噺の話

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2月28日は、旧暦の1月19日。Wikipediaに次のようにあった。
Wikipedia「1月19日 旧暦」

明治元年(グレゴリオ暦1868年2月12日) - 大久保利通が大阪遷都を建議



 この後に紹介する南日本新聞の「さつま人国誌」によると、「建議」の日程は1月23日が正しそうだが、ピンポイントで旧暦1月19日にのみこだわる必要もないだろう。145年前の今頃の季節、鳥羽・伏見の戦い直後に、大久保利通が提案した「大坂遷都構想」を振り返る、きっかけにはなる。

 南日本新聞社のサイトには「さつま人国誌」という企画が長期間続いており、なかなか楽しい。

 その中で、大久保の大坂遷都論について歴史作家の桐野作人さんが書かれている内容を、全文引用したい。
南日本新聞社サイト「さつま人国誌」の該当ページ

大久保利通の大坂遷都論

■大胆な旧習打破の企て

 鳥羽伏見の戦いが終わった直後の慶応4(1868)年1月23日、大久保利通は大坂遷都を唱(とな)える建白書を明治新政府に提出した。
 大久保は17日に内国事務掛に任命された。さっそく同日、新政府のトップである総裁の有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王の諮問に応じて、明治天皇の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)と大坂への行幸(ぎょうこう)を強く訴えた。その目的は「朝廷の旧弊御一新、外国御所置(大坂にある外国公使館との交渉に便利)」にあった。親王も趣旨を理解してくれた(「大久保利通日記」上)。
 翌18日、大久保は同僚の広沢真臣(さねおみ・長州藩士)に遷都が内国事務掛の仕事で「当務の急」だと相談して同意を得た。さらに副総裁の岩倉具視にも説いたところ、岩倉も賛意を表し、親王と三条実美(副総裁)にも言上するよう助言してくれた。
 翌19日、2人の上司にもあらためて遷都を訴えたところ、とくに反対はなかった。そこで大久保は広沢や後藤象二郎(土佐藩士)と談合して、朝議に付すことを決めた。
 三条、岩倉の有力公家や長土の実力者に根回しをした大久保は満を持して、23日、遷都の建白書を太政官代に提出し、公卿や諸侯で構成される議事所で持論を展開した。
 そのなかで大久保は何を訴えているのか。
「復古の鴻業(こうぎょう)はまだ道半ばである。朝廷が一時の勝利(鳥羽伏見の戦い)をたのんで永久の治安が実現すると思っているならば、北条という前姦(ぜんかん)の跡に足利という後姦(こうかん)が生じ、(建武の)覆轍(ふくてつ)を踏むことは必然である」(「大久保利通文書」二)。
 大久保は南北朝内乱にたとえて、天皇親政が崩壊するかもしれないという危機感があった。大久保の危惧(きぐ)は京都の存在そのものにあった。京都は「数百年来、一塊したる因循の腐臭」を放っていると、大久保は断言する。これを一新して、「一天の主(しゅ)」(天皇)と「下蒼生(しもそうせい)」(国民)の「国内同心合体」を実現すべきで、そのために「大英断を以て挙げ玉(たま)ふべきは遷都にあるべし」と強調していた。
 ここには大久保の国家観、天皇観がよく示されていた。それは公家のための天皇ではなく、人民のための天皇という絶対君主の姿である。そうした天皇を核心として、「万国に御対立」(=「万国対峙(たいじ)」)を実現し、わが国を欧米列強に伍(ご)していく強国にしようというのである。そのためには、天皇が京都の「玉簾(ぎょくれん)」の中に閉じこもらずに、国民の前に姿を現すべきだと、大久保は考えていた。
 しかし、大久保の大坂遷都論は保守的な公家には過激に映った。大久保のこの日の日記には「衆評決せず」とある。遷都論はおおかたの支持を得られなかった。
 それから3日後の26日、大久保は岩倉から遷都反対の中心人物は久我建通(こがたけみち・前内大臣)だと聞かされる。久我たちの主張は「遷都の事、薩に奸謀(かんぼう)これあり、是を期にして薩長相合し、大いに私権を張り候」(「大久保日記」)。
 大久保の提案は薩長の私権だと思われていたのだ。薩長土が連携しても、大坂遷都は実現できなかった。因習にとらわれた公家や諸侯の力がまだ強大だったことを示している。
 結局、大坂遷都論は縮小されて大坂行幸に形を変えたが、5月には江戸が東京と改められ、東京行幸という形での事実上の遷都計画が進んでいく。大久保の構想は紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、東京遷都という形で実現したのである。
(歴史作家・桐野作人)



 大久保の大坂遷都構想が実現していたら、日本はどうなっていただろう・・・・・・。

 このコラムの翌週には、実は大阪遷都は大久保の持論というより、彼に策を授けた者がいたことが書かれている。
南日本新聞サイトの「薩摩人国誌」該当ページ

伊知地正治の大坂遷都論

■大久保建白書の原案か

 前回紹介した大久保利通の先鋭的な大坂遷都論は比較的よく知られている。大久保の独創のようにみなされているが、おそらく原案があったと思われる。
 伊地知正治(しょうじ・1828−86年)が慶応3(1867)年11月に書いた建白書のなかに、「浪華(なにわ)遷都」を進言する一節がある。宛(あて)先は書かれていないが、おそらく大久保に宛てたものだろう(「大久保利通関係文書」一)。



 大久保は、京都は「数百年来、一塊したる因循の腐臭」を放っていると表現したが、伊知地正治は、なぜ京都ではだめなのかを、下記のように指摘している。

 伊地知はさらに京都が首都にふさわしくない理由をつづける。
「京都は土地偏少で人気狭隘(じんききょうあい)である。堂々たる皇国の都地とはいえない。また各国の王都を歴見して江戸城を見た夷人に、今の皇居を見せれば、全世界に大恥をかくことになる。これから海外と交流しようという時節なのだから、海辺(かいへん)に遷都したほうが何かと便利である。古人も人気の因循(旧態依然として息詰まっている状態)を一掃するには遷都にまさるものはないと述べている。(大坂城)本丸を皇居とし、二の丸に百寮(役所)を設け、皇城の四方には大諸侯に邸宅を与え、その外に砲台を置き、諸藩の番兵で守衛する。そして来年9月、浪華の皇城で(明治天皇が)ご即位なされたら、不抜の政事となり、皇威は盛んになるに違いない」
 伊地知はわが国が諸外国と交際するには京都が不適である理由を具体的に述べ、大坂遷都こそ人心一新にふさわしいと主張している。
 大久保の遷都論にも「朝廷の旧弊御一新」「外国御所置」という同様の文言があった。大久保は伊地知のこの建白を参考にしたのではないだろうか。大久保に2カ月先行した伊地知の遷都論ももっと知られてよい。



 伊知地のアイデアを元にしたと思われる大久保の建白書の意図は、鳥羽・伏見の戦いに勝利したとは言え、まだ脆弱な薩長を中心とした官軍の体制を天皇を担ぎ出して強化しよう、ということだったのだろう。
 天皇は単に今までのように公家のための天皇ではなく、人民のための天皇であり、その天皇から「錦の御旗」を授けられた薩長こそが「官軍」である、という権威づけが必要だった。だから、天皇が京都の「玉簾(ぎょくれん)」の中に閉じこもらずに、国民の前に姿を現すべきだと大久保は考えていたのだ。

しかし、急激な変化を恐れる公家や保守的な大名たちの抵抗で大阪遷都構想は崩れて、単なる大坂行幸に形を変え、慶応4年3月21日(1868年4月13日)には大坂に向かって総勢1655人の行列が出発した。
 遷都先に関し大久保の大坂案に異論を提示したのは、あの“郵便制度の父”前島密だった。前島は、大久保利通の大阪遷都論を読んで、これに対し、江戸が遷都地にふさわしいという理由を全6か条あげて建言した。その内容は、首都はどういうものであるべきか、都市景観の問題や将来の交通の問題、日本全体の中での位置関係や、運輸・港湾の便なども考慮した非常にまとまったものだそうで、大久保もこれに納得したようだ。

 その結果、慶応4年5月11日(1968年6月30日)、新政府は江戸府を設置し、同年年7月17日(9月3日)に江戸が東亰と改称されるた。そして、明治元年9月20日(1868年11月4日)総勢3300人の行列が東京に向かって出発した。これが、日本史上初の東京行幸(東幸)であり、1869年に明治天皇が皇居(旧江戸城)に入ると、東京は近代日本の事実上の首都となった。しかし、公的な「遷都」を宣言したわけではないため、東京を首都とする法的根拠はないとする意見もある。

 橋下の「大阪都構想」は、大久保利通そして伊知地正治の大坂遷都構想とは、まったく異なる次元の発想である。大久保や伊知地、そして前島などの構想は、新たな国づくりの観点から、京都ではないどこかに、天皇が暮らす国の中心を求めたものである。

 そう言えば、首都移転論議は、最近耳にしなくなったなぁ。オリンピックを招致しようとする活動を進める圧力から、東京都の首都機能を他の地へ移そうという議論は「景気の良い」話に水をさすネタなのだろう。だからマスコミも、こんな時に「東京一極集中」に対する批判的な記事は掲載しない。

 私は個人的には、2020年のオリンピックはイスタンブールで開催して欲しい。紀元前からの歴史を誇る街で、まだ一度も開催されていないことが不思議だ。東京は一度開催しているじゃないか。

 東京での開催は、たしかに短期的な経済効果はあるだろうが、昭和39年の東京オリンピックで失ったものの大きさも思い出す必要があろう。首都高速は、いつになったら無料になるのだ・・・・・・。

 大久保利通の大坂遷都構想の背景には、大阪の豪商など、経済人から新政権への支援への計算も指摘されているようだ。しかし、亡くなった時に蓄財どころか多額の借金のあったことが明るみになった大久保という人物のことを考えると、彼の構想に私欲が働いたとは思えない。保有していた現金五百円、現在の価値で二千万円あったものの、借金の額が当時の六千円、現在の金額で約2億4千万円あったという。それもすべて不足した公金を補うために自分名義で借金したものだったらしい。遺族はその借金のために路頭に迷うことになったという。大久保は政治を私物化するどころか、本当に日本のことを考え、私利私欲を捨てて国家に殉じようとした政治家だったと言える。
 しかし、それに比べて、「大阪都構想」や、オリンピック招致活動には、企業や個人の私欲、思惑がプンプン匂う。大久保の「大坂遷都構想」や大久保という今日では稀有な私利私欲を捨てた政治家のことを辿ると、どうしても今日の政治と政治家たちのふがいなさに思いが至るなぁ。
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by kogotokoubei | 2013-02-28 19:30 | 今日は何の日 | Comments(0)
 1月28日のNHK「ファミリーヒストリー」が、五代目柳家小さんのことを辿った映像を孫の花緑が見る、という内容だったことは、八代目林家正蔵のことを書いた時に紹介した。
2013年1月29日のブログ

 あの番組を観たからではないが、2月26日と言うと、やはり五代目小さんのことを連想する。

 77年前、昭和11年の2月26日は東京は雪が降った。その雪の中、歩兵第三連隊に所属する小林盛夫、前座名の栗之助は、上官の命じるままに警視庁を占領する反乱軍の一人となった。

 四代目小さんに入門して、三年目、陸軍に入隊してたった一か月後のことである。
 
 占領から二日たった2月28日には食糧が届かなくなり、天皇の命令により鎮圧部隊が派遣された。反乱軍の汚名を着せられ、沈鬱なムードになる中で、上官が小さんに落語をやるように命令した。小さんは『子ほめ』を演じたが、誰も笑わなかった。「面白くないぞッ!」のヤジに、「そりゃそうです。演っているほうだって、ちっとも面白くないんだから。」と答えたと伝えられている。

 翌29日の朝に投降勧告を受け、事件は収束する。2月29日に、ラジオで「兵に告ぐ」が放送され、空からは投降を呼びかける下の伝単(ビラ)が撒布された。Wikipedia「二・二六事件」
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「今カラデモ遅クナイカラ原隊ヘ帰レ」と「抵抗スル者ハ全部逆賊デアルカラ射殺スル」の二つの命令と、最後の
「オ前達ノ父母兄弟ハ國賊トナルノデ皆泣イテオルゾ」という泣き落とし的な言葉との落差があって、微妙な違和感がある。果たして、小さんは、このビラを読んだのだろうか。

 ひとまず事件は収束するのだが、小さんが所属した歩兵第三連隊は反乱軍の汚名の元、同年5月には満洲送りになった。非常に厳しい生活の中、小さんは「つらい時こそ、笑いが希望になる」と考え落語を披露したようだ。とは言え、満州時代の詳しい話は、あまり語られていないように思う。小さんの連隊は、前線での切り込み部隊とも言われており、生存率は高くなかったらしい。数多くの戦友を失ったと察する。一歩間違えば、人間国宝小さんも存在しなかったかもしれない。
 戦争体験者に共通する忸怩たる思いが、「無言」を強いているのだろう。死に直面した者にしか分からない深い思いが、戦争を饒舌に語ることを思いとどまらせているのか。

 三年後昭和14年、満州から小さんは東京に帰る。落語界に復帰し、前座から二ツ目に昇進、結婚して子どもが産まれる。
 しかし、昭和19年に再び徴兵され、仏領インドシナに赴く。そして、終戦を迎えるが、今のベトナム南部ダナンで捕虜としての生活を経験する。収容所でも落語を披露したらしい。しかし、落語以外の収容所時代のことは、あまり語られていないのではなかろうか。やはり、饒舌にさせない重い体験があるのだろう。

 昭和21年5月に日本に帰国。昭和22年に真打ちに昇進。昭和25年、八代目文楽の後ろ盾で五代目小さんを襲名。その後の活躍は、ご存知の通り。

 満州でも、ベトナムでの捕虜時代も、たしかに落語は披露したのだろう。それは、昭和11年2月28日に警視庁で演じた『子ほめ』よりは、少なくとも聴く者に笑う心の余裕はあっただろうが、戦後の日常とは、まったく違う環境であったのは間違いなかろう。

 そして、小さんは戦後、戦中の苦労を語ることより、平和な日常の中で落語をすることのできる幸福を噛みしめていたのだと思う。大正生まれで、落語界で最初に人間国宝になった小林盛夫という一人の男の人生には、語られなかった戦争体験という「暗」の部分、それは水面下に隠れた氷山のように大きい分だけ、高座やテレビなどでお目にかかった「明」の部分が、輝いていたのかもしれない。

 三年前にNHKでの“わらわし隊”特集を取り上げ、小島貞二さんの本からの引用や、同番組内で森光子さん、玉川スミさん、そして喜味こいしさんが当時を思い出して語っていたことを書いたことがある。
2010年8月11日のブログ

 その記事から数日後には同じ小島貞二さんの本から、「バシー海峡」のことなど、小島さんの戦争体験のことを紹介した。
2010年8月17日のブログ

 NHK戦争特集に登場したお三方も小島さんも、鬼籍に入られてしまった。戦争の語り部は年々減っていく。そして、小さんを含め、多くの戦争の犠牲者が、語ること少なく旅立って行くことを考えると、残された日本人は、相当強い意識をもって、そして想像力を目いっぱいめぐらして、語られなかった戦争のこと、ヒロシマ、ナガサキのことを記憶にとどめるべく努めるのが義務ではなかろうか。
 そして、それはたった二年前の大震災とフクシマについても、言えることだ。「景気の悪い話」や「居心地の悪いネタ」を避けようとする心情が、未だに復興途上にいる日本の実態を直視することを避けようとさせている。しかし、震災もフクシマも紛れもない歴史であり、いまだその被害に遭われた同じ日本人が故郷を失ったまま、寒空の下で耐乏生活を続けていることを忘れてはならないだろう。

 アベノミクスなとどいう新たな“バブル”のお祭り騒ぎを楽しもうと煽るマスコミが、その裏で大事な事実を隠そうとしていることを見逃してはならないだろう。真剣に脱原発による再生可能なエネルギー政策や、廃炉に向けた行動計画を検討することから逃げてばかりいては、結局、そのツケを子供達に残すだけである。敗戦の苦労から血と汗と涙を流しながら先人たちの努力でここまで復興した日本。そういった事実を忘れずに、今日の日本人は震災とフクシマからの復興の道筋を立てることが使命ではなかろうか。

 二・二六事件とは少し飛躍してきたが、歴史から目をそむけないという思いから、ついこんなことを考えていた。
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by kogotokoubei | 2013-02-26 19:25 | 今日は何の日 | Comments(2)
久し振りに雑誌『サライ』を買った。江戸特集。書店で立読みしていて、江戸しぐさの伝承者越川禮子さんと柳家小満んの対談を発見したからである。

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小学館サイトの該当ページ
 その「江戸の粋と人情を語る」と題した対談から、まず引用。

越川 「古典落語にはおもしろい江戸言葉がいろいろと出てきますね。
    戯(たわ)けを意味する“うんつく”とか。すごく勉強になります」
小満ん「稽古をしていて、意味がわからない江戸言葉が出てくると、上面を
    よんどころなく調べるんですが、これが楽しくてね。つい夢中になって、
    おかげで噺の稽古がほとんど進まないんです」(笑)


 小満んと同じような経験は、落語愛好家の方なら、よく経験されているだろう。私なんか、しょっちゅう、「えっ、どういう意味?」とググル日々である。それにしても、検索エンジンで便利になったせいで、辞書を引かなくなって久しい。これは、ちょっとマズイことだろうなぁ。できるだけ辞書を引こう。

 このあとに次のような言葉が続く。

小満ん「言葉は目じゃなくて耳で覚えないと、口から自然に出てくるように
    ならない。先日、人形町のある店で食事をしたとき、追加でお新香を
    頼んだら“お手盆でごめんなさい”って言って出してくれたの。お盆
    にのせずに手で運んだ際、こういう言葉がごく自然に言えるのは、昔
    ながらの心遣いが残っている土地柄だからなんです」
越川 「学校では、そういう振る舞いは教えてくれませんものね。家庭で子供
    の頃から躾けないと、身につかないでしょう」
小満ん「いやいや、幾つになっても童心でいればいいの。いい言葉だなって
    素直に思う心があれば、自然と使うようになりますよ」
越川 「知識じゃなくって感性が大事ってことですね。江戸には、商家の
    跡取りの養成所として江戸寺子屋がありました。通常の寺子屋の
    ように、読み書き算盤だけでなく、見る、聞く、話す、考えること
    を学ばせていた。それで、感性を養っていたようです」


 小満んの「童心」という言葉、なかなか出来るものではないが、なるほどと思う。そうか、そういった純な気持で毎日を過ごしているんだ、小満んは。

 江戸っ子の“泣き笑い”について。

越川 「江戸の人たちは、いつも笑っていたようですね。幕末頃に来日した
    外国人たちが、江戸に暮らす人々は人懐っこい笑顔が素晴らしい、
    と手記などに記しています」
小満ん「笑う人はよく泣くからね、泣ける心を持っている。笑ったり泣いたり
    するのは、人の気持ちがわかるから。古典落語の『らくだ』の噺のよう
    に、どんな悪い野郎でも、あの世に行けば同じ長屋に住む連中が、
    きちっと弔いを出しますしね」



 この対談は、本誌の特集第一部「江戸庶民に倣う、『身の丈』に合った暮らし方」の中にあるのだが、第一部には他に石川英輔さんが「完全リサイクル社会に学ぶ“足るを知る”生活術」と題して、江戸庶民の知恵を語っている。
 先日、小満んが『夢金』のマクラで語った「知足安分」という言葉を思い出す。

 特集第二部は「江戸から東京へ 150年受け継がれる『匠の技』」として、漆器、和紙などの伝統工芸が紹介されている。こちらも、なかなか結構。


 一時、落語特集を続けていた頃のこの雑誌は、結果としてほぼ全て買ったはず。今回の「江戸」特集も、久し振りに保存版に価する内容になっている。お奨め。

 それにしても、対談からうかがえる小満んの「童心」、忘れないよう、ぜひあやかりたいものである。それでなくても、浮世のしがらみやら何やら、いろんなものが溜まっているこの身である。それに比べて、昭和17年生まれ、古希を過ぎた噺家は、なんと純で粋で、いろんなことを教えてくれるなぁ。
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by kogotokoubei | 2013-02-23 13:53 | 江戸関連 | Comments(6)
池袋演芸場の下席夜の部は、定席ではなく日替わりの企画もの。以前末広亭で初めて聴いて、その本寸法の高座が印象深かった三遊亭萬窓の独演会へ。実は縁あって、ご案内のハガキを頂戴もしていた。

 会場はほぼ満席の盛況。関係者の方も多かったと推測するが、こういう人の会に会場が一杯になるのは、非常に結構なことだと思う。

落語協会のサイトから、芸歴を引用。落語協会HPの該当ページ

芸歴
1986(昭和61)年10月 六代目三遊亭円窓に入門
1990(平成2)年09月 二ツ目昇進
2001(平成13)年09月 真打昇進


 真打昇進は、白鳥、文左衛門と同時。アクの強い同期と比べると地味で目立たない。しかし、目立てばいいというものでもない。

さて、次のような構成だった。
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(開口一番 柳家さん坊『つる』)
三遊亭萬窓 『死神』
(仲入り)
三増紋之助 曲独楽
三遊亭萬窓 『山崎屋』
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柳家さん坊『つる』 (18:30-18:49)
 続く時は、こういんものだ。小萬ん・喬太郎の会と同じ開口一番、同じネタ。ただし、大会場の後ろの列ではないので、その表情はよく見える。ほぼ二日前と同じような高座だったが、最後に八五郎が泣きながら辰に説明する場面、泣く仕種が少し大げさになったような印象。無難だが、前座としての元気さに欠けるという印象は変わらない。しかし、寄席で近距離で見て聴くほうが、ずっと上手く見えたのは事実。意外にこの人、化けるかもしれない。

三遊亭萬窓『死神』 (18:50-19:25)
 見た目が少し中村梅雀に似ているかなぁ。2月22日は、“ニャンニャンニャン”でネコの日とのこと。ネコつながりで先代正楽の逸話が語られた。楽屋で年賀のために干支のネズミを切っていた正楽が高座に上がっている間に、橘家円蔵がネズミを隠して代わりにネコを切って置いておいた、というもの。
 本編は、女房に「金を工面しといで」と家を追い出される場面から、しっかり。これまで聴いたことのない工夫がサゲにつながっていた。「アジャレカモクレン アベノミクス テケレッツノパ」の後に、死神に一息「フ~っ」と吹きかける。果たして師匠譲りの工夫なのかどうかは分からないが、こういうサゲもあるか、と勉強になった。

三増紋之助 曲独楽 (19:35-19:56)
 いつもながらの達者な芸。さん坊を相方のトトロで締めた。

三遊亭萬窓『山崎屋』 (119:57-20:27)
 ご本人が書いたプログラムにも、最近演じ手のない廓噺、と紹介されているが、まったくその通りで、私は2010年1月、麻布で行われた古今亭菊之丞と菊六(当時)の兄弟会で菊之丞で聴いて以来。
 その時にも書いたが、もともとの長い噺の前半部分を初代三遊亭遊三が『よかちょろ』として独立(?)させて二つの噺になったと聞く。最近生ではなかなかお目にかかれない『よかちょろ』と、ぜひ通しでも聞いてみたいものだ。また、矢野誠一さんが『落語読本』(文春文庫)で書いているのだが、戦前に騒人社から発行された落語全集の『山崎屋』の速記には、マクラで『二階ぞめき』が使われているとのこと。なるほど、この組合せもおもしろい。
 いずれにしても、廓噺の中でも、サゲが分かりにくくなったせいだろう、今ではなかなか聴けない貴重なネタを、萬窓は丁寧に語ってくれた。そのサゲを前掲の『落語読本』から紹介。番頭の機転で吉原の花魁を大名勤めをしていた素人娘として自分の嫁にすることができた若旦那。親父とその嫁との会話。
「お前のお勤めしていた大名様はどちらだね」
「北国ざます」
「加賀様かい。道中もするのかい」
「するんざます。暮れ方に出て、武蔵屋ィ行って、伊勢屋ィ行って、大和の、長門の、長崎の・・・・・・」
「おいおい男の足だってそんなに歩けない。諸国を歩く六部、足の達者が飛脚と天狗・・・・・・。お前には六部に天狗が憑いたんだな」
「いいえ、三分で新造がつきんした」でサゲ。
 もちろん、マクラで吉原花魁の格の違い、遊ぶ費用のことなどを説明しているので、分かる。
 昼に三分で新造つき花魁、一晩なら一両二分は決して安くはない吉原でのお遊び代、という前提があるから通じるのだが、なるほど、逆に説明をしておかないとサゲがチンプンカンプンだ。そういう手間を考えると、かける噺家さんが少ないのも分からないではない。しかし、こういうネタにお出会えるのは、うれしい。


 大ホールで喬太郎の芸に疑問を感じた後、寄席、それも池袋でこういう丁寧な本寸法の高座に出合うと、ホッとする。無理なクスグリもなければ、大げさなアクションがあるわけでもない。しかし、こういった噺家さんに今後ももっと出会いたいものだと思いながら池袋のネオンの誘いを振り切って(?)帰宅した。
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by kogotokoubei | 2013-02-22 22:56 | 落語会 | Comments(2)
昨年は、小満ん『雪とん』、喬太郎『竹の水仙』を楽しんだ会に今年も参上。
2012年3月1日のブログ

 本来は好まない大ホールでの落語会、しかしこの二人である。そういう期待が大きかっただけに・・・・・・。

次のような構成だった。
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(開口一番 柳家さん坊『つる』)
柳家小満ん 『夢金』
柳家喬太郎 『錦の袈裟』
(仲入り)
柳家喬太郎 『白日の約束』
柳家小満ん 『寝床』
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柳家さん坊『つる』 (18:31-18:46)
 昨年11月の国立演芸場での白酒の会以来。その時も、兄の結婚式に出た際のエピソードなどをマクラにしていたことについて、良く言えば落ち着いていると言えるが、悪く言えば“遊び過ぎ”と書いた。入門三年目の前座さんにしては、ゆったりとした語り口は、なかなかと思わないでもないのだが、裏返しで、スピード感に欠ける、というか若さを感じない、という指摘にもなる。この高座も前半は結構良かったのだが、最後の方は、やや急ぎ足になった感は否めない。噺の筋本来の可笑しさで笑ってくれるお客様も多く救われていたが、まだ若いんだから、もっと精進していただきましょう。言い間違ってもいいから、もっとスピードとリズムが欲しい。

柳家小満ん『夢金』 (18:47-19:16)
 この人のこの噺は、大震災の直前2011年3月1日に、改装前の東京芸術劇場の独演会で聴いて以来。冒頭、楽屋で喬太郎との会話が盛り上がっていることを匂わす。「まるで、お軽勘兵衛の道行きのよう」「私が、お軽です」で会場から笑いを誘う。
「知足安分」、分を知ることの大事さを物語る熟語に続き、「欲深き人の心と降る雪は 積もるにつれて道を忘るる」の言葉で噺に導入。まったくの本寸法である。
 この「知足安分」の精神、震災後には、日本人の多くが取り戻しかけていたのに、今や、震災もフクシマもなかったかのような日常に戻った。デフレからの脱却は必要だが、バブルへの回帰はご免こうむりたい。
 噺に戻るが、震災前の、たった二年前の高座でも感心したが、船頭熊の科白が結構。たとえば、雪の中、屋根船を漕ぎながら、「なかなか酒手が出ないねェ」と船を揺らしてようやく侍が声をかけた後、蓑に降り積もった雪を払う場面などの「蓑なんざぁ、一本一本 針刺したようだ」などの表現が憎い。侍に「けしからん」と言われて返す言葉、「芥子が辛かろうが 唐辛子が甘かろうが、知るけい」の啖呵も好きだなぁ。この科白、五代目柳朝もよく使った。流石の小満ん節だった。

柳家喬太郎『錦の袈裟』 (19:17-19:50)
 この人のこのネタも、一昨年以来。平治(当時)の会への客演での一席だった。あの時の方が体調が良かったように思うし、内容も上だったなぁ。 2011年のマイベスト十席に選んだ位だからね。
 マクラでは、地元池袋のことから吉原の有名なお茶屋さん「松葉屋」さんでの落語会のことになり、本編へ。前座仲間の扇辰と一緒に、その独演会のお手伝いをすることが楽しみでならなかった憧れの人との会、古典二席なら、一席目にこのネタは分からないでもない。しかし、結果としてもう一席が新作だったので、ネタ選びとして、いかがなものか、という思いは、終演後の居残り会メンバーに共通した疑問だった。
 しかし、会場は、喬太郎ファンも多かったようで沸いていた。その笑い声が大きければ大きいほど、「昨年とは、違う・・・・・・」という暗い思いが募ってきた。時おり痰を切るための咳をする喬太郎の体調は万全ではなかったようだし、こちらも不完全燃焼。

柳家喬太郎『白日の約束』 (20:05-20:22)
 仲入り後は、小満んのために時間をつくるためだったのかどうか、この短い新作。マクラが8分ほどあったので本編は10分位である。そのマクラで、「誰も私が本屋に勤めていたって信じないでしょ」と、福家時代の電話での本の注文の仕方を演じたが、会場はこれでも受ける。定番のさくら水産ネタにも反応するお客さんが多い。だから、喬太郎も媚びる、と私には思えて仕方がない、嫌~な感じの空気。
 昨年は“古典回帰”を印象づけた無理に笑いをとろうとしない本寸法『竹の水仙』の熱演の後で、『稲葉さんの大冒険』で心地よく弾けたが、今回は、笑いを取りたい思いが影に見えた古典と、“旬”とは言え、時間しのぎとも思える新作小品、という印象で、この二人会で選ぶネタだったのか、という疑問がさらに募った。

柳家小満ん『寝床』 (20:23-20:56)
 マクラは、かつて彦六の家にお邪魔して書いてもらった「藝」という字の色紙の思い出から、最初の師匠文楽十八番のネタへ。茂造が回った長屋は、登場順に次の通り。順番も含めて師匠と同じである。
 ①提灯屋 ②金物屋 ③吉田の家 ④小間物屋 ⑤豆腐屋 ⑥棟梁
 使用人の仮病の中で、亀どんの鬱病、というのは師匠版にはない。また、旦那がへそを曲げたと聞いて参上した長屋の面々が語る場面は、結構師匠版にはない内容を盛り込んでいた。小満ん寝床が出来上がりつつあるのだろう。古典しっかり二席。


 終演後はレギュラー四名での「月例居残り会」。昨年のこの会の後に初めて行った、志ん朝も愛したお店へ。昨年、この店で味わった感動をブログから引用。
Sさんが、前日に飛び込みで入ったお店が良かった、とブログに書かれていたので、「ぜひ裏を返しましょう!」、ということで東銀座のKというお店にYさんも含め、いつもの三人組は向かったのだった。
 そのお店が、何と何と、かつて志ん朝も大勢を引きつれて度々訪れたお店で、私がたまたま座った席には志ん朝も座ったことがある、と店のご主人にお聞きするとは、まったく予想外のうれしい誤算、いや僥倖。落語のとりもつ不思議な縁を感じながら、お世辞抜きに美味しい刺身、馬刺し、牡蠣酢などと落語の話を肴に、熊本の「美少年」の二合徳利が次々と空いていった。

 あの日は、落語会そのものも結構だったからなぁ。

 今回は、落語会に関しては、全員異口同音に、「喬太郎、あれはない!」といった小言になったが、出された料理は、「今夜も最高!」という調子で、美少年の徳利はどんどん空く。
 私は連ちゃんは無理だったので、この日の会を選んだため前日19日に日本橋で行われた「五代目柳朝23回忌追善落語会」を、やむなくキャンセルしたのだった。しかし、昨夜行かれたYさんIさんから、「良かったよぉ。六分位の入りだったけど」と聴いて、複雑な心境で飲んでいた。

 お二人からも演者とネタを聴いたが、一之輔のブログから引用したい。
「いちのすけえん」2月19日のブログ
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一、狸札 おじさん
一、唖の釣り 一之輔
一、祇園祭 正朝
一、火焔太鼓 権太楼
中入り
一、天災 一朝
一、蒟蒻問答 柳朝
一、座談会
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 それぞれ20分程度ながら、皆しっかしりと柳朝十八番を披露し、座談会も楽しかったらしい。
 
 Yさんは、特に一朝の『天災』が印象に残ったようだ。昨年、一之輔の五十日間に渡る一人真打昇進披露興行のすぐ後、北沢タウンホールでの親子会で聴いたが、大師匠・師匠と伝わる大事な噺、一朝はしっかり継いでいるんだよねぇ。
2012年6月1日のブログ

 話題は、どうしてもこの日の喬太郎から離れにくく、我らがリーダーSさんは、「しばらく喬太郎は聴かなくてもいい」「ああいう新作のどこがおもしろいのか、分からん!」と激怒(?)されていた。SさんとYさんは、先日の落語研究会で、『綿医者』でがっくりきていたので、それも含めての小言になっていた。
 前向きな話題(?)つぃては、SさんIさんが行かれた16日の露の新治の会のこと。私は土曜の夜のルールを破ってまでも行こうと思った時には、すでにチケット完売で参加できなかったが、『つる』も『井戸の茶碗』も、大変良かったらしい。歯ぎしり・・・・・・。

 あらためて、喬太郎のこと。昨年のこの会を含む高座に、“古典回帰”の兆候が少し見えていたので、今日の高座に期待していた。しかし、この日の喬太郎には、正直落胆しきり。会場は喬太郎ファンも多かったようで沸いたが、私が望む“喬太郎の古典”とは、違う。
 さん喬が昨年1月のWOWOWの特集で、
「二ツ目の頃からちやほやされて・・・苦労をしていない」
「古典落語に関しては・・・他の人に七~八年遅れている」
と鋭く指摘した2012年1月6日のブログ「他の人」という表現から、扇辰、三三、そして白酒あたりまでを、私はイメージしていた。しかし、この日の喬太郎を考えると、ライバルは一之輔まで含まれるような、そんな気までしてくる。
 それが喬太郎、というご指摘もあろうが、いつまでも“さくら水産”の魚肉ソーセージやピリカラ蒟蒻などのマクラから、固定ファンが予定調和的に爆笑する古典ネタや新作にこだわるのなら、彼の実力を知り、より高いレベルでの新たな喬太郎像を望む落語愛好家とは、まったく調和できないままではなかろうか。ほんとに、喬太郎は、どこへ向かおうとしているのだろう。あるいは、単に、体調の悪さによる不出来だったのだろうか。

 さて、居残り会では、次の会の確認(来月は複数回ありそう!)などを話し合いながら、気が付いた時には飲み始めてから二時間があっと言う間に過ぎようとしていた。もちろん帰宅は日付変更線を越えた。何とかパソコンを開けて、粗っぽく構成などを書いていたら、見事に上の瞼と下の瞼がドッキング。風呂に入ったら爆睡であった。
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by kogotokoubei | 2013-02-21 07:35 | 落語会 | Comments(10)
去年の今日も、命日のLee Morganについて書いた。2012年2月19日のブログ

 前半は同じ内容を繰り返すことになるので、ご勘弁を。

 マイケル・カスクーナと油井正一さんの共著『ブルーノートJAZZストーリー』(新潮文庫)から引用する。
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油井正一、マイケル・カスクーナ『ブルーノートJAZZストーリー』

 1972年2月18日、フィラデルフィアのクラブ“スラッグス”に出演中、14歳年上の妻ヘレンに射殺されて34歳の生涯を閉じたリー・モーガンは、1938年7月10日、ペンシルバニア州最大の都市、フィラデルフィアに生まれた。
 (中 略)
 1956年10月、17歳の時にガレスピーのバンドに迎えられ、その1カ月後にはブルーノ−トに初リーダー盤<インディード!>を吹き込むほど早熟な“恐るべき子供”だった。

*原文のママなのだが、1956年10月には、彼は18歳。 

 妻が彼を撃ったのは1972年2月18日だが、運ばれた病院で死亡が確認されたのは日付が替わって19日午前2時45分と言われている。なお1938年は昭和13年、だから古今亭志ん朝と同じ年の生まれである。

 ヘレンを“愛人”とする説もあるが、私にはどちらが正しいのか、よく分からない。英語で‘common law wife’と説明されている場合があるので、内縁の妻、が正しそうだ。

 去年は、『Lee Morgan Ⅲ』から、私の大好きなClifford Brownに捧げたBenny Golson作の名曲「I Remember Clifford」を紹介した。

 今夜は、1958年10月、“恐るべき子供”が二十歳の時の“快演”をご紹介。「Blue Note 4003」、ピアノのボビー・ティモンズ作の名曲を、ぜひお聴きください。

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1.Moanin'
2.Are You Real?
3.Along Came Betty
4.The Drum Thunder Suite
5.Blues March
6.Come Rain or Come Shine
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Lee Morgan — trumpet
Benny Golson — tenor saxophone
Bobby Timmons — piano
Jymie Merritt — bass
Art Blakey - drams


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by kogotokoubei | 2013-02-19 20:59 | 今日は何の日 | Comments(4)
タイトルに書ききれない情報を補足。選手権は今年で第12回。今年の予選会は、今日が第3回。会場は七階のホールではなく、八階の多目的室である。

 本来日曜日はテニスのため落語会には行けないのだが、今日はテニスクラブの催しのため休み。クラブの仲の良いコーチからは、「プロの無料レッスンもありますから、遊びに来てくださいよ」と言われていたが、今さら、もっと上手くなろうとか強くなろうとかは、まったく思っていないので、テニスではなく落語でプロへのレッスン途上にある人達の会に参上。

 この予選会、これで二度目である。予選会も本選も日曜開催なので、とても行けない。前回はブログを書き始める直前、2008年第7回の、一之輔が出場した予選会だった。その時は、会場投票では三笑亭可龍(『宗論』)が一位通過、私が一票を投じた一之輔(『鈴ケ森』)は僅差の二位。一之輔は、予選全体の二位でもっとも惜敗率が高いということで本選会に出ることはできたが、その年の本選会は三遊亭歌彦(現歌奴)が優勝した。

 開演の13:30に、壇上に青山学院の落研の何とかという学生が登場して、この会の概要を説明。その後、出演する五人が登場し、出演順を抽選で決めた。

出演順に名前、演目、感想を書く。持ち時間は開口一番が15分、予選会は20分である。

開口一番 林家つる子『たらちね』
 初。正蔵の弟子。12月に目白庭園での小満んおさらい会の開口一番だった林家なな子を含め、なぜ正蔵のところには女性の弟子がいるのか、不思議だ。最初に携帯電話の注意をくどい位に言っていたのは評価できる。ネタは・・・・・・精進してもらいましょう。

立川三四楼『肥辰一代記』
 初である。三十七歳。さん弥と同じ三回目の出場とのこと。しかし、何とも褒めようのない高座。最初の師匠ブラックのネタかどうか知らないが、スカトロ・ネタに閉口した。プログラムの「選手権に向けて一言」には「お客様に聴いてよかったと思って頂ける落語を心がけています」とあるが、まったく聴いて良かったとは思えない内容。ネタそのものの問題と、それを地噺として講談風に語りきる技量、そのどちらもいただけない。現在は談四楼門下らしいが、もうちょっと何とかならないものか。

昔昔亭A太郎『皿屋敷』
 初である。今日の最大の収穫はこの人。桃太郎に入門して七年目のようだが、口跡はしっかりしているし、噺の本筋を外さない内容に感心した。スケールの大きさ、という意味では、一之輔を初めて聴いた時に、少しだが近いものを感じないでもない。もちろん、あのふてぶてしさは、ない。逆に、今後の成長が大いに楽しみな人。
 プログラムの「選手権に向けて一言」には、二回目の出演だが、「三回目がないようにがんばります」とある。その思い、気合いを感じる高座だった。芸協にも、まだまだ期待できる若手がいるじゃないか。

柳家さん弥『子別れ(子は鎹)』
 プログラムのプロフィールによると、三回目の挑戦で、本選にも一度出場しているらしい。結論から言うと、ネタ選びの難しさがあったように思う。この人なら、前座噺ではあるが『かぼちゃ屋』や『熊の皮』なども味があるし、『もぐら泥』などはなかなか良いのだが、やはり人情噺で勝負した、ということか。
 八百屋に加えて亀ちゃんの友達の六ちゃんにクスグリを入れさせる工夫があったが、あまり感心しない。金槌ではなく玄翁にしたのは本寸法だったが、表彰式で本人が語っていた体調の悪さなのか、気合いと空回りした感があり、やや歯切れが悪かった。もちろん、出場者の中では上位だが、私は期待が大きかったので、少し残念。A太郎の印象が強かったので、投票結果がどうなるか、やや不安なまま仲入り休憩へ。

林家たこ平『宗論』
 初である。この人も正蔵門下。ネタそのものの可笑しさで会場は沸いたが、キリスト教かぶれの息子の仕種が画一的であり、ぎこちない。A太郎、さん弥には、とても及ばない。

春雨や風子『反対俥』
 初である。昨年のNHK新人演芸大賞のぴっかりも、このネタだったが、女流落語家でこの噺は、トレンド?
 噺が噺なので袴姿で登場。俥屋も女性という設定だが、そこまでする必要があったのか。雷蔵に入門して六年目、昨年二ツ目になったばかりの「シングルマザー」らしいが、高座内容は、まだまだ子どものためにも精進が必要だろう。

 15:25から始まった風子が、持ち時間を使いきらず15:42に、すべての演者の高座がお開き。
 さっそく会場の投票回収が始まった。どう考えても、A太郎か、さん弥である。この会のお客さんは、結構ご通家さんが多いので、さん弥も相応の票を集めるだろうと予想できた。ここは、あえて本日の大発見であるA太郎に投票。

 しばらくして、結果発表。

 第一位・・・・・・さん弥。第二位、A太郎。そして、これまでの三回の予選会における第二位の惜敗率一位に、なんとかA太郎が選ばれた。

 四年前の私の投票と、同じような結果に、既視感を抱く^^

 予選第一回の勝ち残りが春風亭正太郎、二回目は笑福亭羽光、次回3月3日(日)の最終予選には一蔵が登場するが、テニスを休んでまで行く気はない。
 本選会は3月17日(日)に七階のホールで、入船亭扇遊をゲストに開催される。なかなかの接戦になりそうだ。土曜や平日の夜なら、ぜひ行きたいのだが・・・・・・。A太郎には、最後まで惜敗率トップで本選会に出てもらいたいものだ。

 さぁ、なんとか『八重の桜』が始まる時間までに書き終えることができた。久し振りの日曜日、出来栄えはともかく一所懸命な若手の落語会、なかなか結構だった。
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by kogotokoubei | 2013-02-17 17:21 | 落語会 | Comments(2)
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 先日、三三から届いたハガキの案内から、14日の「オデッサの階段」に出演することを書いたが、録画を今見たところだ。

 テレビでしか得られない情報として、お婆さんを見ることができて良かった。新宿末広亭の最前列で大きな声で笑っていた少年のことを、今でもよく覚えているようだ。
 三三にとって、お婆さんの存在が大きかったことは、フジTVサイト内の番組ページに次のようにあることで確認できよう。
フジTVサイトの該当ページ

落語家・柳家三三。彼は小学生の頃、落語の本やテレビを見たことで、その魅力にはまっていった。

落語好きの祖母とも、よく寄席に通った。


 タイトルが「柳家三三の観客」となっている。結局、この番組は、三三は誰を客として落語をするかというテーマに対し、あの時の“少年三三”が、年間600席以上の三三の高座全てを聴く唯一最重要な観客、ということで締めている。
 
 出演する噺家は小朝と談春と、市馬の三人。師匠のことは紹介されるが、本人のコメントは登場しない。逆に、稽古をつけない師匠や、中学卒業時に入門志願した際、「せめて高校は卒業しなさい」と言った言葉などを、三三や父親が、「きっと、こういう意味があるのだろう」と忖度するコメントが続く。

 談春は、「あの年で、あれだけ落語が好きな噺家はいない」と褒めながら、「私と付き合えるんだから、嫌な奴ですよ」と落し、小朝は、「落語の美学を持っている」と指摘しておいて、「変態です」と付け加える。まぁ、お約束とも言えるような内容。

携帯電話が鳴った場合の対応は、本人の言葉で考え方が分かった。なるほど。

 この番組は、「オデッサの階段」と呼ばれる階段に当人を座らせ、関係者や関連する内容について、本人に見てもらい、その感想などで構成するもののようだが、ちょっと、慌しかったかなぁ。力道山の街頭テレビやマジシャン、サーストンの三原則などは必要だったのか、私には疑問である。
 夏目漱石が『三四郎』の中で展開した、三代目小さんと初代円遊の評価を題材にしたのは結構。この部分をもっと拡大しても良かったように、個人的には思った。このテーマについて小朝や談春の見解を聞いて欲しかった。

 結果としては、短時間で三三という噺家の人と芸への考え方を鳥瞰できるような内容ではあった。とにかく、お婆ちゃんが良かった。もっと、三三との寄席でのエピソードを聴きたかった位だ。まさに、三三落語の原点が、そこにあったであろうから。
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by kogotokoubei | 2013-02-16 10:20 | テレビの落語 | Comments(0)
電車で週刊誌の中吊り広告を見て、嫌~な思いになる。特に文春と新潮がひどい。
 
 例の「パソコン遠隔操作」事件のことだ。

 この事件、これまでも多くの方が誤認逮捕されている。今回の被疑者も、犯行を否定しているようだ。真実は分からないが、今の段階で、「猫」がどうしたとか、父親がどこに勤めているとか、どんな学校に通っていたかなどというプライバシーを、実名を含めて記事にしている週刊誌などのマスコミは、もし冤罪だったら、どうするのだろう。きっと、訴えられないかぎり、謝罪するようなことはないだろう。非常に恐ろしいことだ。
 
 私は極めて冤罪の可能性が高いように思っている。もし、この被疑者が真犯人だとするなら、なぜ、足がつくような江ノ島や雲取山の名を報道機関に知らせるのだろうか・・・・・・。愉快犯と言うこともできようが、私には真っ当な行動と思えない。

 この事件に関するWikipediaの内容から引用したい。Wikipedia「遠隔操作ウィルス事件」

被疑者の検挙

江ノ島の防犯カメラの2013年1月3日の記録に、記録媒体が付けられた地域猫に対して不審な動きをする男の映像や、その男がバイクで移動する映像が写っていたことから、これらの映像を手がかりに同年1月中旬には東京都内に住むIT関連会社社員の30代男性が特定された。2月10日未明、警視庁と神奈川、三重、大阪各府県警の合同捜査本部は、この男性が事件に関与したとみて威力業務妨害容疑で逮捕状を請求すると共に、被疑者の男性に対して警視庁に任意同行を求め、被疑者の自宅を訪問して家宅捜索を行った後、逮捕状を執行した。

被疑者については秋葉原のネットカフェを利用した記録があり、ここからもPCが押収されている。また、猫カフェにも利用履歴があり、猫に対する執着が指摘される。

被疑者は2005年にのまネコ問題をめぐりエイベックス社長宅への放火・社長の妻へ濃硫酸をかける加害・エイベックス社員の殺害の予告や、仙台市の特定の女子小学生を殺害する予告を2ちゃんねるに書き込んだことから逮捕され、脅迫罪など4つの容疑で2006年に1年6ヶ月の実刑判決を受けて服役していた。

2013年2月11日に捜査当局への取材から、被疑者が派遣先企業で使用していたパソコンを調べたところ遠隔操作が行われた時期にTorを使用していた形跡が見つかったこと、また、被疑者のパソコンには遠隔操作に使用した掲示板に接続した形跡があることが報道された。なお、被疑者は事件への関与を否認している。

この逮捕については新たな誤認逮捕である可能性も指摘されているが、各報道機関は被疑者の小学生時代からの学歴などの個人情報を報道している。


 過去の犯罪歴などを根拠に、警察は逮捕に踏み切ったのだろうが、状況証拠以上のものは存在するのだろうか。

“この逮捕については新たな誤認逮捕である可能性も指摘されているが、各報道機関は被疑者の小学生時代からの学歴などの個人情報を報道している”ということが、非常に恐ろしいと思う。

 東京新聞の記事から、容疑者の名前を伏せて引用する。東京新聞サイトの該当記事

遠隔操作容疑者 「真犯人 別にいる」 弁護人会見
2013年2月15日 朝刊
 
 パソコンの遠隔操作事件で、威力業務妨害容疑で逮捕された容疑者(30)の弁護人となった佐藤博史、竹田真の両弁護士が十四日、都内で会見し、容疑者が「別に真犯人がいる」と身の潔白を訴えていることを明かした。

 警視庁などの合同捜査本部は、容疑者が一月三日午後三時ごろ、神奈川県藤沢市の江の島で、ウイルスの設計情報を保存した記憶媒体付きの首輪を猫に取り付けたとみている。だが、両弁護士によると、容疑者は警察の調べに「江の島に観光に行った」とする一方、首輪を付けたことは否定しているという。

 真犯人を名乗る人物が東京の雲取山に記憶媒体を埋めたとするメールを一月一日に報道機関へ送り、捜査本部は容疑者が昨年十一月に雲取山に車で出掛けたことを確認しているが、容疑者は「単なる登山」と説明しているという。

 さらに、以前、脅迫事件で有罪判決を受けたことには「悪いことをした。警察や検察に恨みを持ったことはない」と話し、逮捕後は「よく眠れない」とも訴えているという。

 佐藤弁護士は「警察から、決定的な証拠などはまったく示されていない。真犯人だと言うなら証拠を突きつけるべきだ」と語った。


 この容疑者の行動を調べた真犯人が、罪を押し付けようとしていることは、十分に考えられる。サスペンス映画ではないが、真犯人が意図的に特定の人物を犯人に仕立てようとしているような気がしてならない。

 報道機関は、面白おかしく被疑者のプライバシーを暴露しているが、もし誤認逮捕であったなら、本人や家族が被った報道による被害は小さくない。

 基本は「疑わしきは罰せず」のはずだろう。

 週刊誌もテレビも、取り上げるべきテーマは、他にいくらでもあるだろうに、煽情的で、覗き趣味の記事を優先する傾向は変わらない。困ったものだ。
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by kogotokoubei | 2013-02-15 08:04 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
帰宅したら、三三(の事務所?)から葉書が届いていた。

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「柳家三三から春のお知らせです。」と題していて、次のような三つの案内が書いてあった。

1.フジTV「オデッサの階段」出演

日時:2月14日(木)23時~23時30分
ゲストに密着取材することなく、テーマの本質を浮き彫りにする新しい
形のドキュメンタリー。今回は噺家として妥協を許さない三三の姿を、
春風亭小朝師匠、立川談春師匠、作家の北村薫さん他の方が語ります。
詳細はフジテレビのサイト内番組ページで。


 ほう、これは録画して見ようじゃないか。

二つ目はDVDの発売のこと。まぁ、これはいいか。

三つ目は次のような内容。

3.全国ツアー「三三五五四七」小田原公演開催

日時:4月18日(木)19時開演
場所:小田原市民会館・大ホール
前売り:3月3日発売開始(いつもの小田原市内各店ほかで販売)
「三三五五四七~柳家三三|GO|GO|四七都道府県~」、三三が日本全国47都道府県を47日間連続の独演会でくまなく伺うという趣向です。南は沖縄・那覇からスタートし、桜前線と前後しながら、ゴールは北の北海道・札幌。神奈川県は三三の地元小田原、諸国三三膝栗毛の土産話もお届けできるでしょう。詳細は別途お知らせいたします。平日の夜ですが、ぜひご来場ください。



 談春も「デリバリー」と言う名でさまざまな土地での落語会を開催しているが、「47都道府県」とは、驚いた。
 非常に結構な試みだと思う。私は出身が北海道の田舎で、社会人になってしばらくは新潟に住んでいた。だから、なかなか生の落語に接する機会がなかった。まぁ、二十代から三十代は、仕事と酒の付き合いなどで、落語に対する情熱も薄かったのだが。
 今や、マスコミやネットの情報が氾濫している時代である。三三の名だけは知っている全国の落語愛好家にとって、こういった落語会は得がたい経験をつくることことになるだろう。

 昨日のように電車に乗って寄席に行けることの有り難さは、地方出身者には、よ~く分かるのだ。

 相当ハードな日程になりそうだが、全国の落語愛好家のために、三三、頑張れ!


p.s.
三三のサイトを見たら、「出演情報」に日程が案内されていたので、ご確認のほどを。すごいスケジュール!
柳家三三のサイトの「出演情報」
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by kogotokoubei | 2013-02-12 20:08 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛