噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

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昨日は定席寄席の木戸銭の値上げについて書いたが、あらためて江戸時代の寄席の様子や木戸銭について確認してみた。

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興津要著『落語-笑いの年輪』(講談社学術文庫)
 私の座右の書『古典落語』シリーズの著者興津要さんに『落語-笑いの年輪』という本がある。初版は昭和43(1968)年に角川から単行本、平成16(2004)年に講談社学術文庫で再版されたのだが、十年前の発行なのに重版されていないのが残念な本だ。

 「第四章 ひらけゆく寄席の世界」から引用。(太字は管理人)

 大坂でいう講釈場・席屋・席、江戸でいう寄場(よせば)・寄せ—天保(1830-43)になって寄席と称せられるようになったものが、はじめてできた寛政(1795前後)ごろは一定の演芸場はなくて、舟宿や茶屋のような広い家を借りて幾日か興行し、出演者も三、四人どまりだった。それがしだいに大衆に歓迎され、文化元年(1804)ごろには、江戸に三十三軒ほどの定席ができ、文化十二年(1815)に七十五軒、文政八年(1825)に百三十軒になり出演者もふえるにつれて、前座・二つ目・三つ目・四つ目・中入り前・中入り後(くいつき)・膝がわり・真打の階級もでき、それが、前座・二つ目・中入り前・中入り後・膝がわり・真打となり、それがはるかのちの昭和になると、前座・二つ目・真打の三階級に簡略化されるのだが、とにかく隆盛の一途をたどった寄席演芸にとって、天宝の改革はまことに大きな障害だった。しかし、水野忠邦罷免後の弘化元年(1844)に制限が撤廃されると六十六軒に回復し、安政(1854-59)年間三百九十二軒になり、明治(1868-1911)期には八十軒前後になったが、だいたい一町に一個所はあり、収容人員も百人ぐらいで、木戸銭もふつうは三十六文ぐらい(安政に四十八文にあがる)で、下足札が四文、中入りに十五、六文のくじを前座が売りにくるぐらいで値段のはらない寄席は、まさに大衆娯楽の殿堂であり、多くの優秀な芸人もうまれていた。


 中入りのくじの話は、『今戸の狐』を思い出す。

 さて、この木戸銭三十六文~四十八文が、現在の貨幣価値でいくらぐらいか、というと。

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中込重明著「落語で読み解く『お江戸』の事情」

 若くして亡くなったことが惜しまれる中込重明さんの本の「時そば」の章から引用。

 十六文の価値を知るために、江戸の庶民の収入をのぞいてみよう。文政年間(1818-1829)に当時の庶民の暮らしについて記した『文政年間漫録』という本を見ると、当時の大工の年間の家計がどうなっていたのかおほよそ判断できる。これをもとに月々の収入を割り出してみると、およそ次の通りになる。
 まず収入だが、一日の手間賃は飯料込みで銀五匁四分、仮に一月に二十五日働いたとすると、135匁(銭に換算すると約9000文)になる。一方支出は、まず居住費の店賃(家賃)が、10匁。食費は夫婦に子供が一人として約30匁(約2000文)、酒、味噌、醤油、薪炭代金が約58匁、道具・家具代、衣装代、交際費がそれぞれだいたい10匁ずつで、しめて128匁の支出となる。収入から支出を差し引くと、ほとんど残らなかった。付け加えておくと、大工は当時の職人の中で手間賃が高い職種である。
 以上をふまえて計算すると、この一家の食費では月に125杯のそばが食べられる勘定だ。十六文は、月収の約562の一。現代のお金に置き換えるとするなら、仮に月収を30万円とした場合、562分の一は約533円となる。なるほど、そんなものだったのかもしれない。この通り、そば一杯十六文というのはそれほど高い値段ではなく、その日暮らしの職人や小商いの者たちでも、手が出せる範囲内だった。
 この計算でいくと、一文は約33円、最初に登場した職人風の男は、たったこれだけの金額をごまかすために、あれだけのい口上を述べたことになる。


 中込さんの本は、当時の大工の生活について貴重な情報を紹介してくれる。

 江戸時代の金-銀-銭の価値は、次のような構造になっている。

 金一両=銀六十匁(もんめ)=銭四貫

 銀五十匁で金一両の時期もあったようだが、六十匁で計算する。中込さんは、大工の月の稼ぎ135匁を9,000文としているが、135÷60x4,000で算出される数字だ。
 
 中込さんは、大工の月の稼ぎ銀135匁、銭9,000文を30万円に想定している。一両が4000文なので、一両は、300,000÷9,000x4,000で、133,333円になる。以前の記事で一両を60,000円で計算したことはあるが、物価が上がっていた時期の一両は120,000~130,000に設定すべきだろう。

 端数が出ないように、一両を120,000円としよう。一文は30円になるので、蕎麦の十六文が480円。現在の立食い蕎麦屋さんの天玉蕎麦(好きなのだ^^)の値段に近付いたように思う。

 寄席の木戸銭は、安政以前の三十六文で1,080円、安政以降の四十八文で1,440円。それぞれに下足札四文、中入りに引くくじ代十六文の計二十文分の600円を足すことにして、安政以前1,680円、安政以降2,040円になる。
 安政時代の約2,000円というのは、結構納得できる価ではないだろうか。大工さんが月給約30万で、この木戸銭なら月に何度か寄席に行けるだろう。

 江戸時代の芝居小屋の木戸銭は時期や小屋によって違っているが、次のような数字が残っている。マイナビニュースの該当記事
 この記事では一両を80,000円、一文を20円として計算しているが、私は一両120,000円、一文30円で換算してみる。

 立ち見      16文 →     480円
 土間席(下席) 100文 →   3,000円
 土間席(上席) 132文 →   3,960円
 桟敷席      25匁 → 約50,000円

 立ち見があるから、『四段目』の丁稚定吉は芝居を見ることができたのだ。とても土間の席で見るわけにはいかなかった。『なめる』で八公が芝居小屋で会った桟敷にいたお嬢様がお金持ちなのは、この木戸銭を見ても分かる。

 時代も環境も違うので単純比較はできないが、東京の定席寄席の木戸銭の価値は、江戸時代の庶民のハレの日の楽しみである芝居の土間席(下席)の木戸銭にほぼ等しいと言えるだろう。ホール落語会の木戸銭は、同じ芝居の土間席でも上席。最近は5,000円、6,000円の木戸銭をとる落語会もある。そのうち万の大台に乗る落語会が登場するかもしれないなぁ。歌舞伎にどんどん近付いている。

 結構今回の値上げは、寄席の経営にとってマイナスに働く気がするなぁ。私は、安政時代の木戸銭に下足札と中入りのくじの合計約2,000円が希望だが、高くても約2,500円が寄席の上限のような感覚だ。
 
 今年行く寄席は回数が減るかもしれない。行く場合は、末広亭の友の会、同じく夜の割引料金、そして池袋が中心になるだろう。鈴本や浅草にも行くかもしれないが、どの寄席に行くにしても、見る目、聴く耳は従来以上に厳しくなるだろう。

 あらためて書くが、私は寄席が好きだ。できる限りは、行きたい。

 興津要さんの本から引用した最後の部分に、“値段のはらない寄席は、まさに大衆娯楽の殿堂であり、多くの優秀な芸人もうまれていた”とあるように、活気のある空間であればこそ、噺家も育つのだと思う。

 この度の木戸銭の値上げ、小屋側も協会も、ぜひ客が「安い」と思わせる興行をして欲しいと願う。
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by kogotokoubei | 2014-04-29 10:15 | 木戸銭 | Comments(2)
「東京かわら版」4月号の小三治の対談特集についての記事で、聞き手が「寄席」について質問をした部分を紹介した。

 聞き手は、「もっと寄席に来て欲しい」という言葉を引き出したかったのだろうが、小三治は、聞き手の意図とは別に彼ならではの思いを表現していた。
 
 私は寄席が好きだ。とはいえ、この4月から5月にかけての木戸銭の値上げは、落語愛好家には非常に悩ましいものである。

 消費税アップに伴う寄席の木戸銭値上げについて、日経の記事から紹介。ほぼ20年振りの値上げとなる浅草演芸ホールのことが最初に紹介される。
日本経済新聞・電子版の該当記事

 浅草寺から歩いて数分。公園六区と呼ぶ歓楽街の中心にある浅草演芸ホールは、この日も大勢の客でにぎわっているように見えた。いつも繁盛していますねと、チケットもぎりの男性に声をかけたが、返ってきたのは苦笑い。運営会社、東洋興業の松倉由幸社長によると、2013年の正月ごろから少しずつではあるが客足が落ち続けているという。

 「落語ブームと言われて久しいが、あまり実感できませんね。東京スカイツリーが完成したときは浅草にもたくさんの人が流れてきたけれど、それも今は一服した。庶民の町ですから、アベノミクスの恩恵にあずかれるのも、たぶん最後の最後でしょう」

 そんな状況だから、「私にとっても初体験」(松倉社長)という木戸銭の引き上げはおそるおそるだ。ゴールデンウイークのかき入れ時が過ぎる5月21日から、税込み2500円の大人料金を2800円に変えるが、客足にどんな影響が出るのか、想像するのが怖いという。実際、特別公演などで料金を一時的に3000円程度にしたときなど、窓口までやってきた夫婦客が「高い!」と言って引き返すことがある。カップルで5000円札1枚程度が入るか、入らないかの境目になっているもようだ。


 日経が指摘する“境目”については、一概に言えないだろう。高いか安いかという価値観は人によっても違う。しかし、3,000円の声を聞くと、ホール落語会と変わらない印象を受けるのは事実だろうなぁ。また、浅草は小屋自体もいろいろと改善すべき余地があると思う。客足が減ったのは、必ずしも周囲の環境変化のせいばかりではなかろうが、それはこれ以上ふれないでおこう。

 日経記事を元に定席を含むこ新旧の木戸銭は次の通り。

----------------------------------------------------------
         現行料金(円)  4月の消費税率引き上げ後
浅草演芸ホール(5月21日より)
         大人  2500    2,800(300円アップ)
         学生  2000    2,300(300円アップ)
         小人  1100    1,500(400円アップ)

鈴本演芸場
         大人 2800     据え置き
         学生 2400     2,500(100円アップ)
         小人 1500     据え置き
         シニア割引廃止
末広亭
         大人  2800    3,000(200円アップ)
         シニア         2,700
     学生・友の会 2200    2,500(300円アップ)
         小人  1800    2,200(400円アップ)
       【夜の割引料金】 ※特別興行は除く
        18:00~  一般¥2,500 学生¥2,200 小学生¥1,500
        19:00~  一人¥1,500 

池袋演芸場    すべて据え置き     
         大人 2500 
         学生 2000
         小人 1500

国立演芸場の落語・演芸の定席
         大人  2000    2,100(100円アップ)
         学生  1400    1,500(100円アップ)
         シニア 1300     据え置き

横浜にぎわい座
             3000    3,080(80円アップ)

天満天神繁昌亭  すべて据え置き
         大人 2500
         学生 1800
         小人 1500

(主に当日の自由席。特別公演や独演会は除く。年齢区分は各寄席によって異なる。税込み)
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 末広亭の3,000円には、実は驚いた。まさか大台になるとは。だから、2,800円据置きの鈴本の方が安い、という印象を与えるかもしれないが、ご存知のように鈴本は昼夜の入替え制、末広亭は通常の定席では入替えはない。
 加えて末広亭には「友の会」がある。10,000円で三カ月置きに年四回入場券が送られてくるので、一回当りは2,500円になる。加えて、夜は入場時間による割引もある。シニア割引は新設のはず。
 しかし、3,000円の木戸銭は、友の会に入るか、夜席の割引でもなければ、なかなか行きにくいとも言えるなぁ。。

 鈴本は2,400円のシニア割引料金を廃止したので、シニアは2,800円と一般と同一金額になり、400円アップ。それでも、一般の2,800円を上げなかったことは頑張っているとも思うが、シニア割引廃止は解せない。年季の入った多くの落語愛好家を失うのではなかろうか。

 池袋が、今のところは、値上げなしで頑張っている。今の木戸銭のうちに行こうと思わせる。鈴本や末広亭からお客さんが池袋に移動する姿が思い浮かぶ。

上方の繁昌亭も大阪人の気質を反映しているのか、値上げなし。

 横浜にぎわい座と国立演芸場は消費税増税対応と言えるだろうが、鈴本、末広亭、浅草は、あえて言えば“便乗値上げ”である。実態は、「これまで辛抱したがもう限界」なのかもしれないが・・・・・・。

 噺家さんにも従業員にも相応の見返りはあって欲しい。しかし、寄席が3,000円となると、寄席の楽しさを知らない人が、単に木戸銭のみを見てホール落語会を選ぶ傾向が強くなるかもしれない。

 小三治のような境地になれない私は、それが気がかりだ。寄席の楽しさを多くの人に味わって欲しい。

 寄席はいい。十人噺家さんが登場して、一人でも二人でも「おやっ!」と思わせる高座があると、私はそれでもいいと思っていたが、今回の木戸銭の値上げを考えると、十人中、三~四人は「良かった!」と思わせる高座づくりの努力は必要だろう。そして、「行くんじゃなかった」と思わせる高座は一つでも減らす施策を、寄席側も協会も考えるべきではないか。

 江戸時代の三十二文、四十八文という木戸銭との比較をするのは無理があるだろう。寄席の数も、その寄席のあり様も違いすぎる。夜鷹そばの二杯分、三杯分とはいかないだろうが、立ち食いの天麩羅蕎麦の七杯分位までになっている現木戸銭は、庶民の楽しみとしては、結構ギリギリの価格設定なのではなかろうか。

 しかし、それだけの楽しさを味わわせてくれるなら、きっとお客さんも増えるはずだ。

 今回の木戸銭の値上げは、寄席と両協会にとって客との接点をつなぎ留められるかどうかの分岐点ではなかろうか。新たな木戸銭は、落語愛好家が寄席に行こうかホール落語会に行こうか、と迷う分岐点になると思う。

 値上げによる悪循環が起こらないよう、小屋にも協会にも魅力ある寄席の運営を期待したい。

 今まで以上に、芸とは言えない漫談でお茶を濁す噺家や、客への対応が不適切な小屋には、小言を書くことになるかもしれない。こっちも、決して安くない木戸銭を払うのである。
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by kogotokoubei | 2014-04-28 19:34 | 木戸銭 | Comments(6)
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 落語愛好家の大先輩である佐平次さんのブログ「梟通信」で、「東京かわら版」の4月号に小三治とのインタビュー特集があることを知って購入し読んだ。
 佐平次さんが紹介済みの内容とできるだけ重複しないようにするので、ぜひ「梟通信」もご覧のほどを。
「梟通信」の4月20日の記事

 以前は定期購読していたのだが、最近はネットで落語会の情報が入手できることもあり、本屋で面白そうな号のみ買っていたが、この号は買い忘れていた。

 DVDブック「落語研究会 柳家小三治大全(下)」の発売を記念して1月27日に椿山荘で合同記者会見が行われたらしく、その二時間の内容を紹介したものである。

 聞き手(複数)が、自分が期待する答えを引き出そうとしてさまざまな質問をぶつけるが、聞き手の思いとは違いながらも、小三治らしい言葉が返ってくる。全体的に、そんな印象を受けた。なかなか得がたい話もある。

 まずは、寄席にもっとお客さんに来て欲しい、という言葉を期待したのだろうと思う質問へのやりとり。

落語界の現状

—落語ファンの中には、ホールに自分のお目当ての落語家さんだけを聞きに行くというファンもいると思うんですね。つまり寄席に行かない落語ファンがいるという現状についてはどうご覧になっていますか。やはり寄席に来てほしいというお気持ちなのでしょうか。
小三治 いいんじゃないですか。それを情けない世の中だとか言わせたいんですか。
—最終的に寄席に来るお客さんが先細りしちゃうんじゃないかなという懸念はおありなのかなと。
小三治 そういう人が増えればいいんですよ。ホールでしかやらなかった人が、何かの加減で寄席に出るようになったらば、それを見に行くという人があるでしょうし、ホールでちょっとだけ見ればたくさんと思った人が、果たしてそれでその人は満足して生きていけるかということになる。その人は好みが変わってくるとしますよね。そのときに落語じゃなくて音楽や芝居だったりするかもしれない。それはそれでいいじゃないですか。何かを楽しもう、見てやろうというようなものが、いっときその人を襲ったとしたらもう万々歳ですよ。だから私は落語を「このままいつまでも永遠に」なんて思っていないですから。だめになったらだめになったでいいですよ。西暦何年ごろ、落語なんていうものがとうとうなくなってしまいましたとか、それで何年から何年まで栄えたらしい、ということは言えますから・・・まあそういうことですよ。


 自分自身が幅ひろい趣味を持つ小三治らしい言葉だと思う。肩肘張って「寄席へ来い!」と言ったところで、好きな者しか行かないわけで、もし特定の噺家がホールのみならず寄席にも出ることで客層が増えることは期待しないでもないが、人の気持ちだってそういつまでの一っところにはいないのも事実だろう。

 会長就任時に同じ質問に同じように答えたかどうかは怪しいが、少なくとも三ヵ月前の小三治の気持ちは、なんとも淡々としたものである。

盟友・入船亭扇橋
—扇橋師匠はお元気でしょうか。
小三治 元気になってくれないかね。あいつが倒れて胃ろうを始めたって聞いたときはね、そんなことしねえで殺してくれりゃいいのにと思いましたよ。だけどその後ね、弟子たちが「ああいうふうに息をしているだけで私たちは違うんです」って言われて、自分の師匠のことを思い出しましたよ。高座があやうくなりはじめてから、紀伊国屋でやった「粗忽長屋」のおもしろかったこと。四代目が乗り移ったんじゃないかと思うような。ここで押しゃあ、もっと面白くなるところを、このごろ押さないねってなことを若いころの小さんを知っている人はよく言っていましたよ。そのときは「お前は古いときので喜んでろ」って言ったけど、そのときの小さんを聞いたときは、幾らなんでも何もしなさ過ぎるよと思ったけど、そのうちにね、面白さじゃなくて、その世界が広がってくるんですよ。だから落語っていうのは、やっぱりその世界が広がってくるっていうのが大きいなー。


 少し前に、次のように語っていることが、この話につながっている。

小三治 うーん、刺激を受けたといえば扇橋ですかね。でもそれは若いときじゃないですよ。年とってから。ときどき高座で、私の理想は扇橋ですと言ったことがあります。自分の世界を持っているということですかね。人の言うことに耳貸さねえもんな、あいつ。「茄子娘」にしても「鰍沢」でも、いわゆるうまいっていうんじゅないんですよ。でも何とも世界が出てきてよかったな。


 
 今回の会長辞任、こういった三ヵ月前の小三治の落語界や盟友扇橋への思いを知ると、納得できなくもない。

 この対談特集、小さい文字で一頁四段組で六頁というボリューム。まだまだいろいろ興味深い話が詰まっている。喬太郎のインタビューや2013年の演芸界のできごとの一覧なども含め、東京かわら版の回し者ではないが、永久保存版的な価値がある。
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by kogotokoubei | 2014-04-26 09:11 | 落語の本 | Comments(8)
TPP交渉における日本側の対応にはあきれ返る。あえてほぼ一年前に書いた記事(現在は「幸兵衛の小言」に別居)の引用を中心に、日本の甘さについて記したい。
2013年9月6日のブログ

 かつて農林水産大臣を務めた山田正彦元衆議院議員の昨年4月15日のブログに、USTR(アメリカ合衆国通商代表部)の発表内容の和訳があるので引用したい。ちなみに山田氏は、この事前協議の合意を「ミズーリ艦上の降伏文書」にたとえていた。(このページ、なぜか今は山田正彦のホームページが閉じていてリンクできない・・・・・・。)


内閣官房の書簡はたった1ページで抽象的な言葉で終わっていますが、私の親友・首藤信彦氏(外交評論家・前衆議院議員)が徹夜で仮翻訳した文章を送っていただいて、更に驚きました。その内容をこの後に掲載していますので皆さんにも是非、読んでいただきたいと思います。
併せて政府が発表している佐々江賢一郎さんの米国に対する、米国務省への書簡。更に米国通商代表代行マランチェスの日本政府に…対する書簡も添付しますので、是非、比較してお読みください。

以下、首藤信彦氏の仮翻訳文書。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
USTR 2013.4.12
TPPへ向けて:日本との協議事項報告 <仮訳>

アメリカ政府はTPPに参加したいという日本との公式二国間協議を2012年2月に開始しました。これは日本のTPP参加国との協議を始めたいという2011年11月の表明にもとづくものです。
日本との協議は、自動車や保険セクターおよび他の非関税障壁に関する二国間の幅広い関心事をカバーし、TPPが求める高い基準を日本が満たす用意があるかどうかという点に関する議論も含まれています。
今日、アメリカ政府は日本との間に、強固な実施行動のパッケージおよび諸合意が成立したこと、そしてアメリカ政府が一連の協議を成功裏に完結したことを報告申し上げます。

自動車
アメリカ政府は、自動車部門に関する深刻かつ積年の関心事を明確にしました。日本政府はアメリカとの協議において、日本車の輸入関税はTPP交渉の他のいかなる製品に猶予された最長期間よりもさらに遅い時期において段階的に廃止されることに合意した。しかも、この段階的廃止は猶予期間が終了した後にのみ実行されることも日本政府は合意した。さらに、これらの措置は米韓FTAで韓国に認められた関税廃止措置よりもはるかに遅れることも日本政府は合意した。

4月12日に日本政府は、簡易許可手続き(PHP)すなわち日本に輸出される米国車に対してより簡単で時間のかからない認証方法での輸入台数を二倍以上にすることを一方的に決定して通告してきました。最近の例でいえば、車種ごとに年2000台まで認められている簡易輸入手続きを、今度は車種ごとに年5000台までアメリカ自動車メーカーは日本に輸出する際には認められることになります。

アメリカ政府と日本政府は日本の自動車産業分野に存在する広範な非関税障壁(NTM)を、TPP交渉と並行して行われる二国間協議の俎上に載せることを合意しました。そのテーマの中には諸規制の透明性、諸基準、証明書、省エネ・新技術車そして流通などの問題が含まれる。さらに、特定車両に対するセーフガード条項を協議し、係争事例の法的救済として関税再課税(snapback tariffs)などのメカニズムも協議することを日米政府は合意した。協議でどれだけの範囲のイシューを協議するかは添付されたTOR(内閣官房資料3)に書かれている。そしてその協議の結果はTPP交渉におけるアメリカと日本の二国間における最終二国間市場アクセス包括協定における強制的約束として含まれるものである。

保険
近年、アメリカ政府はアメリカの保険会社が日本郵政の保険との関係において、日本の保険市場で平等な基準で取り扱われていないことを強調してきた。今回の協議において、TPP協議へ向けて平行して行われる交渉と同時に、このTPP交渉における平等な取扱いの問題を取り上げることに合意した。さらに、日本政府は、4月12日に一方的に以下のことを通告してきた。その内容は、日本郵政の保険に関しては、民間の保険会社に日本郵政と平等な競争条件が確保され、また日本郵政の保険が適切なビジネス経営(非公営)の下で運営されていると日本政府が決定するまでは、いかなる新規のあるいは修正されたがん保険及び単独の医療保険を許可しない、ということである。

非関税障壁(NTM)
アメリカ政府はアメリカ製品の日本への輸出を妨げている広範な産業分野および産業横断的な非関税障壁に対する懸念を表明してきた。これらの問題がTPP交渉においてはまだ十分に討議されていない以上、それらは二国間で、TPP協議と並行して、討議され、TPP交渉終了までに完結させなければならない。(これに関しては別添fact sheetで問題の実情を含め詳細に説明されている)

日本は高い基準での協定受け入れを表明
我々二国間の協議を通してアメリカ政府は、日本がTPP交渉に参加したいなら、現在の参加国である11か国によってすでに交渉された高い基準での協定を受け入れを保証せよと強く強調してきた。それに対し、また2月22日の共同声明に記載されているとおり、日本政府は、すべての産品を交渉のテーブルに乗せ、そのうえで2011年11月12日にTPP参加国によって表明されたTPP協約に明記された包括的で高い基準の協定を達成するために、交渉に参加することを言明した。

強固な関係の成長
もし日本がTPP交渉に参加するなら、その参加はアメリカの最大の貿易パートナーである国の参加であり、TPP協定の経済力を高める。日本は現在、アメリカの第4位の貿易パートナーである。2012年にアメリカは700億ドルの産品を日本に輸出し、サービス分野は2011年に440億ドルに達した。TPPに日本が参加することは、アジア太平洋地域FTA(FTAAP)への道筋を進めると同時に、競争力のあるアメリカで生産された製品とサービスに対する日本市場のさらなる開放を意味する。そのことは同時にアメリカ国内の雇用を支えるのだ。TPPに日本が参加したことにより、TPP参加国全体では世界のGDPの40%近く、そして世界貿易の三分の一を占めることになるのだ。    
以上
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【駐米日本大使発書簡】



 一方、「官邸」サイトに昨年のこの時期に掲載されている、日本側の発表内容がこれ。
「官邸」サイト掲載の該当PDF

日米協議の合意の概要
平成25 年4 月12 日
内閣官房TPP 政府対策本部

1 日本が他の交渉参加国とともに,「TPP の輪郭」において示された包括的で高い水準の協定を達成していくことを確認するとともに,日米両国が経済成長促進,二国間貿易拡大,及び法の支配を更に強化するため,共に取り組んでいくこととなった。

2 この目的のため,日米間でTPP 交渉と並行して非関税措置に取り組むことを決定。
 対象分野:保険,透明性/貿易円滑化,投資,規格・基準,衛生植物検疫措置1 等

3 また,米国が長期にわたり懸念を継続して表明してきた自動車分野の貿易に関し,
(1)TPP 交渉と並行して自動車貿易に関する交渉を行うことを決定。
   対象事項:透明性,流通,基準,環境対応車/新技術搭載車,財政上の
   インセンティブ 等
(2)TPP の市場アクセス交渉を行う中で,米国の自動車関税がTPP 交渉における最も長い段階的な引下げ期間によって撤廃され,かつ,最大限に後ろ倒しされること,及び,この扱いは米韓FTA における米国の自動車関税の取り扱いを実質的に上回るものとなることを確認。

4 日本には一定の農産品,米国には一定の工業製品といった二国間貿易上のセンシティビティが両国にあることを認識しつつ,TPP におけるルール作り及び市場アクセス交渉において緊密に共に取り組むことで一致。 以上



 違いは一目瞭然だ。

 たとえば「非関税障壁」について、まずUSTR側は、こう書かれている。
非関税障壁(NTM)
アメリカ政府はアメリカ製品の日本への輸出を妨げている広範な産業分野および産業横断的な非関税障壁に対する懸念を表明してきた。これらの問題がTPP交渉においてはまだ十分に討議されていない以上、それらは二国間で、TPP協議と並行して、討議され、TPP交渉終了までに完結させなければならない。(これに関しては別添fact sheetで問題の実情を含め詳細に説明されている)


 日本側の発表内容。
日米間でTPP 交渉と並行して非関税措置に取り組むことを決定。
 対象分野:保険,透明性/貿易円滑化,投資,規格・基準,衛生植物検疫措置1 等


 「保険」の項目についてなど、日本側はほとんどふれていない。

 アメリカは、次のように言っている。

日本は高い基準での協定受け入れを表明
我々二国間の協議を通してアメリカ政府は、日本がTPP交渉に参加したいなら、現在の参加国である11か国によってすでに交渉された高い基準での協定を受け入れを保証せよと強く強調してきた。それに対し、また2月22日の共同声明に記載されているとおり、日本政府は、すべての産品を交渉のテーブルに乗せ、そのうえで2011年11月12日にTPP参加国によって表明されたTPP協約に明記された包括的で高い基準の協定を達成するために、交渉に参加することを言明した。



 まったく違う協議のことを言っているのではないか、と思わせるギャップ。

 事前協議に関するアメリカ(USTR)の言い分が正しいとしたら(たぶん正しいだろう)、日本の政府は、確信犯的に合意内容を隠している。
 
 この時の「概要」という言葉に、すでに欺瞞の匂いがプンプンしている。早い話が、これは国民に対する“詐欺”である。

 別に今回のオバマの来日で、アメリカが“強硬姿勢”をとっているのではない。一年前から、アメリカは“本気”である。日本は、あるいは安倍政権は、まったく本気で準備をしてこなかった。
 
 日本の官僚は、なんと脇が甘くなったことだろう。オバマは、その背後に“アメリカ経済”を背負って交渉に来た。お坊ちゃんの安倍は、オバマ側の要望だろうが、庶民には到底味わえそうにない最低一人前三万円のすきやばし次郎の鮨でオバマを懐柔できると踏んでいた。安倍は、そして側近はオバマアメリカの今回の意図をまったく想定できていなかった。支持率が低下するオバマとしては、歴史に名を残すには今が踏ん張り時なのである。
 甘利の寝不足の表情など、見たくもないし、「もう一度やれと言われたらやりたくない」などというなんとも幼稚な発言は聞きたくない。しかし、それは、安倍政権の“あまり”にも“甘い”外交政策の、ほんの一つの情けない事象に過ぎない。

 いくらミシュランで星のついた鮨屋で会食しようが、日本とアメリカでは、TPPという“ネタ”についての考え方が一年前から違っているのである。
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by kogotokoubei | 2014-04-24 21:18 | 責任者出て来い! | Comments(0)
落語協会会長交代の記事にいただいた、りつこさんのコメントで、柳家小袁治の日記風ブログ「日刊マックニュース」で、小三治会長辞任に関することが書かれていることを教えていただいた。私は調べるの忘れていたなぁ、このブログ。

 せっかくなので、ご紹介したい。「新日刊マックニュース」4月17日の記事である。
柳家小袁治「新日刊マックニュース」のサイト

★共同通信社から落語協会の会長退任記事が出た。スポニチとかスポーツ新聞からじゃないところが不思議に感じた(^_^;)
落語協会の理事さんとか愚生は本人から会長を退くことを直接話していたし、発表してもいいとも言っていた。ところが、この時期まで公にならなかったのは何故なのだろうか?

★愚生がご本人から言われたことはもう辞めて、次期会長は誰にするか心に決めているということだった。まだ、本人に打診していないので、今は内緒だと言っていた。市馬さんのことだったのか…、新聞記事になるんだから受諾したんだね。

★落語協会から正式に発表があると思う、落語協会の会長人事など重大なことは正式な形で発表することになっている筈だ。
正式には6月の総会で発表することなんだろうけど報道各社は黙っちゃいない、協会はどうするのかなぁ‥‥。


 
 “市馬さんのことだったのか…”の、“…”が微妙だなぁ。

 きっと、小袁治の想定した名前ではなかったのだろう。小さん門下の、あの兄弟子を想定していたのかなぁ。

 6月の総会の前に、何らかの情報が発信されるのか否か。

 いずれにしても、小三治の辞任の意思は結構早くから決まっており、後任会長に市馬という思いも強かったと察する。
 上にも下にも、そして外にもパイプを作ることのできる、調整型の会長を期待してのことなのかもしれない。


 長年の友である扇橋の病状は思わしくなさそうだ。友の姿を見て感じたことも、辞任につながったのかもしれない。

 さて、市馬新体制はどうなるのか。

 多くの企業が株主総会を開く6月の理事会で新体制が決まるということが、落語という芸能の寄合が次第に企業化することを暗示している、そんな気もする。
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by kogotokoubei | 2014-04-23 20:01 | 落語協会 | Comments(4)
道楽亭さんの出張寄席。副題は“「兄弟会」~たっぷり!~”となっている。

 この二人の兄弟会は、以前は東京音協で開催していたのだが、もうやめたのだろうか。2012年8月7日の会に行っている。
2012年8月8日のブログ
 実は、この日の扇遊も二席のうち一席が『厩火事』だった。

 開演時点で、ほぼ二百席の会場は九割ほどは埋まっていたと思う。次のような構成だった。
-----------------------------
(開口一番 入船亭ゆう京『道具屋』)
入船亭扇遊 『厩火事』
入船亭扇辰 『藁人形』
(仲入り)
入船亭扇辰 『悋気の独楽』
入船亭扇遊 『井戸の茶碗』
-----------------------------

入船亭ゆう京『道具屋』 (22分 *19:06~)
 初である。名乗らずに携帯の注意から。この後で師匠扇遊が「何度も断ったんですが・・・京都大学出身なんです」と補足。とぼけた味は悪くないのだが、開演が少し押したのにもかかわらず、その技量もないのだろうが、縮める工夫もせず時間を使ったため、後々師匠を苦しめる結果になったような気がする。
 葉唐辛子から、ネズミの捕まえ方、掛け軸の鯉の滝登りという前段から道具屋を開いてからの鋸、本、股引、木刀、そしてサゲの鉄砲までフルコースに近い内容だったが、技量と機転があれば、前段と後段で一つから二つネタを割愛し時間調整できたはず。不思議な味はあるので、今後の精進に期待しよう。

入船亭扇遊『厩火事』 (28分)
 師匠扇橋の出囃子「にわか獅子」で高座へ。師匠の病状などについては語らなかったが、筆頭弟子の思いが伝わった。
 開口一番のゆう京のことや、定番とも言えそうな天気予報の半井さんがいなくなって寂しい、あの方が代わってから天気が悪い、などの8分ほどのマクラから本編へ。
 この噺の“教科書”のような高座だった。体に深く染み込んでいるネタ、という印象。2012年8月の兄弟会の時は、お崎さんが先輩の髪結から頼まれた仕事先で、娘の髪はすぐ出来たけど、芝居に行くという母親が癖っ毛で苦労した、と文楽版と母娘が逆だったが、本来の内容になっていた。
 お崎さん、旦那、亭主の演じ分けはもちろん、流れるような会話の中で聞かせどころではしっかりとメリハリをつける。会場のお客様の感度も良かったが、随所で適度な笑いが起こっていた。以前にも書いたが、長屋噺の夫婦ネタ(『夢の酒』『佃祭り』など)は、東京の噺家さんの中でも扇遊が抜きんでていると思う。女性の感情の起伏の表現を、自然な語り口と所作で表現する技量は相当に高い。今年のマイベスト十席候補にすることをためらわない。

入船亭扇辰『藁人形』 (34分)
 マクラは師匠扇橋が弟子に名前をつける際の逸話。扇辰の最初の名である扇たつは、師匠が食後のデザート、サツマイモをモグモグ食べながらつけてくれたとのこと。また、扇橋は、どうしても誰かに扇長(せんちょう)を名乗らせたかったが、誰も受け入れなかった。兄弟子が皆拒否していたのを知っていたので、ほんの一瞬受けようかと思ったらしいが、「もし、そんな名前を付けていたら、今もっとも嫌われているのがこの言葉(船長)なので、貰わなくてよかった」、と時事ネタで笑わせる。そういったマクラ8分ほどで本編へ。
 生の高座で聴くのは初めてだと思う。大須演芸場の遺産(?)である、志ん朝の初出し音源を思い出す。終演後の居残り分科会では、Oさんから扇辰がよく演じているとのことをお聞きした。そういえば、ネタ出しをしていた落語会の案内を見た記憶がある。
 こういう“薄気味悪い”、準怪談噺とでも言うような噺、扇辰は上手い。昨年5月の文左衛門との二人会で聴いた『団子坂奇談』も良かった。この人の持ち味の一つは、表情の大きな変化や語り口の違いを生かした登場人物の演じ分けであるが、こういう噺では、それが生きる。西念とお熊の会話に如実に現われていた。また、同じ人物でも、感情の微妙な変化を目つきや表情で表現する技量も高く、西念が二十両を捻出してくれることを知って、次第に“しめしめ”とばかり喜びが沸いてくるお熊の演技が特筆ものだった。他の登場人物、西念の住む長屋の大家、甥の甚吉なども、生き生きと描いていた。扇辰の十八番に加わることで、なかなか聴くことのできない噺が蘇ることへの期待も込め、今年のマイベスト十席候補とする。

 この噺、身を持ち崩して千住の廓に流れ落ちたお熊が、元は神田のぬか問屋の娘であった、という経歴がサゲにつながるのだが、吉原ではなく、同じ四宿で大店も多かった品川でもなく千住であることが、この噺の設定として結構重要なのだと思う。

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大石学著『地名で読む江戸の町』
 品川、板橋、新宿と合わせて「四宿」と呼ばれた千住について、少しご紹介。大石学著『地名で読む江戸の町』は、昨年PHP文庫として再刊されたが、最初はPHP新書で2001年の発行。最近私が凝っている(?)江戸切絵図の関連で読んでいるが、なかなか楽しい本だ。

 千住については次のように書かれている。

 千住宿は江戸日本橋からわずか二里八町(約九キロメートル)であり、宿泊する旅人は少なかった。そのため、一般の旅人を泊める旅籠屋の中には営業不振に陥る店も少なくなかった。これは千住宿に限らず他の初宿にも言えることで、その打開策として旅籠屋に飯盛女置かせてほしいという願い出が、千住・品川・板橋三宿の、問屋(といや)・年寄・旅籠屋惣代連名で幕府に出された。その結果、明和元年(1764)に、品川は500人、千住と板橋には150人の飯盛女が公認された。こうして江戸後期の千住宿は単なる宿場としてよりも、江戸近郊の遊里として人を集めるようになる。
 近くに吉原があるにもかかわらず千住の遊里が発展した理由の一つに、先に触れた千住大橋北岸にある千住河原町のヤッチャバと言われる青果市場の存在がある。ここは神田(千代田区)、駒込(文京区)とともに、江戸城にくわい・れんこん・いもなどを上納する幕府の御用市場でもあった。農民は朝ヤッチャバに来て農作物を売り、その現金を手に、夜、改めて遊びに来たのである。
 また、江戸から町人もやって来た。吉原の高い料金と気位の高い遊女がいやな人も多かったのだろう。「材木屋めがと千住へみんな行き」という川柳からもわかるように、遊郭での豪遊で鳴らした材木屋、すなわち紀伊國屋文左衛門にあやかりたいが、先立つものが見当たらない人々は、庶民的で肩の凝らない千住を目指したのであった


 ヤッチャバの語源は、セリをする声が「やっちゃやっちゃ」と聞こえたかららしい。農民が農作物を売った金で廓に行くと聞くと、『お見立て』の杢兵衛大尽も品川よりは千住が似合いそうだが、あえて品川に行くことに杢兵衛さんの自負があったのだろう^^
 西念が吉原や品川の大店には出入りできそうにもない。若い衆に追い出されるのがオチだ。
 今では演じ手の少ない噺は、舞台が千住ということで成り立っていると思う。そういうことを思いながら落語を聴いていると、その粗筋やクスグリのみならず、楽しむことができるのだ。最近は、少々重くてもカバンに切絵図の本と拡大鏡が欠かせなくなっている。少し、病的か^^

入船亭扇辰『悋気の独楽』(16分)
 仲入り後、「にわか獅子」で登場。短いマクラでは、あるベテラン噺家(さすがに名は明かさなかった)が、志ん朝未亡人に許しを得たと言って、「老松」を出囃子に使っていた、とのこと。私には信じられない話だ。立川談春が、「好きだから」という理由で、一門にことわりもなく先代馬生の「鞍馬」を使っているようだが、これも感心しない。
 さてこの高座。定吉がこれだけ暴れるこのネタは初めて聴いた。その表情、仕草を含め、なんとも大胆な定吉の描写。好きな人は大爆笑なのだろうが、これは好みが別れるな、と思いながら聴いていた。案の定、終演後にお会いしたI女史は、「あれは、私にはダメ」とのこと。なるほど。私は、少しやり過ぎのように思うのだが、耐えられない、というほどではない。また、これも扇辰の持ち味が現われたものには違いない。聴き手の好みもいろいろだし、噺家さんも、なかなか大変だ。

入船亭扇遊『井戸の茶碗』 (35分 *~21:37)
 すでに九時を回っている。自分の弟子の開口一番が長引いたせいもあるので、少しでも早くお開きにしようと、急ぎ気味の高座だったように思う。
 高木佐久左衛門が屑屋の清兵衛から買った仏像から五十両が出て、清兵衛に千代田卜斎に返却を頼む場面、清兵衛が高木の名を聞くのを失念したようだ。卜斎の長屋に出向き、高木の名を聞いたことにして進めたが、私には少し違和感あり、だった。その後、持前の話術と力技で爆笑ネタに仕上げたのは流石だが、急いで汗をかきながらの高座は、この人には似合わない。しかし、もちろん水準以上の高座で、人によっては高い評価をするだろう。私は欲張りなのだ^^


 終演後、外は雨。I女史は帰宅され、Oさんと二人で居残り分科会である。二人とも「一席目に力を入れ過ぎて、後半バテたようだ」という印象は同じ。話題は、落語協会の会長交代やら、この日のネタのこと、今後の予定のことやら、Oさんと娘さんとのLINEでの楽しい会話のことなどで盛り上がる。菊川の徳利が結構早いピッチで空いていった。
 この日、中野の今松の会に行っているはずのYさんに携帯メールを打ったが、仕事で行けなかったようだ。Oさんと居残りをしていると伝えると、うらやましい、との返信。彼は、昨年も私の知る限り三~四枚、落語会のチケットを無駄にしている。私はなんとか一枚でとどめた(?)。宮仕えは辛いねぇ。

 店の看板までいたのだから、帰宅が日付変更線を越えないはずはない。電車の中からYさんに、次回の居残り会では市馬新体制について話し合おう、とメールしたら、「ぜひとも!」との返信。少し元気を取り戻したかなぁ^^
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by kogotokoubei | 2014-04-23 07:12 | 落語会 | Comments(0)
落語協会の会長交代の件は、17日の理事会の後に“関係者”から聞いたニュースとして報道されている。

 共同通信の47NEWSには、次のように記載されていた。(太字は管理人)47NEWSの該当記事

 落語協会の柳家小三治会長(74)が6月の任期満了で退任することが17日分かった。関係者によると、同日の理事会で了承され、新会長には柳亭市馬副会長(52)が内定した。6月の総会で正式決定する。



 未だに落語協会のサイトには、何ら情報はない。落語協会のサイト
  
 落語芸術協会のサイトにも歌丸会長の復帰のニュースはないが、これは別の問題。落語芸術協会のサイト


 落語協会の匿名の関係者のリーク、協会も認めた上でのことなのか、それとも“うっかり”なのか・・・・・・。

 現在の役員の顔ぶれをあらためて紹介すると、次の通りである。
落語協会サイトの該当ページ

当期役員 (任期:平成24年6月25日より2年間)
会長  柳家小三治
副会長 柳亭市馬
常任理事 柳家さん喬・林家正蔵・三遊亭吉窓
理事 桂文楽・柳家小さん・三遊亭圓丈・古今亭志ん輔・入船亭扇遊
   三遊亭歌る多・五明楼玉の輔・鏡味仙三郎
監事 柳家さん八
外部監事 友原征夫(会計士)
------------------------------------------------------
最高顧問 三遊亭圓歌・鈴々舎馬風
顧問 三遊亭金馬
外部顧問 寺脇研(京都造形芸術大学 芸術学部教授)
相談役 橘家圓蔵・三遊亭圓窓・入船亭扇橋・林家こん平・林家木久扇



 理事でブログをつけているのは志ん輔くらいだろうが、彼の当日の記事には内容は一切書かれていない。
「志ん輔日々是凡日」4月17日の記事

9時35分 落語協会へ。
13時 浅草のカラオケで声馴らし。


 こう書かれているだけである。

 その三日後の20日の夜、たまたま楽屋で一緒になった同期の桂才賀と飲んでいるようだが、果たしてそのきっかけが17日の理事会の結果に関係するのかどうかは、もちろん不明だ。しかし、次のような表現に、どうもわざとらしさが匂うのである。わざわざ“丁度楽屋に居合わせた”と断っているのだが・・・・・・。勘ぐってもしょうがないけどね。
「志ん輔日々是凡日」4月20日の記事

17時30分 カラオケを出る、今夜は才賀さんと一杯やろうということになっている。真打になった弟子と二ッ目になる弟子の師匠同志なんてキザなことではない。丁度楽屋に居合わせた同期の仲間ということだ。さて・・



 才賀と志ん輔は同じ年(昭和47年)の入門、真打昇進も昭和60年の9月、同期である。ちなみに、協会の理事の扇遊も真打昇進は同期。

 才賀と志ん輔との酒の肴として、会長交代の話が出ないわけはないと思うが・・・・・・。

 噺家さんのブログはいくつかあるが、私が探した範囲では会長交代について書かれた記事が発見できなかった。

 6月に新体制が決まった時には、“関係者”のリークではなく、公式に発表されるのだろうが、相当若返りしそうな気がするなぁ。

 それにしても、噺家さんのブログでの“口”が固いこと。政治家やNHKの会長は、大いに見習うべきであろう^^
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by kogotokoubei | 2014-04-22 00:15 | 落語協会 | Comments(6)
桂枝雀が旅立ってから、十五年が経った。

 昨年11月に放送されたBS朝日の「君は桂枝雀を知っているか!?」が、明日再放送されることは、先日書いた通り。
BS朝日サイトの該当ページ
 この番組では、長男、次男の言葉が印象に残っている。

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上田文世著『笑わせて笑わせて 桂枝雀』(淡交社)

 朝日新聞大阪の学芸部編集委員として枝雀本人とも懇意だった上田文世(ぶんせい)の著『笑わせて笑わせて 桂枝雀』(淡交社、2003年6月初版発行)から引用する。「父として、夫としての枝雀」の章からだが、明日放送の番組で紹介される逸話と重複するものもあることをご了解のほどを。

 枝雀には男の子が二人。1972年生まれの一知(かずとも)さんと、77年生まれの一史(かずひと)さんだ。一知さんと妻の志代子(しよこ)さんに、父として夫としての枝雀について、語り合ってもらった。

三、四歳からパチンコ・お酒のお付き合い

一知 僕が三つ、四つの頃ですかね。当時はよく家にいてはることが多くて、ずうっと落語の稽古してはるんですけど、午後の三時四十五分ぐらいになったらお父さんが自転車に乗って、僕が後ろに乗って、前に洗面器を置いて、十五分ぐらいかかる駅前の銭湯へ行くんです。四時に開くから一番風呂に入って、その後に、どっちが先か忘れましたけど、パチンコ屋と飲み屋さんに行く。それをもう毎日のように繰り返してましたね。
志代子 先に飲み屋さんに行ってると思うんです。熱いお風呂の後に飲んで・・・。パチンコは集中力、それを確かめたくてね。
一知 そうですね。お父さんは、別にどうのこうのじゃなくて、親指でこうする(弾く)のが楽しいと。
志代子 いつも玉を天のところに集める。自分が思ってるとこへ玉が行くかどうか、それを楽しんではったんです。
一知 勝とうが負けようが、それには関係なし。自分の気がすんだら、終了みたいな感じでした。
志代子 これを聞いてると、お風呂のない家と思うでしょう。お風呂があるのに、私が用事して走り回ってる時に、気づいたらいない。「あら、師匠は?」「(弟子が)一知さんとお風呂へ行かはりました」
一知 五つ、六つぐらいになると、電車で(大阪・キタの)梅田に出て、お父さんと待ち合わせするんですわ。五時、六時ぐらいに会って飲みに行くわけです。ミナミ(大阪の繁華街の一つ)へ行ってたんですかね。
志代子 二人が会うまで私は心配なんですよ。お父さんは待ってるの嫌やから、(一知に)先に行ってなさい、うろうろしたらだめよっと言って、ほんで、「もしもし志代子か、今、一知と会った」と電話があって、ああよかったと安心するんです。
一知 だいたい五つ、六つの子と三十いくつの大人が飲んで、話が合うわけないです。お父さんの話を僕がうんうん聞く感じだったんです。二時間ぐらい、なんだかんだしゃべってるんですが、恐らくふだんお父さんが思ってはることとか、落語のことをしゃべってはったと思うんですが、父親としては自分の考えを整理、確認するための補助部品として僕がいた、みたいな感じでした。
志代子 一人では店に入りにくいんで、連れていってたんでしょうね。
一知 「ええあんばいになってきました」と言ったら帰る合図で、お父さんの手をひいて道路へ出てタクシー止めて、「お父さん、タクシー来ましたよ」「ああ、そうか」。タクシーに入ったらお父さんはグアーッと寝てしまいます。運転手さんに「あっ、すみません、次の信号、右へ曲がって、そこの角のとこで結構です」。下りる時に「領収書、いただけませんでしょうか。『桂』でお願いします。木偏に土二つの桂です」と。これを五つ六つの子が言う。小学校一、二年ぐらいまで、ずうーっとそんな感じです。
志代子 お父さんの子分でしたからね。


 回想されている時期は昭和50年代前半のことになるだろう。サンケイホールでの第一回独演会開催が昭和51年の10月なので、三十代後半で人気が出てきた時期の、“お父さん”枝雀の自宅での姿が微笑ましい。

 その当時、私は関西地方で学生だった。大学二年(関西では、二回生)までの下宿には風呂がなかった。その頃、パチンコに“はまった”時期があり、運動部での練習から下宿に帰り、自転車で出かけた。その順番が、食堂(ほぼ「王将」)→銭湯→パチンコ、ならパチンコですっても食事にも風呂にも行けるのだが、つい、パチンコに行ってしまい、負けて下宿に戻り買い置きのチキンラーメンを食べ、風呂にも入らないという日が週に二~三度あったように思う。大学も後半になると、まったくパチンコには興味がなくなった。

 あの頃のパチンコは電動なはずもなく、あくまでバネを親指で弾くのである。大きく勝つこともなければ、損害もそうは広がらないのだが、つい熱くなって二~三千円をつぎ込むことがあったなぁ。貧乏学生には、大金だった。

 もちろん、枝雀のように、玉を天に集める集中力の確認の場などと考えたわけがなく、同じような時期にそんなことを考えてパチンコをしていた人間が同じ上方の空の下にいたことを、あらためて不思議に思うばかりだ。

 上記の引用の後を、もう少し紹介したい。

一知 いろんなとこへ、よく連れていってもらってました。飲みに行くだけでなく、仕事場であるホールへも、落語会へも。
志代子 舞台の袖でニコニコ聞いてくれるのがうれしいんやと、お父さんは言うてはったもんね。
一知 今思えば、お父さんにくっついていたかったんでしょう。お父さんが(僕のことを)子分、子分、言うように僕は親分、親分みたいな感じで。寝る時もお父さんの落語をレコードでよう聞いてました。夜中に目ぇ、覚まして「寝られへん」と言うと、お父さんが「それじゃ落語するわ」と言うて、落語で寝かせていただきました。
志代子 赤ちゃんの時、一知が泣いたら、抱いて部屋をぐるぐる回りながら、子守唄の代わりにネタ繰るんですよ。子煩悩でしたよ。それで、二つ、三つぐらいで、お父さんの落語のまねをして座って、タバコ吸うしぐさして・・・
一知 僕は覚えてないんですよ。
志代子 でんでん太鼓、それを(出囃子のつもりで)テンテンテンテン、テンとたたいて、いろんなしぐさをする。お父さん、それを見て、すごくうれしくってね。「しゃれたあるなあ。分かってるんやないか」って。



 なんとも贅沢な“子守唄”ではないか。一知さんは素人ばなれをした落語を演じるらしく、父親によく似ているとも言われている。機会があれば、ぜひお聞きしたいものだ。

 「子分」という言葉、なかなか好きだなァ。そういえば、ある音源のマクラで、「子供なんて、子分みたいなもんですからなぁ」というような表現があったように記憶するが、どのネタだったか、忘れた。それにしても五つか六つの“子分”にタクシー運転手への道案内から支払いまでさせていたとは、この“親分”の子分への信頼は厚いねぇ。

 こんな逸話も紹介されている。

志代子 家では冗談は下手です。かかってくる電話の応答も私です。ある時、ファンとおっしゃる方から一緒に飲みませんかと電話で言ってきました。私が「すみませんがうちの主人と飲みはったら、あんなつまらん男は無いですよ。舞台とのギャップが大きすぎますから、舞台で楽しまれた方がお幸せです」と答えたら、それを聞いたお父さん、「あんたは、うまいこと答えるなあ」。
私が留守をして帰ってきたら「志代子、電話のベルが鳴り止まないので、留守です言うて切ったよ」。学校の連絡網の電話と思ったんで「なんでお父さん、留守としか言わなかったのですか」と聞きましたら、お父さんは「私が学校のことを聞かれても分からへんということは、留守とおんなじです」と言うんです。いきなり「留守です」と言われて。向こうさんもびっくりしはったでしょうね。
一知 お母さんは機転がきく面白さ、お父さんは飲んだら、陽気になる。黙ってブスッと飲んでるわけやない。人の話を聞いて笑う。うちではお弟子さんとお母さんの話を聞いて、ガハッと笑って飲んでいるのが好きでした。


 私は落語家さんと個人的なお付き合いはしない方針なので、終演後に飲み会などのある会には行かない。ブログを書いているということもあるが、高座以外の噺家さんのプライバシーなど知らないほうがいいと思っている。しかし、この本のように、ニンな書き手で知る素顔は、読み物として楽しい。

 それにしても、電話で「一緒に飲みたい」と言うファンというのは、私には本当のファンではないように思う。そもそも相手が芸人とはいえ、あまりにも常識外の失礼な行動と言えるだろう。
 

 そして、電話した相手から「留守です」と言われた方、驚いたろうなぁ^^


 辛さが募るばかりの命日ではなくなってきたのは、時の流れのせいだろう。

 十五年目の命日、お茶目な素顔のお父さん枝雀に思いを馳せてみた。
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by kogotokoubei | 2014-04-19 10:10 | 今日は何の日 | Comments(4)
落語芸術協会のことを書いた後に、今日のニュースで落語協会のことを書くことになった。
47NEWSの該当記事

小三治さん、落語協会会長退任へ 後任は市馬さん

 落語協会の柳家小三治会長(74)が6月の任期満了で退任することが17日分かった。関係者によると、同日の理事会で了承され、新会長には柳亭市馬副会長(52)が内定した。6月の総会で正式決定する。

 小三治さんは2010年6月に会長に就任、現在2期目。春風亭一之輔さんを21人抜きで真打ちに昇進させるなど若手の育成に力を注いできた。体調面での不安などが退任の理由とみられる。

 市馬さんは大分県出身で、1980年に故五代目柳家小さんさんに入門し、93年に真打ち昇進。2011年に落語協会副会長に就任した。古典落語を得意とし、自慢ののどを披露する高座でも親しまれている。

2014/04/17 23:36【共同通信】


 居残り会仲間のYさんからメールをもらって知ったのだが、今日は終日野暮用で、このニュースを確認したのは帰宅後だった。

 現在の役員の顔ぶれは次の通りである。協会のこのページ、結構探すのが大変なのだ。
落語協会サイトの該当ページ

当期役員 (任期:平成24年6月25日より2年間)
会長  柳家小三治
副会長 柳亭市馬
常任理事 柳家さん喬・林家正蔵・三遊亭吉窓
理事 桂文楽・柳家小さん・三遊亭圓丈・古今亭志ん輔・入船亭扇遊
   三遊亭歌る多・五明楼玉の輔・鏡味仙三郎

監事 柳家さん八
外部監事 友原征夫(会計士)
------------------------------------------------------

最高顧問 三遊亭圓歌・鈴々舎馬風
顧問 三遊亭金馬
外部顧問 寺脇研(京都造形芸術大学 芸術学部教授)
相談役 橘家圓蔵・三遊亭圓窓・入船亭扇橋・林家こん平・林家木久扇



 小三治体制になり市馬が副会長になったことが明らかになった2010年の冬、次のように書いた。
2010年12月17日のブログ

 これは、ビジネス社会で言うと、とんでもない市馬の抜擢ということになるが、来年でようやく五十歳。あの世界では、まだまだ若手ですよ、はっきり言って。
 古希を越えた会長を支えるのに、昭和二十年代生まれの六十歳前後の人ではなく、二世代若手を右腕にしようという案が小三治会長自身によるものなのか、ある理事の根回しがあったのか、はたまた理事達の総意に近いのか、もちろん分からないが、私は違和感を拭えない。
 柳家門下によるリーダーシップは強いとは思うが、ハイテク企業でも外資でもない落語協会で、そんなに一気に若手に委譲する必要はなかろう。
 分からん、やはりこの人事はよく分からんぞ・・・・・・。次期会長として市馬に帝王学(?)を授けるための措置、なんてことはないだろうね!?


 私の“読み”は、まったく外れた。

 まさか市馬を副会長にしたのが当座の対応ではなくて、次期会長へのための布石としての人事とは思えなかった。

 しかし、あらためて現状の理事の顔ぶれを見てみると、市馬より香盤が上の理事の誰にするにしても、すんなり落ち着くのが難しいのも事実だろう。

 一之輔の大抜擢という形で現れた小三治改革の仕上げが、この市馬会長なのかもしれない。

 四年前、“ビジネスの社会なら大抜擢”だが、と書いたが、もしかすると落語も今日ではビジネスの世界の一部なのかもしれない。

 “若返り”が必要なのだろう。名誉職としての会長という位置づけを小三治は否定したのだ。

 しかし、もちろん“政治的”な背景もあるだろう。柳家が落語協会の“量”的な主流であることは間違いがない。その柳家で先代小さんの薫陶を受けており、小三治の思いを汲み取って、上にも下にも、そして外(立川流、旧円楽一門)とも会話ができる元気な後継者、と考えると市馬以外に適任者は他にいないだろう。

 会長が名誉職と思っている(私も含む)多くの落語愛好家には納得がいかないだろうが、もし、落語協会を改革しようと思うなら、たしかに他に選択肢はないかもしれない。

 そう考えると、同じ発想を芸術協会にあてはめるなら、歌丸会長の次の会長が春風亭昇太になるくらいのことがあっても良いのだろう、と思う。


 さて、市馬新体制で、理事などの側近の顔ぶれがどうなるか、である。この施策が小三治改革の仕上げになって欲しいと思う。しかし、そのためには新会長を支援する体制ができるのかどうかが重要だ。


 きっかけは小三治会長の体調問題なのかもしれない。昭和14年生まれ、75歳である。いろいろあって不思議はない。

 その結果の新人事、六月まで落語愛好家を楽しませてくれることと、前向きに考えようと思う。
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by kogotokoubei | 2014-04-18 20:40 | 落語協会 | Comments(10)
落語芸術協会の桂歌丸会長が4月26日の岩手での「笑点」の収録から復帰する、と林家たい平が言っていたらしい。

 夕刊フジのサイト「ZAKZAK」の記事を引用する。
ZAKZAKの該当記事

桂歌丸「笑点」4・26収録で復帰へ!林家たい平「だいぶ元気」
2014.04.15

 慢性閉塞性肺疾患と左側肋骨骨折で入院中の落語家、桂歌丸(77)が26日に岩手・大船渡市で行われる日本テレビ系「笑点」(日曜後5・30)の公開収録で復帰予定であることが14日、分かった。

 同番組レギュラーの落語家、林家たい平(49)が都内で行われた企画&主演映画「もういちど」(8月公開、板屋宏幸監督)の製作発表で明かし、「だいぶ元気になられたようです」と近況報告した。



 このニュースを目にした後で、芸術協会のサイトを度々確認した。しかし、新たな情報は掲載されていない。

 芸協のサイトには4月4日付けで歌丸から次の発表が掲載されている。
落語芸術協会サイトの該当ページ

桂歌丸より皆様へ

 この度は各方面の皆様に多大なご迷惑、ご心配をおかけいたしまして心よりお詫び申し上げます。
3月20日(木)大阪からの移動中に咳き込み、胸が急に痛くなりました。最初は我慢できていたのですが、痛みが増し呼吸も苦しくなった為、3月29日に病院に行ったところ、「肋骨骨折」と「慢性閉塞性肺疾患」との診断でした。2~3日食事も摂れていなかったので、大事をみて入院しましょうということになりました。動いたり話をすると痛みがあるため、ある程度動ける状態になるまでお休みを頂く所存でございます。四月中席の国立演芸場定席公演をはじめ幾つかの落語会を休演、また今月収録の「笑点」も欠席することは大変申し訳なく思っております。退院時期は未定でございますが、体と相談しながら復帰を目指したいと思っております。何卒ご理解のほど、よろしくお願い申しあげます。

公益社団法人 落語芸術協会
会長 桂 歌丸



 休演について、これだけしっかりした情報を発信している。

 この記事を書いているのは、4月16日の夜だが、芸協のサイトには何ら新情報は掲載されていない。

 もし、本当に復帰できるのなら、「笑点」仲間とは言え別の協会の林家たい平による、それも自分の出演映画の宣伝の場における“ついでの”コメントではなく、芸協のサイトに掲載すべきではなかろうか。

 落語芸術協会は、いつから落語協会の噺家を広報担当に任命したのだろうか。

 もし、たい平の発言をもって歌丸復帰の情報を発信したと思っているのなら、それは大間違いである。

 あるいは、まだ復帰するには問題があるのか・・・・・・。

 少なくとも、たい平の記事が出た時点で何らかの情報を発信すべきであろう。“公益社団法人”落語芸術協会の対応に、私は釈然としない。
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by kogotokoubei | 2014-04-16 21:21 | 落語芸術協会 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛