噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

<   2012年 07月 ( 15 )   > この月の画像一覧

久し振りの、にぎわい座。それも、“地下秘密倶楽部”(?)「のげシャーレ」だ。兼好が未だにこの会場で独演会をやってくれているのが、なぜかうれしい。
 チラシに、「登竜門シリーズ in のげシャーレ(小ホール)」とある。かつては白酒、そして兼好、一之輔、菊六といった人たちが独演会を開く、客席すべてが“砂かぶり席”とでも言うべき高座と客との距離が接近した密室空間。にぎわい座のサイトによると、前方のパイプ椅子と階段状の席を合わせた最大キャパ141席。
 この“アンダーグラウンド”に初めて足を運んだのは、2009年10月30日の「白酒ばなし」だった。その白酒の独演会は、現在では階上の芸能ホール(一階と二階合計で391席)に、文字通り昇格した。兼好も、「登竜門」をすでに卒業し昇格できるレベルだが、芸能ホールでは桂かい枝との二人会を行っており、最近は行けていないのだがこの二人会もなかなか楽しい。きっと、二人会を上、独演会は地下、と考えているのだろう。

 当日券も売り切れで完売。開演五分前に会場に入り、なんとか階段席に空席を見つけた。メクリには、すでに兼好の名前。お仲間同士で誘い合って来られたと思しき常連さんも多いように見受けられ、何ともいえない暖かい会場の雰囲気である。構成と感想は次の通り。

三遊亭兼好『祇園会』 (19:00-19:24)
 時節柄オリンピックのネタで。開会式のインドのカレー色の衣装の選手達に混じって入場行進で話題を呼んだ赤い服の“謎”の女性。「日本人だけは、別に驚なかった、カレーには福神漬がつきものでしょう」、で狭い会場は爆笑の渦。こういうギャグが、この人の持ち味の一つだと思う。お祭りの話でつながりで東北のことになった時は「『ねずみ』か?」と思ったが、場所が京都のことに替わる。祇園祭の御稚児さんのことになり、お祓いをしてもらってから御稚児さんんは地面に足をふれることができない、という話題。どこかに移動する場合は強力のような男性にかついでもらうらしく、「トイレも大変ですよね」などで笑いを取ってから本編へ。
 『三人旅』のアガリに相当するこのネタで定評のあるのは、一朝、円太郎、かつては正朝、というところか。江戸っ子(熊とも八とも名づけず)が上方見物に来て路銀が切れ、親戚の叔父さん宅で厄介になる、という筋は通常なのだが、江戸っ子と京者と出会うのが、叔父さんの代理で出席した祇園祭を楽しむ宴会の席ではなく、居酒屋で偶然出会うという内容。良く言えば無駄を省いた筋書。もちろん噺のヤマ場は江戸っ子と京の洒落者とが、江戸と京の自慢話、祭り自慢で言い争い、祭り囃子の競い合いをする場面。なかな結構ではあったが、一朝、円太郎、そしてテレビ(『落語者』)で見た菊志んに比べると、何か足らない気がした。このへんは、なかなか説明が難しい。京者が「京は王城の地・・・ウホゥ、ウホゥ、ウホゥ、ホウッ」と不思議な笑いで江戸っ子をじらせる演出や、山鉾巡行の掛け声の悠長さに、「(それじゃぁ)進まねぇ!」と言う江戸っ子の一言などは楽しかったが、やはりこの噺は、『三人旅』の大詰めという位置づけを明確にし、もう少し長い時間をかけてでも、本来の筋書に近く演じることで味わいが出るのだと思う。その筋書にご興味のある方は、相当前にこのネタについて書いたので、ご参照のほどを。2009年7月4日のブログ

春風亭昇吾『たらちね』 (19:25-19:39)
 まず、名乗らない。それだけの余裕が全くないのだろう。この後の兼好のマクラで昇太の五番弟子で入門からまだ数カ月、出来るネタは二つとのこと。兼好が「あれだけお客さんを置いていく高座も久し振り」と語り笑いをとっていたが、まさにその通りで、抑揚も間もない“独り言”のような内容。間違いなく私の方が上手い。芸術協会のプロフィール覧にほとんど情報がないので年齢など不明。精進してもらいましょう。

三遊亭兼好『紙入れ』 (19:40-20:11)
 すでに書いたように、昇吾のことを語ってから、ディズニーランドのホテルでの落語会の話へ。過度に客層に期待していたら、ご近所の普通の落語ファンの集まりだった、とのこと。次にシンデレラ城で結婚式ができるらしいが、ミッキーが神父役だろうという空想からのマクラが可笑しかった。この人のマクラは、現代的で上品ながら程よい毒が効いている。それも、百人余りの密室でほぼ“内輪”の会的な空間だと、なおさら笑える。「男は全ての女性が好き、から始まり、女は全ての男性が嫌い、から始まる」との名言は、哲学的。誰かのネタなのかもしれないが、こういう金言(?)があるからマクラもうっかり聞いてはいられない^^
 不倫とか浮気と言う言葉のイメージは暗いけど、間男は明るくて好き、とふって本編へ。この噺も、いわゆる本寸法とは違った味付けになっている。貸本屋の新吉が、前夜の騒動について兄貴分に相談に行く場面から。誰の演出なのだろうか。いわば、リアルに間男になりけける場面を描くのえではなく、過去の出来事として兄貴が新吉から聞き出すという構成。「肥後の国にでも逃げます」と言う新吉に兄貴が知恵をさずけ、「逃げるのは、旦那にばれているかどうか確認してからでも遅くはねぇ。行って確かめな」と言われて紙入れを忘れてきた旦那の家へと場面が切り替わり、ここからは旦那と新吉、そして新吉を誘惑していた旦那の女房による会話。演出上のアクセントとして、新吉が飲めない酒を飲まされ手首を縛られて布団に寝かされて、旦那の女房が新吉に挑もうとしたところで旦那が返ってきたと言う場面で、相談に行った兄貴も当の旦那も「そりゃぁ助かった、うん、助かってねぇか!」と言う科白を言わせるのが効いている。しかし、この噺、やはり兄貴に相談に行って回想するよりも、リアルに間男にされそうな場面を描く方が、私は好きだなぁ。好みだけどね。

三遊亭兼好『へっつい幽霊』 (20:22-20:59)
 仲入り後はこの噺。マクラは、宇都宮の「グリムの館」での落語会で『死神』をかけた話から。グリム童話の怖さのことから幽霊のことになり七分のマクラで本編へ。
 結論から書くと、桂三木助版を元にしながらこの人らしい演出も秀逸で、大いに結構だった。江戸に出てきたばかりの上方者が、夜中に道具屋に駆け込んで、買ったばかりの竃から幽霊が出て「金を返せ」と言い出した、「この竃、取って取って」とわめく場面から始まる。その後、この竃を三円で売れば必ず幽霊が出るので客が返しに来る。一度買ったものなので、損料が一円五十銭入るので、品物は残ったまま損料分が貯まるという、非常に商売に貢献する製品。しかし、良いことは二つ続かず、「幽霊の出る竃を売る道具屋」と町内で噂が広まり、客足が遠のく。道具屋の女房が「縁起が悪いから一円の金を付けてでも誰かに引き取ってもらい、その代り返品お断りにしよう」となった。この話を塀越しに聞いていた熊が、勘当されて同じ長屋に住む若旦那の徳と組んで竃を引き取ってから、物語が動き出す。
 強面の熊、若旦那の徳、そして幽霊になって出てくる左官の長兵衛の描き分けが見事だった。何よりラストの熊と長兵衛の場面が傑作。斜めに座って肩を落とし小さくなって、熊が怖くてなかなか出て行けない幽霊の長兵衛の様子は秀逸だった。熊が徳の実家から引き出させた三百円を「縦ん棒(折半)」にし熊と長兵衛で百五十円づつ。しかし、博打打ちの二人である。丁半博打で丸ごと百五十円を賭けるのだが、熊が差し出した壺とサイコロを懐かしそうに眺め、両手の甲をだらりと下げた幽霊の「陰」の形のままで、壺とサイコロを振っている長兵衛の姿には、憐みを覚えながらも笑える。前の二つの高座が、悪くはなかったものの何か消化不良だった私には、「これぞ、本寸法!」と心の中で喝采を送った出来で、もちろん今年のマイベスト十席候補だ。


 暑さとオリンピックによる寝不足の中でやって来た久し振りのにぎわい座、そして兼好の会は、柔道で例えるならば、小技で終始押し気味ながら決め手に欠いてきた前半と中盤を経て、ラストで綺麗な一本勝ち、という印象の結構な会だった。
 帰宅後に女子サッカーのハーフタイムで外に出て空を見上げると、旧暦の六月十三日である、空には見事な十三夜が浮かんでいた。月光を眺めながら一服し、また戻って女子サッカーを見て一杯やりながら書くブログは、なかなか進むはずもない。まぁ、ブログに制限時間があるわけでもない。南アフリカ戦は数多くの選手に実戦を経験させ、かつ引き分けて勝ち点1を取るという離れ技(?)だった。結果として勝っても順位は変わらなかったとは言え、前半は危ない場面もあったから、負けずに良かったというのが実感でもある。次はブラジル戦か。頑張ってもらいましょう。
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by kogotokoubei | 2012-07-31 22:46 | 落語会 | Comments(4)
落語芸術協会主催定席への円楽一門からの中途半端な客演企画について小言を書いたばかりなのだが、芸協が他の会派の協力などに頼らなくても魅力的な番組を組むことができる事例として、8月の定席のことを紹介したい。

 まず、浅草演芸ホールの8月上席の後半(8月6日~10日)は、なかなか豪華な番組だ。昼の部は主任を小遊三が務めた後、仲入り後に「にゅうおいらんず」の大喜利。昇太や色物の芸達者の名も並ぶ。そして、夜の部の主任は鯉昇。小柳枝、桃太郎も顔を出すし、膝がわりは、うめ吉だ。
落語芸術協会サイトの8月上席後半番組表

<浅草演芸ホール 8月上席後半>
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昼の部


ぴろき


ナイツ(交互)


春風亭昇太


三笑亭笑三
ボンボンブラザ−ス
主任 三遊亭小遊三
---仲入り---
大 喜 利
噺家バンド
にゅうおいらんず
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夜の部


三遊亭遊雀(交互)


春風亭小柳枝
-仲入り-

桂平治

昔昔亭桃太郎
檜山うめ吉
主任 瀧川鯉昇
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 次に、末広亭の8月中席(8月11日~20日)は、昼の部は恒例の「アロハマンダラーズ」で締める。夜の部も、これまでも客を呼べるベテランが主任をとってきたように思うが、今年は春風亭昇太が務める。
末広亭サイトの8月中席番組表

<末広亭 8月中席>
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昼の部`



主任 三笑亭可楽

大喜利
ハワイアン アロハマンダラーズ
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夜の部



昔昔亭桃太郎
-仲入り-



主任 春風亭昇太
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 落語家の若手、中堅は確かに落語協会には質量的に劣っているかもしれない。しかし、決して落語協会に引けを取らない充実した色物の芸達者をはさんで、実力と人気を兼ね備えた顔ぶれで番組を組めば、当座の定席の観客動員という問題には、何とか対処できるはずだ。

 特別な編成ではなく夏休みの恒例の編成なのか、それとも芸協の危機感の表れかは芸協の定席の知識に乏しく分からないが、とにかくこの顔づけなら魅力がないとは言えないだろう。末広亭の8月中席で昇太が主任というのは、自信はないが、滅多にないのではなかろうか。

 定席の顔付けも大事だが、中長期的には、若手、そして一部中堅までもを含むスキルとモラルの向上が重要。「二ツ目勉強会」の今以上の開催や、真打昇進に関する厳しい基準の導入なども要検討だろうし、定席で客のアンケートをとって出演者に関する厳しい意見なども吸い上げるべきだろう。

 志ん朝が『文七元結』のマクラで言っていたように“ぼんやりしていても”十四年か十五年たてば誰でも真打になって、「師匠」と呼ばれ何とか食べていける、という“ぬるま湯”のままでは、芸協から新たな実力者は生まれないだろう。その“ぬるま湯”状態を打破するための仕掛けも必要だ。

 二ツ目には、積極的に他流試合や、落語の大会(コンペティション)への出場を奨励すべきだと思う。
 
 たとえば、過去のNHK新人演芸大賞(落語部門)の大賞受賞者の顔ぶれを見ると、芸協の問題が明白になる。

<NHK新人演芸大賞-落語部門-大賞受賞者>
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        西             東
1994年                桂平治
1995年                柳家三太楼(→三遊亭遊雀)
1996年                古今亭志ん次(→志ん馬)
1997年  桂宗助
1998年                柳家喬太郎
1999年  桂都んぼ(→米紫)
2000年                林家彦いち
2001年  桂三若
2002年                古今亭菊之丞
2003年                古今亭菊朗(菊志ん)
2004年  桂かい枝
2005年                立川志ら乃
2006年  笑福亭風喬
2007年  桂よね吉
2008年                三遊亭王楽
2009年                古今亭菊六
2010年                春風亭一之輔
2011年  桂まん我
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 十八年前、今年七代目桂文治を継ぐ平治が受賞して以降、芸協からの受賞者は出ていない。遊雀はご承知のように落語協会に在席中の三太楼で受賞。

 この大会がすべてを語るわけでは毛頭ないが、若手噺家と所属協会の実力を測る一つの目安にはなる。噺家の数が少ない立川流や円楽一門で受賞者が出ていることも含め、やはり、芸協の若手が活性化していない証であるに違いなかろう。受賞者のその後の活躍を考えると、やはりこの大会に出ること、そして受賞することは若手にとって大きな試金石となっているように思う。

 今年からしばらくは、大勢の若手にこの大会を取るチャンスがある。なぜなら、図抜けた存在だった一之輔、菊六、そしてまん我が出場することはないのだから。私は、芸術協会を挙げて若手を特訓し、この大会での大賞受賞を目指す位の活動があっても良いように思う。すぐには実を結ばないかもしれないが、高校野球ではないが目標を高く持って修練するプロセスも大事だ。

 さて、今後の芸術協会がどんな定席の企画をし、将来を見据えた改革のためにどんな手を打つか、しばらくはよく観察させてもらおうと思う。少なくとも、8月の定席に関しては、良い傾向が現れてきたのではなかろうか。
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by kogotokoubei | 2012-07-24 20:28 | 落語芸術協会 | Comments(11)
“出来ることから一歩づつ”ということで、客演からスタートなのだろうが、
これでは“改革”にならない


 落語芸術協会が主催する定席で客が不入りである問題の打開策として、現在開催中の芸協主催の末広亭七月下席夜の部に、円楽一門の噺家が“参加”していることが報じられている。
NHK NEWS Webの該当記事

落語芸術協会 円楽一門と興行
7月22日 23時39分

人気落語家の桂歌丸さんが会長を務める落語芸術協会は、寄席の活性化を目指して、かつて落語家の団体から分裂した円楽一門会の人気落語家とおよそ30年ぶりに組んで、22日夜、東京で興行を行いました。

およそ130人の落語家が所属する落語芸術協会は、ここ数年観客数の減少傾向が続いていて、寄席の活性化のため、人気落語家を擁する円楽一門会と組んで興行することになりました。
22日夜は、その初めての興行が東京の「新宿末廣亭」で行われ、円楽一門会の会長、三遊亭鳳楽さんがゲストとして出演しました。
鳳楽さんが寄席で披露したのは、先輩の新築祝に使い古しの肥がめを渡すという笑い話「家見舞い」で、訪れた人たちは笑い声をあげながら聞き入っていました。
円楽一門会は、故5代目三遊亭円楽さんがおよそ30年前に、日本最大の落語家の団体、落語協会から分裂して旗揚げしたもので、これまで落語芸術協会と落語協会の2つの団体の興行には、原則として出演できませんでした。
22日夜の寄席でトリを務め、落語芸術協会に所属する春風亭小柳枝さんは、「若手のためにも、やはり寄席にお客が集まらないといけない。寄席を守っていくためのひとつの試みとして、今後も続けていきたい」と話しています。



 NHKは、4月16日にも、NEWS Webで下記のニュースを発信していた。すでにサイトの内容は消されているが、その日の私のブログから再度紹介したい。2012年4月16日のブログ

落語 “会派の垣根を越えて
4月16日 5時46分

人気落語家の桂歌丸さんが会長を務める落語芸術協会は、寄席の活性化を目指して、かつて落語家の団体から分裂した円楽一門会や落語立川流の人気落語家たちと組んでことしの夏から興行する方針を決めました。

落語芸術協会はおよそ130人の落語家が所属する団体で、東京の新宿末廣亭など4か所の定席で興行していますが、ここ数年、観客数の減少傾向が続いているということです。
このため落語芸術協会では、寄席の活性化を目指して人気落語家を擁する円楽一門会と落語立川流と組んで興行していく方針を先月の理事会で決めたもので、ことしの夏の興行から2つの団体の落語家がゲストとして出演していくということです。
円楽一門会と落語立川流は、亡くなった5代目三遊亭円楽さんと立川談志さんが、それぞれ既存の団体から分裂したあと旗揚げしたもので、これまで落語芸術協会と落語協会の2つの団体の興行には原則として出演できませんでした。落語芸術協会では、「会派を問わず出演してもらうことで、落語界を活性化させたい」と話しています。


 さて、芸協の“会派の垣根”を超えた試みは、いったいどういう番組になったのかを確認しよう。

 芸協のサイトによると、夜の部膝がわりの色物さんの前を交互出演枠として、22日と26日に鳳楽、28日に円楽が出演。そして、好楽は24日の一日のみ仲入りで登場するらしい。
落語芸術協会サイトの該当ページ

19:55交互出演
鶴光 21
鳳楽 22.26
歌丸 23
昇太 24.31
桃太郎 25.29
小遊三 27.30
円楽 28

※好楽 24日夜の部仲入り出演



 立川流は、たぶん、芸協の申し出を断ったのだと思う。円楽一門とのみ「会派を問わず出演」ということだろうが、とても“合同開催”とまでは言えない。円楽一門からの参加は毎日ではなく、出演する日も一人なのだから、“客演”という言葉が相応しそうだ。

 芸術協会のサイトは、時たま覗いていたが、「新着情報」という名のニュースとして告知があった記憶はない。大々的にアナウンスするには至らないと判断したのか・・・・・・。いや、その余裕がなかったのではないか。

 好意的に解釈すれば“できることから一歩づつ”と言うことで、客演からのスタートということかもしれない。しかし、このレベルではもちろん「合同開催」とは言えないし、“人気者”らしい円楽一門の噺家が特定の日に一人だけ出演するだけでは、芸協による単独開催を上回るだけの来場アップになるのかは、大いに疑問。

 ここからは推測を交えて。
 何とか夏の末広亭で、新たな企画をスタートしたく、それなりに動いていた。しかし、立川流には協力を拒まれ、円楽一門の“人気者”も、当初の予定をキャンセルまでして芸協主催の定席に十日間通しで参加することはできず、結構ぎりぎりまで綱渡りでの出演交渉や芸協内部での調整が続いたのだろう。結果として、鳳楽の二日、円楽と好楽の一日のみ確保できたのが実態。だから、事前PRも積極的にはできなかった。

 綱渡りでの番組づくりを物語るのが、末広亭の番組表に表れている。ちなみに21日が初日の「初」、31日は千秋楽で「楽」となっている。
末広亭サイトの七月下席番組表

落語交互出演
初 鶴光  2 鳳楽  3 歌丸
4 昇太、好楽  5 未定  6 鳳楽
7 小遊三  8 円楽  9 桃太郎
10 小遊三  楽 昇太


 ご覧の通り、25日、五日目の交替出演者が未定となっている。芸協のサイトには桃太郎となっている。ぎりぎりまで出演者の調整で苦労した証ではないかと察する。


 あるいは、円楽一門の他の噺家の名も候補に上がったのかもしれない。しかし、席亭からダメ出しがあって、客を呼べそうな噺家に絞り、芸協から鶴光、桃太郎というベテランに会長歌丸以下「笑点」メンバーが顔を並べて交互出演にした、ということだったのかもしれない。

 早い時間で、きつつきが上がることも、仲入りで兼好が組まれることもなかったわけだ。

 末広亭本席夜の部、主任は小柳枝で魅力はあるし、芸協の七月下席は、定席は末広亭のみ。別に円楽一門の手を借りずにだって、交互出演枠は芸協のベテランだけで組めたはずだが、今回の騒動の引き金になったクレームの張本人である末広亭で、何らかの工夫をしたかったための“涙ぐましい努力”の結果なのかもしれない。
 しかし、正直なところ私には、何とも中途半端なプログラムという気がする。もし、「合同開催」的な味付けをしたいのなら、交替枠を円楽一門のベテランで日替わりで組むほうが、まだすっきりする。
 来場者アップ、という目的と、声をかけた円楽一門への配慮の両方を追いかけた末に、「あれも、これも」になったような、そんな印象だ。

 芸協主催定席の“改革”は、やはり外の力を借りるのではなく、たとえば、主任の小柳枝と同じ一門の昇太や鯉昇が今回の交互出演枠に十日間通しで出演するなど、理事である者を中心に内部の問題として解決すべきだと、あらためて主張したい。

 歌丸会長、小遊三副会長の対策が、結局「笑点」頼みで観客増を狙う近視眼的なものであるのなら、本来優先すべき芸協内部の抜本的な改革への道のりは険しいものになるだろう。客の入る顔ぶれでの番組を組むことも大事だが、長期的な課題として所属噺家のレベルアップ、噺家個人個人の危機感の共有、を考えるほうが重要ではないだろうか。

 4月にも書いたが、こんな中途半端な番組づくりでは、「会派を問わず出演してもらうことで、落語界を活性化」などほど遠い話だ。繰り返しになるが、「落語界」の心配よりも自分達「落語芸術協会」の心配をして欲しい。やるべきことはいくらでもある。
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by kogotokoubei | 2012-07-23 12:18 | 落語芸術協会 | Comments(6)
“ママチャリ殿下”の進化は止まらない!

 今後、落語会の記録を書く際に、見出し的なものを書くことにしようかと、今のところ思っている。

 新宿のRyu's Barというところで「道楽亭」と名付けられた落語会があるのは知っていたが、これまで行ったことはなかった。なかなかの顔ぶれなので、気にはなっていた。
 その落語会の常連の出演者による広い会場での“出張”寄席とのことで、神楽坂に参上。約四百席の会場の入りは、半分ほどの入りか。この顔ぶれではもったいない。

受付でも配布されていたが、その顔ぶれの写真を含むチラシがなかなか賑やかで楽しい。
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チラシにある、四人の出演者の紹介文が、なかなか楽しい。
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笑福亭たま
「上方からお出ましは笑福亭タイフーン。ドッカンドッカン笑かします」

隅田川馬石
「絶好調!ほくろが素敵な向島の若旦那が聴かせます」

三遊亭遊雀
「ハイパー落語の旗頭、赤羽台の師匠はさらなるくすぐり思案中!」

柳家喜多八
「高田馬場から自転車に乗ってママチャリ殿下がやって来る!」
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喜多八で、「自転車」と「ママチャリ」がかぶっている以外は、なかなかの秀作(?)だと思う。

では、出演順にネタと感想。

開口一番 林家けい木『鮑のし』 (18:46-19:02)
 木久扇の九番目の弟子とのこと。落語協会サイトのプロフィール欄には生年月日(1991年4月)しか載っていないので、入門時期は不明。このへんが、若いワリにネット時代への意識が低い。高座も、あまり褒めるところがない。噛みまくりながらで何を言っているか分からないのに、無駄なクスグリを入れる。精進してもらおう。

笑福亭たま ショート落語&『憧れの人間国宝』 (19:03-19:28)
 最初に聴いたのはブログを書く前でずいぶん経つのだが、久し振りという気がしない。それは、昨年のテレビ朝日「落語者」や、スカイ・Aの「らくごくら」などのテレビで時折見ているからだろう。六代目松鶴の三番弟子である福笑に入門して十五年目に入る。以前から評価の高い人だが、今回は新作でチラシの謳い文句通りにドッカンドカンさせた。
 まず、「ショート落語」と称する自作の小噺を九分間連発。枝雀のSRとは、相当趣は違う^^
 続けた新作は、浄瑠璃の人形遣いが人間国宝になった直後に亡くなる、さて授賞式でどんなことが起こるかという内容。ヒントは『らくだ』とだけ書いておこう。亡くなる直前の師匠と弟子との師匠のお内儀さんを通訳(?)とした体を目一杯使っての会話場面で会場は沸いた。ショート落語は、ややもすると下ネタに過ぎる傾向はあるが、本編のオリジナリティとセンスの良さは評価したい。途中に会場で子供が泣き出すハプニングにも負けず、上方落語界期待の若手の実力を見せてくれた高座だった。

三遊亭遊雀『寝床』 (19:29-19:57)
 たまのネタを知っていてこの噺にしたのか、偶然かは別にして、同じ浄瑠璃もの。しかし、新作で人形遣いが主役のたまの高座の後では、“ツク”感じはまったくない。たまの派手なアクションに対抗して、茂蔵が豆腐屋がガンモドキの製造工程を旦那に語る際の牛蒡のささがきの仕方で「仕草ってのはこうやるんだ」と、たまがいるであろう楽屋の方を向いて目をむく。会場からは拍手と笑い。この顔ぶれ、楽屋も楽しそうな様子がうかがえる。
 主催者がチラシで「ハイパー」(超越)落語と称しているのが何を意味するかは不明だが、何となく分かる気はする。たとえば、この人の十八番『初天神』で金坊が“切れる”あたりに、ハイパー的なものはあるだろう。さて、このネタでは、茂蔵が“切れる”のが、何ともこの人らしい。本寸法を土台にして、そこに遊雀的なハイパー選出、やはりこの人はあなどれない。

隅田川馬石『締め込み』 (20:10-20:39)
 仲入り後には前半と違って落ち着きのある(?)人が登場。ジョギングをやっていてのエピソードのマクラ八分の後に本編へ。
 終演後の「居残り会」で話題になったが、師匠雲助に入門する前には役者を志していたこともあり、語り口がドラマ的で、あえて言えば古典でも現代風。しかし、違和感はない。夫婦喧嘩の仲裁の場面での泥棒の大げさな仕草は、たまや遊雀の影響ということではなく、やはり役者的なこの人ならではなおアクションなのだろう。人情噺の印象が強いが、こうい滑稽噺も、なかなか結構だった。

柳家喜多八『明烏』 (20:40-21:11)
 期待していた「落語をやらせていただきます」、では残念ながら始まらなかった^^
 昔の寄席風景のマクラは、いつ聞いても結構。ネタバレに近いが、「はばかりだって、やはり洋式の方が奇麗事でいいですよ・・・膝にだっていいし・・・もし、花魁なら、言いますよ・・・『xxxは、嫌でありんす』」で、会場の反応に、殿下にが笑い。「xxx」に入る単語は・・・ご想像の通りです。
 本編はやや短縮版で、源兵衛と太助が時次郎を待つ場面から。場面変わって日向屋。床屋に行ってきた時次郎が戻ったところで、父半兵衛が「浅草の観音様にお籠り」に行く倅にそれ相応に身なりをさせようとする。金を持たせ、吉原の(遊びの)しきたりと注意を言って聞かせ、時次郎は源兵衛と太助と一緒に、いざ「お籠り」へ出発。
 喜多八の高座は、油断できない。今回もいくつか「おっ!」と思わせる部分があった。見返り柳を「ご神木」と聞いた時次郎が柳に手を合わせて拝む、などのクスグリもあったが、何と言っても、以前に増して、時次郎、源兵衛、太助のキャラクターをしっかり際立たせようとする演出があった。そして、それが見事だった。サゲ直前に、時次郎が花魁といちゃついている様子をみた太助が“切れる”など、太助を「起こると怖い」男に仕立てて、源兵衛との違いを明確にしていた。その結果、この噺を聴く時に感じる、「えっ、どっちが源兵衛で、どっちが太助?」という不安は一切なかった。そして、時次郎のひ弱さの表現も際立っており、三人の吉原におけるからみに今までにも増して奥行きが出来てきたように思う。ややショートバージョンとは言え、これは今年のマイベスト十席候補にしないわけにはいかない。

 
 さて終演後は、今月二度目の「居残り会」。飛び込みで本多通りにある店へ。リーダーSさんの最近の“ぶらり旅”でのこと、相変わらず出張の多いYさんの出張先での話、そして落語のことなどを肴に話は弾み、帰宅は予定通り(?)日付変更線を越えていた。
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by kogotokoubei | 2012-07-21 09:28 | 落語会 | Comments(10)
 明日7月17日は、ジョン・コルトレーンの命日。ビリー・ホリディ、石原裕次郎の命日でもあるが、今回はコルトレーンのこと。
 1926年9月23日生まれ、1967年7月17日に肝臓癌で満40歳での死だった。アメリカはノースカロライナ州生まれのモダンジャズのサックスプレーヤーで、一部のジャズファンからは“神聖視”されている人物。
 
 『らくだ』について書いた時に、平岡正明の『志ん生的、文楽的』を引用した。
2012年6月27日のブログ
 この本は桂米二の会に行った際、深川の古書店で見つけたのだが、読んだ後に、「次は平岡のジャズの本を読もう」と思っていた。
 一カ月ほど前、帰宅前に古書店をぶらついていたら、なんと『毒血と薔薇-コルトレーンに捧ぐ』を半額で入手できた。しばらく“積ん読”だったが、ようやくコルトレーンの命日前に読了できた。

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平岡正明著『毒血と薔薇-コルトレーンに捧ぐ』(国書刊行会)

 平岡正明が亡くなったのが2009年の7月9日、本書は、ほぼ亡くなる二年前、2007年7月20日発行。コルトレーン没後40年になんとか間に合わせるべくの刊行だったようだ。

次のような構成。
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はじめに

第一部 毒血と薔薇
毒血と薔薇 コルトレーンに捧ぐ

第二部 ジャズ喫茶の蛾の死骸
ジャズ喫茶の蛾の死骸
歌笑 闇市にバップは流れる
肝臓兄弟(レバー・ブラザー)マイク・モラスキー
   『戦後日本のジャズ文化』への返礼
モラスキー教授がセクシーだなんて
相倉さんのこと ジャズ批評の夜明けを走る

第三部 「魅惑されて」
アニタ・オディ「魅惑されて」
ジェレミー・スタイグ「ラヴァーマン」
痛い音
うまい煙
ジャズ女
佐久間アンプに苦みが加わるとすれば
佐久間アンプが美神と格闘する
幻にあらず・郷間和緒

第四部 寺島靖国をぶっ壊す
寺島靖国をぶっ壊す

解説=菊地成孔

[資料]
ジョン・コルトレーン・ディスコグラフィー
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 平岡の本は、『志ん生的、文楽的』では、落語を語りながらジャズが登場し、本書においてはジャズを論じるために、落語が引っ張り出される。
 第一部の表題作でコルトレーンを語る際にも、冒頭は桂枝雀のネタで始まる。このへんが、落語もジャズも好きな者には、たまらない。

 閻魔が茶漬けを食べている。
 サラサラッ、皿。瓜の奈良漬を齧って箸を置いたのを待って、松本留五郎が言った。
 閻魔はん、なんでパレスチナに行かはったん?
 う。・・・・・・それはな、キリストに招ばれたん。やっこさん最後の晩餐だと言うて。食い納めじゃい、あんたもよばれんか、いう誘いでな、天上にもつきあいというものがあるねン。



 コルトレーンを語るのに、枝雀の『茶漬えんま』から書き出すことができるのは、平岡正明しかいないだろう。
 このイントロは、コルトレーンの『アセンション』のことにつながる。
 『アセンンション』は1965年の作品。マッコイ・ターナーやエルヴィン・ジョーンズとの、いわゆる“黄金のカルテット”の晩年、カルテット崩壊のきっかけとも言われる作品で、コルトレーン初のフリージャズへの試みの記録。邦題が、いつのまにか『神の園』となっていることに違和感を覚える平岡が、枝雀が演じる小佐田定雄作の新作落語で、何を言いたかったのか。

 平岡は、この落語とジャズの因果関係を読者に伝えるために、『茶漬えんま』のストーリーを紹介する。その後半から『アセンション』へ、どうつながるか、引用する。

 釈迦、キリスト、松本留五郎は三人並んで蓮池の底を通して血の池を眺めている。血の池地獄はいまでは冷水装置によって澄み、湖畔には瀟洒なテラスハウスが建ち、亡者がヨットを浮かべ、ディスコ・ミュージックで踊っている。昨日よりは今日、今日よりは明日と拡大する欲望を満足させる無限地獄だ。閻魔の忠告通り、そっちのほうが性に合っている松本留五郎はそれを見て浮かれ出し、これ、騒ぐでない、ア、アブナイ!釈迦とキリストの制止もあらばこそ、ドブーン。三人は蓮池に落ち、底を抜いて血の池地獄へ真逆様。
 アップアップしている三人は渡し守の赤鬼に助けられた。内緒だぞ。釈迦とキリストが鬼に助けられたと知られると世間体がわるいでな。
 オッ釈迦サーン、大丈夫デス。私ガ山上ノ垂訓ノ時、使ッテ山ヲ登ッタ縄梯子ガアリマス・・・・・・。昇る。アレ、永イコト使ッテナカッタカラ、切レタ。
 キリストはん、大丈夫です。ほれ、私が垂らしておいた蜘蛛の糸が見えますやろ。あれを使うて極楽に戻ればよろし。
 釈迦とキリストは蜘蛛の糸を昇り始める。松本留五郎も上がってゆく。
 あっ、これ、留五郎はだめじゃ。私とキリストは清浄な身によって糸が切れたりはせんが、留五郎の罪の重さで切れる。キリストはん、留五郎の頭を蹴ってくれなはれ。
 そのとたん、蜘蛛の糸は切れた。ザバーン。釈迦とキリストと留五郎は血の池地獄に真逆様。神も仏もないものか。
 『アセンション』は「昇天」と訳すのがやっぱりいいみたいだね。釈迦はカンダダに蜘蛛の糸を垂らしてやるときなんて言ったと思う? アセンション・プリーズだ。この説話の主題は、釈迦は退屈しているということである。枝雀落語にジャズを感じる。それも1960年代の前衛ジャズを。


 
 “平岡節”のほんの一端である。

 私自身は、コルトレーンはマイルスを離れたばかりの1950年代末から60年代前半の作品が好きで、かつてジャズ喫茶にたむろしていた二十代後半も、コルトレーンの晩年の作品には魅かれなかった。
 『至上の愛』などと言うタイトル自体、ハードバップ大好き人間の私には、相容れないものがあった。

 だから、学生時代を関西で過ごし、ジャズ好きで落語、なかでも枝雀好きの私だったが、とても次のような平岡の発想は浮かばなかった。

「地獄八景亡者戯」から「茶漬えんま」への飛翔は桂枝雀の内面のドラマでもある。前者は長く埋もれていたものを桂米朝が発掘した陽性の地獄めぐりである。鯖にあたってあの世に行ったトリックスターが地獄で閻魔をからかい、人呑鬼の腹に飛び込んで暴れ、苦しんだ鬼が閻魔を呑みこもうとする。これ、なぜわしを呑もうとするかと、閻魔がただすと、ダイオウを呑んで腹下ししたいと鬼が答える。大王と漢方の下剤大黄をかけたシャレだ。
 師匠米朝のこのサゲを変えたのが枝雀だ。人呑鬼の苦しみを見かねた閻魔が、腹中の四人のトリックスターに、出てきたら極楽に遣ってやるぞと言う。出てきた四人は縛られた。あ、閻魔が嘘をついた。聞いた地獄の鬼どもが飛びかかって閻魔の舌を抜いた。
 閻魔大王という冥府の支配者が嘘をついて舌を抜かれるという逆転を案出して、枝雀自作の(落語作家・小佐田定雄と共作)「茶漬えんま」に、彼が創出した最高のキャラクター松本留五郎を登場させ、極楽に行った留五郎が、天上から蜘蛛の糸を垂らして地獄の亡者釣りをしている釈迦と一緒に地獄に落ち、釈迦を救いにきたキリストもかつて昇天したロープが切れて、それではと三人揃って蜘蛛の糸をのぼったが、釈迦が留五郎を蹴落とそうとしたために、三人揃ってまた地獄落ち。枝雀は、コルトレーンに欠如していた笑いをもって『至上の愛』から『神の園』へと飛翔をやっていたのである。


 
 枝雀の『地獄八景・・・』から『茶漬えんま』を、コルトレーンの『至上の愛』(1964年)から『アセンション』に重ねて語る人があろうとは、まったく思わなかった。平岡正明、恐るべし。

 私が社会人になって毎夜のようにジャズ喫茶でバーボンを飲みながら、「コルトレーンは最後、神になりたかったんだろうなぁ」などと思っていたのだが、どうも平岡の言い分は違っていた。枝雀以外の落語家や、私のお気に入りの筒井康隆、山下洋輔も登場する部分を引用。

 アフリカでは土人がタムタムのリズムに乗ってミサイルを担いでいく、と筒井康隆『アフリカの爆弾』(文藝春秋、1968年)を評したには山下洋輔だ。そのタムタムのリズム表記を、
「タン・タン・タン、タタン・タン(タ)」
とカッコ内にタを入れれば完璧であると指摘したのも山下だ。
 初代桂春團治「へっつい盗人」にこれに近いリズム感があった。重いへっついに天秤棒をさしわたして、泥棒二人が「ヨトサのコラサのヨイヨイヨイ」と掛け声をかけながら、丼池の夕まぐれを去ってゆく。駕籠かきの息杖の振りかたや、天秤の荷を担いでゆく棒手振り商人のリズムを彷彿とさせるものがある。さまざまなリズムの実験が行なわれた1960年代、われわれはリズム感のわるい者をバカと呼んだ。
 トレーンは『ヴィレッジヴァンガード・・・』以後、精霊(スピリチュアル)の入り込んだ自分の内面に拘泥して、空間の発展を止めるのである。第三世界が浮上しつつある重要な時期に、トレーンは空間の長征を止め、自分の心の礼拝堂に籠って宗旨の乗り換えばかりやる。第三世界すなわち反乱する植民地。帝国主義支配に反抗する地点をこの地上に五〇も百も燃え広がらせなければならないこの時期に、ジョン・コルトレーンは坊主になろうとする。


 コルトレーンが、なぜ「坊主」になろうとしたと平岡が説くのかは本書を読んでもらうとして、私は、どうしても“精霊(スピリチュアル)の入り込んだ自分の内面に拘泥”する前のコルトレーンが好きだ。

 平岡のこの書では、『至上の愛』以降に関する内容が中心なので申し訳ないが、落語とジャズとの平岡流インプロビゼーションを紹介したことで許してもらい(?)、“黄金のカルテット”時代の代表作を紹介したい。

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バラード/ジョン・コルトレーン
BALLADS/JOHN COLTRANE
(impulse UCCI-9001)

[収録曲]
1. Say It (Over And Over Again)
2. You Don’t Know What Love Is
3. Too Young To Go Steady
4. All Or Nothing At All
5. I Wish I Knew
6. What’s New
7. It’s Easy To Remember
8. Nancy (With the Laughing Face)

[パーソネル]
John Coltrane (ts)
McCoy Tyner (p)
Jimmy Garrison (b、7を除く)
Reggie Workman (b、7のみ)
Elvin Jones (ds)

[録音]
1961年12月21日(7.)
1962年9月18日(6., 8.)
1962年11月13日(1.~5.)

 アルバムの一曲目、“Say It (Over And Over Again)”をお聞きください。
夜なら、お酒が美味くなりますよ。

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by kogotokoubei | 2012-07-16 17:04 | 落語とジャズ | Comments(2)
すでに警察沙汰となった大津の中学校での「いじめ」に関して、どんどん隠されていた情報が表出してきた。

 まず、東京新聞から引用。東京新聞 TOKYO Webの該当記事

大津・中2自殺 複数教員が問題認識
2012年7月14日 13時55分

 昨年十月十一日にいじめを受けていた大津市立皇子山(おうじやま)中二年の男子生徒=当時(13)=が飛び降り自殺した事件で、中学校の複数の教員が自殺の直前に、男子生徒が加害者とされる生徒との間でトラブルに巻き込まれていると把握していた。大津市教育委員会が明らかにした。教員は生徒が自殺した日に、関係する生徒らを対象に、暴力や迷惑行為があったかを調べるアンケートをする予定だった。

 市教委は「学校は自殺するまで、いじめだととらえて対応しきれていなかった」と説明した。

 教員が異変を察知したのは昨年十月一日と五日。担任が、自殺した男子生徒と加害側とされる生徒が、暴力を伴うけんかをしているような様子を目撃し、「大丈夫か」と声をかけた。男子生徒が「大丈夫」と答えたため、「いじめではない」と判断した。

 しかし昨年九月にも、ほかの生徒から担任に「いじめじゃないですか」とする指摘が二回あり、トラブルがあると推察。複数の教員で、アンケートを取って詳しく調べる必要があると話し合った。

 教員は連休明けの十一日にアンケートを予定した。だが生徒は登校せず、朝に自宅マンションの十四階から飛び降り自殺した。

 自殺直後の十月中旬、全生徒を対象にしたアンケートでは「先生も見て見ぬふりをしていたと聞いた」などの回答が多数あった。

(東京新聞)


 次に、朝日。朝日新聞 asahi.comの該当記事

2012年7月14日14時44分
自殺6日前にいじめ対策会議 情報受け担任ら 大津

 大津市立中学2年の男子生徒(当時13)が自殺した問題で、自殺6日前の昨年10月5日、生徒がけんかをしたり他の生徒から「いじめを受けている」という情報が教師に2度寄せられたりしたことを受け、担任らが対応策を考える会議を開いていたことがわかった。

 市教委はこれまで、生徒が暴力を受けていることを把握していたが、「教師はいじめと認識できなかった」と説明している。この会議では「いろいろな可能性の中でいじめについても考えて対応する」ことを決めていた。

 担任は10月1日と同5日に生徒に声をかけ、生徒は「大丈夫」という返事だったと市教委は説明。5日には、学校側は生徒の父親を学校に呼び、いじめられているという情報があったことを伝えたという。

 市教委学校教育課の担当者は「当時、明確にいじめられているとは認識できなかった。もう少し踏み込んだ対応をやるべきだった」としている。



 肝腎な部分を太字で再度引用。まず、東京新聞から。
 教員が異変を察知したのは昨年十月一日と五日。担任が、自殺した男子生徒と加害側とされる生徒が、暴力を伴うけんかをしているような様子を目撃し、「大丈夫か」と声をかけた。男子生徒が「大丈夫」と答えたため、「いじめではない」と判断した。

 しかし昨年九月にも、ほかの生徒から担任に「いじめじゃないですか」とする指摘が二回あり、トラブルがあると推察。複数の教員で、アンケートを取って詳しく調べる必要があると話し合った。


次に朝日。
自殺6日前の昨年10月5日、生徒がけんかをしたり他の生徒から「いじめを受けている」という情報が教師に2度寄せられたりしたことを受け、担任らが対応策を考える会議を開いていたことがわかった。 

 新聞の記事であるので、実際に教師と亡くなった生徒との間にどのような会話があったのかは、当事者でしか分からない。ほかの生徒による指摘に対し、担任や他の複数の教員が、どれほどの危機感を持っていたのかも察するしかない。
 しかし、自殺の六日前に「対策会議」を開いたのに、その内容は「アンケートをとろう」という結論だったということか・・・・・・。

 事実は分からないことも多く、あくまで部外者だから言えることかもしれないが、私はこの教師達の「判断基準」「行動基準」を疑う。

 中学生は、精神的にはまだ子供である。核家族化が進み、家庭での「躾」や、近所の怖いおじさん・おばさんがが失われた今、教室には精神的に成長途上の子供たちがいる。「やってはいけないこと」を分かっていない子供や、人に自分の思いを上手く伝えられない子供が、たくさんいる。

 そんな集団において、教師は何をすべきなのか・・・・・・。

 本来は家庭、親の役割である“躾”を学校が担うものではない、という意見もあろう。教室は“学ぶ”場であり、教師は授業こそが仕事だ、という主張もあるかもしれない。

 しかし、例えば、小学校の役割は何なのか?

 家庭から初めて他人とのコミュニケーションや共同作業を行う上で、「相互扶助」や「共生」という精神を培う役割が間違いなくあるだろう。「卑怯」な行為は咎められるはずだ。
 そして、本来は小学校で獲得しておくべきそれらの知徳が十分ではなかったら、それは中学校での“引継ぎ事項”としての役割になりえるのではないか。私はそう思う。いわゆる「社会性」の獲得である。
 「相互扶助」「共生」「卑怯な行為の否定」など、いわゆる“躾”の最初の「教室」は本来家庭であるべきなのだが、それを補う役割を学校の「教室」は持たざるを得ないのではないか。

 今日の教師には、さまざまな事務的作業を課され、時には“モンスターペアレント”への対応もあるだろう。だから、子供の「声」を聴こうとする余裕がなくなっているのかもしれない。加えて、本来教育の場にふさわしくない「競争原理」の導入などにより、ますますその傾向は強まるだろう。

 しかし、そういった“構造的問題”があるにせよ、あなた達は、「生きた人間」を「教え、育む」職業を選んだのだ。どんな、急ぎの用を犠牲にしてでも、人として間違ったことを正し、子供の叫びを聴くことが優先されなくてはならないのではないか。

 暴力、あるいは、いじめは度重なるものであったと想像できるし、だからこそほかの生徒も、きっと勇気をふるってアラームを出したはずだ。

 担任は、アンケート内容として報道されているように、いじめを容認、あるいは楽しんでいたとするなら、ほかの教師は、担任か否かなど関係なく、加害者本人に、何らかの注意をしたのか。また、校長に対して担任の行動、いや非行動について問題提起をしたのか。担任を説得して、加害者に注意をさせ、それでもなかなか暴力が止まらないようなら、担任と一緒にでも加害者の親に注意をしに行こうとしたのか。

 もしも、対策会議を開いていたのなら、「アンケート」などと言う「悠長」な対策ではなく、なぜ、翌日にでも加害者本人と親に会って厳重注意をするとか、被害者とその親に対して接触を試み様子をみるなど、直接的な行動ができなかったのか。

 あまりにも、判断も行動も遅すぎたと言えないか。そして、コトが起こってから、彼ら、学校と教育委員会、は後悔しているのだろう。今になって自分達の非を認めているから、アンケート内容の隠蔽などで自己保身することになったと思われてもしかたはない。

 しかし、この問題は大津だけに限定したことではない。どうして、教育の場は、こんなになってしまったのだろうか。


 藤原正彦の『国家の品格』から、また引用したい。「第五章 『武士道精神』の復活を」から。
藤原正彦著『国家の品格』
 

情緒を育む武士道精神

 美的感受性や日本的情緒を育むとともに、人間には一定の精神の形が必要です。論理というのは、数学で言うと方向だけで決まるベクトルのようなものですから、座標軸がないと、どこにいるのか分からなくなります。人間にとっての座標軸とは、行動基準、判断基準となる精神の形、すなわち道徳です。私は、こうした情緒を育む精神の形として「武士道精神」を復活すべき、と二十年以上前から考えています。



 「武士道精神」とか「道徳」などという言葉を目にすると、きっと「右翼!」とか「軍国主義!」などの言葉での反論があるかもしれないが、そんなことは気にせず、引用を続ける。

 武士道は武士道精神という美徳を忠実に実践しているという一点で、人々に尊敬されたのです。金銭よりも道徳を上に見るという日本人の精神性の高さの現れです。
 騎士道はキリスト教の影響の下で生まれましたが、馬に乗って戦うことがなくなると、イギリスでさらに諸々の要素を加えて深みを増し紳士道へと発達しました。騎士道と同様、武士道にもさまざまな精神が流れ込んでいます。
 まず仏教、特に禅から、運命を引き受ける平静な感覚と、生を賤しみ死に親しむ心を貰いました。儒教からは君臣、父子、夫婦、長幼、朋友の間の「五倫の道」や、為政者の民に対する「仁慈」を取り入れました。神道からは、主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝行などの美徳を取り入れました。
 最も中心にあるのは、日本に昔からあった土着の考え方です。日本人は万葉の時代どころか、想像するに縄文の時代ですら、「卑怯なことはいけない」「大きな者は小さな者をやっつけてはいけない」といった、皮膚感覚の道徳観、行動基準を持っていたのではないかと思います。
 「禅や儒教は舶来のものじゃないか」と言う人がいるかも知れません。禅はもちろん中国で生まれたものですが、中国にはまったく根付かなかった。鎌倉時代に日本に来て、一気に日本に根付いた。これは、禅が中国人の考えとは相容れないもので、日本人の土着の考え方と非常に適合性が高かったということです。鈴木大拙氏の言葉によると、「日本的霊性」に合致していたのです。だからこそまたたく間に鎌倉武士の間に広がった。禅と儒教は日本人の間に古くからあった価値観です。理論化したのは中国人ということです。そして、いつものことながら、日本人はそれを神道などと融合しつつ、日本化し、武士道精神へと昇華させたのです。


 
 「道徳」が大事だと思うが、それは学校で「道徳」という授業を復活して欲しいということではない。その「精神」が問題なのだ。

 これから、この大津の中学の警察の捜査が進むにつれてマスコミや世間のバッシングも、しばらく増えるだろう。きっと、加害者である中学生、そして担任の先生への批判は、今後増え続けるだろう。
 しかし、周囲も、そして当事者も、「卑怯」なことはやめようじゃないか。いまや「弱い者」になった彼らを一斉に非難するだけなら、同じことを根に持つ「いじめ」はなくならない。そう思う。

 いつからか、「武士道精神」とか「道徳」と言う言葉は、肯定的に扱われない、いわばタブーとされてきたのではないか。しかし、今の日本にもっとも大事なのが、こういった言葉であり、精神ではないかと思う。これらの言葉を“死語”にしてはいけないと思う。いじめに限らず、「皮膚感覚の道徳観」の欠如が、問題にされなくてはならない。今こそ、「競争」や「利益」などと言う言葉よりも語られなくてはならないのではないだろうか。
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by kogotokoubei | 2012-07-14 20:38 | 責任者出て来い! | Comments(2)
大津の中学における「いじめ」問題が、マスコミを賑わわせている。内田樹が、ある媒体からの求めに応じたコメントをブログ「内田樹の研究室」に掲載していたので、引用したい。
「内田樹の研究室」の該当ページ

いじめについて

ある媒体から、大津市のいじめについてコメントを求められた。
書いたけれど長くなったので、たぶん半分くらいに切られてしまうだろう。
以下にオリジナルヴァージョンを録しておく。

今回の事件はさまざまな意味で学校教育の解体的危機の徴候だと思います。

それは学校と教育委員会が学校教育をコントロールできていないということではなく、「コントロールする」ということが自己目的化して、学校が「子供の市民的成熟を支援する」ための次世代育成のためのものだということをみんなが忘れているということです。

私の見るところ、「いじめ」というのは教育の失敗ではなく、むしろ教育の成果です。

子供たちがお互いの成長を相互に支援しあうというマインドをもつことを、学校教育はもう求めていません。むしろ、子供たちを競争させ、能力に応じて、格付けを行い、高い評点を得た子供には報償を与え、低い評点をつけられた子供には罰を与えるという「人参と鞭」戦略を無批判に採用してる。

であれば、子供たちにとって級友たちは潜在的には「敵」です。同学齢集団の中での相対的な優劣が、成績評価でも、進学でも、就職でも、すべての競争にかかわってくるわけですから。

だから、子供たちが学校において、級友たちの成熟や能力の開花を阻害するようにふるまうのは実はきわめて合理的なことなのです。

周囲の子供たちが無能であり、無気力であり、学習意欲もない状態であることは、相対的な優劣を競う限り、自分にとっては「よいこと」だからです。


 この内田の主張には、大阪で橋下が進めようとしている教育現場への「競争原理」の導入の批判的視点が見えるが、それはこの後の文章でより一層明確になる。

「いじめ」は個人の邪悪さや暴力性だけに起因するのではありません。それも大きな原因ですが、それ以上に、「いじめることはよいことだ」というイデオロギーがすでに学校に入り込んでいるから起きているのです。

生産性の低い個人に「無能」の烙印を押して、排除すること。そのように冷遇されることは「自己責任だ」というのは、現在の日本の組織の雇用においてはすでに常態です。

「生産性の低いもの、採算のとれない部門のもの」はそれにふさわしい「処罰」を受けるべきだということを政治家もビジネスマンも公言している。


 「競争原理」を教育の現場に持ち込んで、「生産性」の低い個人が冷遇されることの常態化を一層強固なものにしようとしている者が、大阪の市長である。
 「内田樹の研究室」には、この件の「続き」が連日で書かれている。最近、内田先生の執筆の頻度が上がっているのが、なんともうれしい^^
「内田樹の研究室」の該当ページ

いじめについての続き

ある媒体で、「いじめ」についてコメントした。それは昨日のブログに書いた通りでアル。
それについて追加質問が来たので、これも追記として書き留めておく。


Q: 学校という場は社会の雰囲気とは切り離されたものではなく、一定程度の影響を受けていると思います。現実に、リストラが激しくなる一方ですし、1分1秒ごとに自己成長を求められる息苦しい世界になりました。この状況にあって、学校だけを過度な競争社会から切り離してある種のユートピアにすることは可能なのか、それとも競争を是とする今の社会を根底から変えない限り、社会に蔓延するいじめ体質はなくならないのか。この点はどう思われるでしょうか。

A: 学校は本来は苛烈な実社会から「子供を守る」ことを本務とするものです。それは学校というものの歴史的発生から明らかだと思います。
ヨーロッパで近代の学校教育を担った主体のひとつは、イエズス会ですけれど、それは「親の暴力から子供を守る」ためでした。当時のヨーロッパで子供たちは親の所有物とみなされており、幼年期から過酷な労働を強いられ、恣意的な暴力にさらされておりました。イエズス会は「神の前での人間の平等」という原理に基づいて、「親には子供を殺す権利はない」としたのです。

学校の歴史的使命は、何よりもまず「子供を大人たちの暴力から守る」ことでした。それは今も変わりません。

子供を幼児期から実社会の剥き出しのエゴイズムの中に投じると、どのように悲惨な結果を生じるかは、マルクスの『資本論』の中の19世紀イギリスの児童労働についてのレポートを読むとよくわかります。

子供を心身ともに健全に育て、強者からの暴力や収奪からる自分を守ることができるだけの力をつけさせるためには、彼らを一時的に世俗から切り離し、一種の「温室」に隔離することが必要だったのです。

学校に弱肉強食の競争原理を持ち込んで、「子供の頃から実社会の現実を学ばせた方がいい」としたりげに言う人々は、その考えが学校教育の本質の一部を否定しているということを自覚していません。

質問に対するお答えは、ですから「学校に競争原理を導入すべきではない」というものです。最優先するのは、「子供を暴力と収奪から守る」ということです。

「いじめ」は学校に滲入してきた「外の原理」です。
学校で子供がまず学ぶべきことは、相互支援と共生の原理です。


 より一層、内田が誰を念頭においてコメントしているかが明確になった。

学校に弱肉強食の競争原理を持ち込んで、「子供の頃から実社会の現実を学ばせた方がいい」としたりげに言う人々は、果たしてこのブログを読んでいるだろうか・・・・・・。

 「いじめは、昔からあった」と良く言われるし、私もそう思うが、たとえば昭和30年代から40年代のそれと今日学校で起こっているものは、大きく中身が異なっている。昔のいじめっ子(加害者)は、決して“団体”ではない。せいぜい数名。そして、いじめの加害者に対して、教室の大多数は批判的だった。そして、先生は、複数で一人を相手にいじめをする「卑怯者」を叱ることはあっても、一緒になって楽しむなどという事態はありえなかった。
 まず、「卑怯な行為」を恥じる気持ちや、「相互扶助」の精神が、かつての教室にはあったはずだ。それは、まず家庭で親から“躾”として教えられ叩き込まれた精神であって、教室は、ある意味で実践の場であったとも言える。もちろん、“向こう三軒両隣り”を中心に、ご近所でもたくさん学ぶことができた。やっちゃいけないことをした時には、親だけではなく、近所の怖いおじさん、おばさんが叱ったものだ。

 現在では場合によっては「大多数でよってたかって、特定個人をいじめる」という状況も多いようだが、これはかつての「いじめ」とは明らかに違うものだ。そして、今起こっている「いじめ」について、ある部分は「生産性」や「競争原理」の論理の教育現場への導入、そして「外の原理」からの保護作用の喪失で説明できるだろうが、それだけでは言葉が足らない面もあるように思う。単に「集団心理」という言葉でも説明できない、何かがある。

 実は、内田樹自身が、家庭と学校の破綻について、別な切り口で語っている。

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内田樹著『下流志向』(講談社文庫)

 内田は、著書『下流志向』で、家庭や学校において進められている「ゲーム」と「ルール」を次のように表現した。第一章「学びからの逃走」から。

 子どもたちは何も生産できません。生産したくても能力がない。片務的な保護と扶養の対象であるしかない。その債務感は、かつては子どもたちを家事労働に向かわせたのですが、今の子どもたちには家庭に貢献できるような仕事がそもそもありません。彼等に要求されるのか、「そんな暇があったら勉強しろ」とか「塾に行け」という類のことだけです。そして、夜遅くに家に戻り、疲れ切って口をきく気力もなく、家族たちに気づかう余力もなく、ただ全身で疲労と不快を表現することで、子どももまた子どもなりに「おつとめ」を立派に果たしたことを示そうします。父や母がそうしているように、十分に不機嫌でありうるということによって、子どもたちは不快に耐えて、家産の形成に与っていることを誇示しているのです。
 家族の中で「誰がもっとも家産の形成に貢献しているか」は「誰がもっとも不機嫌であるか」に基づいて測定される。
 これが現代の家庭の基本ルールです。


 

 不快を記号的に表示することで交換を有利に導こうとするタクティクス。これが八〇年以降、学校教育の組織的な破綻をもたらしました。諏訪哲二さんはだいたいそういうことを主張しています。僕もこれは洞見であると思います。このロジックで、学びの場、労働の場で起きている不可解な現象のいくつかは説明ができそうです。


 今日、家庭や学校で繰り広げられているゲームでは、先に「不快」を表現した者が勝つというルールである、と内田は言う。
 実は、この「不快」の表現が、今日の「集団的いじめ」の一因ではないだろうか。それは、学校においては、たとえば「うざい」などと言う言葉に乗って弱者に対して繰り出される“カード”なのだろう。そして、そのゲームに参加し勝とうとする他のプレーヤーも、そのカードにむらがろうとする。非常に短絡的な言い方になるが、結果として多くのプレーヤーから“うざいカード”を突き付けられた者は、敗者となる。

 たしかに「先に不快を言った者が勝ちゲーム」が、「いじめ」の根底にあるのかもしれない。それは、かつて「差別」とか、「弱い者いじめ」と言われた行為を容認させ助長させることにつながる。

 「教え、育(はぐく)む」場であった学校が、その様相を大きく変えてきたのは間違いない。そして、この現象は、必ずしも日本だけで起こっているわけではない。

 以前にも紹介した藤原正彦の『国家の品格』(2005年新潮新書発行)から、あらためて引用したい。第一章「近代的合理主義の限界」から。
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 藤原正彦著『国家の品格』

 家庭崩壊や教育崩壊も、先進国共通の現象です。教育崩壊による学力低下、子供たちの読書離れ、少年少女の非行は、どの先進国でも問題になっています。
(中略)
 世界中の心有る人々が、このような広汎にわたる荒廃を「何とかしなければいけない」と思いながら、いっこうに埒があかない。文明病という診断を下し眉をくもらせているだけという状況です。この荒廃の真因はいったい何なのでしょうか。
 私の考えでは、これは西欧的な論理、近代的合理精神の破綻に他なりません。
 この二つはまさに、欧米の世界支配を確立した産業革命、およびその後の科学技術文明を支えた礎です。現代文明の原動力として、論理・合理の勝利はあまりにもスペクタキュラー(劇的)でした。そこで世界は、論理・合理に頼っていれば心配ない。とそれを過信してしまったのです。
 論理とか合理というものが、非常に重要なのは言うまでのありません。しかし、人間というのはそれだけではやっていけない、ということが明らかになってきたのが現在ではないでしょうか。近代を彩ってきたさまざまなイデオロギーも、ほとんどが論理や近代的合理精神の産物です。こういうものの破綻が目に見えてきた。これが現在の荒廃である、と私には思えるのです。


 内田と、表現の仕方は違えども、家庭や学校の問題の原因に関する指摘は相通じるものがあると私は思う。

 西欧的な論理や合理だけでは「やっていけない」と、アメリカ、イギリスへの留学経験もある著名な数学者が主張するからこそ、言葉に説得力があるように思う。

 藤原正彦が「破綻」したと指摘する西欧的な論理、近代的合理精神の信奉者が未だにいる。

 橋下によって、教育の現場に「競争」の論理を導入することで、「いじめ」は、ますます日常化するだろう。なぜなら、生徒の成績が悪くなれば、その先生が叱責され罰を与えられる構造が強化されるのだから、生産性を落とす生徒は、今まで以上に阻害され、いじめられる。

 「教え、育む」場は、どんどん弱い者を「いじめ、疎外する」修羅場になろうとしている。「教育の崩壊」は、「競争原理」さえ導入し「人参と鞭」を用意しておきさえすれば問題が解決すると勘違いしている者によって、より一層悪化するだろう。
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by kogotokoubei | 2012-07-13 21:02 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(4)
山田五十鈴が95歳で亡くなった。亡くなった時のことを演出家で長年親交があった北村文典が語っているニュースは、さまざまのメディアで取り扱っているが、写真がなかなか素敵なので、産経から引用する。
*このブログの通例で、敬称は略します。
MSN.産経ニュースの該当記事

「たぬき」の三味線の音に首動かす 当日の様子
2012.7.10 19:35

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「たぬき」の立花家橘之助の役を演じる
山田五十鈴さん=昭和52


 山田五十鈴さんの訃報を受け、長年親交のあった演出家の北村文典(ふみのり)さん(66)が10日、東京都内で会見を開き、亡くなる当日の様子などを明かした。

 北村さんは9日昼、入院先の都内の病院から「山田さんの呼吸の状態がいつもと違う」との連絡を受けた。駆けつけたところ、山田さんは酸素マスクを装着してベッドに横たわっていた。しかし、呼びかけにもうなずき、代表作の舞台「たぬき」の三味線の音を流すと、拍子を取るように首を動かしたという。

 血圧は安定していたが、夜になり容体が急変。医師らに囲まれ、「苦しむことも少なく、眠るように天寿を全うした」(北村さん)という。息を引き取った5分後に北村さんは再び病院に駆けつけた。山田さんの安らかな表情と艶やかな肌を見て、「僕が出会った頃の、50歳くらいの山田さんを見た気がした」という。


 舞台『たぬき』は、榎本滋民作。山田五十鈴が演じたのは立花家橘之助。古今亭志ん朝も出演した。

 矢野誠一は『落語讀本』(文春文庫*今では古書店でしか入手できない)における『権助提灯』の「こぼれ話」に、次のように書いている。

 明治・大正・昭和三代の寄席演藝界に君臨した女流音曲師立花家橘之助の生涯を劇化した榎本滋民作『たぬき』の初演は、一九七四年(昭和49)藝術座で、橘之助は山田五十鈴が扮した。
 この芝居のなかで、古今亭志ん朝の扮する若い落語家に、橘之助が『権助提灯』の稽古をつけるところがあった。志ん朝は、本職の、しかも格段にうまい落語家である。その志ん朝の『権助提灯』に山田五十鈴がダメを出す。無論、志ん朝は役者としてこの芝居に出ているのだから、わざと下手にしゃべる。そうはしても、才能ある落語家の根はかくせるものではなく、あたりまえのことだが、あとからダメを出す山田五十鈴よりもずっとうまい。けれども『権助提灯』というむずかしい落語のむずかしい部分のダメの出し方として、まことにはっきりと演じ方の相違を、山田五十鈴はしめしてみせた。つまり、落語の稽古をつけるしゃべり方というものを、きちんと把握した演じ方であることに、舌をまかされたのである。その上、男名前に固執した橘之助の勝気な一面を、落語の稽古を介して、はっきりと見せてくれたのだ。女優というよりも女役者といいたいひとである。



 残念ながらこの舞台を見ていないので、この稽古の様子は推測するしかないが、さぞかし落語愛好家の方には楽しい場面だったのだろうと思う。

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   今村信雄著『落語の世界』(平凡社ライブラリー)

 今村信雄は、著書『落語の世界』で、立花家橘之助について「女大名橘之助」という題で次のように書いている。

 落語研究会の中堅で、特に人気のあったのは、馬生とむらくだった。馬生は研究会には全然関係のなかった助六(あだ名しゃも)の門人で小助六といったが、後に馬生と改名し、また志ん生となった。むらくは大阪の落語家月亭都勇の倅で、笑福亭木鶴の門人となり、都木松と名乗った。どういう訳だったか東京へ出て来て浮世節の立花家橘之助(女)の弟子となり、橘松といった。のちに立花家左近と改め、また橘之助の亡父(*正しくは亡夫)六代目むらく(本名永瀬徳久)の跡をついで七代目むらくとなった。もともと橘之助は落語家ではないから師弟といっても名前だけ。東京へ来てからの橘松は円左についてはなしを習っていた。左近となったのもそんな所からつけた名前ではなかったろうか。橘之助は初代三遊亭円橘の弟子で、八歳で初高座、明治八年だった。地は彼女の少女時代三味線をひいていた清元喜代八に教えられた清元だったろうと思うが、長ずるに及んでからは、清元でござれ、長唄でござれ、常盤津でござれ、何でも自由にひきまくり、浮世節で名をなした。橘之助は三味線の名手で、長唄の三味線ひきなども舌を巻いて驚いたくらいだ。彼女は頗る浮気性で、橘之助の百人斬りなどといって有名だった。それが何処までも浮気で、十六歳の時に大阪に於ける中村雁次郎との初恋にはじまって、横綱常陸山との噂も高かったが、えらいことにただの一度もそういう意味で客に招かれたことはなかった。明治二十二年だから橘之助が二十二歳の時、四代目円生の門人全亭武松と深くなり手に手を取って東京を駆け落ちし、世間をあッといわせたが、やがて詫びをして二人は東京っへ帰って来て夫婦になった。おかげで武松は師匠に勘当され名前を取り上げられたので、暫く本名の永瀬徳久で席に出ていた。後にこれが六代目むらくになったのだが、明治四十年一月五日に病死している。後家になってから橘之助は盛んに浮気をしたらしい。


 名人芸を誇り、恋多き女性であった立花家橘之助が、山田五十鈴の人生と重なり合っているように思うのは私だけではないだろう。

 古今亭志ん朝の『たぬき』での役が、七代目むらく(のちの三代目三遊亭円馬)だったのかどうかは、勉強不足で分からない。しかし、そんな気はする。

 三代目三遊亭円馬と八代目文楽の誕生日である二年前の11月3日、すでに引用した『落語の世界』の文章の後に続く、橘之助をめぐる、むらくと四代目橘家円蔵の揉め事について書いたが、あらためて紹介したい。2010年11月3日のブログ

 しかし彼女はあだ名を女大名といわれたくらい我儘一ぱいだったから、金のある有名な男よりも若い前座などを多く愛した。翌朝彼女は男に向かって「お前気を残すんじゃないよ、これでお湯にでも行ってお出で」と、なにがしかの小遣いを与えたという話だ。
 弟子のむらくとの仲も、同業者の間で相当やかましくいわれていた。むらくと円蔵との喧嘩も鞘当の結果だそうだ。



 文楽の『芸談 あばらかべっそん』にも、喧嘩の理由を裏付ける内容があるのでこちらも再度紹介。*「むらく時代」の章から抜粋。桂文楽 『芸談 あばらかべっそん』
*私はこの本を「朝日ソノラマ」版で古書店で購入した。ちくま文庫で1992年に発行されたが、現在入手困難。事情があるのかもしれないが、ちくま文庫での再販あるいは新装版を期待している。あるいは小満ん著『べけんや』を発行してくれた河出文庫でも結構。落語の歴史を知る上でも貴重な記録である。
 

 何しろそのころの「朝寝坊むらく」の円馬師の売れ方といったらすばらしいもので、飛ぶ鳥を落す勢いの「首提灯」が特に巧かった品川の師匠(四世橘家円蔵)と、三遊派で女ながらも第一の勢力があった浮世節(うきよぶし—今日の俗曲)の立花家橘之助師とがいつもスケ(助演)にでてはひっぱったから、本来巧いところへ一そうメキメキと売出した。円馬師は、はなしかだがこの橘之助師の門人で、橘松から左近になったのです。
(中略)
 もちろん、古いはなしも前いったように何百とやれば、新作もいろいろやる、外国ダネの童話なんかへもサゲをつけて立派な落語にしましたし、踊りも上手で「槍さび」が十八番でしたが、それも普通の人のやるような丸橋の壕端なんかじゃない、同じ丸橋でも召捕りの大立廻りをやるし、国姓爺の楼門なんて皮肉なものもやるし、それにお花の心得があったもので、お花を生け終るまでをちゃんと「槍さび」の三味線に合わせてやった。
 こうなると流石の品川の師匠もそろそろこわくなって来たらしいので、そのときですよ、あの加納鉄斎(かのうてっさい)さんが、いま私が持っていますが師匠の似顔を煙草入れの筒へ彫って、その似顔の鼻を釘ぬきでぬこうとしている図柄なんですが、その脇に「名人にならぬよう御用心々々々」とさらに彫り付けたのをくれたくらいです。
 鉄斎さんがひいきにして心配してくれたよう、間のなく新富座へ惣見(そうけん)があったとき、芝居茶屋(昔はあった、お客を劇場へ案内する店)で品川の師匠と大喧嘩をして、東京を売ってしまいました。深いことは分かりませんが、橘之助師匠との三角関係だということです。


 “百人斬り”の魔力に円蔵もむらくも幻惑されてしまったわけだ。怖いね、女は。円蔵と喧嘩して橘之助から破門され大阪に戻ったのが円馬34歳の時。橘之助は円馬の16歳年上。円蔵が橘之助より二歳年上。52歳、50歳、34歳での三角関係だったわけだ。橘之助は円馬にとって落語ではなく、人生を“落伍”させられかけた師匠だったともいえる・・・・・・。(イマイチ・・・・・・。)

 さて、恋多き橘之助だが、その芸の凄さでも逸話を残している。たとえば、三味線の演奏中三絃のうち二絃が切れても、残りの一絃だけで、三絃ある時と変わらない演奏をして見せたと言われる。この橘之助の役は、山田五十鈴でなければ到底できなかっただろう。そして、今後、誰にも真似ができそうにないように思う。単に三味線が上手いだけでは舞台はつとまらない。芸が出来なければね。橘之助は、初代橘ノ円と夫婦となった後に引退し、余生を京都で過ごそうと昭和10(1935)年6月に引っ越しした矢先、北野天満宮そばの紙屋川が氾濫して自宅が流され、夫と共に水死した。慶応2(1866)年生まれ、68歳だった。

 この橘之助を描いた舞台で、山田五十鈴は芸術祭大賞を受賞しているし、その後女優として初の文化勲章を受章したのも、この舞台の高い評価が寄与していると思われる。

 ぜひとも『たぬき』の舞台の映像を、追悼番組として放送して欲しいものだ。
 実は、ほんのサワリだけは見たことがある。志ん朝が亡くなった後、平成13(2001)年10月6日にNHKで放送された追悼番組『古今亭志ん朝さん 江戸の粋をありがとう』の中で昭和49年の舞台の一部が紹介されていた。

 この舞台、ぜひ全篇見たいではないか。

 その映像は、もちろんある。NHKは1999年12月にBSで放送している。
NHKクロニクルの該当ページ

山川静夫の"華麗なる招待席"
−女優・山田五十鈴− ■舞台「たぬき」
1999年12月7日BS 2
主な出演者
山川静夫 山田五十鈴 都家歌六 日下武史 丹阿弥谷津子 小鹿ミキ 古今亭志ん朝 江戸家猫八


 これは、ぜひ放送して欲しいものだ。
 
 あるいは、1975年の正月に総合テレビで放送されたものでも良い。
NHKクロニクルの該当ページ

劇場中継
「たぬき」 ~立花家橘之助~
1975年1月2日総合
主な出演者
山田五十鈴 日下武史 丹阿弥谷津子 古今亭志ん朝 一の宮あつ子 江戸家猫八 金原亭馬の助


 ちなみに馬の助は、この年の12月の「たぬき」再演中に入院し、翌年2月に亡くなっている。馬の助の演技にも興味はあるが、いずれでも結構。

 NHKさん、よろしくお願いします!
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by kogotokoubei | 2012-07-11 20:15 | 伝統芸能 | Comments(6)
NHKの世論調査。まぁ、他の新聞や通信社と似たような数字かと察する。それは、同じような方法での調査だからである。NHK NEWS Webの該当記事

野田内閣不支持56% 発足以来最高
7月9日 19時46分

NHKが行った世論調査によりますと、野田内閣を「支持する」と答えた人は、先月と同じ27%だったのに対し、「支持しない」と答えた人は5ポイント上がって56%となり、野田内閣の発足以来、最も高くなりました。

NHKは、今月6日から3日間、全国の20歳以上の男女を対象に、コンピューターで無作為に発生させた番号に電話をかける「RDD」という方法で世論調査を行いました。
調査の対象となったのは1676人で、65%に当たる1089人から回答を得ました。
それによりますと、野田内閣を「支持する」と答えた人は、先月と同じ27%だったのに対し、「支持しない」と答えた人は5ポイント上がって56%となり、去年9月の野田内閣の発足以来、最も高くなりました。
支持する理由では、「人柄が信頼できるから」が34%、「他の内閣より良さそうだから」が33%だったのに対し、支持しない理由では、「政策に期待が持てないから」が51%と半数を超え、「実行力がないから」が24%などとなっています。
次に、野田内閣が進める「社会保障と税の一体改革」の取り組みを評価するかどうか聞いたところ、「大いに評価する」が3%、「ある程度評価する」が30%、「あまり評価しない」が39%、「まったく評価しない」が23%でした。
また、社会保障の財源に充てるために、消費税の税率を平成26年4月に8%に、平成27年10月に10%に引き上げることについて、賛否を聞いたところ、「賛成」が30%、「反対」が38%、「どちらともいえない」が29%でした。
さらに、「社会保障と税の一体改革」で、民主・自民・公明の3党が合意して、法案が衆議院で可決されたことに関連して、ほかの政策についても、この3党が連携していくことが望ましいと思うかどうか尋ねたところ、「望ましい」が14%、「どちらかといえば望ましい」が31%、「どちらかといえば望ましくない」が24%、「望ましくない」が24%でした。
一方、消費税率引き上げ法案に反対して、民主党に離党届を提出した、小沢一郎氏の行動を評価するかどうか聞いたところ、「大いに評価する」が6%、「ある程度評価する」が18%、「あまり評価しない」が25%、「まったく評価しない」が45%でした。
また、小沢氏が11日に結成する新党に期待するかどうか聞いたところ、「大いに期待する」が3%、「ある程度期待する」が11%、「あまり期待しない」が30%、「まったく期待しない」が52%でした。
大阪市の橋下市長が率いる「大阪維新の会」が、次の衆議院選挙で議席を獲得し、国政に影響力を持つことを期待するかどうか尋ねたところ、「大いに期待する」が21%、「ある程度期待する」が41%、「あまり期待しない」が24%、「まったく期待しない」が9%でした。
衆議院の解散・総選挙をいつ行うべきかについては、「できるだけ早く行うべきだ」が23%、「9月の国会の会期末までには行うべきだ」が19%、「年内には行うべきだ」が24%、「来年の衆議院の任期満了まで行う必要はない」が25%でした。


個々の数字にはコメントしない。その調査の方法を再度確認。
「NHKは、今月6日から3日間、全国の20歳以上の男女を対象に、コンピューターで無作為に発生させた番号に電話をかける「RDD」という方法で世論調査を行いました。」

 Wikipediaの「世論調査」によると、「RDD」方式は次のように説明されている。
「世論調査」Wikipedia

RDD方式
近年は電話によるRDD方式(乱数番号法、Random Digit Dialing)が多く採用されている。コンピュータで乱数計算を基に電話番号を発生させて電話をかけ、応答した相手に質問を行う方式で、従来の固定電話を対象として行なわれる。NTTなどの電話帳に掲載されていない電話番号も抽出対象となりえる。


 
 「乱数」で「無作為」に抽出しようが、あくまで「固定電話」への調査なのである。NHKの調査は6日(金)から三日間だから、金、土・日に、無作為に「固定電話」に電話をかけ調査した結果。

 このような調査に、本当に「世論」が反映されていると言えるのだろうか。

 携帯あるいはスマホが中心で、家での固定電話などほとんど使うことのない若者や、平日は業務などに明け暮れ、休みの週末にはゴルフや家族孝行などの外出、もし自宅にいても「世論調査」の電話などに答える気になれないサラリーマンも多いだろう。だから私は、この「固定電話」による「世論調査」には、到底「生きた」民意が反映されているようには思えない。

 そんなことを考えながらネットでググっていたら、少し古い話ではなるが、4月にあの陸山会問題(「事件」ではない。検察のでっち上げだ)で、東京地裁の無罪判決が出た後で、ウォール・ストリート・ジャーナルがサイト上で実施したアンケート結果が見つかった。
 
 質問は、「あなたは政治家としての小沢さんに期待しますか?」で、回答は「期待する」「期待しない」の二択。
ウィール・ストリート・ジャーナル(日本版)の該当記事

2012/4/26 14:13.
【投票】小沢氏に期待する?期待しない?

きょうの小沢一郎元民主党代表の判決公判には、傍聴券を求めて席数の40倍、1843人が押し掛けた。注目の判決は「無罪」。控訴の可能性はあるが、小沢氏は、以前からこれを機に政界の表舞台に戻る意向を示唆していたところから、同氏が今後の政局に大きな影響を与えることが予想される。

国内メディアによると、傍聴券を求めて集まった人々の中には、検察の捜査の仕方に批判的で無罪を期待する人、悪いことを平気でしていたとして有罪となり政治家を辞めるべきという人、さまざまだったようだ。

小沢氏は、2009年5月に今回の政治資金規正法問題で民主党代表を辞任したのちも、同年の衆議院選で比例区でほとんど政治的実績のない候補まで当選させて同党の圧勝に貢献し、党内に隠然たる影響力を持つ。しかし、それでも党内の小沢氏の立場には複雑なものがある。

強制起訴で小沢氏は党員資格の停止処分を受けたが、輿石東幹事長は、判決を受け資格停止を解除する意向を示している。だが、小沢氏は菅直人前首相が打ち出し野田佳彦首相が引き継いだ消費税率引き上げに強い反対の姿勢を示しており、同氏の復権によって消費税関連法案の行方はますます不透明になる。

国民の小沢氏に対する態度も剛腕の政治家として期待する人もあれば、古いタイプの政治家だとする否定的な見方まで大きく分かれている。

そこで読者の皆さんにお聞きしたい。(受付は5月2日まで。投票は終了しました)

あなたは政治家としての小沢さんに期待しますか?

期待する  (65%, 2,503票)
期待しない (35%, 1,371票)
計3,874票



 実際は、結果の部分に棒グラフが表示されているが、上手くコピペできなかったので、ご容赦のほどを。

 この数字をどう見るかは人それぞれだろうが、今、同じようなネットでの調査をしたら、似たような結果になるような気がする。

 もちろん、ネット投票だって「世論」を反映しているとは言えないかもしれない。しかし、さまざまな方法で調査した結果が提示されることこそ、その中から一人一人が自分なりの考えで判断する材料になるのではないか。

 新聞や通信社の「RDD」方式の調査は、平日の特定の二日間の場合も多い。その調査の「網」にかかる「固定電話」の向こうにいる人々は、果して「世論」を反映しているのかどうか。

 そんなことを、一杯飲みながら考えている時に、もし「NHKの世論調査です」などと電話がかかってきたら、私はいったいどんな対応をするだろうか。連れ合いは、「酔って調査員とは喧嘩しないでね」と、たぶん思っているだろう・・・・・・。
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by kogotokoubei | 2012-07-09 21:59 | 責任者出て来い! | Comments(0)
ある本からの引用。

 「政治とは何か」ということを具体的に考えていく上で、政治と官僚の関係を考えるというのも重要なことの一つだろう。
 日本では長いこと、「官僚信仰」とでも言うべき思想が国民の間に定着していた。
 永田町の政治家たちはいつも政治に明け暮れているし、金権政治をやっているようで信用できない。それに比べて、霞ヶ関で働いているお役人たちは、東大法学部卒のエリートであり、清廉潔白な人々である。そういうエリート官僚たちが日本を支えてくれたほうが、ずっと安心だ-ざっと言えばこういう思想である。
 しかし、そうした官僚に対する国民の絶対的な信頼はここ10年くらいの間に急速に揺らいできた。
 その理由はいくつもあるが、その最大の一つは何と言っても、エリート官僚たちがいてもバブルの崩壊や平成不況はちっとも防げなかったという事実だ。さらに、相次ぐ官僚の不祥事やスキャンダルで、官僚がけっして清廉ではないことも明らかになった。
 そこでようやく官僚信仰から脱却しなければいけないという気運が国民の間に広まってきた。今の民営化論議にしても、こうした国民意識の変化なくしてはありえなかっただろう。
 だが、こうした官僚をめぐる問題を、新聞やテレビなどが「官僚の質の低下」「モラルの低下」という次元だけでしばしば報じているのは問題の本質を捉えていないと僕は思う。
 そもそも、民主主義国家である日本の政治を政治家ではなく、官僚が取り仕切ってきたこと自体が異常な事態なのだ。かりに官僚の質やモラルが向上したとしても、官僚が政治に手を染めること自体、民主主義に反することだ。
 そのことを問題にしない日本のマスコミは「民主主義の常識」が欠落していると言っても、けっして大げさではない。



 「リーダー待望論」という言葉があちこちで聞かれるようになって久しい。
 強いリーダーシップを持った指導者を日本国民が求めるようになったのは、それだけ今の日本が抱えている問題が、従来の「日本型コンセンサス社会」のやり方では解決できないという危機意識の現われだろう。また、それと同時に、現在の日本には本当の意味で「リーダー」と呼べる人材があまりにも不足しているという事実の現われでもあると思う。

 

 では、いったい「優れたリーダー」とはどういう資質を持った人のことを言うのだろうか。
 古今東西、さまざまな人たちがリーダー論を語ってきたわけだが、僕なりに「リーダーとは」という定義をしてみれば、次の言葉に集約できるのではないかと思っている。
 すなわち、「リーダーとは自分の目指すものを明確に掲げ、自分で決断し、自分の責任において実行できる人物である」と。
 集団の中にあって人々を率いていくためには、まず何よりも最初に、自分がリーダーとして何をしたいのか、どういう社会や組織を作りたいかという目標なり志なりを具体的に持っていなければいけない。
「みなが幸せになれる社会に」「地球にやさしい社会」といった美しいスローガンを唱えるのはたやすい。
 しかし、現実には社会の成員全員が幸福になれる社会など、ありえない。かつて社会主義がそうした社会の実現を目指し、「大いなる失敗」に終わったことは改めて指摘するまでもないだろう。



 リーダーは学者や評論家とは違うのだから、みずからのビジョンを現実のものとすべく行動に移さなくてはならない。
 その際に重要なのは、他人に責任を転嫁することなく、みずから決断し、そしてその結果に対して責任を負うということだ。



 この本は、『小沢主義(オザワイズム)-志を持て、日本人-』である。
 初版は集英社インターナショナルから2006年9月に発行、その後2009年12月に集英社文庫より発行されている。
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小沢一郎著『小沢主義』(集英社文庫)

あらためて、2006年単行本の「まえがき」から。

 「日本の若者たちのために、政治論、リーダー論を書いてもらえないか」と、最初にお話をいただいたのは、今から二年前のことだったと記憶している。僕が志のある若い人たちを集め、毎年「小沢一郎政治塾」を開いていることを聞いて、たいへん興味を持ってくれたのだった。
(中略)
 この本は、今の日本に暮らす若者たちを念頭に置いて書いたが、若者だけでなく、大げさかもしれないが、日本人全員にお読みいただきたいと願っている。政治は政治家だけが考えればいいものではない。国民一人一人が主権者として、政治に問題意識を持つことが、本物の改革へとつながっていく。



次に2009年の「文庫版まえがき」から。

 詳しくは本文に譲るが、日本が健全な民主主義国家になるためには、政権交代を可能にする二大政党制が必要である、というのが僕の持論であり、それを実現するのが政治家としての僕の使命だと、若い頃から信じてきた。
(中略)
 大筋において、つまり理念やビジョンにおいて「ぶれる」ことは、政治家としてあってはならない。その点に関して、本書を読み返したときに、自分が「ぶれていない」ことを確認できたことは、喜びであり、誇りであった。
 とはいえ、ここで気を緩めるわけにはいかない。日本の改革はようやく始まったばかりであり、問題は山積している。


 この本にゴーストライターがいるのかどうかは、知らない。しかし、初版単行本、そして次の文庫で「小沢一郎」の名で発行されているのだ、その“文責”は彼本人にあるだろう。

 私は、他の政治家が、小沢一郎の次のような主張をするのを、見たことや聞いたことがない。

“民主主義国家である日本の政治を政治家ではなく、官僚が取り仕切ってきたこと自体が異常な事態なのだ。かりに官僚の質やモラルが向上したとしても、官僚が政治に手を染めること自体、民主主義に反することだ。
 そのことを問題にしない日本のマスコミは「民主主義の常識」が欠落していると言っても、けっして大げさではない。”


 官僚、マスコミの問題を明確に指摘し、政治家に、本来は当り前の資質を求める男が、あらためて新党をつくろうとしている。そして、その男への「人物破壊」をしようとする動きがあることも明白。

 しかし、大手メディアには、次官の定年62歳となり最後の奉公として、消費税増税を野田を操って実現しようとしている、財務次官勝栄二郎の批判は、ほとんど現れない。ミニメディアやネットでは、野田内閣は「直勝内閣」と言われているし、それが常識だろう。
 小沢一郎は、本書や『日本改造計画』などにおいて、選挙で選出された政治家ではなく、官僚が国を動かすことを再三再四批判してきた。だから、小沢一郎を葬ろうとしている陣営の顔ぶれは、想像できるではないか。現政権にマスコミは敵対するような記事は書かない。税金の査察が怖いから財務省を敵に回すようなことは、大手メディアは書かない。そして、マスコミが醸し出す“空気”に便乗しようとする、多くのエセ文化人がいる。

 官僚主導の政治を選ぶか、官僚を国の公僕として仕事をさせる力を持つ政治を選ぶか、それが今、問われているように思う。

p.s.
その後ネットで調べたところ、財務次官の勝栄二郎は本来六月で定年なのだが、野田ドジョウによって特別に“半年”定年を延長され次官として居座っているようだ。これは秋の国会を見据えたものだろうが、特例では最長三年間の延長が可能なようなので、その後も居残る可能性はある。それにしても、このニュースを大新聞で見た記憶はない。“居残り”は“佐平次”だけにしてもらいたいものだ。
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by kogotokoubei | 2012-07-08 20:59 | 責任者出て来い! | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛