噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

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井上ひさし『日本語教室』(新潮新書)

 本書は、2001年10月から毎月一回、井上ひさしの母校、上智大学で四回にわたって行なわれた講演の記録。初版は3.11の直後に発行だったので、しばらく読むきっかけを失っていた。

 最近、自分の書くブログの文章が、日本語として大丈夫なのかと反省することがある。また、拙ブログや私がよくお邪魔するブログの、特にコメントの文章などで、「えっ、これはどういう意味?」などと解釈に迷うことが続いたので、ちょうど良い機会と、読み始めた次第である。


 日本語、相当乱れているが、井上ひさしは、あのカタカタ語の普及について、次のように指摘する。

次に、グローバリゼーション。これを唱えると、水戸黄門の印籠みたいに、みんな、参った参ったとなる(笑)。もう世界はそれで行くしかないというので、グローバル化とか、グローバリズムとか、グローバリゼーション。これは、ほんとに危険な言葉なのです。単純にこれを翻訳すると、世界化、地球化です。その意味は、思想とか行動とか、すべての価値を全地球的規模のものに広げるということです。では、どういう価値を広げるかというと、これは大問題です。文化が広められるのはいい、けん玉が広がるとか、そういう人畜無害なものが世界中に広がるというのは結構ですが、たとえば思想は、どういう思想を広げればいいのか、どういうパターンの行動—あっ、パターンと言っっちゃった(笑)、外来語は使わないように気をつけていたのに—どういう形の行動をすべきか、それを世界中一つにしようというのは、これは相当無理があります。
 グローリズムというのは、世界を一つの大きな共同体にしようという主義、あるいは運動で、ある意味ではとても結構ですし、国際連合も、われわれは大事にしなければいけません。それはわかりますけども、思想や行動を、世界中に広げるときの、その主体者は誰か。国連が主体者なのか。そうではないですよね、アメリカです。
 だから、グローバリゼーションというのは、アメリカ化ということです。アメリカが大事にするものを、世界中に広めようということです。その一つの極端な、悲惨な表れとして、アフガニスタンの問題もあると思います。アメリカの価値が一番正しい、これが普遍的だと信じているアメリカのある人たちにとっては、やはり、またく異質なイスラム世界があるのはたいへん邪魔でしょう。お金持ちの人たち、金融資本は、世界的に均一にして、そこでマネーゲームができるようにしたいと考えていると思います。そのルールに従わないとことがあると、困るでしょうね。
 この方向から考えると、言葉では、英語が世界語ということになるでしょう。それこそJRのグリーン車に一時期「英語は世界語NOVA」と書いてあって、勝手におまえが決めるな、と思いましたけど、事実は、いろいろな外国人たちを交えて会議をするときに、日本語でやるのはフェアでないので、日本人同士が英語で話すなどということもあります。ですから、英語がいけないとは言っているわけではないのです。ただ、どういうときに英語を使うか、どういうときに英語を排除すべきなのか、というような見境がつかなくなってきていることが問題なのです。



 安倍や政権の周囲の人々が大好きな言葉、グローバル化、グローバリゼーション。
 しかし、政府がTPPや英語教育などの観点で言うグローバル化とは、井上が指摘する通り、まさにアメリカ化である。

 本来の意味である、地球的な視野に立って考えれば、これは相当偏った考え方と言える。

 この後、スペイン語がなぜ国連の公用語になったかを井上は説明する。

次に、国連の公用語を見てみましょう。第二次大戦の連合国、戦勝国の英語、フランス語、ロシア語、中国語、そしてスペイン語です。スペインは戦勝国ではないのですけど、これは第二次大戦中、戦争以外のことで非常に活躍しました。
 (中 略)
 第二次世界大戦中、スペインは中立国だったのです。その代わりに、徹底的に戦っている枢軸国と連合国の間に立って、戦争によって生じる悲劇をスペインがカバーして歩いたのです。
 一例を申し上げますと、昭和16年(1941)に、太平洋戦争が日本軍による真珠湾奇襲で始まります。その頃、カリフォルニア州にだいたい12万人ぐらいの日系人がいました。もちろんアメリカ市民もいるわけです。日系で、そこで生まれて二世で、市民になっている人。それから一世でがんばって市民権をとった人。あるいは、嫁いで日本に帰って、老後は日本人として終わろうと思っている人もいました。そういう人を含めて12万人を、アメリカは、開戦から二週間後くらいのときに、一万人ずつの単位に分けて、強制収容所へ入れてしまいました。裁判もなにもなしで、財産も全部取り上げるのです。財産といっても日系人は大したことないだろうと思われるかもしれませんが、調べていくと、1941年のカリフォルニアの流通業の六割を日本人がやっています。クリーニングは六割五分です。野菜の栽培は七割です。カリフォルニアというのは農業州ですけど、そこの生産量の70%近くを日系人たちが営々と働いて農場を作って、少しずつ増やして、他の国の人たちが絶対に目をつけないような高圧線の下の農地とか、そういう安いところをたくさん買い足していって、結局は日系人がいないと野菜が食べられないというぐらいの農業園にしていったのです。それなのに、ある日突然、そういう農場をすべて捨てさせられ、汽車に乗せられて、シェラ・ネバダ山脈の向こう側の砂漠に急ごしらえで作られた強制収容所に、一万人単位で入れられたのです。持ち物もきびしく制限されて、80センチ四方に納めなければなりませんでした。
 スペインの仕事は、敵味方を問わず、世界中の捕虜収容所、強制収容所で、非人間的なことが行われていないかとうのを見回ることでした。国際赤十字も関係ありますけど、何かそこで必要なものがあればそれを補うという、地味ながらも大事な仕事をしたのです。


 国連の公用語になぜスペイン語があるか、ということから、井上ひさしは、日本人が義務教育で学ぶことのない事実を明らかにする。
 この後、スイスも敵味方の間に入った連絡係として、第二次世界大戦中に中立国としての重要な役割を果たしたことを紹介し、日本の今後のあるべき姿を次のように語る。

 そんなふうに、戦争によって生じてくる様々な不都合を、全部ボランティアで解消していくという仕事がある。その道を、日本は選べばよいと思います。


 安倍は、第二次世界大戦時のスペインやスイスの役割、行動など知る由もないだろう。

 しかし、原爆やフクシマを経験した国が、今後“グローバル”な環境で存在感を示す一つの姿を井上ひさしは示していると思う。


 私も、できる限り外来語をむやみに使うことはやめようと思っている。

 今後、グローバル化をアメリカ化と言い換えてみることで、安倍政権の危うさがより際立って見えてくるはずだ。
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by kogotokoubei | 2014-02-28 19:10 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
先日紹介した「Switch」の3月号、特集「進化する落語」を読んで、気になった点について書きたい。

 それにしても、表紙の一之輔の写真が刺激的で、電車の中で広げて読む際、少し躊躇させる^^

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(「スィッチ・パブリッシング」サイトより借用)
「スイッチ・パブリッシング」サイトの該当ページ

 なお、Amazonにもレビューを書きました。(ニックネームは“幸兵衛”ではありません)
「Switch」2014年3月号


 さて、同書にある、小朝が千原ジュニアとの対談で語った内容。

小朝 前から僕は言っているんですが、「守る、創る、壊す」という三つの
    作業がこれからの落語には本当に大事になってくると思っているん
    です。落語というのは昔の日本人の庶民の日常を描いたものでも
    あって、そこで使われていた言葉を伝承していく役目もあると思
    うんです。日本文化を守るというかね。例えば「高ぇところから
    の言い草」なんていう言葉がある。これを今でいうと、上から目線
    でものを言うっていうことなんですけど、語感がまったく違うでしょ。
    若者にもわかるように直していくと犠牲になっていく言葉があるわけ
    で、だから守るべきものは守るし、壊さなくちゃいけないものは壊す。
千原  なるほど。
小朝  亡くなった古今亭志ん朝師匠がよくおっしゃっていたことなんで
     すけど、「芸事というものは自分のレベルより一段下げてやりな
     さい」と。自分の思っているレベルでぶつけていくと、お客さん
     がついていかれなくなるよということなんだけど、今のお客さん
     の噺に対する理解力や想像力で考えると、三段階ぐらい落とさな
     いといけない。だからと言ってどんどんわかりやすくしていくの
     はとても危険なことだと思ってます。
     ジュニアさんの世界ではどうですか?
千原  結果的にそこでずっと戦い続けた奴が残っていくような気がして
     ますね。例えば「倍返し」とか「じぇじぇじぇ」というワードを
     使ってしまった時点で終わりだなと思うんです。安易な方向に行
     かずにいかにやれるか   が重要というか。
小朝  ある天才的な絵描きさんに「モットーとしていることは何ですか?」
     と訊いたら、「描き足りないように描くこと」と言ったんです。
     僕はその考え方は日本文化の特徴のひとつだなと感じているん
     です。日本には少し手前で止める。寸止めの美学、あるいは中庸
     の美というものがあって、その余白をお客さんが頭の中で埋めた
     り、また余韻も生まれてくる。今のお客さんは描き足りないと
     満足してくれない。ここで踏ん張らないとまずいなという危機
     感を僕はずっと感じています。
      今の落語は少しずつコント化してきてますからね。会話の
     面白さに重点を置き過ぎてしまって、その会話をしている人
     物像がぶれたり、どんな場所でされているのかという情景が
     見えてこない。僕らはギャグという言葉を使わずに、「くすぐり」
     と言うんですが、文字通り、ちょっとクスっとくるところ
     どころが落語の特徴のひとつなんです。でも、そこに何か
     強烈なものをポンと入れるとお客さんがウケるから、
     ついついエスカレートしていく傾向があるんですよね。
     ですから僕の場合は昔風のやり方がいい噺とかなりアレンジ
     した噺の両方をやっているんですけど。


 最後の“昔風のやり方”と“アレンジした噺”について、小朝は高座でどう表現しているのかが、少し気になる。

 私は、ちょうどこのブログを書く少し前から、意図して小朝の独演会に行ったことがある。たしかに、彼は上手い。地噺で観客をドッカンドッカンさせるのはお安い御用だし、古典にしても、同じ頃に三三でも聴いた『唐茄子屋政談』に、格の違いを感じたものだ。

 しかし、2010年の5月3日、横浜にぎわい座での独演会以降、私は小朝を聴いていない。
2010年5月3日のブログ
2010年5月3日の昼夜二回口演の昼の部の構成は、次のようだった。
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(開口一番 春風亭ぽっぽ 悋気の独楽)
春風亭小朝 猫の皿~七段目
(仲入り)
春風亭小朝 こうもり~越路吹雪物語
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 小朝は終始、釈台を置いての高座。『猫の皿』が15分、『七段目』が12分。この二席は、短いながらも噺のエキスをしっかりと演じる高座で、トリネタに期待をさせてくれた。そして仲入り後、『こうもり』10分、最後のネタが25分。

 開演から終演まで1時間40分の会について、次のように書いていた。

 どちらかと言うと客に媚びたと思われる作品で2時間にも満たない落語会を終わらせる“金髪の噺家”の姿に、「今日こそは、かつての小朝の姿が見られないものか」と駆けつけた私を唸らせるものは、何もなかった。せっかく中入り前の落語に、この人の芸の片鱗をかいま見た思いがあったので、残念でならない。中入り前で帰ったほうが印象は良かったかもしれない。「夜の部」だって午後4時開演で6時前にお開きなら、「宵の部」だろう。もしかすると、同じネタでの二回口演かもしれない。誰かがブログで書いてくれることを期待しよう。

 いつか、釈台を使わない、落語長講二席の独演会をするまでは、この人の会には行かなくてよさそうだ。力も技もある。しかし、このような余力たっぷりで、たまにしか寄席や落語会には来ないだろうと思われる平均年齢の高い客層の受けばかり狙った会にばかり出会うと、この人への未練のある落語ファンだって、そのうち足は確実に遠のくだろう。同じにぎわい座を満員にする志の輔、談春、喬太郎達に、いまさら「噺」で対抗するような気持ちは、サラサラないようだ。“省エネ落語会”であり、“ビジネスマン落語家”としての印象が、また強くなった。

 小朝が今日話した中で、「あの志ん朝師匠も高座に上がる前には緊張して、手のひらに人の字を書いて飲み込んだ。越路吹雪がステージに上がる時は、マネージャー役の岩谷時子さんが背中に虎の字を書いて背中を押してあげると緊張感がとれた」という内容が印象に残るのは、今日の落語会でそういった緊張感をご本人が感じたとは到底思えなかったからである。

「落語界の綾小路きみまろか、あんたは・・・・・・」と呟きながら、ゴールデンウィークでにぎわう桜木町の駅に向かっていた。帰りの電車賃がもったいなく思えた落語会は久しぶりだった。


 最近の小朝の独演会がどういう構成が中心なのか知らないので少しネットで調べてみたら、古典&地噺の構成が多いのは変っていないようだ。短いネタをつないで演じることも、続いているようだ。

 しかし、落語会の感想を書いているブログは少なくないが、今回「春風亭小朝 独演会」でググってみたところ、なんとヒット数が少ないことか。彼の落語会には、ブログで書くようなお客さんが極端に少ないことの証左だとするなら、それは彼にとって良いことなのかどうか・・・・・・。

 
 「Switch」の内容に戻る。まさか、四年前のあの会の、『猫の皿』や『七段目』などの縮め方が、小朝の言う“寸止め”や“中庸の美”ということではなかろう。あの会では二席づつ四つのネタを披露していたのだが、私には、談志の『落語ちゃんちゃかちゃん』の小朝版のような思いがした。あえて言うなら、客に媚びた構成なのだ。

 志ん朝の言葉である、“自分のレベルより一段下げて”は、実に含みのある言葉で、解釈次第で変わってくる。

 もし、小朝が独演会でよくかける『池田屋』のような地噺に今日風のクスグリを入れて会場を笑わせることが、“一段下げる”ことと彼が思っているようなら、私は違うと言いたい。

 「守る」「創る」「壊す」という言葉は、示唆に富む。

「Switch」の内容から察すれば、日本文化の伝承となるものは守る、ということを言いたいようだ。これなら分かる。では、壊すのはいったい何か。噺を今の時代に合わせて作り直す、ということなら、わかる。ある意味で、それは“創る”工程で不可欠なことかもしれない。まさか、新作をかけることのみを“創る”と考えているわけではなかろう。

 これら三つの言葉は、ある一席の噺について語られていると思う方が自然かもしれない。

 古典落語のある特定の噺の、日本文化を伝承する言葉や習慣など守るべきものを守り、大筋に影響がなく今の時代では理解しにくい部分などは壊し、噺の骨幹を変えないで今日でも十分に伝わる一席を創る、ということなら非常に説得力を持つ。

 小朝の言う「守る、創る、壊す」ということが私の理解に近いとするならば、問題は、彼の実際の高座にどれだけその成果が反映されているか、ということだ。

 ブログを書き始めた2008年の9月、よみうりホールという大会場での独演会に行った際にも、せっかく『船徳』に感心していたのに、二席目の 『池田屋(近藤勇)』~『お菊の皿』でがっかりしたことを思い出す。
2008年9月20日のブログ
 
 年間250回前後の独演会や落語会を全国で開催する小朝は、落語をあまり聴かれたことのないお客さんを楽しませるためでもあるだろう、一席は地噺であることが多いし、短いネタを続けて演じることも多い。

 それそれの噺に“守り、創り、壊す”という行為が背景にあるかもしれないが、彼が客におもねっている姿には、彼が重要と唱える“中庸の美”や“寸止め”の潔さを、私は感じることができない。

 私は、小朝が古典長講のみの独演会、釈台と袴姿による地噺のない独演会をやっているなら行こうか思っているが、そういう情報を目にしないなぁ。

 “昔風のやり方”が古典で、“アレンジした噺”が地噺というわけでもあるまい。もし、彼がそう思っていて独演会のネタを構成しているのなら、それは間違っていると言いたい。それこそ、彼が自戒している“お客さんがウケるから、ついついエスカレートしていく”ネタに地噺は陥りやすい。

 小朝が独演会で、古典二席によって、昔風のものとアレンジされたものを披露してくれるのなら、ぜひ、両方を聴きたいと思っている。

 ちなみに、小朝は落語研究会や朝日名人会に出演しない。京須氏が選ばないのか、本人が誘われても断っているのかは、分からない。また、ネタおろしするような独演会は行っていそうにない。

 もし、あくまでも“食べるため”に受けようとするネタを加えている、ということなら、私は彼の姿勢そのものが“守り”に入っているのだと思う。しかし、天才的な噺家として将来を嘱望され、また、他の噺家への影響力を持つ彼にとって、食べるための会とは“守る”べきものなのだろうか。

 もし、若くして入門し、すでに一つの高みに達し、これからは演者として上昇するのが難しいのだとしたら、小朝には、第銀座落語会、六人の会などで発揮したプロデューサーとして、落語会を“進化”させて欲しいと願うばかりだ。

 最近の小朝のブログの内容は、ほとんど落語のことが書かれてなく、食べ物やらコンサートやら、私にはほとんど興味のない話題ばかりなのだが、2月25日の記事に、こんな一文を発見した。
小朝の2月25日のブログ

てなことで、本日はこれから広告代理店の皆さんと大イベントの打ち合わせです



 果たして、どんなイベントなのやら・・・・・・。

 彼は、私は一度も行くことができなかったが、小沢昭一さんと小満んとの会を主催したこともある。

 もし、そういった企画なら大歓迎なのだが、代理店との大イベントでは、違うんだろうなぁ。

 彼にとって、“進化する落語”は、果たしてどんなものなのか。同世代の人間として、非常に気になる存在だけに、ぜひ、小朝健在なり、を示して欲しい。“創る”が、小朝の持つセンスと時代性を生かした落語会であっても、それはそれで結構だと思う。
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by kogotokoubei | 2014-02-27 00:24 | 落語の本 | Comments(7)
数年前、落語ブームと言われ数々の雑誌が特集で落語を取り上げた時期があった。たぶん「サライ」の落語特集はすべて買ったはず。それにしても小学館と文化放送は、「らくだ亭」「かもめ亭」を、どうするつもりなのだろう。「落語の蔵」を休止したということは、落語会もきっとやめるのだろうなぁ。あるいは、継続派と休止派との間で、いろいろともめているか・・・・・・。
 いずれにしても、数年前のブームの熱も下がったいうことだろう、しばらく雑誌などでの落語特集が途絶えていたが、久し振りに、「Switch」が最新の3月号で特集「進化する落語」を組んだ。

 表紙は、一之輔の、こんな写真。サイトから借用した。「スイッチ・パブリッシング」サイトの該当ページ
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「Switch」2014年3月号

 特集の冒頭にもある文章を、サイトから抜粋する。

現在、落語会には八百人ほどの落語家がいるそうです。今回、取り上げたのはそのほんの一握りでしかありません。しかし彼らが語る「落語」は面白いほどに違いました。そして面白いほど共通していました。それは、みな、一生をかけて「落語とは何か」というその答えを追求し続けていること、そして、「今、見てよかった」と思われる「今の芸」を見せていこうという想い。

 私たちはもう、ライブで志ん朝も枝雀も談志も観ることができません。もちろん音源は聴ける。しかし、今、ここで、一緒に空気を作り上げていく喜びを、変わっていく噺の過程を直に感じる興奮を体験することはできません。でもいいんです。私たちは、今、同世代に、彼らに出会った。彼らの落語に間に合った。

 この特集は、それを証明するための、落語家十二人の「今」の記憶です。



 登場する、その十二人は次の通り。(同誌の早いページ順)

 (1) 立川志の輔
 (2) 柳家喬太郎
 (3) 柳家三三
 (4) 春風亭昇太
 (5) 春風亭小朝
 (6) 橘家文左衛門
 (7) 柳家花緑
 (8) 立川談春
 (9) 笑福亭鶴瓶
 (10)桂文枝
 (11)月亭方正
 (12)春風亭一之輔

 「えっ、どうしてこの人?」という名もあるし、「なぜ、あの人が入らない?」という思いもあるが、久し振りの落語特集なので読んでみた。

 志の輔は佐野元春との対談。一部紹介。

佐野  志の輔さんは古典を独特の視点で切り口を変えて“今のお話”
    にしてくれる。そこが楽しくてしょうがない。
志の輔 嬉しいですね。今日聞いてよかったと思って帰ってもらわないと
    何のためにやっているのかわからないですからね(笑)。私は
    師匠・談志の理論を少しでも身に付けようと三十二年間やって
    きたんですが、そのおかげで今は逆に、理屈抜きで楽しい落語に
     することを一番大事にしていますね。
佐野  いいですね。僕も、僕にとって師匠みたいな存在だった大瀧詠一
    さんが亡くなってすごく悲しかったんですが、大瀧さんのイズム
    や方法論は僕の音楽の中にすでに生きてるじゃないかという結論
    に達して、だったら自分らしくやっていけばいいと思えた。
    志の輔さんだって談志さんの血やイズムや理論は志の輔さんの中
    に生きてるわけでしょう?
志の輔 どうでしょう(笑)。ただもう、これからは「教えてもらったこと
    の中で自分なりにこういうのを作りましたが、師匠、いかがで
    しょう?」ってやっていくんでしょうね。


 古典を独特の視点で切り口を変えて“今のお話”にする技量は、たしかに志の輔の真骨頂なのだが、それが度を過ぎることも、パルコの高座をテレビで観て最近感じないこともない。昨年の『百年目』、主人が使用人に頭を下げる演出が“今のお話”とは思えなかった。2013年5月6日のブログ
 また、なぜ数年たってまた同じ噺をパルコで選ぶのかも、私には疑問なのだがなぁ。

 佐野の師匠は大瀧詠一、か・・・・・・。
 「A Long Vacation」は、私の携帯音楽プレーヤーの定番である。突然の訃報にあまりにも驚いたが、ようやく私も少し立ち直りつつあるので、そのうちに書こうと思う。

 噺家ごとに代表的なネタの紹介があり、志の輔の場合は、『井戸の茶碗』。

 次に、喬太郎。

喬太郎 五十歳を迎えて思ったことがあります。これまでに過ごして
     きた時間はいっぱいある。でも、未来もまだまだいっぱいある。
     そういう場所に、今、僕はいるんだということです。ということ
     は、その気になればいろんなものが作れるんだと思う。失敗して
     もいい。だって、昔もそうだったんだから。すごく楽しみで
     すね。これからは、会によっては「コケまくりの喬太郎」、
     「笑いがおきない喬太郎」というのが増えてくるんじゃない
     かな、と。


 失敗を恐れない五十代という心意気はよしと思うが、“コケまくり”の会には、できるものなら出会いたくないなぁ^^
 喬太郎のネタ紹介は、『ハンバーグができるまで』。喬太郎の新作の中で、私もこのネタは好きな部類だ。

 三三は、長いモノローグ的な記事になっている。ここ数年、どうもかつての切れ味のようなものがないなぁ、と思っていたが、いろいろ悩んでいたようだ。
 漱石が『三四郎』の中で書いた小さんと円遊の評を引き合いに出した後に、こんな言葉が続く。

 一昨年のこの時期かな、落語を喋るのが本当に嫌になって、行き詰まってました。そんな時にたまたま、うちの師匠と話をする機会があったんです。落語がなぜ面白いのかという三分ぐらいの会話です。聴いている人に、この物語はどうなるのって興味を持ってもらえばいい。無理に笑いを欲しがっていろいろ入れると演者しゃしゃり出て、お客さんの想像を邪魔してしまう。お客さんがスッと想像できて、うんうんって楽しめるように喋ればいんじゃないか。そんなところが面白いじゃないかっていう言い方でした。
 その一言で、思い悩んでいたことや、漱石の話とか、いろいろと腑に落ちた。


 師匠の存在の大きさが分かる話だ。ただし、三三は、今年で四十。まだまだ落ち着いてもらっては困る。きっと、小三治の言葉で気持ちは軽くなったのだろうが、それを高座で実現させるための葛藤は続いているような気がする。
 紹介されているネタは、『粗忽の釘』。数年前なら人情噺か、講釈ネタあたりになりそうなのだが、きっと三三の意向も反映されたのではなかろうか。人情噺中心だった頃、柳派の滑稽噺をもっとかけて欲しいと思ったものだが、四十路の三三の滑稽噺を聴いて、もがく将来有望な噺家と同時代を共有したいと思う。


 志の輔は、今年還暦。喬太郎が五十一。三三は書いたように四十路に入ったばかり。

 この特集でもっとも多くのページ数が割かれているのが、表紙にも登場した、今年三十六になる一之輔だ。通常のインタビュー形式と、DJのテイ・トウワとの対談の二本立て。
 昨年のヨーロッパでの落語会のことなどを含め、今の一之輔を知る興味深い内容になっている。

 まさに目玉企画と思えるので、興味のある方は、やはり買って読んでいただきましょう。

 人選には不満もあるが、それぞれの噺家の“今”の断面を捉えようとする熱意が伝わる好企画だと思う。
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by kogotokoubei | 2014-02-22 08:35 | 落語の本 | Comments(6)
このシリーズに、昨年11月の『名人長二』初日以来に来ることができた。

 副題が「酒」で、ネタ出しされているのが、『らくだ』である。

 相変わらず客の入りが良いとは言えない。いつもお会いする顔ぶれが多く、固定客はついている。しかし、六分ほどの入りというのは、この好企画にしては少なすぎるように思う。

 次のような構成だった。いつものように開口一番を置かない、これが本当の独演会。
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五街道雲助 『のめる』
五街道雲助 『幇間の炬燵』
(仲入り)
五街道雲助 『らくだ』
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五街道雲助『のめる』 (16分 *18:59~)
 開演時間を待てないように、雲助が登場。二週続いた雪のことから。家が角地で雪かきをする面積が広い、以前なら弟子が手伝いに来るところだが、「皆、いろいろ忙しくなって」助っ人は現れず、朝六時起きで雪かきをしたらしい。数人の通勤途中の人から「ありがとうございます」と言われ、柄にもなく「俺はいいことしてるな」と思い、つい両隣の家の前の三分の一位までやってあげた、とのこと。私も含め、会場のお客さんの多くが同じような体験を共有しているので、頷きながら聴いていた人が多かったように思う。
 この日のお題が「酒」ということで、最初のネタがこれ。上方なら『二人癖』。二席目のマクラで、このネタは久し振りだったと振り返ったが、体に染み込んでいるのだろう、短いながら楽しい高座だった。
 熊五郎に逆襲されて「一杯呑める」と言った後、熊に「出せ」と手を出された時の、「バブバブ・・・」という擬音と一緒に泣きそうな顔をする八五郎の様子や、解けない詰将棋を思案する熊五郎に向かって、ニヤッと笑って、「つまろうかねぇ?」と聞く表情が、なんとも可笑しい。いかにも、江戸に実際にいたと思わせる長屋の仲の良い職人達が、高座にしっかりと存在していた。

五街道雲助『幇間の炬燵』 (32分)
 高座にそのまま残っての二席目。上方から三代目小さんが移植した『按摩の炬燵』を、按摩から幇間に替えたのは、ネットで検索したところ、どうも喜多八らしい。按摩の場合は、お客さんへの配慮も必要だし、演じ方によっては弱い者いじめと映るかもしれないので、この改作はお手柄ではなかろうか。幇間は一八ではなく平助。地口(駄洒落)のオンパレードで笑いをとることも幇間にした効果と言えるかもしれない。
 たとえば、お清どんへの口撃(?)は、こんな感じ。
 「お清どん、あら、ずいぶんと厚化粧でげすな。笑うと白粉(おしろい)がこぼれますよ。落ちたら、おしろい(お拾い)!」
 乳母に向かっては、(『伽羅先代萩』の)政岡の歌右衛門ですなぁ、などと持ち上げる。ネコにまでヨイショする様子に、『按摩の炬燵』も十八番としていた八代目桂文楽の『つるつる』の一八の姿が重なった。
 番頭から酒が好きかと聞かれて、「のっぺらぼうです」と謎をかけるが、答えは「目もなければ、鼻も口もない」。
 呑んで体を温めて炬燵になることを請け負った平助、「一合二合じゃ、消し炭、五合で炭団(たどん)が三・四本、一升いただけば備長炭」という表現も、いかにも幇間の言葉としてピッタリはまる。
 「おつな年増の湯上りの人肌」となって番頭のみならず、奉公人が平助の体で暖まってからサゲまでの騒動は、オリジナルとほぼ同じ。
 一席目と同じ「酒」を素材にしてはいても、『のめる』では実際に呑む場面がない。そういう意味では、トリネタで屑屋が呑む量までは至らないまでも、途中からハゼの佃煮(「はぜ(なぜ)、もっと早く出さないの」の地口あり^^)を肴にしっかりと呑む場面も表現したこの高座の楽しさは格別。今年のマイベスト十席候補とする。

五街道雲助『らくだ』 (51分 *~20:52)
 出囃子から「かんかんのう」。この噺の見どころ、聴きどころは、いくつかある。
 おおよその筋書きは次のようになっている。この分類で、雲助の高座を振り返りたい。
(1)発端:らくだの長屋に兄貴分(丁の目の半次)が訪れ、そこに屑屋が通りかかる
(2)訃報伝達:らくだが死んだことを屑屋が長屋の月番や大家に伝える
(3)かんかんのう:大家の家で、らくだの死体にかんかんのうを踊らせる場面
(4)屑屋の述懐から主従逆転:呑むにつれて屑屋が酔った勢いで半次との立場が逆転
(5)火屋への道行きからサゲ:らくだを焼き場(火屋)へ運ぶ途中に菜漬の樽から落とし、引き返して間違えて願人坊主を連れてきてサゲへ

(1)発端
  まず、発端での見どころの一つは、いかに半次を怖い存在として描くか。たとえば、
  志ん生は半次の顔の傷を、「額のこのへんに匕首かなんかで切られた傷跡がある、
  こっちのほうに出刃包丁かなんかで、こっちは脇差の、顎んとこは竹槍で突かれた
  のが・・・傷の見本みたいな顔」と細かく説明し、笑いをとりながら表現する。
  雲助は、「蛇のような目」をした男と半次を描き、傷のことは付け加えないのだが、
  実際の半次の目の表情で補完した。傷跡より、目つきで凶暴性を表現したかったの
  だろう。傷はらくだ自身の説明で使っているので、兄貴分は、らくだとは少し違う
  タイプの怖い人、という人物像を設定したのかと思う。
  また、屑屋を、いかにも気の弱い男として描き、後半との明暗を描き出すのも大事
  なのだが、雲助は、声の調子で弱々しさを巧みに描いていた。終演後の居残り分科会
  でI女史が指摘していたが、雲助の多彩な声の調子の使い分けは見事。
(2)訃報伝達
  屑屋が月番、そして大家にらくだが亡くなったこと、兄貴分が香典や通夜の酒など
  を要求していることを告げる場面で秀逸だったのは、大家である。
  屑屋を睨みつけるように
  「本当に、らくだが、ゆんべ、ふぐにあたって、死んだんだな」で一拍の間を置き、
  みるみるうちに顔中が口になったかのようにして、「ハッハッハッ、ワッハッハッハ
  ・・・盆と正月が十年分まとめてきたようだ・・・ハッハッハッ」という高笑い。
  私も含め会場全体がつられて大爆笑。このあたりの表情と声の調子を含む落差の演技、
  並みの噺家ではできない芸。
(3)かんかんのう
  大家が酒、飯、煮しめの提供を拒んだのを聞いた半次が、屑屋にらくだの死体を背負
  わせた時の「冷たい!」の一言で、こっちも冷やっとした。そして、かんかんのうを
  観た大家の態度の替わり様も、さきほどの高笑いとの対比し、屑屋の立場になって
  見ていると、心地良くさえあった。
(4)屑屋の述懐から主従逆転
  八百屋から菜漬けの樽を貰って来た後、「清めの酒を呑んでから行け」と半次に脅す
  ように言われた屑屋、一杯目、二杯目は一気に呑み干し、三杯目からはじっくり味
  わいながら、身の上話や、らくだの思い出などを語りながら、酒の勢いで主従逆転
  になる、この噺でもっとも重要な場面だが、雲助に抜かりはない。
 「いい酒だね、あの大家がこんな酒出すはずがねぇんですが・・・よっぽど、かんかん
  のうが怖かったんだねぇ」の後に「親方は偉い」と、金もないのに弔いを出そうと
  した半次を褒める。そして、四杯目から五杯目にかけて、完全に主従が逆転、
 「注(つ)げ」と屑屋が半次に命令することになる。呑みながら、らくだから苛めら
  れたことを振り返る。狸の皮を買えと言われて一貫文騙し取られた逸話が、らくだ
  の悪どさを際立たせ、この後の髪の毛毟りもムベなるかな、と思わせた。
(5)火屋への道行きからサゲ
  落合の焼き場(火屋)に行くことになったが、カミソリなどないから、らくだの
  髪の毛を屑屋が酒を吹きかけて手で毟る。酒の勢いを借りて、これまでの恨みを
  晴らす場面といえるかもしれない。菜漬けの樽に死体を入れて、屑屋が「おれが
  先棒、おめえが後棒、ついて来な」に半次「兄ぃ、すまねい」で会場は大爆笑。
  この後、らくだと間違えた(死体のはずの)願人坊主と屑屋との会話もシュール
  で良かったなぁ。火屋の隠亡のとぼけぶりも笑えた。

 サゲまでしっかり、まったく飽きない高座だった。今年のマイベスト十席候補とするのに、何ら迷いはない。


 ここ数年聴いた『らくだ』では、二年前6月23日、大手町落語会の柳家権太楼を思い出す。雲助と同様50分を超える通しで、やや体調が心配だった時期に、元気な権ちゃんを聴けてホッとしたものだ。
2012年6月23日のブログ
 ちなみに、鈴本のサイトで中席後半の「急病による休演」の報を知った時はちょっとびくっとしたが、本人のホームページにインフルエンザと書いてあるので、少し安心。柳家権太楼HPの該当ページ

 終演後は、なんとI女史、M女史の「両手に花」状態での居残り分科会。とにかくお二人ともバイタリティの固まり。今後の落語会の予定の話から、雲助一門のこと、権ちゃんの休演のこと、もちろん雲助の高座を振り返るなどなど話はつきない。千歳鶴の燗がいったい何本空いたのやら。ラストオーダーの声を聞いて、重い腰を上げたのだから、帰宅が日付変更線を超えたのは当り前である。
 千鳥足で帰ると、女子フィギュアスケートのショートプログラムが始まっていたが、とても最後まで見る気はしなかったのだった。

 ここで、オマケではないが、『らくだ』というネタについて少し加えたい。元となった上方での本題は「駱駝の葬礼(そうれん)」。四代目桂文吾が完成させ、大正時代に三代目柳家小さんが東京へ移植した。

 上方落語のネタの内容に関して度々お世話になるサイト、「世紀末亭 上方落語メモ」には、松鶴の短縮版と、先日にぎわ座で初めて聴くことのできた鶴志の長尺版の二種類が掲載されている。
 鶴志版から、少し引用。三代目小さんが移植して以来東京で演じられている型と違って、紙屑屋の長科白があり、内容は東京と大きく違う。ちなみに、らくだの兄貴分の名前は弥猛(やたけた)の熊五郎。東京では名前を明かさない場合が多いが、丁の目の半次、ということになっている。
 さぁ、酔ってくるうちに、紙屑屋がどんなことを口走るのか、長くなるがご参照のほどを。
世紀末亭 上方落語メモ」の該当ページ

紙屑屋 しかしねぇ親方、わたいも紙屑屋やって長いことなりまんねんけどね、わたいもこれでも昔は船場で商いしてましたんやで。ところが、みな酒だ、酒でとぉとぉ一軒呑み潰してしもた(クゥクゥ、クゥクゥ……)
 今の嬶(かか)ちゅうのはね、二へん目だんねん。前の嬶ちゅうのはあんた、わたいがまだ船場で商いしてる時分やさかい、えぇとこのお嬢さん、三箇の荷ぃ(さんがのにぃ)で来た。そら、お茶、お花、縫い物、三味線、みなできまっせ、女のひと通り。せやけど、大人しおまんねん、わたいが酒呑んだって、一つも文句言ぃよらん。
 ほで、わたいが増長したんでっしゃろなぁ、とぉとぉあんた、一軒呑み潰してしもて、しゃ~ないからあんた、裏長屋に行て「紙屑~」と、こぉやってた。それがそんなとこのえぇお嬢さんやさかいね、貧乏に慣れてへんさかい、それあんた苦ぅにして肺で死んでしもた。
 二十九ぅだした、そらわたい難儀してなぁ、男の子、三つの子ぉ残りましたんや。ほんでわたいもしゃ~ないさかいに、商いに励まんならんと思てな、裏長屋に住んで、その三つの子ぉの手ぇ引ぃて「紙屑~」と、こぉやってましてんけどね、子どもちゅうたらあんた、風邪ひぃたり熱出したり、じきにしまんがな。そのたんびに休まんならん。
 それでわたい、焼け糞なってね、ほんでまた今度親戚のオッサンの世話で後添えもぉたんだ。今度あんた、裏長屋から来よった、裏長屋、貧乏人の子。女ごのたしなみなんてでけしまへんで、せやけどね、明るい。何があったってゲラゲラ~、ゲラゲラ笑ろてまんねん。
 「あした米がない」っちゅうたってね、ゲラゲラ、ゲラゲラ笑ろてますねん。ちょっとアホでんねん。ほんであんた、わたいがね、嫁さんもらうのはよろしぃで、一番最初気になったんはやっぱり「義理」ちゅうのんね「生さぬ仲」に気ぃ使こた。
   (中 略)
 わたいもちょっとムシャクシャしとったさかいね「何で、わりゃ一緒に寝てけつかんねん」ちゅうて、枕ボ~ンと蹴ったんだ。そしたら、うちの嫁はんの言ぅのには「この子は風邪ひぃて寝てまんねん。風邪といぅのは人にうつしたら軽なるさかいに、自分にうつさそぉと思て一緒に寝てまんねん」と、こない言ぃよる。
 わたいもグッときたけどね、振り上げた手ぇ下ろすわけにいかしまへんがな「洒落臭い(しゃらくさい)ことぬかすな」言ぅてどつきかけたら、熱で顔真っ赤にした子どもが、わたいのほぉ見て「お母ちゃんいじめたら、あかん」て、はじめて言ぃよった……
熊五郎 ・・・・・・。
紙屑屋 親方、親方、なに下向いたはりまんねん、肩振るわして。あんた、泣いたはりまんのん?あんた泣いたはりまんのん? えぇ人や、あんた、えぇ人やなぁホンマ。あんたなぁ、言葉荒いけどな、あんたえぇ人やで。最前「おのれのドタマ割ったろ」言ぅた言葉はきついけど、目ぇに情があるがな。あんた、えぇ人やなぁ、この話で泣いてくれまんのか?
 嬉しぃ人や、けど……、これみな、ウソでんねん。わたいねぇ、酒呑んでこんな話して人泣かすのん、ゴ~ッツ好き。へっへっへっ
熊五郎 紙屑屋、ウソかどぉか知らんけどやなぁ、もぉボチボチ商いに行てきたらどや? 子どもが可哀想やないか。


 東京版は、これほど屑屋が饒舌ではない。酒の勢いで気が大きくなり、半次より怖い存在として主従が逆転する。

 上方での屑屋の逆襲(?)は、関西ならではの“しゃべくり”と“いちびり”で描かれている。これはこれで好きだなぁ。
 なお、この噺については、紹介した2012年6月の権太楼の高座を聴いた後で、志ん生版を元に、平岡正明の本などの引用を含めて書いたことがあるので、ご興味のある方はご覧のほどを。2012年6月27日のブログ

 
 それにしてもこの会、もっとお客さんが入って良さそうに思う。私も毎回来れるわけではないが、帰り際、行けそうな回の前売りを購入した。
 これまでも来る度に、「えっ、こんなに空いている・・・・・・」と驚く。演者よし、場所よし、ネタよし、主催者よし、という企画はなかなかない。

 どうも、この会が落語愛好家の方にあまり知られていないようなので、主催する“いたちや”さんのサイトにあるこの会の特設ページから月までの毎月の開催予定をご紹介。
「らくご街道 雲助五十三次」特設ページ
3月22日(土) -花見- 百年目 他
4月14日(月) -鉄板- お楽しみ四席
5月20日(火) -吉例- 髪結新三 他
6月19日(木) -大川- 宮戸川(通し) 他
7月14日(月) -鰻-  鰻の幇間 他

 会場はすべて日本橋劇場。開演は3月22日のみ午後二時、他は午後七時。
 この会場は、一階277席、二階の147席含めると440席だが、これまで私が来た回で一階の七割も埋まったことはない。固定客が100人暗程度はいるように思うが、もっと入っても良いだろう。近くにある社会教育会館のホールは204席なので、もっと会場費用も安かろうし、同じ位のお客さんが来れば八~九割埋まりそうだが、環境は間違いなくこちらが上である。花道もあって歌舞伎にだって使える会場なのだよ。

 雲助一席目『のめる』を借りて表現するなら、「百本の大根は、醤油樽には、つまらねぇ」が、「二百人の客は、雲助五拾三次の日本橋劇場には、充分につまる」のである。最後は、幇間のごとく、主催者いたちやさんによいしょ!
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by kogotokoubei | 2014-02-20 00:45 | 落語会 | Comments(6)
ソチ・オリンピックの放送を見て、毎度この世界大運動会で感じることがある。

 古代オリンピックは、開催“都市”で語られるように、国家行事としての色彩は少なかった。

 しかし、今日では大きなスポーツイベントであり、放映権料がとんでもない金額になる。国家予算も相応に投入され、国別のメダル数が比較される。また、成績の悪い選手へは“税金どろぼう”的な発言まで出てくる。

 選手への非難について、日刊スポーツで為末大が、次のような発言をしていた。
日刊スポーツ・ソチオリンピック特集ページの該当記事

結果不振選手批判はブラック企業の論理
[ 2014年2月12日9時51分 紙面から ]

 毎回起こることだけれど、選手が結果を出せなかったとき、批判が出る。その批判の中には「選手の強化費は国費から出ているものだから、当然選手は結果を出すべきだ」というものがあるが、いったい、どの程度選手には強化費が使われているのだろうか。

 強化費に関して計算の仕方にさまざまな考え方があるので、どの程度、正確なのか分からない。12年ロンドン五輪では、ドイツが270億円強、米国165億円、韓国150億に対し、日本は27億円という試算がある。ある程度のばらつきがあるとみても、日本の強化費はかなり少なく、その中でメダル数はよくやっていると言える。

 メダル数に最も影響する要素としては、人口、GDP(国内総生産)が50%程度、あとは科学技術やサポート態勢など、10程度の要素で残りの50%となっている。GDPと人口は簡単には変化しないから、スポーツ界が努力できる領域は50%の部分にかかってくる。

 メダル獲得に関して、日本はかなり不利な状況にいる。人口はそこそこながら先進国中で少子高齢化はトップを走っていて、GDPも減少しつつある。また強化費は発表している国の中では最も低い中、選手たちは努力していると言えるのではないか。夏の五輪はそれでも注目が集まり、ある程度サポート態勢が整っているが、冬季五輪は器具を使うためにかなりお金がかかるのに、サポート態勢がそれほど充実していない。

 もちろんメダル数などに関係なく、ただスポーツを楽しめばいいという考え方も素晴らしいと思う。実際にそう割り切っている国もある。その場合は強化費を減らせばいいのだが、ただしメダルは望めない。「お金はないがメダルは取れ」は少々、選手に酷な状況となってしまう。

 私は日本的精神論とは、(1)足りないリソース(資源)を気持ちで補わせる(2)全体的問題を個人の努力に押し付ける、だと考えている。結果が出せないことに批判が集まるたび、ここ数年続くブラック企業を想像してしまう。全体として足りないリソースを残業などの個人の努力で補う。「できる、できない」は気持ちの問題。それと似た空気を五輪の期間中も感じている。

 マラソンの円谷幸吉さんが重圧に押しつぶされ、自殺をしたのは1968年(昭43)だった。日本はあれから、どの程度変わったのだろうか。(為末大)


 民主党時代の“事業仕分け”の結果、ソチ・オリンピックへの国の強化費用も相当削減されたと察する。

 費用のみならず、人的な支援や施設などに、そしてどのスポーツにどれ位の国による強化が必要なのかは難しい問題だが、2020年の東京オリンピックに向けて強化のあり方がテレビでも叫ばれつつある。

 ちなみに、昭和39年の東京オリンピックの国別メダルトップ10は次のようになっていた。
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 2012年のロンドンオリンピックは、こうだった。
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 日本は、トップ10には入れなかったが11位で、金7、銀14、銅17の計38個だった。

 六年後まで安倍政権が続くのは御免蒙りたいが、事前の目標やら予算化などについては、自民党政権が力を持ちそうだ。

 ソチでは、橋本聖子団長が長野を踏まえて金5、合計10個を目標としてあげていたが、達成はすでに厳しい状況だ。

 2012年、イギリスが自国開催で30個に迫る金メダル、合計でも65個のメダルを獲得した。

 イギリスを見習い(?)、2020年も、1964年の東京回顧もあって、根拠なく、金16個、合計50個位のアドバルーンを上げるかもしれない。
 国の強化費は、メダルの可能性のある競技から傾斜配分で投入されるかもしれないが、問題は、国家予算が、適切に選手たちの強化に向けられるのかどうか、ということである。

 なかなか日本の新聞や雑誌では目にすることのない記事が、ブルームバーグのコラムにあったので紹介したい。(太字は管理人)
ブルームバーグのサイトの該当記事

【コラム】2020年東京五輪、勝者はもう決まっている−ペセック

 2月17日(ブルームバーグ):日本は2020年東京五輪から大きな経済効果を得られると期待しているが、ロシアのソチの現状を見て多少は心配になっているかもしれない。ムーディーズはソチ冬季五輪がロシア経済にもたらす恩恵を疑問視している。

しかし日本には東京五輪で大もうけを約束されたグループがいる。東京はロシアのプーチン大統領のように五輪に500億ドル(約5兆1000億円)も費やすことはしないだろう。それでも20年までの6年間に40億−50億ドルを競技場などの建設に使うはずだ。そして建築現場にはいつも、やくざがいる。

日本のやくざに詳しいジャーナリストのジェイク・アデルスタイン氏が心配するのは、暴力団が見えないところで「みかじめ料」を取ってもうけることではない。彼らが暴力団対策法の下、指定暴力団として合法的に存在が認められている日本ではそんなことは普通だ。心配なのは、五輪を前にやくざの悪行が比較的堂々と、しかも大々的に行われることだ。同氏は東京五輪を「やくざオリンピック」と呼んでいる。

米国のニュース・ウェブサイト、デーリー・ビーストへの寄稿で同氏は、日本オリンピック委員会(JOC)の田中英壽副会長が暴力団と結び付きがあるとの指摘について詳細に説明。10年に回顧録「トーキョー・バイス」を上梓した同氏はまた、東京五輪・パラリンピック組織委員会会長を務める森喜朗元首相が過去に暴力団幹部の家族の結婚式に出席したり、関係者らと飲食を共にしたことにも触れている。

こうした話題から受けるイメージは、安倍晋三首相が五輪招致の際に約束したクリーンで犯罪ゼロの東京とずいぶん異なるとアデルスタイン氏は論じる。

バルバドスよりも腐敗

日本の腐敗が悪化したのは、11年の東日本大震災によって大規模な復興が必要となった後だった。トランスペアランシー・インターナショナルがまとめる腐敗についてのランキングで、日本は11年にはドイツに次ぐ14番目にクリーンな国だった。しかし13年には18位に順位を下げ、バルバドスと香港よりも下になったこれは土建国家への突然の逆戻りが理由だ。日本はそれまで、大規模な汚職の温床となる土建国家状態を脱しようと長年取り組んでいたところだった。

2020年東京五輪は新たな公共事業ラッシュを引き起こす。やくざの活動が顕在化すれば、日本が五輪から期待する経済的恩恵を相殺してしまうだろう。公的資金の無駄な遣い方は、本来ならば広く波及し最終的に家計を潤すはずの刺激策の効果を弱める。政治家と建設会社とやくざの癒着は経済改革の息の根も止めるだろう。最上層部での汚職が急増すれば、五輪関連の財政支出によって日本経済が潤うことも、「アベノミクス」が勢いづくことも難しくなる。

フロント企業

政府が組織犯罪と日本企業の薄暗い関係を断ち切ろうとする時、まず標的になるのはいつも建設会社だ。警視庁内部の人間がアデルスタイン氏に述べたところによると、建設プロジェクトからやくざに渡る金は通常そのプロジェクト規模の5%程度だ。しかし上層部にコネがあれば、内部情報によってこの取り分を飛躍的に増やすことができる。暴力団の「フロント企業」がおいしい契約を取ったり、下請け契約をごまかして2重に金をかすめ取ることもできるだろう。

五輪と汚職は、スポーツ選手とナイキの契約のように、切っても切れないものだ。どちらも避けようがない。しかし、汚職を防ぐための障壁を高くすることはできる。テンプル大学ジャパンキャンパスのアジア研究責任者ジェフ・キングストン教授は著書「コンテンポラリー・ジャパン」で、「巨大建設プロジェクトと官僚、政治家、産業界、やくざの結び付きは、イタリア、ロシアと同様に日本の特徴だ」と書いている。日本の「1990年代の公共事業費が米国防総省の予算と同規模だったこと、大幅な削減にもかかわらず依然として巨額であることを考えると」、建設プロジェクトほどやくざの懐を潤すものはない。

試されるのは日本の評判

というわけで、日本のやくざ諸氏にはわが世の春が戻ってきた。このところオバマ米大統領を含めあらゆる方面から資産凍結だの制裁だの締め付けが厳しかったが、東京五輪のおかげでやくざは建設プロジェクトからできる限りの金を搾り取ろうとするだろう。日本の債務は既に国内総生産(GDP)の2倍を超えているが、五輪のためにさらに増える見通しだ。まさかソチ五輪の費用に近づくことはないにしても、安倍政権の支払いは今考えているよりもはるかに高くつくと考えて間違いない。

政治家は近年、国民の生活よりもやくざを潤す建設・産業複合体の解体を約束してきたが、東京五輪はこれを試す機会となるだろう。ついでに日本の評判も試される。(ウィリアム・ペセック)

(ペセック氏はブルームバーグ・ビューのコラムニストです。コラムの内容は同氏自身の見解です)

原題:Sure Winners in 2020 Tokyo Olympics? Gangsters: WilliamPesek(抜粋)



 なかなかメディアが明らかにしないが、福島の原発現場作業や除染作業において、現在でも国税が不正に使われていると思う。そこに政治家の圧力がかかっている。

 オリンピックは、土建行政によって、一層政治につながる闇企業が活躍できるチャンスである。

 競技や選手のことばかりを日本の大手メディアが取り上げる中、闇に消えて行く血税の流れが見えなくなることが気になる。今後も海外メディアに頼るしかないのかもしれない。
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by kogotokoubei | 2014-02-17 19:14 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 なんとか行けそうなので電話でチケットを確保していたが、二週続けての大雪。上方とは今年は相性が悪いのかとも思ったが、朝には雪も止んだ。連れ合いと家の周辺の雪かきをした。テレビで交通機関の状況を確認したが、今回は大丈夫そうである。
 第40回を数える横浜にぎわい座上方落語会に、初めて行ってきた。出演する噺家さんも、全員初聴きである。
 会場の入りは、六分位だったろうか。雪で取りやめた方も少なくないだろう。

 にぎわい座のサイトからポスターを拝借。横浜にぎわい座サイトの該当ページ

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 40回記念で、「我ら芸歴40年」という副題つき。大きな写真の四人が、芸歴40年ということらしい。

 上方落語協会サイトの落語家名鑑から、出演者のプロフィールを確認した。上方落語協会サイトの該当ページ

桂小枝

1.芸名/桂小枝(かつらこえだ)
2.本名/青木 喜伸
3.生年月日/1955年 (昭和30)年 5月25日
4.出身地/兵庫県
5.血液型/A型
6.入門年月日/1974年 (昭和49年) 「五代目桂文枝」


→なるほど、入門からちょうど40年

笑福亭鶴志

1.芸名/笑福亭鶴志(しょうふくていかくし)
2.本名/冨松 和彦
3.生年月日/1955年 (昭和30)年 8月24日
4.出身地/大阪市
5.血液型/A型
6.入門年月日/1974年 (昭和49年) 6月5日「六代目笑福亭松鶴」


→ほんとだ、40年。

 以前、笑福亭松枝の『ためいき坂 くちぶえ坂』を紹介したが、その中にある下記の「たおれ荘」の住人で唯一噺家として残っているのが、この鶴志である。
2012年6月18日のブログ

 昭和47年に鶴瓶が入門した頃から、松鶴を慕って入門する弟子が急増した。弟子は“年季”が明けるまで通いで師匠宅で修行をするのだが、遠くから通う者たちのために松鶴は一計を案じた。

 弟子の増えた松鶴は、権利金を払ってやり、溜息坂の下の長屋の一棟に連中を住まわす事にした。
「朝と昼はうちで食べたらええ。晩飯と家賃はアルバイトでかせいでやっていけ。ええか、仲良う真面目にせえよ・・・・・・」
「たおれ荘」と名付けられた此の長屋で共同生活を始めたのは、「小松」「松橋」「一鶴」「遊鶴」「鶴志」の五人である。全員二十歳以下であった。ただでさえ危ない。
(中略)
 建物の古さは度を越していた。壁土は無数無残にこぼれ堕ち、数ヵ所畳に腐りが見え、部屋の中程には空いたか空けたか、床が陥没して下の土が覗ける所もある。布団は敷きっ放して垢じみ、すえた匂がする。畳は即ゴミ箱でチリ紙、カップ麺の殻、いかがわしい雑誌のいかがわしいグラビア等で足の踏み場も無い。極め付けは便所に戸が無かった事である。彼らは小も大も“”さらけ出し”で用を足して居たのである。又、その光景を横に見て食事をしていたと言う。驚嘆を通り越して尊敬すらしてしまう。


 この環境こそ、若手の噺家が修行中に住むべき家、ということができるかもしれない^^

露の都

1.芸名/露の都(つゆのみやこ)
2.本名/小山 眞理子
3.生年月日/1956年 (昭和31)年 1月21日
4.出身地/大阪府堺市
5.血液型/B型
6.入門年月日/1974年 (昭和49年) 3月3日「露の五郎兵衛」


→この人も同期なんだぁ。

笑福亭枝鶴

1.芸名/笑福亭枝鶴(しょうふくていしかく)
2.本名/松高 良和
3.生年月日/1957年 (昭和32)年 6月26日
4.出身地/大阪市福島区
5.血液型/B型
6.入門年月日/1975年 (昭和50年) 1月1日「五代目笑福亭枝鶴」


→厳密には39年だが、入門が元日だから40年と言えるのだろう。

 この四人、私とほぼ同世代。

 せっかくだから、もう一人。

笑福亭喬介

1.芸名/笑福亭喬介(しょうふくていきょうすけ)
2.本名/川﨑 直介
3.生年月日/1981年 (昭和56)年 7月22日
4.出身地/大阪府堺市
5.血液型/O型
6.入門年月日/2005年 (平成17年) 6月1日「笑福亭三喬」


→この人は、まだ10年目。

 さて、この五人での落語会は、次のような構成だった。
------------------------------
(開口一番 笑福亭喬介『牛ほめ』)
笑福亭枝鶴 『宗諭』
笑福亭鶴志 『時うどん』
(仲入り)
露の都   『堪忍袋』
桂小枝   『蛸芝居』
------------------------------

笑福亭喬介『牛ほめ』 (14分 *14:00~)
 三喬の二番目の弟子。だから、松鶴→松喬→三喬、なので、六代目からは曾孫弟子になる。兄弟子の喬若は2012年のNHK新人演芸大賞でテレビで観ている。あの時は宮治が逃げ切ったが、喬若も良かった。
 さて、この人。出囃子の太鼓を鶴志が打ってくれているとのこと。この噺は東京と上方とは、少し筋書きが違う。東京版では主役は与太郎だが、上方では池田の伯父貴の甥になる。年上の甥(従兄弟)から、いい金儲けの話がある、ということで、池田の伯父貴の家を褒めに行けと勧められる。与太郎ではないから、口上は自分で書いて池田へ行く、という寸法。この口上書きを懐に入れて、それを見ながら普請を褒めるのだが、なかなか楽しい高座だった。上方にしてはアクの強さのない大人しい印象もあるが、まずはしっかり大きな声で、ということでは問題なし。三喬の二人の弟子、今後も楽しみである。

笑福亭枝鶴『宗諭』 (21分)
 この後の鶴志が六代目の九番弟子、この人が十番目。六代目の子息五代目枝鶴の弟子で小つるだった。しかし、その師匠は未だに音信不通。師匠の名を継いだ。五代目枝鶴には数多くの逸話があるが、それはまた別途書こう。
 大雪の予報だったので、万一を考え協会から前日入りをするよう言われ、昨夜横浜に来たとのこと。新横浜駅で乗り換える時に横殴りの雪に驚いたらしい。
 オリンピックのフィギュアの外国選手が演技前に胸で十字をきるという話題から本編へ。非常に明るい高座に好感を持った。この噺の東西の違いは、上方は家が仏壇屋ということ。だから、若旦那はクリスマスツリーのように飾りつけをした仏壇をこしらえ、父親に「こんなもん売れるかいな」「隠れキリシンタン用です」というクスグリが楽しい。
 賛美歌312番「いつくしみ深~く」を若旦那が歌い、それを受けた番頭が「ああ母さんと~」と「里の秋」にするあたりは、なかなか聞かせた。
 音信不通の師匠の名を継ぐ思いは、いかがなものなのか。しかし、芸にはまったく暗さも重苦しさもない。後に出る兄弟子をいじるのもお約束なのだろう。この人の師匠譲りの上方ばなしをもっと聴きたいと思わせた高座。

笑福亭鶴志『時うどん』 (25分)
 聴きたかった、“たおれ荘”の卒業生。この日のいでたちは黒紋付と朱の襦袢。この対比が、上方風を思わせる。声の擦れ具合が師匠の六代目によく似ている。枝鶴がいじったように、剃りあげた頭や見た目は、まるで“入道”にようで威圧感があるが、その高座は師匠を彷彿とさせるふくらみのある内容だった。
 マクラでは、この日の入りを意識したネタ。さかんに「ちょうどこの位がええ」と繰り返す。初高座が新世界の新花月で、客は男ばかり、と振り返る。角座の思い出などを含めたマクラが約十分。
 本編、上方版は最初の夜に喜六と清八の二人で食べて、喜六が清八の一文掠める“技”を、二人の掛け合いの筋書きも同じように、翌日真似しようとする。
 最初の夜、喜六が清八がほとんど食べ終わった後、残った三筋のうどんを食べる場面が大変よい。一本づつ箸で持ち上げて、じっくり眺めてから口ですするように食べる。その仕草が、なんとも味がある。「後、二本」「残り、一本」とすする場面が結構だった。二日目、幻の相棒と会話をする喜六に、「あんた大丈夫か」と聞く初日よりも強面のうどん屋に向って箸で目を突く仕草で、「目ぇ突くでぇ」と何度か驚かすが、このへんの様子にも師匠六代目を思い起こさせるものがあった。
 押し出しのある見た目、低く響くその声、もっとも師匠に似ているとも言われることに納得。次は、ぜひ上方ならではの噺で、あらためて聴いたみたい。『らくだ』などは、きっとニンだろうなぁ。本編は15分ほどではあったのだが、これぞ上方版と思わせる充実した内容、今年のマイベスト十席候補とする。

露の都『堪忍袋』 (26分)
 昨夜の大雪、空席の目立つ客席のことから、鶴志、小枝とは同じ学年で今年の運勢も同じで、どん底で耐え忍ぶ年、とのこと。ということは、私もそういうことか^^
 昨夜は新横浜についてから、またJRで桜木町に向ったようで、東神奈川で乗り換えした際、小さな子供を二人連れた外人の女性が、指で下のホームを示し「横浜?」と都に聞いたらしい。都も分からないので、近くにいた若い男に「横浜行くのこのホームでいいのか、外人さん聞いてるんやけど」と尋ねたところ、若い兄ちゃんが、外人さんに向って「横浜、イエス、イエス」と答えてくれた。笑顔で「サンキュー」と言う外人さん。そして、都も兄ちゃんの手を握って「サンキュー、サンキュウ」・・・私は、そういう人なんです、で笑いが起きた。飼っている15歳の柴犬とご主人とに関する逸話なども含めたマクラの後で本編へ。
 喧嘩をする留とお咲夫婦の会話が、なるほど上方の夫婦の喧嘩ならこうなのだろう、と思わせる。圧倒的にお咲の科白が多いし、強い^^
 よくお世話になる「世紀末亭」さんのサイトから少し引用。「世紀末亭 上方落語メモ」の該当ページ

 ほんでなぁ、今、平兵衛はん言ぅてたあの「堪忍袋」早いこと縫え
 言わいでも縫ぅてます。ポンポン、ポンポン言ぃなはんな、ポンポンポンポン言わな、よぉもの言わんのか。昔のこと言ぅたろか、恥ずかしぃやろ、わたしの奉公先にあんたが出入りの大工として来てたときに、毎日弁当食べるときお茶入れたったら勘違いしやがって……人のおらんとこ無理矢理連れて行って「なぁ、一緒になってくれるやろ。ふんちゅうてくれ、ふぅんちゅえ、ふぅんちゅえ」子どもに糞さすみたいに「ふんふん」言ぃやがって。あのときあんた言ぅたやろ「体ひとつで来てくれたらえぇ」ちゅうて「お前が来てくれたら、なんもせんでえぇ。わしが何でもする、お前にケガされたらかなんさかい」来たら来たでなんにもせんと、ダラダラ・ダラダラして……、思い出したわ、あんたこれ言ぅたら顔赤こなるで、言ぅたろか「お前と一緒になれへんかったら、わしは死ぬ……」いぅて
 喧しぃわ、アホンダラ。早いこと堪忍袋縫えッ!
 縫ぅてます、縫ぅてます、今できたわ。これがちゃんと堪忍袋になってたら、わたしがズッと思てたことみな、こん中に入れてスッキリしたんねん、覚えとけ……


 東京の『締め込み』の夫婦喧嘩を思い起こすが、関西のオバンの迫力は凄い。ほとんど都は“地”で演じていたのではなかろうか^^
 この噺の東西の違い、もっとも上方らしさが出ているのがサゲに至る部分だろう。大人しそうな伊勢屋の嫁がやって来て、残り少ない袋の隙間に、一言だけと言って一瞬の間の後、「糞婆死ねぃ」。
 その姑が言いたいことを我慢するあまり玄関で倒れたからと袋を貸すことになり、パンパンになった袋が寝ている姑の前でほどけて嫁の最後の強烈な一言が飛び出し、それを聞いて・・・姑が元気になった、というもの。益田太郎冠者作で、珍しく東京から上方に移された噺だだ、なるほど、上方噺として仕上がっている。

桂小枝『蛸芝居』 (24分 *~16:04)
 テレビでレポーターなどで観たことはあっても、高座は初である。寒くて携帯コンロが手放せないとのこと。私はそんなもの身につけていないぞ^^
 鶴志と同じ年の入門だが、少しだけ早い分、トリがこの人になったのだと察する。ここまでの四席が筋書きは微妙に違うと言えども東西でかけられているネタだったが、ようやくトリで上方ならではの一席となった。それも、先日小佐田定雄著『噺の肴-らくご副食本』という本を中心に紹介した初代桂文治作の傑作芝居噺。詳しい筋書きについては2月1日のブログをご覧のほどを。
2014年2月1日のブログ
 
 次のような芝居を、意外と言うと小枝には失礼だが、しっかりとこなしていた。
(1)三番叟
(2)水まき奴
(3)仇討ち
(4)「阿国御前化粧鏡」(赤子を抱く芝居)
(5)子役の台詞のパロディ
(6)「夏祭浪花鑑」「女殺油地獄」(魚屋、魚喜の芝居)
(7)「勘兵衛腹切り」
(8)「だんまり」(旦那と蛸の戦い)
 
 サゲを替えたのは、やはり今では分かりにくかろう、ということだろうか。現在使われている本来のサゲは、こうである。

定吉 え~、旦那、酢ぅ買ぉて来ましたで。旦さん、酢ぅ買ぉて……、あッ、あ
んなとこ倒れてはるがな。もし、旦さん、どないしなはった? 旦さん、旦那様いのぉ~ッ
旦那 さ、定吉か? 遅かったぁ~
定吉 あんた、まだ演ってなはんのんか、そないなってまで。どないしなはったんや?
旦那 定吉、毒消し持って来てくれ
定吉 どないしなはった?
旦那 蛸に当てられたんや。


 実は、『噺の肴』によれば、このサゲも本来のサゲが「黒豆三粒持て来てくれ」だったのを、蛸の中毒に黒豆三粒食べたら治るというまじないが通じないので変わってきたのである。
 しかし、小枝は、逃げた蛸をつかまえて、「皆で酢蛸を美味しく食べましたとさ」でサゲとした。
 このサゲで、残念ながらそれまでの芝居ばなしの味わいが、少し消えたように感じた。本来のサゲで締めて欲しかったなぁ。
 また、肝腎の「だんまり」での蛸の芝居も、今ひとつ。
 『噺の肴』から、最後の「だんまり」の部分の説明を引用。小佐田定雄著『噺の肴-らくご副食本』

 旦那に気づいた蛸は旦那の顔にプーッと墨を吹きつける。あたり一面が墨で真っ黒になったところで「だんまり」というのは、暗闇の中で敵味方がさぐりあうという一幕である。
 ここで使われる「草笛入り合方」という曲がいい。適当にのんびりしていて、それでいて重みのある曲なのである。蛸や旦那でなくても「だんまり」たくなる名曲である。
 この場面、染丸や吉朝という「芝居狂」を自認する人たちは実にていねいに演じてくれる。


 やはり、染丸、吉朝、そして「落語でブッダ」最終回での文我などとは、正直なところ少し差を感じた高座。


 雪はもう止んでいたが、横浜から乗った相鉄線は全線各駅停車だった。首都圏の交通網、もう少し雪害対策が必要ではないかなぁ。

 「上方落語の会」には、できるものなら東京では聴けない噺を期待していたが、客への配慮もあるのだろう、五席のうち四席が東西でも演じられるネタ。もちろん筋書きの違いなどは上述したようにいくつかあるのだが、噺としての基本は大きくは変わらない。次回は、ぜひ上方ならではの噺を期待しよう。
 しかし、今回は初めての人の生の高座に出会えたことだけでも雪道を出かけた甲斐があった。中でも、鶴志である。松喬亡き今、六代目の芸の伝承者として、この人には期待したい。
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by kogotokoubei | 2014-02-16 12:20 | 落語会 | Comments(2)
毎週火曜夜に放送されているBS11の「柳家喬太郎のようこそ芸賓館」を見た。

 ゲストは桂福團治の二回目。一回目は見逃していた。
 
 BS11のサイトで次のように紹介している。
BS11サイトの同番組のページ

【2月11日放送】
「桂福團治一人会 その2」
ゲスト:桂福團治

2週続けて桂福團治師匠がご出演!
春團治師匠の一番弟子であり、関西演芸協会会長を務める上方の重鎮・福團治師匠!
「落語の師匠は春團治。人生の師匠は藤本義一。」という福團治師匠。
作家・藤本義一先生と深い交流があり、あの伝説の番組11PMにレギュラーで出演。
藤本先生の直木賞受賞作「鬼の詩」が映画化され、福團治師匠が映画初出演で主演。
壮絶な演技で話題になり、喬太郎師匠も映画「鬼の詩」の大ファンなのだとか。
東京の落語家と多く交流があり、先代の正蔵師匠・談志師匠との想い出もをたっぷり。
落語は志ん朝師匠とのエピソードがある「くっしゃみ講釈」をお届けします。


 藤本義一作『鬼の詩』を以前紹介した。
2013年5月13日のブログ

 福團治が映画で演じた馬喬は、実在の米喬がモデル。女房の露役は、なんと片桐夕子である。映画『鬼の詩』

 昨日紹介した露の五郎兵衛の『上方落語夜話』には、次のような文章がある。

昭和43年、正月の各新聞はたいてい前年またはその年のホープと目される人が取り上げられるものですが、この年は上方落語の充実ぶりを、いろいろな形で取り上げ、小春、小米、朝太郎、春蝶、仁鶴ら若手のはりきりぶりが話題にのぼってきました。

 
 この“小春”が福團治である。ちなみに、“小米”が枝雀。

 『古今東西落語家事典』(平成元年初版発行)から引用。

【桂福團治】 かつら ふくだんじ
  黒川亮 昭和15年10月26日 
 昭和35年5月三代目春團治に入門し一春。同年小春、48年10月四代目福團治を襲名。
 ペケペン落語や『小学生』をはじめとする新作落語で売りだす。現在では、上方では珍しい『蜆売り』『鼠穴』などの人情噺の演じ手として評価を高めつつある。ポリープで声が出なくなった経験から、手話に関心を持ち、手話落語に取り組んでいる。


 番組のプロフィールが正しければ、小春襲名は入門後三年目昭和38年らしい。

 三代目の総領弟子。年齢では志ん朝の二つ下、枝雀の一つ下になる。

 番組前半の喬太郎との会話、かつての落語界の東西交流に関する思い出話が印象的だった。

 上方からは松鶴、米朝、春團治の大御所に福團治などの若手が加わって、末広亭や東宝名人会に十日間出演。東京からは文楽、正蔵、円生などに小ゑん時代の談志、朝太時代の志ん朝も加わって道頓堀角座での東西会。
 角座での交流会では、かしまし娘や宮川左近ショー、横山ホットブラザーズなどが会場をドッカンドッカン大笑いさせた後で談志が登場し、客席に向って「帰んな、帰んな」と言ってから残った客に向って『小猿七之助』を演じたというのは、なるほど家元らしい。
 喬太郎が、この逸話を聞いて“ぶるっ”と身震いがしたと言っていた。「私も『帰んな』って言ってみたいけど、皆、帰るかもしれないなぁ」。

 志ん朝が福團治の家を訪ねて『くっしゃみ講釈』の稽古をしてもらったという逸話も初めて知った。
 福團治の家のミシミシ言う床、ギシギシする戸に、「これ、いいねぇ。噺家の家はこうでなきゃあ」と言って帰っていったが、その後、福團治が新聞で志ん朝が五億円の家を建てたことを知り、「これ、いいねぇ」、というオチで、喬太郎も私も笑った。
 福團治の演じたテープを持って帰ったらしいが、志ん朝がこのネタを高座にかけることはなかった。福團治も、「勉強になるのでぜひ聴きたかった」ようだ。たしかに残念だが、志ん朝には講談が登場したり講釈から落語になったネタ、ほとんどないなぁ。このへんも、談志とは好対照である。

 志ん朝も評価した、福團治の『くっしゃみ講釈』。後藤一山の「難波戦記」が渋くて良かった。

 高座の後の対話では藤本義一の思い出。喬太郎は『鬼の詩』が大好きらしい。さすがに見てるねぇ、この人は。

 福團治は、ある程度の年齢になってからは「肩書きを取っていかなあかん」という藤本義一の言葉を紹介する。手話落語についても、藤本義一が強く支持してくれたらしい。

 今後、福團治は、お伽衆の曾呂利新左衛門の残された咄を掘り起こし“曾呂利ばなし”を試みているとのこと。「温故知新」の言葉で、対談を締めくくった。

 本で読むのとは別な楽しさがある、福團治の昭和落語夜話、という趣きで結構だった。


 福團治が振り返った、昭和三十年代から四十年代にかけての東西交流の活発さを思うと、現在でも、もっと交流があっても良いような気がする。個々人の噺家同士では活発ではあるが、協会同士で定席で十日間通し、なんて交流会はない。
 上方落語協会の会長さんは、いまだに続く自分の襲名披露でお忙しくて、東西交流に向けて努力しようなんて思っていないのかなぁ。
 ぜひ末広亭や繁昌亭で東西交流会を組んでもらいたいと思う。まだまだ聴きたい上方落語は多いし、関西の人にも一部の人気者の他に、いろんな噺家が東京にいることを知ってもらえると思うのだ。
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by kogotokoubei | 2014-02-12 01:41 | テレビの落語 | Comments(0)
8日の豪雪の中で、“決死隊”の前で独演会を開き、来場の方を9月21日の独演会に招待するにとどまらず、私のように交通事情のため行けなかった人まで、9月の会に振り替えてくれるという、なんとも偉い、上方落語家の露の新治。
 ただし、下記のメールアドレスの、「露の新治東京事務局」に9月の会への振替え希望であることを連絡することが必要。2月8日のチケットさえあればOKとはお思いにならないように!
tsuyuno_shinji@yahoo.co.jp

 ご本人のサイトにある「日記」(「へらへら日記」)の記事で当日のこともよく分かるし、人柄やお客さんへの気配りも感じ取れるので、せっかくだから全文をご紹介しよう。
露の新治のサイト

「13年ぶりの大雪に、第3回 まいどおおきに露の新治です」(2014/2/9)

 第3回東京独演会「まいどおおきに新治です」は、大雪のため、一時は中止も考えましたが、中止を周知徹底することもできず、とりあえずはやると決め、カラオケボックスに集合、打ち合わせ、稽古をしました。「兵庫舟」、「七段目」ともに、はめものがいろいろ入ります。会場に着くと、周辺は凍りついた世界で、とても何かやれる雰囲気ではなかったのですが、なんとすでにお客様が開場を待ってはります。やるとかやらんとか迷っていた気持ちもふっ飛び、バタバタと準備。お客様はなんと80人ほどに。「この人ら、ちゃんと帰れるんやろか?」。落語の決死隊のような熱い方々のお気持ちに感激。なんと「当日券が2枚」出ました。あの吹雪の中、当日券ですよ。もちろん前売り料金で入って戴きました。
 開口一番は、私の「兵庫舟」。まくら無しで入ってしまい、サゲがわかるかどうか心配しましたが、なんとかやれました。以下「あくびの稽古」・笑助、「七段目」・新治、(お中入り)、「演歌」・岡大介、「柳田格之進」・新治。終演21:35。片付けて、打ち上げもせず立川に着いたら、午前1時。大変な一日になりました。
 しかし、東京の落語ファンと生野高校の同期の熱い支えにより「ほんまに、やってよかった」と思える落語会がやれました。「つばなれしたら、各自が一席やって、帰っていただこう」とか考えてましたが、お客様の「聞いてやろう」という熱い気持ちに腰が座り、前回より長くやる始末。私の落語を聞くために、あの大雪、吹雪を乗り越えて会場まで来てくださるお気持ち。落語家として本当にありがたい経験をしました。何べんもしたくはないですが、いい経験になりました。嬉しかったので、お礼の気持ちを形にしたいと「決死隊の皆様を、次回の寄席にご笑待」することにしました。やむを得ず来られなかった方には、「返金か次回ご笑待」を選んで戴きます。
 あの状況でやれてよかった、いい経験をさせて戴いたと感激した翌日、夜来の雪も止み、日本晴れ。お日差しが雪に映えてまばゆいばかり。そうなると「なんで一日、ずれてくれへんかってん」と、今度は悔しさが。まだまだ修行ができてません。願生ります!


 「ご笑待」という文字に、ご本人のうれしさが込められているように思う。“決死隊”80人もいらっしゃったんだ。凄い!

 ということで、露の新治へのお礼の意味(?)も込めて、彼の師匠の本について書きたい。

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*朝日カルチャーブックスの一冊として、昭和57(1982)年、大阪書籍より発行

 新治の師匠は二代目露の五郎兵衛である。最近、この人の『上方落語夜話』を読んだのだが、非常に良い本だった。『蛸芝居』について書いた時、初代桂文治について書かれた文章を紹介した。
2014年2月1日のブログ

 本書は、朝日カルチャーセンターで二時間づつ五回に渡って話した内容を元に、神戸のタウン誌『センター』に連載した記事、そして神戸新聞や京都民報、『上方芸能』に書いた内容などを補って整理した内容なのだが、上方落語を知る上で、非常に有益だった。

 第一章から第四章までは、自分の体験談も交え上方落語の歴史を説明しているが、第五章は趣が変わって「落語の楽しさ」となっている。

 この章の最後に「前座ばなし」「中ネタ」(中トリ級のネタ)「切ネタ」(トリ級のネタ)について、列記されているので、一部抜粋して紹介したい。
 著者いわく、「思いつくままに、ざっと書き出してみましょう」とのこと。この「ざっと」が決して少なくない。

 まず「前座ばなし」から。

前座ばなし
 東の旅 百人坊主 運付く酒 法会 鳥屋坊主 常太夫儀太夫 軽業 
 軽業講釈 京名所 煮売屋 瘤弁慶 明石船 走り餅 鯉津栄之助 
 小倉船 兵庫舟 これこれ博突 播州名所 七度狐 尼買 牛駆け 
 地獄八景 深山がくれ 宮巡り 牛の玉子 高宮川 矢橋船 桑名船 
 化け寺 宿屋敵 紀州飛脚 宿屋町 絵根問 歌根問 口合根問 
 商売根問 浮世根問 池田の猪買い


 掲載されていたネタ38席を全て並べてみた。
 前座噺に『東の旅』は有名だし、根問ものが多いのも知っていた。しかし、これだけ他に知らない噺が並ぶとは思わなかったなぁ。
 
 続けましょう。

中ネタ
 腕喰い 秋無い夢 無事の親 壷算 寄合酒 黒玉つぶし 鷺取り 
 延陽伯 子ほめ 蛇含草 しびんの花活 牛ほめ 貧乏花見 風の神送り 
 春雨茶屋 八五郎坊主 高倉狐 饅頭こわい 鉄砲勇助 餅屋問答 
 無精の代参 元犬 花色木綿 浮世床 道具屋 お玉牛 首の仕替
 犬の目 動物園 嫁々違い 天狗さし 向う附け 首屋 権助提灯 
 山号寺号 軒付け 宿替え オゴロモチ盗人 棒屋 鼻の上桂馬 蔵丁稚 
 疝気の虫 いかけ屋 茶漬幽霊 のぞき医者 写真の仇討 仏師屋盗人 
 首提灯 二十四孝 じがじが チリトテチン 高砂や 鼻捻じ 蛸坊主 
 豊竹屋 金玉茶屋 理屈按摩 さかさま蚊帳 日和違い 稲荷車 
 あくびの稽古 阿弥陀池 大和関所 初天神 稽古屋 三十石 愛宕山
 崇徳院 七段目 蛸芝居 菜刀息子 ごうち盗人 近日息子 酒の粕
 はったい棒打 三人癖 仁王 御太刀のツバ キライキライ坊主


 実は、これでも掲載されている224席のネタの三分の一ほどなのである。
 なんと知らない噺が多いことか。
 また、『子ほめ』『道具屋』『牛ほめ』『道具屋』などが、東京落語とは内容が少し違うとはいえ、前座ばなしではないということも意外だった。またもや、知らないネタが、多いこと。

切ネタ
 口合按摩 足上り 手切れ丁稚 代脈 胴乱の幸助 鬼の面 夢八 
 抜け雀 住吉駕 居候講釈 蜆売り 鹿政談 人形買い 鍬潟 
 親子茶屋 按摩炬燵 貝野村 不思議の御縁 船弁慶 寝床 網船 
 佐々木政談 吉野狐 猿後家 宇治の柴船 二番煎じ へっつい幽霊 
 後家馬子 禁酒関所 おすわどん ステレンキョ 子猫 片袖 
 慾のくまたか 次の御用日 質屋蔵 三方一両損 虱茶屋 応挙の幽霊 
 菊江仏壇 植木屋娘 堀川 市助酒 冬の遊び ざこ八 箒屋娘 後家殺し
 肝つぶし 土橋万歳 鬼あざみ清吉 百年目 煙草の火 子別れ 
 大丸屋騒動 雁風呂 三人兄弟 立ち切れ 千両みかん らくだ

 
 59席、すべて並べた。しっかり『大丸屋騒動』が入っているのが、なぜかうれしい。
 
 これらのネタが現在も高座によくかけられているのかどうかは、勉強不足で分からない。
 
 それにしても、知らないネタの多いこと。この本の発行は昭和57年である。三十年ほど前ではあるが、落語の長い歴史から考えれば、ついこの前のことだ。

 未体験のネタ、まだ上方では聴けるネタなのなら、ぜひ聴いてみたい。『じがじが』『キライキライ坊主』なんて、いったいどんな噺なのだろう^^

 『冬の遊び』は、『小沢昭一がめぐる 寄席の世界』の中で、米朝がスケールの大きい噺として紹介していることを、だいぶ前に書いた。残念ながら、まだ聴く機会がない。
2008年10月4日のブログ

 8日の新治の三席、『柳田格之進』を「切ネタ」とするならば、前座ばなしの『兵庫舟』、中ネタ『七段目』、そして切ネタの『柳田格之進』という三つを並べたことになる。流石である。

 新治の師匠露の五郎兵衛が「ざっと」思いつくまま並べた321席、なんと半分以上は聴いたことがないのだ。

 上方落語、まだまだ奥が深い。もっと聴かなきゃなぁ。
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by kogotokoubei | 2014-02-11 07:12 | 上方落語 | Comments(4)
都知事選の結果はご存知の通り。宇都宮と細川の票の合計でも舛添に及ばなかったのは、意外だった。

 雪の影響もあっただろうが、投票率は46.14%。衆院選とのダブル選挙だった2012年12月の前回都知事選(62.60%)から16ポイントもダウンの過去三番目の低さ。

 まだ、都の選挙管理委員会のレポートが出ていないが、2012年の世代別投票率は次のようになっていた。

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 高年齢になるにつれ投票率が上がる傾向は、今回も変わらないだろう。

 朝日新聞に出口調査で、世代別の支持者が次のように紹介されている。
朝日新聞サイトの該当記事

     舛添   田母神   宇都宮   細川
20代    36%    24%    19%    11%
30代    38     17     21     15
40代    40     14     18     21
50代    44     11     20     21
60代    47     7      22     23
70歳以上  55     6      20     18

 高齢者が圧倒的に舛添を支持した。これは、福祉に対する期待が大きいということだろう。脱原発よりも、より身近な生活への切実な思いが勝った、ということか。

 働きざかりの40代、50代でも、舛添が支持された。40代のみ、舛添と細川+宇都宮が拮抗したが、総じて合計でも舛添を上回ることはできなかった。

 20代で投票に行った若者の多くが田母神を支持した。戦争を知らない子供たちは、威勢の良さに騙されたか・・・・・・。細川への支持の少なさ紗は惨憺たるものだ。

 いずれにしても、若者の多数は棄権したようだ。いったい、彼等の政治への無関心ぶりはなんなのか。

 昨年の参院選の後に書いたが、投票の義務化を真剣に検討すべき時ではなかろうか。2013年7月22日のブログ

 宇都宮や細川が勝つ条件は、高齢者の舛添票を奪還できなかったこと、そして、棄権してしまった若者に彼等に投票させるだけの動機づけができなかったこと、と言えるだろう。

 舛添の「即時原発ゼロが現実的ではない」という表現の方が、細川や小泉の言葉より、都民には理解を得やすかったかもしれない。そうなると、年齢の比較、行政手腕への期待という要素を含め、舛添に流れる力を止めることはできなかった、ということなのだろう。

 細川陣営の立ち上げの遅さや公開討論などを仕組まなかったことなど、戦略と戦術面の拙さがあったことも事実。

 などと、評論家めいた分析などをしているヒマはなく、さっそく図に乗った安倍の発言が飛び出していることに要注意だ。(太字は管理人)
47NEWSの該当記事

首相、原発再稼働へ前向き 「現実見据えた計画を」

 安倍晋三首相は10日午前の衆院予算委員会で、原発政策を含んで策定中のエネルギー基本計画に関し「現実を見据え責任を持って実現可能かつバランスの取れたものを取りまとめていく」と述べた。
東京都知事選で脱原発を主張した候補が敗れたのを受け、原発再稼働に前向きな姿勢をにじませた発言とみられる


 衆院予算委は首相と全閣僚が出席して2014年度予算案の基本的質疑を行い、実質審議入りした。与党は2月末までの衆院通過を目指す。

 首相は原発輸出にも積極姿勢を見せ「周辺国やアジアで原発が新設される際、福島第1原発事故の経験と教訓を共有してもらうことは安全上、重要だ」と語った。
2014/02/10 11:14 【共同通信】


 冗談じゃない。「脱原発は争点じゃない」などと言いながら、結果にだけは便乗しようとしている。

 残念だが、安倍は、細川と宇都宮の合計得票が舛添を上回っていたら、あるいは、どちらかが、もっと舛添ときわどい戦いができたら、こんなことは言えなかっただろう。

都知事選は終わったが、安倍軍国主義・原発大好き政権と、国民との戦いは、終わっていない。
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by kogotokoubei | 2014-02-10 12:10 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
露の新治は、エライ!

 居残り会仲間で、昨夜“蔵前駕籠の決死隊”のように内幸町の独演会へ行ったI女史からもメールで知らせていただいたが、新治のサイトに、昨夜交通事情で行けなかった人は、9月21日の会に振り替えてくれるとのこと。
露の新治のサイト

2月8日【土】の「第三回まいどおおきに露の新治です」(東京・内幸町ホール)のチケットをお持ちの方で、当日、交通状況等の理由によりご来場できなかった方へお知らせです。

チケットは払い戻し、もしくは次回「第四回まいどおおきに露の新治です」(9月21日【日】14時~)への振り替えをお受けいたします。どちらが希望かをご記入の上、東京事務局までご連絡ください。折り返しご連絡いたします。



 でも、その日は日曜日ではないか・・・・・・。

 独身時代から三十年近い仲間と、日曜は午前中にテニス、その後クラブハウスで一杯やって一緒に食事に(=飲みに)行くのが、私の元気の素なのである。

 土曜なら夜でも万障繰り合わせるが、日曜では無理だなぁ。

 落語仲間のどなたかにお譲りしようかと思っている。

 それにしても、日曜か・・・・・・。

p.s.
落語愛好家、評論家で“決死隊”のお一人だった方のブログによると、『柳田格之進』は舞台を大阪に変えて、湯島切り通しは高津の石段にしていたようだ。上方落語だから、当然ですわなぁ。
それにしても、次回は日曜日かぁ。
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by kogotokoubei | 2014-02-09 13:53 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛