噺の話

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柳家小満んが主任の席になんとか行くことができた。落語協会のHPで事前に確認したら、夜の部の代演の多さに比べ、昼は小せんが馬石に替わるだけ。
 末広亭の近くで昼食をとってから11:30頃から行列に少しだけ並んで中へ。好きな下手の桟敷を確保。開演時点で七割位の入りだったが、途中からお客様も増えて終演時には二階も開ける大入りになった。開口一番から、よく笑ってくれるお客さんが多かった。

 出演者とネタ、所要時間と感想を書く。

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柳家さん坊『子ほめ』 (10分、*11:51~)
 ある一定の期間、落語会や寄席の開口一番で特定の前座に出会うことはよくあるが、今年のさん坊の確率は、少し高すぎる。ただ、この高座はそう悪くなかった。持ち時間の短いことから、子ほめの部分のみを演じたが、子供の父親の竹がお祝いでもらった短歌の上の句に八五郎が下の句をつける、というサゲ。「竹の子は 生まれながらに重ね着て ああ育つにつれて 裸にぞなる」。このサゲ、初めて聴いた。柳家の型なのかなぁ。いずれにしても、持ち時間の中で演じきる、という意気込みは感じた、こうやって寄席で鍛えられることが大事だ。

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柳家初花『やかん』 (15分)
本人がマクラで名前を覚えてもらうために言っていたクスグリだが、私も聴くのが初めてで、“しょっぱな”である。十人近くいる花緑の弟子の総領。2000年入門だから、再来年の真打昇進候補、ということか。
 このネタはやはり三代目の三遊亭金馬の音源を思い出す。最近の若手では、古今亭文菊がNHK新人演芸大賞で選んだこともある。この人の高座、なかなか頑張った、という印象。ヤマ場の川中島の戦いを一所懸命に演じていたのは、好感が持てた。あと二年の間に、息切れせずに語りきれるかどうか、そういったことが小三治会長を認めさせる重要なポイントだろう。頑張ってもらおう。

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ホンキートンク 漫才 (10分)
 定番のネタだが、やはり可笑しい。ペアの衣装で揃えているのを見たのは、久し振りのような気がする。

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隅田川馬石『狸の札』 (9分)
 小せんの代演。途中で笑って誤魔化せる言い間違いはあったが、短い時間でこの人らしい高座。文化庁芸術祭 大衆芸能部門新人賞を受賞した若手(中堅?)がこういう噺を寄席でかけることで、また一層成長する。この経験は立川流や旧円楽一門では難しい。それを補う努力を個々の噺家ができるかどうかが分かれ目になるだろう。

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三遊亭窓輝『釜どろ』 (12分)
 初である。第一印象、顔色が悪い。見た目と妙に甲高い声が合わない。今元気のある二ツ目、小辰、一蔵、協会は違うが宮治のほうが上か。

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江戸家猫八 物まね (15分)
 いつもの名人芸。

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林家正蔵『味噌豆』 (9分)
 歌舞伎と寄席の違い、浅草演芸ホールのネタなど定番的なマクラの後で、これまたこの人の寄席の十八番の一つとも思えるこの噺。会場は笑ってくれるお客さんが多かったが、その高座は中堅真打の内容とは思えない。
 私が好きな海外ミステリーやジャズについて書いたり語っている内容は結構真っ当なので、落語さえやならければ、なかなかの趣味人だとは思うのだが・・・・・・。

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柳家さん生『替り目』 (14分)
 前半の漫談に近い酔っ払いのマクラは可笑しかった。いい大人は居酒屋のチェーン店などに行かず、小料理屋に行かなきゃないらない。名前は三文字が結構、「あけみ」「かずこ」そして「しのぶ」なんてのがいい。女将は、五十代の美人の未亡人、そういう店に来る客は・・・・・・という終始頷けるマクラから現代風『替り目』へつないだ。正蔵には、到底真似のできない寄席らしい高座、結構でした。

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太空遊平・かほり 漫才 (15分)
 最後のスローライフのネタ、ややブラックでシュールな内容を含んでいて、知的センスの高さを感じる内容。ほう、こういうネタもあったんだ、と感心。

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林家鉄平『桃太郎』 (14分)
 初である。22才で入門して40年、とのこと。今風のクスグリを入れて、自分で笑ってしまう素人臭さは、高座年齢と不相応だが、その愛嬌ある笑顔で和ますのも技なのかもしれない。

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月の家円鏡『代書屋』 (18分)
 初である。都内の定席寄席の中で末広亭が一番、池袋は噺家の家に行って目隠しして拉致されて連れて行かれる、などのマクラの中で「月の家三か条」を披露。その中の第二条は「弱きをくじき 強きにヨイショ」。
 本編は、ほぼ柳家権太楼と同じ型と言って良いだろう、客の名前の湯川秀樹である。会場は大いに沸いていた。寄席のツボをよく分かっている噺家さんだ。

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東京ガールズ 邦楽バラエティ (14分)
 二人とも出身は東京ではない「産地偽装」の三味線コンビ。なかなかこういうタイプの色物さんはいないので、貴重である。

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鈴々舎馬風 漫談 (10分)
 仲トリはこの人。古今亭志ん生や五代目小さんの逸話を中心の漫談。後の時間を考えて短く切り上げた。

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柳家一九『そば清』 (15分)
 この日の収穫の一つは、クイツキのこの人の高座。四年前の同じ末広亭で同じネタを聴いているようだ(後で自分のブログで分かった)が、今回の印象はその時よりも確実に強い。清兵衛さんの蕎麦を食べながら話すリズムもよく、あの「どぉ~もぉ~」がしばらく耳に残った。

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林家正楽 紙切り (10分)
 相合傘、野次喜多、そば清、鯉のばり、の四作。流石だ。

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春風亭正朝『町内の若い衆』 (12分)
 久し振りだ。あの事件以来、出演する寄席を無意識に避けてきたような気がする。しかし、この日はあえて聴くつもりだった。やはり、こういう噺をさせると上手い。オリジナルと思われるクスグリを含め、次のようなネタで会場も爆笑。
・(兄貴の女房と比べて自分の女房のことを)「ありゃあ、流氷に乗ったトドだね」
・(鼻の穴からタバコの煙を上に吐く女房のことを)「インディアンの狼煙か」
・(その女房が、首を振って話を聞いている旦那のことを)「蓄音機の犬じゃあるまいし」
・(ゴキブリなどの虫が這い回る家のことを)「まるで、ファーブル昆虫記だね」
 やはり、この人にはこういう噺はニンだ。そろそろ、あのことも時効と考え、意識して聴こうかと思わせた高座だった。

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柳家小里ん『二十四孝』 (12分)
 寄席にしっかりと江戸の香りを伝えてくれるのがこういう噺家さん。重厚さがありながら、噺家としての愛嬌もある、しかし上品さはこの人ならでは。なかなか他には見出せない人。もっと聴かなきゃ、と思った。

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和楽社中 大神楽 (10分)
 最近は小花の芸の危うさを見るのがスリリングな楽しみになってきた。剣の芸などを見ると、正直なところ一列目に座るお客さんの勇気に感心する^^

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柳家小満ん『らくだ』 (28分、*~16:30)
 小満んでこのネタは初だ。らくだの兄貴分の怖さが秀逸。しかし、長屋の大家との差別化がちょっと苦しいような印象もあった。主任で休みなしの七日目、そろそろ疲れも出る日だったような、そんな気もする。


 帰宅して、犬を医者に連れて行くなどの用もあり当日には書き始められなかった。今日日曜日は先週雨で休みだったテニスの後、クラブハウス、そば屋、昼カラオケのスナックと梯子して、ようやくブログ開始。なんとか書き終えた次第。

 あらためて振り返ってみて、昨日の末広亭は、さん生に一九、そして何と言っても正朝だったかなぁ。
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by kogotokoubei | 2013-04-28 16:33 | 落語会 | Comments(4)
4月25日は、ジャズ・テナー奏者、デクスター・ゴードンの命日。Dexter Gordon、愛称デックス、1923年2月27日に生まれ、1990年の4月25日に旅立った。

 モダンジャズの代表的なテナー奏者として数多くの名演奏を残したことにとどまらず、俳優としても記憶に残る。カリフォルニア州ロサンゼルスで、医者の息子として生まれ、13歳の時にクラリネットを始め、15歳でサックスに転向。十代の1940年からプロとして活動を始め、二十歳の1943年に初めてリーダー・セッションを行う。
 
 マイケル・カスクーナと油井正一さんの共著『ブルーノートJAZZストーリー』(新潮文庫)から引用する。本書は彼が生存中の昭和62(1987)年の発行。
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油井正一、マイケル・カスクーナ『ブルーノートJAZZストーリー』

 デクスター・ゴードンが主役デイル・ターナーを演じた『ラウンド・ミッドナイト』(86年公開)は、地味ながら心に残る映画だった。ジャズが結んだ男の純愛という浮世ばなれしたテーマには首をかしげる向きもあろうが、デックスの“名演技”を否定する人は誰もいないだろう。オスカーは逃したが、しかし演技を地で行くデックスに主演男優賞をさらわれては、俳優稼業数十年のポール・ニューマンも立つ瀬がない。



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『ラウンド・ミッドナイト』の演奏シーン

 この年、ポール・ニューマンがオスカーを射止めたアカデミー賞主演男優賞候補と作品は次のようになっている。

ウィリアム・ハート  -『愛は静けさの中に』
ジェームズ・ウッズ  -『サルバドル/遥かなる日々』
ポール・ニューマン  -『ハスラー2』
ボブ・ホスキンス   -『モナリザ』
デクスター・ゴードン -『ラウンド・ミッドナイト』

 オスカー候補となることだって、専門の俳優にとってもなかなか出来る経験ではない。
 
 しかし、もちろんデックスの本業は、ジャズ・ミュージシャンである。

 
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 岡崎正通、大和明の共著『モダンジャズ決定盤』(音楽之友社、昭和52年発行)のデックスの章から引用。当時は、まだデックスは生存中で、この章は大和明担当である。

 もう数年も前のことだが、何人かのジャズ友が集まると誰ともなしにブラインド・フォールド・テストをやって楽しんだものだ。東京ではソロ・プレイヤーを当てる方式だが、聞くところによると関西ではそのほか曲名を当てさせるそうである。それを仕入れてきた友人のひとりが、それではその上をいくやつをやってやろうとばかりに、ある日のことソロ・プレーヤーを当てると共に、そのソロの中でいくつかの曲が引用されているがそれを当てろという。これには参ってしまった。その時かけたレコードはデクスター・ゴードンの演奏だったが、どのアルバムかは忘れた。こういったブラインド・フォールド・テストにデクスターほど最適のプレイヤーはいない。なぜなら彼ほどアドリブにおけるクォーテーション(アドリブの中に、有名曲の断片を好んで挿入する)を得意とするプレイヤーはいないからである。
 デクスターは40年代初めからプロとして活動をはじめ、44年暮に参加した史上最初のビッグ・バップ・バンドであるビリー・エクスタイン楽団で録音した<ブローイング・ザ・ブルース・アウイ>(『ミスターB』エンバー*デラックス原盤)でジーン・アモンズと演じた壮烈なテナー・バトルと、それに続いてフィーチュアされた<ロンサム・ラヴァー・ブルース>(『ブルース・フォー・セール』エマーシー*ナッシュビル原盤)での力強い、よくうたうアドリブによってその名を高めた。



 デックスの特徴と、プレイヤーとしてのスタート時期について、この大和明の文章は非常に参考になるのだが、この本が1994年に『最新 モダンジャズ決定盤』として改訂された時には、この文章は掲載されていない。最新版は、ガイドブックとしては紹介されているアルバムの数も圧倒的に増えたのだが、ジャズ・エッセイとして岡崎、大和両氏の名文を読むなら、昭和52年の初版のほうが適している。

ふたたび『ブルーノートJAZZストーリー』から。

 50年代のデックスは、55年にベツレヘム他にわずかなレコーディングを残した以外、ほとんど活動を行なっていない。この時代のジャズメンに通例の麻薬禍の結果である。ブルーノートとデックスの関係は、60年夏の“奇跡の復活”後に始まる。
 ブルーノートとの契約を機に、61年、デックスは10年振りのニューヨークへ移るが、しかしキャバレー・カードの問題が彼をクラブ出演から遠ざける。結局、62年に仕事を求めて渡ったヨーロッパに、デックスは十余年間を過ごすことになる。


 この表現では、62年の渡欧以前に作品がないように勘違いするが、それはあくまでクラブ出演ができなかった、ということでレコード収録はできたのである。

 麻薬常習者にはクラブで働くために必要なニューヨーク酒類局のキャバレー・カードが発行されない。そんな時期、同じような経験を経ているピアニストのソニー・クラークを含むクァルテットによるブルーノートの傑作アルバムが生まれた。それが、渡欧直前に吹き込んだ『GO』である。

 デックスの一枚ということになると、人によっては同じブルーノートの『Gettin' Around』(1965年、映画『黒いオルフェ』のテーマ曲で有名)や、パリで旧友のバド・パウエル、ケニー・クラーク達と収録した『Our Man In Paris』(1963年)を挙げる人も多いだろう。

 しかし、私は収録から半年も経ずに亡くなったピアノのソニー・クラークの名サポートを得たこのアルバムを、もっともよく聴いているし、好きなのである。

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GO/Dexter Gordon(BlueNote4112)

1. Cheese Cake
2. I Guess I'll Hang My Tears Out To Dry
3. Second Balcony Jump
4. Love For Sale
5. Where Are You
6. Three O'Clock In The Morning


Dexter Gordon (tenor saxophone)
Sonny Clark (piano)
Butch Warren (bass)
Billy Higgins (drums)
 
Recorded at the Van Gelder Studio,
Englewood Cliffs, New Jersey on August 27, 1962.
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 このアルバムは最初の二曲が特に好きだが、デックスのオリジナルであるタイトル曲をお聴きください。ちなみに、「チーズケーキ」って、水着のピンナップガールのことでっせ。分からない人には、今日の水着姿のグラビアアイドルのこと、って補足しておきましょう。しかし、デックスが曲づくりでイメージしたのは、もちろん金髪美女でしょう^^


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by kogotokoubei | 2013-04-25 00:51 | 今日は何の日 | Comments(0)
第一期安倍内閣で、まったく無駄な努力に終わり、会議が空転した「教育再生」に、あの男が懲りずに挑んでいる。首相官邸サイトに、「教育再生実行会議」の議事や配布資料があるが、4月15日の配布資料から、今回の委員達が何を考えているかを窺い知ることができる。
「教育再生実行会議」4月15日の配布資料

グローバル人材、イノベーション人材についての
委員の主な意見


1.グローバル人材について
【グローバル化を検討する上での視点】
○ 大学教育は、グローバル社会の中で我が国がどのように生き残り、発展するか、その中で大学はどうあるべきかという「国家戦略」としての視点が必要。
○ 日本が如何にして世界に対応するかではなく、如何にして世界に日本を理解させ、日本人の生き方を受け入れさせるかという発想に切り替え、単なる大学の生き残り策ではなく、国家的な文化戦略の一翼を担う政策として大学改革を位置付け直すことが必要。
○ 重要なのは、教育機関のグローバル化と同じ割合で、社会のグローバル化が進むこと。大学で育成した人材が我が国の企業や自治体で活用されないのでは、教育費が無駄。

【大学の機能等に応じた検討の必要性】
○ 大学は多様(①世界水準の教育研究拠点②全国的な教育研究拠点③地域に密着し貢献する中核的存在)であり、個々の大学の性格に応じた対応が必要。グローバル化を担う人材の育成については、圧倒的多数を占める③地域に密着し貢献する中核的存在としての大学においても必要であるかを検討すべき。
○ 相対的に国境を意識しないで済む学問領域と国境を意識せざるを得ない学問領域を区別した上で対応を考えるべき。

【日本人としてのアイデンティティの確立】
○ グローバル人材育成の大前提として、世界が羨む日本の高度で魅力的な伝統や文化、技術、国民性を子どもたちにしっかりと伝え、身に付けさせることを通して、世界の国々から尊敬され、信頼される日本人を育成することが必要。
○ 世界の中で日本人が重要な役割を担い、活躍・貢献するためには、日本人が自らの国や郷土の伝統や文化についての理解を深め、尊重する態度を身に付けることが大切。
○ ほぼ全ての国際的な知識を日本語で学ぶことができるまでにした先人たちの努力の意図に思いを致し、無批判な欧米基準への追随や経済的利益の追求には警戒心を抱き、日本文明の幸福基準を明確に自覚し、その上で外国人と対等に交われる人材の育成を目指すべき。

【大学の国際化】
○ 10 年後、20 年後にはすべての日本の大学が世界ランキング50 位以内から落ちてしまう状況もあり得る。日本の大学に最も不足しているのは国際化。
○ 世界大学ランキングでは、学生や教員の外国人比率が重要な項目であり、大学の国際化推進のため、留学生の受け入れ、海外留学の奨励、語学教育の強化、外国人教員の積極的な登用、英語の授業が必要。
○ 大学における人材の流動性は、学生と教員だけではなく事務にも求められる。教育や研究現場を支える事務部門にも年俸制を導入し、国際的な対応ができる柔軟な組織運営を実現。その際、流動した人材に不利益が生じないよう生涯給料に留意すべき。
○ 英語による学位プログラム(いわゆるグローバル30)の予算が確保されておらず、将来が不透明。教育プログラムには長期的な財政支援が不可欠。



“日本が如何にして世界に対応するかではなく、如何にして世界に日本を理解させ、日本人の生き方を受け入れさせるかという発想に切り替え”って言うけど、それって少し「上から目線」すぎませんか。

 もし、日本の伝統的文化を世界に理解してもらおう、という意味なら理解できるが、きっとこれは違うなぁ。 

 そして、「日本人の生き方を受け入れさせる」という言葉、飛躍すると「靖国」まで行くなぁ。

 同じ日本人でも、この文章の本意は分からない。こんな文章を書く委員に、これからの教育のことを考えさせていいの?

 産業競争力会議と同様、安倍は新自由主義者・競争至上主義者を集めた会議を組織化したような気がする。
 中には頷ける内容もないことはないが、その大きな目論見の一つが「教育のグローバル化」である以上、私はこの会議の成り行きを、眉にツバして見続けざるを得ない。
 産業競争力会議と同様に、人間をストック可能な“物”や“商品”、“植物”か“魚”のように見なしていることが、文面から強く漂っている。

 最近電車でたまに見かける、ある英会話教室の「その国は、英語だけが足りない」という広告が大嫌いだ。この教室は安倍や橋下とグルになっているんじゃないかと思う位、嫌いだ。本質を分かっていないことに加え、どこかのコーヒーのコピーの盗作の匂いもある、センスのないコピーだ。冗談じゃない、英語の前に足らないものがいくらでもある。

 もし、日本人が、日本の伝統文化に根差したアイデンティティで世界に誇れるようになるには、教育で必要なのは、「読み書き算盤」が第一であって、次は「四書五経」を学ぶ(暗唱する)ことではないか。そう、“寺子屋”教育こそが日本の教育の原点だと思う。

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阿川弘之座談集『言葉と礼節』(文春文庫)

 阿川弘之の座談集『言葉と礼節』(2008年8月文春から単行本発行、2012年3月に文春文庫入り)の藤原正彦との座談から引用。

藤原 今の学生なんて、二十年前の学生に比べれば、ロクな個性が
   育っていません。すぐれているのはせいぜいファッション感覚ぐらいで、
   個性の尊重などと言っていると個性は育ちません。小学校では「個」
   より「公」に尽くせと教えたほうが、ずっと個性的て面白い人間が増
   えるでしょう。それに昭和十五年の尋常小学校の国語は週十二時間
   あったのに、今は実質四、五時間。三分の一しかないんです。
阿川 そんなもんですか。だから数学者の藤原さんが一に国語、二に国語、
   三、四がなくて、五に算数と言ってくれるのは実にありがたいんでね。
   僕が家で子供たちにうるさく言ってたのは商売柄、言葉遣いだけです。
   「とんでもございません」なんて言葉はございません、とかね。
藤原 要するに本質的なのは寺子屋教育なんですね。江戸時代の寺子屋の
   先生は教育の基本を知っていたんです。世界中の教育学者が今その
   ことを見失っている。それを財界なんかが主導して、小学生にお金の
   話を教えろとか、中学生から株の売買を教えろとかとんでもないこと
   を言い出している。
阿川 え、株の買い方まで教えるの?
藤原 アメリカの小中学校、二万校で教えているんです。実際に買うわけ
   ではなくて、コンピューター上で売買のシミュレーションして、どれ
   だけ儲けたかを競争させる。アメリカの教育学者は、子供たちが新聞
   の経済欄に目を通すようになって社会への目が開かれたと自画自賛し
   ているんです。こういうの、付ける薬がないっていうんですよね(笑)。
阿川 そりゃあ、ほんとに付ける薬がないね。
藤原 小学生が経済欄なんて読む必要がない。そんな暇があったら本を読ん
   で、掛け算をしっかりやったほうがいいです。だからアメリカの公教
   育のうち、初等・中等教育はほぼ壊滅していますよ。それを真似して
   日本はゆとり教育で失敗したわけですから。
阿川 そうですよ。読み書き算盤が基本なんです。
藤原 日本の財界や経済界には、ほんと腹が立ちますよ。浅知恵、思いつき
   で教育に口を出してくる。小学校で起業家精神を育め、金銭教育を
   しろ、パソコンを教えろ、英語を必修にしろ、大学では卒業して
   産業界ですぐに役立つ人材を養成しととか。傍若無人です。国賊です。
阿川 いいぞ、いいぞ(笑)

*初出は「文藝春秋特別版」2006年11月臨時増刊号

 まったく同感である。もし、教育を再生しようというのなら、阿川弘之や藤原正彦などが会議のメンバーに入って欲しいものだが、そういった発想が安倍にはなかろう。「グローバル化」のために英語の授業が増えれば、ますます国語の時間が減るだろう。英語でチャットできる人間が増えても、とても、“世界が羨む日本の高度で魅力的な伝統や文化、技術、国民性を子どもたちにしっかりと伝え、身に付けさせることを通して、世界の国々から尊敬され、信頼される日本人を育成する”ことにはなりそうにない。

 教育再生実行会議のアイデアは、まさに、“浅知恵”であり、“思いつき”の“再生論”である。いわゆる「国家百年の計」に立って教育を考えているとは思えない。“グローバル化”という表層的な事象にのみ関心があるが、日本人として誇れる人材を育てる、という“志(こころざし)”がないのだ。

 “再生”という言葉だ妥当だとするなら、かつての代表的日本人を育んだ「寺子屋」や「旧制中学」「旧制高校」を思い出すべきだろう。ハウス野菜や魚の養殖のような考えで人材育成を捉えるのではなく、基礎的な素養をしっかし身に着け、どんな困難にも打ち克てる人材を、どう育てるかが基本になければ、グローバルだろうがインターナショナルだどうが、ローカルだろうが、役には立たない。

 私のビジネスの経験からも、まず国語ができていなければ、そして、伝えるべき日本文化についての経験や知識がなければ、英語ができても、何ら深いレベルで海外の人とコミュニケーションなどできない。英語は、あくまで伝える道具。伝える対象、いわばコンテンツが重要なのである。数年前にユダヤ人に江戸時代の長屋の生活や落語のことを説明した時のことを思い出す。たどたどしい私の英語を非常に興味深く聴いてくれたし、相手からはユダヤの文化などについて得難い情報も授かった。

 紹介した教育再生実行会議メンバーの「大学の国際化」についても、見当違いの発想が目立つ。

“大学における人材の流動性は、学生と教員だけではなく事務にも求められる。教育や研究現場を支える事務部門にも年俸制を導入し、国際的な対応ができる柔軟な組織運営を実現。その際、流動した人材に不利益が生じないよう生涯給料に留意すべき”とあるが、年俸制が国際的な対応につながるんだ・・・・・・。
 ユニクロの発想と近いなぁ。事務員と年俸制って、何かしっくりこない。受験や定期試験などを含め、業務時間に山と谷がありそうだ。時間外手当の枠組みをはずし、低い基準で年俸制導入を進め、その先は正規社員ではない派遣社員化になりそうな筋書きが見えないでもない。教育に携わる人間に、競争の原理をあてはめる無理を感じる。

 「グローバル化」と言うキーワードと「教育」の相性の悪さについて、「内田樹の研究室」の記事「学校教育の終わり」から引用したい。内田は「食い合わせが悪い」と表現する。
「内田樹の研究室」の該当記事

経済のグローバル化を強力に牽引しているのはアメリカという国家だが、アメリカの国家戦略を実質的にコントロールしているのはすでに政治家ではなく、グローバル企業である。
国民国家はグローバル資本主義にとって、クロスボーダーな経済活動を妨害するローカルな障壁だが、利用価値がある限りは利用される。
国家資源は、政治家も官僚組織も軍隊もメディアも、もちろん学校教育も総動員される。
だから、グローバル化の進行過程で「国民国家の次世代の成員を育成する」といった迂遠な目的を掲げる公教育機関が存続できるはずがない。
グローバル資本主義は国民国家とも、学校教育とも「食い合わせが悪い」のである。

だから、「グローバル化に最適化した学校教育」はもう学校教育の体をなさない。教育にかかわるすべてのプレイヤーが「自己利益の最大化」のために他のプレイヤーを利用したり、出し抜いたり、騙したりすることを当然とするようなれば、そこで行われるのはもう教育ではないし、その場所は「学校」と呼ぶこともできない。
現に、学校のグローバリスト的再編を求めている当のグローバリスト自身、日本の学校がもう学校としては機能していないことをよく理解している。だから、彼らは平気で自分の子どもには「スイスの寄宿学校で国際性を身につけろ」とか「ハーバード大学で学位をとってこい」というようなことを命じる。日本の学校が「もうダメ」なら、外国の学校で教育を受ければいい。そう言い切れるのは、「学校教育の受益者は本人である」という信憑が彼らのうちに深く身体化しているからである。優秀な人間はどんどん海外に雄飛すればいい。日本なんかどうせ「泥舟」なんだから、沈むに任せればいいというのはひとつの見識である。
だが、そういう人は学校教育については発言して欲しくない。
繰り返し言うが、学校教育は国民国家内部的な「再生産装置」であり、ほんらい自己利益の増大のために利用するものではないからである。

残念ながら今の日本の支配層の過半はすでにグローバリストであり、彼らは「次世代の日本を担う成熟した市民を育てる」という目的をもう持っていない。



 教育再生実行会議が進めようとする施策は、ますます競争の世界に「社会的共通資本」である教育を引きずり出す。そうなれば、内田樹が指摘するように、“教育にかかわるすべてのプレイヤーが「自己利益の最大化」のために他のプレイヤーを利用したり、出し抜いたり、騙したりすることを当然とするようなれば、そこで行われるのはもう教育ではないし、その場所は「学校」と呼ぶこともできない”のではないか。

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宇沢弘文著『社会的共通資本』(岩波新書)
 宇沢弘文著『社会的共通資本』(岩波新書、2000年初版)の「第4章 学校教育を考える」から引用したい。
 

教育とは何か 
 教育とは、一人一人の子どもがもっている多様な先天的、後天的資質をできるだけ生かし、その能力をできるだけ伸ばし、発展させ、実り多い、幸福な人生をおくることができる一人の人間として成長することをたすけるものである。そのとき、ある特定の国家的、宗教的、人種的、階級的、ないしは経済的イデオロギーにもとづいて子どもを教育するようなことがあってはならない。教育の目的はあくまでも、一人一人の子どもが立派な一人の社会的人間として成長して、個人的に幸福な、そして実り多い人生をおくることができるように成長することをたすけるものだからである。


 今、教育再生実行会議とやらがやろうとしていることは、著者が「あってはならない」と指摘する中の、“経済的イデオロギー”にもとづいて教育しようとする試みと言ってよいだろう。

 同じ章の「大学の自由」の部分からも少し引用する。

 今、世界の大学人が共通してもっている問題意識は、政府からの圧力に対して、大学の自由(Academic Freedom)をいかに守るかということである。これは、国立大学はもちろんのこと、私立大学も、国からの財政的援助に対する依存度がきわめて大きくなってきたことに起因する。
 もともと、大学は、重要な社会的共通資本として、一国の文化的水準の高さをあらわす象徴的な意味をもち、その国の将来の方向を大きく規定するものである。このとき、国(Nation)の統治的な機構としての政府(State)からの力に対して、大学の自由をどのようにして守るかということが重要な課題となる。



 まさに、日本の教育はTPPを含めて、“グローバル経済”という政府のイデオロギーによる圧力の危機を迎えている。財政的な援助を求めるあまり、本来個々の大学が持っていた大事な大学としての個性や文化、そして自由を失ってはならないだろう。

 教育の危機を考えると、大河ドラマではないが、「ならぬことは、ならぬ」と譲れぬ一線を守るために教育界の連携や毅然とした大学人の存在を期待しないわけないはいかない。

 教育“再生”というからには、もう一度生まれるための理想とする姿が過去にある、という前提のはずだ。その理想像をどう表象化するか、ということから議論が始まらなければならないのではなかろうか。
 私は、江戸以降の寺子屋的な学習経験を経た数々の偉大な明治人を、まず理想像としてイメージする。自国の文化に誇りを持って、世界を相手にひるむことなく堂々と渡り合いながら、自己の利益ではなく、より良き国づくりのためを第一に生きた多くの先人たちが、どのような教育によって育ったのかを振り返ることから、“再生”を考えるべきだろう。そうした場合に、先に“グローバル化”というキーワードは存在しないはずである。それは、あくまで結果として“グローバル化にも対応できる人間”であるわけで、その人間は国語教育を無視した英語授業氾濫の中では育つわけがない。国語は、日本人として生きること、考えることの基本であるが、英語はあくまで“手段”であり“道具”である。

 教育の成果とは、非特定の道具を正しく使うための基礎的な知識や知恵、経験の場を提供し、一歩進んで道具をより使いやすいように工夫したり、新たな道具を生み出すことにこそ求められるのであって、専門教育ではない分野で、ある特定の道具の使い方を学ぶ授業に偏重したカリキュラムは、基本的には書道や、絵画やピアノ演奏などの授業に偏重したカリキュラムと同じように、誤りである。教育再生実行会議の示す道は、“グローバル化”を唱えながら、成長の後、自国の文化への誇りもなく、自己利益ばかりを考え世界、国家、社会という枠組みで考えることのできない“ローカル”な人間をつくるだけではなかろうか。
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by kogotokoubei | 2013-04-23 19:55 | 責任者出て来い! | Comments(2)
4月22日は旧暦3月13日。慶応4(1968)年のこの日と翌14日、江戸無血開城を導く西郷と勝の会談が、薩摩藩江戸藩邸で行われた、とされている。

 13日が高輪の薩摩藩邸下屋敷、14日が芝の薩摩藩邸蔵屋敷で行われた、ということになっている。同じ芝(三田)にあった上屋敷は前年に焼き討ちされており、会談に使うことはできなかった。

 先週土曜に行った三田落語会会場近く、田町駅のすぐ前の某自動車会社のビルのあたりが当時の蔵屋敷で、西郷・勝会談の記念碑がある。昭和29年に建てられたらしい。

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 記念碑にある会談模様のレリーフ。左が西郷、右が勝。

 三田落語会の後の居残り会でSさんから記念碑を撮影したことをお聞きし、少しググってみたら、ちょうど今の時期に会談があったことを知った次第。

 この会談があったから、江戸が戦火にまみれることを防いだと言えるが、その後の彰義隊と官軍との戦い、そして会津や長岡での戊辰戦争の悲劇までを防ぐには至らなかった。

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吉村昭著『彰義隊』(新潮文庫)

その日の様子を吉村昭著『彰義隊』から引用する。

 西郷は、山岡の後を追うように駿府をはなれ、幕僚とともに江戸にむかっていた。大総督府は、三月十五日に江戸へ進入することを決定していたが、その件について旧幕府側と協議するためであった。
 三月十三日、西郷は、江戸高輪の薩摩藩邸に入り、江戸城に使者を立てて、その旨をつたえた。それを知った山岡は、すぐに薩摩藩邸に出向き、身辺警護の任についた。
 勝が、幕府側の代表者として馬で江戸城から薩摩藩邸に行き、座敷に通された。
 西郷が、山岡とともに姿をあらわし、勝と対座した。以前に一度会ったことがある二人は親しげに挨拶をかわし、雑談になった。
 かれらは、互いの考え方をさぐるように肝腎のことについてはふれない。西郷は、勝が益満を世話してくれたことに礼を述べたりした。
 その日の昼すぎから雷鳴がとどろき、霰が降ったりしていたが、やがて天候が回復した。
 勝は山岡と相談して、西郷を薩摩藩邸に近い愛宕山に案内した。山上からは、江戸の町々が遠くまで見渡せた。
 勝は、家並みのひろがりに眼をむけながら、
「明後日は、これが焼け野原になっているかも知れませんな」
 と、つぶやくように言った。
 十五日に朝廷軍が江戸に進撃することを知っていた勝は、西郷がそれを実施するかどうか、探りを入れたのだ。
 西郷は、無言であった。
 翌日、勝は再び薩摩藩邸におもむいた。


 山岡とは、もちろん山岡鉄太郎(鉄舟)。益満とは益満休之助のことで、西郷の命を受けて江戸薩摩藩邸を本拠に浪人を集めて江戸で暴れさせる工作をした男のこと。これが、のちの薩摩藩江戸藩邸上屋敷の焼き討ちにつながり、鳥羽・伏見の戦いのきっかけともなる。のち、幕府方により逮捕され処刑される直前に勝海舟が身請けした。西郷は、そのことで勝に礼を言っているわけだ。益満は山岡の警護役として駿府にも赴いていた。

 会談の内容は割愛。それよりも私が気になっていることがある。読んでいただいたように、史実に忠実なことで知られる吉村昭は、翌日の会談場所について“初日とかわって三田の薩摩藩邸(蔵屋敷)”などとは書いていない。この文脈では、初日と同じ高輪の下屋敷で会談があったということになる。

 吉村昭が、二日目の会談場所を間違うなどということがあるのか・・・・・・。二日とも高輪ならば、紹介した三田の立派な記念碑はいったいなんなのか。
 ちなみに、高輪の下屋敷があった場所は、現在のグランドプリンスホテル高輪(旧高輪プリンスホテル)のあたりらしいが、この一帯に西郷・勝会談を記念するものは存在しないようだ。

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松浦玲著『勝海舟』(中公新書)

その謎の答えを、松浦玲著『勝海舟』(中公新書)に探してみたら、こんな記述があった。

 勝海舟と西郷隆盛の会談は、明治元年三月十三日と十四日との二回にわたっておこなわれた。場所は、江戸の薩摩屋敷。
 この薩摩屋敷がどこであったかには、議論がある。海舟自身にしてからが、日記では、「十三日、高輪薩州の藩邸に出張」「十四日、同所に出張」と、二度とも、高輪南町の薩摩下屋敷まで出かけたように書いているのに、『清譚』の方では「西郷はおれの出したわずか一本の手紙で、芝田町の薩摩屋敷までのそのそ談判にやってくるとは、なかなか今の人では出来ない事だ」と語る。

 
 ちなみに、この『清譚』は『氷川清話』と同じ内容である。この著者は講談社学術文庫の『氷川清話』を江藤淳と一緒に編集している勝海舟研究者。この後に、次のように続く。

おまけに、この場所は海舟の方で選定したのだともいう。高輪の下屋敷と芝田町の蔵屋敷とでは、直線距離で二キロもはなれている。両軍の前線がせりあっている状況ではこの二キロはたいへんな違いである。
 また別に、前年末幕府の手で焼き払われていた三田の旧屋敷のかたすみで会見したとの記録もある。記念碑は、海舟談話に従って芝田町の薩摩藩蔵屋敷跡に立っている。材料が不足しているので、いまは断定を避けたい。


 私は、吉村昭は、記憶の時間的な問題を考え、「日記」を「清譚」より重要視して、高輪にしたのだろうと思う。しかし、あまり大きな声でそれを言うことは憚れたのではなかろうか。

 ミステリーはまだ続く。実は、池上本門寺の中にも、西郷と勝の会談を記念する碑がある。
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 揮毫は西郷従道による。
 松涛園という庭にあった四阿(あずまや)で二人の会談が「慶応四年三月」にあった、とされているのだ。ちなみに池上本門寺は東征軍(官軍)の本陣。西郷が本陣にいたであろうことは容易に察せられる。 

 このあたりは、何とも紛らわしいのだが、次のような推測ができないこともない。

 西郷が池上本門寺に入ったのは3月12日ではなかろうか。13日とされているようだが、12日なら辻褄が合う。12日が池上本門寺、ということである。

 山岡から駿府での首尾を勝が聞いたのは10日とされている。駿府で9日に西郷と会ってから、途中馬に乗り換えて翌日には江戸に戻っている野田。
 吉村や他の記録に残っている通り西郷が13日に江戸入りしたのではなく、一日早く12日に池上本門寺に入っているなら、勝がその日にすぐ西郷を訪ねても不思議はない。いわば、薩摩藩邸での公式会談の事前協議とも言える話し合いがあったのではなかろうか。

 特に勝にとっては協議すべきことが、たくさんある。3月9日の駿府での会談で、西郷から山岡に伝えられた条件は下記の通りであった。

 1.徳川慶喜の身柄を備前藩に預けること。
 2.江戸城を明け渡すこと。
 3.軍艦をすべて引き渡すこと。
 4.武器をすべて引き渡すこと。
 5.城内の家臣は向島に移って謹慎すること。
 6.徳川慶喜の暴挙を補佐した人物を厳しく調査し、処罰すること。
 7.暴発の徒が手に余る場合、官軍が鎮圧すること。

 その場で第二条以降は了承した山岡も、第一条だけは絶対受け入れられないとねばったようだが、結果は西郷の預かりとなっていた。これらのこと以外にも篤姫や和宮のことなども含め、西郷としては過激な面々を抑えて、かつ官軍としての実を取るため、勝としては江戸を戦火から救うとともに、徳川家の面目を保つために、両者が検討すべきことは、少なくない。

 12日に池上本門寺で会談があったとすれば、その内容は極めて秘密に属することだったように思う。だから、記録も残っていないのではないか。

 しかし、勝海舟の日記にも「清譚」にも、池上本門寺で会談があったことは記されていない。松浦玲も吉村昭も、“池上会談”にはふれていない。

 13日は薩摩藩邸ではなく池上本門寺での会談、翌4日は三田の薩摩藩邸で会談、ということもありえるか。

 少しまとめてみよう。池上本門寺での会談もあった、という前提。

(1)12日に池上本門寺で事前会談、13日は高輪の薩摩藩邸、14日に三田の藩邸で会談
(2)13日に池上本門寺で会談、14日は三田の薩摩藩邸で会談
(3)13日に池上本門寺と高輪の薩摩藩邸で会談、14日に三田の藩邸で会談

 高輪か三田か、というミステリーに加えて池上本門寺の会談の有無、これまたミステリーなのだ。これこそ、「歴史秘話」ヒストリーということだなぁ。

 会談が“怪談”めいたところで、本日はお開き。


p.s.
 後から調べてみたら、どうも(1)が正しそうである。しかし、吉村昭も、松浦玲も池上会談にふれていないのが、不思議だ。
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by kogotokoubei | 2013-04-22 19:44 | 今日は何の日 | Comments(2)
 かつて同じ会場でビクター落語会として開催されていた時には、何度か三田まで来たのだが、三田落語会として再出発してからは初である。

 私は基本的に土曜の落語会は昼席のみにしているので選択肢が狭まれることもあるが、これまではチケットがとにかく入手困難な会だった。
 しかし、この会は、来場したお客様が次の会のチケットを優先的に買える枚数を減らす(4枚から2枚に)ルール変更の成果なのか何とかチケットを入手できた。

 前身のビクター落語会は2008年に意図的に通っていた。会場は今と同じパイプ椅子で結構詰め詰めで、周囲の騒音も聞こえるという、理想的とは言えない環境なのだが、木戸銭が2800円と安い割に顔ぶれが良かったので三田までせっせと足を運んだものだ。ビクターの方が会場でDVDを売っっていたことを思い出す。そう、あの会はビクターが落語のDVDを制作するのが目的の一つだったのだ。

ちなみに、2008年に次のような高座を聴いている。

2008年1月25日(土)昼席
柳亭市朗  『小町』
柳手市馬  『時そば』
五街道雲助 『夢金』
桃月庵白酒 『代脈』
柳亭市馬  『二番煎じ』

2008年3月29日(土)昼席
春風亭正太郎『初天神』
入船亭扇遊 『夢の酒』
入船亭扇辰 『五人廻し』
柳家三三  『道具屋』
入船亭扇遊 『花見の仇討』

2008年4月19日(土)昼席
柳家小ぞう 『金明竹』
柳亭左龍  『普段の袴』
柳家さん喬 『花見小僧』
柳家さん喬 『刀屋』
柳亭左龍  『淀五郎』

ここまでは、まだブログを始める前。手帳には○や△なども付いているが、何が良かったのかなどのメモがない。だからこそ、ブログを始めたわけでもある。

2008年10月25日(土)昼席
柳家小ぞう 『初天神』
桃月庵白酒 『短命』
橘屋文左衛門『試し酒』
柳屋喜多八 『文七元結』

 この会はブログの記録がある。
2008年10月25日のブログ

 この日が第25回。今日、私が初めて三田落語会に来たのも第25回、というのは単なる偶然だろう。

 この次の2008年11月の会が“ビクター落語会”としては最後であったが、私は行くことができなかった。なお、この年の12月20日には、ニッショーホールで感謝祭と名付けられたイベントがあり、そちらには行くことができた。この時、私はビクター落語会がホール落語会として再出発するものと、勝手に思い込んでいた。
2008年12月20日のブログ

 そして、あれからほぼ四年半が過ぎようとして、久し振りの三田なのである。

 入場の際に受け取ったプログラムには、喜多八と扇辰が過去に「三田落語会」でかけた演目が記載されていたが、もちろん、ビクター時代のことは書かれていない。
 喜多八は2009年4月以降10回の出演。年に二~三回出演するレギュラー的な存在と言えるだろう。扇辰は2009年10月と2011年4月の後、久し振り三回目の出演ということになるらしい。

少しマクラが長くなった。次のような構成だった。
-----------------------------
(開口一番 柳家さん坊『金明竹』)
柳家喜多八 『鈴ヶ森』
入船亭扇辰 『匙かげん』
(仲入り)
入船亭扇辰 『野ざらし』
柳家喜多八 『百川』
-----------------------------

柳家さん坊『金明竹』 (13:31-13:54)
 この後に喜多八がネタばらしをするのだが、マクラは自分の故郷(北海道別海)のことなどダラダラと13分。私は途中で本を読み始めた。「おまえの個人的なネタのマクラを聴きにきたんじゃない!」と怒っていた。本編も焦りもあったのか噛みながらリズムの悪い出来。今年は開口一番でこの人を聴く機会が多いのだが、今後の精進を期待しよう。

柳家喜多八『鈴ヶ森』 (13:55-14:25)
 正月から“自分の”煙草は禁煙しているとか。この日は楽屋でショートホープを勧められ7階の喫煙所で吸っていたらお客さんからも勧められ、違う銘柄で3本吸ったとのこと。それで、少し息切れしていることもあり、前座のさん坊に開口一番を長くやってくれと頼んだが、マクラのネタも少ないようなので、自分の故郷のことなどで長引かせるよう知恵をつけた、とのこと。あのダラダラマクラの犯人(?)は喜多八だった。
 一席目は『寝床』をやろうと思っていたが、昨夜のラジオ深夜便で桂雀三郎の『寝床』を聴いたら、あまりに良かったので、これはかなわないし、お客さんでも聴いている方がいるだろうから、とネタは十八番の泥棒ものに変更したらしい。マクラでは、この人らしい「芸人は力が抜けているくらいでちょうどういいんですよ」とか池袋の立ち飲み屋のことなど13分で、さん坊とほぼ同じ。しかし、味わいが違うのは当り前。マクラの途中で携帯がなったことも自然に取り込みながら本編へ。
 このネタは、泥棒の親分とマヌケな子分との珍妙なやりとり、鸚鵡返しの可笑しさが楽しいのだが、喜多八版でもっとも印象に残るのが、やはり「竹の子」の場面かなぁ。褌を洗濯して穿いていない子分が腰を下ろしたら、そこに竹の子が生えていた、という設定。これ以上は書かないが、あの時に子分の叫び声と表情が秀逸だ。最近では一之輔の十八番にしており、なかなか楽しいが、一之輔のスピードある語りと好対照な、もったり感とでもう味わいのある高座である。

入船亭扇辰『匙かげん』 (14:26-15:00)
 楽屋で喜多八がしゃべりっ放しで五月蝿い、などの短いマクラからネタ出しされていたこの噺へ。3月5日の白酒との二人会で初めて聴いた。その時のブログに、このネタが講釈を元にして三遊亭円窓が落語にしたことや、細かな筋書きも書いたので、ご参照のほどを。
2013年3月6日のブログ
 円窓が故小金井芦州師のこの講釈を聞いた翌日、一升瓶をぶら下げて教えを乞いに楽屋に出向いたらしい。講談から登場人物も刈り込み、落ちも付けて落語に仕立てたようだ。そのうちに何人かの後輩の噺家が「教えてください」と来たらしいが、扇辰もその一人だったのかと察する。
 悪役の叶屋の表現が先日より一層大胆になったように思う。勧善懲悪の政談ネタ、この人にはニンである。扇辰十八番の一つになりそうだ。

入船亭扇辰『野ざらし』 (15:15-15:44)
 会場でサービスで出されている甘茶のことなど3分のマクラから本編へ。昨年7月に杜のホールはしもとで、喬太郎、白酒との三人の会で聴いて以来だが、途中のハプニングも含め、楽しい高座だった。
 そのハプニングは、前半の八五郎が長屋の隣家尾形清十郎から前夜の出来事を聞く場面で、尾形の怪談めいた話に八が怖がり、尾形の紙入れを懐に入れて逃げようとする場面で、本来は予め目の前に手拭いを置いて紙入れに見立てて懐に入れるのだが、懐から手拭いを出そうとしながら、なかなか出ない。本人も苦笑しながら、「なかなか手拭いが出ない!」と体を揺らす。ようやく取り出した手拭い、私は二枚あって一枚を楽屋方向に投げたと思ったが、終演後のSさんとの居残り飲み会では、三枚あって、途中でもう一枚も後ろに隠した、とのこと。
 Sさん曰く「楽屋で懐に手拭いを入れたことを忘れて、結果三枚仕舞い込んだのだろう」との推測。「似たようなことは、私もよくある」のSさんの言葉に、説得力(?)がある。
 扇辰のこの噺は、この後に喜多八が感心していたように、八五郎が向島で釣り人達を煙に巻いて終わるのではなく、幇間が八の長屋に来るまでの、通しである。喜多八が、きっと分かっていながら「あの噺のサゲは、ああだったんですねぇ、勉強になりました」と言ったサゲは、本来のサゲと同じではない。

本来は、
八五郎「てめえはいったい何者だ」
幇 間「新朝という幇間(たいこ)でゲス」
八五郎「太鼓? はあ、それじゃ、あれは馬の骨だったか」

 だが、これは「太鼓」の皮が馬の皮を使うということを知っていて分かるサゲなので、今日では伝わりにくいわなぁ。扇辰のサゲにつながる八五郎が新朝を殴るのは、回向をした「骨(コツ)」のいい年増を待ち望んでいたのに幇間が現れたことのみならず、主役の座を奪われた八の怒りもこもっていたような気がする。向島で他の釣り人たちに迷惑をかけた八五郎が、長屋にやって来た幇間の新朝にやり込められる、という主客逆転の噺の妙は、通しでなければ味わえない。途中の手拭いのハプニングのせいもあるのだろう、後半は少し落ち着かなかったが、なかなかの高座だった。

柳家喜多八『百川』 (15:45-16:17)
 まず、「扇橋一門は熱演する人が多くて、汗が・・・・・・」と高座を見回す。睦会で扇遊と一緒になることも多いだろうから、兄弟子も汗を高座で撒き散らしているのだろうか。力をセーブしながら、“ここ”という場面のみ力を入れるこの人とすると、終始力を入れ続ける噺には、反論が半分、そして尊敬も半分ありそうな発言。扇辰の野ざらし通しを、この人ならではの表現で褒めてから、住んでいる高田の馬場近辺の昔の商店街のことや祭りのことにつなげた。昔の高田の馬場の飲み屋街を歩いていた、最後の幇間とも言われる桜川善平のありし日の姿を語るあたり、喜多八ならではのマクラ。
 ネタ出しされていたこの噺の冒頭で必須な「四神剣」のことをたどたどしく説明し始め、「詳しく知りたい人は、どうぞ円生全集でも読んでください」が、これまたこの人らしく可笑しかった。「うっへょぃ!」の百兵衛が主演男優なら、河岸の若い衆である初五郎が助演男優というところか。もちろん結構な高座だが、一席目の『鈴ヶ森』の印象の方が、強いんだよなぁ。


 終演後、整理券を持って6月のさん喬と、念願の露の新治の会の前売りを獲得。土曜の夜の席だが、露の新治なら、例外なのだ。行くぞ!
 外は、雨が降りそうで、まだ我慢している、という感じだった。我らが居残り会のリーダーSさんと三田駅前の飲み屋街をぶらつく。なかなか渋い店構えの炭火焼き鳥の店に二人で入って居残りだ。上述したように、扇辰は懐に手拭いを三枚入れていた、という話や、喜多八のマクラは、彼らしい視点と語り口が良い、といった落語のネタから、アベノミクスをめぐる政治の話題も含め、話は尽きない。珍しい部位の焼き鳥を注文し、「澤の井」の辛口を“ちろり”で人肌の燗酒も頗る旨く、話も酒も、そして肴もどんどん進む。中国からやってきた女性店員さんも、愛嬌があって、日本人の愛想のない店員などに比べてずっと結構。。
 もちろん、昼席の後の居残りなので日付変更線を越えることなく帰宅したが、とてもブログを書く状況にはなく、風呂に入って爆睡。

 翌日曜は、雨で久し振りにテニスは休み。ゆっくり起きてからコーヒーを飲み、少しブログを書き始めた。途中、昼は連れ合いと最近隣り駅の前にできた新しい店で昼食し、その近くで開催していたニュージーランドワインの試飲会へ。十種以上のワインを飲んで、気に入った二本を買って帰宅。ニュージーランドワイン、なかなかいける。少し眠気を感じながらも、ブログの続きを書き始めて、ようやく書き終えた次第である。
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by kogotokoubei | 2013-04-21 10:30 | 落語会 | Comments(2)
 過去の過ちを何ら反省することなく、国を誤った道に誘導しようとしている竹中平蔵のことを、懲りずに書く。

 これまでも何度か引用している東谷暁著『郵政崩壊とTPP』(文春新書、2012年4月初版発行)から。
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東谷暁著『郵政崩壊とTPP』(文春新書)

 「かんぽの宿」を当時の“仲間”である西川郵政から宮内オリックスに格安で売却させようとして、鳩山総務相から批判された時の竹中の発言を引用したい。

 竹中氏は、2009年1月19日付の産経新聞一面コラムで、「かんぽの宿は、“不良債権”」と題し、<(かんぽ生命保険の施設である)かんぽの宿は、今でも年間約50億円の赤字を計上している。民営化に当たって、これを廃止・売却するのは当然のことである>と論じた。
 安い価格で急いで売却するには適切ではないという鳩山総務相の発言に対しても、<この議論は、経済学の初歩的な概念である『機会費用』というものを無視した、誤った認識>などと、久しぶりに経済学者らしい言葉を使って憤ってみせたものだ。つまり、不況時にすべて安くなるので、安く売っても他のものを安く買えるというわけだ。
 しかし、そもそも「かんぽの宿」は、かんぽ生命の主管から、すでに日本郵政に移されてしまっている。しかも、この民営化のさいの措置については、「かんぽの宿」を安く売り叩くためだったという指摘もある。竹中氏はこの点について何か疚しいものがあるから、こんな「初歩的な」間違いをしたのではないかと勘ぐりたくもなる。そういえば、民営化の「かんぽの宿」売却を強引に五年以内に決めたのも竹中総務相だったではないか。
 また、「かんぽの宿」は不良債権だというが、日本郵政は継続的な事業として認識し、M&Aで売ろうとしていたのだから不良債権などではないことになる。そもそもM&Aでは一円でも高く売るのが経営陣の任務だ。その意味で竹中氏の発言は、意図的に流した風説による資産の価値毀損行為であり、日本郵政の西川社長は竹中氏を訴えるべきだった。
 さらに、「機会費用」だから安くてもいいと述べたが、日本郵政が算出した「かんぽの宿」および社宅の「簿価」が、意図的に安くした疑いがきわめて濃厚になった以上、この「機会費用」の議論など成り立ちようがない。
 竹中氏にとって、郵貯を使ってアメリカのご機嫌をうかがい簡保市場を譲渡してしまえば、日本郵政はただの「抜け殻」であり、「かんぽの宿」などは不良債権として叩き売ることしか念頭になかったのではないのか。



 アメリカのご機嫌をうかがっていたことは、民間人となって油断した竹中の本音が物語る。

 郵政民営化が推進される中で、この民営化はアメリカ金融界の強い要求に下に行なわれていて、このままでは日本の金融資産がアメリカに流れてしまうという指摘もあった。竹中総務相はそのたびごとに反論したが、すでに「民間人」に戻った2008年4月、BS朝日で放映された番組で次のような発言をして、視聴者を愕然とさせた。
<実は日本には、海外のこうしたSWF(政府系ファンド)よりも、もっと巨大な規模のSWFを持っているのです。それが日本郵政です。いや、厳密に言えば、もうSWFではありません。なぜなら、日本郵政は完全に民営化されたからです。だから、米国の側からすれば、政府の資金ではないので安心して投資を受け入れることができるはずです>(『竹中平蔵・上田晋也のニッポンの作り方』朝日新聞出版)
 なんのことはない、「アメリカの金融が危機になったから、日本の郵政がもっている金融資産を融通しろ。もう民営化してあるから文句は出ない」ということなのである。この後、アメリカの金融界はさらに下落して混迷を深めていったから、竹中氏のいう通りにしていたら、日本郵政は虎の子の資金をドブに捨てていただろう。郵政民営化とは、やはり郵政の資金をアメリカに捧げるものだったと思われてもしかたのない発言だった。



“米国の側からすれば、政府の資金ではないので安心して投資を受け入れることができるはずです”といった内容は、とても閣僚時代には言えない発言だ。アメリカの影を精一杯隠し、追及されても誤魔化しながら進めてきたのが、郵政民営化なのだから。つい気を許したのだろうが、これが本音なのだ。こういうのを“確信犯”と言う。

 当時のアメリカ合衆国通商代表部のロバート・ゼーリックなどの意向を最大限反映しながら、郵政の資産をアメリカのために提供しようとしたのが、竹中の仕事であったのだ。

 郵政民営化という愚行を演じた役者の中で主演男優であった小泉純一郎は、失政の反省をしたのか否かは別として、政治の舞台から去った。しかし、助演男優とでも言うべき竹中平蔵は、舞台裏とはいえ政治の世界に帰ってきた。

 今や、郵政民営化が、当時340兆円という郵政グループの資産を、アメリカに差し出そうとした売国行為であったことは明白だろう。当時イギリスのフィナンシャルタイムズなどは「日本から3兆ドルのプレゼント」という表現を使っていた。


 安倍がその“犯人”竹中を生き返らせ、ゾンビ平蔵は、懲りずに「規制緩和」「自由競争」「官から民へ」を標榜している。産業競争力会議の他の民間メンバーも、新自由主義派・競争至上主義派が多いため竹中へのブレーキ役にはなりえない。逆に竹中暴走のアクセルを吹かすメンバーもいるかもしれない。
 あえてブレーキ役を期待するなら、議長代理を務める麻生太郎だろう。麻生が竹中に好意的とは思えない。2005年、郵政民営化を巡り小泉に忠実に仕えた竹中と、郵政事業を所管する総務相だった麻生は鋭く対立していた。小泉は“郵政解散”後の衆院選で圧勝すると竹中を総務相にし、麻生は外相に横滑りさせて、早い話が事実上更迭したのだ。この度の産業競争力会議メンバー入りにも、麻生は抵抗していたと言われている。だから、竹中の暴走を阻止できるのは麻生くらいかもしれない・・・が、安倍が竹中を買っている以上は、安倍に憎まれてはならないから、面と向かっての竹中批判は難しかろう。

 何度も書こう。竹中平蔵は売国奴である。安倍は二度目の政権のアキレス腱が何か分かっているのだろうか。何よりも竹中平蔵という男が、アベノミクス、そして日本の将来を危うくさせている。
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by kogotokoubei | 2013-04-18 18:48 | 責任者出て来い! | Comments(7)
産業競争力会議で竹中平蔵が提唱する“アベノミクス特区”が検討されるそうだ。
時事通信の該当記事

航空宇宙やリゾートで特区=安倍首相「世界一のビジネス環境に」—産業競争力会議
時事通信 4月17日(水)16時7分配信

 政府は17日、産業競争力会議(議長・安倍晋三首相)を開き、東京、大阪、名古屋の三大都市圏を中心に「アベノミクス戦略特区」(仮称)を創設することを決めた。大胆な規制緩和や税制優遇を通じ、成長分野の強化を図るのが狙い。会議では、高度な工業技術を持つ日本が、欧米の後塵(こうじん)を拝してきた航空宇宙産業を特区で強力にてこ入れするなどの案が示された。
 5月に官民による作業部会を立ち上げ、地域の選定など具体的な検討に入るとともに、6月にまとめる成長戦略に盛り込む。
 首相は会合で「世界一ビジネスしやすい事業環境の橋頭堡(きょうとうほ)として、特区制度の活用に光を当てたい」と強調。「特区の現状を検証し、国の主体的な関与を高める方向で、これまでとは次元の違う抜本的な強化を検討したい」と述べた。 

 産経グループのSankeiBizのサイトに、今朝の7時半の配信で表を含めた詳しい記事があった。産経新聞のサイトには、昨日の夕方にニュースが掲載されていた。産経グループが政府の広報機関であるからできることなのだろう。
SankeiBizサイトの該当ページ

東京都でバス・地下鉄24時間運行 政府がアベノミクス戦略特区構想
2013.4.17 07:30

 政府が東京、大阪、名古屋の3大都市圏を中心に規制緩和を実施する「アベノミクス戦略特区」(高度規制改革・税制改革特区)を創設する方向で検討に入ったことが16日、分かった。東京都では都営地下鉄や路線バスの24時間運行や医療の国際化、大阪府・市や愛知県では法人税の大幅引き下げが柱。企業が活動しやすい環境を整え、国内外からの投資や人材を呼び込むことを狙っており、6月にまとめる予定の成長戦略に盛り込む方針。

 新たな特区構想は、17日に開く政府の産業競争力会議(議長・安倍晋三首相)で民間議員が提案し、検討を始める。安倍首相をトップとする「特区諮問会議」を作り、特区担当相を新設して関係省庁に規制見直しを要求するなど、政治主導の体制を整備することも求める。競争力会議での議論を踏まえ、安倍首相が具体的な検討を関係閣僚に指示する見通し。

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 東京都では、地下鉄・バスの24時間運行のほか、外国の医師免許を持つ人に対する一定の医療行為の許可、救急医療の外国語対応に言及。これらの施策により、外国からのビジネスや観光需要を押し上げる。また、都心や臨海地域の容積率、用途規制を緩和し、都市機能の集積を進めることも打ち出す。

 大阪府・市では起業を促す「イノベーション特区」での法人税減税のほか、公立学校運営の民間開放や、港湾の民営化や広域管理などを目指す。愛知県では航空・宇宙産業を誘致するための法人税率引き下げのほか、公設の有料道路の運営権を民間に売却できるようにすることなども検討する。

 また、中部圏については農業生産法人への大口出資を制限する規制を緩めて「農業拠点特区」とする方針を掲げる。



 東京で地下鉄やバスを24時間走らせたり、外国人医師による医療の認可は、外資の東京への導入を意図したものだろうし、大阪や名古屋の規制緩和も、新たな産業の育成という名目を建前としていながら、公共的な施設を外資の手に売り飛ばすための暴挙としか思えない。

 この件は、竹中が前回4月3日の産業競争力会議での次の発言とつながっている。
 朝日新聞サイトの該当記事

2013年04月04日05時25分
空港・地下鉄運営売却で数十兆円 「埋蔵金」竹中氏提言

【福山亜希】空港や地下鉄の運営を民間に任せれば、数十兆円規模の「埋蔵金」を掘り出せる——。政府の成長戦略を話し合う産業競争力会議の3日の会合に、民間議員として出席した竹中平蔵・慶大教授はこんな見通しを示した。公的施設などの民営化を急ぐべきだとの提言だ。

 競争力会議の試算では、空港や高速道路、上下水道といった公的な資産の総額は約185兆円。負債を差し引いても約100兆円の価値がある。こうしたインフラなどの「運営権」を売却すれば、「最低でも数十兆円になる」(竹中教授)という。会議では、運営権の売却で得たお金を、古くなった道路やトンネルを直す費用に回す案も出た。

 空港など社会インフラの運営を民間企業にまかせれば、収益を上げる効率経営につながる可能性がある。ただし、もうからない部門の切り捨てにつながるおそれも指摘されており、どの程度まで踏み込むべきかについても今後、議論する。

 競争力会議は、公的施設の運営権を民間に売りやすくするための規制緩和策などを、政府が6月にまとめる成長戦略に盛り込みたい考えだ。



 竹中は、予想通りアメリカの手先となって、三大都市の重要な有形無形資産を売り飛ばそうとしている。この件についてマスコミが具体的な情報を書かないのは、それを国民に知らせたくないからであり、“会食作戦”を含め、安倍がメディアを操ってるからだ。
 公から民へ、という掛け声や、規制緩和という言葉の持つポジティブなイメージに包んで、竹中と安倍はアメリカに日本を売ろうとしていることは許されない。


 竹中が経済学者なら、宇沢弘文さんが唱えた「社会的共通資本」という言葉を知らないわけではなかろう。宇沢弘文さんは「TPPを考える国民会議」の代表世話人でもある。
「TPPを考える国民会議」のサイト
 宇沢さんが唱える「社会的共通資本」について「内田樹の研究室」から引用したい。
「内田樹の研究室」の該当ページ

世の中には「市場に委ねてはならないもの」が存在する。
教育はその一つであるが、農業もそうである。
宇沢弘文先生はこれを「社会的共通資本」(social overhead capital)と名づけた。
自然環境(大気、水、森林、河川、湖沼、海洋、湿地帯、土壌など)、社会的インフラストラクチャー(道路、交通機関、上下水道、電力ガス)、制度資本(教育、医療、金融、司法、行政など)。
その定義はこうである。
「社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。(・・・)社会的共通資本は、たとえ私有ないし私的管理が認められているような希少資源から構成されていたとしても、社会全体にとって共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理・運営される。(・・・)したがって、社会的共通資本は決して国家の統治機構の一部として官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されてはならない。社会的共通資本の各部門は、職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規範にしたがって管理・維持されなければならない。」(宇沢弘文、『社会的共通資本』、岩波新書、2000年、4−5頁)

宇沢理論の興味深い点は「専門家・職業人」を社会的共通資本の管理運営において政府や市場の上位に置いているところである。
この原則を宇沢は「フィデュシアリー(fiduciary)の原則」と呼ぶ。
Fiduciary とは「信用・信託」のことである。
社会的共通資本の管理者は市民に直接委託され、市民に対してのみ責任を負い、その利益だけを専一的に配慮するものでなければならない。



 公共の交通機関や空港や、医療そして教育などは、私は間違いなく「社会的共通資本」だと認識している。

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宇沢弘文著『社会的共通資本』(岩波新書)
 宇沢弘文著『社会的共通資本』(岩波新書、2000年初版)については別途書くが、同書の「第3章 都市を考える」から少しだけ引用したい。

 公共的交通機関を基本的な交通手段として都市を設計するとき、一つの都市の大きさについて自らある限界が存在する。日本の大都市は、東京、大阪をはじめとして、異様な規模にまで拡大されてしまった。このような規模をもつ都市に対して、公共的交通機関を中心として交通体系を考えるのは非常に困難となり、またそれにともなう希少資源の浪費もまた大きくなってしまう。


 こういった都市設計の基本的な考え方を、“アベノミクス特区”は、何も考えていない。これ以上東京を過密にし、24時間交通機関が走るということは、それだけ使用電力も増えるし、騒音などにより日常生活への悪影響を被る人も増えるだろう。


 本来「社会的共通資本」として、国民の生活や文化の重要な土台となる国家的な資産をアメリカに売り飛ばそうとしている竹中平蔵は売国奴であり、その男の暴論に乗って国を危くさせる安倍自民党の施策は許すことはできない。

 「特区」で“得”をするのは、決して日本国民ではない。
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by kogotokoubei | 2013-04-17 19:32 | 責任者出て来い! | Comments(2)
4月16日は、河島英五の命日で、今年は十三回忌。昭和27(1952)年4月23日生れで、平成13(2001)年の 4月16日、長女の結婚式にはギギリギリ間に合ってから、肝硬変により満49歳の誕生日直前で旅立った。同世代の、忘れがたい歌い手さんだ。

 オフィシャルHPからプロフィールを引用。河島英五オフィシャルサイト

高校時代からフォークに魅せられバスケット仲間4人でフォークグループ「ホモサピエンス」を結成。リーダーとして歌い始める。

1975年4月「何かいいことないかな」でワーナーパイオニアよりレコードデビュー、同年6月ファーストアルバム 「人類」リリース。河島英五とホモサピエンスは全国ツアー後、セカンドアルバム 「運命」を残し解散。ソロになった河島英五は京都「拾得」「磔々」を皮切りに全国のライヴハウスでの活動を精力的に展開。圧倒的なパワーによるライブが各地で話題を呼び、同時に1stアルバムの中の1曲「酒と泪と男と女」が急浮上、ヒットに至る。

よりプリミティブなものへの憧憬を強く持つ彼は、日本での音楽活動の合間を縫って1977年インド、アフガニスタン、78年ペルー、79年トルコ、80年ネパールを単身放浪。そこに息づく自然に触れ、生活する人達と交流する中で音楽と生き方について多くのものを学び、その集大成として1980年10月「文明I」、11月「文明II」、12月「文明III」と3枚のアルバムを発表。(その後もケニア、ボリビア、インドネシアと各国を訪ね歩き、1998年7月に文化交流コンサートを行うためモンゴルを訪れている。)



 大多数の方が、彼のヒット曲として一曲あげるなら、きっと「酒と泪と男と女」あるいは「時代おくれ」「野風増」あたりになるのだろう。
 しかし、私にとって河島英五の存在感をいきなりインプットされたのは、ラジオから飛び出してきたホモサピエンスとしてのデビュー曲「何かいいことないかな」だった。

 私にとってあの衝撃は、それまでの日本のフォークソングというカテゴリーにおいて、吉田拓郎を聴いて以来味わったことのないものだった。特にあまり好きではなかった“四畳半フォーク”と言われた曲が流行っていた頃(「神田川」73年、「赤ちょうちん」74年)であったため、その男くさい歌詞と曲は異彩を放っていた。


 飾りのないリフレインの多い歌詞、そしてギター一本での迫力ある演奏。
 歌詞をすべて書こう。

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「何かいいことないかな」

作曲:河島英五
作詞:河島英五

僕が若者という名で呼ばれはじめて そして
今になるまで
つぶやき あるいはさけびつづけた
言葉を今 言おう
何かいいことないかな
何かいいことないかな
何かいいことないかな
何かいいことないかな
だれかが 僕に お前にとって
青春とは何だと たずねても
僕には答える言葉がない
ただこう言えるだけさ
何かいいことないかな
何かいいことないかな
何かいいことないかな
何かいいことないかな

僕が若者と呼ばれなくなって
何よりくらしが大変になったら
こんなのんきなことばかりは
言ってはいけなくなるのでしょうか
それとも 僕が年老いて
今 この世を去ろうとするその時にも
寂しく僕は 言い続けるでしょうか
何かしとけばよかったと
何か 何か 何かいいことないか 何かいいこと
出てこい こわれそうなこの僕の目の前に
何かいいこと
残った命も そう多くはないんだから
何かいいこと
出てこい早く 何か 何か いいこと
何かいいことないかな
何かいいことないかな
何かいいことないかな
何かいいことないかな

僕にはかけがえのない恋人が
この世にただ一人だけいる
それだのに やっぱり歌っている
何かいいことないかな
13、14、15、16の時の僕は
バスケットにすべてをかけてたつもり
それだけが いきがいのつもりでいたが
やっぱり何かが 足りなかったよ
僕は今歌うことが すべてのような
いきがいのような つらをしているけれど
やっぱり何かが足りないよ
何かいいこと ないかな
僕の中の歯車がくるってる
ゆるんだねじが あるみたい
さびついているところが あるんだよ
何か いいことないかな
何かいいことないかな
何かいいことないかな
何かいいことないかな
何かいいことないかな
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 今の政治状況などを思うと、私も「何かいいことないかな」と叫びたくならないでもない・・・・・・。  

 もちろん、聴いていただきましょう。




 長女、次女、そして長男と映像で登場した本人の四人がテレビ(NHK歌謡コンサート)で一緒に唄った命日、父には、「何かしとけばよかった」という後悔はないように思う。

13回忌、合掌。
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by kogotokoubei | 2013-04-16 19:30 | 今日は何の日 | Comments(0)
落語ブログ仲間(と私が勝ってに思わせていただいている)“ほめ・く”さんも書かれていたが、マスコミを味方に取り込むための、安倍晋三の「会食作戦」が、少し派手に展開されている。
“ほめ・く”さんのブログの該当記事

 新聞に載る首相の動向を積み重ねれば分かることだが、私は「赤旗」から下記の図を引用する。あえてお断りするが、私は共産党員ではない。「赤旗」サイトの該当記事

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 朝日・読売・毎日・日経・産経、そしてテレビ局に通信会社の経営者と、決して安くはない店での懇談という事実は、今日彼らの経営するメディアで安倍政権を応援する記事が満載であることと無関係ではないだろう。

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上杉隆著『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎新書)
 上杉隆は2008年発行の『ジャーナリズム崩壊』で、日本独自の閉鎖的な記者クラブを徹底的に批判することを中心に、大新聞やNHKが権力に迎合する構造的な問題を鋭く指摘した。
 第一章「日本にジャーナリズムは存在するか?」の「担当した政治家が出世すれば自分も出世する」から引用。

 基本的にジャーナリストとして優れた記者は政治部では生き残りにくい。なぜなら、取材をすればするほど、担当する政治家の不利な情報まで知ることになってしまうからだ。仮に、そうして得た情報を読者や視聴者のために報じたらどうなるのだろうか。おそらく、その政治家は失脚し、同時に記者自身にも社内で同じような災難が降りかかることになるだろう。
 このようなに、政治記者にとって、取材し、優れた記事を出すことは、場合によっては「自殺行為」ともなり得る。こうしたことから政治記者にt5おって、担当する政治家への批判は必然的にタブーとなり、結果、ジャーナリストであることを放棄し、会社員としての生き方を選択することになる。
 つまり、オブザーバーでなく、政治に寄り添うプレイヤーになっていくのである。
 電話一本で、時の首相や官房長官までをも動かし、NHK人事に介入することが可能だった島桂次記者(のちに会長)や、田中派全盛期に同派を担当した海老沢勝二記者(同じくのちに会長)などがまさしくその典型である。そうした状況は現在でもあまり変わっていない。


 
 まさに、そういう状況は変わっていないどころか、本来は第四の権力と言われた大新聞やNHKを含むテレビ局は、産経を筆頭に政治権力の広報部門化している。

「記事より重要な社内の権力闘争」からも引用したい。

 彼らにとっては、良質な記事を書けるかどうかはさして問題ではない。問題は、社内でいかにいいポジションをキープし続けることができるかがすべてなのである。
 たとえば政治部。三席、サブキャップ、キャップ、デスク、次長、部長と無事に出世の階段を駆け上がり、編集局長(報道局長)に到達すればそこからは社内の権力闘争が待っている。
 そもそも、「新聞記者」と「企業経営」という、まったく別種の職業が一本のラインで結ばれているのがおかしい。仮に、社内でジャーナリストとしての頂点を目指すとなれば、それは編集局長であるべきはずだ。その先の企業経営に足を踏み入れるということは、ジャーナリストという職業を放棄することに他ならない。


 「主筆」で、かつ経営に関与するなどということは、アメリカのメディアではありえない。
 
 本書では、著者のニューヨーク・タイムズ在籍時の経験として、編集と経営が明確に役割分担されており、経営者が編集に関与することは記者サイドからは許さないことが紹介されている。
 アメリカの大統領選において、各メディアは支持する候補者を明言するが、かといって支持する候補者のネガティブな記事を控えるなどということはありえないことの事例として、支持を表明していてもマケイン候補やクリントン大統領のスキャンダルはしっかり記事にしている事実を紹介している。


 日本のマスメディアからは、本当に「ジャーナリズム」精神が消滅したように思えてならない。

 私はアメリカ礼賛主義者ではないが、メディアの健全性は、間違いなくアメリカでは保たれているように思う。日本の「記者クラブ」という閉鎖的な仲良し倶楽部は、日本と韓国の一部にしかないらしい。

 アベノミクスによるデフレ脱却は結構だが、その施策に伴う痛みや新自由主義が跋扈しそうな状況、TPPによるアメリカ有利な交渉結果と今後のアメリカ製品の日本市場への侵食の兆候などの問題についても、「客観報道」を標榜するメディアは、もし彼らがジャーナリストとしてのプライドがまだあるのなら、追求すべきである。

 もし、安倍と美味しい食事を供にしてますます骨抜きになっているのなら、今後は一部の雑誌メディアやネットにしか、「ペンの力」を頼ることはできないかもしれない。権力に媚びるだけのマスメディアには、何も期待できないし、百害あるのみである。
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by kogotokoubei | 2013-04-13 17:12 | 責任者出て来い! | Comments(4)
 にぎわい座で志ん輔の独演会シリーズが始まるとのことで、何とか初日に駆けつけることができた。会場の入りは七分ほどだろうか。立川流は(談春一門会でさえ)即チケット完売になっていたが・・・・・・。
 まぁ、分かる人だけ来られたということだろう。そんなことを思っていたら、開演直前、隣の席に落語仲間のI女史が来られた。まったくの偶然。分かる人には、分かるのだ。

次のような構成だった。
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(開口一番 古今亭半輔『出来心』)
桂才紫   『黄金の大黒』
古今亭志ん輔『柳田格之進』
(仲入り)
古今亭志ん輔『幾代餅』
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古今亭半輔『出来心』 (19:00-19:10)
 8日のらくだ亭と同じネタだったが、やはり上手くなった。落語家らしい雰囲気も醸しだしてきたし、師匠にもだんだん似てきたようにも思う。こういう若手が成長する姿を見ていけるのも落語の楽しみである。

桂才紫『黄金の大黒』 (19:11-19:30)
 チラシの写真は十年前のもので、今はこんな感じです、で笑いをとる。来春の真打昇進を機に、三代目桂やまとを襲名すると報告。ほう、そうなんだ。
 この人を聴くのは昨年の文菊、志ん陽の浅草での真打昇進披露興行の席以来だが、その時に感じたように、明るく丁寧な高座に好感を持てる。大家にお祝いの口上を言う際に舌が突っ張らかった金ちゃんの「うかたがたがまわりますれば・・・・・・」が何とも可笑しかった。メリハリの効いた語り口も結構。才賀の弟子ということも、なぜかうれしい。古今亭一門として志ん輔も「たまごの会」などで目をかけてやっているのがブログでもうかがえる。昇進をバネにますますの成長を期待したい。

古今亭志ん輔『柳田格之進』 (19:31-20:22)
 マクラで、どうしても嫌いなネタが三つあり、その一つとのこと。残る二つは、私も8日月曜の人形町らくだ亭で聴き、ブログにも好きではないと書いた『お若伊之助』と『黄金餅』らしい。どれも、古今亭ならではの噺だが、お若嫌いは同感なのだが、残る二つ、私は嫌いではない。志ん輔は、とことん善人ばかり登場したり、とんでもない悪党が主役のネタへの抵抗があるのかなぁ。CDに小さな手拭いのおまけ付きで販売するとの案内もあった。「手ぬぐいなの」という名前も楽しい。
 さて、その格之進である。結論から言うと、50分の長講は、まったく飽きることもダレルこともない素晴らしい高座だった。講談を元にした噺だが、良質の芝居を見たような心地よさがあった。
 登場人物、まず主役の格之進。彦根の城主井伊氏の家来で、その真っ正直さが疎まれて浪人の身となった男。文武両道に優れているが、あまりに正直で潔癖すぎるため、いわば今の世なら“KY”的な人物なのだろう。だから友達が少なく、敵が多い。そんなところが、周囲の反感を買ったのだろう。
 そして、格之進の一人娘、おきぬ。早くに母をなくし、父の手ひとつで育てられた根っからの武士の娘。
 碁会所で格之進と知り合い、その潔癖な性格に惚れ込んで家に呼んで碁を楽しむ仲となったのが、質屋、万屋源兵衛。その万屋の番頭の徳兵衛が、この噺の筋書きで重要な役割を果たす。
 まぁ、この四名が主にこの噺を構成するのだが、詳細な筋書きは割愛するが、私が感心した場面をいくつか紹介したい。まず、徳兵衛から、身に覚えのない五十両の盗みの疑惑をかけられ、奉行所に訴えると言われた格之進が、切腹を覚悟し、おきぬに叔母の家に手紙を届け、久し振りだから泊まってきなさい、と言った後のシーン。父の切腹の覚悟を察して、「父上は、お腹を召されてはなりませぬ。その五十両、私が廓に身を売ってつくります。だから、父上は生きて嫌疑を晴らしてください。おきぬは・・・武士の娘です」と言う場面が、頗る結構だった。健気な娘おきぬ、その言葉から武士としての有り様を教わった格之進の複雑な沈黙。場内も一瞬静まりかえった、何とも言えない時間と空間を共有できた“間(ま)”だった。
 さて、五十両紛失事件のあった八月十五夜から時間は経過。大晦日の煤掃きとなり、源兵衛と格之進が碁の対局でいつも使っていた部屋の額縁の裏から、小僧が五十両を発見。源兵衛は番頭以下店の者に、あの事件の後に長屋から姿を消した格之進を探させるが、なかなか見つからない。正月が明けた四日、年賀の挨拶の途中で湯島天神にさしかかった徳兵衛が、降り始めた雪の中でふとすれ違ったのが、豪華な煤竹羅紗の合羽を羽織った立派な身なりの侍。何と藩の江戸留守居役として返り咲いた格之進であった。

 この場面では、いつも広重「東都三十六景」の湯島天神の浮世絵を思い浮かべる。
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 格之進が、すれ違いざまに徳兵衛に気づき、
「失礼だが、万屋のご支配徳兵衛殿ではござらぬか」
「おっしゃる通り、万屋の徳兵衛でございますが、どちらのお侍さんでございましょうか」
「柳田格之進だ」
 で、徳兵衛の顔が青ざめる場面も結構だった。このすぐ後に、一緒にいた棟梁が徳兵衛に向かって「ありゃぁりゃりゃ・・・じぇじぇ」とクスグリを入れて笑いの場面に転じさせたが、このあたりの明暗、メリハリ、そして光景を思い浮かべさせる技量などは、非常に高度な技術に裏打ちされている。
 湯島天神境内の居酒屋で、徳兵衛から五十両が見つかったと聞いた格之進、徳兵衛に「明日の昼過ぎにうかがう。湯にでも入って、(見つかったら差し出すと言っていた)首のまわりを清めておけ」と言い放つ。さて、翌日、主の源兵衛は、品川に使いに行けと徳兵衛を外出させて格之進を迎えた。格之進には「あの時に柳田様の家に行かせたのは私が命じたこと。番頭徳兵衛は主に言われたことに従ったまで。どうか徳兵衛を助けていただき、その代りに私の首を討ってください」と言うのを聞いて隠れていた徳兵衛が慌てて部屋に入り、「とんでもない、旦那様は柳田様はそんなことをする人ではない、と止めるのを聞かず、私が勝手にやったこと。どうか私をお切りください」と頭を下げる。もちろん、格之進は二人を斬ることはなく、碁盤を真っ二つ。
「なる堪忍は誰もする、ならぬ堪忍するが勘忍・・・・・・柳田勘忍袋の一席」でサゲた。
 師匠の志ん朝や、先代の円楽などは、おきぬと徳兵衛が夫婦になるというハッピーエンドにしていた。講談の元になった実話も夫婦になる話らしいのだが、私は志ん輔のサゲは結構だと思う。どうしたって、廓に身を売るきっかけをつくった徳兵衛とおきぬでは、うまくいきようがないだろう。
 
 もちろん、今年のマイベスト十席候補。相当高いレベルでのノミネートである。
 
 素晴らしい余韻を残してお仲入り。私は隣りの席からIさんが「この一席だけでも価値あるね」という言葉に強く頷いた。二人でCDを買いにロビーへ。『妾馬』と『稽古屋』二席のCDに、この日の高座で使っていたものと同じような茶の格子柄のミニ手拭い付き。これは得した気分。

古今亭志ん輔『幾代餅』 (20:34-21:10)
 仲入り後のマクラで、次回8月9日のネタ出しをしてくれた。過去のにぎわい座でのネタ帳を見て、かけていない噺として『唐茄子屋政談』にしたとのこと。他のネタはお楽しみ。「チケットは7月1日から販売のようですが、いいじゃないですかねぇ、もう販売しても」には納得。そうだよ、売ってくれれば、つい買うよ^^
 さて、そういったご案内の後で本編へ。この噺は、一昨年の国立での三夜で聴いて、その年のマイベスト十席にも選んだ高座以来。2011年11月15日のブログ
 あの時にも感じたが、師匠の芸を追いかけるという、ある意味重い肩の荷を下ろし、自分なりの古今亭の十八番を作りつつある、と感じる。独自の演出として効いていたのは、藪井竹庵だ。搗米屋の親方である六衛門が、清蔵が一年働いて貯めた十三両と二分で吉原へ行くなら、一晩で使わずに細かいところをちょちょこと遊んだほうがいい、と勧める。対照的に竹庵は、清蔵が幾代の錦絵を見て一目ぼれし、他は相手にせず幾代一筋の思いを告げる場面で、「そういうのが遊びの真骨頂。細かいところをちょこちょこツマミ食いするのは、愚の骨頂」と褒める。
 清蔵と幾代との逢瀬もあっさりと流して、全篇心地よい笑いを伴いながらサゲまで淀みなく通した。一席目の熱演長講の後だが、まったく手抜きもなければ、乱れもない。実に結構な高座だったが、どうしてもこの二席なら、柳田の印象が強すぎるなぁ。


 終演後、I女史に挨拶し、しばらく外の喫煙所で余韻に浸っていた。それでも十分にその日のうちに帰宅できたのだが、酒を呑みつつ高座を思い出しながら、会場でもらったチラシを見ていたら、10月6日、7日、8日が今年の国立での「志ん輔 三夜」で、各三席づつネタ出しされている中に、初日『柳田格之進』、二日目『お若伊之助』、千秋楽に『黄金餅』が入っているじゃないか。おいおい、嫌いなネタだろ、と思ったが、考え直してみた。それぞれ古今亭十八番の重要なネタと十分認識しているのだが、なかなか難しい、という意味で“嫌い”という表現をしたのかなぁ。あるいは、正直なところ“好き”とは言えないが、代々継承されてきたから演じないわけにはいかない、でも難しい、というような複雑な心境なのかもしれない。そんなことを思い呑んでいるうちに、ついブログを書く時には日付変更線を越えていた。

 とにかく、この日の柳田は、とんでもない高座だったような、そんな気がする。国立の三夜の初日は日曜なので、残念ながらあらためて聴くことはできないが、そてもまた良し。しばらくの間は、この噺を聴かなくてもよいような、そんな濃厚な一席だった。
 志ん輔、六代目志ん生を襲名しろ、と心の中で叫んでいたのは、あれは夢の中だったかもしれない。私は、同じ六代目でも上方の方の襲名には喜べなかったが、こっちの襲名は大賛成である。そして、その資格は十分ある、と感じさせた高座であったと思う。
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by kogotokoubei | 2013-04-12 00:47 | 落語会 | Comments(6)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛