噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

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末広亭の余一会の昼の部にしようか迷ったが、体調を心配する声を聞く喜多八を久し振りに聴きたかったし、主任の文菊を含め代演の顔ぶれも良かったので鈴本へ。

 もう少し早く家を出て鈴本の近くで昼食をとるつもりが、ダルビッシュの無安打が続いていて目が離せない。七回、連続ホームランを残念に見ながらも、ある意味ほっとして家を出た。鈴本近くのコンビニで昼食やお茶を仕入れて会場に入った時は十二時四十分頃、はな平の『牛ほめ』の後半だった。結構会場を沸かしていたなぁ。聴いていたのは五分位かと思うが、以前に池袋で聴いた時よりははるかに良い印象。頑張っていただきましょう。

 入りは八分位だろうか。全体に混んでいるようでいて、結構前の方の中央の席が空いていた。最終的には九分ほどの入りになったように思う。はな平の高座の後に席を移動。

 ストレート松浦以降、演者とネタ、感想と所要時間を記したい。 結果として「十八番」Dayとなったので、その高座にをつけてみた。

ストレート松浦 ジャグリング (10分 *12:48~)
 会場は寄席経験の少ないお客さんが多かったように思う。初松浦の方が八割と察する。「踊る傘」の途中から、会場のあちらこちらで「お~っ!」という声が低くあがる。松浦のしゃべりでも盛り上がり、「三つのお手玉」で完全にお客さんをつかまえていた。流石である。

春風亭正朝『目黒の秋刀魚』 (17分)
 三代目金馬のマクラ(殿様が「お月様は出てるか」と言うのを側近が、「殿様は“月”で結構」、とたしなめられた後で、「星めらは出てるか?」と聞く、例のクスグリ)をかけた時に、このネタと分ったが、先日の一之輔のマクラを思い出した。旬としてはたしかに少し早いかもしれない。しかし、九月の声を聞く直前、いつもの年ならもうOKなんでしょう^^
 目黒で食べた油たっぷりの秋刀魚の味を忘れられないお殿様のことを「一昔の大竹しのぶのように、さんま、さんま」というクスグリで笑ったお客さんが多かったなぁ。
 この人の力量である。そして、十八番の一つかと思う。会場を大いに沸かせた。この後も続くのだが、この日の「十八番」シリーズの幕を開けたのが正朝だった。

林家正蔵『お菊の皿』 (19分)
 歌之介の代演。いつもの歌舞伎と落語についてのマクラ。会場は結構受けているが、私には正直言ってつまらない。本編に入っても、信州に旅行した江戸っ子が、地元の人から江戸の怪談話を聞いたのだが分からないので、江戸に戻ってから物識りの隠居に聞く場面。若い衆が、「そんな話が江戸にあるんですか?」と聞かれた隠居が、本来なら「お前たちは、そんなことも知らないのか」と大袈裟に返して欲しいのだが、あっさりと、「まぁまぁこっちへおいで」と語り始める。会話に起伏、リズムを感じないのが残念。
 会場のお客さんは、テレビの人気者が「落語もできるんだ!」という方が多かったように思う。しかし、彼は落語家なのだ・・・・・・。
 ジャズや海外ミステリーに関しては、結構しっかりした聴き手であり、読み手であると思う。私は、「落語さえやらなきゃ・・・・・・」、と趣味人の正蔵を評価している。
 
柳家小菊 粋曲 (9分)
 お約束なのか、それとも客席を見ての選択なのか・・・「寄席スタンダードナンバー への8番」から。締めの「両国風景」が結構でした。やはり、こういう方が色どりを付けてくれるのが寄席の楽しさなのだ。

柳家さん喬『そば清』 (16分)
 歌武蔵の代演でさん喬とは贅沢。清さんの、「どう~も」も大げさに過ぎず、次第にピッチを上げる蕎麦の食べ方も流石。これまた、さん喬の十八番の一つを楽しませてもらった。そう、これが「十八番シリーズ」の第二弾。そして、この後、すぐに第三弾が続くのだった。

橘家円太郎『祇園会』(『祇園祭』) (14分)
 マクラでは私と同じでダルビッシュの試合を見ていたという話。そう、あれは途中までワクワクさせられたよ。
 お国自慢のことから、この人の夏の十八番へ。この噺は、祇園祭を楽しむはずの茶屋で、江戸っ子と京都人(京者)がそれぞれのお国自慢、祭り自慢を戦わせる楽しい噺。
 京都と江戸の祭り囃子を演じるところが噺のヤマでもあり、京言葉も含め相応の芸を要求される。
 以前もネタのカテゴリーで書いたが、この噺は連作『三人旅』シリーズのアガリだが、『三人旅』とは独立したネタとして扱われている。詳しい筋書きは以前のブログをご覧いただきたい。
2009年7月4日のブログ

 この高座、円太郎ならではと感心した。この噺、一朝、正朝、そして円太郎が秀でているが、まだ聴いていないのだが一之輔もネタにしているらしい。聴いてみたいものだ。
 江戸っ子と京者との意地と見栄の張り合い、円太郎の十八番は大変に結構だった。

ホームラン 漫才 (11分)
 勘太郎の歌を一節聴けた^^

古今亭菊輔『七度狐 尼寺つぶし-序-』 (21分)
 仲入り前は、初めてのこの人。円菊の七番目の弟子に当るようだ。
 せっかくなので(?)円菊の弟子を入門順で並べてみよう。主任が文菊だからね。
 (1)古今亭菊龍(2)古今亭志ん弥(3)古今亭菊丸(4)古今亭菊春(5)古今亭菊千代
 (6)古今亭菊寿(7)古今亭菊輔(8)古今亭駿菊(9)古今亭菊生(10)古今亭菊之丞
 (11)古今亭菊志ん(12)古今亭菊太楼(13)古今亭文菊
 東京でこの噺を聴くとは思わなかった。上方落語「東の旅」シリーズの「七度狐」の中にある噺。勉強不足だが、上方でも、発端ではなくこの部分だけを演じることは少ないのではなかろうか。
 菊輔は、喜六と清八を、八五郎と熊五郎に替え、箱根で道に迷って尼寺に辿りついたという設定にしている。味噌の代わりに赤土、具には藁の入った“ベチョタレ雑炊”など、東京ではなかなか聞けない。
 途中でサゲたので“序”とする。詳しい筋書きは書かないが、菊輔がこのネタを円太郎の三人旅の一つ『祇園会』に触発されて選んだのなら、それはなかなか結構なチームワーク(?)だと思う。

ダーク広和 奇術 (13分)
 クイツキは、この人。独特の親しみのあるしゃべりと、何とも言えない紐の芸で会場は結構沸いていた。

柳家喜多八『鈴ヶ森』 (16分)
 体調が気になっていたが、なるほど頬がこけているように見える。しかし、元気な時も、こんな感じではあるなぁ。
 高座は元気一杯、というかこのネタなのだ、はずさない。少し安心した。「竹の子」の場面は何度聴いても笑える。これまた「十八番」シリーズの一つと言えるだろう。

橘家文左衛門『馬のす』 (11分)
 一九の代演。途中に「あまちゃん」の話題などを挟んで楽しく演じ会場を沸かして、十分に使命(?)を果たした。

林家正楽 紙切り (10分)
 まずは「線香花火」。お客さんのご注文で「ディズニー・ランド」「スカイツリー」と続き、「猛暑」というリクエストに応えたのは、内容は「夕涼み」だったように思う。初めてと思しきお客さんから「すご~い」という声が、あちこちから聞こえた。

古今亭文菊『稽古屋』 (32分 *~16:34)
 昨年の秋、真打昇進したばかりとは、とても思えない高座。この日は、結果として夜の部の主任が本来の左龍が休演で一之輔に代わっており、終演後に一階に下りると、結構お客さん並んでいたなぁ。文菊は一之輔にとって、良い刺激を与えていると思う。
 “はめもの”と唄が入る上方がルーツのネタ。大師匠志ん生が十八番としていた一門の噺だ。八五郎が女に持てるにはどうしたらいいかを、岩田のご隠居に聞きに来る。隠居が十のモテル秘訣を披露する。たとえば、「何か芸があれば」と隠居が言うと、「宇治の名物蛍踊りができる」と答える八。詳しく説明しないが、「蛍踊り」では、よほど懐の広い女性にしかもてない。隠居が「何か芸を身につけるといい。師匠を紹介する」ということで、八五郎は稽古代を隠居に借りて、「五目の師匠」(清元、長唄、日本舞踊などさまざまな芸を教える先生)を訪ねる。
 最初、八が師匠から清元の「喜撰」を口移しで習うのだが・・・・・・。最後は屋根に上がって八五郎が叫んだ科白からサゲに結びつく。
 ますます磨いているなぁ、という印象。青々と刈上げた頭で、艶っぽい女性を見事に演じる。江戸っ子八とお師匠さんとの会話も頗る楽しい。これまた「十八番」の一つ。結構でした。


 正朝『目黒の秋刀魚』、さん喬『そば清』、円太郎『祇園会』、喜多八『鈴ヶ森』、そして文菊『稽古屋』と、これほど十八番が並ぶ日ってえのは珍しいのではなかろうか。

 そんな充実した印象を胸に帰宅した。もちろん、家で飲む一杯がまずかろうはずはない。やはり、寄席はいい。
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by kogotokoubei | 2013-08-31 19:34 | 落語会 | Comments(6)
道楽亭さんの出張寄席。この会場は昨年三月の亭砥寄席以来。あの時の会は、あまり後味が良くなかったが、この二人である、精一杯「弾けて」欲しいと期待して残暑厳しい新宿へ。

 小ホールなのでパイプ椅子。後で一之輔がマクラでいじっていたが、高座を高くしているので、天井の照明が近く、結構暑いようだ。必ずしも会場としてふさわしいようには思わないが、手作り感のある落語会としては、会場のコストセーブも重要なのだろうと察する。

次のような構成だった。
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(開口一番 瀧川鯉ん 『転失気』)
瀧川鯉昇   『ちりとてちん』
春風亭一之輔 『粗忽の釘』
(仲入り)
春風亭一之輔 『千両みかん』
瀧川鯉昇   『死ぬなら今』
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瀧川鯉ん『転失気』 (14分、*19:01~)
 初である。鯉昇の十三番目の弟子で、「こいん」と呼ぶらしい。芸協サイトのプロフィール欄には、この人にかぎらず前座の場合は入門時期も生年月日も、何も記載されていない。ちなみに落語協会の場合は記載されている。このへんは、PR活動として芸協に問題あり、だ。 サイトをつくっているのだから、できるだけ、「名前と顔」だけでなく、覚えてもらうよう支援して欲しい。
 さてこの人の高座。声が大きく元気なのはいいのだが、やや粗雑な印象。滑舌も良いとは言えない。いつ入門したか分からないのだが、しっかり修業していただこう。もう一つ小言を加えるなら、珍念が花屋に「転失気」を借りににいった際、花屋では今朝の「味噌汁に入れて食べた」と答えていたが、「おつけの実」と言って欲しかったなぁ。

瀧川鯉昇『ちりとてちん』 (34分)
 いつもの沈黙から、この会の題に「弾けるふたり」とあるのをいじる。「一之輔さんは弾けているでしょうが。私の方は、楽屋ではじかれている方でして」で客席爆笑。「弾ける一人と、もう一人」くらいでよろしいのでは、と言っていたが、どうしてどうして、このネタで会場を“弾けさせた”。
 13分ほどのマクラでは、師匠柳昇が富士登山が好きで、17年間で15回登っており、何度かお供したことを懐かしそうに振り返っていた。その中にも、しっかりこの人ならではのクスグリが挟まれるのだが、内緒にしておこう。
 本編は、まさに“食べ物の鯉昇”と私が勝手に名付けている通りの、鯉昇ワールド。そして、彼のこのネタには桂枝雀の影響を強く感じる。まず、隠居が余った料理と酒をふるまおうと最初に呼んだ竹さん。あらゆるものに大げさに驚いて世辞を言う名人だが、隠居から「灘の生一本」を勧められ、「え~っ、あの灘の生一本、これが・・・・・・実在するとは聞いていましたが・・・幻ではなかったんですねぇ」と答え会場の笑いを誘う。次に鯛の刺身に対しては「日本にあるという噂は聞いていましたが」と驚いてみせる。こういった演出、もちろん味わいは違うのだが、私は枝雀の『青菜』を思い出すのだ。
 そして、一週間前から鍋に入れっぱなしの腐った豆腐で妙案を思いついた隠居が次に呼ぶのが寅さん。こっちは、世辞など言うことはなく、どんなものもありがたがらず、加えて知ったかぶりをする嫌な奴。灘の生一本はうがいをするかのように飲み、鯛の刺身にも「白身じゃなくて油ののったマグロが一番」とくさしておいて、一気に食べてしまう。鰻には「どうせ養殖」と言い、いかにも固そうに飲み込んで、待ってましたの「ちりとてちん」登場。
 人によっては、鯉昇の食べ方が仰々しく見えたり、くさい演出と映るかもしれない。しかし、中身はアレですよ。そう簡単に食べる(飲み込む)わけにはいかないだろう。私はこの人のこの噺、他の噺家さんから頭一つは抜けていると思っている。
 一之輔の若さに負けないパワフルな還暦の噺家さんの高座、もちろん今年のマイベスト十席候補である。

春風亭一之輔『粗忽の釘』 (28分)
 鯉昇と脇ですれ違いざまに、「頭のすぐ上が照明で熱いよ」と言われたようだ。高座に上がってからすぐ上を見ていたのは、それが理由だったか。
 最近のこの人、マクラに無理がなく、その内容は頗る楽しい。一之輔の恥を暴露することになるが、書こう。この日の午後三時二十分頃、小学二年生の長男が学校から帰るや、一之輔の大事な「ガリガリ君ソーダ味」を冷蔵庫から出してかじっていたから奪い取って「欲しかったら自分で稼いで買え」と言って味わっている時、携帯に池袋にいる前座から電話。「三時四十分出で、今日は代演なんですけど」との連絡。まったく忘れていたようだ。ガリガリ君を持ったまま急いで出ようとすると息子が「それ食べながら行くの?」と物欲しげな目で尋ねる。しょうがなく息子に渡したら、その食べている様子が憎たらしいから、ついガリガリ君をはたいて落としてから池袋に向かった、とのこと。「今日は帰るのが怖い。嫁さんに怒られる」と言っていたが、全部事実かどうかは、噺家の言うことですからね。ネタと思っておこう。でも、本当のような気もする^^
 五歳のお子さんから「スカイツリーに連れて行って」とせがまれて「東京タワー」を「スカイツリー」と騙してに連れて行く、というネタも可笑しかった。肝腎なギャグは内緒にしておこう。
 さて、この噺を鯉昇との二人会でかけるのは、相当な度胸の持ち主、とあらためて感心。鯉昇の「ロザリオ版」や、その前の「エキスパンダー版」を知らないわけではないと思うが、一之輔にとってのこのネタも、昨年の真打昇進披露興行において鈴本の初日と、国立の大千秋楽を飾った大事な噺。
 五十日間五十一席のネタは、以前に書いたことがあるので、関心のある方はご覧のほどを。
2012年5月21日のブログ

 下記のように、披露興行でかけた二十四のネタのうち、この噺は、最多回数『茶の湯』の五回につぎ、『百川』『子は鎹』と同じ四回演じている。

-春風亭一之輔、2012年真打昇進披露興行におけるネタと回数-
□五回(1):茶の湯
□四回(3):百川、子は鎹、粗忽の釘
□三回(4):欠伸指南、初天神、明烏、らくだ
□二回(6):短命(長命)、不動坊、長屋の花見、花見の仇討、青菜、藪入り
□一回(10)):竹の水仙、雛鍔、くしゃみ講釈、鈴ケ森、蛙茶番、代脈、大山詣り、鰻の幇間、へっつい幽霊、五人廻し


 このネタを十八番としている鯉昇の前で、『ちりとてちん』に負けずに会場を“弾けさせて”くれた。そして、以前聴いた時から、内容も少し変わっていた。伊勢屋の犬ペロが登場するのだ。この“馬鹿犬”が、八五郎夫妻が最初に住んだ伊勢屋の長屋を引っ越さなければならない原因となるのだが、詳しい内容は、犬二匹を家族として暮らす管理人としては、動物愛護の観点から書くことはできない・・・・・・というのは嘘で、ぜひ知らずに聴いて、笑って欲しいクスグリだった。まぁ、そのうちペロも登場しなくなる可能性はあるが、きっと変わらないのは、八五郎夫妻の行水における「ふぇ~、ふぇ~」と「土星踊り」だろう。鯉昇のこの噺と味わいは違うが、今や双璧と言ってよい高座。迷うことなく、今年のマイベスト十席候補である。

春風亭一之輔『千両みかん』 (19分)
 仲入り後はマクラもそこそこに、この噺。一昨年8月に国立演芸場で聴いて以来。2011年8月3日のブログ
 あの時は、まだ高座にかけ始めて日が浅かったように思うが、今一つの出来だった。今回は、短いながらもしっかりまとめた、そんな印象。ちなみに、昨年の披露興行で一度もかけていなかったが、それは披露興行が三月から五月にかけて行われた、という季節の問題。この人はネタの“旬”を結構大事にする。この噺のマクラでは、「だんだん旬よりも早めに季節のネタをかける傾向になってきました・・・・・・もう『目黒のさんま』をかけている人が多い・・・・・・でも、鯉昇師匠はしっかり夏のネタでしたね」と語っていた。
 時間の関係もあるのだろう、あまり遊びを挟まずにさっと切り上げた。

瀧川鯉昇『死ぬなら今』 (20分 *~21:11)
 マクラで、「公務員オチ、というのがありまして、どんなに噺が途中でも時間がきたらサゲます。おあと二十分程のおつきあいを」と本編へ。
 昨年10月31日に、初めて伝統ある落語研究会に行った際に聴いた。筋書はその時のブログに書いたので、ご参照のほどを。2012年11月1日のブログ
 いろいろと独自のクスグリを入れることのできる噺で、以前に聴いた時と違うのが、「地獄に噺家が多くいて、その中には弟子から金を取っていたのがいる」と、やんわりと家元のことにふれる。後で「『芝浜』なんてやる奴にろくな噺家はいない」という科白もあるから、結構ターゲットを絞って(?)いたようだ。しかし、私は今年一月の座間の会で、鯉昇の見事な『芝浜』を聴いているぞ^^
 前回聴いた時には気に留めなかったが、一つ勉強(?)になった。赤螺屋(あかにしや)ケチ兵衛が、死ぬ間際に倅に向かって、「死に装束は、本当は首にかけたズタ袋の中に六文銭を入れて、三途の川の渡り賃にするが、私はあくどいことをして銭儲けをしてきたから、間違いなく地獄行きだろう。しかし、地獄の沙汰も金次第。六文銭ではなく小判で三百両入れてくれ」と頼んだから倅が小判を入れているのを親戚の男が見て、本物を入れることはない、と芝居で使う大道具の偽物の小判に替えさせる。この男が参考にした歌舞伎が近松門左衛門作の『梅川忠兵衞』(正式な題は『冥途の飛脚』)と言っていた。そうだったんだ。落語って、ためになるなぁ^^
 ちなみに、地獄にいる閻魔大王の家来たちとして紹介されるのは、青鬼、赤鬼、そして「ごずめず」(牛頭馬頭と書く)に「見目嗅鼻」(みるめかぐはな)。「見目嗅鼻」は『お血脈』にも登場する、いわば地獄の裁判官。
 「冥途喫茶」や「Made in China」などのギャグを挟んで、しっかり二十分でサゲた。

 
 一之輔に負けずにテッパンとも言える『ちりとてちん』を持ち出した鯉昇、そして、その鯉昇の十八番である『粗忽の釘』で堂々と(?)と立ち向かった一之輔。会場は結構ご通家のお客さんも多かったのだろう、ゲラ男、ゲラ子さんはほとんどいなかったが、お互いの一席目での会場の反応は悪くなかったと思う。
 さぁ、こっちも少し“弾けるか”と、一人居残り会。会場近くの路地に気になる赤ちょうちんがあったので、ふら~っと入ったのが、秋田料理の居酒屋さん。写真は撮らなかったのでご覧いただけないが、はたはたの一夜干し、いぶりがっこ、太平山の辛口が旨くついつい飲みすぎて、いつものように帰宅は日付変更線を越えてしまったのだった。
 駅から家まで歩いている間も、まだまだ暑かったなぁ。次の日曜9月1日は二百十日。暦に合わせることもなかろうが、台風が西日本に接近している。もう、水の被害は結構、と言いたい方も多かろう。しかし、地震も含め、自然には逆らえない。いつ何があってもいいように、聴ける時に落語をできるだけ楽しみたいと思うが、宮仕えはなかなかそうもいかないなぁ。
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by kogotokoubei | 2013-08-30 00:21 | 落語会 | Comments(2)
さて、『名人長二』のついて、森まゆみ著『円朝ざんまい』を中心にご紹介する第二弾の始まり。

 前回も紹介したように、雲助は三カ月連続での口演。「らくご街道 雲助五拾三次」を主催されている「いたちや」さんのサイトに、それぞれの回の題目が書かれている。
「いたちや」さんサイトの該当ページ
11月18日 仏壇叩き 湯河原宿 谷中天龍院
12月24日 請地の土手 清兵衛縁切り
 1月15日 お白洲 大団円



 私の二回目、題をつけるなら、「谷中天龍院 幸兵衛とお柳」とでもなるだろう。

森まゆみ著『円朝ざんまい』から、まずはご紹介。

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森まゆみ著『円朝ざんまい』(文春文庫)

 湯河原から帰って、さっそく谷中の天龍院が登場。そして、事件の香りが漂ってくる。

 湯河原で出生の秘密を知った長二は、実の親達の無慈悲を嘆き、養父の供養をと、谷中三崎(さんさき)の天龍院へまいり、和尚に特別の回向をたのむ。丹精をこらして経机、磐台(きんだい)をつくって本堂に納め、両親の命日には、雨風をいとわず墓参りをする。
 その経机に目と止めた檀家の男、

   年の頃五十一二で、色の白い鼻準(はなすじ)の高い、眼の力んだ
  丸顔で、中肉中背、衣服は糸織藍万の袷に、琉球紬の下着を袷重ねに
  して、茶献上の帯で、小紋の絽の一重羽織を着て、珊瑚の六部球の
  緒締に、金無垢の前金物を打つた金革の煙草入は長門の筒差といふ、
  賤しからぬ拵へです・・・・・・

 浅草鳥越の亀甲屋幸兵衛は屋敷家業、というのはお武家の用を足し繁昌している商人のことをいうのだが、これが長二に客火鉢を二十に煙草盆を五、六対拵えてもらいたいという。「桐でも桑でも構いません」。ここが事件の発端。


 
 円朝の衣装に関する詳細な描写、ある意味で歴史的な価値があると思う。そして、こういった内容を古今亭志ん生は、楽しそうに語ってくれるのだが、生涯着物で通した志ん生だけに説得力があるんだよね。

『円朝ざんまい』の著者は相棒のぽん太と谷中天龍院を訪ねている。

 連休の谷間の一日、私はぽん太を伴い、こんどは谷中天龍院を訪れた。ご住職の北折玄昭和尚(当時)は寺が、「指物師名人長二」の舞台とはご存知なかったが、快く「お上がりください」と案内してくださった。
「うちは臨済宗妙心寺派に属する禅寺で、寺号は海雲山といいましてな、これは谷中三崎が大昔は海の入江であったことからついたものでしょう。私は昭和三十六年(1961)からここに縁があっております。
 もともと神田の北寺町あたりにありまして、慶安のころ焼けて谷中に移りまして、ここに来てからも彰義隊の上野戦争で焼けております。ですから『名人長二』のころ、文化文政の資料などはないのです。象潭(ぞうたん)和尚という方が寺を再興され、少しあいて明治三十八年(1905)、実厳(じつがん)和尚のときにいまの本堂を建てましたが、この方も早く亡くなってしまいました。指物師の檀家や豪商の旦那がいたかどうかは確かめようがない」


 寺に歴史あり。そして江戸時代に頻繁に発生した火事が、そういった歴史的遺産をどれほど焼き尽くしてきたのだろうか、とも思う。

 本書にも天龍院の外観と訪問時のご住職の写真が掲載されているが、天龍院のサイト(だと思うのだが?)から写真を拝借。
谷中「天龍院」のサイト
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 場所は円朝の墓がある、あの全生庵のすぐ裏。まぁ、どっちが表でどっちが裏かは何とも言えないが。
 円朝も当時の天龍院の住職と面識があって、作品に登場させたのだろうと思っていたら、しっかりこの本にも書いてある。

 物語の和尚様はよほど親切な方と見える。円朝は三崎あたりで育ち、天龍院の目の前の全生庵に明治二十年代によく来ていたわけで、その象潭・実厳和尚もじっさい知っていたのではあるまいか。


 
 さて、話は天龍院の檀家で、長二に指物の注文を出した亀甲屋幸兵衛のことに戻る。私と同じ幸兵衛という名なのだが、残念ながら亀甲屋は私と違って(?)悪い奴だった。

亀甲屋は四月も末、深川不動の開帳の帰り、柳島の別荘に帰る途中、平清(ひらせい)の折り詰料理を持って、妻お柳をつれて長二の仕事場へ寄る。平清というのは、深川佐賀町にあった料亭で、山谷の八百膳にまさるとも劣らないといわれたが、明治三十年代に廃業している。

   お柳の装(なり)は南部の藍の子持縞の袷に黒の唐繻子の帯に、極微塵
  の小紋縮緬の三紋の羽織を着て、水の滴(たれ)るやうな鼈甲の櫛笄(く
  しかうがい)をさして居ります。年は四十の上を余程越して、末枯れては
  見えますが、色ある花は匂失せずで、何処やらに水気があつて、若い時は
  何様(どん)な美人であつたかと思ふ程でございますが、・・・・・・

 お柳は長二の顔を見るなり蒼くなって肩で息をし、そこそこに引き上げる、と紙入れを忘れていった。長二がそれを届けに行くと入れちぎに亀甲屋の手代が、こんどはこれも有名な料亭、橋本の折りと柳の手紙を届けてくる。これを見て、

   衣食住と云つてな着物と食物と家の三つア身分相応といふものがある
  と、天龍院の方丈様が云つた、職人ふぜいで毎日店屋の料理なんぞを
  喰つちア罰があたるア、貰った物にしろ毎日こんな物を喰つちア口が
  驕つて来て、まづい物が喰へなくなるから、実ア有がた迷惑だ、職人
  でも芸人でも金持に贔屓にされるア宜(い)いが、見やう見真似で万事
  贅沢になつて、気位まで金持と気取つて、他の者を見くびるやうになる
  から、己ア金持と交際(つきあ)うことア大嫌えだ。・・・・・・

 樋口一葉は歌塾萩の舎(や)の貴婦人たちのお供で向島に梅見に行った帰り、「橋本屋の鯉こくは何うまかるべき」と書いている。長二と共通した意地といえよう。


 歌川広重の「名所江戸百景」で「柳しま」に描かれているのが、料亭橋本である。Wikipedia「名所江戸百景」から画像を拝借した。Wikipedia「名所江戸百景」

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 原作から引用されている、“贅沢になつて、気位まで金持と気取つて、他の者を見くびるやうになるから、己ア金持と交際(つきあ)うことア大嫌えだ”、という言葉、円朝の本音なのか、それとも自省の言葉なのか。
 
 さて、長二は、幸兵衛・お柳の柳島の別荘を訪れて身の上話をするうちに、自分の背中の傷を二人に見せることになる。その場面、青空文庫の原作から、少し引用したい。この場面でも料理は橋本から取り寄せている。
 *コピペすると、ルビがそのまま漢字のあとに続いてしまい若干読みにくさもあるかと思いますが、ご容赦のほどを。
青空文庫「名人長二」

 長「へい私わたくしの実の親達ほど酷むごい奴は凡およそ世界にござい
  ますめえ」
 とさも口惜くやしそうに申しますと、お柳は胸の辺あたりでひどく動悸どうきでもいたすような慄ふるえ声で、
 柳「何故だえ」
 長「何故どころの事こっちゃアございません、私わたくしの生れた年
  ですから二十九年前めえの事です、私を温泉のある相州の湯河原の
  山ん中へ打棄うっちゃったんです、只打棄るのア世間に幾許いくらも
  ございやすが、猫の死んだんでも打棄るように藪ん中へおッ投込ぽり
  こんだんと見えて、竹の切株が私わっちの背中へずぶり突通つッと
  おったんです、それを長左衛門という村の者が拾い上げて、温泉で療治
  をしてくれたんで、漸々よう/\助かったのですが、其の時の傷ア……
  失礼だが御覧なせい、こん通りポカンと穴になってます」
と片肌を脱いで見せると、幸兵衞夫婦は左右から長二の背中を覘のぞいて、互に顔を見合せると、お柳は忽たちまち真蒼まっさおになって、苦しそうに両手を帯の間へ挿入さしいれ、鳩尾むなさきを強く圧おす様子でありましたが、圧おさえきれぬか、アーといいながら其の場へ倒れたまゝ、悶え苦くるしみますので、長二はお柳が先刻さっきからの様子と云い、今の有様を見て、さては此の女が己を生んだ実の母に相違あるまいと思いました。


 うすうすは察していた長二だが、これでお柳が実の母親であると確信した。

 それから半年後、幸兵衛とお柳が長二の家にやって来た。ここで、長二は、募る思いを吐き出した。この場面、『円朝ざんまい』では要約されて紹介されているが、ここは今松、雲助の高座でも重要な見せ場になるはずなので、原作から引用したい。

 柳「これは少いが、内儀さんを貰うにはもう些ちっと広い好いい家うちへ
  引越さなけりゃアいけないから、納とってお置きなさい、内儀さんが
  決ったなら、又要るだけ上げますから」
と長二の前へ差出しました。長二は疾とくに幸兵衞夫婦を実の親と見抜いて居りますところへ、最前からの様子といい、段々の口上は尋常ひとゝおりの贔屓でいうのではなく、殊に格外の大金に熨斗を付けてくれるというは、己を確かに実子と認めたからの事に相違ないに、飽までも打明けて名告らぬ了簡が恨めしいと、むか/\と腹が立ちましたから、金の包を向うへ反飛はねとばして容かたちを改め、両手を膝へ突きお柳の顔をじっと見詰めました。
 
 長「何です此様こんな物を……あなたはお母っかさんでしょう」
 と云われてお柳はあっと驚き、忽ちに色蒼ざめてぶる/\顫ふるえながら、逡巡あとじさりして幸兵衛の背後うしろへ身を潜めようとする。幸兵衛も血相を変え、少し声を角立てまして、
 幸「何だと長二……手前何をいうのだ、失礼も事によるア、気でも違っ
  たか、馬鹿々々しい」
 長「いゝえ決して気は違ちげえません……成程隠しているのに私わっち
  が斯う云っちア失礼かア知りませんが、棄子の廉かどがあるから何時
  まで経っても云わないのでしょう、打明けたッて私が親の悪事を誰に
  云いましょう、隠さず名告っておくんなせえ」
 と眼を見張って居ります。幸兵衞は返答に困りまして、うろ/\するうち、お柳は表の細工場さいくばの方へ遁にげて行きますから、長二が立って行って、
 長「お母さん、まアお待ちなせえ」
と引戻すを幸兵衛が支えて、
 幸「長二……手前何をするのだ、失礼千万な、何を証拠に其様そんなこと
  をいうのだ、ハヽア分った、手前てめえは己が贔屓にするに附込んで、
  言いがゝりをいうのだな、お邸方やしきがたの御用達ごようたしをする
  龜甲屋幸兵衞だ、失礼なことをいうと召連訴めしつれうったえをするぞ」
 柳「あれまア大きな声をおしでないよ、人が聞くと悪いから」
 幸「誰が聞いたッて構うものか、太い奴だ」
 長「何で私わっちが言いがゝりなんぞを致しましょう、本当の親だと明して
  おくんなさりゃアそれで宜いいんです、それを縁に金を貰おうの、お前め
  えさんの家うちに厄介やっけいになろうのとは申しません、私は是まで
  通り指物屋でお出入を致しますから、只親だと一言ひとこと云っておくん
  なせえ」
 と袂に縋すがるを振払い、
 幸「何をするんだ、放さねえと家主いえぬしへ届けるが宜いか」
と云われて長二が少し怯ひるむを、得たりと、お柳を表へ連れ出そうとするを、長二が引留めようと前へ進む胸の辺あたりを右の手で力にまかせ突倒して、
 幸「さア疾はやく」
 とお柳の手を引き、見返りもせず柳島の方かたへ急いでまいります。



 実の親だと名乗って欲しい長二と、過ちを暴かれたくないお柳・・・・・・お柳と幸兵衛には、他にも知られたくない過去があるのだ。

 それにしても、この葛藤の場面、見せ場でしょう!

 特に、お柳がくれようとした金を見て、“何です此様(こんな)物を……あなたはお母っかさんでしょう”の科白と、その言葉に、“はあっと驚き、忽ちに色蒼ざめ”るお柳の姿、
今松、雲助、どんなふうに演じてくれるのか、大いに楽しみだ。

 この後、長二は、お柳が置いていった五十両を返そうと二人を追うのだった。先回りして長二が幸兵衛とお柳を待つのが「請地の土手」。

 さて、長二を待ち受ける運命とは・・・・・・次回をお楽しみに。
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by kogotokoubei | 2013-08-28 19:11 | 落語のネタ | Comments(1)
円朝の命日に、11月に同じ一門の雲助と今松が『名人長二』を高座にかけることを紹介した。
2013年8月11日のブログ

 私は雲助が予定している三回全てには行けそうにないが、どれか一日か二日と今松の会に行くつもりである。それで、このネタの予習をしておこうと思った次第。

 円朝の命日のブログでは、永井啓夫『三遊亭円朝』から次のようなネタ成立の背景を引用した。


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永井啓夫著『新版 三遊亭円朝』(青蛙房)


 明治二十五年、大阪より帰京後、怪我をした円朝が湯河原で湯治中創作にとりかかった作品である。
 題材は、有島武夫人幸子から教えられたフランスの小説家モーパッサンの小説『親殺し』(Un parricide、1884年作)を翻案、作話したといわれている。
 有島武(1840-1914、有島武郎、生馬、里見弴の父)が横浜で税関長をしていた頃、部下にフランス文学の研究者があり、その人から聞いた話を有島夫人幸子が書きとめて円朝に送ったのである。これに対する円朝の礼状が、有島家に所蔵されている。
 モーパッサンの作品がわが国で始めて翻訳紹介されたのは、明治三十三年「帝国文学」に掲載された「ゐろり火」である。翻案にしても、円朝がその八年前にモーパッサン作品を手がけていることは注目すべき事であろう。
 ストーリーは翻案とはいえ、主人公の指物師長二は、本所割下水に住んでいた名人気質の指物師で、円朝とも親交のあった長二をモデルにしている。
 円朝の弟子一朝が若い頃、夜店で八銭ほどの赤間硯を買って来て円朝に見せたところ、「よい硯だから、長二さんに蓋を作って貰って上げよう」と頼んでくれた。二ヵ月ほどで良い蓋が出来て来たが、手間賃は二円だったという。二ヵ月も、三ヵ月も遊んでいて、いざ仕事にかかると夜の目も寝ずに仕上げるという名人肌で、女房をはじめ他からは奇人として見られていたらし

 近所にいたモデルとなる職人さんと、モーパッサン作品との融合、円朝ならではの仕事である。横文字になってしまうが、“イノベーション”とは、無から有を生み出すのではなく、既存の複数のものの融合で新たな価値を創造することであると考えると、円朝は、とんでもなくイノベーティブな人物だったと思う。




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森まゆみ著『円朝ざんまい』(文春文庫)

 もう少しこのネタの予習をするなら、参考書として森まゆみ著『円朝ざんまい』をはずすわけにいかない。

 この本は原作の紹介のみならず、その舞台を著者が“ぽん太”こと編集者山本明子と一緒に訪問する道中の話が楽しい。
 
 雲助は三カ月連続での口演だが、「らくご街道 雲助五拾三次」を主催されている「いたちや」さんのサイトに、三回それぞれの回の題目が書かれている。
「いたちや」さんサイトの該当ページ
11月18日 仏壇叩き 湯河原宿 谷中天龍院
12月24日 請地の土手 清兵衛縁切り
 1月15日 お白洲 大団円


 私も『円朝ざんまい』を中心にこの噺のことを何回かに分けて書こうと思う。回数は四回位になりそう。よって、粗筋を知らないままで雲助や今松の高座を聴きたいという方は、ネタバレになりますので、お読みにならない方がよいでしょう。知りたい方は、少しダラダラと書きますが、よろしくお付き合いのほどを。

 この第一回のお題をつけるなら、「仏壇叩き 湯河原の捨て子」というところか。
 
 円朝の原作そのものにご興味のある方は、「青空文庫」をご覧のほどを。この原作からも少し引用するつもり。
青空文庫『名人長二』

 それでは、『円朝ざんまい』で前から三つ目のお題となっている「指物名人長二」-江戸屈指の男ぶり<本所・湯河原・谷中>、より引用。


 次は江戸屈指のいい男をお目にかけよう。
 長二、東両国大徳院前の親方清兵衛の弟子で、本所〆切というところで一本立ちし、腕を磨く指物職人だ。
 長二は此時二十八歳の若者で、眼がきりりとして鼻筋がとほり、何処<となく苦味ばしった、色の浅黒い立派な男でございますが、酒は嫌ひで、他の職人達が婦人の談(はなし)でもいたしますと怒るといふ程の真面目な男で、只腕を磨く一方にのみ身を入れて居りますから、外見(みえ)も飾りもございません。

 いまどきいませんよ。こんなガタイの良さそうな、なりも気にせず、どこへ行くにも仕事着のまま、膝の抜けかかった盲縞の股引に、垢染みた藍の万筋の木綿袷の前をいくじなく合せて、縄のような三尺を締め、袖に鉤裂のある印半纏を引掛けていて、動くたんびにどこからか鋸屑がこぼれる・・・・・・う~ん、母性愛が刺激されちゃう。


 この本、こういった“森節”とも言える文章が楽しい。

 とにかく、いい男なのだよ、長二は。こんな職人長二の噂を聞いたお金持ちが、彼に注文をするようになる。

 面白い職人もあるものだ、と噂をきいて、浅草蔵前の坂倉屋助七が購(もと)めておいた三宅島の桑板で、先祖の位牌を入れる仏壇を指させようと丁稚に呼びに遣わす。ふつうならご大家の主人をお得意様にと飛んでくるところ。「己ア呼付けられてへいへいと出て行くような閑な職人ぢゃアねえ」と鉋屑の中へ寝転んで煙草を呑んでいる。「火の用心の悪い男ですねえ」と語り手の円朝が、客をここでちょっと笑わす。

 さて、この坂倉屋からの仕事、これがこのネタの一つの聞かせどころだろう。雲助の第一回目「仏壇叩き」に関した内容は次の通り。

板を預けたはいいが出来あがったのは七ヵ月目。「手間賃は百両」との長二の言に、坂倉屋は余りに法外とのけぞった。「それだけ手間がかかったのです。素人衆には分かりますまいよ」「嘘だと思召すなら才槌で打擲(ぶんなぐ)ってごらんなせい」・・・・・・長二の言葉の一つ一つがカッコ良い。シビレル。
 売り言葉に買い言葉、高慢をいうにもほどがあると助七、才槌で続けざまに仏壇を打つが「止口釘締(とめぐちくぎじめ)は少しも緩みません」。

 この部分、青空文庫の円朝の原作では、このようになっている。


「旦那……高言か高言でねえか打擲(ぶんなぐ)ってごらんなせい、打擲って一本でも釘が弛(ゆる)んだ日にゃア手間は一文も戴きません」
「ムヽ面白い、此の才槌で力一ぱいに叩いて毀れなけりゃア千両で買ってやろう」と才槌を持って立上りますを、先刻から心配しながら双方の問答を聞いていましたお島が引留めまして、
「お父(とっ)さん……短気なことを遊ばしますな、折角見事に出来ましたお仏壇を」
「見事か知らないが、己には気にくわない仏壇だから打毀(ぶちこわ)すのだ」
「ではございましょうが、このお仏壇をお打ちなさるのは御先祖様をお打ちなさるようなものではございませんか」
「ムヽ左様(そう)かな」
 と助七は一時(いちじ)お島の言葉に立止りましたが、扨(さて)は長二の奴も、先祖の位牌を入れる仏壇ゆえ、遠慮して吾(われ)が打つまいと思って、斯様(かよう)な高言を吐(は)いたに違いない、憎さも憎し、見事叩っ毀して面の皮を引剥(ひんむ)いてくりょう。と額に太い青筋を出して、お島を押退(おしの)けながら、
「まだお位牌を入れないから構う事アない……見ていろ、ばら/\にして見せるから」
 と助七は才槌を揮(ふ)り上げ、力に任せて何処という嫌いなく続けざまに仏壇を打ちましたが、板に瑕(きず)が付くばかりで、止口(とめぐち)釘締(くぎじめ)は少しも弛(ゆる)みません。助七は大家(たいけ)の主人で重い物は傘の外(ほか)持った事のない上に、年をとって居りますから、もう力と息が続きませんので、呆れて才槌を投(ほう)り出して其処(そこ)へ尻餅をつき、せい/\いって、自分で右の手首を揉みながら、
「お島……水を一杯……速く」
 と云いますから、お島が急いで持ってまいった茶碗の水をグッと呑みほして太息(おおいき)を吐(つ)き、顔色を和(やわら)げまして、
「親方……恐入りました……誠に感服……名人だ……名人の作の仏壇、千両でも廉(やす)い、約束通り千両出しましょう」
「アハヽヽ精神(たましい)を籠めた処が分りましたか、私(わっちゃ)ア自慢をいう事ア大嫌(だいきら)いだが、それさえ分れば宜(よ)うがす、此様(こんな)に瑕が付いちゃア道具にはなりませんから、持って帰って其の内に見付かり次第、元の通りの板はお返し申します」
「そりゃア困る、瑕があっても構わないから千両で引取ろうというのだ」
「千両なんて価値(ねうち)はありません」
「だって先刻(さっき)賭(かけ)をしたから」
「そりゃア旦那が勝手に仰しゃったので、私(わたくし)が千両下さいと云ったのじアねえのです、私(わっち)ア賭事ア性来(うまれつき)嫌いです」


ねぇ、カッコいいでしょ、長二。

『円朝ざんまい』に戻ろう。

 助七は感服して林大学頭(はやしだいがくのかみ)にその始末を認(したた)めてもらい、傷のついて仏壇の由緒として子々孫々の家宝とする。この話が江戸市中の評判となって長二の名が高まる、とここまでが話の前段。
 さて仕事が一段落した長二は、足の疵で痛む兼松を連れ、自分も背中にぽっかりあいた旧疵(ふるきず)が痛むので湯治に出かける。円朝、ここまでに伏線を蜘蛛の巣のように張りめぐらしている。


 このあと、円朝原作の湯河原の描写の紹介になる。この湯河原で、長二は自分の出生の秘密を知ることになるのだ。長二と兼松が逗留した藤屋の給仕の婆さんとの会話から、長二の秘密のベールが次第にはがされていく。

 「お前さんの方の病気は何だね」といわれて長二、「子供の時分の旧疵だ。右の肩の下のところに拇指(おやゆび)の入るくれえの穴がポカンと開いている」。
 河へ泳ぎに行って友達に馬鹿にされ、母に問いただすと、「その疵の事は云ってくれるな」と涙ぐんだ。と聞いて婆さん、しげしげと長二の顔を見、「若(も)しかお前の母様(かかさま)はおさなさんと云わねえか」「ああ左様だ」「父様(とつさま)はぇ」「長左衛門さ」「アレエ魂消(たまげ)たねえ、お前さん・・・・・・長左衛門の拾児(ひろいっこ)の二助どんけえ」。
 はじめてあかされる長二出生の秘密。
「二十七八年前のこんだ、何でも二月の初(はじめ)だった、孩児(ねねっこ)を連れた夫婦の客人が来て、離家に泊って三日ばかりいたのサ・・・・・・」
 婆さんはそのときから働いていた。女は赤ん坊がお前さんの胤に違いないといい、男は一月違うから己(おれ)の児じゃないといい、いさかいして赤ん坊を投げ合う。あくる日、土地の者長左衛門が山へ箱根竹を伐りにいった帰り、竹藪で赤ん坊が火のついたように泣いているのを見つけた。かわいそうに竹の切株が肩のところに突刺っている。長左衛門は抱いて帰って、妻のおさなと、吉浜の医者を呼ぶやら、湯に入れては疵口をなでて看護したら、「大(でけ)え穴にはなったが」疵口が癒(なお)ってしまった。それで名主の伊藤様へ行ってこの子を自分の子にし、夫婦二人で助けたのだから「二助」と名付けた。それが長二にまちがいない。

 私は持っていった「指物師名人長二」を読みながら、湯の疲れが出たのか、うつらうつらと眠ってしまった。

 私も、一杯呑みながら書いているので、そろそろ、うつらうつらなのだが、この場面の婆さんとの会話、円朝の原作を青空文庫から少しだけ引用。


「何処の人か知んねえが、私わしが此家こっちへ奉公に来た翌年あくるとしの事こんだから、私がハア三十一の時だ、左様すると……二十七八年前めえのこんだ、何でも二月の初はじめだった、孩児を連れた夫婦の客人が来て、離家はなれに泊って、三日ばかりいたのサ、私イ孩児の世話アして草臥くたびれたから、次の間に打倒うちたおれて寝てしまって、夜半よなかに眼イ覚さますと、夫婦喧嘩がはだかって居るのサ、女の方で云うには、好いい塩梅あんべいに云いくるめて、旦那に押おっかぶして置いたが、此の児こはお前めいさんの胤たねに違ちげい無ねいというと、男の方では月イ勘定すると一月ひとつき違うから己の児じゃア無ねい、顔まで好よく彼奴あいつに似ていると云うと、女は腹ア立って、一月ぐれえは勘定を間違まちげえる事もあるもんだ、お前めえのように実じつの無ねいことを云われちゃア苦労をした効けいがねい、私わしイもう彼あの家うちに居ねい了簡だから、此の児はお前めえの勝手にしたが宜ええと孩児を男の方へ打投ぶんなげたと見えて、孩児が啼なくだアね、其の声で何を云ってるか聞えなかったが、何でも男の方も腹ア立って、また孩児を女の方へ投返すと、女がまた打投げたと見えてドッシン/\と音がアして、果はてにア孩児の声も出なくなって、死ぬだんべいと思ったが、外の事こッてねえから魂消ているうち、ぐず/\口小言を云いながら夫婦とも眠ねてしまった様子だったが、翌日あくるひの騒ぎが大変さ」
「フム、どういう騒ぎだッたね」
「これからお前めえさんの背中の穴の話になるんだが、此の前めえ江戸から来た何なんとか云った落語家はなしかのように、こけえらで一節ひときり休むんだ、喉のどが乾いてなんねいから」
「婆さん、なか/\旨うめえもんだ、サアこゝへ茶を注ついで置いたぜ」
「ハアこれは御馳走さま……一息ついて直すぐに後あとを話しますべい」

 おいおい、赤ん坊を投げ合うなよ、と言いたいが、最近は若い親による幼児虐待のニュースが多いことに思い至る。

 それにしても最後の方の婆さんの科白を読むと、円朝って、結構遊び心があるねぇ。

さて、円朝の原作の冒頭部分には、次のようなことが書いてある。
 世間でも長二という名人のあった事を知っている者が少のうございますから、残念でもありますし、又先頃弁じました名人競べのうち錦の舞衣にも申述べた通り、何芸によらず昔から名人になるほどの人は凡人でございませぬゆえ、何か面白いお話があろうと存じまして、それからそれへと長二の履歴を探索に取掛りました節、人力車から落されて少々怪我をいたし、打撲で悩みますから、或人の指図で相州足柄下郡の湯河原温泉へ湯治に参り、温泉宿伊藤周造方に逗留中、図らず長二の身の上にかゝる委しい事を聞出しまして、此のお話が出来上ったのでございます。

 ということで、最後に円朝が逗留した湯河原温泉の伊藤屋さんのサイトから、古い建屋の写真をご紹介。
湯河原温泉「伊藤屋」さんのサイト



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 ちなみに森さんとポン太は、『円朝ざんまい』の取材の際、上野屋に逗留。長二と兼松が湯治した藤屋のモデルは富士屋(その後廃業)と言われている。

 伊藤屋さんは、現在では大きく立派な旅館。円朝よりも島崎藤村が『夜明け前』の原案を練った宿として有名らしい。

 たまには、浮世を忘れて、こんな旅館に長逗留したいとは思うが、宮仕えの身ではなかなか・・・・・・。

 さて、第一回はこれにてお開き。出生の秘密を知った長二にどんな物語が待ち受けているのか、次回をお楽しみに。
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by kogotokoubei | 2013-08-27 19:25 | 落語のネタ | Comments(4)
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『あんけら荘夜話』(桂文枝、編集小佐田定雄、青蛙房)


 このシリーズの2回目に釜山時代の文枝のことを書いたが、孝さんから次のようなコメントをいただいた。2013年8月6日のブログ

文枝さんが預けられていた家に従姉がいて、釜山高女に通っていたそうです。私の友人も高女出身でしたので、数年前傘寿の同窓会をしました。私は同窓会のお手伝いをしましたが、前の席に座っておられた方がその従姉で、自分の従弟に落語家の文枝さんがいるというような話をしていたとか。高女38回、昭和19年卒業生です。友人はすでに他界しました。


 ということは、孝さんご自身も傘寿を超えていらっしゃるのであろう。拙ブログを人生の大先輩がご覧になっていると思うと、なんだか身が引き締まるいである。

 孝さんのご友人がお会いになったのは文枝の叔母さんのお嬢さんということになる。孝さんのご友人や文枝の従姉の方が通学された釜山高女の戦前の写真が、「釜山でお昼を」のサイトに掲載されている。
「釜山でお昼を」サイトの該当ページ
 ちなみに、「釜山でお昼を」サイトの管理人の“けい”さんからは、引用とリンクのご承認をいただいている。このサイト、釜山に縁のある方にとっては、非常に貴重な情報が満載だと思う。歴史をしっかり伝える貴重なサイトではないだろうか。

 この従姉さんについて、叔父さん叔母さん家族のこととして、『あんけら荘夜話』に少しだけ記載があるのでご紹介。

 釜山の叔父の家へはそれまでにも三年生の時に遊びに行ったことがあったので、全く知らない土地でもないし、はじめに行った時に近所に友達もできてました。親も「あそこやったら馴れてるやろ」ということで釜山行きを決めたようです。
 叔父というのは大野富一といいまして、私の血のつながった叔母さんの婿さん・・・つまり義理の叔父にあたる人です。叔父のところには子供が三人いてました。私にとったら従兄弟にあたるんですけど、わたしは年上の二人を「兄」と「姉」と呼んでいました。「兄」は高校で、「姉」は女学校へ行ってました。一番下の子は、まだ乳飲み子でした。


 さて、このシリーズの千秋楽(?)ということで、五代目文枝と五代目松鶴との縁を書きたい。
 
 戦後しばらくして、大阪に待望の定打ち寄席ができた。しかし、入門したての文枝が寄席に出演できたわけではない。

戎橋松竹と端席廻り 
 二十二年九月に、松竹の肝煎りで「戎橋松竹」という定打ち寄席ができて、そこではじめて十日間単位の給料が出ました。師匠連中も毎日の寄席興行というのはこれが戦後初だったと思います。それまでは四ツ橋の文楽座でやってましたけど、一週間とか五日間という短期興行だったんです。「戎橋松竹」・・・略して「戎松」。われわれは「えびしょう」とか「えびまつ」とか呼んでいました。元は映画館で四百人ぐらい入る寄席でした。
 私は、はなし家になったことはなったんですけど、戎松の本興行なんかにはなかなか出してもらえません。そこで、当時の若手はビラを持って仮設の小屋とか端席(場末の寄席)でやらしてもらってました。小屋というても青天井です。ぐるりをムシロで囲んだだけの雨が降ったら上演不能という小屋です。高座といっても板を組み合わせて、縄でグルグル巻いてこしらえたような舞台でした。



 戎橋松竹については、12年前にワッハ上方で「戦後の笑いのシンボル戎橋松竹~その時代と演者~」という特別展が開催されていたらしい。サイトで特別展のポスターを見ることができるのだが、コピーができないので、下記でご確認のほどを。
「ワッハ上方」サイトの該当ページ
 

 このような戦後の上方落語界において、ちょっとした騒動が持ち上がる。皮肉にも、その騒動が文枝と五代目松鶴との縁につながる。

新生浪花三友派

 二代目春團治師匠が五代目松鶴師匠と仲たがいして、戎橋松竹をやめることになりました。二代目と二代目の参謀役の花月亭九里丸さんが「新生浪花三友派」というのをこしらえて、松竹から飛び出したんです。二十三年のことでした。
 なんにせよ、戦後のあの時期にせっかく落語の定席ができたというのに、そこを出て、いわば端席を転々として行こうというわけです。だいたい分裂したというのも落語に対する考え方の相違・・・というような問題ではなかったようなんです。五代目についていくのがけったくそ悪い(おもしろくない)というんで、九里丸さんが二代目を煽動して別派をたてたのが始まり・・・という話も聞きました。戎橋松竹を作る時に一番活動したのは九里丸さんなんですよ。五代目が中心にはなったけど、実際に動いたのは九里丸さんでした。それだけの功績がある人やのに、自分でこしらえあげたものを自分でつぶしてしまうんですよ。じっとしてられない性格なんでしょうね。
 その時、うちの師匠も二代目の派に加わって五代目とたもとを分つことになりました。うちの師匠が、
「おまえもいっしょについて来い」
 と言うてくれはったんですが、私は、
「こっちに残って落語を勉強します」
 と言って、ついて行かなかったんです。これは師匠に対する大きな反抗なんですけども、なぜそういう気持ちになったかというと、そのころの私は師匠よりも五代目に頼る気持ちのほうがきつくなっていたんです。
「戎橋松竹で勉強したいんです」
 と私が言ったら、師匠が五代目に、
「あやめが、こう言うとる。竹内さん(五代目の本名)引き受けてくれるか」
 と話をしてくれました。五代目も、
「ほんとはできないことやけども、わしの師匠の四代目松鶴も一時、文枝師匠のもとへ預かり弟子になって『枝鶴』という名前になってた時期もあったさかい、あやめがそこまで言うのやったら、うちで預かることに支障はないやろ。瀬崎さん(うちの師匠の本名は瀬崎米三郎といいました)、安心して行きなはれ」
 と言ってくれました。五代目にしたら、戎橋松竹でせっかく団結してやろうと思っているところかえあ、分裂して出て行くんですから決しておもしろいことはなかったと思います。


 このときの師匠四代目文枝と五代目松鶴との大人の対応、なかなかできるもんじゃない。師匠からは、「わてについてこれへんのか。破門や」と言われても仕方がない。また、五代目からも、「なんで勝手に出て行くあんたの弟子を、わてが面倒みなあかんのや」と断られても不思議はだろう。
 
 さて、この五代目松鶴のことについて書かれた本や資料は数多いが、『古今東西落語家事典』から少しだけ引用。

明治17年9月5日~昭和25年7月22日。大阪の代々続いた大工職の家に生まれるが、十六歳の頃から素人連に加わり、芦廼家(あしのや、または四季亭)梅咲を名乗った。当時の仲間にには、のちに楽語荘の同人となった笑福亭福圓がいた。
 (中 略)
 昭和十年三月に五代目松鶴を襲名。南北両花月で披露を行なった。
 しかし、吉本で落語の待遇が悪くなり、このままでは上方落語は滅んでしまうという危機感から、昭和十一年四月に私財を投じて『上方はなし』を発刊(同十四年四月の第四十九集をもって、紙不足で終刊)。


 『上方はなし』のことは別途書きたいと思う。とにかく、上方落語に関する貴重かつ重要な歴史的資料。

 さて、文枝にとって五代目松鶴とはどんな人だったのか。

 松鶴師匠というのは体の大きな人でした。大工の出身で、ごっつい風貌でね、しゃべりも粗けずりなところに細かく味つけをするようなしゃべりだったように思います。そのくせ女をやらせると良かったんです。私も五代目師匠の女の出てくる噺は大好きでした。
「上方落語を守っていかなあかん」という使命感に燃えてはりましたから、会ではいろんな噺をやってはりました。
 亡くならはった演芸評論家の吉田留三郎さんが、五代目を知らない若い人に、
「五代目て、どんな芸風の人でしたか?」
 と質問された時に、
「今の小文枝をざっくばらんにしたような芸風の人やった」
 とお答えになった・・・という話を聞きました。確かに私のしゃべり方の基本は五代目のしゃべり方なんですよ。もちろん、私と五代目を同じように言うのはおこがましいですし、今の私のしゃべり方の中には私なりの、俗に言う“言葉の色気”というものは入ってきてますが、しゃべりの呼吸(いき)とかは、みんな五代目なんです。ですから、聞きはる人が聞くと「五代目によう似てるな」と言うてくれはるんですね。今やらせてもらっている私のネタの中で『船弁慶』『天神山』『植木屋』なんかは、五代目師匠の呼吸をいただいているんです。

 

 この件を読み、無性に文枝の『船弁慶』を聴きたくなったところで、このシリーズをお開きとしたい。この本へのご興味がある方は、ぜひお読みいただきたいと思います。今回ご紹介した部分など全部で300ページほどのうちの50ページあたり。まだまだ「あんけら荘」の楽しい話が満載なのです。

 長々のお付き合いありがとうございます。釜山のことで、人生の大先輩達からコメントをいただくこともでき、この本をご紹介して本当に良かったと思っています。

では、皆さんご一緒に五代目文枝の『船弁慶』を聴きましょう。

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by kogotokoubei | 2013-08-24 07:15 | 落語の本 | Comments(6)
消費税増税とセットであったはずの社会保障制度改革は、「改革」ならぬ「改悪」の内容のままで、閣議決定され、秋の臨時国会に提出されようとしている。「時事ドットコム」の該当記事

2割負担、来年度にも=70~74歳医療費で−プログラム法案骨子を決定−政府

 政府は21日の閣議で、医療や介護など社会保障制度改革の手順を定めるプログラム法案の骨子を決定した。骨子は、社会保障制度改革国民会議の報告書を踏まえ、70~74歳の医療費窓口負担を2014年度にも1割から本来の2割に引き上げるなど、改革方針や実施時期を具体化した。今秋の臨時国会に法案を提出する予定だ。
 医療分野では、70~74歳の医療費に加え▽1カ月の窓口負担を一定額以内に軽減する高額療養費制度の見直し▽低所得者の保険料軽減と、保険料の上限額引き上げ▽国民健康保険制度の運営主体を市町村から都道府県に移行−などの改革について、14~17年度までをめどに順次実施する。(2013/08/21-16:20)



 社会保障制度改革国民会議の最終報告書は8月6日に提出された。
「東京新聞」サイト8月7日の該当記事

社会保障国民会議 首相に最終報告書
2013年8月7日 朝刊

 安倍晋三首相は六日、社会保障制度改革国民会議の清家篤(せいけあつし)会長と官邸で会い、医療や介護サービスを中心に高齢者や高所得者に負担増を求める最終報告書を受け取った。政府は報告書を踏まえ、改革全体を進める手順や日程をまとめた「プログラム法案」の要綱を今月二十一日までに閣議決定し、秋の臨時国会に提出する。

 首相は「やるべき改革を法案として推し進めていかなければならない」と述べた。

 清家氏は首相に「改革の前提である消費税(率引き上げ)による財源を確保し、改革を速やかに実現してほしい」と要請した。

 政府はプログラム法案を秋の臨時国会で成立させた後、介護や医療など個別の改革について検討を進めて、関連法案を二〇一四年以降、順次国会に提出する方針だ。

 自民党は六日、社会保障制度特命委員会・厚生労働部会合同会議を開き、政府から報告書の内容を聴取。閣議決定前に大綱について詳しく説明するよう政府に求めた。

 報告書は、介護を必要とする度合いが低い「要支援」者を保険の対象から外し、市町村に委ねることや高所得者の利用者負担を現行の一割から引き上げることを提言。七十~七十四歳の医療費窓口負担(一割)を、新たに七十歳になる人から段階的に二割に引き上げることを求めた。



 同じ東京新聞は、前日に下記の記事を掲載していた。
「東京新聞」サイト8月6日の該当記事

一体改革ほご 増税根拠も崩れ
2013年8月6日 朝刊

 民主党が社会保障制度改革に関する自民、公明両党との実務者協議から離脱したことで、三党の協議の枠組みは崩壊し、年金や医療の抜本改革は見送られた。政府の社会保障制度改革国民会議がまとめた最終報告書には国民への負担増ばかりが目立ち、社会保障の将来像は盛り込まれなかった。社会保障と税の一体改革は消費税増税と社会保障の充実・強化の両輪のはずだが、国民が安心できる社会保障制度像を示さないまま、消費税増税だけが進められようとしている。

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 民主党が与党だった昨年八月、野田政権は消費税増税を柱とする一体改革関連法を成立させた。この際、自民、公明、民主の三党は増税による増収は全額、社会保障制度の充実・強化に充てることで合意した。このため、三党は国会議員による実務者協議と有識者による国民会議を設け、改革案を一年かけて、まとめることにした。

 だが、関連法が成立した時点で、すでに社会保障をめぐる協議が破綻する兆しはあった。民主党と自公両党との考えには大きな溝があったからだ。

 民主党は持論である後期高齢者医療制度の廃止や最低保障年金制度の導入を主張。自公両党は受け入れる考えはなかったものの、消費税増税を実現させる点で民主党と一致していたため、協議のテーブルにだけはついた。

 三党は昨年十一月以降、社会保障制度改革に関する実務者協議を重ねた。ただ、現行制度の手直しを主張する自公両党と抜本改革を求める民主党の主張は平行線をたどった。その途中で政権は自公両党に移り、七月の参院選直前に協議は中断してしまった。

 有識者でつくる国民会議も、三党の協議がまとまらない以上、民主党が主張するような抜本改革は取り入れられない。それどころか五日にまとめた報告書では、介護保険で「要支援」の人をサービス対象から切り離すなど、国民に負担増を求める項目が多く書き込まれた。安倍自民党の掲げる家族や地域の負担を重くし、社会保障費を抑える「自助」の視点が色濃く反映された。

 三党が消費税増税関連法を成立させてから一年。増税で国民が安心できる社会保障制度がつくられるはずではなかったのか、という国民の疑問だけが残った。

 消費税増税が十月にも正式決定されれば、税と社会保障の双方で国民に負担増が押し寄せる。一体改革は消費税増税だけの「一方改革」に変質した。(関口克己)



 下記に太字で再度引用するが、政治の空白が招いた弊害は小さくない。
“有識者でつくる国民会議も、三党の協議がまとまらない以上、民主党が主張するような抜本改革は取り入れられない。それどころか五日にまとめた報告書では、介護保険で「要支援」の人をサービス対象から切り離すなど、国民に負担増を求める項目が多く書き込まれた。安倍自民党の掲げる家族や地域の負担を重くし、社会保障費を抑える「自助」の視点が色濃く反映された”

 民主党の崩壊、安倍アメリカ追従政府のために、国民の負担ばかりが増えようとしている。

 最終報告書が提出された8月6日は、たった二週間前ではあるが、多くの日本人が未だアベノミクス幻想に浸りながら、お盆休み前で頬を緩ませていた時期ではないかと思う。

 しかし、お盆休みも明け、アベノミクスの化けの皮がはがれてきた今、ますます国民を不幸にする政府の施策が実行されようとしている。
 
 「社会保障」という言葉からは、「相互扶助」という言葉を連想するが、安倍政権は「自助」がお好きなようだ。

 「保障」とは、「ある状態がそこなわれることのないように保護し守ること」である。「社会保障」は、税負担を含め社会全体で「保護し守る」ことだと思っていたが、「自己責任」で守りなさいという制度なら「自己保障制度」と名前を変えた方がいいだろう。

 今回の「改悪」の前提となっている「社会保障制度改革推進法」自体が国民負担を増やすことにつながっている。全日本民医連は、一年前に、この問題を指摘している。国民負担がどう増えるか、という表を含め引用する。一年前の内容なので、開始時期や負担内容に若干修正が必要だろうが、こういう国民負担が増える傾向にある、ということを知っていただきたい。
「全日本民医連」サイトの該当ページ

消費税以外に7兆円の負担

 二〇一五年までに消費税以外に七兆円超の国民負担増が目白押し(表)。一方、二五七兆円も内部留保のある大企業には、今後二五年間で二〇兆円もの減税です。
 法案について自民党の鴨下一郎衆院議員(元厚生労働副大臣、医師)は「自民党の哲学が貫かれている」と述べています。同党は綱領で「(日本人は)他人に頼らず自立を誇りとする」「公への貢献と義務を誇りを持って果たす」と規定。三党合意には自民党の意見の大半が取り入れられました。
 中央社会保障推進協議会の相野谷安孝事務局長(全日本民医連理事)は、「すでに少なくない国民がギリギリの生活をし、高負担にあえいでいます。小泉構造改革を上回る“暮らし切り捨て・大負担増”をすれば、自殺や孤立死、介護心中が蔓延するのは目に見えています。消費税増税とともに、許してはいけません」と話します。

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全日本民医連の概要をWikipediaから引用。
「全日本民医連」Wikipedia

概要

「無差別・平等の医療と福祉の実現をめざす組織」であると規定している民医連綱領を持つ。2006年1月20日現在、病院・診療所・歯科診療所・保険薬局・訪問看護ステーション・介護老人保健施設・特別養護老人ホームなど、日本47都道府県1768の事業所が加盟しており、日本有数の医療機関関係組織の一つである。
 全日本民医連は医療機関を経営しているのではない。各医療機関等が加盟する都道府県民医連の連合組織であり、民医連に加盟する各医療機関は、それぞれが個別の法人で経営されており、出資・経営形態も様々で、結成当時の法人の数よりも民医連の理念に共感して新規加盟した法人の数の方が圧倒的に多い。
 加盟法人には、生協法人法に基づく医療生活協同組合(医療生協)が多く、他に医療法人(特定医療法人含む)の社団・財団等がある。また、介護保険施設などを運営する社会福祉法人や、薬局などを経営する会社組織の法人も加盟している。
 理念を共有する医療機関のネットワークとして、各地の加盟機関職員が集まって学習会や交流会、研究会などを開催したり、行政や議員への働きかけなども積極的に行っている。また、社会保障の充実を求める運動や平和運動なども行っていることも特徴としてあげられる。



 最終報告の内容は「首相官邸」サイトからダウンロードできる。
「首相官邸」サイトの該当ページ

「Ⅱ 医療・介護分野の改革」の「1 改革が求められる背景と社会保障制度改革国民会議の使命」から引用。


(2)医療問題の日本的特徴

 日本の医療政策の難しさは、これが西欧や北欧のように国立や自治体立の病院等(公的所有)が中心であるのとは異なり、医師が医療法人を設立し、病院等を民間資本で経営するという形(私的所有)で整備されてきた歴史的経緯から生まれている。公的セクターが相手であれば、政府が強制力をもって改革ができ、現に欧州のいくつかの国では医療ニーズの変化に伴う改革をそうして実現してきた。医療提供体制について、実のところ日本ほど規制緩和された市場依存型の先進国はなく、日本の場合、国や自治体などの公立の医療施設は全体のわずか14%、病床で22%しかない。ゆえに他国のように病院などが公的所有であれば体系的にできることが、日本ではなかなかできなかったのである。
 
 しかしながら、高齢化の進展により更に変化する医療ニーズと医療提供体制のミスマッチを解消することができれば、同じ負担の水準であっても、現在の医療とは異なる質の高いサービスを効率的に提供できることになる。2008(平成20)年の社会保障国民会議から5 年経ったが、あの時の提言が実現されているようには見えないという声が医療現場からも多く、ゆえに、当国民会議には多方面から大きな期待が寄せられてきた。さらには、医療政策に対して国の力がさほど強くない日本の状況を鑑み、データの可視化を通じた客観的データに基づく政策、つまりは、医療消費の格差を招来する市場の力でもなく、提供体制側の創意工夫を阻害するおそれがある政府の力でもないものとして、データによる制御機構をもって医療ニーズと提供体制のマッチングを図るシステムの確立を要請する声が上がっていることにも留意せねばならない。そして、そうしたシステムの下では、医療専門職集団の自己規律も、社会から一層強く求められることは言うまでもな
い。

 一方、医療における質的な需給のミスマッチが続いてきたとはいえ、日本の医療費の対GDP比は、現在、OECD諸国の中では中位にあり、世界一の高齢化水準を鑑みれば、決して高い水準にあるとは言えない。日本のような皆保険の下では、価格交渉の場が集権化され、支払側が供給側と比較的強い交渉力を持つことが、医療単価のコントロールに資してきた。こうした中、日本の医療機関は相当の経営努力を重ねてきており、国民皆保険制度、フリーアクセスなどと相まって、日本の医療は世界に高く評価されるコストパフォーマンスを達成してきたと言える。

 だが、GDPの2 倍を超える公的債務残高ゆえに金利の上昇に脆弱な体質を持つ日本は、いたずらな金利の上昇を避けるために財政健全化の具体的進捗を国内外に示し続けなければならないという事情を負っている。今後、医療・介護の実態ニーズ(実需)の増大が、安定成長・低成長基調への移行の中で進むことになるという展望の中で、必要なサービスを将来にわたって確実に確保していくためには、必要な安定財源を確保していくための努力を行いながらも、医療・介護資源をより患者のニーズに適合した効率的な利用を図り、国民の負担を適正な範囲に抑えていく努力も継続していかなければならない。改革推進法第6 条に規定されているとおり皆保険の維持、我々国民がこれまで享受してきた日本の皆保険制度の良さを変えずに守り通すためには、医療そのものが変わらなければならないのである。



 太字にした部分などは、すでに国民負担が増えているにも関わらず、消費税増税は必要である、という主張としか読むことができない。しかし、相当無理のある文章ではなかろうか。
 
 特に、“日本の皆保険制度の良さを変えずに守り通すためには、医療そのものが変わらなければならないのである”というのは、誰に向って言っているのか・・・・・・。

 同じ章からもう少し引用。

(3)改革の方向性
① 基本的な考え方

 まず、日本のように民間が主体となって医療・介護サービスを担っている国では、提供体制の改革は、提供者と政策当局との信頼関係こそが基礎になるべきである。日本の提供体制への診療報酬・介護報酬による誘導は、確かにこれまで効き過ぎるとも言えるほどに効いてきた面があり、政策当局は、過去、そうした手段に頼って政策の方向を大きく転換することもあった。だが、そのような転換は、医療・介護サービスを経営する側からは梯子を外されるにも似た経験にも見え、経営上の不確実性として記憶に刻まれることになる。それは、政策変更リスクに備えて、いわゆる看護配置基準7 対1 を満たす急性期病院の位置を確保しておいた方が安全、内部留保を十二分に抱えておかなければ不安、など過度に危機回避的な行動につながり、現在の提供体制の形を歪めている一因ともなっている。政策当局は、提供者たちとの信頼関係を再構築させるためにも、病床区分を始めとする医療機関の体系を法的に定め直し、それぞれの区分の中で相応の努力をすれば円滑な運営ができるという見通しを明らかにすることが必要であろう。さらに、これまで長く求められてきた要望に応え、「地域完結型」の医療に見合った診療報酬・介護報酬に向け体系的に見直すことなどに、速やかに、そして真摯に取り組むべき時機が既にきていることを認識するべきである。
 また、医療改革は、提供側と利用者側が一体となって実現されるものである。患者のニーズに見合った医療を提供するためには、医療機関に対する資源配分に濃淡をつけざるを得ず、しかし、そこで構築される新しい提供体制は、利用者である患者が大病院、重装備病院への選好を今の形で続けたままでは機能しない。さらにこれまで、ともすれば「いつでも、好きなところで」と極めて広く解釈されることもあったフリーアクセスを、今や疲弊おびただしい医療現場を守るためにも「必要なときに必要な医療にアクセスできる」という意味に理解していく必要がある。そして、この意味でのフリーアクセスを守るためには、緩やかなゲートキーパー機能を備えた「かかりつけ医」の普及は必須であり、そのためには、まず医療を利用するすべての国民の協力と、「望ましい医療」に対する国民の意識の変化が必要となる。


 最後の太字にした部分、“かかりつけ医”の普及の言葉は、その昔には近所に存在した“町の開業医”を増やすことへの提言なのだろうが、そのためには医療の実態を、それこそ「改革」する施策が示されなくてはならないだろう。
 
 点数を増やすために患者を薬づけにし、医薬品メーカーからの寄付と大学での臨床試験協力がバーターになっている現状で、果たして多くの“赤ひげ”の誕生を期待できるのだろうか。それも「自助」努力に任せるのか・・・・・・。

 かかりつけ医の専門分野ではない疾病に対し、患者に「必要なときに必要な医療」をアドバイスすることなど可能なのか。

 セカンドオピニオンについての理解は深まっているが、紹介制度そのものを改善しなければ、「望ましくない医療」をたらい回しにされ、費用ばかり増えることだってある。まず、「紹介状」がなければ診療費が高くなる状態こそ問題である。


 この最終報告書、調べたら「効率」という言葉が23回登場する。

 社会保制度の改革の内容に、「効率」という言葉が頻発することからも、この「改革」の怪しさが分かろうというものだ。

 元気で年金などで十分に暮らしていける高齢者もいらっしゃることに目をつけて負担率を上げる(戻す、ではない)ことは分からないでもない。しかし、そういった施策を含めて国民に納得、いや理解できる説明が必要だろう。
 自分の負担で子供や孫の負担が減る、ということなら、高齢者の方の二割負担だって気持ちよく払えるかもしれない。しかし、そういった説明も、方針も見当たらない。

 問題は、負担と保障のバランスが合うように思えないことだ。

 すでに社会保障における国民負担を増やすように安倍政権は決めている。では、消費税の増税分は、何に使うのか・・・・・・。
 
 政府、官僚は、いったいどこを向いているのか。太平洋の先を見るより足元をしっかり見て欲しい。

 大震災とフクシマからまだ復興の見通しは立っていない。放射能に汚染された水は、今にも溢れ出ようとしている。そして、消費税増税のみ決めて、国民負担が増えるのみ、ではますます復興からは遠ざかるばかりだ。
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by kogotokoubei | 2013-08-21 19:05 | 責任者出て来い! | Comments(2)
日本禁煙学会なる組織が、映画「風立ちぬ」の中での喫煙場面にいちゃもんをつけた。

 私は喫煙家である。分煙には大賛成。しかし、「禁煙」へのファッショ的な攻撃には賛成できない。たぶん、禁煙しても考えは変わらないと思う。

 下記に紹介する「愛煙家通信」が出したプレスリリースには、まったく同感である。
「愛煙家通信」サイトの該当ページ

[2013年8月16日]

プレスリリース全文公開

平成25年8月15日
喫煙文化研究会

映画「風立ちぬ」に対する日本禁煙学会のご要望についての見解

平成25年8月14日、日本禁煙学会様は現在公開中の映画「風立ちぬ」の中で、喫煙場面が「たばこ規制枠組み条約で禁止された、たばこの宣伝・広告に当たる」と指摘し、「法令を順守した映画制作をお願いする」との要望書を公表されました。

これに対し当喫煙文化研究会(すぎやまこういち代表)は以下の様に考えます。
 舞台になっている昭和10年代の喫煙率については、公式のデータがないが、
1950年のデータを引用すると、男性の84.5%が喫煙しており、当時の状況を再現するに当たっては極めて一般的な描写である。
 日本国憲法では、第21条に
1. 「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2. 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
とあり、明確に表現の自由が認められています。
国際条約との優位性においては、現在「憲法優位説」が通説となっています。
 よって、表現の自由に対する「要望」は意味をなさないものです。
 自国の国民同士がいがみ合うことなく、喫煙者と非喫煙者が共生できる「分煙社会」を実現するべきと考えます。
以上



 まだ『風立ちぬ』は見ていないのだが、日本禁煙学会の要望書を取り上げたネットの内容で、この要望書が映画の演出上の重要場面のネタバレをしているのを増幅していたので、見る前に知ったことが残念でならない。

 映画における喫煙の場面で私が未だに忘れないのは、『約束』において岸惠子が吸うショートホープ(だったはず)の一服である。映画の筋書きなどは説明しないが、萩原健一が俳優として活躍するきっかけになった作品で、岸恵子が列車の通路で煙草を吸う場面は、実に印象的だった。未だに、もっとも美しい一服の映像と私は思っている。

 ほとんどの喫煙家は、煙草が健康を損なう危険性があることは承知で、ある意味自己責任で吸っている。分煙はすべきだが、有無を言わせず禁煙を強いたり、喫煙者が過半数の時代の映画の喫煙シーンにいちゃもんをつけることは、ある意味で暴力的な行動だと思っている。

 今回の要望に対する反応に対して、この学会はサイトに「見解」を掲載している。その一部を紹介したい。
「日本禁煙学会」サイトの該当ページ

9.今回の日本禁煙学会の要請を、表現の自由の侵害だと批判する向きがありますが、それはまとはずれです。「表現の自由の侵害」とは、強制権力を持った政府が市民の言論を抑圧することを指すものであり、強制権力のないNPO法人である日本禁煙学会が行う批判活動は、正当な市民的権利の行使に過ぎず、まったく表現の自由の侵害に当りません。 日本禁煙学会が、「風立ちぬ」の表現を批判することも、日本禁煙学会の「表現の自由」です。それは、このアニメの制作者の表現の自由を侵害していることにはなりません。論評や意見表明を行うことは、「対抗言論の原則」に基づいた「表現の自由」社会の現れなのです。

10.日本禁煙学会は、「風立ちぬ」の制作会社に限らず、今後映像作品を制作するすべての方々に対して、タバコ製品および喫煙シーンの露出が子どもと若者に与える影響を熟慮されるよう要望いたします。


 喫煙シーンが喫煙の動機づけになる可能性はあるかもしれないことは、否定はしない。しかし、その影響は、他のメディアにおける他の映像効果と比べ、どれほどの問題性を持つのか疑問だ。

 たとえば、アメリカではビールなどアルコール類を飲む場面のあるテレビCMの放送は禁止されている。それはアメリカでアルコール依存症が多いことが背景にある、いわゆる広告コードによる規制だ。
 しかし、映画で演出上必要な飲酒シーンをカットされることはない。もちろん過度に暴力場面が多い映画やセクシーなカットが多い映画は、視聴する年齢の制限はある。

 日本の若者は、映画よりもテレビを見る頻度の方が圧倒的に多いだろう。なぜ広告コードでアルコールのCMの規制をしないのか・・・・・・。飲料会社の広告費が減ったら広告業界もテレビ局も大変な打撃となるだろう。既得権の維持なのだ。

 それより問題は、ネット依存の方であることは間違いなかろう。若者のネット依存症への対策は果たして検討されているのだろうか。ネットのゲームなどで繰り広げられるバトルシーンの暴力性や、SNSにおける誹謗中傷などによる心理的な影響は、喫煙場面による影響の比ではなかろう。ネットから離れられないことによる心身両面の健康被害は決して小さな問題ではない。
 しかし、ネットのゲーム内容に関する“コード”って存在するの?
 SNSにおける倫理問題に対して、どこかの団体は行動しているの?
 
 ゲームソフト会社やスマホのCMって、広告業界やテレビ局にとって、今日では無視できないよねぇ。ここにも、経済の論理が優先している気がしてしょうがない。新たな時代のネット依存症による問題は、今後どんどん拡大する傾向にある。

 そして、長らく日本の産業界をリードしている業界にだって、いろいろ問題はある。自動車の排気ガス、食品添加物、そして放射能について、どれほどメディアや諸団体は批判的精神を発揮しているのか。

 日本禁煙学会の委員はお医者さんが多いようだが、排気ガス、食品添加物、そして放射能などの発癌性などについて、どのような見解をお持ちなのかお聞きしたいものだ。喫煙はそこに煙草を吸う主体的な個人がいる。排気ガス、ステルス的に存在する食品添加物、そして放射能は、個人の努力だけで防ぐのは難しい。


 さて、煙草は、酒と同じように長~い歴史をもった嗜好品であり、かつては呪術的な道具としても伝統的な文化の中に位置づけられていた。なぜに、他の危険性のある諸々に比べて、これだけファッショ的に非難されなくてはならないのか。

 「愛煙家通信」サイトにある、養老孟司の主張の一部も紹介したい。
「愛煙家通信」サイトの該当ページ

たばこは脳に溜め込んだ無秩序を清算する

 なぜ人はたばこを吸うのかというと、脳の研究者として私はこう考えている。
 仕事や勉強をするという行為は脳の中で「秩序を生み出す」行為である。秩序を生み出すにはエネルギーが必要で、エネルギーを消費するとエントロピーが増大し、無秩序が生み出される。つまり、無秩序は常に秩序と同じ量だけ生み出されるのである。人間は一日の三分の一は眠らないと生きていけないが、眠っている間に溜まった無秩序を清算してスッキリさせていると考えられる。たばこを一服するというのは睡眠と同じで、無秩序を少しだけ清算しているのだ。だから、たばこをやめれば別の方法で無秩序を解放する必要があり、そうしなければ溜め込むばかりになる。
 単に中毒というのではなく、何かメリットがなければ、こんなに多くの人々が吸い続けたりはしない。たばこは健康に悪いかもしれないが、メリットもたくさんある。だから、やめれば問題解決かといえば必ずしもそうとは言えない。
 先に日本では自殺が多いと書いたが、逆に他の先進国に比べて他殺率が低いのも特徴で、もし自殺防止運動が効果をあげて自殺率が下がると攻撃性が他者に向かい、殺人が増えるかもしれない。

融通の利かない原理主義の世界

 この世の中に一対一で「こうすればこうなる」という単純な図式で描けるものなどほとんどなく、想像もしなかったことが必ず起きる。禁煙運動が奏功し、日本人がたばこを吸わなくなれば、もしかしたら無秩序を溜め込んで、心の病になる人も増えるかもしれない。
 経済の側面から見れば、神奈川県では昨年、禁煙条例が施行されたが、零細な飲食店では分煙施設を導入できずに閉店に追い込まれるなど、莫大な経済的損失が起きているとも聞く。
 こういう融通の利かない社会というのは、まさに一神教の世界、原理主義の世界の話である。それもそのはず、禁煙キャンペーンは欧米のサルマネである。私はこういった欧米発のキャンペーンの類いには強い疑いをもっている。
 アル・ゴアの『不都合な真実』の前半は地球温暖化の話で、後半はなぜか禁煙の話だ。いったい何の関係があるのかと言えば、要するに反捕鯨、禁煙、地球温暖化の三つは同根なのだ。反捕鯨は日本を従属させ、禁煙は人類を喫煙者と非喫煙者の二つに分けて片方を葬り、地球温暖化は人類すべてにエネルギーを使うなと強要する。世論操作で何ができるか、徐々に対象を広げて実験をしているのだ。
 しかし、日本人は意外にルーズで常識的なので、お上がいかに世論操作の片棒を担いでも、適当なところで祈り合いをつけるだろう。私だって近くの人から「吸わないで」と言われれば控えるし、分煙に反対するつもりはない。喫煙者と非喫煙者が共存できる社会を作れると信じている。



 そうです。喫煙者と非喫煙者の共存を目指しましょう。酒だって過度に飲めば健康を害するのは明らか。しかし、上戸と下戸だって世の中で共存しているでしょう!
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by kogotokoubei | 2013-08-19 12:28 | 幸兵衛の独り言 | Comments(6)
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福本武久著『新島襄の青春』(ちくま文庫)

 今夜の『八重の桜』ラストシーンは、新島襄が明治7(1874)年10月にバーモント州ラットランドで開催されたアメリカン・ボードの第65回年次大会最終日での別れの挨拶だった。日本での学校設立のための寄付を募るスピーチの様子だったが、詳しい寄付の内容などは来週の放送で紹介されるのだろう。

 この挨拶とその後の出席者の反応を、福本武久著『新島襄の青春』から引用したい。文中のジョセフが新島襄である。ハーディーとは、密航しアメリカに渡った襄(七五三太-しめた-)を支援してくれたボストンの実業家ハーディー夫妻のご主人のこと。

 —日本に帰ってしまえば、おれを助けてくれる者などいない。そうだ!アメリカのクリスチャンに訴えてみよう。
 かれは、クリスチャン・カレッジ設立の計画を出席者のまえでのべ、カンパをもとめようと思いついた。
 ラットランドにゆくと、ジョゼフはすぐにハーディーの宿をたずねた。ハーディーはジョゼフが話し終わると、
「きみの気持はよくわかる。だが成功は期待できないだろう。みんなが関心あるのは日本での伝道だけだ」
 と、いった。
「しかし、ぜひやらせてください。わたしにとっては最後のチャンスです」
「そこまでいうなら、やってみるだけやってみなさい。けれどもあまり期待しないように・・・・・・」
 ハーディーはあきれ顔だった。
 10月9日、ジョゼフは意気ごんで演壇にのぼった。
 かれは、夢中でしゃべりつづけた。アメリカ人からうけた親切に感謝していること、日本を近代化するには、西洋の物質文明をうけいれることだけでなく、自治と自立にめざめた青年を育てることが大切であること。そのため自分は日本に帰り、キリスト教主義の大学をつくりたいとのべ、基金カンパをよびかけた。声がかすれた涙があふれてきた。
「大学を建てる資金なしには、日本に帰ることができません。それをいただくまで、ここに立たせていただきます」
 かれは訴えかけた。



 アメリカン・ボード(American Board of Commissioners for Foreign Missions)とは、Wikipediaによると、北米最初の海外伝道組織で、会衆派、長老派、オランダ改革派などが加わった無教派的な組織であるらしい。
Wikipedia「アメリカン・ボード」
 アメリカにおいて、当時のキリスト教布教者や信者たちにとって権威ある組織と理解して良いのだろう。

 その年次大会の最終日における襄のスピーチは、彼の人生にとって非常に大きな“その時”であった。

 会場に低いどよめきがもちあがった。
 前列に座っている宣教師たちは、こまりはてたように、おろおろしている。
「どうかわたしを日本に帰らせてください。希望を抱いて帰国したいのです」
 ジョセフは、もういちど叫んで目を閉じた。胸の動悸が高まってゆく。会場は静まり返り、せきばらい一つ聞こえなくなった。
「きみの学校のために1000ドル寄付しよう」
 ふいに静寂をやぶって太い声が耳にとびこんできた。目をひらくとワシントンのバーカー博士が立ちあがり、ジョセフをみつめていた。
「わたしも500ドル寄付しよう」
 バーモント州知事のページが立ちあがった。
「わたしも500ドルだ」
 ドージが、ハーディーがつぎつぎに立ちあがって寄付を申し出ると、有力者たちがつぎつぎと後につづいた。


 こういう場面では、誰かの一声が重要なのだ。その声がかかった後は、我も我も、という好循環が訪れる。もし、その一声がかからなければ・・・・・・。

 そして、日本での開校への襄の思いをより一層強くしたのは、次のような心ある支援だったように思う。

「ジョセフ!」
 うしろから呼びかける者がある。
 おやっと思ってふりむくと、ひとりの老人が立っていた。
「これは帰りの汽車賃だが、費用の一部にしてくれ」
 老人はそういって1ドル50セントを差し出した。
「でも、それでは帰れなくなるでしょう」
「なあに、歩いて帰るさ。わしはバーモント州の農民だから、そう遠くない。心配はいらん」
 老人は1ドル50セントをジョセフに握らせると、笑みをうかべた。
「ありがとう」
 ジョセフは受け取らないわけにはゆかなかった。
 かれは大会が終わって、しみじみとよろこびをかみにめながら会場の外に出た。宿舎にもどろうとすると、ひとりの老婆が近寄ってきた。
「あなたの話を聞いて感激しました。わたしは貧しくて、これだけしか持っていませんが、役立ててください」
 老婆はそういって2ドルを差し出した。
 名もない老婆でさえも、自分の志を理解してくれると思うと、ジョセフは胸が熱くなった。



 ジョセフ・新島襄にとって、ハーディー達の高額の寄付は学校設立の資金として、金銭的な支えとして実に大きかっただろう。そして、帰りの汽車賃を削っての老人の1ドル50セント、そして老婆からの2ドルの寄付に込められた“心”は、彼の夢を追い求めるための精神的な支えとして、決して小さくなかっただろうと思う。

 金、金、金、競争、競争、自由(?)、そしてグローバルといった言葉が蔓延する日本。
 
 新島襄のアメリカでのスピーチが国籍を越えた人間同士の絆をつくったのは、日本でキリスト教精神に基づく教育を実践したいという彼の“情熱”である。その“心”は国境を超えるのだ。英語が話せても、その道具を使って何を伝えるかの方が重要であるのは、言うまでもない。

 そして、彼の心の支えになったのは、汽車賃を削った老人からの1ドル50セントの寄付であり、老婆からの2ドルの寄付に込められた熱い“思い”なのだと思う。
 結局、新島襄は5,000ドルの寄付を得て帰国し学校設立に奔走する。
 明治4年に1円=1ドルという為替が設定されたことを踏まえ、当時の1円が現在では7,000円相当と考えられるので、5,000ドルは今日で3500万円近い価値になる。帰りの汽車賃が1万円を超えることはないだろうから、単純に老人の1ドル50セント、老婆の2ドルを想定為替に該当させるのは無理があるとは思うが、彼等にとってなけなしのお金を襄に託したことに違いはないだろう。


 原発再稼動や海外輸出、TPP参加、憲法改正(改悪)など、あの“集団ヒステリー”への逆行に至りそうな危い兆候を防ぐのも、決して“金”でも“力”でもなく、自分の財布から心を込めた寄付を差し出せる一人一人の人間の意志でしかないように思う。
 すでに義務としての税金を払っている国民は、政府や官僚に対し、この国が信頼と尊敬を得られる国になるために働いてもらうことを求める権利がある。それは決して「将来の歴史家の評価」に委ねるようなことではなく、現在の歴史を真っ当な道に引き戻すことが優先されるはずだ。

 国禁を犯して渡米した新島襄を支援したアメリカの市民レベルでの友愛の精神は、その後に失われたとは、私には思えない。もし、失われたものがあるとすれば、それは日本人のほうだろう。新島襄のように、異国の地においても情熱をもって自分の愛国の思いを伝え、自分の意思を貫こうとする、あの頃には存在した日本人としての気位や誇りは、まだ残っているのだろうか。
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by kogotokoubei | 2013-08-18 20:58 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
珍しく、食べ物を主役の記事。夏休み特別企画として、お許しのほどを。

 連れ合いの越後の実家で二人(?)の犬と盆暮れを過ごすのが、ここ数年の慣例となっている。

 私自身も過去に七年間越後で暮らしたことがあるが、最初に「へぎそば」を食べた時の感動は今も忘れない。

 北海道で高校までを過ごしたが、旨い蕎麦を食べた記憶がない。加えて、学生時代を関西で過ごしたので、蕎麦よりうどんが好きになっていたのだが、「へぎ」を食べてから、まったく蕎麦の印象が変わった。

 今日、一時間待ちも厭わずに行ってきた、“へぎの故郷”ともいえる小千谷(おじや)の老舗「角屋」のサイトから「へぎそば」とは何かをご紹介。
小千谷「角屋」のサイト

へぎそば

食通と呼ばれる方々にも是非おすすめしたい本物の味わい。
小千谷のへぎそばは良質なそば粉をふんだんに使い、つなぎに布海苔(ふのり)を使って打ち上げます。 打ち方にも独自の工夫がこらしてあり、その腰の強さと歯ざわりの良さ は広く知られています。

”へぎ”は当地方独特の呼び名であり、その意味は剥板を表しています。 即ち、檜材を薄く剥いで折敷(おしき)を作り、その角盆の中に 一口そばを三十個程並べたものがへぎそばです。

へぎそばは別名を”手 振りそば”と云い、ゆであがったそばを振りながら取り上げたところからこ の名がつきました。このそばの一丸めを”一手振り”と云い、この二つのそばの名称は現在、 登録商標されています。 雪国越後が生んだ素朴な味わい、”小千谷そば”を末永くご愛顧下さいます ようお願い申し上げます。



 角屋の創業は明治二十二年というから、古今亭志ん生の生まれる前年のこと。
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 これが三人前(二千百円)。三人でいただきました。
 
 
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 つなぎの布海苔が効いているのだろう、しっかりした腰と、なんとも言えないツルツル感は、あえて言えば信州蕎麦のパサパサ感と好対照ではなかろうか。もちろん、好みではあるが、私は間違いなく「へぎ」派である。
 ほかにも小千谷や十日町を発祥とするお店は多い。その中でこの角屋は、たれが程よい薄味で蕎麦の味を引き立たせるし、量もたくさん食べられることになる。


こちらが、八百円の天ぷら。
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 南瓜も茄子も結構。気負いのない家庭料理風なのだが、もちろん素人にはできない旨さ。

 関東に戻ると、蕎麦よりも、うどん、あるいはラーメン党になるが、越後の「へぎ」だけは別格である。
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by kogotokoubei | 2013-08-15 15:53 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
なぜか鈴本は縁がなく、四年前のこの会以来である。その時は権太楼の『青菜』、トリさん喬の『百年目』を堪能した。
2009年8月18日のブログ
 新宿、池袋の方が地の利があることに加え、芸協が出ないことも理由の一つである。そろそろ、“冷戦”に終止符を打てないかと思うが、鈴本と芸協との間には、我々には知りえない厚い壁があるのかもしれない。

 さて、夏休みの移動(?)が明日からになったので、今年はさん喬・権太楼に露の新治が加わり、他の顔ぶれも良かったので、楽しみにしていた。

 意外にも当日券が売れ残っていた。最終的には九分位の入りだったろうか。

 演者とネタ、感想と所要時間を記したい。良かったと思うもにに色を付けようと思ったら、全てに色が付きそうなので、やめておこう。


柳家甚語楼『狸賽』 (14分 *17:20~)
 四人の交替出演だが、開口一番の役で三三と左龍と同期のこの人だから、この会の贅沢さが分かろうというもの。何度か聴いているが、この人のこの噺は好きだ。

三増紋之助 曲独楽 (11分)
 いつもの見事な芸とシャベリ。しかし、場所がらなのだろうお客さんのお手伝いによる「トトロ」がなかったのは残念ではある。

春風亭一朝『牛ほめ』 (14分)
 こういう浅い場所で、こういう軽い噺でも、しっかり存在感を示す人だ。この十日間、さん喬・権太楼のほかでは一日も休みなく出演予定なのはこの人だけ。席亭の信頼の厚さを物語る。

入船亭扇辰『麻のれん』 (14分)
 馬石との交替で、この日はこの人。旬なネタであり、十八番とも言えるだろう。杢一が枝豆を食べる場面は何度見ても見事。八代目文楽が『明烏』を演じた後、寄席の売店で甘納豆が売れたように、扇辰が『麻のれん』を演じる日は売店で枝豆を用意すると売れるように思うが、いかがだろう^^

柳家三三『壷算』 (16分)
 喬太郎の代演。落語協会の代演は通常は香盤の上の人になるが、14日の喜多八のみ上、16日の白鳥と三三は下である。このへんは“まつり”ならではの特例で、通常の寄席とは違う考えなのだろう。
 三三のこのネタは、たぶん初めて聴くと思うが、途中で瀬戸物屋の子供たち、一郎・次郎・三郎に飴を分配する可笑しいクスグリがあった。算数のトリックを言葉のトリックに交えるという工夫はセンスの良さを感じさせる。

江戸家小猫 ものまね (11分)
 「板についてきた」という印象。祖父、そして父の芸の継承にとどまらぬ、オリジナリティも感じさせる。この後で一之輔が少しいじったが、“手長猿”は十八番芸になりそうだ。

春風亭一之輔『浮世床』 (11分)
白酒との交替でこの日は一之輔。ブログを見るとこのネタは結構多いようだが、私は初めて。「っ」を「モダンなつ」という表現をするあたりが、この人らしい解釈。サゲが「私は貝になりたい」になるとは思わなかった。

露の新治『ちりとてちん』 (20分)
 仲入り前は、楽しみにしていた人。マクラからしっかりと客を惹きつける話芸が健在。ガード下で酔っ払いのおっさんが妙なことを言う、というネタが楽しい。「俺の時代は終わった」・・・あんたにどんな時代があったんや、に会場も爆笑。
 東京では本来『酢豆腐』、上方がこのネタ、という区分は最近言えなくなってきた。それだけ東京の噺家さんもこっちをかけることが多くなった。しかし、噺本来の可笑しさがあるネタなのだが、人によっては「ちりとてちん」を食べる場面を作りすぎてしまう人がいる。しかし、そのへんは上方本場の芸達者、くどすぎず、しかし笑いのツボをはずさない高座。十日間どんなネタを楽しませてくれるのだろう。一日しか行けそうにない身としては、他の日の演目も気にさせる人だ。

林家二楽 紙切り (16分)
 この人も小猫と同様、父の芸の継承だけではない芸をつくりつつある、そんな印象。桃太郎、三保の松原、朝顔などを切りながら、浅草の蕎麦屋での権太楼との逸話を披露する余裕も出てきた。OHPという小道具も悪くない。

柳家権太楼『幾代餅』 (31分)
 このネタを、「さん喬さんなら人情噺、私がやると滑稽噺、雲助なら怪談噺になる」という喩えが可笑しかった。錦絵の幾代に惚れて恋患いした清蔵から「惚れた人がいる」と聞いた搗き米屋の女将さんが、「相手は誰だい、豆腐屋のおまめちゃんかい、植木屋のお花ちゃん、それとも金物屋のおなべちゃん?」と尋ねる場面が、妙に笑える。
 途中に、吉原に「いつ、行くの?」「今でしょ!」など、楽しいクスグリを挟んではいたが、けっして滑稽話だけではない、ほどよい哀愁も感じさせた高座。私にとっては、病から立ち直った元気な権ちゃんを見て聴けるだけでうれしい。

鏡味仙三郎社中 太神楽曲芸 (8分)
 寄席の吉右衛門は健在。

柳家さん喬『中村仲蔵』 (40分 *~21:10)
 予定の21:15に時間を余らせて終演とは、まったく予想をしなかった。しかし、十分に持ち味を発揮した高座。
 いわゆる“ちょぼ”(義太夫節)を自ら演じる場面も程よく、つけ打ちも効果的だった。下座さん達と一体化した高座とも言えるだろう。
 五段目が「弁当幕」であることを地口で説明するのではなく仲蔵と妻との会話で表現するなど、妻おみつも脇役として効いていたように思う。仲蔵の工夫した新たな斧定九郎役をくどすぎずに演じたことも含め、さん喬ならではの仲蔵を見て、聴けたのがうれしかった。

 終演後は途中で降ったらしい雨も上がっていた。

 これだけ出演者の全てが充実していた寄席というのは、初めてではなかろうか。そんな思いで帰宅してからの酒が旨かった。
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by kogotokoubei | 2013-08-12 23:47 | 落語会 | Comments(6)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛