噺の話

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この記事を最初webのニュースで読んだ時は、「何を、また馬鹿なこと言って・・・・・・」とは思ったが、ブログに書こうまでは思っていなかった。SANSPO.COMの該当記事

2012.5.26 09:57
三枝、落語家鍛えてR−1決勝に

 上方落語協会の理事会と総会が25日、大阪・北区の天満天神繁昌亭で行われ、現会長の桂三枝(68)が再任された。6期目に突入する今後2年の任期では、若手育成を目標に掲げ、ピン芸人日本一決定戦「R−1ぐらんぷり」に出場する落語家をバックアップすることを明かした。

 三枝は、“R”は落語のRだと指摘した上で「これまで残念ながら決勝に残っていない。持ち時間は短いが落語家は力がある。我々もテレビでの経験を踏まえて指導したり、応援できる態勢を作っていきたい」と本気。ほかにも大喜利などを指導する方針という。

(紙面から)



朝日の記事も紹介したい。
ASAHI.COMの該当記事

(速報〉桂三枝が会長再選「R1」バックアップも
2012年5月25日13時40分

 公益社団法人上方落語協会の定期総会が25日、大阪市北区の天満天神繁昌亭で行われ、会長には6期目、10年目に入る桂三枝(68)が再選された。三枝は「(上方定席小屋の)繁昌亭もできて、公益社団法人にもなって、今年は(上方落語協会)会館もできた。ある程度、目指してきたことはできた」とし、今後は若手育成により力を注ぎたいという。

 「将来に向けて、次の世代を担う人物、落語家を作り上げていかないといけない」。三枝は、その手段の1つとして、ピン芸人ナンバーワントーナメント「R−1ぐらんぷり」をあげ「個人の自由やけど、挑戦したい言う意欲のある者がいれば、協会としてもバックアップしたい」と話した。

 というのも、02年10月に第1回大会が開かれた同ぐらんぷりは、当初、若手漫才トーナメント「M−1グランプリ」に対抗して、落語家の「R」から命名された。第1回大会は、落語家の挑戦を視野に、座布団の上でネタをする規定もあったが、持ち時間は3分と、落語に適さない環境から、ピン芸人の主戦場へと変遷していった経緯があった。三枝は「出るとすれば、枕だけとか、アイデアはある」とし、若手の挑戦を求めていた。

 またこの日、笑福亭鶴瓶の副会長など、他の役職も再任された。



 あらためてこの記事を読むと、やはり腑に落ちない。

 上方落語協会の「若手育成」の施策の一環が、なぜ「R1」なのか。

 Rが落語のRから取ったもので、当初は落語家の出演も多かったのかもしれないが、問題は「R1グランプリ」は吉本興業主催のイベントである、ということだ。
 三枝は吉本の看板芸人であるのは周知。
 しかし、上方落語協会の会長の立場で、「R1」出演勧奨の発言は、果たして妥当なのだろうか。


 上方落語協会は吉本のグループ会社ではない。

 以前に、佐藤義和さんの『バラエティ番組がなくなる日』(主婦の友新書)を紹介した。2011年1月19日のブログ

 本件に関連するので、同書で著者の佐藤さんが、“ひな壇形式”のバラエティについて次のような制作者達の問題を指摘していることを、再度引用したい。

 たとえば、6人の出演者を選ぶという場合、その人選はひとりひとり入念に行われなければならない。それが10人であっても同じことである。しかし最近のバラエティ番組は、とりあえず、そこそこのレベルのタレントを集めておけばなんとかなるといった安直さが目立つ。その典型例がひな壇形式のバラエティ番組である。(第3章)


 そして、この後に、ご自分の経験に基づく鋭い指摘につながる。

 30年前の『THE MANZAI』において演じている漫才師たちを、それ以前に浅草や花月の舞台で見た人がいても、テレビの画面で演じている漫才師と同一人物とは思わなかっただろう。それほどに、『THE MANZAI』は、出演者たちを化けさせることに成功した。私自身が、彼らの変貌ぶりに驚いたのだ。
 だからバラエティ番組において、出演者選びを安直に行うべきではないし、使い捨てにすることを前提にタレントを使うべきではない。ひと目見ただけで、素人でも与えられた役割がわかってしまうような予定調和的なバラエティ番組は、視聴者にばかにされるのがおちである。(第3章)


 どのチェンネルに合わせても同じような、あえて言えば吉本系のタレントの顔ばかりが、楽屋の内輪だけの馬鹿話をしているのを見ていれば、飽きられるのも早い。

 そして、「R1」だ。私はあの番組も、佐藤さんが指摘する「使い捨て」を前提にした“バラエティ番組”の一つと思っている。そこに“競技”としての要素は加わっていても、優勝後しばらく仕事が一挙に増えようとも、かつて『TEH MANZAI』や『花王名人劇場』のような、ライブラリーとしての存在価値のある芸の披露の場とは言えないだろう。

 私は前回の「R1」を見ていない。しかし、その後の番組やニュース、ブログなどによると、二位になった芸人の方(「ワイルドだろう~」というフレーズを繰り返す芸人さん)が上という視聴者の感想も多かったようだ。
 結果は、吉本所属芸人の審査員が最後の一票を投じて、吉本所属の漫才コンビの片割れの芸人が優勝し、非吉本の芸人が二位となった。これでは出来レースと言われても仕方がなかろう。

 その持ち時間が3分から少し長くなろうが、「R1」の現在の番組の位置づけは、一発芸、瞬間芸の延長でしかないのではないか。また、非常にテレビ的な番組であって、ラジオでは審査不可能な一人芸も多いように思う。すでに、「しゃべくりの戦い」とは言えない様相を示しているのではないのか。また、「マクラ」は本編のネタがあってこそ「マクラ」であろう。
 三枝が、どうやって鍛えるのか知らないが、「R1」が、「上方落語」の若手が覇を競うにふさわしい場とは、私には思えない。

 NHkの新人演芸大賞の落語部門の持ち時間11分だって、「芸」としてコンペするにはギリギリの時間だと思う。しかし、そこには落語に特化した若手達のしのぎ合いがあるから、見ていても楽しめるのだ。

 「M-1」がなくなった吉本において、「R1」は大事な商売道具の一つなのかもしれない。しかし、「上方落語協会」の会長が、「R1」への出演を協会が支援する、と言う背景には、落語家の成長を思う気持ちよりも、たぶんに襲名披露でも世話になる吉本への配慮が働いていると思う。

 あえて、たとえるなら、東京に日本テレビ主催で「大喜利ぐらんぷり」なるコンペティションができたとして、歌丸会長が芸術協会の若手に参戦を奨励する、とでも言うようなものではなかろうか。

 それは、長い目で落語家の育成を考えた施策などではなく、所属する吉本の番組に話題性をもたらそうとする、公私混同の発言としか思えない。自分の会社への利益誘導、と言えば大袈裟かもしれないが、吉本以外にも様々な事務所に所属する噺家を会員とする協会の長として、とてもいただけない不適切な言動ではなかろうか。
 また、上方落語協会に、「R1」に出演したいという意欲のある若手がいたのなら、その人は落語家よりも、落語の体裁をしたピン芸人を志向しているのではなかろうか。それならそれでも結構。しかし、「R1」に出演するための鍛錬が「上方落語」の上達につながるとは、到底思えない。
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by kogotokoubei | 2012-05-30 21:33 | 幸兵衛の独り言 | Comments(8)
 先週土曜日に行った桂米二一門会のことを書いた際に、『百年目』と『住吉駕籠』について、師匠の著作『米朝ばなし』からの引用はしたが、肝腎の米二ご本人の著作『上方落語十八番でございます』からは何も紹介しなかったことを思い出し、あらためて『百年目』について同書から引用する。

 この本は以前に紹介したこともあったし、今や落語ブログ仲間になったYさんと出会うきっかけになったのが、この本についての記事のコメントからなので、同書からも引用しないことには、“手落ち!”、と叱られても仕方がない^^
2010年5月14日のブログ

 あらすじの解説の後で、米二はこう書いている。
日経プレミアシリーズの該当ページ

 名作中の名作です。私も大好きな噺です。東京落語でも「百年目」をやる人はあります。私は三遊亭円生師匠と古今亭志ん朝師匠のCDを聞いたことがるだけですが・・・・・・。東京の「百年目」ももちろんすばらしいと思いますが、上方の演出でははめものを使います。番頭が踊りを踊る「越後獅子」のお囃子が生演奏で入るわけです。この華やかさは上方のほうがずっといいと思いますよ。


 私も東京落語版のこの噺なら、志ん朝の音源をよく聞く。志ん朝は、円生を相当意識してこのネタを自分のものにしたと思うし、やはり傑作だと思う。ちなみに、1980年10月13日の「志ん朝の会」での高座がCD化されており、1994年3月29日の落語研究会の高座がDVDで発売されている。
古今亭志ん朝『百年目』

 しかし、やはりこの噺は上方のネタなのだ。米二が書いているように、はめものによる演出のある上方版のほうが私も楽しいと思っている。

 本書では、この後に次のように続く。

 しかし、サゲはあまりよくありません。百年目というのは敵討ちで使う「ここで会うたが百年目」です。運が尽きたという意味と、百年目ならば久しぶり、久しぶりだから「ご無沙汰してます」と言ったというのがサゲになっているのです。
 たしかに難しい噺です。前半、番頭が店の者に小言を言うところから、船に乗って芸妓連中からちやほやされながらも「せまじきものは宮仕え」とつぶやくところ、布団に入ってクビになるかとやきもきするところ、最後の旦那の説教まで、息をつく間がなくしんどくて難しい落語ですが、逆に言うとやりがいのある噺なんです。



 米朝の弟子で、この噺を最初に高座で披露したのが米二らしい。

 大阪北浜のコスモ証券ホールで、初めての独演会を米朝事務所主催で開いてもらうことになりました。桂米二、三十歳になったばかりでした。北浜と言えば船場の一角で「百年目」の舞台にもなっているお店のごく近所です。この独演会で「百年目」をやりたいと思ったのです。でもこの噺、一門の兄弟子はまだ誰もやっていません。
 うちの師匠に相談したら「かまへん、やりなさい」と言うてくれましたが、米朝事務所からは反対されました。それでも私は押し切ってやらせてもらうことにしました。へんに自信があったのですね。何度も聴いてほとんど覚えていたということもありました。
 稽古に行き、うちの師匠の前でやらせてもらいました。最後までやり終えたとき、「よう覚えた」と、まず言うてくれました。これ褒め言葉なんですよ。細かいところは直してくれましたが、これでOKが出たわけです。
 さて独演会の本番になりました。まず番頭が店の者に小言を言うのがしんどい。言葉はかんでしまうし、お客さまはついてきてくれているように思えない。体が宙に浮いてる気がして、大ネタ「百年目」に負けたと思いました。
 それからは開き直りです。師匠からはOKをもらってるんだから、やるだけのことはやってみようと続けました。受けようとか笑わそうとかは思わずに、無心になって淡々としゃべりました。それがよかったのでしょう。後半になると思ってた以上に客席は笑い声に包まれたのでした。でもへとへと・・・・・・。
 この会にずっと力を入れてくれた兄弟子の枝雀師匠、客席にいたSF作家のかんべむさし先生から「よかった」というお言葉をいただき、胸をなで下したのでした。


 ちなみに、枝雀は、この噺を主要な落語会でかけたことはないと思う。音源も映像もないはず。もし海賊版でも存在するのなら、ぜひ聞きたいものだ。

  矢野誠一さんの『落語手帖』によると、1762(宝暦12)年『軽口東方朔』の「手代の当惑」が原話で、1807(文化4)年喜久亭壽暁『滑稽集』に「百ねんめ」と出ているらしい。
 同じ矢野さんの『落語読本』(文春文庫)のこの噺の章に、なかなかおもしろいエピソードが紹介されている。

 三遊亭円楽が、まだ全生といって二つ目の時分、有楽町の第一生命ホールでひらかれていた「若手落語会」に、『淀五郎』を出したことがある。いくら若手落語家にとっての晴舞台とはいえ、大看板の師匠連でも尻ごみしかねない『淀五郎』に、二つ目の分際でいどんで見せたあたりが、いかにも後の円楽である。
 当日、高座にあがってびっくりした。うしろのほうの客席に、師匠の三遊亭円生がすわっているのが目にはいったのである。さあ、それからはなにをどうしゃべったか、まるで夢遊病者の気分で一席終えた。あくる朝、案の定師匠からの呼び出しだ。おそるおそる顔を出した円楽に、円生はいったそうだ。
「全生さん、あなたは結構なはなし家ンになりました。もう私が教えることはなにもありません・・・・・・」
 もちろん、いってる言葉とはまったく裏腹の、強烈な、いかにも円生らしい皮肉なのである。針のむしろにすわらされた円楽は、ただ、だまって頭をさげるだけである。師匠から呼び出しを受けたときの心境は、まさに『百年目』の次兵衛のそれだったと聞いた。


 円生と『百年目』の旦那とは、ちょっとイメージが違うが、たしかに円楽のこの時の心境は、次兵衛さんと同じようなものだったのだろう。

 この噺は、どうしても、上司と部下、師匠と弟子、という人間関係に思いを至らせる。そして、旦那が次兵衛を呼び出した時に、この噺の大きな一つのヤマがある。
 たしかに、サゲはあまり良いとは思えなが、それを上回るだけの噺全体の素晴らしさが、このネタにはある。その起伏のある筋書の中で、強く印象づけられるのが、「旦那」という言葉の由来を説明することで、主人が番頭の次兵衛に人使いと組織運営の要諦を諭すところなのだ。

 この噺のことを書こうと思ったのは、この場面について、内田樹がブログ「内田樹の研究室」の昨年11月25日の記事で書いていたことも理由の一つだ。。少し引用したい。
「内田樹の研究室」の該当ページ

落語『百年目』の大旦那さんは道楽を覚えた大番頭を呼んで、こんな説諭をする。
「一軒の主を旦那と言うが、その訳をご存じか。昔、天竺に栴檀(せんだん)という立派な木があり、その下に南縁草(なんえんそう)という汚い草が沢山茂っていた。目障りだというので、南縁草を抜いてしまったら、栴檀が枯れてしまった。調べてみると、栴檀は南縁草を肥やしにして、南縁草は栴檀の露で育っていた事が分かった。栴檀が育つと、南縁草も育つ。栴檀の”だん”と南縁草の”なん”を取って”だんなん”、それが”旦那”になったという。こじつけだろうが、私とお前の仲も栴檀と南縁草だ。店に戻れば、今度はお前が栴檀、店の者が南縁草。店の栴檀は元気がいいが、南縁草はちと元気が無い。少し南縁草にも露を降ろしてやって下さい。」
これが日本的な文字通りの「トリクルダウン」(つゆおろし)理論である。
新自由主義者が唱えた「トリクルダウン」理論というのは、勝ち目のありそうな「栴檀」に資源を集中して、それが国際競争に勝ったら、「露」がしもじもの「南縁草」にまでゆきわたる、という理屈のものだった。
だが、アメリカと中国の「勝者のモラルハザード」がはしなくも露呈したように、新自由主義経済体制において、おおかたの「栴檀」たちは、「南縁草」から収奪することには熱心だったが、「露をおろす」ことにはほとんど熱意を示さなかった。
店の若い番頭や手代や丁稚たちは始末が悪いと叱り飛ばす大番頭が、実は裏では遊興に耽って下の者に「露を下ろす」義務を忘れていたことを大旦那さんはぴしりと指摘する。
『百年目』が教えるのは、「トリクルダウン」理論は「南縁草が枯れたら栴檀も枯れる」という運命共同体の意識が自覚されている集団においては有効であるが、「南縁草が枯れても、栴檀は栄える」と思っている人たちが勝者グループを形成するような集団においては無効だということである。
私が「国民経済」ということばで指しているのは、私たちがからめとられている、このある種の「植物的環境」のことである。
「そこに根を下ろしたもの」はそこから動くことができない。
だから、AからBへ養分を備給し、BからAへ養分が環流するという互酬的なシステムが不可欠なのである。



 アメリカと日本が「赤栴檀と南縁草」の関係でお互いが成長できた時代もあったのは事実だろう。しかし、今日のアメリカに日本に露をおろす心の余裕も、蓄えとしての余剰もあるようには思えない。
 そして、大阪市や福岡市においては、すでに「植物的環境」が崩壊しているように思う。南縁草は、露に恵まれずカラカラではないのか。それは、赤栴檀がそのうち枯れることにつながるということを、この赤栴檀は分かっていない。

 そして、宮仕えで赤栴檀と南縁草の両方の立場にある自分自身は、果してどうなのかを自問する。さて、赤栴檀にしっかり栄養を補給できているのか。南縁草に露をしっかり下ろしているのだろうか。まだまだ、なのかとも思わせるのが、この噺を聞く辛さでもあり、有り難さでもあるのだろう

 土曜日の落語会終演後、落語ブログ仲間のSさんとの「居残り分科会」では、絶妙な味の煮込みなどに舌鼓を打ちながらのさまざまな話題の中で、この「赤栴檀と南縁草」の話にもなった。Sさんは、かつてその居酒屋に「南縁草」達を伴って飲まれたことがあるらしい。さぞかし、しっかりとSさんという「赤栴檀」は、部下に露をおろしていたのだと察した。こういう方と飲むことができるから、「居残り会」は楽しいのだ。
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by kogotokoubei | 2012-05-28 20:05 | 落語のネタ | Comments(8)
桂米二の東京の落語会、今回は二人の弟子を引き連れた「一門会」である。場所は初めて行く深川。駅で一つ手前の水天宮前には頻繁に落語会で行くのだが、駅一つ先の清澄白河で下車。少しブラブラして、蕎麦屋でビールと天麩羅で腹ごしらえをしてから会場の深川江戸資料館へ。
 せっかくなので、三百円の木戸銭を払って見学。江戸の長屋の様子を楽しんで見ながら、二階の会場へ。

 入りは八割ほどだろうか。ところどころで関西弁も聞こえ、この会ならではの雰囲気。

構成は次の通りだった。
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(開口一番 桂二葉 『道具屋』)
桂二乗 『茶の湯』
桂米二 『百年目』
(仲入り)
桂米二 『住吉駕籠』
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桂二葉『道具屋』 (14:02-14:22)
 米二の二人目の弟子。ニヨウと読む。女流噺家さんだ。 登場して驚かせるのは、アフロヘアー。上方落語協会のサイトでプロフィールを確認したら、二十代で昨年3月の入門ということに加えこんなことが書いてあった。
  ・趣味/絵をかくこと、飲酒、鴨川遊び
  ・特技/散髪、けん玉
 趣味の散髪→アフロ、ということでもなかろうが、昔の鶴瓶を思い出した。ややたどたどしいマクラで心配させたが、本編はなかなか楽しかった。とぼけた味を残しながら、この先どんな上方の高座と髪型を見せてくれるか楽しみ。

桂二乗『茶の湯』 (14:23-14:53)
 米二の一番弟子。マクラでちょうど十年前の同じ5月26日に、師匠と初めて会って弟子入りをお願いしたとのこと。それから一年後にようやく入門を許されたらしい。
 受付でもらったパンフレットの裏側には、いつものように用語解説などがびっしり書いてあり、その中でこの人のことを「何年やっても間が悪い二乗(声はエエのに)」と記されている通り、声は良い。耳に心地よく、昼のビールのせいもあって途中で少しウトウトしたが、熟睡はしていない^^
 なかなかの高座だったと思う。米二門下として聞いているので不思議はないが、上方の若手としてはおとなしい高座だが、爆笑派の多い中では、かえって存在感を発揮できるのではなかろうか。今後に期待しよう。

桂米二『百年目』 (14:54-15:50)
 マクラは師匠米朝が人間国宝になった際のエピソード。マスコミ報道が解禁になり夕方のニュースで報道された日は、枝雀、南光、そして米二たちと一緒に米朝は島根県松江で一門会の日だったらしい。主催者もお祝いでいつもよりは格の高い料亭でお祝いをしてくれたらしい。その料亭の若女将が・・・これ以上は内緒ということで。
 この噺は、上方の方が楽しい。花見の場面の音曲ももちろんだが、大店の番頭や手代、丁稚とのやりとりも、上方のほうが、しっくりくる。ほぼ師匠と同じ型。それは決して悪いことではない。このネタそのものをこなすこと自体が並の噺家では出来ない内容なのだ。
 上方落語の舞台を解説しながら噺そのものを分かりやすく説明してくれる師匠の本『米朝ばなし』の「桜宮」の章で『百年目』について師匠はこう書いている。『米朝ばなし-上方落語地図』(講談社文庫)

 前半、たいこもちが番頭を呼び出しに来るところ、船の中で酔うて陸へ引っぱり上げられるくだり、それから一晩中「クビになるんやろか、怒られるだけですむやろか、どない言われるやろ」と、もんもんとして眠れない心理描写、旦那の番頭に対する意見、どれも大変難しい話で、四十五分ほどかかります。
 サゲがちょっと上々とは言えませんが、私は上方落語屈指の大ネタ、大阪落語の名作十題を選ぶとしたら当然入るネタだと思います。


 その大作をしっかり楽しませてもらった。語り口の柔らかさのおかげで、長講でもこの人の高座は疲れることがない。

桂米二『住吉駕籠』 (16:00-16:37)
 仲入りをはさんで、こちらも上方の代表的なネタ。東京では『蜘蛛駕籠』となっているが、上方からは三代目小さんが移したと言われている。この名人がいなければ、東京の落語ネタがどれほど淋しいものになっていただろうかと思う。上方落語の東京移出に関して 三代目小さん、そして三代目三遊亭円馬の功績は大きい。
 マクラは熱演と汗との関係で短めに。本編、これまた師匠の型をしっかり踏まえているが、少しだけ変わった部分もあった。酔っ払いが空けた銚子の数が師匠は17本、米二が18本など細かい点もあるが、酔っ払いが住吉で偶然出会った女性おそでさんの顔に「うすびっちゃ」がある、という部分を「そばかす」に替えていた。たしかに関西でさえ分からない表現になってきたのだろうが、せっかくパンフレットに用語解説を書かれているのだから、私は「うすびっちゃ」のままであって欲しい。
 最後に二人で駕籠に乗り込む堂島の米相場師の呼称「ジキ」については用語解説で書かれているが、『米朝ばなし』「堂島」の章には次のように書かれている。

 堂島の相場師のことを、通称“ジキ”と言う。前田勇さんの大阪方言辞典では「親父貴」すなわち兄貴、姉貴に対する、親父に“貴”をつけたもの、と例をあげて説明してある。私は、親父よりも“ジジイ”に貴をつけたもの“ジジキ”やなかったかと思う。他の説では、ジカ取引が出来るという意味だともいい、どれが決定的だとは私も言えませんが。
 そのジキが『住吉駕籠』という落語にも登場する。さんざんな目にあって、あぶれ続けている駕籠屋が、住吉街道で「堂島へやってくれ」という二人連れの客を乗せる。着ているものや相手の様子から堂島のだんなさんやなと思い、「あ、ジキでやすな」と喜ぶところがあります。


 このジキの二人が悪ふざけで駕籠の中で相撲をとって底が抜けるわけだが、駕籠かきが二人に降りるように言っても、この相場師二人は降りようとしない。この点についての『米朝ばなし』の説明。ちなみに、パンフレットには「強気、弱気」の解説がなかった。まぁ、感覚で分かることではある。

 駕籠屋が「降りてくれ」と言うと「わしらは強気の代表者や。いったん乗った相場を途中で降りたことがないのがわしらの誇りや。このまま行け」-------。
(中略)
 米相場には強気、弱気とがあって、強気は上がると言うことを喜び、弱気は下がると言うことを喜ぶ。わりに単純なところがあるんですな。


 こういう筋書きを含めて、この噺も上方のオリジナルのほうが優れていると思う。夫婦で駕籠かきを“なぶる”(おちょくる、からかう、とパンフレットの解説にあります!) 場面なども上方オリジナルのみの筋書きで楽しい。


 仲入りをはさんで、たっぷりと上方落語の上質な笑いを楽しむことができた。弟子のお二人も、今後が楽しみである。この一門会、東京でも定期的に開催をお願いしたいものだ。
 さて、終演後、当初の予定では「居残り会月例会」のはずだったのだが、米二の会を教えてくれたレギュラーメンバーのYさんが、急な仕事で来れなくなったため、リーダーSさんと二人で分科会。Sさんお奨めの深川森下にある、知る人ぞ知る居酒屋で、落語の話や本のこと、そして日本の将来(?)などについて話が弾んだ。煮込み、刺身、地酒、濃厚な樽生ビール、すべて結構。土曜日なのに、席が空くのを待っている人が相当いた。空席のあるうちに入店できたのは僥倖。
 酔った勢いで駕籠かきをなぶりに行こうと思ったが、どこにも駕籠屋がなかったのが残念。
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by kogotokoubei | 2012-05-26 21:07 | 落語会 | Comments(6)
橋下の刺青問題や、福岡の禁酒令に共通する危険な兆候について、杉本良夫さんの本を紹介することで、何か書こうと思った。

 杉本良夫さんは、オーストラリア在住の社会学者である。プロフィールをwikipediaから引用。杉本良夫 Wikipedia

兵庫県西宮市生まれ。洛星高等学校を経て、京都大学法学部に入学。在学中に米国のスワースモア大学 (Swarthmore College) に留学。京大卒業後、毎日新聞社勤務を経て、1967年に渡米。歴史社会学を専攻して、1973年にピッツバーグ大学 (University of Pittsburgh) で社会学博士の学位を取得。同年より、オーストラリア・メルボルンのラトローブ大学社会学部(La Trobe University, School of Social Sciences)にて教鞭を取り、現在は同大学教授(比較社会学理論/方法論・オーストラリアを始めとした社会不平等・日本社会/文化・アジア入門)。

この間1988年 - 1991年にラトローブ大社会学部長。1981年にはラトロープ大学・モナシュ大学など4大学の連合で設立されたメルボルン日本研究センターの初代所長に就任。1988年以来、オーストラリアン・アカデミー・人文系(Australian Academy of the Humanities)フェロー。筑波大学、東京都立大学やドイツのハイデルベルク大学、フランスのエブリー大学などの客員教授を務めた。

オーストラリアの複合文化社会の研究を通じて、日本社会を問い直す日本論・日本人論などに関する著作を数多く発表。日本を単一均質社会とする枠組みに対して、多様性や階層構造に焦点を当てたマルチカルチュラル・モデルを構築し、日本社会論・日本文化論の新しいパラダイムの展開に主導的役割を果たした。Cambridge University Press 発行の An Introduction to Japanese Society は、英語圏で最も広く読まれる教科書の位置を占めている。

1980年代から、Kegan Paul International や Cambridge University Press の日本研究シリーズの責任編集者を務めたが、1999年、主として日本の社会科学の業績を英語出版することを目標とした出版社 Trans Pacific Press 社をメルボルンに設立。その代表として、100点を超える英文書の編集・出版に関わってきている。

現在の研究分野は「現代日本の国民国家と市民社会」「アジアに於ける文化相対主義」。



 杉本さんは昭和14年生まれ。枝雀と同じ年、志ん朝の一つ下、ということになる。人の年齢は、どうしても好きな噺家の年齢で覚える癖がある^^

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杉本良夫著 「日本人」をやめられますか


 杉本さんの著書「『日本人』をやめられますか」から引用したい。同書は1988年に情報センター出版局から単行本(タイトル『進化しない日本人へ』)として刊行され、1996年に朝日文庫でタイトルを替えて出版された。現在は重版されていないようだが、ともすれば日本という閉鎖された社会で近視眼的な考え方や価値観に執着しがちな目を大きく広く開いてくれる好著だと思っている。ぜひ、再刊を期待する本。
 本書の第五章「マルチカルチュラリズムの深層」から引用。この章の冒頭には次のように書かれている。

マルチカルチュラリズムはさまざまな民族の間の寛容と共生を目指すとはいえ、孤立した原理として存在するわけではない。その背後にあるいろいろな原則、思想、制度などに支えられて作動しているのが現実だ。この章では、多文化主義のそうした舞台裏をなるべく実例を織りまぜながら、探訪してみたい。



 この後に、オーストラリア社会での実例を交え、多文化主義が根付くための八つの底流が紹介されている。その中の「家庭優位の原則—第四の底流」からの引用。

 日本で多文化主義が定着しにくい理由の一つとして、学校や職場が家庭に対して持っている巨大な力を見逃せない。家庭はその置かれている位置によって、さまざまな価値観や思考様式を持っているのだが、教育機関や企業がそれを圧倒してしまっている。学校や会社の論理が家庭の論理を押しつぶしがちなので、家庭の持つバラエティーが表面化しない。学校や職場の要請から解き放された多様な家庭の独自性が弱まれば弱まるほど、社会の多元性も弱まる。ポイントは、家庭が学校や会社のいいなりにならないことである。

 数年前、朝刊紙『エイジ』の片隅に、おもしろい記事が載っていた。郊外のダンデノング・ハイスクールでのもめごとである。
 ある男子学生が、学校の規則に文句をつけた。女子学生はイヤリングをつけても、なにも問題がない。しかし、男の子がイヤリングをつけるのは禁止されている。これは、男女平等の原則に反するのではないか————というのである。
 彼は本心イヤリングをつけたかったらしい。三百数十人の男女生徒の署名を集めて、校則の改正をせまった。校長先生激怒して、この学生を「学校通信」で名ざしで非難はするという加熱ぶり。
 こういう男女平等論は、ひとつの時代の象徴だ。しかし、それよりも私の目を惹いたのは、この学生の母親が、新聞記者に語っている言葉である。 
「彼が自分の権利を守るために、いうべきことをいい、節度を守って行動したことを、うれしく思います」
 このお母さん、どこにでもいる普通の女性だが、こういう立場を、その後も一貫してとりつづけている。学校で自分の子どもが注意を受けているからといって、それだけで、
「よくいい聞かせて、反省させます。学校に申し訳ありません」
 というふうに、頭を下げていない。子どもがある原理にもとづいて、一見逸脱行為と見える行いをやるとき、母親がその後ろだてとなってやっている。
 このイヤリング事件、学校の最高決定機関である学校評議会で、教員、保護者、生徒が協議した結果、とうとう「男子もイヤリングをつけてよし」という裁定となった。
 ここでは、学校という組織体の規範に対して、家庭という集団の価値体系が、負けずに押し返している。



 私がこの部分を紹介したのは、単にイヤリングと刺青を対比させようと言うのではない。極端に言えば、その対象は何でもいいのだ。
 好みの問題は別にして、この母と息子との関係は羨ましいと思うし、オーストラリアの高校での問題解決の仕方や人権への考え方も素晴らしいように思えてならない。
 「刺青するやつはクビだ!」とばかりに、リーダーがメンバーに無理強いをする役所と、オーストラリアのこの高校のどちらが人間らしく活動できる組織かは明白だろう。

 今回のテーマは、

 (1)「公平」「公正」へのこだわり、あるいは差別排除の意識の重要性
 (2)組織の論理が家庭や個人の論理をないがしろにする危険性
    
 という大きく二つ。

 もう少し、杉本さんの書の引用を続ける。

 オーストラリアの学校の保護者会は日本とは全く様子が違う。日本の保護者会ではよく、「先生、このごろ子どもがテレビを見すぎているようなので、もっとたくさん宿題を出してください」とか、「最近、親の注意を聞きません。もっと厳しくやってください」というようなことを、親が先生に対して平気で頼んでいる。こういう現象は、オーストラリアの学校では、ほとんど見かけない。世界観、行儀作法、生活様式、倫理基準といった分野は、親が責任を持ってやることで、そんなことを学校に依頼すれば、親の資格そのものが問題になる。


 
 今日では、学校に本来家庭の役割である躾を任そうにも、期待に応えられる先生は希少だろう。いずれにしても、日本における家庭の役割は、さまざまな事情で稀薄になってきた。個人のモラルの崩壊の大きな原因であるには違いない。このテーマも重要だが、今回のテーマは、そのことではない。私が杉本さんの書を引用して言いたいことは次のようなことだ。

「家庭、学校、職場には、それぞれ役割があり、自ずと境界がある。その中でも家庭、そして個人の論理より学校や職場の論理が優先しがちなのが、日本である。これは、個人の人権を侵害したり、多様な文化を寛容することを否定しかねない。本来の目的や役割の範疇を超えた一元的な価値を強要する組織は健全とはいえない」

 ということである。

 杉本さん一家が日本に滞在している時、お子さんが学校での体罰を見て驚いた、という逸話が紹介される。今では流石に体罰は減ったようだが、かつては頻繁に先生が生徒を殴ったものだ。しかし、オーストラリアではあり得ないこと。

この後、本書では次のような重要な指摘につながる。

 日本の学校での体罰の横行、道徳教育の奨励といった現象は、家庭における人格教育の放棄を根に持っている。学校でのいじめの氾濫も、この相関関係の輪の中にあると思われる。
 オ−ストラリアの学校で体罰がないのは、子どもの人権という考え方が広がってきているからである。人権というものは、つきつめていくと、組織の要請と対極の位置にある。職場機構、労働組合、任意団体などの組織が、ああしろ、こうしろと求めてくることに対して、それをそのまま、うのみにしない姿勢が構成員の中にいないと、人権を守る気風はつくりにくい。組織の要請に対して、なまけ者になる用意があることが、人権擁護文化の筋金であるように思える。そういうなまけ者同士がおたがいを守り合うときに、多様な価値体系の共存を前提とする多文化主義の土壌が育まれる。



 人権の擁護、多様な価値観の寛容、そして多様な文化の尊重は、本来の「グローバリズム」にとって不可欠なものだと思う。
 しかし、「グローバルな人材の育成」などと言っている橋下が、一元的な価値観を強要し、「刺青をしている職員はクビ!」と、職場の論理を強要する。とことんローカルで、それも独りよがりとしか言いようがない。異文化交流の重要性や、多様な価値観の尊重を理解できない橋下に「グローバリズム」を語る資格はない。

 また、個人の倫理の問題である「飲酒による事故」再発防止への“ショック療法”などと言って、まったくお門違いな「自宅外禁酒令」なるものを、福岡市長は職員に強要しているが、これも問題の本質を取り違えている。

 どちらも、私には「人権侵害」であると思う。もちろん私個人の心の中では、「刺青は、やっぱりまずいでしょう」とか、「飲酒運転はご法度だろ」という思いはある。しかし、その問題への対処方法が適切とは思えないのだ。

 特に服装などは、個人の嗜好の問題の部分が大きい。あえて極端なことを言うなら「刺青」の次に「派手な服装はダメ!」と言った訓令が出たとする。そういった組織の要請を、職員たち一人一人は受け入れるべきなのだろうか。
 また、福岡市で、一か月後に、「自宅外での飲酒は、ビールx本、日本酒x合、焼酎x杯まで」などという訓令が出たとする。それを職員達はどう考えればよいのだろうか。

 杉本さんが著書で指摘するように、組織の論理の要請に対して、しっかりした自己をもった“なまけ者”同士が、「それって、個人の嗜好の問題でしょ!」とか「それは人権侵害だよ!」と声を発しなければならないのではないか。あくまで、モラルの問題ならば、個人の判断に任せ、程度が過ぎたら注意するレベルの問題だろう。人事権を振りかざして脅すことは、真っ当な組織の長のすることではない。あるいは、もっと優先順位の高い仕事があるはずだ。

 当たり前のことだが、大阪市の職員も福岡市の職員も、担当する業務で評価されるべきであり、それ以上でもそれ以下でもなかろう。倫理的な問題が発生した場合は、その個人が何等かの処分を受けるのは民間企業と同様である。全員が「連帯責任」として、人間性を度外視するような質問を受けたり、自分の時間の過ごし方に制約を受けるべきではない。

 一つだけ補足するが、福岡市は問題解決に当たって職員も加わって議論がなされているようなので、組織と個人の関係が大阪と同じ状況ではないことは、分かっているつもりだ。

 単一文化主義と言われる日本が、オーストラリアやカナダなどの多文化主義になるのは、簡単なことではないだろう。その国や地域の成り立ちはそれぞれ違っているし、日本は均一性、同質性をプラスの方向に生かしてきたとも言える。
 しかし、ある特定の組織が、本来個人や家庭の問題である領域にまで土足で上がり込んで、多様であってしかるべきことに対して一元的な価値を押し付けるような人権侵害は、許されないだろう。

 大阪市や福岡市の首長が強制している内容は、確実に「監視社会化」につながるものであり、本来享受すべき豊かな家庭生活や個人の幸福からは、まったく逆方向に進もうとさせる「組織の暴力」とは言えないだろうか。それは、「一億玉砕」を唱えて、あの無謀な戦争に突入していった組織の論理と、根は一緒のような気がしてならない。
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by kogotokoubei | 2012-05-24 20:28 | 責任者出て来い! | Comments(0)
「人間国宝」のロボットが落語を語るらしい。47NEWSの該当記事

米朝さんの落語ロボ制作 米寿記念、8月に実演

 人間国宝の上方落語家、桂米朝さん(86)の数え年での米寿を記念して8月に開催する「桂米朝展」で米朝さんのロボットが落語を演じることになり、弟子の桂ざこばさんらが21日、大阪市内で記者会見して発表した。

 展覧会の目玉は、本人そっくりの人間型ロボット「米朝アンドロイド」。約10年前の米朝さんの写真をもとに、大阪大の石黒浩教授らが制作。落語の“実演”を行う。

 企画を聞いた米朝さんは「誰がそんなアホなこと考えたんや」と漏らしたそうだが、長男の桂米団治さんは「まばたきが自然で、顔の筋肉も動く」と出来栄えを評価。ざこばさんも「そっくりやないか」と驚いたという。

2012/05/21 19:20【共同通信】


 この記事には、ロボットのモデルとなる写真も掲載されている。

 落語の『片棒』を思い出す。ケチな旦那が跡取りを決めるために三人の息子を呼び出し、自分が死んだらどんな葬儀をするか聞く中で、派手好きな次男が語る、山車に乗った赤螺屋吝兵衛(けちべい)の人形を想像した^^
 
 ずいぶん前になるが、文化勲章を受勲された際、米朝のことを二回に分けて書いた。
2009年11月17日のブログ
2009年12月7日のブログ

 繰り返すことになるが、米朝は大正十四(1925)年十一月六日、大連生まれ。五歳の時に祖父が亡くなり、父が神主になるために日本に戻った落語好きの中川清少年が、その後上京して入学したのは今の大東文化大学(当時の大東文化学院)である。本人も神主の仮免許を上京前に持っていたようだ。

 ちくま学芸文庫版の正岡容著『東京恋慕帖』の巻末に「鼎談 師正岡容を語る」という有難い附録があって、大西信行、小沢昭一、そして米朝の対談が掲載されている。少し長くなるが再度引用する。なお、この鼎談は昭和50(1975)年の九月に行われたもので、なんと47頁も掲載されている。
正岡容_東京恋慕帖


米朝 私が正岡容という名前を知ったのは、徳川夢声さんの『くらがり二十
   年』という本の中に名前がね、出てくるんです。ヘンな名前の人がい
   るんやなアと思うたんです。容という名前が不思議だった。中学四年
   生くらいの時やったと思うけど、古本屋で『円太郎馬車』という正岡
   先生の小説が目について、で、まあ落語が好きだったし、あんまり
   ありませんわね、落語に関する本ていうのは。
   それで買うたン・・・・・・。
小沢 なるほど。
米朝 それを買うたのが始まり、その次に『狐祭』というのを本屋で見つけ
   てネ、あと見つけ次第に正岡容の著作を買い込んで・・・・・・それ
   から東京に出て来たわけ。
大西 いつ頃ですか。
米朝 昭和十八年。
小沢 その東京に出てきたのは、正岡容に会うためじゃなくて。
米朝 そうじゃあない。学校へ行ってたんです。東京新聞に落語相撲をやる
   という記事が出ていた。いったいどんなもんかいっぺん見てみたいと
   思うて行ってみると、この会の主催者が正岡容だった。昭和十八年
   五月でしたョ。誰がどんなもんやったかも憶えてるな。確か、落語
   相撲について正岡容さんが出て来てちょっと喋ったな。
小沢 ハアハア、それで?
米朝 それから、検査役みたいな形で、野村無名庵さんと二人で高座に
   座ってた。意外と若い人やったんやなアと思うた。今から思えば、
   あの頃の先生は今の私より若いですからな。
小沢 つまり、書いたものがバカに老けているというか・・・・・・(笑)。
米朝 それから、たまたま大塚の花柳界の中に甘いものを食わす喫茶店を
   発見した。その時分は甘いものはないし、よそにないような甘い
   お饅頭なんかが、少し値が高いけど、その喫茶店いくとあるんですわ。
   それで、ちょいちょいその店へ通った。その道筋で、ヒョッと見たら、
   表札に正岡容、花園歌子という二枚看板・・・・・・目についた。
   私はその時分は内気やったのになア、魔がさしたというか(笑)、
   縁があったというのか、ゴメンくださいといって入ってしもうた。
   それがキッカケなんですヨ。



 もし、「魔」がささなかったら、今頃ご本人は、単に落語好きの神主さんであったかもしれない。落語愛好家としては、「魔」がさしてくれたこと、正岡容と縁があったことに感謝しなくてはならない。そして、正岡容自身も、一時三代目三遊亭円馬(八代目文楽の芸の師匠)門下に入り、大阪で高座に上がったことがある。正岡も上方との縁は深かったのだ。

 今日の上方落語の盛況における米朝の貢献は少なくない。春団治(三代目)、松鶴(六代目)、文枝(五代目)と一緒に「四天王」と称された噺家としての功績は、もちろん大きなものがある。そして、数多くの優秀な弟子、孫弟子たちを輩出した一門の師匠としての存在感も、これまた大きい。加えて、『地獄八景亡者戯』『算段の平兵衛』『風の神送り』など、それまで長らく埋もれていた上方落語の演目を発掘した落語研究家としての実績も、忘れてはならないだろう。

 今日「四天王」で残ったのは三代目と米朝のみになった。「米朝アンドロイド」は、今後どうなるのか知らないが、せっかく作るのなら、短期間の展示会だけに使用するのはもったいないなぁ。そうだ、この際(?)「四天王」全員のアンドロイドを作ってもいいのではなかろうか。

 完成したばかりの上方落語協会会館に、四人のロボットがあっても不思議ではない。「動く蝋人形」と言う趣だ。会長の三枝が文枝を継ぐお祝いにもなるだろう。五代目文枝ロボットの制作費は三枝の襲名披露興行のアガリで、三枝と吉本に引き受けてもらおう。

 そして、幼い子供たちが四人のロボットが落語を語るのを見て、不思議そうにつぶやくのだ。「このおじさん達、何してんのう?」(オソマツ)
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by kogotokoubei | 2012-05-23 17:50 | 上方落語 | Comments(0)
福岡市の飲食街に閑古鳥が鳴いているらしい。西日本新聞サイトの該当記事

飲食店ガラガラ死活問題 「禁酒令」初日の天神周辺
2012年5月22日 10:12

 職員全員に1カ月間、自宅外の飲酒を禁じるという前代未聞の「不祥事対策」が始まった福岡市。酒に酔っての不祥事続発に、職員の多くは「信頼回復のためには仕方ない」と受け止める。一方、市職員行きつけの飲食店では早くも閑古鳥が鳴き、関係者からため息が漏れた。

 「禁酒令のおかげでガラガラ。6月の大口予約もキャンセルになりました」。市職員が「お得意さん」という福岡市・天神の飲食店。普段は複数の市職員グループが陣取る店内は、21日午後7時を過ぎても人影まばら。男性店長(43)は「知人の店は今週だけでキャンセルが10件くらい出ている。これでは市全体が不景気になりますよ」。閑散とした状態は午後9時ごろまで続いた。

 天神の市役所本庁舎だけで約2千人が勤務。飲み会の2次会、3次会で立ち寄る市職員が多いという屋台店主も「禁酒令は死活問題。個々人の自覚の問題なのに…」と暗い表情を見せた。

 当の市職員からは固い決意がうかがえた。高島宗一郎市長の訓示を聞いた男性係長(39)は「不祥事があっても今までは綱紀粛正の紙が来るだけ。今回は市役所がチームになって頑張らないといけない」。

 屋台の観光利用を目指し、市内約160軒を回って実態調査中の通称「屋台課長」、臼井智彦総務企画局企画課長(27)は「屋台でウーロン茶などを飲むこともできるが、勘違いされないよう1カ月は自粛する」と気を引き締めた。

 ただし、中には「禁酒令」に複雑な思いを抱く人も。シーズン真っ盛りの運動会後の打ち上げも対象となるだけに、50代の小学校女性教諭は「みんなで飲むのは年数回。意見交換の貴重な機会がなくなるのは残念。酒を伴わない意見交換の場ができれば」。中学校の男性教諭は「部活動で、競技関係者や高校の先生と信頼関係を築こうと飲んでいる先生は、ひた隠しにして飲酒するのでは」と心配した。

=2012/05/22付 西日本新聞朝刊=



 なぜこのようなことになったのかを、別な新聞記事から紹介したい。YOMIURI ONLINEの該当記事

飲酒禁止令の福岡市長「ショック療法が必要」

 相次ぐ飲酒絡みの不祥事に歯止めをかけられるのか——。

 福岡市は21日、全職員を対象に外出先での「1か月飲酒禁止令」に踏み切った。職員の間には「これだけ問題を起こしている以上、厳しい措置は仕方がない」といった受け止めが広がった。

 「意識改革のためにはショック療法が必要だ」

 21日午前、市役所で開かれた臨時幹部会議。高島宗一郎市長は約30人の幹部らを前に切々と訴えた。

 2006年8月、市職員(当時)による飲酒追突事故で幼い3人の命が奪われた。倫理研修を中心に様々な再発防止策を講じてきたが、今年に入って飲酒運転や酒に酔った末の暴力事件が続発。業を煮やした高島市長が取った手段が今回の「飲酒禁止令」だった。

 幹部会議で高島市長は、酒を飲んで不祥事を起こした職員を「一部の腐ったミカン」と厳しく断じ、「彼らのために『どうして自分たちのプライベートまで制限されるのか』と思うかもしれないが、異常事態を自分のこととして考えてほしい」と理解を求めた。

(2012年5月21日15時19分 読売新聞)



 この不祥事とは、2月に当時21歳の消防士(すでに免職で有罪)が酔って車を窃盗し酒気帯び運転をした件と、4月に小学校教頭50歳が酒気帯び運転をしたことに加え、今月18日には、保育課係長(48歳)が一緒に飲んでいた市職員男性(40歳)の顔を殴り前歯を折るけがを負わせる事件と、市港湾局職員(52歳)が、酒を飲んだ後にタクシーに乗車し運転手とのトラブルになって、交番近くで職員が運転手に暴行した事件が重なったようだ。


 福岡市の6年前の事故によって飲酒運転の懲罰が厳しくなってから私も一切飲酒運転をしなくなった。あの事故はよく覚えている。罰金も高額だが、かつて「ヒヤリ・ハット」した危ない思いをしたこともあり、自分だけではなく他人の生命を脅かす飲酒運転をやめる良いきっかけになったことは事実だ。

 しかし、この度の「一か月自宅外禁酒令」という措置は果たして妥当なのか?

 本来「個人のモラル」の問題を、家族や同僚や友人達との友好を深めるための飲食の機会を奪うことで解決するのだろうか。

 福岡市は短期的な措置のみならず、いろいろ考えているらしい。市が作成した「飲酒運転等不祥事再発防止アクションプラン」を、市のサイトからダウンロードすることができるが、プラン冒頭には次のように書かれている。
福岡市サイトの該当ページ


1.はじめに

平成18 年8月25 日。
この日,市職員(当時)が引き起こした飲酒運転事故により,3名の幼き尊い
命が奪われました。
私たちすべての市職員は,この「平成18 年8月25 日」を心に深く刻み
つけているはずです。
福岡市役所に対する市民の信頼が失墜したこの事件を境に,飲酒運転の
撲滅に向けてすべての職員が一丸となって取り組むとともに,不祥事の
再発を防止し,市民に信頼される市役所を目指して,「福岡市コンプ
ライアンス推進委員会」の設置や職員研修の強化,職員が抱える悩み
や問題について対応の充実など,さまざまな取組みを進めてきました。
しかしながら,このような取組みにもかかわらず不祥事は繰り返され,
平成24 年2月25 日には飲酒運転・窃盗事案が発生するなど福岡市役所
に対する市民の信頼は大きく損なわれています。
このような危機感から,平成24年3月12日に公募による150 名以上の
職員の参加のもと,「飲酒運転等不祥事再発防止に向けた職員検討会」
を開催し,さらに,職員検討会での意見やアイデアをもとに,検討会に
参加した職員18 名で構成したワーキンググループにおいて,取組み
プランの検討・取りまとめを行いました。



 そして、資料の最終ページには、要因別の対策などが細かに書かれた次のチャートがある。
e0337777_11084058.jpg

 この中の再発防止強化策①、②、③の部分を少し大きくしてみた。
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 この内容を見て、どうしても腑に落ちないのは何故なのだろう。

 一つは、「自分ごと化」とか、「みんなのわ」という言葉に、やや子供じみた表現という印象を持つからだと思う。考え方次第では、「当事者意識を持つ」、とか「協調性の強化」などと言うよりは、口語的で分かりやすし、市の職員と言っても幅広い職種があるから、こういった表現になったのかもしれない。しかし、私はこういった表現を見ると、お尻がもぞもぞする。あくまで、感覚の問題。

 二つ目は、どうしてもお役所仕事的な何かを感じるからだろう。「プロジェクトを組んで、いろいろ考えました」と言いたいのだろうが、「あれもこれも」の総花的な印象が強く、「こんなにたくさんのことをしないと、飲酒運転が防げないの?」という不安を強くさせる。と言うよりも、「これ全部、本当にやれるの?」という疑問が強まる。

 元テレビ局アナウンサーで三十代の若い市長の「パフォーマンス」と言う指摘も、否定することができない。側近を含め、今回の措置が職員達と十分に意思疎通のはかれた施策なのかも疑問。もし、「とにかく、抜本的な改革だ!」と言う市長の号令によって、形だけ作った「アクションプラン」なら、それは「アクション」にはつながらないだろう。

 そういう疑問が当たっていそうな実態が、記者会見の内容からもうかがえる。このアクションプランを発表した5月8日の記者会見の模様が福岡市のサイトで公開されているので、一部抜粋する。福岡市サイトの該当ページ


記者  あと、市長に確認ですけど、これは市長がアクションプラン作れと
    言ったわけではなくて、あくまでも市の職員から上がってきたと
    いうことで構いませんか。
市長  はい、そうですね、はい。結構ね、あのあたり、事件の後にメール
    とか来ましてね、私のところに。で、庁内で一応私のメールアド
    レスというのも分かるんですよ、みんな。分かるけど、基本的に
    みんな送ってこないんですよね。なのにね、あの後はメールで、
    こうしたらいいと思うとか、やっぱり許せないとか、そういうの
    を送ってきて、で、実は先日飲酒運転でお子さん亡くしたという、
    方にっていう話も実はこれはですね、職員の中からこういう被害者
    の話を直接伺って、やっぱりみんな、そのやっぱり本当に心に染み
    入ってみんながやっぱりその辺を意識した方がいいっていう、
    実はそれは職員の、私も会ったこともない職員なんですけども、
    そのメールからだったわけですよね。ですから、やはり
    多くの職員はですね、この今回飲酒運転がまだ続いているという
    ですね、この事態に関して非常にやはり憤りも覚えるし、危機感
    を感じていて、やはり立ち上がりたいという気持ちは非常に強く、
    多くの職員が思っています。
記者  この「大切な人リスト」というのは、具体的にはどういった
    イメージなんですかね。
事務局(総務企画局) まあ、やはり先ほど懲戒免職の疑似体験もあり
    ましたが、まあ実は自分がそういうことになってしまうと、
    例えば、結婚していれば奥さんだとか子どもだとか、あとまあ
    1人であれば、付き合っている方だとか、あるいは親だとかですね、
    そういった人の名前をリストを作っておくことによって、万が一
    自分がそんなことがあったら、この人たちにも迷惑をかけると
    いうことで、いつもその気持ちを持っとこうという趣旨でまあ
    「大切な人リスト」という形をとっています。
記者  それを何か机の上に張って置いたりするんですか。
事務局(総務企画局) まあ、あのう。
市長  机に置いたらばれちゃいますからね、机の上には置かないんです
    けれども。
事務局(総務企画局) 初めはそういう意見もあったんですけど、今市長
    がおっしゃったようにばれてしまうので、例えばロッカーに張っ
    ておくとかですね、その辺はいろいろ考えてもいいんじゃないか
    ということで、各局・区のほうの選択のところに入れていると
    いうことで、一律にデスクマットに入れろというわけではないです。
事務局(総務企画局) よくあるのはですね、まあお子さんの写真とか、
    それがなくても持っている方いらっしゃいますよね。やっぱり、
    その人のためにっていうことで、仕事も頑張っている方って、
    結構いらっしゃると思うんですよ。だから、そういうことで、まあ
    リストとか写真とかでもいいと思うんですよ。そういったことで、
    常にそういった意識しながら公私にわたってやっぱり責任ある行動
    をとるということを目指すべきじゃないかというご意見です。
記者  すみません、細かいところなんですけど、職員の借金・多重債務
    問題に関する対応の充実というのも書いてあるんですが、そもそも
    それはどうやって把握されるのかと。今何か例えば、そういう多重
    債務がある方とかは、課の上司とかに報告しなきゃいけないような
    義務とかというのがあるんですか。
事務局(総務企画局) これは、従来の取り組みというところに書かれて
    いるかと思うんですが、まあ、以前ですね、検討した時に、そう
    いったものが、やっぱり強化しないといけないだろうというこ
    とで、具体的にリーフレットとか、職員向けのリーフレットを
    作ったり、監督者向けにですね、まあ、そういった問題を抱えて
    いる職員に見られる多い傾向とかですね、職場に頻繁に電話がか
    かってくるとか、無断離席が多いとか、そういったポイントをこう
    いろいろ書いたようなリーフレットを作って取り組みを、まあ従来
    の取り組みということを、そこに書かせていただいているという
    ことです。
市長  強制調査とかいうわけじゃないということですね。
事務局(総務企画局)強制調査とか、そういうことでは、はい、ないです。
記者  はい、なるほど。
    他社さん、他ありますか。細かいところはあと個別に伺ってください。
    では、ボルドーの訪問団に関して、他社さん何か質問がございまし
    たら、お願いします。
市長  普通はね、帰ってきた後に、ご報告をするんですけども、一応、
    長いので事前にお伝えだけしようと思いまして。
記者  持続可能な発展というのはどういうところを見に行かれるんですか。
    施設だとか。
事務局(総務企画局) 実はボルドーでフランスの新幹線の全面的な、
    最終的な開通を目途に、大規模な再開発をされているんですが、
    そのテーマが「持続可能な発展」ということで、向こうから是非
    これは髙島市長に見ていただきたいということでご提案があって
    おりまして、その視察に関わるところで、もしかしたら福岡市が
    いろいろやっている取り組みのご紹介とかご提案とかもできるの
    ではないかなと考えております。
記者  具体的にもう行く施設とかは分かっているんですか。
事務局(総務企画局) はい、施設というか、そういうプロジェクトがあり
    まして、まだ始まったばかりですので、大変大規模なものですから、
    それのご説明とかを受ける、現地に行って受けることになっってます。
    ユーロアトランティックというプロジェクトです。



 いろいろ対策を考えてはいるのだろうが、どうもこの会見記録を見ても、しっくりこない。

 このアクションプランは、「150 名を超える職員が再発防止策のアイデアを自ら出し合い,さらにそこから選ばれた18 名のワーキング・グループで具体的な検討を進めたものを土台として取りまとめたもの」らしい。
 いわゆるブレーンストーミングで、「発散」させるだけ発散させて十分に「収束」させる前のプラン、そんな印象だ。そして、個人のプライバシーに関する、やや危険な兆候も感じる。いずれにしても、今後、福岡市の職員は、夜のみならず昼間も“窮屈”な状態で仕事をせざるを得ないのではなかろうか。


 私が福岡市職員だったなら、どうしているだろうか。

 まだ若くて転職先の見込みがあるなら、たぶん市役所を辞めそうな気がする。福岡、いや博多と言ったほうが響きがいいな。博多は酒も肴も美味しい土地で、私の知る限り、女性は言葉も仕草も艶っぽく旅人には非常に楽しい場所である。かつて出張で訪れて、あくまで酒席でのことだが嫌な思いをした経験がない。

 福岡市の職員は、仕事が終わって「さぁ、行こうか!」という楽しみが一か月間は確実に味わえないし、その後だって心から楽しい酒を外で飲めそうにないだろう。「みんなのわ」も、“ノミニケーション”ではかる土地柄のはず。

 一か月とはいえ、博多の夜の街に与えるマイナスの経済効果は小さくなかろう。そして、このような対応を取ると、自ずと「監視社会」を作ることになる。職員同士がスパイとなる、あるいはスパイではないかと不安になる。そんな心境で、正常に仕事をこなし、正常な神経を維持できるのだろうか。
 最初に紹介した新聞記事にもあるように、情報交換の場でやむなく飲んでしまったら、また「不祥事勃発」と騒がれることになるが、それは罰せられるべき悪行と言えるのか。飲めないストレス、隠れて飲むストレスがたまったり、自宅での酒量が増えたりすることで神経に異常をきたす、などというマイナス要因も検討したのだろうか。

 私には一か月自宅外での禁酒令は、「市民の信頼回復」というお題目での形式的な措置に思えてならない。総花的なアクションプランも、もし本当に対策を施したいのなら、外部の力も借りて再検討すべきだろう。


 今、博多の街に「禁酒番屋」ができたかどうかは知らない。しかし、それに近い「監視の目」はいたるところで光っているだろう。そして、禁酒法時代のアメリカの例のように、「地下」に隠れて飲ませる酒場ができても、おかしくない。

 高島市長が訪問するボルドーは、昼食時でも水代わりにワインを飲む土地だ。職員に禁酒令を出した市長が、まさか職務中やオフタイムにおいても、フランスでワインを口にすることはないのだろうと思うが、落語の「水カステラ」同様、「水葡萄」とでも言って飲むのだろうか。
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by kogotokoubei | 2012-05-22 16:17 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 昨日で、3月21日に鈴本から始まった春風亭一之輔の一人真打昇進披露興行五十日が終了した。国立演芸場の八日目(5月18日)のみ昼夜二回口演のため、五十日間に一之輔は計五十一席を披露したことになる。
 彼のブログ「いちのすけえん」を元にすべての演目を並べてみる。「いちのすけえん」
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<ネタの種類>   10    15(+5)    19(+4)    21(+2)    24(+3)

 ネタの種類にして二十四。高座数のほぼ半数に近いネタということになる。平均で同じネタを二度位しかかけていない、ということだ。多くのネタをかければいいというわけでもない。もちろん量に加えて質も求められる。二十一人抜き、一人昇進、ということでマスコミも取り上げ、連日の満員御礼で数多くの落語愛好家が注視するなかでの高座。二十四という数は、大変な数だと思う。

 私は、浅草までの三十日が終わった時点で途中経過を書いた時に、高座数の半数近くのネタを、高いレベルで高座にかけることができたら素晴らしいと書いた。私自身が行くことができたのは末広亭と国立演芸場で各一日の計二日のみ。しかし、他の日の出来映えを、落語愛好家の方のブログなどで確認するに、私やお客さんの期待に応える高いレベルの高座で五十日を駆け抜けたのだろうと思う。

 上の表でネタの横にある「*」の印は、そのネタがそれ以前に演じられた回数を示す。二十四のネタを演じられた回数別に整理すると次のようになる。

 5回(1):茶の湯
 4回(3):百川、子は鎹、粗忽の釘
 3回(4):欠伸指南、初天神、明烏、らくだ
 2回(6):短命(長命)、不動坊、長屋の花見、花見の仇討、青菜、藪入り
 1回(10):竹の水仙、雛鍔、くしゃみ講釈、鈴ケ森、蛙茶番、代脈、大山詣り、鰻の幇間、へっつい幽霊、五人廻し

 季節がら冬の噺はない。十八番中の十八番と言って良いだろう『粗忽の釘』で始まり、定席最後の池袋の楽日、そして昨日の国立演芸場の楽日も、同じ噺で締めくくられた。このへんは、予め計算していたような気がする。

 落語ブログ仲間の佐平次さんによると、昨日は家族を招待しての大千秋楽であったらしい。まさに、奥さんに捧げる一席であったのだろう。噺の中で隣家の主人に「このネタは今日で四度目だが、いちばん良かった!」と言わせたようだ^^
佐平次さんのブログ「梟通信」の該当記事

 末広亭の六日目、そして国立演芸場の九日目に参上できた私は、奇しくも一回のみの登場となったネタ『雛鍔』と『五人廻し』に出会うことができた。僥倖であった。
 しかし、複数かけられたネタだって、決して悪かろうはずはない。一之輔ファンの中には、この五十日の間に特定のネタが発展進化するのを肌で感じることのできた幸福な方もいらっしゃるだろう。

 ともかく、2003年の古今亭菊之丞以来の一人真打昇進披露興行は、無事終了したようだ。ちなみに、菊之丞の時は国立演芸場の興行はなかったので、五十日間を一人で行ったのは初である。

 そして、「寄席が大好き」のこの男、休む間もなく5月下席は花緑が主任の浅草演芸ホール昼の部でクイツキを務めている。今のところ番組表には休演予定は書かれていない。このへんが、当たり前のようでいてなかなか出来ないことなのだ。浅草演芸ホールの番組表

 「いちのすけえん」5月20日の内容から一部抜粋したい。実際は、それぞれの行間が結構空いているのだが、詰めさせていただく。皆さんには、その「行間」が「読める」はず。
声もあんまり出ず、正直出来もあんまり……、だったが記憶に残る高座になった。
かな。
最後だからと子供とかみさん、連れてきた。
次男がロビーを走り回るわ、長女がいい間で泣きやがるわ。
でも長男はジーッと聴いてたらしい。
終演後、幕が閉まる前にお客様から高座へ頂いたドンペリで出演者全員で乾杯。

とにもかくにも50日の御披露目はお開き。

気分だけは少し休もうー。


 円歌師匠の言葉をお借りして、一之輔と奥さんに、「手を取って 共に登らん花の山」を贈りたい。きっと彼は大輪の花を咲かせることができるだろう。

 なお、この場を借りて、非公開コメントも含め、数多くの方から一之輔の興行に関連して貴重な情報をいただきましたことに御礼を申し上げます。ありがとうございました。彼のブログからネタを一覧化しただけなのですが、少しでも落語愛好家の方のお役に立てたのなら、ブログ管理人としてうれしい限りです。

p.s.
秋の朝太(志ん陽)、菊六(文菊)の際にも、同じように書くかどうかは、未定です。菊六はブログをしっかり更新してますけど、朝太のホームページは二年前でピタっと止まっているのでねぇ・・・・・・。それを考えると、一之輔や古今亭志ん輔のブログは、噺家さんの日常や心理などを知る上で貴重ですね。
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by kogotokoubei | 2012-05-21 17:50 | 真打 | Comments(6)
末広亭で一日だけ行けた一之輔の披露興行、なんとか国立演芸場の楽日前日にも駆けつけることができた。本人のブログでは、喉の調子が今ひとつのようだったので、そのあたりも含めどんな高座になるか、そしてネタは何なのか、大いに楽しみにして隼町に参上。

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 満員御礼。終演まで立ち見のお客さんも数人いらっしゃった。

さて、緞帳が上がった。
最初の後ろ幕は、「日本橋女学館 中学校・高等学校同窓会同志」寄贈のもの。
(師匠一朝のお内儀さんの母校)

 構成は次の通り。

春風亭朝呂久『新聞記事』 (12:45-12:59)
 開口一番は朝呂久。着実に成長している印象。兄弟子二ツ目の朝也、一左も聞いたことはあるが、私はこの人のほうに高い潜在力を感じる。兄弟子にも良い刺激になっているだろう。見た目も落語家として得をしているし、柳朝、一之輔とも異なるキャラクターで、一朝一門としても将来は貴重な位置を占めそうな気がする。

古今亭駒次『飛行機怖い』 (13:00-13:14)
 師匠志ん駒ネタなどのマクラの後、この人ならではの“乗り物”の新作。格安航空会社で東京から大阪に行く騒動なのだが、私はこの人の新作は嫌いではない。と言うか、古典を聞いたことがないなぁ。古今亭志ん生一門では貴重な存在。基本も結構できているし、小三治会長の判断次第だが、抜擢真打昇進が期待できる逸材である。

春風亭柳朝『真田小僧』 (13:15-13:35)
 今日のお目当てのもう一人がこの人だった。入院、手術を経て、ようやくこの国立演芸場での弟弟子の披露に間に合った。少し痩せたとは思うが、血色もよく元気な高座。口上の司会役も務めたが、この人の端正な高座や仕草は、師匠一朝をもっとも継承しているように思う。とにかく健在で、良かった。

マギー隆司 奇術 (13:36-13:50)
 初めてである。話芸もなかなか楽しい奇術。いいんだなぁ、こういう安心できる芸って。

春風亭勢朝 漫談&『紀州』 (13:51-14:10)
 前半15分は定番の漫談と、本編の誘導部分混在。いつものこの人の高座。それでも会場をあれだけ沸かす技量は高い。

三遊亭円歌『御前落語』 (14:11-14:30)
 今日の協会幹部からの出演はこの人。口上の時に分かったが、四日間出演の最終日らしい。何度も聞くのだが、何度も笑える。八十三歳にして、この高座、これが「長生きも芸のうち」ということなのだろうか。途中で、舞台の上にかかっている額の「喜色是人生」の書が入江相政によるものだと説明するあたりが、流石だ。

真打昇進披露口上 (14:45-14:57)
 後ろ幕は「日本大学芸術学部 芸術学部落語研究会」寄贈に替わった。

 下手から司会の柳朝、勢朝、一之輔、一朝、円歌の五人が並ぶ。柳朝の思い入れを込めた話も良かった。勢朝のギャグも結構受けた。最後に円歌に三本締めを柳朝がお願いしたのだが、円歌が、「締めの前に一言。この披露興行、一日も休まなかった師匠一朝は偉い!」で、私は、なぜか目頭が熱くなった。円歌は弟子の披露興行で十日位は出るこができなかった、と振り返る。もちろん、当時の円歌の人気からはあり得ることだが、一朝の健気さに、この長老も感じるものがあったのではないだろうか。締めの前の句「手を取って ともに登らん花の山」は円歌の定番だが、その言葉までもが強く私の胸に響いた。

春風亭一朝『家見舞い』 (14:58-15:18)
 後ろ幕は一之輔後援会寄贈に替わっていた。

 自分の弟子の人数を忘れて楽屋に向かって聞くなど、ちょっと落ち着かなかったのは、間違いなく円歌の口上の影響だろう。しかし、本編は大変結構でした。
 江戸っ子の会話のリズム、不思議に可愛く可笑しい仕草など、私はこの人の高座が好きだ。真打昇進披露興行四十九日にして、師匠は健在。だからこその、一之輔の高座なのだろう。
 この五十日間の興行は、一之輔と師匠一朝の新たな一歩になった、そんな気がする。

大瀬ゆめじ・うたじ 漫才 (15:19-15:30)
 こういう色物さんがいてくれるから、寄席は成り立っているのだろう。笑いを取り、その時間管理を含め、プロの芸だった。

春風亭一之輔『五人廻し』 (15:31-16:07)
 本人のフブログで喉の調子が良くないことは分かっていた。たしかに、少し鼻声だ。
 これまでのネタは一昨日が『茶の湯』だったのは判明していたが、前日八日目は確認できずに電車に乗っていた。
 高座に上がり、この人らしい話とアクション(?)が続く。
「円歌師匠の口上は、何を言っているか分からない時がある」「先ほどお帰りになりました」「言葉ならいいけど、文章にしたら意味不明でしょうね」。
 この人の図太さが最初にドーンと伝わる。少し鼻声で決して体調は万全ではないのだろう。
 そして、マクラの途中で、「えっ、子供?」と会場を見て叫ぶ。「子供だよね」。考えていたネタについて、計算が狂った状況のようだ。
 いきなり立ち上がって、下手から歩き、上手からも歩き、子供さんが座っている場所が“死角”だと説明。
 「試練と思ってやります」と始めたネタ。
 「その昔、吉原という・・・・・・」で、会場から笑いと拍手。
 これだ。私が浅草でかけると予想していたが、とうとう今日まで登場しなかった噺。
 最初が江戸っ子の若い衆。三つの頃から大門をくぐっている経験と知識(?)を披露し、吉原の法と歴史を牛太郎の喜助に、まくし立てる。それを聞いていた“気障(きざ)”な若旦那、「せつは・・・・・・」の科白が、あの『酢豆腐』を彷彿とさせる。三人目が、病で伏せている妻に吉原に送り出された侍風の男。「女郎買いの本分は、何と心得るかぁ!」と喜助を責める。四人目が、あの(?)田舎大尽。そして、五人目は力士。
 最後の五人目を田舎大尽にする場合のほうが、今では多いように思うが、実は力士の創作は、廓噺の名人、初代小せんによるもの。一之輔のこの噺を横浜にぎわい座の地下、のげシャーレで最初に聞いた時の驚きを、今でも忘れない。
2010年8月20日のブログ

 今日は、鼻声で体調は絶好調とは言えなかったと思う。しかし、披露興行の最後の最後という状況で、このネタに決めて高座に上がり、子供さんを見かけて逡巡する中、「これも試練」と演じきった高座、堪能した。
 本人は体調を含め不満もあるだろうが、私はあえて今年のマイベスト十席の候補にしたい。


 まさか『五人廻し』に出会えるとは思わなかった。長丁場の真打昇進披露興行、国立演芸場は定席とはグレード的に違う扱いを受けているようだが、私は定席の延長として考えたいし、十分にそれだけの内容だったと思う。

 円歌の気配り、師匠一朝の律儀さ、そして、そろそろ喉や体調に異変があって然るべく一之輔の粘り。隼町での興行は定席と負けない盛り上がりだった。
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by kogotokoubei | 2012-05-19 18:26 | 落語会 | Comments(11)
 落語協会の今春の一人真打である春風亭一之輔の昇進披露興行は、今行われている国立演芸場でフィナーレとなる。落語芸術協会の五人の昇進者の披露興行は、現在浅草演芸ホールで開催中、池袋演芸場では6月の中席に行われる。

 落語ブログの中で、いつも立ち寄らせていただき、その鋭い鑑識眼を尊敬している“ほめ・く”さんが、5月15日の記事で、真打制度そのものに対する問題提起をされている。ほめ・くさんのブログ該当記事

 ほめ・くさんの記事は、翌5月16日に朝日新聞のサイトに掲載された記事を先取りするような内容だった。ASAHI.COMの該当記事

真打ち選び、基準は実力?年季? 東京落語で試行錯誤

 東京落語の真打ち昇進に今年、変化が起きた。若手が先輩を追い越したり、公開試験で決まったり。年功序列が定着していた世界で、真打ちの選び方の試行錯誤が始まっている。

 4団体で最大の落語協会は、二つ目59人から3人を抜擢(ばってき)。春昇進の春風亭一之輔(入門2001年)は21人抜き、秋昇進の古今亭朝太(同1998年)は8人抜き、古今亭菊六(同02年)は28人抜きとなった。

 落語立川流では昨年、立川志らく門下の二つ目4人が「真打トライアル」に臨み、立川こしら、立川志ら乃が今年中の昇進を決めた。

 一方、落語芸術協会(芸協)と五代目円楽一門会は、従来通り修業を始めた年季順で昇進する。

 真打ちは落語家で最上級の身分。若手の中で実力があると認められた人が選ばれる。本来、寄席の最後(トリ)に出演する資格で、寄席を経営する席亭が実力を見て推薦し、決まっていた。戦前からある2団体で真打ちになるのはそれぞれ年に1、2人が普通だった。それが、50~60年代の落語ブームで入門者が増え、70年代から年季順に年5~10人を大量に昇進させる例が出てきた。落語協会は2年前まで、ほとんどは年功序列だった。

 落語協会幹部によると、今回の年季順によらない昇進は柳家小三治会長の意向だ。二つ目勉強会を会長自ら聴いたうえで3人を選んだ。入門して14、15年経てば儀式のように昇進するのを嫌っていたという。ただし、来年以降は未定だ。

 柳亭市馬副会長は「真打ちは、昔は到達点だったんですけどいまはスタートライン。何十人も飛び越して一人で昇進したからって、将来が明るいとか安心なわけではない」。ある二つ目は「実力を認められれば真打ちに上がれるから、やる気になる」と話す。

 落語協会では80年前後、真打ち昇進のあり方を巡り故・三遊亭円生や故・立川談志らが脱退。現在の円楽一門会と立川流ができた。

 立川流は、真打ちになるには落語100席と歌舞音曲などを身に着け、家元の談志が認めることを条件とした。談志は落語協会の真打ち昇進試験で弟子を落とされ、自己流の基準を新たに作った。

 今回は、客席と師匠の志らくが採点する公開試験方式を6回実施。「自分が認めるだけでは弱い。客の後押しをもらいたかった」。年功序列への反発もある。「プロ野球だって何年やっても実力がなければクリーンアップを打たせない」

 一方、芸協の桂歌丸会長は「抜擢された本人が苦しいのでは。楽屋で疎外される場合がある。残された人間が面白くないのは当たり前」と話し、年功序列を続ける方針だ。

 実は立川流でも、試験は必須ではない。入門から20年以上経て、大きな実績がないまま真打ちに昇進した弟子もおり、「情」の面を残している。

 上方落語では真打ち制度自体がない。大正時代に消滅した。05年に導入を検討したが見送られている。

 演芸評論家の矢野誠一さんは「現代に真打ち制度が適応しているか、考えないといけない」と指摘する。

 落語家は500人もいるのに寄席は4軒だけ。多くの真打ちはトリをとることがなく、一流の証しにはならない。落語家は自分で芸名を大きくして、価値を上げるしかないのが実態だ。小三治が若手を早く昇進させるのは「真打ちには価値がないと、反面教師的に教えているのだと思う」というのが矢野さんの見方だ。

 落語プロデューサーの京須偕充(ともみつ)さんは「現状に多少の危機感が落語界の内部にあったと思う」とみる。00年代の落語ブームが落ち着くと、ギャグや受けを重視する演者が目立ち、話の筋を聴かせる話芸がおろそかになっているのでは、というわけだ。京須さんは抜擢や試験による昇進を「真打ち本来の姿が見直された意義は大きい」と評価している。(井上秀樹)



 矢野誠一さん、京須偕充さん両方のコメントを掲載することって、意外に少ないので、この記事は全文引用させてもらった。

 この問題は、非常に悩ましい。

 (1)真打制度は必要か

 (2)必要とするなら、何を基準、あるいは条件とするか

 ということが、大きなテーマになるだろう。

 私は、(1)については、「真打制度は必要」に一票を投じる。理由は大きく二つ。

 (A)落語の世界で生きていくための通過儀礼であり適性審査として
   大学受験などにも言えると思うが、どこかに、一つの壁を超えるための試練は
   必要なのだと思う。そこを越えなければ、別の道を選ぶことだって可能だ。
   一定の修行期間や、何らかの基準での評価によって、自分が、その先に進んで行く
   だけの資格があるか、それとも他の道を歩むべきかを、その適性を自覚する役割も
   持つ。「やりたい」という思いだけで生き残れるほど、本当は甘くないはずなのだ。

 (B)落語界全体の活性化のために
   特に若手噺家にとって、良きライバルがいて、お互い切磋琢磨することで将来落語界
   を背負って立つ噺家が生まれるのだと思う。長い目で落語という芸能が活性化される
   ために、真打昇進を競い合いのは、悪いことではない。

 次に(2)の問題。ほめ・くさんのブログや朝日の記事でも分かるように、東京の各派は、まったく基準がバラバラである。基準や条件は一つにしないと、私が(1)であげた「必要性」の理由にも説得力がなくなる。同じルールでなければ勝負にはならない。かたや相撲、こっちは野球、ということになってしまう。

 だから、統一基準が、本当は欲しい。

 ではどんな基準、あるいは条件がいいのだろうか?
        
 同じ伝統芸能の歌舞伎はどうなっているか。「落語と一緒にするな!」というお叱りは覚悟で歌舞伎からヒントを探りたい。歌舞伎の世界では、かつては数多くの格付け(グレード)に分かれていたが、今日の大きな格付けとして、「名題」と「名題下」の違いがある。これは「真打」と「二ツ目」に近いのではないか、そう思ったのだ。
 社団法人日本俳優協会と社団法人伝統歌舞伎保存会が協力して設置した歌舞伎公式ホームページ「歌舞伎 on the web」には、次のように説明されている。歌舞伎on the webの該当ページ 

「名題(なだい)」とは

歌舞伎俳優の身分制度は時代によって変遷してきましたが、現在は「名題」と「名題下(なだいした)」に大別されています。

名題俳優(名題役者ともいう)になるには、まず、日本俳優協会の名題資格審査(名題試験)に合格して「名題適任証」を取得した上で、諸先輩やご贔屓、興行主など、関係方面の賛同を得て、名題昇進披露を行う必要があります。



 ついで、と言うわけではないが、「名題下」の解説に、かつての格付けの名前があるので、ご紹介する。

「名題下」とは

名題に昇進していない俳優を「名題下」といいます。

以前は、名題下俳優の中に、さらに相中(あいちゅう)、上分(かみぶん)、名題下の三階級があったといわれますが、現在はこの区別はありません。

名題下俳優の中には「名題適任証」を取得していながら、あえて名題に昇進しない人もいます。それは、名題と名題下の区別が単なる身分の上下ということでなく、専門とする仕事が違うという面もあるからです。


 ちなみに八代目林家正蔵の『中村仲蔵』では、マクラで(歌舞伎)役者の格付けを、「人足-大部屋-相中-相中上分-名題下-名題」と説明されている。これは、余談。

 名題になるための条件は次のようなものだった。
(1)日本俳優協会の名題資格審査(名題試験)に合格する
(2)「名題適任証」を取得する
(3)諸先輩やご贔屓、興行主など、関係方面の賛同を得て、名題昇進披露を行う

 (1)の「名題試験」のことは詳しくは知らないが、どうも筆記試験あるいはレポート、そして実技試験があるらしい。
 (2)は日本俳優協会の会員になる、ということのようで、「名題試験」に合格しても、必ずしも「名題適任証」も取得する、あるいは取得できるわけではないようだ。その仕事の内容によって必ずしも試験合格者が「名題適任証」を取得しないこともあるらしい。推測でしかないが、「試験は合格だが、素行が悪い」などの人物評価が加味されて取得を認めない、ということもあるのかもしれない。詳しくは知らないので、ご勘弁を。
 (3)は、落語の世界の真打昇進が、かつては寄席の席亭の推薦ありき、だったから馴染みのある条件とも言えるだろう。「客を呼べる」と思われなければ、やはり「名題」にはなれないのだろうし、支援者、相撲の世界で言うタニマチがいなければ、芸人を長くつとめることはできないだろう。

 私は、東京の落語の各派が、統一基準をつくることは可能だと思っている。また、まさに今、その議論をすべきタイミングではないかとも思っている。

 特に、家元亡き今の立川流は、家元のつくった基準の見直しなど、何らかの将来への布石を打たないと、個々の噺家の単なる寄合になるだろう。芸術協会だって、「ウチはウチ、年功でいきます」と言い続けることが、果たしてできるのだろうか。円楽一門にしたって、芸術協会主催の定席を合同で開催するようになると、早晩、昇進基準の相違が問題になるに違いない。
 そして、落語協会だって、一之輔、菊六、朝太という抜擢昇進の後、いつまでも小三治会長の審美眼にのみ頼ることは難しいだろう。かと言って従来の年功エスカレーター昇進には戻って欲しくない。

 統一真打昇進の条件として次の内容を提言したい。あくまでも、「叩き台」としてである。

受験資格は、入門から10年経過、師匠の推薦あり、の全員。

 (1)筆記試験あるいはレポート
    落語の幅広い基礎知識を評価するか、特定の課題へのレポートとするか検討し、
    いづれかの方法で、落語の基本的な素養を確認する。
    試験とレポートの両方、一年交代で実施、などはその内容も含めて要検討。
 
 (2)実技は二種類
  (A)太鼓
    いわゆる前座修行の確認。基本の太鼓実技を審査する。この試験の実施によって、
    芸術協会と他派との合同開催も、その意義が増えるのではなかろうか。円楽一門、
    立川流の前座や二ツ目さんも、しっかり定席の場で稽古してもらおう。
    笛も加えていいのかどうかは、今時点では保留とする。
    審査は協会選出の中堅と、下座のベテランの皆さん。
    お茶出しや高座返しなども加えるか、など検討の余地はあり^^

  (B)落語
    20分位でできる30席位のネタをあらかじめ試験科目として公開しておいて、本人が
    選んだネタと、当日抽選で選ばれたネタの二席を演じる。審査は各協会幹部、席亭に
    加え、できれば公開審査としてお客さんの評価も反映したい。有料で実施しても、
    それぞれの落語家の贔屓や支援団体(?)でチケット争奪戦になるかもしれない^^
    二度に分けて実施してもいいかもしれない。
    ちなみに、ネタは三年一度位は半分入れ替えたほうがいいだろう。

 (3)定席寄席の席亭、および恒常的に落語会を主催するすべての席亭の一定の推薦
    まず、定席の席亭。そして、地域落語会などを主催する方々も加えたい。
    デジタル化は難しいが、もし定席の席亭が持ち点10点ならば、たとえば、過去
    三年間に10回以上の落語会を主催した地域落語会の席亭に3点でもいいから与
    える。
    幅広く落語のタニマチとなっている方の声を、ぜひ反映したい。


  相当思いつきだし、もちろんアナログな部分は残る。もっと細かい点で吟味が必要だろう。あくまで、「叩き台」としてお考えいただきたい。何らかの議論のベースがなければ、その先には進めないだろう。

 「東京共通真打昇進基準」として、こんな内容を各派が検討してもいい時期ではないだろうか。今のような状況のままなら、真打制度の存在理由はどんどん稀薄になるばかり。そう思う。
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by kogotokoubei | 2012-05-18 08:00 | 真打 | Comments(6)
この会は、昨年11月以来。あの時は『長屋の算術』という珍しいネタが印象深い。
2011年11月8日のブログ
 ここ最近私が見た喜多八は、高座そのものはしっかりしているし声も出ているのだが、顔色や頬のこけ方などの見た目は、少し心配させる印象だったので、最新の喜多八ウォッチングとしても楽しみにしていた。

構成は次の通りだった。
-----------------------------
三遊亭天どん 『タラチネ』
柳家喜多八  『短命』
柳家喜多八  『宿屋の仇討』
(仲入り)
柳家小菊    粋曲
柳家喜多八  『ねずみ穴』
-----------------------------

三遊亭天どん『タラチネ』 (19:01-19:22)
 久しぶりだ。私はこの人、嫌いではない。つくし、小駒と同様平成9(1997)年入門の16年目。かつての年功的な昇進なら今年、あるいは昨年真打に昇進しているはずの経歴である。マクラで、「真打にもならず・・・・・・」と自虐的な言葉もあったが、一之輔という名も会長の名も出さずあっさり目で、嫌味はなかった。円丈一門の新作派ということと、自分の今の力量を自覚しているのだろうと思ったが、悔しくないはずはない。 
 さて、本編は、最初に本寸法の言い立ての内容とサゲを演じておいて、この人ならではの改作を披露。八五郎のところに輿入れするのが、ハーフで金髪、英語まじりの訳の分からない日本語を話す女性、という設定。
「今朝は怒風激しゅうして、小砂眼入す」は「This Morning怒風激しゅうして、小砂In My Eyes」となる。
 そして、この千代さん会話の最後に決まって「Don't you?」と入る。ここで、結構ベテラン落語ファンの多い会場も沸いていた。やや、会場の空気に威圧されて、伸び伸びとした高座、とは言えなかったが、かつて初代柳家三語楼が英語を取り入れたネタで会場を爆笑させた時の印象もこんな感じであったのだろうと思える、センスの良さを感じた高座。来年の真打昇進を期待したい。

柳家喜多八『短命』 (19:23-19:40)
 開口一番、「私は落語をやります!」で笑わせる。顔色も良く、顔も少しふっくらしてきたようで、安心した。
 このネタは1月に座間の鯉昇との二人会で初めて聞いた時にも感心したが、それを上回る高座だったと思う。見せ場は、やはり伊勢屋の婿が三人続けて早死にする理由が分からない鈍感な八五郎と、それとなく自分の推測を伝えようとする隠居との会話なのだが、演出上の喜多八の際立った特徴は二つ。
(1)のいる・こいる漫才のような、だんだん聞こえなくなる科白のリフレーン
  私が好きな“のいる・こいる”の昭和こいるによる、「しょうがない、しょうがない、
  しょうがない・・・・・・」というリフレーンを髣髴とさせる八五郎のセリフが、
  だんだんフェイドアウトしていく演出が可笑しい。
  これについてはマクラで「昔の噺家は、最初は口だけ動かして、ほとんど聞こえ
  ないように語り始め、客を緊張させる」と伏線を張っていたので、それを思い出し
  ても笑える。
(2)いわゆるジェスチャーのみのサイレントな会話の描写
  隠居が伊勢屋の婿が短命な理由を婉曲かつ小さな声で八五郎に説明しようとして、
  次第にサイレントなジェスチャーだけになると、八五郎も仕草だけで対応する
  場面が、しばらく続く。生の高座でしか味わえない楽しさである。

 他にも、八五郎が帰宅してからご飯の給仕を女房に頼む際の会話、「俺たち夫婦だろう?」「夫婦じゃないよ!」「じゃぁ、何だい?」「親分子分だよ!」、といった会話の可笑しみも含め、結構な高座だった。
 一月の座間のことを書いた際(2012年1月14日のブログ)にも、このネタで“しゃべくり”とスピード感のある演出で秀逸な白酒とは好対照な、語らずに見せる喜多八の芸、素晴らしかった。サイレント部分が少し長いことには、人それぞれに好みはあるだろうが、私はこの高座を今年のマイベスト十席の候補とする。

柳家喜多八『宿屋の仇討』 (19:41-20:14)
 ネタ出しされており、配布されたプログラムには三席目に書いてあったが、仲入り前に登場。
 大師匠三代目小さんも十八番だった。また、小さんの盟友(?)三代目三木助の高座も有名。私は先代柳朝の音源も好きだ。江戸っ子三人衆の弾けぶりが楽しい。
 喜多八の侍は定評のあるところ。万事世話九郎には声に張りがあり、威厳のある怖い侍が見事。源兵衛たち江戸っ子三人衆のはしゃぎっぷりも楽しい。あえて難を言えば、伊八が少しおとなしすぎる印象。しかし、このあたりは難しいところだ。伊八を抑えて演じるから世話九郎と源兵衛たち三人の対比が明確になる、とも言える。
 気になったのは、細かな舞台設定と名前。大師匠小さんは源兵衛のおじさんのいたのは川越。これは三木助も同じ。しかし、喜多八は高崎としていた。そして源兵衛が間男をした先の侍の名は小さんが小柳彦九郎、弟は大五郎。三木助は石坂団右衛門、大助。喜多八は、聞き違いかもしてないが、中野団右衛門、大助としていたはず。また、二人を斬って逃亡したという話に、金を盗んだことを省いていた。小さんは、百両盗んだ設定だ。
 師匠小三治のこのネタを知らないので、師匠譲りなのかもしれないが、私としては大師匠の設定を替える必要性を感じない。ネタ出しされていると、先に持っている音源を聞いたりするので、どうしてもこのへんがひっかかる。
 東京で演じられている他の多くのネタと同様、元は上方。三代目小さんが東京に移したわけだが、江戸に似た噺として『庚申待ち』がある。これは五代目志ん生が十八番にしていたが、今は高座で聞くことはなくなった。志ん輔が「古今亭の噺」へのこだわり、ということで復活させてくれないかなぁ、などと思いながら聞いていた。

柳家小菊『粋曲』 (20:30-20:47)
 この人が登場すると一気に会場が江戸の花柳界になったような気がする。十八番の「蛙ひょこひょこ」の三部作で温めておいて、しっとりとした都々逸、さのさでほろっとさせる。中でも都々逸がいいのだ。
 「浮名たてたて 二人の浮名 はたで手出しの出来ぬほど」
 「夕立のざっとふるほど浮名はたてど たった一度もぬれやせぬ」
 大人の世界なのだ。最後は大津絵「明神の御祭禮」で締める多彩な芸に、どうしてもこの人の旦那が憎らしく思えるのは、私だけではないでしょう^^

柳家喜多八『ねずみ穴』 (20:48-21:20)
 「最後は人情噺でごまかすのがよいようで」というマクラが、ネタの順番を替えた理由のようだ。
 先に言っておくと、この噺はあまり好きではない。ドラマティックな悲劇的内容なのだが、早い話が「夢」ということでハッピーエンドに終わるのが、どうもしっくりこないのだ。同じ夢の噺でも『夢の酒』『天狗裁き』『夢金』などは嫌いではない。やはり、滑稽な要素の少ないシリアスな内容を、「夢」で終わらせることに「ほっとする」解放感よりも、「そりゃないだろ!」という思いが強く、途中で噺を聞いていても、「どうせ夢なんだからなぁ」などと思ってしまう。もちろん、人によって好みは違うので、あくまで私のこのネタへの思いである。
 しばらく演じられなかったネタを六代目円生が復活させ、その弟子先代円楽、談志家元と十八番にしており談志の高座は火事の場面が迫力があって評価が高いようだ。喜多八の師匠小三治も持ちネタにあるので、師匠の高座を傍で見て覚えたのだろうか。終演後の「居残り会 分科会」でSさんもおっしゃっていたが、無駄を省いた贅肉のない構成は良かったと思う。竹次郎の田舎言葉は、たとえば談志はもっとくどくなるが、喜多八版は田舎らしさもほどで好印象。兄の因業ぶり(?)も、あっさり目である。これまた好みの問題だが、兄はもっといやらしく描いてもいいように思う。終演時間を少し気にしたのか、本来の構成なのか、火事の場面も非常にあっさりしていた。


 仲入りで喫煙所に行ったところ、伊武雅刀さんがいた。WOWOWの「落語家Xの快楽スペシャル」で喜多八の稽古で『笠碁』を演じたが、なかなか結構だった。師匠の会で、次のネタの勉強かな^^

 さて、終演後は銀座での「居残り会 分科会」。今回はリーダーSさんとSさんのお知り合いである素敵な女性お二人と、私の知り合いのご夫婦を含む六名での楽しい会となった。お店は、以前ブロッサムの小満んと喬太郎の会の後に行った、志ん朝もかつて来たことのある東銀座のお店。名前は教えない^^
 初対面の人たちも、落語や歌舞伎の話ですぐ打ち解けていく。好きな芸能の話と絶品の肴で時間のたつのを忘れ冷酒の空瓶が増えていった。帰る電車の途中で、すでに日付変更線を越えていた。
 なんとか朝早めに起きて、思い出しながら書いている次第。喜多八も元気だったし、「居残り会 分科会」も素敵な女性陣に囲まれ誠に結構でした。

p.s.
あらためて、先代柳朝版『宿屋の仇討』を聞いた。うかつだった。源兵衛のつくり話の舞台は高崎だ。神奈川宿の宿の名も菊屋で喜多八と同じ。源兵衛が斬ったという侍の名が三浦忠太夫、弟は大蔵(たいぞう)と違うが、万事世話九郎が前日に泊まった小田原宿の宿の名が浪速屋であることや江戸っ子三人衆の科白を含め、喜多八は柳朝の型によく似ている。もしかすると、柳朝に稽古をしてもらったのだろうか。てっきり、大師匠小さんの型と思い込んでいたが、予習(?)が足らなかったようだ。この件、今後もフォローしたいと思う。
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by kogotokoubei | 2012-05-17 09:18 | 落語会 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛