噺の話

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野田“どじょう”首相の沖縄訪問のニュースを見ると、相変わらず政府と沖縄との間に、何とも先の見えないやりとりが続いているのだが、この問題について、今日27日の「内田樹の研究室」から引用したい。内田樹の研究室

 内田樹のアメリカに対する考え方については、以前にTPPの関連から『街場のアメリカ論』を紹介したことがある。2011年12月1日のブログ
 同書の第一章「歴史学と系譜学-日米関係の話」は、トクヴィルの著作『アメリカにおけるデモクラシー』を中心に語られているが、内田のアメリカに関する考え方の源流には、あの本にも書かれていた、アメリカ人の絶えることのない「西へ」の思いを斟酌することで共通していると思う。そして、次の言葉が沖縄問題を考える上でも示唆的だ。

 日本は以来百五十年、アメリカを欲望してきた。
 それはヘーゲル的に言えば、「アメリカに欲望されることを欲望してきた」ということと同義である。


 「以来」というのは「ペリー以来」の意味である。

さて、「内田樹の研究室」から。

沖縄の基地問題はどうして解決しないのか?
沖縄タイムスの取材で、沖縄の基地問題について少し話をした。
この問題について私が言っていることはこれまでとあまり変わらない。
沖縄の在日米軍基地は「アメリカの西太平洋戦略と日本の安全保障にとって死活的に重要である」という命題と、「沖縄に在日米軍基地の70%が集中しており、県民の91%が基地の縮小・撤収を要望している」という命題が真っ正面から対立して、スタックしている。
デッドロックに追い詰められた問題を解くためには、「もう一度初期条件を点検する」のが解法の基本である。
まず私たちは「アメリカの西太平洋戦略とはどういうものか?」という問いから始めるべきである。
ところがまことに不思議なことに、沖縄の基地問題を論じるためにマスメディアは膨大な字数を割いてきたが、「アメリカの西太平洋戦略とはどういうものか?」といういちばん大本の問いにはほとんど関心を示さないのである。


 まず、「原点」に戻って、「なぜ今もなお、日本に米軍基地が、必要なのか」と言う議論などは、政府やマスコミからは聞こえない。
 「内田樹の研究室」は、このあと中国とのiPadの商標権の問題や現在の韓国、フィリピンの米軍基地の現状について触れてから、次のように続く。

これらの事実から言えるのは、「アメリカの西太平洋戦略とそれに基づく基地配備プラン」は歴史的条件の変化に対応して、大きく変動しているということである。
当然、これらの全体的な戦略的布置の変化に即応して、沖縄米軍基地の軍略上の位置づけも、そのつど経時変化をしているはずである。
だが、その変化について、それが「沖縄における米軍基地のさらなる拡充を求めるものか」「沖縄における米軍基地の縮小撤収を可能にするものか」という議論は政府もメディアも扱わない。
というのは、沖縄の米軍基地はこれらの劇的な地政学的変化にもかかわらず、その軍略上の重要性を変化させていないからなのである。
少なくとも、日本政府とメディアはそう説明している。


 なぜ、内田が指摘するような、“本質的”な問題を政府もマスコミも語らないのか。

戦後67年間ずっとアメリカに日本は国防構想の起案から実施まで全部丸投げにしてきた。
自分で考えたことないのである。
国防はもちろん軍事だけでなく、外交も含む。
日本のような小国が米中という大国に挟まれているわけだから、本来なら、秦代の縦横家のよくするところの「合従連衡」の奇策を練るしかない。
だが、「日米基軸」という呪文によって、日本人はスケールの大きな合従連衡のビッグピクチャーを描く知的訓練をまったくしてこなかった。
ここでアメリカに去られて、自前で国防をしなければならなくなったときに、対中、対露、対韓、対ASEANで骨太の雄渾な東アジア構想を描けるような力をもった日本人は政治家にも外交官にも学者にもいない。どこにも、一人も、いない。
だって、「そういう構想ができる人間が必要だ」と誰も考えてこなかったからである。
日本のエスタブリッシュメントが育ててきたのは、「アメリカの意向」をいち早く伝えて、それをてきぱきと実現して、アメリカのご機嫌を伺うことのできる「たいこもち」的な人士だけである。
 (中 略)
基地問題がスタックしているのは、「スタックすることから利益を得ている当事者」がいるからである。
ひとりは「もめればもめるほど、日本政府から引き出せる金が増える」ということを知っている国防総省であり、ひとりは「いつまでもアメリカを日本防衛のステイクホルダーにしておきたい」日本政府である。
交渉の当事者双方が、「話がつかないこと」の方が「うっかり話がついてしまうこと」よりも望ましいと思っているのだから、沖縄の基地問題の交渉は解決するはずがないのである。
悲しいけれど、これが問題の実相なのである。



 たしかに、「話がつかないこと」を望むのが日本政府の実態なのかもしれない。しかし、それを認めるのは、あまりにも情けないし悲しいものだと、内田と同じ日本人である私は思う。

 基地の移設先の論議より、まずアメリカと話し合うべき根本的な問題がある。しかし、対話、あるいは議論できる“器”のある国のリーダーが、今はいない。

 たまたま映画『山本五十六』を見たこともあり、阿川弘之の『山本五十六』や『井上成美』を読み返した。たしかに、結果として日本はあの戦争に突っ走った。しかし、たとえば海軍で米内・山本・井上のトリオが結束していた時には、陸軍や政府やマスコミ、そしてマスコミに煽動された多くの国民が支持した日独伊三国同盟の締結は阻止できていた。しかし・・・・・・なのだ。そして、“沖縄”は、まさにあの戦争の負債である。それを、いまだに日本は払っている。

 そろそろ、「話をつける」時期なのではないか。それをできる“個人”としての英雄が期待できないのなら、日本が得意な“チーム”で、難題に当たるしかないのではなかろうか。天才ではなく、長期的な視野に立てる優秀なリーダーと、献身的に働くメンバーによるチームワークこそ、今は求められているのではないかと思う。モノづくりも含めて、日本はそういったチームの存在が鍵を握ってきたはずだ。

 そろそろ、戦後70年に届こうかという今、「アメリカへの欲望」という甘えを捨てなければ、同じアジアにおいてさえ、中国、韓国や中東諸国のしたたかさに、さまざまな局面で遅れをとるのではないか。いや、エルピーダの件に顕著なように、すでに特定分野では、かつて先頭を走っていた産業がアジアのライバルの後塵を拝している。ビジネスにおいても国を挙げて世界で戦おうと戦略的な手を打っている国と、さまざまな足かせのある状況で個々の企業が悪戦苦闘している日本、そのギャップは余りにも大きい。今や、、戦後の日本が通産省を中心に産官一致協力して世界を相手に戦ったあの姿を、よりドラスティックに展開しているのが、“国家資本主義”と言われる国々の戦略なのである。徒手空拳では、これまでの花形産業が没落の一途となる。

 しかし、現在の政府は東電など“仲間内”の特定企業への配慮は厚いのに比べ、長期的な視野から日本の文化、そしてそれぞれの産業や農漁業を育成しようという展望は、ほとんど見えてこない。沖縄問題はもちろん重要だ。しかし、「話をつける」気がないなら、何らは進展はない。時間と税金の浪費である。そして、政府やマスコミもアメリカばかり見ていては、それこそ方向性を誤る時代に、すでに入っている。日本という国の将来像をしっかり見定め、相手の目論見を見極めてアメリカとの「話をつけ」ながら、他にも考えるべき重要な課題を解決しなくては、気がついた時に日本は、世界に存在意義の薄い極東の島国になるだけであろう。そう考えると、政治家に期待できない分だけ、やはり官僚が鍵を握るように思う。あらためて、震災とフクシマを契機に日本という国をどうするのか、非常に大きな転換期にあると思う。

 沖縄問題から、ちょっと飛躍してしまったが、結構本質的には共通する問題があるように思う。日本の産業の成長のための障壁をなくすという課題や、震災からの復興のための様々な課題なども含め、政府はそれらの課題に関して「話をつけない」、ということを基本としているような気がしてしかたがない。
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by kogotokoubei | 2012-02-27 21:02 | 責任者出て来い! | Comments(2)
通算40回目とのこと。らくだ亭が現在のようなレギュラー制となって日本橋劇場を会場にするようになったのが一昨年5月の第25回からだから、あの後に15回も開催されているわけだ。第25回以降に私が来ることができたのが、25、26、29、30、32、36、37そして今回。第25回から数えて16回の開催で、ちょうど半分の8回の参戦(?)ということになる。ロビーで次回のチケットを販売していたが、時期的に行けそうにないので、やはり行けたり行けなかったりなのだが、この会は非常に好きである。

会場は、ほぼ九割ほどの入りだろうか。構成は次の通り。
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(開口一番 古今亭半輔『初天神』)
雷門花助『薬違い』
柳家喜多八『もぐら泥』
古今亭志ん輔『小言幸兵衛』
(仲入り)
春風亭一朝『三枚起請』
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古今亭半輔『初天神』 (18:50-19:00)
 結構前の方の席だったので、その仕草や表情もよく分かるのだが、着実に成長している印象。師匠の日記風ブログ「日々是凡日」に頻繁に登場するが、“たまごの会”や寄席、師匠の落語会での開口一番などでの修業のせいか、落ち着きが出てきたし、自分なりの工夫をする余裕も出てきたようだ。

雷門花助『薬違い』 (19:01-19:19)
 初めてである。芸協の二ツ目さんで、平成11年入門なので、順調なら来年の真打ち昇進かと思う。珍しい噺を楽しく聞かせてくれた。派手さはないが、なかなか本寸法で落ち着いて聞ける高座。
 珍しいネタなので、少し紹介したい。前半は『肝つぶし』に似ている恋煩いのネタ。八五郎が、長屋の大家(家守-ヤモリ-)越後屋の娘を、夢で見るほど好きになってしまう。兄貴分と熊さんが八五郎をなんとか助けようとするドタバタが筋。八五郎が、娘に会いたい一心で越後屋に日参し煮豆を買ってくるのだが、その豆が娘の顔に見え出し、心配してやって来た兄貴の顔さえ娘に見えてくるといった部分は、『崇徳院』と同じような科白が展開される。兄貴は熊に、惚れ薬と言われる「イモリの黒焼き」を買って来させ、ちょうど熊の女房が仕立て直している越後屋の娘の着物にふりかけて納めさせた。果たして、越後屋の娘から八五郎への呼び出し。喜び勇んで訪ねた八五郎に、何と娘の話とは・・・たまった店賃の催促だった。
 実は、熊五郎が間違って、イモリではなくヤモリの黒焼きを振りかけてしまったのだった。「ヤモリ、道理で店賃の催促をするはずだ」でサゲ。
 この人は配布されたプログラムのプロフィールで、「勉強熱心で『写真の仇討』『両泥』などの珍しい噺を開拓している」と紹介されているが、なかなか稀有な存在と言えるだろう。やや停滞気味の芸協、こういう若手の頑張りには期待したい。

柳家喜多八『もぐら泥』 (1920-19:47)
 前の方の席だったので、その顔色や表情が鮮明に見えるのだが、どうしても“やつれ”を感じた。いつもの“演技としての病的さ”ではなく、本当に「病が癒えていないのではないか?」というのが第一印象。
 しかし、本編は相変わらずの大熱演。ニンな泥棒ネタだし、この噺は現役でトップかと思わせる高座。無理に笑わせようとしているのではないのだが、例えば、腕を軒下に入れたまま細引きで縛られ身動きできない泥棒が、悪あがきで、「子分が六十五人いるんだ!」とか「火をつけるぞ!」などと脅し文句を言った後、家の主に反撃されて、「うそです!」と謝る場面などは、何とも言えない“間”と仕草が絶妙である。細引きを引く主、軒下にうずくまる泥棒の場面展開も、結構ゆっくりとした動きなのだが、滑らかに筋をつないでいく点も見事。夫婦が寝てしまい、野良犬や酔っ払いが登場する後半の展開も楽しく、十八番の泥棒ネタを十分に楽しませてもらった。もちろん、年間マイベスト十席の候補である。
 しかし、持ち時間は30分かと思うのだが、少し余らせて終ったことや、終演後“よろっ”としながら上手に去って行く後姿は、演技ではなく目一杯のパワーを使いきった疲れのように見えたのが、気がかりではある。

古今亭志ん輔『小言幸兵衛』 (19:48-20:20)
 マクラで、かつての名人、小さんや志ん生の“小言”の仕方を披露し本編へ。長屋を一回りしながら、のべつ小言を撒き散らす幸兵衛の姿は、師匠志ん朝や文楽などと違って、やや“尖った”幸兵衛像だった。持ち味の顔の表情もふんだんに見せながらで、私は楽しかったが、人によっては好き嫌いが出る演出かもしれない。ちなみに終演後の「居残り分科会」でSさんは、小言の言い様のギスギス感に、あまり感心されていなかった。このへんは、昨年、師匠志ん朝没後十年が経過し、それまで師匠の落語を踏襲しようともがいていた“肩の荷” を下ろし、自分なりの噺をしようとしている新たな志ん輔落語づくりの途上なのではないか、と私は思っている。こういう幸兵衛像もあり、かもしれないし、もちろん今後も少しづつ変わっていくのだろう。
 貸家を借りに来る一人目の豆腐屋の荒っぽさ、二人目の仕立て職人の馬鹿丁寧さは、本寸法。「仕立て屋でいとなむ、大工ならたてなむ・・・飛行機はパンナム」で沸く会場に、お客さんの平均年齢の高さが現れていた。もちろん、私も含めて。
 仕立て屋の倅と古着屋の娘が心中をする、という幸兵衛の妄想部分はサゲ前のヤマだが、芝居仕立ての演出で、真言のお経「おんあぼきゃべいろしゃのうまかぼだら(以下割愛)」を唱える志ん輔はいかにも楽しそうで、「きっとこの場面が好きなんだろうなぁ」と思わせた。
 全体としては悪くない高座だと思うが、私としては、古今亭ならではの『搗屋幸兵衛』をかけて欲しかった。『小言』であれば、一昨年10月、同じ“らくだ亭”第29回における小満んの名演、もっと遡ると2007年6月前進座での親子会における喬太郎の高座が記憶の中で光っている。そうだ、喬太郎のこの噺には、今年ぜひ巡り合いたいものだ。

春風亭一朝『三枚起請』 (20:34-21:10)
 お約束の「一朝懸命・・・」の後、この噺のサゲのために必要な「起請文」のことや「熊野の誓紙」、そして熊野の烏のことを、しっかりと解説。決まりごととも癒えるが、この人の丁寧さが好きだ。
 棟梁、唐物屋の“亥の”さん、経師職人の清公の三人が、吉原の喜瀬川花魁から同じ「起請文」をもらっていることが分かり、どう懲らしめてやろうか、と相談するのが前半。
 特に、清公が妹を巻き込んで、喜瀬川に頼まれた二十両をこしらえる件が、聞かせどころなのだが、お家芸(?)とも言える江戸っ子の啖呵で会場を沸かせる。
 三人が吉原のお茶屋に乗り込み、亥のさんと清公が隠れ棟梁が一人待つ部屋にやってきた喜瀬川が、次のように語る。「~丁子が立ったから待ち人が来るかと思っていたら、やっぱり棟梁が来てくれた~」。この科白は今日では分からない人が多いかもしれないなぁ。こういう時に頼りになるのが、度々お世話になる、河合昌次さんの「落語の舞台を歩く」のサイト。このネタのページには、しっかりと丁子の写真入りで次のような解説がある。「落語の舞台を歩く」の『三枚起請』のページ
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*写真は丁子。「落語の舞台を歩く」より借用。

丁子(ちょうじ);丁子(clove)はフトモモ科の熱帯常緑高木。高さ数m、枝は三叉状、葉は対生で革質。花は白・淡紅色で筒状、集散花序をなし、香が高い。花後、長楕円状の液果を結ぶ。開花前の蕾(ツボミ)を乾燥した丁香(クローブ)は古来有名な生薬・香辛料。果実からも油をとる。黄色の染料としても使われた。

ちょうじ‐がしら【丁子頭】灯心のもえさしの頭にできた塊。形が丁子の果実に似ているからいう。俗にこれを油の中に入れれば貨財を得るという。灯花。広辞苑
これを”丁子が立つ”という。同じ縁起を担ぐのに、「茶柱が立つ」。


 灯芯の燃えさしの先が固まって丁子の実のように見えることが「丁子が立つ」ということで、吉兆とされている。ちなみに、この言葉を聞いた亥のさん、戸棚から顔を出し、「ねぇ、棟梁、丁子は三本立ったかしら?」と余計なことを言い、棟梁に「馬鹿、引っ込んでろ!」と叱られる。
 なお、「落語の舞台を歩く」で、このネタの高座として紹介されているのは古今亭志ん朝、これまたうれしい。同ページには熊野の誓紙の写真もあるので、興味のある方は、ぜひご覧のほどを。
 さて、一朝の高座、大変結構でした。江戸っ子の啖呵とリズム、こういう噺では、はずすことのない人。一之輔が一人真打ち昇進で今春抜擢されるのは、この師匠がいたからなのだ、と思っている。今年のマイベスト十席候補としたい。 


 この会は、安心して楽しめる落語会の一つであり、たまたまブログを書き始める前、2007年7月に江戸東京博物館で開催された第一回の小三治一門会に参加している縁もある。木戸銭も手頃だし、場所も結構。そう、終演後も楽しい場所なのだ。落語ブログ仲間のSさん、そして紅一点Iさんとの「居残り分科会」は蕎麦屋さんの二階。最近では、なかなかお目にかかれない大ぶり(昔なら、中ぶりかな)のハタハタ塩焼きや、分厚いブリの刺身などと落語の話を肴に、楽しい会話は時間を忘れさせる。Iさんからは、一朝が時代劇などの「江戸ことば」指導もしていると教えられた。帰宅して調べたら、「龍馬伝」などでクレジットされていることを知る。あのドラマは今一つ見る気になれなかったこともあり、まったく知らなかった。Sさんも一時崩していらした体調が、ほぼ復活されたようでお元気。酒の銚子も知らず知らず(知っていながらだが^^)空いていく。締めのビールの時には、Sさんから上手いビールの注ぎ方、飲み方をご教授いただいた。これが、本当に上手いのだ。そんなこんなで、もちろん、帰宅は日付変更線を超えたのだった。
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by kogotokoubei | 2012-02-22 18:06 | 落語会 | Comments(9)
今日2月19日は、早熟のトランペッター、リー・モーガンの命日である。

 マイケル・カスクーナと油井正一さんの共著『ブルーノートJAZZストーリー』(新潮文庫)から引用する。

 1972年2月18日、フィラデルフィアのクラブ“スラッグス”に出演中、14歳年上の妻ヘレンに射殺されて34歳の生涯を閉じたリー・モーガンは、1938年7月10日、ペンシルバニア州最大の都市、フィラデルフィアに生まれた。
 (中 略)
 1956年10月、17歳の時にガレスピーのバンドに迎えられ、その1カ月後にはブルーノ−トに初リーダー盤<インディード!>を吹き込むほど早熟な“恐るべき子供”だった。

*原文のママなのだが、1956年10月には、彼は18歳。 

 妻が彼を撃ったのは1972年2月18日だが、運ばれた病院で死亡が確認されたのは日付が替わって19日午前2時45分と言われている。なお1938年は昭和13年、だから古今亭志ん朝と同じ年の生まれである。

 ブルーノートに数多くのリーダーアルバムを残しており、ベストセラーは何と言っても1963年の「The Sidewinder」だが、私は1957年に収録された次の3枚のアルバムが好きだ。収録順に3月の「Lee Morgan vol.3」、9月「The Cooker」、そして11月(および1958年2月)の「Candy」である。

 その中で一枚に絞るなら、やはり「Lee Morgan vol.3」になるなぁ。共演のBenny Golson(ts)、Gigi Gryce(as,fl)も含め、どの曲も素晴らしい。そして何と言っても、前年1956年6月26日に亡くなったClifford Brownに捧げるBenny Golson作「I Remember Clifford」が入っているのだ。
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Lee Morgan vol.3
(BN1557)
1 HASAAN'S DREAM
2 DOMINGO
3 I REMEMBER CLIFFORD
4 MESABI CHANT
5 TIP-TOEING

LEE MORGAN(tp)
BENNY GOLSON(ts)
GIGI GRYCE(as,fl)
WYNTON KELLY(p)
PAUL CHAMBERS(b)
CHARLIE PERSIP(ds)
Recorded in March 24th, 1957
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I Remember Cliffordをお聴きください。とても18歳のプレイとは思えない。

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by kogotokoubei | 2012-02-19 16:59 | 今日は何の日 | Comments(0)
この会は三年続けて来ている。三人の顔ぶれが良いと思うし、都合が合う“縁”にも恵まれているのだろう。会場は、正直なところ広すぎて落ち着かないが、一昨年の文左衛門の『らくだ』、昨年扇辰の『明烏』などの高座に出会えていたので、今年も楽しみにしていた。もちろん、喬太郎の“古典”への期待もあった。二年前は『幇間腹』、去年は『ハンバーグができるまで』だったが、先にあげた他の二人の高座の印象の方が強い。
 この会は単に人気者を集めたというより、それぞれにライバル意識のある年代の近い三人を競わせているような意図を感じるので、それぞれの一席への意気込みが他の落語会とは違ような、そんな気がするのだ。

 ホールの一階ロビーで大きな声が聞こえてきた。文左衛門が2月20日に谷中で行われる兼好との二人会のチケットを自ら売っていた。一瞬「おっ」と思ったが、行けそうになく大きな声を背に受けて会場の中へ。入りは一階で九割位だろうか。

さて、今回の構成は次の通り。
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(開口一番 入船亭辰じん『道灌』)
入船亭扇辰  『夢の酒』
橘家文左衛門 『竹の水仙』
(仲入り)
柳家喬太郎  『死神』
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入船亭辰じん『道灌』 (18:45-19:00)
 先日、この秋に二ツ目になることを書いた。2012年1月30日のブログもっとも期待する若手だが、なんと昨年のこの会以来。一時は、私が行く落語会で続けて聞いていたこともあるので、巡り合わせなのだろう。また、この人の実力を評価している先輩からあちこちで声がかかって忙しくしているのではないか、とも思う。定席は鈴本が多いようなので末広亭をホームグランド(?)にしている私が出会う機会が少ないのかもしれない。
 やはり、この人は良い。そして、成長している。科白が大きな声で明確であるという基本を守り、歯切れの良いリズムや緩急のついた演出など、高座からは余裕のようなものを感じる。同時に二ツ目になる他の三人とはもちろんだが、先輩の二ツ目の中に入っても、十分に上位にあると思う。小三治改革での抜擢真打昇進、次はこの人でなかろうか、と思っている。

入船亭扇辰『夢の酒』 (19:01-19:34)
 さっそくロビーでチケットを売っていた文左衛門のことをイジル。「危ない者がロビーにいたので、皆さん懐中のものにご注意を」、で会場が沸く。このへんが上手い。
 「紅白に出たんですよ。それもなぜか末広亭で司会が玉置宏さんで・・・・・・」という、自分がみた不思議な夢の話になったので、「おっ、『天狗裁き』か、それとも『夢の酒』、あるいは『心眼』でもやってくれるか?」と思っていたが、このネタ。
 見事、としか言いようがない。このネタのことは、ブログを書き始めて間もない頃に書いたことがある。筋などに興味のある方はご覧のほどを。2008年6月13日のブログ
 その時も書いたが、このネタで思い出す噺家は、何と言っても文楽(もちろん八代目)。現役では市馬がなかなか良いと思っている。しかし、この扇辰の高座を聞くと、現役トップはこの人、と言ってよいかもしれない。先輩扇遊も結構だが、扇辰の高座の奥深さ、とでも言うような味わいは他の人に秀でているように思う。
 大黒屋の主、その息子の若旦那に嫁のお花。そして夢の中で登場する向島の艶っぽい女、その家の下女。この五人の登場人物が全てしっかりと描かれているのはもちろんだが、声と演技の緩急の見事さ、科白を抑えた顔だけでの表現力、など、この高座には扇辰の持つ技量というか持ち味がふんだんに盛り込まれていた。特に女性三人の描き方が何とも結構。もちろん、今年のマイベスト十席の候補とする。

橘家文左衛門『竹の水仙』 (19:35-20:15)
 冒頭、「本番前にロビーで声をからしてしまって」という言訳を聞いて、去年も「二時間前に注射を打って」とか何とか言っていたことを思い出した。この人は“喉”が弱いのかもしれないが、冒頭で声が出ないことを詫びるのは先代文楽の真似ではなかろうが、あまり感心しない。キャラ的には、文楽よりは、酔っ払って高座に上がろうが言訳などはしない志ん生に近い(と思われている)のではないかと思うので、実際は繊細な神経の人なのだろうが、一切エクスキューズなどなしで語って欲しいと思う。プロ、なんだから。
 ネタは講釈から落語になった左甚五郎モノの一つ。主な甚五郎の噺となると三つあるが、時間経過の順で『竹の水仙』『三井の大黒』『ねずみ』となる。喬太郎の『竹の水仙』は定評はあり、文左衛門としては、喬太郎への挑戦という意識もあったかもしれない。
 宿を鳴海の大杉家(?)としたが、東京落語での本寸法は藤沢の大黒家のはず。誰の型なのか知らないが、五代目小さんの音源が好きな私としては、少し違和感がある。まぁ、それは良いとしても、少しガッカリの高座だった。喉の調子なのか体調が良いとも見えなかった。この人の持ち味が裏目に出た、やや乱暴でガサツな印象。
 宿の主人が「養子」ということで、甚五郎に、「おい、養子」と何度も言わせたり、細川越中守の使いの武士の名が上田馬之助だったり、随所に他の落語ネタ(『道具屋』や『そば清』、『火焔太鼓』など)をクスグリで入れ込んで会場の笑いは取ったが、私はあまり笑えなかった。
 この人なら、あのように無理に笑わせようとする演出などしなくても、十分に本寸法な芸で勝負できるはず。発展途上のネタなのかもしれないが、喬太郎を意識しすぎたと思える独自の演出の効果はあまりなかったように思う。

柳家喬太郎『死神』 (20:30-21:10)
 昼間の学校寄席のマクラから始まった。とある高校での会だったようだが、その学校の最寄の某駅(実名を最後は明かしたが、伏せておこう)近くの薬局の手作りのポスターの可笑しさや、駅で声をかけられた高齢の男の奇怪な行動などで会場を沸かす。なお本編では、この男が放った奇妙な言葉が呪文として採用された。
 さて、12分のマクラの最後で、「受験も神頼み、神にもいろいろありまして」とふって本編へ。まさか、『死神』とは、とまず身震いした。とにかく喬太郎演じる“死神”の薄気味悪さが、何とも出色である。
 見た目においては、背を丸め頭を落し気味にして少し上目遣いの表情の、瞼の盛り上がった部分が白目のように見えるのだが、それが効果的。そして、あの低い声。地獄から響く声のトーンを意識しているのだろうが、その効果は十分にあったと思う。
 筋は詳しく書かないが、男が死神との約束を破って救ってしまう、死神が枕元にいた病人が鼈甲問屋の近江家卯兵衛であるとか、サゲ前に洞窟に並ぶ蝋燭の中で最近消えたばかりに見える蝋燭の人の名がホイットニー・ヒューストンなど最近の故人であるなどのクスグリを盛り込んではいたが、基本は本寸法。サゲも効果的だった。
 今年、“古典”にかける喬太郎の意気込みを十分感じた高座は、もちろん年間マイベスト十席の候補である。

 
 今回は終演後の「居残り会」がないので、素面(しらふ)で帰宅の電車に乗りながら、早く気持ちの良い酒を家で飲みないなぁ、と思った。そして三人の高座を酒に喩えたらどうなるか、とつまらないことを考えていた。

 扇辰の『夢の酒』で見せた高座は、同じネタでも年を重ねて醸成されて馥郁たる香りと深い味わいがでてきた、しかし後味は清冽、そんな純米大吟醸のような印象。
 文左衛門は、たぶん冒険を覚悟の演出なのだろうが、酒で言うなら、まだ若くアルコール添加量の多い新酒、といった趣。
 さて喬太郎の『死神』。酒で言うなら、麹や酒造米などの素材について毎年いろいろ試しながらもっと上手い酒を求める杜氏が、今年の酒はこれ、と造った本醸造なのだが、来年は違ったアルコール添加や素材や作り方で別の味になるかもしれない、そんな印象。しかし、杜氏喬太郎は、これまで米の焼酎づくりやカクテルなど、いろいろ新しい酒づくりに挑戦してきたが、今は日本酒づくりに賭けよう、と思っている。そんな感じだろうか。

 しかし、私が帰宅して飲んだのはビールとワインだった。それでもいい気分になって、ブログは翌日書いている次第。ついつい長くなってしまった。それだけ、いろいろと書きたいことのある会だった、ということなのだろう。
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by kogotokoubei | 2012-02-18 08:24 | 落語会 | Comments(6)
春風亭昇太が、昨日のイベント(「落語会」とは言えないなぁ)で「城好きの人」という歌を披露したらしい。SANSPO.COMの該当記事

春風亭昇太、デビュー曲「城好きの人」披露
2012.2.14 05:01

 落語家、春風亭昇太(52)が13日、東京・渋谷のさくらホールで開いた落語会で、同日発売された配信限定の歌手デビュー曲「城好きの人」を初披露した。

 城マニアの昇太が、普段から訪れる山城に思いをはせて作詞したムード歌謡。独身だけに「愛や恋ならすんなり書けなかった」と自虐的にアピール。親交があり、32歳年下の一般女性(24)と結婚したタレント、ラサール石井(56)について聞かれ、「僕も可能性を秘めている。年の差婚ができるのは笑点メンバーで僕だけ。うらやましいと言わせたい」と触発されたようだ。
(紙面から)



 「城めぐり」が大好きなのはつとに知られたことでもあるし、趣味を持つことはもちろん悪いことではない。

 しかし、そうした“私”としての昇太の活動の華やかを見ていると、昨年末の協会の納会における末広亭席亭からの“檄”とも言える苦言を聞いた、協会の理事という“公”としての彼は、落語芸術協会の実態について、どれほど危機感を持っているのか、という素朴な疑問を持った。
 
 落語芸術協会ホームページのプロフィール欄には、次のような出演情報が記載されている。
落語芸術協会HPのプロフィールのページ

出演が予定されている定席
浅草演芸ホール四月上席 前半 4月1日~5日

出演が予定されている落語会
2012年2月18日春風亭昇太独演会 昇太のらくごINにほんばし
2012年2月21日春風亭昇太独演会
2012年2月22日春風亭昇太独演会
2012年2月25日いちはら名人寄席 小遊三・昇太二人会
2012年2月29日春風亭昇太・林家たい平二人会
2012年3月22日春風亭昇太独演会



 予定されている定席は、二ヶ月近く先、4月上席前半までないらしい。

 ちなみに、会場表記のない落語会の場所は、2月21日が水戸、22日は大宮、29日は町田、そして3月22日は横浜は関内ホール(大ホール)である。

 本人のホームページには、他の予定も記載されており、たとえば、3月2日・3日は毎日新聞社主催「渋谷に福来たる」に出演、また3月28日・29日は名古屋で「オレスタイル」などが予定されている。春風亭昇太公式ホームページ

 「笑点」やNHKの番組での露出の多さもあり、人気は全国区と言えるだろう。SWAでの活躍も、“新作の芸協”の中堅としての面目躍如と言えるかもしれない。都内の人気者大好きの興行会社や地域のホールが昇太のスケジュールを奪い合う状況は分からないではない。地域落語会で、その場所に「城」があれば、本人も出演に動機づけられもしよう。

 しかし、昇太は芸術協会の“理事”であることを考えると、あまりにも「定席」への出演が少ないのではなかろうか。昭和34年生まれ、今年53歳になる、協会の幹部なのである。

 末広亭の真山席亭が、芸協主催の寄席の客の入りの悪さから、立川流や円楽一門との合同開催までを要望する事態だが、もし、主催する定席の観客動員を考えるのなら、芸協は外に目を向ける前に、まず芸協の売れっ子昇太を定席にもっと出るようにすべきだろう。

 では、それを昇太に言うのは誰か?
 
 そうなのだ。会長も副会長も「笑点」仲間。彼らは後楽園ホールや地域落語会で顔を合わせることも多い、“売れっ子”だ。しかし、芸協の幹部でもある・・・・・・。
 
 先日紹介した朝日の記事にある小遊三副会長の「重く受け止めたい」という言葉が本当なら、「笑点」仲間で開催される落語会の回数を減らしてでも、会長歌丸や副会長小遊三、そして理事である昇太という“テレビの顔”が定席にもっと出演することが、協会独自の観客動員策として優先事項のように思う。彼らの落語会を楽しみにしている落語愛好家も多いとは思うが、何も、「笑点」メンバーばかりが落語家ではない。地域落語会の主催者の方は、テレビには出ていなくても達者な落語家さんを地元で紹介することが、落語愛好家の裾野を広げることになるということを、長い目で考えていただきたい。

 もちろん、協会所属の噺家のレベルとモラルの向上のための施策も重要だが、それは息の長い仕事であり即効的な効果は期待できない。

 鈴本以外の定席三席が、落語協会と芸術協会に同じ機会の出演枠を提供しているのに、客を呼べる“顔”がほとんど独演会や地域落語会に飛びまわっている、そのこと自体にメスを入れずにして解決はあり得ないだろう。
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by kogotokoubei | 2012-02-14 18:00 | 落語芸術協会 | Comments(8)
当初、この日は都合が合わずに来れないかと思っていたが、なんとか来ることができた。それも、昨年末に今松の末広亭での会でお誘いいただいた落語ブログ仲間のYさんも遠くから遠征しての参戦。
 そのYさんの思いが伝わるような、滅多に出会えない高座に巡り会うことができた。

 九割ほどの中々の入りだった通算157回目の会は、次のような構成だった。
--------------------------------------
(開口一番 古今亭きょう介 『たらちね』)
むかし家今松 『後生鰻』
柳亭燕路   『猿後家』
(仲入り)
柳亭燕路   『やかんなめ』
むかし家今松 『子別れ-通し-』
---------------------------------------

古今亭きょう介『たらちね』 (14:00-14:11)
 去年8月の横浜にぎわい座での白酒の会以来。同じネタだっただが、今回の方が短縮版。「今朝は怒風激しうして小砂眼入す」もカット。しかし、内容は前回よりずっと良かったように思う。もちろん、細かい部分はいろいろ注文があるが、なかなか落語家らしくなってきた、そんな印象。

むかし家今松『後生鰻』 (14:12-14:28)
 昨年の転変地変のことから日本人の神頼みのこと、といったマクラから、「えっ、もしかして昨年末末広亭と同じ『風の神送り』か!と思ったが、なんとこのネタ。
今では寄席でもなかなか聞けないネタではなかろうか。志ん生の音源では聞いているが、生の高座では珍しい。
 殺生の大嫌いな隠居が、鰻屋のネタを買い上げて川に逃してやるくだり、「うなぎ」の後に「どじょう」と続くき、さりげなく「今どき、どじょうは評判悪いからね」と言うクスグリに、私は“クスッ”とした。
 古今亭一門の噺家さんに寄席でもっとかけて欲しい志ん生ゆかりのネタ、なかなか結構でした。二席目が何か、非常に楽しみになった。(しかし、まさかあのネタとは・・・・・・。)

柳亭燕路『猿後家』 (14:29-14:52)
 この噺は、正直なとことろ、あまり好きではない。それは、“後家”さんの描き方にもよるが、ネタそのものが、ある意味で“イジメ”の内容で、あまり明るくない。
 しかし、燕路の女将さんの描き方は、なかなか良かった。以前に志の輔で聞いたこともあるが、やはり噺が暗くなってしまって感心しなかった。しかし、燕路は女将さんの描き方が適度に愛想があり、全体として印象が明るい。貸本屋の善公や番頭もしっかり生きていて、燕路の飄々とした高座はこのネタの可笑しさを見直させてくれたような気がする。

柳亭燕路『やかんなめ』 (15:04-15:24)
 別名『癪の合い薬』。上方では『茶瓶ねずり』とも言うらしい。東京では、今や“小三治一門”のネタと言っていいかもしれない。喜多八もよくかける。二代目小文治も得意にしていたようだが、音源は残っていないように思う。とにかく、落語らしい、馬鹿馬鹿しさで笑えるネタ。燕路の高座に会場はしっかり暖まった。さぁ、燕路が短い噺で切り上げた後、今松のトリのネタは何か、と期待が膨らんだ。

むかし家今松『子別れ~通し~』 (15:25-16:25)
 とにかく驚き、感心し、感動もした高座だった。落語と川柳がともに世の中を斜に構えている点で共通している、と話題をふって、吉原の話に入り、「弔いが 山谷と聞いて 親爺行き」や「弔いが 麻布と聞いて 人頼み」などの川柳から本編へ。
 昨年末の末広亭で『風の神送り』を聞いた時は、他の人がやらないような珍しいネタを、何とも淡々と聞かせる不思議な噺家さん、という印象だったが、今回は“うれしい誤算”というか、この人の奥深さのようなものを、まざまざまと見せつけられた圧巻の高座。
 今回は色物が入らなく3時半前に高座に上がったので、おそらく長講だろうとは思ったが、まさか“通し”とは。熊が弔いで酔っ払って紙屑屋の長さんと吉原に乗り込むまでの(上)を聞きながら4時に近づき、「せいぜい上のみ、もしかすると中でサゲるだろう・・・・・・」と思っていたが、淡々とはしながらも、その熱演は終わることがない。
 前の方のパイプ椅子に座ったので、表情も動作もしっかり確認できたが、無駄はないが、しっかりとした効果的な演出が光った。“中”の「浮名のお勝」の部分はあっさりとしてはいたが、あの場面はあまり盛り上がらないので、あれで結構。締めの『子は鎹』の亀吉の可愛さも程良く、無理に泣かせようとしない演出で夫婦はヨリを戻し、めだたしめでたし。
 きっかり1時間の高座に堪能した。もちろん、年間マイベスト十席の候補である。


 これだから、地域の落語会は、あなどれないのだ^^

 『子別れ』はご存知のように、本来は長い噺。(上)(中)(下)にはそれぞれ『強飯の女郎買い』『浮名のお勝』『子は鎹』の名がついている。通し口演は、有名なところでは下北沢本多劇場での小三治の高座のCDが発売されている。当時ソニーの京須氏に説得された小三治が、口演ぎりぎりまで山篭りをしたという逸話があるが、ご興味のある方は、以前のブログをご参照のほどを。2009年4月21日のブログ
 また、権太楼・さん喬の鈴本でのリレー落語もCD化されており、なかなか楽しい。志ん生の音源もあるようだが、私は聞いたことがない。珍しいところでは、権太楼の『浮名のお勝』を、NHK「日本の話芸」で観たことがある。そういえば、小三治のことを書く直前、権太楼のこのネタのことや、『子別れ』の作者などについても書いた。2009年4月18日のブログ
 いずれにしても、“通し”は滅多に聴けない大作。まさか、座間で(こう言うと大変失礼ですが)、今松の出色の『子別れ~通し~』に出会えるとは思わなかった。

 終演後は、前日から「座間で何かが起こる」と予感して長躯遠征してきたYさんと、もちろん“居残り会”。せっかくなので座間市に感謝の気持ちで相武台駅近くの居酒屋さんに飛び込んだところ、そのお店のご主人が大の落語好き。美味しい酒肴と落語談義で会話は大いに盛り上がったのは言うまでもない。あぁ~、何ともありがたい一期一会であった。
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by kogotokoubei | 2012-02-12 17:18 | 落語会 | Comments(6)
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*BSジャパンのサイトより

 BSジャパンの「今どき落語」、今夜は“立川談志 追悼特別編”「談志の落語なら、この一席」だった。BSジャパンのサイトの該当ページ
 
 なかなかおもしろい試みだと思う。その内容が、二つの飲み会と談志の高座の一部で構成されているとしても、この時期まで家元は“死してマスコミを走らせ”てくれている、ということか。

 まず、俳句仲間「駄句駄句会」の飲み会から始まる。と言うか、この会が番組の主役。

 メンバーに、「談志の、この一席は?」という質問。

 この会の主宰者の山藤章二は、なんと「よかちょろ」。文楽のこのネタが出るとは意外!

 次は野末陳平。「青龍刀権次」。聞いたことがない。

 高田文夫は、この会ではなんとも控えめ。学生時代、あの右朝との二人会をやる時に談志からもらった丁重なネタに関する指導の手紙の想い出を語り、「居残り佐平次」。

 島敏光は、「権兵衛狸」。

 立川左談次は、「黄金餅」。
 
 名前は知っているが初めて拝見する木村万里は、カテゴリー別にいろいろ挙げたなぁ。一席には絞れないということなのかもしれないが、やはり決めなきゃ・・・・・・。

 吉川潮、「人情八百屋」。珍しい浪曲からの噺、と言うことで。
 *当初『人情長屋』と誤って記しておりましたが、4kさんにコメントでご指摘をいただき訂正いたしました。 

この後に、高座の断片が放送された。「黄金餅」の言い立てなど。志ん生の真似も、少し。

 その後に、バー「美弥」で、左談次、ぜん馬、談四楼、談幸の、ちょっとだけの談話。

 次に、また談志の高座のカット。「居残り」「らくだ」など。

 また、「駄句駄句会」に戻る。

 山藤さんも、結構なお歳になったなぁ。今月20日で75歳。談志の一歳年下、志ん朝の一歳上、木久扇と同じ年の生まれ。「落語ちゃんちゃかちゃん」のことを話していらっしゃった。

 談志の“一席”、これだって人それぞれの「思い」や「体験」とつながっているので、人によってネタは違って当然。“古今亭十八番”も“志ん朝十八番”も、もちろん人それぞれだと思う。

 そういう、“あの時のあの噺”、という後々までも思い出すことのできる高座に、一席でも多く出会いたいと思う。一杯やりながら、そんなことを思ってこの番組を見ていた。
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by kogotokoubei | 2012-02-09 21:48 | テレビの落語 | Comments(7)
先日紹介した朝日の記事と“根(ルーツ)”は一緒なのだが、少しニュアンスの違う記事が読売に出た。なぜか、「ジョブサーチ」というコーナーの「Biz活」“今を読む”というページでの掲載。YIMIURI ONLINEの該当ページ

落語界に再編の風?
文化部 田中聡
 
 その発言は昨年末、落語芸術協会の納会で飛び出した。

 挨拶に立った新宿末広亭の真山由光社長が「落語芸術協会の定席は、落語協会に比べて客入りが悪い」としたうえで、こんな事を言ったのだ。

 「円楽一門会や立川流と一緒になって欲しい」

 この世界、寄席を経営する席亭の言葉は万金の重みを持つ。ましてや公式行事の席上での発言である。芸協の田沢祐一事務局長は、「正式な要請と認識している。検討したい」という。落語界が賑やかになって来た。

 東京の落語界には、4団体がある。柳家小三治会長の落語協会、桂歌丸会長の落語芸術協会、三遊亭鳳楽会長の五代目円楽一門会。そして、落語立川流である。立川流は家元・談志が昨年11月に亡くなって以降、「会長」「家元」は置いていない。

 もとはといえば、円楽一門会や立川流のルーツは、落語協会にある。真打昇進制度などを巡る意見の相違で袂を分かったのである。1978年に三遊亭円生が一門を率いて協会を離脱、円楽一門会の前身の落語三遊協会を作り、83年には談志一門が脱会した。

 円生が脱会する際、三遊協会が落語協会、落語芸術協会とは別個に寄席興行を行うという案があったが、都内4件の寄席で作る「席亭会議」が否決。都内の寄席興行は、その後も落語協会と落語芸術協会が交互に行っている。つまり、円楽一門会と立川流は通常の寄席興行には出演していない。

 落語協会に所属する落語家は約200人、芸協は100人強、円楽一門会と立川流は50人弱。芸協の落語家の数は、落語協会の約半分で、以前から層の薄さを指摘する声があった。単純に数だけで言えば、芸協に円楽一門会、立川流を加えれば、落語協会に肩を並べる。

 さらにいえば、円楽一門会には三遊亭円楽や三遊亭好楽、立川流には立川志の輔や立川談春といった人気者がいる。両会が合流すれば、芸協の顔ぶれは落語協会に引けを取らないものになるし、これまで寄席に出ていなかった実力者の登場は観客増加の起爆剤になる。まあ、真山社長の発言の背景を筆者なりに補足すればこういう事になろうか。

 五代目円楽が亡くなった後、六代目を継いだ今の円楽が一昨年、落語芸術協会の定席で襲名披露興行を行った。このことの意味も大きい。その後、落語芸術協会と円楽一門会は、"業務提携"の可能性を探っていたからだ。合併まではしないが、円楽一門会の落語家を寄席興行に組み入れようという動きである。賛否両論があったこの案は昨年6月、芸協の理事会でいったん否決されたのだが、「真山発言」で再び議論の俎上に登ることになった。

 21世紀も10年以上が過ぎた。昭和の時代の落語界分裂の当事者の多くは、すでに故人となった。一昨年、三遊亭円生の名跡を巡って門下の確執があったように、まだその傷跡は癒えたとは言えないが、徐々に世代交代が進む中で、微妙に情勢は変わりつつあるようだ。

 三遊協会の寄席興行を否定した「席亭会議」をリードしたのは、当時の新宿末広亭の席亭で、「新宿の大旦那」と言われた北村銀太郎氏だった。年月がたち、三遊協会の末裔、円楽一門会の寄席出演の提案をしたのも、同じ末広亭の席亭、真山氏である。歴史の巡り合わせを感じるのは、筆者だけだろうか。

(2012年2月7日 読売新聞)



 発端は、すでに紹介した通り、昨年の芸協納会における末広亭の真山社長の言葉。

 前回のブログでは、他の一門の加盟は無理があるので、あくまで協会の“企業努力”として集客を増やすための施策を実施したり、根本的な組織改革を進める必要がある、と書いた。
2012年1月27日のブログ

 芸協には落語協会を観客動員で凌駕した歴史もあるし、かつて数多くの名人もいた。また、芸協の“新作”へのこだわりは、やはり継承して欲しい伝統でもある。加えて、今でさえ寄席の出番の少ない二ツ目の出演機会がもっと減ることの問題も指摘した。
 その後いただいたコメントへの返信の内容も含め、会長、副会長があの「笑点」を降りて協会の改革に注力するとか、幹部の顔ぶれも刷新し、たとえば春風亭昇太が副会長になるなどの思い切った施策が必要とも書いた。

 しかし、組織改革、などという悠長なことを言っていられる状況ではない、ということなのだろうか。 
 この記事の中の、合併までにならずとも、円楽一門会を芸協主催の興行に組み入れる、ということが、 「真山発言」で再び議論の俎上に登ることになった。 のが事実なら、その後に動きがあった、ということなのかもしれない。

 たしかに、組織改革には時間と労力がかかる。そう簡単にはいかないのも事実。長らく芸人の“置屋”として歩んできた協会の体質は、一朝一夕には変わらないし、会長が何か提案しても、反体制派(?)も少なからずいるだろう。だから、協会の改革などを気長に待っている余裕はない、という席亭達の思いがあるとしても不思議ではない。とにかく、客を呼びたいのだろう。たしかに、六代目円楽襲名披露興行には客が来たのかもしれない。

 六代目円生や先代円楽をよく思わない芸協の噺家は少なくないと思うが、三人の席亭が、「円楽一門と一緒に興行しないなら、寄席に出さない!」と強行策に出たら、彼らも従わないわけにはいかないなぁ。

 さぁ、これからどんな展開を示すのか。

 円楽一門会の顔ぶれを確認したい。以前に存在していた「星企画」のサイトがなくなっているので、Wikipediaから引用する。( )内の人数は幸兵衛の計算。Wikipedia「円楽一門会」
----------------------------------------------------------------------------
構成員
※以下一覧では、孫弟子の見分けとして、《1》( = 鳳楽の弟子)、《2》( = 好楽の弟子)、《3》( = 圓橘の弟子)、《4》( = 6代目円楽の弟子)を末尾に付記。

総帥
5代目三遊亭圓楽(2009年10月29日死去)

会長(1)
三遊亭鳳楽

幹部(4)
三遊亭好楽、6代目三遊亭圓橘、6代目三遊亭円楽(楽太郎改め)、三遊亭楽之介

真打(30)
三遊亭貴楽、三遊亭小圓楽、三遊亭喜八楽、三遊亭五九楽、三遊亭楽麻呂、三遊亭圓左衛門、三遊亭道楽、三遊亭栄楽、三遊亭とん楽、三遊亭楽春、三遊亭洋楽、三遊亭真楽、三遊亭好太郎《2》、三遊亭楽松《1》、三遊亭竜楽、三遊亭良楽、三遊亭愛楽、三遊亭京楽、三遊亭全楽、4代目三遊亭小圓朝《3》、三遊亭鳳好《1》、三遊亭神楽、三遊亭上楽、三遊亭楽生《4》(楽花生改め)、三遊亭圓福(福楽改め)、三遊亭楽京《4》(花楽京改め)、三遊亭兼好《2》(好二郎改め)、三遊亭大楽、三遊亭鳳志《1》、三遊亭王楽

二ツ目(6)
三遊亭楽市《4》、三遊亭きつつき《3》、三遊亭橘也《3》、三遊亭好の助《2》、三遊亭鳳笑《1》、三遊亭楽大《4》

前座(4)
三遊亭一太郎《4》、三遊亭好吉《2》、三遊亭たい好《2》、三遊亭こうもり《2》

色物(1)
ニックス《4》
-----------------------------------------------------------------------------
 計46名。落語家のみで45名。
 
 芸協は、先日のブログでも書いた通り、真打ち86名、二ツ目が31名、前座19名、色物が40組という所帯である。落語家のみで136名。よって、円楽一門を合わせると、落語家が181名ということになる。まだ足らないが、落語協会に迫る“数”にはなる。

 しかし、単純に「噺家の数」の問題ではないわけで、真山社長はじめ席亭は、「観客動員数」の増加を期待しているわけだ。

 円楽一門の中で、芸協主催の席に加わることで、観客増を期待できる噺家とは・・・・・・。

 個人的な好みは別として、「笑点」の二人は、名前だけは売れている。鳳楽も、定席で聞いたことのない人は、最初だけでも「観てみよう」となるかもしれない。もちろん、兼好は動員力は大きいだろう。王楽も、一応、NHK新人演芸大賞受賞者という勲章がある。あと、円楽一門に詳しくなくても落語愛好家が知る名前は、二ツ目ではあるが、きつつきかなぁ。

 もちろん、他の噺家さんも、私を含めて聞いていないだけで魅力のある人もいるのかもしれない。

 しかし、前回も書いたが、上席、中席、下席の十日間通しの寄席で、出演できる落語家枠は、せいぜい12名位なのだ。そして、通例であれば、開口一番は前座。プログラムに載るトップバッターは、二ツ目。ともに、日替わりのことが多い。残る10名の真打枠を芸協と2:1の割合で分けるとして3~4名出演することになる。そうなると、上述したような人たちの誰かと、他の真打との組合せとなるのだろうなぁ。

 そういった番組を組んだ場合、本当に観客動員は増えるのだろうか・・・・・・。最初は興味本位のお客と仲間内も含めて客が来るかもしれないが、果たしてどこまで長続きするだろうか。

 ここからは、個人的な見解。もし、芸協の顔ぶれがそれ相応で、そこに兼好が出演するなら、私は行くことに大いに動機づけられるだろう。元々昨年から芸協の寄席に行く努力(?)もしているのだから。しかし、他の顔ぶれには・・・・・・。

 私の持論は、あくまで芸協の自助努力なのだが、観客動員が減ってさらに定席寄席が減るようなことは望まない。
 立川流は芸協と一緒に寄席興行するとは思えない。芸協が、今回の席亭達の要請に従って円楽一門と手を組むのは、試みとしては面白いかもしれない。少しでも“寄席”が活気づくことを良しと考えることにしよう。しかし、そう簡単に決着はつかないかもしれないなぁ、企業体ではない組織、それも芸人の世界のことだから。
 
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by kogotokoubei | 2012-02-07 17:11 | 落語芸術協会 | Comments(4)
「内田樹の研究室」で久しぶりの更新。2月4日付けで、タイトルは“日本のメディアの病について”。フランスの雑誌 Zoom Japon から依頼された寄稿記事とのこと。「内田樹の研究室」

 読んでいて、「あっ・・・・・・」と言う部分があった。それは、昨日映画「山本五十六」のことを書いていた時に抱いていた、あの映画に「何が欠けているか」という思いに、次の「ゆらぎ」に関する文章が、「そうだ、人間五十六の“ゆらぎ”を上手く描けていないのだ!」と思ったのである。引用する。

生き延びるためには複雑な生体でなければならない。変化に応じられるためには、生物そのものが「ゆらぎ」を含んだかたちで構造化されていなければならない。ひとつのかたちに固まらず、たえず「ゆらいでいること」、それが生物の本態である。私たちのうちには、気高さと卑しさ、寛容と狭量、熟慮と軽率が絡み合い、入り交じっている。私たちはそのような複雑な構造物としてのおのれを受け容れ、それらの要素を折り合わせ、共生をはかろうと努めている。そのようにして、たくみに「ゆらいでいる」人のことを私たちは伝統的に「成熟した大人」とみなしてきた。


 そう、「成熟した大人」として“たくみ”に「ゆらいでいる」五十六像が、あの映画では表現できていなかったのだ。
 気高さと卑しさ寛容と狭量熟慮と軽率が入り混じり、ゆらいでいながら、何とか折り合いをつけている人物が、映画では描けていないのだ。
 それは愛人のことのみならず、である。あの時代、あの立場にいたら、間違いなく揺らがざるを得ない。そして、その振幅は大きいはずであり、「非戦」と「講和」を主張しながらも時代の波に押し流され、「開戦」の火蓋を自らきらねばならなくなった時、彼は大きな“ゆらぎ”の真っ只中にあったはず。あの映画では、五十六の“気高さ”や“寛容”そして“熟慮”の場面は数多く登場するが、“卑しさ”“狭量”“軽率”な姿が極力削除されている。結果として人間五十六の姿が浮かび上がってこない。
 確かに、難しい仕事だが、事実とその背景への考察、いわばデジタルとアナログのハイブリット化が出来なければ、人物も歴史的な事実も立体的に描かないのではなかろうか。

 ゆらぎながらも真珠湾を敢行し、無理と分かっていながらもミッドウェイに向かったはずなのに、その心理描写が皮相的なのだ。ほとんど“英雄崇拝”的な演出は、ラストシーンまで一貫して彼を美化することとなっていた。

 あの映画で私が感じたものは、内田樹の次のメディアに関する指摘にも通じる。

メディアは「ゆらいだ」ものであるために、「デタッチメント」と「コミットメント」を同時的に果たすことを求められる。「デタッチメント」というのは、どれほど心乱れる出来事であっても、そこから一定の距離をとり、冷静で、科学者的なまなざしで、それが何であるのか、なぜ起きたのか、どう対処すればよいのかについて徹底的に知性的に語る構えのことである。「コミットメント」はその逆である。出来事に心乱され、距離感を見失い、他者の苦しみや悲しみや喜びや怒りに共感し、当事者として困惑し、うろたえ、絶望し、すがるように希望を語る構えのことである。この二つの作業を同時的に果たしうる主体だけが、混沌としたこの世界の成り立ちを(多少とでも)明晰な語法で明らかにし、そこでの人間たちのふるまい方について(多少とでも)倫理的な指示を示すことができる。
メディアは「デタッチ」しながら、かつ「コミット」するという複雑な仕事を引き受けることではじめてその社会的機能を果たし得る。だが、現実に日本のメディアで起きているのは、「デタッチメント」と「コミットメント」への分業である。ある媒体はひたすら「デタッチメント」的であり、ある媒体はひたすら「コミットメント的」である。同一媒体の中でもある記事や番組は「デタッチメント」的であり、別の記事や番組は「コミットメント」的である。「デタッチメント」的報道はストレートな事実しか報道しない。その出来事がどういう文脈で起きたことなのか、どういう意味を持つものなのか、私たちはその出来事をどう解釈すべきなのかについて、何の手がかりも提供しない。そこに「主観的願望」が混じり込むことを嫌うのである。
「コミットメント」的報道は逆にその出来事がある具体的な個人にとってどういう意味を持つのかしか語らない。個人の喜怒哀楽の感情や、信念や思い込みを一方的に送り流すだけで、そのような情感や思念が他ならぬこの人において、なぜどのように生じたのかを「非人情」な視点から分析することを自制する。そこに「客観的冷静さ」が混じり込むことを嫌うからである。
「生の出来事」に対して、「デタッチメント」報道は過剰に非関与的にふるまうことで、「コミットメント」報道は過剰に関与的にふるまうことで、いずれも、出来事を適切に観察し、分析し、対処を論ずる道すじを自分で塞いでしまっている。
私たちの国のメディアの病態は人格解離であり、それがメディアの成熟を妨げており、想定外の事態への適切に対応する力を毀損している。いまメディアに必要なものは、あえて抽象的な言葉を借りて言えば「生身」(la chair)なのだと思う。同語反復と知りつつ言うが、メディアが生き返るためには、それがもう一度「生き物」になる他ない。


 「デタッチメント」と「コミットメント」をバランス良く行うのは、確かに至難の技なのだろうし、日本のメディアや、あえて言えば、今日の日本人全体が、“ゆらぎ”のどちらか一方に偏ってしまいがちなのかもしれない。

 ここで指摘される「生身」「生き物」という言葉には説得力がある。そうなのだ、現在の日本のメディアには、“生きた”人間、赤い血の通った人の存在感が希薄だ。落語なら“丸太ん棒”なのだ。
 あるいは、最初は「生身」の感覚で記事を書いたり、シナリオを執筆したりするのだが、次第にどんどん「デタッチメント」化され、対岸の火事を見るような内容に変貌しているのかもしれない。その逆に、最初「デタッチメント」的な視点だったのに、その対象にのめりこみ、完全に当事者と同じ視線になって、木を見て森が見えなくなる、「コミットメント」への傾斜になる場合もあろう。
 
 そういえば、あの映画を観てからネットで少し調べたところ、脚本は相当書き直しをした(強いられた?)らしい。もしかすると、それは、当初存在した「生き物」感を削いでいく作業だったのかもしれない。“ゆらぎ”の振幅がどんどん縮められ、陽と陰、表と裏の双方が大事なのに、部分部分でどちらか一方が残った、そんな気がする。
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by kogotokoubei | 2012-02-06 18:33 | 幸兵衛の独り言 | Comments(6)
長岡に一時期住んだことがあり、連れ合いの実家もある。長岡時代には居酒屋で河井継之助や“米百俵”の小林虎三郎、そして山本五十六の話題を肴に飲むこともあった。河井に対しては、中には批判的な年輩の方もいらっしゃったが、山本五十六についての悪口はほとんど聞かなかったように思う。

 半藤一利と阿川弘之の本も読んでいたので、もうじき上映が終るらしく、後で観なかったことを後悔しないよう、昨日久しぶりに映画館へ行った。いわゆるシネコンなので、昔の映画館のような大きなスクリーンではないが、家でテレビで見るのとは違う。

---ここから先は、この映画のネタバレ注意です。これから観る方は読まない方がよいと思います。---


 上映期間最後の週末の土曜に、一回だけの上映にもかかわらず、観客は十数名。かろうじて“つばなれ”したような閑散とした館内・・・・・・。昨年末の封切り時点では結構観客動員も良かったように思うが、尻すぼみなのだろう。

 ポップコーンと飲み物を買い込んでほぼ真ん中の席で観た。果して2時間半の感想は・・・・・・。
 
 事前にこの映画の評価などは一切読まず、また、「そんなに期待するな」と自分に言い聞かせて行ったのだが、正直なところ、がっかりした。
 
 この映画で、監督他のスタッフは、いったい何を伝えたかったのか。

 監督以下のスタッフとキャストは次のような顔ぶれ。(Wikipediaからの引用。)
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監督 成島出
監修・原作 半藤一利
脚本 長谷川康夫、飯田健三郎
製作 小滝祥平
出演者 役所広司
主題歌 小椋佳『眦(まなじり)』
撮影 柴主高秀
編集 阿部瓦英
特別協力 山本義正
製作会社 「山本五十六」製作委員会
配給 東映
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主要キャスト
山本五十六(聯合艦隊司令長官) - 役所広司
堀悌吉(元・海軍中将。山本と海軍兵学校同期) - 坂東三津五郎
米内光政(海軍大臣) - 柄本明
井上成美(海軍省軍務局長) - 柳葉敏郎
三宅義勇(聯合艦隊作戦参謀)※架空(モデルは三和義勇) - 吉田栄作
山口多聞(第二航空戦隊司令官) - 阿部寛
宇垣纏(聯合艦隊参謀長) - 中村育二
黒島亀人(聯合艦隊先任参謀) - 椎名桔平
南雲忠一(第一航空艦隊司令長官 兼 第一航空戦隊司令官) - 中原丈雄
永野修身(軍令部総長) - 伊武雅刀
牧野幸一(山本と同郷の零戦パイロット。海軍少尉])※架空 - 五十嵐隼士
秋山裕作(「東京日報」記者)※架空 - 袴田吉彦
真藤利一(「東京日報」記者)※架空 - 玉木宏
草野嗣郎(「東京日報」編集長)※架空 - 益岡徹
宗像景清(「東京日報」主幹)※架空 - 香川照之
谷口志津(小料理屋「志津」の女将)※架空 - 瀬戸朝香
神埼芳江(「志津」の常連客のダンサー)※架空 - 田中麗奈
高橋嘉寿子(山本の姉) - 宮本信子
山本禮子(山本の妻) - 原田美枝子
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 いくつかの観点で、この映画への小言を書く。

(1)山本五十六の描き方が、浅い
 もし、“人間 山本五十六”を描きたかったのなら、愛人であった新橋芸者「梅龍」こと河合千代子とのことが一切登場しないのは、まったくもって片手落ちである。
 もちろん“主旋律”にはなりえないが、国を代表して軍縮交渉に臨んだり、海軍内の「艦隊派」と緊張感の続く戦いをする「条約派」のキーマンとしてのストレス、そして、開戦後の司令長官としての葛藤などの“主旋律”は、そういった過度の緊張をほぐすためでもある別の人間五十六の側面があってこそ、ハーモニーを奏でるように思うのだ。大食漢であったとか、ギャンブルが好きだったということに加えて、色街での五十六の姿は欠かせないのではないだろうか。

 半藤一利『山本五十六』から引用する。

 二人が深い関係になったのは昭和九年九月、山本がロンドンの軍縮予備交渉に海軍の主席代表として出発直前であった。詳しくは、当の元梅龍の証言に耳を傾けたほうがいい。沼津在住の医師・望月良夫先生が直接に、戦後は沼津に住んでいた彼女から聞き出した貴重なものである。
「お兄さん(彼女は山本のことを最後までこう呼んだ)と初めて会ったのが昭和五年、私が二十六のときです。何かの送別会だったと思います。威張ってむっつりとしているので、しゃくにさわって誘惑しようときめました。ところが、何回か顔を合わせているうちに、私のほうが参ってしまいました。お兄さんは、『お金がないから援助はできない。妹としてつき合って下さい』と言いました。ロンドン会議へ発つ前夜に結ばれました。そのあと。『妹に手をつけて済まぬ』と畳に手をついて詫びました。それから戦死するまで十三年間(実は八年余)愛人関係にあり、妹のように可愛がってくれました」


 また、阿川弘之の『山本五十六』には、連合艦隊司令長官に任命され、和歌之浦に停泊する艦隊に向かう昭和14年8月31日の行動を書く中で、次のような記述がある。

「かもめ」は午後九時二十分の大阪到着で、山本は同行の女性と副官と三人で、その晩新大阪ホテルに泊まった。


 この女性こそ、梅龍なのである。

 別に、五十六の愛人のことを強調しろ、とは言わない。しかし、2時間半の中に、まったくそのことをにおわす場面やナレーションすらないことに、私は納得できない。

 ご長男が製作に協力することで、家族仲睦まじい食事風景などが描けたとは思うが、あまりにも“良き父”“良き夫”を描こうとする無理を感じる。それ相応の男が妾を持つことに寛大な時代であったし、国の行く末を左右する重責を担う政治家や軍人が、その緊張を緩和する場として夜の花街は重要だったのだと思う。
 五十六の苦悩や葛藤の深さを描くには、あの最中に新橋で芸者と興ずる姿なども不可欠なはず。なぜ、昭和29年の「週刊朝日」で公けになって以来は衆知となった河合千代子との関係を隠すのか、私には分からない。

 加えて、冒頭シーンで、少年期に祖父が戊辰戦争に参戦したことが描かれているが、五十六は山本家の養子になる前は高野五十六であった。その山本家が、戊辰戦争で河井の盟友として戦った山本帯刀の家であることなどは、一切触れられていない。山本家は維新後に廃絶となり、明治16年にようやく家名再興を許された。その山本家を牧野子爵の推薦もあり、大正5年に再興するために養子となったのが五十六である。時に三十二歳。そういった、“賊軍”長岡(牧野藩)が維新後に味わった悲哀をバックボーンに抱えていた五十六の描き方が、やはり不十分である。

(2)海軍の「艦隊派」と「条約派」の葛藤の描き方が、不十分 
 あの戦争は、陸軍の暴走に海軍が引きずられた面もあるが、日露戦争での成功体験にしがみついた「大鑑巨砲主義」にしがみつく海軍内の「艦隊派」の存在も大きい。「艦隊派」に対抗するのが米内光政・山本五十六・井上成美の三人を代表とする「条約派」。アメリカにまともに戦って勝てるわけがない、軍縮比率は米英に比べ国力を考慮すれば日本が6割でも条約に同意すべき、という条約派の、陸軍や艦隊派からの圧力を受けた状況での葛藤の描き方が、あまりにも不十分。陸軍や艦隊派がマスコミを巻き込んで「日独伊三国同盟」賛成の世論を高めていた世情についても、もう少し描き方があったはず。

 少しだけ救われるシーンとして、大正10年、11年のワシントン軍縮会議に参加した加藤友三郎の有名な次の言葉は、一応、五十六から新聞記者宗像(香川)に語られていた。
「国防ハ軍人ノ専有物ニ非ず戦争モ亦軍人ノミニテ為し得ベキモノニ在ラズ国家総動員シテ之ニ当ルニ非ザレバ目的ヲ達シ難シ(中略)国防ハ国力ニ相応スル武力ヲ整フルト同時に国力ヲ涵養シ一方外交手段ニ依リ戦争ヲ避クルコトガ目下ノ時勢ニ於テ国防ノ本義ナリト信ズ」
 しかし、その加藤を精神的な柱とする条約派のことについては、もう少し歴史的背景を説明しないと、当時の海軍の空気や、五十六の立ち位置が分かりにくい。とにかく、この映画は言葉が足らない。
 キャッチフレーズである「誰よりも、開戦に反対した男がいた。」という五十六を描くなら、アメリカ駐在時代や、昭和9年のロンドン予備交渉なども、何らかの方法で補足しないと立体化しないだろうと思う。五十六の盟友であった堀悌吉が艦隊派のたくらみで予備役入りさせられたことなども、その背景を含め描いて欲しかった。

(3)映画としての演出の稚拙さ 
 まず、CGによる戦闘シーンが今一つ迫力不足。もう少しCGに予算をかけて欲しかったなぁ。1970年の『トラ・トラ・トラ!』のほうが迫力があったのではないか、と思わせる。それこそ、あの『パールハーバー』から部分的に映像を借りてきたほうが良かったのではなかろうか。(もちろん、これは冗談^^)

 また、当時の世情を表す演出が、なんとも不十分だ。例えば、瀬戸朝香が女将に扮する小料理屋に、常連のダンサーの芳江(田中麗奈)や新聞記者の真藤(玉木)、他の男二人が集って語る会話が、ある意味で庶民感情を代弁する役割になっているが、あまりにも描き方が単純すぎるし、役者も活きていない。


 他にも小言はいくつもあるが、細かいことはこの位にしておこう。

 映画のサブタイトルに「太平洋戦争70年目の真実」とあるが、どの「真実」を伝えたかったのだろうか。
 
 観終わって印象に残っているのは、ミッドウェイで赤城などの空母が次々に沈没する報告を受けても将棋を指している五十六の姿と、南雲忠一(中原丈雄)と永野修身(伊武雅刀)を象徴的に悪者にしようとしていたと思われる演出。「違うんだよなぁ、浅いんだな、もっと描き方があっただろうに・・・・・・。これなら寄席に行くんだった。」と思いながら帰途についた。でも観なければ、良いも悪いも分からないのだ。

 欠点ばかりでもない。配役は小料理の女将とダンサー役の女優以外は、それほど悪くない。役所も適任だと思うし、黒島先任参謀役の椎名桔平も好演と言える。登場時間は少ないが五十六の姉役の宮本信子は、長岡弁も含めなかなかの名演。
 しかし、映画全体として、非常に物足りない。また、五十六を知らない人にとって、あの映像にある情報だけで訴えようとするのは、あまりにも不親切。脚本の問題でもあろうが、例えばナレーター役でもある新聞記者の真藤(玉木)は半藤一利を反映した人物だと思うが、もっとナレーションで語るべき情報があっったはずだ。原作が興味深く読めるのは、そういった歴史の胎動が伝わるからなのであって、いくら映画という手法の違いがあっても、原作の持ち味を生かして欲しいものだ。だから、監修・原作の半藤一利が、この内容で、本当に良しとしたのかは疑問に残る。同じ半藤一利原作の『日本のいちばん長い日』は、テーマの劇的さの違いなどはもちろんあるのだが、日本の戦争映画の傑作の一つだと思う。しかし、この二つの映画を観終った後の印象は、あまりにも違うものだった。

 これで、また日本映画を見に行く回数は減り、落語に行くことになるなぁ。
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by kogotokoubei | 2012-02-05 17:45 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛