噺の話

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 立川談春を聴かなくなって久しい。ほぼ二年前、2011年11月に新文芸坐での「看板と若手たち」と題した会での『庖丁』以来、聴いていない。
2011年11月3日のブログ

 一つの理由は、以前にも書いたが、3.11の直前に開催された成城ホールでの会における落胆がある。
2011年4月20日のブログ

 旧暦に興味のないような言い分や、披露した二席の組合せに、好感を持つことができなかった。

 さて、チケットぴあや、以前に落語会のアンケートに答えたことなどで、落語の案内メールが毎日多数送られてくる。もう来年3月、4月の会のチケットが販売されている。そんな先のことは、まだ分からないよぉ、と思いながら眺めている。
 その中で、来年1月開催の談春の会(よみうりホール)の案内もあり、主催のサンライズプロモーションのサイトを確認してたところ、ネタ出しされていた。『妾馬』と『粗忽の使者』である。
「サンライズプロモーション」サイトの該当ページ
 
 ここで、「はてな?」と思いネットでググってみたら、今年の一月に「ル テアトル銀座」での会と同じ二席だ。

 また、検索結果では、2010年5月の八王子、11月の浜松、2012年11月の千葉など、この二席の組合せが多い。

 「デリバリー談春」と題した全国各地での独演会の開催では、もちろん他のネタも披露しているようだが、『妾馬』と『粗忽の使者』の組合せに、私は違和感がある。

 同じ侍ものネタで、『妾馬』には赤井御門守の家来である田中三太夫が八五郎と頓珍漢な掛け合いを披露するし、『粗忽の使者』で物忘れの激しい地武太治部右衛門の相手をするのも田中三太夫だ。

 先日書いたが、“ツク”ネタへの感性が鋭い古今亭志ん輔ならば、間違いなく組み合わせない二席だろう。志ん輔の表現を借りるならば、侍言葉や登場人物など、この二席はツク“匂い”がプンプンする。
2013年11月13日のブログ

 なぜ、談春は、正月の大ホールの独演会で、二年連続でこの二席を選んだのか・・・・・・。

 そして、彼はこの二席を“ツク”ネタとして認識していないのか。そもそも、そんなことは論外なのか。

 堀井憲一郎著『青い空、白い雲、しゅーっという落語』に収録されたインタビューの中で、談春は次のようなことを言っている。堀井憲一郎著『青い空、白い雲、しゅーっという落語』
 人物描写とかね、情景描写とか性格付けとかそんな大きなところじゃないン。
強いて言えばね、聞いてて気持いいかどうかなんです。気持よくしてあげるポイント。
それは筋に関係ない。ここをこう押さえるとうまく聞こえるとこがあって、それは音とか流れなの。

 “筋に関係ない”という言葉に、“ツク”ネタを二席並べることを意に介しない彼の思いが現われているかもしれない。

 もし、談春が、ネタが“ツク”なんてことは寄席の世界の自主規制で、寄席に縁のない立川流には無関係、と思っているのなら、それは大間違いである。

 1000人を超える会場には、「また田中三太夫!?」「えっ、二席とも侍のネタ!?」と思う落語ファンも少なくないだろう。それこそ“聞いてて気持いい”とは言えない組合せではないだろうか。もちろん、そう思わないお客さんもいるだろうが、私なら決して“気持よく”聴いていることはできないだろう。
 
 志の輔ファンは「パルコで年が明ける」という方が多いらしいが、談春ファンは「『妾馬』と『粗忽の使者』で年が明ける」わけでもあるまい。

 ブログを書く直前2008年3月に麻生市民館で聴いた『紺屋高尾』と『文七元結』の二席や、2009年2月に同じ会場で聴いたマクラなしの『三軒長屋』(もう一席は長いマクラの後に短縮版『寝床』)は、いまだに忘れられない見事な高座だった。

 来年は一度は聴こう、と思っていたのだが、ちょっとその気が萎えた。

 間違いなく彼は上手い。それは疑いのないところなのだが、旧暦に対する無神経さやネタ選びへの気配りのなさが、どうしても私にとってマイナス要因になるのだ。

 ちなみに、2006年10月に開催された「談春七夜」のネタは次の通り。
  第一夜「粗忽の使者」「芝浜」
  第二夜「錦の袈裟」「除夜の雪」「夢金」
  第三夜「首提灯」「妾馬」
  第四夜「おしっくら」「たちきり」
  第五夜「桑名舟」「居残り佐平次」
  昼祭 「紙入れ」「木乃伊とり」
  第六夜「乳房榎~重信殺し」「棒鱈」
  第七夜「小猿七之助」「包丁」

 この中に“ツク”と思われる組合せは、私はないと思う。

 他にも持ちネタはたくさんある。二席とも「七夜」でも演じた十八番なのは分かるが、客が三太夫に会うのは一席で十分ではなかろうか。侍ネタの片方は廓のネタでも長屋のネタでも妾ものでも、あるいは得意の講釈ベースのネタでも良いだろう。

 「デリバリー談春」は、どこもチケット完売のようだが、さて来年、こんな思いのままで談春を聴きに行けるのかどうか。行くにはチケット入手の“ツキ”に恵まれなければならないが、ネタが“ツク”のは、勘弁願いたいものだ。
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by kogotokoubei | 2013-11-29 07:46 | 落語のネタ | Comments(6)
参議院が、本当に“良識の府”なのかどうかが、試されている。

 さすがに、衆議院のような乱暴な成り行きとは違うようだ。少しは“世論”なるものを意識しているのかもしれない。
「時事ドットコム」の該当記事

秘密保護法案、冒頭から紛糾=参院特別委で実質審議入り

 機密を漏えいした公務員らの罰則を強化する特定秘密保護法案は28日午後、参院国家安全保障特別委員会で提案理由説明と質疑を行った。ただ、中川雅治委員長(自民)の委員会運営に野党が反発し、特別委は紛糾。開会が予定より2時間半余り遅れ、参院での実質審議は波乱含みのスタートとなった。

 特別委に先立つ理事会では、中川委員長が職権で日程を決めたことや、野党側が求めた菅義偉官房長官、新藤義孝総務相の出席を与党が確約しないことを野党が批判。中川委員長の特別委開会宣言に野党の委員が応じなかったため、理事会で中川委員長が「公平かつ円満な運営に努める」などと釈明し、ようやく質疑が始まった。
 民主党筆頭理事の福山哲郎元官房副長官は特別委で質問に立ち、「考えられない運営をしている」と中川委員長に抗議。内閣情報調査室を所管する官房長官と情報公開法を所管する総務相の出席を迫った。特別委後の理事懇談会でも野党は両閣僚出席を要求したが、与党は「その都度、協議する」と譲らなかった。理事懇では29日の特別委開催は決まった。 
 一方、衆院で秘密保護法案に賛成したみんなの党を含む野党7党の参院国対委員長は28日、国会内で会談し、特別委で徹底した審議を行うことで合意。民主党の大畠章宏幹事長は記者会見で、法案について「秘密の定義が曖昧、第三者機関がないなど重大な欠陥が内在する」と批判。政府に対し、いったん廃案にした上で提出し直すよう求めた。(2013/11/28-21:07)

 

 国会議員は、この法案の問題を本当に分かっているのだろうか・・・・・・。

 今日の道新の社説が、なかなか良かった。
「北海道新聞」サイトの該当記事

秘密保護法案 国会は毅然たる姿示せ
(11月28日)

 国民を代表する議会人としての自覚があるのか。

 特定秘密保護法案をめぐる国会のぶざまな対応を見ると、そう思えてならない。

 法案には国権の最高機関である国会の活動を制限する内容が含まれている。立法府と行政府の力関係を変えかねない重大問題だ。

 与党はそれを歓迎するかのように政府に追従する。その与党に野党がすり寄るという構図が表れている。

 これでは「知る権利が侵害されるのでは」という国民の懸念が国会に反映されない。危機的状況だ。

 法案は参院審議に入った。与野党は存在意義をかけ、毅然(きぜん)として臨んでほしい。議論を尽くせば、廃案にするしかないことは分かるはずだ。

 衆院審議では成立を急ぐ政府を後押しする与党の姿が目立った。

 町村信孝元外相は「国会での秘密会が終わったらすぐにマスコミに漏れることが繰り返された」として、国会法改正などによる規制強化を主張した。なぜ国会の手足を自ら縛り、政府の権限強化に加担するのか。

 法案には国会への特定秘密提供を秘密会に限定する条項がある。外に漏らせば懲役5年以下または500万円以下の罰金に処するという。

 情報は役所のものではなく国民のものである。その取り扱いは本来国民が決めるもので、それを代表するのが国会の立場だ。法案にはその発想がない。与野党ともに自らの立場が脅かされていると認識すべきだ。

 野党の対応はお粗末そのものだ。

 みんなの党は早々に修正に応じ法案賛成に転じた。渡辺喜美代表は早くも集団的自衛権行使に賛成すると言っている。不信を抱いた議員が採決で造反したのも当然だ。

 日本維新の会は修正案を共同提出しながら、採決では退席した。筋が通らぬ話だ。退席するなら最初から法案提出に加わるべきではない。

 民主党もちぐはぐだ。本会議で長島昭久氏は「民主党の対案に真摯(しんし)に向き合ってくれた」として特別委の与党理事らに謝意を述べた。強行採決を実行した与党に頭を下げる姿は卑屈にしか見えない。

 結果的に法案は圧倒的多数の賛成で衆院を通過した。世論調査などで賛否が割れる状況とは全く異なる。

 衆院の法案採決時、国会の外では市民グループが激しい抗議活動を行った。憲法学者ら有識者が続々と法案に反対を表明している。こうした声を受け、政府の独走に歯止めをかけるのが国会の役割のはずだ。

 法案は参院での審議が始まった。参院は「衆院のカーボンコピー」と言われて久しいが、衆院と同じような醜態をさらしてはならない。今こそ「良識の府」「再考の府」としての存在感を発揮してもらいたい。



 まさに、参議院の存在意義が問われている。

 私は“数の暴力”への敗北を諦めかけていたが、もしかすると、まだ日本も捨てたもんじゃないのかもしれない。

 そう思えるよう、国民に選ばれた人達に、真面目に仕事をしてもらうことを期待しよう。
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by kogotokoubei | 2013-11-28 21:30 | 責任者出て来い! | Comments(2)
今夏の参院選では公約にもなっておらず争点になろうはずもなかった特定秘密保護法案が、安倍右傾化自民党、与党大好き公明党、“じ”みんなの(?)党によって、民主主義という言葉をないがしろにする暴挙で成立しようとしている。この“数の暴力”による流れは止められないだろう。

 新聞、テレビなどのメディアは、まともに戦うこともできず、敗北した。不戦敗と言ってよいだろう。一部のメディア人が、組織を動かすことができずに土壇場で負け犬の遠吠えをしたにすぎない。

 この法案が“平成の治安維持法”として、警察国家への道を助長し、近所付き合いにも気を遣う閉鎖社会をもたらす恐れがあるのは、間違いはない。

 安倍政権が法案をゴリ押しする背景には、もちろんアメリカからの圧力がある。時事ドットコムに、結構簡潔に法案の背景がまとめられていた。
「時事ドットコム」の該当記事

背景に米の意向=アルジェリア事件が後押し−秘密保護

 安倍政権が特定秘密保護法案の成立を急ぐ背景には、同盟国間で共有する機密の保全を求める米政府の意向がある。特に、政権発足間もない今年1月のアルジェリア人質事件で、在留邦人の安全確保に米国の情報が不可欠であることを痛感し、法制化に前のめりとなった。民主党政権下で法整備が検討されていたことも下地となった。
 「国家安全保障会議(日本版NSC)の審議をより効果的に行うためにも、秘密保全に関する法制が整備されていることが重要だ」。安倍晋三首相は7日の衆院本会議でこう訴えた。
 米政府は「スパイ天国」とも称される日本の情報管理に懸念を抱き、日本政府に機密保全への具体的対応を求めてきた。とりわけ2001年の同時テロ以降、米政府はテロ情報の収集と保全を強化。05年10月の日米安全保障協議委員会(2プラス2)の共同発表には「共有された秘密情報を保護するために必要な追加的措置を取る」と明記された。
 第1次政権でもNSC法案を提出した首相にはもともと秘密保全への問題意識があったが、危機感をあおったのがアルジェリア人質事件だ。同国の複数の政府機関から寄せられた情報は相矛盾することもあったため、日本政府は米英両国の「確度が高い」(政府高官)情報に頼らざるを得なかった。両国の情報機関とより緊密に連携するため、秘密保護法制化を急務ととらえた。
 野党に転じた民主党の政権下で秘密保護法制の議論が活性化した経緯も大きい。10年11月、沖縄県・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件を撮影したビデオ映像がインターネット上に流出。これを受け、当時の菅政権は法制化の検討に着手した。提出には至らなかったものの、後を継いだ野田政権は秘密漏えいに10年以下の懲役を科す法案を内々にまとめた。こうした動きが、今回の法案提出の地ならしをした。(2013/11/07-19:30)


 要するに、こういう構図なのだろう。

(1)日本は国際的な活動においてアメリカの情報を必要とする
   なぜなら、アメリカが軍事、外交などに関するもっとも“確度の高い”情報を有しているから
   (もちろん、CIAなどのスパイ活動やネット情報の不正入手などで蓄積された情報だ)
    ↓
(2)アメリカは、大事な(そして高価な)情報を日本に提供する条件として、もっと秘密を
   保護する仕組みをつくることを要請した

    ↓
(3)その結果が、国家安全保障会議(日本版NSC)&特定秘密保護法案、ということ


 法案に反すると罰則がある。以前にも書いたが、この法案の内容が10月25日の朝日新聞に載っている。「その他」の文字が大量に並ぶ法案の「第七章 罰則」を引用。
「朝日新聞」サイトの該当ページ

第七章 罰則

第二十二条 特定秘密の取扱いの業務に従事する者がその業務により知得した特定秘密を漏らしたときは、十年以下の懲役に処し、又は情状により十年以下の懲役及び千万円以下の罰金に処する。特定秘密の取扱いの業務に従事しなくなった後においても、同様とする。

2 第四条第三項後段、第九条又は第十条の規定により提供された特定秘密について、当該提供の目的である業務により当該特定秘密を知得した者がこれを漏らしたときは、五年以下の懲役に処し、又は情状により五年以下の懲役及び五百万円以下の罰金に処する。同条第一項第一号ロに規定する場合において提示された特定秘密について、当該特定秘密の提示を受けた者がこれを漏らしたときも、同様とする。

3 前二項の罪の未遂は、罰する。

4 過失により第一項の罪を犯した者は、二年以下の禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。

5 過失により第二項の罪を犯した者は、一年以下の禁錮又は三十万円以下の罰金に処する。



 この法案によって政府が守ろうとしているのは、防衛や外交、テロなどに関する、いわゆる国家機密だが、その対象は恣意的に決められるので、言わばなんでもありで、「それは秘密です!」と言われてしまう。

 そして、官僚や公務員、自衛隊員などが法案に反し「秘密」を漏らしたり接触しようとしたと見なされたなら、罰則を受けることになる。

 しかし、私には、本当に厳格に罰せられるのだろうか、という疑念がある。

 もし法案に違反する者がいたら、「彼(彼女)が、どんな情報に関して法案に反したのか?」という中身は、明かされるのか・・・・・・。裁判で争われた場合、その情報の中身を秘密にしたまま審理を進めることなど可能なのか。

 修正案で秘密の指定期間が最長60年まで延長された。誰かが罰せられても、もし罰せられる行動自体がメディアやネットで情報を公開したのではない場合、情報の内容が60年間秘密にされる可能性がある、ということなのだろう。

 もし、違反者逮捕を明らかにすることで、その秘密情報自体が漏れる恐れがある場合、あからさまに逮捕することが憚れることだってあるのではないか・・・・・・。

 そんなことを思っていたら、アメリカのリベラル系Webニュースサイト「Huffington Post」が、こんな記事を掲載していた。
*「ハフィンホン・ポスト」については、こちらをご参照のほどを。Wikipedia「ハフィントン・ポスト」

「Huffington Post」の該当記事
タイトルは、

特定秘密保護法案は「公務員の利益」保護法案か 責任追及も不可能に
ニュースの教科書 | 執筆者: ニュースの教科書編集部 投稿日: 2013年11月27日 10時02分 JST | 更新: 2013年11月27日 10時02分 JST


抜粋する。

世界各国で諜報活動や軍事活動を行う米国ですら、機密扱いにする期間は最長25年を原則としており、第三者による検証システムを設置している。これはすべて国益のためである。

だがこの法案では、第三者の検証システムの設置は検討事項に過ぎず、指定期間は最長60年という非常に長いものとなっている。なぜ第三者によるチェック機能がなく、指定期間が60年もの長期間であるのかは明らかである。この法案が、国家の利益を保護するためのものではなく、多分に公務員の利益を保護するためのものだからである。

現状の法案では、特定官庁の公務員が、日本と敵対する国に利益供与を行っても、特定秘密がカベになり、これを明らかにしたり、摘発することができなくなる。しかも60年も経過した後では、当事者の多くは死亡している可能性が高く、その責任を追及することすらできない。

あらゆる政策がそうなのだが、「国民」対「国家」という対立図式になることはそれほど多くない。現実には「国民」対「公務員」、あるいは「公務員」対「公務員」という利害関係になることがほとんどなのだ。そうであればこそ、国民から選挙で選ばれた国会議員や大臣には大きな権限が与えられているのである。
 本来であれば、こうした法案についてもっとも強い懸念を抱くのは公務員を監督する立場である国会議員であるはずだ。だが議員の発言を聞いていると、それはむしろ、監督される側の公務員の思考回路と重複している。



 こういう視点が大事なのだよ!

 本当に公務員や自衛隊員への罰則を強化して「国家機密」の漏洩を防ぎたいのなら、「国家公務員法」や「自衛隊法」の内容を替えればいいのである。

 要するに、特定秘密保護法案は、特定秘密を扱う「公務員の保護」につながる可能性も高い、ということだ。

 しかし、国民に対しては何ら保護しようとはしない。「特定秘密をバラシたり接触したら罰則があるぞ!」と国民を脅しながら、秘密の周囲にいる公務員に関しては、彼らを守る効用がある。
 とはいえ、「保護」されるのは官僚の偉い連中が中心になるだろう。下っ端公務員は保護されずに罰則を受け、そのことに「誰がどんな違反をしたのですか?」と聞くと「それは秘密です」という“切り札”が返ってくる、ということだ。

 野党は、「知る権利」という漠然として言葉からいっそう突っ込んで反論して欲しかったが、そういった発想も欠如していただろうし、そもそも“党”としての行動が遅すぎた。この法案が成立した後に、野党が政府の悪事を追求しようとしても「それは特定秘密に属しますから、お答えできません」と逃げられる場面が続出するだろう。

 そして、マスコミの体たらくも目に余る。産経と読売はすでに自民党機関紙、準機関紙と言ってよいだろう。他のメディア、そしてメディア人にしてもだらしなかった。組織の力学を優先するサラリーマンのメディア人は、彼等の所属する企業の経営者が安倍政権に睨まれることを恐れるあまり、「知る権利」が浸食される危機をただ見過ごしていた。まさに、ジャーナリズム崩壊、である。

 この法案が成立すると、ますます為政者の悪事を暴く道は狭まれ、真実からの距離は遠ざかる。

 こうなったら、「日刊ゲンダイ」などを含め「特定」のメディアやネットメディアにしか、政府の悪事にまつわる「秘密」を暴く役割を委ねることはできなくなりそうだ。
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by kogotokoubei | 2013-11-27 12:13 | 責任者出て来い! | Comments(2)
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 今ほど、昨夜24日にBS朝日で放送された「君は桂枝雀を知っているか!?」の録画を観た。

 上の画像は、BS朝日サイトの番組紹介ページからお借りした。同ページから文章も引用したい。
「BS朝日」サイトの該当ページ

その破天荒な芸風からは想像もつかない計算された笑いの理論、そして心の葛藤…。今、改めて桂枝雀とは何だったのか、その人間に迫るドキュメンタリー。枝雀が自ら死を選んでから14年が過ぎた今年は「枝雀」を襲名して40年に当たる年でもある。不世出の落語家が、真摯(しんし)に落語を追い求めた姿とは…。
語り:宮崎美子

「上方落語の爆笑王」といわれた桂枝雀が、1999年4月に亡くなって早や14年。今では、枝雀の高座をナマで見た人も少なくなったが、その存在は忘れ去られていくどころか、逆に大きな注目を集めている。大きな要因の1つは、若者に人気の芸人たちがこぞって枝雀へのリスペクトを表明していること。その代表が松本人志、千原ジュニア。彼らの発言によって、これまで落語の評論家やファンの間で高い評価を得てきた枝雀の偉大さが再認識されている。芸人の山崎邦正(月亭方正)は、枝雀没後に枝雀落語に傾倒し、落語の道へ進み始めた。さらに、佐渡裕(指揮者)、段田安則(俳優)、養老孟司(解剖学者)、長沖渉(演出家)ら、さまざまな分野で影響力を持つ著名人たちが枝雀を評価している。最近でも次々と「落語全集」のDVDが出版されていることは、枝雀の人気がいまだに衰えていないことを証明しているだろう。


 民放としては、多くの関係者の証言や映像を中心に、なかなか気合の入った二時間番組だった。もう少し、サイトから引用。

大阪・朝日放送に保存されている「枝雀寄席」などの貴重な資料映像を活用しながら、枝雀の落語を具体的に分析する。また、桂枝雀の2人のご子息をはじめ、兄弟弟子や弟子、枝雀ファンの各界の著名人など、多くの方の証言から枝雀の人物像を構築していく。

コメントをいただいた方々
・前田一知(長男)、前田一史(二男)
・小佐田定雄(落語作家)、佐渡裕(指揮者)、養老孟司(解剖学者)、 段田安則(俳優)、長沖渉(演出家・脚本家)
・桂ざこば、桂南光、桂雀三郎、桂文之助、桂九雀(桂米朝一門)
・桂福團治、月亭方正

特に2人のご子息からは、“素顔の桂枝雀”について貴重なお話を聞かせていただく。長沖さんからは、病気で苦しむ枝雀との隠れたエピソードを語ってもらった。



 枝雀に関するテレビ番組と言えば、没後十年の2009年放送の二つのNHKの番組を思い出す。春に総合テレビやBSでも放送された「あの人に会いたい」と、秋にBSでの「桂枝雀の世界」(なんと五時間)で、見た感想をブログにも書いた。
2009年4月11日のブログ
2009年9月26日のブログ

 この番組は、タイトルを考えると若者を意識したのかもしれない。たしかに前半は若者に人気があるらしいお笑い芸人が登場する。彼らが枝雀を高く評価していると言うことに関しては、若い人が枝雀を知るきっかけになるのなら良いことだろう。彼等にそれ以上に付け加えるコメントはない。

 私が前半で楽しく見ていたのは、『雨乞い源兵衛』のマクラの映像。あの枝雀独特の天気(地球)の長い歴史に比べて圧倒的に短い歴史しかない人間の天気予報が当らないのは当り前、というマクラが楽しい。このマクラの原型とでも言うべきものは、1973年、枝雀襲名直後の10月15日に大阪朝日生命ホールで収録された『日和ちがい』のマクラである。「桂枝雀と申します。旧名を小米と申します。今後ともよろしくお付き合いのほどをお願い申し上げます」とあいさつする若々しい声が、耳に残っている。アメーバから魚類、両生類から爬虫類を経て鳥類、そして哺乳類に進化する様子を枝雀ならでは芸で楽しく紹介してくれる。二本足歩行が可能なのは呼吸をするからだ、という珍説も可笑しい。

『代書』における松本留五郎の履歴書の言い方の変遷も、映像で続けて見ると楽しい。
80年6月:ジレキショ
84年7月:ギレキショ
88年3月:リレキシオ
92年1月:ギレレレ・・・キショ

 常にネタを、その時の自分の基準で磨き続けた、ということなのだろう。

 小佐田定雄が指摘する通り、同じ内容を繰り返すのではなく、もっとおもしろくするにはどうしたらいいかを考え続けた人なのだろう。

 中盤でうれしいのは、若かりし日の師匠米朝との対話場面だ。その対話や弟子の南光、雀松、そして弟弟子ざこばなどの証言で、食べ物の過度な凝り性が紹介された。一年通してフグを食べたり、ホルモン焼きを食べたり、という極端な懲り方は、枝雀のどんな哲学に基づいているのだろうか。

 後半で印象深いのは、番組紹介ページでも書かれているように、長男の一知、次男の一史へのインタビューである。二人ともミュージシャンとして、父のDNAを継承しているらしいし、一知は時折高座にあがって、玄人筋の評価も高いようだ。

 長男一知は、飲み屋に迎えに行って、酔った父の代わりに、子供の一知がタクシーの運転手に料金を払って「領収書いただけますか」と言い、家に連れ帰る役だった、とのこと。

 一知が1972年3月生れ、一史が1977年の3月生まれ。父が旅立ったのが、それぞれ27歳と22歳。その当座には、語れなかった思い出を、今では冷静に振り返ることができるのだろう。ファミコンに一番はまったのが父だった、という話も微笑ましい。

 一知「子供みたいなお父さんでした」
 一史「どんなことでもみくびらなかった」

 彼らには、何事にも一所懸命な父の姿が、しっかり記憶されているようだ。

 サゲの分類は有名だが、小佐田定雄が語る、“スライド”や“知らず困り”などの「笑いの十三分類」や、「落語の快感構造」は、初めて知った。小佐田さんには、枝雀関連本の次回作としてぜひ書いてもらいたいものだ。

 指揮者の佐渡裕の枝雀ファンぶりも有名で、海外に出向く際はたっぷり枝雀のCDを持って行くことは、枝雀のCDのライナーノーツにも佐渡が書いている。

 また、1996年10月から1997年4月にかけて放送されたNHKの朝ドラ「ふたりっこ」の収録での逸話を、当時のディレクター長沖渉が回想した場面も、印象的だった。
 
 永世名人として将棋界に君臨する米原公紀役だったのだが、挑戦者である内野聖陽が扮する森山史郎に敗れる場面を撮影する際の話。
 長沖の元に電話が入る。「まったく科白が入りません・・・」と、鬱状態の枝雀から泣きが入った。長沖は、「一行づつでいいですから」と説き伏せて収録を行った。その放送を見た本人からの直筆の手紙も紹介された。
 最後の収録も放送された(NHKはよく貸してあげたねぇ)が、何とも悲壮感のある表情である。亡くなる二年前のことだが、相当きつかったのだろうなぁ。

 全体の中で、もっとも印象に残ったのが次男の一史の言葉。

 「なぜお父さんは心の病になったと思うか?」という問いかけに、しばらく考えてから発した言葉。

 「僕の解釈ですと・・・一般的には噺家として突き詰めすぎたと言われていますけど・・・僕は巷間で言われているようなことではないのではないかと思うんです・・・癌になった人に、なぜ癌になったかとか聞かないでしょう・・・かなりシンプルに、病気になったんだと思います」

 まったく、その通りだと思う。芸を追求するあまり、などという説明は後からいろいろと語られるが、あくまで病にかかった、としか言えないのだと思う。その原因をあれこれ考えても致し方のないことであろう。
 彼も、これまで数え切れないくらいの「なぜ?」と問いかけた結果、“シンプル”に考えることができるようになったのではなかろうか。

 私のような枝雀ファンも、そんな思いで、ようやく映像を楽しく見ることができるようになったような気がする。

 提供が製薬会社だったことだけは、少し引っかかるが・・・・・・。

 芸術祭参加らしい。受賞してもしなくても、見逃した落語愛好家の方のために再放送を希望する好企画だった。
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by kogotokoubei | 2013-11-25 20:32 | テレビの落語 | Comments(8)
沖縄返還密約事件の西山太吉さんが、参院の国家安全保障特別委員会に参考人として登場されたらしい。
「時事ドットコム」の該当記事

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参院国家安全保障特別委員会で21日、参考人として答弁する西山太吉氏。西山氏は沖縄返還に関する機密公電をスクープ報道し、国家公務員法違反で有罪が確定。取材の自由について社民党が意見聴取を求めていた。 【時事通信社】



 ジャーナリストとしての貴重な成果が、男女の“情を介した”不正な情報漏洩事件という週刊誌ネタのスキャンダルにすり替えられた、あの事件の西山記者である。
 
 この方は、どうしても“さん”づけでお呼びしたい。昭和6年生まれなので、今年82歳。

 西山太吉さんは、先週は日本記者クラブで会見したようだ。
朝日新聞サイトの該当記事

(新ポリティカにっぽん)「秘密国家」に挑む記者魂
2013年11月19日19時10分

 臨時国会は、戦後日本の危うい曲がり角になりそうである。むろん、それは国家安全保障会議の設立と特定秘密保護法案の行方にかかっている。

 小泉純一郎元首相が「原発ゼロ」を改めてぶちあげた日本記者クラブで、先週末、西山太吉さんの会見があった。沖縄返還密約事件で山崎豊子さんの描く小説「運命の人」となった彼がこの秘密保護法案をどう見るか、それを聞いてみたかった。

■沖縄密約 シラを切り続ける無責任さ

 「日本はもともと秘密体質なんだ。そのうえに秘密保護法をつくるだなんて、どんな秘密国家をつくろうというのかね」

 1972年の沖縄返還の裏に、米国が負担すべき土地原状回復費用を日本が肩代わりする密約があったことを暴いた西山さんの話は具体的である。

 2000年、アメリカは日本との沖縄返還交渉の外交文書を一挙に公開した。そこには西山さんがつかんだ密約が明らかにされていた。ふつうはそれで日本政府も兜(かぶと)を脱ぐだろう。ところが違った。外務省は密約の当時のアメリカ局長吉野文六氏を呼んで「密約は一切ないと言ってくれ」と口止めをした。吉野さんはOKした。外務省はあわてて日本側の資料を焼却した。1200トンに及ぶ量だった、と西山さんは語った。

 2006年、吉野さんは良心の呵責(かしゃく)からか、「密約に私が署名した」とマスコミに告白した。それでもなお、当時の安倍晋三官房長官、麻生太郎外相、河相周夫北米局長は「密約はない」と言い張った。このシラの切り方は尋常な「秘密体質」ではない。

 「アメリカでは、キューバ侵攻が失敗だったとケネディも認めた。イラク戦争の大量破壊兵器はなかったことも認めた。イギリス議会もイラク戦争を徹底検証した。これが普通の先進国である。日本にはそれがない」

 私は朝日新聞在社当時、夕刊「にっぽん人脈記」を主宰していたので、松本一弥記者に世界に飛んでもらって「イラク戦争検証」の連載記事を書いてもらった。元防衛官僚の柳沢協二さんが「検証 官邸のイラク戦争」という本を出した。しかし、政府与党として「自衛隊派遣」の是非についての検証と反省はまったくしていない。「秘密国家」は、過ぎ去ったことはそのままヤミに葬る「無責任国家」でもある。

■「スパイ防止法案」 反対した谷垣氏は

 1987年、当時の中曽根康弘内閣が提出したスパイ防止法案(なんと最高刑は死刑!)に谷垣禎一現法相らが「われら自民党議員、『スパイ防止法案』に反対する」という雑誌論文を発表して、結局、廃案になる。

 谷垣さんはいま、秘密保護法案をどう考えるのか。

 「私も論文を読み返してみたけど、そんなに間違っていないと思うよ。ただ、そのときといまと違うのは、この間、情報公開制度が進んだことだね。秘密、秘密といわないで、むしろ公開して国民の理解を求めるというほうがいい場合があると思うけどね」

 とは思うけれども、それを強くいえば、安倍政権の足並みを乱すことになるので控えているということらしい。


 谷垣さんがむしろ心配するのは、重要な文書を大臣の判断ひとつで「廃棄」処分できることだそうである。法務省にも戦前の秘密軍法会議記録などが保存してあるそうで、谷垣さんはそれを国立公文書館に送り公開したいと考えている。それとは逆に、外務省が「沖縄密約を焼却処分した」という西山さんの話がほんとうだとすれば、谷垣さんが指摘する「大臣の一存での廃棄」は歴史を偽る犯罪的行為だともいえる。

■鉄壁の官僚機構、「制度」ができると……

 西山さんの話に戻る。秘密保護法案をどう見るか。

 「これだけ分厚いものを張り巡らされると『知る権利』など行使できない。日本は鉄壁の官僚機構である。そこに『制度』ができると、官僚は拡充に動き出す」

 つまり、秘密保護法という「制度」ができてしまえば、日本国官僚はそれを最大限に利用し、秘密を拡大するということである。それは民主主義に反する。


 では、それを突破するのは?

 「内部告発しかない。アメリカのニューヨーク・タイムズもワシントン・ポストも内部告発でキャンペーンした」

 ダニエル・エルズバーグのペンタゴンペーパー「ベトナム機密文書」から最近のスノーデン事件まで、アメリカは「内部告発」の歴史がある。日本にはそんな勇気ある官僚が出てくるか。

「内部告発がなく、私のようにやれば、社会通念に反する(取材だ)と」

 西山さんは外務省女性事務官と「情」を通じて秘密電文を入手したと起訴された。政府の「密約」という背信行為をスキャンダルにすりかえられた。

 「それならば、これから私は平気で社会通念に反するよ」


 おそらく秘密保護法ができても、それを恐れずにスクープを追う記者は必ず出てくるだろう。政府はバカだね。真のジャーナリストはこんなことでへこたれない。ともあれ、西山さんの会見の最後の言葉に、私は凄(すさ)まじい記者魂を感じた。

 (早野透=桜美林大教授・元朝日新聞コラムニスト)



 アメリカが日本との沖縄返還交渉の外交文書を公開し、密約の事実が明らかになってさえ、為政者はその歴史を捻じ曲げようとした。歴史は、時の権力者によって作り替えられるという一つの証しだが、なんともひどい話ではないか。
 そして、安倍右傾化政権は、「真実なる報道」を今まで以上に妨げるための足かせとなる法案を無理強いしようとしている。

 「平気で社会通念に反するよ」という爽快な西山さんの言葉が胸に響く。西山さんにとっては、政府の秘密を暴き出したジャーナリストとしての行動を下半身スキャンダルにすり替えた為政者や裁判官、その片棒をかついだ同業者たちこそ“社会通念に反する”という固い信念があるのだろう。

 さて、今日、報道に携わる人々に、西山さんの万分の一でも、そういった固い信念があるのだろうか。

 かつて朝日新聞で田中角栄の番記者などを務め、現在大学教授になった早野透が言うように、“秘密保護法ができても、それを恐れずにスクープを追う記者は必ず出てくる”のだろうか。私は、今のままでは相当怪しいと思っている。

 今日のメディア人の中では、まだマシな方だと思っているTBS「報道特集」の金平茂紀が、「Web論座」に次のような記事を書いている。
「Web論座」の該当記事

秘密保護法案、マスメディアの人間は組織の「空気」とどう向き合うか
2013年11月21日

 特定秘密保護法案について書く。と言っても、この法案の中身の検証ではない。この法案は端的に言って欠陥法案であり、このまま法制化されると取り返しのつかないことになる。私たちマスメディアで仕事をしている人間にとっても、その拠って立つところの「取材・報道の自由」が著しく制限され、ひいては国民の「知る権利」が大きく侵害される。

 現時点(11月20日)では、まだ特定秘密保護法案は衆議院を通過していないが、与党(自公)とみんなの党や日本維新の会との間での修正協議がさくさくと進捗しており、来週中にも衆議院で採決が行われるのではないかとの見通しだ。

 そうした状況のなかで、マスメディアで仕事をしている有志らが集って、この法案の廃案を求める小さな集いと、森雅子担当大臣への要請文提出を行った(20日の午後3時)。これからどういうことになるのか、わからない。僕もボランティア・ベースで、賛同者へのお誘いなどをやった。

 そんなことをしていくなかで考えたことがある。それは、メディア論の世界では「メディアの内部的自由」などというカテゴリーで括られている問題だ。

 マスメディアで働く記者やディレクター、編集者、制作者らが、自分の報道倫理とは相容れない報道や表現を所属組織から命じられた場合にそれを拒否できるかどうか。一方で、「メディアの内部的自由」は、自らの報道倫理に照らして見解を表明せざるを得ない場合に、個人として所属組織との間でどのような折り合いをつけるのかという問題とも隣接している。

 賛同者にお誘いした人の反応のなかに、「特定秘密保護法案に対する反対表明の趣旨には『個人的には』もちろん賛成だが、自分は組織に所属している人間なので、今、賛同者に加わることができない」という人がいた。

 あるいは、僕がお誘いをすると、すぐさま上司に許可を取りに行くという行為にとりかかった人もいた。「個人参加で」と断ったつもりだったが、条件反射的に上司に許可をとるという動作が、その組織では一般的なのですよと説明された。


 記者やキャスターが、“就職”したのではなく、“就社”している、ということ。あくまでサラリーマンなのだ。

 金平は、組織の力学における個人の弱さを指摘するが、では、彼はいったいTBSという組織の中で、どう発言し、行動したのか・・・・・・。彼の番組においてこの法案を取り上げることはできたが、TBSという組織として反対の意思表示をさせることはできなかったのではないのか。

 また、金平を含む一部のメディア人が行動を起こしたのも、あまりにも遅すぎる。

 昨夜の各局のニュースでは、それぞれのメディアが、予想に反する人数が動員された法案に反対する市民行動やニューヨーク・タイムズの法案への批判的な記事を、あくまでニュースとして流すのみで、メディアとしての“オピニオン”は、ない。

 メディアの経営陣は、海外のメディアや市民団体、NGOなどによる発言の“二番煎じ”をするばかりではなく、自らのオピニオンを表明すべきだろう。
 この法案が自分達の存在を揺るがすものだという危機感と当事者意識に欠けている新聞社やテレビ局の上から下までが“煎じる”べきなのは、西山さんの“爪の垢”ではなかろうか。
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by kogotokoubei | 2013-11-22 00:43 | 責任者出て来い! | Comments(0)
先日の雲助の会の会場で販売していた本。そのうち読もうと思っていたので、雲助サイン入り本を手拭と一緒に購入。
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五街道雲助著『雲助、悪名一代』

 大きな活字で読みやすく、二日間の通勤時間で楽しく読了。

 最初にこの本を手にしてまず思うのは、“悪名”という文字への疑問だろう。
 
 なぜ“悪名”なのか。落語愛好家の方ならご案内(?)だろうが、蛇足的に本書から引用。

 師匠馬生が、

「俺は隠居したら五開堂雲輔になるよ」
 と言っていたのを思い出し、いい名前だなぁと思っていましたので、師匠にお願いしてその名前をいただくことにしました。


 これが、七番目の弟子だったので前座名“駒七”から、二ツ目になる時のことだ。

 過去に「ゴカイドウクモスケ」を名乗った落語家は何人かいたらしいのですが、表記が「五海堂」だったり「五海道」だったりバラバラで、わたしが何代目になるのか、よくわかりません。
 二ツ目昇進の時には、御挨拶に、名入りの手拭(目次に写真があります)を配ります。書画の腕前はプロ並だった馬生にお願いして絵を描いてもらい、「五街道雲助」と名を入れたところで、馬生がわたしの顔をじっとみて、なにを思ったか「六代目でいいやな」とつぶやき、「六代目」とつけ加えました。
 描き終わってから、「六代目」と「五街道雲助」のバランスがおかしいな、と馬生は首をかしげました。
 こうしてわたしは、「六代目五街道雲助」となりました。
 「五街道」は、江戸時代に徳川幕府が全国の各藩を統治するために整備した、東海道、日光街道、奥州街道、中山道、甲州街道の主要道路。
 「雲助」は、自由な移動がままならなかった江戸時代に、その五街道の宿場から宿場へ荷物を運搬していた人足。
 「五街道雲助」という名前は、日本全国を縦横無尽に駆けめぐるスケールの大きな悪党、というイメージで、自分では大変に気に入りました。



 たしかに、先日の会で本書と一緒に入手した手拭、「六代目」と「五街道雲助」のバランスが、微妙なのだ。

 いたちやさんのサイトにある手拭の画像を拝借した。縮尺が正しくないが、イメージはお分かりいただけると思う。
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「いたちや」さんサイトの手拭の画像


 しかし、馬生の絵、そして字はいいよねぇ。この手拭、大事にしよう。

 さて、時代は遡って学生時代の逸話と入門を志した動機などの部分。

 明大付属高校から明大に推薦入学の相談をした時、先生から人気の高い商学部は無理、と言われたことに一念発起、一般入試で商学部に入学したのはいいが、落研に入部して寄席通い。単位が足らない。

 明治大学の商学部には、二年から三年になるときに、不可が三つあると進級できない落第制度がありました。
 一年から二年になるときすでに七つ、八つ不可があった。これは当時落研の新記録でした、なんてちっとも自慢になりませんが。
 二年の秋ごろになって、これはいけない、とにかく不可は消さないといけないから勉強しようと思ったら、教科書がない。
 なんで教科書がないんだろうとよーく思い出したら、教科書代を全部寄席につぎ込んだので、教科書を買ってなかったんですね。


 あの雲助からは想像できにくい逸話であるし、ユーモアたっぷりの文章だ。電車の中で読んでいて、ついクスッと笑った部分。

 落語家になる考えが起こった時の逸話を紹介しておこう。これが、笑えるのだ。

 実家は元は蕎麦屋だったが大学時代にはすし屋と天ぷら屋になっていた。屋号は父の名である寅吉から「とらや」。

 ある日、人形町の寿司屋で飲んでいたら、そこの板前さんが話の流れで、
「前は本所の寿司屋にいたんですよ」
 という。
「へえ、本所のなんて寿司屋?」
 と聞いたら、
「『とらや』って寿司屋です」
 うちなんですけど、お互い顔も知らない。
「なんでやめちゃったの?」
「あそこはいてもしょうがねぇ。倅ってのが、いるんだかいないんだかわかんねぇ。いつも裏から出入りしててね、この店はどうにもならねぇと思ってやめたんですよ」 
 目の前で言われました。
 店を継ぎたくない。三年にも上がれない。一瞬「落語家、になる?」という考えが頭をよぎりましたが、家が商売をしている。わたしは一人息子。どう考えても落語家になれるわけがない。


 この後で名乗るわけにはいかないわなぁ。
 
 さて、この窮地をいかに脱したかについては、結構シリアスな家族の物語があるのだが、ぜひ本書で確認していただきたい。

 次に、この本の帯で登場する野坂昭如との関係は・・・・・・。

 雲助が、“もうひとりの師匠”と呼ぶ方の存在が、野坂や色川武大さんなどとの接点になる。

 落語の師匠が馬生なら、酒の師匠はおやっさん。
 馬生も酒は好きでしたが、わたしの兄弟子に酒乱がいて、それを嫌がっていたので馬生の前では酔っぱらうことができません。
 二ツ目になって、馬生の目の届かないところで飲みまくる楽しさ。
 かいば屋で、おやっさんを通して、いろんな人と知り合いました。
 早稲田大学を中退したおやっさんは野坂昭如さんの食客をしており、『かいば屋』という店名は、おやっさんの競馬好きにちなんで野坂さんがつけたそうです。
 のれんを新しくしたときに、『かいば屋』の字を書いたのは、殿山泰司(1915~1989)さん。
 田中小実昌さんも、もちろん常連です。
 おやっさんは野坂さんの『酔狂連』という文化サークルのメンバーでもありましたから、そういった人たちが、かいば屋に出入りしていました。



 錚々たる顔ぶれ。雲助が、かいば屋に行くきっかけは、田中小実昌が『小説推理』の巻頭グラビアに書いた「私の最も好きな場所」を読んだからのようだ。推理小説が好きなんだなぁ、きっと。

 このおやっさん、雲助を新宿のいろんな店にも連れて行って、雲助の酒の修行は、落語と同様に深~いものだったらしい。

 これ以上書くとこれから読まれる方の愉しみが減るので割愛するが、本書には次のような疑問に答える興味深い内容が書いてある。

・馬生よりも先に弟子入り志願して入門を果たせなかった噺家とか誰か
・入門時、前座修業でお世話になった同門の兄弟子は誰か
・最初にとった弟子白酒の前座修行中のとんでもないしくじりは何か
・滑稽噺が好きだった雲助が、円朝ものを演じ始めるようになったきっかけとは
・ある高座を舞台袖で見ることで“芝居がかり”について学んだ、その噺家は誰か
・雲助流「成り下がり十戒」とは何か

などなど。

 ご興味のある方は本書を、できることなら、いたちやさん主催の雲助の会の会場で、ぜひサイン入りで買って読んでいただきたいものだ。
 いたちやさんのサイトに、本書の紹介と著者の動画も掲載されているので、ご参照のほどを。
「いたちや」さんサイトの該当ページ

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矢野誠一著『にっぽん芸人伝』

 最後に、若かりし日の雲助について、矢野誠一さんの『にっぽん芸人伝』から引用したい。

 この本は昭和53年から翌年にかけてスポーツニッポンに連載された内容。だから34年前。昭和54年に単行本化されたが、今年6月に河出文庫から再刊された。

 34年前だから、矢野さんが見て聴いた雲助は、まだ二ツ目。

 五街道雲助は、ユニークな芸名を選んだ瞬間から、ユニークな落語家に成長するべき宿命を背負わされてしまったといっていい。なみの落語家であってならないわけで、これからだんだん芸名の重みを感じていかざるを得まい。できるだけ楽な、やさしい近道を通って、一人前の落語家になろうとする若手が増えつつあるなかで、あえてそんな宿命をたずさえて歩き出してる姿が、ひとの目にうまくとまればいいのだが。
(中略)
 六本木の自分の店「夕雨子」で、ミニ・ミニシアターを開き、自らプロデューサーになっている踊子の水原まゆみは「古典の明日をになう噺家の会」という催しに五街道雲助を起用したのだが、彼のことを「変に媚びず、透き通った感じのひと」と手紙に書いてきた。「透き通った感じ」という表現に、いかにも踊子の目が感じられて面白かったのだが「透き通った」落語も悪いものじゃないなどという考えが、近頃頭に浮かぶのである。


 ちなみに、水原まゆみさんは、三浦哲郎の小説『夕雨子』のモデルだった人。

 昭和53年のあの大騒動の後、雲助は昭和55年に行なわれた第一回真打昇進試験を受けて合格し、翌昭和56年3月に真打昇進となる。

 当時、三十を過ぎたばかりの雲助だが、矢野さんや水原まゆみさんの芸人を見る目の確かさが分かろうというものだ。

 今でも雲助の高座には「透き通った」という形容が当てはまるように思う。もちろん、客に媚びることもない。そして、矢野さんが書いている芸名の重さにも、もちろん負けずに我が道を行っているように思う。そのことについては、彼の本を読めばいっそう理解が深まる。
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by kogotokoubei | 2013-11-21 00:34 | 落語の本 | Comments(0)
 同じ月の六日、むかし家今松が約80分で通しを演じた円朝作の噺、雲助が三日に分けで演じる初日に出かけた。会場は六割入っただろうか、という空席の目立つ状況。好企画なのに、なぜこんなに入らないのか不思議だ。

 主催されている「いたちや」さんのサイトに、それぞれの回の題目が書かれている。
「いたちや」さんサイトの該当ページ
11月18日 仏壇叩き 湯河原宿 谷中天龍院
12月24日 請地の土手 清兵衛縁切り
 1月15日 お白洲 大団円


 今松の通し一回口演の内容はブログに書いた通り。
2013年11月7日のブログ

 大筋に影響のないと思われる部分を刈り込みに刈り込んでの約80分。

 雲助は三日に分けた初日にどんな場面や人物に、彼ならではの思い入れをかけて演じたのか・・・・・・。

 まず、前半、後半の演題と所用時間を先に書く。ちなみに開口一番などは存在しない。

『仏壇叩き』 (35分 *19:00~)
『湯河原宿~谷中天龍院』 (37分 *~20:27)

 ここで、「えっ?!」と意外に思われる方もいらっしゃるかもしれない。そう、短いのだ。合計で72分。どこを切れ場にするか、演出の効果を考えてのことだろうが、後半について私はちょっと物足りなかったぞ。

 最初に、人物相関図を、この噺について書いた際や今松の高座について書いた時にもお借りした「はなしの名どころ」サイトの、「指物師名人長二」のページからお借りする。 初日には、この中の一部の人しか登場しないし、湯河原宿の重要人物(?)である藤屋の婆さんなどは図に含まれていないが、あくまで全体の構図を知っていただきたいので掲載する。
「はなしの名どころ」サイトの該当ページ

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 詳しい筋書きや、森まゆみ著『円朝ざんまい』の引用などにご興味のある方は、以前にこの噺について四回に分けて書いた、一回目と二回目をご覧のほどを。
2012年8月27日のブログ
2012年8月28日のブログ

 まずは『仏壇叩き』から。
 マクラでは、過去に通しで演ったのは志ん生、彦六の正蔵がいるが、志ん生は相当刈り込んでいるし、結構抜けもある、彦六も原作からは結構離れており、原作に忠実に通しで演じているのは私だけ・・・とでも思わないとやってられない、と若干の自画自賛。
 ここで今松の“いの字”も出ないのは、過度に刈り込んで80分一席では通しとは認められない、という思いがあるのだろうか。良い意味でのライバル意識の現れと受け取ろうともしたが、やはりひっかかるなぁ。二人は真打昇進は昭和56(1981)年3月で同時昇進だが、入門は今松が三年早いのだ・・・・・・。

 さて、雲助版の特徴の一つは、「不器用長二」という通称を強調するところ。雲助もその名の由来を原作とほぼ同じ地の科白で説明する。メモはほとんど取らなかったので、青空文庫にある原作から引用。
青空文庫「名人長二」

誰たれいうとなく長二のことを不器用長二と申しますから、何所どこか仕事に下手なところがあるのかと思いますに、左様そうではありません。仕事によっては師匠の清兵衛より優れた所があります。是は長二が他の職人に仕事を指図するに、何なんでも不器用に造るが宜いい、見かけが器用に出来た物に永持ながもちをする物はない、永持をしない物は道具にならないから、表面うわべは不細工ぶざいくに見えても、十百年とッぴゃくねんの後までも毀こわれないように拵えなけりゃ本当の職人ではない、早く造りあげて早く銭を取りたいと思うような卑しい了簡で拵えた道具は、何処どこにか卑しい細工が出て、立派な座敷の道具にはならない


 この「不器用」を強調するのは、雲助の落語への取り組み方、あるいは師匠馬生からの教えに通じるものがあったからではなかろうか。見た目の派手さより、不器用でもしっかした芸を求める姿勢が背景にあったような気がする。

 次に雲助は、志ん生と同様に、登場人物の衣装についての描写を怠らない。今松もこの部分は省かなかったと思うのだが、印象としては薄かった。もちろん所要時間が数倍違うのだから当たり前とも言えるが、坂倉屋の注文の仏壇を届ける長二のナリについても、次の原作の内容を忠実に語っていた。

只腕を磨く一方にのみ身を入れて居りますから、外見みえも飾りもございません。今日坂倉屋へ注文の品を納めにまいりますにも仕事着のまゝで、膝の抜けかゝった盲縞めくらじまの股引に、垢染みた藍あいの万筋まんすじの木綿袷もめんあわせの前をいくじなく合せて、縄のような三尺を締め、袖に鉤裂かぎざきのある印半纏しるしばんてんを引掛ひっかけていて、動くたんびに何処からか鋸屑のこぎりくずが翻こぼれるという始末でございます


 やはり、こういった形容があって、その人物像が浮かぶのだよなぁ。見てくれなど一切気にかけない、自分の作った指し物の出来が勝負、という長二のイメージが浮かぶ。雲助の「不器用長二」、もし映画やドラマなら、若かりし頃の高倉健、という感じだ。

 そして、この仏壇叩きの場面、うれしかったのは、今松が省いたことに苦言を呈した、坂倉屋助七の娘、お島が登場すること。そう、重要なのだよ、お島の存在は。父の助七が、仏壇の手間賃を百両と長二が言ったことに“足元を見てぼったくりやがって”と思い、つい長二との売り言葉に買い言葉、長二が持っていた才槌で仏壇を叩く場面。ここにお島は必要だ。再び原作から。
 

 長「旦那……高言か高言でねえか打擲ぶんなぐってごらんなせい、打擲って一本でも釘が弛ゆるんだ日にゃア手間は一文も戴きません」
 助「ムヽ面白い、此の才槌で力一ぱいに叩いて毀れなけりゃア千両で買ってやろう」
 と才槌を持って立上りますを、先刻から心配しながら双方の問答を聞いていましたお島が引留めまして、
 島「お父とっさん……短気なことを遊ばしますな、折角見事に出来ましたお仏壇を」
 助「見事か知らないが、己には気にくわない仏壇だから打毀ぶちこわすのだ」
 島「ではございましょうが、このお仏壇をお打ちなさるのは御先祖様をお打ちなさるようなものではございませんか」
 助「ムヽ左様そうかな」
 と助七は一時いちじお島の言葉に立止りましたが、扨さては長二の奴も、先祖の位牌を入れる仏壇ゆえ、遠慮して吾われが打つまいと思って、斯様かような高言を吐はいたに違いない、憎さも憎し、見事叩っ毀して面の皮を引剥ひんむいてくりょう。と額に太い青筋を出して、お島を押退おしのけながら、
 助「まだお位牌を入れないから構う事アない……見ていろ、ばら/\にして見せるから」
 と助七は才槌を揮ふり上げ、力に任せて何処という嫌いなく続けざまに仏壇を打ちましたが、板に瑕きずが付くばかりで、止口とめぐち釘締くぎじめは少しも弛ゆるみません。助七は大家たいけの主人で重い物は傘の外ほか持った事のない上に、年をとって居りますから、もう力と息が続きませんので、呆れて才槌を投ほうり出して其処そこへ尻餅をつき、せい/\いって、自分で右の手首を揉みながら、
 助「お島……水を一杯……速く」


 この後、助七が長二を疑ったことを詫び、長二も千両ではなく手間賃の百両でならと仏壇を売ることに同意。助七と長二との会話の中で、お島が筒井和泉守のところへ奉公に出ることまでが語られる。
 林大学がこの仏壇叩きのいきさつをしたためたので、ますます「不器用長二」の評判が高まった、というところで仲入り。ここまでは、期待通り。

 さて、仲入り後の『湯河原宿~谷中天龍院』
 長二は怪我をした兼松とともに湯河原の藤屋で湯治。宿の婆さんから長二の出生の秘密が明かされる場面。
 
 実は、ここで、残念な言いよどみがあった。婆さんが二十八年前の捨て子事件のことを物語ろうとする場面で、長二が近くの部屋の様子を見て、障子を閉めてから婆さんに再び語らせようとするのだが、そこで一瞬科白が飛んだ。「申し訳ございません」と一拍置いてつないだが、しばらくはリズムが悪かったのが残念だった。
 志ん生は、「おい兼、ちょいと外を見てくれねぃか、誰かが聞いているかもしれねぃ」でつなぐ場面。雲助は、次のように原作に忠実に語ろうとしていた。太字の部分が、言い直したところ。

 長「左様そうかえ……そんなら少し待ってくんな」
 と長二は此の先婆さんが如何様いかようのことを云出すやも分らず、次第によっては実まことの両親の身の上、又は自分の恥になることを襖越しの相客などに聞かれては不都合と思いましたから、廊下へ出て様子を窺うかゞいますと、隣座敷の客達は皆みんな遊びに出て留守ですから、安心をして自分の座敷に立戻り、何程かの金子を紙に包んで、
 長「婆さん、こりゃア少ねえがお前めえに上げるから煙草でも買いなさい」
 婆「これはマアでかくお貰い申してお気の毒なこんだ」
 長「其の代り今の話を委くわしく聞かしてください、他ひとに聞えると困るから、小さな声でお願いだよ」


 「重箱の隅をつつく」とお叱りを受けそうだが、あえて書かせていただいた。それは、「原作に忠実」も、程度問題ではないか、と私は思うからである。ここは、それまでの婆さんの会話をいったん長二が止めさせるので、すんなり語ってもリズムが狂いかねない場面だと思う。だから、私は志ん生くらいに端折ってもよいと思っている。原作に忠実に、という思いがリズムを狂わせたような気がしてしょうがない。ただし、原作への忠実さも、また雲助の良いところと言えるのだろう。なかなか難しい。
 また、雲助は、この婆さんが、長二の出生の秘密を語る途中で一服して笑いをとる場面を割愛。雲助は、この噺に笑いは必要ない、と思っているのだろう。それも、一つの考え方だ。

 さて、この後は次第に雲助も調子を取り戻した。志ん生が省いた部分で雲助が活かした良い部分があった。それは、育ての親、長左衛門の先祖の墓のある泉村福泉寺のこと。原作ではこうなっている。

 長「何分頼むよ、お前めえのお蔭で委くわしい事が知れて有難ありがてえ……ムヽそうだ、婆さん、お前その、長左衛門の先祖の墓のある寺を知ってるか」
 婆「知ってますよ、泉村いずみむらの福泉寺ふくせんじ様だア」
 長「泉村とア何方どっちだ、遠いか」
 婆「なアにハア十二丁べい下しもだ、明日あす私わしが案内しますべいか」
 長「それには及ばねえよ」
 婆「左様そうかね、そんなら私わしイ下へめえりやすよ、用があったら何時でも呼ばらッしゃい」
と婆さんが下へ降りて行った後あとで、長二は己を棄てた夫婦というは何者であるか、又夫婦喧嘩の様子では、外に旦那という者があるとすれば、此の男と馴合なれあいで旦那を取って居たものか、但たゞしは旦那というが本当の亭主で、此の男が奸夫かんぷかも知れず、何なんにいたせ尋常の者でない上に、無慈悲千万な奴だと思いますれば、真まことの親でも少しも有難くございません、それに引換え、養い親は命の親でもあるに、死ぬまで拾ひろいッ子ということを知らさず、生うみの子よりも可愛がって養育された大恩の、万分一も返す事の出来なかったのは今さら残念な事だと、既往こしかたを懐おもいめぐらして欝ふさぎはじめましたから、兼松が側はたから種々いろ/\と言い慰めて気を散じさせ、翌日共に泉村の寺を尋ねました。寺は曹洞宗そうどうしゅうで、清谷山せいこくざん福泉寺と申して境内は手広でございますが、土地の風習で何いずれの寺にも境内には墓所はかしょを置きませんで、近所の山へ葬りまして、回向えこうの時は坊さんが其の山へ出張でばる事ですから、長二も福泉寺の和尚に面会して多分の布施を納め、先祖の過去帳を調べて両親の戒名を書入れて貰い、それより和尚の案内で湯河原村の向山にある先祖の墓に参詣いたしたので、婆さんは喋りませんが、寺の和尚から、藤屋の客は棄児の二助だということが近所へ知れかゝって来ましたから、疵の痛みが癒ったを幸い、十一月の初旬はじめに江戸へ立帰りました。


 ほぼこの原作通りだったと思う。私は、この場面を入れたことは非常に良かったと思う。育ての親の先祖にも挨拶をし、その後、谷中天龍院でも母の十三回忌を盛大に供養することで、長二の育ての親への深い感謝の念が伝わった。「不器用」で「信心深い」長二。やはり健さんだなぁ。
この場面を含め湯河原宿が約25分。

 さて江戸に戻り、育ての親の供養を谷中の天龍院で行なった長二。天龍院の和尚につい自分の出生の秘密を語ってしまったため、檀家の亀甲屋幸兵衛に、そのことが知れてしまう。この亀甲屋の描写も、しっかり語る。
 ・年のころ五十一、二
 ・色の白い鼻すじの高い、眼の力んだ丸顔で、中肉中背
 ・糸織藍万の袷に、琉球紬の下着を袷重ねにして
 ・茶献上の帯で、小紋の絽の一重羽織を着て、
 ・珊瑚の六部球の緒締に、金無垢の前金物を打った金革の煙草入れは長門の筒差
 という、金持ちの姿が描かれる。長二とは好対照なのだ。この身なりの違いから、とても幸兵衛と長二の間に遺伝的なつながりは想像できない。

 住職の話から亀甲屋が、内心では自分達夫婦が捨てた子が長二なのだろうと察し、出来たばかりの柳橋の別荘に近いから、そのうち本所に伺います、と長二に言ったところで、雲助は切れ場とした。
 私には、非常に唐突な感じだった。あと15分もあれば、本所の長二の家に幸兵衛とお柳夫婦が訪ね、長二が、お柳が実の母親では、と最初に疑い始めるところまで行って、お開きとできたはず。お柳がまだ登場しない段階なら、谷中天龍院の序、という印象だ。


 そんな疑問を抱えたまま、居残り会レギュラーのYさんと、私のブログへのコメントをきっかけに初めてお会いできたOさんとの三人で居残りだ。
 以前にリーダーSさんが見つけた居酒屋で、まずは生ビールで開演(?)。三人で、あの二席目の切れ場についてあれこれ。お二人は、どちらかと言うとあれで良かった派だったが、私はその先まで行って欲しかったなぁ。
 新入会員(?)のOさんは、生の落語歴は私やYさんよりずっと長く、志ん朝だって寄席で聴いている。うらやまし~い。そして、相撲にも詳しくYさんと話が弾むこと。Yさんとは年齢も近く、二人はさっそくFacebookの友達になるようだ。YさんとOさんは、他にも志ん五や市馬が好きなことも共通している。文楽の没年を私が昭和43年と間違えると、二人揃って「昭和46年」と返す。なかなか鋭いのだよ。
 Oさんは礼儀正しく大人の付き合い方のできる方で、他の居残り会メンバーにもぜひご紹介したい。落語を介したこういった縁がうれしい。つみれ鍋などをいただきながら、菊川の二合徳利が、さて何本空いたのか・・・・・・。せっかく雲助のお蔭(?)で居残り会を早めに始めることができたのだが、帰宅は日付変更線を越えていた。

 雲助の次回、連休明けの12月24日というのは、今年の仕事納めの週でもあり、今の時点ではチケットを買うことはできないなぁ。しかし、『請地の土手』は、気になるなぁ。
 円朝が新聞に連載はしたが、すでに引退しており自ら高座にかけることはなかったネタ。だから、原作に忠実であることも重要なのだが、雲助が一席目のマクラで指摘した志ん生流の刈り込みの改訂があっても良いように思う。円朝だって、もじ高座にかけたなら、文字で書いた原作とは演出も替えるのではなかろうか。言いにくい場面などは、良い意味で割愛することも可、と私は思う。だから、あらためて今松の通しも、貴重な試みだったと思う。しかし、次回があるなら、今松には、坂倉屋の娘お島はぜひ登場させて欲しいものだ。

 さて、お島が登場したとは言え、雲助の一席目だけをとってマイベスト十席にすることには、腰が引ける。それは、マクラで今松のことを語らなかったことが、どうしても引っかかるからだ。やはり、同じ噺に違った個性で挑んでいる同門の噺家のことを、彼の口からも冒頭でぜひ語って欲しかった、と思うのである。


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by kogotokoubei | 2013-11-19 06:05 | 落語会 | Comments(6)
この会も会場も一月以来。あの時は、ゲストの一之輔が『明烏』で主役を喰った印象だった。

 今回は、ネタ出しが私の名(?)。運良くチケットが手に入ったが、その後にすぐ完売になっていた。会場もほぼ満席。

次のような構成だった。
------------------------------
(開口一番 桂 三木男『だくだく』)
柳家三三 『皿屋敷』
柳家三三 『蒟蒻問答』
(仲入り)
柳家三三 『小言幸兵衛』
------------------------------

桂三木男『だくだく』 (25分 *19:01~)
 マクラで祖父三代目三木助や叔父四代目三木助の話、談志が亡くなった時のテレビのインタビューのことなどを並べていたが、閉口した。あえて“七光り”をネタにしているのだろうが、聴く者にとっては嫌味になり、野暮である。
 本編はそんなに悪くはなかった。ある意味、落語らしい噺と言ってよいだろう。演者の芸で、どれだけ何もなかった長屋の一室に書割の光景がイメージできるかが鍵となる。
 引っ越してきた男が知り合いの絵師に家財道具やら金庫、猫などを部屋の壁に書いてもらい、目の悪い泥棒がやってきて本物と間違う。その後、男と泥棒が「つもり」になって立ち回りをするわけだが、男と泥棒の会話のテンポも悪くないし、二人の「つもり」のからみも楽しめた。だから、なおさらネタと無関係なマクラがもったいなかった。

柳家三三『皿屋敷』 (23分)
 白鳥が弟子をとったとのこと。三三も去年だけ三人も弟子志願者があり一人を採用。落語協会あてでメールの志願者もいたらしい。楽屋で二ツ目にそのことを言ったら大いにうけたが、その理由が「(三三)師匠にですか?!」が、可笑しかった。
 本編は、ちょっと季節感に無理がある夏のネタ。ソツのない高座だったが、どうしても“旬”にはこだわってしまうので、十分には楽しめなかった。
 配布されたチラシによると16日土曜日も同じ会場で独演会があるようで、『二番煎じ』と『ねずみ穴』がネタ出しされている。まさに、この時期に相応しいネタなので、“温度差”を感じた。

柳家三三『蒟蒻問答』 (36分)
 いったん下がってから再登場。旭川に昇太で仕事に行ったことから、笑点(三波伸介や歌丸のこと)→大喜利→問答、とつないで本編へ。こういうマクラからの無理ない流れは聴いていて心地よい。
 権助が楽しかった。江戸を追われて上州安中でにわか坊主になった男との酒盛りで、「どりゃ、おらが踊りでもするか」「おう踊ってくれ」「ゆかんば踊り」「縁起でもねぇ」「そんじゃぁ、穴掘り音頭がええか、それとも骸骨(げいこつ)節?」、が可笑しい。
 『首提灯』と並んで“見る落語”の代表格。『野ざらし』の作者としても有名な二代目(三代目と数える場合もある)林屋正蔵作。この噺、越前永平寺の僧沙弥托善が寺に問答を挑みに来るのだが、そのきっかけが門前の石に「葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず」と刻んであるからなのだが、その意味は意外に知らない人が多いと思うので、お仕着せがましく補足。
 仏教では「葷」(くん)と呼ばれる臭いの強い野菜類を避け、「葷」を避けた菜食が「禁葷食」と呼ばれる。Wikipediaqの「禁葷食」から引用。
Wikipedia「禁葷食」

禅宗などの寺院に行くと、「不許葷酒入山門」あるいは「不許葷肉入山門」などと刻んだ石碑が建っていることが多い。これは「葷酒(葷肉)の山門に入るを許さず」と読み、肉や生臭い野菜を食べたり酒を飲んだものは、修行の場に相応しくないので立ち入りを禁ずるという意味である。


 だから、「葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず」と石碑にあるので禅寺と思い問答を挑んだ、というわけ。ニンニクのきいたニラレバ食べながら酒を呑んだ後は、とても禅寺に入れてもらえないのだ^^

柳家三三『小言幸兵衛』 (37分 *~21:15)
 楽しみにしていたトリネタ。マクラは“小言”ということで、先代文治の逸話が中心。“ラッキーおじさん”である。晩年は大泉学園に住んでおり、新宿末広亭に通うには池袋から山手線、高田馬場をアナウンスで「たかだのばば」と言うのを聞くたびに、毎日弟子に向かって「たか“た”のばばだ!」と怒っていた、というのが何度聴いても可笑しい。
 プログラムには、次のようにあった。

ネタおろし以来ちょっとほっといたつもりがなんと十年ぶり。もうね、新鮮で新鮮で楽しいですわ。


 この“新鮮さ”が結構な高座につながったと思う。主人公の幸兵衛さん絶好調。近所で小言を撒き散らして帰ってきてから、猫をつかまえて「しっぽ長ぇなぁ。もっと江戸前に短くしろ」には笑った。
 貸し間を借りに来た豆腐屋の物言いへの小言もリズミカルで勢いがあり聴いてきて心地よい。ネタばらしになるが、傑作なクスグリをご紹介。豆腐屋が、子供のできない恋女房の悪口を言った幸兵衛に向かって「どてっ腹に穴開けて機関車を走らせるぞ」と捨て台詞を吐いて泣きながら帰った後、婆さんが笑っているので幸兵衛が訳を聞く。「だって、お腹が線路ならお爺さんの股ぐらあたりが踏み切りで・・・遮断機は下りたまま」。オリジナルだろうか。会場は沸いたなぁ、大人のお客さんが多かったということだ。
 貸し間を借りに来た二人目のは仕立て屋。その家族構成を聞いてからの幸兵衛の仕方話、そして芝居仕立てのサゲまで、非常に楽しい期待通りの内容。この噺としてはブログを書く前、2007年6月に前進座で行なわれた、さん喬・喬太郎親子会における喬太郎の高座の次に印象に残るものだった。サゲは『宗論』のような感じになったが、元気な幸兵衛が活躍する高座、今年のマイベスト十席候補とする。
 ちなみに、密教の真言の呪文は、こうである。Wikipedia「真言」

オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン


「オーン。不空遍照尊よ、大印を有する尊よ、摩尼と蓮華の光明をさし伸べたまえ、フーン。」という意味らしい。難しい・・・・・・。
 
 
 会場では16日のチケットを売っていた。“月例”は三三のほか遊雀、歌奴の会も開催するショーキャンプの主催。今日16日に同じ会場での独演会は談春の会などを主催するサンライズプロモーション。メールでこの会の連絡をもらったのは、結構最近のことだ。どういういきさつでの開催かは分からないが、事前に両方の会のことを知っていたら、さてどちらを選んでいたかは微妙。しかし、間際で知らされても、すでに今日は予定があって行こうにも行けない。残念ではあるが、連日で同じ噺家を聴くというのもなぁ・・・・・・。などと思いながら霞が関駅で千代田線に乗り、表参道でちょうど半蔵門線の急行が来るところで「ラッキー!」と思っていたら、神保町駅で線路に人が落ちて安全確認をしていたとかで、遅れてやって来た車両はすし詰め状態。二子玉川までは朝のラッシュと同様で、座ることができたのも長津田から。とても“ラッキーおじさん”ではなかった。

 満員電車のために疲労困憊で帰り、一杯やりながら録画していた『ごちそうさん』を見たら、とてもブログを書く気力は残っていなかった。さぁ、次の落語会は、あの人のあのネタだ、楽しみだ。
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by kogotokoubei | 2013-11-16 07:53 | 落語会 | Comments(5)
特定秘密保護法案の審議において、自民党内の足並みの乱れや、この法案が事前にほとんど精査されずに成立を目指した拙速さが、浮き彫りになってきた。

 まず、維新が提案した第三者機関設置に関する、解釈の乱れを時事から紹介。
「時事トッドコム」の該当記事

第三者機関に否定的=秘密法案、政府内に乱れ−岡田副大臣

 衆院国家安全保障特別委員会は14日午前、特定秘密保護法案の質疑を継続した。先の特別委で森雅子内閣府特命担当相が検討を表明した特定秘密指定の妥当性をチェックするための第三者機関の設置について、岡田広内閣府副大臣らが否定的な見解を示し、政府内の足並みの乱れが露呈した。
 第三者機関の設置は日本維新の会が求めており、今後の与党との修正協議の焦点。これに関して岡田氏は、「漏えいがわが国の安全保障に著しい支障を与える恐れがある特定秘密の性質から、行政機関以外の第三者が行うことは適当ではない」と述べた。自民党の野中厚氏への答弁。 
 内閣官房の鈴木良之審議官も、同党の左藤章氏の質問に対し、同じ理由で第三者機関の設置に消極的な姿勢を示した。菅義偉官房長官も13日の記者会見で、設置に慎重論を唱えている。(2013/11/14-12:52)


 
 森担当大臣が見せた“脇の甘さを、必死に周囲がカバーしているというのが実態なのだろうが、それだけこの法案について自民党内での準備もまったく不足していた、ということを露呈しいる。

 次に、その森担当相みずから、この法案に不備があることを認めた答弁を東京新聞から引用。
「東京新聞」サイトの該当記事

秘密保護法、成立後も見直し 森担当相が検討表明
2013年11月14日 12時37分

 森雅子内閣府特命担当相は14日午前の衆院国家安全保障特別委員会で、機密を漏らした公務員らへの罰則強化を盛り込んだ特定秘密保護法案に関し、法案成立後に「特定秘密」指定の在り方など制度の見直しを検討する考えを表明した。法案担当の閣僚が修正の余地があると認めた形で、当初の制度設計の問題点があらためて問われそうだ。

 与党と日本維新の会が修正協議入りしたことを念頭に「他党からのさまざまな意見にも耳を傾け、法案成立後も改善を尽くす努力と説明を果たしたい」と述べた。



 成立後に「見直し」をする必要性を認めるのなら、まず内容を見直ししてから議論を始めるのが筋ではないのか。
 
 森担当相としては、「とにかく内容に目をつぶって成立させてよ。後から悪いところは直すから!」というのが本音なのではなかろう。彼女は、「とんでもない役を任された・・・・・・」と後悔してそうだ。彼女は、いわば被害者かもしれない。そう、ホンボシ(?)は、安倍晋三である。

 メディアの反対表明はあまりにも遅すぎたが、相手が失態を見せているのだ、乗じない手はない。

 法案自体にもあらためて明確に大声で反対を唱えるべきだし、こんなお粗末な準備状況で今国会での成立を急いだ政府の責任を糾弾してもらいたい。国会運営そのものにも、我々の血税が費やされているのだから。諸々の人件費などを含め、国会運営にかかる費用を一日当りで割ると約三億円になるらしい。しっかりした準備もしないで、審議を長引かせたら一日三億円無駄にしている、と国民は怒るべきなのだ。


 先日紹介した東京新聞の社説にあったように、ドイツでは日本と逆に「知る権利」を拡大する法案(「報道の自由強化法」)が昨年できた。 2013年11月8日のブログ

 あの戦争についてのけじめのつけ方、原発への対応、そして「知る権利」の拡大と、時代に逆行するかのような「国家情報の隠蔽化」、ドイツと日本の国民、どちらが住みよい社会なのか、そして尊敬に値する国と思われているのか・・・・・・国民は、そして納税者はもっと何等かの手段で怒りを表現しなけらばならないように思う。私も、こんなちっぽけなブログであるが、ダメなものはダメ、と主張したいと思っている。
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by kogotokoubei | 2013-11-14 19:54 | 責任者出て来い! | Comments(4)
寄席や落語会、複数の噺家さんが出演する会で、ネタが“つく”というのは、同じような系統の噺をすることを言う。寄席では楽屋にネタ帳があって、すでにどんなネタが出たかを確認し、つかない噺を選ぶのが落語の世界の常識となっている。

 どんな噺同士が“つく”のかを、少し例示してみよう。

 □廓噺:『品川心中』『明烏』『五人廻し』『文違い』など。
 □八五郎(や熊五郎)と旦那(や大家)の会話が中心の噺:(例)『道灌』『つる』『天災』など
 □与太郎が出てくる噺:(例)『孝行糖』『道具屋』『かぼちゃや』『錦の袈裟』など
 □若旦那が出てくる噺:(例)『船徳』『湯屋番』『唐茄子屋政談』『紙屑屋』『幇間腹』など
 □幇間が出てくる噺:[例)『鰻の幇間』『つるつる』『幇間腹』『富久』など
 □悋気の噺:(例)『悋気の独楽』『悋気の火の玉』
 □大家に長屋の連中が呼ばれる噺:(例)『長屋の花見』『黄金の大黒』など
 □侍が登場する噺:(例)『柳田格之進』『岸流島』『粗忽の使者』『井戸の茶碗』など

 これくらいにしておく。また、同じ系統として分類されなくても、噺の中の特定の場面などが似通っていると、それを“つく”として気にする噺家もいる。

 その代表選手(?)が、古今亭志ん輔ではないかと思う。

 以前に、古今亭志ん輔の日記風ブログ「志ん輔日々是凡日」で、“浅草で『妾馬』をやりたかったが、すでに『天狗裁き』がかかっていたので『子は鎹』に替えた”、という記事を読み、大いに悩んだことがある。
 その時のブログには、大勢の落語愛好家の皆さんから参考となるコメントを頂戴し、恐縮ものだった。
2012年3月10日のブログ

 この謎のおかげ(?)で、『天狗裁き』にいろんな型があることや『羽団扇』というネタがあることを知った。どんなことが勉強になるか、分からないものだ。
2012年3月13日のブログ

さて、またまた「志ん輔日々是凡日」の昨日の記事に次のような内容を発見。
「志ん輔日々是凡日」の11月12日の記事

12時30分 上野鈴本に向かう。
13時15分 楽屋入り。
13時45分 高座は「紙入れ」をやりたかったのだが文菊が「権助提燈」をやっていたので考えた末なんだか匂いが似ているのでやめて「豊竹屋」をやらせて頂く。



 これは、分かりやすい。『紙入れ』も『権助提灯』も、妾が登場する。

 しかし、この“匂いが似ている”という表現、何とも良いなぁ。
 この二席、妾がどちらの噺もしっかり者であるというのも、似た“匂い”をさせている、ということだろうか。

 この“つく”ということ、噺家さんによっては感性の違いもあるだろう。また、聴く客の側も、同じような登場人物(酔っ払い、泥棒、など)や、同じような題材を扱っても、それらの噺の持ち味がずいぶん違って感じるものもあるはずだ。


 そこで、ちょっとしたお遊び。

 先月の二十六日、初めて末広亭で昼夜居続けをした。その時のネタを噺の特徴と一緒に並べてみる。

新宿末広亭 十月下席 六日目 
2013年10月26日 新宿末広亭(昼の部)
<昼の部のネタ>
1.真田小僧(親子)
2.手紙無筆(無筆もの)
3.道具屋(与太郎)
4.鮑のし(夫婦、無心)
5.寄合酒(若い衆)
6.生徒の作文(新作、学校)
7.はなむけ(兄弟、無心)
8.小言念仏(小言)
9.船徳(若旦那)
10.紋三郎稲荷(稲荷)
11.替り目(夫婦、酔っ払い)
12.締め込み(泥棒)
13.茶金(骨董品屋)

<夜の部のネタ>
2013年10月26日 新宿末広亭(夜の部)
1.寿限無(親子)
2.黄金の大黒(長屋、大家)
3.強情灸(兄弟分)
4.睨み合い(新作、情景描写)
5.加賀の千代(夫婦、無心)
6.宗論(父と息子)
7.長短(友人)
8.目黒のさんま(殿様、侍)
9.転失気(坊さん)
10.ぼやき居酒屋(新作、酔っ払い)
11.ざるや(行商)
12.らくだ(長屋、酔っ払い)

 あえて、昼夜含めて“つく”か、あるいはその“匂い”がするか、と考えてみた。

 まず、明確なのは、ブログでも書いたが、昼の部に『鮑のし』(菊生)が出ているのに、夜の部で三三が『加賀の千代』をかけたのは、夫婦の噺で無心のネタで、完全についていると思う。ただし、寄席の昼と夜は別の席、という考えなら問題はない。

 では、『鮑のし』の後に今松が『はなむけ』という珍しいネタを演ったが、これはどうか。無心でついているとは言えるのだが、噺の内容はまったく被っている印象がない。厳密に言えばついている、となるのだろうが、“匂い”は、あまり漂わないなぁ。

 昼の『替り目』(歌る多)と夜の『ぼやき居酒屋』(はん治)は、同じ酔っ払いの噺なんだけど、どうか。

 これも、かたや古典で夫婦の会話中心、かたや新作で居酒屋と客の会話が中心、ということで趣きをだいぶ異なる。そういう意味では、“匂い”は薄い印象。余談だが、新作の方は正式な題は『ぼやき酒屋』のようだが、酒屋ではお酒を売っているお店のイメージなので、私は“居酒屋”の方が合っていると思う。これは、題名に関する“匂い”の問題^^

 こうやって眺めてみると、“つきにくい”噺として『小言念仏』『長短』『ざるや』あたりが挙げられるだろう。
 どうりで、寄席で喜多八の『小言念仏』に出会うことが多いし、雲助一門の『ざるや』が多いのか、と妙に納得。『ざるや』は、その前に『道具屋』(実際にこの日の昼の部で百栄がかけた)が出ていても、つく“匂い”が薄いように思う。かたや路上に古道具を広げての商売で、かたや天秤棒をかついでの行商である。

 “つく”という感性の度合い、噺家によっては結構違うように思う。

 あえて古い話を持ち出すが、3.11の二日前2011年3月9日に行った成城での談春の独演会は『按摩の炬燵』と『木乃伊取り』の二席だった。
2011年4月20日のブログ

 あの二席は両方ともお店の噺で、かつ酒にまつわる噺。ある意味で“つき”まくっていたことを思い出す。志ん輔ならありえない選択だろう。談春の会はチケットが取りにくいこともあるが、あの会あたりから、少し距離を置いてきたように、今になって思う。

 やはり、落語会や寄席では、旬を大事にし、噺の内容にも気配りをする噺家さんが好きなのだ。

 志ん輔のブログから、先月の末広亭、そして3.11直前の落語会まで遡ってしまった。

 あのブログは短い表現に、書き手の思いがギュッと詰まっているような気がして、いろいろ考えてしまうのだ。だから、読むのが楽しみでもある。噺家のブログの中では、ダントツに優れていると、私は思っている。


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by kogotokoubei | 2013-11-13 12:15 | 落語のネタ | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛