噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

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ようやく土曜の末広亭・居続けによる尻の痛さがほぼなくなった。九時間寄席にいるとどんなダメージが体に出るかが、だいたい分かった。桟敷では腰と足にダメージが残り、椅子では確実に尻にくる。当り前か・・・・・・。やはり、居続けの時は、桟敷と椅子の半々が良さそうだ。

 先週の深川での扇辰・兼好の二人会に続き、道楽亭さんの出張寄席。副題が「弾ける二人」。会場は神楽坂で、喜多八とヨーロッパから帰国したばかりの一之輔だ。

こんな構成だった。
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(開口一番 春風亭一力『平林』)
春風亭一之輔 『普段の袴』
柳家喜多八  『二番煎じ』
(仲入り)
柳家喜多八  『短命』
春風亭一之輔 『子は鎹』
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春風亭一力『平林』 (14分 *19:03~)
 たぶん、初。一朝にいる六人の弟子の六人目。協会のサイトで確認すると2009年11月から前座らしいので、もうじき丸四年だから、聴かなかったのが不思議でもあるが、上に一蔵など先輩がいたから出番が少なかったのだろう。見た目は古の噺家の風貌。ちょっと線が細い印象だが、師匠や良い兄弟子に恵まれた環境である。今後の精進を期待したい。

春風亭一之輔『普段の袴』 (39分)
 マクラが約12分。まず、「楽屋がけだるい」「喜多八師匠が、『尻の穴が痛い』とくり返す。別に言わなくてもいいのに」で会場を沸かす。少し早めに会場入りして、階段脇のブロンズ像を見て笑った、とのこと。
そのブロンズ像はこれ。
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 仲入りで携帯で撮ったのだが、少しピンボケ。一之輔の想像では、「なぜ、裸でサックスを吹かなきゃならないのか・・・きっと罰ゲーム」、という空想の物語で会場も大爆笑。詳しくは書かないよ。
 その後は10月10日から23日まで行っていたヨーロッパでの落語公演旅行のこと。ベルリン大学に落研があるのだが、部員は一人。その彼も含む日本語教室において、一之輔への質問が可笑しかった。ポーランドの沖縄を研究している先生との会話も笑えた。
 一之輔とぴっかりが行った欧州公演旅行のことに興味のある方は、下記のFacebookをご覧のほどを。
「一之輔 欧州公演Facebook」
 ネタの舞台である上野広小路、御成街道に関する、いつ聴いても笑える鈴本近くのお店の呼び方、というマクラからこの噺へ。煙草の火玉を袴に落としても「「いや、案じるな。これは、いささかふだんの袴だ」と悠然としていた侍の姿に感動(?)し真似する八五郎の失敗という内容で、いわゆる「おうむ返し」ネタ。
 八五郎が大家に袴を借りに行く場面、まったく人に物を借りる、という態度ではない。このへんが一之輔風、ともいえようか。大家が「祝儀、不祝儀か」と聞くと「そう、祝儀、不祝儀」「そうか、ぶつかったか」「・・・そう、御成街道で祝儀と不祝儀がぶつかっで喧嘩になって、袴はいて仲裁に行く」という会話も楽しい。
 二席目でも言えることだが、一之輔の噺では、いわゆる弱者-大家に対する店子、大人に対する子供、男に対する女、など-を、ただ弱い者として描かない。なぜか堂々と物を借りたり、自分の意見と通すところが、一つの魅力になっているように思う。
 ネタも悪くなかったが、マクラの旅行のエピソードの印象の方が強く残った一席目。

柳家喜多八『二番煎じ』 (39分)
 八月の鈴本以来。どうしても頬がこけているように見えるし、顔色も良くは思えない。しかし、高座では声も出ているし、しっかりこなしている。無理をしているのか、こちらの杞憂なのか、何とも言えないなぁ。
 マクラでは、鈴本の楽屋で雲助から「松坂屋に、甚五郎の獅子頭が売っていた」と聞いて、「まさkぁ」と思いながら見に行った、という話から。本物なら315万では買えないわなぁ。
 本編は、悪くなかったのだが、少し大人しい感じ。特段印象に残る場面がない。この噺は睦会の仲間である鯉昇との比較をしてしまうが、鯉昇の場合は、とにかく飲む、食べる場面での表情などが明確に残る。それに比べて喜多八の場合は、前半の夜回りの場面でも、黒川の旦那の謡にしても、浪花屋の浪花節にしても、いなせな男の「火の用心 さっしゃりやしょう」も、強い印象を与えなかった。後半の番屋での秘密(?)宴会の場面も、それほど弾けない。いちもの喜多八なら、もっと緩急、声の大小などで、メリハリをつけるように思うので、どうしても体調のせいか、と思ってしまうのだ。二席目を期待し、ブロンズを撮りに行った。

柳家喜多八『短命』 (16分)
 仲入り後、マクラは昔の寄席と噺家のこと。定番とも言えるが、これはこの人のこのネタには相応しい話だ。昔の落語家は、お湯を飲んで当りを見回してから初めて話し始めるが、最初は声を出さず口だけ動かして、客を黙らせる、という内容が、本編での無言の芸につながっている。
 十八番と言ってもよいのだろう。伊勢屋の旦那が三人続けて早死にする理由を尋ねる八五郎と隠居との会話が中心のネタ。八五郎が、昭和こいるのような口調で隠居の言葉に応えあり、二人のジェスチャー会話が特長。無言の会話は、人によって好き嫌いの有る演出だが、私は好きだ。
 しかし、この短時間での二席目は、ほとんど体に染み込んだネタ。寄席のネタと言えなくもない。会場も大いに沸いたが、見方によっては、逃げたネタ、と指摘できないこともない。このあたり、どう評価したらいいか難しいところだ。

春風亭一之輔『子は鎹』 (34分 *~21:28)
 ヨーロッパ旅行の話として、ウィーンからスロバキアまでドナウ川で渡った際に出会った男の子、デニス君に千社札をあげた、ということから本編へ。3分ほどのマクラだったが、無理なく直近の話題からつなげるあたりに、この人のセンスの良さが現われている。
 三年前に別れた父親の熊との会話において、亀吉のふてぶてしさが特徴。亀はこの場面で弱さを微塵も見せない。母親が針仕事をもらっている家の子供に侍ごっこで額に傷をつけられ、母が「我慢しとくれ」と亀に言ったという件、亀は「もう平気だよ」と言うのだが熊が泣く場面。それほどジメジメはしていないが、この部分は悪くない。三人の子を持つこの人自身の経験や思いを反映しているようにも思う。
 翌日の鰻屋での再会を約束して熊と別れる際、「寄ってきなよ。うち、すぐそこだよ。あの角を曲がってすぐだよ」は、一般的だが、「いい年増がいるぞ」が笑わせる。亀が帰ってから熊にもらった小遣いの五十銭の出所を母に問い質され、約束を守ってなかなか熊との再会を明かさないため、母が亀を脅かす場面、しっかり玄翁で演ってくれたのも嬉しい。金槌じゅあないんだよね、ここは。ここで初めて亀が泣くので、聴いているほうも、やっぱり九つの子供だったんだ、とホッとする。
 鰻屋の二階で別れた二人が縒りを戻す場面も含め、屈託のない亀吉を中心にした結構な高座だった。あえてお涙頂戴ものにはしないところも評価し、今年のマイベスト十席候補としたい。


 終演後、神楽坂などは滅多に来ないので、一人居残り。この時間になると老舗の店などの大半は締めている。もっとも、そういう店に行くのは、勘定が心配でもある。大衆的な居酒屋が開いていたので入って、最初はビール、その後はハイボール、肴は牛筋味噌煮込み、カツオなどをやりながら、落語会を振り返っていた。
 “弾ける二人”か・・・・・・。一之輔は、しっかり弾けていたが、喜多八は、少し心配だ。高座はソツなくこなしているし、客席もそれなりに反応していたが、私には、とても絶好調とは見えなかった。あんなもんじゃない。貰ったチラシを見ても、結構今後も落語会の予定は入っているけど・・・無理をしていなければいいが。

 先日の扇辰については、良い意味での芸の壁と向き合っている扇辰の葛藤を見た思いがした。この日の喜多八には、一席目の一之輔のマクラで聴いた喜多八の楽屋でのぼやきを笑えない、彼の体調と格闘する姿を想像してしまった。これが杞憂であればいいのだが。

 そんなことを思いながら神楽坂を後にし、日付変更線を超える前には帰宅したのだが、スポーツニュースで上原の活躍を見ているうちに、暦が替わっていた。あの敗戦の後に牽制でお返し。流れは確実にレッドソックス、と嬉しくなり、「まだ、飲むの!?」と替り目の女房のような連れ合いの罵声を浴びながら、つい酒を口にしていたのであった。しかし、コンビニまでおでんを買いに行かせるような暴挙は、私はしないのだった。(当り前か)
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by kogotokoubei | 2013-10-29 00:16 | 落語会 | Comments(12)
さて、初の“居続け”の夜の部である。貸切のお客さんもお帰りになって、椅子席、桟敷とも五割位からの開演だったように思う。しかし、終演時には椅子席、桟敷席とも七割ほどになったような気がする。

 さて、いつものように、出演順にネタ、感想、所用時間を記録しておこう。

開口一番 柳家圭花『壽限無』 (10分 *16:47~)
 初である。師匠の花緑には二ツ目で五人、前座で五人、計十人の噺家の弟子がいるようだが、昼の部の開口一番が九番目の花どんで、夜は十番目のこの人だった。協会のサイトでプロフィールを確認すると昨年四月からの前座のようなので、まだ一年半。それにしては、風貌も噺家風だし、語り口もしっかりしたなかなかの高座だった。なぜ花緑に十人も弟子がいるのか・・・・・・は、分からない。

柳亭市江『黄金の大黒』 (10分)
 市馬の弟子では、一番弟子の市楽は前座の市朗時代によく聴いたのだが、入門時期がそう変わらない二番弟子のこの人は、実は初めてだ。残念ながら、滑舌が良いとは言えない。それと、この噺そのもので私が好きになれないのが、猫のこと。落語とはいえ、愛犬家としては、どうしても犬や猫を虐待する内容では笑えない。ただし、これは本人の責任とはいえないかもしれないが、このネタをかける噺家さんには、できれば猫の部分を外していただきたいと願うばかり。

丸山おさむ 声帯模写 (12分)
 懐かしい深夜放送ネタは嫌いではないのだが、糸居五郎さんのマネはあまり似ていない。しかし、客席は懐メロを一緒に唄っているお客さんもいて、なかなかの芸ではあった。

古今亭志ん陽『強情灸』 (12分)
 十八番のネタをきっちりとこなした。腕に高く積んだ藻草に火を付ける時の“焼き方”を説明する場面、独自のクスグリだろう、“バーベ灸”と言っていたのは結構笑えた。そういった今風の入れ事を加える余裕もありながら、この噺の基本的な流れの中でしっかり客席の笑いもとっていた。若干、昨年の抜擢を心配していたのだが、それは杞憂だったようだ。真打昇進を期に、順調に良くなっているのが確認できた高座。いいよ、この人は。

林家彦いち『睨み合い』 (16分)
 灯油販売車の可笑しな音楽などのマクラから、定評のある新作へ。
 以前あったBSジャパンの落語番組「今どき落語」で見てブログに書いたことがあるが、生で聴くのは初めてだ。
2011年11月19日のブログ
「ドキュメンタリー落語」と称し、「ある晴れた日の夜の上りの京浜東北線での出来事」、という場面設定だ。川口と西川口の間で、“接触事故”で電車が急停車してからの様々な乗客達の姿を描く。

 テレビを見てから書いたことと重複するが、次のような人物像が提示され、会場が大いに沸く。
 ・何の合理的な根拠もなく、頼りにならない勘と経験のみで自説を主張する上司
 ・本音は「何言ってんだこの人?」と思いながらも、「その通り!」と調子よく合わせる部下
 ・周囲を気にすることなく大きな声で、その場にいない人のことを噂する、オバちゃん達
  *このオバちゃん達、「接触事故」という放送を聴いて、「ねぇ、人身事故だって」と
   話をかき回す
 ・「キレ」たフリをするのがかっこいいと思い、“ぶっちゃけ”などの定型フレーズしか
  話せない若者
 昼夜合わせて、もっとも笑いの多かった高座。ネタの完成度の高さを含め、さすがの彦いち。

ホームラン 漫才 (8分)
 ネタの良さ、二人の会話の間、一人づつの個性など、私は中堅の漫才ではこの人達は三本の指に入ると思う。下手の勘太郎が58歳、上手のたにしが63歳なので“中堅”とは言えないかもしれないが、小野ヤスシの弟子だった勘太郎、三波伸介の弟子だったたにしのコンビ結成は昭和57(1982)年と古い。しかし、落語協会に入ったのは7年前の2006年。だから香盤は下なのだが、芸人としての経歴はたっぷりと積んでいる。私は、この人達の漫才が好きだ。
「ホームラン」のホームページ

柳家三三『加賀の千代』 (13分)
 三三の十八番の一つと言ってよいだろう。無難にこなしたのだが、“居続け”としは聴いていて疑問を持った。昼の部の菊生の『鮑のし』と、完全にツク(同じような)ネタある。金に困った甚兵衛さんが、女房に金の無心の策を授かって無心に行く内容だ。金の無心という内容で言えば、今松の『はなむけ』ともツクと言える。寄席の場合、昼の部のネタには夜の部では無関係、という考え方があるのか否か、私は勉強不足で分からないが、できれば他の噺にしてもらいたかった。三三なら、いくらでもネタはある。

春風亭正朝『宗諭』 (16分)
 十八番である。やはりこの人は上手い。そろそろ、あのことも忘れている方も(あるいは知らない片も)多いだろう。罪を憎んで人を憎まず、の精神で芸達者の高座を楽しむ時期にきたのかもしれない。そんな思いで聴いていた。

林家正楽 紙切り (12分)
 実は、ここで正楽師には申し訳ないが、一服させてもらった。

 喫煙室で、昼の部から下手の桟敷一番前で聴いていらっしゃる方とバッタリお会いした。つい煙草の火をつけながら、話しかけた。その方を、仮にAさんとして、つかの間の会話を再現しよう。
  幸兵衛「お互い、昼と夜の居続けですね」
  Aさん「えぇ」-と笑顔-
  幸兵衛「よく来られるんですか」
  Aさん「たまに。二ヵ月に一回くらいです」
  幸兵衛「失礼ですが、どちらから」
  Aさん「新潟です」
  幸兵衛「えっ、ご出張ですか?」
  Aさん「いや、駐車場も一日とめてもそんな高くないから、車で」
  幸兵衛「終わったら、またお車で帰るんですか」
  Aさん「ええ・・・・・・昔は川崎に住んでいて、よくここにも来ていたんですが・・・・・・」
 このへんで、そろそろ正楽の紙切りのことが気になって、お互い喫煙室から出たので、これ以上の会話はなかったが、凄い落語愛好家の方がいらっしゃるのだ、と思い知った。

桂南喬『長短』 (14分)
 一服し、越後の筋金入りの落語愛好家の方との短い会話の後は、お目当ての一人、この人。
「世の中にはいろんなご気性の方がいるもので」の一言から私は「長短だ!」と喜んだ。この高座は、良かった。まず、長さんの表情が良い。もちろん与太郎ではない。あくまで、気の長~い、ゆ~ったりした人。そして、短七の気性もよく現れていて、煙草の吸い方で客席も沸かせる。
 この子供の頃からの性格が好対照な友達同士の会話が、高座に生き生きと描かれた。金馬、小南、そして五代目小さんという複数の名人たちの下で精進してきた噺家の高座は、実に楽しかった。 年末にも思い出したい高座。よって色を赤にして残しておこう。

柳家小満ん『目黒のさんま』 (13分)
 昼の部の仲トリが小はん、そして夜はこの人。“居続け”を決めたのは、この二人の名前も大きい。
 芸人にとって縁起の良いくだものは、“栗”“ざくろ”“あけび”と言われていて、その理由は、みな口を開けて笑っているようだから・・・しかし、あけびは、笑っているのではなくて、あくび・・・という楽しいマクラから『桜鯛』を挟んで本編へ。
 昼の小はんは旬は超越(?)したネタだったが、この人は今が旬、というネタを楽しく演じてくれた。聴いていて、結構入れ事もあるのが楽しい。
 ・(鯛の目玉がギョロっとしているのに比べて)「あの、ナイーブな(秋刀魚の)まなざし」
 ・脂を抜くために蒸した秋刀魚→「秋刀魚のテリーヌ」、ワインは「シャトー オーブリオン」
 などを交え、旬の話をしっかり。聴き終わって、脂が乗ったさんまを食べたくなった。

 仲入りで、喫煙室へ。予想通りAさんもいらっしゃったが、他にもお客さんが多く、目で「どうも」「こちらこそ」と挨拶。その後、Aさんから声がかかった。Aさん、実は扇辰が好きらしくて「楽しみだ」、とおっしゃるので、「扇辰は休みで代演がはん治ですよ」「・・・そうですか・・・でも正蔵が聴ければ」とおっしゃるから、「正蔵も代演が白酒ですよ。壁に貼ってますけど」と余計なことを言うと、「あっ、今日は・・・代演、よく見なかったから・・・」と意気消沈されていた。でも、どうも白酒は聴いたことがないようだったにで「白酒もいいですよ」と言って、お互い席に戻った。

春風亭ぴっかり『転失気』 (18分)
 クイツキは、二ツ目のこの人。柳亭こみちとの交互出演で、この日はこの人。抜擢だ。もちろん主任が兄弟子ということもある。
 一之輔と行っていたヨーロッパの興行のことは、一切なかった。二ツ目の自分がこんな深い席に出ることができるのは・・・コネです、と言うことからマクラをほどほどに、本編へ。
 珍念は、たしかに可愛い。しかし、どうもしっくりこない。その理由の一つは、師匠の真似なのか“金髪”の不思議な髪形のせいもあるだろう。もう、見た目で細工はいらないだろう、ぴっかりちゃん。

笑組 漫才 (9分)
 先に謝っておこう。途中で、「昼の部からずっといらっしゃるお客さんは?」の質問に挙手しないでごめんなさい。しかし、下手桟敷一番前のAさんは、しっかりと手を挙げていた・・・・・・。
 かずお(下手の太ったほう・・・ゴメン)が師匠の好江に入門する際のエピソードが中心。上方なら大助・花子の花子役を、ゆたか(上手)が演じる、いわばしゃべくり漫才の典型で笑わせる。トリに時間を残すため、そして深夜寄席があるので規定時間内に終わらなければならない、という条件での短時間の芸。それでも、しっかり客席を沸かせていた。

柳家はん治『ぼやき居酒屋』 (12分)
 扇辰の代演はこの人。いつものように、ほんわか~という感じで始まった。この人がこの噺なら、結構ネタを知らないお客さんが多そうな客席が笑わないはずがない。しかし、はん治で聴いたネタは、この噺、鯛、背なで~と当代文枝の新作しかないような気がする。他にもあるはず、聴いてみたいものだ。

桃月庵白酒『ざるや』 (9分)
 マクラで代演について語る。「プログラムにありません、私は」「そういうもんなんです、寄席は」「私は、小三治師匠の代演を頼まれたこともあります。協会の人に、『私で、いいんですか?』って聞いたら、『いいんだよ、分かりゃぁしないよ』・・・分かるでしょ!」で大爆笑。
 「でも、寄席は『あっ、小三治、ちょっと太った!?』ということで聴いていただく場所です。代演が誰で、なんて調べて来ちゃいけない」、と続けていたが、私はしっかり調べるよ^^
 本編は、師匠譲りの寄席ならではのネタ。しっかり客席を沸かしてつないだ。株などもやっており縁起をかつぐ客に、口先八町の男(その日、ざるやに務めたばかり?)が応える。
  客「ご祝儀をあげるよ」→ざるや「天にも昇る気持ち!」→客「うれしいねぇ、これ(祝儀)持ってきな」→ 客「ざるやさん、お住まいは?」→ざるや「上野、高台です」→客「財布ごと持ってきな!」 →客「お名前は?」→ざるや「上田昇!」
 最後は、客が「おい、金庫ごとあげな!」となる。縁起よく、時間短く、一門のネタ、結構でした。

鏡味仙三郎社中 太神楽 (11分)
仙三郎と仙三の二人でこなした。仙三も上手くなったが、寄席の吉右衛門も健在。

橘家円太郎『らくだ』 (37分 *~21:05)
 マクラでは、「この後に深夜寄席があって外で並んでいるお客さんもいるので、どうしても時間内に終わってくれ、と言われています。もう、並んでいるらしいんですよ、外に。深夜寄席には・・・・・・将来を担う若手噺家が・・・一人も出ません。たっぷりやらせていただきます」と言い放って始まったが、嫌味はなかった。そして、実際に、深夜寄席を意識せず演って欲しかったと思う高座だった。
 まず、前半、らくだの兄貴分の怖さが結構だった。屑屋が線香代を置いて商売に行こうとする当りから、大家の家に通夜のために酒と煮しめを頼みに行かせるところ、そして八百屋に菜漬の樽を取りに行かせるあたりまで、間違いなく、らくだの兄いは怖そうだ。
 ・「生きてがきに会いてぇと思うなら、行ったほうが・・・・・・」
 ・「もう一杯飲めよ・・・やさしく言っているうちに」
 などなど。
 屑屋が長屋の住人に語る兄貴分についての表現も楽しい。「顔中、バッテン、バッテン、バッテン」「どこの出身かねぇ」、「・・・きっと熊本か長崎」、など。
 そして、屑屋が酒を三杯呑んでからの主客逆転。やはり時間の関係だろう、らくだの頭に口にふくんだ酒を吹きかけてから毟ろうととするところで、「お時間でございます」とサゲた。う~ん、サゲまで聴きたかったぞ。

 
 急いで帰ろうとするお客さんの流れに逆らわずに、あえて、Aさんとは会わずに帰ったのだった。これから越後までのドライブ、お気をつけてと心で言いながら、少し足腰の痛みを感じながら帰路についた。


 初めての昼夜“居続け”だった。少しお尻は痛いが、ある意味“心地よい”痛さだ。誤解なきよう付け加えるが、私はMではない。

 今ようやく夜の部のブログで書き終えて思うことは、昼夜“居続け”は、聴いている時より、ブログに書くのが大変だ、ということ^^

 しかし、一年に一度なら“居続け”をしようか、と思わないでもない。

 昼夜とも読んでいただいた皆さんも、お疲れ様でした。

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by kogotokoubei | 2013-10-27 15:00 | 落語会 | Comments(8)
昨日は、末広亭で初の昼夜“居続け”をしてしまった。

 なぜそうしたかと言うと、

 (1)一度はしてみたかった
 (2)都合が良かった
 (3)顔ぶれが良かった
 (4)体調が良かった
 (5)連れ合いが、「そんなに落語が好きなら、同じ代金なのに一日居なきゃ勿体ないじゃない」と言った

 などの理由がある。

 一番強い理由は金曜の夜に、(5)の発言があったからだなぁ。「よ~し、やってやろうじゃないか」と思ってネットで調べたら、なかなかの顔付け。主任も昼は扇治、夜は円太郎と悪くないし、小満ん、今松、小はんといったベテランの名前に加え昼夜に好きな中堅や若手の噺家が並んでいる。

 当日朝、代演を確認し、新宿に向かったのだった。 途中、昼用に助六、夜用にサンドイッチやピーナッツ、飲料などを買い込んで会場に着いたのが11:30頃。台風の影響による雨がまだ残る中だが、二十人ほと並んでいた。中に入ると椅子席の後ろ五列位が予約席になっていた。好きな下手の桟敷へ。すでに一番前には先客がいらっしゃったので、前から二番目に荷物を置いて喫煙室へ。

 開演時点で、ほぼ六割位の入りだったろうか。仲入り後には椅子席はほぼ満席、桟敷も七割ほどは入っていたように思う。

 長くなるので、昼と夜を分けて書こうと思う。出演順にネタ、感想と所要時間を記したい。良かったと思う高座にをつける。

開口一番 柳家花どん『真田小僧』 (10分 *11:52~)
 一昨年、栄枝が主任の末広亭で聴いて以来。あの時は『金明竹』だったが、私の方が上手いと思った。二年たって成長は感じるが、口をもっと開けてはっきりしゃべるとさらに良くなるように思う。

入船亭小扇『手紙無筆』 (9分)
 日替わりで、この日は久し振りに聴く小辰。聴きたかった人の一人。持ち味の切れの良い語り口は相変わらずなのだが、全体的に、やや単調な印象。もう少し緩急というか、“間”の使い方に工夫がいるかもしれない。そろそろ二ツ目における曲がり角にさしかかってきたか。しかし、この人には期待している。

にゃん子・金魚 漫才 (7分)
 ホンキートークの代演。金魚の頭はハロウィーン仕様。十八番のネタで会場を沸かせた。

春風亭百栄『道具屋』 (17分)
 この人の古典は久し振りに聴く。と言っても過去に聴いたのは地噺の『お血脈』だけなので、真っ当な(?)な古典は初めてかもしれない。意外と言うと失礼かもしれないが、ほとんど入れ事なしの内容。しかし、よく笑ってくれるお客さんは沸いていた。ほう、寄席ではこういう噺も演るんだ、と新たな発見をしたような思いだった。

古今亭菊生『鮑のし』 (13分)
 古今亭の十八番を聴かせてくれたが、どうも“間”が良くない。必要とは思われない、いや、ポンポンと畳み掛けて欲しい会話でも一瞬間隔を空けるので、聴いている方のリズムが狂う。師匠であり父である円菊譲りというわけでもなかろう。緩急のリズムがもっと欲しい、という印象。

東京ガールズ 邦楽バラエティ (11分)
 十八番の芸。最後の「京鹿子娘道成寺」は結構だった。

橘家文左衛門『寄合酒』 (11分)
 ちょっと赤ら顔。昨夜の酒か・・・・・・。ということで選んだ訳ではないだろうがこの噺。この人にしては大人しい高座。

古今亭菊龍 漫談&『生徒の作文』 (17分)
 以前にも聴いたマクラだが、刑務所への慰問の後、出所した男から浅草で声をかけられた、というネタは結構笑える。客が帰らないし笑う、ということで刑務所がもっともやりやすく、スランプになると慰問に行く、というのはネタではなくマジかな。噺の方は演者によっていろいろ工夫のできる新作だったが、私は漫談の方がおもしろかった。

マギー隆司 奇術 (10分)
 なんとも言えない雰囲気の芸。素人臭さが売りなのだろうが、本当に素人っぽいのが、何とも・・・・・・。

むかし家今松『はなむけ』 (13分)
 お目当ての一人。相変わらず(?)の珍しい噺で、初めて聴いた。後から調べたら談志が「百席」で音源として残しているようだ。師匠馬生もネタに持っていたのだろうか。
 金に困った男、ずいぶん前に兄が北海道に旅に行く時に餞別をあげたことを女房が覚えていた。そこで、ケチな兄のところに旅に行くからと嘘をついてお返しをもらおう、と金策に行く。この兄弟の会話が題材。
 サゲでは狂歌の応酬。兄が金を貸してくれないので怒って帰る間際に弟が一発放屁。
 弟「旅立ちに オナラ一つの 置き土産」
 兄「あまりの臭さに はなむけもせず」
 最後はやや尾篭なネタだが、この人が演ると下品にならない。寄席ならではの噺を相応しい人が爽やかに、という印象。

柳家さん八『小言念仏』 (15分)
 たぶん初めて聴くベテラン。老人ネタのマクラから本編へ。会場にはこのネタを初めて聴くお客さんも多かったようで沸いていたが、私はどうしても小三治、そして喜多八と比べてしまう。全体的に語り口の荒っぽさが気になった。

とんぼ・まさみ 漫才 (14分)
 小菊の代演で、この漫才はないだろう。昼夜でハズレが少ない一日だったが、唯一のハズレと言ってよい。関西出身なのに、掛け合いのリズムが噛み合っていない。

柳家小はん『船徳』 (16分)
 昭和16年生まれで35年に三代目桂三木助に入門しているが、翌年三木助がなくなって五代目小さん門下に移籍している。二年前の一月人形町らくだ亭で『へっつい幽霊』を聴いて以来。あの時は足元があやしかったが、今回は体調は良さそうだ。下手の桟敷なので、出囃子がなってから控えている様子も見えるが、しっかり姿勢良く立ってから高座に上がった。
 ネタの季節感のことは言うまい。しっかりした高座が結構だった。マクラでは「勘当された若旦那なんてぇものは、小朝に離婚された○○のようなもので」とやって笑いを誘う。徳が船頭になるのが、千住のおじさんが「おまえのこれまでの遊びを生かさなきゃ勿体ない。船宿の主人になりなさい。そのためには船頭のことも知らなきゃならないから、まず船頭になれ」という助言があったから、という設定は初めて聴いたなぁ。途中に挟まる、「あまりに暑くて、ニワトリがゆで卵を産んだ」などのクスグリも可笑しかった。徳が漕ぎはじめて調子が出てきて、「惚れて通えば千里も一里」と唄う様子なども悪くない。この席で仲とりを務めるベテランの高座を十分に楽しめた。

 そろそろ腰や足が少し痛くなってきた。夜の部からは椅子席だな、と思いながら外で一服。

入船亭扇里『紋三郎稲荷』 (12分)
 クイツキは主任扇治の弟弟子のこの人。同じ末広亭、五月の中席以来。その時の『持参金』よりは、格段に良い印象。端正で真面目な高座は、ややもすると軽い、笑いの少ない高座で流れてしまうのだが、この高座ではネタの可笑しさを的確に表現できていた。基本はできているように思うので、今後もう少し緩急が程よくつけて、“間”を活かすようになるのを期待したい。

ペペ桜井 ギター漫談 (11分)
 十八番の芸の途中で普段はやらないネタを挟んだのだろう、言いかけて忘れたようでやめた。慣れないことはやるものではない、といった反省が顔色に表れていた。しかし、最後の芸、体に染み込んだと思われる『禁じられた遊び』を弾きながらの「浪花節だよ人生は」には、団体さんも含め会場が沸いた。

三遊亭歌る多 漫談&『替り目』 (16分)
 師匠の円歌から生ビールを禁止されたことや、夏に久し振りにビヤホールに行ったなどの漫談風のマクラからネタへ。酔った亭主が女房がおでんを買いに行ったと思って独り言を言う場面で、「今日の仲入り後は若手が多くでいいけど、いつもは先輩ばかりで小さくなってなくちゃならない」と酔って言うのが、結構可笑しかった。東京の女流落語家の草分け、三十年を超える芸歴は伊達ではない、と思わせた高座。

三遊亭萬窓『締め込み』 (13分)
 膝前はこの人。ここまでの中で、もっとも正当な古典を聴いた、そんな印象だった。無理な入れ事なども一切ないが、喧嘩をする夫婦役と泥棒との会話、仕種で自然と客席の笑いが起こる。時間の関係だろう、「うんか出刃か、うんでばか」の科白につながる夫婦の馴れ初めの件は省略されていたが、それもまったく噺の面白さにマイナスになっていなかった。亭主が放り投げた鉄瓶の熱湯の熱さで床下から飛び出してからの会話で、亭主が「あんた喧嘩の理由を知ってんのかい」への返答、一瞬の間のあとで「そこです」、が効いていた。菊生には、ぜひ、この“間”の取り方を学んで欲しい、と聴きながら思った。
 この人の実力は、もっと認められていいだろう。今年池袋の独演会で聴いた『山崎屋』のような長講も良かったが、こういう寄席に合った小品と言える滑稽噺も、聴く者を江戸や明治の長屋にしっかり運んでくれる芸達者だ。

翁家和楽社中 太神楽 (9分)
 和楽の顔を拝めて、ほっとした。もう八十歳だからねぇ。小楽、そして小花の三人。小花の芸、だんだんと緊張せず見ることができるようになってきた。以前は、傘から鞠を落すこともあったから、日々精進しているのだろうと思う。

入船亭扇治『茶金』 (32分 *~16:38)
 同じ末広亭で聴くにしても、トリで初めてこの人の実力の高さ、独特の味わいが分かった気がする。上方の『はてなの茶碗』が東京で『茶金』、それだけ主人公は油屋(扇治版では八五郎)よりも骨董屋茶屋金兵衛のように思うが、その金兵衛役にピッタリである。冒頭のお茶屋の主と八五郎のやりとりの段階では、少し展開が遅すぎるように思ったが、茶屋金兵衛の出番から高座も引き締まった。この噺、ものの値段についての、結構深~い内容であるように思うが、原典が十返舎一九の『世中貧豊諭(よのなかひんぷくろん』だと言うから、江戸の戯作者の凄さをあらためて思い知る。


 さぁ、昼の部が終演。椅子席に移動してピーナッツやお茶、サンドイッチの入ったポリ袋を前の座席にひっかけてから、夜の部にそなえて一服した。まだ、体調的には問題なし。あと四時間余りだ。
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by kogotokoubei | 2013-10-27 07:43 | 落語会 | Comments(0)
10月26日は、七代目林家正蔵の命日。明治27(1894)年3月31日生まれで、昭和24(1949)年に旅立っている。

 初代林家三平の父であり、当代正蔵の祖父にあたる。正蔵と言うと、先代の彦六の正蔵の印象が強いが、明るい芸風は好対照だが七代目は金馬とともに東宝名人会の人気者だったようだ。

 八代目の彦六の正蔵も、小さんの名跡を争った上で海老名家に頼んで正蔵を名乗った経緯があるが、七代目正蔵の襲名にも似たようなドラマがあったことは、あまり知られていないように思う。

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 平凡社から平成元年(1989年)に発行された『古今東西落語家事典』から引用。

 東京・三の輪の生まれ。穴蔵屋(角風呂製造業)のかたわらで天狗連で活躍。大正九年頃、今村信雄(落語評論家)の紹介で初代柳家三語楼に入門、柳家三平を名乗る。新内が得意で、弾き語りをこなす腕前と、生来の器用さと、三語楼譲りの近代的ギャグを使った演出が受けて、大正十三年三月、七代目柳家小三治を襲名する。しかし、昭和四年、五代目三升家小勝を会長とする東京落語協会では、三代目柳家小さんの末の弟子小ゑん(高橋栄次郎)に小三治を襲名させたいということになり、当時柳家三語楼を会長とする落語協会に属していたこの海老名の小三治に名跡を返すように求めたが、小三治が承知しなかったための「二人小三治」問題が起こった。結局は調停もあって昭和五年二月、海老名家側が七代目林家正蔵を襲名してケリがつく。
 その後、春風亭柳橋・柳家金語楼らとともに芸術協会設立に参画、理事長を務めた。

 文中の今村信雄は、父の今村次郎の誤りだろう。

 小三治を名乗った噺家は、初代、五代目、そして九代目が小さんになっている。だからこういった騒動になるわけだ。

 コロムビアから出ている過去のSP盤音源のシリーズに七代目正蔵の『花見小僧』が収録されている。
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落語蔵出しシリーズ 第十巻(コロムビア)

1. 六尺棒(三代目 三遊亭圓馬)
2. 子ほめ(五代目 笑福亭松鶴)
3. 御同伴(羽織の遊び)(七代目 春風亭柳枝)
4. 夜桜(八代目 桂文治)
5. 祝い大黒(初代 桂春團治)
6. 花見小僧(七代目 林家正蔵)
7. 豚カツ(初代 柳家権太樓)
8. 妻を語る(三代目 三遊亭歌笑)

 YouTubeでお聞きください。

 頭に手をあてて「どうもすいません」のギャグは、この人が元祖らしいが、その軽妙な語り口、頭の良さを感じるクスグリが、なるほど人気者だったであろうことが分かる。
 青森で風土病にかかり、五十六歳で旅立った。ちなみに長男の初代三平も五十代だったなぁ。しかし、九代目正蔵、二代目三平は長生きして、ぜひ祖父から父に継承された笑いのDNAを高座で発揮して欲しいものだ。彼らも、この音源を今日は聴いているだろうか・・・・・・。


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by kogotokoubei | 2013-10-26 09:44 | 今日は何の日 | Comments(0)
 道楽亭さんの出張寄席。先週に続く扇辰と、七月の新文芸坐以来の兼好。会場は椅子席が232席とサイトに記載されていたが、終演時でも果たして七割入っていたかどうか。この二人では少ない気がするが、場所のせいだろうか。私を含め都心に住まない人にとって深川は遠い印象を受けるが、地下鉄の駅では日本橋劇場や日本橋社会教育会館がある水天宮前の隣り駅、清澄白河なんだがなぁ。でも渋谷や新宿、池袋あたりに比べると少し遠いのも事実。

 道楽亭さんのサイトや配布されたチラシに、こんな謳い文句が書かれている。「道楽亭」サイトの該当ページ
長岡人と会津人、幕末、ともに朝敵の汚名を冠った藩のご出身だからか、
「気が合うんです」と仰るおふたりの落語会。
落語の方のハーモニーも抜群です。
各二席、お楽しみください。

 ページは残っているが、「ご来場ありがとうございました」の文字が記載されている。しっかりサイトの管理をしているのは、いまだに終了した十月の会が残ったままで次回(12月)の案内が掲載されていない小学館らくだ亭のサイトと好対照である。小学館の関係者は誰も気づいていないのか・・・・・・。

 さて、この二人が戊辰戦争で薩長軍に敗れた藩の出身同士という以外の結びつきがあることは、兼好の二席目のマクラで明かされた。

こんな構成だった。
--------------------------------
(開口一番 雷門音助『たらちね』)
入船亭扇辰 『野ざらし』
三遊亭兼好 『茶の湯』
(仲入り)
三遊亭兼好 『日和違い』
入船亭扇辰 『竹の水仙』
--------------------------------

雷門音助『たらちね』 (14分 *19:02~)
 今年七月の国立演芸場、芸協の真打昇進披露興行(主任は笑好)以来。あらためて、好印象を持った。口調ははっきりしているし、仕草も悪くない。芸協サイトのプロフィール欄に詳しいことが記載されていないので入門時期などは分からないが、先週の開口一番と比べてずっとマシ。会場を温める役割を果たしたし、前座仕事もしっかりこなしていた。今後も聴きたい気にさせてくれた。

入船亭扇辰『野ざらし』 (23分)
 会場を一瞬見渡し、マクラなしでこの噺。去年は杜のホールはしもとで聴いて、マイベスト十席に堂々と(?)と入賞したネタ。
2012年7月6日のブログ
 今年も三田落語会で聴いている。あの時は、手拭いが懐からなかなか出ない、というハプニングがあったなぁ。
 通しでなかなか聴けない噺なのだが、扇辰は最後までキッチリ。八五郎が向島で唄い暴れる場面は、相変わらず結構。烏ではなくムクドリが藪から出た後で、烏が風邪でムクドリに代演(?)を頼む会話も楽しい。長屋に帰ってからオツな年増の幽霊を八五郎が待つ場面で、意外なクスグリが入った。開口一番の音助のネタを借りて、大家が嫁入りする女性を連れてくる、というギャグを入れたのだ。この人にすると、非常に珍しいお遊びだと思う。しかし、残念ながらそこでリズムが狂ったようだ。本来は隣りに向かって「先生、そっちにコツは行ってませんか。もしコツが間違って行ったら、八の家は隣りだって教えてやってくださいよ」と言うべきところを、「大家さん、そっちに~」と言い間違えてしまった。幇間の新潮のはしゃぎ方も可笑しく、本来の「馬の骨」でサゲ。
 全体は非常に良かったので、この人らしくないクスグリを挟んだことによるリズムの乱れが残念だった。ここ最近、喬太郎、白酒との二人会があったが、そういった手強い相手との会を経て、扇辰に何か思うことがあったのだろうか。この人の高座に、無理に笑いをとるような演出は一切無用だと私は思うが、噺家も人間。いろいろ思い悩むこともあるだろうし、落語が生き物であり、一期一会ということを思うと、ああいった試みも悪くなかったと思うべきなのかなぁ。非常に悩ましい問題だ。

三遊亭兼好『茶の湯』 (35分)
 高齢者の趣味における男女の違い、というマクラが本編に相応しかったし、可笑しかった。女性のフラダンス、男性の陶芸などのことから、女性は自分の趣味を友人と共有しようとするので、寄席や落語会にも連れだって来る。男性は、自分だけのものとして他人からは隠しがちなので、寄席や落語会も一人の人が多い、というのは結構当っているだろう。高齢者同士の男性の会話として、「へぇ、落語お好きなんですか。私はまだ生の落語聴いてことがないので、ぜひ連れて行ってください」「・・・あまり面白くないですよ」というのは、現実にありそうだ。特に寄席は七割はつまらないと思って行ったほいがいいからね。
 さて、本編。この人のこういう滑稽噺を聴くと、やはりただ者ではないと思う。根岸に隠居する旦那と小僧の定吉との会話も楽しい。根岸については、お約束とも言えるある一門のクスグリも程よく笑えた。そして、旦那と定吉による、とても飲めるしろものとはいえないワサビまでたっぷり入ったお茶や、油まみれの饅頭を作る描写も結構。定吉の鋭い言葉に、一瞬の間を置いて返す旦那の語り口なども、笑いを増幅する。そして、長屋の三人、豆腐屋・鳶の頭・手習いの先生、が呼ばれた茶の湯での悶絶は、表情と仕草だけで言葉のない演出が見事。これだから生の落語には行かなきゃならない。『蒟蒻問答』や『首提灯』は、ネタ自体が、“見る落語”としての特性を持っているが、この噺を“見て楽しむ”落語に仕立てた兼好の芸は高く評価できると思う。
 無理なく笑えるマクラと、無言の芸が利いた高座、今年のマイベスト十席候補としたい。なお、このネタについては相当前に書いたことがあるので、ご興味のある方はご覧のほどを。
2009年11月5日のブログ

三遊亭兼好『日和違い』 (15分)
 中入り後、再登場。マクラで、入門後三年半ほどし、それまでは一門の先輩の会、および“同じような境遇”の立川流の噺家の会にしか前座に呼ばれなかったのに、初めて落語協会の落語家で声をかけてくれたのが扇辰だったと明かす。ちなみに兼好が入門した平成10(1998)年10月。それから三年半だと扇辰が真打に昇進した平成14(2002)年3月と辻褄が合うから、真打になってすぐの頃に兼好を開口一番に頼んだと察する。
 天気予報のことに話をつないで本編へ。この噺は上方が元。枝雀の音源は大好きだ。東京の噺家さんで聴いたのは鯉昇についで二人目。「扇辰師匠にはたっぷり演っていただきます」と言って短縮したが、噺本来の可笑しさは十分に伝わった。天気が気になる男がいろんな人に尋ねるのだが、歯医者に天気を聞いたら、「ハレルねぇ」、魚屋に聞くと、「本ブリだ」、神父さんに聞いたら、「アーメン」でサゲた。
 後で「あれで15分!?」と思ったほどマクラも含めで中身のあった高座。この人が寄席に出ないのが残念でならない。

入船亭扇辰『竹の水仙』 (46分 *~21:30)
 マクラでは週末に長崎に行くのだが、さて飛行機が飛ぶのかどうか。最近の天気予報は当たる、とか余計なことを・・・・・・と兼好のマクラを少しいじった。
 本編は甚五郎もの。扇辰の甚五郎ものは三代目三木助-師匠扇橋と伝承されている『ねずみ』『三井の大黒』を聴いたことがあるが、この噺は初めてだ。今やチケットが取りにくい二人会の相手、喬太郎のこのネタは定評がある。喬太郎は、先日紹介した『落語こてんパン』で、この噺を橘家文蔵から了解を得て文蔵の高座を袖で聴いてネタにした、と書いている。また、上方の浪曲師、先代京山幸枝若の十八番であったとも同書で紹介している。
 さて、扇辰のこの噺、設定は喬太郎とほぼ似ているが、少しづつ違っている。甚五郎が無一文で泊っているのが鳴海宿というのは同じだが。宿の名は喬太郎が大松屋だが、扇辰は大杉屋。甚五郎の作った竹の水仙に目を止めたのは、喬太郎は毛利候で扇辰は細川候。
 細川候の家来で竹の水仙を買う交渉役を担うのが、小泉進次郎。う~ん、ネーミングでもこの人のイメージにはない遊びがあった。
 『抜け雀』に似た噺だが、こちらは泊り客の素性が明らかになり、それも、あの名人左甚五郎、というところが違う。まったく客の来ない宿の夫婦の、強い女房と弱い亭主とのやりとりが、冒頭の聴かせどころだが、扇辰の女房は、本当に怖そうだ。十日間、朝、昼、夕、寝る前に一升づつ、日に四升の酒を飲む、汚い身なりをした客。女房は一文無しではないかと訝り、これまでの酒代だけでも貰って来いと亭主に言う。亭主は、その客が来た時に「手付に百両も預けようか」と言っていたから大丈夫と言って、取り立てに行こうとしない。「私は家付きの娘、おまえさんは養子、八年目。客を見る私の目に狂いはない」と亭主を睨みつけるのだが、その目の演技が結構だった。
 この、亭主が“養子で八年目”という科白が、噺の中で効果的に使われる。たとえば、一晩徹夜して竹の水仙が完成した時、甚五郎が手を打って宿の主人を呼ぼうとするが、「お~い、あるじ~」などと言っても、亭主は布団に入ったままで出て来ない。甚五郎は何度か呼び続ける。甚五郎、「こうなれば、奥の手」と「お~い、養子ぃ~、八年目ぇ~」の声で、主が顔を真っ赤にして二階に駆け上がるのは、想定通りとは言え楽しかった。
 宿の亭主が、竹の水仙を見ても何か分からないので、甚五郎が「おぬし、目は見えておるか」「えぇ、右が1.2で」と言わせるあたりも、これまでの扇辰のイメージとは違うギャグではなかろうか。
 喬太郎版では百両で売れる竹の水仙だが、扇辰は細川候に三百両で買わせた。最後は、この女房らしい勘繰りで、「お前さん、あんたは甚五郎名人にずいぶん失礼なことをしたよ。“ボロ”だとか言ったよ。だから、きっと、ニコっと笑って、持っているノミで刺されるよ。こうやって紐を腰に結んでおくから、あぶなくなったら手を打つんだよ、私が引っ張るから」という細工をさせるのだが、あの演出は果たして必要だったのか。文蔵版のオリジナルにある演出なのかどうか不勉強で分からないが、やや蛇足的な気がしたなぁ。次に聴く時は変っているかもしれない。
 熱演の長講だったのだが、終演後は何とも言えない心境だった。昨年、銀座で小満んとの会で聴いた、ギャグを程よく抑えた喬太郎の高座とどうしても比べてしまう。
2012年3月1日のブログ
 また、私のイメージする扇辰としては「おやっ!?」と思わせる笑いを意識したようなクスグリなども、ひっかかってしまう。私には発展途上のネタという印象が強かった。


 終演後の電車の中では、しばらく二人の高座を振り返っていた。兼好には、近い将来は笑いの少ない人情噺にも挑戦して欲しいが、現時点では、演じる落し噺に彼の持ち味が生きていると思うし、芸は達者だ。
 それに比較して、扇辰。もちろん、十分に楽しませてくれる彼ならではの高座だったのだが、やはりひっかかる。まったく勝手な推測だが、扇辰は自分の高座にもう少し笑いをとるための要素を加えようと、もがいているのではなかろうか。それは、彼の巷の評価が高まり、さまざまな席亭による独演会や人気のある実力者との二人会、三人会に出演する機会が増え、共演者の高座と客席の反応から受けている刺激も影響しているように思う。

 まだ、これから先の長い噺家さんである。もし、私の想像が少しでも当たっているなら、自分の落語と格闘する時間もきっと彼の芸を磨くことにつながるだろう。しばらくは扇辰の高座に目が離せない、そんな気がした。
 帰宅は日付変更線を越えることはなかったが、一杯やりながら録画しておいた「ごちそうさん」を見たりしているうちに日付が替わった。
 ちなみに、連れ合いは「あまちゃん」を見てはいたが、「あんなこと、ありえない」と怒るリアリズム優先派である。だから、彼女の「ごちそうさん」の評価は、「あまちゃん」より数倍高い。私は「あまちゃん」を、芸達者な脇役陣を楽しみに見ていた。非常に贅沢なキャスティングだったからね。

 ここでハタと思った。落語のリアリズムって何だろう・・・・・・。とはいえ、古典はあくまで江戸や明治、大正からせいぜい昭和の初期位までを舞台としている。しかし、演者である噺家も客も平成の世の、今の空気を吸っている。だから、扇辰の侍が小泉進次郎であり、「目は見えるか?」に「右の視力が1.2~」となるのか。先日読んだ円丈の本では、著者は古典をそのまま演ってはいけないと主張しているのだが、どのように“むかし”の噺を“いま”演じるか、そんなところが扇辰の今の悩みなのではなかろうか、などと思ってしまった。考えすぎ、邪推かもしれないけどね。

 江戸の噺を平成にいかに演じるか、これは噺家にとっては結構重要な課題かもしれない。談志と志ん朝との対比で言われることであるが、現代に古典の世界を持ってきて再生するのか、現代の人を古き良き古典の世界に連れて行ってくれるのか、などいろいろ考えさせられる扇辰の二席だった。
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by kogotokoubei | 2013-10-24 00:30 | 落語会 | Comments(8)
昨日、放送を見て記事を書いたが、どうしてもしっくりこないので、この大会の予選について書きたい。

 NHKのサイトで予選の案内は見たことがない。予選については、我々落語ファンに対して、まったく情報が遮断されている。よって、いつ開かれたのか、会場に観客がいたのか観客不在だったのか、また何回開催されたのかなどが、分からない。

 これって、結構な権威を持つに至っていると思われる大会において、許されることなのだろうか。本選はサイトでも案内されるし、東京と大阪で隔年で観客を入れて開催しテレビ放送もされているのに、予選には落語愛好家との接点がない。

 たとえばローカルなイベントではあるが、「さがみはら若手落語家選手権」は、予選も公開されていて、予選通過は観客の投票で決まる。複数(だいたい四回)予選があり、各回で最多投票の人と、もっとも僅差で二位だった人の五人が本選に出場する。
 予選も本選も日曜開催なので私自身はほとんど行けない(過去に予選に二回だけ参加)のだが、客が参加できる非常にオープンな選考方法で、このイベントに私は好感を持っている。
 今年三月に本選があった第十二回大会は笑福亭羽光、昨年は桂才紫が優勝している。過去には三遊亭萬橘(当時はきつつき)、立川志の八、三遊亭歌奴(当時は歌彦)なども優勝している。結構、流派を超えて選ばれている。

 さて、NHK新人演芸大賞は、なぜ予選を秘密(?)に開催するのだろう。出演した落語家のブログを探すと、NHKのスタジオで予選は行われているらしい。今回の結果に関する新聞の記事には、予選に95人参加、と書かれている。東西の合計だろうが、五人位づつで実施しているなら合計20回近くになる。まさかとは思うが、十人ほどまとめて開催しても十回近く実施しなければならない勘定だ。それを東京と大阪で“秘密裡”に行なっているというのは、落語愛好家として、どうも納得できない。
 
 
 どうせなら、公開制で観客の投票も何らかのかたちで審査に反映してはどうだろう。

 公開し観客の投票も参考にするとなると、デメリットとして“組織票”の問題がある。しかし、その組織票だって、それだけ応援する人がいるということは良いことだろうと、思えなくもない。たとえば、審査員を六名人選し各一票、そこに観客の最多得票を一票分として加えるなど、方法はあるだろう。少しでも自分の票が結果を左右する、という参加意識が客の態度にも良い緊張感を与えるだろう。

 落語通の方の中にはテレビの落語は見ない人もいらっしゃるが、公開制とすることで、伸び盛りの噺家の真剣勝負の生の高座を楽しむ機会をつくることにもなる。

 もし予選を公開制にしてくれるなら、少なくとも私は、入船亭小辰や春風亭一蔵、立川こはるなどが参加するなら、何とか都合をやりくりして行こうとするだろう。あるいは、都合がよければ、贔屓の噺家が出ていなくても、まだ聴いていない二ツ目さんが出る予選会に行くかもしれない。そういった落語愛好家の方が結構多いのではなかろうか。

 今のままで予選を秘密主義で行っていると、どうしても、本選出場者選抜の背景を疑ってしまうことになる。何らかの力が働いているのではないか、と勘ぐりたくもなる。少なくとも公開することで、そういった嫌疑も解消される方向に進むだろうし、何より若手落語家が必死に高座をつとめる姿を楽しむことができる。

 今回の本選、好みの問題をあえて棚に上げるならば、馬ること紫が最初の審査結果で同数トップだったのは、了解できる。しかし、5点満点は10点満点に変更すべきかと思ったなぁ。
 各審査員の審査結果を公表し、決選投票も挙手でオープンに行なったことは評価してよいだろう。これまでなかった情報公開である。それだけに、予選の“秘密主義”が残念だし、ストレスがたまるのである。

 何か予選を公開できない理由があるのだろうか?
 
 たとえば、
  次回の優勝者が所属する協会があらかじめ決まっているとか、
        NHKへの貢献度の高い芸能事務所を優遇するとか、
             その噺家の師匠にNHKの担当が脅されているとか・・・・・・。

 そんなことがないなら、ぜひ予選も公開制にして欲しいものだ。
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by kogotokoubei | 2013-10-21 06:08 | テレビの落語 | Comments(4)
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むのたけじ(聞き手 黒岩比佐子)『戦争絶滅へ、人間復活へ』

 2008年7月に岩波新書で発行された『戦争絶滅へ 人間復活へ』の副題は「九十三歳、ジャーナリストの発言」である。

 すでに「ジャーナリズム」「ジャーナリスト」という言葉が日本では実質的には“死語”になったと思っているが、この本は、現在もジャーナリズム精神を忘れない骨太の人物への、黒岩比佐子による聞書きの本だ。

 本書から紹介したい部分はいくつもあるが、最初に落語に関連した内容を引用したい。「第一章 ジャーナリストへの道」の最後の部分。

五代目柳家小さんの落語

 当時のことで思い出すのが、落語家の五代目柳家小さんです。彼は私と同じ生年月日、1915(大正4)年1月2日生まれで、2002年に亡くなってしまいましたけどね。
 じつは、私は落語が大好きなんです。なぜかというと、あの「間」の取りかたで、落語は「間」の芸術だと言ってもいいほどです。いまもずっとラジオで落語を聴いているんですよ。でも、下手だと思ったら、すぐにラジオを切ってしまいますが。
 私が五代目小さんの落語にすごく心を惹かれるのは、同じ日生まれだったこともあるけれど、二・二六事件のとき、彼が兵隊に取られて反乱軍のなかにいたからです。あの事件で反乱軍にいた人たちは、良くない兵隊だということで、できるだけ危険で、死亡率の高い戦場へ送り込まれたと言われています。
 彼はその年満州に行かされ、三年後に除隊したものの、1943年12月に赤紙が来て再徴兵されるのです。このとき彼は死を覚悟しますが、運よく生き残ることができて、敗戦の翌年にようやく帰国する。そしてふたたび落語をやれるようになった。
 私は彼の落語を聴くと、あざむかれた者の哀愁を感じるんだな。私から言えば、何かむくれている。でも、むくれたってだめだ、と自分で自分に言っている。笑い話をやりながらも、彼は普通の落語家とは全然違うね。
 あざむかれた世代ゆえのうらみつらみというものがあって、それを自分でなめながら我慢しているような、やる気がないようで、なにか寂寞としたものをもっている。そう感じているのは、私だけかもしれないけれども。


 五代目小さんを評する言葉として、“哀愁”という二字を目にしたのは初めてだ。たしかに、むのたけじさんのように、小さんの背後に戦争のイメージが見える人だけ特有の感慨なのだろう。

 今年の2月26日に、その少し前に放送されたNHKの「ファミリーヒストリー」の内容を含め、五代目小さんと戦争のことを書いた。
2013年2月26日のブログ

 その時に書いた内容を一部再録したい。

 四代目小さんに入門して、三年目、陸軍に入隊してたった一か月後のことである。
 
 占領から二日たった2月28日には食糧が届かなくなり、天皇の命令により鎮圧部隊が派遣された。反乱軍の汚名を着せられ、沈鬱なムードになる中で、上官が小さんに落語をやるように命令した。小さんは『子ほめ』を演じたが、誰も笑わなかった。「面白くないぞッ!」のヤジに、「そりゃそうです。演っているほうだって、ちっとも面白くないんだから。」と答えたと伝えられている。

 小さんの演じた『子ほめ』の中で、もっとも観客が静かだった高座に違いない。

 本書に戻る。聞き手の黒岩比佐子の質問から。

—五代目小さんが、二・二六事件とそういう関係があったとは知りませんでした。

 あるとき、私が東京に出てきて、帰るために上野駅へ向かって歩いていると、偶然、小さんが上野の寄席から帰ってくるのに出会った。向こうは私を知らないはずだけど、「やあっ」と声をかけたら、彼も「やあっ」と言ってくれました。なんとなく同世代だとわかったんでしょうね。彼の落語には独特のムードがありますよ。お客をうわーっと笑わせたりしないで、そこでちょっと自分を抑える。そういう品の良さみたいなものがある。


 五代目小さんの芸に、“哀愁”を感じ“品の良さ”を感じた、むのたけじさん。それは、五代目小さんになる前に小林盛夫という一人の兵士が味わった戦争の体験が小さんの芸にも少なからず影響を与えたということなのだろう。

 噺家の高座には、その人のそれまでの人生のさまざまな経験が何らかのかたちで反映されていると考えると、これからの落語の聴き方も、少し変わってくるような内容だった。

 本書からは他にも紹介したい内容がいくつかあるので後日書くつもりだ。

 むのたけじさんは、98歳の今も健在。しかし、聞き手だった黒岩比佐子は、数冊の優れた著作で注目されていた矢先、三年前に52歳の若さで癌で亡くなった。私は今、むのたけじさんと黒岩比佐子の本を読んでいる。それらの内容もそのうちぜひ紹介したいと思う。
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by kogotokoubei | 2013-10-20 19:50 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
今、放送を見たところ。事前に出演者のプロフィールを含めて書いた通り、聴いたことのない人も多く今回は予想ができなかった。
2013年9月20日のブログ

 落語協会のサイトで大賞受賞者を事前には知っていたが、いったい五人がどんな高座をした結果そうなったのかを確認するためにも放送を見た。

次の七名の審査員が五点満点で審査していた。(いつものように敬称略)
東京落語界から金馬、上方からは病後の回復状況を心配していた染丸。繁昌亭支配人の恩田。なぜか赤井英和。堀井憲一郎。神津友好。NHK大阪放送局のチーフプロデューサー藤澤。

出演順に寸評と私の五点満点評価。

立川志の春『ナンシー』
 初めて聴くこの人は、新作。喬太郎の『夜の慣用句』に似た上司と部下の盛り場での会話が中心。しかし、上司一人、部下一人なので空間の広がりに欠けるし、一本調子の語り口に、ほとんど“間”が入らない客を疲れさせる高座。金馬や堀井憲一郎は褒めていたが、社交辞令としか思えなかった。採点は3。

春風亭昇吉『たけのこ』
 喜多八がたまに演るらしいが、私は初めて聴くネタ。侍役は確かに恰好がつくが、自分でその姿に酔っていたような印象。染丸が講評していたが、口調がまだたどたどしくて痛々しかったなぁ。昇吉は昨年の旬を無視した『たがや』よりはネタ選びの工夫を含め良かったが、4どまり。

鈴々舎馬るこ『平林』
 演者によって細工のしやすい噺だが、この人の好きな歌入りでの改作。かつて落語会で聴いた頃からは成長が見える落ち着いた高座だったが、評価は4を越えない。たい平の質問に「これが師匠馬風ゆずりの鈴々舎の芸です」と答えていたが、そうかなぁ。小せんだっている。

露の紫『厩火事』
 聴くのを楽しみにしていた人。“芋蛸南京”ばかり食わせている、と亭主が怒ったので喧嘩になった、というのが噺の発端だった。兄さん(東京落語の隠居役)は「あんな酒飲みなんか、やめとき」と言って唐土(もろこし)の学者と“さる”旦那の例からサゲまでは、ほぼ東京版と同じ。
 非常に結構だった。ネタ選びも良かったと思うし、演じ分け、間の取り方も他の四人から頭一つ抜けていたように思う。誰か一人には最高点5をつける決まりがあるのなら、私は迷わずに5をつける。

月亭太遊『たまげほう』
 初めて聴く。新作だった。古典で言うなら『てれすこ』に似たシュールな筋書き。しかし、あそこまで造語が続くと、聴いていてしんどい。とはいえ、最年少で私は将来性を強く感じた。期待をこめて4とする。


最後に審査員が五点満点で点数をつけ一人づつ公開していた。
-----------------------------------------------------------------
       金馬  染丸  恩田  赤井  堀井  神津  藤澤    計
志の春    4   4   4   4   4   4   4    28
昇吉      5   5   5   4   4   5   4    32
馬るこ     5   4   5   5   5   5   5    34
露の紫    5   5   5   5   5   5   4    34
太遊      4   4   4   5   3   3   4    27
-----------------------------------------------------------------

 馬ること紫が同点となり七人がどちらかの名札を挙げる決選投票。染丸、恩田、赤井は紫、他の四人が馬るこで大賞となった。
 藤澤審査員は、大阪放送局の人なのに出身は東京なのだろうか・・・・・・。それとも逆に地元の上方を押しづらかったのか。いずれにしても彼の審査結果が左右して露の紫は大賞を逃した。私の審査結果では差をつけて大賞は紫だ。私の評価が染丸に近いのが、なぜかうれしい。紫には来年もう一度挑戦してもらいたい。東京の立川こはるに加え上方の露の紫、この二人が女流落語家において私が期待する若手となった。

 今年は予選で敗れたのかもしれないが、来年こそ小辰、一蔵に本選に出場してもらいたい。予選に出ていたら、決して馬るこにひけをとることはないはずなのだがなぁ。
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by kogotokoubei | 2013-10-20 16:24 | テレビの落語 | Comments(2)
久し振りの生の落語、それもこの二人会なので楽しみにしていた。チケットが売切れていた会場には落語会でよくお見かけする顔ぶれが多かった。いわゆる“ご通家”の落語愛好家を常連にする会として定着した、という印象。

次のような構成だった。
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(開口一番 林家つる子『牛ほめ』)
桃月庵白酒 『首ったけ』
入船亭扇辰 『三方一両損』
(仲入り)
入船亭扇辰 『悋気の独楽』
桃月庵白酒 『甲府い』
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林家つる子『牛ほめ』 (15分 *19:01~)
 小辰を期待していたが、なぜかこの人。二ツ目より前座、ということなのかもしれないが、それなら半輔にして欲しかったなぁ。落研の落語から抜け切れていないし、出来も言い間違えが多く、小言を言わざるを得ない。牛を褒める言葉「天角、地眼、一黒、鹿頭、耳少、歯合(違)」の“地眼”を説明する場面で“地べた”と言ってみたり、本来「お庭は総体御影づくりでございます」を、間違えて「見掛け倒し」と言うべきところ「御影づくり」と言って言い直したり・・・・・・。よく笑ってくれるお客さんに救われていたが、メクリの仕方も中途半端で、この会の唯一の傷、という印象だ。タレントになりたいのならともかく、噺家になりたいのなら、高座も大事だが、もっと前座の役割をしっかりこなすことが求められる。

桃月庵白酒『首ったけ』 (26分)
 事前に主催者から過去のネタがメールで届いて、これまで演っていないネタを、というプレッシャーがかかる、とぼやく。その後の“出待ち”の分類が可笑しかった。「教祖型」「アイドル型」そして「珍獣型」があって、落語家(白酒?)の場合は「珍獣型」。「ほっぺさわっていい?」なんて言われる型とのこと。お客さんに誘われて嫌々(?)キャバレーなどに行って、ホステスから来るメールは、Aから数えてせいぜいDクラス。「また来てね」だけで、お金持ちのAクラスの客へのメールは何行にもわたっていてハートマークが一杯、というのもありそうな話だ。
 楽しく、かつ無理なく本編につながるマクラから「廓の噺」とふったので、「いったい何だ?五人廻しか?」などと思ったが、古今亭十八番と言ってもよいこの噺だった。リズムカルな会話による大変結構な高座だった。

 志ん生の音源を基に、少しあらすじを紹介。
(1)花魁紅梅(こうばい)の“いい人”である辰っあんだが、その紅梅は部屋を出て行ったきり戻って来ない。イライラする辰の耳に、近くの広間で客が芸者をあげてドンチャン騒ぎをしている音が聞こえてくる。「こっちの気持ちも察しろ!」「静かにしろ!」などとわめくがまったく宴会はおさまらず辰は若い衆(白酒は、自分の二ツ目時代の名である喜助にしていた)を呼びつける。
(2)辰が怒りを喜助にぶつける。何とか辰の怒りをおさめようとする喜助だが困り果て、紅梅を探して連れて来る。売り言葉に買い言葉で辰と紅梅の口喧嘩となり、「帰る!」「帰りやがれ!」となって、辰は勘定を払って深夜に紅梅の楼(うち)を出る。
(3)外に出た辰が、どうしようか思案していると、前の楼の戸が少し開いていて、中に不寝番(ねずばん)がコックリと居眠りをしている。不寝番に訳を話したところ、その楼の青柳-あおやぎ-(志ん生は若柳-わかやぎ-が辰に惚れていて、紅梅に嫉妬しているので、二度と紅梅の楼に上がらないのなら青柳の客が帰ったから上がってくれ、と辰を引き入れた。
(4)青柳の部屋で目覚めた辰は向いの楼に「ざまぁみろ」とばかりにわめく。今夜も行くぞ、と心を躍らせていた辰だが、半鐘を打つ音が聞こえ、場所は吉原方面とのこと。青柳を助けるために吉原に向かった辰。行くとお歯黒ドブから「助けて!」の声。見るとそこには紅梅がドブにつかっていた。昨晩夜中に放り出されたことを根に持つ辰が「おめぇなんぞ、誰が助けるもんか」と言うと、「ゆるしてェ、あたしゃ、ドンドンもぐって行くんだよ」「薄情なやつァ、助けねえ」「薄情なことなンぞしないよ。ごらんよ、この通り、首ッたけだよ・・・・・・」でサゲ。

 師匠雲助のこの噺を聴いたことがないので、師匠譲りかどうか分からないが、志ん生版にはない工夫があり、それが効いていた。まず、(2)の怒る辰となだめる若い衆・喜助のやりとり。喜助が「不可欠」と言うと辰が「ケツに深いも浅いもあるかい!」と返す。喜助が「すべからく」と言うと辰が「可楽も円生もねぇ!」と返す。喜助が「落語通ですね」とダメ押しのクスグリ。何とも楽しいやりとりに会場も私も大笑い。
 また、(3)の不寝番と辰の会話の場面。不寝番が「おや、お向かいの紅梅さんのいい人の辰っあんじゃないですか」と言うのだが、辰が泊めてくれと頼むのを、「他の楼の客を奪うようなマネ、私の分際では決められない」と奥に声をかけ他の若い衆を呼ぶ。この若い衆が「おやっ、紅梅さんのいい人の辰っあんじゃないですか」とオウム返し。そして、もう一人奥から呼ぶ、という演出で、ここ場面の会話の可笑し味が厚みを増した。決してくどさを感じない、笑いのツボを押さえた演出だった。
 マクラが10分余りあったので本編は15分ほどなのだが、辰を主人公として、喜助、紅梅に若柳、そして不寝番たちとの会話で笑いの途切れることのない高座、文句なく今年のマイベスト十席の候補である。志ん朝の命日に古今亭十八番を改訂し、泣く泣くこのネタを十八番から外したのだが、やはり古今亭十八番に入れないわけにいかないなぁ。次回の改訂で考えよう。

入船亭扇辰『三方一両損』 (33分)
 上がってから、しばらく白酒の汗が飛んだ跡(と思しき)座布団の前を見つめる。お約束のポーズ、と言えるだろう。通算九回目とのこと。私はこの会で四回目だ。先日もこの顔ぶれで二人会があり、その副題が「ピーチ&ドラゴン」であったらしい。それ以来、白酒を「ピーチ君」と呼ぶと、白酒がすごく嫌がると笑う。
 短いマクラから、まさか白酒のネタに「可楽」の名があったから決めたわけではあるまいが、八代目可楽が得意としていた大岡政談ものへ。越後生まれの江戸っ子(?)扇辰である、この噺はニンだ。財布を拾った金太郎と、落した吉五郎の啖呵の切り合いが結構。ただし、金太郎が神田竪大工町に吉五郎を訪ねる場面で、道を聞くために煙草屋に立ち寄る場面を、少し長めに演じたのだが、少しダレた。
 二席目のマクラで「実は噛んだ、というか科白を一瞬忘れたんですが、分かりましたか」と言っていたが、どこだったろう。終演後の居残り会でその話題になり、私は「吉五郎が大家に毒づく科白を金太郎が自分の大家に繰り返す場面かなぁ」と言うと、リーダーSさんが「お白洲の場面が、少しくどかったので、あそこかもしれない」とおっしゃた。たしかに、奉行から吉五郎が「面(おもて)を上げぇ」と言われた後に、少し間があったかもしれない。しかし、違うかもしれない。扇辰が上手い事だましてくれた、ということだろう。

入船亭扇辰『悋気の独楽』 (25分)
 仲入りの後に続けて扇辰。「焼きもちは遠火でやけよほどほどに 胸もこがさず味わいもよし」を繰り返して本編へ。定吉のキャラクターが、少しトンガリすぎかもしれないが、それもこの人の持ち味だろう。悋気のネタなら『夢の酒』のほうがこの人にはニンだと思うのだが、すでに演っているのかもしれない。
 どちらかと言うと、二ツ目か若手真打のネタという印象が強い。扇辰の女房と妾役なども悪くないし、定吉も楽しいのだが、トリネタとしては、若干期待はずれの感もある。本人も久し振りなのではなかろうか、少し歯切れが悪かったように思った。

桃月庵白酒『甲府い』 (28分 *~21:26)
 短いマクラからこの噺。浅草で紙入れを盗まれて一晩なにも食べずに空腹だった、という善吉の話を聞いた豆腐屋の主が、自分達夫婦の過去の経験を語る場面が、噺に深みを与えたように思った。いい人ばかり出てくる噺に白酒らしい味付けをしたのが、「オカミさんはしくじっちゃいけない」ということを噺家の場合、ということで師匠のオカミさんと上手く付き合って援護してもらう場合と、その逆の場合を演技して笑わせたが、私は、このクスグリは余計だと思った。噺の流れが止まった印象。その他は、非常に結構なリズムで進めていたので、笑いをとるためのわざとらしさを感じたあの演出を残念に思うのだが、白酒ならあれもあり、なのかなぁ。居残り会では、Sさんが「あれが白酒らしさ」とおっしゃっていた。なるほど、とも思う。しかし、この噺は以前に国立演芸場で聴いた扇辰の方が上だと思う。


 今年の三月の会は『匙かげん』の扇辰が白酒を圧倒したような印象だったが、今回は『首ったけ』の白酒が上回ったように思う。2013年3月6日のブログ
 二人会で噺家同士が戦っているわけではないが、際立った高座は、その落語会の印象として強く残る。

 終演後はお楽しみ(?)の居残り会。発足メンバー三人に紅一点M女史と四名で、旨い居酒屋探しなら間違いのないリーダーSさんが、開演前の散歩で目をつけていた店へ。またしても当り、である。さつま揚げには驚いた。丸くて大きな姿は、通常のさつま揚げの数倍のボリューム。かつ旨かったこと。落語のこと、だらしのない政治のこと、落語に関する最近発売された本のことなどなど、つい話が弾み清酒「菊川」の二合徳利が次々と空いていく。気がつけば「ラストオーダー」の声。最初に食べて旨かった鰹を再度注文。仕上げの瓶ビールは結局二本となり、ようやくお開きになったのだから、帰宅は終電一本前、日付変更線を越えないはずがなかった。しかし、久し振りの生落語と居残り会、楽しかったなぁ。
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by kogotokoubei | 2013-10-19 09:10 | 落語会 | Comments(7)
しばらくの間、生の落語を聴くことができなかったので、もっぱら携帯音楽プレーヤーで落語の音源を楽しむことと、落語の本を読むことで“つないで”いた。

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柳家喬太郎著『落語こてんパン』

 柳家喬太郎の『落語こてんパン』は、ポプラ社のWebマガジン「ポプラビーチ」に掲載されていた内容を、最初ポプラ社から2009年3月に単行本で発行され、今年4月にちくま文庫によって再刊されたもの。
 Webマガジンの頃も最初は読んでいたが、そのうち本になるだろうと疎遠になった。しかし、単行本を買う機会を逃していたら文庫になって、助かった。

「ごあいさつ」から引用。

 いっとき、とあるウェブマガジンに連載をさせて頂いておりましたが、その連載に加筆訂正を致しまして一冊にまとめたのが、この本というわけで。
 どういう連載かと申しますと、俗に古典と呼ばれている落語を、毎回一席ずつ取り上げて、あたくし喬太郎がなんかぐずぐず言うという・・・・・・あの、分析とか検証とか独自の解釈とか、そんな大層なもんじゃない。ましてや研究ってんでもない。ただ、ぐずぐず言うんです。ぐずぐず。

 

 その“ぐずぐず”言うネタが50作並んだいる最初が、『道灌』である。あらすじの説明のあとで、次のように書かれている。

 起承転結はあるけれど、殆どがご隠居と八っつぁんの会話で進行する噺で、派手さは無い。普通に演じてバカウケするなど、現在では至難の業である。
 (中 略)
 地味だしウケ場も少ないのだが、なんだか演ってて楽しいのだ。落語らしい落語を喋ってて、のんびりと楽しいのである。いや勿論、高座の上で独りよがりになってちゃいけないけれど。
 将来『道灌』でトリをとれるようになるのが、夢である。いや、ただ演るだけなら今だって出来る。しかし、ただ演るだけではなくて、トリの『道灌』で、お客様達に充分な満足感を味わってもらって、その日の興行を終えるのが夢なのだ。ことさらなケレンなど無しに、である。
 ハハハッ、いやはやたぶん生涯、無理だ。しかし存外、『道灌』でトリを・・・・・・なんて考えている、そういう噺家は多いのである。
 勿論、特に、柳家に。
 ・・・・・・たぶんだけど。



 これだけの強い思い入れのあるネタを、喬太郎は2011年の9月に「柳家と立川」という企画の立川談笑との二人会において、トリネタで演っている。WOWOWで、その模様を含め喬太郎の特集を放送したことは以前に書いた。
2012年1月6日のブログ

 その時の高座の後の喬太郎の表情などはさておいて、この喬太郎の“トリ”で『道灌』という思いと比べて、このネタについて好対照なことを書いている本を最近読んだ。

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三遊亭円丈著『落語家の通信簿』

 祥伝社新書で今月出た本。先週から少しづつ読んでいて、今朝台風によって止まっていた電車が走るまでの待ち時間で読み終えた。

「前口上」にこう書いてある。

 最近は、落語ブームのせいか、落語の出版物も多くなった。落語評論家が書いた本も売れているらしい。しかし、落語家から見て、落語評論家という存在はどうもウサン臭くて信用できない。
 というのも、野球評論家は元野球選手だが、落語評論家は元素人なんだ。これが今ひとつ、プロの落語家から見ると説得力がない。芸について言われても、「じゃあ、アンタ人情噺『芝浜』ができるの?与太郎小噺『から抜け』はできるの?」と言いたくなる。
 (中 略)
 それならばと、と落語家である円丈が、他の落語家を評論しようということになった。円丈が少年時代から聴いている五代目古今亭志ん生、八代目桂文楽、六代目三遊亭圓生から、最近真打になった春風亭一之輔まで五十三人を論評した「円丈による通信簿」である。



 この部分を読んだ時、「じゃあ、文芸評論家は元小説家じゃなきゃだめなのか!?」「政治評論家の条件は元政治家か!?」などと思ったが、著者が円丈である。突っ込みはほどほどにして、読み進めることにした。

 円丈は、この本を書くために、故人、現役を含め市販されているCDを数多く聴いたようだ。

 さて、喬太郎が強い思い入れのあることを語った『道灌』について、円丈は実に興味深いことを書いていた。「第二章 やはり聴くべき!伝説の名人四人」の五代目柳家小さんについて書いた部分からの引用。

 ここで詫びなければいけないことがひとつ。実は、円丈は“柳家音痴”なんだ。落語界最大派閥で一番隆盛を誇っている柳家。その柳家音痴なのだ。なぜかと言えば、三遊派に入門した円丈にとって、どうも柳家がパーフェクトにわからない。
 そもそも、柳家に入門したら誰もが最初に教わる前座噺「道灌」のいったいどこがおもしろいのかまったく理解できない。
 「道灌」は中学生の頃、落語全集で読んだのが最初で、「この『道灌』って、どこがおもしろいの?」と思って以来、上京して落語家になって、何度も直に聴いたが、いまだにどこがおもしろいのか、さっぱりわからない。
 だいたい、太田道灌ってオッサンは徳川家康以前の武将だ。円丈の住んでいる足立区は江戸期以前には、ほとんど人間が生息していなかったんだ。そんな足立区がいない時代に、道灌が和歌を知らないばかりに田舎娘に恥をかいたという噺だ。それで「おめえも歌道に暗いな」って言われても、「そう言うおめえは足立に暗いな」って言いたくなる。



 喬太郎は、“円丈チルドレン”と言われる新作派の一人である。円丈の新作落語を勉強する会から、あのSWAができたと言ってもよいだろう。だから、なおさら『道灌』という一つのネタに関する、この二人の大いなる見解の相違が印象的だった。もちろん、円丈は三遊亭であり、喬太郎は柳家という違いはある。

 円丈が、ここまで『道灌』のおもしろさが理解できないことも、喬太郎がトリネタとまでこの噺に思い入れを強くしているのも、正直なところ私には“同感”できなかった^^

 この二冊の本については、今後も紹介する機会があると思う。落語のネタ、落語家を通して著者の本音をかいま見ることができて、結構楽しいのだ。なかには“同感”できる部分も、もちろんある。
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by kogotokoubei | 2013-10-16 18:56 | 落語の本 | Comments(8)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛