噺の話

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サッカーW杯は、決勝リーグに入って、メディアが少し落ち着いてきた。それにしても、開会前や一次リーグ戦の間は、あまりの過熱ぶりに閉口した。

 ちょっと自慢だが、日本とギリシャ戦の前日に会社の同僚から、「どう予想しますか?」と聞かれて、「引き分けかな」と答えていた。結構冷静に分析したつもりだ。ただし1対1と予想したのだが・・・・・・。

 こんなこと書くと「非国民」と言われかねないが、勝って欲しいと思う気持ちと、戦力を分析して勝敗を予想することは、別だと思う。

 そりゃあ日本には勝って欲しい。しかし、先日も書いたが、2011年のなでしこジャパンの時のような高揚感は私にはなかった。

 それにしても、NHKが全試合を放送するのはなぜか・・・・・・。
 やはり、そこには経済の論理が大きく働いている。

 たしかにサッカーW杯は世界レベルのイベントには違いない。予選参加国は203カ国。FIFAは2006年に世界のサッカー競技人口が2億7000万人と発表している。世界でもっとも競技人口の多い球技、かと言うとバスケットボールは4億5000万人と言われている。ちなみに野球は1000万人ほどらしい。だからサッカー競技者が多いことは間違いなく、空き地があってボール一つさえあれば出来るスポーツは、貧しい国や地域においてサクセスストーリーを生む、夢のあるスポーツでもあるだろう。

 しかし、日本においては、サッカーがそんなに飛び抜けて競技人口が多いスポーツではない。
 調べていたら、総務相が実施している「社会生活基本調査」なるものの存在がわかった。

 総務省のサイトから資料がダウンロードできる。
総務省サイトの該当ページ

 調査についてはこう書かれている。
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 少し読みにくいので補足すると、昭和51年から5年毎に実施していて、前回は平成23年10月に約8万7千世帯、10歳以上の約20万人に実施した、とのこと。

 その中のスポーツの調査。これが「行動者率」の順位。
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 質問は、該当スポーツについて、次のような区分で設問があり、この回答結果を統計処理して「行動者率」に換算するらしい。

"年に1~4日"
"年に5~9日"
"年に10~19日(月に1日)"
"年に20~39日(月に2~3日)"
"年に40~99日(週に1日)"
"年に100~199日(週に2~3日) "
"年に200日以上 (週に4日以上) "

 この調査結果を見る限り、サッカーは際立って日本人の多くが実際に行なっているスポーツとは言えないのではないか。同じ調査を南米で実施したら、トップ5には間違いなく入るだろう。
 総務省のサイトからはエクセルの「統計表」をダウンロードできる。
総務相サイトの該当ページ

 この統計表によると、各スポーツの競技者数は次の数字になるらしい。
----------------------------------------------------
<スポーツ名>        <競技者数>(千人)
野球(キャッチボールを含む)     8,122
ソフトボール              3,538
バレーボール             4,558
バスケットボール           3,950
サッカー(フットサルを含む)     6,375
卓球                  5,121
テニス                 4,750
バドミントン              5,426
ゴルフ(練習場を含む)        9,240
柔道                   603
剣道                   779
ゲートボール              788
ボウリング              14,621
つり                   9,281
水泳                  12,030
スキー・スノーボード         6,043
登山・ハイキング          10,457
サイクリング             10,110
ジョギング・マラソン         10,956
ウォーキング・軽い体操       40,172
器具を使ったトレーニング     11,243
その他                 6,696
----------------------------------------------------
 
 行動者率、競技者数を見ても、球技の中でサッカーは、バドミントン、卓球、テニス、バレーボールなどと同じような競技人口群のスポーツと言ってよいのではないかと思う。
 
 あらためて、サッカーと同じような競技人口のいる日本のスポーツとサッカーを比較した場合、やはりサッカーが人口比よりは多くマスコミが取上げているのは間違いない。

 プロスポーツだから、と言うことはできる。野球、相撲も然り。
 相撲は世界一決定戦はないなぁ。野球のWBC、全試合をNHKは放送しない。
 
 「四年に一度の世界一決定戦だ!」と言うなら、つい最近、二年に一度の世界一決定戦で、史上初めて世界一になったスポーツがあるのをご存知だろうか。

 先月インドで開催されたバドミントンのユーバー杯、トマス杯のことだ。

 バドミントンにおいてこのユーバー杯、トマス杯はワールドカップに相当する団体世界一決定戦である。

 この大会における女子のユーバー杯準優勝も立派だが、男子は初の優勝。それも準優勝で中国、決勝でマレーシアを破っての堂々の世界一なのだ。

  日本バドミントン協会のサイトでトマス杯の結果などを御確認のほどを。日本バドミントン協会のサイト
 なお、ユーバー杯とトマス杯の決勝のダイジェスト版を「Jスポーツ」のサイトで見ることができる。
「Jスポーツ」サイトのバドミントンのページ
 
 この快挙に関する日本のメディアの冷淡な扱いについて、東スポの記事が残っているので、ご紹介。(太字は管理人)
東スポの該当記事

バドミントン男子世界一にも騒がぬ日本に中国驚く
2014年05月27日 16時00分

 バドミントンの国・地域別対抗戦、男子トマス杯(インド)で初の世界一に輝いた男子日本代表が26日、凱旋帰国した。1949年から続く伝統の大会。強豪の中国、マレーシアを下しての優勝に、元バドミントン選手の潮田玲子(30)は自身のブログで「サッカーW杯で(日本が)ブラジルやスペインに勝って優勝するようなもの」と快挙をたたえた

 主将を務めたダブルスの早川賢一(28=日本ユニシス)は「信じられない。本当に優勝できて良かった」笑顔。空港に多くのメディアが待ち構えていたことにも「すごく驚いた。バドミントンはメジャースポーツではないので、そういう場面が出てきたのがうれしい」と感慨深げだ。

 準決勝で6連覇中の中国を破った際は「海外メディアがすごかった」(シングルスの桃田賢斗=19、NTT東日本)と取材が殺到したように、今回の偉業は特に競技人気が高いアジア諸国などで、大々的に伝えられている。
 また、日本バドミントン協会の関係者によると「中国では日本に負けたことで大ニュースになっているのに、逆に勝った日本であまり騒がれていないことに中国人が驚いています」。


 “空港に多くのメディアが待ち構えていた”、と主将の早川は言っているが、それは普段に比べてのことで、それも世界一になってからのこと。実際の大会開催中は地上波もBSも放送していない。CSでの準決勝、決勝の様子は、すべては見ることが出来なかったが、手に汗を握るものだった。
(何度か書いているが、私の家は、近隣に住宅公団の高層マンションが建設される際、工事費が無料だったのでケーブルテレビに加入している)
 
 さて、今回のW杯のメディアの過熱ぶりは、FIFAに多額の放映権料を支払うことが背景にある。

 フットボールチャンネルのサイトに、今大会の放映権料金や、高騰してきた経緯についての記事があったので引用。
フットボールチャンネルの該当ページ

跳ね上がる金額、使途不明金、スカパーの撤退。W杯放映権料ビジネスの闇に迫る

 W杯の放映権料は高騰し続けている。このままいけば、日本でW杯が見られなくなると懸念する声もある。放映権料ビジネスの裏側には一体何があるのか?

2014年03月21日
text by 藤江直人

跳ね上がる放映権料

 形の上では前回の南アフリカ大会までと同じになった。昨年12月中旬に都内で行われた、W杯ブラジル大会の地上波放送局を決める抽選会。日本代表が登場するグループリーグはくじ引きの末、NHKがコートジボワールとの初戦、日本テレビがギリシャとの第2戦、テレビ朝日がコロンビアとの第3戦を中継する権利を獲得した。

 NHKが日本の初戦を中継することが慣例となっている中、2002年の日韓共催大会から4大会連続で日本戦の中継権を引き当てたテレビ朝日の関係者は特に喜びもひとしおだったはずだ。しかし、舞台裏ではこれまでにない危機感が漂っていた。

 日韓共催大会以降、日本国内へ向けたW杯中継はNHKと民放連加盟各社で組織されるジャパンコンソーシアム(JC)が、2006年ドイツ大会からは衛星放送のスカパーJSATも加って放映権料を分担してきた。

 しかし、ブラジル大会で提示された放映権料は実に400億円。南アフリカ大会の250億円から一気に60%も高騰したことで、スカパーJSATと窓口である広告代理店の電通との交渉が合意に至らなかった。

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 南アフリカ大会では、スカパーJSATが100億円を負担したとされる。ゆえに今回はJCだけでは放映権料を賄えないのでは、という憶測も流れたほどだ。

 最終的にはNHK衛星も含めて全64試合が中継されることとなり、ファンも胸をなでおろしたはずだが、日本が初出場を果たした1998年のフランス大会で、中継したNHKが支払った放映権料は6億円だった。なぜこうも跳ね上がってしまったのか。

きっかけは94年アメリカ大会

 フランス大会までは各国の国営放送局がW杯を中継するのが慣例で、放映権自体も各大陸の放送連合体が一括して購入。大陸ごとのサッカーの普及度を基準にして、負担金額が決められてきた。

 当時のアジアのサッカー普及度はいま現在ほど高くなく、加盟していたアジア太平洋放送連合に対してNHKが支払う金額も安価で済んだ。

 しかし、サッカー不毛の地とされたアメリカで開催された1994年大会の大成功を受けて、サッカーが「金のなる木」であることが再認識されたのだろう。W杯の放映権はスポリスとキルヒ・メディアという民間企業に買い取られ、2002年大会から各国放送局による競売形式に変更。

 イギリスで産声を上げた有料放送の急速な台頭もあり、放映権料は常軌を逸した数字を刻んでいく。2002年大会において、JCには65億円が提示されている。

 窓口となった2社のうち、前者はアディダスの総帥として、サッカーをはじめとするスポーツ界に多大なる影響を与えた故ホルスト・ダスラー氏の持ち株会社。そして、生前のダスラー氏と電通が1982年に共同で設立したISLは、瞬く間にサッカーをはじめとする世界中のスポーツマーケティングを牛耳る総本山へ成長を遂げている。

 
 日本が“ドーハの悲劇”で本選に参加できなかったアメリカ大会の成功が、サッカーW杯を、ビッグビジネスに変貌させたのだ。
 FIFAとビジネスパートナーはいったいどれほど、儲けることになるのだろうか。

明らかにされない販売手数料の詳細

 1978年のアルゼンチン大会からW杯の公式パートナーを務めるコカ・コーラカンパニーと、国際サッカー連盟(FIFA)を引き合わせたのがダスラー氏だった。そして、電通は翌1979年に日本で開催された第2回ワールドユース選手権の大成功に舞台裏で尽力し、現在のU-20W杯に至る道筋をつけている。

 こうした事例からもFIFAと電通、FIFAとの公式パートナー契約を2030年まで延長したばかりのアディダスの絆がいかに深いかがわかる。ISLは2001年、キルヒ・メディアは翌2002年に経営破綻を起こして倒産したが、電通はISLから日本向けのW杯放映権を購入。2007年には、W杯を含むFIFA主催試合のアジア向け放映権も7年契約で購入し、現在に至っている。

 南アフリカ大会でJCが支払った250億円は、電通経由でFIFAに収められた。その過程で発生した「W杯放映権販売手数料」の詳細はいっさい明らかにされていない。日本を含めた全世界では2700億円もの放映権料が発生し、FIFAは2000億円を得たとされる。差額はどこに消えたのか。

 開催国に支払われる約100億円の大会運営分担金、総額で430億円に達した賞金などを差し引いてもまだ残る大金の使途や、ブラジル大会で賞金総額が586億円に、JCへの提示金額が400億円に跳ね上がった理由も然り。FIFAとその周辺企業は、完全なる伏魔殿と化している。



 日本の支払った400億円の支払いがどのように分担されたのか。日刊ゲンダイから引用。
日刊ゲンダイの該当記事

最終的に全国民の負担…「400億円」W杯放映権料に大疑問
2014年6月26日

 日本が支払うW杯の放映権料は400億円とされる。全世界の放映権料が推定2000億円だから、ナント5分の1を日本だけで支払っている計算だ。

 400億円のうち、7割の280億円をNHKが負担。残り3割を民放各局が分担するという。NHKは受信料で成り立っているし、民放もスポンサーの広告料が商品価格に跳ね返ってくるので、最終的に国民の負担である。

 それでも、視聴者がどうしても試合を見たいというのならわかる。

 ところが、視聴率は20日のギリシャ戦は33・6%。早朝ということもあり、4年前の前回より低調だ。

 これが日本以外の試合になると目も当てられなくなる。24日の「クロアチア×メキシコ」(フジテレビ)1・7%、23日の「韓国×アルジェリア」(NHK総合)1・4%、22日の「ドイツ×ガーナ」(NHK総合)2・7%といった具合なのだ。



 フランス大会までの負担額は、“放映権自体も各大陸の放送連合体が一括して購入。大陸ごとのサッカーの普及度を基準にして、負担金額が決められてきた”というのは、普及度を基準とすることで、理解できる。

 放映権料の総額を、とりあえず日刊ゲンダイ記事の2000億円とした場合、その5分の1に相当する400億円を日本が負担することに妥当性はあるのか。
 全世界で2億7000万人のサッカー競技人口を分母にするなら、日本の637万5000人は、2.5%。
 2000億の2.5%は50億円。せいぜいそれ位が妥当な気がするではないか。
 別に全試合見れなくても、私はいっこうに構わない。

 そして、その400億円のうち280億円を、“公共放送”を語るNHKが支払うことに問題はないのか。

 NHKの経営委員会って、こういう無駄遣いこそ議論すべききだと思うのだが、あの顔ぶれでは無理だろうなぁ。

 NHKは、サッカーW杯に大金を支払うことを決めた以上、権利のあるコンテンツを放送しないわけにはいかない。サッカーファンは嬉しいだろう。私も興味のある試合は見ている。しかし、決勝以外は放送されなくても結構だ。

 NHKの280億円の投資は、幅広い視聴者のことを熟慮して決めたことなのだろうか。

 29日の日曜夜、BSプレミアム「古典芸能への招待」では、国立文楽劇場での竹本住大夫最後の舞台「菅原伝授手習鑑」が放送され、私は初めてまとまった時間文楽を観て感動した。
 
 NHKには他にも伝統芸能などで放送に値する素材が宝の山のように存在するはずだ。東京落語会の古今亭志ん朝の高座や、山田五十鈴主演の舞台「たぬき」(榎本滋民作)などもあるし、歌舞伎や文楽などの名作など、私がBSで放送して欲しいものはたくさんある。

 サッカーW杯のために280億円の大金を費やした事実。また、そのために観たい番組の放送機会が失われたかもしれないということを考えると、NHKの視聴者の多くが、受信料不払い運動を行なっても何ら不思議はないと思う。

 ネットのニュースによると、サッカー男子日本代表の次期監督の推定年俸が2億円を超えるらしい。
 
 放映権料にしても監督の報酬にしても、サッカーだけに、日本は“足元”を見られていると言えそうだ。
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by kogotokoubei | 2014-06-30 00:00 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
今日は、恒例のテニスがクラブの都合で休み。昨夜の居残り会の余韻(?)にひたってゆっくり起き、I女史が現地で歓声を上げているはずのヤンキースとレッドソックス戦を見た後、連れ合いと一緒に二駅隣り町の鮨屋で辛口菊水を楽しみながら昼を食べるなど、いつにない日曜日を過ごした。

 昨日は久し振りの三田だった。ほぼ一年前のさん喬と新治、あの『大丸屋騒動』の会以来。

 本音のところは、8月23日に行われる第33回、夜の部の新治・喬太郎の会のチケットの前売り券を獲得することも目的の一つ。ちなみに8月の会、昼の部は権太楼・扇遊、どちらも悪くない。
 この日の昼と夜ともにチケット完売とサイトにあったので、前売り券争奪戦は激しいだろうとは思っていた。ちなみに今回のチケットは前回に来られたI女史に買っていただいたのだ。

 その前売り券のための整理券が12時から配布されるので、少し並ぶのも覚悟で田町の駅から雨の中を歩き、11時50分頃に会場に着いた。なんと、前売り券のために多くの方が来られたので、整理券配布を早めたとのこと。一階で配布していたのだが並ぶお客さんが4階までいたらしい。整理券は受け取れたがすでに70番台。後で聞いたが、8時台から来られた方がいたようだ・・・・・・。
 
 開演は一時半なので、田町駅前に戻り昼食をとった。コンビニでお茶を買っていると店員さんに仏教伝道センターの場所を聞いている女性。「私も行きます」と先導役を買って出たのは良かったのだが、途中で迷って少し回り道をして、ようやく地下通路で都営三田線の出口へ向かっていたら、なんと向うからは我らがリーダーのSさん。迷っていたらしい^^
 一緒に会場へ。たくさん歩かせてしまった女性には申し訳なかったな。ごめんなさい。

 さて、Sさんはまだ整理券をもらっていなかったらしく手に出来たのは90番台。果たして8月の新治は大丈夫か、と若干不安の残る番号。

 落語会は次のような構成だった。『死神』と『つるつる』がネタ出しされていた。
--------------------------------
(開口一番 柳家さん坊『道灌』)
桃月庵白酒 『転宅』
春風亭一朝 『死神』
(仲入り)
春風亭一朝 『一分茶番』(『権助芝居』)
桃月庵白酒 『つるつる』
--------------------------------
 
柳家さん坊『道灌』 (14分 *13:31~)
 この会の開口一番はこの人が多い。少し“慣れ”が悪い影響を与えているような印象を持ちながら、半分うつらうつらと聴いていた。要するに“上手くなった”と勘違いしているような、そんな感じ。案の定、サゲ前で八五郎が提灯を借りにきた男との科白でもたついて言い直し。次の白酒にいじられていた。提灯を借りにきた男の「すまねえが」の“ね”をはっきり発音していないのも気になった。精進してもらいましょう。

桃月庵白酒『転宅』 (26分) 
 月曜にヨーロッパから帰ってきたとのこと。チューリッヒ、プラハ、ベルギー(町の名は聞きそびれた)、アムステルダム、コペンハーゲンと落語ツアーだったようだ。向うの水(硬水)が合わなかったらしい。アムステルダムでは電車の中で新聞を持っている人は、ほぼスリ、とのこと^^
 この噺は白酒の体に染み付いている、そんな感じの高座。それにしてもお妾さんの家に入り込んだ泥棒が残った料理を、食べること食べること。この泥棒を少し間の抜けた個性にさせる食べる仕草が絶品。また、ところどころに挟まれる科白、 たとえば「泥棒はしてますけどね 人助けが大好きなんすよ」なども笑わせる。
 お妾さんのお菊さんからお酌をされて飲む時の、なんともうれしい姿や、「菊と呼び捨てにしておくれよ」と言われた後に、もう一杯飲む間が良い。
 翌日、時間をつなぐために町内を一回りする時の妄想場面も可笑しい。お菊と一緒になって生まれた娘が嫁ぐまでを語るのだが、これだけの仕方ばなしを挟む人は他にいないだろう。 『転宅』なら白酒、と言われる日も近そうだ。

春風亭一朝『死神』 (35分)
 マクラで一昨年の権太楼と白酒の会で権太楼のご機嫌が悪かったことを蒸し返した。落語愛好家の方のブログで拝見していたが、事前に顔ぶれが決まっていたのに、権太楼が「なぜ、白酒と」と、言っていたらしい。
 一朝、「私は誰とでもやります。カメレオンのように」と言っていたが、こういう話は一朝らしくのない。開口一番のしくじりをいじった白酒にマクラが影響したものか分からないが、あまり良い切り出しとは思えなかった。
 そういう何かが影響したのだろうか、高座は途中で言い直しが何度かあり、この人にしては残念な内容。ネタとの相性もそれほどニンとは言いにくい。死神が枕元にいたのに奇策を弄して助けてしまった近江屋善兵衛の名前も、最後は言おうとして忘れたような気がした。死神が「二階級格下げでヒラの死神」とか、彦六の声色なども登場して、笑いの多い高座に仕上げていたが、このネタはもう少し違った扱いが必要だろう。挑戦する姿勢は買うが、噺家さんとネタの相性というものは、やはりあるものだ。
 しかし、受付でもらった過去の演目一覧を見ると、同じ噺をかけないなら非常にネタ選びが難しいのは事実。すでに次のようなネタをこの会で披露済みなのである。

 ・2009年 8月22日 『天災』『淀五郎』
 ・2009年12月5日  『七段目』『妾馬』
 ・2010年4月24日  『片棒』『薮入り』
 ・2010年8月28日  『芝居の喧嘩』『唐茄子屋政談』
 ・20010年12月18日『蛙茶番』『火事息子』
 ・2011年2月26日  『大工調べ』『岸柳島』
 ・2011年6月25日  『たがや』『宿屋の仇討』
 ・2011年10月26日 『小言幸兵衛』『紙屑や』
 ・2012年2月25日  『小金餅』『子別れ』
 ・2012年10月27日 『三方一両損』『芝浜』
 ・2013年2月23日  『居残り佐平次』『四段目』
 ・2013年8月24日  『佃祭』『目黒の秋刀魚』
 ・2014年2月22日  『中村仲蔵』『壷算』

  これだけすでに披露していると、ネタ選びがつらいわなぁ。
  残ったネタの中で二席目で私が期待していたのは『祇園会』だったのだが、残念ながら別な噺だった。
  またこの記録を見て意外に思ったのは、この会に私の予想以上に一朝が出演している、ということ。ビクター落語会からの継承ではあるが、こういう噺家さんを聴こうという主催者さんの心意気には、拍手である。

春風亭一朝『一分茶番』(『権助芝居』) (35分)
 二ツ目時代に歌舞伎座で囃子方で笛を吹いていた時の逸話から。どの席も一杯の時、照明のある場所に半畳ほど座れる場所があり、そこで見ていたら、肩を叩かれ誰かと思えばあの役者さんだった、という逸話にはびっくり。浅草の並木蕎麦で、守田勘彌と先代の猫八が何を競ったかは・・・伏せておこう^^
 一席目から打って変わった得意の芝居噺は、非常に楽しい高座だった。素人芝居の役者が一人少ないので、飯炊きの権助に白羽の矢。番頭が権助を呼び出して、「芝居をしたことがあるか?」と尋ねてからの二人のやりとりから、聞くものを引き込む。村芝居で『七段目』のお軽役を務め、二階から飛び降りた時に客席から何物かが見えてしまい野次られると「今年のお軽は、オスだんべ」と語った、などの自慢(?)話を聞いた後の番頭の科白、「それ位できりゃいいや」の一言が可笑しく会場が沸く。権助が役が(有職鎌倉山の)泥棒の権平だと告げられて、出演をグズル場面も楽しい。さぁ、芝居が始まると権平の独壇場である。こういう噺は一朝の手の内、悪かろうはずがない。しかし、一席目の重さが少し残っていた印象もないではなかった。とはいえ、このネタの名手としては、三遊亭兼好と一朝、優劣がつけ難い。

桃月庵白酒『つるつる』 (30分 *~16:10)
 落語協会の総会や寄合のことをマクラにしていたが、何ともこの人にしてはおとなしく「新市馬体制をよろしくお願いします」とのこと。夏の寄合は浅草か成田で、成田にバスで行く時はバスガイドをいじめるのが楽しみ、と笑わせる。
 昔の井戸替えのことから、どんな商売も易しいものはないと、約9分ほどのマクラから本編へ。前半の幇間一八とお梅ちゃんとのやりとりは省いて吉原の茶屋の場面から。私は文楽しか知らず、「えっ?」と思ったが、今日志ん生版をネットで聴いたら、なるほど志ん生の型だ。きっと雲助もこうなのだろう。
 白酒の幇間もなかなか結構。茶屋での一八のよいしょぶりが楽しい。茶屋の女将さん、主人、男の子、女中のお花さん、料理人の金さん、挙句は猫のミケにまで。そして旦那役が見た目も含めてサマになっている。文楽版は旦那に朝まで付き合わされるが、古今亭は約束の時間前に戻っているもののつい寝入ってしまって朝、という設定。
 白酒の過去の演目の中に幇間噺がないのが意外だったが、今の彼なら十分に味のある一八を演じることができそうだ。この噺、志ん生が茶屋からお梅の待つ家まで帰る道すがらの鼻歌が自然と出るまで磨いて欲しい。きっと雲助は結構な喉を聞かせながら向かって行くのだろう。白酒が音曲噺、芝居噺までこなすようになったら、いったいどんな噺家になるのか。今後の可能性を感じさせる底を見せない噺家さんだ。


 終演後、整理券の順番が遅く仲入りでは巡ってこなかった8月の前売り券を購入。私はI女史の分も含めて購入、M女史は居残り会メンバーYさんの分も含めて。Sさんも私と近い列で買うことができた。めでたしめでたし。

 さぁ、待望(?)の居残り会はSさんM女史と三人。いつものようにリーダーSさんの鼻と勘を頼りに田町駅前の飲み屋街の一軒へ。なかなかノリのよい店員さんたちと宮崎の地鶏、薩摩の肴、そして落語やらなにやらの話が焼酎の旨さもあって大いに盛り上がり、あっと言う間に三時間が経過。帰宅はもちろん日付変更線を越えることはなかったが、いい気持ちでパソコンも開かずひとっ風呂あびて熟睡だった。
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by kogotokoubei | 2014-06-29 07:30 | 落語会 | Comments(2)
サッカーワールドカップの一次リーグが終了した。1億総サッカー評論家状態の中、素人の私が今回の日本代表の敗因などについて偉そうなことを言うつもりはないが、少しだけ思ったことを書きたい。

 闘う姿を見て、勝てそうな気がしなかった。
 つい先月行われたサッカー女子アジアカップや、2011年のサッカー女子ワールドカップでの“なでしこジャパン”メンバーの気迫、目つき、献身的な動きなどを思い浮かべると、今回の男子ジャパンに、そういったひたむきさや一所懸命さを感じなかったのだ。
 自分達は弱いから、ガムシャラにやるんだ、という思いが伝わらなかった。
 
 日本代表は出場国における位置づけを正確に把握していなかったように思う。
 日本はFIFAランクでは46位、32チームの出場国の中で、オーストラリア62位、韓国57位、カメルーン56位の次、下から4番目のチームなのだが、どうも気分だけは上にいるつもりだったようだ。
 
 日本と同組のFIFAランク8位のコロンビアは、アメリカ大会以来16年ぶりの出場で出場回数は日本と同じ五回目。FIFAランク12位のギリシャは、十年前のヨーロッパチャンピオンだが、まだ三度目の出場で決勝トーナメントには初進出。

 こういうことを書くと、FIFAランキングについての問題提起もあるかもしれないが、まずはこの指標を正しいとして考える。

 6月時点のFIFAランキングで日本より上位で今大会に出場できなかった国を太字、決勝トーナメントに出場する国を赤字にする。

1 スペイン
2 ドイツ
3 ブラジル
4 ポルトガル
5 アルゼンチン
6 スイス
7 ウルグアイ
 コロンビア
9 イタリア
10 イングランド
11 ベルギー
12 ギリシャ
13 アメリカ
14 チリ
15 オランダ
16 ウクライナ
17 フランス
18 クロアチア
19 ロシア
20 メキシコ
21 ボスニア・ヘルツェゴビナ
22 アルジェリア
23 デンマーク
23 コート・ジボワール
25 スロベニア
26 エクアドル
27 スコットランド
28 コスタリカ
29 ルーマニア
30 セルビア
31 パナマ
32 スウェーデン
33 ホンジュラス
34 チェコ共和国
35 トルコ
36 エジプト
37 ガーナ
38 アルメニア
39 カーボベルデ諸島
40 ベネズエラ
41 ウェールズ
42 オーストリア
43 イラン
44 ナイジェリア
45 ペルー
(46 日本)

 出場するだけでも大変であること、もちろん決勝進出はそれ以上に難しいことが、よく分かるのではなかろうか。

 日韓大会での日本と韓国の決勝トーナメント出場は地の利もあった。前回南アフリカ大会での両国の決勝トーナメント出場は、“快挙”と言えることだった。そのことを、“当り前”と考えるのは、錯覚である。

 もっともハードルが低いと言って良いアジア地区代表の日本は、自分達の位置づけを十分に認識して準備できたのだろうか。
 頭では分かっていても、心の中には、「なんとかなるさ」という根拠のない自信、言わば過信があったのではないか。
 そういう過信と錯覚を、監督も選手も、そしてマスコミも持っていたような気がする。あえて言うなら“奢り”があった。それが最大の敗因だと私は思う。 本田が「優勝」を口にしたのは自己暗示のためでもあっただろうが、マスコミは客観的な視野や批判精神を忘れ、まるで応援団のようにその言葉を鵜呑みにしたのではないか。
 
 そういった甘えの空気の中で、私も含め日本人の多くが、「勝てるんじゃないか!」と根拠のない過信、楽観に陥ってしまっていたように思う。

 しかし、その思いは本物の自信ではないので、初戦で1点取ったとたんに・・・・・・。

 「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」という孫子の兵法で言うならば、「自分達は弱いのだ」という自己認識ができていただろうか。敵の長所と弱点、自分達の強味と弱みとをしっかり分析し、その関係からどういう展開が勝ちにつながるのかを夢に見るまで考えて、体と頭に叩き込んだだろうか。どうも、私にはそう思えない。

 選手たちの敗戦の弁には、「できるはずだった」「いけると思った」というような言葉をよく聞くが、それは自信ではなく過信と奢りの言葉に聞こえてしょうがない。正直なところ「そんなに甘いもんだと思っていたの?」「そこまで錯覚していたの?」と聞きたくなる。


 しかし、本選に出場したことは、誇って欲しい。大変なのだ出るだけでも。

 出るだけではなく勝つためには、サッカーの神様を味方にしなければ無理である。
 2011年の女子サッカーワールカップで日本チームが優勝した時、次のような記事を書いた。
 題は「サッカーの神様から祝福される価値あり、なでしこジャパン!」であった。
2011年7月18日のブログ

 震災、原発以降で、もっとも明るく、そして日本人を元気にさせるニュースだ。
 今日が休日だったことも日本が勝ちそうな気にさせていたし、二度リードされても、1億2千万人の“負ける気がしないオーラ”が、極東からドイツに注がれたような、そんな気がする。PK戦の前の日本選手達の笑顔と、アメリカの選手達の緊張した表情を見比べて、私を含むテレビの前の多くの人が、「ひょっとしたら、いける!」と思ったのではなかろうか。
 サッカーの女神は、佐々木監督曰く、「ちっちゃな娘たち」に微笑んだ。

 海外、それもアメリカのメディアはどう評しているかというと、次のように讃えてくれていた。
 
Japan rewarded by the soccer gods
 アメリカのスポーツニュース専門局ESPN、Ravi Ubhaの署名記事は、なでしこジャパンの優勝をこう表現した。ESPNの該当ニュース

“rewarded“は、「かいがある」「見返りがある」とか「報酬がある」という意味だが、“その努力・功績にふさわしい報酬がある”というニュアンスなので、まさにこの大会での活躍にふさわしい賛辞と言えるだろう。
 ESPNは、佐々木監督に対して“Charismatic Japanese coach Norio Sasaki”と、カリスマ的な監督であると表しているのが、やや不思議な気もするが、アメリカではそのように見えるのだろう。インタビューでも常にニコニコしていて泰然としているからかもしれない。 彼の表情からは緊張感を読み取れない。澤というチームリーダとともに、佐々木監督の存在は、確かに大きかったと思う。また、ESPNは、日本がドイツ、スウェーデン、そしてアメリカに勝ったことを「ハットトリック」と称しているが、なるほどそうも言えるだろう。
 
 日本がもし負けていれば、スポーツ新聞の論調は、「よくやった、なでしこジャパン!」とか、「なでしこジャパン 栄えある準優勝!」「胸を張れ、なでしこジャパン!」というようなタイトルになりそうなものだが、スポーツというルールにのっとった戦いに関して、アメリカのメディアの姿勢は公正で公平な気がする。もちろん、ESPNは全世界のスポーツファンが見るメディアだから、こういう冷静客観的な記事にもなるのだろう。


 2011年、大震災で沈み込む日本国民を少しでも元気に、という熱い思いで最後まであきらめず体を投げ打って献身的に競技したなでしこジャパンに、その姿に見合う“祝福”を与えてくれたサッカーの神様。
 今回の男子ジャパンに、神様が祝福を与えるに相応しい何かがあったのだろうか。逆に、「サッカーを甘くみてはいけない」、「奢りがあってはいけない」という“罰”を与えてくれたのだろうと思えてならない。
 しかし、10人で守り切ったギリシャ、最後まで諦めなかったギリシャには、神様はうれしいプレゼントを用意していた。

 私はすべてのスポーツや芸能に神様がいると信じている。落語の神様も、もちろんいる。

 なでしこジャパンだって、奢りや甘えがあったら、来年のワールドカップでは神様が“祝福”ではなく“罰”を用意しているかもしれない。
 どんなスポーツや芸能でも神様が祝福するのは、謙虚に、ひたむきに、そして見てくれなど気にせずガムシャラになって闘う姿なのではないか。

 男子選手が登場するコマーシャルを見ると、どうしてもサッカーに“浮かれ”ていたような気がしてならない。
 なでしこジャパンが勝った2011年、あの年はAC(公共広告機構)の映像ばかりだったことを思い出す。

 経済が回復しているのは事実かもしれないが、果たして、今の日本、特に政府に、過信や奢りはないか。
 アベノミクス、新国立競技場、集団的自衛権などなどを思うに、そういった“浮かれた”国のあり方にも、サッカーの神様は日本代表を通じて、“罰”をくださったのではないだろうか。

 日本がブラジルで残した得点は2点だが、もう1点あったことを最後に付け加えたい。それは、サポーターがゴミを拾う姿への賛辞である。そのことを4年後のロシアまでサッカーの神様が憶えていてくれることを期待したい。
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by kogotokoubei | 2014-06-27 19:30 | 幸兵衛の独り言 | Comments(6)
昨日の理事会で、落語協会の新体制が次のように決まったようだ。落語協会サイトの該当ページ

当期役員 (任期:平成26年6月25日より2年間)
会長   柳亭市馬
副会長 林家正蔵
常任理事 柳家小さん・三遊亭圓丈・柳家さん喬
理事 古今亭志ん輔・入船亭扇遊・金原亭馬生・三遊亭歌る多・三遊亭吉窓
   五明楼玉の輔・林家たい平・柳家喬太郎・鏡味仙三郎

監事 柳家さん八・柳家権太楼
外部監事 友原征夫(会計士)
------------------------------------------------------
最高顧問 三遊亭圓歌・鈴々舎馬風
顧問 三遊亭金馬・柳家小三治
外部顧問 寺脇研(京都造形芸術大学 芸術学部教授)
相談役 橘家圓蔵・三遊亭圓窓・入船亭扇橋・林家こん平・桂文楽・林家木久扇



 過去二年間の顔ぶれは、こうだった。

当期役員 (任期:平成24年6月25日より2年間)
会長  柳家小三治
副会長 柳亭市馬
常任理事 柳家さん喬・林家正蔵・三遊亭吉窓
理事 桂文楽・柳家小さん・三遊亭圓丈・古今亭志ん輔・入船亭扇遊
   三遊亭歌る多・五明楼玉の輔・鏡味仙三郎

監事 柳家さん八
外部監事 友原征夫(会計士)
------------------------------------------------------
最高顧問 三遊亭圓歌・鈴々舎馬風
顧問 三遊亭金馬
外部顧問 寺脇研(京都造形芸術大学 芸術学部教授)
相談役 橘家圓蔵・三遊亭圓窓・入船亭扇橋・林家こん平・林家木久扇



 あえて会社組織のような意味合いで書くなら、次のような結果。
(新会長と小三治の顧問就任のことは除く)

■昇格 林家正蔵(常任理事→副会長)
     柳家小さん(理事→常任理事)
     三遊亭円丈(理事→常任理事)
■降格 三遊亭吉窓(常任理事→理事)
      桂文楽(理事→相談役)
■新任 金原亭馬生(理事)
     林家たい平(理事)
     柳家喬太郎(理事)
     柳家権太楼(監事)*復活!

 感想。
 
 正蔵の副会長は、悪くないと思う。もっと言うと、この人は噺家として高座で貢献するより、寄席や他の会派、マスコミなど外部と良好な関係を築くことで協会と落語界に貢献できるだろう。多くの人に好かれているようだし、私の好きな海外ミステリーへの造詣は落語より深い(?)のではないか。芸術や芸能への鑑識眼はそれほど悪くはないように思うので、彼の持ち味は政治的な活動のほうが発揮できそうな気がする。

 馬生の理事就任、金原亭一門の役員誕生が喜ばしい。志ん輔と一緒に古今亭として頑張ってもらおう。雲助や今松は政治家という柄じゃなさそうなので、彼等先輩方の意見を反映する役としても適任ではなかろうか。

 たい平と喬太郎の理事就任は、決して早すぎない。玉の輔は、協会役員が小朝との関係を保っておきたいということで理事になっていると察するが、真打昇進で二年の差とは言え、玉の輔の昇進した平成10年とたい平と喬太郎が昇進した平成12年の間の平成11年に真打昇進がなかったので、香盤も玉の輔のすぐ下。この人気者の二人が役員になることが、もっとも“新”体制を印象づける。

 個人的には、権太楼の名前がもっとも嬉しいかもしれない。かつては常任理事も務めた。体調面でも大丈夫、ということが背景にあるのだろう。この人がいることで、常任理事のさん喬にとっても大きな心の支えになると思う。
 
 名前が残っていることで感慨深いのは、扇橋。


 来年の真打昇進者の顔ぶれがどうなるかで、この新体制が何をしようとしているかが分かるだろう。しかし、そう急には変わらないかもしれないなぁ。また、来年の秋と再来年の春に五人づつ昇進か、と思っている。

 あえて期待するなら、同じ伝統芸能の仲間として、芸術協会(芸協)と鈴本の関係修復に何らかの支援ができないものか。芸協と鈴本とが喧嘩別れしてから、早や30年、もうそろそろ雪解けの時期だろう。落語協会が月に一つの席を譲るくらいの度量を見せてもらえないだろうか。
 もし、協会メンバーの出番の心配があるのなら、ここは落語協会の常設寄席をつくる思い切った企画はどうだろうか。上方落語協会と天満天神繁昌亭のようなものだ。200人位の小屋でもいいと思うので、協会として寄席を持つことで、鈴本の一席くらい譲っても問題ないと思うがいかがか。市馬新体制の最初の二年間のうちに、ぜひ検討して欲しいものだ。寄席発祥の地である下谷にでもつくってもらえれば、週末の散策がてらに寄りたいじゃないか。

 また、協会としてぜひ期待したいのが、現行の寄席の充実である。最近の寄席、必ずしも落語協会の席が芸協より上とは言い難い。芸協も若手が育ってきたし、色物の充実度は落語協会に負けていない。芸協は末広亭席亭からの苦言があってから、結構真剣に寄席に取り組んでいるように思う。ベテランの中には相変わらずの人もいるが、若手から中堅は結構頑張っている。それに比べて落語協会の寄席では、充分にネタを披露できる時間がありながら漫談でお茶を濁す噺家が中堅にもいる。7分か8分しか時間がなかろうが、必ずネタをかけるという協会の決めがあってもよいだろう。もう少し寄席での緊張感を持たせる努力が欲しい。

 さて、次は芸協がどんな新体制をとるか、だなぁ。歌丸会長のことを考えると役員人事の刷新は急務ではなかろうか。ぜひ、落語協会の新体制を良い刺激として旧弊を改めるような改革があることを期待している。まずは、桂宮治の抜擢真打昇進、これはぜひ期待したい。若手が「頑張ればいいことがある!」と思うことが重要なのだ。
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by kogotokoubei | 2014-06-26 00:25 | 落語協会 | Comments(10)
19日の雲助の独演会、お題の「大川」にちなむネタ三席のうちの一つが『汲み立て』だった。
2014年6月20日のブログ

 この噺、私は大いに楽しんだ。江戸っ子の“有象無象”のやりとりや、彼等の建具屋の半公(建半)への嫉妬による暴挙(?)、与太郎による味付け、そして小股の切れあがったいい女である常磐津のお師匠さんの艶、そういった登場人物が繰り広げる筋書も楽しいし、音曲噺でもある。何より、大川での船遊びが旬を感じさせてくれる。

 後から雲助のホームページにある「雲助蔵出し」のページを見たところ、平成3年7月11日の四谷倶楽部での会でかけていることが記録され、こんな文章があったのでご紹介したい。その日は、『唐茄子屋政談』との二席だったようだ。
五街道雲助ホームページの該当ページ

第拾壱番蔵出し

 ひとつ誓願寺店まで演ってみよう ト云フ回

  平成三年七月十一日  於・四谷倶楽部

一、汲み立て 一、唐茄子屋政談 

一、汲み立て
 下げは柳亭鯉丈の八笑人からとったもので、いかにも江戸落語という趣がある噺です。  お師匠さんをバーのママにでも置き換えれば現在でもありそうな噺で、男と女の事はこの頃も今もさして変わりがないのは面白いものです。  別にどうと云う事もない筋立てで、変な力みも無し、それでいて江戸っ子連中が生き生きとして、おまけに下げが意表をついていて、実に落語らしい落語で、こういう噺があたしは好きなんです。こんな噺にこそ粋や洒落を感じます。  大分前になりますが、あたしが二つ目の頃、日刊とびきり落語会にこの根多を出したところ、そんな噺じゃ評価のしようがないと言った、会の審査員で若い評論家の方がいましたが、困ったものです。なにも大作ばかりが噺ではあるまいし、噺に対して失礼じゃないでしょうか。あたしはどんな噺でも存在価値があると思っています。

 雲助も私と同じような思いなのが、頗るうれしい。私も、“いかにも江戸落語という趣がある噺”だと思う。

 そうなのだよ。ネタの最後で登場する肥船やサゲだけに焦点を当てて“下品”なネタと評する演目ではない。そういった見方はあまりにも浅すぎる。また、下がかっているから演じられることが少ないのではなく、この噺が音曲の素養も必要な難しい演目であるから敬遠する噺家さんが多いのが実態ではなかろうか。

 雲助の回想にある評論家さんは、どこまでこの噺を知っていたのか。雲助は昭和47年に二ツ目、昭和56年に真打に昇進している。二ツ目時代には、円生の十八番の一つとして定評があったはずだし、桂文朝なども寄席でかけていたと察する。雲助が言うように、「そんな噺じゃ評価のしようがない」とは、なんとも失礼な話、いや噺に失礼である。


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 榎本滋民さんだって、『落語小劇場』(下巻)で、しっかりこの噺を取り上げている。上下で36篇しか取り上げていない中の一席として選ばれているのだ。

 この本では噺の紹介の中で、コラム的に「まくあい」という内容があり、この噺について次のように書かれている。


 川面へ出てからは、瀧亭鯉丈作の『花暦八笑人』の茶番の趣向からとっている。初代円右・四代目円蔵らのすぐれた演出に、六代目円生が磨きをかけた。
 競争していた弟子たちが、共通の敗北感から団結する過程のにぎやかさと船中の師匠のつやっぽさが聞きどころで、『猫忠』などと同様、はなしの間に清元・常磐津などを入れて演じた。今は素ばなしで演じるが、音曲ばなしとしても聞きたい。四代目小さんは、『はやし船』と題し、肥船を出さず、怒った一人が師匠の船に飛び乗り、なぐりにきたのかと聞かれて、「なに、一杯御馳走になりにきた」と落ちにしている。

 榎本さんも、こういう噺が好きだったんだよね。
 
 常磐津のお師匠さん目当てに通う長屋の“有象無象”については、次のように書かれている。

 あわよくばころがして食っちまおうというアワヨカ連、狼連、張って張りぬく経師屋連、夏うちだけ涼みがてら人間離れのした親不孝な声を上げる蚊弟子、とにかく目的を音楽にではなく教師に置いた野郎連中も多かった。

 三味の弟子七尺去ってなめたがり
 三味の弟子破門のわけは師を口説き
 隙を見すましさらう気の男弟子
 させそうな身ぶりで弟子がやたらふえ
 させるかさせるかと岡崎を習い
 させそうもないで岡崎きりでやめ


  露骨な句だけ選っているように思われるかもしれないが、女師匠関係の川柳はこんなのばかりなのである。ぼくのせいではない。実際には難攻不落の御清潔な女師匠もいたことを、彼女らの名誉にためにお断わりしておく。
 裏通りの新道や横町に借家住まい、格子戸を入った土間に芸名の小提灯、猫か狆がいて、お袋はいたりいなかったりという舞台面。

 こういう舞台設定を想像して噺を聴くと、一層楽しくなるね。

 川柳の岡崎とは、人形浄瑠璃「伊賀越道中双六」の中の一つの段のこと。文楽、浄瑠璃がどれほど庶民の芸能であったかが、こういった川柳からも分かる。

 ぜひとも、雲助に限らず挑戦して欲しい江戸落語の趣たっぷりなネタである。

 詳しい筋書きや円生の高座については、いつもお世話になる「落語の舞台を歩く」でご確認のほどを。
「落語の舞台を歩く」の該当ページ


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 同ページから、渓斎英泉の「東都両国橋夕涼みの図」(部分)をお借りした。この噺の後半は、こういった光景を思い浮かべることができる。まさに、“旬”の噺。
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by kogotokoubei | 2014-06-25 19:24 | 落語のネタ | Comments(0)
昨日の日曜、雨で恒例のテニスが休みとなり、久し振りに連れ合いと日曜の昼の外食となり、町田へ出かけた。食事の間は生ビールの後に酒(泉橋)の一合を二人で分け、ほろ酔い気分で散歩。

 その後は一人で、町田に出た際にはほぼ必ず立寄る古本屋さんT書店へ。ビル最上階の芸能関連の部屋には、落語などの伝統芸能やジャズなどの本が、神保町の店にひけをとらない質量で並んでいる。

 芸能の棚には、文楽の底本を書籍化したものが数冊並んでおり、よほど買おうかとも思ったが、素人が持っていても棚に並べるだけだろうと冷静(?)になり、落語の棚へ目を凝らす。

 榎本滋民さんの本を探した。
 実は、一昨日書いた記事で、気になることがあった。
 五街道雲助が演じた『宮戸川~通し~』に関して、矢野誠一著『新版 落語手帖』から、榎本滋民さんの次の言葉を引用した。2014年6月21日のブログ

たいていの解説が『宮戸川』は後日譚はつまらないので、馴れそめしか演じられないのだと片づけているのには、賛成できない。作が不出来なのではなく、初代三遊亭圓右あたり以後巧みに演じる者がいなくなったため、つまらないように思われているにすぎないのだとぼくは断言する。    榎本滋民


 『落語手帖』は非常に良い本なのだが、初版の駸々堂版も新版の講談社版も、残念ながら引用されている内容の出典が記されていないのが唯一と言える欠点。
 上記の文章、私が所有している榎本さんの本では発見できなかったので、推測として持っていない別な書名を書いたのだが、正直なところ自信はなかった。だから榎本さんの本を探したわけだ。

 
 天は我に味方した!
 結構すぐに、問題の(?)本は見つかった。
 榎本滋民著『落語小劇場』(上・下)(三樹書房、昭和58年版)のセット。上下が一緒にポリ袋で梱包されているので、内容を見ることはできないのだが、続編にあたる『落語俗物園』もあって、こっちは一冊もので包装されていないから、立ち読みできる。『宮戸川』はこちらには含まれていない。
 
 ここは賭けに出よう、と購入。

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 大正解だった。帰りの電車の中で読んだが、上巻にしっかり『宮戸川』があり、矢野さんが引用した部分がある。
 しかし、なぜ「火とり虫」なんだ?・・・・・・と思ったなぁ。

 非常に個性的な本であり、榎本さんでしか書けない本だと思う。
 榎本さんが本書に込めた思いを、「一番太鼓」と題された、“まえがき”に相当する部分からご紹介。(太字は管理人)

 伝承落語は、日本民族のすぐれた共有財産である。これを、落語家の私有財産を思いこみ、どういじろうとどうこわそうと、煮て食おうが焼いて食おうが、演者の勝手とうそぶいている人が少なくない。また、落語は、しょせんなぐさみの具にすぎないのだし、十人十色の演者の芸風を楽しむものだから、重箱のすみをつつくような詮索は、せっかくのおもしろさを殺してしまう、余計なおせっかいだとも、多くの人はいう。
 それなら、「古典落語」となどという呼称は、即刻廃語にしなければなるまい。もっともこの「古典落語」自体、戦後の高揚期に、深い言語的吟味もへずに打ち出された、ほんの思いつき程度の造語で、伝承話芸の呼称としては、適切なものではないのだが、定着して今日に至っている。その定着に大きく寄与したのが、権威づけの意識をもっての使用頻度の高さであったことは、落語家たちも否定できないだろう。
 是認して定着させた以上、その語義に対応すべきである。「古典落語」とは、古典的な落語というほどの意味の造語なのだとして、辞書によれば、「古典的」とは、「古来」の「典型を重んずる傾向のあるさま」であり、定型という「規矩」のない「クラシック」など絶対にあり得ないからである。
 まして、定型化されては、だれが演じでも同じになってしまうからつまらない、などというに至っては、全くとるにたらないたわごとで、たとえば、歌舞伎の『勧進帳』や『忠臣蔵』を、だれが演じても同じと思う人がいるなら、それは、芸能にも芸術にも縁のない人にきまっている。
 もっといえば、すでに設けられた美の制約や秩序の中で、新しい生命を強く燃焼させ、そのことによって、規矩や制約や秩序を破壊しながら、またつぎのより新しい生命を燃焼させるために、より強い規矩や制約を設けるという、無限の繰り返しこそが伝統の再創造と呼ぶに価する作業なのであろう。
 わが愛する伝承落語を、真の古典芸能に錬成するために、その一手段として、演劇における戯曲・演出の構成力を導入してみた。つまり、劇場の舞台に寄席の高座を、寄席の高座に劇場の舞台を、はめこんでみたのである。少しでもつまらなかったら、途中でさっさと退場されることも、もとより覚悟している。
 されば、細腕をふるって一番太鼓を鳴らそう。「どんとこいどんとこい」と。


 これはすでに書いた通り、昭和58年の本。しかし、冒頭から、私には昨今の落語界に感じていた疑問や不満をズバリ言っていただくような、爽快感があった。

 そうなのだ。古典落語は、噺家がどうにでも変えてよいなどと考えられては困るし、それは間違っていると思う。

 「規矩」とは、考えや行動の規準とするものであり、手本という意味である。手本があるからこそ300年もの長きに渡って伝えることができるのだ。

 スポーツでもそうだが、基本ができていなければ応用はできない。
 噺の根本をないがしろにして、笑わそうとばかりに今風のクスグリを連発する若い噺家の高座には、閉口する。

 榎本さんの言葉に抵抗のある噺家さんもいるかもしれない。しかし、よ~く考えてみれば、榎本さんが「古典落語」を愛してやまないからこその表現であることが分かるはず。

 昨日録画を見た竹本大夫の言葉を借りて、文楽を落語に置き換えてみよう。
 「落語はよろしいで ほんまによう出来てるわ せやからこれ 三百年も続いてんねんな そんだけやっぱり 先輩 亡き先輩方に感謝せないかんな こんな結構な芸を残してもろうてるさかいね これを後々 ずっと続けていってもらわないかん」
 まったく違和感がないではないか。
 もちろん、芸の成り立ちも表現形式も違うが、住大夫の文楽への思いと榎本さんの落語への思いは、根っこのところは同じだと思う。


 さてこの本のこと。まだ、読み始めたばかりだが、まっさきに読んだ『宮戸川』の章から、矢野さんが『落語手帖』で引用している部分を、まず紹介したい。

 雷門の夕立ちで小僧が傘をとりに走り出してから半七をゆさぶるまでが半七の見た夢だったのである。悪夢の原因は五臓六腑つまり全身の疲労だとする通俗医学の「夢は五臓の疲れ」ということばが日常生活からほとんど消えてしまった現在、この地口は通りにくいだろうし、いい落ちではないとぼくも思う。
 しかし、はなし自体の出来とは別にすべきである。大ていの解説が『宮戸川』の後日譚はつまらないので馴れそめしか演じられないのだと片づけているのには賛成できない。作が不出来なのではなく、初代三遊亭圓右あたり以後巧みに演じる者がいなくなったため、つまらないように思われているにすぎないのだとぼくは断言する。


 そして、この後の部分。

 まずお花という女の造型が非凡である。落語の女は女房・妾・後家・婆・商売女それぞれ変化に富んでいるが、生娘だけはどうも意外なほど平凡で、恋をした場合でもほとんどが頬を染めて畳に「の」の字を書くか恋わずらいをするかの内気型を出ていない。その中でお花は一人異彩を放っている。
 早熟なのは船宿という育ちのせいもあるが、そればかりではなさそうで、この妙な色っぽさは先天的なものを感じさせる。当人はそんなものを自分が発散していることに少しも気づかず、ただもの狂おしく灯に近づいて身を焼く火とり虫のように破局へ向かって行く。


 榎本さんならではの、鋭い登場人物への視線を感じる。
 「の」の字を書く生娘の典型は『植木屋娘』のおみつあたりか。たしかに、お花は他の落語に登場する生娘とは違うなぁ。
 “もの狂おしく灯に近づいて身を焼く火とり虫”とは言い得て妙。
 やっと、目次のお題、「火とり虫」も登場した。

 谷幾つ 越え来て此処に 火取虫 (龍之介)

 なんて句もあるね。

 この演目の章は次のように締められている。

 甘い結婚生活から思いかけない陰惨な事件に引きずりこんで行く構成力、さすがに「身ぶり声色芝居がかり鳴りもの入り」元祖を称した初代三遊亭円生の作らしく演劇的で、ぼくなどは大いに芝居ごころをそそられてぞくぞくする。だれか全篇をこってりとした演出でたのしませてくれないものか。


 雲助の高座を榎本さんがご覧になったら、果たしてどうおっしゃるだろうか。その評価が悪かろうはずはないと思う。

 雷門での雷(?)でお花が倒れるような豪雨は困るが、たまの日曜のほどほどの雨、この本の発見も考えると“恵の雨”だったようだ。

 この本からは、今後もご紹介する機会が増えそうだ。

 それにしても、こういう素晴らしい本は、是非とも河出か筑摩あたりが文庫で再刊して欲しいものだ。
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by kogotokoubei | 2014-06-23 00:52 | 落語の本 | Comments(3)
昨夜NHK Eテレで放送された「鬼の散りぎわ~文楽・竹本住大夫 最後の舞台~」の録画を見た。
NHK Eテレ「鬼の散りぎわ~文楽・竹本住大夫 最後の舞台~」

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*NHK Eテレのサイトより
 
 番組では、いろいろと印象的な場面や言葉があるのだが、若かりし頃に、住大夫が「雲の上の人」と語る山城少掾について稽古してきたことを紹介した後、本人の次の言葉が、思いを良く表わしていると思った。

 「文楽はよろしいで 浄瑠璃ってええもんでっせ
  ほんまによう出来てるわ
  せやからこれ 三百年も続いてんねんな
  そんだけやっぱり 先輩 亡き先輩方に感謝せないかんな
  こんな結構な芸を残してもろうてるさかいね
  これを後々 ずっと続けていってもらわないかん」

 きっと、こういった思いを常に忘れていないのだろう、この人間国宝は。

 この後に弟子竹本文字久大夫への稽古場面があるのだが、その様子に“芸を残す”ための執念を感じる。
 文字久大夫は入門30年、58歳なのだが、住大夫は途中で「しっかりせい!」と一喝!

 弟子への稽古の様子の後には、カルチャースクールでの素人への稽古風景、最後の教室の様子が紹介された。
 驚いたのは、まったく手を抜かないこと。真剣に教え、叱る。
 「もっと本読みしてこなあかん!」と一喝。
 
 庶民に愛された芸能、三百年続いた大阪の文化、ということへの思いがあるからこそなのだろう。

 その後、故団十郎や、坂田藤十郎などが登場し、歌舞伎への住大夫など文楽からの教えの重要性が語られる。

 大阪での最後の舞台、国立文楽劇場の楽屋。たくさんの人が訪れるのだが、人形遣いの人間国宝で住大夫と苦労をともにしてきた吉田蓑助と手を握り合ってお互い涙する場面には・・・こちらも胸が熱くなった。

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*終演後に舞台で手を取り合う竹本住大夫と吉田蓑助(NHK Eテレのサイトより)。 
 
 何も言わなくても、この二人は分かり合えるのだろう。

 舞台での挨拶。

 「私が去りました後、
  大阪で生まれ育った文楽を
  ご後援くださいますことをお願い申し上げます」

 この言葉、一番聞かせたいのは、その大阪の市長である。

 竹本住大夫については、『桂吉坊がきく藝』から二つの記事を書いたのでご興味のある方はご覧のほどを。
2014年5月31日のブログ
2014年6月1日のブログ

 再放送は、2014年6月28日(土)午前0時00分、金曜日深夜。見逃した方は、ぜひ。 .
 また、29日(日)の夜九時からは、同じEテレの「古典芸能への招待」で、国立文楽劇場の最後の公演「菅原伝授手習鑑」の放送がある。これは観なきゃ。NHKサイトの該当ページ
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by kogotokoubei | 2014-06-22 08:45 | 伝統芸能 | Comments(2)
雲助の『宮戸川~通し~』の余韻が残っているが、あの高座で重要な“芝居がかり”について、雲助本人の本から紹介したいと思う。
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五街道雲助著『雲助、悪名一代』
 
 「第5章 師匠もつらいよ!? ~弟子から「師匠」へ。師匠から弟子たちへ~」より引用。

芝居がかり

 落語と歌舞伎は大変に関わりの深い芸能です。
 元は落語や講談だったものが、歌舞伎化されるというのは先にも触れましたが、逆に、落語が歌舞伎を取り入れることもあります。
 その手法のひとつが、芝居がかりというものです。
 といっても最初から最後までではなく、いわゆるクライマックス、見せ場だけ歌舞伎風になる、その部分を芝居がかりといいます。
 たいていが人殺しなどの暴力的な場面でして、芝居がかりにすることで少しでも生々しくないように、後に嫌みが残らないように、という工夫のようです。
 台詞回しが歌舞伎調になるのはもちろん、三味線やツケといった音響演出を入れて演じます。
 わたしが最初にやった芝居がかりは、『宮戸川』という演目でした。
 (中 略)
 速記でこの後半部分を見つけて、どうしても芝居がかりでやってみたくなりました。


 しっかり「芝居がかり」とは何かが説明されている。
 このあとに、昨日の記事で紹介した芝居がかり部分のシナリオが紹介されている。

 雲助が刺激を受けた速記の噺家さんの名は本書に記載されていないが、たぶん三代目の春風亭柳枝だと察する。
 
 雲助が芝居がかりに興味をもったきっかけは、次のように書かれている。

 芝居がかりのおもしろさに目覚めたきっかけは、三遊亭圓生です。
 わたしが二ツ目のころ、圓生が『双蝶々』を演るというので、舞台袖から観させてもらいました。勉強熱心な若造に感心したのか、圓生がお小遣い(千円)をくれました。
 『双蝶々』は、三遊亭圓朝の作品で、二時間近い大作です。
 貧乏長屋に生まれた長吉が、継母をいじめるので家を追い出されるように奉公へ出されるまでが序章。長吉が奉公先で盗みをしていたことがバレ、それを知った番頭・権九郎に脅されて店にある大金を持ち逃げするのですが、その際に権九郎を殺して金を独り占めする計画を立ち聞きした定吉を殺す『定吉殺し』、店の外で落ち合った権九郎を殺す『権九郎殺し』、その後、悪事に悪事を重ねてすっかりヤクザ者となった長吉が、年老いて病に伏せる父親と再会する『雪の子別れ』の、四部構成になります。
 このとき、圓生は『定吉殺し』と『権九郎殺し』を演りました。
 『定吉殺し』は何度も聴いていたのですが、『権九郎殺し』はこのとき初めて聴いて、いえ、観て衝撃を受けました。
 舞台に膝立ちになり、三味線にのった朗々たる台詞回し、そこにツケが入り、長吉と権九郎の立回りから権九郎が殺されるまでは舞踏のように美しい所作、目線と手の動きで長吉と権九郎を演じわける技術に圧倒されました。
 のちに自分でもどうしてもやってみたくなり、ソニーの『圓生百席』を手がけたプロデューサー、京須偕充さんがこの公演のリハーサルと本番のビデオを入手してくださったおかげで、それを見て動きの稽古をすることができました。
 (中 略)
 『権九郎殺し』の立回りの所作ができるようになったおかげで、『髪結新三』の深川閻魔堂の場面、新三と弥太五郎源七の決闘も演れるようになりました。



 なるほど、圓生の『双蝶々』がきっかけだったのだ。だから、一門でこの噺のリレー落語を行うなど、特別な思い入れがあるのだろう。
 
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   矢野誠一著『新版 落語手帖』

 また『宮戸川』のことに戻るが、矢野誠一『新版 落語手帖』のこのネタの部分に、榎本滋民さんの次のような指摘が掲載されている。

たいていの解説が『宮戸川』は後日譚はつまらないので、馴れそめしか演じられないのだと片づけているのには、賛成できない。作が不出来なのではなく、初代三遊亭圓右あたり以後巧みに演じる者がいなくなったため、つまらないように思われているにすぎないのだとぼくは断言する。    榎本滋民


 この本の唯一の欠点だが、出典が書かれていない。私は所有していないが、たぶん『大衆芸能資料集成 第四巻 寄席芸 1落語』(三一書房、1981年7月15日発行)かと察する。
(*この件、P.S.をご参照のほどを)

 榎本滋民さんの意見に合点である。

 そして、雲助が“巧みに演じる”ことで、この噺は本来の芝居ばなしとして蘇るだろう。

 未見だが、小満ん、喬太郎も通しで演じるらしいので、ぜひ聴きたいものだ。喬太郎は、円歌の了解を得てかけているとのこと。そう言えば円歌の通しは『品川心中』とのカップリングでCDが発売されているなぁ。そのうち聴いてみよう。

 あらためて、雲助の芝居がかり、今後もぜひ聴き、観たいと思う。
 そして、一門弟子にも、白酒は別にして残る二人には、しっかり圓生→師匠と継承されてきた芝居がかりを磨いて欲しいと思う。

P.S.
雨でテニスが休みとなった日曜の午後、町田の古書店で榎本滋民著『落語小劇場』(上・下)(三樹書房、昭和58年初版)を入手。出典はこの本でした。あえて、記事は修正しません。この本については別途ご紹介予定。
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by kogotokoubei | 2014-06-21 08:31 | 落語のネタ | Comments(0)
 前回来たのが2月19日なので、ちょうど四か月ぶりだ。

 滅多に聴くことのできない『宮戸川』の通しに期待し、何とか都合をやり繰りして日本橋へ。一階277席は、終演時点で七割位だったろうか、私が来たこの会の中では多い方だ。
 
 次のような構成だった。これが本来の“独演”会。
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五街道雲助 『鰻屋』
五街道雲助 『汲み立て』
(仲入り)
五街道雲助 『宮戸川~通し~』
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五街道雲助『鰻屋』 (25分 *18:59~)
 いつものように、開演時間を待ちきれないように登場。ロビーで販売している手拭いの宣伝から。これまでこの会で演じたネタをデザインした手拭いで、日本橋(富沢町)萩原さんによるものらしいが、ごめんなさい、ちょっと手が出ませんでした。言訳になるが、サイン入り本や師匠馬生の絵が入った手拭いは買わせていただいておりますので、許して。
 さて、営業的マクラの後、「お題が大川ということで、川に因んだお噺を三席」とのこと。生まれ育ちが本所二丁目で大川には馴染みが深いと説明したが、このブログご覧の方の中には、 「鰻屋で川?」と思われる人もいらっしゃるだろう。実は、冒頭でしっかり登場する。友人に「飲みに行こう」と誘われた男が、過去の苦い思い出を披露する場面だ。この男、酒ならなんでも、特に奢ってもらえるなら、「メチルでもエチルでも」「電気(ブラン)でもガスでも」(このクスグリで笑った)という安上がりの飲み助。以前に悪い仲間に騙され、思わせぶりで浅草界隈をあちこち歩かされ、最後に吾妻橋の下で養老の瀧の話を持ち出されて「(川の水も)酒と思えば飲める」言われて、「悔しいから二三杯飲んだ」と語る。なるほど、川に因んだ噺であった。
 その話を聞いた相手が、鰻屋へ行こうと誘う。先日行ったら、鰻さき職人がいないので主人が詫びとして胡瓜のコウコでただ酒を飲ましてくれたらしい。さっきのぞいたら、主人が表を不安そうに見ていたから、まだ職人が戻っていないはずと、二人は店へ。
 この噺、文楽で有名な『素人鰻』(可楽なら『士族の鰻』)をより軽い内容に改作したものでサゲは同じ。雲助も二席目のマクラで種明かしをするが、通説の初代円遊の作ではなく、雲助は「前の前の」と言っていたが五代目三升家小勝の作なので、「前の前の前」になるなぁ。右女助の六代目小勝の前ということになる。
 二人が、鰻を捕まえられない主人を助けようとする。最初に目をつけた脂の乗った鰻は開店当時から逃げて生き延びている傷だらけの鰻で、名前も“与三郎”、次に狙った細身の鰻は、コホン、コホンと咳をする病気持ち、時折水の上に首を出し、「千年も万年も生きたいわ」と、『不如帰』の浪さんのようなことを言う。これらのクスグリで会場が笑いで包まれた。川に因んだ冒頭の部分からサゲまで、適度にクスグリの入った楽しい高座だった。

五街道雲助『汲み立て』 (28分)
 そのまま高座に残って一席目の作者のことを説明してから、昔は稽古ごとが流行ったが、目当てはその女師匠だったと炬燵の下で手を握る小咄を挟んで本編へ。
 小唄の稽古が進まない男をいじる仲間の科白が可笑しかった。「お前の声は、たとえて言えば、梅雨時に長屋のはばかりに入り、出たとたんに借金取りに出会ったような声だ」って、どんな声^^
 常磐津の美人のお師匠さん目当てに通う面々。建具屋の半公が師匠とできているらしい、という噂が気になって、師匠の家で手伝いをしている与太郎に真偽を確認すると、噂は間違いなさそう。怒り心頭のもてない連中が、仕返しをたくらむ。師匠と半公が舟遊びに行くとのことで、“有象無象”のご一行も船に乗り、笛や太鼓で大騒ぎして、半公の野郎をののしって、最後は殴ってぼこぼこにしよう、ということになるのだが・・・。
 最後の舟遊びの場面、半公が三味に合わせて端唄「お伊勢参り」を聴かせるが、なかなかのもの。
 この噺は六代目円生の独壇場と言われており、雲助も円生版を踏まえているように思う。しかし、私は桂文朝の音源も好きでよく聴いている。肥船が登場することやサゲが汚いということもあるからだろう、今ではなかなか演じ手のいない噺になってしまった。しかし、江戸っ子の“有象無象”が繰り広げる内容は、まさに落語の一つの典型とも言えるものであり、もっと寄席などでもかけられても良いように思うなぁ。楽しい舟遊びの場面もあり、旬の噺でもある。

五街道雲助『宮戸川~通し~』 (53分 *~20:59)
 二席目後半で多発(?)した「べらぼう」という言葉の起源に関する話が、意外でもあり興味深かった。真偽は定かではないと言っていたので、後日調べてみようと思う。
 さて、滅多には聴けないこの噺の通しである。先に結論から書くが、実に見事だった。
 この噺の起源は、近松門左衛門が、実際にあったお花と半七という男女の心中事件を元につくった浄瑠璃「長町裏女腹切」にさかのぼる。それから1世紀もたった文化年間に、江戸で四世鶴屋南北が書いた「寝花千人禿(やよいのはな・せんにんかむろ)」(茜屋半七)がヒットし、その芝居を元に初代三遊亭円生が道具入り芝居噺にしたのだから、本来は芝居噺の後半が大事なのである。
 しかし、その後半が暗くて笑いがないということだろう、今日では前半のお花・半七が霊岸島の叔父さん宅の二階で艶っぽい一夜を明かす場面までの内容で演じられるのがほとんど。『お花・半七なれそめ』という別題もある。その前半に宮戸川は登場しない
 たしかに、笑いの多い前半と後半とでは、まったく趣きが違う。だからこそ雲助がどう演じるか興味深かった。その期待に十分に応えてくれる高座だった。
 ネタ選びとしても結構で、旬を外していないし、お花と半七の住む小網町も会場のすぐ近くである。質屋茜屋の倅の半七、その隣の船宿桜屋の娘お花。かたや碁か将棋に興じ、かたや友達のみぃちゃんの家に頼まれてお客さんの接待で帰りが遅くなり、お互いに締め出される。半七が家の木戸を叩くと、父親である半左衛門が出てきて、まるで『六尺棒』のような会話が交わされるのが楽しい。お花の母親が継母であるという設定が、十七の娘が夜分に締め出される不思議を、少しは正当化(?)していた。
 そして、半七の霊岸島にいる叔父さんの家に結果として二人で行くことになるのだが、この場面では笑いをとるクスグリをほとんど挟まない。だから、結構暗くて重~い調子ではあるのだが、そういった基調が通しで演じるには必然性のある姿なのだと納得した。では、笑いがまったくないかと言うと、それはそれ雲助である抜かりはない。霊岸島の叔父夫婦、この爺さんと婆さんがしっかり笑わせてくれる。「未だにお爺さんと一つ違い」と笑い転げる婆さんの姿が頗る可笑しい。そして、寝ている婆さんを見て爺さんが「夢は五臓の疲れと言うが、どんな夢を見ているのか、口中よだれだらけにして」と、サゲへの伏線をしっかり挟み込んだ。
 お花と半七の一夜のことも、ごくあっさりと語って、翌朝「二人を一緒にさせてください」と半七に頼まれた叔父さん、張り切って仲人役として両家に出向く。桜屋の親は大喜びだが、茜屋の半左衛門は怒って勘当。「勘当、結構、こっちが養子にもらって一緒にさせる」と啖呵を切る叔父さん、粋で鯔背だねぇ。つい「よぉ、霊岸島!」と声をかけたくなる^^


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五街道雲助著『雲助、悪名一代』

 さて、所帯を持った二人なのだが、その後に不幸(実は夢)が待っている、という筋書になる。

 ここからは、あらすじの紹介にもなるので、雲助の本『悪名一代』から芝居がかりの部分を引用しよう。この本については以前書いたので、ご興味のある方はご覧のほどを。
2013年11月21日のブログ

 この噺、雲助が手掛けた最初の芝居がかりのネタということで、本書では結構詳しく解説されている。

 お花の一周忌、菩提寺で弔ってから山谷堀で船に乗った半七。そこに、酔った男が乗り合わせて、つい酒の勢いで一年前の悪事を自ら暴露することになる。その後、この噺の大きなヤマである芝居がかり。

 亀とは、お花を殺した三人組の一人、正覚坊の亀。船頭(仁三)も仲間である。

半七 これで様子がカラリと知れた
  何をしやぁがる
 (ツケ)バタバタバッタリ
 (三味線)佃
 (太鼓)ドドンドン ドンドンドン 
半七 去年六月十七日、女房お花が観音へ参る下向の道すがら
亀  俺もその日は大勢で寄り集まって手慰み すっかり取られたその末が
   しょうこと無しの空素見(からひやかし) すごすご帰(けえ)る途中にて
   俄に降りだす篠突く雨
船頭 暫し駆け込む雷門 夜目にもそれと美しい二十歳の上を不二つ三つ
    四つに絡んで寝たならばと こぼれかかった愛嬌に気が差したのが
    運の尽き
半七 丁稚の報せに折よくもここよかしこと尋ねしが 未だに行方の
     知れぬのは
   知れぬも道理よ
 (太鼓)ドドンドン
    多田の薬師の石置き場 さんざ慰むその後で助けてやろうと思ってが
    後の憂いが恐ろしく 不憫とおもえど宮戸川
船頭 ドンブリやった水煙
 (太鼓)ドドンドン
半七 さてはその日の悪人は汝(わい)らであったか
   亭主と言うは汝(うぬ)であったか
半七 はて良い所で
  悪い所で
一同 逢うたよなぁ


 赤字のところで、びしっと決まるのだ。雲助をご存知の方は、ぜひ場面を想像していただきたい。
 この噺、芝居噺でしょう!
 この後、小僧に夢から起こされた半七、お花が雷門で雨宿りしていて無事と分かり、サゲ。

 旬なネタ選びに加え、この噺本来の、初代円生由来の味わいを満喫させてくれた高座、文句なく今年のマイベスト十席候補とする。


 三席とも川に因んでいるだけでなく、旬も十分に考慮されていて、大いに満足の落語会だった。

 さて、終演後は、同じ日本橋にいたI女史、M女史と私の三人と、国立演芸場で一朝・志ん輔の二人会だったリーダーSさんが、お互い歩み寄り(?)ということで神保町の居酒屋で待合せての居残り会。
 吉田類の「酒場放浪記」で見たことがあり、私が推薦した店は、庶民の味方の値段で、店主の会話も楽しい居酒屋さんだった。話はお互いの落語会の感想はもちろん、あちらこちらに飛んだり跳ねたり^^
 生ビールから熱燗、そして最後はSさんによる「瓶ビールの美味しい飲み方講座」のために何本空いたのか・・・・・・。
 ラストオーダーの声を聞いて、名残惜しくお開きとなったのだが、その帰りがけ、壁に張ってある新聞記事に気が付いた。なんと、我々四人(よったり)が座ったテーブルは、あの映画『舟を編む』の撮影をした場所であった。撮影では、リーダーSさんの席には加藤剛、Mさんの席にはMさんの大好きな小林薫、Iさんの席は黒木華、そして私の席には松田龍平が座ったのであった。何ともうれしい発見を喜びながらのお開きだった。


 帰りの電車では、「舟を漕ぐ」だった^^
 日付変更線を超えて田園都市線の終点、中央林間に到着。小田急に乗り換えなのだが、驚くことに、相模大野の脱線事故で電車が止まっているとのこと。
 私は、酒の勢いと、普段から万歩計をして歩くことに情熱を燃やすSさんを見習って、一駅分を自宅まで30分歩いて帰ったのだった。
 帰ると、ちょうどW杯のコロンビア対コートジボワール戦が始まった。風呂から上がってサッカーを眺めながらブログを書いても、もちろん書き終わるはずもない。それにしても、楽しい落語会、そして居残り会であったなぁ。
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by kogotokoubei | 2014-06-20 01:15 | 落語会 | Comments(2)
吉原には、いくつかの転換期があった。

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福田利子著『吉原はこんな所でございました』(ちくま文庫)

 ふたたび、福田利子著『吉原はこんな所でございました』から、まず明治に入ってすぐの事件について紹介。

マリア=ルース号事件と貸座敷

 徳川の世が終わり、明治時代に入りましても、吉原遊郭はそのままの形で残りました。けれども、文化発祥の地としての活力が失われたというのがやはり本当のようで、新しい時代の風が廓の中にも入ってきました。
 マリア=ルース号事件は、まさにそうしたものの表われのように私は思います。
 マリア=ルース号というのは、ペルーの汽船なのですが、清国(中国)から奴隷を買い、帰国の途中、太平洋で暴風雨に遭い、船が破損してしまいました。それで船の修理をするために横浜港に入港したのですが、そのとき奴隷の一人が船を脱出して、イギリス軍艦に救いを求めたのでした。
 奴隷に逃げられたペルー側は、イギリスの軍艦に、すぐに身柄を引き渡すように要求し、引き渡すことができないというイギリス側と、引き渡しを迫るペルーとの間に裁判が開かれることになりました。場所が横浜でしたので、日本がその裁判を引き受けることになったのですが、そのときの特別裁判長、大江卓は「奴隷売買は国際法違反」という判決を下し、中国人の身柄は本国に戻されることになりました。
 ところが、これがペルーと日本との外交問題にまで発展しまして、ペルーの弁護士は「日本が奴隷契約が無効だというなら、それよりもっと酷い目にあっている日本の娼婦のことは一体どうするのだ」:と国際裁判で述べたのでした。ところが大江卓はすかさず「日本ではただ今、公娼解放の準備中である」と答え、突如、明治5年10月2日、「娼婦解放令」が発令されたのでした。


 Wikipediaによると、この「娼婦解放令」、正式には「人身売買ヲ禁シ諸奉公人年限ヲ定メ芸娼妓ヲ開放シ之ニ付テノ貸借訴訟ハ取上ケスノ件(じんしんばいばいをきんじしょほうこうにんねんげんをさだめげいしょうぎをかいほうしこれについてのちんしゃくそしょうはとりあげずのけん)、通称芸娼妓解放令(げいしょうぎかいほうれい)と言われる。Wikipedia「マリア・ルス号事件」
 「禁し」は「禁じ」、「取上ケスノ件」は「取上げずの件」・・・点は打ってなくても濁って読む、まるで『道灌』の科白だ^^

 要するに、人身売買を禁じ、身代金によって年季奉公している人を解放し、当人の借金は支払う必要がない、と定めたわけだ。

 さて、この「娼婦解放令」は、吉原にどのような変化をもたらしたのか。本当に“解放”されたのか・・・・・・。

 解放令が出されたというので、遊女たちは喜んで、さあこれで親許に帰れる、と言いながら支度をし、われがちに外に出ようとしたものですから、大門は大混乱になったそうで、そのときの様子を写した写真を私は見たことがあります。
 けれども、故郷で暮らしていけないからこそ吉原に来た人たちですから、帰ったところで喜んで迎えてもらえるはずもなく、故郷を出たまま行き倒れになる娘やら、多くの娘が私娼になるやらで、政府は慌てて、吉原、新宿、品川、板橋、千住の五か所を公娼地区として認めることにしたのでした。ただし、その公娼制度も自由営業の名目で認めることになっていましたので、それまでのように娼婦の身体を縛るのではなく、営業したい娼婦に場所を貸す、ということにし、それまでの“遊女屋”が“貸座敷”と呼ばれるようになり、貸座敷制度が生まれたのでした。
 妓楼の主と花魁との関係は、身代金制度によって成り立っていましたが、それからは金銭貸借関係—貸し手と借り手の関係になった、ということでございます。


 マリア=ルース号事件によって、

 遊女屋→貸座敷
 身代金制度→金銭貸借関係


 という転換期を吉原は迎えることになった。

 明治23年生まれの古今亭志ん生が、廓噺の中で「貸座敷」と言うのは、こういう歴史的背景があったことを初めて知った。

 次の吉原の大きな転換期は、敗戦後に訪れた。

 昭和21年1月、日本の公娼制度にかかわる一切の法規は廃止するように、というお達しが連合軍最高司令部の名で出されました。日本の公娼制度は民主主義の精神に反するというわけなのですね。占領軍が出す命令はすべて受け入れなければならない占領下でしたから、このお達しによって日本の公娼制度はすぐに廃止されることになりました。明治5年の、あの“マリア=ルース号事件”のときの「娼妓解放令」以来、二度目の廃止命令ということになります。
 けれども、このとき警視庁では、公娼制度が廃止されるのはいいとして、それにかわって私娼が増えるのではないかと心配しました。公娼制度ですと、健康診断や性病予防など、国としての健康管理ができますが、私娼ではそれができませんので、性病が増えるんじゃないかというんですね。
 それで、公娼制度が廃止されたあとの風俗対策として、“病気をうつすおそれのある者の健康診断や病人に対する治療を地方長官は命令することができる”、それから“特殊飲食店を指定し、風致上さしさわりのない場所に限って集団的にこれを認める”という方針が打ち出されたのでした。
 かつて“貸座敷”といあれていたろことが“特殊飲食店”となったというわけです。お客相手の仕事をする人は、“花魁”ではなく、“ウエートレス”ということでしょうか。とにかくそうした正業というのを一応、表向き、もたなければならなかったんです。それまでの「貸座敷組合」が「カフェー共同組合」になったのは、こうした理由からでした。
 警視庁では、“風致上さしさわりのない場所”として、吉原をはじめ、新宿、洲崎(深川区平久町、現江東区)、なとを指定し、そこを地図の上に赤線で囲み、“赤線”という言葉が生まれたのでした。“遊郭”から“赤線”になったわけですね。


 これが、遊郭から赤線へ、貸座敷からカフェーへの転換だ。

 この転換期によるもっとも大きな変化は、一気に吉原の女性が増えたこと。そして、赤線以外にも、さまざまな女性が“食べるため”に流れてきた。

 街角にはまた、戦前にはなかった“闇の女”とか、“パンパン”とよばれる人たちが立つようになりました。
 (中 略)
 もともとは、店にも組織にも属さない自由売春でしたが、自然に群れをつくるようになって、縄張りもできてきました。群れの中からボスが生まれ、規則のようなものもでき、それを犯すと、仲間からリンチを受けるということになったのだそうです。
 そのへんのことを田村泰次郎さんが『肉体の門』という小説で描き、それが映画や劇にもなって、大変な評判になりました。
 歌謡曲では、菊池章子が歌った『星の流れに』が大ヒットし「こんな女に誰がした」の歌の一節は、今日でも口にする人がいます。なんでもこの歌は、奉天から引き揚げてきた元看護婦の投書から生まれたものなんだそうです。その看護婦がやっとの思いで敗戦の日本に帰ってきたところが、空襲で家がなくなっていて、家族の消息もわからず、食べ物もなく、仕事も見つからず、闇の女になるほかなかったという事情を書いて、新聞に投稿したのでした。その投書を新聞で読んだ作詞家の清水みのるさんが心を打たれ、徹夜で詞を書き上げたといわれています。
 実際、女の人が街娼になったいきさつは、この『星の流れに』のような場合が多かったそうで、家族を養っていた人も二割近くいたと聞いています。


 この部分を読んで、どうしてもこの歌『星の流れに』について書かずにはいられない。
 
 この歌が出来たいきさつを少し補足したい。
 田端義夫の『かえり船』などの代表作を持つ作詞家清水みのるが、昭和21年のある夜、新宿駅近くの安酒場で東京日日新聞(現在の毎日新聞)を読んでいいて、読者欄に目がとまった。
 戦地で従軍看護師だった女性からの投書で、題は「転落するまで」とあった。中国の奉天から、着の身着のままで引き揚げてきた彼女は、両親を失い頼る人もなかった。さ迷い歩いて辿り着いたのは上野駅の地下道。3日間、食べるものもなく餓死寸前のところへ、男がやって来て握り飯を差し出した。翌日も同じことがあり、男から「話があるから」と公園へ誘われた。「それ以来、私は『闇の女』と人からさげすまれるような商売に落ちてゆきました・・・・・」という引き揚げから3ヶ月間の出来事が淡々と書いてあったらしい。

 清水は何度も読むうちに怒りがこみ上げてきた。そして一気に書き上げた詩が、あの名曲。
 本当は「こんな女に誰がした」という題名の予定だったが、GHQから横やりが入り替えたらしい。当初は淡谷のり子に歌ってもらおうとしたが売春婦の歌は嫌だと断られ、菊池章子が歌うことになった。

 歌詞を確認しよう。

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星の流れに

作詞:清水みのる
作曲:利根一郎
歌:菊池章子

星の流れに 身をうらなって
どこをねぐらの 今日の宿
荒む心で いるのじゃないが
泣けて涙も かれ果てた
こんな女に誰がした

煙草ふかして 口笛ふいて
あてもない夜の さすらいに
人は見返る わが身は細る
町の灯影の 侘びしさよ
こんな女に誰がした

飢えて今頃 妹はどこに
一目逢いたい お母さん
ルージュ哀しや 唇かめば
闇の夜風も 泣いて吹く
こんな女に誰がした
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 この歌は、私の亡くなった大学の恩師の十八番の一つだったので、とりわけ思い出深い。

 あらためて、素晴らしい反戦歌だと思う。

 私は反戦という市民活動においては、大きな声で訴えるばかりではなく、優れた反戦歌の存在も重要だと思う。

 たとえば、私が好きなアメリカのロックバンド、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)の「雨を見たかい」“Have You Ever Seen the Rain”だ。この歌の“Rain”は雨ではなくベトナム戦争で米軍が大量に投下したナパーム弾を意味する。イントロが流れた途端にゾクっとくる名曲だ。

 また、マーヴィン・ゲイの“What's Going On”も、ベトナム戦争に従軍した弟から戦場の実態を聞き、マーヴィンが作った見事な反戦歌である。

 この二曲とも大変に美しい曲。

 『星の流れに』は、紹介したアメリカのベトナム戦争を対象にした歌とは、もちろん趣きは違う。日本的な抒情に満ちた歌である。しかし、その歌の背景を知ることで「こんな女に誰がした」の言葉が訴えることは明白である。フォークソング『花はどこに行った』に近いものがあるかもしれない。

 これらのいずれの歌も美しい旋律とともに、今に残る名曲である。

 そうなのだ。反戦歌の名曲は、どれもが美しい。

 その反戦歌が、残念ながら必要な時である。

 飽食の時代の今ではなかなか想像がつないのだが、かつては、食べるために、あるいは家族を養うために、他に方法がなく吉原などの赤線や街娼として働かざるを得ない女性達がたくさんいたという歴史は忘れてはならないだろう。

 そして、もし今でも戦争に巻き込まれたら、同じような不幸の歴史が繰り返さないとも限らない。


 吉原の大きな転換期を辿るうちに、つい横道にそれてしまったが、お許しのほどを。
 (♪こ~んな~男に~誰がした~、という恩師の歌声が聞こえてくる・・・・・・)
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by kogotokoubei | 2014-06-17 00:29 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛