噺の話

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立川談志/写真田島謹之助『談志絶倒 昭和落語家伝』(大和書房)

 『現代落語論』も『あなたも落語家になれる -現代落語論其二-』もいいけれど、落語や国内外のお笑い・演芸に関する、際立って優れた評論家であり好指南役としての談志が大好きな私は、彼の著作で一冊勧めるとしたら、本書になる。
 ブログを書き始める前の2007年9月の発行のため、この機会に本書について少し書きたいと思う。

 まずは、この本について、Amazonにレビューを書いたことがあるので、それをご紹介したい。このブログからリンクもしているので、すでにお分かりの方もいらっしゃるかと察するが、私は「ドートマンダー」という名前でカスタマレビューを書いている。(ちょとしたカミングアウト!?)

この本はいくつもの顔を持つ。
田島謹之助さんの貴重な噺家達の写真集、という顔。そしてそれぞれの噺家についての談志家元の鋭くも愛情豊かな解説。まさにそれはよき時代と噺家達への恋慕を語るエッセイの佳作といえる。そして、その解説の内容をよく読めば、当時の噺家とネタについての家元の批評が現代落語界への風刺にもなっており、優れた落語評論である。
そして、「あの時代に、三丁目の夕日が朱に染まった寄席に、こういった噺家さん達が間違いなく存在したのだ!」という歴史書の側面だってある。読み進むうちに、膨大な写真集を目にして「この歴史は残さねば、今のうちに生きているうちに語っておかねば」という家元の執念までも感じさせる落語愛好家必携の書。


 本書は大和書房から2007年9月に発行され、私がレビューを投稿したのが、2007年12月12日であった。レビューに書いた通りで、本書は「エッセイ」「写真集」そして「落語評論」の三つの顔を持っている。
 談志のプロフィールは、今さら私が書くまでもないと思うので、田島謹之助さんのことを、本書の巻末略歴欄からご紹介したい。

田島謹之助
写真家。1925(大正14)年、東京に生まれる。子供のころから写真と寄席に夢中となり、戦後は日本の原風景を撮り続ける。二十代のとき、叔父と親しかった人形町末広の席亭に頼み込み、1954(昭和29)年から1955(昭和30)年にかけて、人形町末広の高座と落語家の自宅を集中的に撮り続ける。その数は二千を超え、現在でもフィルムのほとんどが変質することなく遺されている。


 繰り返しになるが、談志は、私がもっとも頼る古典落語の指南役であり、どんな人のどの噺を聞けばいいかについての、最高の道先案内人である。正直なところ、落語家としての談志より、落語の吟味役としての談志のほうを、ずっと高く買っている。何より談志は落語や色物、そして寄席が大好きな人だった。それは、本書の「まえがき」からもストレートに伝わる。

 ここに写った噺家、この人たちが戦後、“落語ブーム”とまでいわせた時代も含めて、私たちに落語を伝えてくれた。伝授してくれたのである。
 で、この時代を背景に撮った写真、撮りまくった田島謹之助さん。この人もその頃、これまた奇人扱いされた部分もあったろう。
 八世桂文治に惚れ、人形町の寄席から高座を狙い、あげくは自宅に押しかけ、文治の素顔を、そして文楽、志ん生、三木助、小さん、馬生・・・・・・と追いかけた二千枚の貴重なフィルム。縁あって、これを受け継いだ立川流のお家元。
 写真を見て、眺めて、あれやこれやと当時を偲ぶ。そこで過ごした青春、今は亡き憧れし師匠連。思いつくままに書きとめておく。


 この「まえがき」の日付が2007年9月。私が最初で最後の談志の生の高座を見たのが2007年10月。本書を読んだのは高座を見た後だが、今思えば、当時71歳の家元は、田島さんの写真に喚起されて昭和の名人達を偲ぶ、そんな心境にあった時期なのだと言えるだろう。あのサービス精神旺盛な高座には、そんな心境も背景にあったのかと思う。
 
 さて、その田島謹之助さんが昭和29年から昭和30年にかけて人形町末広を中心に撮った写真を見ながら「思いつくまま」に書きとめられた落語家の顔ぶれはどうだったか、目次と同じ順番、同じ表記内容で並べてみる。
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六代目 三遊亭円生
三代目 春風亭柳好
三代目 桂三木助
八代目 桂文楽
六代目 春風亭柳橋
      桂小文治
五代目 古今亭今輔
八代目 三笑亭可楽
四代目 三遊亭円馬
四代目 三遊亭円遊
二代目 桂枝太郎
七代目 春風亭小柳枝
      昔々亭桃太郎
      林家三平
人形町末広、楽屋の記憶
十代目 金原亭馬生
三代目 柳家小せん
七代目 橘家円蔵
九代目 翁家さん馬
     三遊亭百生
二代目 桂右女助
八代目 春風亭柳枝
八代目 林家正蔵
二代目 三遊亭円歌
八代目 桂文治
五代目 古今亭志ん生
五代目 柳家小さん
あとがき
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 この中から、八代目春風亭柳枝の章を引用したい。

 『搗屋無間』『締め込み』『花筏』『二人癖』『生兵法』『熊の皮』『ずっこけ』『初天神』『元犬』『子ほめ』『四人癖』『いも俵』『野ざらし』『悔やみ』『王子の狐』『動物園』『高砂や』『宮戸川』『山号寺号』、すら~浮んでくる。これらの演目は、他の噺家の入りようがない。
 演れないことはないし、現に私も、『子ほめ』も演れば、『王子の狐』も演るが、柳枝師匠からすっかり離れないとできないのだ。

 

 私は、この本を読んでから、八代目柳枝の音源を結構集めたものだ。特に次の部分が刺激的だった。

 この師匠、何処っへ出しても受けた。爆笑させた。といって大してオーバーに演るわけではない。天下一品の柳好の『野ざらし』に対して、同じ噺を演ったのは柳枝師匠しか知らない。
 その柳枝師匠の『野ざらし』は緻密なものであり、柳好を“陽”とすると、“陰”とまでいかないまでも柳枝独特で、『野ざらし』は“柳好とは比べものにならない”と言い切れないものがあるのだ。
 ちなみに、私の“私”と言うほどのもんじゃないが、談志野郎の『野ざらし』は、出だしが柳枝、途中から柳好と、こうなっている。知っている人は判ってるよね・・・・・・。
 
 月並みな文句だが、その早世は惜しみて余りある。


 
 明治38(1905)年12月15日生まれで、昭和34(1959)年9月23日、ラジオ公開録音で『お血脈』口演中に脳出血で倒れ、10月8日に五十代半ばの若さで亡くなった八代目柳枝が遺した音源は、本当に談志が推奨するような見事なもので、その丁寧な語り口は、現役の落語家には、正直見当たらない。

 談志の師匠小さんの章は、文章よりも40歳前の若々しい写真が楽しい。結構、二枚目なのだ。少ない文章から引用したい。

 今だからいうが、その頃、あの頃、二人が喧嘩ァしてた頃、もし師匠が、
 「オイ帰って来いよ。俺が頭を下げる」
 と、もし言ったとしたら、家元は困ったろう。これで落語協会に帰らなきゃあ、日本教に反するものネ。世間が許さない。談志が日本中で叩かれ、潰される。
 それを偶然か故意(わざと)か、師匠は言わなかった。 
 「あれはあれで、いいんだ」と言った。
 師匠、済まねえ。師匠と弟子として、一番仲がよかったしネェ。



 今頃、師匠小さんが天国でこう言っているだろう。
 「なんだ、もう来やがったのか!」
 
 談志の答えは、こんなかな。
 「何を、オレがいないから寂しかったくせに!」


 巻末には談志と田島さんの並んだ写真、そして談志の手書きの田島さんへのお礼の言葉がある。

 そして、「あとがき」。短いので全文を引用したい。

 久しぶりに書いた。疲れた。もう駄ァ目。
 立川談志、終わりに近い、いや、もう終ったか。
 色川武大兄ィの言った如く、「立川談志、六十代を頂点と考えているはずだ」云々・・・・・・。
 その通りでした。我ながら抱きしめてやりたいほどの芸を語った。曰く『居残り』『鉄拐』『芝浜』『金玉医者』『やかん』『よかちょろ』いくらもあるが、ファンに任せる。
 
 ガムシャラに走り、売れた二十代、三十代、政治、そして五十代。けど若かった。何も判らなかった。やっと“落語とは何か”が解ったのは、六十代だった。つまり遅咲きだ。青の時代が長かった。それでよかった。それで今日があり、満足がある。いつ死んでも構わない。いや、仕方ない。
 立川談志、いい名である。炎の如くに志を語る。「その“志”とは武士なんだネ」と山藤章二画伯の弁。
 照れますネ。町人のほうがいいネ。
 いやいや、ドーモドーモ。


 
 四年前の言葉である。今になって、麻生市民館での高座と、この言葉との強いつながりを感じている。

 本書は、2,600円と、決して安くはないかもしれません。しかし、神保町で探せばあるかもしれないですよ。また、昭和の落語家さんの貴重な写真と、それぞれの噺家さんへの談志の熱い思いや寸評に興味がある方なら、決して高いとは感じないでしょう。大和書房の関係者でもなんでもない私が、推薦します。何度読み返しても、すごく楽しい本。

 落語と寄席、そして日本の伝統的な演芸についての優れた道案内人としての立川談志に、あらためてお礼を言いたい。いい仕事したね、談志さん!
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by kogotokoubei | 2011-11-29 21:00 | 落語の本 | Comments(6)
橋下の圧勝だった。しゃがれた声で、「大阪市役所の皆さんと、トコトン話し合いをして」と繰り返していたが、話し合いが、文字通りの“双方向コミュニケーション”になるようには思えない。選挙結果を背景にした“持論の押しつけ”や“一方的な主張”、あるいは“罵倒”になるような気がするのは、私だけではないだろう。

 今後の大きな争点が、「教育基本条例案」。平松市制における大阪市議会では廃案にしたが、大阪府議会では継続審議になっており、大阪府議会のホームページには条例案も掲載されている。その中から教員の「目的」と「基本理念」の部分を、まず引用したい。大阪府議会HPの該当ページ

(目的)
第一条 この条例は、教育基本法(平成十八年法律第百二十号)、学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(昭和三十一年法律第百六十二号。以下「地方教育行政法」という。)その他国の法令が定める教育目標を府において十分に達成するべく、これらの法令を補完することを目的とする。(基本理念)
第二条 府における教育行政は、教育基本法第二条に掲げる目標のほか、次の各号に掲げる具体的な教育理念に従ったものでなければならない。 
一 個人の自由とともに規範意識を重んじる人材を育てること 
二 個人の権利とともに義務を重んじる人材を育てること 
三 他人への依存や責任転嫁をせず、互いに競い合い自己の判断と責任で道を切り開く人材を育てること 
四 不正を許さず、弱者を助ける勇気と思いやりを持ち、自らが社会から受けた恩恵を社会に還元できる人材を育てること 
五 我が国及び郷土の伝統と文化を深く理解し、愛国心及び郷土愛に溢れるとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する人材を育てること 
六 グローバル化が進む中、常に世界の動向を注視しつつ、激化する国際競争に迅速的確に対応できる、世界標準で競争力の高い人材を育てること


 この中でもっとも私が気になるのが第六項の、「グローバル化」「世界標準」「競争力の高い人材」といった言葉である。ビジネスの世界で生きる人間で、少しはまともな人は、「世界標準」という言葉の嘘くささを強く感じているし、「世界標準」≒「アメリカ基準」という連想もするだろう。もちろん、「グローバル」という言葉を使う人に限って、「グローバル」化の怖さを知らない、という指摘もできるかもしれない。軽々しく使うべき言葉ではない。「競争力」と言うが、ここで言う“競争”の相手は誰なのだろう。まさか、「大阪都」構想実現のために、「東京都」と戦う人材を育てよう、ということではあるまい・・・・・・。

 この条例案に一貫して流れているのが、“競争”の原理だと思うが、果たして「教育」って、“競争”させるための場なのか。また、“競争”させれば、優秀な「人材」が育つのか、という根本的な疑問がある。ビジネスの世界では「競争」は避けられないが、「教育」の場は、違うのではないか、という疑問を持つことのほうが自然だと私は思うが、どうも橋下の考えは違うらしい。
 
 条例案の教員の「人事評価」の部分を引用する。

(人事評価)
第十九条 校長は、授業、生活指導及び学校運営等への貢献を基準に、教員及び職員の人事評価を行う。人事評価はSを最上位とする五段階評価で行い、概ね次に掲げる分布となるよう評価を行わなければならない。 
一 S 五パーセント 
二 A 二十パーセント 
三 B 六十パーセント 
四 C 十パーセント 
五 D 五パーセント
2 教員の評価に当たっては、学校協議会による教員評価の結果も参照しなければならない。
3 府教育委員会は、第一項に定める校長による人事評価の結果を尊重しつつ、学校間の格差にも配慮して、教員及び職員の人事評価を行う。人事評価はSを最上位とする五段階評価で行い、概ね第一項に掲げる分布となるよう評価を行わなければならない。
4 府教育委員会は、前項の人事評価の結果を教員及び職員の直近の給与及び任免に適切に反映しなければならない。
5 府教育委員会は、第三項の人事評価の結果を教員及び職員の直近の期末手当及び勤勉手当に適切に反映して、明確な差異が生じるように措置を講じなければならない。


 教員だって「評価」する必要があるだろうが、その結果を給与のみならず「任免」に「適切」に反映させるという部分が、やはり刺激的である。

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内田樹著『こんな日本でよかったね-構造主義的日本論-』(文春文庫)
 この条例案を見て、また内田樹の著作を思い出した。彼自身、今回の選挙でこの条例案に明確に反対の意思表示をしているが、その背景にある原則は、著書『こんな日本でよかったね-構造主義的日本論-』(単行本は2008年にバジリコ社から発行。文春文庫で2009年に発行)でも共通して底流に流れている。ちなにみ、本書はブログ「内田樹の研究室」を元にした本である。内田樹は、「教育」と「医療」の分野にビジネスの論理や“顧客第一主義”原理を導入することの弊害を、さまざまな場面で指摘しているが、本書では「学ぶこと」について、次のような記述がある。「『顧客のニーズ』はあらかじめ存在するか」の章から引用。

 もし、子どもたちに学びを動機づけたいと望むなら、教師自身が学ぶことへの動機を活性的な状態に維持していなければならない。
 教師自身がつねにいきいきと好奇心にあふれ、さまざまな謎に惹きつけられ、絶えず仮説の提示と反証事例によるその書き換えに熱中していること。
 それが教育を成立させるための条件である。
 もちろん、世の中にはそうではない教師もたくさんいる。
 けれども、だからといって少しも心配するには及ばない。
 彼らもまた自分が「いきいきとした好奇心を失ったこと」「謎に惹きつけられなくなったこと」「仮説の提示と書き換えへの意欲を失ったこと」については、誰よりもよく自覚しており、それを存在を腐食させるほどの痛みとして生きているからである。現に、一切の教育的情熱を失いながら、毎日上機嫌で仕事をさぼっている教師というものをあなたは見たことがないはずである。
 少なくとも私はない。
 教育的情熱を失った教師の「私は『教育的情熱を失った教師』です」という自己申告のオーバーアクションには驚愕すべきものがある。
 暗い表情、生気を失った肌、乱れた頭髪、なげやりな服装、重い足取り、虚無的なことば・・・・・・そのすべてが「学びへの動機づけを失うことがこれほど人間にとって悲痛なことであるか」を全身で表現している。
 彼らは彼らなりの仕方で、子どもたちに「学ぶことへの欲求」を失うと人間はどうなってしまうか教えているのである。
 漱石の『こ々ろ』に出てくる「先生」はその好個の適例である。

(中略)

 先生は「先生であろう」とするときにすでに先生であり、「私はもう先生ではない」と宣言したあともまだ先生である。
 「学ぶ」とはどういうことか、「教える」とはどういうことか、自分は果たして今も学んでいるのか、自分にはひとに教える資格があるのか・・・・・・そういった一連の問いが念頭から離れることのない人間は、それだけですでに教師の条件を満たしている。
 「学びへのニーズ」なとというものは自存しない。
 「学びへのニーズ」とは何か、それはどのようにして生まれ、死ぬのか、ということを専一的に考え抜く「先生」が登場した後にそれは生まれるのである。


 「生徒」が先でもなければ、「学びへのニーズ」が先でもない、「先生」がいて、初めて「生徒」が存在する、という論は、納得できる。「先生」という肩書きがなかろうと、「ああなりたい」とか「あの技術を真似したい」とかいう対象は「先生」であろう。そういう「先生」がいて初めて「生徒」が附随するのであって、「教育市場における学びへのニーズ」などと言う言葉は、一見まともそうに思えるが、よく考えるとおかしい。

 “いきいきと好奇心にあふれ”た情熱的で魅力的な先生は、そう多くない。しかし、“反面教師”も教師なのだ、という内田の主張には頷ける。実は、そういう先生のことこそ、よく覚えているものだ。昼間から酒の臭いをプンプンさせていた美術の先生、とか、服装がまったくだらしない国語の先生、など中学時代のことを思い出す。
 もちろん、少ないながらも、情熱的に「学ぶこと」の素晴らしさを目の当たりに提示してくれた小学校時代の先生や、“両手ビンタ”が決め技(?)だった熱血漢の女の先生のことなども、ぶたれた思い出と一緒に記憶に残る。あの頃の“体罰”が、現代の学校で起こったら、間違いなく“モンスターペアレント”とマスコミが騒ぐだろう。私たちが子どもの頃は、先生に叱られたり殴られて帰ってきて、先生にお礼をする親はいても、学校にクレームをつける親などいなかったのだ、あえて書くけど。

 もちろん、私が「生徒」だった頃は、先生は今より権威もあったし、概ね品格だってあったと思う。それを「時代」のせい、とする前に、なぜこうなったかを、やはりしっかり振り返ってから、大阪のことも考えなければならないと思う。

 内田樹は、今日の学校の先生達に、深く同情している。それは、自分も大学の教員であるという同業者としての“同類相憐れむ”的な共感ではなく、“教育を受けるのは当たり前”と考える“顧客”としての生徒とその親との間での軋轢がある中で、試験問題の作成や答案作成、学校内の各行事や様々な書類仕事などで毎日が忙殺され、頑張る先生であればあるほど、身を粉にして働いている実態を、よく知っているからであろう。

 「医療」現場への「顧客第一主義」の反映は、今日では患者を「患者様」と呼ばせる病院があることに端的に表わされている。「医は仁術」という言葉は、ほぼ死語になったようだ。たしかに、「医療ミス」などにおける訴訟問題や、それを目一杯煽るマスコミによって、本来は「クレイマー」として批難されるべき人でも、「患者様」の立場で発言もし行動もしている。

 学校への“顧客第一主義”の、誤った導入は、「生徒」が“お客様”であり、お客様の望む教育を提供するのが学校の役割とする、まったく誤った主従関係の構図をつくりだす。

 そして、大阪の教育基本条約案は、「教育」の場への「ビジネスの論理」や「顧客第一主義」の導入という、根本から誤った施策を助長させるものとしか言いようがない。このままこの条例が通ったら、学校には、「政治」(この条例案で新たに任命される教育委員会や校長なども含め)や「生徒様」「保護者様」のことに加え、自らの生活の基盤を脅かしかねない「評価」のことをも気にする余り、挙句の果てに暗い表情、生気を失った肌、乱れた頭髪、なげやりな服装、重い足取り、虚無的なことばによって代表される“反面教師”ばかりになってしまう恐れがある。「教師」がいるからこそ「反面教師」にも教育効果があるわけで、こんな先生ばかりの学校に、誰が行きたいと思うだろうか。

 「変革」を声を大にして叫ぶ人たちは、今ある仕組みには存在するだけの深い理由や正当性がある、ということを忘れがちだ。内田樹が本書の別な章「変革が好きな人たち」で指摘しているが、「根本(根底)的な変革」という言い方をしている人は、私も信じることができない。内田は次のように比喩を交えて記している。

 人々はややもすると「根底的変革」を求め、「小手先の手直し」では「もうどうにもならないところまで来ている」という重々しい宣告を軽々しく口にする。
 使えるものは使いのばし、消耗部品の交換程度で直せるところをアッセンブリーごと新品に変えるのは控えるとうのが常識的なふるまいだろうと思うのだが、そういう言葉遣いによる提案はまるで不評である。まずメディアでは相手にされない。
 しかし、「小手先の手直し」で補修できるところを「根底的変革」することはコスト・パフォーマンス的に無意味であるし、「順調に機能しているところ」についてはそもそも変革さえ必要ではない。だとしたら、「どこがどのくらい壊れているのか?」ということが喫緊の問いになるはずである。
 現に、「体制の根底的改革」を呼号するみなさんだって、自分の家の自動車が故障したときに、修理工場で、ろくに故障箇所を見もしないで「あ、大丈夫ですよ。ぜんぜん平気です」と言われても「これはもう廃車だね。新車買いなさいよ」と言われても、いずれにしてもむっとするだろう。どこがどう悪くて、どこの部品を換えればどうなるのか、ちゃんと見てくれと当然の主張をなさるであろう。



 内田の表現を借りるなら、平松の「小手先の手直し」の主張は、橋下の「根底的変革」という訴えに勝てなかった。しかし、大阪府や大阪市に変革や改革の必要があるのなら、“修理”すべき部分を明確にするのが先で、換える必要のない部品やモジュールまで換えられては、そのために必要とされる税金で支払わされるコストや、新しい乗り物やシステムに対応するための時間のコストは、すべて市民に押し付けられる。もっと言えば、橋下は、“新車”を買いましょう、と言っているに近いわけで、まだまだ使える部分をそぎ落とそうとしているとも言える。その“新車”にアクセルがあるだろうが、ブレーキがついているか、そしてハンドルは正常に動くのか、大阪市民、大阪府民のみならず日本全国の人が、よく見定める必要があるだろう。橋下は、選挙が終ったことを、高校時代に経験したラグビー用語を使って“ノーサイド”と評したが、彼の「改悪」を“キックオフ”しようとしている。大阪市の市民がフォワードなら、大阪府の皆さんがバックス、そして他の地域の市民は客席から、「大阪しみ~んず」が宿敵「橋下いし~んず」に勝つよう、精一杯応援しなければならないと思う。
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by kogotokoubei | 2011-11-28 07:44 | 責任者出て来い! | Comments(4)
 私は、たった一度しか、立川談志の生の高座を経験していない。それは、ブログを書き始める前の2007年10月22日、新百合ヶ丘駅前の麻生市民館での「立川談志落語会」だった。奇しくも、最後の高座が今年3月6日の、同じ会場であったらしい。今のように時間などは記録しておらず、当時の手帳に次のような演者とネタのメモだけが残っている。

-----------「立川談志落語会----------
  (麻生市民館 2007年10月22日)

 立川志らべ 『浮世根問』
 立川談修  『目黒のさんま』
 立川談笑  『片棒』
 (仲入り)
 松元ヒロ
 立川談志  『田能久』&アメリカン・ジョークなど
-------------------------------------

 「喉頭がん」が見つかる前年で、その予兆はあって体調は万全ではなかったのだろうが、談志の高座はサービス(?)のアメリカン・ジョークを含めて一時間近かったように記憶している。結構満足して帰ったものだ。
 当時の他の方のブログでも書かれていたが、その頃の談志が高座でよく口走っていた言葉、「早く死にたい」で始まったはずだ。本編の前には、「つまんない噺で・・・・・・」と言いながらも、『田能久』というネタの背景を結構詳しく語ってくれた。途中途中で突っかかることがあって言い直しなどもあったが、しっかりとサゲまで演じて、「このサゲ、いいでしょ」とニッコリ笑った顔を思い出す。幕が閉まってからだったか閉まるのを止めたのか記憶が曖昧だが、オマケでアメリカン・ジョークやフランスの小噺を披露してくれた。その一つは今でも覚えている。細かなところまで正確ではないとは思うが、こんなジョーク。
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いつも同じレストランで顔を合わせる二人の男。一人が相手に聞く。
男A「よく、お会いしますね」
男B「えぇ、かみさんが夕食をつくってくれないもので・・・・・・。
   おたくも、そうですか?」
男A「いえ、うちのかみさんが毎晩夕食をつくるものですから」
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 こういうジョークは好きだ。酒宴の中で何かおもしろいネタを言う機会に、今でも使わせてもらっている。ほかにもいくつか笑えるジョークを披露してくれたが、ブログを書く前だったので終演後にメモをする習慣もなく、忘れてしまったのは残念。

 今あらためて思い出すと、志らべ、談修、談笑もその時に初めて聞いたはず、松元ヒロも同様。しかし、談志以外の高座を、思い出せない。記憶力の低下もあるが、やはり談志を聞きに行って、その一時間近い高座の強い印象に他の演者の内容が消されてしまったように思う。

 その時の高座全体から感じたものは、地域の落語会といえども、手を抜かないで会場を楽しませようというサービス精神である。その後、志の輔や談春を同じ会場や町田で聞いた際、必ずと言ってよいほど、談志が地域の会のほうが凄い高座になる、といったエピソードを話していた。町田の『居残り佐平次』の思い出を談春が語っていたのは、よく覚えている。

 昨日の茅ケ崎での権太楼にも通じるが、たまにしか落語を味わえない東京郊外や地方のお客さんへの思い入れの強さ、これは談志には際立っていたのだろう。堀井憲一郎も、談志の都内を離れた落語会は目を離せない、といったことをどこかに書いていたような気がする。また、それは定席に出ない立川流としては、ある意味で当然のことだったのかもしれない。一期一会の高座に賭ける熱気、のようなものが、本来は談志が立川流のDNAとして伝えたかったことではなかったのか。

 志らくの弟子、よって談志の孫弟子が二人、初めて真打ちに昇進するらしい。志らくの評価基準の一つは、「どれだけ談志のDNAを持っているか」ということらしいが、さて、そのDNAが表象するものは、いったいどんなことなのだろう。まさか、談志の“毒舌”を形だけ真似ることではないだろう。もちろん、昔の歌謡曲を好きになることでもないと、私は思っている。

 四年前の高座から私が感じた談志DNAの表わすものは、精一杯のサービス精神であり、客への気配りだった。そういった部分をしっかり継承できなければ、御大亡き後の立川流の将来は決して明るくない、そう私は思っている。

 古今亭志ん朝の追悼番組の中で、談志は、いろんな思い出を語りながら、あえて「いい時に死んだよ」という言葉を贈っている。それは、“死んだら終わり”という落語的な死への向き合い方の、根が同じながら別な表現なのだろうと思う。何をもって「いい時か?!」などと掘り下げてもしょうがない。「その時」が「いい時」と思わない限り、未練が残るだけ、という精神なのだろう。

 精一杯「五代目立川談志」を演じてきた松岡克由という偉大な男に、「いい時に死んだね、談志さん!」と私も言葉を贈りたい。たった一回の高座だったが、談志のDNAを感じることのできた高座は、私にとっては大切な思い出になった。
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by kogotokoubei | 2011-11-24 16:06 | 幸兵衛の独り言 | Comments(6)
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 茅ヶ崎市民文化会館HPの該当ページより

 震災がなければ、3月12日の土曜日に開催される予定だった会。茅ヶ崎市民文化会館ホームページには、次にように記されている。

振替開催日が決定しました!
【振替開催日】
平成23年11月23日(水祝)午後2時30分開演

ちがさき寄席
「江戸日和−柳家の噺を聴く」


 実は、私は先の予定が分からないこともあり、払い戻しをしていた。しかし、なんとかやりくりできそうになり、柳家のまったく同じ顔ぶれで開催されることや、“茅ヶ崎”という地名の魅力(?)からチケットを取り直した。震災からの“仕切り直し”の意味もあったのかもしれない。
 
 自宅から小田急江ノ島線で藤沢まで行きJR東海道線に乗り換えて二駅目。1時間はかからないのだ、茅ヶ崎まで。少し余裕をもって着いた駅の会場とは逆の南口から海へ向かった。
 東海岸通りをゆっくり歩き、15分ほどで茅ヶ崎の海に出た。釣りをする人、バーベキューをする家族、海外通りをジョギングする人や自転車の人。まことに平穏な光景だ。
 つい撮った写真を、私のブログらしくなく掲載した。携帯での撮影で技術もないので決していい写真ではないが、のどかな光景は、3月12日には存在しなかっただろう。
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こういう構成だった。
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(開口一番 柳家おじさん 『転失気』)
柳家三三  『たらちね』
めおと楽団ジキジキ 
柳家権太楼 『笠碁』
(仲入り)
柳貴家小雪 大神楽
柳家さん喬 『妾馬』
------------------------------------

柳家おじさん『転失気』 (14:31-14:43)
たぶん権太楼の最後の弟子になるだろう、入門から三年目だが、私は何度か聞いている。ずいぶん良くなった。会場の暖かい反応にも救われただろうが、噺家らしくなってきたし、落着きができてきた。今後も頑張ってもらおう。

柳家三三『たらちね』 (14:44-15:05)
 さすがに一昨日の紀伊国屋寄席のような毒気はなかったが、定番ネタを含めマクラも好調。昨夜は新潟直江津での落語会、今朝新幹線で戻りこの会へ。この後は地元小田原の居酒屋のカウンターで落語をするらしい。
 本編は、場所柄選んだ前座噺なのだろう、これまで逆に聞く機会がなく新鮮だった。持ち時間のせいで、ねぎ屋がひれ伏す場面でサゲたが、なかなか後味は良かったし、余裕の高座。会場には初三三のお客さんが多かったように見受けたが、これで茅ヶ崎にも三三ファンが増えただろうと思う。

めおと楽団ジキジキ (15:06-15:22)
 実は3月にこの会に行こうと思ったのは、柳家の三人のみならず、この二人の出演が動機づけていた。ネットか何かで、この夫婦の芸が凄いらしいという情報を得て、大いに興味を持っていたのだ。
 結論から。素晴らしい芸と演奏技術を堪能した。次のような演題だったが、そのギャグの中身やサゲは明かさない。
 ・聖者の行進
 ・農協(JA)テーマソング
 ・ココドコタンゴ
 ・ご当地ソング「浦和」
 ・ベートーベン 第88番
 ・ベートーベン 第33番
 ・トルコ行進曲
 ・「男はつらいよ」(おでこピアニカ!)、
 ・ビューティフルサンデー(会場を回りながら“おでこピアニカ”

 この二人、笑いも芸も、ホント凄いよ。

柳家権太楼『笠碁』 (15:23-15:59)
 こういう地域での落語会ではお馴染みのマクラなのだが、やはり笑える。「時の経つのは早いもので・・・・・・ついこの前、マッカーサーが」や、居酒屋で喧嘩する親子のネタ、そしてこのネタの後で、ある南の町の落語会でのオバさんのこと、などなど。元気にこういうマクラをふってくれる権ちゃんの高座を見るだけで、実はうれしい。二年前の南大沢での落語会もそうだったが、この人は地域寄席を大事にしていて、精一杯演じているのが、よく伝わってくる。
 縁台将棋の小噺から本編へ。まさかこの噺が聞けるとは思わなかった。権太楼版の大袈裟な演出はあっても、本寸法である。菅笠でやって来た碁仲間が店の中に入るのを躊躇するやりとりで笑わせ、店の主が「どっちがヘボで、どっちがザルなのか、いっちょうやるか!」というきっかけで、ようやく「やるとも!」と仲直りした時、会場で笑いと拍手が起こる。花緑の改作に小言を言ったが、やはりサゲも権太楼のように笠から雨の滴が落ちなければね。十分に楽しませていただきました。もちろん、今年のマイベスト十席候補に入れさせてもらう。

柳貴家小雪 太神楽 (16:10-16:27)
 会場も巻き込んでの楽しい芸。定席にでも行かなければ味わえない色物を、こうやって地域の落語会で妙齢(?)の女性が演じるのは、非常に良い試みだと思う。

柳家さん喬『妾馬』 (16:28-17:06)
 紋付、羽織、袴での登場で、ネタは想像できたが、この人らしい律儀な高座で茅ヶ崎のお客さんも満足だろう・・・・・・と思っているが、ごく一部のお客さんと主催者には、あえて小言を言う。途中ぼそぼそ話し声がしたのだ。真ん中から少し後の席の複数の高齢の男性達が何か話している。私も他のお客さんも目線で合図をするが、気がつかないのか、感じないのか、なかなか止まなかった。せっかくのさん喬の名演も、“犯人”であるあのお客さん達と、会場の隅にただ立っていただけでお客さんに注意をしなかったスタッフ達のせいで、残念ながら十分に楽しめなかった。何のためにあのスタッフの彼や彼女は会場にいたのだろう。ああいう客を注意しないのなら、会場に腕章をして入る意味がない。


 震災前に予定されていた会の“仕切り直し”と思って参上した茅ヶ崎。その海は、さん喬がマクラで言っていた「普通の生活ができる幸せ」を物語っていた。特に、こういう地域の落語会における権太楼が、独演会でも珍しいネタで会場を沸かせ、唸らせていた。
 そして、このブログを書いている途中で、談志の死を知った。途中、やや書く手が止まった。亡くなったのは一昨日らしい。権太楼もさん喬も、知っていたのだろう、この会の前には。
 特に権ちゃんは、ガンを患っていたことで、いろいろ思うこともあるだろう。談志家元が地域の落語会には力を入れ、数々の名演や快演を残したことは、もちろんよく知っていたはず。今思うと、権太楼の『笠碁』には、師匠小さんへの思い、そして談志への何らかの気持ちがこもっていたのかもしれない。そんな気がする。
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by kogotokoubei | 2011-11-23 19:08 | 落語会 | Comments(2)
この会場での落語会に来たことはあるが、「紀伊國屋寄席」には初めて。落語ブログ仲間のSさんからのお誘いに、顔ぶれを見て大いにそそられて参上。

こんな構成だった。
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(開口一番 春風亭朝呂久 『浮世床』)
春風亭一左 『粗忽の釘』
桃月庵白酒 『転宅』
鈴々舎馬桜 『冥土の雪』
(仲入り)
柳家三三  『看板のピン』
五街道雲助 『火事息子』
-------------------------------------

春風亭朝呂久『浮世床』 (18:20-18:31)
 一朝門下、入門5年目になる前座さんで、人形町らくだ亭の開口一番を中心に何度か聞いている。この後で兄弟子の一左の高座を合わせて、白酒と馬桜に、「最初の二席はカット」などとイジラレていたが、まだ朝呂久のほうがマシだった。やや太めの体を揺らせての高座、今回は時間を気にしすぎたのか若干落ち着きがなかったが、私はこの人は嫌いじゃない。

春風亭一左『粗忽の釘』 (18:32-18:54)
 朝呂久の3年先輩。昨年の夏に師匠が主任だった国立演芸場での高座(『幇間腹』)以来。率直な感想として、昨年も開口一番だった春風亭ぽっぽ『狸の札』のほうが上と書いたが、今回も後輩朝呂久のほうが良かった。一所懸命なのは分かるが、登場人物の口調がほぼ同じ。加えて緩急のバランスがとれていないので、ずっとベタで噺をしている印象で、聞くほうも疲れる。この噺はネタ本来の可笑しさで笑いがとれるはずなのだが、後半は間が持たないような様子で、会場も結構冷え込んだ。先輩一之輔の形だけを真似しようとしているようにも思うが、その前に、あまりにも基本ができていない。少し辛くなるが、師匠がいいんだから、もっと成長できるはず。頑張ってもらおう。

桃月庵白酒『転宅』 (18:55-19:21)
 マクラでは前の二席の高座をバッサリ切り捨てたが、その時の会場の笑いの多さが、お客さんの大多数も同じ評価をしていたことを裏付けていた。しかし、朝呂久はまだ前座、少し可哀想でもあったなぁ。クリスマスを前にしたカップルに関する少し毒気のあるネタもあったが、この人にしてはずいぶん大人しいマクラ。
 さて本編。この噺は、現役では喬太郎とこの人がずば抜けているように思う。マヌケな泥棒、したたかなお妾のお菊さん、煙草屋の爺さん、といった全ての登場人物が生き生きとしている。この後で他の演者に引用されていたが、泥棒がお菊さんに「お前さん」と呼ばれて無性にうれしがる部分が印象的だった。この人らしいギャグ、泥棒の本名が清武と名乗り、「何でああなっちゃったんだろう?!」で、会場も大爆笑。
  マヌケな泥棒がお菊さんが旦那を見送りに行っている間に残った酒や肴をいただくシーンからお菊さんが戻ってからの二人の会話のテンポの良さ、そして騙されたとも知らずに翌日ノコノコとやって来て、顛末を煙草屋の爺さんに聞く件の、何とも言えない楽しさ。白酒なら当たり前、また“鉄板”とも言えるの高座なのだが、やはり今年のマイベスト十席の候補として入れないわけにはいかないなぁ。

鈴々亭馬桜『冥土の雪』 (19:22-19:57)
 実は馬桜の高座は初である。これまで、この人については聞かず嫌いな面があった。それは、そのプロフィールから感じる、何とも言えないグレイな気持がもたらしている。最初は談志に入門し、二ツ目で談生を名乗っていた。談志が落語協会を飛び出す前年に真打に昇進している。しかし立川流ができて数年して落語協会に戻り馬風門下になった。立川流から破門だったのか除名なのか、その理由も含め分からない。また、昨年小せんを襲名したわか馬は、最初この人に入門し、その後に馬風門下に移っている。その理由は、分からない。まぁ、理由などを詳しく調べる努力もしていないし今もって知りたくもないのだが、こういった断片的な情報から、どうしても背景にひっかかるものがあった。この印象は今でもある。そういえば、数年前に横浜にぎわい座で志らくの会に行った時、志らくは名指しでこの人のことを非難していた。あれは、落語のマクラでの冗談の枠を超えていて、非常に嫌な気分になった。実は、その頃から志らくを聞かなくなった。
 さて、高座のこと。このネタも初めてである。ネットで調べると、名人と言われた四代目橘家円喬の速記から掘り起こしたらしい。なかなかの労作と言えるだろう。この噺、喩えるなら“東京版地獄八景”なのだが、オリジナルからそういう内容なのか、馬桜がそのように改作したのかは分からない。
 内容は、一目ぼれし合った若い男女が二人とも恋煩いで死んで冥土で出会う。夫婦になるための冥土の道行きの途中に現代風のギャグを挟む内容。三途の川を渡る船頭の唄の場面などで鳴り物も入る高座は、なかなか凝ったものだった。いつもは六文の三途の川の渡り賃が、「祝!なでしこ」ということで無料であるとか、“極楽座”では初代から11代目までの團十郎総出演で忠臣蔵の通しが上演されていたり、余一会では志ん生、馬生、志ん朝の親子会(これは贅沢!)が開かれる、などのネタを挟みながら、二人はあの世から、この世に戻ってくることができる。サゲはマクラで伏線を張っていたが、まぁ、オマケのようなもので、鳴り物と途中のギャグが中心のネタと言ってよいだろう。珍しいネタを知ることができたのは有難かったが、後半は若干息切れ気味だったようで、リズムが少し乱れたのが残念。
 終演後の「居残り会」での会話では、Sさんも初めての馬桜だったが結構気に入られたようだ。私は、何とも言えない感触が残ったままである。歌舞伎もお好きなのだろう、アナウンサーのようなはっきりした口跡なのだが、どうも学校の先生が高座にいるような印象なのだ。結構好き嫌いがはっきり分かれる人なのかもしれない。

柳家三三『看板のピン』 (20:09-20:31)
 白酒を意識したせいなのか、マクラの毒ッ気は、その白酒より強かったなぁ。とても詳しくは書けないが、“なでしこジャパン”を題材にした大爆笑ネタあり、馬桜の高座についてのやや刺激的な一撃ありで、石川遼の髪型のこともあったり、なかなか好調な出だし(?)
 兼好のこのネタも秀逸だが、流石の三三である。久しぶりに賽を振る元親分のご隠居、その隠居にまんまとイカサマを仕掛けられて意見される若い衆、隠居の真似をして仲間をたぶらかそうとする“おっちょこちょい”、という登場人物を、軽快に描いていく。とにかくリズムが良い。なんとも気持の良い高座だった。
 この人は、談洲楼燕枝作『嶋鵆沖白浪』への挑戦や、代表的な人情噺も手がけながら、最近は柳家ならではの滑稽噺も積極的に高座にかけていて、いよいよ“三三時代”の到来、という思いがする。身体の線は細いが、どことなく風格のようなものも感じる。今回はクイツキとしての短い噺でもあり、マイベスト十席候補とはしないが、貫禄の高座だった。

五街道雲助『火事息子』 (20:32-21:08)
 過去の落語の達人によるこの噺については、愛好家の中で好みが結構分かれるだろう。正蔵(もちろん先代)、三木助(もちろん三代目)、円生、志ん生、馬生、そして志ん朝などの音源が残っており、それぞれ名演と言っても良いと思う。ちなみに談志家元や江國滋は三木助派(?)、ちくま文庫の『古典落語 正蔵・三木助』の編者飯島友治は、この本で正蔵のこの噺を取り上げているが三木助版を収録していないところから、正蔵派と察する。ちなみに私は・・・・・・内緒^^
 三木助派の江國滋が『落語手帖』の中で、この噺だけについて一章を設けている。少し長くなるが同書の「『火事息子』における親子像—名作落語の心理描写—」の冒頭部分から引用したい。江國滋著『落語手帖』(ちくま文庫)

 親子を扱った落語は多いが、親と子の微妙な心理にまで触れている噺は少ない。例えば『干物箱』『六尺棒』『二階ぞめき』『三人息子』などは、いまも変らぬ極道息子の行状を描いてそれぞれ傑作には違いないが、あくまで滑稽味が狙いであって、微妙な感情には触れていない。名作といわれる『子別れ』や『初天神』には、庶民の典型的な父性愛が見事に描かれているが、相手がまだ幼児であるから、感情といってもこれは父から子への“一方交通”である。また『明烏』『崇徳院』には親バカ心理が底に流れているものの、町内の札つきに頼んでわが子を吉原につれていってもらったり(『明烏』)、息子の一目惚れした女を捜すために出入りの職人たちを総動員して、今日は東北代表が出発し明日は北海道代表が・・・・・・と日本中をまわらせたり(『崇徳院』)で、落語的誇張がリアリティを上まわっており、それに主題そのものが、親子像ではなくて、前者は純情坊ちゃんの女郎買い、後者は尋ね人に奔走する職人なのだから、親子の感情の陰影まで話が及ばないのはむしろ当然である。
 そんな中で『火事息子』だけは、すぐれた演者のすぐれた演出で聴くと、親と子の“業”とでもいうべきものさえ感じさせるのである。


 この後に、三木助版を元にした解説が続く。今では娘さんのほうが有名なのだろうが、私は江國滋の落語評論が好きだ。ちなみに本書は江國さんが27歳での処女作。初版は普通社によって昭和36(1961)年に発行された。昭和36年といえば、正月に三木助が没し年末に志ん生が倒れた年である。引用部分の冒頭にある『三人息子』は、昨年12月に桂文我で聞いた『三人兄弟』のことかと思うが、以前は東京でも結構高座にかかっていたのかもしれない。
 さて、雲助の高座は「すぐれた演者のすぐれた演出」となったのか。もちろん悪かろうはずはないのだが、期待感が高すぎたのかもしれない、何かが足らないと言うより、“そこまで頑張るの?”という後味だった。
 火事が好きで勘当されてまで定火消しの臥煙(がえん)になった伊勢屋の跡取り息子の名が藤三郎で、これはこの噺の名手として知られた初代円右や円右版を踏襲したと思われる円生と同じ。ちなみに雲助がマクラで「二の腕に般若の彫り物があった」と紹介した大師匠志ん生や正蔵は徳(徳三郎か?)、三木助は徳之助である。
 伊勢屋夫婦が近所の火事をきっかけに勘当した倅に久しぶりで出会う、その父と母の好対照な倅への愛情表現に、この噺のヤマがあると思う。いわば、“父性愛”と“母性愛”の違いを落語の形式でさりげなく端的に、そして笑いに乗せて表現した見事さがこの噺にはあるのだが、雲助は、ややどちらも頑張り過ぎ、という感じであった。もちろん、十分に楽しめた高座なのだが、父親が藤三郎の彫り物を見て、「身体髪膚これを父母に受くあえて毀傷せざるは孝の始めなり」という『孝経』の言葉を持ち出して大きな声で叱りつける場面などは、私には馴染めない。この科白は大師匠や正蔵のこの噺には登場しない。まさに、これは円生版がベースである。三木助だって「あえて」以降の言葉しか使わないし、もっと抑えた口調である。また、母親のハシャギすぎも、私には違和感があった。番頭や小僧の定吉などの脇役は非常に良かったし、全体的には悪くないのだが、雲助なら父と母の対照的な愛情表現を、もっと抑えた、そう例えば正蔵のように淡々とした演技の中でも十分に表現できるのではないか、また、それを期待していたのだ。あっ、これで私が正蔵派であることがバレた^^


 終演後は、お楽しみ(?)の「居残り会」。今回は我等がリーダーSさんと、私は初めてご一緒する素敵な女性Mさんとの三人で、新宿のちょっと洒落た居酒屋さんへ。酒の肴は最近大阪を旅行されたSさんの旅の土産話や、巨人の清武のこと、もちろん落語のことなど盛りだくさん。同好の先輩達との楽しい話は時間の経つのを忘れさせる。帰宅はもちろん(?)日付変更線を超えた。
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by kogotokoubei | 2011-11-22 08:54 | 落語会 | Comments(8)
菅野君は、まだあの球団に行きたいらしい。時事ドットコムの該当記事

菅野、日本ハム入団拒否=1年浪人へ、午後会見

 プロ野球日本ハムにドラフト1位で指名された東海大の菅野智之投手(22)が入団を拒否し、1年間浪人することが21日、分かった。同日午前、菅野の入団辞退の意思を同大学野球部の横井人輝監督が日本ハム側に伝えた。午後に菅野本人と同監督が記者会見する。
 菅野は「特別な球団」として伯父の原辰徳監督が指揮する巨人でのプレーを熱望。だが、ドラフト会議では巨人と日本ハムが1位指名で競合し、抽選の末、日本ハムが交渉権を獲得した。菅野は今月7日、日本ハム側から指名あいさつを受け、初めて面談。進路について「自分の一生のこと、一度しかない人生。11月いっぱいはしっかり考えて決めたい」と慎重な姿勢を示していた。 (2011/11/21-11:33)



 11月5日に、内田樹の著書を引用して彼の翻意を期待したのだが・・・・・・。2011年11月5日のブログ

 一年間の浪人の間に、どんどん心身ともに“旬”な素材ではなくなっていっても、あの馬鹿げた内紛を世間に曝している球団に行きたいというのなら、もう君のことを取り上げるのは、これを最後にしよう。

 あらためて振り返ってみても、清武という男の会見は、いったい何だったのか。文部科学省という場所の選定も不思議だが、もっと不思議なのは、上司の桃井に根回しせず行なった単独犯行(?)のため、淡い期待をしていたのか知らないが、桃井にもハシゴを外された。クーデターにもならなければ、自分の体をなげうってナベツネと心中することもできないまま、クビになってしまった。

 かつては社会部記者として活躍したらしいが、正義感とその時の勢いだけで行動したのなら、あまりにもその効果についての見通しがなさ過ぎると言わざるを得ない。ブレーンとして近くにいた弁護士も、コンサル能力に著しく欠けていると言えるだろう。

 いずれにしても、私は“虚人”には、まったく魅力を感じないし、今回の騒動でそういう人がまた増えているのにも関わらず、菅野は、行きたいらしい。

 伯父さんが再来年も監督をしている確率は決して高くないと思うのだが、それでも浪人するらしい。親会社も、フロントも、そして現在の指揮官を取巻く人たちも、プロ野球が現在抱える危機感を察することはできないらしい。まったく自分よがりであり、もっとも重要な客やファンへの視線を感じない。これではプロ野球はどんどん魅力を失っていくばかり。

 かつての成功体験と幻想のみにすがるチームの関係者がこの体たらくなら、いくらソフトバンクが頑張ろうと、福岡という場所やホークス・ファン以外に「感動」を与えることなどできたとは思えない。そして、ソフトバンクの首脳のみならず中日の首脳陣だって、ホッとしているだろう。日本一の監督をクビにすることで批難される懸念がなくなったのだから。

 昨日の最終戦の視聴率は九州では30%を超え関東でも20%近かったらいいが、プロ野球関係者は、他に見る番組がなかったから、という人が大勢含まれていると思ったほうがいい。私もその一人。ただしBS。

 菅野が日本ハムに行っていれば、結構応援しようと思っていたのだよ、私は。しかし、もう結構。さらば、菅野。
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by kogotokoubei | 2011-11-21 11:48 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
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BSジャパン「今どき落語」11月17日のページ
 木曜日放送の録画を、今ほど見たところ。彦いちが2000年にNHK新人演芸大賞を受賞した時のネタを、初めて聞いた。
 「ドキュメンタリー落語」と説明していたが、彦いちが経験した「ある晴れた日の夜の上りの京浜東北線での出来事」、という触れ込み。
 川口と西川口の間で、“接触事故”で電車が急停車してからの物語。彦いち描く乗客達の姿が、可笑しくもそれぞれの人々の典型的と思える姿を浮かび上がらせている。

 上司と部下の“疲れたサラリーマン”二人連れ。上司が「人身事故だな」と言うと、調子のいい部下が「そうですね、人身でしょうね」と合わせる。
 そういった声を耳にして、「人身事故らしいわよ」と、噂を事実に昇格させるのが得意な“オバちゃん達”。
 マナーを守らず、「(ふ)ザケンナヨ~」とわめく、“切れる若者”、など。

 マクラも良かったし、途中で入る若者言葉の事例(?)も可笑しかった。

 10年前の内容からどう変わったかは分からないが、

 ・何の合理的な根拠もなく、頼りにならない勘と経験のみで自説を主張する上司
 ・本音は「何言ってんだこの人?」と思いながらも、「その通り!」と調子よく合わせる部下
 ・周囲を気にすることなく大きな声で、その場にいない人のことを噂する、オバちゃん達
 ・「キレ」たフリをするのがカッコいいと思い、“ぶっちゃけ”など定型フレーズしか話せない若者

 という登場人物は、ここしばらくは社会という舞台の中心的なプレーヤーとして存在し続けるだろうから、この噺の息は長いだろう。秀逸な新作である。

 新作、と言えばSWAの会は結局一度も行ったことのないうちに、解散となった。新作よりは古典が好きだし、複数の高座の中の一部が新作ならまだしも、全部新作の落語会というのは、どうしても腰が引けてしまう。

 喬太郎の新作は秀作が多いが、本音のところは常に古典を期待しているので、落語会で彼の新作に出合った時は、その高座がどれだけ良くても、心底喜べないのだ。

 新作には、どうしても“無理”を感じることが多い。その設定、笑いをとるための筋書き、サゲ、などにおいて。しかし、彦いちのこの噺は、本当にあった話のように思える、無理のなさを感じる。この噺なら、また生の高座でも聞きたい、そんな気がした。
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by kogotokoubei | 2011-11-19 07:05 | テレビの落語 | Comments(0)
二年前も三夜目に来て、『居残り佐平次』を楽しんだ会2009年9月15日のブログに、今年も何とか楽日に来ることができた。
 受付で三日間通しのプログラムをもらう。志ん輔のカラー写真が四点掲載された凝ったものだ。演芸場の階段踊り場で写真も掲示されているが松井光子さん撮影の表情豊かなショット。ちょっとこれは捨てられない。
 
 第一夜『掛取万歳』『お直し』、第二夜『夢金』『芝浜』。一日二席のネタも、これだけのものが並ぶと壮観だ
 
そして楽日は次のような構成だった。
------------------------------------
(開口一番 古今亭半輔 『出来心』)
古今亭志ん輔 『弥生町巷談』
立川吉幸   『権助魚』
古今亭志ん輔 『幾代餅』
(仲入り)
東京ボーイズ  歌謡漫談
古今亭志ん輔 『文七元結』
------------------------------------

古今亭半輔『出来心』 (18:35-18:45)
 開演は18:45と告知されているので、寄席と同じような開演前での開口一番。これは良い構成だと思う。半輔の高座を聞くのは五回目位かと思うが、ずいぶん上手くなった。「たまごの会」を含め、良いライバルと切磋琢磨していることと、師匠からの指導もあるのであろう。噺家らしくなってきたし、どことなく師匠に似てきた気がする。

古今亭志ん輔『弥生町巷談』 (18:46-19:00)
 住んでいる町名にちなんだ、この会の“前説”的なトーク。本人のブログ(日記)では、結構この時間に苦労しているらしい。三夜通しのお客さんもいらっしゃるだろうから、内容を替える苦労もあるのだろう。坐骨神経痛のことから、中国問題になり、なぜか、中国と「柳家」が並べて語られていた。「協会をまとめる前に、柳家をまとめるのが、大変・・・・・・」「会長が・・・・・・」。何かとあるようだ、あの大所帯だから。
 師匠志ん朝亡き後10年、ということで、気持のくぎりめいた思いが会にはあるようだ。早い、もう十年だ。日記風ブログにも書いてあったが、何か「解き放たれた」感があるのだろう。肩肘張って師匠を追いかける無理をしないことにしたのかもしれない。
 最後に震災への義捐金となるオリジナル年賀ハガキの案内。正楽さんの切り絵を配した洒落たハガキを、仲入りで購入した。

立川吉幸『権助魚』 (19:01-19:20)
「たまごの会」のメンバーである談幸門下の二ツ目さん。最初は平成9年にブラックに入門している。ほぼ通常の型での高座。談修ほどの味はないが、立川流では珍しい(?)直球タイプか。安心して聞いていることができるが、ちょっと物足りない面もある。他のネタも聞いてみたいものだ。

古今亭志ん輔『幾代餅』 (19:21-20:00)
 この人で古今亭の代表作を聞くのは、同じ会場での5月中席2011年5月14日の会のことでの主任以来二度目だが、なるほど、肩の力が抜けてきたんだなぁ、という印象。二席目もそうなのだが、師匠の高座を一所懸命トレースするのでなく、主旋律はもちろん崩さないが、自分なりの感性でアレンジを加えている、そんな気がする。演出として効いていたのが、藪井竹庵。清蔵が幾代の錦絵を見て一目ぼれし、他は相手にせず幾代一筋の思いを告げる場面で、「そういうのが遊びの真骨頂。細かいところをちょこちょこツマミ食いするのは、愚の骨頂」と褒める。搗米屋の親方である六衛門が、清蔵が一年働いて貯めた十三両と二分で吉原へ行くなら、一晩で使わずに細かいところをちょちょこと遊んだほうがいい、と勧めていたことを受けた竹庵の言葉で、清蔵の一途さを笑いで上手く表わしている。
 吉原での幾代とのやりとりも、程よいクササ(?)と言ってよいだろう。清蔵の独白部分を引っ張り過ぎないで、私はこの位が好きだ。
 無理に“笑い”や“泣き”を意識しない、余裕のたっぷりある高座、という感じ。5月も良かったが、この高座も十分に今年のマイベスト十席候補である。

東京ボーイズ 歌謡漫談 (20:10-20:25)
アコーディオン担当だったリーダー旭五郎が亡くなってからは初めて聞いたが、二人でも十分に楽しかった。熟練したボードビリアンの懐の深さのようなものを強く感じた。笑いのとり方、その“間”が若い者とは違う。唄の中では、特に「高崎は今日も雨だった」が絶品。ぜひCDを発売して欲しいものだ(!?)

古今亭志ん輔『文七元結』 (20:26-21:22)
 この人のこの噺は、2009年2月前進座で市馬、扇遊との三人会で聞いて以来。2009年2月7日のブログ
 博打にちなんだマクラで、北海道の犬橇の話があったが、なかなか楽しかった。
 本編は、こちらも師匠のテキストをベースとしながらも、それでなくても長い噺のいつくかを割愛し志ん輔版に“仕立て直し”たような印象。たとえば、長兵衛が五十両を文七に渡す場面で、何度も逡巡するが、その回数を師匠よりは減らした。そして、五十両の背景を語る部分での科白でも刈り込みがあった。師匠をはじめお約束のように挟まれる、いわば“泣かせる”科白として、「お礼をする気があるなら、時々は吉原の方角に手を合わせて、お久という娘が、たちの悪い病にかからないように祈ってやってくれ」という部分を、スッパリと切り捨てていた。たまたまの演出なのかどうかは分からないが、このための不足感のようなものは感じなかった。“クサすぎる”という判断なのだろうか、これも工夫の一つではある。
 佐野槌の女将の凛々しさも、良かった。強すぎる女とはせず母性的な面も十分に残っており、後味が良い。人によっては、女将の“怖い”面をもっと強調するが、違和感をおぼえることがある。 “鉄火場”の女じゃないのだ。“手を合わせ”という科白の割愛も含め、説教じみた部分をなるだけ削ったのかもしれななぁ。それも良し、である。以前に前進座で聞いた時よりも、長兵衛が過剰に泣かなったのも、良かったように思う。
 十分楽しめたのだが、途中で残念な言い間違いがあったことや、この人独特の“間”が少しだけいつものリズムからはずれた部分もあった気がする。ほぼ1時間の長講でやむを得ないとも思うが、この噺はまだまだ良くなると思うし、本人も“ベスト”とは思っていないだろう。あえて今年のマイベスト十席候補からは外させてもらう。今後も志ん輔版文七としての進化が見られる予感がする。楽しみだ。


 没後十年にして、師匠の“呪縛”から解放されつつある、そんな志ん輔の姿を見たような気がした。肩の力を抜いて自然体で向かう、そんな思いだったのかと勝手に推測する。そして、三日間やりきった満足感もあったのだろう。それは、二席目のサゲの後に演芸場の気配りもあって幕が下りず、締めの挨拶でさまざまな後援者の方へのお礼の後、三本で締める志ん輔の表情に見受けることができた。
 “新生志ん輔”、この三夜から新たな噺家が誕生した、そんな思いもする会だった。今後の高座がまた楽しみになってきたな、といううれしさを抱きながら帰路についた。
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by kogotokoubei | 2011-11-15 23:21 | 落語会 | Comments(6)
木曜夜の放送の録画を見たところ。兼好のこの噺は、今年7月に横浜にぎわい座の「地下秘密倶楽部」(?)のげシャーレで聞いているし、二年前の12月には、同じにぎわい座の芸能ホールで聴いて、その年のマイベスト十席に選んだ位で、やはり楽しい。

 マクラの時事性を除けば、ほぼ同じ内容だったように思う。そう、マクラも大事。兼好のこの噺が光るのは、歌舞伎に関するマクラが楽しいからでもある。今回の海老蔵ネタは、この人らしい味付けで笑えた。さて、本編だが別名『権助芝居』と言うように、飯炊きの権助が主役。そして、この主役が何とも生き生きと描かれていて楽しいのだ。

 素人芝居の役者が一人少ないので、飯炊きの権助に白羽の矢。番頭が権助を呼び出して、「芝居をしたことがあるか?」と尋ねてからの二人のやりとりから、聞くものを引き込む。

 村芝居で、「鮒っ子」「泥鰌っ子」という言い合いで喧嘩になる『提灯蔵』という芝居に出た、という話から、どんどん権助ワールドが広がる。『七段目』のお軽役で、九つ梯子が三段しかなく二階から飛び降りた、という逸話や、権助の役が(有職鎌倉山の)泥棒(権平)だと告げられて、出演をグズル場面など、ともかく最後まで楽しい高座。それにしても、せっかくの「最近は泥鰌も偉いんだ」のギャグ、泥鰌ご本人同様に、すべったなぁ^^

 楽しかった、しかし、ふと考える。この人で印象に残る高座は、ほとんど滑稽噺である、ということ。今年は『蛙茶番』も良かったが、今回のネタと芝居の滑稽噺で共通しているし、昨年のマイベスト十席に入れたお寺で聞いて感心した『天災』なども含め、笑いの多い噺ばかり。少し定義を拡げても人情噺に入りそうなネタで聞いたことのあるのは、『井戸の茶碗』『ねずみ』『死神』位だろうか。『紺屋高尾』や『文七元結』には出会ったことがないし、そもそも彼のネタ帳にあるのかも不明。

 滑稽噺が好きなのだろうし、聞くほうも楽しい。しかし、今後より一層噺家としての器を大きくするには、代表的な人情噺も自分のものにして欲しいし、それが出来る人だと思う。もし、私が聞いていないだけで、素晴らしい人情噺の高座を聞かれたことのある方は、ぜひお教えいただきたい。
 
 来週は、彦いちらしい。
「今どき落語」サイトの次回予告

 落語そのものとは関係はないが、番組冒頭のジャズのBGMが良い。今回は(いつもか?)、マイルス・デイビス・クインテットの「Bye Bye Blackbird」。レッド・ガーランドのピアノの後でマイルスのミュートの音色が聞こえてくると、なぜか安心する。
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by kogotokoubei | 2011-11-12 08:56 | テレビの落語 | Comments(2)
 病み上がりの高座は末広亭でも聞いたが、心身ともに快復状況を試される独演会ではどうか、という興味もあって銀座へやって来た。

 自分でも不思議だったが、この会はブログを書く以前からも含め、初。同じ会場で「落語教育委員会」には来たこともあるし、横浜にぎわい座や国立演芸場の「睦会」にも何度も出かけているが、喜多八の独演会自体が初めて、ということに気がついた。そういう意味では、私にとっての喜多八は、これまで“独演会に行きたい”とまで思わせる存在ではなかった、ということになるのだが、それはとんでもなく勿体無いことだったことを実感させてくれた会だった。
 
 400席を越える会場は、ほぼ満席。落語ブログ仲間のSさんをはじめとして、常連さん達で賑わっている印象。二人会、三人会の会場の雰囲気とは、場所柄も含めまったく違う、喜多八の“ホームグランド”的な空気が全体を包んでいる。
 
こんな構成だった。
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(開口一番 春風亭昇吉 『一目上がり』)
柳家喜多八 『長屋の算術』
柳家喜多八 『付き馬』
(仲入り)
太田その・松本優子 唄と三味線
柳家喜多八 『死神』
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春風亭昇吉『一目上がり』 (19:00-19:20)
なぜか芸術協会の昇太の弟子が登場。喜多八から噺をたくさん教わっているらしいが、どういう縁なのか不思議だ。“味噌汁は体に良く、豆腐に納豆も入れるとなおさら栄養がある”などとマクラをふるが、「こんな若僧に教えられることはない」、と思うだろうお客さんが多い会場で、本編ともまったくからまない内容に眠ろうにも眠れない退屈さ。この会で、唯一の無駄が、この開口一番だった。

柳家喜多八『長屋の算術』 (19:21-19:40)
 長屋ご一行が大家に呼ばれる。「店賃の催促?」という会話から、「えっ、『黄金の大黒』か・・・・・・」と思っていたら、「隣り町の連中には負けられない!」という話になり、「『錦の袈裟』か?」と思わせて、実は初めて聞くこの噺に。
 とにかく、楽しいネタだ。大家から、「ウチの長屋は無学な連中ばかりと言われて、お前たちは口惜しくないのか。少しは学問をしなきゃならない・・・今日は算術の稽古だ」と、お勉強が始まる。「例えば、トンカツが二十五銭とする」と大家が言った途端に「それは高い!」と反応する。題材となるトンカツにまつわる悲しい過去の物語を披露する者や、女給の真似をする寅の不気味さ、など長屋の連中と大家との算術の稽古の可笑しなやりとりに会場は爆笑であった。 
 終演後に題を確認したが、終演後の「居残り会」を約束していた落語ブログ仲間のSさんYさんのお二人も私も、全員が初めて聞く噺。帰宅後ネットで調べたら、何と古今亭志ん生の新作らしい。別名『無筆長屋』。短縮して『算術』とも言われていたようだ。あらためて志ん生の凄さを分からせてくれた喜多八に感謝。誰に稽古してもらったのかなぁ。音源から学んだのか、師匠か・・・・・・。このへんは今後の楽しみとしておこう。しかし、志ん生のネタの数は半端じゃないなぁ。これを私は、「志ん生膨大」と呼んでいる。(失礼しました)
 短い滑稽噺だが、その楽しさに加え、こういう噺の継承がとてもうれしいので、今年のマイベスト十席候補とする。

柳家喜多八『付き馬』 (19:41-20:07)
 いったん下がってから羽織を着ずに再登場。この会は、いつもこういう構成で三作らしい。
 吉原の牛太郎(妓夫)を騙す男が、この人らしく、なんとも軽く明るいのが良い。金を持たず一晩遊んだ男が、借金を取り立てれば払いができる、と妓夫を騙してあちらこちら引き回す際、妓夫に口を一切挟ませないよう喋り続ける部分は、言い立てのような感覚で聞けて、リズムとスピード感が爽快でさえある。このネタで、こういう感覚を味わったのは初めてかもしれない。確かに志ん朝や柳朝の音源のスピード感にも似ているのだが、男の軽妙さは、この人ならではの味だ。一席目、二席目とも短いネタとは言え、快調な高座に病の影は微塵も感じなかった。

太田その・松本優子『唄と三味線』 (20:22-20:37)
仲入り後、幕が開く前から三味線の音が聞こえ始めた。この手の音曲(に限らずだが)は不勉強なのだが、端唄の「露は尾花」の後で、正朝の出囃子である「長崎ぶらぶら節」。この曲からは映画を思い出す。そして、茶屋遊びでもてるのは、喜多八のような男、とヨイショして益田太郎冠者の作「不老不死」へ。替え歌も楽しかった。その後「奴さん」とつないでくれたが、この後の高座で喜多八も「頼っちゃいけないんでしょが、いいですね」と言う“華”のあるお二人だった。なるほど、この会にはこういったスペシャルがあるのか、と感心。

柳家喜多八『死神』 (20:38-21:10)
 唯一ネタ出しされていた噺。プログラムの裏(?)に、落語作家の本田久作が、こんなことを書いている。

 落語の中の死神は人間にとってもっとも恐ろしい力を発揮する一種の権力者だが、死神にそっくりの若き日の喜多八はまったく無力な顔をしている。自負はあっても自信はない、持ちネタはあっても金はない、実力はあっても人気がなければ、たいていの噺家はこういう顔になってしまう。その顔が今のいかにも噺家らしい顔になるまでの間に一体何があったのか。まさかアジャラカモクレンと呪文を唱えただけでは人相は変わるまいから、そこには人の知らない精進と努力があったに違いない。


 たしかに、「精進」「努力」があったことだろう。しかし、この人の定番の演出は、その「努力」をしていない、というフリをすることであり、“病的”を装うこと。学習院出身で宝塚歌劇贔屓の喜多八のモットーは「清く、けだるく、美しく」らしいが、このネタの呪文も、「アジャラカモクレン キューライス 清く、けだるく、美しく、テケレッツのパ」。しかし、「清く、けだるく、美しく」は省略してもOKらしい。ちなみに、先月末広亭で、そのさわりだけ聞いた古今亭寿輔のこの噺の呪文は、「アジャラカ モロッコ アルジェリア コンブ トンコツ クリキントン テケレッツのパ」だった。まぁ、呪文は噺家さん十人十色でいいと思う。
 最初の滑稽噺二席が良かったこともあるが、私はこの噺は、手放しで楽しめなかった。「ニン」と言われると、なおさら難しくなる、プレッシャーがかかる、そんな圧力を背後に感じた。この人らしい奔放さが、今一つだったように思う。この噺にしては30分余りという時間は、決して長くはない。いつものこの会の所要時間や終演時間がどうなっているか知らないが、たとえば医者になって大儲けする男が上方に遊びに行く場面なども省いた短縮版と言っていいだろう。喜多八には悪いが、2007年の7月、第一回らくだ亭で師匠小三治が演じたこのネタのことを思い出すなぁ。あれは、感動ものだった。しばらく後で、またこのネタに出会いたいものだ。


 終演後は、今月最初(?)の「居残り会」。Sさんのご指南により博品館から遠くない場所にある、山形の地酒を飲ませてくれるお店へ。辛口の「住吉」も、山形の青菜(せいさい)も上手かったが、やはり落語の話が最高の“肴”だったかなぁ。今月の「居残り会」は、もう一回あり、師走の会(兼忘年会)も決まっている。来年2月から3月にかけて小満んが出演する会が続くので、「居残り会」の予定日も先に決まりそうだ。正月だけ未定、ということになるが、次の会では決まるだろう。皆さん公私ともに忙しいのに、ホントに好きだよねぇ。(人のことは言えないけど)

 1月の喜多八の会は、すでに他の落語会を押さえており行けないが、そのうちまた行きたい落語会であることは間違いがない。

 お店の最後の客となり、店の人と冗談を言っている間にも時間は過ぎていく。重い腰を上げて電車に乗り帰宅した時間は、日付変更線通過目前だった。
 帰宅後にどうしても気になってネットで調べて、『長屋の算術』が志ん生ネタであると分かり、半ば驚き、半ば納得した。保田武宏著『志ん生の昭和』(アスキー新書)に、昭和初期の大衆雑誌に落語の速記が掲載されるようになり、志ん生の貧乏生活も少し改善されたことが紹介されているが、その中で、

無筆長屋(長屋の算術)(新作) 『講談倶楽部』昭和11年2月号


 と記されている。そして、音源もあるのだった。志ん生のことなら、音源ライブラリー的な本も含め保田さんは書かれているが、その保田さんが解説を書いている「SPレコード復刻 昭和戦前落語全集 東京篇」CD全16枚セットの中の15枚目の志ん生のCDの中に、「算術」がある。「SPレコード復刻CD集 昭和戦前面白落語全集 東京篇」
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東京篇 十五 〈総収録時間:1時間12分14秒〉
●五代目 古今亭志ん生
 1 亭主関白 7'02"
 2 元帳 6'56"
 3 姉さんの合戰 6'48"
 4 我慢灸 6'56"
 5 ラブレター 6'41"
 6 夕立勘五郎 6'04"
 7 算術 6'31"
 8 氏子中 5'36"
 9 味噌蔵 6'37"
 10 稽古屋 6'22"
 11 輿太郎 6'05"
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 CDが16枚で、消費税込み25,200円か・・・・・・。
 
 しばらくは、喜多八の高座の余韻に浸ることにしよう。
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by kogotokoubei | 2011-11-08 09:05 | 落語会 | Comments(12)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛