噺の話

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 通算310回目らしい。歴史の重みを感じる地域落語会だ。
 昨年9月、ちょうど300回記念の小三治の高座を県民ホールで聴いて以来だが、今回の会場は関内ホール(小ホール)。だから、“馬車道編”である。ここには、ほぼ二週間前に小満んの独演会でも来ていた。しばらく来なかった場所に、縁があると度々来るようになるものだ。

 この場所が交通の便も良いこともあったが、何と言っても一朝の独演会が珍しいのである。複数の顔付けの会や寄席では何度も聴いている好きな噺家さんだが、意外に独演会は少ないはず。あの、ちゃきちゃきの江戸弁に出会いたいのだ。
 地下の小ホールに開演15分ほど前に到着。会場は変われど、ごらく茶屋さん会員の皆さんの手づくり感が伝わる空気は変わらない。ロビーでコンビニで買ったおにぎりを食べてから会場に入ると、すでに七割程は席が埋っていただろうか。最終的に九割程度入っていたように思う。

次のような構成だった。
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(開口一番 春風亭一花『たらちね』)
春風亭一朝 『宿屋の富』
(仲入り)
春風亭一朝 『淀五郎』
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春風亭一花『たらちね』 (18分 *19:00~)
 いちはな、と読む。一門に女性が入門したとは聞いていたが、初めて聴く。八番目の弟子とのこと。
 非常に良い印象を持った。まず、その明るさが結構。口跡もはっきりしているし、八五郎が朝飯の稽古をする場面なども、言いよどみもなく楽しい。こはる、ぴっかりに続くことができそうな、そんな予感がした。

春風亭一朝『宿屋の富』 (43分)
 高座に上がって、まずはお決まりのあの一言から。ちょっと声が擦れているように思ったが、聴きづらいことはない。
 今年が大師匠の三十三回忌、昨年が師匠の二十三回忌だったとのこと。師匠と東北の温泉に旅に行った時の逸話もあったが、他はほぼ大師匠のネタ。以前に聴いたことのある話でも、笑える。
 一朝は、最初正蔵に入門したが柳朝に預けられた人なので、とにかく彦六が好きだったのである。だから、「林家は」と語る時、なんとも嬉しそうな表情を浮べるので、本人が楽しそうな思いが、客席にも伝わってくる。
 餅になぜカビがはえるかの答え→右足が痛くで医者に行った逸話→医者に「あなたはイチローより偉い」と言ってからかうネタ→小朝からもらったアーモンドチョコレートを食べた時のこと、などのマクラ約12分ほどから、「四貫相場に米八斗」と切り出して本編へ。
 構成、リズムなど、土台にあるのは志ん朝版と言ってよいだろう。師匠柳朝がこのネタを持っていたかどうか勉強不足で不明だが、実際に志ん朝に稽古してもらった可能性も高いのではなかろうか。
 前半は、一文なし男と宿屋の主人の会話が快調に続く。宿屋の主からなけなしの一分で富籤を買わされた後の「これで、本当に一文なしになっちゃった」が、なぜか哀れさを伴いながらも可笑しくて笑った。
 その後、富興行が行われている湯島天神の場。
 夢に神様が現われて、二番富が当たるはず、という男が楽しい。もし五百両当ったら吉原の女を身請けして所帯を持って、豪華な朝食、という描写。
 「お膳にお銚子が一本のっていて、刺身があって鰻があって天麩羅があってお椀がある。“どうだお前も一杯”“いや~ん、酔っちゃうから”“いいじゃないか、酔ったって”“そう・・・あぁ酔っちゃった、寝ましょう”・・・起きたら湯に行って帰ってくると、お膳にお銚子が一本のっていて~」のなんとも小気味の良い語り口が、江戸落語の一つの醍醐味を味わわせてくれる。
 一文なしの男が一番富に当たっているのを確認する過程も、くどくなり過ぎずに楽しませてくれる。「あっちが、子の千、三百、六十五、こっちが、子の、千、三百、六十、五・・・・・・近いだけに悔しい」の、間も結構だし、目の仕草や声の調子で微妙な心理の変化を表現するあたりも、流石である。
 宿屋の主人が、すぐに一番富と分かるテンポの良さが対照的で結構。飛んで帰ってから、宿屋の主人が、「あわあわ・・・」と言葉にならない驚きを見せているのを訝しがる女房、半分の五百両を貰えると分かった途端、女房も「あわあわ・・・」には、『火焔太鼓』のサゲ前を見るような可笑しさがあった。
 古典落語には奇をてらった現代風のクスグリなどは一切不要、という見本のような高座。上方の『高津の富』を三代目小さんが東京に持ってきたと言われるネタだが、こういう江戸弁の達人にかかると、元々が江戸落語ではないか、と思えてしまう。それだけ、長年名人上手の手によって練り上げられてきた内容自体がよく出来ていて、その楽しさをそのままに一朝が演じてくれたということだろう。今年のマイベスト十席候補としたい。

春風亭一朝『淀五郎』 (40分 *~20:57)
 若い頃、歌舞伎座の鳴り物(笛)の仕事をして、お金をいただいて歌舞伎を観ることができた、と振り返る。初代吉右衛門の銅鑼の逸話から、歌右衛門に祝儀をいただいた思い出などを楽しそうに語ってくれた。
 「夜と昼 朝とに落ちる日千両」までのマクラ約7分は、楽しい上に、自然に本編につなぐもので、ネタと関係のないマクラが横行する中で、これぞマクラと思いながら聴いていた。
 最初は「えっ、芝居の喧嘩?」と思わないでもなかったが、大師匠が『中村仲蔵』とともに十八番にしていたこの噺。
 歌舞伎役者の階級は時代によって違うし、噺家さんによっても微妙に違うのだが、一朝は、下立役→大部屋→中通り→相中→相中上分→名題下→名題、と説明。淀五郎が相中から名題に抜擢されたことの凄さが分かる。相中上分と名題下を飛び越えているからね。
 森田座の座頭である三河屋市川團蔵が、淀五郎の判官の切腹では、とても花道から近寄ることができない、と言う場面の憎らしさ、そして、暇乞いのつもりで淀五郎が立ち寄った中村仲蔵の度量の大きさ、そして團蔵から死ねと言われ、一度は覚悟をしたものの仲蔵のお蔭で立ち直ろうとする淀五郎、この噺の中心人物三人が、見事に描かれていた。
 なかでも、仲蔵が淀五郎に、切腹の場面を演じさせて、煙草を吸いながら凝視する無言の一分ほどの芸に、生でなければ味わえない落語の醍醐味を感じていた。淀五郎の切腹の仕方、三通りに腹を切り分けると言われた仲蔵には、とても見ていられるものじゃなかったろう。三河屋が花道の七三から動かない理由も分かったはず。
 さぁ、ここからは仲蔵の淀五郎へのマンツーマン指導だ。名題になって褒められようと邪心のあった芸から、無念にも切腹しなくてはならない五万三千石の大名への大転換である。
 仲蔵が「誰の型でやっている?」と聞いて「誰の型でもありません」と答える淀五郎。淀五郎が師匠(紀伊国屋沢村宗十郎)の判官を観たこともない、というのを聞いて仲蔵が叱るのも自然な流れだし、「それじゃ、俺だって近寄ることができねぇ」と言うあたりは、なるほど團蔵と仲蔵という名人同士、その芸を見抜くものなのだと納得させる。仲蔵が淀五郎に稽古をつける場面は仲蔵の一人語りなのだが、その視線の先に淀五郎の姿がしっかり見えるようだった。
 しかし、この高座、「林家」が大好きな一朝にしては、必ずしも大師匠の型とは言えない。正蔵は、淀五郎を名題になったばかり、と位置付けている。大抜擢ではないのだ。また、淀五郎の切腹の演技を確認する場面、正蔵は結構口を挟む。
 そういう意味では、円生版は淀五郎が相中から抜擢だし、仲蔵は煙草を咥えて無言で淀五郎の切腹場面を凝視し、最後には可笑しくて笑ってしまう、という演出。
 大師匠と円生の型の両方から、一朝は自分で合点できる演出、設定を選び、あくまで一朝の噺として昇華させたのではなかろうか。それは、一朝の歌舞伎に関する深い造詣と経験があって初めて可能なブレンドではないかとも思う。
  歌舞伎の世界を十分に肌で知った噺家でしか出来ないと思わせる珠玉の高座、今年のマイベスト十席候補とする。
 

 終演後は、I女子と二人でミニ居残り会。来るはずのYさんは仕事の都合で上方の地で足止め。
 会場近くの中華(結構有名なお店)で前菜、水餃子で生ビール、締めは海老汁そば。これが、結構なボリューム。一朝の高座の余韻に浸り、極めて健康的な時間にお開き。
 帰宅して、まだ飲みたらないからビールをちびちびやりながら、録画してあった「花子とアン」を見る。あら、そろそろ関東大震災だなぁ。気になる落語の音源を少し聴いているうちに日付変更線を越えた。ブログを書きはじめたものの、どう一朝の見事な高座を表現したらいいものか考えているうちに、上の瞼と下の瞼が仲良くなってくる。風呂に入って、もちろん爆睡であった。

 一朝は、元々江戸っ子の啖呵が売りのネタなどで定評があったのだが、そこから大きく飛躍しているのではなかろうか。
 私見だが、一之輔が抜擢で真打に昇進してから、その芸の幅も奥行も出てきたように思う。
 六十代半ばで、明るく楽しいだけではない(それだけでも大変なのだが)、紛れもない江戸弁や音曲の技量、歌舞伎などの伝統芸能への造詣などを地面にたっぷり含んだ、豊饒な大地のような噺家さんとして、今まさに花開こうとしているような気がする。

 だから、伝統を誇る県民ホール寄席で独演会を開催することにもなるのだろう。

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 これは、入場の際にいただいたプログラムの中面の右側である。

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 こちらが、左側。
 会員の方の肉声が届きそうな暖かい文章で、一朝の十八番もたくさん並んでいるのだが、『宿屋の富』と『淀五郎』を含んでいない・・・そんなところがミソである。
 
 たまたま同じ会場で、先日の小満んの会、そして、一朝の会、会場の広さも程よく、空間に漂う手作り感もたっぷり。
 大ホールに人気者を集めただけの落語会などにはない、人間臭さがそこには横溢している。
 県民ホールの小ホールよりも、個人的には、こっちの会場の方が音響なども好きだ。しかし、それは、客の身勝手なのだろうなぁ。今後も縁があれば、ぜひ行きたい落語会の一つであることは間違いがない。
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by kogotokoubei | 2014-07-31 00:16 | 落語会 | Comments(6)
今週の土曜、8月2日は、旧暦の7月7日で七夕。
 私が度々お世話になる「六曜・月齢・旧暦カレンダー」でご確認のほどを。
六曜・月齢・旧暦カレンダー
 
 西日本では曇りや雨の予報もあるようだが、中部から以東では概ね星が見えそうだ。上弦に近い(半月の)月齢なので、ほどよく星も見えるというわけだ。

 以前にも紹介したことがあるが、『旧暦はくらしの羅針盤』(小林弦彦著、NHK生活人新書)から引用。
 第3章「旧暦で本当の季節感を取り戻そう」から。
小林弦彦著『旧暦はくらしの羅針盤』

七夕
旧暦七月七日は七夕で、五節供の第四番目です。夏祭のシーズンも終わり、秋風を少し感じる頃に「七夕」がやってきます。澄み渡る夜空には、七日目の半月が輝いています。半月の明るさは満月の十二分の一です。ですから、天の川も牽牛と織姫星が、きれいに見えるのです。夜のロマンです。七夕飾りの笹には、色紙や短冊などが吊るされました。商家では、それらの他に商売繁盛を願って大福帳なども吊るしたそうです。

<ここがヘン!>雨に祟られデートもままならぬ牽牛と織姫
 旧暦時代の七夕は、夢とロマンの行事でした。現在の七夕も、旧暦時代を真似て笹に短冊を結びつけて、子どもには願いごとを書かせたりしていますが、背景が違います。
 まず秋でないこと。梅雨が終わっていないこと。お月様が半月かどうか分からないこと。
 もしも幸いに晴れていても、満月ならば、星は見えません。いずれにしても、子どもをがっかりさせる七夕になっています。もっとがっかりしているのが、牽牛と織姫でしょう。
 仙台が八月に七夕祭を行うのは、旧暦に季節を近づけようと、努力しているからです。
 俳句の季語では「七夕」は秋になっています。旧暦七月の異称は、文月です。芭蕉の『おくのほそ道』に「文月や六日も常の夜には似ず」と、七夕の前夜に詠んだ句があります。また、「荒海や佐渡によこたふ天河」と七夕を詠んだ句もあります。与謝蕪村(1716~84年)のロマンあふれた句もあります。「戀(こい)さまざま願の絲(いと)も白きより」



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(「伝統的七夕ライトダウン2014推進委員会」のサイトより借用)

 国立天文台などは、「伝統的七夕ライトダウン」という行事を行っており、石垣島で「南の島の星まつり」も行われる。

 「伝統的七夕ライトダウン2014推進委員会」のサイトをご確認いただき、ぜひ、今週末の夜、家の明りを消して、星を眺めようではないか。「伝統的七夕ライトダウン2014推進委員会」のサイト

 もちろん、節電にもなるよね。
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by kogotokoubei | 2014-07-29 19:52 | 旧暦 | Comments(0)
土曜日の池袋で一之輔の『鰻の幇間』を楽しんだ。

 鰻と言えば、明日が夏土用の丑の日。
 この日に私は鰻を食べない。旨くて安全で程よい値段の鰻が食べれるとは到底思えないからだ。
 老舗の鰻屋の中には店を休むところもある。十分に客の対応ができないという理由の店もあれば、客が多くていつもの品質の素材を提供できないから、という店もある。理屈だと思う。

 しらすうなぎが獲れないとか今年は少しは獲れたとか、中国で欧州産の鰻を来年から輸出しないとか、いろいろとメディアを賑わわせる時期だが、別に丑の日という一日に絞って鰻を食べることもないし、法外な値段の鰻を、他の日でも食べようとは思わない。

 かつての日本には、夏の土用に、必ずしも鰻を食べるだけではない過ごし方が伝わっていた。
 ほぼ三年前に、荒井修著『江戸・東京 下町の歳時記』からの紹介などで書いたことがあるので、ご興味のある方はご覧のほどを。
2011年7月20日のブログ

 現実の鰻のことは別にして、落語の『鰻の幇間』について。

 八代目文楽で名高いが、私は志ん生の、ややぞろっぺいの一八も好きだ。

 野幇間(のだいこ)一八が、獲物の客を探して歩いているうちに、見たことがあるような男に出会い、つい知ったかぶりで御馳走にあずかろうとして、鰻屋で大失敗してしまう、というのが噺の中心。
 実話を元にしている、という説がある。こんな男には会いたくないものだ。
 先日の一之輔は、先にこの男が「おや、師匠!」と一八に声をかけさせているので、その罪状(?)は一八が声をかけるより重いだろう^^

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安藤鶴夫著『落語国紳士録』
 その男がどれだけひどい奴か、ということについて、安藤鶴夫著『落語国紳士録』からご紹介。

 この本、私はちくま文庫(1991年初版発行)で読んだが、その後平凡社ライブラリーで2000年に再刊されている。
 上の画像はちくま文庫、リンク先はAmazonの平凡社ライブラリー版である。

 「せんのとこの男」の章から引用。

せんのとこの男

「鰻の幇間」に登場。浴衣がけで、手拭いを下げて、ぺたんこな下駄をつっかけていたが、その日の朝、一八が五円で買った下駄を、鰻屋の店からはいてッちゃッた男、三十がらみ。せんの家に住んでいる。
      □
 落語国の中で、これほどいやな野郎はない。どうしていやな野郎かというと、理由はいろいろあるけれども、まず第一に、どこに住んでいるかが明らかでない。なにかというと「せんのとこだ」せんのとこだとばかりいっている。落語国の中には、それァ名なしの権兵衛は男女共にいくらでもいるが、それはまたそれで、親たちが名をつけてくれなかったとか、或はつけてくれてもてめえで自分の名を忘れちまったとかいうようなれっきとしたわけがあって、殊更らに、意識して名なしとか、或は名を名乗らないというわけではない。
 ところが、この男ばかりは、明らかに名を名乗らず、さらに自分の住んでいるところも、意識的に知らせまいとしている。尤も、こんな男に鰻の一と串でもたかろうとして、なにからなにまで、みんな心得た風にみせかけた一八も、決していいとばかりはいえないようだ。うちの神さんがまた芸人が好きでね、始終大勢遊びにきているよだの、芸人の配りもののの浴衣なんかも沢山あるから取りにおいでな、なんかいうから、一八もわくわくして、是非伺います。お宅はどちらでしたッけというと「せんのとこじゃアねんか」一八がまた百年の知己の如き知ったかぶりをしちまったばかりに「あ、さいですな、心得てます、あすこんとこだ、(扇をひとつ、ぽオんと膝へ当てて)せんのとこだ・・・・・・」といわざるを得ない。この愚かなる一八に、こういわざるを得ないようにしむけているこのせんのとこの男の、なにか知性の如きものに腹が立つのである。この野郎がなんの某と名乗ってさえいれば、なにもこんなヒッチコックばりの映画のような題なんかつけなくッてもよかったのである。
 さも自分がおごるような顔をして、逆に土産を三人前も持って、一八の買いたての下駄をはいて、勘定は二階の羽織を着ているあの旦那から貰ってくれを、ぷいッと消えてしまった手口は、まことに鮮やかである。
  (中 略)
 梅雨あけの、煮えるような暑さの中を、私はせんのとこの男を捜して歩いた。せめて、横づッぽの一つも張り飛ばしてやりたいと思ったからである。しかし、野郎が湯にいくのに手拭いを借りた家が、なんだか縁日の露店の元締めをやっている家だというところまでは分ったが、それからさきは、そこでもまた野郎は「せんのとこ」で押し通していたようだ。なんでも、王子の狐をからかったたたりを恐れて、知り合いを転々としていたらしいが、そういえば、王子で女狐をだまして、扇屋で酔ッぱらわして、さんざんな目に会わせてやり口と、全く同じいき方なのである。
 いたら、お教えを願いたい。


 アンツルさん、もちろんお遊びとして、こういう紳士録を書いているわけだが、『王子の狐』の男と同じとは、私は思えないなぁ^^
 彼は、後から詫びに行くからね。せんのとこの男、そうするようには思えない。どちらかと言うと、『付き馬』の男と同一犯(?)ではないかと、私はにらんでいる。あの狡猾さが似ているではないか。
 
 しかし、この男、それほど儲かったのだろうか。男に逃げられてから一八が女中を叱る時の形容のごとく、噛み切れないような(一之輔はゴムホースのようなと言っていた^^)鰻のことを考えると、実質的な男の戦利品は、桐の下駄だけかもしれないなぁ。土産の鰻を、余興の“罰ゲーム”にでも使うなら、別だが。

 とは言っても、この男が捕まったら、無銭飲食には問われるだろうし、窃盗罪に詐欺罪まで加わるかな。いや待てよ、詐欺罪の方は微妙だなぁ。「御馳走する」とは明言していないのだよ・・・・・・。

 また、本職の話芸の達人であるはずの一八を、それを上回る話術と策略で見事に騙すところなどは、騙された後の一八に「今度会ったらじっくり語り明かしたい」と言わせるだけの練達者であるかもしれない。

 もし、後日一八が会ったなら、「この野郎!」とばかりに拳を上げるのではなく、「よっ大将、ぜひご一献!」となるのが落語界の住人の行動としては相応しいのではないか。そして、それこそが、野幇間一八の真骨頂のように思うし、そうあって欲しい。

 落語の世界に登場する悪い奴は少なくない。それこそ、『寄合酒』の若い衆など、乾物屋にとっては、憎き窃盗犯である^^

 しかし、そういう面々も含め、楽しく聴かせてくれるのが落語の世界。
 現実で繰り広げられる様々な犯罪や、政府が国民を騙す国家的な犯罪には笑えないが、それらを思う怒りや哀しさを、いっとき笑いで救ってくれるのが落語でもある。

 「せんのとこの男」、旬な噺であるだけに、しばらくあちこちで登場することだろう。落語会や寄席で、一八が見事に騙され、その悔しい思いを鰻屋の女中にぶつけているはずだ。

 一八は、その後あの男と再会して、じっくり話術とヨイショの極意を学ぶことができただろうか。

 もちろん、長年名人上手によって練り上げられた古典落語は、本来のサゲまででお開きなのだろうし、エピローグは蛇足でしかない。しかし、あり得ない後日譚に思いを馳せるのも、落語の楽しみ方の一つのように思う。一八があの男に会って、「いよぅ、大将!」と言った時、どんな表情を浮かべるか、そんなことも邪推するのである。「この野郎!」と拳を上げて喧嘩になれば、一八に勝ち目はなさそうだ。それより、「よっ、大将!」と持ち上げて、鰻屋の分も含めて取り返してこそ、野幇間の道(?)ではないか。その時に、せんのとこの男は、きっと、「う~」とうなって難儀するはず^^
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by kogotokoubei | 2014-07-28 06:57 | 落語のネタ | Comments(4)
 池袋演芸場は、4月からの消費税アップにも関わらず、木戸銭を据え置いた。だから下席昼の部は、今も木戸銭が2,000円。私はここ数年、池袋に行く時は下席の土曜の昼が多い。

 今席の主任一之輔は久しく聴いていない。脇の顔ぶれも悪くはない。都合もなんとかやりくりして、池袋へ。
 開場一時半少し過ぎに着いて木戸銭を払い、地下へ。客席はすでに七割ほど埋まっている。仲入り時点で、ほぼ満席になった。週末、そして一之輔、ということだろうか。

 演者と演題、所要時間と感想を記す。好印象の高座にを付けた。

開口一番 柳亭市助『弥次郎』 (14分 *13:45~)
 このネタで開口一番というのは、あまり記憶がない。しかし、しっかりした高座で感心した。
 北海道(凍る火事、など)→恐山・山賊→恐山・猪、とテンポの良い好演。
 清潔感のある見た目を含め、やはりこの人はいい。
 この人を聴くと、噺家の“適性”ということを考えてしまう。この人、適性力が高い。

春風亭一左『悋気の独楽』 (16分)
 以前聴いた時(と言っても三年前だが)よりはもちろん前進している。池袋らしくない“ゲラ男”さんが複数いたおかげで、笑いも取ってはいた。しかし、一つ一つの語り、間に余裕がない。例えば、定吉が「旦那を見失いました。それでは寝かせていただきます」と言って、お内儀さんが「お待ち、肩を揉んでおくれ」のやりとりに、まったく“間”がない。一秒の間、それが大事なのだ。まだ精進が必要。後輩たちを良い刺激として、頑張ってもらおう。

春風亭朝之助『寄合酒』 (20分)
 6月から二ツ目(前座名は一力)、ということでこの席でも特別な時間枠をもらっていたのだろう、二ツ目と前座の違いなどのマクラを5分ほどふってから本編へ。
 結果として(“ゲラ男”さんのせいもあるが)、この日もっとも笑いをとった高座かもしれない。
 鱈、数の子、鰹節などを角の乾物屋から失敬してくる面々が、「家から持ってきたのか」と仲間に聞かれた時の「いやあ~」の声、なかなか結構。
 適性ということで言うと、この人は古典落語の適性、大いにあると思う。

古今亭志ん陽『熊の皮』 (17分)
 真打昇進したばかりの三語楼の代演。落語協会は香盤が上の人が出る。
 十八番と言ってよいネタで客席を沸かす。前半が良い。仕事をして帰ってきたばかりの甚兵衛さんが、落ち着くこともなく、強面(?)の女房の指示の通りに、水を汲み、米を洗い、洗濯をして、もらい物もお礼に行くまでが、楽しい。
 甚兵衛さんがいただいた赤飯のお礼で医者の家へ行き、女房の鸚鵡返しで「承りますれば」を、「ウケタマタマ~」で爆笑が起こるが、やはり“ゲラ男”さんが笑い過ぎ^^
 いずれにしても、朝之助がつくった空気をしっかりと維持。これが、真打なのである。

笑組 漫才 (11分)
 初めて聴く、“妖怪ネタ”だったが、これは楽しかった。
 かずおが3キロ太った、という話から“妖怪 寝太り”に始まり、「ハマグリ女房」の由来という、この人達には珍しい下ネタなどを交え、流行歌に題を取る「妖怪 上海帰りのリル」「妖怪 湯の町エレジジー」なども、可笑しい。
 これ、昔からあるネタなのかなぁ。客席も大爆笑で、次は、あの人。

林家三平 漫談&『芝居の喧嘩』 (21分)
 まず、なぜこんな長時間だったのか。仲トリの文左衛門の楽屋入りが遅れたのかどうか知らないが、マクラ14分、ネタ7分の無駄な時間だった。マクラは、自分の経験(と話す)志ん朝、五代目小さん、談志などとの逸話。本編は、次の文左衛門がマクラで言う通り、本来のネタの楽しさを台無しにするつまらない駄洒落で固めたもの。
 しかし、前述したように、“ゲラ男”さんが多く、笑いが出る。池袋の客層、少し変わってきたか・・・・・・。

橘家文左衛門『馬のす』 (15分)
 仲トリは、この人。マクラで、「芝居の喧嘩って、もっと面白い噺だったはずなんですがねぇ。頑張れば頑張るほど、客の負担が増える」と、まさに私の思いを代弁してくれた。こういうところが、この人の魅力だ^^
 それだけ言うだけの高座である。テグスや馬の毛を引っ張る仕草など、先輩の芸を楽屋で三平はしっかり見ていただろうか。
 枝豆を食べ、灘の生一本を飲みながら、勝ちゃんが相手をじらしながらのネタも楽しい。内容は詳しくは明かさないが、髪の毛三本、ASKAなど、新旧を巧みに取り込んだ楽しい内容。貫禄の高座だった。

鈴々舎馬るこ『牛ほめ』 (12分)
 この人とは、初対面の印象が悪かったのだが、あらためて先入観なしで聴こうと思っていた。
 結論から言うと、非常に結構だった。
 この人なので、新作の要素は多い。叔父さんの新築の家を構成するのは、デザイナーズハウス、シャンデリア、屋久島の千年杉、二十畳のウォークインクローゼットにはグッチやサンローラン、桐の箪笥の中に大島紬や京友禅などが登場するが、畳が備後の五分べりであることや、牛を褒める「天角、地眼、一黒、鹿頭、耳少、歯合」は残している。
 デザイナーズハウスをデリバリーハウス、シャンデリアをサイゼリヤ、ウォークインクローゼットがポークイングラタンコロッケ、などと与太郎が間違えることで笑いをとる。
 少し前に『中村仲蔵』を題材として、私のジャズの心のお師匠さん(?)である、Nelsonさんの記事を紹介を含め、“アウト”と“イン”のことを書いた。基本はイン、だと私は思っている。
2014年7月9日のブログ
 しかし、今では分かりにくいネタを、その噺の本質的な可笑しさを替えず、現代の要素に替えても楽しく聴かせることができるのなら、そのアウトの試みは得がたいものかもしれない。
 bきっと、聴く度に内容は変わるのだろうが、それも楽しいか。鯉昇の『時そば』的なネタとしてこの演目が生き返る可能性を感じた。あるいは、天どんの『たらちね』、百栄の『大工調べ』(『マザコン調べ』)あたりまでの改作の道もあるかもしれない。設定を思い切って、外人の新築、牛ではなくプールにワニ、などの設定までもありえるか。どうせなら、そういったレベルまで挑戦して欲しいとも思った。この人ならできそうだ。
 なるほど、NHKの大賞はフロックではない。

柳亭燕路『猫久』 (17分)
 扇辰の代演がこの人。私は好きだ。ネタが分かった時、果たして馬るこのネタを楽屋でどう聴いていたのか、などと思っていた。あえて、同じ鸚鵡返しの演題を選んだのかどうかは、分からない。
 しかし、こういう“イン”に執着する古典落語も、やはり良い。「いわし~」の一言が効いている。

ペペ桜井 ギター漫談 (7分)
 いつもの芸なのだが、今ひとつ切れ味に欠けたのは、暑さのせいか^^

春風亭一之輔『鰻の幇間』 (32分 *~17:02)
 マクラでは前座修業を待つ待機入門者のことなど。長いと一年半も楽屋修業まで待つらしい。自分の前座時代の思い出話があった。立て前座が19歳の女性、次が42歳のおじさん、そして自分、という組合せでの逸話が可笑しかった。
 7分ほどのマクラから本編へ。一八を騙す男の住まいが「先のとこ」という科白や、一八が鰻屋の払いのため襟に縫い付けてあった十円札が、勘当された際に弟がくれたもの、など基本は文楽版を踏まえているが、この人のことである、「えっ!?」というクスグリで楽しませる。
 男に逃げられた後の、一八と鰻屋の女中(後で、お清と判明)とのやりとりが、喜多八とは別な味で可笑しい。どっちが客か分からなかったという女中に、「もっと人に興味を持てよ」という一八の科白、私は好きだなぁ。「後が詰まっている」と言うお清に、「この店に後がいるの?!」と一八が言うと、店の者が部屋に入って来て、お清の誕生会の準備を始める、というあたりも可笑しい。客より身内、というとんでもない店、意外に結構ありそうな気もする。
 そして、途中で伏線を張っておいた薬味に関するネタ、「お店の人、聞きなさい!最後に言いたい、○○○ー○は鰻の薬味じゃない!」で笑いのピークを持ってくるあたりも流石。
 基本は替えず、この人ならではのクスグリで楽しませてくれた旬のネタ、結構だった。

 終演後、携帯を見たところ、落語愛好家仲間の皆さんのメールが数本。おや、佐平次さんは末広亭だ。小柳枝のネタは何かなぁ、などと思いながら電車では携帯音楽プレーヤーで文楽の『鰻の幇間』を聴いていた。

 帰宅して連れ合いと犬の散歩。それにしても、暑い。戻って一杯やりながらブログを書き始めたものの、なかなか進まない。窓を開けて扇風機で我慢していたが、たまらずエアコンを付けた。食事は私のリクエストでカレー。暑い時はこれでしょう。ほぼ八割ほど書いたあたりで風呂に入り、爆睡。

 残りを朝書き終えた。あらためて、三平以外は、結構な会だったと思う。木戸銭分を十分に上回っている。前半は市助と朝之助の元気な高座が印象的だった。笑組、あのネタは前から持っていたのかなぁ。そして、マクラを含め文左衛門の存在感を再認識した。代演の志ん陽、燕路もしっかり役割を果たした。馬るこには彼ならでは改作を期待しよう。
 一之輔も元気だった。 “待機前座”の話は、来年の十人同時真打昇進と、何らかの関わりがあったのかどうか。しかし、真打になろうが、そこからが勝負であることに変わりはない。
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by kogotokoubei | 2014-07-26 19:44 | 落語会 | Comments(6)
 この日は紀伊國屋ホールの権太楼独演会(とみん劇場)も気になってはいたのだが、確実に行ける自信がなくチケットは買わずじまいだった。結果としてなんとか時間のやりくりはついたが、これはあくまで結果論。

 寄席にもしばらく行ってなかったので、下席の末広亭、小柳枝が主任の夜の部にもぐり込んだ。 地下鉄から外に出てコンビニでお茶などを買っている間に、いきなりの豪雨。少しおさまるのを待っていたが、しばらく止みそうになく傘をさして末広亭へ。
 18:00少し前に中に入ったので、出番が早まった寿輔には間に合わなかった。ぴろきの代演マグナム小林のバイオリン漫談の途中。実はこの人は初めて。バイオリンとタップダンスの器用な芸に、芸協の色物の充実ぶりを再認識。

 客席は四割ほどの入りだったろうか。私はいつもの下手の桟敷を悠々と確保。終演まで、雷が鳴り響いていた。こういった経験も得難いものだ。

 初めから聴けた芸人さんとネタ、所要時間などを記録しておく。良い印象の高座にを付けた。

春風亭笑好『ぜんざい公社』 (14分 *18:00~)
 なぜか縁があって、昨年7月の国立演芸場での真打昇進披露にも行っている。二年前の5月、師匠が主任の池袋でも聴いたネタ。実は、その時と師匠のネタも、この日は同じだった^^
 舌足らずなのはしょうがないのだが、それを魅力にした八代目の三笑亭可楽という人もいる。つい、早口になりがちなのだが、それも可楽を聴いてもらえば、勉強になるはず。
 来年の真打昇進者には弟弟子で、この日もクイツキに登場した笑松や他にも実力を評価されている顔ぶれが予想される。もっと精進が必要だろう。明るい印象は悪くないのだから、落ち着いて、もっと噺の登場人物の了見になり切ることで、良くなるはずだ。

桂富丸 漫談&新作(演題不明) (17分)
 初である。後で調べてみたら昭和45年に米丸に入門した新作派さんのようだ。「スキンヘッドの富丸です」と挨拶した。 
 漫談の後の新作は、馬や鹿や犬、猿などの動物たちが、彼らの名を使った言葉に異議を唱えるというもの。「動物会議」とでも仮に名づけておこうか。団塊の世代としては若い高座だったが、どうもリズムに乗り切れていなかった印象。今後、別なネタでまた聴いてみたいものだ。

北見 伸 奇術 (11分)
 番組表にはスティファニーの名もあったが、別な若い(はず)の女性二人を従えて、彼女たちも芸を見せた。
 スティファニーとは、何かあったのか・・・・・・。
 それとも、この人の弟子を一括してそう呼ぶようにしたのだろうか。 まさか^^

春風亭柳好『浮世床-夢-』 (13分)
 代演でこういう人の高座に出会えるのも寄席の良さである。床屋の名前のマクラから半公の夢へ。九州の入り口=もじもじ、などのクスグリが楽しい。芸協の中堅どころで寄席を引き締めることのできる大事な存在。

三遊亭円輔『長短』 (16分)
 仲トリはベテランが務めた。柳好が温めた高座をしっかり保持した好演。昭和一桁生まれとは思えないなぁ。サゲ前の長さんと短七さんのやりとりで会場も沸く。さすが、最初の師匠が三代目三木助というだけのことはある。

春風亭笑松『つる』 (14分)
 クイツキは小柳枝の弟子で、二ツ目の一番上の香盤のこの人。昨年7月の笑好の真打昇進披露では先代今輔作『五人男』という芸協ならではのネタを聴かせてくれたが、なかなか結構だった。
 来年の真打昇進は確実ということもあるし、その実力が認められての深い大事な出番での登場なのだろう。たしかに、一年先輩の笑好のお尻をムズムズさせているだろうと思わせる、しっかりとした高座。浜辺の岩頭を「浜辺の癌病棟」と八五郎が言い間違えるクスグリは、結構クスッとさせてくれた。来年は実力のあるライバルと一緒の昇進することだろう。切磋琢磨して、より一層芸を磨いて欲しいものだ。

ニュースペーパー コント (16分)
 この席での楽しみの一つは、芸協入りして初めて聴く(見る)この人達だった。
 結論から言うと、芸協の色物に、とんでもない強力な人たちが加わった、と思う。
 この日は9人のメンバーの中から、福本ヒデと土屋ひろしの二人が出演。政治家に扮したエスプリとユーモア満載のコントが頗る楽しい。
 最初に福本が安倍。次に土屋が前原と谷垣という地味な二人を演じ、そこに福本の、狂気じみた、とんでもない石破が加わる。
 内容は、明かせない^^
 冒頭に安倍役の福本が、「こんな雷の日にお越しいただいた皆さんには、お土産としてファミリーマートのチキンナゲットをお持ち帰りいただきましょう」と言った位は、書かせてもらおう。
 とにかく福本の石破の目の演技で会場が大爆笑。もちろん、それぞれの科白は笑いで包んだ棘のあるジョークの連続で、切れ目がない。
 寄席には、本来こういった権力を笑い飛ばす精神も必要だと思う。この人達が出演する定席には、今後もぜひ行きたいと思った。
 なお、彼らのホームページの予定表にあるように、日替わりメンバーで楽日まで出演予定。
「ザ・ニュースペーパー」HPのスケジュールのページ

桂文治『湯屋番』 (14分)
 仲入り後は贅沢な顔ぶれが続く。十一代目文治は、師匠の十八番でもあった楽しい噺で客席を沸かした。
 まず、前半の細かな演出に笑った。若旦那を住まわせている熊五郎(大工の熊、大熊)が、ようやく働く気になった若旦那を浜町の桜湯に紹介する手紙を書く。封筒がないので巻紙を止める飯粒を若旦那に持ってくるよう頼むと御飯の固まりを持ってきてしまう。

 熊「ふたっ粒か三粒で間に合うのに」と巻紙を飯粒で止めてから、残ったご飯を食べて、「なんか水っぽいな」
 若「そりゃあ、猫のお椀の御飯だから」
 熊「えっ、大丈夫?!」
 若「大丈夫、猫は見ていなかったから」
 師匠のこのネタを聴いていないが、きっと師匠譲りなのだろう。こういうやりとり、私は好きだなぁ。
 憧れの番台に座ってからの若旦那の一人芝居も絶好調。
 
笑福亭鶴光『試し酒』 (14分)
 日替わり真打出演のこの日は、この人。
 米朝も演じるらしいが、今村信雄作の古典化しつつある新作落語を、上方の噺家さんでは初めて聴いた。
 温泉旅行の費用を賭けるのは尾張屋と近江屋。尾張屋の使用人で酒を五升飲むのは久蔵ではなく井上。少し現代化している。飲む合間のサラリーマン川柳で笑わせる。鶴光では地噺を聴くことが多いのだが、こういうネタも上手い。伊達に六代目の弟子ではなかった、と再認識。

翁家 喜楽・喜乃 太神楽 (10分)
 卵の芸が成功して、客席もほっとした^^
 娘さんの喜乃ちゃんの、父を心配そうに見る視線が可愛い。

春風亭小柳枝『星野屋』 (24分 *~21:00)
 雷が鳴り響く中で相応しい小咄をいくつかふってくれた。引き出しの多さがこういう芸に生きる。
 「楽屋で話題になっているのですが、雷様は一人者かどうか・・・一人者じゃないことになりました・・・いな“妻”が付いている」 なんてのも結構ですなぁ。
 夕立屋や湿気の幽霊のマクラ、男と女の小噺を挟んでから本編という流れは、実は二年前の池袋とほぼ同じ構成。あの時はリズムが合わない感じだったが、この日は非常に結構。
2012年5月3日のブログ
 マクラが12分近かったので本編は星野屋の旦那が妾のお花に別れ話を言いに行く場面から。旦那とつるんでお花を騙した重吉が、心中するはずだったのに旦那を裏切ったお花に、いきさつと旦那が成仏せず夢枕に現われた、と話す場面は、技術的に難しいと思うが、程よいテンポでしっかり。期待した『青菜』ではなかったが、時間配分もピッタリに、この人の持ち味を十分に楽しませてくれた。

 終演後外に出ると、嬉しいことに雨が上がっていた。
 帰宅して、ビールをちびちびやりながら、録画していた「花子とアン」そして「吉原裏同心」を観た。医者の役で林隆三が登場。なんとも言えない感情が沸く。
 パソコンを開いて少し書きはじめた時は日付変更線越え。紀伊國屋の権太楼に行っていたI女史からメールが入っており、三席熱演で会場も大いに沸いたとのこと。あちらこちらで落語を楽しんでいる人がいる。結構なことである。返信を打って風呂に入り爆睡。
  
 暑さのせいもあり、このところ早く目が覚める。あらためて思うが、この席は後半が充実している。ニュースペーパーは7時台の上りなので、末広亭の夜間割引(六時以降一般2,500円、七時以降 1,500円)でも、落語も色物も結構楽しめるだろう。私はもう一度は行けそうにないが、ご都合がつく方には、ぜひお奨めしたい。

 昨夜を振り返ってみて、高座で手を抜くような芸人さんは一人も見当たらなかったし、それぞれが持ち味を発揮して楽しい席だった。お客さんの入りは多いとは言えなかったが、こういう高座を続けていれば、確実に良い方向に向かうように思う。来年の真打昇進者の発表も楽しみになってきた。
 もう一方の協会に、ぜひ良い刺激を与え続けて欲しいものだ。
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by kogotokoubei | 2014-07-25 00:10 | 落語会 | Comments(8)
 昨日の昼食時、会社の近くのショッピングセンタービルのレストランフロアで、あのファストフード店に、未だに若い母親が小さな子供と列を作っている光景に、なんとも複雑な思いがした。

 中国食肉加工会社の消費期限切れ問題が、鶏肉に限らないようだ、という東京新聞の記事をご紹介。(太字は管理人)
東京新聞の該当記事

期限切れ肉 鶏以外もずさん管理 上海の会社責任者聴取 組織的に不正か
2014年7月23日 14時00分

 【上海=加藤直人】米国の大手食品加工会社「OSIグループ」の傘下にある中国上海市の食肉加工会社「上海福喜食品」が使用期限切れの肉類を加工して供給していた問題で、上海市は「組織的な不正」との見方を強め、食品会社の責任者ら五人を隔離して事情聴取している。上海紙・東方早報などが報じた。福喜食品をめぐっては当初、チキンナゲットなど鶏肉の期限切れが指摘されたが、上海テレビは牛肉についてもずさんな管理の実態を伝えており、問題の対象が鶏肉以外に広がる可能性がある

 上海福喜食品には、鶏肉と牛・豚肉の生産ラインがあり、工場に潜入取材して最初に報じた上海テレビは、問題の工程として牛肉の加工も取り上げていた。

 OSIは問題発覚後、「工員の個人的な行為」との見解を示していたが、上海市は、工場ぐるみで意図的に不正をしていたとの見方を強めている。上海市食品薬品監督局と市公安当局は合同指揮部を設けて調査を進めており、責任者の刑事責任が追及される可能性も出てきた。

 合同指揮部は、上海福喜食品から今年一月以降の原料仕入れ、生産加工、品質管理、売り上げなどの記録を提出させた。

 さらに、福喜食品の上海工場倉庫に保管してあった肉類の原料百三トン、「チキンマックナゲット」などの製品五千百八箱を押収した。

 合同指揮部は、福喜食品の製品が中国国内ではマクドナルドやピザハットなど計九社に納入されていたとみて、流通経路を詳しく調べている。

◆従業員「死にはしない」TVの潜入取材で発覚

 【上海=加藤直人】中国上海市の「上海福喜食品」が使用期限切れの肉類を加工して供給していた問題は二十日夜、上海テレビによる工場への潜入取材が放映され、その直後に上海市が立ち入り調査に入ったことで表面化した。

 上海テレビは工場内で白い帽子をかぶって作業する従業員らの様子を放映し、「使用期限切れではないの」と問いかける従業員に対し、別の従業員が「死にはしないよ」と応じる生々しい映像も放映された。

 機械から工場の床に落ちた原料の肉を、従業員がそのまますくいあげて生産ラインに戻す映像なども放映され、同社のずさんな食品の衛生管理の実態も浮き彫りになった。

 その後、上海紙が一斉に問題を報じたことで、上海市民にも大きな衝撃を与えている。上海の目抜き通りである南京西路のマクドナルドが入る百貨店に勤める女性は二十三日朝、「中国は食の安全の問題が多すぎる。外資だと思って安心してマクドナルドの商品を食べていましたが、中国製の原料に問題があったなんてショックです」と話していた。

◆食肉加工品輸入 1年で6千トン

 中国上海市の食肉加工会社「上海福喜食品」が使用期限切れの肉類を供給していた問題で、厚生労働省は二十三日、七月までの一年間に同社から約六千トンの食肉加工品が輸入されていたと明らかにした
(東京新聞)



 さて、ここで考えるべきことは何か。

 □該当する消費期限切れの食材を使わないことで、問題は解決するのか。 
 □中国のこの会社からの輸入を停止することで、食の安全は確保できるのか。
 □該当する食材を使っていない他のファストフード店やコンビニなら安全なのか。
 □この杜撰な管理は、上海の工場特有の問題なのだろうか。

 いずれも「否(ノー)!」である。

 ファストフードの構造的な問題に、現場の取材を元に切り込んだ好著がある。
 流通経路全体において、大企業がどんなシステムで食材を加工しているのか、その過程で労働者がいかに差別され搾取されているのか、などについて、2001年に初版発行された本が、あらためて読まれるべき時ではないだろうか。

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エリック・シュローサー著『ファストフードが世界を食いつくす』(草思社文庫)

 2001年に発行されたエリック・シュローサーの『ファストフードが世界を食べつくす』は昨年草思社文庫で再刊されて手に入りやすくなった。私も文庫で読んだ。文庫版のためのあとがきにあるが、基本的な問題はほとんど現在も変わっていない。

 目次は次の通り。

[目次]
はじめに
第1章 創始者たち
 スピーディーサービス/模倣者たち/成功のしるし
第2章 信頼に足る友
 マクドナルドとディズニー/よりよい生活という幻想/子どもの顧客をねらえ/完璧な相乗効果/ブランドの精神/マック先生とコカコーラ人
第3章 効率優先の代償
 スペースマウンテン/生産量第一主義/おだて—安上がりの秘訣/嘘発見器/無気力な若者が増えていく/内部犯罪/楽しくやろう
第4章 フランチャイズという名の甘い誘惑
 新たな信仰への献身/政府融資による自由企業/プエブロの外の世界
第5章 フライドポテトはなぜうまい
 孤立農家の過ち/記憶に刻まれる風味/一〇〇万本のフライドポテト
第6章 専属契約が破壊したもの
 専属供給の圧力/ミスター・マクドナルドの胸/市場の支配/裕福な隣人という脅威/断ち切られた絆
第7章 巨大な機械の歯車
 IBP革命/札束の袋/離職率一〇〇パーセント/芳しき匂い
第8章 最も危険な職業
 よく切れるナイフ/最もむごい仕事/見つかるな/腕一本の値段/ケニーの場合
第9章 肉の中身
 新たな病原体にとっての、格好のシステム/国民的食べ物/子どもたちを殺す病原菌/必要と考えるすべての費用/意思の問題/なぜ自主回収されないか/放射線“低温”殺菌/子どもたちが食べているもの/キッチンの流し
第10章 世界的実現
 マクドナルドおじさんの世界戦略/晒し者/脂肪の帝国/マック名誉毀損裁判/牧場への回帰
終章 お好きなように
 科学的社会主義/何をすべきか/どのようにするか
訳者あとがき
文庫版のためのあとがき



 「はじめに」から、まず引用。

 本書は、ファストフードについて、それが具現化する価値観や、それが築いてきた世界について述べた本である。ファストフードはアメリカ人の生活に革命的な影響を及ぼしてきた。わたしは商品という面からも、象徴(メタファー)という面からも、これに興味を抱いている。人々の食べるもの(あるいは食べないもの)は、どの時代でも、社会的要因、経済的要因、技術的要因の複雑な相互作用によって決定される。初期のローマ共和国は、そに市民である農民に養われていた。ローマ帝国の場合は、奴隷に養われていた。一国の食生活は、ときに、芸術や文学よりも意味深い。現代アメリカでは、いついかなる日をとっても、成人人口の約四分の一がファストフード店に足を踏み入れている。ファストフード産業はかなりの短期間に、アメリカ人の食生活ばかりか、国の風景、経済、労働力、大衆文化までも変容させてきた。


 アメリカの“風景、経済、労働力、大衆文化”にまで影響を与えるファストフードについて、これほどまで真正面から取り上げた書はないだろう。

 「第6章 専属契約が破壊したもの」から引用する。世界最大の鶏肉加工業者タイソンフーズにまつわるエピソードが紹介されている。タイソンフーズは、今回中国の子会社が問題を起こしたOSIグループよりもはるかに大きな食肉加工業者である。もちろん、OSIがタイソンの仕組みを真似ていることは言うまでもない。

 1992年、アメリカ人の鶏肉消費が初めて牛肉を追い抜いた。 マックナゲット用の契約を獲得したのをきっかけに、タイソンフーズは世界最大の鶏肉加工業者となる。現在、国内向けマックナゲットの約半分を生産し、レストラン・チェーン大手100社のうち90社に鶏肉を納入している。垂直統合が完了していて、鶏の孵化、解体、加工までを手掛けている。ただし、鶏の飼育まではしない。飼育に必要な設備投資と財務リスクを引き受けているのは、数千人の“独立請負業者”だ。
 タイソンと契約した養鶏業者は、鶏舎こそ自前だが、中で飼っている鶏は自分の所有物ではない。大手加工業者の例にもれず、タイソンも、契約業者に一日齢の雛を送り届ける。孵化したその日から屠られる日まで、鶏は一生を養鶏業者の敷地内で過ごす。それでも、所有しているのはタイソンだ。タイソンが飼料を提供し、獣医を派遣し、技術上のサポートを提供する。給餌日程を決め、設備の更新を求め、“家畜指導官”を雇って、会社の指示がきちんと実行されているかどうか確認させる。タイソンの派遣したトラックがやってきて積み荷の雛を降ろし、七週間後にふたたびやってきて、解体を待つばかりの若鶏を運び去る。加工工場に着くと、タイソンが鶏の羽数を数えて体重を量る。養鶏業者の収入は、ここで勘定される羽数と体重、消費飼料費をもとに、一定の計算式に従って算定される。


 まさに、機械的な養鶏の姿が、そこにある。そして、タイソンは鶏肉をファストフードに安定供給するために、養鶏業者をほぼ完全な管理下に置くのである。

 養鶏業者が提供するのは、土地と、労働力と、鶏舎と、あとは燃料だ。大半は借金を負い、一棟あたり約一五万ドルを投じて鶏舎を建て、二万五〇〇〇羽程度を飼育している。ルイジアナ工業大学が一九九五年に行った調査によると、養鶏業者は平均して一五年間にわたって養鶏業を営み、鶏舎を三棟建てて、なおかなりの負債を抱え、年収が一万二〇〇〇ドル程度だった。国内の養鶏業者の約半数は、わずか三年で廃業し、いっさいを売り払うか、失うかしている。アーカンソーの地方の田舎道を行くと、取り残された鶏舎の廃屋がそこここに散らばっている。
 養鶏業者が銀行からローンを取りつけるには、多くの場合、大手加工業者とあらかじめ契約を結んでいることが条件となる。


 零細な養鶏業者は、生き残るためにタイソンやODIなどの大手食肉加工業者の仕事を受けるようになる。
 そして、昼なお暗い養鶏場で、機械的に無理やりエサを与えられ、通常の生育期間よりはるかに短期間に食肉にされる鶏たち。
 そこには手塩にかけて鶏や豚や牛を育てるという思想はまったく排除される。
 その機械的につくられた“消費期限内”の鶏肉を、多くの日本人が食べているのだ。

 著者エリック・シュローサーは、二十世紀初頭に『ジャングル』を書いたアプトン・シンクレアとよく比較される。シュローサー自身も、本書で何度か『ジャングル』から引用している。
 「第9章 肉の中身」から、その引用部分を含め紹介したい。

 「これは作り話でもなければ、冗談でもない」と、1906年にアプトン・シンクレアは書いた。「肉はシャベルで手押し車に乗せられるが、作業をしている男は、鼠を見つけても取り除こうともしない-。ソーセージの中にはあらゆるものが入るから、毒入り鼠でさえ、珍味のひとつということになる」シンクレアは食肉産業で行われている、消費者の健康を脅かすような慣行を、延々と列挙する。病気の家畜も日常的に屠られること、腐った牛肉の臭いを消すために硼酸ナトリウムやグリセリンなどの化学物質が使われること、肉の缶詰にわざと別にラベルを貼ること、労働者たちが解体場で排尿・排泄をしがちなこと。この『ジャングル』を呼んだセオドア・ルーズベルト大統領は、シンクレアの告発に関して、独自の調査を行なった。本の内容はが正しいことをが確認されたため、ルーズベルトは次のような立法を要求した。すなわち、州間取引を通じて販売されるすべての肉について、政府の検査を義務づけること、肉の缶詰製品に正しくラベルを貼り、正確な製造年月日を記載すること、そして食肉産業の大掃除費用を彼ら自身に負担させる、手数料を基盤にした規制システムを作ることだ。


 まさに、歴史は繰り返す、ではないか。中国の鶏肉加工場の実態と、前世紀のアメリカの現場と、そう大きな違いがないように思えてしょうがない。
 アプトン・シンクレアの告発に真っ当に対応してルーズベルトなのだが、業界は黙ってはいなかった。

 ビーフ・トラストの強大な実力者たちはこれに対抗して、ルーズベルトとアプトン・シンクレアを中傷し、彼らの告発を否定すると同時に、広報キャンペーンを繰り広げて、何も悪いことはしていないと国民に訴えた。「肉などの食品は一般的に、台と大規模精肉工場においても、平均的な家庭のキッチン同様、注意深く、慎重に取り扱われています」とJ・オグデン・アーマーが≪サタデー・イヴニング・ポスト≫の記事で主張している。モリス社の取締役だったトマス・ウィルソンは、議会で証言した際、たまに発生する衛生上の過失は、業界上層部の方針に問題があるのではなく、食肉処理場の労働者たちが強欲で怠惰なせいだ、と発言した。「彼らもしょせん人間ですから」とウィルソンは論じた。「なかにはコントロールするのがかなりむずかしい手合いもいるんです」大荒れに荒れた立法論議を経て、議会はかろうじて「1906年食肉検査法」を可決したが、これはルーズベルトに発案と比べるとほとんど骨抜きにされた法律で、新しい規制の費用は納税者が負担することになっていた。


 こういった業界による金の力を背景にしたロビー活動も、今につながるアメリカの“伝統”と言ってよいだろう。“ビーフ・マフィア”という言葉もある。
 別途紹介するつもりだが、特定産業を守ろうとする者と、そこに金の匂いを嗅ぎつけた裏社会とをつなぐ“コンサルタント”の存在も本書で明らかになっている。

 消費期限の問題以前に、ファストフードの食材に関しては、流通経路全体に安全性に限らない数多くの問題がある。
 
 今回の件が、あらためて、「私は何を食べているのか?」「私は子どもに何を食べさせているのか?」という素朴な疑問を思い起こすきっかけになれば良いと思う。
 
 TPPなどで日本市場参入を目指すアメリカの食肉メジャーや穀物メジャーが好きな言葉は、効率、大量生産、低コスト、マニュアル、組合つぶし、など。安全、衛生、品質管理などの言葉の優先順位は低い。

 手塩にかけて安全な食材をつくっている日本の農家や畜産業者などが経済の論理、自由競争の名のもとに生きづらくなっている。体にいいものはそれ相応の値がして当然なのである。

 何を食べ、何を食べないか、これは重要な問題だ。食品添加物の問題はTPPと深く関わってくる。
 
 この本の内容は、今後も紹介したい。自分たちがいったい何を食べているのかを、あまりにも知らない人が多すぎるように思うのだ。
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by kogotokoubei | 2014-07-24 00:33 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)
チケットぴあ、e+などで落語のチケットを購入したことがあると、登録しているメールアドレスに、落語会の案内メールが届く。それも、プレオーダーやらラストチャンスやら、毎日とんでもない数のメールが来る。

 最近、目を疑った高い木戸銭の落語会の案内を目にした。

 10月に富山と福井で開催される大ホールでの落語会。ぴあのページから概要を引用する。
「チケットぴあ」サイトの該当落語会

2014/10/27(月) 
14:00 開演 ( 13:30 開場 )
会場:オーバード・ホール (富山県).

豪華 江戸落語5人男
[出演]桂歌丸 / 林家木久扇 / 桂米助 / 三遊亭好楽 / 三遊亭円楽

一等席 6,800円  二等席 5,800円

未就学児童は入場不可。
.公演などに関するお問い合わせ先
サウンドソニック:076-291-7800 らくご屋:0120-52-1515 .

2014/10/28(火)
14:00 開演 ( 13:30 開場 )
会場:フェニックス・プラザ 大ホール (福井県).
豪華 江戸落語5人男
[出演]桂歌丸 / 林家木久扇 / 桂米助 / 三遊亭好楽 / 三遊亭円楽

一等席 6,800円  二等席 5,800円

未就学児童は入場不可。
.公演などに関するお問い合わせ先
サウンドソニック:076-291-7800 らくご屋:0120-52-1515 .


 五人ともテレビで顔を売った噺家さん。個々の噺家さんについてコメントは控える。

 しかし、この木戸銭の設定はどんな理由があるのだろう。会場の費用が高いせいなのか、出演者のギャラが高いのか、何か特別の趣向があるのか、豪華なお土産が付いているのか、その理由はよく知らないが、6,800円、5,800円という金額だけを見ると、私の感覚からすると落語会の木戸銭ではない。

 富山や福井は、関東圏や関西圏に比べて、そう数多くの落語会が開催されることはないから、落語愛好家の方は、たまの落語会を楽しみにしていることだろう。

 しかし、この木戸銭である。

 そうそう、福井では先日紹介した毎週土曜開催の「きたまえ亭」がある。
2014年7月3日のブログ
 前売り1,500円、当日でも2,000円の木戸銭で、上方の噺家さんや色物で番組が組まれている。
 「ちりとてちん」の放送後、福井では落語熱がしぶとく続いているらしい。
 
 私なら、福井の方には大ホールでの法外な木戸銭の落語会より、きたまえ亭を間違いなくお奨めする。

 どんなお土産があろうと、大喜利などの演芸があろうと、落語会としてこの木戸銭の高さは腑に落ちない。
 会場費用が高いのなら、もっと小さい会場で出演者を少なくして木戸銭を抑えて行えばいいのではないか。

 とにかく、不可解な木戸銭だけ印象に残る落語会である。
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by kogotokoubei | 2014-07-22 07:09 | 幸兵衛の独り言 | Comments(6)
落語協会が発表した来春の十人同時真打昇進について書いた記事に、多くの方からコメントを頂戴した。
 あらためて真打昇進について落語愛好家の方の関心の高さを知ることになった。

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五街道雲助著『雲助、悪名一代』

 雲助の本からは何度か紹介しているが、彼自身が受けた真打昇進試験のことについて書かれた部分から引用したい。

 落語家には、前座、二ツ目、真打の三つの身分があります。前座は修業の身、二ツ目から一人前の落語家となるのですが、二ツ目と真打の違いはなにか。
 まず、真打となると「師匠」と呼ばれるようになります。そして弟子をとることができます。つまりそれなりの責任と、それに見合う芸を求められるようになるのです。
 ところが、なにをもって「真打にふさわしい」と認めるのか、その基準はあいまいなのです。


 そうなのだ。そのあいまいさが、いろいろと問題を生むのである。
 年功序列なのか、才能あるものを抜擢するのか、才能といっても、マスコミで売れることなのか、芸のよさなのか、また、それを誰が判断するのか。
 わたしの所属している落語協会では、歴代の会長がその基準を決めてきました。
 1965年から72年まで会長を務めた六代目三遊亭圓生は、自分が芸を認めたものしか真打に昇進させませんでした。
 圓生が会長であった八年間で真打に昇進したのはわずか数名。

 このわずか数名の中に、圓窓、小三治、扇橋が含まれている。

 圓生のあとを継いで会長となった五代目柳家小さんは、年功序列で年に二十名近くを真打に昇進させたため、その方針に反発した圓生が落語協会を脱会する大騒動が巻き起こりました。
 その結果、ある程度年季の経った二ツ目を対象に真打昇進試験を行い、会長はじめ理事会で協議して真打昇進の可否を決めることになりました。
 それを聞いた二ツ目は、みな大ブーイングです。試験が嫌いだから落語家になったのに、なんで受けなきゃいけないのかと、わたしももちろん嫌でした。

 あの昭和53年の大騒動は有名だが、その後の真打昇進試験のことは、意外に知られていないのではなかろうか。

 嫌でしたが、「第一回真打昇進試験を受けるように」という通達、通称・赤髪がやってきてしまったのです。
 なかには、赤紙が来てもボイコットする者もありました。ですが、わたしの師匠馬生がこのとき落語協会副会長でしたので、その弟子であるわたしは受けないわけにはいきませんでした。


ボイコットした一人が、故古今亭志ん五である。

 とにかく1980年11月19日、世間は山口百恵と三浦友和の結婚式に沸くなか、わたしは第一回真打昇進試験を受けました。
 試験場は池袋演芸場。
 持ち時間はひとり二十分で、わたしは『幇間腹』という演目をやりました。客席には会長小さん、副会長馬生をはじめ、理事がずらっと並んでいる。
 舞台へあがっても拍手もなければ笑いもしない、最悪の「お客様」でしたね。
 こんな試験で落されても嫌だな、どうなったかな、と思いながら馬生のお宅へ伺ったら、池波志乃に
 「お父ちゃんが、雲さんよかったって言ってたわよ」
 と言われて、はじめてほっとしました。
 落語に関しては、「なんでもいいんだよ」という師匠でしたから、わたしの落語についてなにか言ったというのを聞いたのは、あとにも先にもこの一度きりです。
 結果、わたしは合格して真打に昇進しました。

 この第一回真打昇進試験の合格者で昭和56年3月に昇進した噺家さんは雲助以外に、さん喬、今松など。

 しかし、この試験もそう長続きはしなかった。
 まず、ご存知のように、昭和58年、立川談志が自分の弟子二人が試験に合格しなかったことから落語協会を脱退する。
 
 そして昭和62年の試験で、とんでもない結果が出た。林家こぶ平(9代目林家正蔵)が合格した一方で、NHKなど多数の受賞歴があり、周囲からもその芸を高く評価されていた古今亭志ん八(後の古今亭右朝)が不合格となったのだ。これには寄席の席亭たちも承服せずに落語協会に強く抗議した。協会は急遽追試を行い、志ん八を合格させたが、これにより真打試験の存在意義が疑問となり試験制度が廃止された。落語協会の新副会長は、真打昇進試験について、複雑な思いがあるはずだ。
 なお、古今亭右朝についてご興味のある方は、以前の記事をご覧のほどを。
2009年4月29日のブログ

 私が、公開の場での真打昇進試験を奨めるのは、このような密室での試験の問題があったからでもある。

 歌舞伎などの伝統芸能、そして相撲などの世界は、閉鎖性、密室性が高く社会から隔絶された世界だからこそ、伝統を継承できてきた側面もある。それは決して悪いことばかりではなく、そうである必然性も歴史もある。

 歌舞伎には家柄という関門がある。相撲には、その体格などにおける基準がある。どちらも、その世界に誰でも入ることができるわけではない。
 さて、落語はどうか。入門希望者を師匠が断わることもあるから師匠の考える基準はあるかもしれない。
 しかし、あの世界に入るための関門は概して高くはない。まさに玉石混交の落語家志願者がいるわけだ。

 年功(年々)序列では、落語という芸能の水準を維持するためにならないばかりではなく、芸も心構えも中途半端な昇進が、本人の人生にとっても良いはずはない。
 何らかの試験という関門によって、落語界全体の水準を保つとともに、適性に欠ける者には、人生における別な選択肢を考える機会を与えるべきだろう。

 それを、どんな時期に、どのような内容や基準で行うかは、決して易しい課題ではないが、何らかのかたちでの通過儀礼は必要だと思う。
 なぜなら、あの密室での第一回試験でさえ、実施した意味はあったではないか。

 それは、何か。
 雲助が、間接的とはいえ、一生で一度師匠馬生からの褒め言葉を聞けたことである。
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by kogotokoubei | 2014-07-21 07:04 | 真打 | Comments(4)
落語協会のサイトで、来年の真打昇進者について発表があった。
落語協会サイトの該当ページ

平成27年春 新真打昇進決定
2015年 春 (三月下席より)

三遊亭司(歌司門下)、柳家喬之進(さん喬門下)、三升家う勝(小勝門下)、柳家麟太郎(小里ん門下)、
入船亭遊一(扇遊門下)、金原亭馬治(馬生門下)、金原亭馬吉(馬生門下)、柳家さん弥(さん喬門下)、
柳家右太楼(権太楼門下)、三遊亭ぬう生(圓丈門下)

以上、10名が真打に昇進することが決定しました。


 見事に香盤通り。

 真打昇進披露興行が各寄席で十日間なので、昇進させる人数は、一人だけ抜擢する以外では、二人、五人、そして十人であると主任を均等に割り振ることができる。
 なぜ、来年二人でも五人でもなく、十人同時になったのか。
 まず、二人ではなかった理由。察するにある二人だけを選ぶというほど際立った人が、この十人以外も含めていなかった、ということだろう。私もそう思う。

 では、なぜ五人ではなく十人か。

 協会のサイトにある芸人紹介の内容からそれぞれの入門と二ツ目昇進時期を並べてみる。
落語協会サイトの芸人紹介のページ
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三遊亭司:平成10(1998)年5月三木助に入門→平成13年3月より歌司門下、平成15(2003)年5月二ツ目。
柳家喬之進:平成12(2000)年1月入門、平成15(2003)年10月二ツ目。
三升家う勝:平成12(2000)年1月入門、平成15(2003)年10月二ツ目。
柳家麟太郎:平成11(1999)年4月入門→平成12年4月より前座、平成15(2003)年10月二ツ目。
入船亭遊一:平成11(1999)年12月入門→平成12年6月より前座、平成15(2003)年11月二ツ目。
金原亭馬治:平成12(2000)年4月入門→7月より前座、平成15(2003)年11月二ツ目。
金原亭馬吉:平成12(2000)年4月入門→7月より前座、平成15(2003)年11月二ツ目。
柳家 さん弥:平成12(2000)年7月入門→平成12年11月より前座、平成16(2004)年7月二ツ目。
柳家 右太楼 :平成12(2000)年11月入門→平成16(2004)年7月二ツ目。
三遊亭 ぬう生:平成13(2001)年2月入門→平成16(2004)年11月二ツ目。
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  ご覧のように、五人目遊一、六人目の馬治、七人目馬吉の三人が同じ平成15年11月の二ツ目昇進で、香盤順に五人づつに分けにくかったのが、十人同時の理由なのだろう。
 入門から来春の昇進まではほぼ15~16年、二ツ目からなら11~12年が目安。

 ちなみに、ぬう生に続く噺家さんは次の通り。

林家彦丸:平成13(2001)年入門→平成16(2004)年二ツ目。
月の家鏡太:平成13(2001)年6月入門→平成16(2004)年11月二ツ目。
林家たけ平:平成13年入門→平成14(2002)年6月より前座、平成17(2005)年5月二ツ目。

 彦丸は入門も二ツ目昇進時期も月の記載がないが、たぶん二ツ目昇進はぬう生、鏡太と同じ平成16年の11月なのだろう。ぬう生と彦丸、鏡太の間には入門時期、あるいは前座としての楽屋入り時期の違いで香盤の差があるはずだが、真打昇進において三人の間に境界が設けられた理由は、単に十人、という切れ目というだけのことかもしれない。
「は~い、先着十人までです・・・ここ、ぬう生さんまでね」と、彦丸の目の前で線を引かれた、ということか。


 会長が交代しても、そう大胆なことはできないだろう、とは思っていた。
 しかし、ほんのわずかながら、年功(年々)序列以外の施策を期待していた。
 前会長柳家小三治の人間国宝という朗報に比べ、この十人同時昇進のニュースには、私は素直に喜べない。
 本人達には朗報かもしれないが、会長交代、新役員体制による最初の大仕事が、これなのである。

 何度か書いてきたが、最近の定席寄席の全体的な出来栄えにおいては、必ずしも人数的に圧倒する落語協会の方が芸術協会(芸協)より上、とは言えない。数年前の末広亭席亭の芸協への小言以来、芸協は良い意味で緊張感を抱いて寄席に臨んでいるような気がする。宮治を代表として若手が元気で、伝統的に色物が充実している芸協に比べ、落語協会の寄席では、ネタをするだけの時間があるにも関わらず漫談でお茶を濁す噺家にがっかりすることも少なくない。

 そういう認識が、新会長、新役員にはあるのだろうか・・・・・・。

 もちろん、検討するための時間も必要だが、新体制だから、できることもあったはずだ。 

 私は、素人の気楽さで、こんなことを考えていた。
 真打昇進候補を三十人位に拡大し、昇進審査を兼ねた二ツ目落語会を、定席の余一会や別な会場を利用して公開番組として開催する。新役員によって分担して特別ゲストとして一席披露するとともに、楽屋あるいは会場で、その役員は二ツ目の高座をしっかり聴く。終演後はお客様の投票も実施し、後日の参考とする。全ての会が終了したら、役員が集まり審査をして昇進者を決める。そんな試みがあっても良かったのではなかろうか。その結果の十人同時昇進なら、文句はない。

 「落語協会真打昇進審査落語会」とか「市馬杯」とでもして、一回に五人で持ち時間20分、ゲストの一席と仲入りで二時間半ほどの落語会になる。組合せを変えて、できれば一人が三回参加できるようにして延べ18回。一人二回で12回の興行だ。

 在籍年数だけによる機械的な昇進ではない、という姿勢を打ち出せるし、若手にチャンスと緊張感を与えることのできる施策ではなかろうか。協会新体制の挨拶代わりにもなるし、副次的効果として中堅以上の噺家さんの気も引き締めることになれば言うことはない。もちろん、落語愛好家には楽しみが増えることになる。早朝や深夜の落語会に行くことができない人は、なかなか二ツ目さんの高座をまとめて聴く機会はないのだ。

 今のままでは、のほほんと16~17年も我慢すれば真打。しかし、それがあくまでスタートである、という心構えの薄い“師匠”を数多くつくるだけではなかろうか。

 私は、社会の縮図が落語界にもあるように思う。
 二ツ目が多いこと、大卒者が多く年齢も若くはないこと、入門希望者が多く前座修業を待つ“待機児童”(白酒が言っていた^^)も増えている、などの状況がある。後ろが詰まっているから前の扉を開けて順番に外に放り出しても、外に飛び出た人達が名目通り師匠としての基礎体力を持っていなければ、厳しい芸の社会で片隅に追いやられる人も少なくはないだろう。その年齢になって他の人生を選ぶことはなかなか容易いことではない。
 二ツ目の間に、まだ若いうちに、自分の人生について他の選択肢を検討する機会をつくることのほうが、その人にとっては有益かもしれない。
 現在の二ツ目という“踊り場”には、親掛かりの、食べるには困らない若者も少なくなかろう。その親御さんたちも、十年先には子供の面倒をみるどころではないかもしれない。少子化に伴う社会の縮図としての今の落語界を考えることも重要なのではないか。自然に去っていく若手もいるだろうが、勘違いや錯覚の結果、落語の世界に入ってしまった人にも、真打昇進という大きな過渡期に、自分を見つめ直す機会を与えるべきではなかろうか。

 そういうことも含め、来春の同時十人昇進は、決して当事者の彼らにとっても晴れがましいこととは思えないのだ。

 小三治の人間国宝認定が教えることは何か。それは、あくまで伝統ある古典落語の真髄を守って、現代風のくすぐりなどで無理に笑わせようなどとはしない噺が大事であること。そして、聴く者を高座で描かれる江戸や明治の庶民生活の舞台に笑いとともに自然に導いてくれる落語が大事だ、ということだろう。
 
 そういう噺家さんと将来も出会えるためにも、落語協会の今後の試みに注目したい。
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by kogotokoubei | 2014-07-20 00:36 | 真打 | Comments(20)
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 柳家小満んの何とも結構な独演会のトリネタで聴いた『大山詣り』だが、榎本滋民さんの『落語小劇場-下巻-』(三樹書房)の第一章に、この噺がある。

 概要解説にあたる「まくあい」から引用。

まくあい
 ほら熊による講中遭難報告から、女房連中に一斉剃髪までが山場だが、勇み手合いの活気にみちた道中、神奈川宿での騒動、翌朝の熊の驚きと怒り、大詰めの講中の敗北と、いささかもだれ場がなく変化にとむ名作。
 寄席芸人の経歴もあり、『大山道中膝栗毛』の作もある滑稽本作者瀧亭鯉丈(天保十二年没)の自作自演という説もあり、四代目円喬・四代目円蔵・三代目円馬・五代目円生・六代目円生という、三遊派のいなせな芸風の中で継承されてきた。女房連中に伝える悲報は、作りばなしと知っている聞き手までがつい引きこまれるような腕を必要とする。



 この噺は狂言の『六人僧』を原話とし滑稽本『耳嚢』などにも類話があるネタ、と解説している本が多いが、落語に仕立てたのは瀧亭鯉丈なのかもしれない。
 三遊派にこの噺を得意とする噺家さんが多かったのは事実だが、もちろん柳派が出来ない噺というわけではない。
 “人間国宝”小三治の音源を聴いたが、楽しい。冒頭に熊さんに釘を刺す場面もある。 

 榎本さんが指摘するように、場面転換も多いし、それぞれ聴かせどころがあるので、スピードがあってテンポが良い噺家さんの方が、この噺には合っていると思う。
 加えて、噺の舞台における時間と空間を聞き手にイメージさせる科白使いなども大事だ。
 たとえば志ん朝は、無事にお山が済んだ帰路、神奈川宿の場面に入る際、「神奈川宿から江戸までは七里」という一言が入るが、これだけで、「あっ、江戸までそんなに近いんだ」と分かる。こういうキーワードを忘れないことが重要ではなかろうか。

 榎本さんの本には、大山詣りに行く時期的な区分について、こう書かれている。

 六月二十六日から七月七日までを初山、八日から十三日までを間(あい)の山、十四日から十七日までを盆山。旧暦だから盛夏から初秋である。


 ちなみに、今年の旧暦七月十四日から十七日は、八月九日から十二日にあたる。

 小満んの会でいただいた、小さな可愛いプログラムには、次のようなことが書かれていた。
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 初山の始まりの日が榎本さんの本と違っているが、それは些細なこと。
 古川柳とその簡潔な解説が、実はプログラムには書かれていたのである。
 いいでしょう、こういう細かな配慮のある落語会って。

 榎本さんの本から補足する。出かける前の垢離場から。

 

両国橋東詰め(小石川関口にもあった)の垢離場で水垢離をとって精進潔斎する。
 罪障懺悔の唱えごとを一千回くり返すので千垢離というが、数を忘れないように緡(さし)を一本一本川に流す。よく流れるか渋滞するかで吉凶を占った。

 百度目のさしは目よりも高く上げ
 投げるさし十九本目に土左衛門
 屋根船の唄千垢離につぶされる
 清浄なへのこ南無帰命頂礼
 屋形を見まいおえるぞざんげざんげ
 

 涼み船の美女を見るな、へのこ(男根)がおえる(勃起する)とどなっているのだから、どんな野郎たちか想像できるだろう。
 上がると、伊達染めの浴衣か白い行衣の揃いで、納め太刀と称する七八寸から一丈あまりの木刀をかつぎ、いよいよ夜中に江戸を立つ。中には当時年二期(盆と暮れ)だった勘定の清算がつかず、借金とりを避けるために大山まいりに加わる者も多かった。

 盆前の借り太刀先で切り抜ける
 納まらぬ頭でかつぐ納め太刀 
 十四日抜き身を背負って夜道する
 所詮足りないと大山さして行き
 十四日末は野となれ山へ逃げ


 こういったことを知っていると、噺の楽しみが増える。

 榎本さんも小満んも、古典落語の背景にある江戸庶民の生活、文化、風習を古川柳などを含め知ることが、落語の楽しみをより深くするものであること、いいや、そういった落語が伝える生活を味わうことこそ本来の落語の楽しみ方であることを、よ~く知っているのだ。
 
 小三治の人間国宝ということに、落語会のチケットが取りにくくなるだろうというマイナス面もあるが、プラスももちろんあるだろう。
 それは、本来の落語の楽しさが奇をてらった現代風のくすぐりなどではなく、自然体でその噺の舞台である江戸や明治の庶民生活を描くことで、高座と客席が一体化した得がたい一期一会を共有することにある、というメッセージだと思いたい。
 そして、そういう大事な思いは、榎本さんの本からも強く伝わるものであり、小満ん、雲助などにも共有されているように思う。

 『大山詣り』という噺は、江戸時代の山岳信仰、それと表裏一体となった男の遊び、長屋の暮らしぶり、江戸っ子の心理、などなどが伝わる好きなネタの一つである。もちろん、旬を感じる噺でもある。ネタの表面的な演出や所作などだけではなく、そういったことを楽しめるからこその“古典”なのだと思う。

 榎本さんの本、サゲの部分を引用して、この記事もサゲとしたい。

 かみさん連中がくりくり坊主になるだけですんだのは、ほんとうにおけがなくっておめでたいことだった。熊公の報復は卑劣といえば卑劣だが、それを挑発した側にも集団暴力がないとはいえない。愚行の笑いの中で集団と個の問題を考えさせるような落語である。
 狂言の『六人僧』を原典とした上方落語『百人坊主』の移植だという説もあるが、背景と人物の適合性やはなしの運びの緻密さから見て、江戸系の創作と称して差す支えはないだろう。

 
 あら、最後に『六人僧』のことも書いてあるじゃないの。
 だから、本は落ち着いて読んでから引用しなけりゃならないのだよ。でも、修正はしない^^
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by kogotokoubei | 2014-07-19 05:54 | 落語のネタ | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛