噺の話

kogotokoub.exblog.jp

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

<   2011年 09月 ( 13 )   > この月の画像一覧

昨年12月の会で小金治さん(真打昇進前二ツ目で落語界から映画の世界へ転出されたので、残念ながら“師匠”とは呼べない・・・・・)の見事な『三方一両損』を拝見したので、今年もぜひ来たかった。なんとか行くことができ、ある意味で歴史的な会に居合わすことができた。しかし、300席の会場は約六割ほどの入りだった。この会の意義を知らない方が多いのだなぁ。しかし、満席になってもチケットが取りにくくなって困るしなぁ、複雑な思いをさせる客の入りだった。
 終演後の「居残り会」が盛り上がって帰宅が日付変更線を超えたので、一日遅れで書いているが、いまだに最後の5分間の出来事への感動の余韻が消えない。さて、何があったかは、順に書いていくことにしよう。

 構成は次のような盛りだくさんな内容だった。
------------------------------------
(開口一番 笑福亭呂竹 『初天神』)
桂文我  『宿屋仇』
桂小金治&桂文我 対談「芸談あれこれ」
桂小金治 『渋酒』
(仲入り)
桂文我  『帯久』
------------------------------------

笑福亭呂竹『初天神』 (18:33-18:48)
 初めて聞く。見た目や内容から、まだ入門数年の若手かと思っていた。ネタ数が少ないので、まったく季節感のない噺をかけたのだろうと察していたのだが、後でネットで調べたら師匠呂鶴に入門して10年目のようだ。語り口も団子の蜜を舐める仕草も含め、まだまだ修行してもらう必要がある。

桂文我『宿屋仇』 (18:49-19:31)
 この人の高座姿が、ますます“品”良く、あえて言えば格調高くなったように思う。知らない人は、とても枝雀の弟子とは思わないだろう(!?)。この噺も上方がオリジナルで、東京へは三代目の小さんが移し五代目も十八番の一つにしていた。上方のこの噺の演出上の特長は、何と言っても三味線、笛に太鼓に唄の“はめもの”が効果的に使われること。明石から伊勢詣りをした帰りの仲良し三人組、喜六・清八・源兵衛が、大阪は日本橋(ニッポンバシ)の旅館でどんちゃん騒ぎをする。隣室の侍が手紙を書いている最中だったのだが、三味線のリズムに合わせて、つい体と筆が動いてしまうところなど、東京の型にはない楽しさがある。噺家によっては侍をもっと強面に演じるが、この人の場合は、程よい加減の侍像という印象。全体としては長講ながら飽きさせず途中もダレない、楽しく味わいのある本寸法の上方噺だった。先月の米二とは別種の上品な高座、今年のマイベスト十席候補としたい。 補足すると、この噺の難しさについて、『桂枝雀のらくご案内』には次のように書かれている。生半可なネタではないのだ。『桂枝雀のらくご案内-枝雀と61人の仲間-』(ちくま文庫)

 内弟子時分に、うちの師匠から教わったネタなんですが、言葉数の多いいわゆるほおばるネタでして、それでも昨今、なんとか自分のもんにできたかな・・・・・・と思っておりました。そしたらある時、うちの師匠が「わしもなァ、いっぺんでええさかい『宿屋仇』をきっちりと演りたいと思てんねや・・・・・・」としみじみ言わはりました。それ聞いて、改めて「道は遠いなァ」と思っているのでございます。


対談「芸談あれこれ」 (19:33-20:13)
 文我が先に舞台に登場し“露払い”した後に、小金治さんが真っ直ぐと綺麗な立ち姿で舞台袖に登場し一礼。大正15(1925)年10月6日生まれなので、来週木曜日に満85歳を迎えるとは思えない凛々しい小金治さんにまた会えて良かった。
 落語の著作もあり、落語関連の豊富な資料を収集している文我。その所蔵資料から、昭和20年代初期に、当時の落語芸術協会の若手による「青年落語努力会」が、ガリ版刷り(うわぁ~、懐かしい!)で発行していた「落語アパート」という会報の黄ばんだワラ半紙を持ってきた。昭和23年の歴史的文書(?)に、小金治さんの前座時代小竹が書いた内容を紹介して対談は幕を開けた。昨年も楽しかった対談は、実に盛りだくさんな内容だった。さて、どの話を紹介したらいいものか。本当は会場に駆けつけたお客さんだけの秘密にしたいところだが、すでに公になっているエピソードもあるので、少しだけばらしましょう。
□石原裕次郎は小金治さんの奥さんの手料理が大好きで、小金治さんの自宅を「料亭 桂」と呼んで、頻繁に一升瓶を手に訪れた。
□魚屋だった父親の笑顔は家では見たことがなかったが、子どもの頃に桟敷の寄席が好きだった父親に四谷の「喜よし」に連れてってもらった時、その父親が落語を聞いて笑っているのを見て、「あの父を笑わせる落語は凄い」と思った。(それが、戦後の落語界入りの伏線だったようだ。)
□なかなか噺を覚えられずに父親に泣き言を言ったら、「他の噺家さんだって同じ人間だろ。お前がネタを覚えられないのは、サボっているからだ」と諭され、稽古に励んだ。
□父からは、世の中一人で生きていけはしないんだから、他の人を大事にすること。そして、決して上から(目線)ではなく、下から(低姿勢で)お付き合いすること。そして、いつも笑顔でいること、など多くのことを学んだ、などなど。

 85歳になっても、未だに忘れない父親の教えが、この方の了見を磨いてきたことを痛感した。そして、やや長くなっていることを案じたのであろう、対談を収束させ自分の出番につなげようとしたのも小金治さんご自身であり、文我はもっと話したかったように見受けた。

桂小金治『渋酒』 (20:15-20:37)
 対談の中でも説明があったが、この噺は笑いがほとんどないので、お客さんの辛抱が試されるという“おことわり”の後、「旅の噺が好きで」と『二人旅』のダイジェストで会場を暖めて本編へ。五代目立川ぜん馬から稽古をつけてもらったらしい。ぜん馬からは、「若い人がやるような噺じゃない」と一度は断られたが、「私もそのうち年をとりますし、今のうちに覚えなければ年をとってからでは覚えられない」とお願いして習ったらしい。ちなみに五代目ぜん馬は明治28(1985)年生まれで昭和35(1960)年亡くなった噺家さん。談志家元や五代目円楽など多くの噺家が稽古をつけてもらったと記録にある。その昔の一朝爺さん、そして彦六の正蔵のような、稽古してもらうにはうってつけの噺家さんだったのかもしれない。
 どんな噺か、概要のみ記す。
(1)男の旅人が山の中で道に迷い泊まる先を探していたが、村の鎮守の留守番役から、
   村一番の貧乏人の家を紹介される。
(2)村一番の貧乏人の家で一泊させてもらえることになったが、主人は用があるから
   留守番をしてくれ、奥の部屋は覗かないように、と言って出て行ってしまう。
(3)障子が破けており、つい奥の部屋を覗いた旅人は、そこに女性の死体が横たわって
   おり、その手が動いたのを見て驚いた拍子に転げて頭を打ち気を失う。
(4)家の主人が帰ってきて、今朝女房が亡くなったこと、それを親戚に知らせて葬儀
   の手配もするため出かけたこと、動いた手は、添い寝をしている幼い娘の手である、
   と明かす。
(5)男は翌日も旅を進め、途中で茶店に立寄る。厠を借りた際に、裏の納屋に一人の男が
   縄で縛られているのを発見する。
(6)茶店の主に納屋の男のことを尋ねると、「うちの最高の酒をねたみ貶しに来た男だ。
   酒を飲んで『こんな渋い酒はない』と悪口を言ったから、縄で縛ってある。」との
   こと。
(7)旅人は、その酒をもらい一口飲む。そしてサゲへ。

 長くなったが、今後この噺をかける噺家さんは皆無に近いと思うので書かせていただいた。ただし、小金治さんが気に入っているサゲは明かすことはできない。年季の入った落語愛好家の方は想像できるように思う。
 少し言い間違えや言いよどみもあったが、珍しい噺を聞かせていただき、会場からの暖かい拍手の中を退場された。「来年は、どんな噺を高座にかけてくれるかなぁ」などと思っていたのだが、最後に再登場して、あの発言があったのだ・・・・・・。

桂文我『帯久』 (20:44-21:25)
 この噺も上方発祥で、東京でも演じられる政談もののネタ。米朝が十八番としている。上方版では噺の中心となる二軒の呉服屋は、和泉屋与平が東横堀に沿った瓦屋町三丁目、帯屋久七が同じく二丁目。東京版では和泉屋が日本橋本町四丁目、帯久が同二丁目となる。噺の筋の詳細は書かないが、『宿屋仇』と併せるもう一席に、この大ネタというのは、凄いと思う。サゲは大師匠とは替えたが、これは還暦で“本卦がえり”という言葉が今日では“死語”に近いから無理もないか。ちなみに東京版では、古くなるが三年ほど前、三三の独演会で聞いている。その時のブログに、生の高座ではないが音源で聞いていた志の輔のサゲも併せて書いたので、ご興味のある方は昔のブログをご参照のほどを。
2008年8月1日のブログ

 一席目の長講と対談が続き、結構疲れているように思うのだが、しっかりと本寸法での高座だった。しかし、上方ならではの“はめもの”も含めた一席目に比べると、後半やや急いだ感もあって、マイベスト十席候補は一席目のみとしたい。


 さて、そろそろ9時半、この後の「居残り会」に心が動きつつある時、舞台袖に小金治さんが登場。なんと、『渋酒』の高座の時に言い忘れたらしいが、「今日の『渋酒』をもって最後とし、今後一切落語はやりません」とのサプライズ発言。まだ、高座に座っている文我も横で驚いている。小金治さんは、会場に深ぶかとお辞儀をした後、顔をを両手で覆って号泣。再び会場へのお礼とお辞儀のあと、会場からの拍手が長く止まなかった。
 小金治さんが舞台袖に下がってから、文我が、「小金治さんのココ(*胸を叩いて)には、今もたくさんの噺が入っています。あくまでも『渋酒』は今日で最後、ということでしょう」と引き取って終演となった。

 やや、会場のざわめきが残る中を外へ出て、いつもの三人に紅一点の素敵な方が加わって、いざ「居残り会」へ。小金治さんのこと、文我のこと、そしていろんな話であっと言う間に時間が過ぎる。程よい酒と肴と楽しい会話で盛り上がった後、最後の客として店を出た。
 「“噺”は最後でも、また対談で貴重な“話”を聞かせていただければ、それでいいさ」、などと思いながら半蔵門の駅へ向かった。もちろん、冒頭に書いた通り日付変更線超えの帰宅である。とにかく、なかなか出会えない、長く思い出に残るに相違ない落語会だった。

 あっ、ネットで検索していたら、昨夜の落語会のことがニュースになっているではないか。記者があの会場にいた、ということか・・・・・・。歴史的落語会の裏づけ、とも言えるかなぁ。MSN.産経ニュースの該当記事
[PR]
by kogotokoubei | 2011-09-30 09:15 | 落語会 | Comments(14)
今年の「NHK新人演芸大賞」が下記の日程でNHK大阪ホールで開催されることが、NHKのサイトで案内されている。NHK大阪のサイトの該当ページ

<演芸部門> 平成23年10月14日(金)
開場:午後6時10分 開演:午後6時50分 終演予定:午後8時10分

<落語部門> 平成23年10月15日(土)
開場:午後5時40分 開演:午後6時20分 終演予定:午後8時10分


 落語部門で予選を勝ち抜き決勝(本選)に出場する5名は次の噺家さん達。

桂ひろば、桂まん我、三遊亭歌太郎、瀧川鯉八、鈴々舎馬るこ(五十音順)


 放送は11月になると思うが、会場に行かれた落語愛好家の方のブログや、芸能ニュースによって放送の前に結果を知ることはできるだろう。

 小三治革命(?)によって落語協会の来年の真打昇進者として一之輔(2010年優勝)、菊六(2009年優勝)の抜擢があり、この大会の優勝の重みが増したように思う。その落語協会からは二人、芸術協会から一人、上方が二人という構成。

 当日までの楽しみとして、今年の優勝を占ってみたい。競馬などと同様、実は勝負の前の予想が結構楽しかったりして、勝負そのものは“あっけなく”終るなんてことも多いからね。
 実は、昨年の一之輔の優勝について書いた後に、次のような気の早い今年の予想めいたことを書いていた。2010年11月10日のブログ

11月6日に放送された「NHK 新人演芸大賞-落語部門-」は、春風亭一之輔が大賞を受賞し、これで東京勢が三連勝となった。この賞は、前身となる賞において選考手法の変遷がいろいろあったが、1994年から現在のような「落語部門」「と「演芸部門」とに分かれての表彰になった。

 そこで、1994年以降の大賞受賞者を東と西に分けて並べてみる。。
--------------------------------------------------------
        西             東
1994年                桂平治
1995年                柳家三太楼(→三遊亭遊雀)
1996年                古今亭志ん次(→志ん馬)
1997年  桂宗助
1998年                柳家喬太郎
1999年  桂都んぼ(→米紫)
2000年                林家彦いち
2001年  桂三若
2002年                古今亭菊之丞
2003年                古今亭菊朗(菊志ん)
2004年  桂かい枝
2005年                立川志ら乃
2006年  笑福亭風喬
2007年  桂よね吉
2008年                三遊亭王楽
2009年                古今亭菊六
2010年                春風亭一之輔
--------------------------------------------------------

 東の11勝、西の6勝と、ほぼダブルスコアになっている。この結果をどう考えるかは難しいが、間接的に次のようなことが結果に影響していそうな気がする。
・賞に対する価値観の違い →東>西 *あくまで邪推
・出演可能な二つ目相当者の母集団の差 →東>西
・前座・二ツ目・真打昇進制度の有無 →東:有、西:無

 さて、では来年は、どうなりそうか・・・・・・と考えると“鬼が笑う”のだろうが、西が有利、ということは言えるかもしれない。なぜなら、審査委員や主催するNHKが、東西のバランス感覚を働かせるだろう、ということがひとつ。そして、東で頭一つ抜け出た優勝候補者と私が思っていた一之輔と菊六がすでに受賞してしまったためでもある。


 もちろん、今年の出場者が決まっていたわけでもなく、あくまでも“鬼の笑う”レベルの内容だったが、さて出場者も決まったことだし、あらためて予想に入ることにしよう。

 まずは出場者それぞれのプロフィールを、協会や本人のブログなどの関連サイトから確認したい。
桂ひろば
上方落語協会サイトの該当ページ

1.芸名/桂ひろば(かつらひろば)
2.本名/津村 裕也
3.生年月日/1978年(昭和53)年 7月6日
4.出身地/大阪府阪南市
5.血液型/A型
6.入門年月日/2000年(平成12年) 5月「桂ざこば」
7.出囃子/なし
8.紋/三つ柏
9.趣味/バイク(大型免許)、
マジック(カードも含めてテーブルマジック)
10.ホームページ/http://61102742.at.webry.info/
11.所属/米朝事務所
12.その他/京都学園大学中退
平成23年繁昌亭ドリームジャンボコンテスト小枝杯1Rチャンピオン
主な会は「ひろば勉強会」「ごにんばやしの会」「常盤寄席」
「ひろば・そうばの堤法寺寄席」
ひとこと/とにかくデカいです。



桂まん我
桂まん我 応援サイト(公認サイト)

本名 永原 淳
■生年月日 1971年12月2日
■血液型 AB
■出身 兵庫県神戸市など
■学歴 金沢大学 工学部(落研所属)
■芸歴 1999年1月1日 四代目 桂文我に入門。内弟子となる。

1999年5月   「子ほめ」で初舞台。
2001年2月   内弟子卒業。
以降、大阪の落語会を中心に活動。
2002年8月~   「お笑いまん我道場 東京編」開催。
2003年12月~   「お笑いまん我道場 名古屋編」開催。
2005年8月~   「お笑いまん我道場 大阪編」開催。
2006年10月~   「お笑いまん我道場 金沢編」開催。
2003年4月~   KBS京都ラジオ 「桂 都丸のサークルタウン」出演中。
(毎週土曜日 AM 8:30 ~ 11:55)
2006年12月   文化庁芸術祭新人賞 受賞
2009年   平成20年度 咲くやこの花賞 受賞

■趣味 笛、三味線、音楽鑑賞、歌、釣り、ゴルフ、酒
<本人からのメッセージ>
明るく、楽しく、さわやかに。とにかくおもしろい落語を目指します。高座に出てきた瞬間に、その場の雰囲気が楽しくなるような落語家になりたいなあ。



三遊亭歌太郎
ホームページ

[本   名] 磯部 成伸 (いそべ まさのぶ)
[生年月日] 1982年(昭和57年) 7月7日
[出身地]  東京都大田区
[出囃子]  東 拳 (あづまけん)
[ 紋 ]   二つ巴 (ふたつともえ)
[芸  歴]  
2004(平成16)年 8月11日  三遊亭歌武蔵に入門
2005(平成17)年 8月21日  前座となる 前座名「歌ぶと (かぶと)」
2008(平成20)年11月11日  二つ目昇進 「歌太郎」と改名
[初高座]   
日時  2005年 8月29日
場所  新宿末広亭
演目  子ほめ
[得意ネタ]   権助魚 子ほめ  …
[受賞歴]    もうちょっと待ってください(笑)
[趣  味]   落語と関係ない事全般
[自己PR]    
何よりもまず落語を知らない方々、私と同年代の方々に「らくご」を知っていただきたい。
「こんなに面白いものなのに今まで知らなかったなんて…」と言わせたい…
その為にもわかりやすく、笑いをたくさん入れていきたいと考えております。
呼んでいただければどこへでもはせ参じます!
決して損はさせません。
お客様には何が何でも笑顔になっていただきます!
目標は、「全員爆笑!」



瀧川鯉八
落語芸術協会サイトの該当ページ

芸名   瀧川鯉八 たきがわ こいはち
本名   吉田 誠 ふりがなよしだ まこと
生年月日 昭和56年3月27日
出身地  鹿児島県
芸種   落語
階級   二ツ目
芸歴   平成18年8月 瀧川鯉昇入門 前座名「鯉八」
      平成22年8月 二ツ目昇進



鈴々舎馬るこ
ブログ「馬るこ亭」

名前:鈴々舎 馬るこ
年齢:30
誕生日:8月4日
性別:男
職業:落語家
メールアドレス:reireisyamaruko777@yahoo.co.jp
落語動画DLチャンネル爆笑!らくごNEW WAVE
DVDを自費出版します。
作成費用を稼ぐために、
2009年下半期特別企画
「鈴々舎馬るこ いつ何時、誰の出演依頼も受けるキャンペーン」
を行います。

10人前後の人間が集まる所であれば
座布団持参でどこへでもお伺いします。

面識のない方でも大丈夫。
どしどしメッセージをください。
お待ちしています。

twitterやってます
reireisyamaruko
名前:鈴々舎 馬るこ
年齢:30
誕生日:8月4日
性別:男
職業:落語家
メールアドレス:reireisyamaruko777@yahoo.co.jp

鈴々舎馬るこコミュニティ
参加してくだいね
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1626911
(以下割愛 by小言幸兵衛)


*ちなみに「馬るこ」の読み方は「まるこ」である。長々とプロフィール欄に書いているが、肝腎なフリガナをつけていないことに気がついていない・・・・・・。 

 こうやって二ツ目クラスの噺家さんのことを調べようとすると、それぞれの協会のプロフィール欄、あるいはサイトそのものの違いなどが明確に分かる。また個々にブログなどを開いている場合は、その噺家さんが何を言いたいのか、あるいは何を言いたくない(?)のかが、ある程度は伝わってくる。

 そういったプラスアルファの定性的な情報はあくまで参考として、統一指標で比較するなら、年令と入門からの年数ということになるだろうから、その部分だけを抽出してみる。
*馬るこのブログでは年齢を30と記しているが生年を書いていないので、念のため落語協会のサイトで確認する必要があった。生年月日を書いておけば「30」など書く必要もないであろうに。

            生年月        入門年月
桂ひろば    昭和53(1978)年7月    平成12(2000)年5月
桂まん我    昭和46(1971)年12月    平成11(1999)年1月
三遊亭歌太郎 昭和57(1982)年7月    平成16(2004)年8月
瀧川鯉八    昭和56(1981)年3月    平成18(2006)年8月
鈴々舎馬るこ  昭和55(1980)年8月    平成15(20039年5月

入門が早い順に入門年数と決勝当日10月15日時点での満年齢を並べると次のようになる。

まん我  12年と9ヵ月 39歳
ひろば  11年と5ヵ月 33歳
馬るこ   8年と5ヵ月 31歳
歌太郎   7年と2ヵ月 29歳
鯉 八   5年と2ヵ月 30歳
 
 私の知る限り、過去の決勝(本選)出場経験があるのは、まん我だけ。

 2年前の落語会なども含め、最低一回は彼らの生の高座を聞いているので、その時のブログを見て思い出しながら(最近、日々死滅する脳細胞が急に増えてきたような気がする)、あらためて感想や印象そして今回の予想などを書くことにしよう。

まん我
 昨年の国立演芸場における師匠文我の会、あの小金治さんがゲストの会で、「餅屋問答」(東京の「蒟蒻問答」の上方版)を聞いた。少し緊張気味ではあったが、悪い印象ではない。この人は、昨年の「お玉牛」3年前の「野ざらし(骨つり)」ともに、優勝しても不思議ではない出来だった。2008年の菊六の口惜しい表情を今でも思い出すが、その翌年に菊六は雪辱を果たし、昨年が一之輔の優勝。昨年のまん我の顔に潜むものに、2008年の菊六と同じような何かを私は感じていた。ちなみに、昨年のまん我への私の採点は一之輔と同点だった。
 だから、技量、経験、そして会場の地の利、これまでの優勝者における東京と上方の割合などなどを総合的に考えて、この人の本命の座はゆるがないと思う。

ひろば
 2年前、平成21(2009)年6月19日の麻生市民館での「三三・吉弥ふたり会」で「動物園」を聞いた、ようだ。ブログには、「特筆すべき点はないが、会場は意外に盛り上がった。」と書いている。正直なところ、記憶にほとんど残っていない。少しでも見所があるのならもう少し何か書いているはずなので、やはり印象は強くなったのだろう。その後の2年間で相当成長していなければ、優勝は難しいのではなかろうか。無印、だなぁ。

馬るこ
 この人の生の高座だけは2年間に限ると他の四人より多く二度接していて、五人の中ではもっとも最近になって聞いている人でもある。8月22日のらくだ亭で「親子酒」、昨年11月の菊六の会のゲストで「紙屑屋」を聞いた。後者についてはブログで酷評した。前者も、無理なクスグリや酒の飲み方の拙さについて小言を書いた。正直なところ、なぜ決勝に残ったのか分からない。たしかにあの芸は、もしかしたら大阪なら受けるかもしれないので、まん我への刺客として東京から送り出したのだろうか。しかし、優勝に相応しい実力があるとは思えない。ブログの内容などを見ても分かるが、落研の学生のような軽いノリのまま落語家生活を過ごしているような気がしてならない。テレビ放送を、できる限り先入観をなくして見たいとは思うが、そう簡単に本質的なところが変わるようには思えない。無印。

歌太郎
 たぶん前座時代の歌ぶとでも聞いているが二ツ目で聞いたのは、これも少し古い話で恐縮だが、2009年9月19日の池袋演芸場の定席だった。師匠である歌武蔵が主任の席で「道具屋」を演じた。結構その時の記憶は残っていて、ブログにも書いていたが若い割になかなか歯切れの良い江戸っ子の高座、という印象。まん我の対抗馬は、この人だと思う。師匠が苦労人だから、良い意味での神経の太さが本番で強みを発揮するような気がする。アウエーでまん我を倒すのは簡単ではないが、ぜひ気風のいい江戸前の高座を期待したいものだ。

鯉八
 桂ひろばを聞いた時期とほぼ同じ2009年6月10日の「鯉昇・平治ふたり会」(横浜にぎわい座)での開口一番で「牛ほめ」を聞いている。しかし、こっちのほうは記憶がはっきりしている。ちなみにその日のブログは次のように書いていた。「なんとも不思議な魅力のある前座さんである。体は大きく、やや“武闘派”のイメージ。噺の表情は硬いし、笑顔で話すべき部分も怖い位の顔つきで演じるのだが、それでも妙に味がある。表情はもっとつくる必要はもちろんあるのだが、“硬派”イメージの噺家として、文左衛門のようなタイプに育つ可能性はありそうだ。がんばって欲しい。」入門5年での決勝進出は、あの不思議な雰囲気が本物になりつつある証拠なのかもしれない。まかり間違えば、ということで“注意”とする。

ということで、競馬を真似るなら、私の予想は次のようになる。
------------------
 桂まん我
 三遊亭歌太郎
 瀧川鯉八
   桂ひろば
   鈴々舎馬るこ
------------------

 “当たるも八卦当たらぬも八卦”、ではあるが、この予想は“結構固いですぜ、お客さん!”と、今のうちなら言える。しかし、はずれても掛け金(?)は返却いたしませんので、ご容赦のほどを^^
[PR]
by kogotokoubei | 2011-09-27 09:46 | テレビの落語 | Comments(4)
二俣川駅に隣接した商業ビル内のホールでの落語会。通算41回目。会場の正式(?)名称は、横浜市旭区民文化センター、である。この会には昨年1月の白酒・柳朝の会に来て以来だ。2010年1月23日のブログ
 前回のブログを見たところ、二時間の会だった。そのへんも含めて二人のネタがどうなるか、いろいろ想像していたが、ほとんど予想ははずれた。

 余談だが、この会の前の落語会として21日の遊雀の会(「遊雀玉手箱」)に行く予定だったのだが、あの台風上陸である。開催はしたらしいが電車が止まっては、その前に予定していた都内での打合せを含めて行きようがない。何度も主催のショーキャンプに電話しては、留守電での「予定通り開催」の声にいらだっていた。翌22日に電話したところ、実際に開催し半数位の来場はあったらしいが、来場できなかった客には払い戻しをするとのこと。しばらくして同社のサイトにも案内が出た。当日の強行開催という姿勢には、三三や遊雀の会を主催していて好感を持っていたこの会社に幻滅を感じ始めていたが、事後の対応で、なんとか溜飲は下がった。ショーキャンプのサイト

 さて、今日の会のこと。三三と志ん丸の二人会。300席ほどの会場は、満席とはならないまでも、ほぼ九割の入りだったろうか。地元の落語好きの常連さんが中心のようだ。平均年齢は、低くはない。
 次のような構成だった。
-----------------------------------
(開口一番 古今亭半輔 『出来心』)
古今亭志ん丸 『鰻の幇間』
柳家三三   『悋気の独楽』
(仲入り)
古今亭志ん丸 『豊竹屋』
柳家三三   『湯屋番』
-----------------------------------

古今亭半輔『出来心』 (14:00-14:15)
プログラムにもメクリにも名前が出ていたのだが、入門から一年半余りの前座さんであるし、この二人会のトップバッターだから、やはり「開口一番」なのだろう。この人の高座は四回目かと思うが、確実に成長している。歯切れの良いリズムや間が、少しだけだが、師匠志ん輔に似てきたように思う。そして、何より噺家らしさが出てきた。よく立ち寄る志ん輔のブログに時々登場するので、なんとも言えない親近感がある。不思議だ。

古今亭志ん丸『鰻の幇間』 (14:16-14:56)
この人は今の名前(三代目)で真打昇進して三年になるのだが、まだ二ツ目時代の志ん太の印象が強い。二ツ目の頃の若さに似合わない渋い(?)表情と、独特の高い声に出会った時の記憶が強いのだろう。久しぶりだが、なかなかの高座だった。この噺は、かつて志ん生も文楽も十八番としたという意味で貴重なネタだが、当り前だが古今亭版をベースとしながら、一部文楽版の良さを活かした内容に、この人ならではのアクの強さ、“くささ”で味付けされていた。例えば、掛け軸が二宮金次郎は志ん生版、襟に縫い付けた“イザという時”の拾圓札を取り出すのは文楽版なのだが、考えて見れば、この融合版は大師匠である志ん朝の型であった。そうか、志ん朝版を継承しているんだ、と聞き終わった後で妙に嬉しくなった。この後の三席の時間を心配させる長講ではあったが、その時間を感じさせない結構な高座、今年のマイベスト十席の候補とする。

柳家三三『悋気の独楽』 (14:57-15:20)
今までもっとも広い会場は埼玉スーパーアリーナで観客15,000人、しかし、ちょうどいいのはこの位の会場、などのサービス精神旺盛のマクラから本編へ。「ほぅ、こんな噺もやるんだ」という嬉しい思いで聞いていた。旦那、お内儀さん、定吉、そしてお妾さんのそれぞれが生き生きとしていて楽しい高座。旦那の科白で言わせていたが、「目は一点を見つめ、あごだけが左右に揺れている」お内儀の表情が、なんとも“悋気の女”なのである。会場に合わせたネタの選択なのだろうが、こういう噺の三三も、これまた結構だった。

古今亭志ん丸『豊竹屋』 (15:36-15:47)
寄席並の短時間ながら、この人にはニンな楽しい高座。マクラでは、私が遊雀の会を断念した21日のネタがあった。師匠の志ん橋が主任の浅草に出ているが、21日に演芸ホールにあった25件の「今日は寄席があるんですか?」という電話のうち24件が噺家からだった、というのは、満更ネタではないような気がした。一席目が今日のメインだったのだろうし、三三の二席目の時間を作る配慮もあったのだろうが、こういう短い時間でも会場を沸かせる技量は、なかなかのものである。

柳家三三『湯屋番』 (15:48-16:10)
これまた三三で生では聞いたことがないネタで、うれしかった。寄席で主任でなければかけるのかもしれないが、落語会では、まず聞けないネタだろう。短い時間とは言え、“二階で厄介”という“十階”の身である若旦那が「桜湯」の番台で繰り広げる一人芝居に、滑稽噺がこれほど出来るからこそ人情噺も生きる、という思いを強くした。今もっとも充実しているように思う三三の余裕、あるいは貫禄のようなものを感じた高座。


 三三の高座は、どちらも短いこともあって今年のマイベスト十席候補にするのは気がひける。しかし、滑稽噺の二席は良かった。志ん丸の『鰻の幇間』も『豊竹屋』も良かったし、2時間ちょっとの落語会ではあったが、地域寄席の暖かい空気も含めなかなか楽しい会だった。年末24日は馬石と歌奴の二人会らしい。仲入りと終演後に、結構チケットを買う人の行列があった。私は、まだそんな先の会を今から予約できようもなく買うのは見送ったが、噺家の選択には、なかなかのセンスを感じる。寄席、落語会に加えて、こういった地域寄席もいい、と思いながら、ようやく秋のきざしのする中を帰路についた。
[PR]
by kogotokoubei | 2011-09-24 09:20 | 落語会 | Comments(6)
 昨夜は、台風による電車運休の影響で帰宅が遅くなり、ややくたびれたこともあって志ん生の命日で何か書こうと思っていたが、結果として書くことができなかった。志ん生のことは命日に限らず書く機会があるだろうから次の機会としよう。日が変わって9月22日の今日は、七代目笑福亭松鶴(笑福亭松葉)の命日。この人は、こういう特定の日でなければ取り上げるきっかけがなさそうなので書きたいと思う。昭和27(1952)年2月19日大阪生まれ、平成8(1996)年の9月22日に右頚部鰓性ガンで亡くなった。実は、その日は、当初七代目襲名披露を行なう予定の日であった。
 それにしても今月は、なぜか噺家さんの命日が多いなぁ。六代目も9月、その後に馬生、三平といった50歳半ばで亡くなった人が続く。そして、もっとも若くして亡くなったのが、実はこの人、笑福亭松葉である。44歳での、あまりにも悼まれる死だった。
 
 日本伝統文化振興財団(ビクター落語)からCDがリリースされている。その中の一枚には『馬の田楽』『遊山船』『隣の桜(鼻ねじ)』の三席が収録されている。
e0337777_11075014.jpg
 ビクター落語サイトの該当CDのページ
 ジャケットの中の、音楽で言うところの“ライナーノーツ”に六代目門下で弟弟子だった鶴瓶が次のような文を寄せている。松葉への七代目追贈の経緯などが、結構詳しく書かれているので、引用したい。

松葉兄貴のこと
 昭和47年2月24日、六代目笑福亭松鶴のところに入門した。入門した時、兄弟子が10人、花丸、枝鶴、仁鶴、鶴光、福笑、鶴三(現松喬)、松枝、呂鶴、松葉(七代目松鶴)、手遊、鶴瓶であった。
 手遊は中学生で日曜日しか家に来ない。たえず家には松葉と鶴瓶が一緒にいた。師匠は選べるが兄弟子は選べない。兄弟子ではあるが同い歳の松葉とは本来微妙な関係だろうが、僕らは本当に馬が合った。実際僕自身歳の近い兄がいないせいか、本当の兄貴のように思えていった。松葉も僕を弟のように可愛がってくれた。同じ師を選び、同じ釜のめしを食った者だけがわかる兄弟なのかもしれない。
 (中略)
 六代目松鶴が永眠して七年、兄弟弟子全員が松鶴の名前がこの世から消えることを淋しく思い始めていた。平成5年12月28日、筆頭弟子の仁鶴から七代目松鶴に松葉が指名された。忘年会の席に遅れていったのですぐに把握できなかったが、七代目松鶴誕生が本当に嬉しかった。
 平成6年3月8日、七代目松鶴襲名が正式に決定し、その年8月、松葉はガンであることがわかり除去手術を受けた。それから2年、襲名を待たずに松葉はこの世を去った。
 その平成8年11月17日、笑福亭一門会で七代目松鶴を追贈された。それから兄弟弟子達それぞれの形で七代目松鶴を偲んだ。
 僕はそのすべてに参加しなかった。僕は僕だけの形で兄貴を偲びたかった。僕は日本全国の人達に七代目笑福亭松鶴の落語を聴いて欲しかった。
 「兄貴!やっと大きい舞台で
  七代目笑福亭松鶴としての
  独演会が出来たでぇ おめでとう」



 本来は筆頭弟子である仁鶴が七代目を襲名を松竹芸能から奨められていたが、自分が吉本所属であることや、仁鶴の名前へのこだわりなどで襲名を断ったと言われる。一門総意で若いながらも七代目襲名の指名を受けた松葉は、その実力や人柄、独演会での地道な努力などが評価されていたようだ。 

 このCDの三席の収録日は次のようになっている。
 『馬の田楽』
  平成7(1995)年5月10日、NHK「上方落語の会」第179回、大阪厚生年金会館中ホール
 『遊山船』
  平成6(1994)年7月6日、NHK「上方落語の会」第175回、大阪厚生年金会館中ホール
 『隣の桜(鼻ねじ)』
  平成5(1993)年5月21日、NHK「上方落語の会」第165回、大阪厚生年金会館中ホール

 亡くなる前年、二年前、そして三年前の収録である。特に『馬の田楽』のマクラでは、ガンという名を使わず「鰓性嚢胞(さいせいのうほう)」という病名で、一年前の手術のことを自虐的に語っているが、笑いながらも少し切なくなる。本編は上方ならではの、大阪の子ども達の会話が光る秀逸さである。
 二席目の『遊山船』の喜六と清八のやりとりの楽しさ、テレビで見たこともある三席目『隣の桜(鼻ねじ)』の三席とも、「この人が健在だったなら・・・・・・」との思いを強く感じさせる上方本寸法の出来。

 まだお聞きでない方には、鶴瓶いわく、七代目松鶴の“独演会”を、ぜひ推奨したい。
[PR]
by kogotokoubei | 2011-09-22 11:38 | 今日は何の日 | Comments(8)
9月20日は、初代林家三平の命日である。大正14(1925)年11月30日に七代目林家正蔵の長男として生まれ、昭和55(1980)年の9月20日に満54歳、享年55歳で亡くなった。昭和57(1982)年9月13日に亡くなった先代馬生と、ほぼ同じ年令での悼まれる死だった。馬生のことを書いたブログでも紹介した興津要著『忘れえぬ落語家たち』から引用したい。興津要著『忘れえぬ落語家たち』(河出文庫)

 そそっかしいひとに悪人はいないという。
 昭和55(1980)年9月20日に、55歳という若さで、肝臓ガンで亡くなった三平など、その典型的なタイプだった。
 売り出しはじめた昭和30年ごろ、それが大黒ブドー酒提供のラジオ番組であるにもかかわらず、蜂ブドー酒の宣伝をしてクビになったり、横浜で公開録音があるというのに、京浜東北線で逆方向に乗って大宮に行ってしまい、録音に穴をあけたこともあった。
 四谷のうなぎ屋「さぬきや」で会があったときには、自分の前に置かれた鰻重を早めに食べてしまい、はなしに夢中になっているうちに、隣りに坐っている先代文治の鰻重も気づかずに食べてしまい、おかみさんに、おみやげとして持って帰ろうとしていた恐妻家の文治をあわてさせたこともなつかしい。
 三平の酒は陽気だった。
 根岸のすし屋「高勢」でいっしょになったときなんか、別に余興を頼まれたわけでもないのに、例の調子で小咄をやってお客をよろこばせていた。
「ここからこっちは、笑いがすくないようですから、こっち側に集中的におこないます。反対側は休め」
 と、高座のままの調子なのだからおそれいった。


 あわてものの片鱗(?)、そしてサービス精神旺盛な人柄が十分に伝わる。しかし、時には意外な素顔を見せてくれたこともあったようだ。あるラジオ番組のスタッフ一同で有楽町のおでん屋で一杯やった時のエピソードが紹介されている。

 例によって、三平を中心にする陽気な酒がつづいていたが、酔ったいきおいで、プロデューサーが、
「三平ちゃん、あんたも歌謡曲やコントばかりやっていないで、古典をやったらどう?」
 と説教じみた調子で話しかけた。
 ところが、ふだんは、このうえなく温厚で愛想のいい三平が、
「あたまに来ちゃうな。ひとが、せっかく乗っているのに・・・・・・」
 と、不愉快きわまりないという表情でつぶやいたので、すっかりシラけてしまった。
 あの愛嬌者の三平が、あんな苦りきった表情を見せたのは、前にも後にも、あのときだけだった。


 弟子入りした父正蔵が東宝の専属だったため父の死後はその弟子であった落語協会の七代目橘家圓蔵門下となり、前座からやり直して苦労の末に人気者となった三平。彼にとって、「古典」という二文字がどれだけ刺激的かつタブーとも言える言葉だったかが察せられる。

 川戸貞吉さんは『新現代落語家論』(弘文出版、昭和54年12月25日第一刷発行、古書店でしか入手できないのが残念)の中でこう書いている。ちなみにこの本は、その前年に同じ出版社から上下2巻で『現代落語家論』が発行された直後に、あの落語協会分裂騒動があり、その顛末なども含めて発行された本である。三平が亡くなる前年に書かれたものだ。川戸さんは、戦後の爆笑王三遊亭歌笑と対比する文脈で次のように書いている。

 三平が登場したのは、昭和30年代の前半である。終戦後十年以上たち、経済的にゆとりが出てきた日本は、その復興もめざましく、映画を中心に、娯楽機関が発展していた時期である。笑いに飢えた人達が、寄席へ寄席へと押しかけて来る時代では、もうなくなった。そのときに、いわゆる落語ブームといわせたほど、三平は、多くの客を寄席へ呼んだのである。
 しかも、当時の落語界には、八代目文楽を筆頭に、五代目志ん生、六代目円生、三代目金馬、三代目三木助、五代目小さん、八代目正蔵をはじめ、八代目可楽、八代目柳枝、二代目円歌、先代馬風、百生といったメンバーが豪華に花開いていたのであった。三平見たさに、はじめて寄席へ来た客が、やがて、文楽に、志ん生に、そして円生に魅了され、若き日の談志・円楽・志ん朝に注目していった過程は容易に想像出来る。
 志ん朝・談志・円楽の順に売れていったのが、昭和36年ぐらいからであったろう。第二次落語ブームが起きるままで、タレント三平が支えた役割は大きい。しかも、破天荒とも思わせる三平の存在が、本格古典を格調高く印象づける役をも担っていたのである。
 もう三平が登場して、20年以上たった。いまだに三平を見に来る客があるという。こうしたことを考えても、三平は、もっと評価されるべきであろう。


 川戸さんは昭和13年、志ん朝と同じ年の生まれ。早稲田の学生時代に落研に所属し、興津要さんの弟子とも言える人であり、落研での落語会開催などの縁で、当時の小ゑん(現在の談志)や全生(五代目円楽)などと知己になった。TBS入社後の昭和43年には、現在につながる第五次落語研究会を企画した人。
 当時も今も、いわゆる落語評論家の中で三平を評価する人は多くはない。川戸さんが復活させたTBSの落語研究会の現在のご意見番も、たぶん評価しないであろう。
 しかし、私が小学生時代にテレビで何度も笑わせてくれた三平の芸を、「古典ではない」という理由で無視することはできないと思う。二ツ目で鈴本の主任(トリ)を務めたのは三平と現円歌(当時の歌奴)の二人だけである。寄席に客を呼べる噺家であるということは、客が支持している証だ。

 あっ、三平のことを書いていたら、先週の土曜(17日)の末広亭の記録で、一人書き忘れた人がいたのを思い出した。食いつき馬石の後、一朝の前に猫八の代演で林家ペーが登場していた。14分間ほぼ満員の会場を沸かせた。特に森進一「盛り場ブルース」の替え歌「前座ブルース」が楽しかった。ブログを書いていた時の晩酌のせいか、終演後に書きなぐったメモを読み飛ばしていたようだ。お詫びを兼ねて(?)、ただ派手なピンクの服装をして芸能人の誕生日を覚えているだけではなく、ギター漫談家としての芸を楽しませてもらったことを書き記しておきたい。

 その芸に加えて、ペーに限らず個性的な弟子を育てた三平。あの爆笑王の功績を、命日の今日書いておきたかった。
[PR]
by kogotokoubei | 2011-09-20 17:12 | 今日は何の日 | Comments(6)
 都合が良く顔ぶれが良く、主任の栄枝は未見だったので久しぶりに末広亭へ。開演から1時間半位で一階は椅子席も桟敷もほぼ満席。二階席も開放される盛況。土曜日だからか、顔ぶれか。団体客はなかったと思うので、少し不思議な客の入りでもあった。

 演者とネタ、そして所用時間、寸評あるいは感想を書くことにする。

開口一番 柳家花どん 『金明竹』(10分)*開演11:50
私のほうが確実に上手い、とだけ書いておく。

e0337777_11074962.gif
入船亭遊一 『転失気』 (12分)
あえて書くが、一之輔、そして菊六に抜かれた二ツ目さんの一人。扇遊門下で今年四十歳になる。この人たちのことを思うと、多くの二ツ目たちが、今後は年功だけでは真打昇進できない中で、いかに自分達の芸を磨き、そして食べていくかということを、他人事ながら思わないでもない。しかし、一之輔と菊六は飛びぬけていたから、再来年の昇進に向けて頑張ってもらおう。

e0337777_11074962.gif
花島世津子 奇術 (8分)
これまでは、たまたま縁がなく初めてだが、しっかりした芸と、さりげない一言が良かった。新聞を手で裂きながら、最後のほうで分厚くなり、なかなか裂けない時、「固い・・・あぁ、日経か!」という科白が好きだ。

e0337777_11074962.gif
桃月庵白酒 『ざるや』 (10分)
「ここだけの話ですが、他の寄席と末広亭は違う。ブルジョワって言うんですか、お客さんの着る物が違う。(間)皆さん千円以上の物を着ている」という定番のマクラが出たが、本中席は鈴本夜の部で主任。上野ではどう言っているのだろう^^
そして、出ました!大師匠馬生から師匠雲助に継承されてきた寄席の定番『ざるや』。お目当ての一人白酒のこのネタが出るのも、寄席の楽しさなのである。

e0337777_11074962.gif
三遊亭萬窓 『紀州』 (10分)
初めて聞く。後で調べたら円窓門下で、文左衛門と入門も10年前の真打昇進も同期のようだ。語り口が丁寧でメリハリも良く、好感が持てた。こういう人がいることを知るのも寄席に来る楽しみ。

e0337777_11074962.gif
林家正楽 紙きり (12分)
代演で正楽師匠に会えるというのも寄席ならではの楽しさである。挨拶代わりの「相合傘」以降のリクエストは「十五夜」「お月見」「運動会」そして「マチュピチュ」と盛り沢山。いつもの正楽ワールドは非常に楽しかったし、会場も盛り上がった。

e0337777_11074962.gif
柳家喜多八 『小言念仏』 (11分)
お目当てのもう一人。久しぶりだったし、一時体調が良くないと聞いていたので少し心配していた。結果は、まったくの喜多八ワールドで、寄席の十八番ネタ(朝日名人会でもかけたことがあるが)で、しっかり会場を沸かせた。これなら、心配はなさそうだが、顔色はいいとは言えなかったなぁ。もしかすると無理しているのかもしれない。今や寄席に落語会になくてはならない一人である、本当に病弱にならないことを祈りたい。

e0337777_11074962.gif
古今亭志ん弥『替り目』 (17分)
初めて聞く。古今亭の十八番をしっかり。マクラから語り口も調子も良く、これまで聞かなかったことを残念に思うほど、私の好みの渋い噺家さん。こういう人に出会うのも寄席の楽しさである。

e0337777_11074962.gif
三遊亭小円歌 俗曲 (13分)
ここまでくると、師匠円歌と同様に“マンネリ”ではなく、確立した“芸”なのだと思う。最後のカッポレを含め、寄席の「華」は健在。会場全体に元気をくれるお姐さんである。

e0337777_11074962.gif
桂才賀『台東区の老人達』 (14分)
二年半前の末広亭では、釈台付きで椅子だったが今日は座布団での高座。ネタは一緒だったが、今日のほうがパワフルで可笑しかった。ナイキのロゴの髪型も健在。

e0337777_11074962.gif
柳亭小燕枝『家見舞』 (19分)
寄席で何度か聞いているが、その端正な高座は好きだ。二ツ目の小三太時代に、今のNHK新人演芸大賞の前身の落語コンクールで優勝している実力者。折り目正しく渋い味で柳家の伝統を継承している人、という印象。この噺でもまったく下品にならないのが、この人ならではである。

e0337777_11074962.gif
ロケット団 漫才 (12分)
十八番の「脳トレ」四字熟語ネタから始まり、いつもの程よいブラックな時事的なギャグを交え満員の会場を爆笑させていた。さすがである。若くてもテレビのバラエティ番組の雛壇に出ている使い捨て芸人とは力量の違いを感じる。

e0337777_11074962.gif
橘家圓蔵『不精床』 (19分)
仲入りはこの方。ネタはほんの数分なので漫談と書こうかとも思ったが、ご本人が「ネタ」へのこだわりがあったようなので。冒頭から、一列目の父親と一緒に来た小学生の客を暖かくいじる。「落語家になりたい?」の質問に「ハイ」の答えで、楽屋を見ながら「お~い、履歴書!」。その後、自分の父親の思い出などへ。ネタの後は最後には子どもに扇子と手拭をプレゼント。さかんに笑いながら子どもの父親に「落語家になんかしちゃだめよ」と言っていたが、真意は逆だったのであろう。77歳の元気な姿を見ることができて良かった。

e0337777_11074962.gif
隅田川馬石『狸の札』 (10分)
仲入り後、どんなふうに流れが変わるのかと思ったが、この人にしては明るい高座。きっと円蔵が楽屋で盛上げたのだろう。寄席や落語会で馬石のこれほど明るい噺を聞いたことがないが、これまた楽しい巡り会いだった。

e0337777_11074962.gif
風亭一朝『子ほめ』 (16分)
まるで、雲助のような感じでのネタ選びだったのだろうか。「もし、まだかかっていなければ子ほめ!」というのが雲助である。マクラは定番ではあるが彦六の正蔵ネタ三連発。内容は書かないが、落語愛好家の方ならご存知のアレやアレです。そして六代目松鶴の自宅の鸚鵡のネタは初めて聞いたが、笑えた。

e0337777_11074962.gif
桂文生『桃太郎』 (15分)
この人の高座の中では、相当良かったほうだろう。二日酔いでしどろもどろの漫談のこともあった。マクラで自分自身の息子のことを素材にしてから、なかなかの『桃太郎』だった。

e0337777_11074962.gif
柳家紫文 俗曲 (7分)
いつもの長谷川平蔵ネタだが、私はどうしても馴染めない。

e0337777_11074962.gif
春風亭栄枝『鼓ヶ滝』 (24分)*終演16:30
なるほど、こういう噺家さんだったんだ、という印象。弟子の百栄はアメリカで寿司屋のアルバイトをしている時にこの人に会った縁で弟子入りしたと、どこかで語っていた。その時の印象を、“へんなおじさん”という表現をしていたと思うが、納得だ。趣味は音楽、川柳、狂歌、海外旅行などと幅広いようで、いくつか自作を披露していた。マクラと本編の時間がほぼ半々だったろうか。何とも飄々とした噺家さん。とてもあの八代目春風亭柳枝に最初入門したとは思えない高座なのだが、不思議な魅力がある。73歳で、この軽い味わいというのも落語界では得がたいかもしれない。


 あ~、晩酌をしながら4時間半を振り返るのは、なかなか楽ではなかったなぁ。
 それにしても、師匠の一朝も含め、誰一人来年の昇進について話題にしなかった。ある意味で、まだ衝撃が残っていて、とてもマクラでギャクにできる状況ではないのだろう。高座全体に、どことなく緊張感のような空気を感じたが、それは気のせいだったのか。あるいは、“小三治革命”が、日常の寄席にも何がしかの刺激を与えたのか。このあたりは、もう少し時間の経過を見る必要があるだろう。
 残暑の新宿の街、少し立ち寄ったデパートの食品売り場には連休ということもあったのだろうが、震災も原発事故もまるでなかったかのように大勢の人であふれていた。
[PR]
by kogotokoubei | 2011-09-17 20:15 | 落語会 | Comments(10)
 落語協会の来年の真打昇進者が、本日発表された。
落語協会HPのお知らせページ

新真打昇進決定
2012年 春に春風亭一之輔(春風亭一朝門下)

2012年 秋に古今亭朝太(古今亭志ん橋門下)、古今亭菊六(古今亭圓菊門下)が真打に昇進することが決定いたしました。


 なんと、春に一之輔の単独、秋に朝太、菊六の二人の昇進である。

 実力主義で選ぶだろうことを伝え聞いてはいたが、これほどの小三治会長の英断に、まずは拍手を送りたい。年功を取り払った昇進者の名前、特に一之輔の昇進に期待していたが、ここまでやっていただくと、若干驚きもなくはない。

 末広亭初席のプログラムに、今年は落語協会、芸術協会ともに真打昇進がないというニュースがあったので、「幻の真打昇進者」という内容のことを書いた。少し引用したい。
2011年1月13日のブログ

 落語協会には61名、芸協には27名の二ツ目がいる。
 ちなみに、落語協会の昨秋の真打昇進者五名は、平成8(1996)年と平成9(1997)年の入門で、二ツ目昇進は全員が平成12(2000)年。
 もし今年、春秋ともに五人ずつ昇進するとしたら該当したであろう、“幻”の真打昇進者を推測してみる。

 入門年次と二ツ目昇進の時期を考えると、春の昇進者として“当確”だったはずの方が、まず四名。
□金原亭小駒:平成9(1997)年入門、平成12(2000)年二ツ目。
□川柳つくし:平成9(1997)年入門、平成12(2000)年二ツ目。
□三遊亭天どん:平成9(1997)年入門、平成13(2001)年二ツ目。
□三遊亭金兵衛:平成10(1998)年入門、平成13(2001)年二ツ目。

 そして、春のもう一人と秋は、平成14(2002)年の二ツ目昇進者も対象となり、次のような名前が並ぶ。
□三遊亭亜郎:平成9(1997)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
□柳家喬四郎:平成11(1999)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
□柳家小権太:平成11(1999)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
□鈴々舎風車:平成11(1999)年入門、平成14(2002)年二ツ目。

 この八名の次に入門が平成10(1998)年で二ツ目昇進が平成15(2003)年のこの二人が続く。
□古今亭朝太:平成10(1998)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
□三遊亭司:平成10(1998)年入門、平成15(2003)年二ツ目。

 これでちょうど10人である。私がくどい位に主張してきた春風亭一之輔が昇進するのであれば、この中から一人が脱落する、という次第。

 しかし、一之輔どころか、名前を挙げた十人の二ツ目の誰も、今年は昇進しないらしい・・・・・・。


 来年の昇進において年功がまったく考慮されていないことがお分かりかと思う。朝太だって8人抜きだ。一之輔も菊六も、それ以上の先輩を追い抜いての抜擢昇進である。

 昨年の10月に、直前に迫ったNHK新人演芸大賞や今年(2011年)の真打昇進について書いたことがある。そこからも少し引用したい。
2010年10月13日のブログ

そして、もし一之輔が昇進する場合、いわゆる“何人抜き”になるかを予想してみる。彼より入門年次と二ツ目昇進の両方で先輩の二つ目は、次のような名が並ぶ。
(落語協会HPより。名前の五十音順)
-------------------------------------------------------------
三遊亭亜郎:平成9(1997)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
三升家う勝:平成12(2000)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
柳家右太楼:平成12(2000)年入門、平成16(2004)年二ツ目。
金原亭馬吉:平成12(2000)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
金原亭馬治:平成12(2000)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
柳家喬四郎:平成11(1999)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
柳家喬之進:平成12(2000)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
三遊亭金兵衛:平成10(1998)年入門、平成13(2001)年二ツ目。
金原亭小駒:平成9(1997)年入門、平成12(2000)年二ツ目。
柳家小権太:平成11(1999)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
桂才紫:平成11(1999)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
柳家さん弥:平成12(2000)年入門、平成16(2004)年二ツ目。
柳家初花:平成12(2000)年入門、平成16(2004)年二ツ目。
古今亭志ん公:平成11(1999)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
古今亭朝太:平成10(1998)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
三遊亭司:平成10(1998)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
川柳つくし:平成9(1997)年入門、平成12(2000)年二ツ目。
三遊亭天どん:平成9(1997)年入門、平成13(2001)年二ツ目。
鈴々舎風車:平成11(1999)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
入船亭遊一:平成11(1999)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
柳家麟太郎:平成11(1999)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
-------------------------------------------------------------
同期は別として、同じ二ツ目の一之輔の先輩は、この二十一名。



 私のリストに漏れがないのなら、21人抜きになるなぁ。菊六はもっと多い人数を抜くことになる。まだ計算していないが30人近く抜く勘定になる。追い越す先輩の人数で菊六が一之輔を上まわることへの一之輔への配慮が、単独の昇進ということなのだろう。

 春に一之輔が単独昇進。この決定に、落語協会の新たな、そして明確な主張が込められているような気がする。8月1日に発表された芸術協会の見事な年功昇格とは、あまりにも対照的だ。
2011年8月3日のブログ
 まさか、今後追加発表なんてないだろうなぁ。もし、この三人だけなら、単独昇進の大変さは菊之丞の著書『こういう了見』を読んで知っているだけに、一之輔はこれからが大変ではあろう。
2010年12月7日のブログ
 しかし、一之輔がそのプレッシャーに潰されるような器ではないことも十分に察することができる。だからこそ小三治会長も決断したに違いない。

 一之輔のチケットが、ますます取りにくくなるが、やむを得ないなぁ。

 これは、ある意味で“革命的”なことと言えるだろう。かつて志ん朝がやりたくてもなかなか出来なかった実力主義での昇進決定である。これを「小三治革命」と、とりあえず名付けておこう。
[PR]
by kogotokoubei | 2011-09-15 17:58 | 真打 | Comments(10)
9月13日は、先代の金原亭馬生の命日である。昭和3(1928)年1月5日に志ん生の長男として生まれ、昭和57(1982)年の9月13日に満54歳で亡くなった。興津要さんが、訃報に接した後の感慨を次のように書いている。
興津要著『忘れえぬ落語家たち』(河出文庫)

 江戸時代から昭和初期まで残っていた<古き佳き日>を知っていて、しかも表現できる落語家が、また、ひとり亡くなった。
 去る昭和57年9月13日、食道ガンのために十代目馬生が亡くなったことによって、円生や彦六からの芸風の系列が切れてしまったの感が深い。
 わたしが馬生と知り合ったのは、ずいぶん遠いむかしになる。
 昭和25年から30年にかけて、わたしは駒込神明町に住んでいて、志ん生、馬生親子の住む駒込動坂とは隣り町だったこともあって、いつの間にか往き来する仲になった。
 戦争末期から終戦直後にかけての馬生は、ずいぶん苦労したらしい。
 なにしろ、酒好きの父親の志ん生が、軍隊慰問に行ってしまって生死不明であったうえに、まだ二つ目の身分で、母親や姉弟をかかえて、食料も入手できない毎日を必死に生きぬいてきたのだから、それは、まさしく地獄の苦しみであったことだろう。
 わたしと知り合ったころの馬生は、晩年の枯淡の味とはほど遠く、酒量ももっと多く、食べるものももっとたくさん口にしていた。
 それは、持ちネタをどしどし増やしつつあった精進ぶりにも通じる<いきおい>でもあったろう。
 ただ、そのころは、父親志ん生の持つ滑稽味を出そうとしたためか、無理に笑わせようとする傾向もあったが、しだいに、しっとりした独特の方向を探りあてはじめた。
 「たが屋」「笠碁」「船徳」などに佳い味を見せて、「馬生がよくなった」という声が落語通の間にも聞かれるなかで、昭和44年には、芸術選奨の新人賞に輝いた。



 なぜ、興津さんが志ん生親子との縁ができたかを、同書の“志ん生”の章から引用。

 太平洋戦争末期、日本国内にアルコール類が乏しくなり、向こうへ行けば酒が飲めるという、ただそれだけの理由で満州へ行ったま生死不明だった志ん生が、昭和22年1月、駒込動坂の自宅へ帰ってきた。
 それから、昔日の人気を取りもどすまでに、そんなに長い月日を必要とはしなかった。
 そのころ、動坂とは隣り町の駒込神明町に住んでいたわたしは、滑稽本、人情本、草双紙、小噺本というたぐいの江戸戯作関係の本を読むために上野図書館に日参していた。
 まだ終戦間もなくで、タクシーなんかない時代だったから、売れっ子の志ん生も、わたしとおなじ都電を利用していた。
 したがって、わたしは、志ん生と時折り乗りあわせたのだが、惚れた女に逢ったときのように、くちのなかがカラカラにかわいて、顔ばかりほてって、なかなか話しかけることができなかった。
 それが、いつ、どんなことがきっかけで話しかけたのか覚えていないが、「うちへ遊びにいらっしゃい」といわれるようになった。


 興津さんは大正14(1924)年生まれなので、志ん生が満州から帰国した昭和22年というのは23歳の頃。なるほど、志ん生に簡単には声をかけられなかったのだろう。ちなみに当時馬生が19歳、志ん朝は9歳である。

 興津さんが代表作に挙げる馬生の「笠碁」は、私も大好きな音源で携帯音楽プレーヤーの常連だ。「船徳」もいいが、先日弟子の雲助で聞いた「お初徳兵衛」のほうが、この人らしい噺だと思う。

 雲助の「お初徳兵衛浮名桟橋」を聞いた日のブログ2011年8月23日のブログでも引用した本、石井徹也編著『十代目金原亭馬生-噺と酒と江戸の粋』(小学館)の中の、伯楽、今松、駒三の対談から引用したい。石井徹也編著『十代目金原亭馬生-噺と酒と江戸の粋』

「何でもいいんだよ」の真意
駒三 とにかく、物事を押し付けないというか、非常に淡白ですね。
    弟子に対しても淡白。
今松 ウチの師匠の有名な言葉といえば、「何でもいいんだよ」
    だから、ね。
伯楽 最後は「何でも」だけになっちゃったけどさ、オレはちゃんと
   真意を聞いてたよ。
   「いいかい、酒の肴として海鼠腸(このわた)が出る。ホヤが出る。
    人によっては“こんな不味いものはねぇや”と思う人がいる。
    でも、それを食って旨いと感じる人もいる。“一品料理”として
    出せればいいんだ。
    お客様相手なんだから、喜ぶお客様がいて、“一品料理”として
    出せるものなら、芸でも、どんなもんでもいいんだ」そういう
    意味で「何でもいいんだよ」と言ってたんだよ、ウチの師匠は。



 お姉さんの美津子さんが、「何でもいいんだよ」という言葉の意味を探るのに参考となりそうなことを語っているので紹介したい。『三人噺-志ん生・馬生・志ん朝-』(2002年扶桑社より単行本、2005年文春文庫で発行)からの引用。美濃部美津子著『三人噺-志ん生・馬生・志ん朝-』

 あの子は絵だけじゃなくって、字も上手かったわね。前にお弟子さんが話してたんですけど、寄席の楽屋に筆が置いてあるでしょ。どの噺家さんが何の噺をしたか記しとく「ネタ帳」を書く筆。それが前座さんがちゃんと手入れしなかったとかで、墨で固まっちゃったりして、書きにくいったらありゃしない。でも、そんなひどい筆でも、お客さんから色紙を頼まれたときに、メザシの絵をすーっと描いてね。脇んとこに「メザシにも鯛に勝れる味があり」って、またすーっと書いたっていうんですよ。
「それが見事なんですよ。ボロボロの筆なのに、それこそ涼やかにメザシを描いちゃうんですかってくらいに」
 書いた文章も馬生らしいって思いますよね。



 “鯛”に負けない「一品料理」の“めざし”になるのは、並大抵なことではない。だからこそ、円生をも上まわろうというネタ数を誇るに至る若い時分の精進があったのだろう。

 一門の活躍もあって、今のほうが現役時代よりも馬生の人気が上がっているのではなかろうか。しかし、今ごろ天国で好きな酒をちびちびやりながら一門の活躍を見ている十代目は、「そんなに力むんじゃないよ、メザシでも、何でもいいんだよ」、そんなことを呟いていそうな気がする。
[PR]
by kogotokoubei | 2011-09-13 11:45 | 今日は何の日 | Comments(10)
録画を見たところ。冒頭のナレーションで「米朝一門からその秘伝を継承する第三の刺客」と紹介していたが、先週の終演後の対談でも話題になったが、吉弥、吉坊に続き全員が吉朝門下だ。

 米朝一門で、吉朝門下と吉朝に近い弟弟子は次のようになっている。天満天神繁昌亭サイトにある「米朝一門」のページ

|
-----吉朝 ---- あさ吉
|       | 
|        --- 吉弥--- 弥太郎
|       |
|       --- よね吉
|       |
|       --- しん吉
|       |
|       --- 吉坊
|       |
|       --- 佐ん吉
|       |
|       --- 吉の丞
|
-----米八
|
|
-----米二 --- 二乗
|       |
|       --- 二葉
|
-----米団治--- 団治郎
|        |
|        ---米輝
|

 よね吉は吉朝の三番弟子。しかし、一番弟子のあさ吉、二番弟子の吉弥とは年齢もほぼ四十歳と近く、入門もそれぞれ1993年以降の一年違い。吉朝門下の中では、私はこの人の将来をもっとも期待している。
 NHK新人演芸大賞受賞や東西若手落語家コンペティション優勝などで裏づけされた実力ももちろんだが、一昨日の米二と同様に京都出身の噺家さんに特有とも思われる言葉のまろやかさを生かした、品格のようなものを感じる。

 米朝門下には、枝雀一門を筆頭とする上方爆笑落語にも魅力があるが、正統派の風格のある上方落語の伝統も、ぜひ継承して欲しい。その継承者の一人として、この人には期待している。少し男前すぎるとも言えるが、その端正な顔を崩した時の落差も、演出としてプラスにしているように思う。十年もたてば、もっと渋くなるだろう。

 先週の『御公家女房』(『延陽伯』を小佐田定雄さんが脚色したネタ)に続く二席目。
 旦さんの誕生日の酒のお供に呼ばれた喜ぃさんが、伏見の銘酒「白菊」の香りをかいでの「ふ~ん」というリアクションや、鯛の刺身のわさびが効いて「アーッ・・・」という所作、茶碗蒸しの海老に「腰が曲がって、苦労したんでっしゃろなぁ」など、過剰すぎない所作や表情、語り口なのだが心地よい可笑しさがある。
「長崎名物 元祖ちりとてちん」の犠牲者となる竹も、程よく憎らしいし、可笑しい。「旦さん、これ、えげつない匂い・・・・・・」「えげつないって、お前、知っとんのやろ」(一瞬の間)「懐かしい匂い!」

 東京での落語会もたまにあるようだが、これまで都合が合わず行けていない。今後は“上方落語強化シリーズ”の一貫として、彼の生の高座をぜひ見たいと思わせた、先週と今週の二席だった。


 来週は柳亭左龍の『お菊の皿』。あの“顔”は、必見である。
テレビ朝日HP「落語者」の次回予告ページ
[PR]
by kogotokoubei | 2011-09-10 08:17 | テレビの落語 | Comments(2)
 落語ブログ仲間からの誘いもあり、通算で19回目となるらしい米二の東京での会に初参加。ちなみに、お誘いを受けたYさんとは、以前に米二の本についてブログを書いた際のコメントから始まったお付き合い。だから、米二は縁結びの噺家さんということも言える。
2010年5月14日のブログ
 自由席の会場は開演前にほぼ八割ほど埋まっていたので、上方の地味(?)な噺家さんの会としては、なかなかの入りと言えるのだろう。会場のあちこちから関西弁が聞こえる。関西出身の上方落語好きな方がたくさん集まった会場の雰囲気は、ここが新橋とは思えなかったほど。

 構成は次の通りだった。
--------------------------------
桂そうば 『十徳』
桂米紫  『おごろもち盗人』
桂米二  『口入屋』
(中入り)
桂米二  『まめだ』
--------------------------------

桂そうば『十徳』 (19:02-19:18)
 ざこばの七番弟子とのこと。ただし、ざこばの弟子は、弟子入りしても高座に上がらなかった人や、その後廃業した人などもいて、どういう数え方で何人目なのかは、ちょっと疑問。平成17年入門の、東京で言えば二ツ目さんだが、実にしっかりした本寸法の上方落語。
 登場人物はたった三人の言葉遊びのネタだが、なかなか笑わせてくれた。「十徳」と言うと“十徳ナイフ”を今日ではイメージするが、この噺では衣装の名前。少し長くなるが、珍しいネタでもあるので、度々お世話になる「落語の舞台を歩く」より画像を含めて引用したい。
落語の舞台を歩く「十徳」
e0337777_11074806.gif

(僧服の「直綴(じきとつ)」の転という) 衣服の名。素襖(すおう)に似て脇を縫いつけたもの。武士は葛布(くずふ)で白または黒、胸紐あり、中間(ちゅうげん)・小者・輿舁(こしかき)などは布を用い胸紐がなく、四幅袴(よのばかま)を用いる。鎌倉末期に始まり、室町時代には旅行服とした。江戸時代には儒者・医師・絵師などの外出に用い、絽・紗などで作り、黒色無文、共切れ平絎(ひらぐけ)の短い紐をつけ、腰から下に襞(ひだ)をつけて袴を略した。


 前から見ると羽織の“ごとく”、後ろから見ると衣の“ごとく”、合わせて“十徳”という洒落である。東京版では「下総と武蔵の二つの国に架かったから両国橋」という話が喩えで使われる。甚兵衛さんに「十徳」という名前の由来を聞いて、自分同様にモノを知らない竹の家に自慢すべく「十徳」を着てやって来た主人公、竹に向かって「これ前から見たらどう見える?」と聞くが、なかなか思うとおりには行かないところが、このネタの骨格。
 前半もサゲも、人によってさまざまに工夫されて演じられるが、そうばは「羽織にニタール」「衣にニタール」で「シタール」、「インドの楽器かい!」とか、「羽織みたい」「衣みたい」で「むたい」などで笑わせる。冒頭の「大根役者」の由来などは、彦六の正蔵の十八番『中村仲蔵』のマクラを思い出した。なかなか幸先の良い、“上方落語の夕べ”の幕開けだった。

桂米紫『おごろもち盗人』 (19:19-19:43)
 東京では『もぐら泥』。では「おごろもち」とは何か。上方で「もぐら」のことなのだが、上方落語を調べる上で頻繁にお世話になっておる「世紀末亭」さんの“上方落語メモ”から引用したい。上方落語メモ「おごろもち盗人」

おごろもち=古く平安時代に、土を持ち上げるの意から「壌(うくろ)もち」と呼ばれたのが語源のようである。ウクロモチ→オクロモチ→オゴロモチ→モゴロモチ→モグラモチ→モグラか、あるいはモグラは「潜る」からの派生かもしれない。


 ちょっとややこしいが、上方言葉は、あなどれない(?)。今でも関西で日常会話で通じるのだろうか。どなたか教えていただきたいものだ。
 さて、米紫。前名の都んぼ時代、らくだ亭の20回記念の特別落語会で、『堪忍袋』を聞いて以来である。
2009年5月16日のブログ
 あれから二年余り経過しているが、今回もなかなか見事な高座だった。昭和49(1974)年3月の生まれなので37歳という若さだが、現在の塩鯛に入門し18年目、なかなか充実してきた印象。
 マクラは、前名のトンボ(都んぼ)時代のエピソードで、以前にも似たような話を聞いた気がするが、笑える。かつて、一緒に関西のある町の公民館での落語会に行ったのが、歌武蔵門下のカブト(歌ぶと、現在の歌太郎)で、楽屋に町の偉い人が来られて、「トンボです」「カブトです」と挨拶したら、挨拶に来た人が、「チョウチョウです!」。ネタバレ申し訳ないが、これは書かせてもらいたかった^^
 本編の冒頭で主人が帳面と現金が合わないので何度も算盤をはじく場面、口で算盤の玉を弾く音を真似るのだが、毎回楽しい節をつけたリズミカルな調子は、なんとも可笑しい。夫婦の会話も、泥棒の慌てぶりも含め、なかなか結構な高座だった。

桂米二『口入屋』 (19:44-20:26)
 東京では『引越しの夢』。サゲがネタの題になったわけだが、ちなみに上方では「引越し」は「宿替え」となる。上方言葉のほうが、何とも言えない響きと言うか、味わいのある響きがあるように思う。
 マクラで、米朝門下と松鶴門下の噺家が、それぞれ上方の代表的な噺で、考えられない言い間違えをしたことがある、というネタがあった。個人名は伏せて、その言い間違えの内容だけ紹介してしまおう。『はてなの茶碗』で、「大阪の人間です」と言うべきところを、「大阪の芸人です」とやってしまったという例と、『池田の猪買い』で、「山に猪(しし)打ちに行く」と言うべきところを、「山に芝刈りに行く」と、桃太郎のお爺さんの科白のようなヘマをやってしまった、という例。Yさんに聞くと、このネタ、定番のマクラでもあるらしい。
 このマクラにしたのは、この噺が、まさにそういった失敗の危険性のある“しゃべくり”落語だからだろう。冒頭に紹介した米二の著書の中で、この噺について本人はこう書いている。桂米二著『上方落語十八番でございます』

 この落語は師匠、桂米朝から内弟子時代の最後に稽古をつけてもらいました。後半は動きも多く、体力が要る噺です。亡くなった兄弟子の枝雀は、座布団の上を所狭しと動き回ってやっておられました。ずいぶん派手によく動いた人ですが、一応、座布団からは離れないというルールを決めてはったようです。
 とにかくよくしゃべる落語です。よくしゃべらない落語なんてありませんが、とにかく半端じゃない量をしゃべります。途中、立て板に水が流れるようにしゃべるところが二ヵ所あります。前半、番頭が女子衆をつかまえてしゃべるところと、中ほど、女子衆さんが袷、単もんから、のろしの揚げ方まで自分の特技を並べるところですね。これを我々のほうでは、タテ弁と言います。お経のように覚えてベラベラとしゃべりまくるのです。


 「女子衆」は「おなごし」と読む。確かにこの噺は楽しいのだが、噺家さん泣かせでもある。登場人物も少なくないし、自著で説明しているように“タテ弁”部分もあり、パワーが必要なネタだろう。加えて「膳棚(ぜんだな)」や「薪山(きやま)」という、昔の上方のお店(たな)特有の構造の説明を入れると、結構ボリューム一杯なのだ。「膳棚」「薪山」については、にぎわい座で兼好との二人会での桂かい枝の高座についてについて書いた際に、“世紀末亭”さんの解説を引用しているので、関心のある方はご覧のほどを。2011年6月15日のブログ
 マクラでちょっと引っ張りすぎたのだろうか、しゃべくり一杯の後半はやや飛ばし気味だった。加えて、エアコンにまつわる自分自身のエピソードもしっかり挿入したので、ちょっとダレた印象は拭えないが、数少ない東京の会で、観客への精一杯のサービス精神が伝わった高座だった。

桂米二『まめだ』 (20:38-21:05)
 米朝一門のネタ、と言っていいのだろう。三田純市による新作。マクラでは昔師匠の米朝が裁判長役でテレビドラマに出演した際、付き添い役的に裁判官として出演した、というネタ。米二の科白はなく、米朝が科白を間違えないよう横で台本をコッソリ見せた、といったエピソードから役者でも科白のないのは辛いもので、ということで本編へ。大阪は三津寺筋に住む歌舞伎の大部屋役者の市川右三郎、実家で「びっくり膏」という膏薬を作って商いをしている右三郎の母、そしてまめだ(豆狸)の三人(二人と一匹)が中心の噺。 
 米朝は著書『米朝ばなし』(講談社文庫、昭和59年11月発行)で、こう書いている。
桂米朝著『米朝ばなし 上方落語地図』

 三田純市氏の新作で、十年余り前のものですが、道頓堀界隈に伝わる古いはなしをもとに作られたものです。だいたい東西ともに秋の落語が少ないので、三田さんのおかげで、非常にいい秋の落語が出来たことを、喜んでいます。


 詳しい筋は説明しないが、右三郎が豆狸に怪我をさせて、その狸が人間の子どもに化け母親の膏薬を買いに来る、というストーリーの後で、少し物悲しい結末が待っている。なるほど、サゲは秋らしい内容。東京の噺家では聞けない噺を、私も米朝の音源で以前に聞いて以来久しぶりに聞くことができた。


 米二は、この会を紹介してくれたYさんの主張通り、米朝落語の直系と言える上方の本格派だった。形容するなら「渋い」噺家さん。そして、著作が物語るように“学者肌”の理論家、という噺家さんで、そういう面でも師匠と相通じるものがある。そんなこともあって、私のブログも、つい“上方落語と上方言葉のお勉強”みたいになってしまったが、お許しのほどを。
 そうば、米紫を含め、たっぷりの“上方落語の夕べ”の後は、Yさん、そしてSさんとの恒例の「居残り会」。先週金曜日は鯉昇の会の後、人形町のネオンの誘惑を我慢して帰ったこともあり、上方落語を肴に呑む酒の上手かったこと。もちろん、帰宅は日付変更線を超えた。
[PR]
by kogotokoubei | 2011-09-09 08:28 | 落語会 | Comments(6)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛