 三平と彦いちの交互出演枠での代演。髪型は、シャンプーして乾かしている途中という感じ。この人は、見るたびに髪型が変わる^^
 あの“セレブ”とか言われる姉妹が、上野公園でホームレス同然の生活をしている、という設定の新作。
 妹は籠を背負って拾った空き缶を集める。姉は、「みかさん、そこにも空き缶が落ちているわよ」と、妹をこき使う。自動販売機の下も妹に探させる。二人の会話は可笑しいのだが、私には、題材そのものが、そんなに笑えるほどのものではない。百栄なら、もっと権力のある対象を笑いにする位のことがあってもよいのではないか。NHKはダメ出しするかもしれないが、寄席なら大丈夫だ。

笑組 漫才(「英語教室&日本語教室」)*私の仮称「あなたは、夕べ、肉じゃがを食べましたか?」 (16分)
 どんなネタになるかと思っていたら「英会話」だった。小学生から英会話を教えるらしい、というフリから、自分達が最初に習った英語の授業のことへ。
 Is this a table?
 No,this is a dog.
 という例題はなかったと思うが(^^)、次に日本語教室の、不思議な授業に話は進む。
 いろいろ楽しいネタが披露された中で、次の例題。
 「あなたは、夕べ、肉じゃがを食べましたか?」
 果たして、そんな日本語、一生のうちに使うか?!
 ということで、この例題が私がこのネタに付けた仮称である。
 会場の様子から察して、文学シリーズではなくこのネタにしたのだろうが、しっかりと会場を暖めた。流石だ。

橘家蔵之助『ぜんざい公社』 (21分)
 はん治の代演。久し振りだ。同じ池袋で以前『蛇含草』を聴いている。2013年6月、出演者に小のぶの名を発見して駆けつけた、歌武蔵主任の会だった。
 当代の円蔵が円鏡時代に入門した人。マクラでは、何を言っても分かってくれるベテランの落語愛好家の反応があるのは、池袋と黒門亭の二つ、と言っていた。私は、まだ黒門亭は未経験。ネタ本来の楽しさで会場を沸かせていた。こういうベテランが、寄席では重要だ。

橘家円太郎『野ざらし』 (20分)
 仲入り前は、この人。昨年ざま昼席落語会での『算段の平兵衛』は、マイベスト十席に選ぶ際、選ぼうかと迷いに迷った高座だった。今年は、今まで以上に聴きたい人だったので、仲トリにこの人の名を発見したのも池袋に来た理由の一つだった。
 短いマクラからこの噺へ。前半の尾形清十郎と八五郎の掛け合いはリズム良く進め、八五郎が向島で棹を垂れての妄想場面。年増の骨(?)がやって来て、浮気しちゃ嫌よとつねる場面。「ツネツネ」「イタイイタイ」「ツネツネ」「イタイイタイ」が、何とも可笑しい。鼻に引っ掛けた針を外したところでサゲたが、なかなか結構な高座だった。今年はこの人の独演会にも行こうかと思っている。

柳亭左龍『長短』 (13分)
 クイツキは小せんの代演のこの人。大師匠の五代目小さんが、盟友の三代目三木助に『大工調べ』教える代わりに交換したと言われるネタ。だから、柳家伝統芸のひとつと言えるだろう。
 長さんを与太郎にしないで、この二人の掛け合いをいかに楽しく見せるかが勘所だが、左龍の高座はなかなか良かった。何度か書いているが、その個性的な表情と眼の力は、誰にもない持ち味である。

隅田川馬石『元犬』 (12分)
 膝前は文左衛門の代演のこの人。左龍がサゲたのが4時7分だったので、この人の高座と翁家社中の太神楽を合わせて23分である。その時間調整も見事に、寄席らしいネタを楽しませてくれた。口入屋上総家が、裸の人間が犬のシロの生まれ変わりと知らない設定。好みの問題だが、私は知っている設定のほうが、口入屋とシロとの間に暖かい心が通うような気がして好きだなァ。

翁家社中 太神楽 (8分)
 小楽と和助の二人。やはり、和楽の不在は、寂しいなぁ。

入船亭扇辰『徂徠豆腐』 (36分 *~17:06)
 マクラで、落語八席のうち五人が代演、と言いながらも、「明日明後日は私も休みます」とのこと。明日でなくて良かった^^
 これまで落語会では聴いているが、寄席では初めて。講釈が元の噺。
 (1)豆腐屋と“冷奴”男
  蜀山人の狂歌「世の中は われより先に用のある 人のあしあと橋の上の霜」
  をふって、寒い冬の朝、橋の上で「豆腐ぃ~」の掛け声。
  この狂歌、平岩弓枝が大田直次郎(蜀山人)を主人公にした『橋の上の霜』を
  思い出させる。
  せっかくなので、本から引用したい。

 夜半から明けがたにかけて下りた霜の上を踏んで行った足あとの主は、こんな早暁に、何の用事で、どこへ向かったものであろうか。
 直次郎の心が透明になった。

  世の中は われより先に用のある 人のあしあと橋の上の霜

 人の世の苦痛も、ほろ苦さも、俺一人ではなかったと思った。
 誰も彼も、それなりに霜を踏んで我が道を歩いて行く。
 そう思うことで虚しさが消えたわけではなかった。
 しかし、歩かねばならなかった。
 誰か知らない人の足あとの上を踏んで、直次郎は橋を渡って行った。
 風が、僅かに夜明けを感じさせている。
 まだ暗い中で、雀の声が聞こえていた。


  光景が目に浮かぶよねぇ。

  さて、その豆腐屋、上総屋七兵衛を呼び止めた男が求めた一丁の冷奴が、
  その日一日の彼の食事の全て。
  この豆腐の食べ方、以前よりも大袈裟さが抑えられ、私は好感を持った。
  しかし、徂徠が「一日の栄養を取るぞ」という気合いの入った(?)食べ方は、
  実に結構。
  「細かいのがない」と言い、その一丁四文の豆腐代をツケにする。

 (2)七兵衛の男意気
  そんな日が続いた五日目。男が旨そうに冷奴を食べた後、豆腐屋は、
  「今日は釣り銭と用意しましたか、大きいのでも結構ですよ」と言うが、
  「細かいのがないのに、大きいのがあるはずもない」と、自分が世に
  出るまで、ツケを待ってくれと懇願する。
  豆腐屋が男の部屋を見ると家具は何もないが、本が隅に高く積まれ
  ている。売れば高そうな本だが、男は、命に代えても売ることはできない、
  という。
  男の潔い姿を見て意気に感じた七兵衛、翌日から、お代は世に出て
  からで結構と、おからをっぷり男の家に持って行く。

 (3)風邪、貸家、火事
  豆腐屋が風邪を引いて七日寝込み、心配して男の長屋に駆けつけた
  時には、“貸家”の札が。豆腐屋の夫婦、「ひからびちゃったのかねぇ」と
  がっかり。その豆腐屋も、近所からのもらい火で家を焼いてしまった。
  呆然としている七兵衛夫婦が幼馴染の源兵衛の家に厄介になっていると、
  師走のある日、大工の政五郎が訪ねてきた。
  「さるお方から、お見舞いに」と十両を渡す。そして、そのさるお方の指示で、
  焼け跡に豆腐屋の家を建て直すと言う政五郎。
  豆腐屋夫婦、さるお方の見当がつかない。

 (4)豆腐屋再建、徂徠登場  
  如月四日、出来上がった家にやって来たのが、さる男。
  それは、あの冷奴の男で、実は名を荻生徂徠という高名な学者だった。
  ついに、世に出たのである。徂徠は、あらためて十両を七兵衛に渡す。
  七兵衛が「豆腐のツケは、二十両じゃなくて、二十文ですよ」と言うと、
  徂徠は「尾羽打ち枯らした時のあの豆腐の値は、計りようがない」と、
  あらためて頭を下げるのであった。
  宝井其角の句「梅が香や隣は荻生惣右衛門」 が紹介されてサゲ。
 
 途中で、寄席ならではのクスグリも挟まれていたが、流れを妨げることもなく、最後は、少し目が潤んだ。
 登場人物もそれぞれ活き活きと描き分けられ、高座に江戸の街が再現されていた。
 今年のマイベスト十席候補とするのを躊躇わない、扇辰の名演だった。

 扇辰がマクラで、楽屋に差し入れがあったことを言っていたので、後援者や知り合いの方もいらっしゃったのだろうが、それにしても、大入りだったなぁ。

 代演が多かったとは言え、円太郎がしっかりと前半を締め、トリの高座は書いた通り。
 今年最初の定席寄席は、木戸銭(弐千圓)の価値を十分に上回る内容だった。
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by kogotokoubei | 2015-01-25 16:25 | 落語会 | Comments(8)
私は、まったく知らなかった人なのだが、米朝門下の噺家で、曲独楽師でもあった桂米八さんの訃報を目にした。毎日新聞の該当記事

訃報:桂米八さん58歳=落語家、曲独楽師
毎日新聞 2015年01月20日 23時19分(最終更新 01月21日 00時06分)

 桂米八さん58歳(かつら・よねはち<本名・山本悦次=やまもと・えつじ>落語家、曲独楽師)20日、食道がんのため死去。通夜は22日午後7時、葬儀は23日午後0時半、大阪市北区天神橋4の6の39の公益社天神橋会館。喪主は長男貴大(たかひろ)さん。

 兵庫県姫路市出身。1974年、桂米朝さんに入門した。伏見紫水さんから習い、上方で唯一、独楽(こま)を使った曲芸の曲独楽(きょくごま)を継承し、興行で活躍した。



 私より若い。

 ホームページを発見した。新聞より少し詳しいプロフィールが画像で掲載されていたので、内容を書き起こして紹介したい。
桂米八のホームページ

◇(1974年)昭和49年3月18日 三代目 桂米朝に入門 13番目の弟子。
◇(1977年)昭和52年11月29日 内弟子修業卒業。
◇内弟子卒業後、若手落語家の集団「ぐるうぷ寄席あつめ」に入り、
  近畿各地にて地域寄席を開く。
◇(1984年)昭和59年 伏見紫水より古典曲独楽を習い始める。
◇(1999年)平成11年11日 日本国際交流基金を通じ、日本の伝統芸能の
  紹介で、中南米4カ国(ニカラグア・ボリビア・チリ・キューバ)にて、
  曲独楽・南京玉すだれの公演を行う。
◇(2005年)平成17年10月より、曲独楽教室の講座を、近鉄文化サロン
  阿倍野校にて、毎月第2・4木曜日(15時から17時)に開いてます。
◇(2008年)平成20年8月31日 英語で、Apinning Toop(英語曲独楽)の
  高座を始める。



 少しネットで調べたら、天満天神繁昌亭のサイトにある、昨年9月まで実施していた動画配信サービス「ライブ繁昌亭」のページに、桂米八さんへのインタビューが載っていた。なぜ曲独楽師になったのか、その動機が明かされているので引用。
天満天神繁昌亭サイトの該当ページ

落語家になって10年目
曲独楽の世界に入門!


「この芸もな、上方で誰も継いでくれる人いいひんねん」

落語家になって10年目。僕が曲独楽を習い始めるきっかけとなった、曲独楽師・伏見紫水師匠の言葉です。この言葉を聞いた周囲の人たちから、「米八、ちょっとやってみたら?」と言われ、何度かやってみたんですよ。するとそのうち、ホンマに入門してみようかと考えまして、紫水師匠のところにお願いに上がりました。

すると紫水師匠が、「じゃあ、噺家辞めるんか?」と。僕は即座に「それは無理です!」と答えました。それで、米朝師匠の方に相談に行ったんです。米朝師匠も、結構こういう芸がお好きなほうだったんでしょうね。

「できるかできんかはわからんけど。習って悪いもんやなし、習ってもいいぞ。まあ、なかなかものにはならんやろうがな」と言ってくださったんです。それを紫水師匠に伝えると、「じゃあ、噺家のままでええから、習いにおいで」と言われ、この芸を習うことになったんです。

でも、その当時の周りの反応は、「米八、お前は落語家やのに何やってんねん」という反応(笑)。まあでもそれから、25年以上も続いてるんですからね(笑)。



 このインタビューが2010年3月掲載なので、ほぼ5年前。だから、今年まで約30年、落語家と曲独楽師の兼業が続いていたのだろう。

 私は、寄席が大好きで、落語のみならず色物も好きだ。

 太神楽、曲独楽などの伝統的な芸能は、ぜひ今後も残って欲しいと思っている。

 桂米八という方の高座も曲独楽の芸も未見のままだったが、紫水師匠から継承した曲独楽の後継者はいるのだろう。

 曲独楽教室の指導をなさっていたらしい。

 お嬢さんで女優の山本真由美さんが、ホームページの日記に次のように書かれていた。2013年1月3日の記事。
山本真由美さんの日記の該当記事

私の父は、落語家で、曲独楽をしています。
実は、昨年の夏。

父に食道癌が見つかりました。
当時私は舞台の本番中にその事実を知り、
偶然にもその時演じていたのは自分の父親が癌になるという娘役でした。
そのシンクロにも驚きましたが、
幸い父はその舞台を大阪公演で観にきてくれて、
ストーリーは伝えていなかったので、父の方が
その重なりに驚いていた様子でした。

その翌日から抗がん剤治療が始まりました。
父のすごいところは、
1ヶ月に2回やっている、曲独楽の教えを、
その治療中から一ヶ月後手術を無事終えて、
断食が45日続き、無事退院するまでの間、

一度も休んでいない、ということです。

そして12月のクリスマス前から、
父は舞台に復帰して、
お正月まで毎日本番を迎えました。

その、お正月最後のステージを、
観に行かせてもらいました。

何度も観ているステージですが、
いつもに増して、観ているこちらも緊張しました。
もちろんまだ完全に万全とはいえない身体で、
声もしっかりでない現状で、
やれる限りの精一杯の芸をやってみせる父に、
ただ成功しますように、手を握らずにはいれなかったのですが、

それでも途中はそんなことを忘れさせる瞬間に、
胸をなで下ろしました。

壮絶な病院生活から、今も闘っている父の姿に、
簡単な言葉は出てきませんでした。


 山本真由美さんの日記ではコメントを受け付けていないので、無断で引用することになるが、お父さんのことを少しでも知っていただきたいので、ご容赦をいただきたい。 

 寄席で曲独楽を演じる弟子がいたかどうかは、不勉強で知らない。
 しかし、闘病中でも休まなかった米八さんの教えを受けた弟子がいたことは、間違いない。
 彼による、大事な遺産だと思う。

 毎日新聞によると、今夜お通夜、明日が葬儀とのこと。
毎日新聞の該当記事

 残念ながら生の芸に出会うことがなかった方だが、彼の足跡は、少しだけ分かった。


 噺家であり曲独楽師でもあった稀有な芸人、桂米八さんのご冥福を祈りたい。
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by kogotokoubei | 2015-01-22 06:02 | 上方落語 | Comments(2)
古今亭志ん輔の日記風ブログ「志ん輔日々是凡日」の19日の記事で、神田連雀亭の再開を期待させる内容があったので、速報的に紹介したい。
「志ん輔日々是凡日」の該当記事

11時05分 千代田区役所の方々の指示を仰ぐ。
11時45分 区役所を出て保健所へ。
11時55分 保健所到着。保健所は区役所や消防署の報告を受けて連雀亭はなんとかなりそうだ。とりあえず21日からの公演は許可された。


 この後で、始についての小言がある・・・・・・。師匠の心情が、よく分かる。弟子を持つのも大変だなぁ。

 詳しいことは分からないが、志ん輔や工務店の方などの骨折りで役所、保険所との交渉が進んでいるようだ。

 早期再開、期待しているよ!

 そして、二ツ目諸君、君たちのために志ん輔他の方が東奔西走していることを忘れないでくれよ!

p.s.
その後、連雀亭のサイトに、再開の案内が出た!
めでたし、めでたし!
神田連雀亭サイトの該当ページ
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by kogotokoubei | 2015-01-20 12:03 | 落語会 | Comments(6)
NHK大河「花燃ゆ」については、もう小言を書くのも嫌になった。

 録画を見る人も多い今日、視聴率は実態を反映するものとしてあてにならないし、その番組の‘質’は視聴率では測れないと思うが、低迷する視聴率を見るに、根っからの時代劇ファンの多くがこの大河を見ていないということは言えるだろう。

 吉田松陰の妹、それも情報が少ない杉文という女性を主役としていることが時代劇ファンが敬遠する理由という指摘も当たってはいるが、本質的な問題は、それだけではないだろう。

 歴史上の有名な人物が登場してもしなくても、その物語に歴史の荒波の中でもがき苦しむ‘人間’がしっかり描かれていれば、見る者は惹き付けられる。その‘人間’は、その時代の空気の中で、初めてリアリティを獲得するはずだ。もし、‘嘘っぽさ’が数多く見受けられると、その‘人間’も、現実感を失ってくる。

 そういう意味で、「花燃ゆ」という‘幕末ホームドラマ’‘幕末学園ドラマ’には、幕末の変動期に生きる‘人間’が描かれていない。
 
 ありそうもないことを、あまりにも多く見せられてしまうのだ。

 たとえば第三回で、夜中に文が玄瑞を引っ張って海に黒船を見に行くという演出のどこに、リアリティがあるのか・・・・・・。

 また、小田村伊之助に嫁いだ文の姉、寿(ひさ)が、夫が多忙でせっかくつくった食事をしっかり食べてくれないことで夫に苦情を言う場面があるが、これも考えにくい。ドラマでは江戸藩邸詰めで東上する前後の時期の夫婦の会話だったので、当時の伊之助は藩校明倫館の司典助役兼助講かと思う。藩でもっとも権威のある学校の教員であり、動乱期において藩の行く末を何かと考えなければならない立場にいるのが夫である。その仕事の邪魔をしてはならない、夫には従わなければいけないという、当時では当たり前の躾を寿は杉家でしっかり受けていたはずである。彼女が、今どきの若妻のような不平を夫に言うはずもない・・・・・・。

 「そりゃあないだろう?!」と思う場面がこう続いては、時代劇好きの視聴者が、どんどん離れていくのは道理である。


 長年の大河ファンや、根っからのの時代劇ファンは、しばらくは同じNHKでも「木曜時代劇」の「風の峠~銀漢の賦~」を見るに違いない。

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葉室麟著『銀漢の賦』

 葉室麟の『銀漢の賦』を原作とする六回連続のドラマの第一回を見たが、実に結構だったし、今後しばらく木曜日が楽しみになった。

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NHKサイトの「風の峠~銀漢の賦~」のページ

 NHKサイトの同ドラマのページから、原作者の言葉を紹介したい。

原作者のことば ・・・葉室麟

『銀漢の賦』を書いて一番、不思議だったのは「銀漢」という言葉だ。漢詩から選んだもので、初めて知った言葉だと書いている間は、思っていた。ところが、本にしてから高校時代の旧友に「あれって運動会の応援歌にあるよな」と言われた。その瞬間、

——銀漢、空に映ゆるとき

という歌詞が頭に甦った。高校生のころ、竹刀を持った応援団の先輩に怒鳴られながら歌った歌詞だったのだ。なぜこの言葉を小説で使ったのだろうか。

単純に言ってしまえば「銀漢の賦」は年老いた男が昔の友達を思い出す話だ。自分自身の過去をたどりつつ、小説を紡ぎ出す作業をしていたとき、青春とからみつく単語が不意に浮かび上がってきたのではないか。

言葉は人生の忘れられない場面とつながっている。そんな思いでテレビドラマを楽しませていただこう。友達を思い出して、少しだけ泣くかもしれない。


 葉室麟は『蜩ノ記』で直木賞を受賞しているが、その前にこの『銀漢の賦』で松本清張賞を受賞している。
 
 たしかに、原作は良質な推理小説の趣もあるが、男と男の骨太の友情を背景にした小説で、時代背景から遊離した軽薄な大河とは対照的だ。

 「花燃ゆ」が、‘ホームドラマ’‘学園ドラマ’と称しているのと、「風の峠-銀漢の賦-」の演出家が、喩ている対象の違いが印象的だ。

演出のことば「江戸版ディア・ハンター」・・・黛りんたろう

私の好きな映画のひとつに、「ディア・ハンター」があります。ご存知のように、ベトナム戦争の戦友たち三人の、哀切なる「その後」を描いた名作ですが、今回のドラマは、これに似た構造を持っています。かつて強い絆で結ばれていた三人の男たち。しかし歳月を経て、ひとりは政界の実力者に、ひとりは出世から見放なされた鉄砲衆に、そしてもうひとりは百姓一揆の首謀者に。運命は、百姓の命を奪い、それが元で、残されたふたりは「絶交」を余儀なくされる。おのれの「生」を生き切る場所を探すふたりは、やがて熱く友情を復活させる。・・・これは中村雅俊、柴田恭兵、両主役が「命の火花」を燃やす、とてつもなく過激な「男のラブスト—リー」です。



 実は、私も原作を読んだ時、「ディア・ハンター」をイメージしたのである。演出家と心情的に相通じるものを感じ、この文章を読んで結構嬉しかった。

 その時代の流れ、社会が求める制約などの中で、男と男の友情のあり方とはどういったものかを、「ディア・ハンター」でアメリカ映画が表現したものと、『銀漢の賦』で日本の時代小説作家が描こうとするものには、相通じるものが、間違いなく存在する。


 「風の峠-銀漢の賦-」の舞台は江戸時代、場所は架空の藩、月ヶ瀬藩。この藩は北九州のどこかで、唐津藩や鍋島藩、久留米有馬藩などの歴史や地理的な背景を融合した藩になっているようだ。

 第一回は、三人の登場人物の子供時代の交流が回想されていて、なかなか見どころがあった。
 また、子どもながらも父の敵討ちをしようとする岡本小弥太(後の松浦将監)と、小弥太を助太刀する日下部源五の姿、それを隠れて見つめる十蔵が描かれ、結果として、仇討の敵である鷲巣角兵衛は、小弥太の叔父藤森吉四郎に討たれ、吉四朗もその場で切腹。そして、小弥太の母も・・・・・・。

 蛇足ながら、平岳大ファンの方はがっかりしなくても結構、角兵衛の息子、清右衛門で再度登場する。角兵衛は、原作と比較すると、‘かぶき者’過ぎたように思うが、それも演出として面白い趣向と言えるだろう。

 第一回を見逃した方、再放送があります。

再放送:【総合】2015年1月21日(水) 午前2時45分~3時28分(火曜深夜)
※通常と再放送の時間が異なります。また、変更・休止となる可能性があります。
再放送:【BSプレミアム】2015年1月21日(水) 午後0時~0時43分



 第二回のあらすじをNHKサイトからご紹介。松浦将監の敵役となる側用人の山崎多聞が登場。

藩主が幕閣になれるよう奔走する側用人の山崎多聞(中村獅童)は、そのための施策をことごとく覆す家老・松浦将監(柴田恭兵)を亡き者にしようと日下部源五(中村雅俊)に目をつける。かつて親友だった源五と将監は、二十年前に共通の友で百姓の十蔵(高橋和也)が起こした一揆に対する考えの違いから絶交していた。暗殺命令を受けた源五に早速家老の郷中見回りの案内役が回って来る…。


 多聞から娘婿の津田伊織を通じて将監暗殺を依頼された源五が、将監の指名で藩中見回りの案内役をするようなので、このドラマのタイトルである‘風の峠’(原作では風越峠)での二人の重要な会話が描かれそうである。ちなみに、原作は、この峠に向かう二人の姿で始まっている。楽しみだ。

 原作を読んで感じた、あの時代の「男の友情」の姿を、このドラマでも感じることができそうだ。あの薄っぺらな大河では味わえない、‘大人の時代劇’を楽しみたい。
 
 実在の人物を登場させれば、それがリアリティのある時代劇、と思ったら大間違い。フィクションであっても、その時代を生きた人間はかくもあろう、その当時の男と男、そして男と女はこうだったのだろう、と思わせるのが、時代小説や時代劇の醍醐味である。

 最後に、ドラマの補足として。
 葉室麟の作品では、漢詩や万葉の句がよく登場する。
 原作では「銀漢」を説明する際に、蘇軾(蘇東坡)の漢詩が登場する。この詩が重要な意味を持っている。

 この漢詩、原作『銀漢の賦』で、次のように書かれている。(文庫158頁~159頁)

 源五が手にとって開いてみると立派な筆跡で

   暮雲収盡溢清寒 
   銀漢無聲轉玉盤
   此生此夜不長好
   明月明年何處看

 と書かれていた。宋第一の詩人と言われた蘇軾の「中秋月」という漢詩だった。

   暮雲(ぼうん)収め尽くして清寒(せいかん)溢れ
   銀漢(ぎんかん)声無く玉盤(ぎょくばん)を転ず
   此の生、此の夜、長くは好(よ)からず
   明月、明年、何れの処にて看ん

 日暮れ方、雲が無くなり、さわやかな涼気が満ち、銀河には玉の盆のような明月が音も無くのぼる。この楽しい人生、この楽しい夜も永久につづくわけではない。この明月を、明年はどこで眺めることだろう、という詩である。
(十蔵は、このように素養を積んでおったのか)
 -銀漢声無く玉盤を転ず
 とつぶやいた源五は昔、小弥太、十蔵とともに祇園神社に行き、夜空の星を見たことがあったと思い出した。
(あの時、小弥太がわしらに銀漢という言葉の意味を教えてくれたのであった)
 十蔵はその後もひそかに勉学を続けたのだ、と思うと源五の目から涙があふれた。



 登場人物の一人は、
 「銀漢とは天の川のことなのだろうが、頭に霜を置き、年齢を重ねた漢(おとこ)も銀漢かもしれんな」と語っている。

 私は、もちろんNHKの回し者ではないが、大河にがっくりの方、木曜の夜に‘漢’(おとこ)のドラマを楽しみましょう。


p.s.
鍵コメさんから、某サイトから引用した「中秋月」の現代語訳の誤りをご指摘いただいたので、同サイトの引用をやめ、葉室麟『銀漢の賦』からの引用に変更しました。
鍵コメさん、誠にありがとうございます。
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by kogotokoubei | 2015-01-19 00:55 | 歴史ドラマや時代劇 | Comments(6)
昨日1月16日は、榎本滋民さんの命日だった。
 2003年のこの日、火事で逃げ遅れて亡くなったので、十三回忌になる。

 落語評論をする人は、これまで多くいらっしゃったが、榎本さんは私の好きな評論家、あるいは、落語の優れた聴き手の上位に間違いなく入る。

 本来は敬称略の拙ブログで、どうしても‘さん’づけで呼びたい人の一人。

 生まれが早い順に、ざっと、私が知っている範囲で、副業であろうと落語に関して評論的な作品を残している人を並べてみる。明治生まれから、昭和は戦前生まれの人までとする。

□明治生まれ
 岡鬼太郎(M5年生まれ)、野村無名庵(M19生)、久保田万太郎(M20生)、
 今村信雄(M25生)、小島政二郎(M25生)、正岡容(M37生)、宇野信夫(M37生)、
 安藤鶴夫(M41生)、暉峻康隆(M41生)、宇井無愁(M42生)

□大正生まれ
 加太こうじ(T7生)、小島貞二(T8生)、興津要(T13生)

□昭和生まれ(戦前生まれまで)
 色川武大(S4生)、小沢昭一(S4生)、大西信行(S4生)、榎本滋民(S5生)、
 山本進(S6生)、江國滋(S9生)、矢野誠一(S10生)、保田武宏(S10生)、
 麻生芳伸(S13生)、川戸貞吉(S13生)、延広真治(S14生)、平岡正明(S16生)、
 京須偕充(S17生)

 抜けはあるかもしれないが、主だったところは並んでいるのではなかろうか。

 榎本さんは、岡鬼太郎、久保田万太郎、宇野信夫という、明治の劇作家や劇評家の流れを継承している人といえるだろう。
 自ら「花の吉原百人斬り」「愛染め高尾」や「たぬき」などの戯曲を書く人なので、「落語特選会」の解説では、落語の舞台となる江戸や明治の生活、文化や風習に関して詳しく説明してくれたし、頗る楽しく、そして勉強になった。

 榎本さんの本を読んだり、落語特選会の解説を聴くと、落語の聴き方や見方について、大いに参考になる。

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 何度か引用している榎本さんの『落語小劇場』(三樹書房)。
 劇作家らしい題名のついた本、下巻の巻末にある「はね太鼓」から引用する。

 以前の歌舞伎は、座頭役者が演出家をかねていたから、上演のたびに脚本の細部に変更があり得たが、現在では、せりふもほとんど一字一句まで定型化されていて、俳優のいわゆる仕勝手は非難されるし、久し振りに発掘された演目の場合は、かならず外部の識者に監修・補綴・潤色・演出を依頼して定本を作り、これに準拠するのが常識になっている。だから、「古典歌舞伎」ということばが、存在し得るわけなのである。
 落語も以前は、台本製作の才能や演出の適性に富んだ演者が多くいた。だから、つぎつぎに名作が生まれ、演出も改良されていたわけなのだが、現在では、演出者を完全にかねることのできる演者は、絶無ではないにしても、ごく少ない。
 もっとも、歌舞伎俳優と同様に、演者としてすぐれていさえすれば、それで十分に立派なのであり、演出者の力量が欠けていることを指摘されたところで、いささか悲しんだりくやしがったりするには及ばないのである。
 ことわっておくが、ここで私のいう演出とは、ちょっとした表現の工夫などではない。状況の把握、展開の調整、用語の選定、風俗の考証、その他、一編の落語を話芸として成り立たせるすべての要素を、統合し発揚する作業のことである。
 落語は、演者と演出家をかねる一人芸であるにはちがいないが、厳密な意味での演出力のない者が、演じにくいとか受けないとかいうくらいの理由で、勝手気ままにテキスト・レジイするのは、公共文化遺産の私有化であり、ゆゆしい破壊ですらある、といわなければならない。
 演劇と話芸、戯曲と演芸台本の次元の相違は重々承知しながらも、なおかつ私が古典落語の定本化をうながし、克明なテキスト・レジイの必要を主張するのは、以上の観察からである。とはいえ、これはもとより一朝一夕に成ることではなく、議論百出するところでもあるから、私はとりあえず、検討用の試案として、私見を提出してみたにすぎない。

 
 この本、私が持っているのは昭和58年の三樹書房版だが、最初は昭和40年代に寿満書店で発行されているらしい。

 だから、名人や実力のある中堅や若手が大勢いた昭和40年代の落語界について、榎本さんは、“現在では、演出者を完全にかねることのできる演者は、絶無ではないにしても、ごく少ない”と評しているのだ。

 だったら、今日の落語界で、演出者をかねることのできる演者は、存在するのだろうか・・・・・・。

 テキスト・レジイ(略してテキレジ)は、舞台用語で台本を変更することを意味する。

 紹介した文章において、“勝手気ままにテキスト・レジイするのは、公共文化遺産の私有化であり、ゆゆしい破壊ですらある”という指摘を、今日の噺家さんは、十分に噛み締めるべきではないかと思う。 

 榎本さんの“私見”は、落語の歴史を継承してきた数多の噺家さんに敬意を示せ、と言っている。
 噺の内容には、そうなった理由もあれば、多くの先人たちの苦労が背景にある、ということを演者側はもちろんだが、聴く側も肝に銘じたいと思う。
 
 一日遅れの榎本さんの十三回忌に、そんなことを思っていた。
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by kogotokoubei | 2015-01-17 08:37 | 落語評論 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛