噺の話

kogotokoub.exblog.jp

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

<   2014年 03月 ( 21 )   > この月の画像一覧

e0337777_11115493.jpg

池波正太郎著『江戸切絵図散歩』(新潮文庫)

 今日も、この本から。「第八章 皇居周辺(二)」より。

 江戸城の大名小路とよばれる切絵図は、つまり、皇居前広場のことで、この広場を埋めつくしている大名屋敷は、何らかのかたちで、幕府の要職についているか、将軍家と関係の深い人たちのものといってよい。
 慶応元年の切絵図をひろげて見ると、桜田門を入った右側、坂下門の近くに歩兵屯所がある。
 幕末も押しつまり、時代の様相が切迫して来たことが、この一枚にも看てとれる。
 歩兵屯所は、大手門の前にも設けられている。



 本書に掲載されているものと同じ切絵図を、昨日と同じ「いい東京」のサイトより拝借。
「いい東京」サイトの該当ページ

e0337777_11115755.gif


 二つの歩兵屯所の場所が確認できる。

 さて、この図には“二つ”の奉行所も存在する。

 切絵図の下方には、呉服橋御門内に北町奉行所、数寄屋橋御門内に南町奉行所がある。
 評定所、伝奏屋敷など、幕府にとって重要な建物も、この大名小路の中に入っている。
 南町奉行所の所在地が旧朝日新聞社あたりだったことをおもえば、いかに大名小路が宏大なものだったか、わかるだろう。


 切絵図の南端、中央から少し右よりに北町奉行所があって、場所は現在のJR東京駅あたり。絵図の南端の左側にある南町奉行所は、朝日新聞社の移転後は、有楽町イトシアとマリオンのあたりになる。

 南町奉行所や大名屋敷の痕跡は、有楽町駅前再開発のための地下発掘で多量に発見された。

 有楽町イトシアのサイトに次のように書かれている。

「有楽町イトシア」サイトの該当ページ

大岡裁きで有名な南町奉行所の遺跡が発掘

 本再開発事業計画にあたって、2004年に千代田区教育委員会が遺跡確認の試掘調査を行い、その結果南町奉行所などの遺跡の存在が確認され、 2005年4月より発掘調査を本格的に実施しました。
 発掘調査では、江戸時代はじめの大名屋敷跡や1707年以降この地に置かれた南町奉行所跡が発見され、「堀」「信濃」(飯田藩)「井伊」(彦根藩)「大岡」 といった調査地点に屋敷を構えた大名の名が書かれた荷札など、屋敷内での生活を彷彿とする多数の遺物が出土しました。特に南町奉行所の遺跡は、屋敷の表門から 裁判を執行する役所部分に該当し、石組の溝や井戸、土蔵の跡などが発見され、書物所の穴倉(地下室)から「大岡越前守様御屋敷」と書かれた札など貴重な資料が出土しました。


 発掘されたのは、大名小路という“江戸の墓石”の数々、ということだろうか。

 池波正太郎は、先ほどの文章の後に、次のように続けている。

 いまは、隙間もなく、ビルディングに埋めつくされていて、旧江戸城の外堀内は各種のビル群に占領されてしまった。
 それでも、外濠のかたちは、太平洋戦争が終わったころまで、どうにか残っていたのである。
 それが、例のごとく、意味もなく埋めたてられ、そのビルの上が高速道路となり、外濠に架けられた多くの橋が消えた。現在の東京の道は、住民のためではなく、すべて車輪のために存在するといってよいのだ。
 常盤橋、呉服橋、八重洲橋、鍛冶橋、有楽橋、数奇屋橋、山下橋などがそれで、この外濠と各橋の消滅は、皇居前面の町の様相を全く変えてしまった。
 橋や川ばかりではなく、むかしの町名も消えてしまった。戦後の町名改変の流行は、昭和十年代まで辛うじて残っていた町名を、ほとんど抹殺してしまったのだ。



 この本は、池波正太郎が切絵図を元に東京を巡る優雅な散歩の記録などではなく、開発という名の破壊で失われた江戸への鎮魂歌であるように思いながら読んだ。

 そして、ほぼ四半世紀前に本書が書かれてからも、“木端役人”や“悪徳商人”などによって、江戸の名残はことごとく消され続けている。

 次の東京五輪のために、その悪行がもっと加速されるかもしれない。悪代官と越後屋の会話が、再開発という名のもとで今も交されているだろう。残念ながら、密談の場に鬼平が乗り込んで捕まえてくれそうにはない。
[PR]
by kogotokoubei | 2014-03-30 07:01 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
「ごちそうさん」が終わった。結構楽しんで見たが、もう少し後半でも戦後の東京を盛り込んで欲しかった。いったいあの戦争で江戸から息づいた街がどう変貌したのかを見たかった気がする。

 先日、JAL名人会に行く直前、神保町で短時間ながら古書店を回った。その際、読もう読もうと思っていた池波正太郎の『江戸切絵図散歩』が、某書店の店先のワゴンにあり、状態も良いので迷わず購入。
e0337777_11115493.jpg

池波正太郎著『江戸切絵図散歩』(新潮文庫)

 これが頗る楽しい。単行本は平成元年発行、平成五年に文庫化された。

 日本橋の章から、まずご紹介。池波は小学校を出てすぐに証券会社の茅場町のT商店で勤め始め、その後に兜町のM商店に移っている。M商店に移ったのはT商店では住み込みだったがM商店では浅草聖天町の実家から通えるからだ。

 切絵図を見ると、T商店があった辺りは、幕府の組屋敷になっている。この一隅に俳人・宝井其角の家があったとかで、その跡が[其角]という料亭になっていて、後年、私も何度か行ったことがある。
 M商店へ移ってからは、朝な夕なに日本橋をわたって通勤をした。この橋は、1911年に設けられた花崗岩造りの二連アーチ橋であるが、むかしの木の橋は、徳川家康が江戸へ入って来て、すぐに架けた。そして日本橋周辺に町割りをして、この橋を諸街道の起点とした。そのように由緒の深い名橋の上へコンクリートの高速道路をかけわたした木端役人には愛想がつきる。川筋をえらび、安易に造った高速道路は役に立たない。すぐに渋滞してしまうからだ。



 まったく“木端役人”には私も愛想がつきる。

 SankeiBizのサイトに、下の写真を含め、2020年の東京五輪が、日本橋の上に架かる首都高を取り壊して景観を取り戻す機会になる、なんて記事が掲載されていた。
SankeiBizサイトの該当ページ

e0337777_11115457.jpg


 もし首都高をはずすなら、江戸切絵図をもとに、その下にあった江戸城の濠を再度掘り返し、“水の都・東京”を取り戻して欲しいが、そうなならないだろう。すでに、高架下にはビルが立ち並んでいる。
 
 M商店ならぬ、M不動産は儲かるかもしれないが、高速がなくなっても、別なコンクリートが地上や地下に現われるだけだろう。もちろん、“木端役人”が、今でもたくさんいるから、江戸の文化、伝統の復活などを思い浮かぶはずもなかろう。


 池波正太郎の、M商店周辺についての回想。

 M商店は、江戸橋を南へわたり、日本橋川と楓川が合うあたりに架かって兜橋を東へわたった右手にあった。
 左手は証券ビルで、旧渋沢栄一邸跡である。江戸時代は大名屋敷で、切絵図には松平和泉守(三河・西尾六万石)となっている。ゆえに、江戸時代はM商店も、松平屋敷の内だったかとおもわれる。むろんのことに兜橋は架けられていない。
 そもそも兜町の名は、むかし、源義家が東北を鎮圧した折、この地へ兜を埋めたといわれ、そのあたりに、いまも小さな兜神社がある。兜神社と道をへだてて、M商店があったわけだ。
 明治の天才版画家・井上安治に「鎧橋遠景」の一枚がある。夜空に月が浮いた川面に、「大渠に面せる伊国ベネチアのゴート式建築は水上に浮んで蜃気楼の如き観を呈し、水と建築と相俟って他に類例少なき興趣をそそる」
 と、評された渋沢邸の灯火に、川面の荷船が黒ぐろと浮いて見える。明治も中期の景観だろう。



 Pinterestのサイトから井上安治の「鎧橋遠景」をお借りした。
Pinterestサイトの該当ページ

e0337777_11115444.jpg

 なんとも結構な版画である。月、渋沢亭の家の灯り、複数の舟に鉄橋の遠景。こういう光景が昔はあったのだ。

 このあと、次のように続く。

 明治から昭和初期にかけて、財界最大の指導者だった渋沢栄一が、この邸宅を建てて間もなく、兜橋も架かったのではあるまいか。
 画面の彼方には、鎧橋の鉄橋が見えるが、江戸時代には橋がなく、渡し舟だった。切絵図にも鎧ノ渡と記してある。


 本書に掲載されているものと同じ「日本橋南之絵図」を、「いい東京」サイトの「江戸散歩・江戸散策」のページからお借りした。「いい東京」サイトの「江戸散歩・江戸三作」該当ページ

e0337777_11115637.gif


 上(北)のはじ、ほぼ中央(No.46のあたり)にある松平和泉守の屋敷右側に「鎧ノ渡」と書かれているのが確認できる。


 今、切絵図を持って東京を散歩するのがちょっとしたブームになっているようだ。良いことだと思う。私は切絵図を見ているだけで飽きない。ほとんど落語の舞台を確認するために見ているのだけどね。

 切絵図を持って散策する多くの方が、かつての濠が埋められその上に高速が走る街並と、江戸の街との違いに思い至るだろう。水気がなくなりコンクリートばかりになった街に熊さんや八っつあんは住めない。

 次のオリンピックで、さらなく建設という破壊が起こらないよう願う人が増えることを期待したい。

 池波正太郎の“木端役人”への怒りを共有できた私は、この本を読みながら、そんなことを考えていた。
[PR]
by kogotokoubei | 2014-03-29 07:04 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
一昨年の8月、この会で笑福亭松喬の『崇徳院』を聴くことができた。なんとかギリギリで生の高座に間に合った。昨年は松喬の弟子三喬の『まんじゅう怖い』を聴き、その感想を書いている途中で、松喬の訃報に接することになった。
2012年8月29日のブログ
2013年7月30日のブログ

 今回は、その三喬の弟子喬若が出演するようなので、何か縁を感じて期末で結構厳しい予定をやりくりし、内幸町ホールへ。

 次のような構成だった。良かった高座にをつけた。
-------------------------------
(開口一番 金原亭駒松『狸の札』)
笑福亭喬若  『禁酒関所』
三遊亭兼好  『近日息子』
三遊亭歌武蔵 『植木屋娘』
(仲入り)
ペペ櫻井   ギター漫談
桂 竹丸   『光秀の三日天下』
-------------------------------

金原亭駒松『狸の札』 (10分 *18:30~)
 初である。落語協会のサイトに入門時期が記載されていないが、他の前座さんの情報を踏まえると、2010年か2011年の入門と察する。大柄だし、清原に似ていないこともないが、薬はやっていないだろう^^
 携帯の注意で噛んでいたが、見かけによらず緊張していたか。ネタは元気はあるし、いわゆるフラを感じないこともないが、カミシモを含め、少し大雑把な印象。今後の精進に期待しよう。

笑福亭喬若『禁酒関所』 (24分)
 最近蓄膿症になって行った病院の逸話などマクラ約6分で本編へ。
 ややもすると下品になりかねないネタなのだが、そうならず、この噺の本来の可笑しみを引き出す、なかなか結構な高座だった。関所をなんとか突破しようとする酒屋の最初の「水カスティラ」、次の油、そして問題の三度目。役人の酔っ払い振りもなかなかのもの。
 1998年4月1日に三喬に入門しているので、もうじき満16年。東京なら真打昇進直後くらいの時期にあたるが、十分に東京の同世代と渡り合える器量を持っている。
 桂宮治が優勝した2012年のNHI新人演芸大賞で、私は彼の『長短』をテレビを見て高く評価した。あの時は、宮治の十八番『元犬』のパワーには負けた格好だが、あのネタをかける了見を含め、笑福亭の伝統を継承する一人として、着目した。
2012年11月4日のブログ

 お目当ての喬若のこの高座だけでも、木戸銭千円の価値は十分にあった。

三遊亭兼好『近日息子』 (28分)
 久し振りだ。マクラでは、ネットの時代になり、なぜか自分が薬屋で買い物をしたのを、他の人が知っている。兼好は「ツィッター」とは言わなかったが、そういうことだろう。自分はスマホも何か不安で使わず“パカパカ”を使っていると、これまた“ガラケー”とは言わなかったところが、なんとなくこの人らしい。私も“パカパカ”である。ドアを開けると自動的に便器の蓋が開き、用が済むと自動的に水を流し蓋が閉るトイレの話題から本編への流れは悪くなかった。
 こういう噺を聴くと、やはりこの人の実力の高さをあらためて感じる。父親から「もっと先を見ろ」「気を利かせろ」と叱られた与太郎が巻き起こす騒動がテンポよく語られる。大家の弔いを信じ切った店子一堂がくやみに行って目の前に本人を見た時の驚きふりなども、楽しい。
 そのうち人情噺も聴きたいと思うのだが、それはいつになることやら。しかし、滑稽噺での持ち味は失って欲しくないと思う、私は我がままな客だなぁ^^
 
三遊亭歌武蔵『植木屋娘』 (30分)
 JALの機内で放送されることもあって、御挨拶代りの、いつもの相撲ネタのマクラ。「只今の勝負~」から、現役時代のこと、そして鶴竜の横綱昇進という最新ニュースまで。定番のマクラについて、以前批判的なことを書いたのだが、すでに一つのネタになっている、ということかもしれない。この人しかできない、という意味では、円歌や歌之介の十八番と同様の存在になりつつあるのかもしれないなぁ。そんな気もした。
 本編は、以前にテレビで落語研究会の映像を見て感心したことがあるのだが、今回は、少しバタバタした印象。植木屋幸右衛門が娘お花と、近所の寺に世話になっている伝吉との二人の会話を塀の節穴から覗き込んで、早く伝吉がお花の手でも触らないか、と一人はしゃぐ場面は楽しいのだが、少しスピードを出し過ぎて制御が効かなかった、そんな印象だった。しかし、娘の名を本来のおみつからお花に替えてオリジナルのサゲを工夫するなど、上方落語に挑戦する姿勢、了見は高く買いたい。本日の勝負、同体で取り直し、ということろか。

ペペ櫻井 ギター漫談 (20分)
 この会は、寄席や落語会にはあまり足を運ぶことのないお客さんが毎度多いように思う。だから、結構笑いをとっていた。私が初めて聴いたのが、刑務所を慰問した際に披露したという童謡シリーズ。寄席の持ち時間ではやりにくいだろう。なかなか楽しい軽いブラックジョークが良かった。しかし、それにしても近くの席のご高齢の女性が笑っていたこと^^

桂竹丸『光秀の三日天下』 (24分 *~21:02)
 歌之介、白酒と同じ鹿児島の出身で、結構新作派として人気もあるようだが、今年の末広亭で聴いた漫談と同様、私には笑えなかった。薩摩ネタでの時代ものでは歌之介の『龍馬伝説』にかなわないということだろうか、明智光秀を題材にしたが、笑いどころが少なく、芯になるギャグも見当たらない。若干ダラダラと流れた感じだ。
 西郷隆盛ものの作品があるのかどうか知らないのだが、地元の人物を素材にして、歌之介にはない持ち味で対抗して欲しいと思う。話芸としてのツボはしっかり押さえていると思うので、もっとメリハリのある新作を聴いてみたい。


 喬若の生の高座を初めて聴けたこと、元気な兼好の高座で笑ったことを思えば、木戸銭分は十分に楽しめた。

 松喬、三喬、そして喬若と三年連続で聴けた。会場も落語には適している。ただし、都合が合ってチケットを獲得できる僥倖次第の会、でもある。

 帰宅は日付変更線の前だったが、録画しておいた「ごちそうさん」を見ながら寝酒をひっかけ、ネットで他の落語愛好家の方のブログなどを見ているうちに、上の瞼と下の瞼が仲良くなってきた。少しだけ記事を書き始めたのだが、続かなかった。
 昨日は高校野球が雨で中止だったが、喬若がマクラで「松坂大輔に似ていると言われますが、あっちが年下で松坂が私に似ているのです・・・(会場の笑い少なし)・・・アウェーですね」で笑いをとっていたが、それほど松坂には似ていないぞ。しかし、アウェーでもしっかりネタでは笑いをとっていた。自信をもって、また東上して欲しい。
[PR]
by kogotokoubei | 2014-03-27 00:18 | 落語会 | Comments(2)
 昨日彼岸が明けたが、先週土曜の国立名人会における桂小文治『野ざらし』は、彼岸に相応しい噺だった、と今になって思う。ただし、春なのか秋なのかは、やや判断が難しい。麻生芳伸編集『落語百選』(ちくま文庫)では秋に含まれているが、かならずしも秋と言い切れない部分がある。そのミステリー(?)については後述する。
 

e0337777_11112953.jpg

関山和夫著『落語風俗帳』(白水Uブックス)
 落語と仏教や説教との関係に詳しい、関山和夫著『落語風俗帳』から、この噺の成り立ちをご紹介。

 この咄は、別名を『手向けの酒』といい、上方落語に同種の『骨釣り』という作品がある。『骨釣り』の方が型としては古いようである。原話が中国・明末の『笑府』にあることは、よく知られている。『笑府』所収の原話も『骨釣り』もサゲが男色になっている。その原典が、桂米朝の『米朝落語全集』第四巻『骨釣り』に具体的に紹介されている。
 さて『野ざらし』は、二代目正蔵が『笑府』にある原話をもとにして作りあげたという伝承が落語界にある。僧侶あがりの噺家にしてはじめてこのような仏教的な因果応報・功徳の思想を盛った作品が創造できたのである。この咄が寄席の高座にかけられた初期のころは、怪談噺だったようで、四代目柳家小さんまで伝わった型について私は越智治雄氏から聞いたことがある。現在行われているのは、初代三遊亭圓遊(実際は三代目だが、人気があって初代と自他ともに許す)が陽気な滑稽噺に改作したものであるが、それでも原作にあったと思われる仏教文学的な話芸の妙味を味わうことができる。


 『骨釣り』のサゲは詳しくは書かないが、石川五右衛門の幽霊が登場する。サゲはともかく、私は上方の『骨釣り』も好きだ。途中の船遊びの描写などが楽しい。

e0337777_11111650.jpg

『落語の鑑賞201』延広真治編(新書館)

 さて、同じ原話から、二代目正蔵、そして円遊を経て今日に伝わる『野ざらし』。

 延広真治編集二村文人・中込重明著『落語の鑑賞201』(2002年9月5日初版発行)には、先代馬生の興味深い言葉が紹介されている。

 十代目馬生は、「いったいおまえはなんだ?」「へえ、あたしは新朝という幇間(たいこ)で」「なに、新町の幇間(太鼓)?しまった、さっきのは馬の皮だった」と落ちまで演じ、あそこは“馬の骨”ではさげにならない。“タイコ”だから“馬の皮”でさげになるんです」と語っている(『落語界』第二十七号)。
 馬生は、三代目柳亭燕枝から教わったという。ちなみに、この咄を売り物にした初代三遊亭円遊は、「エエ、恐ろしい鼻の大きな口の悪い骨(こつ)が来たが、汝(てめい)一体何処の者だ」「こう見えても新朝と云ふ幇間(たいこ)でげす」「ハアー、それでは葦の中のは、馬の骨(こつ)であった」と演じている(『明治大正落語集成』)。


 馬生らしい解釈、とも言えるが「馬の骨」で私は問題ないと思うなぁ。

 馬生門下では雲助で短縮版を聴いたことはあるが、サゲまで演じる時は「馬の皮」なのだろうか。

 それでは、あらすじをサゲまで。

(1)八五郎、夜の明けるのを待ちかねて長屋の隣の隠居、尾形清十郎をたたき起こす。
   「夜中の女は、どこから引っ張ってきた」と聞くが清十郎がとぼけると、「壁に
   穴をあけてのぞいたぞ」と言われ、清十郎が顛末を説明し始める。
(2)昨日、向島へ釣りに行ったが、雑魚一匹かからない、こういう日は殺生してはならん
   戒めと思い帰ろうとすると、鐘の音とともにヨシの中からカラスが飛ぶ立ち、見る
   と野ざらしの髑髏(どくろ)。これでは浮かばれまいとふくべの酒をかけて手向け
   をして帰った。すると夜中に「お蔭様で浮かばれました」と、訪ねてきたのがあの娘、
   とのこと。。
   *この部分で、「彼岸に殺生するなという戒め」として演じる場合もある。
(3)幽霊でもあんないい女なら一晩みっちり話しをしたい、と八五郎は清十郎の大事な
   竿を持ち出して向島へ。エサもつけずに釣り始め、周囲の釣り人に注意されても
   おかまいなし。竿で水の中をかき回すわ、サイサイ節の替え歌を歌うなど絶好調。
   夜中に女がやって来る妄想にふけ仕方ばなしを始め、竿で自分の顎を釣る始末。
(4)カラスならぬムクドリが飛び立って、骨があった。八五郎はうろ覚えの手向けの句
   で回向し、ふくべの酒をかけて「今晩待ってるよ」と、長屋へ帰る。
(5)これを近くに舫っていた屋根船で聞いていたのが、太鼓持ち、幇間。女と会う場面
   に乗り込んで祝儀をもらおうと、八五郎の長屋を訪ねる。
(6)八五郎が女かと思ったらやって来たのが幇間。
   「お前はなんだ」
   「新朝というたいこです」
   「なに新町の太鼓。しまった、昼のは馬の骨だった」で、サゲ。

 通常は、(3)の、自分で顎(あるいは鼻の穴)を釣るあたりでサゲるが、桂小文治はサゲまで聴かせてくれた。
 これまで柳家花緑、入船亭扇辰でもサゲまで演じるのを聴いている。扇辰は「馬の骨」ではないサゲにしていた。扇辰の高座は最期の幇間と八五郎とのやりとりが頗る楽しく、2012年のマイベスト十席に選んでいる。

 定評のある小三治の生の高座には、残念ながらまだ出会えていない。

 過去の音源では、まず三代目春風亭柳好。そして、ずいぶん前に記事に書いたが、談志も認めていた八代目春風亭柳枝の二人が図抜けているように思う。
2008年6月27日のブログ

 柳好は、釣りの場所を、最初は三囲辺り、そこから鐘ヶ淵まで移動しても駄目だった、と言っている。柳枝は、単に向島としている。

 柳好は、とにかく“謳い調子”と言われたテンポの良い語り口が楽しい。柳枝は、『喜撰小僧』や『四段目』における小僧の定吉のような味のあるおどけ振りを、八五郎が演じるのが好きだ。談志が言うように、必ずしも柳好が一番、と言えないだけの魅力が柳枝のこの噺にはある。


 この二人とも、手向けの句などは初代円遊作を踏襲しているが、この円遊の作った内容、よ~く考えるとと何かと矛盾がある。

e0337777_11114790.jpg

佐藤光房著『合本 東京落語地図』(朝日文庫)

 『今戸の狐』『今戸焼』でも引用した佐藤光房著『合本 東京落語地図』から、この噺の季節が特定できにくいことについて、ご紹介。

 注意して聞くと、円遊の噺にはいろいろ変なところがある。「野を肥やす骨をかたみにすすきかな」という手向けの句は、「すすき」が出てくるから季節は秋だろう、ところがそれにつづけて「四方の山々雪解けて、水かさまさる大川の、上げ潮南風(みなみ)でどぶうりどぶり」という。雪解け水が流れてくるのは春ではないか。
 また「上げ潮南風」といったすぐあとで「風もないのに傍(かたえ)のヨシが、がさがさ、がさがさと動いて」カラスが三羽飛び立つのだ。川が波立つほどの南風が吹いたかと思うと急に無風になったり、なんともいい加減であるのだが、調子がいいのでついつい聞き過ごしてしまう。


 というわけで、春でも秋でも良い噺、と考えることにしよう。
 
 また、八五郎が鐘の音の違いを歌い分ける場面にも、いい加減さが残っている。

 カラスが飛び立つ前に「浅草寺弁天山で打ち出す鐘が陰にこもってものすごく」鳴ることになっている。円遊の八五郎は「上野と浅草は音が違うそうだな。上野の鐘の方は金が入っているから音が高えとよ」とまぜっ返すが、これも浅草の間違い。いずれも「花の雲鐘は上野か浅草か」とうたわれた時の鐘だが、金が入っているのは浅草の方だ。浅草寺の鐘には「五大将軍綱吉公の寵臣牧野備後守成貞が黄金二百枚を喜捨し、地金中に鋳込ませ・・・・・・」と、台東区が立てた説明板がついている。


 こういった“?”もあるのだが、円遊が怪談噺を今に残る滑稽噺に作り上げた功績を、少しも傷つけるものではないだろう。

 この噺、春と秋の彼岸の頃、ぜひサゲまで聴きたいと思う。扇辰の例で言うなら、幇間の新朝が八五郎の長屋の様子を「ヨイショ」をする時の浮かれた口調で説明するのが大変に楽しい。「まるで居ながらにして江の島」なんて科白が飛び出す。
 だから、向島の釣り人を相手にした八五郎のわがままな振る舞いが、最後には幇間新朝によって逆襲されるような、そんな爽快感も楽しめる。
 サゲは人によって工夫してもらっても結構だし、伝統的な「馬の骨」でも良いだろう。「どこの馬の骨かも分からない」なんて言葉だってあることだしね。

 もちろん、過去の名人なら、途中でサゲても楽しめる。柳好は、あまりにも有名なので、ぜひ柳枝をお聞きいただきたい。いいんですよ、これが。
e0337777_18034851.jpg

ビクター落語 春風亭柳枝『野ざらし』他
[PR]
by kogotokoubei | 2014-03-25 00:43 | 落語のネタ | Comments(2)
この会は日曜開催が多いので、土曜昼の開催の今回、初めて行くことができた。
 通算第372回、入り口に「満員御礼」の札があった。

 ネタ出しがされている会。次のような構成だった。
--------------------------
(開口一番 春風亭一力『平林』)
柳家一琴  『壷算』
春風亭柳好 『長屋の花見』
古今亭志ん輔『明烏』
(仲入り)
桂小文治  『野ざらし』
柳家小菊  俗 曲
金原亭伯楽 『鰍沢』
--------------------------

春風亭一力『平林』 (14分 *13:00~)
 先日の末広亭で初めて聴いたのだが、また開口一番はこの人。ネタも同じ。会場には意外にこのネタを知らなかった方も多かったようで、結構笑いをとっていた。二ツ目が近く、本人も楽しく高座を務める余裕もできてきたように思う。あくまで偶然だと思うが、「平河町の平林さん」は、土地柄良いネタ選びだと思う。

柳家一琴『壷算』 (24分)
 久し振りだ。二年前の師走、今松が主任の末広亭で『目薬』を聴いて以来。瀬戸物屋が不信に思う様子を巧みに入れて会場の笑いはとっていた。しかし、結構特徴のある顔つきだったのが最近は丸くなってきたような感じがして、この人が今後どんな噺家になるのか、他人事ながら気になる。力はあると思うので、もう一つ何か際立った個性のようなものが欲しいのだが、さてどんな噺家像を描いているのだろうか。
 真打昇進が平成13(2001)年9月なので、文左衛門、萬窓などと同期になる。以前は文左衛門と同じような路線を進むのかとも思ったが、違うのだろう。今後のために、今は結構重要な時期にいるように思う。もちろん期待もしている。先輩に喜多八、後輩に三三、小三治門下での位置づけも今後次第だろう。しばらく気になる噺家さんである。

春風亭柳好『長屋の花見』 (20分)
 少しづつ、通常の型との違いがあった。長屋の大家が、“貧乏長屋”“戸なし長屋”と世間に言われて悔しいから、「世間を驚かせてやろう」というのが花見の理由、という設定。酒ではなくお茶け、蒲鉾ではなく大根、卵焼きは沢庵、と聞いて店子連中がいったん帰ろうとすると、大家が「店賃の話をしようか」と脅しにかかり、一同花見に行く、という筋書きだった。「長屋に近いうちにいいことがありますよ。酒柱が立ちました」の後、源ちゃんが「長屋中 歯を喰いしばる 花見かな」と三代目蝶花楼馬楽の句でサゲ。なかなか楽しい旬を少し先取りした高座。
 馬楽の句のことを含め、この噺についてはほぼ四年前のこの季節に書いたので、ご興味のある方はご覧のほどを。
2010年3月20日のブログ

古今亭志ん輔『明烏』 (30分)
 仲トリ。「北向きは どこが目当てか 赤とんぼ」の句などのマクラから本編へ。
 時次郎の造形が、この人ならではのものになりつつあるように思う。たとえば、花魁の姿を見て、ようやくお稲荷様ではなく吉原だと分かった時に源兵衛に抗議する場面など、顔の表情を含め、志ん輔ならではの型になりつつあるのではなかろうか。また、茶屋の女将が強引に床入れさせようとする際の時次郎の科白にも、この人の工夫があった。師匠の二宮金次郎ではなく、「聞け万国の労働者!」であった。今後は変わりそうな気もするが、楽しかった。翌朝、太兵衛が食べるのは師匠と同じで砂糖まぶしの小梅。旨そうに食べていたなぁ。見ていて口に唾が出てきた。
 時次郎の演出なども含め全体的に、これまで重くのしかかっていた師匠の呪縛から解き離れつつある志ん輔の『明烏』だった。今年のマイベスト十席候補とする。
 
桂小文治『野ざらし』 (24分)
 実は、志ん輔と、この人がお目当てだった。マクラでは太鼓職人が多く住んだ浅草の新町のことや、太鼓の皮が馬だったこと、幇間のことを“たいこ”と呼んだことなどをしっかり説明し、「普段はサゲまでやらないんですけど、今日はやります」と宣言(?)し、会場から拍手が起こる。
 八五郎が長屋の隣りの住人、島田清十郎に、「なんだい昨夜の女は?」と聞きにくる件では清十郎が彰義隊の生き残りであることにも触れる。上野と浅草の鐘の音の違いは、初代円遊の間違いを継承していて、上野の鐘に金が入っているとしたが、本当は浅草。まぁ、それは良しとしよう。都都逸「隅田川さえ 竿さしゃ届く、なぜに届かぬ我が思い」なども効果的に挟んで、良いテンポで後半へ。
 幇間の新朝が八五郎の長屋を見立てる場面は、やや大人しい気もするが、全体として非常に結構な高座だった。見た目、そして高座の上品さなど、露の新治に似ているとも言える。芸協の中堅として期待したい人の高座、今年のマイベスト十席候補とするのをためらわない。

柳家小菊 俗曲 (15分)
 ご挨拶代わりの「かえる」「へび」「なめくじ」の「寄席スタンダードナンバー への八番 三部作」から、“さのさ”そして「品川甚句」のサゲまで、いつものように噺と噺の間にしっかり色どりを加えていただきました。

金原亭伯楽『鰍沢』 (40分 *~16:07)
 昭和14年の2月生まれなので75歳。その年齢から考えればしょうがないかもしれないが、丁寧な高座ではあったが、途中数回の言いよどみなどでリズムが崩れた。加えて、新たな著作も出たばかりとは言え、本の販売コーナーでの副業、果たして“名人会”の主任としてあって良いことなのかどうか疑問だ。仲入りでご本人自ら販売する姿を見て、昨年、池袋でも感じたような嫌な思いがした。もっと高座に集中すべきではなかろうか。師匠ならそんな野暮なことはしなかったはずだ。


 志ん輔版『明烏』、そして小文治の『野ざらし』が収穫だった。

 高座の反応などから、どうも普段は寄席や落語会に行かないお客さんが多かったような気がする。国立劇場・国立演芸場の「あぜくら会」の会員で、普段は歌舞伎や文楽などを中心に聴く方が滅多に聴かない落語に来た、そんなお客さんも相当いらっしゃったのではないだろうか。しかし、顔ぶれが悪かろうはずもなく、今後も土曜の昼開催なら、極力来たい会ではある。
[PR]
by kogotokoubei | 2014-03-22 18:27 | 落語会 | Comments(9)
春のお彼岸に相応しい噺として、上方落語『弱法師』(『菜刀息子』)を先日紹介した。

 時おり、この時期にマクラで聴くことがある小咄『本殺しと半殺し』は、民話が下敷きになっている。

 フジパンは、民話の音声入りライブラリーをサイトで提供している。

 「本殺しと半殺し」は山形の民話として紹介されているが、他の地方にも同様の民話があるようだ。

 始まりは、こうである。

むかし、ひとりの侍が旅をしていて、山の中で日が暮れてしまったと。真っ暗な山の中を、あっち行き、こっち行きして、ようやく一軒の山家(やまが)が見つかった。



 この後は、ぜひお聴きください。
フジパンのサイトの該当民話のページ
 
 聴いていただければ、「本殺し」「半殺し」「手打ち」がどんな料理かは、お分かりのはず^^

 『弱法師』や『天王寺詣り』の舞台である天王寺の駅近くに、鰻とおはぎが評判の「双葉」という店があるらしい。お店のサイトがなさそうなので、食べログから写真を拝借した。
食べログ 双葉 天王寺

e0337777_11115357.jpg



 こういう写真を見ると、左党の私も、彼岸の中日くらいは甘いものを食べようか、と思う。

 もうじき、お八つどき。さぁ、これから近所の和菓子屋さんを覗いて見よう。
[PR]
by kogotokoubei | 2014-03-21 13:50 | 今日は何の日 | Comments(2)
治外法権である大使館を利用した賭場の開帳が暴かれた。
時事ドットコムの該当記事

ガーナ大使名義の部屋で賭博=容疑で日本人10人逮捕−大使聴取も要請・警視庁

 駐日ガーナ大使名義で借りられた東京・渋谷の雑居ビルの一室で、バカラ賭博を開帳したとして、警視庁保安課などは19日までに、賭博開張図利容疑で、東京都板橋区宮本町の無職山野井裕之容疑者(35)ら日本人の男女10人を現行犯逮捕した。同容疑者は容疑を否認し、残る9人は認めているという。

 この部屋は2012年9月に前駐日ガーナ大使が公邸で外交官の身分証を提示した上で契約し、その後現在の大使(55)に契約が引き継がれた。入り口には現大使の名前を書いたプレートが掲示されており、大使も来たことがあったという。
 同課は外務省を通じ、現大使に任意の事情聴取に応じるよう協力を要請。大使らの賭博関与についても調べる。(2014/03/19-12:58)



 大使館員によって契約されている住居でのご開帳が捜査されたのは、初めてではない。2005年にコートジボワールの外交官名義のビルの一室でも賭場が開かれていた。
日本経済新聞サイトの該当記事

賭博場提供容疑を否認 逮捕の元外交官
2010/5/26 12:18

 2005年10月に警視庁が摘発した東京・南麻布のバカラ賭博事件で、自分名義で借りたビルの一室を提供したとして、警視庁が賭博開帳図利ほう助容疑で逮捕した元駐日コートジボワール大使館外交官が、「賭博場として提供したわけではない」と容疑を否認していることが26日分かった。

 同庁組織犯罪対策特別捜査隊によると、逮捕されたのはヨザン・チャールズ・テリー容疑者(42)。同容疑者は06年3月末に出国していたが、今月22日に再入国した際、成田空港で逮捕された。同容疑者は入国目的を「家族に会いに来た」と話しているという。



 映画『アウトレイジ』を思い出す。アフリカの小国の大使がやくざに脅されて大使館の地下がカジノとして使われる、という設定だったはずだ。この映画は2010年制作、コートジボワール外交官の件の後である。

 江戸時代の賭場と言えば、大名江戸下屋敷、中間部屋を連想するなぁ。大名の江戸屋敷も、治外法権地区と言ってよく、屋敷の雑用を担う中間には、どこの馬の骨か分からない者も多く、お上の目が届かないことをいいことに頻繁に賭場が開帳されていた。なかでも有名なのが本所にあった細川若狭守の下屋敷。あの『文七元結』の本所達磨横丁に住む左官の長兵衛が、身ぐるみ剥がされて細川の尻切れ半纏ひとつで長屋に帰って来たことを思い出す。

 同じ細川でも本家の熊本細川藩の下屋敷は、現在の港区の高輪と白金台にあった。

 その港区には大使館が多い。

 森ビルの入居者を会員とするeHills Clubが運営している「HILLS CLUB」という、六本木ヒルズ・赤坂・虎ノ門周辺のタウンガイドのサイトに、港区にある大使館の一覧が掲載されている。HILLS CLUBのサイト

 なんと、高輪や西麻布、六本木や白金台などに約90の大使館がある。

 これは、江戸時代に大名屋敷の多くが現在の港区にあったため、明治新政府が土地を没収し、“グローバル化”のために数多くの国の公使館を立てる土地にあてがったことが始まり、と下記のように港区のサイトにも書かれている。
港区サイトの該当ページ

はじまりは江戸時代(えどじだい)に置か(おか)れた最初(さいしょ)の外国公使館(こうしかん)

 現在(げんざい)、日本には約(やく)140カ国(かこく)の大使館(たいしかん)があり、その約半数が港区(みなとく)にあります。
 江戸時代末期(えどじだいまっき)に日本が世界(せかい)へ国際交流(こくさいこうりゅう)の門戸を開き(ひらき)、最初(さいしょ)の外国公使館(こうしかん)がアメリカは善福寺(ぜんぷくじ)に、イギリスは東禅寺(とうぜんじ)に、フランスは済海寺(さいかいじ)に、オランダは西応寺(さいおうじ)に置か(おか)れました。
 明治維新(めいじいしん)後、政府(せいふ)は旧(きゅう)大名家から没収(ぼっしゅう)していた屋敷(やしき)の跡地(あとち)を大使館用地として各国(かっこく)に提供(ていきょう)しました。このような経緯(けいい)により、大名屋敷が多くあった港区に大使館が集まっ(あつまっ)たのです。

 現在多くの外国大使館が港区に置かれているのも、こうした歴史的(れきしてき)な背景(はいけい)があるからでしょう。



 こういう歴史的な背景から、次のような連立方程式(?)を考えてしまうのだ。

 大名屋敷→治外法権→賭場
 大名屋敷→大使館
 大使館→治外法権→カジノ

  
 大使館の建物そのものを使うか、大使館の誰かの名義になっている別の場所を使おうが、実態として、それは“大使館カジノ”と言ってよいだろう。
 
 映画『アウトレイジ』が描いた世界は、決してフィクションではない。

 大使館カジノは、どちらかと言うと貧乏な小国に金銭的な援助をやくざがすることで出来上がっているように思う。

 しかし大使館カジノには、左官の長兵衛のような庶民の出入りは許されない。たとえば、某大企業の御曹司など、お金持ちが客の中心のはず。

 だから、貧乏な国を利用して、日本の金持ちからテラ銭を巻き上げよう、という図式なのだと思う。

 東京のカジノ構想は、石原→猪瀬ラインなら進んで行っただろうが、舛添が一から見直しをすると言っている。原発への取組みは不鮮明な部分もあるが、概ね、石原、猪瀬よりはマシな知事だと思っている。

 猪瀬は、海外からの旅行者を増やすためのカジノ構想、などと言っていたが、そんなお題目は到底信じることができない。カジノ構想には、大きな利権がからんでいる。スロットマシーンなどのメーカーと政治家との癒着などが指摘されているし、お台場を本拠とする某テレビ局も一攫千金を目論んでいた。
 
 東京都カジノ構想は、ヤクザと大使館との癒着と同様、あるいは、税金を投入すると言う意味では、もっと悪質な構造の上に成り立っていた。

 本気で海外からの旅行者を増やそうとするなら、カジノなど必要ない。


 谷中に「澤の屋」という旅館がある。業界でも有名な、宿泊客の九割が外国人旅行者の宿だ。東洋経済オンラインの昨年10月の記事から引用する。東洋経済オンラインの該当記事

日本の下町風情が色濃く残る、東京・台東区谷中。ここに外国人観光客が集まる旅館がある。

「澤の屋旅館」が外国人観光客の取り込みを始めたのは、今から30年以上も前。これまで欧米を中心に100カ国、延べ15万人に及ぶ外国人旅行者を受け入れてきた。現在も宿泊客の9割は外国人だ。1泊5040円は、素泊まりとしてそれほど安い価格ではない。部屋も和室のみ12室、4畳半~8畳の広さだ。その旅館になぜ外国人が押し寄せるのか。



 どんなサービスが、外国人旅行者に評価されているのか。それは、あくまで“手づくり”のサービス。そして、日本ならではの伝統的な四季を体感してもらう演出だ。

 澤さんが宿泊客に必ず渡すものとして、手書きの地図がある。根津神社や上野公園など観光地のほかに、旅館周辺の居酒屋やラーメン屋、コンビニ、銀行ATMなどが日英表記で書き込まれている。地図は50部ずつ印刷し、追加の情報を上から張り付けてまた印刷する。

 正月には門松を飾り、獅子舞を披露する。桃の節句には雛人形、端午の節句には5月人形、菖蒲湯でもてなす。宿泊客にそれらを知らせる館内掲示も、すべて手作り。日時だけを張り替え、あとは毎年同じものを使っている。

 澤さんは旅館周辺での行事やイベントを報じる新聞記事を切り取って保管している。花火や朝顔市……。「昨年はこんな行事が行われたんですよ」。写真付きの切り抜きを見せれば、言葉で説明するよりも、外国人客にも伝わりやすい。澤さんのスクラップブックにはこれまでの旅館周辺の歴史がぎっしり詰まっている。



 「澤の屋」は、決して洋風の洒落たホテルではない。最大の売り物は「家族経営」である。しかし、その方針は、海外のホテルから学んだとのこと。

家族経営は売り物になる

 旅館は澤さんと妻、息子夫婦で切り盛りする。「大きくせずに、家族経営のままやっていこうと決めている」(澤さん)。そう考えたのは、澤さんがたまたま見たベネチアのホテルのパンフレットがきっかけだった。その表紙を飾っていたのは、ホテルを経営する家族の写真。欧米では日本とは違って、家族経営が売り物になっている。

 家族経営は業容拡大には不向きだが、顔の見えるサービスができる。「いつも同じ顔ぶれだからいい」。そう言って澤の屋を再び訪れる外国人客は少なくない。今ではおよそ3割がリピーターだ。

 澤さんのところには、宿泊した外国人客から手紙が届く。2011年の東日本大震災後には、澤さん、そして日本を案じる手紙やメールが多数きた。「家族はみんな無事か」「また必ず日本に来たい」。こうしたコミュニケーションが生まれるのも、顔が見える家族経営ならでは言えるかもしれない。

外国人客は、いいお客

 澤の屋の帳簿は、来年4月まで多くの予約で埋まっている。外国人客は旅行の予定を立てるのが早い。ちまたで言われるように、目先の為替動向で予約がキャンセルされることはほとんどない。「旅館にとって、こんなにいい客はいない」(澤さん)。

 これまで2001年の米国同時多発テロの後も、08年のリーマンショックの後も、宿泊客は減らなかった。唯一、11年の福島原発の事故後はキャンセルがあり、同年の宿泊稼働率は約75%まで減少したが、翌12年にはまた回復している。



 澤さんは次のように、日本にもっと海外からの旅行者を呼び寄せるためのヒントを語る。

 澤さんはほかの旅館にも、外国人客をもっと積極的に取り込もうと呼びかける。「外に目を向ければ、まだまだ拡大の余地がある」(澤さん)。

 ネットによって、世界各国から直接予約が入る。そして何も特別なことは必要ない。あくまで自然体で。それだけで多くの外国人客を呼ぶことが可能であると、澤さんのこれまでの足取りが物語っている。



 カジノなどなくても、自然体で日本の姿を紹介すること、四季を体感してもらうこと、そのための手作りのサービスを実践することで旅行者は増える、という実践者からの言葉だ。

 最後に「澤の屋」のサイトから、写真をお借りして掲載。
「澤の家」のサイト

e0337777_11115101.jpg

サイトにある従業員の皆さんの写真

e0337777_11115243.jpg

客室の写真

e0337777_11115227.jpg

檜の風呂の写真


 私も、「澤の屋」に泊って、谷根千をぐるっと回ってみたくなった。外人さんと一緒に回るなんてのも楽しいかもしれないしね。

 あれ、何の話だったっけ。

 大使館カジノから、こんなことまで思いが巡ってしまった。

 東京五輪招致騒ぎ以来、流行語になった「おもてなし」という言葉を使うのが嫌になった。どうも嘘っぽくてねぇ。

 広辞苑から。

もて-な・す【持て成す】
1.とりなす。処置する。 
2.取り扱う。たいぐうする。
3.歓待する。ごちそうする。
 平家物語(11)「御前へ召されまゐらせて、御引出物をたまはって—・され給ひしありさま」
4.面倒を見る。世話をする。
 源氏(若紫)「そもそも女は人に—・されておとなにもなり給ふものなれば」
5.自分の身を処する。ふるまう。
6.取り上げて問題にする。もてはやす
7.そぶりをする。見せかける


 
 日本語は難しい。同じ言葉でも、これだけ意味合いの違いがある。

 滝川クリステルの「お・も・て・な・し」には、多分に「7」の“見せかけ”を感じる。

 「澤の屋」が教えてくれるのは、「3」や「4」の“歓待する”や“世話をする”の意味での、もてなしのように思う。

 カジノなどでできるのは、せいぜい「1」や「2」の“処置する”“取り扱う”、あるいは「7」の“そぶり”という次元の意味でしかない。


 そして、私は、もしカジノに行きたくなっても、そんな金は“持て無し”である(お粗末)。
[PR]
by kogotokoubei | 2014-03-20 00:58 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
e0337777_11115196.png

写真は、四天王寺のサイトより。

 春のお彼岸、明後日21日は中日、春分の日のお休み。大阪の四天王寺では「大師会」が開かれる。四天王寺のサイトより引用。

3月21日 終日
大師会
場所 境内一円

 弘法大師の月命日、毎月21日は俗に「お大師さん」と呼ばれ、境内に露店が並び、たくさんの参詣の方が来られます。弘法大師は聖徳太子を讃仰され、若き日に四天王寺に詣でて、西門にて入日を拝する日想観を修された。この機縁により毎月21日に大師会としてのお詣りが江戸時代より盛んになったと言われております。この日は、中心伽藍を無料開放し、五重塔最上階回廊も開放しております。また、境内一円に食べ物のお店や日常品、アンティークなどの露店が出ます。 お詣りがてら覗いていかれるのも一興です。



 春のお彼岸に旬な噺は上方にある。『天王寺詣り』もそうだが、この噺は春でも秋の彼岸でも該当しそうなので、春彼岸ということで『菜刀息子(ながたんむすこ)』、別名『弱法師(よろぼし)』を取り上げる。

 昨年の三月、まさに旬な時期、ざまで桂文我の見事な高座に出会った。その時の記事を土台に、粗筋をご紹介。
2013年3月10日のブログ

 主な登場人物は、商売の内容は詳しくは分からないが何らかのお店の旦那、その女房、一人息子の俊造、家出をした俊造を探しに行くのが出入りの熊吉(熊五郎の場合もある)だが、この噺の特徴として他にも声だけで登場する多くの出演者が脇を固める。

(1)父親が息子俊造を叱るところから噺は始まる。紙を裁断する断ち包丁を買って来いと俊造を使いに出したのに、菜や大根を切る菜刀(ながたん)を買ってきた、と言って息子を責める父親。何とかその怒りの矛先をそらそう、息子を庇おうとする母親。しかし、父親の出て行って苦労をして来い、の言葉を真に受けたのか俊造は家から姿を消した。

(2)時間の経過が、巧みに表現される。
 鍋ぁ~べ焼ぁ~き~うど~ん。この後に、カラスが「カァ~」(文我は扇子で顔を隠して、「カァー」)
 さて、翌日深夜になっても戻らないので、出入りの熊吉が呼び出され、親戚を訪ねる。この時の複数の訪問先とのやりとりは、最初は一軒づつ語られるが、その後は訪問先の返事を、「俊造はん、いいえ、宅へは来てはらしまへんで」「うちには、来てへんで」「ここんとこ顔を見てへんなぁ」などと畳み掛けるた部分が結構だった。

(3)この噺では、この手の畳みかけで時間の経過を表現する演出が他にもある。俊造が家出してからの時間の経過を、物売りの声で語る。
 ここからは、私の記憶も曖昧なので、いつもお世話になっている「世紀末亭」さんの「上方落語メモ」からご紹介。
 実は、桂吉朝最後の高座の記録であることが、このページを見て分かった。「世紀末亭」さんサイトの該当ページより

 竹ぁ~けの子ッ 蕗やぁ~竹ぁ~けの子ッ
 葦ぉ~しやスダレは要りまへんか~い
 金魚ぉ~え 金魚ぉ~ッ
 蓮やぁ~オガラ 白蒸しの~ぬくぬく~
 さぁ~や豆ぇ~ 鉄砲豆ッ
 ミカンどぉじゃい 甘いおミカンどぉじゃい
 おぉ~しめ縄 飾り縄ぇッ
 七草ぇッ 七草ぇッ
 鍋ぁ~べ焼ぁ~き~うど~ん


 文我は、ミカンはなくて、スイカがあったように思う。モノ売りの声で四季の流れを表現し、さて七草になり、寒い夜「鍋ぁ~べ焼ぁ~きうど~ん」屋の声の後に、カラスが「カァ~」と鳴く。

(4)一年がたち、春の彼岸。熊さんがお供えを持ってやって来た。
 その後の夫婦の会話を、「上方落語メモ」から吉朝版で引用。

女房 「お仏壇へ供えとくなはれ」言ぅてくれはった、親切なもんだすなぁ。これがホンマのお供養やと思てな……、これ、見てるか? 綺麗なやろ、何で死んだんや、辛かったんか……
 お父っつぁん、あんたもなぁ、あの子のため思て言ぅたっとくなはったんだっしゃろ、そらよぉ分かってます。せやさかい、恨みには思いまへん。恨みには思えしまへんけどもな、たまにはだっせ、たんまには「えらい可哀相なことをした、わしの言葉がきつかったんと違うやろか」と、ちょっとぐらい思てくれはってもえぇんと違いまっしゃろか。
 なぁ、お父っつぁん、お父っつぁん……、ここはあんたとわたいと二人だけだっせ、何でホンマのこと言ぅとくなはらん。お父っつぁん、あんたも悲しぃて悲しぃてたまりまへんねやろ? お父っつぁん、何であんた……
 また、癖が出てしもた。何でこない愚痴になってしもたんやろなぁ、あんたの心持ちはよぉ分かってるはずやのに。けど、今日はえぇお天気だすなぁ
旦那 ホンに、そぉじゃなぁ、今日は中日か?
女房 そぉだすがなお父っつぁん、お彼岸の中日だっせ。天王寺さんへ参ったげとくなはれ、な、なにかには、なにかに別として天王寺さんだけは参ったっとくなはれ。
旦那 そぉじゃなぁ、遊びがてらブラブラ行ってもえぇなぁ
女房 「遊び……」そぉだすなぁ、体にも薬だっせ
旦那 いつ出かける?
女房 わたいはいつでも
旦那 そぉか、羽織
女房 へぇ……


 私はこの噺を上方版の『火事息子』と位置付けているが、上方らしく、女房の口が達者である。

(5)二人で天王寺さんへやって来た。『天王寺詣り』ほどではないが、境内の露店の呼び声が登場。
 

 おみやお買いやぁ~す 豆板お買いや~す
 亀山のチョ~ンベはん 亀山のチョ~ンベはん
 孫の手どや、孫の手。二銭に負けといたろ
 そぉら、えぇ孫の手や、でや孫の手買わんか?
 本家ぇは竹ゴマ屋でござぁ~い(ブゥ~~~ン)
 どなたも休んでおいきやす、どなたも掛けて一服しておいきやす
 どなたも休んでいっとくなはれ、どなたも一服しとくれやっしゃ……


 
 女房は、東京で言う乞食、あるいは物乞い、上方のお薦(こも)さんに施しをしようとする。

 そこで旦那が言う言葉がサゲに関係するので、ご紹介。

旦那 あのなぁ、乞食に銭やんのもえぇけど、只やったらあかんで。
女房 はぁ
旦那 何なと持ってるもん買ぉてやんのんじゃ、な、灯芯(とぉすみ)の三本でも、辻占の一枚でも持ってたら、それを買ぉてやっといで。ただ銭やったらやるほぉも損や、もらうほぉかて冥加が悪いわい。何なと買ぉてきてやれ。
女房 はぁ、けどたいがい何にも持ってぇしまへんで
旦那 あぁ、ほなな、何なと言わしてやり「みぎやひだり」でも「どぉぞいちもん」でも「なんぎふじゅ~」でも何でもかまわん、それをな言わしてから銭をやんのんじゃ。な、それがあれらの芸じゃ。
 あれらかて苦労しとるわい「どないしたら可哀相に聞こえるやろ? どないしたら哀れに思てもらえるやろ?」と思てな、一生懸命苦労して声出しよる。その声聞ぃてから銭をやんのんじゃ、えぇな、ただやったらあかんで。



(6)女房が施しをするお薦の中に、何と息子が・・・・・・。
 慌てて夫の元に戻って来てからの会話を、少し長くなるがご紹介。

女房 お、お父っつぁん
旦那 あ、熱ッ。何じゃい?
女房 せ、せがれ、せがれ…
旦那 何じゃて、せがれが生きてよった、生きてよったせがれが? え、一年ものあいだ誰の世話にもならんと生きてたか、そぉか……
 会ぉてやりましょ、どこにいてんのんじゃ、会ぉてやりましょ、え、どこに立ってんのんじゃ?
女房 立ってやしまへん、座ってます
旦那 座ってる? 座るとこなんぞあるかい? え、鳥居の根元? 石の鳥居かい……
 去(い)の、人違いじゃ。帰ろ。せやないかい、今現在、引導鐘を撞いてもろたとこじゃ、そのせがれが生きてるはずがないやないか、帰ろ
女房 いなしまへん、いなしまへんで……
 お父っつぁん、あんたなぁ、久し振りに会ぉたせがれが出世してたら会ぉてやろ落ちぶれてたら黙って帰ろ、そんな無慈悲な母親はいやしまへん。父親(てておや)知りまへんで、父親(ちちおや)の気ぃは知りまへんけどなぁ、お腹痛めて産んだ子ぉの顔忘れるよぉな、そんな母親はいてしまへんねん。お父っつぁん、あんたなんといぅ無慈悲な……
旦那 これッ、婆さん。あんた罰(ばち)が当たるで、ホゲタがいがむで。せやないかい、父親も母親も親といぅ字に変わりはないわい、久し振りに会ぉたせがれじゃ「よぉ生きててやってくれた、あの時はわしが言ぃすぎた、さぁ帰ろ。もぉどこへも行ってくださるな」言ぃとぉて言ぃとぉてたまらんわい。
 そぉやって家(うち)連れて帰ってどぉなる? 「あぁ、これ着ぃ、これ食え」猫かわいがりに可愛がってたら、そら親のこころは満足じゃろ、それであいつがどぉなると思う? えぇ、せやないかい、あんたあれの傍へ一生涯付いててやれるか? やりょ~まいがな。
 老少不定(ろぉしょ~ふじょ~)と言ぅても、年いたもんが先に行くのは順当じゃ、今にもふた親が目をつぶいだら、あれはどぉなるんじゃ? それでのぉても辛(から)い世間「あぁ、この人はアホじゃないが気があかん」身を捨てて庇ぼぉてくださる人があると思うのか?
 その日ぃから路頭に迷よぉてあっちぃブラブラこっちぃブラブラ、ここで小突かれ向こぉでどつかれ、病犬のよぉになって野垂れ死ぬのが目に見えるよぉじゃわい。それなりゃこそ、若い時のもぉひと苦労、さしてやれと言ぅのじゃわい。
 父親のな、父親のこころにはこっから先の我欲も混ざらんのじゃい。なればこそ、血の涙を流してここのとこは「帰ろぉ」と言ぅのじゃ、分からんのか婆さん。
女房 すんまへん……、よぉ~お分かりました。女といぅのは幾つになってもあかんもんだすなぁ。いにまひょか
旦那 いの……、あぁ姐さん、それみたらし団子か? それ十(とぉ)ほど包んどぉくれ、いやいや遠くへ持って行くんじゃない、そこにあるのは餅か? それも上へ乗しといとぉくれ。
女房 お父っつぁん、何をしてなはんねん?
旦那 婆さん、これ、乞食にやってけぇへんか
女房 へッ、へぇ
旦那 言ぅとくで、ただやんねやないで、なんなと言わすねん。それを聞ぃてからやんねやで
女房 へぇ……
 お薦はん、おこもはん、あの旦那はんから施しだっせ。これ、あんたも物もらうときに何なと言ぅことがおまっしゃろ、大きな声で言わなあけしまへんで、な、大きな声で言ぅてみなはれ。
俊造 へぇ……、菜刀誂えまして、難渋いたしております~。



 題名の『弱法師』は、俊徳丸伝説に基づく四天王寺を舞台にした謡曲『弱法師』からきているのだと思う。Wikipediaの「俊徳丸」より伝説と謡曲の概要を引用。
Wikipedia「俊徳丸」

 河内国高安の長者の息子で、継母の呪いによって失明し落魄するが、恋仲にあった娘・乙姫の助けで四天王寺の観音に祈願することによって病が癒える、というのが伝説の筋で、この題材をもとに謡曲の『弱法師』、説教節『しんとく丸』、人形浄瑠璃や歌舞伎の『攝州合邦辻』(せっしゅうがっぽうがつじ)などが生まれた。


謡曲『弱法師』

 俊徳丸伝説を下敷きにした能。四天王寺を舞台とする。観世元雅作。他の俊徳丸伝説より悲劇性が高く、俊徳丸は祈っても視力が回復せず、回復したような錯覚に陥るだけである。題名は普通「よろぼおし」と読むが、謡曲の本文中では「よろぼし」と読む(金春信高注釈 『弱法師』)。



 最期は、大店の大旦那としての厳しさを見せ、息子にあえて苦労させようということで終わる。

 この噺も『火事息子』も、その後に息子が、あの親子がどうなるのか案じられないこともないが、あくまで落語。サゲでお開き^^

 東京『火事息子』は、道楽が嵩じて臥煙になり、上方『弱法師』は、気の弱さからお薦さんになる。設定は違うが、父親と母親の子どもへの情愛表現の違い、許したいが許せない父親の葛藤など、この二つの噺で表現されるものには共通項が多いと思う。

 春彼岸に相応しいネタ、私は“なかなか(菜刀)、よろし(弱法師)い”と思いますが、いかがですか(苦しい042.gif)。
[PR]
by kogotokoubei | 2014-03-19 06:49 | 落語のネタ | Comments(0)
官民マスコミ揃ってもろ手を挙げて2020年東京オリンピック開催を喜んでいる中、資生堂の名誉会長である福原義春が、なかなか良いことを言っている。

 「日経ビジネス」サイトから、引用。
「日経ビジネス」サイトの該当記事

東京五輪?あれは悪夢みたいだった
『銀座にはなぜ超高層ビルがないのか』と街づくり
2014年3月17日(月)

 「この前の東京オリンピックはどうでした?」と編集長に聞かれた。

 冗談じゃない。あれは悪夢みたいな出来事だ。それ以前に突然のように父を亡くし、その頃は結婚したばかりで、会社では課長になったかならないかの働き盛りだ。ところがそこへ持って来て全く思いもよらない体験の最中で、オリンピックどころではなかった。

 オリンピックの開催が決定して、世の中はすっかりはしゃいでいた。東京都の知事はそれに備えるように東龍太郎知事となり、新聞にはオリンピックのニュースが満載だ。

 その中にオリンピックのためのインフラとして高速道路網を整備するという記事があって、その地図を見るとどうも僕の家のあたりを通ることになりそうなのだ。

 悪い予感がしたが、手を廻して予定線の地図を見せてもらうことが出来た。あろうことかやはり僕の家のあたりが高速道路二号分岐線の予定になっているのに間違いなさそうだ。

 それまで僕の家は白金の自然教育園に接していたので、まさかそんなに無謀な計画を立てるとは思えなかった。

有り得ないと思っていたのが甘かった

 今は文部科学省の所管になって自然教育園になっているが、かつては松平讃岐守の下屋敷、それからは海軍火薬庫になったり、宮内庁の御用地になったりした武蔵野の面影を残す緑地であった。しかも古く中世豪族の邸跡とも伝えられ、それが故に白金長者の邸とも言われ、また目黒区中丸から品川区長者丸という豪族の居城の跡とも言われた。

 その出城を連なる土塁には樹齢数百年のスダジイが並木になっていた。

 また松平の下屋敷になっていた間に、そこに平賀源内が出入りし、そのせいかどうか、この辺には有り得ない珍しい植物が自生するように生えているのだった。

 いくらオリンピックと言ったって、こんな珍しい東京の中の自然環境をめちゃくちゃにするなんて有り得ない、と思っていたのが甘かった。

 オリンピックのための高速道路予定線は、この自然教育園のスダジイ並木の一部をかすめて私の家の上を斜めに通るのだ。

 やがて道路公団の、見るからにベテランらしい慇懃なおじさんが会社に電話をかけて来て「お会いしたい」という。こうなると大蛇に睨まれた蛙のようなものだと本能的に思った。

 日曜日に会うと、「こうこう、こういうわけでお宅は立ち退いてもらわねばなりません。期限は一年後、更地で明け渡すこと、一木一草、庭石までも残さないこと。一切の経費は負担しますから安心して下さい」と言う。何が安心なものか。



 経済人で、昭和39年の東京五輪を批判的に語る人は少ないように思うが、この人は実体験を元に、あの時の“破壊”の実態を隠さない。

 福原の家は、「あと二、三十年もすればそれこそ文化財級の建物」らしかったが、「道路公団氏はちっとも動ぜず、どこへでも移築されれば、移築費用も全部お持ちしますよ」、と何を言っても歯が立ちそうにない。

 そんな状況において、ご近所が結束する。

 間もなく近所の人たちが反対同盟を作るから加入してくれと言う。何でも会長は三、四軒先のふだんは出て来ないおじさんで、日本刀を取り出して来て、この次公団が来たら叩き斬るぞと言っているらしい。さあ困った。国を挙げてのオリンピックの計画を変更するなんて多分難しいことだし、いつまで反対していても意味がないということだ。僕のおじいさんは常に父に官に逆らうことは止めなさいと言っていたらしい。

 そこで僕は反対同盟にも署名し、一方でひそかに休日ごとに東京中で売地を探してまわることにした。一週間働いて日曜ごとに物件を見て回るだけでも大変だ。結局七十か八十の売地を探したが、最後にこんなに難しいことはないと悟るようになった。第一に家の土地を売る値段と買う値段が等価でないと課税される。第二に隣近所に高層マンションが出来るような所は温室の植物のためにならない。第三にその頃東京の住宅地にありがちだった夏場の断水があると困る。

売りに出ている土地にはみな「問題」が 
 
 すばらしい見晴らしの高台の端にいい土地があった。ただ高台だから夏場の断水は仕方ないという。ところがその土地に立ってみると正面に大きな煙突があるではないか。聞いて見ると火葬場だという。



 この記事は、銀座に高層ビルを建てさせない活動のことにつながるのだが、前半部分の福原の回想は、一人の日本人として、あの時“開発という名の破壊”の実態を振り返る貴重な記録だと思う。

 次のオリンピックで、昭和39年の“開発という名の破壊”で、高速道路に頭を塞がれた日本橋の頭(老朽化した首都高)を取り除こうという計画もあるらしい。しかし、この計画には、「また東京が破壊される!」という批判を、前もって防ごうとする意図的な動きを感じる。「東京オリンピックは、古き街の再現にもなる」と言いたいのではなかろうか。しかし、そんな嘘は、すぐばれる。コンクリートを壊したって、江戸時代の伝統や文化が戻るはずもない。 

 五輪の度に頭に帽子を被せられたり、外されたりする日本橋は、もう「こりゴリ(五輪)」と言っているのではなかろうか(お粗末)。
[PR]
by kogotokoubei | 2014-03-17 19:10 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
寄席の空気に、どうしても触れたくなって土曜の末広亭へ。

 11時40分に入場したが、椅子席は結構な埋まり具合。二階には小学生たちの団体さんで一杯のようだ。好みの下手の桟敷を確保。一服して席に戻ったが、椅子席は九分がた埋まったようだ。

 出演順に書いていくことにする。良かったと思う高座にをつけた。

開口一番 春風亭一力『平林』 (11分 *11:52~)
 六月中席に二ツ目に上がる。なかなか良い面構えをしているように思う。あえて言えば、昔風の顔つき。基本は結構出来ているように思うし、二ツ目からの飛躍を期待しよう。

春風亭ぴっかり『味噌豆』 (10分)
 小学生を意識したような小咄をいくつか披露してネタへ。この人の明るさは得がたい。今日初めて寄席に来た小学生にとっても、良い縁であったように思う。十年後、女性で入門してくる人が、あの二階にいてもおかしくはない^^

三遊亭小円歌 俗曲 (10分)
 いつもの「かちかち山の狸」から始まり、字余り都々逸などで会場を沸かす。「三味線漫談は世界で二人」と言っているが、玉川スミ師匠亡き今は一人ではなかろうか。二階にいた小学生の女の子が、十年後に入門・・・しないわなぁ。

柳家三三『無学者』 (7分)
 二階の団体さんに合わせたのか、『やかん』の序の内容で短くまとめたが、なかなか結構。この人、こういう噺の方が似合うように思う時もある。以前、人情噺の長講ばかり聴いていた時に、柳家伝統の滑稽噺を演って欲しいと思ったことがあったが、先日紹介した雑誌「Switch」で語っていたように、師匠の助言で一肌むけつつあるのかもしれない。今年は一之輔とこの人、そして談春が全国を駆け回っているようだが、そういう経験も今後必ず生きるだろう。

古今亭志ん橋『穴子でからぬけ』 (12分)
 本来は夜の部だが昼の木久蔵が休演で昼の部への出演。私は、うれしかった。
 与太郎、馬鹿な兄弟、馬鹿な親子などの小咄の後、古今亭では柳家の『道灌』に相当するこのネタ。久し振りだが、元気そうで何より。前半の小咄も二階の団体さんに受けていた。今や古今亭一門の重鎮とも言える存在になったなぁ。

マギー隆司 奇術 (13分)
 トランプ→千円札→紐、と定番の芸だが、初めて見る人も多いようだし、二階の小学生のおかげで盛り上がった。

桂扇生『長短』 (15分)
 初である。芸術協会で三笑亭夢楽に入門し、昭和59年の騒動で文生について落語協会に来たようだ。
 大師匠の小さんから習ったのだろうか、非常に結構な高座。この日の最大の収穫である。長さんが与太郎にはならず、短七さんとの会話も楽しい。こんな人がいたんだ、という思いで聴いていた。二階の小学生も笑っていた。別に媚びた芸などせず、しっかり落語を演じたら伝わる、という見本のような芸である。この人、もっと聴きたくなった。

林家うん平『家見舞』 (20分)
 初である。こん平門下。扇生と同期で平成7(1995)年の真打昇進。扇生と比べては可哀想だろうが、木目の細かい高座の後で、こういう粗雑な芸は、その差が目立ってしょうがない。

にゃんこ・金魚 漫才 (9分)
 金魚の頭は桜が咲き、ゴミ箱まである^^
 二階の女子小学生の中から、十年後に漫才の道に入る子が・・・いないだろうなぁ。

春風亭正朝『普段の袴』 (15分)
 去年の八月の鈴本以来。この噺は二年前の末広亭でも聴いている。相変わらず達者な高座なのだが、このネタは扇生の『長短』とツクと思う。噺の肝腎な部分が煙草の火による災難であることを考えると、正朝は、この噺を避けるべきだっただろう。そういった気配りが大事ではなかろうか。

五街道雲助『粗忽の釘』 (14分)
 雲助でこのネタは初めて聴く。八五郎が隣で女房との馴れ初めを語る中で、八つ口から手を入れて脇の下をくすぐる場面、最後に女房が「『そこは脇の下じゃないわよ』ってな具合で、一緒になりました」という科白の、なんとも言えない艶っぽさ加減が結構だった。

林家正楽 紙切り (14分)
(1)相合傘 (2)馬 まではご挨拶代わり。お客さんのリクエストで、(3)藤娘 
(4)カーリング (5)舞妓さん (6)ふなっしー
 ふなっしーは、二階の小学生のリクエスト。
 十年後、今日の感動を胸に秘め、正楽師匠の元に入門する子が・・・いたら嬉しいね。

川柳川柳『ガーコン』 (22分)
 仲トリは、この人。83歳、お元気でなにより。二階席の小学生も、意外にうけていたが、唄の内容は知らずとも、唄は嬉しいのかもしれない。

古今亭志ん陽『たらちね』 (10分)
 仲入りで二階の団体さんの大半が退場。くいつきは本来の一之輔の代演でこの人。「父は元京都の・・・・・・清女と申しはべるなり」と読経風に仕立てたところでサゲた。こういう器用さも寄席では大切だ。次第に貫禄のようなものも(腹回りの肉のみならず)ついてきたように思う。頑張れ古今亭の若者!

遊平・かほり 漫才 (10分)
 最近は「スローフード」ネタが多いようだ。後半のコンビニになるとシュールさもあって可笑しいのだが、前半がどうしても、もたつく感じ。女房が本当に怖い人に見えるのが、このコンビの辛いところ^^

柳家一九『桃太郎』 (15分)
 マクラで「五歳の子に教わった」という、キャベツと青虫の歌が、楽しい。主客が逆亭して子供が、「このお話は乾坤坊良斎の作で・・・」と父親に説明し始めるのだが、「桃太郎」という元ネタの昔話の作者のはずはなく、この“落語”の作者として、『今戸の狐』で紹介した良斎ではないかという説がある。よって、敬意を表して名前を挟むということなのだろう。

柳家さん八『小言念仏』 (13分)
 この人とは、どうもこのネタとの縁が深いようだ。あるいは、他の日もかけているかな。会場は沸くが、他のネタも聴きたいものである。

仙三郎社中 太神楽 (7分)
 あら、二人!?
 初めてのお客さんを土瓶の芸で唸らせて、短めにトリに引き渡す。

柳家小満ん『盃の殿様』 (29分 *~16:35)
 米朝が東京落語の中では珍しい「スケールの大きな噺」と表現する噺。少し風邪気味なのか、声がいつも以上にかすれ気味だったように思う。途中、少し言葉に詰まりそうな場面もいくつかあり、この人にしては良い出来とは言えない高座だったが、最後まで丁寧に聴かせてくれたのが、嬉しい。


 やはり寄席はいい。当たりはずれがあるが、それも寄席である。扇生を聴けたのが収穫。
 帰宅し一杯やりながら、途中で外に出ると旧暦二月十五日である、満月近くの月が奇麗だった。ブログを書き始めたが、月見酒がきいてきて、書き終える前に風呂に入って爆睡であった。
[PR]
by kogotokoubei | 2014-03-15 19:16 | 落語会 | Comments(12)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛